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第207回都市経営フォーラム

旅する視点からみた、まちづくりのユニバーサルデザイン

講師:高萩 徳宗  氏

泣xルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツ

日付:2005年3月24日(木)
場所:後楽園会館

1.旅して見える、社会のバリア

2.弱者とはだれなのか

3.ユニバーサルデザインは誰を幸せにするのか

4.ユニバーサルデザインには、ビジネスセンスが大切

5.プロの仕事、まちづくりへの期待

フリーディスカッション



 

 

 

 

 

與謝野
 
それでは、時間が参りましたので、第207回目の都市経営フォーラムを始めさせていただきたいと思います。本日は、まちづくりに対する視点を一層幅広く持っていただくという趣旨もあって、まちづくりにおけるユニバーサルデザインの現実にスポットを当てる企画と致しました。障害者、高齢者の方々をサポートする、とりわけ、この方々の旅行を支援する現場で活躍しておられる視点からとらえたまちづくりに対する期待と現場の声等についてお聞きすることとしております。
 講師としてお招き致しましたのは、有限会社ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツ代表取締役であられます高萩徳宗さんでいらっしゃいます。
 高萩さんのプロフィールについては、ご案内のペーパーのとおりでございますが、1964年生まれで、小田急電鉄に勤められ、さらに日本旅行に勤務された後、1999年有限会社ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツを設立されまして、現在こちらの代表取締役を務めておられ、高齢者と障害をお持ちの方々への支援活動を事業として、地道ながら大変な熱意を持って活躍しておられる方でございます。
 本日の演題は、「旅する視点からみた、まちづくりのユニバーサルデザイン」とされております。ハード主体の考えをはじめ大所高所の考えが多い中で、障害をお持ちの方々が抱える現場における切実な課題、これを直視した上でのまちづくりにかける思いなり、基本的な認識のとり方等について、ご自身の体験を踏まえて、独特の観点からの示唆深いお話がお聞きできるものと楽しみにしております。
 それでは、高萩さん、よろしくお願いいたします。(拍手)

高萩
 
改めまして、皆さん、こんにちは。
 今日はお忙しい中をお集まりいただきまして、ありがとうございます。ただ今ご紹介をいただきましました、ベルテンポ・トラベル・アンドコンサルタンツの代表を務めております高萩徳宗と申します。今日は、これから2時間ほどちょうだいいたしまして、「旅する視点からみた、まちづくりのユニバーサルデザイン」ということにつきまして、お話をさせていただきたいと思います。
 まず、簡単な自己紹介をさせていただきました後、DVDをご覧いただきます。これは九州のRKB毎日放送というところが制作しました「MOVE2005」という番組で、私の会社を半年間追いかけて下さったドキュメンタリーの番組です。私がどんな仕事を現場でやっているか、というのは映像でご覧いただくのが一番早いかなと思いまして、冒頭でちょっとお時間をちょうだいして上映させていただきます。その後、スライドを使いまして、今日の本題に入って参りたいと思います。
 改めまして、自己紹介させていただきます。高萩徳宗と申しまして、1964年九州大分県の出身でございます。高校を卒業して上京し、今ご紹介いただきました通り、小田急電鉄という鉄道会社に勤めておりました。5年半ほど勤務をいたしまして、それからカナダのカルガリーという町で2年間ほどツアーガイドの仕事を経験いたしました。カナダに在住していた時に、現地のまちづくりであるとか、福祉、高齢者に対しての生きがいといいますか、笑顔、元気などを見ながら、帰国して日本との対比の中で、日本って、どこが足りてないのか、また海外に住んでみると、日本の良さも見えてくるわけでございまして、そういったものを旅行会社に勤務しながらずっと考えておりました。
 その後、旅行会社で通算10年ほど勤務をさせていただくんですけれども、その中で障害のある方、高齢の方がなかなか旅行に行けていない現実を目の当たりにしました。当初ボランティア活動で、障害がある方の旅の介助をお手伝いさせていただいていましたが、1つはボランティアのできることに限界を感じたということと、これを福祉の観点ではなくて、ビジネスとして、サービスを提供してお金をいただくことで解決できないのかということを考えながら、平成11年、今から6年前に小さな会社を設立し、今に至っております。
 正直に申し上げまして、当初の数年間は赤字続きで会社がつぶれなかったのが不思議なくらいです。最近ようやく、きちんと対価をいただいてサービスを提供していくということを、高齢者、障害者の方々が、本当のところは求めていたんだなと、肌で感じるようになりました。
 今日は、都市計画、建築設計等のご専門の皆様がとても多いと思いますので、いつもお仕事で議論されていることとは全く違う角度からの話で、ちょっと意外に思われる方も多いかもしれませんが、総合的にいろいろとお話をさせていただく中で、何かお仕事の中に気づきやヒントがあればいいんじゃないかな、と考えております。

(DVD上映)<以下、画像のナレーションより>
 高萩さんが企画するバリアフリー旅行に参加してみました。神奈川から参加した畑中さん、信号や駅の表示が見えない弱視で、家に引きこもりがちだったところを、息子夫婦にこの旅行を勧められました。
 岐阜県から参加の酒井夫妻。夫の延幸さんは8カ月前に脳梗塞で倒れ、泊まりがけの旅行はこれが初めてです。
 高萩さんは旅情を楽しんでもらおうと、タクシーではなく、あえて列車を選びました。北部九州2泊3日の旅に出発です。
 客に不愉快な思いをさせてはならないと、高萩さんは乗務員との間に立ちます。
 高萩さんは大分の高校を卒業し、関東の私鉄の車掌を5年近く務めました。鉄道で働くのは彼の子どもの頃からの夢でした。
(高萩)「小学校の低学年、多分7歳とか8歳ぐらいの時に、うちの母親がおにぎりを握って汽車を見に連れてきてくれたんですよ。家から歩いてきて1日じゅうあきもせずずっと見てたんですよね。原点だと思いますね。母親がここに連れてきてくれなかったら、汽車を好きになることもなかったでしょうし、鉄道を仕事に選ぶこともなかったと思うんですね」
 その後、高萩さんは大手旅行社に7年勤めましたが、障害を持った客への対応に疑問を感じ、6年前たった1人でベルテンポを立ち上げました。
 一行はこの日展望台に上る予定でしたが、天気が悪いので、砂風呂に入りに行くことにしました。天気や客の体調で予定を変更できるのが高萩さんのツアーの特徴です。
(車椅子の人を砂風呂に受け入れることは、不可能という番台の女性、高萩さんがそこを何とかと交渉をする様子が流れる)
 番台の女性は責任者に相談に行きました。待つこと10分。さすが九州の女性、最後には度量の大きいところを見せてくれました。(責任者から番台の女性の判断に任せると伝えられた)
 背負ってしまえば簡単ですが、高萩さんはリハビリに励んでいる人のプライドを大切にし、できるだけ自力で歩いてもらいます。延幸さん、念願の砂風呂に入りました。
(酒井延幸さん)「気持ちよかったですね。極楽極楽、血のめぐりがよくなりましたね。私どもは風呂がいいということはわかっていますけど、なかなか入るのは大変なわけですよ。1人で入れませんし、介添えの人も大変ですから」
(高萩)「心からお迎えする気持ちというのが、人と人との肌の温かみを感じるような受け入れをしようとされているかどうかだと思うんですね。ですから、観光立国とか何とかキャンペーンというイベント性のあることを一生懸命おやりになられていても、目線がお客様の側に立ってないんですね。高齢社会といわれていて、高齢者から目をそむけて観光ということはあり得ないわけです。」
 高萩さんは、生まれ育ったところだからこそ、九州に対して辛口の意見を言います。ですが、その一方で、美しい自然や厚い人情は自慢したくてたまらないのです。
(高萩)「自信を失っている方が多いですね、特に障害のある方とか旅をあきらめてしまっている方は。旅を実現しながら、生きる意味を見直してもらうとか、元気を取り戻してもらうというところですね。人と出会いたいとか、そういうことって、すごく大事な要素なんですね」
 さて、酒井夫妻と畑中さんの九州ツアーはその後どうなったのでしょうか。
(理学療法士・月俣さん)「私も、ビジネスだからできることだと思うんですよ。もちろんボランティアとか無償とかがよくないというわけではないんですけど、その範囲を越えたら、もう民間とかビジネスというところに任せてしまっていいと思うんですね。病院の中では、一緒に旅行するといってもできないですし、一時期日曜日とかにやっていたときもあったんですけど、やっぱり限界があるなと思って。病院の中だけでのリハビリというのは」
 時間に追われる普通のツアーと違い、こちらは気のおもむくまま車を停め、さながら家族旅行です。
 高萩さんのツアーには、日ごろ介護に明け暮れている家族にストレスを解消してもらおう、という狙いもあります。
(酒井典子さん)「旅行に出るということが私のストレス脱出。主人は我慢、忍の人間でしたから、怒らないんですね、幾ら私がヒスを起こしても」
(酒井延幸さん)「ガンジーですね。無抵抗主義です」(笑い)
(畑中さん)「私がやってあげなくちゃというのがいっぱいあるから」
(酒井典子さん)「この介護は延々と続くんですよ。それでは私がかわいそう。どうしようもない。涙がポロポロ出てきてね。何のために一生懸命働いてきたのか。本当に何とかしなきゃいかんと思ったんですよ」
 こうした家族の悩みまで聞くことで、旅行者と客という関係を越えた信頼が芽生えるのでしょう。客をリラックスさせるためには、入浴を手助けする人も裸の方がよいと高萩さんは言います。温泉は最大の楽しみですが、障害者にとって浴室は怖い場所です。
(高萩さん)「事故が起きたときどうするんですか、補償の問題はって、聞かれるんですけど、信頼関係がないから、そういうことになるんですね。もちろん、法律的には考えなくちゃいけないことは幾つかありますけど、最後はお客様との信頼関係ですね。あなたと一緒に旅行に行って死んじゃったんなら、私は思い残すことはないわと言ってもらえるお客様との関係は、可能なんです。」
 高萩さんの2泊3日の九州ツアーも無事終わりました。
(高萩さん)「何が一番良かったですか」
(酒井典子さん)「何が一番良かったかな。やっぱり主人を忘れたことかな。いい意味で。8カ月全然忘れることができなかったから。主人を忘れてのんびりできた」
(高萩さん)「何が一番印象に残りましたか」
(酒井延幸さん)「私は入れないと思っていた砂風呂に入れたことですね。相当難度が高いというか、難しい。最初は断られたんですね。だから、あの女の方の責任でもって判断するということで許可をいただきましたから。そういう温かいところです。心のバリアフリーです」
 この九州ツアーの後、酒井夫妻はハワイへ、畑中さんは京都へ、高萩さんと旅行しています。
 旅に生きがいを見出した延幸さんは、嫌がっていたリハビリにも積極的に取り組むようになり、ハワイでホノルルマラソンに参加するほどの回復を見せています。
(高萩さん)「障害がある方にいいサービスが提供できないようなところは、実は健常者にもいいサービスを提供してないわけですね。それがたまたま今水面下にもぐっていて、表面化してないだけで、健常者というか、元気に旅行ができる方々も無意識に中ではそういったことに気がついているから、2度目に来ないわけです。2回目来てもらえてないということが、どれだけ問題が大きなことなのかということに気がつくことが大切だと思います」
(DVD終了)<以上、画像のナレーションより> 
 おつき合いいただきまして、ありがとうございました。

