連載コラム  
 
Topic 28 「活用される広場」とは?
  〜何気なくつくられる広場について考える〜
 
西尾 京介
 
 
●広場に「親しんで」いますか?
 
 広場は、今や日本の都市においても欠くことのできない、大切なまちづくりの要素と考えられている。しかるに、日本において広場が人々に愛され、親しまれ、都市住民の誰の日常にも溶け込んで利用されているかといえば、そんな感じはしない。このコラムの読者の中にも、「自分には普段から利用しているお気に入りの広場がある」という人は少ないのではないだろうか。1919年に日本ではじめて都市計画法が制定さつと位置づけられた。それから一世紀近くの年月が経過しているのに、どうして日本の都市では広場が親しまれる存在として定着していないのだろうか。本稿ではこれについて考えてみたい。
 
●浸透しなかった輸入広場
 
 ヨーロッパ、特にイタリアなどでは、広場は古来、都市の中でしかるべき機能を果たす空間として明確に位置づけられてきた。政治や軍事、宗教の集会の場として利用された古代ギリシャの「アゴラ」に始まり、中世、ルネッサンス期と時代を経るにつれその機能は変化していったものの、広場は道路などとともに常に都市計画の一要素として扱われ、大小さまざまな広場が形成されてきた。
 
ポポロ広場(ローマ)
  出典:「広場の空間構成」三浦金作
 
 これに対して、日本の都市にはそもそも広場がなかったといわれている。平城京や平安京の図をみてもそれらしきものはないし、現在の日本の多くの都市のプロトタイプとなった城下町にしても、火除け地や広小路などを除いて、広場というものは見られない。では一体何が広場の代わりをしていたかと言えば、それは道であり、社寺の境内、鎮守の森、河原などが広場の機能や役割を果たしていた。決まった場所や空間の形態を持たず、ニーズに応じてその都度「広場化」する。これが日本の都市空間の特徴だったのである。
 明治以降、こうした状況に変化がもたらされる。都市づくりにも西洋の概念と技術が導入されるにつれ、シンボリックな街路や公園などと同様、広場もまた近世日本の都市空間にはなかったものとして輸入されたのである。しかし、面白いことに一部の象徴的な空間は除いて、広場は人々の日常空間の中に浸透しなかった。街区を再構成する事業が行われなかったというのが大きな理由だろうが、関東大震災後の帝都復興計画の際、御料地や財閥の寄進によって新たにつくられた数多くの「小公園」までもが、現在に至るまでにほとんどその姿を消してしまっているところをみると、人々は明治以降も変わらず、道や寺社の境内などを広場化して利用する生活を送っていたことが伺われる。
 加えてさらなる変化が訪れたのが、戦後のモータリゼーションである。モータリゼーションによる自動車の氾濫は、それまで人が中心であった道を自動車が中心のものへと変えていき、同時に人々にとっての「広場空間」を奪っていった。戦後以降のまちづくりにおいて作られた数多くの広場は、この失われた身近な公共空間を代替する機能として期待されていたに違いない。しかし、それでもなお広場は人々の生活空間として定着しなかった。それはなぜだろうか。
 
●日本のマチはやっぱり「ミチ」型?
 
 一つは気候的にみて適性に欠けるという見方がある。つまり、日本の気候には適していないということである。日本は夏蒸し暑く、冬寒い。さらに暖かい気候の時期に梅雨があり、天候は変化しやすい。屋外で安定して快適に過ごせる時期が短い。三浦金作はこうした点を日本で広場の文化が発達しなかった一因として考察している。それは、日本においてアトリウムという広場空間が多用され、魅力あるアトリウム空間の創造が進んでいることからも伺いしることができる。
 今一つは、街区の構造である。そもそも日本の都市は大部分が街区の内部に共有の空地を持たず、人々は道を介在してコミュニケーションをとる構造となっている。こうした街の構造では、人々の情報交換や交流は、必ずしも広場のように決まった空間で行われるわけではない。モータリゼーション以降、自動車によって占拠されてきた道を都市の自由空間として復権させるという主張があるが、そもそも街区の構造が道を介して形成されているのなら、その主張も納得できる部分がある。「歩いて暮らせる街」の必要性が指摘され、車を賢く使いつつも、道路空間をいかに人間生活に役立てていこうかという機運が高まりつつある状況の中で、道を広場化して使いこなすための知恵や工夫はこれからさらに大事になっていくだろう。
 では、日本において広場は都市の価値を高めるためにどのような空間として存在していくべきなのだろうか。
 
