連載コラム  
 
Topic 34 印象的な風景づくり
  〜親しみや懐かしさを感じる風景とは〜
 
西尾 京介
 
 
●三つの印象的な風景
 
 旅先などでの風景の記憶。「あそこは気持ちよかったな」、「あんな場所は日本にはないよね」など、誰しもが、一つや二つ、強く印象に残った風景を持っているだろう。そのような風景は観光用のパンフレットなどにも使いやすいし、何よりリピーターを生み出す強力な装置となるから、親しまれる風景、驚かれる風景、愛される風景など、良い印象を与える風景づくりは、まちづくりを考える要素の一つとして重要なものである。
 どのようなものが印象的な風景となるか。私が考えるに、次のような3つのパターンがあるように思う。
@インパクトのある風景
 見た目から人々を驚愕せしめる風景である。自然ではナイアガラの滝やグランドキャニオンなどが想像しやすいが、人工物では今、東京の新名所としてニョキニョキと姿をあらわしつつある「東京スカイツリー」が馴染み深い。
A体験を通じて好印象が残された風景
 その場を訪れた時の何らかの体験が織り込まれて評価されている風景である。例えばこんな体験はないだろうか。―初めて訪れたヨーロッパの街。裏町の路地にあるレストランのテラスの料理が大変美味で、記念に写真におさめてきた。あの楽しい光景は今でも思い出すが、写真を見ても、どうも写りが悪いような気がしてならない−。風景に対する印象は単に視覚情報だけによってつくられるわけではない。訪れた人にどのような印象を与えることができるかが風景の評価にも影響するというわけだ。
Bどことなく親しみを感じてしまう風景
 初めて訪れたはずなのに、そこはかとなく懐かしさや親しみを感じさせるような風景というのがある。強い刺激はないが、心にじんわりと染みとおってくる風景だ。映画「ALWAYS三丁目の夕日」と言えば、あまりに典型的で気恥ずかしいくらいだが、昭和30年代を経験していない人でも、映画に登場する場面を見ているだけで、何となく親しみを感じてしまうことがあるのは、風景から読み取る情報の中の何かに心が反応しているということだろう。
@の風景は与える印象も強いが、そのような風景をつくることは、通常容易なことではない。また、Aの風景は、景観づくりそのものよりも、むしろホスピタリティやコミュニケーションが大事という話である。そこでこのコラムでは、Bの風景について少し考えをめぐらせてみたい。
 
●風景に織り込まれた約束ごと
 
 なぜ、その風景に親しみを感じるのか。それを考えるヒントとして、我々が風景からどのようなものを読み取るのかを考えてみたい。
 特定の文化圏に暮らす人々、文化を共有する人々の間には、様式化された風景イメージの共有が見られるという。例えば「夏祭り」と言えば、浴衣や下駄、団扇や金魚、など決まってイメージされる要素や構図があり、これはいわば暗黙の約束事のようなものとなっている。
 景観工学の権威である中村良夫は、これを「風景の集団表象」と名づけ、次のように述べている。「集団表象というかたちで人びとに共有された風景のイメージは、諸芸術や言語の形で客観化し外在化する段階にいたって初めて安定する。」そして、「ひとたび安定した集団表象が成立すると、それによって風景体験が広く伝播するのみならず、時代を超えて変容をこうむりながらも継承されるのである」。
 例えば、歌川広重の「江戸百景」には、当時としてはごく当たり前であった景色や風俗が数多く描かれている。それは何気ない風物詩や生活景であるとともに、絵図の中に込められた、当時の文化を表象する数々の「約束事」ともなっている。現代に生きる我々は、それらを見てこの「約束事」を紐解き、江戸時代にはそのような文化があったのか、と感心したり、時に、今と変わらなく存在する事物に親しみを感じたりする。そのようにして、風景の集団表象は、時空を超えて伝わっているのである。
 
