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第119回都市経営フォーラム

森 林 化 社 会 の 提 唱
―進化する都市と森のコミュニティ―

講師:平野秀樹氏 国土庁防災局防災企画官


日付:1997年11月19日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

1. 巨大都市は人類進化の通過点

(1) 時代風景/大震災の生物学的教訓
(2) 都市の寿命・森林の寿命
(3) 森林化の時代―集住形態の『極相』を見つけよう

2.森林理想郷はどこにーユートピアを求めて世界の国へ

3.二つの森林理想郷

(1) 森林理想郷―小さなまちのイメージとサイズ
(2) もう一つの森林理想郷
(3) 21世紀の新首都は?
(4) 帰りなんいざー新しいまちへ


 初めまして。御紹介いただきました平野でございます。
 私のルーチンワークは、都市開発とか都市づくりとかとはちょっと違っていて、災害があったときに大急ぎで職場に駆けつけるとか、そういう仕事でございます。ここにポケットベルを持っていますが、全国で震度5以上があると、これが自動的に鳴って、私はすぐ霞が関に戻らなければいけない。そんな生活をしています。この1年間で10回ぐらい鳴りましたけれども、もちろん夜中というのもありました。日直制度とか宿直制度とかもあって、月に1回ぐらいは庁舎の中に泊まっています。
 きょうは、私の専門というか、これまでの業務を通じて興味を持ってきた分野について、 少しお話ししてみたいと思っています。話題は3部作になっていまして、1つは、20世紀が生んだ巨大都市の限界の話です。いろんな社会現象を踏まえてお話ししたいと思います。2つ目は、スライドを何枚か用意していますので、そのスライドを見ながら世界の森林理想郷と呼べるような風景を皆さんと一緒に考えてみたいと思っています。
 最後に、森林理想郷とはどんなイメージで、もし日本でつくるなら、どういう形の都市になるのかなといったところの、むしろ問題提起をやってみたいと思っています。