 
今番組に出てきた酒井さんというご夫妻は岐阜県にお住まいで、ご主人が商社マンでいらっしゃったんですね。世界中をバリバリ飛び回っていて、海外出張もおやりになっていた方が、去年、今から約1年前に脳梗塞で倒れられて、半身麻痺になられたんですね。その後、もちろん仕事もできなくなって、そのまま退職してしまうわけです。やはりご自身が自分に自信を失って、「おれの人生はもうこれで終わりだ」と思い、リハビリもやる気が起きず、夫婦げんかが多くなってきてしまって、人生の目的を失ってしまっているわけです。
 奥様も、今テレビで言われていましたが、「私の人生どうなっちゃうの」という、もどかしさとかわだかまりで非常にギスギスした関係になってきたというところで、たまたま、うちの会社を知っていただいて、旅行に参加していただいたんです。これは初めての旅行でしたが、3日間の間に、旅行を通じてお客様の心のストレスが少しずつほぐれていくのが目で見てわかるんです。笑顔を取り戻して、元気を取り戻して、自分が生きていく意味をまた取り戻して、去年の12月にホノルルマラソンに車椅子で参加して挑戦するところまで進んできて下さったんです。
 ですから、私が旅行という仕事をやっている中で、1つ、これだけは絶対に外してはいけないのは、旅行そのものが目的ではなくて、旅行はツールにすぎないということなんです。旅行というツールを使って、そのお客様の人生にどうかかわっていくことができるのか、どうサポートできるのかということが、我々のテーマだというふうに思っています。
 このツールは何も旅行でなくてもいいわけで、例えばレストランでの食事であるとか、車を買うとか、何でもいいわけです。何かのツールを使って自分の目標に向かって進んでいく、ということが大切なんじゃないかと思っています。



1.旅して見える、社会のバリア


  私たちの会社は、障害者、高齢者専門の旅行代理店という言い方が非常にわかりやすいので、こういう言い方をしておりますが、団体旅行はやっておりません。障害者団体の団体旅行であるとか、障害がある方に何十人も集まっていただいてツアーを企画するということは、していないんです。あくまで個人、それから家族というものに特化して、旅づくりのお手伝いをさせていただいております。
(図1)
 それから、バリアフリーの旅行会社というと、一般的なイメージとしては、リフトのついたバスを手配してもらえるとか、障害者用の客室を準備してもらえると考えられていると思うんです。これももちろん大切な仕事なんですけれども、ここの部分だけをやってもお客様は旅行には行けないんです。それがどうしてか、という話をこれから少しずつさせていただきます。
 私どもの旅行会社にお問い合わせをいただく7割から8割のお客様は、温泉に入りたいという希望なんですね。これは日本人特有の願いだと思うんです。夢が叶うんだったら、もう一度温泉に入りたいというふうに相談をしてこられる方が多いです。
 ところが、私たちの会社としては、箱根に1泊2日で温泉旅行に行きたいという相談を受けるよりも、ハワイに行きたいと言われた方が手配上は楽なんですね。なぜ楽かということですが、ハワイというのは、もちろんまちづくりがバリアフリーです。例えば市内を走っている路線バスも全車リフトがついていますから、車椅子の方が1人で行っても、普通に路線バスに乗れるんです。レストランに入りたいと言えば、アメリカには障害者差別禁止法という法律がありますから、車椅子を理由に入店を拒否すると処罰されるんです。ですから、スロープか、リフトか、何らかの措置がされていて、レストランに入ることもできるんです。
(図2)
 だから、ハワイが楽ということでもないんです。今日は都市設計とかまちづくりという話なので、そちらの観点から見ると、現地に車椅子の方とご一緒してみるとよくわかるんですが、ハワイの町は日本に比べるとインフラの整備が遅れていると思うんです。例えばハイウエーを走っていても、路面の状況は非常に悪いんですね。バスで走っていると、ものすごい衝撃なんです。町中に平気で大きな穴ぼこが開いています。車椅子用のトイレの数が多いと言っても、ただ広いだけです。だだっ広くて手すり1本付いてないです。正直言って使いづらいんです。車に乗っていても、乗り心地も悪いんです。だけれども、「心のバリアフリー」というところが圧倒的に日本と違うというふうに感じています。
 一方、例えば温泉旅行に1泊2日で行きたいと言われた時に、我々が準備しなくてはいけないこと、手配しなくてはいけないこと、必要とする情報を集めるのが非常に大変なんですね。例えば、箱根という温泉の町で、車椅子でも安心して宿泊できる宿って、どこにあるんだろうと探すところから始まるんです。非常に数が少ない。あと、一体どうやって駅まで行けばいいのか。車椅子のまま電車に乗れるのか。駅の構造、エスカレーターやエレベーターがどうなっているのか。こういうことは、事前にはほとんど情報としてわからないんです。途中トイレに行きたくなったら、どうするんだ、箱根湯本の駅に着いたはいいけど、宿までどうしたらいいんだ。そもそも宿に行った時、私たちを歓迎してくれるんだろうか、というさまざまなバリアが日本の国内には蔓延しているんですね。
 これらの中で、例えば、家から駅まで行く足は、その気になればちゃんと確保されます。今、都内では福祉タクシーという車椅子のまま乗り込めるタクシーを事前に予約することができますし、小田急線も、今度新型ロマンスカーが出ましたけれども、ほとんどの車両は車椅子に十分対応しています。気持ちよく乗ることができます。箱根湯本の駅にも車椅子用トイレはできました。小田原など乗換駅には、エレベーター等の設備もあります。
 ところが、ハード面がよくても、そういったことを事前に心配させてしまうという文化、風土というものがあるんですね。「心のバリアフリー」って、よく言われますけれども、何が決定的に違うかと言うと、ハワイの場合は障害があることを感じさせないんです。どういうことかと言うと、障害があってもなくても特段差別しないんです。悪い意味での差別ということではなくて、車椅子だからといって、特別扱いをしないんです。
 この辺は、これからの話のポイントにもなってくるんですけれども、特別扱いをしないことがどれだけ心のバリアを取り除いてくれるかということが、非常に大切なポイントになってくるのではないかと思います。
(図3)
 私は、6年間バリアフリーの旅行会社をやっていますけれども、旅のバリアがどこにあるのかということを考えた時に、皆さん、行けるかどうかさえもわからないのです。お客様から電話がかかってきます。「私は車椅子なんですが、旅行に行けますか」という問い合わせなんですね。「チャンスはあると思いますけれども、どちらに行きたいんですか」「どこでもいい」とおっしゃるんですね。「じゃ、いつごろの季節をお考えですか」「いつでもいい」というんです。暇ですから、いつでも行けるんです。「じゃ、大体のご予算はどれぐらいでお考えですか」「幾らでもいい」って言うんですね。
 どこでもよくて、いつでもよくて、幾らでもいいというようなお客様が現に存在しているんです。ところが、こういったいわゆるビジネスの観点から見て、いいお客様が旅行に行けてない、行けるかどうかさえわからない。そもそも情報がどこにあるかさえわからない。
 不安とか不満、不便、それから気兼ね、こういったことが旅の大きなバリアになっていて、それらはほとんど心理的な要因なんです。気兼ねというバリアは、日本の文化に非常に深く根差しているなと思うんです。あるお客様と旅行に出かけた時に、帰りに羽田空港からモノレールに乗ったんです。ちょうど夕方のラッシュ時間にかかってしまって、かなり混んでいました。ちょっとギュウギュウな状態で車椅子で乗り込んでいたら、近くにいたサラリーマンが「こんな時間に車椅子で乗るな」と一言言ったんです。皆さん、まさかと思うかもしれないのですけれども、周りに乗っているお客さんから露骨に迷惑そうな顔をされるだけじゃなくて、こんな時間には車椅子では乗ってくるな、ということをこの6年間で、私は東京周辺で何回言われたかわからないですね。JRの駅員さんにも言われたことがあります。「こんな時間に来られても困ります」と。
 確かに電車は混んでいます。でも我々も決して好きでその時間に乗っているわけじゃないんですけれども、一度そういうことを言われてしまうと、障害のある方、ご高齢の方というのは、「自分たちは社会の迷惑なんだ」と思ってしまうのです。「もう、いいよ。僕たちは旅行に行くのを止めよう」と、潜在的に心理の中に刷り込まれてしまうという危険性があります。
 それから、ユニバーサルデザインを議論する時に、ハートが先か、ハードが先かという議論がされると思うんですね。これはニワトリと卵の議論と一緒で、どちらが先かということではなくて、やはり車輪の両輪だと思うんです。やはりハートというのは絶対に必要です。人間の心というものがなければ、バリアフリーやユニバーサルデザインというのは進んでいかないのですけれども、じゃ、気持ちさえあればハードというのは後からついてくるのかというと、そうとも限らないと思うんですね。やはりハードって、非常に大切です。
(図4)
 私がバリアフリー旅行にかかわり始めて十数年経ちますけれども、この10年間を見ても、まちづくりというものは急速に進歩していると思うんです。例えば、この1年を見ても、交通バリアフリー法ができたということもありますが、電車等も非常に乗りやすくなっています。町の歩道の整備も非常によくなっています。福祉の仕事に携わっている方は、よく「土建屋さんに回す予算があったら、もっと福祉に」と言うのですけれども、でも、路面状態がこんなにいいから、我々は安心して車椅子を押せているんじゃないのですかということをお客様に私は申し上げることがあるんです。
 土木とか建築とか設計というものがスケープゴートになってしまっては本質の議論は出来ません。根性論とか情緒論だけでは問題は解決しないということです。ハードは絶対に必要です。
 交通バリアフリー法というものができて本当に良かったなと思います。つい最近まで東京駅にさえエレベーターがなかったのですから。皆さんは余り気にされなかったかもしれませんが、東京駅から車椅子で電車に乗ろうとすると、物すごく大変だったんです。裏から入って業務用のエレベーターを使ってホームまで上がっていました。本当にバックヤードですから、逆説的に言うと、すごく珍しいんです。車椅子のお客様とご一緒しないと、我々が入れないようなところを探検するみたいに行けるのです。
 ところが、やはりごみを収集するような台車と一緒に我々は乗り降りすることになりますから、決して良い状態ではないわけです。障害者団体の方とか、我々もそうですけれども、東京駅にエレベーターがないというのは、日本の玄関口としてどうなんだろうかという話を要望したことが何度もあります。JRの東京駅は築100年近く経っているわけです。ですから、構造的に非常に古いので、物理的にエレベーターがつけられないんだという回答があったのです。確かにそういう理屈もあるのかと思ったんですけれども、交通バリアフリー法が施行されたら、工事が始まったんです。
 別に、私はJRを責めるわけじゃなくて、そういうきっかけっというのは、受け入れ側にも必要なんだなと思いました。ですから、障害者の方が陳情したり署名をしたりするよりも、1つの法律の方が社会を動かすということがあるのは事実です。どちらがいい悪いではなくて、ハードというものはしっかりと作っていかなくちゃいけない。だけれども、ハートも大切です。
(図5)
 バリアフリー旅行会社を経営していると、車椅子を使っているお客様、障害が重いお客様、さまざまなお客様からお問い合わせをいただきます。よく、「どの程度の障害まで対応していただけるんですか」という問い合わせをいただきます。
 ところが、私たちの角度から言うと、障害が重いか軽いかというのは、それほど重要なことではないんです。障害が重いと大変なことは、まず準備に時間がかかります。もう1つはコストがかかります。この2点だけクリアできれば、どんなに重い障害があっても、旅行に行くことは可能なんです。
 私たちがお客様に確認することは2つだけあって、1つは、ご本人の意思で旅行に行きたいと思っているかどうかです。どんなに障害が重くても旅行に行きたいと本人が強く願っているかどうかです。もう1つは、ドクターストップがかかっていないことです。例えば、末期がんの患者さんで余命宣告されているような方の旅行のお手伝いをすることもありますが、ほとんどの場合、ドクターはオーケーを出してくれるんです。今まで私が旅行のお手伝いをしてドクターストップが事前にかかったケースというのはありませんので、この2点がクリアできれば、旅に行くチャンスはあります。

