back

第126回都市経営フォーラム

風土工学事始−風土工学の構築

風とハーモニーし、風土を活かし、地域を光らす、
個性豊かな地域づくりのテクノロジー


講師:竹林 征三 氏
工博 土木研究センター・風土工学研究所長


日付:1998年6月24日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

 

1.「環境」から「風土・文化」へ

2.感性工学と風土工学

3.風土工学の方法論

4.ケーススタディ

5.私の風土論

フリーディスカッション





1.「環境」から「風土・文化」へ

 只今御紹介のありました竹林でございます。
 今日は「風土工学事始」ということでお話させていただきます。
 風土工学ということにつきましては、今、司会の方からお話がございましたが、非常に目新しい、ほとんどの方にとっては初めて聞かれる言葉だろうと思います。
 「風土」というのは、地域の風土文化の「風土」でございまして、その風土をつくる工学ということで、要はこれから望まれている土木工学の方法論ということで、新しい工学体系だと思っております。風土工学とは、「地域の風土とハーモニーして、地域を活かし、地域を光らす、個性豊かな地域づくりのテクノロジー」であると私はサブタイトルを考えています。
 どういうことかと申しますと、昨今土木の分野にも景観設計ということがとみに言われてまいりました。「景観10年、風景100年、風土1000年」という言葉がございます。景観という言葉は、景観が壊される、つぶれるという使われ方がされています。いずれつぶれていくべき運命のものが景観である。その景観が時間の経緯とともに残っていけば風景となる。風景が、なおさらに時間の経過のもと、地域の人々の心に残って、心象を形成していけば風土になるということで、初めから景観設計ということで、いずれつぶされていく運命のようなものをつくるのではなく、つぶされないで残るものを造っていこうじゃないか。つぶされていくべき運命のようなものを初めからつくるのはどうかと言いたいわけです。同じつくるのだったら、景観設計といわず風土工学として造ろうじゃないかと思うのです。

〔OHP:景観・風景・風土〕
 昨今女子高校生がルーズソックスの靴下を履く。あれは、もうあと数年たてば、恥ずかしくなって誰も履かないのはわかり切っておる。しかし、あれを履いている限りは、流行に取り残されなくて、仲間外れにされないということで安心感がある。あれは流行を追っているんだと思うんです。
 昨今私たち土木建築部門でも、ISOとか何かいろいろ言われておる。各社ともに一生懸命やっている。あれは時代遅れにならないためにやっておるのだと思います。我が社だけ時代から取り残されたら先はない。これは変化対応の考え方です。
 そうではなく、土木というのは、国家100年の計でつくるものである。2〜3年でなくなっていく流行を追ってダムをつくるわけでないし、橋をつくるわけでないし、都市計画をするわけでない。10年経過して時代が変わったから橋が要らなくなるようなものでもない。国家100年の計でつくるのが国土であり、橋であり、ダムであり、道路だろうと思うんです。変化対応でなく、本物順応のものを造ろうじゃないかというのが私の風土工学の考え方です。
 どういうことかと申しますと、私たちの土木工学というのは、英語で言えば、「シビル・エンジニアリング」、市民のための工学です。もう1つは、戦争のための工学、「ミリタリー・エンジニアリング」があった。そのミリタリー・エンジニアリングと違う市民のための工学は、市民が安心して生活できる地域社会基盤づくり、市民が便利で生活できる社会づくりの技とともに、市民が健康で心豊かに過ごせる地域社会基盤づくりの技ですが、どうも便利で、より安全な社会ということは実現してきているけれども、「心豊かに」という3つ目がどうも実現していかない。そこが問題だと思うのです。東京と大阪はより短くなる。そして、少々の台風が来ても、川は氾濫しなくなってきました。しかし、どうも「心豊かに」は実現しない。どうしてだろうか。そこがポイントだろうと思います。
 そこで、私は目的関数が間違ってモノを造っているからではないだろうかと思った。昨今環境、環境と言っている。確かに自然の豊かさの指数は大切だ、生物との共生の指標も大切だ、水辺と水の指標も大切だ。しかし、もっと大きい指標があるのではないだろうか。それが風土の指標だろう思うのです。
 風土の指標を考えて地域づくりをしていかなければならない。特に私が言いたいのは、地域の環境質の指標、要するに地域の歴史、文化の質の高さ、それから、地域のアイデンティティー、地域の誇り意識、地域の一体感、地域のシンボル。要するに、そういうものを指標にした地域づくりを進めていかなければいけない。そのような視座が抜けていたのではないかと思うのです。
 いろいろな形で指標が出される。豊かさの指標と言えば、日本開発銀行とか横浜銀行とか銀行関係は、一番豊かな地域は東京だと言う。全部金で評価できると思っておるから、一番豊かな府県は東京になる。しかし、地域の豊かさの指標でやれば、これは何年か前のものですが、1位が山梨で2番が長野、幸せ指数の1番が石川で、2番が福井だ。今年の新聞でいきますと、経済企画庁が一番豊かなところは、福井が5年間連続1位で、一番最低が埼玉で6年連続最下位だと出ておる。ちなみに私は1番低い埼玉県に住んでおるのですが、これはどういうことだろうか。幸せとか豊かさとはどういうことだろうか。
 そこで、経済企画庁のものを読んでみますと、いろいろ書いてある。住むのに一番いいのが富山で、住み易さの一番が東京で、働くのが鳥取で、育てるのが北海道で、癒すのが福井で、遊ぶのが長野で、学ぶのは石川で、交わるのは山梨と書いてある。そこで、この新聞が出た途端に、我が埼玉県の土屋知事は、「経企庁は何をアホなことを言うておるか。こんなアホなことをしているから、日本はよくならないんだ」と激怒しておる。私のところの知事ですので、大賛成同感です。
 全国各県の知事さんの経企庁への反応は、一番いいところはどのように反応し、悪いところはどのように反応しているかということが報じられている。そこで、経企庁は何をやっているのかということです。要は、豊かさというのを客観的指標で表せると錯覚している。例えば、環境とか安全とかアメニティーとか文化、質、教育、ゆとり、歴史、文化等を、例えば文化財の数とか何かで客観的に表せると思っておる。私は、これが全然わかっていない、こんな簡単なことがわからないんだなと思うのです。
 どうしたら、おまえの言う豊かな地域になるのかということですけれども、簡単です。もうじき21世紀を迎える。20世紀の一番最初、1901年の1月2日の新聞にこの100年間でどういう社会になって欲しいかという当時の人間の願望が書かれておる。夢の夢を書いてある。ちなみにどういうことを書いてあるかというと、無線電話、無線通信で地球の裏と通話、交信できるような社会になったら嬉しい。地球の裏側の事情がカラーで刻々見れたらいいな。そして、7日間で世界一周ができたらいいな。空中遊泳ができればいいな。こういう願望が書かれておる。全部実現しているんです。
 それとともに、野獣の滅亡、アフリカの原野にいたるもライオン、トラ、ワニ、野獣を見ることができないような社会になって欲しい。あんな恐ろしいものは人類の敵だ。あんな恐ろしいものがおるから、私どもは安心して生活ができない。もうおらぬよう全滅して欲しいとの願望。やっぱりそういう世界になっていくのです。願望したとおりの社会になっていく。私はそう思うのです。
 土木もそうです。地域づくりも一緒です。私も土木の仕事をやっていると、これまでは経済性の評価です。コストベネフィットの評価です。コストベネフィットだけの社会になる。目標は何か。東京と大阪を1時間でも早く結びたい。そして、100年確率、200年確率の洪水が来たって、利根川は氾濫しない。そういう川を造ってくれ。そういう物理的指標で、川岸を造ってきたらそういう社会になるのです。要するに、物理的指標で地域づくりをしてきたからそのようなものが実現してきた。これまで一車線の道路、二車線の道路という物理的指標で造ってきた。そうじゃない、これからはCO2、NOXをも考えねばならない。河川は窒素、燐を考えて整備していこうじゃないかと最近言われてきた。要するに、化学的指標をも追加して考えようじゃないか。最近は更に生物との共生。やっぱりライオンもいて欲しい。トラも動物園以外にもおってほしいなという感じです。イヌワシも欲しい。死んでもろうたら困ると言い出した。要するに、生物的指標をも考えながら地域づくりをやっていこうじゃないかという社会になってきたのです。
 もう一つ大きなものが抜けているのではないか。文化の指数です。なぜ文化の指標を放り込んで地域を造らないのだろうか。だからそういう社会になるんだと思うのです。