1.巨大都市は人類進化の通過点

(1)時代風景/大震災の生物学的教訓

 レジュメに「時代風景」と書いていますけれども、私の身近な話題から始めてみます。
 多分、皆さんと私は同じだと思うのですが、朝晩、本当に超過密の満員電車で通っています。私は小田急線ですけれども、混雑率が230%ぐらいだそうです。これはアフリカからアメリカに遠く運ばれた奴隷船の密度と同じだそうでして、こういうことを毎日朝晩やっているわけです。長生きはできませんね。
 東京はチャンネルがすごく多くて、便利だ便利だと言われていますが、例えば、買い物をするにしても、私たちはコンビニへ行って、売れ筋商品を買わされているだけで、何も自由な選択はしていないような気がします。バーコードのPOSシステム、ああいう瞬時に売れ筋を判断できるシステムがありますけれども、CMを通じた販売元の戦略によって、どうも買わされているという気がしてなりません。本当はもっと大事な、考えなければいけないこととか、じっくり読まなければいけない古典の本がいっぱいあると思うのですが、私たちは実に忙しくて、写真雑誌とか、そういうカラフルな雑誌を読み飛ばしているというのが、どうも毎日ではないかと思っています。
 もちろん家も狭いですし、土日はどこに行っても人ばかりで、デパートに行っても疲れに行くみたいなものです。都会暮らしはよっぽど我慢強くないとできないなと思っています。
 私の専門は、森林学といいますか、生態学の方ですけれども、よく緑の種類に3つとか4つあると言われています。例えば、「野生」の緑、非常にワイルドな自然で、世界遺産の白神みたいな森もあれば、スギやヒノキの人工林、これは「家畜」の森と呼んでもいいかもしれません。
 それから、そういう野生でも家畜でもなくて、「ペット」の森とでもいうのでしょうか、都心には庭園木とかそういうたぐいの緑しか残っておりません。最近はそれも少なくなって、緑が「アクセサリー」になってきているなという気がします。ビルの谷間に1本か2本あるだけのアクセサリーです。
 仕事柄あちこちに行くことが多いのですけれども、そのときどきに歩いている人の表情をよく観察することにしています。東京人の表情は、老人、子供──特に老人の方が元気がないですね。子供は塾通いで忙しくて、目がキョロキョロよく動く賢そうな子はいるのですが、元気そうな自然児みたいな子はちょっと少なくなりましたね。東京の子供は緑と同じように、ペットみたいです。今の都会人は、「自然から足が切れてしまった世代」のようなもので、それが1世代ではなく、我々の子供で2世代目に入っているというわけです。
 生物学の用語で「デッドセンター(真ん中の死)」という言葉があります。これは秋に黄色い花が咲くセイタカアワダチソウとか、春先にマーガレットみたいな白い花が咲くヒメジョオンにあてはまるのですが、これらは帰化植物でして、後から侵入してきて、根からどんどん在来種を駆逐するポリアセチレンという毒素を出すのです。それでもって、どんどん在来種をやっつけていって、ものすごい群落に広がっていくのですが、ある一定以上の広がりを持つようになると、どういうわけか真ん中から枯れ始めて、死んでいくのだそうです。自家中毒ということでありまして、真ん中からセイタカアワダチソウがなくなっていく。
 これは植物界の話ですけれども、どうも私は人間も同じで、有事の際には真ん中から死んでいくんじゃないかという気がしています。(笑)こういう平時の場合は、東京は一番華やかな元気のいい場所ですけれども、有事の際、例えば、戦争なんかが起こって食糧が足りなくなったときは、そうはいかなくなるでしょう。これまでで一番たくさんの人が一カ所で亡くなったのは、20世紀のレニングラード(サンクト・ペテルブルク)だそうでして、ドイツとの戦争のときに、兵糧攻めで63万人が死んだようです。同じようなことが、東京でも有事の際には起こるのではないかという懸念を持っています。
 こういうふうに都会の悪口を幾つも並べ立てるのですけれども、依然として大東京への集中は続いておりまして、やはり総合的に見て東京がいいから人が集まるのかなと思ったりしています。
 その原因は、叱られるかもしれませんが、1つに、女性の都会好きというのがあるのではないかということを常々考えています。女性というのは、どうも管理されるよりも自由がいいみたいですし、山よりも海がいいみたいですし、何よりも華やかな都会の香りが大好きのようです。私の同期を見ていても地方へ転勤になると、大抵単身赴任になってしまいます。奥さんは、子供の教育のためという名目で残るのですけれども、実際はそうではなくて、それにかこつけて東京暮らしを続けたい。東京の魅力にとりつかれて離れられない……からではないでしょうか。
 もう1つ。多くの人たちが東京に集まる原因は、テレビの影響も大きいと思います。ほとんどのトレンディードラマは、その場面が大東京のようですし、東京が1つのユートピアだと思わせるような仕掛けが、コマーシャルを含めて随分流れているのではないかという気がしています。
 こんなふうに巨大都市へ人が流れ込んでいく傾向は、どうも世界中共通しているような気がしてなりません。先般山火事で有名なスマトラの方に行ったのですが、途中、ジャカルタにも寄りました。そこで感じたのは、アジアの巨大都市はすごく顔が似てきたなということでした。ジャカルタもソウルも台北も香港もマニラもそうです。着ているものがTシャツとジーパンで、休みの日はファミリーレストランに行って、家族で食事を楽しむ。住宅はむき出しのコンクリートの4〜5階建て、そこに近代生活を持ち込んで住み着く。これがアジアの巨大都市の姿ではないかと思います。
 それ以上に共通しているのは、歩いている人たちの表情でした。まず感じることは、非常に「無愛想」であるということ。もう1つは、何だか「疲れている」ということです。それから、「寂しそう」でした。この無愛想で、疲れていて、寂しそうであるというのは、アジアの人たち、特に巨大都市に住む人たちに共通する表情だったと思います。
それらの巨大都市に、唯一違いがあるとするならば、衛星放送のBSのアンテナの向きぐらいでしょう。日本の場合は、フライパンは斜め上を向きぐらいでしょう。けれども、ジャカルタに行くと緯度が0ですから、真上を向いている。(笑)この差ぐらいのものです。流れてくるテレビは、やはり舞台が巨大都市で、場面は暴力とセックスばかり。そういうのがアジア各国に共通するマスコミュニケーションのような気がします。
 悪いことに、このテレビというのは、バッテリー1個さえあれば、国を超えてのどんな田舎でも見ることができるわけで、このまま時が経てば、アジアの人たちはテレビの箱の中こそがユートピアではないかという幻想を抱いたまま、都市への集中を続けるような気がしてなりません。
 巨大都市というのは、人類がどんどん進化していく際の1つの過程、通過点ではないかと私は思い続けています。それは、今の仕事をしながら思ったことでもあります。
 先々週、神戸の方に行ってきましたが、このままだと、ここに2つのスラムが発生するのではないかという懸念を持ちました。
 1つは、応急仮設住宅です。今、26平米の応急仮設住宅が2万6000戸あってそこに5万人弱が住まれております。3年たっても依然としてこれだけ住まれているのです。タクシーの運転手さんが公園の真ん中にある応急仮設住宅を見ながら話してくれました。「やっぱり出ると有料になりますからね」と。ちょっと複雑でした。今、公営住宅を一生懸命つくっていて、そこへスムーズに移転が進むといいのですが……。ないとは思いますが、そのうち住居の中で、飲み屋とかそういうのが始まってしまうと、昔のゴールデン街みたいになるのじゃないかという気がしないわけでもなく、このままだと私は1つのスラムが発生する懸念がここにあるのではないかという見方をしています。
 もう1つは、被災マンションであります。3年たってもまだ増改築の権利調整ができないでそのままになっているのが、マンションの数にして12棟も残っています。権利調整の難しさ、区分所有のわずらわしさを越え切れないということは、神戸に限った話ではなく、多分、この大東京でも、あと20年、30年して、修繕や改築が必要になってきたときには、全く同じ問題が出てくるのではないかという気がします。経済もこれからは下降気味で、ほとんど再開発のパワーもなくなっているかもしれませんので、これまたスラム化の懸念が随分あるのではないかという気がいたします。
 巨大都市の悪口をこれまた続けますけれども、羽田の飛行場に行く途中の風景です。モノレールに乗ると、左側にマンション群が見えますね。あのマンション群は何かに似ていないかなと常々見ていましたが、ある時、突然ひらめいたのです。あれはミツバチの巣じゃないかと。六角形になれば完全にミツバチの巣ですけれども、マンションは残念ながら四角形です。でも、違いはその差だけです。
 おそらく、人間というのは進化していくと、どんどんハチのような階層社会になっていくのではないでしょうか。いずれ、女王バチとか働きバチとかオスバチとか、そういう階層が出てくるような気がします。階層というのはどうも社会安定の必須要件になってくるのではないか、そんな見方をしています。
 確かに、300年も続いた江戸社会は1つの身分社会でありましたし、今世紀の初めに書かれたユートピア小説、オルダース・ハックスリーの『すばらしい新世界』なんかも、出てくる人種には、アルファ、ベータ、ガンマといった階層区分がありました。H.G.ウェルズが書いた『タイムマシン』を見ていても、地上に住む貴族階級と地下に住む奴隷的な階級とに分かれていました。
 私は、どんどん人間が進化していくと、既に分かれているのかもしれませんが、都会人と田舎人に二極分解、あるいは変種が出てきたりして、少しずつ人の形態が変わっていくのではないかという見方をしております。
 こういう暗い話ばかりをするのですが、これは全くの想像ではなく、あり得ることだと思っています。実はこの夏に八戸の方に行ったのですが、そこで見たことです。大畑のイカ船団、彼らはノマドですから、世界各国を駆けめぐってイカをとるのですが、最近ではフォークランドまで行くそうです。それを八戸漁港に水揚げするのですけれども、その日にとれたイカを全部落札したのは、中国のバイヤーだったそうであります。要するに、中国がこれからどんどん経済成長を続けていくと、食糧品は足りなくなって、値段は多分上がるでしょう。世界的な食糧の需給逼迫は本当に近い将来起こりくるのではないかという気がしています。
 100億人が地球人口の限界だというのが、あらゆる科学者の一致した見解だそうです。たんぱく質と脂肪と炭水化物の三大栄養素で積み上げていくと、どうも地球上にはそれぐらいしか住めないのではないかと言われています。確かに農地面積もここ数年は塩害で減っていますし、漁獲高も、魚がとれる場所は大陸棚でしかとれませんから、これまた、ここ10年来減っていると言われています。これから考えると、あと40年で100億人になるのですけれども、ここ20年くらいの我々の世代で、何とか対策を考えていかないと、非常に危ういのではないかという気がします。
 再び、昆虫に引きつけてお話しますが、昆虫の場合は、人間よりも淘汰の歴史が 100倍ぐらい長いですから、既にうらやましいシステムを持っています。例えば、バッタの大群が消滅するというお話を聞いたと思うのですが、パール・バックの『大地』に出てくるシーンです。せっかくの秋の収穫期にとれた穀物をトノサマバッタの大群が全部食べてしまうシーンがあったと思います。西の方から竜巻のようなバッタの大群が近づいてきて、あっという間に穀物を食べてしまう。これは日本でいうトノサマバッタの仲間で、タイリクワタリバッタと言われているものですが、このバッタは、ある一定密度以上になってくると、一代変種で形が変わったバッタがあらわれるそうです。普段は黄緑とか茶色の模様が入っているのですけれども、密度が高くなって、触れ合う機会がふえていくと、どういうわけか茶色一色の非常にスリムで、かつ羽が長くて後足も力強い変種が出てきます。それが大空を駆けめぐってエサのあるところにどんどん広がっていくシステムになっているようです。どういうわけか一代限りで生殖活動をする間もなく死に絶えるそうですけれども、バッタの場合は、こういうふうに個体数の過密を抑制するメカニズムが遺伝子の中に組み込まれているのです。ところが、私たち人間の歴史は、まだ400万年でありまして、バッタほど淘汰されていません。残念ながら、私たちは個体数の爆発があと40年後ぐらいに必ず起こり来ることを自覚できていないようです。
 もう1つ、私の仕事に引きつけてお話ししたいのですが、ことしの冬から夏にかけて、ナホトカ号とダイヤモンド・グレイス号の油流出事故がありました。ナホトカ号の場合は、ボランティアの人が17万人、ひしゃくで油をくみ取って、5人の方が亡くなったわけです。
 このケースを経済的に考えてみると、非常にむだなことをやっているのではないかという気がしています。どういうわけか、地球の反対側から持ってきた原油が、ガソリンにしても1リットル100円足らずです。それは牛乳やオレンジジュースよりも安いわけです。裏山で採れたおいしい水は、もっと高くなります。この辺にどうも近代経済のメカニズムの奇妙なところがあるような気がしてなりません。
 ナホトカ号の場合、ボランティアの方たちの労力は、おそらく原油価格にオンされていないと思いますし、何よりも原子力なんかはもっと極端だと思います。原子力事故の場合の被害などは全くそのコストにカウントされていないのではないでしょうか。私はこういう矛盾がどんどん大きくなっているように思えてなりません。
 いずれにしても、巨大都市とか今の近代経済のメカニズムは相当成熟してきているのが現在でありましょうか。この斜陽の時代の次に登場するのは、どんな時代なのでしょうか。森林化社会について、少しずつお話ししていきたいと思います。


(2)都市の寿命・森林の寿命

 レジュメの先に進まなければいけないのですが、どうしてこういう話をするようになったかということで、都市の寿命と森林の寿命を少し長期タームで考えてみたいと思います。
 森林と都市の歴史は、私はすごく共通項があるような気がします。たまたま調べておりましたら、都市というのは、1000年から1500年ぐらいで、世代でいうと40〜60世代で発生から消滅の歴史を繰り返すというのです。これはルイス・マンフォードという有名な社会学者が言った話ですけれども、都市というのは、発生、成長、繁栄、衰退、死滅というプロセスを繰り返すのだそうです。
 これはメソポタミアとかインダス、クレタ、ミケーネ、ギリシャ、こういった文明の共通点でもあるわけです。最初は原ポリスから始まりまして、ポリスができて、メトロポリス、メガロポリス、ティラノポリス、ネクロポリス、つまり、巨大都市、巨帯都市、専制都市、死滅都市と言うのですけれども、どうもこういう成長と衰退のメカニズムがある。
 今度は森林の場合ですけれども、鹿児島の桜島の場合、溶岩の何もないところに草が生える過程ですが、通常20年ぐらいたちますと、コケが生え始めます。50年ぐらいたちますと、草本類といいますか、ススキとかイタドリが侵入してきます。100年ぐらいたちますと、クロマツとかヤシャブシといった低木類が生えてきます。200年たつと、アラカシが生えてきて、最終的にはタブという照葉樹林になります。この期間が大体500年〜700年です。
 生態学用語で、このタブの林を「クライマックス(極相)」と呼ぶのですが、森林の場合は、どういうわけか都市とは違っていて、衰退はしないで、極相のままずっと、特段の人為が加わらなければ、永遠に続くわけです。タイムスケジュールは、ちょうど繁栄するまでの都市の歴史とほぼ同じようなグラフになると思います。
 私が言いたいのは、都市は通常こういうカーブを描いて衰退してしまうけれども、森林の場合は、自分たちで永遠に続く1つの社会相を持っている。それゆえ私は森林に倣った新しい都市として、持続的というか、サステーナブルな都市だと思いますけれども、その姿を発見しなければならないと考えているわけです。その都市の姿を「森林理想郷」と呼んで、探していこうというのがきょうのテーマでもあります。