●何気なく作られる広場を再検証する
 
 一定の規模を有するエリアを新たに開発したり、再開発をしたりする場合には、その魅力を高める装置として広場が有効に機能する。それは、その開発の内部空間において、そこへ導入する機能や建築と密接な関係を持たせながら、開発を個性化する空間の要素として広場を計画することが可能だからである。実際に、屋内外を問わず、開発の中で魅力的な広場をつくっている例は数多くある。
 問題は、こうした例よりもむしろ市街地の中に溶け込む中規模の敷地が建替えや再開発を行う際に、突如として周辺になじんでいない広場が発生するような場合である。いくら広場として空間を確保することが可能になったとしても、周辺の施設や人々の営みとちぐはぐなものであったら、その広場は結局利用されることがない。当たり前に聞こえるかも知れないが、空間を確保することに気をとられて歓迎されない広場を作ってしまうことは、現実には決して少なくない。特に総合設計制度などを活用しながら広場が作られる場合に顕在化してしまうことが多いのではないか。
 総合設計制度は、一定の条件を満たした公開空地などを確保することを前提に容積率や建築物の形態制限を緩和する制度である。この制度における公開空地の確保は、広場機能の確保だけでなく、市街地における緑地空閑形成や防災のための空間確保など様々な目的をもっている。従って、魅力ある広場空間が創られないからといって必ずしも問題があるわけではないが、結果としてあまり有効に機能していない広場が数多く誕生してしまっているのも残念な事実である。どうしてそうなるのであろうか。私はそのことを考える二つの鍵があると思う。
 一つは、周辺の街との脈絡や関連性である。総合設計は、基本的に一つの建築物に対して適用される制度だ。従ってその計画は、周辺から独立した一つの解として検討される。問題はその検討段階で、立地する地域の歴史やまちの機能・特色、空間の特徴、住んでいる人の特徴などを十分に配慮しているか、ということだ。今の制度ではそこまで考えなくとも有効な空間を確保すれば許可はされる。その地域の特性や、先ほどの道がもつ機能との連携、関連性も含めて考えることができれば、より有効な空間として活用できるだろう。
 今一つは、人の立ち居振る舞いと空間の質との関連性をどこまで真剣に考えながらプランニングするか、という点である。空間とそれを使う人は互いに刺激しあう関係にある。計画した通りには全然使われない空間もあれば、予想外にいろんな使い方をされる空間もある。そこを使う人間の行動が空間の質を規定している側面もある。活用される広場をつくるには、そのような点も考えながら計画することが必要だ。
 これらはいずれもプランニングをする側の姿勢が問われる問題ではないかと思う。問題があったら制度を変えたり拡充したりすることが往々にしてあるが、総合設計制度は広場をつくることのみを目的に作られているものではないし、制度によって解決できる問題ではない。ただ、それをプランナー個人や組織の資質のみに頼っていくのもまた限界がある。特に人の立ち居振る舞いと空間の質にはどのような相互関係があるのか、といった問題は、今後、行動科学や行動変容研究※などのアプローチも参考にしながら、研究を進めていく必要があるだろう。空間の質の違いが、人の意識や行動にどのような変化を与えるか。こうした知見を積み重ねていくことによって、空間と人が影響を及ぼしあいながら質を高め、結果として都市の価値を高めていくような広場づくりが可能になるのではないだろうか。
 
※「態度・行動変容研究」に関しては弊社HP 都市のバリューを考える会「知のポリビア」の第2回を参照。
 
参考資料 ・「広場の空間構成」 / 三浦金作
・「都市の自由空間」 / 鳴海邦碩
 
 
 
   
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