2.感性工学と風土工学

 そこで、しかし、どうして風土文化というものが工学になるのだとみんなに言われる。つい最近まで私もなると思っていなかった。ところが、私にヒントがあったのです。何か。国立大学の工学部に感性工学科ができている。それも今年で4年目だ。来年ぐらいに卒業生が出るのです。感性工学科のパンフには、「私たち人類は新しい時代を迎えつつあります。無機質な物質中心の技術文明にかわって個人の個性を重視し、心の自由と飛躍を目指した、人中心の新しい技術が求められています」ということを書いている。これは信州大学・国立大学に感性工学科ができていて、今年は4年生が出てきます。
 「心のしくみを知り、心の形を学ぶ、心の喜ぶものを作る」。へえ、どうして?感性がどうして工学になるのか、私も非常に怪訝に思いました。本屋へ行ったら、「感性工学」という本が幾つも出ていました。その本を読みますと、こういうことが書いてある。これは私が風土工学の構築に至る1つのヒントなのです。要するに感性を工学にする。理性ではないのです。感性です。何かといったら、「かわいらしい」とかいう感性の形容詞を数値化して、感性に合う商品を造ろうという方法論です。かわいらしいとか、格好いいとかいうようなものが、数値化できるのか。なるほどなと思ったのです。
 どういうことをするかといいますと、女性の服の選び方そのものだ。女性が今日は葬式、今日はクラス会、今日は○○会という時に、そういうものを選んで造っていくのです。それをアイテム・カテゴリーに分けながら数値化していけば、そういうものができてくるというわけです。上着の襟、タイプ、丈、ゆとり、飾り、スカートの型、丈、飾り、地模様、ブラウスの襟、色素、トーンとあらゆるカテゴリーに分けながら1つ1つ数値化していって、コンピュータを使いながら造ったら、感性に合うものができて、みんなヒットし、大儲けする。
 種明かしは何か。感性というものにも尺度があって、なおかつ測定することができる。したがって、コンピュータが使える。座標化できるというのが、もっともっといろいろ奥が深いのですが、簡単に言えば感性工学の方法です。そういうものを感性の尺度と測定法でやれば、例えば、色が温かい、冷たい、汚い、美しいという座標系に置きかえることができる。
 そして、なおかつイメージが、例えば、ダンディーとかフォーマルとかカジュアルとかロマンチックと書いてある。こういうイメージのワードも全部数値化することができる。今の方法でやれば、XY座標で置きかえることができるということです。もっともっといろいろな感性形容詞が全部数値化できる。エレガント、おしゃれ。しっとりした、カジュアルな、こっけいな、アクティブな、贅沢な、ゴージャスな、いろいろなものが全部数値化できる。この方法を土木の分野に取り入れることができるなと私は感じたのです。言ってみれば、これがヒントの第1番目です。
 ところが、そのように説明されると感性工学が成り立つというのは何となくわからぬでもないけれども、何で風土が工学になるのだという疑問が残る。感性工学と風土工学を対比して考えて見ます。感性工学は、目的は商品の開発。対象とする人間は若い女性にもてる商品、年寄りに優しい商品ということで、特定部分集団。時間スケールは、商品の寿命、1世代以内。空間スケールは、ヒューマンスケール以下。デザインコンセプトは、「お年寄りに優しい」等というように与件です。
 風土工学は、土木事業であり、橋であり、ダムであり、都市計画であり、対象とする人間は不特定多数の総合集団、時間スケールは数世代、空間スケールはローカルスケール、デザインコンセプトは価値観の多様化。若者とお年寄りとは全然違うことを考えている。何を考えているかわからない。何でそんなものが工学になるのか。感性工学は何となくわかったような感じはするけれども、風土工学が成り立つわけがないではないかと思われるかもしれませんが、そうではないのです。感性工学が成り立つのだったら、風土工学も構築できるではないか。同じアナロジーの概念であるということが種明かしです。
 感性は、論理的思考のかたさをほぐし、精神を深化させる働きを持っている。風土文化は、人間の生存と生活の厳しさを和らげ、ローカル・アイデンティティーを形成さす働きを持っている。感性は、「感性を磨く」という研磨性がある。風土文化は、文化はCulture、Cultivate(耕す)という研磨性がある。方向ベクトルは感性も風土文化も共に極めて低いレベルから極めて高いレベルまでプラス評価のみの一方向のみのベクトルを持っている。感性は、感じ取る力とその幅が推進力。風土文化は、地域を愛する心と知性とその豊かさが推進力。全く同じアナロジーの概念ではないか。感性工学が構築できているのだから、風土工学も同じように構築できる、成立するのではないかということです。




3.風土工学の方法論 

 そこで、今、感性工学が1つのヒントといいました。もう幾つかのヒントがあるのです。2つ目のヒントとなったものは何かというと、風土分析。風土の個性を数値化し分析できるということです。風土分析国際ワークショップというのは、京都大学の佐佐木綱先生がこれまでたくさんやってきておられます。
 風土の個性が分析できる。簡単なことからいくと、例えば、気候風土を分析しようじゃないか。気候風土とは何か。真夏の日数、不快指数、温度、降水量、日照時間、いろいろある。これを数量化理論を駆使したら、その気候、風土が全部数値化できる。
 例えば、今の方法であれば、大阪の気候風土、群馬の気候風土、長野の気候風土、埼玉の気候風土の特性を全部座標系に置きかえることができる。要するに、地域の風土の個性を数値化できる。こういう方法論があるわけです。
 そして、その延長線上で、今の方法論をやりますと、例えば、土木構造物が作る地域のイメージ、神戸の港、横浜の港、尾道の港、舞鶴、焼津、佐世保、この地域の風土、港の個性、風土の個性のイメージを座標化することができる。これは使えるのではないか。これが2つ目のヒントです。
 私は関西の育ちですが、例えば、関西の私鉄、JR、阪急、京阪、南海、近鉄。鉄道のイメージは何で決まるのか。乗客のイメージか、インテリアのイメージか、車両の外観か、駅のイメージか、景観のイメージか、企業のイメージか、何で決まるのか。その寄与度が全部分析できる。
 例えば、ターミナルのイメージは何で決まるのか。プラットホームのイメージなのか、ターミナルの町のイメージなのか。駅の外観のイメージなのか、駅前のイメージか、路線のイメージか、企業のイメージか。全部分析できるじゃないか。これが風土分析の手法です。こういう手法を駆使したら、そういうものができてくるじゃないか。
 そこで、更にその他のヒントもあります。日本の科学者に、これから30年間で急ぐべき科学技術は何かと聞けば、ほとんどが環境と医療だと答えている。要するに、地球温暖化、それからエイズ菌をなくす、昨今はほとんどがこの分野です。
 ちょっと待ってください。1つ大きな研究テーマが抜けているじゃないか。心の科学を忘れているではないかと思うのです。心の科学の方法論を導入しようじゃないか。これは脳の仕組みです。脳で何を考えるかという方法論を駆使すれば、そういうものができてくるではないか。これが私の種明かしヒントになったものです。
 これはどういうことかと申しますと、工学というかぎり数学を使わなければいかぬわけです。要するに分析手法として使う数学がちょっと違う手法を使わなければいかぬということなのです。たくさんの道具として数学手法がある。それもこれまでとは少し違う手法を使わなければいかぬ。もっと言い方を考えますと、これまで工学が主として駆使してきた方法はシミュレーションとか最適化とか、評価手法、予測手法、管理手法、信頼性評価手法等々、そういう数学手法をずっと使ってきた。もっと違う数学手法があるのではないかということなのです。
 それは何か。構造化手法とか、いっぱい手法があるのです。要するに心の問題を分析するのに適した方法です。例えばこれまで計量心理学の手法等々もあります。心で何を感じるか、また何を考えるかということをやる手法がたくさんあります。そういう方法を駆使していこうじゃないか。簡単に言いますと、神経の刺激回路、ニューラルネットワーク、イメージはどう連想していくか、イメージ連想法。ファジー理論、意味微分法、イメージ心理分析、多変量解析、感覚尺度法、エキスパートシステム、ユラギ解析、たくさんの手法ができておるのではないか。そういうものを駆使すれば、そういうものができてくるのではないか。こういうことです。
 そこで、何を考えるかということの科学手法を導入したら、そういうものができてくるのではないかということです。要は、感性は受け身ですが、認知科学は能動です。学習過程や記憶、推論といった個人の内部構造の研究、設計者がどのようにデザインを進めていくかというプロセスの研究、またどのようにイメージを形成されていくかというイメージトレーニングの研究です。こういう手法を駆使したら、そういうものができてくるのではないか。要は、認知科学の方法論です。プロトコル分析法、イメージウエイト連想法、ISM法等々こういう方法です。
 先ほども申しましたが、最適化とかシミュレーションとか、そういうものと違って、発想技法、構造化技法、意思決定支援法、満足化技法、感性評価法、こういう手法を導入したら、そういうことができるのではないかということです。数学的にはそういうことです。
 その次に、風土をどのように捉えるかということです。風土を捉えるにはまず環境です。環境とは何か。要するに、自然環境の改変を伴わずに土木施設はできない。橋をつくる場合、掘削せずに橋脚はできない。ダムをつくる場合、掘削しないといけない。しかし、良好な環境を破壊しないよう充分に配慮し、環境保全のフォローをしながらやっていけば、環境もまたその努力に答えてくれる。全く同じ環境ではない。一応環境は復元していく。人間の盲腸の手術と一緒ではないか。盲腸の手術も、消毒しなかったら、術後、切り口から化膿して死んでいくかもわからぬ。ちゃんと消毒する。昔の盲腸のある身体とは同じではない。盲腸がなくなったということとは違う。だけど、一応健康体は取り戻せる。同じじゃないかと思うのです。
 そこで、環境ばかりでなく、風土文化も一緒です。環境が大切というけれども、ちょっと待ってください。環境も大切ですが、環境よりもっと大切なものがあるのではないですか。それが風土、文化です。地域の風土文化の改変を伴わず土木施設はできません。その地の風土文化のことを考えずに高速道路が町を分断すれば、長年、何百年かけて形成されてきた風土文化は崩れてしまうのです。しかし、その地域のことをよく考えて、より良好な風土文化が形成されるよう考えて土木事業をやれば時間の経過を伴いますが、それまでのものとは違いますが、また新たな良好な風土文化が形成されてくるではないかということです。その地の風土文化のことを考えずに何も考えてなかったら、やっぱりつぶれてしまいます。
 そこで、環境と風土がどう違うのか。そこが問題です。実は、環境破壊とか環境復元、環境創生、環境アセスメント、環境分析、環境保全、皆さん方嫌になる程聞いておる。しかし、同じです。風土破壊、風土形成、風土創生、風土インパクト、風土アセスメント、風土分析、風土保全、全く同じです。環境と風土はどこが違うのか。これがポイントです。一見全く同じ概念のようですが、アプローチが違うのです。自分の周りの森羅万象を心のやりとりなしでアプローチするのが環境です。自分の周りの森羅万象を心のやりとりをしながらアプローチするのが風土文化です。
 環境としてアプローチすれば、小説も生まれてきません。和歌も生まれてきません。絵も出てきません。しかし、心のやりとりをしながらだったら、富士山を見れば、シャッターを押したくなる。美しい景色を見たら、和歌の1つも歌いたくなる。絵も描きたくなる。これが心のやりとりを伴う接し方アプローチです。ただ「富士山はこんな形をしている」と物理的な形状を客観的に見るのが環境です。環境と風土文化は自分をとりまく森羅万象という所までは同じです。違うのは、心のやりとりを伴うかどうかの違いです。
 今までの私たちのものづくりは何か。丈夫で長持ちなもの。そして社会に役立つもの。用と強を追求してきた。工学は特にそうです。これまでの方法で、丈夫で長持ちなもの、そして一応社会に役に立つ渡れる橋ができた。しかし、美が追究されていない。計画の斉合の美を追究する方法論を研究するのが計画工学でできました。そして、今度は環境との斉合の美を追究することを目指す環境工学が誕生してきたのではないだろうか。次は、風土との斉合性の美を追究するのが風土工学であると考えることができると思うのです。
 そこで、風土とは何なのか。風土という限り、風土の構造がわからぬと実学として工学の対象とは成り得ない。風土とは何か。風土とは、「風」の「土」。「土」は何か。地域性です。「風」が問題です。風の概念を調べてみました。風には11の概念があります。そのうち「風土」の「風」をどうとるか。11の概念のうち、例えばwind(そよ風)、breeze(すきま風)、draught(一陣の風)、storm(暴風雨)。要するに、英語の風の概念を取り除くのです。そうしたらどうなるか。「姿や人から発して人心を動かすもの」「そこはかとなく漂う趣、景色、ほのかな味わい」「ゆかしい趣」「歌声、民謡ふうの歌、転じて、おくにぶり」「言葉で人の心を動かす」というような概念です。これの地域性が風土ということになります。これを実学として工学の対象としようじゃないか。
 このままでは構造がわからないので工学にならないということで、そこで風土のことを我が国で一番勉強した人は、私は和辻哲郎じゃないかと思います。和辻哲郎の有名な『風土』の本を読むと、風土はこういう構造をしていると書いてある。人間の肉体の主体性、個人的孤立、社会的合一という二重構造をしていて、「孤立しつつ、合一において孤立している」第1超越。「他人に対して自己を見出すという社会的構造」だ。第2超越は、「歴史においておのれを見出す時間的構造」。第3超越は「風土においておのれを見出す、空間的構造」という「三超越四要素の構造をしている」と言うておられるのです。