(3)森林化の時代へ──集住形態の『極相』を見つけよう

 「森林化の時代へ」とレジュメに1行書きましたけれども、森林化というのは、ちょっと面倒な言い方なので、簡単に言いかえなければいけないのですが、これは要するに都市を脱して、新しい町、森の中に入っていこうというコンセプトです。
 「向都離村」という言葉が室町時代以降ずっと言われてきましたけれども、そうではなく、初めて人間が都市を離れて、森の中に帰っていくという流れが始まってきたのではないかという気がしています。
 森林化を歴史的に一番早く書き著したのが、D.H.ロレンス。このフォーラムのレギュラー・スピーカーである伊藤滋先生のお父さんが訳された『チャタレー夫人の恋人』であります。主人公コニーは、工場主だったけれども、戦争で不具になってしまった夫のクリフォードを捨て、メラーズという森の番人──メラーズはロビン・フッドと全く同じ格好をしていたそうですが、その野性的な魅力に引かれて、森に暮らす彼のもとに走ります。野性の力が文明にも克つというところでしょうか。そういう小説です。
 森林化は、この『チャタレー夫人』から始まって、近いところでは、リカちゃん人形の場面にもあてはまります。もう2年前になりますけれども、リカちゃんはもともと大田区の田園調布に住んでいたらしいのですが、それが26年ぶりに引っ越しをしたというのがちょっとしたニュースになりました。引っ越し先は、森の中の小さな家ということでありまして、緑に囲まれた小さな家にリカちゃんは今も住んでいます。このあたりは世相のはやりを察知したタカラの販売戦略だと思うのですが、そういうふうに少しずつですけれども、RVブームと合わせて、森に向かっての民族の小移動が始まってきたのではないかという気がしています。
 森とか自然になぜ憧れ始めたかということですが、やはり森の持つはかり知れない力に少しずつ気づいていったからではないでしょうか。実は、木と木はコミュニケーションしているのです。例えば、ヨーロッパナラの場合は、1本のナラの木が毛虫に食われ始めますと、その毛虫の成長を抑えるような物質、タンニンをその木が出すそうです。毛虫にやられたその木がタンニンを出すのは、自分の体を守るためだから当然で、わかるのですが、どういうわけか1本のヨーロッパナラがタンニンを出し始めると、隣の木も、それからもっと広がって、その林分一帯の木々がタンニンを出し始める。これが林学の世界で証明されております。何らかの形で、やはりコミュニケーションをしているのだろうと言われています。
 同じように、日本のシラカバでも、1本の木の枝が切られると、その木は警戒物質たるフェノールを出すのですけれども、1本の木がフェノールを出し始めると、やはり空中伝播するのでしょうか、隣の木、あるいはそこら中のシラカバが一斉にフェノールを出し始めるのです。
 いろいろ考えてみると、太陽エネルギーを固定して有機物をつくることができるのは、植物だけでありまして、我々はその有機物を植物から得て生きながらえています。こういう点から考えますと、我々は植物に寄生しているのではないかという気がします。
 「共生」という言葉がはやりのように使われていますが、余り好きな言葉ではないです。なぜなら、植物にとっては、我々人間がいない方が、彼らは自分たちの世界を謳歌できる。人間からは何ら利益を得ていないからです。むしろ我々は伐ったり、破壊したりしますから、植物は人間なしの方がいいのです。ドイツのバーデン・バーデン市の森林局のパンフレットには、こういうことわざが書いてありました。「森は人なしの方がいいけれど、人は森なしでは生きられない」というフレーズです。
 我々は森林という生態系に随分学ばなければいけないのではないかという気がします。
木はどこまでも大きくならないで、一定のところで、自分の大きさとか群落の大きさをセーブする機能を備えているのですけれども、我々は都市をつくり始めると、とてつもなく巨大になって、とどまるところを知らない。ですから、ちょうどいい規模の人間の集住空間のあり方を見つけなければいけない。安定社会の発見をしなければいけないというのが私の言いたいことであります。
 スライドを見る前に、1つだけつけ足しておきたいのは、森のコミュニティーに比べて、我々人間社会の人対人のコミュニティーはどうなってしまったかということです。これまた阪神・淡路の教訓を踏まえて敷衍化したいと思います。
 あのとき10万戸の家屋が全壊しまして、5000人の人たちが生き埋めになったということです。大体1人の生き埋め者に対して、助け出すには10人ぐらい必要ですから、日夜2交代で、本当は10万人ぐらいの人が必要だったのです。けれども、初日駆けつけたのは、自衛隊が二千数百人、次の日になってようやく1万人ということでした。プラスαで若干の消防団の署員があったのですけれども、圧倒的に不足したと言われています。
 神戸は大都市ですから、あの細長い震度7エリアのすぐ外側には、50万〜60万人の健全な人がいたはずです。被災地内の人たちも、どういうわけか、体育館の中の避難所でじっと待っていた。これがどういう理由からだったかというのは、もっと分析しなければいけないのですけれども、やはり1つの理由として、地域の人同士のつながりが非常に弱かったのではないかという気がします。
 また、悪いことに、マスコミも高速道路の倒壊現場の映像ばかりを流して、あるいはもし東京で起こったらどうなるかとか、そんな評論ばかりで、救助活動を提起するような情報を流さなかった──そういう反省点があったと思います。
 反面、淡路の場合は、コミュニティーが非常に強固でしたから、その日のうちにすべての生き埋め者は、生死はともかく、全員摘出されました。大工さんが大活躍したとか、必要物資のノコギリとかバールとかジャッキといったものが、もともと豊富にあったとか、いろんな理由が言われていますけれども、やはりこういった災害対応というのは、地元のコミュニティーの差が出る典型的な場面になるのではないかと思います。巨大都市はやはり災害に弱いのです。
 では、どういった都市ならばよきコミュニティーが残り、災害にも強く、持続的なのでしょうか。求める森林理想郷に近づいていくために、その規模や姿について少し考えてみたいと思います。



2.森林理想郷はどこに?──ユートピアをもとめて世界の国へ

(スライド1)
 これは、ディズニーワールドのあるアメリカのオーランドです。もともとここは湿地が多くて、小高いところはオレンジ畑だったそうですけれども、それをリゾート開発の形で緑をうまく配しながら、別荘地のような仕立てで完成させたものです。真ん中に島があります。私はユートピアをかなり調べ込んだのですが、どういうわけか、水辺があって島がある、その島の中にユートピアがある、ほとんどそういうパターンです。
 エンゲルスが「古典の三大ユートピア」と呼んだモアのユートピアとか、あるいはカンパネッラの「太陽の都」とか、ベーコンの「ニュー・アトランティス」とか、こういうのは全部島型になっていました。やはり人が近づけない隔絶された空間であるというのが、どうもユートピアの条件だったような気がします。
 ただ、我々が実際つくろうとする都市というのは、こういう不便なところではだめなわけでありまして、それをどうやって本物のユートピアに仕立て上げていくかという方法については、2枚目以降から少しずつ部品を取り出しながら考えていきたいと思います。

(スライド2)
 これはニュージーランドのオークランドであります。真ん中の広場はもともとはゴルフ場だったそうでして、それを「意味のない公園」といいますか、こういう広場にしています。ランチ時になると、こういうところで皆さんが弁当を広げて食べる──そんなつくりの広場です。この空間は、町を非常に豊かにする要素、部品になると思います。
ディベロッパーにとってみれば無駄でぜいたくな空間ですけれども、町の風格を上げるには必須であると確信いたしました。後ほどまたこういう類例が出てきます。

