連載コラム  
 
Topic 30 多様な利用を歓待する空間
  〜ピカピカのまちづくりに鬼っ子を招く〜
 
藤田 朗
 
 
●多様な利用を歓待する空間の効能とは
 
 本稿が対象とするのは、公有地か私有地かを問わず広義のパブリックスペース(公園、歩道、駅、市民ホール、美術館、商業施設など)である。都市とは、『社会的文化的基盤を共有しない他者との接触(や交渉)の場』と考えるならば、不特定多数の人がアクセスするパブリックスペースは都市の縮図といえる。パブリックスペースは計画と管理がなされる空間ではあるが、多様な人々(計画者や管理者にとっての他者)がアクセスできるからには、計画し得ない利用や、管理が困難な利用者の侵入もあるだろう。多様な利用を受け入れる空間とは、不透明な動きをする利用者(ここでは仮に「鬼っ子」と称す)を歓待する空間である。
 
東京ピクニッククラブ主催のピクニック・コンテスト
(出典:太田浩史氏資料)
 
 パブリックスペースにおける鬼っ子の事例として、太田浩史氏(建築家)らによる「東京ピクニッククラブ」を挙げることができる。彼らは、公共空間の寛容さを試すかの様に、様々な場所でピクニックを組織的に楽しんでいる。鬼っ子とは、制御されるべきリスクでもあるが、通常では起こりえない出会いが「新しい経験」を生み、都市本来の魅力ともなる可能性を持っている。価値観の異なる他者との接触により新しい慣習が獲得されることや、空間に自由と界隈性をもたらすなどの効能があると考えられる。都市における「新しい経験」の出現に向けて、多様な利用を歓待するパブリックスペースづくりを、本稿ではお勧めしたい。
 
●新種のパブリックスペース
 
 文化施設を事例に取り上げてみよう。「金沢21世紀美術館」の建築計画に参画した長谷川祐子氏(キュレーター)によれば、「都市は美術館であり、美術館は都市である」が、設計コンセプトの一つだという。館内は、街路のように回遊性のある無料ゾーンが、有料の展示ゾーンを取り囲んでいる。「主役はアートより観客」として、来館者の行為をある種の展示のように見立てることや、来館者と美術館(アーティストやキュレーター)との間に相互行為や協働が形成されることが試行されている。また、周辺の学校から子どもたちが気軽に見学できる機会づくりにも注力している。美術を媒介したコミュニケーション機能が、従来の美術館機能に追加されているのである。
 「せんだいメディアテーク」は、当初、市民ギャラリーと図書館とが併設された建物として構想された。しかし、新種の文化施設たる「メディアテーク」の名を冠し、美術や映像文化の活動拠点であると同時に、すべての人々がさまざまなメディアを通じて自由に使いこなすための公共施設として建設がなされた。この施設の理念の一つ「端末(ターミナル)ではなく節点(ノード)へ」が企図するとおり、市民の能動的かつ多種多様な活動を応援する場が用意されている。
 金沢21世紀美術館、せんだいメディアテークともに建築家の力量に加えて、「新種のパブリックスペース」を生み出したソフト面でのプログラムの切れ味が、施設周辺に想定以上のにぎわいをつくり、ひいては金沢・仙台に外から人を呼ぶ集客装置をつくっている。
 新種のパブリックスペースとは、屋内であれ屋外であれ、「新たな行為」を生み出すために、ハードとソフトの両面で空間を設えることである。これらの事例は、そのために周到かつ革新的ともいえるプランニングがなされたのである。
 
●都市開発と鬼っ子
 
 都市開発によって生まれるピカピカのまちは、多くの人に望まれてできる産物である。開発利益を生み、地域貢献のための施設をつくり、周辺の拠点性を向上させる。しかし、開発に伴い設置されるアトリウムや広場などのパブリックスペースは、前述した文化施設のような周到なプランニングはなかなかに困難である。また、新しくモール状の商業空間が設置されることもあるが、多くの場合、鬼っ子に対し過防備となるなど、出来事(新たな行為の出現)が起こりにくい空間となっている。さらには、開発前に存在した新旧入り混じった店舗や界隈(雑然としたにぎわいや活気)を損ねる(ジェントリフィケーション)場合もあるだろう。ピカピカとなったフィジカルな(物理的な)整備は、多様な利用に対する都市の寛容さを引き下げたとも考えられる。では、都市開発やまちづくりにおいて多様な利用はどのように生まれるのであろうか。
 