 〔OHP:人間存在と風土の構造〕
 私のは人間存在の風土の構造ではなく、土木構造物の存在の風土の構造はどのようなものであるかを問題にしている。それは同じ構造なのです。土木構造物の存在の風土の構造は、人間存在の風土の構造と全く同じであると言うことです。土木施設の社会的役割、土木施設そのものの保有する機能・効用、土木施設そのものへの期待される機能・効用。個別と複合、社会的に表裏二面構造をしておる。第1超越「社会的機能・効用発揮と社会からの評価に対し土木施設を見出す」という構造と、「歴史において土木施設を見出す」第2超越・時間的構造と、「風土において土木施設を見出す」第3超越・空間的構造施設。全く同じなのです。

 〔OHP:土木施設の存在の風土の構造〕
 風土の構造がわかった。しかし、風土の構造で土木施設が風土とハーモニーせねばならぬ。ハーモニーするとはどういうことか。要するに、土木施設の構造は風土において魅力がある。魅力ある土木施設とはどういう構造をしているのか。そこで、魅力ある土木施設の構造をわかるには、魅力ある人間の構造がわかればいい。アナロジー展開できるのではないかということで、魅力ある人間はどういう構造しているのか。まず生きていて内に対し「真」が備わっている存在。外に対し「善」なる存在。「美」が備わっている存在。そして、誇り意識を持つ自己の自覚、Self Identity、人格が備わる存在。他と識別する名、人格のシンボル化としての名前が備わっている人間。これが魅力ある人間の構造だ。しからば、魅力ある人間の構造をもって、魅力ある土木施設の構造を解明したい。全く同じなのです。土木施設が風土において生きていて、そして真・善・美ではなく、用・強・美が備わっておって、ローカル・アイデンティティーが形成する存在。そして、そのシンボル化としてのふさわしい名前が備わる存在。要するに、真・善・美が用・強・美に変わる。要するに、真・善・美とは、どういう構造をしているか。
 真・善・美はこういう構造をしています。「美」とは、感性軸、存在の恵み、「真」とは知性軸、存在の意味、「善」とは行為軸、存在の主体性です。風土工学において真・善・美ではなく用・強・美です。「美」は同じ。感性軸、存在の恵みだ。「強」とは、内的知性軸、行為軸の内に備わる存在の意味と主体性である。外的知性軸、行為軸、外に現れている存在の意味と主体性が「用」でないかということです。「用」・「強」・「美」が備わり、生きていて、ローカル・アイデンティティーが形成され、それにふさわしい名が備われば良い。
 今度は何か。用・強は、今までの土木構造物の作り方でできる。「美」の構造がわからぬと、そういうものをつくることができない。「美」の構造を調べました。形あるものの美の構造は、こんな構造をしているのです。形あるものの「美」の構造は、造形の要素、静的造形の要素(Static)、すなわち、形状、色、材料、テクスチャー。動的造形の要素(Dynamic)。光、Motion。その造形の要素で造形の秩序をつくる。造形の秩序は、ハーモニー、コントラスト、アイデンティティー。「美」の構成3定理が成り立つ。「美」の構成、ハーモニー、コントラスト、アイデンティティーは、サブ要素として、シンメトリ、プロポーション、バランス、リズム、コンポジションがある。個のデザインから群のデザインへ大きくなれば、美は更に大きくなる。こういう構造にしているわけです。要は、「美」の構造がわかれば美は組み立てることができる。なるほどな。「美」の演出3定理でもって、ユニティー統一の原理を構成する。そして、「美」の演出3定理、ハーモニー、コントラスト、アイデンティティーでもって構築していけば、「美」は形成ができる。「美」のとは、ユニティー統一の原理である。そして、ユニティー統一の原理は美の演出3定理、すなわちコントラスト、アイデンティティーにより構成され、それは更にシンメトリ、プロポーション、バランス、リズム、コンポジションの5つのサブ要素からなる。これを使いながら、そういうものをつくっていったらいい。

 〔OHP:造形の美の構成原理〕
 要するに、シンメトリとは何か。14の要素から成り立つ。プロポーションとは何か。大自然がつくった黄金分割、要するに、フィボナッチ数列です。フラクタル理論です。この比率でつくれば、一応プロポーションの「美」ができる。しかし大自然だけでつくった「美」の法則のみではない。人間がつくった「美」の法則もある。日本人つくった「美」の比率が1対2、畳の大きさです。そしてあと1:√2です。二乗すれば1対2になる比率。用紙のA判、B判の大きさ。縦と横の比。これが「美」を形成する。こういうことです。「美」の法則がずっとわかってくる。
 そして、バランス、リズム、コンポジション。バランスとは何か。左右対称、水平感バランスに垂直感バランスの美。リズムとは何か。リピテーション、オルタネーション、グラデュエーション、プログレッション。コンポジションとは何か。集中基調、金剛界マンダラ、格子基調、胎臓界マンダラ、こういう法則により構成していったら、「美」が形成されてくる。「美」がわかってくる。
 しかし、「美」の構成3要素、ハーモニー、コントラスト、アイデンティティーとは土木施設が何に対するのか。どうすれば地域の風土とハーモニーするのか。ハーモニーする相手は何か。風土の構造、3超越4要素です。要するに、土木構造物は何とハーモニーしたらいいか。風土の構造です。第1超越、土木施設そのものが保有する機能・効用、土木施設そのものが期待される機能・効用。第2超越、時間軸構造、風土的歴史。第3超越、空間軸風土、歴史的風土とハーモニーする構造物が素晴らしい構造物である。
 今形あるものを言いました。形ないものの美は何か。シンボルは名前です。名前も全く同じです。命名の素材、音、文字、並び、漢字の意味、言葉のイメージ。命名のシーズ(種)、これらが命名の要素です。命名の要素でもって命名の秩序をつくる。命名の秩序は、ハーモニー、コントラスト、アイデンティティー、美の演出3定理が成り立てば、美しい名前になる。個のデザインから群のデザインに大きくなれば、美はさらに大きくなる。無形なるものの美の構造がわかってきた。

 〔OHP:命名の美の構成原理〕
 その次は何か。そして土木構造物の何をデザインするのか。要するに、形あるものと形ないものと同時にデザインする。造形の要素で造形の秩序をつくる。無形の要素で無形の秩序をつくる。有形なるものの個のデザインから群のデザイン。無形なるものの個のデザインから群のデザイン、合わさったところにユニティー統一の原理により大きな美が形成される。これが風土工学の理論です。
 どういうことか。例えば、形と色彩のハーモニーとは何か。その地の歴史的風土と形状、姿・かたちとカラー・イメージが調和する。空間軸風土との構造、その地の風土的歴史と形状、姿・かたちとカラー・イメージが調和する。時間的構造、土木施設の役割機能と形状、姿・かたちとカラー・イメージとの調和。社会的構造の調和も全く同じです。
 命名の調和とは何か。その地の歴史的風土と調和し、響き合う命名、空間的構造。その地の風土的歴史と調和し響き合う命名、時間的構造。土木施設の役割機能と調和し響き合う命名、社会的構造も全く同じです。
 そして、何をつくるのだ。風土工学の目的は何か。形あるものとともに形ないものを一体でつくれ。有形な土木構造物、形状、色彩、素材、模様とともに、無形なもの、土木施設の名前、工法、まつわる史実、儀式、歴史、いろいろある。それらがデザイン対象です。
 「美」がわかった。次はアイデンティティーの構造がわからなければならない。ローカル・アイデンティティーを形成する土木施設をデザインする。ローカル・アイデンティティーの構造は何か。ローカル・アイデンティティーは、実は4つの窓に隠されているのです。地域の住民が自分でわかっているアイデンティティー、そして他の地域の人もわかっているもの。これをオープン・ローカル・アイデンティティーと言います。地域の住民はわかっているけれども、他の地域の住民がわかっていないものをクローズド・ローカル・アイデンティティー。地域の住民がわかっていないけれども、他の地域の人がわかっているものをブラインド・ローカル・アイデンティティー。地域の住民も他の地域の住民もわかっていないローカル・アイデンティティーをラテント・ローカル・アイデンティティーと言います。
 