(スライド3)
 これも同じくオークランドのカットです。道路の真ん中に巨木が残ろうとも伐りません。この精神は我々日本人が、特に開発者側にはない感覚ですが、巨木をマニアックなくらい大切にするというのは、西欧人の1つの特徴だと思います。なかなかまねができないですが……。

(スライド4)
 これはニュージーランドの5万人の都市、ロトルアです。北島にある町です。温泉があって、こういう湖もあってと、遠目で見るときれいな町ですけれども、ただよくよく見ると、屋根の色の統一とか、そういう細かな規定までは持っていないようです。でも、やはり水辺があるというのが1つの豊かさをかもし出しているような気がいたします。

(スライド5)
 これはオーストリアのウィーン郊外です。後ろに見えているのがウィーンの森です。これは本当にちっぽけな、ウィーンの市内から車で40分ぐらいの村で、ハイリゲンクロイツという名前です。
 ウィーンというのは、非常にめずらしい都市でありまして、20世紀に入ってから人口が減った唯一の首都であると言われています。そのおかげでウィーンの森が守られたのだと思うのですが、この村に学ぶべきところは、やはり屋根の色とか白壁とか、こういう建築様式の統一感ではないかと思います。

(スライド6)
 ここから数枚は、かの有名なスイスのグリンデルワルドです。人口は現在、3500人だそうでして、100年前が3100人だったそうですから、100年間ほとんど変わっていない町です。やはり牧草地や森が健全であるというのが、美しい町とするための条件なのかなと思いました。

(スライド7)
 これも同じくグリンデルワルドで、開発規制の内容を聞いてみたのですが、ほとんど地方分権されていて、森は100%全域保安林で、その解除については市町村、この村が持っているそうです。屋根の傾斜とか素材とか色とかが、見事に統一されています。聞いてみたのですが、助役さんに言わせると、ベッドの数から空調システムの機種までマニュアルを持っているとのことでした。こういう厳しいマニュアルがあるおかげで、100年間かけてこういう景観がつくり上げられた。そして、グリンデルワルドという1つのブランド、銘柄ができ上がったのだと思います。
 そういう意味で、規制緩和とか今も言われているのですけれども、こういう分野については、むしろ逆に規制強化をすべきではないでしょうか。こと自然づくりとか景観づくりに対しては、私は規制強化論者です。

(スライド8)
 同じくグリンデルワルドの夕方です。多分カーテンの色とか照明器具の機種までそろえているのだと思います。ですから、こういうふうな灯火が、アルプスを背景に全く同じ色で統一されて見えるのだと思います。

(スライド9)
 これはスウェーデンのストックホルムから40分か50分、車で走ったところにあるシスタという工業団地です。真ん中にIBMと書いてあります。この左奥の赤い屋根がIBMの社屋でありまして、周りはフィンランドパインとも言われる北欧マツです。この会社のキャッチフレーズは、「外壁から1メートル外は自然!」というものでした。こういった森の中の団地は日本でも少しずつふえているようですけれども、創造型の業種には、やはりこういう佇まいがいいのでしょうか。

(スライド10)
 これはシスタの駅ビルの中です。一番便利のいい鉄道の真上には養老院といいますか、老人施設があります。その一室で撮った1枚の写真ですが、このヤードに住んでいる方は、アルツハイマーだったそうです。個人主義が随分と言われるスウェーデンですけれども、この人は家族でしょうか、それとも介護の人でしょうか。よくわかりませんけれども、人と人とのつながりは、果たして西欧型のように、個人対他人という方がいいのか、それとも家族の方がいいのか。どうも私は東洋型の家族社会の方がこれから先は強いといいますか、復活するのではないかという見方をしています。

(スライド11)
 ここからノルウェーに入ります。日本でもありそうな風景で、これを東北のある県の知事さんにお見せしたたところ、この景観なら県内にいくらでもありそうですという話をされました。ただ、よく見ると、電信柱とか赤や青のトタン屋根とか、そういうのはないです。その辺がやはり日本の農村景観と違うところでありまして、できればこういう自然の景色のよいところに永住したいというのが私の個人的な夢です。

(スライド12)
 ノルウェーのハルダンゲルフィヨルドというわりと緩やかなフィヨルドのワンカットです。夕日で壁が白くきれいに光っていて、大変絵になる景観だと思います。屋根の形とか傾斜とか壁の色、こういうところへの細かな配慮が行き届いています。北欧に学ぶところは、随分多いのではないかという気がいたしました。

(スライド13)
 これは奥深い渓谷、ソグネフィヨルドの山合いにあるボスという小さな町です。私はこういう集落の景観を見ると、必ず戸数を数えるのですけれども、真ん中には必ず教会があって、その周りに大体20戸から30戸ぐらいの農家があります。これが万国共通の農村コミュニティーの規模です。多分30戸というのが、歩いて行ける範囲に農地があり、そして共同作業をうまくやっていける、いいまとまりなのではないでしょうか。

(スライド14)
 これは首都オスロです。人口50万人の都市ですけれども、集合住宅が森の中にコンパクトにはめ込まれているカットです。緑を大変たくさん残して、ぜいたくな土地の使い方をしているなという気がいたします。

(スライド15)
 すぐ隣にある個人住宅、戸建てのゾーンです。遠くからこうして眺めてみると、非常に緑が多いような気がします。このゾーンの中に入ってみるとどうでしょうか。

(スライド16)
 実際このゾーンの中に入ってみますと、1軒当たりの巨木は、平均1本ぐらいです。それを遠くから眺めると、先ほどのスライドのような景観になるということです。私は、冒頭にも申し上げたように、巨木については、何とかして残しながらまちづくりができないかなと思っています。日本の場合、非常に湿度が高いので、ノルウェー、フィンランドと同じようなつくりはできないかもしれませんが……。

(スライド17)
 ケヤキが大きくなると、すぐ枝をちょん伐ってしまうという日本人、落ち葉を大変嫌う日本人、このような習性に、私は感覚的に合わないところがあって、巨木を特に大事にする協定とか約束事を持つまちづくりができないものかと想い続けて思います。
 この写真からフィンランドに入ります。人造湖ですけれども、ここから稜線に沿って建物がだんだん高くなっていると思うのですが、高くなっても、樹高は超えていない。木の高さより必ず共同住宅の高さが低いという点に特徴があると思います。これはエスポー市のキベンラハティという住区です。ここでも木に対しての配慮が日本とは随分違うような気がいたしました。

(スライド18)
 これはエスポー市の森林都市──ということで有名なタピオラ地区です。人口はこの住区で1万7000人ほどです。コンクリートを余り使っていません。このカットはたしか平日の3時か4時に撮ったと思いますが、日曜大工を平日にやっていました。やはり巨木がそのまま残されていましたから、大変豊かそうなイメージがありました。これを見て、私は、日本の昭和30年代の地方にあった公営住宅を思い出したのですが、あのころの住宅開発はどうして魅力的だったのでしょうか。私はもう一度洗い直してみる必要があるのではないかと思いました。

(スライド19)
 これはタピオラの中心地で、自転車が大変幅をきかしておりました。自動車ではなく自転車です。きょうもここへ来るまでに、歩道橋を飯田橋から歩かされたのですが、歩いている人とか自転車に乗る人を、もっともっと大事にするような道路行政が、これからは求められているなということを痛感いたしました。このカットに見る自転車道は、車道と同じぐらいな広い幅を持って、そしてゆったりとしたカーブなんかがあって、大変ぜいたくにつくられてありました。こういう町が本当にできればすばらしいですね。森林理想郷の典型例の1つだと思います。

(スライド20)
 これはフィンランドのハメリンナという町です。町の中心にある広場でこういうファーマーズマーケットを定例的にやるようです。観光客というより、地元の人たちのコミュニケーションの舞台として使われていたような気がします。このハメリンナ人というのは、約束の時間に30分遅れても平気だとかで、非常にのんきな人たちだそうです。確かに、老人にしては顔の表情が非常によかったので、撮ってみた1枚です。自分のところでつくったブルーベリーのジャムとか、そういった手づくりのものをみんなに振る舞い楽しんでいるという光景であります。

(スライド21)
 ここから中国です。ウーロン茶とか育毛剤のコマーシャルに出てくる桂林の漓江下りで撮ったカットです。桃源郷を求めてということになると、こういうところまでさかのぼらなければならないのかもしれません。これは4年前の写真ですが、最近では、この岸辺に子供がいっぱい並んで、お金を投げろと集まるらしく、こんな写真は撮れないようです。中国の拝金主義がこういう奥地まで、かなり入り込んでいるといえましょう。