 お客様が車椅子を使われていると、準備をする側はその車椅子に着目してしまいがちなんです。お客様が車椅子だから、それを基準に旅ができるかできないかということを判断してしまうのです。車椅子を使って旅をすると、もちろん移動の場面においては不都合なことはあります。でも、そもそも我々が旅をどういう形で楽しんでいるかということを考えてみると、人間は五感を使って旅を楽しんでいるんです。これは障害があるないにかかわりません。人は、五感で旅をしています。
 視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚、この5つのポイントを使って我々は旅をしているわけです。ところが、私たち目が見える、視覚を使える人間は、情報の7割から8割を目で取り入れてしまうんですね。ですから、我々が旅行に行くと、「ワー、きれいな景色」だとか、「カッコいいスタッフがいる」とか、視覚で物を見てしまうんですね。そうすると、視覚を使ってしまったために、残りの4つの感覚を意外と研ぎ澄まさなくなっているのです。
 目が見えない全盲のお客様と旅をご一緒することがあります。これはモンゴルにお客様とご一緒したときの写真です。バリアフリーのモンゴル旅行、というのを作りました。見るからに、バリアフリーじゃなさそうな国ですね。「バリアフリーじゃないと思うんだけれども、行きたい人いる?」って、呼びかけたら、皆さん、「行きたい、行きたい」と言うんですね。「大変なことがあると思うけれども、でも、行きたい?」って聞いたら、皆さんやっぱり「行きたい」って言うんですね。
 お客様の中に全盲のお客様がいらっしゃいました。モンゴルのウランバートルの空港に着いて、ウランバートルからウムヌゴビという、草原の遊牧民のテントのあるところまで飛行機で1時間ぐらいのフライトがあるのですが、全盲の方は飛行機は余り好きじゃないんです。閉ざされた空間で移動してしまうと、例えば、1000キロの距離を移動したということが感覚的にわかりづらい。空間が閉じ込められてしまっていますから、旅の情緒がどうしても限られてしまいます。ですので、提案として、「1晩かかりますけれども、夜行寝台列車というのが走っています。乗ってみたいですか」と聞いたら、皆さん、全盲の方だけでなくて、車椅子を使われている方も「乗りたい、乗りたい」と言うんです。で、1晩かけて、そのウムヌゴビというところまで移動しました。
 明け方駅に着いて、何もないホームに降りたら、向かい側に貨物列車が停まっていました。この服部さんという方は目が見えないですから、状況を言葉で説明します。「今ちょっと離れたところに貨物列車が停まっています」という話をしたら、「高萩さん、私はその貨物列車に触ることはできますか」と聞かれたんですね。「目の前に停まっていますし、今動いてないですから、大丈夫だと思いますよ」と言ったら、「ちょっと触らせてもらっていいですか。車輪に触ってみたいんです」と言われた。近くまで行って車輪に触りました。すごく大きい車輪なんです。1メートル50ぐらいあったと思います。触ったら、すごく熱かったんです。ブレーキがかかった直後だったので。熱いということももちろんそうですけれども、車輪がこんなに大きなものだというのも、服部さんは知らなかったんです。8歳のときに失明して、盲学校で、模型を使って列車を教えてくれるんですけれども、列車の模型の車輪に触っても、実際それがどのくらいの大きさかというのはわからない。
 旅の途中や通勤の途上に列車の車輪に触るという経験は、私たちも日常なかなかないですね。ですから、車輪に触るという触覚で旅を楽しむということに、見えないかわりに、気がつけるわけです。
 私は、福祉のことが全然わからないので、会社を始めた時にお客様に聞いたんです。「失礼だとは思うんですけれども、目が見えなくて旅行に行って楽しいんですか」という質問を私、最初にしました。すごく失礼な質問だと思うんですけれども、でも、聞いておいた方が参考になるだろうと思って聞きました。
 お客様はそういうことに喜んで答えて下さるんです。「僕たちは目が見えないのは不便です。確かに不便。だけれども、視覚というものがないかわりに、聴覚、触覚、嗅覚、こういったものを使って十分に旅を楽しんでいるんですよ」。ですから、味覚というものもすごく研ぎ澄まされていて、鍋を一緒に食べた時のことですが、我々はみんなで鍋をつついている時に、多分「おいしい、おいしい」という感覚しかないと思うんです。皆さんもご経験あるかもしれないんですが、鍋をつついていると、「これ、何だったっけ」という材料が出てきたとします。私は食べてもよくわからない。魚ということはわかるけれども、わからないとか、野菜だということはわかるけれども、材料まではわからないという時に、服部さんに食べてもらうんです。「ちょっと、食べてもらっていいですか」。そうすると、彼は食べ当てるんです。「これは何々です」。目が見えるって、どういうことなんだろう。見えないからといって、必ずしもハンディじゃないんじゃないかという考え方もあっていいのではないかと思います。