歌川広重「江戸百景」より
 
 この視覚情報の中から約束事を読み取る行為は、実際の都市空間の中でも行われている。例えば、造り酒屋の玄関などで見かける杉玉。新酒ができたときに青々とした玉をつるし、それが枯れた色へと変化していくのを見ることによって、我々は酒が熟成してきた様子を知る。このように、我々は風景を見るとき、視覚的に見える事物の中から情報を読み取り、自らの中にある文化のフィルターを通して解釈していく行為を常日頃から習慣的に行っている。そしてその意味を理解するための共通の文化的土壌が、解釈の共有や伝播を支えている。
 
酒屋の杉玉
 
 風景をみて、親しみや懐かしさを感じるときにも、実は似たような経験をしているとは考えられないだろうか。風景の中にある一つ一つの要素を、我々は無意識に自らの記憶や経験の中にあるものに照らして解釈している。であるとすれば、親しみや懐かしさを感じる風景を共有するためには、その内在する価値観を互いに共有すること、すなわち共通の文化的土壌を培っていることが非常に大切だということになる。言い換えると、文化の継承と共有という内実がなければ、いくら形ばかりで親しみや懐かしさを表現してみても、それは見栄えばかりを気にした薄っぺらなものに過ぎない、ということである。
 
●生活景からの風景づくり
 
 では、我々が自らを省みて、文化の継承や共有に裏付けられた印象的な風景づくりができているのかといえば、それは甚だ心もとないといわざるを得ないだろう。なかでもそれは、我々が日常、あまり意識をしない生活空間の中での風景づくり、すなわち「生活景」において顕著である。新しく整備された公園や大きな街路、美術館などの文化施設など、街なかには美しいものも確かに増えた。しかし、自分が暮らす家の周りなど足元を見れば、無関心に打ち捨てられた街並みがいたるところに広がっていないだろうか。
 文化の伝播には、世代を超えて伝わる垂直の伝播と同時代における水平の伝播、大きく分けて二つの方向性がある。中でも難しいのは、垂直の伝播だ。東京・三鷹にある「ジブリ美術館」の中庭には、今では懐かしい手こぎポンプ式の井戸が設置されており、子ども達が昔ながらの水汲みを体験できるようになっている。ポンプをこぐときの重さや水の出る勢い、水の冷たさなど、体感せねばわからないことを子ども達に伝えたくておいてあるのだと思うが、こうしたものをみると、変化の早い現代社会で、文化の垂直伝播がいかに難しいものかを感じる。だからこそ、我々は、生活景における風景づくりの中で、文化の垂直伝播に積極的に意識して取り組んでいく必要があるのだと思う。
 今から16年前、日本で初めて「美の条例」と呼ばれる条例が神奈川県真鶴町で制定された。真鶴における「8つの美の原則」と「69の美の基準」を定めたこの条例は、その後日本全国のまちづくりに大きな影響をもたらしたと言われている。「静かな背戸」「舞い降りる屋根」など、その内容のユニークさもさることながら、最も注目すべきことは、この条例が真鶴町民の手によって、自らの普段の生活環境を一から見直していくことによって考えられたものである、ということだ。それによって、世界に二つとない、真鶴でしか通用しない基準が作り上げられたのである。
 
美の条例を制定した真鶴町
 
 文化の継承は、ただ単に模倣をしたり、保存をしたりということではない。前の世代から受け継いできたものをそれなりに解釈し、そこに塗りかさねていくものである。それはすなわち、文化に対するきちんとしたメッセージを込めるということだろう。明治以降、わが国は外来の文化の輸入に重きをおいてきたし、そして今はまた、グローバルに文化が混ざり合う時代に生きている。そんなときだからこそ、この文化の垂直伝播が込められた生活景の再構築は、「印象に残る風景づくり」を考えるうえで、避けて通ることができない課題であると私には思えるのである。
 
参考資料:「風景学入門」/ 中村良夫
 
 
 
   
トップページ
50のトピックス
知のポリビア
研究会について
お問い合わせ

 

 
Copyrights (c) 2009 NSRI All rights reserved