(スライド22)
 少数民族のチワン族が中国南西部に住んでいるのですが、その住居であります。背後は棚田になっていまして、山のてっぺんまで続きます。木はほとんど1本もありません。1階部分は家畜が住んでいまして、2階に人たちが寝泊まりしています。大変暑いので、窓は広めにとっていまして、そこにトウモロコシとかアワ、ヒエを干しているというつくりであります。人工物がほとんどゼロといいますか、自給自足の社会になっています。

(スライド23)
 桃源郷のイメージ写真をもし1枚撮るとすると、こうなるのかなというものです。山合いの小さな窪地、盆地にちょっとした畑が広がっていて、集落として20〜30軒があるところ。ずっと自給自足を続けていたという桃源郷の社会とは、このようなイメージではないでしょうか。その社会がいいか悪いか──その評価は、もう少し時間がかかるような気がします。

(スライド24)
 これは最後の2枚の1つで、ドイツのバーデン・バーデンです。人口が5万人の都市です。スライドの最初の方でニュージーランドの広場の話をしましたが、こういうポツンポツンとある「意味のない広場」が、私は非常に豊かな空間ではないかと思います。ここは原っぱですから、駆けっこをしたり、ランチを広げたりという使われ方をしていました。もし日本でこういう傾斜を使った開発をやるとすれば、このような「意味のない広場」をどうやって配置していくかということを考えたらどうかと思います。

(スライド25)
 同じ場所を縦向きに撮ったのですが、ドイツトウヒとブナ、カラマツの混じった混交林でしたけれども、そういった景観に合わせるようなくすんだ色の屋根とか、真っ白な壁面とか、こういったつくりに関しては、かなり歴史観を漂わせていて、やはり先進国です。形態的な森林理想郷の1つのイメージになると思った次第です。

 以上でスライドを終え、いよいよ森林理想郷の姿、形を明らかにしていこうと思います。



3.2つの森林理想郷

(1)森林理想郷──小さなまちのイメージとサイズ

 結論に近づかなければいけないので、少しピッチを上げます。
 私が考える森林理想郷は、規模にするとどれくらいかというのがやはり問題になると思います。理想都市の規模を、文献を中心に幾つか調べたのですが、3万人とか5万人というのが多かったような気がします。
 例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチは、むさ苦しいミラノの町を3万人ずつの小さなまちに区切るべきだと言ったそうですし、ハワードの田園都市は、都市と農村合わせて3.2万人でした。トニー・ガルニエの書いた「工業都市」は3.5万人でしたし、日本でも「山林都市」を鶴岡市長だった黒谷了太郎が書いたのですが、これが3万人から5万人。大体この辺が1つの理想郷の規模だったようです。
 今スライドで見てきた町も、バーデン・バーデンは5万でしたし、ハメリンナは2万、フィンランドのタピオラが1.7万人。大体2万から5万ぐらいが町の規模としてはいいのではないかということを私は本に書いて世に問うてみたのですけれども、ある読者から、規模としてそれは大き過ぎるのではないかという反論をいただきました。実際考えてみたときに、いろんな人のつながりの単位があると思うのですが、人の顔が意識できる適度の大きさは、やはり5000〜6000人かなという気がします。町内会はもっと小さくなります。
 プラトンが言った理想郷は5040人だそうでして、これはどういう規模かというと、昔はマイクがなかったですから、1つの施設の中に入って、声が届く範囲が5040人ということだったらしいです。雄弁家がしゃべって聞こえる範囲です。
 この5040というのは、数字の遊びだという人もいて、1〜7まで掛け合わせたらこの数字になる、7の階乗でもあります。いずれにしても、都市あるいは都市域、リージョンの単位としては、2万とか5万が私は1つの区切りとしてはいいんじゃないか。それをもう少し区分けして、住区単位と考えれば、5000人という1つの区画もあるのではないかという気がします。
 最後に、もっと小さくして、コミュニティというものを考えたときには、30戸とか60戸とか、今の町内会スタイルですけれども、200人とか400人ぐらいがどうも統治される単位としてあるのではないかなと思います。
 私は、そういう単位をいくつか押さえた後で、森林理想郷というのはどうも1つのタイプではないような気がしています。2つあるということです。1つは、ハメリンナ型というのでしょうか、先ほどおばあちゃんたち4人の姿が出ていたスライドがありましたけれども、ああいう町の姿が1つの理想郷になり得ると思います。それは日本だと、圧倒的多数の過疎町村が当たると思います。そういう町村を少しずつリニューアルしながら、景観にも少し手を加えて、そして桃源郷的な町に持っていく。これは今後、町全体をどうリニューアルしていくかということでもあって、大変おもしろいテーマであり、ビジネスチャンスになるのではないでしょうか。
 こういった小さな町へのこだわりは、アメリカも同じでありまして、『アメリカの小さな町ベスト100(The 100 Best Small Towns in America)』という本が静かな人気だと聞いて、取り寄せました。これは旅行作家のノーマン・クランプトンという人が、人口5000人から1万5000人の町について自分勝手にランキングをつけたという本であります。初版だけでなく、1年たってリニューアル版も出ています。当然、ランキングは第2版目では変わっているわけですけれども、大変おもしろい本です。日本でも私は是非つくってみたいなと思っています。
 よく日本の都市のランキングを見ますけれども、ああいうふうに単純に所得とか物価とか、そういうものだけでランクをつけたのではなく、例えば、地方プレスがしっかりしたものがあるかとか、あるいは高等教育機関があってハイアーエデュケーションが受けられるかとか、コミュニティーがいいものかどうかとか、犯罪が非常に少ないかとか、景観が美しくシーニックであるかどうかとか。こういう観点を重んじているのです。私はこのような新しい評価法が日本でもぜひとも挑戦されるべきではないかと思っています。
 ランクアップするための、町全体をよくするリニューアルビジネスというのでしょうか、こういう取り組みは、景気もなかなかよくなりませんが、1つの行政ニーズとして、ふえていくのではないかという気がします。
 実際そういう町に住もうとする人たちへの注文ですけれども、大体そういう町というのは、教育と経済活動が大変難しい地区だと思います。ですから、価値観の問題になると思いますが、どういうレベルで自分は満足するのかというところをしっかり持っていないと、暮らし続けられないだろうと思います。
 それに加えて、小学校5年から中学2年ぐらいだと思いますが、こういう地域が本当はいいんだということを何回も何回も子供に対して言い続ける──つまり刷り込むことも、私は大変大事ではないかと思います。


(2)もう1つの森林理想郷

 それから、森林理想郷のもう1つのタイプですが、私は、「ニュータウン型」と呼んでいます。これは小さなまちのリニューアルとか、そういうゆっくりとした遷移を考えるものでなく、ニューフロンティアの処女地に近代科学技術の力でもって大きな攪乱を伴いながら、全く新しい町をつくってしまおうというタイプです。これこそまさしくユートピア、ニュータウンづくりだと思いますけれども、このタイプは今日の経済情勢の中で大変難しいでしょう。日本でそんなにたくさんはつくれないと思います。だけれども、例えば、モデル的な理想空間を公的につくろうということで、きちっとした最低限のインフラを公共投資で相当用意できれば、不可能ではないと考えています。そして、新しい首都こそ、こういう2つの目のタイプのモデルプランになり得るのではないかと考えています。
 その首都のイメージと、首都の話題について、次に少しお話ししてみたいと思います。


(3)21世紀の新首都は?