2.弱者とはだれなのか


(図6)
 私が仕事をしている中で、応援して下さる皆さんや、お客様ご自身にも、いつもこういったことを呼びかけています。「弱者とは一体だれなのか」。ユニバーサルデザインというもの、バリアフリーというものを考える時に、だれが弱者なのかということを見極めるのはすごく大事だと思うんです。
 例えば、交通弱者とか生活弱者という言い方なんかもされますけれども、この弱者という言葉は非常にあいまいで、なおかつ問題の核心を突いてないことが多いですね。
 会社を作って6年間絶対に曲げなかった信念は、私たちサービス業に必要なのは、情けとか同情ではなくて、配慮だということです。ですから、例えば障害があってかわいそうという気持ちだけは、何の問題も解決しないんです。その方がどういう目標を達成したいと思っているのか、なぜ今達成できていないのか、どういう配慮があれば達成される可能性があるのかということを一緒に考えるというポイントでものを考えることが必要です。
 それから、高齢者や障害者を一律に弱者ということで決めつけるのは、私は間違っていると感じています。
 私は、障害がある方、高齢の方に対して商売で、ビジネスで、旅行サービスを提供していますので、よくされる質問があります。1つは、「高萩さん、非常にいい仕事をやっているけれども、結局は金持ちだけを相手にしているんだよね」と言われることが非常に多いです。「お金がない障害者の人はどうすればいいのかな」と言われることがあります。これの答えはすごくシンプルなんですね。こういう言い方は非常に語弊があるかもしれないんですけれども、本当にお金がない方々、それから、お金はあるけれども、できるだけ払いたくない方、ここはやっぱり違うんですね。
 私も小さい頃非常に貧しい生活をしていました。貧乏の極致みたいな経験をしたことがあるので、言う権利があると思っています。貧乏な人というのはぜいたくな生活はできないんです。これは障害があってもなくても一緒なんです。例えば、障害者で、僕は車椅子だから旅行を安くしろとか、介助サポーターにボランティアをつけろという議論があったとします。だけど、じゃ、障害があるから、通常の人と違う、無償のサービスを行われなければいけないのかと考えてしまうと、障害がなくて、例えば母子家庭の親子はどうなんだという話になるわけです。障害だけに着目すると、それ以外の部分を見落としてしまうことが非常に多いです。
 例えば、母子家庭でお金がない、障害があってお金がない、さまざまなケースがあると思います。私に対して、お金持ちだけを相手にしているんですかと投げかける方は、例えば飯田橋の駅前のモスバーガーに行って、380円が払えない人に対して、モスバーガーさんはどう対応されているんですかと質問しているのと実は一緒だと思うんです。自動販売機の前に行って、120円のコーラを、「おれは障害者だから」と言って、障害者手帳を見せて、「半額にしろ」というのは社会の理屈としてはおかしいんですね。
 ですから、福祉施策と民間のサービス提供をあまり混同しない方が、結果的には、障害のある方、高齢の方の生活の質を高めるんじゃないかと私は思っています。
 うちの旅行が別に100万円するわけではないですから、普通の旅行の倍だったとします。さっきの2泊3日の湯布院・阿蘇の旅、あれは3日間で15万8000円です。高いとお感じになるかどうかは皆さんがお考えになることだと思うんです。
 九州2泊3日というのは2万9800円ぐらいで幾らでもツアーはあります。それと比較すると、うちの旅行代金は5倍することになるんですね。
 そもそも存在しているサービスの状況が違います、ということをよく申し上げています。例えば、2万9800円という旅行サービスを提供している大手の旅行会社さんは、旅行という場面と2泊3日間集合から解散までの飛行機とか食事、バスでの移動、そういったものを2万9800円で売っています。我々は、お客様が旅に行きたいと感じた時になぜ行けないかということを時系列、時系列を超えて人生軸で考えなさいということをスタッフにもよく言っています。ですから、お客様が、今なぜ旅行に行きたいと思っているのに行けないのか、ということをお医者さんのようにカルテに書き出して、それを1つ1つ解決していくという仕組みをとっています。
 その段階で、お客様も心のバリアを1つ1つ取り除いていきます。バリアフリー旅行はこれで終わりじゃないんです。例えばトイレの心配がなくなったとします。じゃ、もう安心して旅行に行けるかというと、障害のある方は、そういうさまざまな心配が全部取り除けた段階が、やっとゼロベースなんです。ここから、実際旅行に行く時にどう楽しんでいくかということをプラスに考えていく。プラスに持ち上げていく。ここがやはり我々のプロの仕事に相当するのではないかと思っています。
 ですから、不安は不安として全部引き取ります。20個でも30個でも、1日でも言っていて下さい。その中で1つ1つ私と一緒に問題を解決しましょうということを申し上げます。でも、もしあなたに今障害がないとしたら、車椅子であることをちょっと忘れてもらって、せっかくハワイに行くんだったら、どんなことをやりたいですかということを聞きます。
 そうすると、お客様はふたがとれたように、いろんなことを話し始めるんです。例えば、ハワイに行ってパラセーリングをやってみたいとか、日本では絶対無理だと思うんだけども、海に入ってみたいということをおっしゃるわけです。
(図7)
 そこで、その夢をかなえるために一緒に準備しましょう。図の白い線がお客様の人生軸で、白い点線が我々です。我々は、マラソンの高橋尚子に例えると、小出監督みたいな存在だと思っています。横からメガホンを持って、「頑張れ、頑張れ。でも、あんまり頑張り過ぎちゃだめだよ。時には肩の力を抜いてね」とか言いながら、応援をしていくサポーターだと思っています。
 一般の旅行代理店は、白い線の上の黒い線です。この部分だけを、旅行サービスという商品に値段をつけて売っています。ここが圧倒的に違うのではないかと思っています。
 ですから、この過程を一緒に過ごすことができたお客様は、非常に満足感が高い。夢の実現に向かって我々が側面から応援することができますので、おかげさまでリピート率が非常に高いんです。ビジネスをしていく上で、もう一度お客様に来ていただくというのは非常に大切なことだと思うんです。旅行代金が高いかどうか、お客様に受け入れられたかどうかというのは、もう一度来てもらえるかどうかだと思うんです。
 当社のリピート率は、アベレージで92.4%ぐらいあります。ほぼ100%のお客様がもう一度、1年以内にまた旅行に来て下さるんです。1年というのは一番長いタームのお客様で、多くのお客様は、旅行された次の月にもう一度旅行に行かれます。それは10年間家から出ないで、人生をあきらめていたような方が、旅行という楽しみを獲得できたことによって、人生の中で抑圧されていたふたが取り除かれるんですね。「おれも、もう一度旅ができるんだ」と思った瞬間に、もう一度、もう一度となって、毎月、毎月旅行されるお客様が非常に大勢いらっしゃいます。我々が側面から支援するということの位置づけ、これがご理解いただければと思います。
(図8)
 それから、だれが私たちのサービスを必要としているのか、というところですが、図の「OK」と書いてあるところは、普通に旅に出られる人たちなんです。例えば、今度スキーに行きたいなと思った時に、スキーのパンフレットを旅行会社からいっぱいもらってきて、値段とかホテル、サービスの質を比較しながら選ぶような方、比較的休みもとれるので、旅行に行くのに障害がない方です。こういった方々は普通に旅行に行くことができます。
 日本に今旅行会社が1万社以上あると言われていますが、ほとんどの旅行代理店は、ここのマーケットで競合しているんです。これはほかのビジネスでも一緒だと思います。普通に旅行に行ける人たちに対して競合します。ですから、例えば最大手のJTBとかH.I.S.という旅行会社がお客様を取り合いしていますけれども、例えばJALで行くヒルトンハワイアンビレッジに泊まる6日間という旅行があります。JTBで行く場合と、H.I.S.で行く場合、何が違うか。変わらないんですね。JTBで行くから飛行機の座席がちょっと広かったり、フカフカしているということでもないわけです。一緒なんです。ということは、最終的には、細かい点を除けば値段で比較するしかないわけです。これが今のほとんどのサービス業の現状だと思います。
 美容師さんの業界もそうですね。よくチラシを配ったり、料金の値引きなどで集客をやっていますけれども、今来店してきたお客様だけをお客様だと思っているからだめなんですね。ここのところだけで取り合いをしています。
 では、我々はどういった点に着目してサービス提供しているのかというと、これを氷山だと思っていただければいいのですけれども、水面下にもぐってしまっているお客様がいます。きっかけが必要なのはどういうお客様かというと、さっきビデオに出てきた畑中様という76歳のお客様がいらっしゃいますが、こういった方なんです。畑中さんは、多少弱視だといっても、普通に生活はされていますので、特段旅行に配慮は必要ないですね。ところが、ご主人を亡くされてからひとり暮らしをされていたんです。神戸で生まれ育ったのですが、横浜に住んでいる息子さんがお母さんを引き取って、今お嫁さんと一緒に住んでいます。
 横浜に移ってきてもそんなに問題ないだろうと思ったら、畑中さん自身が、それからほとんど引きこもりみたいな状態になってしまった。周りにお友達がいない、話し相手もいない、ずっと家でじっとしているような状態になってしまったんですね。お嫁さんが、これじゃいけないと思って、うちの会社から資料を取り寄せて、こういう会社があるから行ってみたらということで、重い腰を上げて参加して下さったのが九州の旅行だったんです。
 こういう方々は、特にバリアフリーに配慮する必要はないのですが、きっかけが必要なんです。きっかけは、別に我々プロでなくてもよくて、近所のおばさんが「あんた、最近家にばっかり引きこもっているけど、桜の花も咲いてきたから、ちょっと外に出かけましょうよ」というのでもいいんですね。そうすると、きっかけさえあれば、水の上に上がってくることができるお客様です。
 それから、あきらめている人たち、そもそも知らない人たち、こういった方々がいらっしゃいます。こういった方々は、例えば極端な例をいうと、交通事故で首の骨を折ってしまったために、ベッドの上で寝たきりの生活をしている。旅行そのものもあきらめているわけです。ところが、サポートさえあれば夢はもう一度叶うんだよということをだれかが情報提供して差し上げれば、少しずつ状況が上がってくるんです。「もしかして、行けるの」と思うわけです。しっかりと準備をすれば、チャンスありますよというのが、このマーケットです。
 私は経営者なので、マーケットという言い方をあえてさせていただきますが、ここの部分に着目できていないサービス業というのが、今非常に多いのではないかと思います。旅行会社でいえば、旅行会社に来店をしてくるお客様だけがお客様だと思っていると、ここの部分だけで同業他社と競合しなくてはいけないわけです。
 本当に私たちのサポートを必要としているお客様がどこにいるのか、というのを見極める必要があるのではないかと感じております。
(図9)
 「福祉は善、土木は悪の論理」とございますが、うちのお客様がさんざん愚痴をこぼすので、よくお話をします。ダムを造るお金があるんだったら、福祉に回しましょうよとか、道路工事や高速道路はもう要らないとか言うんです。ところが、私最近、新潟県のある自治体とお話をさせていただいていて思ったんです。新潟県に行ったら、田中角栄さんのおかげで道路が非常にいいわけです。ロードヒーティングがされていて、物すごい豪雪なのに路面に雪がないんです。それをぜいたくと見るかどうかだと思うのですけれども、これがやはり新潟県の方々の生活の質を高めている大切なことだと、私は見て思ったのです。
 東京で新聞記事を読んだり、テレビを見たりしているだけでは、物事の本質が見えないなというのは、やはり新潟に足を運んでみて初めてわかることだと思うんです。そこで、人々がどんな暮らしをしていて、何を悩んでいて、インフラを整備することで、どれだけクリアできるのかという物事の本質をきちんと我々は見ていかないといけないし、それを私たちのお客様にも伝えていきたいと考えております。




3.ユニバーサルデザインは誰を幸せにするのか

 (図10)
 ユニバーサルデザインは誰を幸せにするのかという話です。ユニバーサルデザインというものが、なぜ日本でなかなかうまく根づいていかないか。私なりに現場でお客様と旅をしてきて感じたことですが、1つは、よく行政の縦割りと言いますけれど、縦割りになっているのは行政だけじゃなくて、我々地域住民の頭の中も縦割りの発想になってしまっているんです。縦割りというのはどういうことか。例えば我々の仕事をどういうふうに位置づけるかというと、福祉というプロの人たちがいます。我々人間が地域で生活していくに当たって、最低限必要とされる人権の保障、最低限の生活保障というものを福祉の人たちがやって下さいます。ところが、福祉のフィールドの人たちは、余暇活動には手を出せないのです。人間として最低限の保障が賄われてない人たちに最低の保障をするのが福祉の考え方です。ですから、例えば税金を使って車椅子を使っている人たちが旅行に行ったりするのはよくないと私も思うんです。
 じゃ、医療の世界はどうなのか。医療の世界の人たちも、いろいろ言われていますけれども、我々やっぱり立派なプロ集団だと思うんです。うちの会社では今、医療の世界から看護師と理学療法士の経験があるスタッフが働いてくれています。医療の現場でもプロの人たちは頑張っているんですね。例えば、今の医療技術であれば、脳梗塞で倒れた人に緊急で手術をして、最高のリハビリを提供して、極めていい状態で退院させてもらえるんです。
 ところが、医療には限界があります。目的は退院をさせることなんです。いい状態で退院してもらうためにとにかく頑張って下さいねというベクトルです。ですから、どんなにいい状態で退院しても、退院をした翌日からどうやって人生を生きていけばいいかはだれも教えてくれないのです。そこで、皆さん、あり得ないような、5年間、10年間の引きこもりのような状態になってしまって、それこそ要介護認定を受けて寝たきりになってしまうような方が幾らでもいらっしゃるんですね。
 そこに福祉と医療の狭間にある、民間でしかできない部分があるはずなんです。これは、やはり縦割りで考えるのではなくて、どのプロ集団とどのプロ集団の間に、我々が潤滑油として関与できるのか、ということを考えていかないといけないのではないかと思います。
(図11)
 それから、物理的に完璧なUDを目指して、100点満点のユニバーサルデザインというのは何なんだろうという議論を、皆さんもよくされると思うんです。新潟県の土木課というところで講演をさせていただいた時に、やはり土木のプロの人たちが、建築におけるユニバーサルデザインとはどういうものか、日々悩みながら議論されていました。街に点字ブロックをつける。そうすると、今度は車椅子の人が来て、点字ブロックがあると車椅子で非常に衝撃があるから、だめだと言う。歩道の段差をなくせと言う。歩道の段差をなくしたら、今度は視覚障害者の団体の人が来て、段差がないとおれたちは歩きにくいんだと言う。一体何がユニバーサルデザインなのかわからなくなってしまう、と言われたことがあります。
 何をもって完璧かということです。私は物理的に完璧なユニバーサルデザインというものは存在しないと思っています。物理的にはどう作ったところで、全員の人によりよい状態というのは極めて難しい課題だと思うんです。
 公共建築物なんかは別かもしれませんけれども、例えば民間の旅館は、丁度きのう和倉温泉の旅館のオーナーの方と夜食事をしていたんですが、旅館におけるユニバーサルデザインというのは何か、という議論になりました。旅館というのは段差があるから日本旅館の「らしさ」が残るわけです。これをバリアフリー、ユニバーサルデザインを物理的に追求していってしまうと、多分特別養護老人ホームみたいな建物になると思うのです。これが多分100点に近いハードということになります。
 ところが、それは、我々が求めているものではないのではないか。そこのところの本質を間違えてしまってはいけないのではないかと思います。
 それから、考え方を仕組みにできないということ。今ビデオをご覧いただいて、大変なことをやっているな、これはだれにでもなかなかできることじゃないよとか、やっぱりボランティアの精神がないとできないよね、という感想をお持ちになられた方もいるかもしれません。そんなことはなくて、私もいろいろ試行錯誤をしてきたのですが、考え方を仕組みにできないからビジネスにならないと判ったのです。
 考え方を実行していらっしゃる方は世の中に大勢いらっしゃる。例えば、個人事業主であったり、個人的なカリスマの人であったりということです。
 バリアフリーの旅行会社をやっていて、ここがすべての原点だと思ったのが、どんなにバリアフリーツアーを作ったとしても、集合場所まで来られない人がほとんどです。家から出られない、駅まで行けない、電車の乗り方がわからない。家から出られないということが日本のバリアフリー、ユニバーサルデザインが進んでいかない一番本質的な根本原因だということに、5年間やっていて、気がついたのです。ということは、ベルテンポという会社が社会に存在する意義は、家に引きこもってしまっている人たちを一歩外に出す、ここに特化することが大事なんじゃないかと気がついたのです。
 皆さんもご承知のとおり、日本の建築というのはすごくいいんです。そこまで行くとすごくいいんです。けれども、家から出られないから使ってもらえないという状況になってしまっているわけです。



4.ユニバーサルデザインには、ビジネスセンスが大切

 