 〔OHP:四窓分析〕
 このローカル・アイデンティティーの構造はこんな構造をしています。@未来の地域の風土の可能性についての予測と確信。A未来の地域の風土についての想定と予測。B地域風土の歴史的事実についての認識。C他の地の者が思っていると思う地域風土像。Dその集約としての地域風土の現状についての認識。Eその結晶化した志向的理想的地域風土像、こういう6つの構造をしているわけです。
 

 〔OHP:ローカル・アイデンティティー六構造〕
 これはどういうことか。実は「フーテンの寅さん」なのです。フーテンの寅さん40何作は全て国民の心を打つた。ハーモニーしたのです。何でハーモニーしたか。フーテンの寅さんは何年もかけてつくったのですが、第1作目で決まってしまうのです。1作目のときには、「男はつらいよ」の主題歌をつくった。その主題歌のとおりで40何作、作っていったのです。相手のマドンナと場所が変わるだけです。何か。
 「男はつらいよ」の主題歌は、セルフアイデンティティーの構造ができているからです。「姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」、自己の現状についての認知と感情。「生まれ育ちは葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い」、過去の経験の記憶と事実。「お嫁に行けぬ。わかっちゃいるんだ、妹よ」、未来の自己についての想定と予測。「俺がいたんじゃ」、他者に見られていると思う自己像。「奮闘努力の甲斐もなく、きょうも涙の日が落ちる」、行動の可能性についての予測と確信。「偉い兄貴になりたくて」、志向的理想的自己像。
 同じ構造をしているから、皆の心を打つのです。私はフーテンの寅さんをつくるのではないです。私は土木構造物をつくるのです。同じです。例えば、鹿児島の甲突川に架かる橋がある。社会的役割機能は終わってしまっている。あんなものはもう社会的にも邪魔だ。安全度も落ちる。しかし、残せ、残せと言う。実は、アイデンティティーの構造ができているからです。私らは、初めからこの6つの構造があるようなものをつくったらいいのです。そしたら、ローカル・アイデンティティーを形成する。構造物になるのです。
 どういうことか。アイデンティティーの構造を付加するのです。そこで何をするか。要するに、地域の誇りなのです。地域の誇りとは何か。地域の誇りは、6大風土に存在しているのです。例えば我が町の高校が甲子園に出た、それだけで地域の人には誇りとなるのです。誰々の出身地、何々の古戦場、○○海岸、3大急流、からっ風、蜃気楼、何でもいいのです。全部誇りです。その誇りを構造化したらいいのです。今つくる土木構造物は、橋でもダムでも、全部誇りになっていただきたい。要するに地域の誇りを形成するものにつくりたいのです。
 地域の誇りの構造を分析するのです。構造化する。地域でみんなの頭の中に自慢があるのです。自慢を構造化していく。要するに、地域の自慢をどういう形でみんなが頭の中で考えているか。次に、実物を対象としたケーススタディをやってみます。




4.ケーススタディ

 これは福井県の九頭竜川です。例えば、永平寺がある。曹洞宗の本山だ。自慢である。丸岡城がある。「一筆啓上」の話がある。これも自慢だ。コシヒカリの生誕地。継体天皇の伝説がある。自慢である。越前竹人形の里である、これも自慢だ。何やら天然記念物も自慢だ。これをみんな頭の中で考える。考えたことをみんなに再確認しよう。「そうだな、あれは確かにわしのところの地域の自慢だ。」それを目で確認し、言葉で確認する。「あれは日本でここしかない。曹洞宗の総本山や。ここが中心だ」。自慢になる。頭で考える、目で確認する。それから、みんなの頭の中で考えていることを全部アンケートで分析すれば、それが構造化され、連想するものが出てくる。
 

 〔OHP:連想階層構造図(地元)〕〔OHP:連想階層構造図(一般)〕
 これが今のものを構造化したものです。縦軸は考えている概念の大きさで、数値化されます。横軸は関係性です。これは大阪とか東京の人の考えている地域の自慢の構造です。同じものを地元の人、その地域の人に聞くと、その構造はさらに大きくなります。縦軸は自慢の大きさです。横軸は関係性です。この2つの構造図から、今つくる堰はまた自慢の構造になってもらわなければいかぬ。その構造は大きいほどいい。小さい自慢のシード種は小さいものにしかならない。大きい自慢の種は大きい自慢になる。
 そこで、この2つの構造図から、地域の人と外の人との構造の違いから、何をつくったらいいか。どういう自慢の構造図にしたら、そこで大きく育つかということです。今の場合は、2つに分かれて構造が小さくなっている。2つに分かれていると、くっつけるキーワードを探すのです。この場合だったら、鳴鹿の舟橋の舟遊び、鳴鹿伝説、この2つがくっつくではないか。この2つをくっつけて、今つくる堰はどういう構造物にしたらいいかということで、この2つをくっつける言葉をつくるのです。
 「鳴鹿が導き教えてくれた九頭竜川の要の位置」に、「いにしえの舟橋のうまれかわりし姿 穏やかに水面を彩る大堰」ができる、これは「我がふるさとの誇り」となる。こういう構造のものをつくればいい。それをさらに6つのローカル・アイデンティティーの構造図でもっと具体的に書き直すのです。こういうのをつくったらいい。そうしたら、これをもう一回構造分析するのです。

 〔OHP:基本コンセプト評価手順〕
 どうするか。地域の自慢から構造図化しました。また1つ別なものを入れるのです。新しくつくるものがある。橋、ダム、トンネル、都市計画、公園、何でもいいです。つくれば、それがまた自慢の構造物になる。この辺から構造図が変わってくるのです。要するに、自慢の構造物をつくっていくのです。そして、形に変えていくのです。今の場合は、鳴鹿が教えてくれたふる里の要の位置に、舟橋の生まれ変わりし姿、よし、鹿をコンセプトにして展開していこう。

 〔OHP:デザイン展開図〕
 直線基調、安心感、重量感基調。負曲線基調、たくましさ、スピード感基調。柔らかさや、やさしさは正曲線基調。イメージを展開、シルエットを展開して、施工性を重視する。鹿の抽象化、鹿の形態を強調する。水平線をポイントに展開していく。ずっと18個に展開していきました。つくるものは、型枠で造らなければいかぬ。型枠でできるように造り、書き直す。この中にコンクリートを放り込めば、形ができてくるではないか。

 〔OHP:「かたち」美の構成3超越4要素によるチェックリストスコア〕
 一応今の場合は18個できた。18個をさらに点数評価した。点数評価は3超越4要素です。「社会的機能と効用、姿、形」「そのものへの期待」用・強・美、「歴史軸風土との調和」過去・現在・未来、「空間軸風土との調和」人間社会風土・自然環境、その複合。それに点数を配置してある。それを今度は、現在はこういう形で3超越4要素に入れた。施工性、維持管理、環境との調和とか言うておる。それを置きかえていく。そうすると形が決まってくる。
 形がきまったら、こういう鹿の形態をつくった。これでイメージができた。現在これが完成しました。形とともに色も一緒です。色はどうするか。色もそうやって同じ方法でやるのです。色は第3超越、空間軸風土のカラーポジション、Warm-Cool、Soft-Hard。第2超越、時間軸風土のカラーポジション、Warm-Cool、Soft-Hard。社会的風土、そのものへの期待からのカラーポジション、第1超越第1要素、Warm-Cool、Soft-Hard。社会的風土そのものの姿、形のカラーポジション、第1超越第2要素。この4つの最大公約カラーポジションが風土とハーモニーするカラーポジションなのです。どういうことか。

 〔OHP:風土工学カラーデザインプロセス〕
 まず、その地域の風土、空間軸風土のカラーポジションを測定してやる。それをWarm-Cool、Soft-Hardに座標を落としてやる。今度は、気候風土が、年間日照時間と年平均気温で代表される風土がどこに落ちつくか。これから連想されるイメージワードをカラーポジションに落としてやる。Warm-Cool、Soft-Hard。そして、今度は何か。デザインの鹿のイメージワードをカラーポジションWarm-Cool、Soft-Hardに落としてやる。そして、デザインが決まった。形が決まった。形が決まったものから連想されるイメージワードをカラーポジションに落とす。この4つの最大公約ポジションが地域の風土文化とハーモニーするカラーポジションになるということです。4つの最大公約カラーポジションなのです。そうすると、2つのところに落ちつく。2つのところに落ちついたものを、今度はその中でカラーコーディネートしてやる。これが第1案。ピア、高欄、桁、ゲート、シリンダ、管理棟、中でコーディネートしてやる。これが第1原案。
 第2原案。この2つのどちらでも風土とハーモニーします。どちらをとってもいいです。このようにして形と色が決まった。形あるものです。形あるものだけではない。形ないものが大切です。形ないものは何か。その代表が名前です。人間の名前はパーソナルです。公共構造物の名前はロングでパブリックです。そこで、名前がいかに大切か。商品は名前1つで大儲けする。ビール戦争がそうです。アサヒの「スーパードライショック」というのがあります。これで売れ行きのシェアが一遍で変わってしまった。
 「通勤快足」という靴下が大ヒットする。「フレッシュライズ」という名前で10何年間売っておったけれども、全然売れなかった。「通勤快足」と名前を変えた途端に大儲けする。これは名前1つです。
 商品の名前だけではありません。例えば、駅の名前、「○○温泉駅」と名前を変えた途端にお客さんが増えてくるのです。自動車のナンバー。同じベンツでも、品川ナンバーのベンツだったら、30万円高く売れる。そんなアホなことはあるか、同じじゃないかと思うのですが、違う。
 土木構造物の名前で有名なのが、幸福駅。愛国駅から幸福駅の切符が、廃線になってからもう20年たつ。いまだに年間50万の人が現地へ行って、乗らない切符、1枚230円の切符を50万人が買う。億円の金が儲かる。50万の人を呼ぶのは大変です。名前だけで、列車もない、オンボロの駅が残っておるだけで50万の人がわざわざ買いにくる。20年前に去ったブームが今でも続いている名前がある。
 要するに、土木施設も名前なのです。土木施設の名前は重要です。名前は何か。しょうもない名前、成長する名前と成長しない名前、発展する名前。しょうもない名前は発展しません。良い名前はどんどん成長していきます。どこまで成長するのか。いい名前はどんどん成長していく。
 例えば、信州のみどり湖、蓼科湖、女神湖、白樺湖、これらは元々みんな○○温水溜池と名がついていた農業用のダム湖でした。現地へ行きますとわかります。名前を変えて成功した。これらは10数年前に良いイメージとなるように名前を変えたのです。元々は農業用の○○温水溜池という名前でした。それを白樺湖、女神湖と良いイメージを形成するよう名前を改名した。それによってそのようなイメージが形成されてきました。現地へ行きますとただの農業用溜池でしかない。このように言えば現地の人に怒られるかもしれません。農業用○○温水溜池の名前だったら、誰も行かなかった。現地へ行ったら、やっぱり農業用溜池でしかない。しかし、そんなものは誰も期待しない。女神湖という名前のイメージで行くんです。イメージだけを求めている。「あれが女神湖。あそこから美しく見える山が女神の山、蓼科山。そこから見える荒々しい山が男神の山、浅間山」、そういうことで、女神の山と男神の山で昔物語、民話があるのです。その女神の山が湖に映る。そのようなことで女神湖だ。このような命名の由来が大切です。
 自分の子供に「悪魔」と名前をつけようという親がおった。「悪魔」とつけたらダメです。やはり名前はいい名前をつけないといけない。どうするのか。同じです。まず3超越4要素から集めてくる。それを発想転換の7チェックリストでどんどん展開していく。あと美の構成3定理、ハーモニー、コントラスト、アイデンティティーによりチェックしていく。あとは意思決定満足化原理と、感性評価法で絞り込んでいく。
 土木構造はできた。地元の小学校と中学校で名前を公募すると言っている。それはよくない。親が子供に伝えるのが文化です。今の小学生、中学生はパソコンやコンピューターはうまい。地域の風土文化、歴史などは余り勉強していないのではないか。学校も教えてない。地域に残る鎮守の社の意味を深く教えていないのではないでしょうか。何が自慢だ。親から孫、末代に地域の文化を残していくのが親の仕事です。文化は親が子供に伝えるのです。