 現在、国会等移転審議会で移転先の話が委員内限りのものとして議論され、そして来月1月にようやく一定の方向が明らかにされるようです。今挙がっている候補地は10カ所余りだと思うのですが、最終的には東西対決型というのでしょうか、やはり新聞各紙上でも言われていますように、東の3県、西の2県に絞られていくのではないでしょうか。西の4県という人もいますけれども、防災上の問題とかいろいろ絡んできますから、西は2県になるように思っています。
 この経過については、いろんな俗説があって、「第1ラウンドの東西対決は西の勝 ち」。それは関西財界を含めた応援団の数やパワーが違いますので、勝負にならないだろうというのです。ところが、それだけでは終わらないで、第2ラウンドでようやく東京が出てきて、重い腰を上げて、「むしろ西に行くのだったら、東の方がまし」という形で、東に落ちつくのではないかという憶測があります。そのときに西側は対置要求といいますか、条件闘争にもっていって、何かを得る。そのために今、派手にやっている。そんなふうにうがった評論を口にする人もいます。
 いずれにしても、首都機能の問題は、先月の30日に新しい全総の計画部会最終案が出まして、一歩前進しました。あれをよく読んでみると、首都機能の移転については、はっきりと促進ということで、数カ月前とは一味違った形の記述がなされてあります。東京都は当然、反対のコメントを出していましたけれども、私は大変な前進がこの全総の中でなされたと思います。
 それと、さりげなくですけれども、新首都は災害に強くなければならないという点の強調が、この全総の中に記されてあります。ということは、地震、火山について全く心配がないところでなければ移せない。それを明言したのだと思います。そういうあたりが切り札になって、絞り込みがここ数カ月ぐらいで少しずつ進むのではないかという気がしております。
 いずれにしても、これからは温暖化で地球が暖かくなってきますから、首都も涼しいところ、冷涼なところに移っていかないと、大変になるのではないか。そのあたりを考えれば、私はおのずと答えが出てくるのではないかという見方をしています。


(4)帰りなんいざ──新しいまちへ

 新しいまちづくりに向けて、イメージとか夢ばかりでなく、事業システムとかプロセスについても、少しお話ししてみたいと思います。
 今後、人口はふえませんので、量的な問題というよりも、新しい都市づくりを考えるときは、住宅の質を考えていかなければいけないと思います。私たちはこれからどういう町に住みたがるか、つまり、団塊の世代があと10年後、20年後に一体どこに住みたがるかということです。その答えは、やはりまずフィジカルプランとして、きっちりとしたマスタープランがあり、安全で安心できる町でなければならないと思います。
 安心できるというのは、もちろん救急医療もそうですけれども、自然がごく近くになければいけないと思いますし、車の問題、車を前面に出さないような工夫をぜひ実現できるような町にしなければいけないと思います。それと、隣を全く無視できるような生き方はできませんから、人の顔がよく見える、いいコミュニケーションを持った町でなければならないと思います。
 それから、周辺の緑でいえば、原生自然は欲しくないですから、里山的な自然というのでしょうか。イメージでいえば、奈良とか京都とかの森と、さっき最後のスライドで見たドイツのバーデン・バーデンのような森のイメージをうまくミキシングした、そういう人工と天然がうまく振り分けられた環境があれば最高だと思います。
 それ以上に重要だと思うのは、よき人たちが集まらなければいい町にならないのではないかということです。よき人の集め方というのは、現在なら価格設定でしか差別化が図れないけれども、何かの義務は伴うものの、それへの見返りは大変大きい、そういう義務規定をつくって、それを果たし得る人たちが集う──そんな地域共同体をつくれるような仕掛けが必要なような気がします。
 例えば、「じんき」がいい、人の気風がいいという言葉がありますが、こういう人気(じんき)のいい人たちが集まった空間、それを創っていくのです。その人気(じんき)のいい人たちというのはどういう人かというと、例えば、もと住んでいたところを悪く言わず、もと住んでいたところを褒めるような人たちのことです。そういう人たちが集う新しい町、こういうものがつくれないかなと思っています。
 まちづくりのためのいろんな研究会がありますが、私は「森林都市づくり研究会」とか、田園都市づくりを目指す「ハワード100年委員会」とか、それから、「シルバータウン研究会」にも加わっております。こういった研究会の中で、例えば、福岡県の甘木市の「美奈宜の森」という既に開発された場所がありますが、こういう地区のかなり突っ込んだFSとか、種子島にハーモニーアイランドという構想があるようですけれども、これについての立ち上げまでのFSといったケーススタディーをこれからも積極的にやっていきたいなと思っています。
 こういうまちづくりを考えるときは、いかにして熱海とか越後湯沢にしないか、ということを考えなければいけないと思いますね。要は、スリーピングメンバーというか、ふだんだれも住まないようなまちづくりをやってはいけないということでありまして、あともう1つは、田園調布とか成城のように、30年に1回の相続で細分化されるような町にしてもならない。この2つが非常に大事なことではないかと思います。
 ここから先はかなり夢的になってくるのですが、やはりプロジェクトのスポンサーをこの不景気の中でどうやって見つけるか、これに尽きると思います。きちっとしたスポンサー1社が見つからない。それが今日の総弱気社会の難しいところですが……。
 それともう1つは、借地権、利用権の導入とか、借り上げた土地と家屋がうまいぐあいに回っていくようなシステムをこれからは考えていかないと、質の高い住宅はなかなかつくれないのではないかと思います。
 アメリカの消費者保護のシステムで、Guaranteed Satisfaction──GSシステムというのがあるのですが、これは要するに、一たん買った商品をある一定期間過ぎた段階で要らなくなった場合、試算減耗分を差し引いて買い上げてもらうという消費者保護のためのシステムです。こういうGSシステムを新しいまちづくりの中で何とかしてきちっと完成できないか、そんなことをあれやこれや考えたりしています。
 私は今、小田急線の高級住宅街の成城学園の近くに住んでいるのですが、4人で50平米ですから、大変狭いアパートです。ここでまともな家を建てようと思うと、最近は俳優やタレントしか家を建てていませんけれども、大体2億から3億円以上ないと一軒家という感じの家は建ちません。
 思うのですけれども、その十分の一くらいの値段で、しかるべき豊かな、そして快適な住空間といったものができないだろうかという夢みたいなことを考えています。もちろん成城とかでは無理ですけれども、少し離れた郊外で、分譲型は難しいかもしれませんけれども、貸し回しの定期借地権でもいいと思うのですが、そういうものができないでしょうか。
 加えて、人も選ばなければいけません。お金があるかどうかというフィルターだけでなく、そういう義務規定に対して、私は完全に守りますという人たちだけの、1つのコミュニティーといったものがつくれないだろうかということを日々考えています。
 私は、本気で都市脱出を考えております。多分、きょう来られた皆様は、都市開発の分野の方が多いと思いますので、もし何かいい情報でもありましたら、個人的な興味といいますか、東京脱出についていろいろアドバイスいただければ大変ありがたいと思います。
 私の方からの一方的なお話は、大体予定の時間が来ましたので、これぐらいにいたしまして、もし何か不足点とかがございましたら、後ほど追加したいと思います。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口)
 どうもありがとうございました。
 あと30分ぐらい時間がありますので、いつもの様に、ご質問、ご意見のある方はどうぞご遠慮なくお願いします。

森(民間都市開発推進機構)
 民間都市機構の森と申します。
 先ほどの小さな町ということで、3万人〜5万人程度のコミュニティー、あるいは 5000人ぐらいのコミュニティーというお話で、私も最近そういうことを、今の仕事の関係というよりは、個人的にちょっと考えている部分もあるのですが、その中で、町のサイズ、この場合のサイズというのは、先ほどは人口のお話だったと思いますけれども、距離的なものというか、歩いてどのぐらいとか、そういうことなんかがあります。
 私の感じでは、歩いて大体15分から20分ぐらいで全部の用が足せるとか、そういったような場所、あるいは、すべての道ができるということで、訪問者の感じからいきますと、例えば、佐渡のある町とか、そういったところの集落なんかに行きますと、10分かそこらですべてのものがわかってしまう。人口がもともと少ないのではないかと思いますけれども、そういったものであるとか、あるいは私は生活していく環境という観点からいっても、例えば、市役所に行くのでも、1キロから2キロぐらい歩けばとりあえず行けるとか、距離的なサイズといったものがあるのではないかと思います。それについて、どのぐらいの規模になったらよいかということをお考えでしょうか。
 もう1点は、お願いなんですが、先ほどアメリカの小都市100のランキングという本の御紹介がありましたけれども、これについての原題といいますか、私も見てみたいので、御紹介いただければと思います。