 (図12)
 あとは、考え方をどう仕組みにしていくかということを、我々経営の人間がビジネスセンスというものを使って取り込んでいくことが大事だと思います。
 ユニバーサルデザインとか、バリアフリーというものにビジネスセンスを取り込みにくい状況については、私なりに勉強させていただいています。ユニバーサルデザインを研究、議論している方々のディスカッションを見ていると、そもそも民間のビジネスとして、例えば1円の助成金も使わずに運営していく、という発想が前提条件にないんです。すごくいいアイデアなんだけど、このお金はどうするのと言った時に、いや、これは税金とか補助金で何とかという時代ではもうないと思うのです。ビジネスのセンスを持った人が議論の中に入っていかないと、お金というものをどこから循環させて、必要なサービスを提供して、受益者に届けるかということを、私は具現化できないと思うのです。すてきな議論はたくさんしているんだけれど、実際にそれを取り込む時にやはりお金のある人たちから対価をいただいて、それをうまく社会に還元していく仕組みを、ユニバーサルデザインというツールを通じて提供していくことが大切なんじゃないかと思っています。
 社会の困り事を整理してみるという話ですが、この場でお話をするべきかどうかというのは、私もちょっと迷ったのですが、ベルテンポという会社は非常に小さな会社なんです。年間に延べで約1000名のお客様をお手伝いできるかできないかというところです。1カ月100名に満たない。私はある経営者仲間の人から言われたことがすごく印象に残りました。「高萩さんはすごくいい仕事をしているけれども、年間1000人、5年間で5000人の人のお手伝いをして、それで社会は変わりますかね」と言われたんです。「高萩さん、社会を変えたいんですよね」「変えたい」「社会は変わりますか。今のやり方で」と言われて、私はガーンと頭を殴られたんですね。
 私は自分がやっていることを日本に広げていって、社会そのものの仕組みを変えたいと思っています。じゃ、東京でこういう会社を今やっていて、何とか黒字にできて、自分たちと社員が食べるのは困らない。お客様は喜んで下さる。だけど、うちの会社を知らない人がほとんどなんです。多分、今日ご来場いただいた方も、うちの会社が存在していることなんかまずご存じなかったと思うんです。じゃ、大阪や福岡に支店を作るのかと考えた時に、それでは広がっていかないと思ったんです。うちの会社が存在しても、東京のユニバーサルデザインとかバリアフリーというのは画期的には変わらない。
 どうしようかなといろいろと考えていた時に、逆転の発想ですけれども、新潟県の小さな自治体から声がかかった。地域が困っている、ベルテンポさんのコンテンツを使ってうちの地域を元気にしてくれないか、というアプローチをいただいたんです。どういうことかと言うと、新潟県のとても小さな自治体です。人口が3万1000人ぐらい。お年寄り、65歳以上の高齢者が9500人。そのうち1年間に1回以上病院にかかったことのある人たちが6500人いるという本当に小さな町です。
 その町にお邪魔をした時に、駅に降り立って、町をちょっと歩いてみて感じたこと。町を人が歩いていないんです。人がいないんです。寒いというのもありますけれども、人口3万1000人はどこへ行っちゃったんだと思いました。働いている人はどこか違うところに行っているとしても、9500人のお年寄りを全く見かけないんです。いろいろとヒアリングをしました。地域のお年寄りは一体どこにいるんだ。お店の中に入っていって、若い人に「あなたのおじいちゃん、おばあちゃんってどうしているの」「ずっと家にいますよ。ずっと家にいる」って言うんです。ほとんどのお年寄りはどうも家にいるらしい。
 次に、「家以外だとどこにいるかなあ」と聞いてみたんです。そうすると、「暖かくなったら、畑で見かけることがある。今寒いから公民館かな」と言われた。家、畑、公民館。「ほかに何かないかなあ」と聞いたら、その方たちは答えが出せなかったんです。また、車でずっとその町の中を回ったんです。物すごいお年寄りが集まっている場所があったんです。病院です。1カ所だけある総合病院、待合室がすごい人なんです。過疎地ですので、路線バスは走っていますが、だれも乗ってない。自家用車で家族が送り迎えしてくれない限りは家から外に出ることはできませんから、病院は巡回の送迎バスを持っているんです。かなり細かく送迎してくれるんです。朝になると、具合の悪い人もそうでない人もみんなバスに乗って病院に集まってきちゃうんです。お年寄りですから、診察を受ければどこかしら悪いところはありますね。薬は出してもらえる。だけど、家に帰らない。お弁当を持ってきているんです。待合室でずっと集会を開いてお弁当を食べて、夕方になると、また送迎バスに乗って帰っていくわけです。
 地域のお年寄りが、自分が今日1日をどう過ごすかというチョイスが、家の中にじっといるか、天気がよければ畑へ出るか、歩ける範囲で公民館へ行くか、または目の前にやってくる送迎バスに乗って病院へやってくるか。これって、人ごとじゃないんですね。地方に住んで、このままこの社会を放置していると、何十年か先の我々の人生の選択肢はこの4つだけということなります。
 これじゃいけないんじゃないか、と私は思ったんです。これは今日の本題ではないんですけど、病院が非常ににぎわっていたので、いろいろと市役所に行って調べた。3万1000人の町で9500人の65歳以上の高齢者がいて、そのうち6500人が1年間に1回以上医療のお世話になっている。高齢者医療費の支出対象になっている。この自治体が支出した高齢者向けの医療費、去年1年間幾らだと思います。私、桁を間違えたのか思ったんですけど、40億円です。6500人に対して。1人当たり年間60万円程度になるんですかね。
 その現状を見て、百歩譲って我々の人生の先輩が、体の具合が悪いんだから、よしとします。ところが、我々が働いたお金が回り回って40億円投入されているのに、新潟県のお年寄りは幸せじゃないというデータがあるんですね。このデータは何かというと高齢者の自殺率です。高齢者の自殺率というのは、この間最新のデータが出ましたが、新潟県は異常に高くて、全国でワースト4番目に入っているのかな。断トツで高いのはどこだと思いますか。秋田県です。秋田県は群を抜いて最近ずっと高齢者の自殺率がナンバーワンなんです。やはり東北地方に多いんですね。多いところでいうと、秋田、新潟、島根県、こういったところが高齢者の自殺率が高いです。
 その特徴は、独居老人ではなくて、3世代で住んでいるようなお年寄りに多いことです。ですから、息子や孫と一緒に住んでいるのに、これ以上自分が生きていても、息子や孫に迷惑をかけるだけだといって、納屋で首をつっちゃう。ほとんど鬱の状態になってしまっている。県や自治体としてもそういう事実は知っているんだけれども、打つ手がない。どうしていいかが、わからないのです。 
 そこで、何ができるのかという時に、社会の困り事を整理してみるというのは、すごく大切だな、と思います。まずは、物理的、心理的に外出ができない高齢者。例えば、車椅子を使っているとなかなか外に出ることができないですね。ところが、心理的に外出できないというのもある。別に外出そのものはできるんだけれども、家から外に出るのに、1日3本しか走っていない路線バスのバス停までもなかなか行けないし、外は寒いから、例えばパチンコ屋さんに行きたいとしますね。息子に、ちょっとパチンコ屋に行きたいから送ってくれないかって、言い出しにくいんですね。息子には息子の事情がありますから。子どもや孫に気兼ねしています。ですから、家を出るのを止めてしまいます。
 あと、小さな子どもがいる若いお母さんがベビーカーを押しているような状態は、この町ではほとんど見かけなかったです。やっぱりいろいろと聞いてみると、ベビーカーを持って紙おむつを持って、とてもじゃないけど、外に出られる状況じゃないそうです。行った先での配慮が何もないですから、非常に大変だという心理的なバリアがある。
 あと、地元の高校生に楽しみがないんですけれども、「この町に何か楽しみがあるとしたら、どんなものを作ってもらえたら、うれしいと思う?」と言ったら、高校生はライブハウスが欲しいと言うわけです。高校でバンドを組んでいる連中は、学校で練習はしているんだけれども、それを発表する場がないんですね。新潟県は寒いですから、路上ライブは寒いですし、駅前でライブを開いても駅から人が降りてこない。そういう環境で高校生もみんな18歳になるのを待っていて、長男以外は100%全部外に出ていくそうです。次男とかで地元に残っている人は皆無だと地元の人は言っていました。あとは、元気いっぱいの子どもたちです。
 こういう社会で、困っている人たちを一度整理してみる。バリアフリーと言っても、高齢者、障害者だけではなくて、さまざまな心理的、物理的なバリアを持っている人たちがいるということを頭の片隅に置いておいてください。
(図13)
 ほかにも社会で困っている人たちがいます。駅前商店街の人たちも困っています。もう半分以上シャッターが下りていました。駅前商店街といっても、駅が町の中心になってない、商圏が移動してしまっているんですね。ボランティアグループの人たちはいいことをしているんだけれども、資金援助してくれる人たちがいないから立ち行かなくなっている。
 警察の困り事。警察は、例えば地方でどういうことで困っているか。こんなこと言っていいかどうかわからないんですけれども、聞いた話ですが、飲酒運転ではほとんど捕まらないそうです。呼び止められても、「もうちょっと酔いを覚ましてから帰りな」と言われるそうなんです。よっぽど泥酔してない限りは。なぜかというと、車がないと身動きがとれないんです。そういう現実があるのです。でも、警察は、そんな状態でいいと思っているわけがないですね。何とかしたいけど、ノーアイデアです。代案が出せない。
 もう1つ、警察がきっとこんなことに困っているだろうなと思ったのが、高齢者の免許返上問題ですね。85歳のおじいちゃんとかが軽トラックを運転しているわけです。何でそう思ったかというと、この町に行った時に、あるショッピングモールに行ったら、車が非常にたくさん停まっていたんですけれども、車の停め方が非常に雑だったんです。じっと定点観測をしていたんですが、非常に高齢者の方、ご高齢の女性であるとか、割烹着を着たおばちゃん、そういった方が軽乗用車とか軽トラックを運転していまして、決して運転技術が高いとはいえない人たちも自転車がわりのように車を使うわけです。当然交通事故の問題もあると思います。そういったことに対しても、じゃ、どうするのが対策になるのか、ということがわからないわけです。
 自治体の困り事。これは合併問題なんていうのもありますけれども、合併したところで、自分たちでその先の行く末、ビジョンが見出せなくなっているんですね。市長さんも非常に困っている。それから、職員の方々も、現場では日々頑張っているんだけれども、やはり先行きの見通しがない。
 あと、病院。病院は儲かっているのかというと、40億円の医療費を投入したところでそれほどは儲かってないと私は思うんです。それは経営のレベルの問題もあります。私が医療のプロの方々といろいろ話をする中で感じるのは、本当に高度医療を必要としている人たちに、医療のプロの集団の人たちのリソースが提供できていないですね。本当は病院に来なくてもいいような人たちが、例えば8割、9割来てしまうと、本当に医療を必要としている人たちにはいいサービスが提供できない、というのが病院側の本音だと思います。ただ、「おばあちゃん、ここは集会所じゃないんだから、来ないでよ」というのは病院としては言えないですね。
 こういった困り事を私たちが、まちづくりというキーワードで考えていかないといけないと思っています。
(図14)
 ツールを使って人が幸せになるには、ということですが、私は、先ほどもお話ししたように、旅行というのは1つのツールにすぎないと思っているんです。新潟県の小さな町に我々のツールがどういうふうに関与できるのかというと、障害者の旅行会社がその町に1軒できたところで、やはり町は変わらないと思います。ところが、現場でお客様と同じ目線で困り事を見た時に、今度はちょっと高いところから地域全体を見たとします。皆様のご専門のまちづくりを考えられる時には、恐らく高いところから町全体を俯瞰して見るということを意識されている方が多いと思うんです。俯瞰してまちづくりというものを見る時に、それぞれのツールを持っているプロの人たちがどういうふうにまちづくりに関与できるのかということを、それぞれの人たちが考えるべきだと思うんです。
 例えば、美容業界はいろいろと考えているわけです。高齢者をどうするかとか、飲食店も活気がないので、どうしたらいいかということをそれぞれの業界では考えるんだけれども、ここが縦割りになってしまっていて横の連携が全くとれていないですね。
 ですから、私は、障害者旅行というだけではなくて、バリアフリーとかユニバーサルデザインという考え方をツールにして、町全体にシャワーのように浴びせた時にどんなことができるかということを今考えています。その小さな町に、これから私がどれだけ力になれるかというのはわからないですが、この町を元気にするポイントはシンプルです。2つです。