 〔OHP:土木施設命名のシード〕
 そこで、私の言うのは、徹底的に風土、文化を知ろうではないか。名前をつけようと思ったら、その地域のことを一番深く勉強しなければいかぬ。徹底して地域のことを勉強しようじゃないか。命名の種は山ほどある。その山ほどあるものを全部しらみつぶしで調べよう。要するに命名のシーズを調べ上げる。風土の構造3超越4要素からシステマティックに行う。
 「歴史的風土(空間軸資産)」地名、河川名、近傍自然地名、近傍自然物名、社会施設名、「風土的歴史(時間軸資産)」時代性、人物事件、時代背景、歴史地名、故事来歴、「社会的存在」「物理的存在」本来機能、施設の形状、形、「そのものへの期待」用、強、美。考えられるキーワードを全部集めてこよう。集めていって、徹底的に組み合わせよう。発想転換しよう。どうするのか。コンピューターはこんなのは人間より得意です。親が子供に名前をつけるときは、途中で妥協します。「こんなもんでいいやろ」。これは満足化原理による意志決定です。そうではなくて、自分の子供よりもっと大きい地域の名前なのですから、簡単に満足化してもらったら困る。徹底的に分析して一番いい名前をつける。
 まず一番最初にシーズを集めてきたものを徹底的に変化させてみよう。字体、読み方。そして拡大してみよう。美辞添加、より広い概念。そして縮小してみよう。頭字削除、中字削除、尾字削除、より狭い概念。代用してみよう。用を例える、強を例える、美を例える、自然風土に例える、歴史事象に例える、言葉概念を例える、全部徹底的にやる。そして、今度は組み合わせを行う。社会地名、自然地名、歴史地名、故事来歴、時代、人物、祈願。そして逆転してみよう。文字順序の逆転、イメージの逆転、ダム名とダム湖の逆転、組み合わせの逆転。アレンジしてみよう。位置関係のアレンジ、時間関係のアレンジ、概念のアレンジ。考えられることを全部やった。これはコンピューターなら放っておいてもいくらでもやってくれる。人間だったら、酒でも飲んで途中で嫌になってしまうのですが、コンピューターはやれといったら、皆ちゃんと徹底的にやってくれる。
 やったものが無限大とは言わないまでも多く出てきた。出てきたものを今度は、全部美が形成するかどうかのチェックをする。命令したら、勝手に振り落としてくれる。要するに、能動の調和、サウンドの響き、読みやすさ、書きやすさ。受動の調和、空間軸風土とのなじみ、時間軸風土とのなじみ、社会軸風土とのなじみ。これがハーモニー、コントラストのチェックです。
 そして今度はアイデンティティーの検証です。能動のアイデンティティーAIDMAの定理です。アテンションが形成されるかどうか、インタレストが形成されているかどうか、メモリーが形成されているかどうか、デザイアが形成されているかどうか、アクションが形成されているかどうかをチェックする。受動のアイデンティティー。他との識別、同じものがあるかないか。全部チェックしていく。それらのものを全部検証していく。そして、あとはそれらを全部チェックリストスコア表をつくることによって評価する。答えは1つじゃありません。誰がやっても同じじゃありません。たくさんやればやるほど、地域を知れば知るほどいい名前になります。
 そのうちの1つパートをコンピューターでやってみましょう。要するに、サウンドの響き、例えば「富士山」という言葉の概念は意味が出てまいります。意味のない概念、例えばサウンドの響きだけでも物すごくイメージがわきます。それをやってみる。
 言葉はどうやって出てくるか。言葉は歯茎、舌、喉、声帯、このアイテムカテゴリーが全部です。まず音声。両唇音か歯茎音か、口蓋音か、声門音か、鼻音か、閉鎖音か、摩擦音か、接近音か、破擦音か、流音か。全部アイテムカテゴリーにずっと挙げていくのです。調音はどこで見るか。歯茎か、口蓋か、声門か。調音種でも、鼻音、閉鎖音、破擦音、摩擦音、接近音、流音。それから、母音では。
 こういうアイテムカテゴリーに分けたものを感性評価するのです。20の感性形容詞軸で評価します。これを数量化理論で分析します。それをファジー積分理論で評価します。そうすると、意味のない言葉が全部数字で評価することができます。
 例えば、これは私がかつて現場でつけた名前ですが、「まなひめ湖」とつけた。「まなひめ」というサウンドのイメージ。言葉のイメージは関係ないです。サウンドのイメージだけです。そうすると、シンプルで、素朴で、かわいくて、単調で、女性的で、力強くない、こういうイメージが全部数字で出てくる。
 先ほどの堰は「鳴鹿」とつけました。印象に残り、美しくて、素朴で、柔らかくて、ユニークで、シンプルで、個性的でなかなかいいのではないかということで、名前をつけた。こういうことでソフトなもの、形のないものが重要です。形と色と名前が設計されました。