平野氏
 まず、答えやすい方から始めます。小さな町の方ですけれども、作者はノーマン・クランプトンで、タイトルは『The 100 Best Small Towns In America 』というものです。1994年版とリニューアルした1995年版の第2版が出ています。第3版目はまだ出ていないそうです。ちなみに新しい版でいいますと、1位になっているのは、初版では2位だった、ニューヨークの北側にあるコネチカット州のエセックスです。人口は5800人。この町が1位になっています。
 最初の方の御質問にお答えしたいと思います。
 距離の話とか都市の形の話に私はかなりこだわって調べてみたのですが、距離については、むしろ皆さんの方がお詳しいかもしれませんけれども、例えば、60メーター。これは「乳母車距離」と呼ばれています。乳母車を押しても歩いていける距離だそうで、フィンランドのタピオラで採用されていました。また、「近隣住区論」を書いたクラレンス・アーサー・ペリーは、買い物距離として800メーターにすごくこだわりました。それ以上、住民を歩かせてはならないとして、住区画の大きさを決めたようです。
 まち全体のサイズの問題ですが、もちろん地形の傾斜とかひだの形によって違ってくると思いますけれども、よくリゾート開発の時に言われていたのは、1つの管理会社、事業体で管轄できる限界は100万坪(300ヘクタール)だということでした。それから、我々が森林開発をするとき、連続して開発できる用地として20ヘクタールが限界値になっています。規制が少しきついところでは、面的には5ヘクタールが1つの限界だとも言われています。
 一方、歩いて15分というと1キロですから、1キロ×1キロになると、100ヘクタール。かなり大きいですね。そういう町は森林を開発する場合、なかなかつくれませんから、クラスターの大きさとしては、400メーター×500メーターで20ヘクタール。もし大土工で面的に大開発するとすれば、この辺が1つの限界になりますね。
 ですから、理想のまちは今、我々が足で感ずる、連担する都市の形態とはちょっと違ったイメージになると思います。歩いて1キロとか2キロという地続きの町は考えられないというふうに見た方がいいかもしれません。町と町との境界には城壁のかわりに必ずグリーンの壁がある、保護樹帯があるというのが求めるまちの姿でしょう。
 具体的なディテールについて、もう少しお話しします。ゴルフ場は18ホールありますけれども、今だと大体150ヘクタールないと1個のゴルフ場をつくれません。ミドルホールだと、大体4〜5ヘクタールぐらいでしょうか。ショートは2ヘクタール、ロングホールで5〜6ヘクタールぐらいでしょう。1つ1つのホールはわらじの形をしていますから、業界用語で「わらじ」と呼ぶらしいです。私の新しい町のイメージは、ゴルフ場をどんどんつぶしていって、「わらじ」の真ん中に1つの道を引っ張って、その両サイドに家を並べていくというイメージです。そうすれば、その町は森林都市という名にふさわしい町になるのではないかなという気がしています。
 つまり、住区は2ヘクタールから6ヘクタールぐらい。それらが幾つかの保護樹帯で区切られながら、1つの住区クラスターを形成する。その大きさは、20ヘクタールぐらい──そんなイメージが、私は新しい都市のサイズではないかなと思っています。

阿津澤(埼玉総合研究機構)
 本業は銀行員で、今は出向していろんな研究をやっています阿津澤と申します。
 森林関係については素人なのですけれども、例えば、農地の研究なんかをしていて私思うのですけれども、日本はいろんな農地の法律をつくる割には、農地は全然守られていないわけです。非常に町並みが汚いわけです。どうやってやるかというと、必ず抜け道みたいなのがあって、それを行政が認めてしまうのが最大の問題だと思うんです。
 同じ行政側の立場の人として、私聞きたいのですけれども、そういった法律をたくさんつくる割には、国とか行政側の方で、そういった法律を守らせようとしないといったことに対してどのようにお考えですか。

平野氏
 大変厳しい御質問で、一番痛いところを突かれたようです。きょうはフリーにお話ししてもいいということなので、突っ込んだ話もしたいと思います。
 法律をつくる割には守られないということのからくりですが、役人にとって法律というのは、つくれば大変な勲章になるのです。皆さんの業務査定と一緒です。営業成績の売り上げ金額が多いほど給料がふえるというのと同じパターンで、役人にとっては、発生した新規予算を獲得できたというのは銅メダルぐらいでしょうか。それから、1つの大きな計画をつくり上げた、閣議決定ものをつくり上げた、例えば、全総であったり、あるいは国土利用計画であったり、こういう閣議決定を要する計画をつくり上げたというのは銀メダルぐらいでしょう。ところが、法律をつくるというのは、もちろん各省協議もくぐらなければいけないわけですし、法制局通いもやらなければいけない。大変な重労働なのです。ですから、これは金メダルです。法律を1本つくったということが、1つの勲章になります。その勲章がたくさんあればあるほど上に行けるという人事査定システムが実はありまして、それがために、役に立たない法律でも1本は1本と考える人がいらっしゃいます。
 というわけで、毎年6月ぐらいになると、8月が各省から提出予定法案を出す締め切りですから、ネタがないかというネタ起こしが始まります。どんなすき間でもいい、新法が一番いいのですけれども、既存の法律の改正でもいい、これをやれば金メダルがもらえるわけですから、血眼になって探し出すわけであります。それがために、つくっても全く影響がないというと語弊がありますけれども、プラスにならない、予算措置があるわけでもない、適用事例があるわけでもない、そういう不用な法律が乱立するきらいがあります。これだけ法律があると、マスターする方も、1人ではとてもカバーし切れないぐらい今ふえています。
 一伐一残、つまり、1本つくったら1本廃止するシステムがあればいいのですけれども、法律をつぶすのはつくるよりも大変でありまして、なかなか数が減らない。実は、これが役所側の実態です。
 今、抜け道のお話が出てまいりましたけれども、おっしゃるとおりで、私の郷里の兵庫県では、小学4年の社会科で習ったとき、私の町の人口は7万人だったのですが、今や24万人です。私が小さいころは、本当に田園都市風のいい町だったのですが、あらゆる農地が宅地に化けてしまって、ときどき帰っても迷子になってしまうぐらい家がふえています。
 農業振興地域のはずなのに、どうしてこんなに開発ができるのかというのが不思議でならなかったのですけれども、それは先ほどおっしゃったとおり、いろんな抜け道があって、農家の次男、三男の家であるとか、道路沿いの商業施設であるとか、そんな抜け道を目いっぱい使って、かつ地元の農業委員会もうまいぐあいに機能して、そして許可してしまうというのが実態ではないかと思います。
 じゃ、どうすればいいかということですけれども、最初の点、役人の体質改善ですけれども、これはやはり今お話ししたような内情を見抜いた上で、本当に必要な法律なのかどうかということの査定が、オープンな議論としてなされるべきではないかと思います。なぜ、こんなことがまかり通ってしまうかということですが、新しい法律をつくるときにその原因はあるでしょう。役人がまず問題があるということで提起をして、それを査定するのは内閣の法制局です。内閣の法制局の担当官は、実は各省庁からの出向者でありまして、同じ世界で、看板だけが違うのですけれども、どちらも省益を代表するという共通の土俵で議論するわけです。その後、各省協議をやったとしても、縦割り社会の中で、自分たちの権限が傷つけられるような案件であれば、当然反対はしますけれども、関係のない分野については縦割り社会の中では口を差し挟めないというルールがあります。ですから、ほとんど問題なく通ってしまうのが実態です。このあたりでのオープンな議論が必要でしょう。今、盛んに行革会議で看板のすげかえが議論されて、予算執行のフォローアップも問題になっていますけれども、それ以上に、規制措置としての法律の策定過程についても議論がなされるべきではないかと思っております。

笹原((有)オイコス計画研究所)
 笹原です。地域計画とか都市計画などをやっております。
 2つほどお聞きしたいのですが、1つは、まず簡単な方からで、大きな木を最近伐ってしまったというお話が最初の方にあったかと思いますけれども、私もいろいろ地方へ行ったりして調べました。例えば、那覇市の真ん中にガジュマルという大きな木がありました。それが道路の本当に真ん中に生えているわけです。先ほどの写真と同じように、道が両サイドに分かれている。地方の都市を歩いていると、そういうのが意外とある。大きな木は伐らない。それから、鎮守の森みたいなものも伐らない。話を聞いてみると、昔はそれなりの宗教性があったと思うんです。例えば、あれを伐るとたたりがあるとか、そういうことを言って木を伐らないということを子供にも教える。
 さらに調べてみると、その木の下に大体水脈があって、その木を伐ってしまうと、水が枯れてしまうという経験則みたいなのがあって、そういう木を守っているという経緯がずっと歴史的にあったと思うんです。それがある時点で、どこかで伐られてしまった。私は木を見ても、全然怖がらないし、それを伐り倒したからといって、神のたたりがあるわけでもないし、そんなことを言えば、ばかな話だというふうにどこかでなった。それがいつのときのなのか。そこら辺の宗教性と、それを乗り越えて木を残さなければならないというときに、どういう考え方というか、思想というか、何を言えばそうなるかという方向があるのかどうか、それが1つです。
 2番目は、森林都市を考えた場合、問題は、産業と雇用の問題とのペアリングかと思います。例えば、私なんかも東京で働いたり、東京で生まれたものですから、何となくいますけれども、結局これだけ東京がふえるというのは、東京に雇用と産業があるからだと思います。それから、アジアの都市も、先ほどおっしゃっていましたけれども、あれも明らかに自分たちの雇用問題として、雇用の場として都市に集まってくるという形で成り立っているのだろうと思います。そうすると、生産第一主義がずっとあったわけで、そのためには、木も伐る、何事も捨てるという構造の中で、今の都市、東京もアジアの都市も全部そうやってできた。今ここでおっしゃっていたような森林都市をつくろうとすると、やはり産業構造と雇用関係も一緒に考えないと、それを何かの形でひっくり返すとかいうことをやらない限り、なかなかできないのではないか。そこら辺をどういうふうにお考えなのか、教えてください。

