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第112回都市経営フォーラム

持続的成長可能な都市づくりをめざして
─ゼロエミッションからの発想─
 
講師:吉村元男 (株)環境事業計画研究所長


日付:1997年4月23日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

【1】グリーンフィールドのゼロエミッション

  1. 国連大学とゼロエミッション
  2. 世界自然遺産と屋久島
  3. 受難の屋久杉の歴史
  4. 屋久島憲章とゼロエミッション屋久島モデル
  5. 後始末から始末へ
  6. 脱石油社会への挑戦
  7. 屋久島サイズに合った資源循環システム

【2】ブラウンフィールドのゼロエミッション

―持続可能な都市づくりをめざして
  1. 持続可能な社会
  2. グリーンフィールドとブラウンフィールドのゼロエミッション
  3. 都市のゼロエミッション―循環共生型の都市計画へ
  4. 自然界での資源の循環系
  5. サステイナブル・クラスター
  6. メタボリズム文明の可能性

 皆さん、こんにちは。お忙しい中集まっていただきまして、どうもありがと うございます。100回を超えるこういう伝統のあるすばらしいフォーラムに 招いていただきまして、本当に感謝しております。
 今、紹介していただきましたように、国連大学が提唱しておりますゼロエミ ッションという運動の一角を私も担っており、きょう紹介します屋久島ゼロエ ミッションモデル、それから、その他の国内における展開について、都市経営 といいますか、都市開発あるいは環境計画などに触れていきたいと考えていま す。さらには京都でこの12月に開催されます気候変動防止条約京都会議やロ ーカルアジェンダ21などの地球環境問題にゼロエミッションがどのようにか かわっていくのかについても、時間があれば紹介したいと思います。

【1】グリーンフィールドのゼロエミッション

1.国連大学とゼロエミッション
 きょうは「持続的成長可能な都市づくりをめざして−ゼロエミッションから の発想」ということで、4つぐらいの大きなテーマに分けてお話しします。ま ず、「2つの地域のゼロエミッション」を取り上げます。1つは、グリーンフ ィールドのゼロエミッションで、その代表事例がこれからお話しします屋久島 のゼロエミッションです。ちょうどきのう屋久島から帰ってきたばかりですが、 屋久島で今何が起こっているのかということを資料に基づいてお話しします。 これに関しては、三橋規宏さんが書かれた岩波新書の『ゼロエミッションと日 本経済』の第1章に「屋久島の実験」ということで紹介されております。これ を読んでいただけると、今何が起こっているかということを大体御理解いただ けるのではないかと思います。
 もう1つは、9ページからの資料Bが、ブラウンフィールドにおけるゼロエ ミッションです。ここでは大阪湾ベイエリアを取り上げます。この両者は極め て対照的なエリアにおけるゼロエミッションの運動をここに御紹介しながら、 今私が運動として展開していることについて明らかにしたいと考えます。
 資料の2ページにありますように、ゼロエミッションというのは、人間が出 す廃棄物をゼロに近づけていこうという運動でありまして、国連大学が提唱し てきたわけですけれども、グンタ・パオリさんがこの提唱者で、その方が国連 大学にこの構想を持ち込んで、国連大学からこの運動を起こしていこうという ことになっております。
 国連大学という機関は御存じであるかと思いますが、東京都の青山にあり、 建築家の丹下健三氏によってデザインされました。
 国連大学は、日本にある国連の機関の中で唯一本部機能を持つ機関でありま して、フランスのユネスコ、ケニヤのユネップといった国連の本部と同等のも のです。滋賀県琵琶湖の国際湖沼会議はユネップの支部であります。ところが、 唯一国連の本部機能があるのが、この国連大学でありますが、この存在を日本 の人たちはほとんど知らないということです。PRが足りないこともありまし て、せっかく日本に本部があるのに、もっともっと支援をしてあげないといけ ないわけです。その一環として、私たちもゼロエミッション運動を通して一緒 にやっていこうということでありますので、ぜひ御参加いただければ非常にあ りがたいと思います。

