ですから、いつも人に会う時に、その人がどういう家に住んでいるのかなというのをずけずけと聞いてしまうところがありまして、ある日、読者の方々にアンケートをとりました。「あなたは、もし今、家を建てるとしたら、予算はお幾らくらいでお考えでしょうか」。そうしましたら、80%の方々が、1500万円から2000万円だと回答されてきました。これはくしくも日本で2年前大変売れていましたインテリア雑誌のアンケートの回答と同じでございます。
1500万円から2000万円です。今デフレで住宅も安くなっておりますが、私の印象の中ではずっと、家というのは高い、何故日本の家はこんなに高いんだろうなということがありまして、このアンケートの結果を見て、我が意を得たりという感じでほっとしたのを覚えております。
2. 日本人とイギリス人の住まいに対する価値観の違い。なぜ古家は壊されるのか?
イギリス人はどんな家に価値を感じるのか?など。
(図7)
さて、私の個人的なお話に移らせて下さい。私は、18歳でこちらの大学に出てきましたが、最初に住んだ家というのが、神奈川県の農家の離れにあります納屋の2階でした。ゴキブリやネズミとかはい回るような、古い古い納屋の2階。家賃が1万円でございましたが、いつか東京に家を持ちたい、自分の家を建てたいということをずっと考えていて、家を持つのであれば吉祥寺がいいというふうに長く思っておりました。
今、いろいろなショッピングセンターもオープンしたりして、吉祥寺というのは住みたい町ナンバーワンということで報道されておりますけれども、自然があり、一大商業圏が広がり、400メートル以内ですべて事足りる。吉祥寺の良さを、いろいろな人がいろいろなことを言いますが、私にとっては、何といっても日本にはない、古いものと新しいもの、近代と旧式、高齢者と若者、いろいろな価値が共存する町というのが最大の魅力で、居心地がいいなと思うわけです。ここにどうしても我が家を建てたいと思いました。
私が土地を探し始めたのが30代半ばくらいからです。バブルの影響がありまして、武蔵野市の吉祥寺といえばまだまだ土地が高かったのですが、明けても暮れても吉祥寺で土地を探しておりました。
(図8)
知り合いの大手仲介業者の方とやりとりをしている中で、いろんな面白い物件を見させてもらいました。ある晩、この知り合いの仲介業者から、夜の10時過ぎでしたか、電話がかかってきたんです。私は、吉祥寺の中でも特定のエリアを希望しておりましたので、どこでもいいということではなかった。そのため、かなり土地探しというのが難しかったんですね。10時過ぎにかかってきた電話というのは、大体出物が出た時の電話で、営業マンが夜中に売ろうかどうしようかと悩んでいる人のところにパッと行って、専任契約をとって、後ろに列をなして待っているお客さんに「出ましたよ」とかかってくる電話が夜10時の電話だというふうに私は認識していました。だから、10時過ぎに電話がかかってきた時に、「出た」と思いましたね。3年越しで探していましたが、それくらい、その時の電話は嬉しかったんですね。「井形さん、井形さんが希望するエリアに土地が出ました」、やったーっという感じですよね。
(図9)
実は吉祥寺は、本町、南町、東町、北町といろいろエリアがあって、私は吉祥寺の北町の番地限定で探していたんです。やりづらかったと思います。「土地が出ました」、やったーっ。「で、どうですか」と言ったら、「1つだけ問題がありまして、古家つきなんですよ」と言われたんですね。「あらー」と思いました。私は、古家というからぼろぼろの物件のイメージがあると思ったんですけれども、まあ、行ってみてびっくりしました。宮大工が建てられるかどうかというような、歌舞伎門の家だったんですね。 ぼろぼろの古家というふうに聞いた時は、私はそれまでイギリス風のコテージのような古い小さい家を自分の手で建てたいと希望しておりましたので、どうしようかなと思ったわけなんですが、その家を見た時に、これだったらジャパネスクに戻ってもいいな、ここをリフォームしてもいいなと思ったんです。というのは、仲介業者の方に案内されて、玄関を入ったんですけれども、歌舞伎門のドアをガラッとあけまして、玉砂利の料亭のような道が続き、玄関は総ヒノキ、柱、つくりつけ収納、棚と、相当古い時に建てられた家だと聞きましたが、寸分の狂いもない。
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