連載コラム  
 
Topic 29 花のある都市空間
  〜花の場所がある都市・花で飾る都市〜
 
辻本 顕
 
 
●花は都市に必要か
 
 都市にとって花は必要かと問われると、恐らく多くの日本人は、そんなことはないと答えるだろう。実際、都市での日常的な生活を送る中で花に触れる機会は、花屋で働いているとか、造園業を営んでいるとかでない限り、そんなに多くはない。ただし、日常的に花に触れる機会が少なかったとしても、日本では都市に住む人々でも、冬の終わりには梅、春には桜、梅雨時には紫陽花など、季節の花を見ることで四季の移り変わりを意識する習慣が根付いている。都市の中には、桜の名所とされる場所がいくつもあるし、夏には実際の花ではないが、花火の名所もある。こうしてみると、日常的に花に触れる機会が少ないとはいえ、花があることは我々の季節感や習慣に欠かせない要素のひとつとなっている。
 自然の移り変わりを楽しめる花がある場所と、積極的に楽しみ、都市を彩るために花で演出された場所、この両方があることが都市空間をより魅力的にするカギになると仮定して、花のある都市について考えてみたい。
 
●自然を感じられる花が咲く都市
 
 かつて都市が城壁に囲まれていた頃、建物の壁で囲われた庭にスパイスやハーブなどの薬草が育てられていたことが園芸の始まりだとされ、その後産業革命以降には、観賞用の花の咲く植物が園芸の中心になったとされている。また、この頃のヨーロッパでは、自然と非自然が明確に区別されていて、城壁の外にある野草を城壁の内側で育てるのではなく、人工的に運ばれてきた異国の植物を育てることが意識されていたとされている。 一方、日本の場合は、都市の成り立ちを語る際にもよく言われることであるが、庭についても同様に都市と自然がつながっている状態であったことが大場秀章氏は指摘する。
 
“日本には自然と対立する概念がそもそもなかったので、われわれは山の緑に癒されてしまうわけです。*1
 
 現代日本の都市住民もこのメンタリティを強く持っているように思う。都市の中にある桜も吉野の山の桜も同じように人々を喜ばせているように思う。
 厳密には都市の中の桜は自然のものではないのかもしれないが、春になると人々が自然を楽しみ、季節を感じるために集まる場所になっているということは世界に自慢できることではないだろうか。
 以前、環境配慮の取組みが注目されているストックホルムのHammarby Sjostadでヒアリングをした際に、担当者の方が街の一角を指して“春先には花が咲いて日本のようにお花見をする人たちもいる”と楽しげに語ってくれた。ヒアリングに訪れた時期が冬だったため花見をする人々は見られなかったが、海外でも自然の移り変わりを感じられる花が咲く場所があることは、魅力的な都市を演出する上で重要な要素のひとつとなっていることを実感できた。
 

Hammarby Sjostadの花見スポット

 
●目立つ方法で花を使う
 
 花で都市を飾るという視点で、これまで訪れたことのある都市の写真を見返してみると、バルセロナやビルバオ、デュッセルドルフなどのヨーロッパの旧市街の建物の窓先が花で飾られていることに気付く。場所によって花で飾られている窓の数は当然違うが、多いところでは通りに面するほとんどの窓がなんらかの緑や花で飾られていることも珍しくない。
 東京でも歩道沿いにはツツジなどの花が植えられているので、日常的に花を目にする機会はあるはずなのだが、正直あまり印象に残っていない。一方、バルセロナの旧市街で見たような建物の壁面を彩る緑や花は不思議と記憶に残っている。
 

バルセロナの花で飾られた旧市街

 
 あまり確かではない私見だが、通りのような空間では、ツツジのように目線の下で咲いている花よりも人々の目線の上を緑や花で飾るほうが、効果的なのかもしれない。通り沿いの街路樹も低木のツツジだけではなく、花の咲く中高木を使うことも印象に残る都市空間をつくることにつながる。例えば、アテネでは街路樹にオレンジが街路樹に使われている場所がある。
 

オレンジが街路樹に使われているアテネの通り

 
 道路のような公共空間の街路樹に花が咲く樹木を用いることは、維持管理にコストがかかるという意味で、なかなか簡単ではない。しかしながら、日本でも桜並木で彩られている道も多いことを踏まえると、花の咲く街路樹を用いることは非現実的な選択では必ずしもない。自然と対立するものとして都市を捉えてこなかった日本の都市の歴史を踏まえると、街路樹を意図的に利用して自然で演出された空間をわざわざつくることは、あまり優先順位の高い関心ごとではないかもしれない。しかしながら、現代の日本の都市空間は、欧米と同じように鉄骨やコンクリートでつくられた高層建築物が建ち並び、主な通りも欧米と同じように植栽帯を持つ断面構成となっている場所が少なくない。それならば、小さな花卉で少しだけ道沿いを飾るよりも、海外で見られるように、花の咲く中高木の街路樹を使って目立つように演出するほうが正しい作法なのではないだろうか。さらに、その場所に昔からある花の咲く樹種や野草などを使うことも、我々の自然を楽しむ習慣をうまく刺激して、記憶に残る都市空間をつくることにつながるのではないだろうか。
 
●人目につく場所に花をふんだんに使う
 
 通りとおなじように、人々が集まる広場などの公共空間も花で飾られることがある。公園や広場に花を使う場合、大量の花で飾ることや花のオブジェを使うことで、記憶に残る場所を演出している例がある。ビルバオでは、大量の花で飾られた広場やグッゲンハイム美術館の隣には巨大な犬を模った花のオブジェがおかれている。
 

ビルバオの広場とグッゲンハイム美術館

 
 道路を花で演出する場合と同様に、広場などの公共空間に花卉を使う場合にも維持管理のコストがかかるなどのハードルがあるだろう。しかしながら、広場や公園、オープンスペースなどに花をふんだんに使うことは記憶に残る都市をつくる上で効果的な手段の一つであるように思う。もちろん、古くからその場所にある花や野草で演出される広場は、我々のメンタリティにあった安心感を与えてくれるだろう。しかしながら、計画的につくられる大きな公園や広場など、近代的・現代的な計画論を背景にしてつくられるような場所では、自然と非自然を区別していたかつての庭のように、普段見ることのできない花で飾ったり、人為的に大量の花で埋め尽くしたりするほうが、より都市の広場らしい空間になると考えることもできる。
 都市の演出方法として必ずしも優先順位の高くなかった「花」。古くから続く習慣とある種ボーダーレスな空間構成が織り混ざった日本の都市を花で飾る際には、自然の移り変わりを感じさせる身近な花卉を使って飾られた場所と、圧倒的な量の花や珍しい花卉で演出された意表をつくような場所の両方を混ぜてつくっていくことが、我々の習慣や文化を刺激し、都市空間を楽しくかつ多様にしていくカギが潜んでいるのではないだろうか。
 
*1:「文化としての植物 庭園・温室・盆栽」大場秀章(「建築と植物」五十嵐太郎編 INAX出版より)
 
 
 
   
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