平野氏
 答えにくい、一番難しい問題を2つも聞かれて、答えられるかどうかちょっとわかりませんけれども、まず、1点目から。
 大木を伐らないということの、裏返しの意味が、水脈がそこにあるとか、いろんな教えがあるということ。これは一理あるでしょうね。大木が生え続けられる場所というのは、多分水をかけなくとも生育し続けられるということで、500年、1000年の間、しかるべき安定した土壌条件が確保されていた土地だと思います。そういう意味で、大木がある場所というのは、おっしゃったとおり、公共的に意味のある場所だったということが言えるのではないかと思います。それを昔の人たちは、子供に教えるために、「たたり」という言葉を使ったのではないかという気がいたします。
 実は先般、九州の方で、20名近くの方が土石流で亡くなった災害がありました。あの現場に行って思ったことは、1つの扇状地だったのですが、聞いてみると、その村の歴史は150年しかなかったということです。おそらく、天草から移住してきた非常に勤勉な人たち、多分キリシタンも混じっていたのではないかと思うのですけれども、その人たちが住んで、大変豊かなみかん畑をつくり上げていたのです。問題は、では、なぜそこに150年前までは住まなかったかということです。それはおそらく縄文以降、何らかの災害が過去にあって避けてきたからではないかなという気がします。そういう意味で、昔からの教えというのは、科学的な分析以上に、何か経験則が働いていたのではないかなという気がします。
 また、今でも道路の新設に際して、山裾にある竹林は絶対伐るなと言われています。これは竹林があるところは、地滑り地帯とか土砂崩壊の危険地域でありまして、そこに無理をして道を通すと、必ず崩れてくる。やはりこういう経験則が今も生かされているのです。そういう意味で、単純に自然に倣えとか帰れ、とかという話がありますけれども、おっしゃったとおり、見えないところでの経験則がそういう言い伝えに名を変えて、今に残っているのだと思います。
 日本の宗教も、仏教はもともと自然とはそんなに密接なかかわりがなかったのですけれども、空海の時代から急速に自然と接近していって、そして日本型の仏教になっていったと言われています。それから、筆塚とか針供養をする習わしは、おばあちゃん時代まではあったようですし、お稲荷さんとかタヌキ地蔵とかはまだ祀られております。そういう仏教よりひと昔前の多神教というのですか、アニミズムの世界は今も随分生き残っていて、その現象を代表して語ってくれるのが私は森ではないかと思います。
 そういう意味で、1本の森を守るということは、生態系はもとより、かつての経験則でいうたくさんの秘密が隠されているのだと思います。そういうことを私は最近になってようやく多くの人たちが気づき始めたのではないかな、そんな気がしております。
 2つ目の産業の問題は、森林都市を新しくつくるときには不可欠な要素です。2つの森林理想郷のタイプを申し上げましたけれども、2つとも難点があると思います。1点目の今ある過疎町村のリニューアルタイプですが、そこにどうやって産業を持ってくるかということは、大変難しいテーマです。産業というのはあくまでも市場社会で成り立っているわけですから……。このトレンドを変え、マネーを引き寄せるためには、何らかの起爆剤が必要で、それを今までは公共事業におんぶしていたわけですけれども、これから先は、公共投資も先細りになっていきますので、さらに厳しくなっていくでしょう。そうなると、やはり教育というキーワードと、もう1つは福祉。この2つがやはり、そういう僻地を支えていく際のポイントになると思います。
 福祉で考えたとき、ケアの必要な老人が100人来た場合には、新しい雇用市場が生まれてくるでしょう。そういう観点で、シルバータウンの研究もしているのですけれども、できれば雇用者、住民、それを全体で支えるディベロッパー、このあたりの関係論、産業連関をさらに考えていくことがやはり一番の課題になると思います。
 そうはいっても、結局はこの国をリードしていくのは東京であり、大阪であるわけですから、東京、大阪で稼いだ上澄みの一部を上手にそういった僻地の新しい町に還流するようなシステムをつくり上げていくことが大切です。その手段がリゾートではないということが、最近ようやくわかり始めてきたのですけれども、やはり、これからは福祉であり、老人医療であり、そして教育であるような気がしています。
 ただ、これ以上、具体的には、私はまだ解答を持ち得ておりません。むしろこれから教えていただきたいし、いろんな研究会を通じてそれは編み出していかなければいけないと考えています。
 きょうのお話で、言い忘れたことがありましたので、最後に若干つけ加えさせていただきます。
 私の専門は、自然とか森ですけれども、どうしてこんなふうにジャンルが広がってしまったかということですが、実は数年前に私は交通事故に遭いまして、1年間ほど仕事を休んだことがあるのです。そのときに思ったことからずっと敷衍していったのが今のアイデアになっています。
 その事故は、冬道の右カーブの下りでした。ちょうどスタッドレスの出た年でありまして、アイスバーンになっていて、ゆっくり滑りながら回転してそのまま対向車線に入ってしまいました。私は助手席に乗っていたものですから、そのまま対向車と側面衝突になりまして、左足の大腿骨を折ったり、頭を強く打ったりしました。今なら安全性が高くなっていますから、サイドビームとか入っていて、骨は折れなかったと思うのですけれども、気がついてみたら、ドアが真ん中のコンソールボックスまで来ていました。足が変な方向を向いていたから、折れたなというのはすぐわかったのですけれども、結局4カ月ぐらい入院して、何回か手術もしました。
 生まれてこの方、入院とかしたことがなかったものですから、ショックでしたね。天井というのは毎日見ていますから、すごく気になるというのもわかりました。6人の相部屋にいて、いろいろと話を聞いてみたのですが、日本人は7割の人たちが病院で死ぬらしいです。こんな場所で、こういう死に方をするわけにはいかないと思いました。楽しみは、ラジオと食事だったでしょうか。夜が本当に長かったというふうに覚えています。
 唯一新しい発見は、世の中は大体拝金主義で、お金がいっぱいあればいいと思っている人がほとんどですけれども、その6人の相部屋の中だけは違う価値観がありました。人間にとって健康になることが最高の価値です。ですから、やはり価値観のレベルを上げたり下げたりすることによって、物の見方も随分変わってくるのではないか。豊かさというのは、やはり自分が置かれた立場によって随分変わるのだなということを発見した次第です。
 それから、私は、松葉杖を9カ月ぐらいやっていたのですけれども、最後の方になると、ひじに輪っかをはめる鉄製の杖(ロストランド・クラッチ)をついて歩いていました。私の場合、ギプスではなく、骨の中に鉄パイプを埋め込んでいたものですから、外見上は健康人のようなのに、体をねじってしか歩けない。どうも慢性の障害のように映ったらしく、歩いていて一番嫌だったのは、すれ違う人たちの視線でありました。視線というのは大変な差別の元凶のような気がしました。
 もう1つ。小さな親切を期待して地下鉄とか小田急線に乗りましたが、ほとんど席を譲ってくれませんでしたね。これで私はキレました。東京嫌いがさらに徹底していったわけですけれども、いずれにしても、そういう経験を踏まえて、巨大都市をいかに脱しようかということをずっと考えてきたわけです。
 いつ実現し得るかわかりませんけれども、陶淵明は、41歳で役人をやめて、「帰りなん、いざ」で故郷に帰ったらしいです。私はもうその齢を過ぎてしまいましたが、いずれそういうふうになればいいなと思っていますので、どうかその節はよろしくお願いいたします。(拍手)

谷口(司会)
 どうもありがとうございました。
 大変率直なお話をいただきまして、ありがとうございました。きょうはいろいろ変わったお話だったように思いますが、ちょうど時間がまいりました。きょうはこれで終わりたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)


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