●潜在的ユーザーのやり方 戦術その1「密漁」
 
 ユーザーの立場から考えてみよう。フランスの社会理論家ド・セルトーの考えを咀嚼するならば、招かざる鬼っ子(潜在的ユーザー)が空間活用の際に力を得るやり方(戦術)は、3つに整理ができる。
 戦術その1は「密漁」である。セルトーの言葉を借りれば、「相手の持ち場の全貌も知らず、ひょいとそこにしのびこむ」こと。計画や管理の全体像を知らないが故の足取りの軽さや、暗闇にまぎれての奇襲が功を奏す。
 例えば、六本木ヒルズの低層部商業施設は客単価の高いショップが並ぶが、購買するしないに関わらず老若男女でにぎわっている。時には、お金をもたない女子高生(鬼っ子)が、あちらこちらに、たむろするなど、計画者の想定しなかった空間活用が実践されている。なぜか。六本木ヒルズでは施設の動線・平面が複雑に計画されることで、空間の楽しさとともに、空間の『隙間』となるコーナーを産み出しているが、既にここが観光スポットであるが故に、観光客(おのぼりさん)や購買層として想定外の女子高生が、多少不透明な動きをしてもとやかく言われない。その結果が、スペースに自由と寛容さを生んでいると思われる。
 
●戦術その2「転用・流用」
 
 戦術その2は「転用・流用」である。「なにかうまいものがあればすかさず拾い、それを何かのチャンスに変える」こと。アイデア一つで、招待客に転ずることもないわけではない。
 具体例として、研究対象地でもあった下町の商店街の一角(空き長屋)に、かつて筆者が居を構えた際に実践した「まちの家」プロジェクトを紹介する。@地域の人との協働による長屋リノベーション、A地域にお住まいの方を講師として招いたワークショップ「芸の発見」シリーズ(江戸時代の座興「東八拳」、家具づくり、豆腐料理、占い、着物づくり)の開催、B海外からアーティストや建築家を招いたアーティスト・イン・レジデンス、などの企画を自宅にて実施した。空き長屋でもあった住まいをある種のパブリックな場所として転用・流用し、まちの多様な出会いの場所となるよう設えやプログラムを検討したのである。その結果、通常では出会うことのない多世代の交流が、生まれることとなった。
 
「まちの家」の様子
 
●戦術その3「ブリコラージュ」
 
 戦術その3は「器用仕事(ブリコラージュ)」である。「いい機会だとおもえば、さまざまに異なる要素をいろんなふうに組み合わせる」こと。
 「まちの家」プロジェクトは、一種のアートイベントでもあるのだが、出来合いのアートに頼らずに地域に隠れていた「芸」を発見するなど、自分達自身の手によって空間づくり・プログラムづくり(上図参照)を行った。
 また、前述した東京ピクニッククラブは、「Think your own picnic!」を標語に掲げ、生活様式の表出による能動的な都市空間の生成を勧めている。出来合いの文化ではなく、ユーザー自身の手で新しいパブリックスペースを創造していこうという意気込みや試行が力となるのである。
 
●多様な利用を歓待する空間はいかに可能か
 
 多様な利用を歓待する空間づくりには、まず潜在的ユーザーの3つの戦術を意識することが重要となる。「密漁」を歓待するには、「見え隠れ」するような空間の凹凸感が必要となろう。意義のある「転用・流用」を誘発するには、「用途」と「空間」の1対1の対応をずらすような操作が有効と思われる。また、「ブリコラージュ」の受容・育成には、供用後の運営面でのプログラムづくりに発想の転換が必要となるだろう。
 空間を多義的に解釈させ、複数の使い方を想像させるための制作論・計画論が都市の価値を高めるため、取り組むべき課題の一つと考える。
 
参考文献: ミシェル・ド・セルトー著、山田登世子訳「日常的実践のポイエティーク」
 
 
 
   
トップページ
50のトピックス
知のポリビア
研究会について
お問い合わせ

 

 
Copyrights (c) 2009 NSRI All rights reserved