5.私の風土論

 風土工学とはどういうことか。今までの利便性工学は、理知技術なのです。1足す1は2ではない。1より大きいそうだ。ひょっとしたら3かもわからぬ、4かもわからぬ。これが感性です。男性が女性に惚れるもの、理性で惚れているのではない。感性で惚れているのです。惚れるのも、人間の嗜好も感性なわけです。要するに、人間の感性とマッチする接点を注視する工学が感性工学です。人間の動作感覚はディジタルではないのです。ハンドルのさばきをするのも、「よし、今度の「カーブは急だ!刻々の感覚と判断でハンドルをさばく。こんな感じだ」。人間の動作感覚はアナログです。その接点を抽出した工学が人間工学です。風土工学は何か。利便国土形成、安心国土形成を目指す理知技術である土木工学に地域の誇りとしての個性を付加する工学です。
 目的関数が違うのです。従来の工学は何か。利便工学です。要するに、機能の実現、橋は渡れるという機能がなければならないのです。東京と大阪は1時間でも早く行きたいのです。利便性。全部経済効果です。コストベネフィットなのです。機能が実現すれば、効果を発揮します。機能の実現の時間軸積分が経済効果です。コストベネフィットによる評価だったのです。
 ところが、人間工学とか感性工学は違うのです。はさみは切れるという機能を持っていることは当たり前なのです。服は温かくなければダメだ。更に格好も良くなければダメだ。しかし、あの人と同じ服では嫌だ。現在はそのようなところに価値を見出しているわけです。要するに感性評価です。その時々の機能は実現しないといけない。更にその時々で使い勝手の良さが良くなければならない。その使い勝手の良さの時間軸積分なのです。目的関数は経済効果ではないのです。使い心地の形成なのです。
 人間工学と感性工学の目的関数は、コストベネフィットではないです。高くても、自分だけの誇り意識を持っている服だったら買うのです。使い心地の形成が目的関数なのです。
 風土工学の目的関数はコストベネフィットではないです。機能の実現、橋は渡られないといかぬ。ダムは水を溜めなければいかぬ。鉄道はちゃんと安全に走らなければいかぬ。機能の実現は前提条件なのです。それにその土木施設へ導入された誇り得る個性化への設計意図の度合いと、それを感じ取る人の感じ取る深さの度合い、3つの掛け算の時間軸積分が目的関数です。目的関数は、良好風土の形成です。
 風土工学とはどういうことか。あなたの町に大変素晴らしい風土資産がある。ないと思う心が地域をダメにしておる。あなたの村、町は、掘り起こせば宝の山だ。地域の誇りを作る心が地域愛。風土資産をなぜ活かさないのか。地域を光らせるのが感性と文化。感性を磨くもの、文化を耕すもの。風土資産の要が土木施設です。土木事業は地域おこしの最大の好機だ。地域の誇りを土木施設にデザインする。それが風土工学だ。
 名前は文化です。名前には様々な意義が隠されている。仕分け、分類、命名は学問のはじまり。名前には命名者の意図が織り込まれている。名前は最小最短のポエムだ。名とは、「夕べに口ずさむ」と書くのです。尊厳のメッセージです。名前を使うことにより、命名者の意図が伝達されるのです。地名には計り知れない資産価値がある。名前はワッペン、高付加価値なのです。名前ひとつで大儲けするのです。
 「トマト効果」というのは、岡山が本店の山陽相互銀行が「トマト銀行」と名前を変えただけで、60数番目の東京支店が1日にして1.7年分の預金高を獲得した。感性にマッチしたのです。トマト効果にあやかりたい。
 「地図に残る仕事が土木」ではなく、地図に名をつける仕事だ。こっちの方がもっと大きい。成長し、出世する名前、成長しない名前、ふさわしい名前は実に難しい。古い名前には歴史に耐えてきた風格がある。新しく使われる名前は地域の夢を育てる。ネーミングにはこだわりが重要。統一したコンセプトにより命名で効果は100倍する。土木施設のネーミングデザイン、それがソフトの風土工学です。価値観の多様化の時代、実は大変難しいのです。
 命名するということはどういうことか。命名の心とは何か。名づけることによって世界が人間にとっての世界になる。人間は名前によって連続体としての世界に切れ目をつけ、対象を区切り、相互に分類することを通じて事物を生成させる。そして、それぞれの名前を組織化することによって事象を了解する。
 ある事物について名前を得ることは、その存在についての認識の獲得それ自体を意味する。名前の体系は、人間とその物との間に数限りなく繰り返されるであろう試練を含む交渉を背負っているのである。それは「生きられる」空間がつくられるということである。名づけるとは、物事を創造または生成させる行為そのものである。
 形をつくるとはどういうことか。
 大自然が永年の時間でつくった風土の景観には、深い深い趣が隠されている。地域の持つ高い風土資産の発掘と評価が風土工学の始まり。景観設計にはこだわりが重要。統一したコンセプトにより景観設計の効果は100倍する。新しいコンセプトによる景観設計は地域の夢を育てる。その地の風土に馴じむもの、それが風土工学だ。その地の風土にふさわしい新しいコンセプトは、実は大変難しい。価値観が多様化しておる。それを支援するのが風土工学。
 ユニティー、統一の原理による秩序の美演出。それがデザインコンセプトの美の始まり。風土とハーモニーし、コントラストし、そして風土の中にアイデンティティーを見出す。それが風土工学、美の3定理です。型枠でつくられた土木構造物の「かた」に「いのち」の「ち」を吹き込み、「血」の通う「かたち」をつくる。それが風土工学です。カラーという道具を使い、「いろ」という思いを入れ、風土とのハーモニーを演出する。それが風土工学。秩序の美の中で個の主張、ローカル・アイデンティティの演出。それが「風土工学」。
 風土工学とはどういうことか。要するに、一見無秩序で意味が隠されている社会に秩序を発見してやる。価値を発見してやる。そして価値高い、生産性ある、秩序ある社会をつくってやる。隠されているものもない本当に無意味な社会はどうするのか。無意味な社会の場合は、いい価値をつくってやる。意義ある、極めて価値ある世界をつくってやる。それをすることは、目を向ける対象、アテンションの対象から興味を引く対象、インタレストの対象にする。そして、欲望を起こさせる対象、ディザイアーの対象。そして、行動を起こさせる対象、アクションの対象。
 AIDMAの定理、アテンション、インタレスト、メモリー、ディザイアー、アクションが大切であろう。要するに、価値、秩序と意義を見つけ出す好奇心、意味があるように思えてくる能力をフル回転するものづくりをしようじゃないかということです。
 先ほどの「かたち」をつくるとはどういうことか。心備わるものづくりに形づくりの心とは何か。「かり(仮)」に「た」をつければ「かた(型)」になる。「かた(型)」に心を放り込めば「かたち(形)」になる。これがアウトからインのアプローチです。そうではない。「ち」、すなわち「心」に「た」をつければ「たち(質)」になる。性質ができる。性質ができたら、服を着せてやる。外見「か」をつける。そうすると形ができる。インからアウトのアプローチになる。私がいっているのは、心すなわち内から外をつくる。どういうことか。
 形とは何か。「かた」と「ち」です。「かた」とは何か。事があったという残り。それがあったと知れる印、跡形。占いの際にあらわれる印。うらかた。貸した印としてとったもの、抵当。型をつくり出すものとなる鋳型、紙型。全て虚ろなのです。中身が空っぽなのです。その空っぽなところに「ち」とは何か。古代から自然に潜む霊的な力。土地の「ち」とは、大地の神。「いかづち」とは雷の神様。「おろち」とは蛇の神様。目に見えぬ生命力の働き、血がつながっている。命の「ち」、力の「ち」です。型枠でつくられた土木構造物に「命」の「ち」を吹き込み、血の通う形をつくる。そうすると、「値打ち」の「ち」が備わってくるのです。
 カラーデザインではないです。色彩、色も設計対象です。英語の「カラー」という概念は、形あるものに備わっている知覚の対象です。色はカラーではないです。漢字の「色」は、巴の上に人間が重なっているのです。巴も人間です。人間が上と下に重なっている。2人の人間が上下で重なり合っている。大和言葉で「いろ」という漢字の「色」と同じなのです。恋する対象が「いろも」、尊敬する対象は「いろせ」「いろね」なのです。情け、思いの移入です。声に色があるとは、既に美しさが誕生しているのです。カラーという道具を使い、情けの思いを移入すると美しさが誕生する。
 命名の心、ネーミングデザインではないです。「name」は性悪説です、。単数の「name」は「評判」という言葉があります。「a good name」は名声、「a bad name」は悪名、単数の「ネーム」には良し悪しの概念はない。しかし、複数の「names」となれば、悪口ということになる。しかし、日本語の「名」は違う。「名」は同じく評判の意味がある。しかし、名山、名士、名人、名は最高の評価です。夕に口ずさむ尊厳のイメージです。名前に命の移入、命名者の意図を放り込めば、尊厳の誕生です。名前の使用によって意図が伝達する。夢が成長し、風格が備わってくる。
 風土とは何か。五感で感受し、六感で磨き、その深さを増す内に秘めたる地域の個性、地域の誇り、それが風土である。そこに住む人々の深い思い、思いの度合いに応じ答えてくれ、他の地の者が違いを認知すれば、より光る地域の個性、それが風土である。地域の人々の心を豊かに育み、その地の文化の花を咲かせてくれる。鳳のはばたき、それが風土である。悠久の時の流れで形成され、自己の存在を認識させてくれる外界、自己了解のもと、自己の自由なる形成に向かわせてくれる外界、それが風土である。そこで住む人々とその地が発し、人々の感性を揺り動かす、そこはかとなく漂うほのかなゆかしい波動、それが風土である。

