連載コラム  
 
Topic 32 サイン計画等による動線の誘導
  〜人と都市の「会話」を生み、“安心”を与える〜
 
木内 千穂
 
 
●サインは都市に必要か?
 
 まちなかにあるサインを私たちはどのような場面で必要としているだろうか?
 いつもとは違うルートで目的地に向かう時や晴れた日に特別な目的もなく馴れない都心を散歩する時、珍しく劇場などに出かける時、さらには地下鉄を降りて、お気に入りの店は何番出口からが最も近いかを知りたい時等々、日常の暮らしの何気ない場面で私たちはサインを必要にしている。このように見知らぬまちはもとより、日常暮らしているまちの中でも、サインなくしては、安心して歩けないということになっているのではないだろうか。
 目印となる建造物の配置や見通しのきく道路パターンの採用等、都市を「わかりやすく」する常套手段があるとはいえ、サインなしでは非常に複雑化した都市空間を理解することは難しい。サインが存在することで必要な情報が適切に提供され、都市構造をわかりやすく理解できるため、進みたい方向が明瞭かつ明確に把握でき、目的地に安心して向かうことができる。
 つまり、サインの役割とは、都市で人々が活動しやすくするために、その都市空間に「わかりやすさ」を与え、複雑化した都市構造の各部分を人々が認識しやすく、かつ、全体をパターン化して理解することを“補助する道具”であり、都市構造が非常に複雑化した現代の都市には必要不可欠なものであると考えられる。
 
オレンジのフラッグが並ぶメインショッピングストリート(バンクーバー)
 
 しかし、都市空間に「わかりやすさ」を与えているサインは、私たちの活動をサポートしていることは間違いないが、公共交通系サインや道路標識などは別として、外部空間に設置されているものの多くは設置場所、形や大きさにルールというものはなく、設置主体にすべてを一任されているところがあり、その主体の違いからエリアや通りによって全く異なるデザインのものが展開している。多様な主体と多様なデザインのサインが散乱し、その誘導方法やシステムも異なっているため、サイン相互が阻害要因となり、サインの主たる役割である“わかりやすさ”を失わせ、まちの構造が“わかりにくく”させているところも多々ある。
 
まち中に混在するサイン群
 
 ただ、あるサインシステムをまちの中に設置した時、その役割である「わかりやすさ」を欠く結果になったとしても、サインに代わって場所を知らせる代替ツール(サインとして設置されたものではないもの)が都市の中にたくさん存在しているため、さほど問題とはならないこともある。これらの代替ツールをサインとして活用することにより、私たちが都市の構造をわかりやすく理解できるのであれば、それらにどのような条件あれば、新しい都市のサインとすることができるのかを探ってみることにしたい。
 
●「都市の混沌に埋没」
 
 まちなかで迷った時ほど、サインが見つけられないのはなぜか?誘目性の高い屋外広告物やお店の看板など、壁面をきらびやかに飾る装飾を背景とする中では、地味に存在する公共系サインは、存在感なく背景の中に埋没してしまう。しかも目的や次元の異なったサインが同じ空間の中に混在しているため、情報は視覚ノイズとなり、受け取る側が処理しなければならない。サインの設置場所にもルールがないことが、サインを一目で認識できないことも原因となっており、比較的情報が整理され、設置場所が感覚的にイメージしやすい地下鉄の出入口や百貨店に設置されているサインの“みつけやすさ”とは全く異なる。

公共サインのように存在する商業系サイン
(バンクーバー)
 
●「特徴的な構造は強み」
 
 逆に、都市構造がはっきりした特徴を有していれば、サインをそこまで必要とはしない場合もある。メインストリートの空間構成や景観に特徴があったり、地形に変化があったりすることがサインの役割を果すこともある。
 
サインの代替となる路面電車の軌道
変化に富んだ地形は現在地を認識しやすい
(サンフランシスコ)
 
●「デザインで勝負?」
 
 サインのデザインで勝負!と意気込む場合がある。しかし、まちのカラーをサインのデザインとして入れ込もうとするがあまり、過度なデザインになることはかえって見苦しさを感じる場合が多い。あくまでもサインは都市に“わかりやすさ”を与えるツールである。まちのカラーは、サイン以外のところで表現され、サインにはその情報が的確、かつ、わかりやすく人々に伝わるようにデザインされるべきであると思う。
 
●「記憶との戦い」
 
 地図が掲示されている案内板には、現在地と「あちらへ800m ○○駅」と主要な目的地の方向と距離が示されている。案内板の情報を頼りに、地図を頭に焼き付けて進むが、掲示されている地図の範囲外のことはわからないし、他のサインの場所が示されることもない。まさに不安に駆られながらの記憶との戦いである。人の記憶できる情報量には限りがあり、ひとつのサインに多くの説明は必要としないが、他にはどこにサインがあるのか等、次に迷った時の手がかりとなる“安心”示されるとサインの活用範囲が増えるだろう。
 
●「エリアという国境」
 
 最近、都会のまち歩きがひそかなブームであり、歩行範囲が広がっている中、サインのシステムには、エリアという国境らしきものが存在するらしい。どこにもその境は記されていないが、その境を越えると、何の前触れもなくサインのデザインや誘導システムが切り替わる。何も知らない歩行者にとっては理解しがたい変化である。エリア内でわかりやすいサイン計画が行われたとしても、隣のエリアとシステムが全く異なれば歩行者にとっては混乱のもとである。日頃使い慣れたまちであれば、このようなサインの変化に対して、過去の経験を活かして柔軟な対応ができる能力が備わるが、ある程度広範囲で共通の枠組みの中でランク付けするなどの計画できれば、本来サインを必要とする人にとっての“わかりやすさ”は増すだろう。
 
●「ケータイ」はサインを変えるか
 
 人と都市をつなぐコミュニケーションツールとして、最近では「ケータイ」が活躍している。「ケータイ」は、常に所有者と行動を共にし、いつでも、どこでも、欲しいまちの最新情報を提供してくれる。そこにはエリアという国境は存在せず、自由自在に活動できるようサポートしてくれる“優れもの”である。
 まちなかのサインは、人の要求の有無に関わらず、様々な情報を提供することでその役割を果たしてきたが、「ケータイ」は人の求めにより、必要な情報のみをダイレクトに提供できる。このような媒介が一般化すれば、都市から余計な情報が排除され、シンプルでここちよい都市景観が実現されるかもしれない。
 
●人と都市をつなぐカギ
 
 都市は常に進化し、人々のライフスタイルも変化していく中で、誰にでも“わかりやすい”サインを目指して設置していくことは容易なことではない。しかし、サインが本来果たすべき役割とは、人と都市をつなぐ「会話」を成立させる道具であり、それはどちらかが一方的に発する会話はなく、「人⇔サイン⇔場所(都市)」のようにインタラクティブで自然な会話を成立させるものである。
 サインが提供していた情報のすべてが「ケータイ」にとって変わるものではないが、これまでのようにサイン然としたものだけが“サイン”でもない。
 人と都市との会話を成立させる確かなポリシーをもって、街並みも含めて、人々に“安心”を提供できる“サイン”を計画することが都市の価値を高めることにつながるだろう。
 
 
 
   
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