 1つは、気兼ねなく家から出たいと思った人が出ることができる仕組みですね。例えば電話1本で予約をしておけば、家の前まで迎えに来てくれるような移送サービス、だれにも気兼ねせずに、お金を払えば出ることができる。自分の目的の場所に目的の手段で出ることができる、という足の部分を仕組みにするということ。
 もう1つは、出たくなるきっかけづくりです。家から出ない理由が、1つは路線バスのバス停まで行けないということもあるかもしれないんですけれども、もう1つは、行きたくなる行き先がない。これが「きっかけ」です。家から出ずにはいられなくなるようなワクワク感、というものが町に存在していないんです。
 ですから、「出られる仕組み」と「出たくなるようなきっかけ」という、この2つを融合させればこの町は元気になると確信しています。そんなに簡単なことじゃないよと言われるかもしれないんですけれども、法律的にできるかどうかというのはちょっと棚上げしておいて、これは初めてお話しするんですけれども、私が今考えている仕組みを聞いて下さい。
 町の地域の交通が、基本的にはタクシーと、だれも乗ってない路線バス。市が年間5000万円助成金を出しているそうなんです。でも5000万円出してもだれも乗ってない。
 あとはタクシー。タクシー会社が4社あるんですけれども、やっぱり赤字ですね。お客さんがいないわけです。病院送迎ぐらいしか仕事がないわけです。過疎地の路線バスに助成金をジャブジャブ投入してもだれも乗っていない。タクシー会社も赤字だけれども、お客さんが降りてこない駅で客待ちしている。あとはボランティアの移送サービスというのがあります。これが最近立ち上がったそうで、ほぼ無償に近い料金で迎えに行くという仕組みを作ったところ、月間で700件ぐらい出動要請があったそうです。1日20件強ですね。やはり路線バスとタクシーと移送サービスでいうと、移送サービスが使い勝手が一番いいんです。ところが、移送サービスというのは白ナンバーで無償に近い状態でやってしまいますから、当然タクシー業界は批判するわけです。自分たちの敵だと思ってしまうわけです。そこで摩擦が起きているという話も聞きました。
 ですから、移動のインフラとして、地域の中で、どこに困っている人がいて、どこへ行きたいと思っているかを線と面でとらえた時に作れるSTS、スペシャル・トランスポート・サービス(Special transport service)を導入したらと思うんです。アメリカやオーストラリアではかなり進んでいるのですが、日本ではずっと議論されてはいるけど、なかなか根づかないですね。それは、例えば今、福祉の施策でいう移送サービスというものがあって、ボランティアの人たちが運転をする。地域のお年寄りや障害者の人たちが病院に来たいという時に、迎えに行くという仕組みなんですが、日本でSTSが根づかない原因というのは、1つは無償でやってしまっているために、できることに限界があるんですね。例えば、ドライバーさんの都合がつかないと行けないとか、元旦は無理。それはそうですね。元旦はだれだって休みたいですから、元旦の日にボランティアやる人は余りいないですね。そうすると、年末年始にどこか旅行に行きたいという時は、そもそもそのサービスは使えなくなってしまう。やって下さっている皆さんはすごく頑張っていらっしゃるんだけど、そこに仕組みとして経営を成り立たせるという視点を入れていかないと、私はだめだと思うんです。
 ボランティアベースというものでできることには一定の限界がありますが、そのスペシャル・トランスポート・サービスを、民間の力で、1円の助成金ももらわないでやる仕組みというのを私は作れると確信しています。成功の秘訣は、まずその利用者に200円とか300円とかという、実際にかかる運賃の半分のお金を払っていただいて、迎えに行く。もう半分を受益者が負担するんですね。例えば、パチンコ屋さんに行きたいと言ったら、パチンコ屋さんまでご案内して、かかる費用の半分をパチンコ屋さんが販促費で持つ。病院は自前のバスを持つよりは発生ベースで来てくれた人の費用の半額を持つという方がいいですね。市役所に行ったら、市役所は行政サービスですから、その費用の半分を持てば、5000万の助成金をバス会社に流すよりはいい仕組みがつくれるんじゃないか。これで、お年寄りが自分のお金を払って気兼ねなく出られる仕組みを1つ作ります。
 もう1つは、楽しくなる、ワクワクしたくなるようなきっかけを町の中にどんどん植えつけていくということです。
 それは、さっきお話しした発表する場がない、ライブをやっている高校生たちがその場を提供されることによって、そこにお年寄りが聞きに来るというイメージです。
 ご高齢の方が一番元気になるのは、若い人たちと一緒にいるということだと、私は仕事をしていてつくづく感じます。おじいちゃん、おばあちゃんが入院していても孫を連れていくとすごく元気になりますね。あれと同じ理屈です。ご高齢の方は病院で高齢者同士が集まるよりも、若い人たちのエネルギーを発散している所にいたいという欲求があるのです。ですから、こういうことをつなぎ合わせていくことで街が元気になるんだ、と考えております。
(図15)
 それから、ユニバーサルデザインのビジネスセンスということで、ユニバーサルデザインにビジネスの考え方を入れるのがいいのか悪いのかという議論があります。どちらも私は正解だと思います。私は今、経営者をやらせていただいていますので、ビジネスとして見た場合に、どうなんだろうという話をさせていただきます。
 まず、だれにサービスを提供したいと思っているのかということ。顧客特定ができていないユニバーサルデザインサービスが非常に多いのではないでしょうか。これはまちづくりをする時もそうなのですが、ユニバーサルデザインって、誰にでもあまねく広くですね。これと実は相反しているように見えるのですが、誰にでもあまねく広くということと、顧客特定をしないこととは違うということです。ここの違いが非常に大きいのではないでしょうか。
 誰というのが、例えば100人いるのであれば、その100人の顔を1人1人ちゃんと見極めていくことが大切だと感じます。我々は、だれが私たちのお客様なのか、ということを必ず決めて商売をしています。例えば自治体、行政といったところがまちづくりのユニバーサルデザインに取り組むのであれば、誰がそのまちづくりという行為に対してのお客様なのか、ということをきちんと明確にしておくことが大事だと感じます。
 それから、何を提供したいのかということです。これもユニバーサルデザインを議論する時に、時々道がそれてしまう話なのですが、ユニバーサルデザインそのものが目的化してしまう危険性が高い、と感じています。どういうことかというと、お客様の目標達成を応援する気があるのかないのか、というところです。ユニバーサルデザインのまちづくりというのは、そのこと自体は目的ではないんです。まちづくりというと、そこに物ができ上がるので、目的のように感じがちなのですが、ユニバーサルデザインの町を作った結果、そこに住んでいる人、または旅先としてよその土地からそこを訪れた人たちが、そのより良い町というものを通じてどう変わっていけるのか、何を達成できるのかという通過点に過ぎないわけです。
バリアフリーとユニバーサルデザインの違いは何かとか、バリアフリーの1つ上のステージにユニバーサルデザインという考え方があるという議論があります。それらは間違いではないのですが、1つだけいえることは、バリアフリーもユニバーサルデザインも山の頂上に登るための登山道の1つだということです。大きな山があって、ゴールがあって、そこに登るに当たってどの道から行くかということ、それは皆さんのスキル、専門性、興味、そういったもので登る道は違っていいと思うんです。ただ、どこに登るかはみんなが決めておかないとだめだということです。
 ユニバーサルデザインを議論する時に大切なのが、我々が山を登る時、頂上はどこなのかということ、マラソンで言えば、ゴールテープがどこにあるかということを、決めてから走り出さないといけないのです。これは、関係する人たち、専門家の人だけじゃなくて、我々市民の責任でもあります。議論だけして話がなかなか先に進んでいかないというのは、マラソンを走り始めているのにゴールのテープの場所が決まっていないからではないでしょうか。どんなに長い道のりでも走っていればそのうち着きますから、ゴールさえ特定できていれば、時間がかかっても目的は達成されるはずですが、何を提供したいと思うかの  「何」がユニバーサルデザインそのものになってしまう危険性というのはあるのではないでしょうか。
 あと、「お客様は何を求めていますか」。これはサービス業のセミナーでよく申し上げることなんですが、サービスの提供者側がこうしたいと考えていることと、お客様が真に欲していることは実は違っていることが多いんです。私も偉そうなことは言えませんが、会社を作った時、バリアフリーツアーというのはリフトバスを手配して、ハンディキャップルームを確約することだと信じて疑わなかったんです。ところが、お客様と話をして、よくよく聞いてみると、「いや、そうじゃないんです。荷物を持って家から出られないんです」ということだったりするわけです。
 ユニバーサルデザインを考える時に、ハード面ばかりに着目をしてしまうと、大切なものを見落としてしまうというのは、そこのバックグラウンドとして、そのハードでお客様が何を欲しているのかというところに気がつけないからです。
点字ブロックをつけるかつけないかというのは、これは視覚障害の方に怒られてしまうかもしれませんが、まちづくりの中ではそれほど重要なことだとは私は思いません。法律で決まっているんだったら、つければいいと思いますが。
 私が、カナダのカルガリーという町に住んでいた時に驚いたのですが、障害者、高齢者、さまざまな人たちが普通に町に出てきているんです。ショッピングモールに全盲の人が1人でたたずんでいたりするんです。これも土木関係の講演の質疑応答の時にあったんですが、点字ブロックを敷くべきかどうかということを、自分はその担当なんだけれども、いつも悩んでいる。敷かなきゃ怒られるし、敷くと迷惑だって言われると言うんです。ところで、カナダには点字ブロックってあるんですかって聞かれたんです。結論からいうとほとんどないです。じゃ、カナダの視覚障害者の人たちは外出に対しての安全が保障されてないのかというと、そんなことはないですね。
 視覚障害者の人が外に出るイコールすぐに危ないとは決めつけられないのです。点字ブロックさえつければOKと言うのでもありません。視覚障害の方々って、我々よりはるかに感性がすぐれていますから、いつも出かけているところでは、別にサポートは要らないんです。わかるんです、全部。
 大阪に全盲の私の友人がいて、この間会って食事をした時に、大阪の梅田で待ち合わせました。彼は全盲で白杖をついていますから、私が手引きを当然するわけです。ところが、手引きをして彼が歩き始めたら、彼が前を歩くんです。どうしてかというと、彼はもう道がわかっている。地理不案内の私はついていくだけです。「本当は見えているんじゃないの」と言ったら、「いやいや、おれ、全盲だよ」と言うんです。そのくらいずっと普通に商店街を抜けていくんですね。「何で、わかるの」と聞いたら、商店街を歩いていて、どこが境目かというのは、例えばアスファルトのところから路面がレンガに変わったとか、果物屋さんの前を通過したとか、匂いでわかるわけです。細い路地を越えると横から風が抜けるから、それでわかると言うんですね。我々は道しるべとして目でいろんなことを覚えています。だけど、視覚に障害のある人たちは視覚以外の4つの感覚で道を覚えているんです。
 実は我々も通勤という行為を毎日していますが、途上ではほとんど視覚を使わずに多分通勤していると思います。なぜかというと、ボーッとしていてもちゃんと会社に着きます。どんなに酔っぱらっていても、お父さんは家に帰ってきますね。ほとんど視覚が使えない状態にあっても、人間って帰ってこれるんですね。それと同じだと思います。東京三菱のところを左とか言いながら、毎日会社に行く人はいないと思うのです。人間は視覚以外の4つの感覚を使って、生活をしているんですね。
 ですから、真に欲していることは、点字ブロックという物理的なものではない可能性が高いですね。ある視覚障害者の団体の人が自治体に陳情に来たとします。「点字ブロックをちゃんとつけてくれなきゃ困るじゃないか」と言ったとします。それは確かに、ないよりはあった方がいいのでしょうが、その人の本当の目的は「物理的な点字ブロックの設置」ではない可能性が高いです。何千人という障害のある方とお話をしていて、本当のことを口にしていないと感じることが多いですね。「何となく私が感じているストレスを、あなたは文句を言わなそうだから、ぶつけているのよ」という状態が、特に行政の窓口なんかでは多いのではないかと思います。行政で働いている方はとてもまじめでいらっしゃるから、全部正面から真に受けるので、どうしていいかわからなくなってしまうのです。
 ところが、その奥にある心の痛みとか、悩みというのはどこから来ているんだろうということをさりげなく問いかけてみると、「実はね」と言って、本当のことをおっしゃることが多いんです。何で僕たち障害者は安い旅行ができないんだとかいっている人も、別にH.I.S.の格安旅行に行きたいとか口にしているわけじゃないのです。そのバックグラウンドにある生活上のストレスであるとか、人生の心の痛みとか悩みを誰かにわかってほしい、と共感してくれる人を探しているのです。