 〔OHP:風土五訓〕
 風土工学とはどういうことか。今までの土木、建築、形をつくるものはどういうことか。設計対象は構造物です。柱であり、梁であり、壁であり、基礎が設計対象だった。設計の目的関数は、丈夫で長持ちで機能が実現された。社会に役立つ。風土工学の目的が対象とするものは、土木構造物は当然。土木構造物及びそれを取り巻く風土、意味空間。イメージです。心象風土です。風土工学設計の目的関数は、先ほど申しました。用と強の具備されたものに美を追求する。風土と調和し、風土を活かし、地域を活かす、個性豊かな地域、良好風土の形成が目的関数です。工学として物をつくる限り、図面がなかったらできない。大工さんに図面を渡し、左官屋さんに図面を渡したら、その通りつくってくれる。図面ができたら、その通りできる。
 土木構造物の図面は何か。設計図書です。平面図、立体図、横断図、側面図、配筋図、配合表、仕様書、それに当たるもの、風土工学では何か。やはり構造図です。要するに、地域の誇りの構造です。風土における土木施設、存在の構造図、それが美を形成するという構造図、アイデンティティーを形成するという構造図、それに基づき構造物をつくったらそのような意味が構築されたのです。設計するには、力学、計算が必要である。用と強をつくるためには、ニュートン力学です。流体力学、弾性力学、遡性力学、こういうものを使って用と強をつくってきた。これはそのとおり必要です。
 それに今度は「心」を付加するのです。要するに、心と脳の科学です。イメージ分析、感性分析、認知分析、認知科学の手法です。構築する材料は何か。今までの用と強は何か。コンクリートです。土砂、岩石、鉄、金属、セラミックです。風土工学はそうやってつくる用と強に更にハードなものとして、姿、形、色彩、素材、テキスチャ、模様を考えます。ソフトなものとして、名前、コンセプト、意味、歌、儀式、物語、イメージ等々、それを付加してやる。
 物をつくるとき、例えば、人の道、対人の認識、人格が備わっている人間であるとの認識に立てば、相手に対する作法はおのずから正しい作法となるのです。真心が伝わるのです。茶道、剣道、柔道、武道、何でも同じです。
 例えば、茶道。お茶の中に心が入っていると思う認識に立てば、「○○流」という作法、型をとれば、おのずから心が入ってくる。柔の受け身の型をとれば、柔の心がわかるのです。ものづくりに入れる心とは、物の中に心があり、美が備わっているという魅力あるものであるという認識に立ち、美の検証というプロセスを踏む作法をとれば、おのずから心入れず心入れることになるのです。
 どういうことか。風土工学にはものづくりに基本の4原理がある。第1原理、土木施設の存在が生きている人間と同様と見なす。土木施設の存在の風土の構造=人間の存在の風土の構造。3超越4要素の原理が成り立つのが風土工学の第1原理です。
 第2原理。形あるものづくりとは、有形な形、色彩、素材、模様、エトセトラと、無形なる名前やイメージ、エトセトラからなる。名は体を表す。名前と姿形は一体なのです。分けたらダメです。これが第2原理。
 第3原理は何か。土木施設、ものづくりの秩序の美の演出がユニティー、統一の原理であり、それがデザインコンセプト。トータルデザインコンセプトである。デザインコンセプトがユニティー統一の原理である。これが第3基本原理。
 第4基本原理とは何か。土木施設の存在、姿形、名前、イメージが風土となじみ、美を形成するとすれば、美の構成3定理が成り立つ。これが第4基本原理です。
 作法とは何か。風土工学、ものづくり、基本4フェイズ、4プロセスなのです。デザインコンセプトの創出です。土木施設が地域の誇り意識を形成するとすれば、どのような物語になるか、物語化、意味なのです。
 第2プロセス、ハードのデザインネック、解析アプローチからの基本形とソフトのデザインコンセプトのブレイクダウンによる構造及びイメージをすりあわせたクロスチェックです。これが第2プロセスです。
 第3プロセスとは何か。美の構成の検証だ。風土における存在、3超越4要素とユニティー、美の構成3定理とのクロスチェックです。これが第3プロセス。
 第4プロセスとは何か。感性評価による意思決定支援です。デザイン展開され、美の構成の検証を受けた個性化原理に基づく素案の絞り込みです。
 風土工学、ものづくりの構造はこういう構造をしています。人間存在、個人的主体性、社会的主体性、歴史的風土、風土的歴史の結晶化したものが志向的理想的風土における人間像です。その人間の存在が、土木施設の存在、土木施設の機能効用、現実と、土木施設の期待、願望、土木施設の存在の歴史的風土、土木施設の存在の風土的歴史、その土木施設に人間存在の意図を導入してやるのです。意図を導入してやることによって、その結晶化したものが良好風土形成に資する土木施設になるわけです。こういう構造をしているのです。
 デザインとは何か。デザイン(Design)は、「De」と「Sign」です。「De」とは何か。Departure、遠ざかるという意味です。「Sign」とは何か。神の意図です。神の意図にはおのずから美が備わっている。美の備わっているものから遠ざかれば、どんどん美から遠ざかるのです。デザインすれば、どんどん美から遠ざかっていく。
 技術とは何か。「技」はわざです。「術」はすべです。「わざ」には3つあります。手を巧みに使うものは技術の「技」です。「藝術」の「藝」は、種を植えつけるという字です。「芸術」の「芸」は、草を刈り取る、除去する、芽を摘むという意味です。「術」はすべです。
 どういうことか。デザインとは、心を入れず物をつくる術です。芸術とは、芸術にあらず芸術です。未来への成育する種を摘み取るということです。芸術すれば、どんどん種を摘み取っていくのです。美から遠ざかっていくのです。ところが、藝術は違う。人間の精神的よい種を育むという逆の意味です。技術と藝術はもともと同じだった。特に手を巧みに用いる術が技術だったのです。ニュートン、デカルトの科学分析、再現性、検証性、心を入れず物をつくる術に変わっていったのです。芸術と技術が離れていったわけです。
 それで風土工学とは何か。心を入れず物をつくる術、デザインに脳と心の科学をプラスすることによって、心を入れずして心を入れる心、良好風土に資するよい種を植えつけて物をつくるすべてということです。
 ものづくりの技と術、技術と藝術はもともと一緒でした。ニュートン、デカルトの科学、分析、再現の検証性をすることによって藝術と技術が分かれていったのです。その技術は、科学が発達してきました。脳と心の科学の方はできてきた。認知科学の方法論ができてきた。技術が物質文化をつくった。藝術は分かれていった。芸術をやれば、もどきの文化はつくられてきた。藝術いい種を植えれば、真の文化がつくられてきた。脳と心の科学の方法論を使い分けて、2つ分かれたものをもう一回くっつけることができる。技術と藝術をくっつけることができるようになってきた。こういうことです。
 風土工学とは、こういうことです。要するに地誌、歴史、文化を徹底的に知ろうじゃないか。哲学、美学を徹底的にやる。心理学、風土分析、心の科学に近い。そして、コンピューターを使わざるを得ない。当然土木を中心に立場を考えぬといかぬ。要するに、これを風土工学六学といっています。
 最近こんな学会があることを知りました。文理シナジー学会です。21世紀のパラダイムの構築と産業シーズの創生に向けて。要するに、文科と理科が分かれてしまった。もともと一緒だったのに、何で分かれたのか。分かれたら分かれたでは仕方ない。今一緒になることが求められている。どうしたら一緒になるのか。文科と理科と合一することを目的とする学会ができた。
 そこでは何をやるか。まず、科学技術に付随してくる文科系の問題がある。文科系の思考方法の理科系への適用。例えば、アートのコンピューターへの導入、技術社会、高度情報化社会における諸問題、インターネット、マルチメディアの新しい展開と社会的、心理的問題、ヒューマンテクノロジー、地球科学、食糧、人口、生命、医療等、人間に直接かかわる技術における学際的問題。脳と心、意識と神経、人工知能との関連、感性工学、人間の心や感性を考慮した設計、生産。
 そして、文科系の問題で理科系の考えが必要なもの。理科系の思考法の人文諸科学の適用、複雑系の問題、遊び空間、テーマパークなどの創成と遊びの技術。
 社会全体にかかわる問題。科学技術者のアカウンタビリティー、ヒューマンリソース、文理のわかる人材育成の問題、シナジー教育、創造性、開発技術、高齢者の問題、生きがいの産業、科学技術、社会生活にかかわる総合的な意味合い。シナジーとは。合わせることによって、1足す1が2以上になる。3にも4にも100にもなるじゃないかということの学会の活動が始まったということです。
 以上、1時間半ということで、時間になりましたので、一応これで終わらせてください。御静聴ありがとうございました。(拍手)




フリーディスカッション

司会(谷口)
 
どうもありがとうございました。
 今日はいつもよりお話がやや理論的だったのではないかと思いますが、新しいデザイン手法を御提唱いただいたような気がしているわけです。今のお話にどうぞご自由に御質問、御意見等があったら、承りたいと思います。

御舩((財)多摩都市交通施設公社)
 大変興味深い、また密度の高いお話をありがとうございました。今まちづくりの仕事をしております財団法人多摩都市交通施設公社の御舩と申します。
 風土工学というお話を初めて伺ったので、大変初歩的なことをお尋ねして申し訳ございませんけれども、1つは、先ほどハードとソフトということで、ハードは姿形、色彩、素材、テキスチャ、ソフトは名前と歌、儀式などがあるという御説明をしてくださったのですけれども、物をつくるということをずっと仕事にしてまいりました。
 今ハードとソフトというふうにお分けになっておられることについて、まずハードをつくって、例えば姿形、色彩、素材、テキスチャなどをつくって、それをもとにして名前とか方法ということですが、ある意味では、ハードを先にしてソフトを後からつけていくということで考えていってよろしいのか、あるいは、風土工学という観点からすると、それもハードもソフトも何かある方法で、同時に進行させると考えたらいいのか、その辺のことをもう少し補足していただければと思います。それが第1点。
 第2点は、たまたま薬師寺の高田好胤さんが無くなられたということを連想しながら考えていたことですけれども、景観10年、風景100年、風土1000年というお話が最初にございました。実際に景観10年、風景100年、風土1000年といったことから考えると、例えば、薬師寺が私どもがこれまで見ていたのは、東塔だけで、西塔はかつてあったということだけで長年見てきた。そういうところに、ある意味では、1000年以上前の姿をもとにして、色も形も再現する。今既に西塔と東塔が並んで建っているわけですけれども、そういったものをつくる。例えば、具体的に薬師寺の西塔を再現ということを今の風土工学の観点から言うと、どういうふうに評価できるのか、あるいはできないのか。先ほど九頭竜川の堰のところでケーススタディーとしてお話くださいましたので、例えば薬師寺の西塔再建が風土工学で建てると評価できるのかということで、ケーススタディーとして御説明をいただければ大変ありがたいと思います。そんな2つのことをお話を伺いながら考えておりましたので、お願いしたいと思います。

竹林先生
 1点目のソフトが先か、ハードが先かという議論でございますが、途中で御説明申しましたように、物事をつくるということは、初めから表裏一体としてつくるということが基本であると思うのです。表裏一体としてつくる。形あるものと形ないものは分けてつくるから、分けた価値しか形成されない。一緒につくる。元来ものづくりとはそうやってつくってきたのです。今たまたま形づくりが先行してきているものに後からソフトなものを取り込むこともできますし、勿論、反対もできます。方法論としては以下ようにもなる。基本としては、一緒につくった方がいいと言うことだろうと思います。
 2点目の、今薬師寺のお話がございました。私が言うのは、どうして薬師寺を再建したのでしょうか。西塔は昔あった、もう一度再建しようという意図がどうしてできたのでしょうか。あれは景観じゃなかったからです。東塔と西塔というペアで意味がつくられている。意味があったので再建しようということになった。意味空間が設計されていたからです。例えば、京都の町は何であんな町になったのか。あれは日本の都として中国の西安の都に負けないぐらい立派な町をまねてでもいい、つくろうじゃないかというコンセプトでつくったから、ああいう都市がつくられた。
 私は20数年前に現場の課長業をやっていたときに、ダムの名前を「まなひめ湖」とつけた。どうしてつけたか。地域の長者の娘がまなひめ淵に身投げした。干害や洪水の苦しみから地域の人々を救うためにいけにえになって身を淵に沈めた。その物語で伝えようとしている心が、このダムをつくる目的そのものじゃないかということで、「まなひめ湖」とつけた。つけて誰も気づかなかった。そのうちダム湖名は国土地理院の地図に記されてくる。ダムの名前よりも大きく記載されている。時間がたつ。10数年たった。そうすると、地域の人が「ちょっと待てよ。まなひめ湖って何のことだろう」。調べてみたら、地域の人が忘れていた地域の伝説があることがわかった。民話伝説に出てくる姫様の名前だとわかった。「素晴らしい。心豊かな話じゃないか。まなひめの銅像をつくろうじゃないか。まなひめ音頭をつくろうじゃないか。まなひめ小唄をつくろうじゃないか。まなひめ公園をつくろうじゃないか」と言って地域興しが始まった。「まなひめ湖」と命名し、そのような地域興しが始まった。命名しなかったらそのような地域おこしは出現してこなかった。
 今の薬師寺も同じだ。何で再現するんですか。そういうものがあったということがなければ、つくらなかった。それが風土です。景観としてつくった意味のないものは誰もつくろうとしない。意味があったからつくった。例えば、関西だったら、吉野山の桜、下千本も中千本も奥千本も、あれは日本一の桜の名所にしようじゃないかというてこれまで先人が植えたから、大きくなって桜の名所になったのです。先人の意図です。薬師寺の西塔、東塔も一緒です。あれは西塔と東塔があって、地域のみんなの心を救おうとして先賢の意図で薬師寺が建設されたのです。そういう意図があったのです。意図に気づいたから再建することになったのです。意図がなければ、意味がないものを誰もつくらない。今景観設計で何をつくっているか。意味なしに格好だけ追う。格好は追求するものではない。本物を追求する。同じことだと思うんです。
 こんなことでいいでしょうか。

