連載コラム  
 
Topic 43 揺るぎない『地域ブランド』を作ろう
  〜安易な地域理解を超えて〜
 
藤田 朗
 
 
●「地域そのもの」のブランド化
 
 地域ブランドは、「一村一品運動」「ラーメンのまち」などのように、特産品や観光地のブランド化から始まった。そこには、地域の伝統工芸の保全など「守る」取組みも含まれている。政府は、このような地域ブランドの育成・保全を、産業政策や観光政策の観点から後押ししており、例えば2005年の商標法一部改正により、地域団体商標制度を導入した。「横濱中華街」「草津温泉」「松阪牛」「和歌山ラーメン」「京友禅」など、食品や温泉地、工芸を中心に、「地域名」と「商品・サービス名」とを組み合わせた商標が、ブランドとして法的に保護されている。
 一方、地域の「商品・サービス」のみならず、「地域そのもの」をブランド化の対象とすべきだとする議論(プロダクトブランドからリージョナルブランドへ)がある。「地域への愛着・プライド」「地域のアイデンティティ」など、目に見えない「無形の価値」こそが地域ブランドであり、地域の持続的発展の源泉であるとの主張である。2007年頃から「地域ブランド戦略」に関する書籍(マネジメント本)が多数出版されている。そこでは、「企業」経営において培われたブランド戦略、即ち「無形かつ複雑なブランドをいかにマネジメントすべきか」に関して、「地域」へ転用可能な理論や手法が提供されている。
 

地域のブランディング手法の例
出典「地域ブランド・マネジメント」

 
 さて、服飾・化粧品・飲料・食品・家電・百貨店・旅行サービス・温泉地など、消費財や消費者向けサービス(端的にいえば物欲)は、ブランディングに良く馴染む(近年では、B to B企業もブランディングには熱心)。一方で、芸術・宗教・社会貢献活動・社会運動(例:反グローバリズム活動)など、特に「精神の経験(Topic 38参照)」に関わる財・サービスは、ブランディングに馴染まないケースも多い。では、「地域そのもの」あるいは「地域の無形の価値」は、企業経営のブランディング手法の転用に馴染むのであろうか。地域のブランディングはやるべきであろう。では、どのような方法によるのか。本稿では、揺るぎない地域ブランドを構築するために、留意すべき点を考えてみたい。
 
●地域をブランディングする主体
 
 都市開発などにより、都市空間がたとえ変容したとしても、都市社会(住民が長い間積み上げてきた社会関係や慣習)は、簡単には変わらないのではないか。都市工学や都市計画の専門家が見過ごしやすいこの指摘を、社会学者の町村敬志は、「都市は鈍い」と言い表している。
 企業のブランディングならば、ブランディングする主体は、ブランド化する対象(企業アイデンティティ・商品・サービスなど)と一体である。一方、地域のブランディングの主体は、行政、ディベロッパー、商業・観光業者、「新しい」公共(Topic 42参照)、それら複数の組み合わせなど、様々なケースがあり、いずれも「地域そのもの」を代表することはできない。
 例えば、パリは、「訪れたい都市」として強いブランド力を持っている。しかし、パリ都心部の一部に集積するブラックアフリカンやムスリム向けの店舗・施設は、一般観光客にとっての異界(Topic 40参照)であり、パリの街並みの一端を形成しているにも関わらず、パリのブランド・アイデンティティとして表象されることはないのである。
 地域をブランディングする主体は、ブランド化の対象である「地域そのもの」が複雑(あるいは巨大)なために全容を掬いきれない。よって、都市(または地域)のコミュニケーションをデザインする手法ともいえる「地域ブランド戦略」は、ターゲットユーザーとした一部のセグメントを除けば、「鈍く」なりがちなのである。
 
