連載コラム  
 
Topic 46 号外編 東日本大震災から私たちが考えるべきこと
  〜人とインフラで築く「自給」・「融通」・「自立」〜
 
石川 貴之
 
 
 3月11日に発生しました東日本大震災という未曾有の災害により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された地域の皆さま、その家族の方々にお見舞いと、一日も早い復旧・復興を心からお祈り申し上げます。
 
●はじめに
 
 「どうすれば都市の価値を高めることができるか。そのために都市の仕事に関わる私たちはどのような視座を持ち、何をなすべきか。」このテーマに対し、私たちなりの答えを出したいと『都市のバリューを考える会』を立ち上げ、トピックスを公開し始めてもうすぐ2年を迎える。これまで月2回のペースで研究会メンバーが輪番で土地利用や都市基盤、エリアマネジメントなど、当初設定した約50のキーワードでトピックスを作成し、そろそろ成果のとりまとめの準備を始めようとしていた矢先に今回の震災が発生した。
 この大震災によって、私たちなりに答えを出そうとした「都市のバリュー」の考え方の全てが変わるものではないと思う。ただ、今一度「都市のバリュー」という文脈に照らして、大震災を俯瞰し、感じたことや考えるべきことを綴り、皆様からご意見・ご批判を頂き、忘れてはならない視座と教訓を確認することが、成果をとりまとめる上で、大切なプロセスになるのではないかと思い、このトピックスを記すことにした。
 
●漠然とした不安・・・「安心がない」生活
 
 震災発生から2週間余りの時間が経過した今でも、私の気持ちの中に「漠然とした不安」が蔓延している。
 余震のたびに今度は首都圏直下型地震ではないかという不安や、なかなか終息しない原発事故対策への不安等、16年前に私自身も経験した阪神淡路大震災とは明らかに異なる大きな不安を抱えていることは事実なのだが、これらに対する不安は、「漠然とした不安」の直接の原因ではない。
 東京では日を追うごとに確実に日常を取り戻しつつある。というより見た目はほぼ震災前と変わらない。にもかかわらず、ここに居ても心の底から「安心」という、これまで当たり前のように感じていたものが、戻ってこない。むしろ「安心」が、だんだん希薄になっていく奇妙な感覚である。正確には「安心がない」というより、「元気になりきれない不安」といった方がよいかもしれない。
 その原因は「たかが電気、されど電気」である。今、命を奪われるような危険に晒されているわけでもないのに、エネルギーが不足するとこんなにも自分たちの生活が、不安定で災害時に自活する代替手段を持たないひ弱なスタイルであったことに愕然とする。
 阪神淡路大震災の時、電気はほとんどの被災地が1週間程度で復旧し、被災生活と復興に希望や活力を与えるインフラ(基盤)としての役割を担った。
 今、自分の周りはどこも痛んでいないのに普通の生活になかなかもどれないとは思ってもいなかったからこそ、これから始まる長期戦の復興に、ずっと前向きでいられるだろうかという不安が「安心がない」と思わせているのであろう。
 
●地震リスクを抱える国で「生きる」ということ
 
 激甚被災地域から離れている首都圏でも地震発生直後、携帯通信網が十分機能せず、安否確認ができず、そんな中で余震が続き、公共交通機関も安全確認等に時間を要し、多くの帰宅困難者を出す結果となり、大都市が意外なほど災害に対して脆弱な一面を垣間見ることにもなった。
 その後は、工場の稼動や交通機関での運行が制約され、広範にわたって経済活動や日常生活に大きな影響が出ている。個人的には西日本地域との周波数が違い電力融通に限界があることが絶対的な信頼感と安定度を誇る我が国の電力供給網の巨大災害に対する弱点して露呈されたことは大きなショックであった。
 このような状況に至った原因は、予想をはるかに超える規模の「天災」であり、保険なら免責事項であろう。ただ、結果論になってしまうが、想像を超えて事前の対策が発想できなかったものばかりではないだろう。それより、環境や災害に対する課題解決先進国を自負し、それらを国の強みとしてグローバル社会の中で貢献することにより、国富をもたらすという国家戦略のシナリオを描いていた我が国だけに、その信用が喪失の危機を迎えていることが残念である。しかも激甚被災地ならまだしも、都市インフラが十分機能している首都圏の都市活動が長期間の制約を受けることは、リスク分散について今一度再考する契機としなければいけないだろう。
 南北に長い国土という、地理的特性を活かして、災害リスクを分散することも有効であろうが、「安心・安全」を得る基本は“可能な限り「自給」し、必ず「融通」(助け合う)しあって「自立」する”ことではないか。これは、決して電気だけの話ではない。食料や水、その他の資源・エネルギー、医療や福祉、更には地域コミュニティ等の人的インフラもしかりである。地震リスクを抱えている国で快適かつ安心して安全に暮らすためには、あらゆるインフラやシステムが、それぞれの特性の中で、最も適したスケールで「自給」と「融通」を組み合わせて「自立」する仕組みを展開することが必要だと思う。それは過剰なまでにオーバースペックの仕組みをつくることではない。平常時の自給と融通が、災害時にお互いのバックアップとなるような、強くしなやかでスマートな仕組みであってほしい。
 