長塚(弁護士)
 弁護士の長塚です。非常に貴重な御意見を拝聴させていただきまして、ありがとうございました。
 ちょっとお聞きしたいのですが、例えば、風土工学の先ほどの中に出てきました命名なんていう言葉です。幸福なんていう広いものの場合はいいのですが、表音的なものですね。そういう場合には、地域性が出てくると思うんです。したがって、その地域性の問題、それからいわゆる北海道と沖縄とは気候その他で感覚が違うと思うんです。したがって、大きいホテルなどは別にして、通常の建物を建築する場合の感覚というものが、美的感覚その他が少し違うんじゃないかという、いわゆる地域性の問題です。
 以上とは別にして、1点、例えば帝国ホテルの古い方が明治村に移設されていますが、結局東京のど真ん中にあって、周りの景観との関係で意味があるので、向こうの明治村へ行ったら、見学する人はよっぽどの建築のプロの人以外にいないんじゃないかと思うんです。その2点をお願いしたい。
 

竹林先生 
 1点目の沖縄と北海道と考えていることが違うんじゃないかというのは、そのとおりだと思います。私の方法論もおのずから違ってくると思うんです。沖縄の風土に馴じむものと北海道の風土に馴じむもの、私のコンセプトでは全然違うことを言っています。その地域の人間の心象風土をつくるのですから、その地域の人間の心で考えていることを分析してつくるのですから、当然違ってきます。
 それから、言葉で話したとしたら、言葉で意味ある言葉と意味ない言葉。意味あることは意味があります。意味ない言葉は意味がないです。意味ない言葉でも、サウンドの響きはあります。例えば、「アンアン」という女性週刊誌がある。「アンアン」ということには何の意味もありません。しかし「アンアン」というサウンドの響きのイメージはあります。そういうのは分析できます。意味は意味があります。意味のないのは意味がありません。そのとおりです。
 それから、東京の帝国ホテルを明治村につくったら、何の意味もないか。それは明治村に移ったということで、明治村のああいうところで明治の遺産を残そうという意味があるんじゃないでしょうか。あれは残すために残したんじゃないでしょうか。私は残すことも大事だけれども、積極的にいいものをつくっていこうじゃないか。そのときに私のこういう方法論を駆使することによりそういうものを設計することができますよということです。
 今日は1時間半でいろいろしゃべりましたので、わかりにくかったかもしれませんが、私の『風土工学序説』(ビジネス社)という本には相当詳しく書いていますので、ぜひ読んでいただければありがたいと思っています。
 〔OHP:風土工学序説〕

司会(谷口)
 私の方から質問させていただきます。
 今の風土工学の前半の方のお話は、我々が経験的あるいは感覚的にやっていたことをある程度きちっと理論化して、定量化してデザインしようということだと理解して、大変おもしろいと思ったのですが、最終的に先ほどの福井の堰の問題でもいいのですけれども、できたてのものを誰がどう評価するかというあたりの話がちょっとお聞きできなかったのですけれども、結果として地域の誇りになり、そういうものが表現されているかどうかという検証とか評価はどんなふうに考えたらよろしいのでしょうか。

竹林先生
 
先ほどの評価関数です。橋の場合、機能の実現というのは、渡ることができるようになり、物が動くことにより経済効果が上がりそれを評価する。ところが、誇り意識というのは、どんなに素晴らしいものをつくっても、価値を認めぬ者にとっては価値はないです。文化というのはそういうものです。物すごく素晴らしい宝物も、ネコに小判ということがあります。「能」や伝統芸能を分かろうとしない者にはその価値は分かりません。わからぬ者には価値がないのが文化です。みんなにわかるものとすれば機能だけのコストベネフィットのみの文化になる。素晴らしい芸術品も、その芸術のことを理解しようとしない者にとっては何の価値もありません。犬にとってもネコにとっても価値がないです。そういうものをわかる者はわかる。みんながわかれば価値が上がります。多くの人に価値を分かってもらえば価値は上がってきます。
 機能の実現の効果はこれまでの経済評価の手法で評価できます。経済効果のみを追求し、コストベネフィットのみを言えばそれだけの薄っぺらな社会になってくるのです。昔から高い文化は高い文化を作ろうという意図でもってつくられてきたのです。今コストベネフィットの評価軸でもって、機能の効率化のみを追求すれば、それだけの社会になっていく。質の高い文化はそこからは形成されない。わかる者はわかる。文化をわかろうとすれば、感性を磨き、質の高い文化をわかるためには一生懸命教養を高めなければなりません。感性を磨き、教養を高めた人間には文化の質の差が理解できます。理解しようとしない者にはいつまでたっても分からないのが文化かもわかりません。分かる人が増えれば価値ば出てくる。こういう深い意味があるんですよということを知らせて、わかる人間が増えればより価値が出てきます。だから、そういう意図がありますよということはやっぱり広く知らせなければならない。何が価値が高いか啓蒙しなければ理解してもらえない。

阿津澤((財)埼玉総合研究機構)
 埼玉総合研究機構の阿津澤と申します。
 今の先生のお話を聞いて思ったのですが、京都ではフランス橋をつくるということで、京都の景観にそぐわないとか、あるいは機能的には十分いいものだからつくろうとか、いろんな意見があるんですが、先生は京都にフランス橋をつくるということについて、どのように思われますか。

竹林先生
 私、京都のフランス橋の話はどんな話かよくわからないので、コメントのしようがないのですが、基本的には今言ったように、意味のあるものは意味があり、意味のないものは意味が出てこない。コストベネフィットのことだけしか考えぬ人間には、コストベネフィットのことしかわからない。そういうことだと思います。逆にフランス橋の話は、どんな中身のことか私は知らないので、コメントができないのですが、私の風土工学の理論でもって、いろいろ分析して評価していけば、総括的なバランスのとれた説得性のある評価ができます。そういうことかと思うのです。
 昨今の風潮では、つぶすことだけに意義を感じる者は、つくることの意味がわからないでしょう。つぶすのは誰でもできます。つくるのは大変です。土木も建築もつくる仕事をやっています。つくることの意味がわかれば、意味が出てきます。

阿津澤((財)埼玉総合研究機構)
 
そうしますと、一番最初の方に、地域のアイデンティティーとか地域の心をつくるというお話がございましたけれども、今のお話ですと、地元住民が地域のアイデンティティーとか地域の心はどう考えるのかなと思うのですが。
 

竹林先生
 
例えば、「あなたはどこどこの町出身、あなたの町のローカル・アイデンティティは何ですか」と言ったら、誰も一瞬はたと困り、よう答えません。「私は○○の町長をもう何期やっている。この町のことは私が一番よう知っている。」そういわれる町長さんがその町の大変な風土資産の価値に気づいていない場合が応々にある。どうしてか。地域の誇りを評価しようとしていないからです。徹底的に調べていくとわかります。そうすれば、行動意欲が出てきます。深く知れば知るほど良いのです。知らなければ何も始まりません。知れば、誇り意識が出てきます。自分のところの町がどんなに素晴らしいか分かれば、誇り意識ができます。自分のところの町がしょうもないと思えば、誇り意識は出てきません。まず地域の誇りを掘り起こすことです。掘り起こして、誇り意識を持つことです。そこまで徹底的に調べる。発掘する。本当に何もなければつくるのです。
 例えば、アメリカ合衆国。あそこは歴史がない国です。歴史がないということは文化的にはかわいそうな国です。人種の“るつぼ”です、質の高い豊かな歴史文化に恵まれた日本と違ってナショナル・アイデンティティーがなかなか形成されません。世界で一番工夫が必要な国です。寄せ集まりの文化。何もしなければ国民的アイデンティティーがないのです。どうするか。何をするか。何でも良いから、世界一のものをつくるのです。世界一をつくることによって、アメリカは何でも世界一と言ってアイデンティティーをつくってきたのです。ないからつくるのです。なければつくるのです。そうしたらできてくるのです。先ほどの吉野の桜だって、日本一の桜の名所にしようと先人が植えたから、そういうものができてきたのです。我が国はどのような地域にも先人の大変な思いの歴史があります。自然風土も大変美しいです。大抵は、いや必ずあります。日本は北海道から沖縄まで大変な歴史的遺産があります。先祖の誇りが先祖の深い思い入れがあります。今何が一番ないかといったら、地域愛、そしてその地その地に大変な風土遺産があるということの意識がない。先人への感謝の心を学校は教えない。親が教えないからです。信じられないぐらい素晴らしい風土文化があります。それを徹底的に掘り起こすのです。そうしたら誇り意識が形成されてきます。答えになったでしょうか。

司会(谷口)
  竹林先生の『風土工学序説』という本が技報堂出版から出版されています。先生の今日のお話は、先生御自身もお話がありましたけれども、この中に全てまとめられていると伺っております。冒頭に私、ちょっと紹介が中途半端になりましたけれども、新しい土木工学として風土工学の手法の確立とその普及啓発に対して、科学技術庁の長官賞を先生は受けていらっしゃるということと、先ほども申しましたが、年間最優秀博士論文賞として前田工学賞を受けておられることを御紹介しておきます。
 今日は竹林征三先生にお話を伺いました。どうもいろいろありがとうございました。(拍手)


back