●「スティグマ」をめぐる問題
 
 スティグマとは、ネガティブな意味のレッテル(負の表象)である。文化的資源を活用した観光振興などにおいて、「見世物」「好奇の目にさらさせること」へ一部の住民が嫌悪感情を抱く場合がある(社会学者の友岡邦之の指摘)。こうした観光振興策には、「スティグマ感を伴っている」と言われる。
 例えば、戦前戦後を通じて地方や他国からの出稼ぎ労働者等を受け入れ、独特の地域コミュニティを形成してきた街は全国各所に見られ、中には「コリアタウン」、「ブラジルタウン」、「沖縄タウン」と呼ばれ、明確な街のアイデンティティとしている地域もある。一方、こうしたエスニック・テイストが十分には表象されていない街も多く、これらの地域で活性化と称し、ブランド化しようとする動きも生まれている。しかし、出稼ぎ労働者と古くからの住民とのかつての葛藤の記憶、自らの民族的文化を商品としてプロモーションすることへの葛藤、地域活性化に向けたイニシアチブをめぐる主体間の葛藤(例えば、既存商店街vs新興のエスニック・レストラン) など、様々な思いがスティグマ感を伴い、交錯しているのが実態である。
 ブランディングにおいて、特に地域の「文化」にフォーカスする場合には、住民の嫌悪感情や葛藤と“謙虚に向き合うこと”が重要であり、このプロセスなしには、地域ブランドの構築は難しい。
 
●自然発生的な蠢き(うごめき)
 
 ジェイン・ジェイコブズ、クリストファー・アレグザンダー、ミシェル・ド・セルトー、そして現代の高祖岩三郎といった都市論の系譜は、近代的都市開発に対して住民(民衆)が形成する都市の可能性を説く。
 廃業した工場や倉庫に画商が目をつけてアトリエに転換し、芸術家やデザイナーが多く住む街となったかつてのニューヨークのソーホー、インテリアなどのコンセプトショップが並ぶパリの北マレ地区、独自の視点を持った小規模な店舗が集積する裏原宿、プチ代官山化しつつあるとされる目黒川沿いの中目黒、等々。
 これらは何の変哲もなかった街がブランド化した事例である。いずれも「正当なる」ブランディングの主体が存在したわけではないし、明示的に地域のマネジメントがなされたわけでもない。ただし、地域で商売しようと意思を持った主体(民衆)が、自然発生的に蠢き、互いに共振し、日々の労働と生活の時間が反復され、結果としてブランドとして認知されたのであろうが、“意思を持った主体”が、暗黙的に“お互い共振”し、“日々反復”することこそ、ブランディングに他ならない。
 個性がない、人を惹きつけつる魅力的な資源がないと嘆く地域は多い。しかし、地域の資源とは、複雑(巨大)な地域社会の深層部に蠢いているのではないか。ジェイコブズを始祖とする民衆派都市論の系譜は、ブランディングする主体と地域の民衆との「学びあい」のプロセスによって、資源の掘り起こしが可能となることを示唆するのである。
 
●地域のブランド化を目指して
 
 以上を踏まえ、揺るぎない地域ブランド構築を目指して、なすべきことは何であろうか。
 第一に、地域をブランディングする主体は、地域の潜入捜査(フィールドワーク)をしなければならない。様々な住民からの一次情報に基づき、「スティグマ」感の回避を試み、地底に隠れた蠢きを掘り起こす必要がある。さらには、それでもなお非総合的かつ不完全なスナップショットとしてしか、地域は把握できないことに留意すべきである。
 第二に、地域をブランディングする主体は、地域の個人を引き寄せなければならない。強い地域ブランドとは、恐らくトップダウン的な命令系統ではなく、その都度ごとに、半ば場当たり的に合意形成がなされた小さなグループや個人の集まりにより生成されるのではないか。自分達自身の手で新しい地域を創造していこうという強い意気込みを持つ個人(民衆)の存在が肝要なのである。
 第三に、地域をブランディングする実践は、基盤となった「鈍い」地域社会を変容させるであろう。では、どのように変化させるのか。ブランディングする主体と地域との「学びあい」のプロセスにおいて、この点を意識して紡ぎ出すべきであろう。
 「地域そのもの」のブランディングとは、「物欲を超えて、精神の経験を目指す」近い未来の都市の在り様を示唆するとも思われる。安易に地域を単純化することなく取り組んでいきたい。
 
参考文献: 電通abic project編「地域ブランド・マネジメント」
  町村敬志ほか「都市の社会学」
  高祖岩三郎「ニューヨーク烈伝」
  渡辺靖「アフター・アメリカ」
  阿久津聡、石田茂「ブランド戦略シナリオ」
  津久井良充ほか編「観光政策へのアプローチ」(友岡論文所収)
 
 
 
   
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