●人(生活)にもインフラにも「余裕」を
 
 次は都市インフラと生活スタイルとの関係である。特に生活スタイルに、もう少し工夫しておけることがなかったのか。「自立」や「自給」や「備え」という概念はインフラだけに背負わせるものではなく、日常生活の中にも組み入れておけば、災害時とのスタイルギャップも少なく、今感じているストレスは緩和され、いち早く復興に対してモチベイティブになれる。
 私たちの生活は、技術の進歩やインフラの高次化により飛躍的に快適で便利になった。そのことを否定するつもりは毛頭ない。ただ、あまりにもインフラによって提供されるサービスに頼り、慣れきった生活スタイルの定常化は、「自立する力」(生活の場合は「自立」よりは「自律」の文字が相応しいかもしれない)を奪っている。この「自立(律)する力」は平常時には生活とインフラ双方にとって「余裕」となり、災害時には萎える気持ちを静め、「元気」を与えてくれる復旧・復興への源泉となるのではなるはずである。
 
●「自然と向き合う」ということ
 
 大規模な災害を経験するたびに、その力の大きさと怖さを認識する。今回の甚大な被害は、自然と共生すること、自然と向き合い(折り合い)暮らすということ、そのために都市はどのようなかたちで創られるべきかを考えされられた。この教訓を今後の都市づくりに活かさなくてはいけない。自然と共生し、向き合うということは、過剰なまでに防災性能を高めて、無理やり空間を確保するという都市の創り方ではないことは明白である。また、「安心・安全」ということから、自然と様々な都市活動の関係を、もう丁寧に読み解き、極め細やかに土地利用やインフラ整備を行うことも必要になるであろう。こうしたプラニングの基本の上に都市の魅力が描かれてこそ、持続的な価値を持つのであり、そうでなければ、今回の津波被害のごとく、跡形もなく流されていくことになるだろう。
 
●「都市のバリュー」を考えるにあたって
 
 都市とは「人が集まる場所」である。人が集まるからこそ、人はそこに更に人を集めようと「価値」を創り出そうとする。それが都市のバリューだ。人が集まることで都市が生まれるとすれば、都市成立のいの一番の条件は「安心・安全」であろう。常日頃言葉にする「安心・安全」とスケールやレベルは違えども、今回の大震災から学ぶべきことを織り込むことなしに、都市のバリューは語れないであろう。
 都市のバリューは「安心・安全」をスタートに、その上に人を惹きつける魅力がオーバーレイされていく。美しい、清潔、楽しさ、活気、気持ちよさ、居心地がよさ、静かさなど、いろいろな価値がある。
 そして、もう一つ忘れていけないことがある。
 都市の価値をブランディングの産物として具象化されたものだけで捉えてはいけないということである。街が津波にひと飲みにされ、その形を失おうとも、そこで必死に自然と向き合い、再建を誓う人の生命力と団結力に、人が集まって暮らす都市が生み出した「価値」を感じた。都市の「価値」はハードだけでなく、市民が介在することで形成、継承されるものである。それは、「コミュニティ」を呼んでも良いかもしれない。
 今回の大震災は、@都市のバリューがハードそのものの価値や持続性のみならず、そこに間違いなくコミュニティとしての人々の存在なくしては維持・継承されないこと、A都市の価値形成に人が介在するからこそ、そこには「安心・安全」が大切なこと、Bその「安心・安全」は決してインフラの強固さだけに押し付けるものでなく、「生活スタイル」も巻き込んで、より強固に、よりしなやかに築くことが「価値」を高める上で重要なこと、Cさらには、「安心・安全」は人とインフラ双方で「自給」と「融通」を組み合わせて「自立(自律)」して確保すること等、多くの課題を強く認識させてくれるものであった。
 最後に。今、日本の底力が試されている。海外メディアも絶賛した高貴なまでに美しい「日本一丸の一致団結」。下を向いている時間はない。本格的な復興に邁進していかねばならない。ただ道のりは長い。自分たちのできることに精力し、微力ながら協力していきたいと思う。
 さらに強く、いつまでも世界から尊敬され、美しい日本であり続けるために・・・。
 
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 このトピックスは、これまで推進されてきた電力政策について批判をしたものではない。むしろこの震災が我々に「インフラに頼りきった生活スタイルへの警笛」を鳴らしているではないかということを、今おかれている状況を捉えて問題提議したところに本意があり、批判している対象は我々自身の生活スタイルであることをご理解頂き、乱文お許し頂ければ幸いである。
 
 
   
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