5.プロの仕事、まちづくりへの期待

 

 (図16)
 私は、まちづくりというのは、プロである皆さん方が今おやりになっていることをそのまま進めていっていただければ日本は確実によくなると信じています。この10年、本当によくなったと感じますし、旅行はしやすくなりました。
 施設、建物のユーザビリティーもよくなりました。田舎に大きな立派な建物ができて、そんなものは必要なのかという議論はありますが、その地域に行ってみると、地域の方はその建物を誇りにしていたり、よりどころにしたりするんです。私はそれはありだと思います。税金のむだ遣いということと、シンボリックな地域の誇りが必要か否かということとは、別次元の問題だと私は感じます。
 最近東京以外にお招きをいただくことが多くて、1年の半分以上は東京以外の地方にいます。つくづく地方に行って感じるのが、東京にいると問題の本質が見えなくなってしまうということです。東京にいると便利ですし、情報もあふれていますし、いろんなこういった議論もできます。
 先月私、奄美大島の名瀬市役所から講演のお招きをいただいてお邪魔したんです。初めて奄美大島というところに行きました。人口10万人以上いらっしゃる決して小さくない島です。バリアフリーのお話をさせていただいたら、どこから聞きつけたのか、名瀬の障害者の方々が大勢集まってきて下さった。車椅子の方なんて絶対に町で見かけないのに、その会場に車椅子を一生懸命こいで集まってこられるわけです。そのぐらい情報がないところには全くないわけです。「車椅子で旅ができるという話?」と言って、万障繰り合わせて障害者の人たちがやってくるんです。全盲の方もいました。名瀬市にこんなに全盲の方が住んでいるんだというのを主催者の人も驚いていました。
 そのぐらい、情報がないところには情報が存在しないんです。地方との格差ということがよく言われますけれども、物事の本質を見る時には、東京にいると大切なことを見失ってしまう可能性もあるな、と感じることが最近多いです。
 私たちにできること、できないことという話ですが、これはだれかが悪い、行政だけが悪いとか、こんな設計をしただれかが悪いとか、民間の会社が悪いとかいうことではなくて、それぞれの立場とか役割でできることがあるよね、ということを呼びかけていきたいなということ。
 一番大切なのは、できないことをはっきりさせるということです。頑張ることはもちろん大切なんですけれども、何ができて、何ができないのかということのできないことを決めるって、すごく大変な作業なんです。けれども、ここをしっかりとやっておかないといいサービスは提供できないですし、ユニバーサルデザインの限界を知るということも非常に大切だと感じます。
 さっきカナダの障害者が何で点字ブロックがなくて困らないのかという話をし忘れたんですが、困っている時にはだれかが声をかけるからなんです。困っているか困ってないかというのは、見ているとわかるんです。ところが、日本で全盲の方が歩いていたとします。私もよくご一緒しているんですけれども、困っていない場面で日本人の方は声をかけてくるんです。目が見えない人が外に出るのは、それは大変なことだろうと思って、荷物をいきなり横から取って持ったり、困っている場面と困っていない場面を見極める力が日本人は足りないんです。これは日本人の教育が悪いのではなくて、場慣れしてないんですね。視覚障害者の人を町でそんなに見かけないじゃないですか。40万人いると言われている視覚障害者の人たちを見かけない。盲導犬というものが、40万人近い視覚障害者の人がいるのに、日本にはまだ800頭ぐらいしかいないんです。場慣れしてないことから来る不慣れというのはあると思います。
 できないことをはっきりさせるということは、我々も障害者の人が困っているからといって手伝えないこともあるんだということです。それはシルバーシートに具合の悪い時に座っていて、目の前にお年寄りに立たれた時に絶対に立たなくちゃいけないことはないわけです。自分も風邪を引いていて具合が悪かったら座っていていいわけです。だけど、日本の社会というのはそういうことを認めてくれない風潮があるので、バランスが悪いのかなという気がします。
(図17)
 最後になりますが、潤滑油があれば皆がハッピーにという話です。潤滑油という言葉が私は大好きです。潤滑油がないとエンジンもうまく回転しないのと一緒で、我々1人1人がプロとして潤滑油であることに徹底すると、いろいろな仕組みがつながって来ます。我々は旅行というツールを通じてお客様をハッピーに、幸せにしたいと考えています。しかし、その空間やサービスを通じてスタッフにもハッピーになってほしいと願っています。
 どんなにお客様が笑顔でも、従業員が鉢巻き締めて汗流して、歯を食いしばっていたのでは決して良い状況ではありません。やはり働いている人もハッピーであることが大切です。そして、経営者のハッピー。経営者のハッピーというのは、私は大まかに2つあると思います。1つは、利益がちゃんと出ること。利益がないと、会社は継続することはできないですから、きちんとしたサービスを提供して、その対価としてお金をちゃんとちょうだいできる仕組みがつくれること。もう1つは、この会社を作って良かったと心から感じる場面というものを感じられることです。小さな会社でも1部上場企業でも一緒ですが、その会社があるからこそ、お客様が人生を変えるほどの経験を提供されることがあるわけです。ですから、経営者のハッピーというのはこの2つではないかと、私はそう思っています。
 さらに、もう3つ、私はあると感じています。1つはお取引先です。旅行を通じて、例えば我々の旅行を受け入れて下さる旅館とか、そこの町の観光協会の人とか、そういった方々も、このお客様の笑顔を見て元気になれる。それから、お店、地域というのは、例えば美容師さんをやっていて、最近商売がうまくいかないとか言う時に、隣のコーヒーショップのこととか、そこの商店街、自治体のこと、そういったことも含めてサービスというものを一緒に考えていくことが大切なんじゃないかということ。
 そして、我々がお世話になっている自治体というところがやはり元気であってほしいと強く感じています。私もサラリーマンをやっていた頃は、こんなことは全く思っていなかったです。明細を見て、今月も税金が高いなと思っていただけです。ところが、会社をやって本当に良かったなと思うのが、今度納税する立場に回るわけです。納税は今までもしていましたが、自分で確定申告をして、納税をしに行って、何がしかのお金を払うわけです。そうすると、自治体というものを我々が作っているという意識を持てるようになってくるのです。ですから、そこでどんなお金の使われ方をしているのか。せっかく使うんだったら、有効に機能してほしい。自治体だって経営をしていかなくちゃいけないですから、助成金とかいってももうないわけです。何せ税収がないわけですから、入ってこなければ出せない。これは経営の原則です。ですから、ちょっと評論家的な言い方になりますけれども、自治体にはとにかく税収を増やしてもらって、それを最も効果的に住民の幸せのために使ってもらう、というすごくシンプルな考え方に我々も関与していくべきだということです。
 新潟県の小さな町もそうですけれども、地域の人たちが、例えば老人医療費が40億円も使われているとか、自殺率が全国で高いレベルだということをご存じないんですね。やはり知らなければ始まらない。自分たちを知ることが大切。その中でユニバーサルデザインというツールを通じて、その地域の人たちの目的に向かってどういうふうに進んでいくのか、ということをみんなが考えていかなくてはいけないのかなと思っています。
 大変長いお話になってしまいましたけれども、今日皆さんにお話ししたかったことは以上です。日ごろのお仕事と関係のない話が続いて退屈された部分もあるかもしれませんが、この後質疑応答の時間も設けて下さっていますので、忌憚のないご意見、ご質問をいただければと思います。
 長い時間おつき合いいただきましてありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

與謝野
 ありがとうございました。現場のナマの声をはじめ、ある意味での新鮮さの感じられる貴重なお話を頂きましたが、この場で高萩さんにご質問をしたい、あるいはあのお話をもう一度お聞きしたいとか、もう少し詳しいお考えをお聞きしたいことなどがございますればお受けいたします。どうぞご遠慮なくお申し出下さい。
角家(コンピュータ パソコン IT講師)
 間組OBの角家正雄といいます。本日はどうもありがとうございます。
 ちょっとお尋ねいたしますが、世界旅行をいろいろされて、身障者をお連れして、ハワイの例は挙がっておりましたが、どこの国が身障者にとって一番優しいと言いますか、あるいは身障者をお連れしていくのに、どこの国が日本人にとっては一番優しい国か、幾つか例を挙げて説明していただければありがたいと思います。
高萩
 今日は海外の話を余りしなかったんですが、身体障害者、障害がある方にとって海外のどの国がいいのかということもよく聞かれます。私どものお客様とご一緒した国の中で、私の一番印象に残っていて、何度でも訪れたいなと思ったのはネパールです。あとはモンゴルにも行きましたし、インド、フィリピンにも行きました。これはある身体障害者の方にとっては、私と同じ感想です。本当にすばらしい国だとおっしゃってくださいます。また別のある障害者の方は、こんなのはバリアフリーじゃないというかもしれないんです。
 それはバリアフリーというものを、その国のハードの面でとらえるのか、国全体が持っているホスピタリティーであるとか、醸し出している空気でとらえるのかということで、これは障害があってもなくても、あの国が好きとか、この国はちょっとというのが皆さんそれぞれあると思います。全くそれと一緒で、障害があってもなくても、好きな国、嫌いな国というのは人それぞれだと思うんです。
 ただ、今のご質問の趣旨で、障害がある方が一番自分の障害を感じない国、これは私は日本人にとって最初の入り口としていいのはハワイだと思います。ハワイは、文化が日本人をすごく受け入れる風土を持っているので、日本人が向こうに行った時に感じるストレスがまず少ないです。例えば日本語の表記が多かったり、日本語が通じるところが多かったり、日本食が食べられたり、これもバリアなんですね。食事が合わないというのは、海外旅行の大きなバリアなんです。そういう意味では、ハワイはいいなと感じます。
 私が海外旅行にお客様とご一緒した延べのお客様人数でも、圧倒的に多いのがハワイだと思います。海外旅行の半分以上はハワイに出かけています。それはお客様に成功体験を持っていただきたいからなんです。「自分も、もう一度旅ができるんだ」とか「自分の障害を気にせずに、人生をもう一度生きていけばいいんだ」という成功体験を必ず持っていただきたくて、最初から余り高いハードルを設けてしまうと、そこでトイレの失敗とかしてしまった時に、もう出かけなくなってしまうんですね。そういったことのないように、1回目の大きなチャレンジはハワイに設定することが多いです。
 実際に旅行に行かれた方が、面白いことをおっしゃいます。ハワイを旅行していると、「高萩さん、おれ、自分が車椅子だっていうことをこの3日間すっかり忘れていたよ」とおっしゃるんです。それは段差がないからではなくて、自分のやりたいと思ったことが全部かなうからなんです。レストランに入りたいと思う時に、我々はどのレストランで食べたいか、メニューを見たり、今日は何料理にしようかと決めますね。ところが、障害がある人は、日本の場合、そのお店に入れるかどうかまず心配するんです。入れないことが残念ながらすごく多いのです。問い合わせても「うちはちょっと狭いので」とかって、暗に門前払いされるということも、嫌なほどお客様が経験されている。そういった意味でも、ハワイに行くと自分がやりたいことは全部かなう。そのストレスのなさは非常にかけがえがないものだと感じます。
 もう1つ、ハワイですごくおもしろい経験をしたので、ご披露させて下さい。交通事故で首の骨を折られて、首から下が全く動かないという男性の方とハワイにご一緒しました。その方は昔サーファーでいらっしゃって、波が見たいというのがご本人の希望だったんです。向こうに行ってレンタカーを借りてずっと毎朝毎朝、朝早く夜の明ける前から波を見に行っていました。あちらの、アメ車の大きい福祉レンタカーというのは、スロープが横に出てくるタイプなんです。日本の福祉車両は、例えば、トヨタのハイエースを想像していただくとわかりやすいと思うんですが、後ろからリフトが出てきて、中に車椅子ごと収納するタイプの車が福祉車両で走っています。
 ハワイに行った時に、横から入るレンタカーを借りて運転していました。3日目だったと思うんですが、波を見に行った帰りに、ハイウエーをドライブしていたら、正面にパールハーバーがすごくきれいに見えてきて、「山口さん、パールハーバーが見えてきましたよ」「あ、本当だ」という会話をしたんです。その会話は私にとっては何の意識もせずにした会話なんですが、山口さんが、夕食を食べている時に、「高萩さん、おれ、あのレンタカーに乗って、高萩さんとあのパールハーバーが見えたという会話をしたときに、何か普通に戻ったような気がした」と言われたんです。私、言っていることの意味がわからなかった。
 山口さんはご自宅で奥様が運転して福祉車両を使って病院とか月に1回ぐらい外に出るそうです。日本の福祉車両というのは残念ながら貨物車をベースに作っているので、1つは乗り心地が悪いんですね。もう1つは、後ろから乗って、車両の最後部に車椅子を固定した状態で、山口さん、ちょっと大柄な方なので、少しリクライニングさせないと頭がぶつかってしまって入らないんです。そうすると、山口さんは乗っている間じゅう天井しか見えないんです。奥様が運転をしていて、これは後から奥様に聞いた話ですが、「あなた、あなた、見て、梅の花が咲き始めたわよ」とフッと言った時に、山口さんは天井しか見えないんです。夫婦の会話が車内で成り立たないんです。そのことに対して、物すごいストレスを感じていたそうです。
 それは床が高いからいけないんです。けれども、アメリカの車両は、床を掘り下げるんですね。ですから、乗った後ちょっと下に下がるんです。なぜそうするかというと、車椅子で車内に固定した時に、乗っている人の目線が運転席、助手席の人と同じところに合わなくちゃいけないと決まっているんです。それが乗る人の権利なんです。同じ目線で、車内でたたずむということ。ですから、当然ですけど、山口さんと私は同じ景色を車内で見ているわけです。
 ちょっとしたことなんですけれども、考え方だと思います。こういう小さな印象の繰り返しがハワイをバリアフリーの国だと印象づけているんじゃないかと感じております。ちょっとお答えから外れておりますが、そのような印象を持っております。
角家(コンピュータ パソコン IT講師)
 ハワイの話はよくわかったんですけれども、最初にネパール、モンゴル、インドなんかの例を挙げられましたが、どこがどのように身障者に優しいんでしょうか。具体的に例を挙げて教えてください。
高萩
 ネパールに行った時、ポカラという町がありまして、ヒマラヤがよく見えるんです。ここでお客様とご一緒していた時に、ネパールというのは皆さんが想像するとおりバリアだらけの町なんです。ホテルの中ももちろん階段もあります。だけれども、杖をついている私のお客様が1人でずっとレストランに向かうとしますね。その辺で草を切っているおじさんがいたとしますと、階段の手前まで来ると、チョチョチョッと駆け寄ってきて、手を支えてくれる。そうすると、その向こうではホテルのロビーにいる人がドアを開けてくれる、というのがごくごく当たり前にできる国なんです。モンゴルもそうです。タイなんかもおせっかいですけど、そうです。アジアの国はみんなおせっかいなので、どこからともなく人がやってくるんです。
 私がネパールで感じたことは、これって、昭和40年代から50年代の日本じゃないかと思ったんです。我々が多分余りに忙し過ぎて忘れてしまった、人間本来が持っている心が、ネパールの場合はそのまま残っているんです。
 トヨタのカローラがタクシーで走っていたんですけど、昭和47年式ぐらいのが現役で走っていました。その車が走っているのと同じホスピタリティーが国の中にありました。
 私は、日本人はその心を失ったのではなくて、忙し過ぎたりして、五感がだんだん鈍っているうちにその心にふたをしてしまっているだけなんだと思っています。私、障害のある方と旅をしていると、日本人ってすごく優しいなと思うんです。ただ、自分からそれを積極的に表に出すことを、なるべくしない方がいいというような社会になってしまっている。余計なことをすると刃物が出てきたりする世の中ですよね。だから、やっぱり自己防衛が働き過ぎてしまっている。ネパールやモンゴルというのは、一番わかりやすい言葉を使ってしまえば、究極の心のバリアフリーがあった国だと思います。
角家(コンピューター・パソコン講師)
 よくわかりました。ありがとうございました。
與謝野
 他にご質問等はございませんでしょうか。
 それでは私の方からお願いがあります。障害を持っておられる方々の環境でのバリアフリーを町興しのツールにして町に活気を起こさせるというお話がございました。例えば、気兼ねなく家を出る仕組みとか、引っ込みがちな人に出たくなるきっかけを組織的提供する、そういったお話がありましたけれども、その中の「STS」について、どういう都市経営の感覚を持って日本に根づかせればいいのか、そのあたり補足的にお話しいただければありがたいんですが。
高萩
 STSというスペシャル・トランスポート・サービスというのが、このまま日本に入れると一番うまくいくんじゃないかなという1つの事例を、オーストラリアのケアンズの郊外にある1つの仕組み、これはNPOがやっていますが、ご紹介したいんです。
 オーストラリアというのは人口過疎地帯が多いんです。家が離れているんです。それぞれに高齢者が住んでいるわけです。病院に行かなくちゃいけないとか、ショッピングモールに買い物に行きたいというニーズをそれぞれの家で持っているわけです。現状の福祉の世界の移送サービスでいうと、その1軒1軒をバイ・オーダーで対応するわけです。これは効率が悪い。
 一番わかりやすい事例、病院に行きたいという高齢者のニーズがそれぞれのA、B、Cという地域にあったとします。緊急度の低いお年寄りは何が何でも今日絶対に病院に行かなくちゃいけないわけではないですね。例えば月曜日と木曜日を病院の日と決めたとします。月曜日と木曜日は前日までに予約が入ったら、Aという地域の病院へ行きたい希望のお年寄りをマイクロバスで集めて病院に向かう。予約制の乗り合いバスのようなものです。
 それでは、火曜日はどうするかというと、Cというショッピングモールに行くバスを出すんです。そうすると、買い物に行きたいお年寄りが、Bという地域からCというショッピングモールに行くバスが乗り合いになっていまして、前日までに予約が入ると玄関まで迎えに行ってまた戻ってこれるという仕組み。これがSTSの一番わかりやすい考え方ではないかと思います。
 それに近いのが、地方で路線バスが手を挙げるとどこでも停まってくれる、というのがあると思うんです。今の過疎地の路線バスの決定的な問題点は、時間拘束されていることです。乗る乗らないに関係なく、1日3便という状態です。ですから、それに生活を合わせなくちゃいけない。時間に合わせるのではなくて、例えばウイークリーのスケジュールに合わせるという考え方もできるわけです。お客さんが乗らないバスを1日3便、週21便走らせるのであれば、その21便をウイークリーに行き先を変えて、そのかわり家の前まで迎えに来るという考え方にして、ニーズに合わせてスケジュール変更するという考え方。ウイークリーという考え方が、日本の公共交通機関には余りないんですけれども、飛行機なんかはそうですね。毎週月木就航というのは、飛行機はデイリーで飛ばすほどのボリュームはないんだけれども、そこへ行きたい人は曜日を合わせて乗るわけです。例えば成田からデンバーという飛行機が飛んでいたとしますね。デンバーに行く人は毎日300人はいないんだけれども、集まれば週に1回は飛行機を飛ばすぐらいのお客様がいるわけです。
 ですから、緊急度が低いという人たちを交通整理して、要は黒字経営するためには1つのバス当たりの乗車定員の稼働率を高めるということがポイントになってくると思いますので、そういう形で運行する。
 その中に、我々が持っているコンテンツで、マンスリーのスケジュールの中で、毎週土曜日は、今週はお花見に行くバスを出すとか、来週は日帰りの温泉に行くバスを出すとかいうところで人を集めていって、メリハリをつける。ですから、病院に行く、役場に行くというニーズを満たす日があってもいいし、レクリエーョションというニーズを満たす日があってもいいんじゃないか。
 これは医療、福祉じゃなくて、民間のサービスの考え方を提供することでできるようになってくるかなと考えております。
與謝野
 ありがとうございました。それでは時間が参りましたので、本日はこれで高萩先生のお話を終わらせていただきたいと思います。今日のキーワードは「心のバリアフリーを如何に解きほぐすか」と言うところにあったかと思いますが、まちづくりにおけるユニバーサルデザインについての根本的な課題であるこの心のバリアフリーをめぐるさまざまな実体験を交えての貴重な現場のお話、ノウハウ、発想等のご紹介がございました。きょうのお話を皆様の日ごろの仕事の上で生かしていただければ、 主宰者としては誠に幸いでございます。
それでは、最後に、高萩先生に絶大な拍手をもって感謝の気持ちを表して頂きたいと思います。ありがとうございました。(拍手)


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