2. 世界自然遺産条約と屋久島
 その国連大学と屋久島がなぜ結びついたかということからお話ししたいと思 います。
 資料の4ページの下の左から3行目に「屋久島ゼロエミッションモデルから メタボリズム文明の提言」とありまして、NIRAという国のシンクタンクの 助成をいただいて、この本をつくったわけです。
 NIRAの「屋久島ゼロエミッションモデルからメタボリズム文明」という ちょっと大げさな名前のレポートですが、この起源になったのが、もともと私 が林野庁から屋久島の仕事をいただいたところから始まったわけであります。 これは数年前でありますけれども、林野庁が屋久島の森林について、全体的林 野行政から見た全体のプランをつくってほしいということがありまして、そう いったものが屋久島とのご縁ができたところであります。
 林野庁はなぜそういう新しい森林行政をやり出したかといいますと、この国 の島の8割 ぐらいが国有林で、林野庁の財産である。屋久島というのは、御 承知のように、高さが2000メートル弱あるのです。高さ2000メートル というのは、相当高くて、西日本以南では屋久島が2番目に高い山です。九州 で1番というのはもちろんのこと、阿蘇山よりも高い。周りがたかだか130 キロのまん丸い山ですけれども、全山花崗岩でできております。この小さな島 に、北海道から沖縄までの気候が缶詰のように垂直に分布していることが非常 に大きな特徴であります。
 そこに年間1万ミリぐらいの雨量がある。その水は、非常に温かい黒潮の海 から上昇する蒸気が山並みに沿ってずっと上がっていき、山頂付近の北海道の 気候にぶち当たったときに冷却されて大雨が降る。365日毎日降っていると 言われるぐらい山頂は外からほとんど雲に覆われている不思議な山であります。 東京では、年間雨量が1500ミリぐらいでありますのに、屋久島の山頂部に 行きますと1万ミリも降ると言われているわけです。その水が山頂の北海道か ら亜熱帯の山麓まで流れ落ちてくる。島の至るところで、猛烈な滝と水の流れ があり、屋久島は水の惑星と言われています。そこに樹齢6000年と言われ る縄文杉が生育していて、緑の生命の島でもあるのです。だれもが完全に魅入 られてしまう島です。
 そこに黒潮が流れておりまして、日本海溝というさらに1万メートルぐらい の深海が存在しているということで、海底から山頂までの垂直に分布するすば らしい多様な生命の島は、海洋にポツンと離れて浮かんでいるという点でほと んど地球と同じような位置関係にあるということができると思います。
 そういう自然の価値が認められ、御承知のように、「世界自然遺産」に登録 されました。私は、京都に住んで、京都から来ているわけですけれども、京都 は「世界文化遺産」です。屋久島の方は自然遺産ということで、奇しくも私の 住んでいる都市と屋久島とは、世界遺産ということでは共通しているわけです。 そういう遺産登録をされたことを契機に、林野庁も従来の林野行政ではなく、 新しい森林の意味を追求していかなければいけないということになったわけで す。
 その自然遺産の屋久島ですけれども、標高は大体約2000メートルの高 さがある。 300メートルより頂上までのほとんどが国有地になっています。 海抜0メートルから300メートルぐらいのところに約1万3000人ぐらい の人が住んでおられ、そこで日常生活を送っておられるということで、行政区 としては、南北に2つの町があります。そこで農業を中心とした産業を営まれ ているわけですけれども、上部の山頂までほとんどを国が占める林野行政の中 で、屋久島の森林は相当収奪されるような条件で来たということであります。  屋久杉が価値があると認められ出したのは、近世にさかのぼるわけです。屋 久杉は天然の板材としてすばらしく、寺院の屋根材にどんどん使われていった わけです。それは秀吉ぐらいのころからその価値が認められていまして、屋久 杉は伐採に次ぐ伐採という宿命になったわけであります。

3.受難の屋久杉の歴史
 御承知の方も多いと思いますが、屋久杉は、大体1000年の樹齢を超えな いと屋久杉という称号はもらえないわけでありまして、1000年以下は小杉 と呼ばれます。そのぐらい長寿です。屋久杉は、標高600メートルぐらいの ところから1500メートルぐらいのちょうど中間段階だけにしか育たないと いうことになっているわけです。それは屋久島の気候が温暖であることもあり ますし、垂直分布もありますけれども、花崗岩でできていて、きわめて土壌が 少なく貧栄養化された土壌であることが1つと、もう1つは、大量に降る雨で す。猛烈に雨が降りますので、土壌はいつも栄養分を持たない。そういった条 件で、屋久島だけにしか育たない樹林ができたわけです。しかも、猛烈な台風 の銀座でありますから、貧栄養と風と猛烈な雨の中で、屋久杉は1000年、 2000年、3000年、6000年という非常に長寿な樹木として生育する ことが可能になったのです。
 有名な縄文杉は大体1300メートルぐらいにあります。縄文杉を見に行こ うという方は、空港のすぐそばにあると思われる方も多いわけですけれども、 朝6時ぐらいに出て、弁当を2つぐらい持っていき、暮れてからでないと宿舎 に帰ってこられないところに存在しているということです。縄文杉だけを見に 行く人は、島の人に非常に軽蔑されますので、気をつけていただきたいのです けれども、縄文杉だけ見てすぐパッと帰っていかれる方も非常に多いわけです。 縄文杉を見るためには、少なくとも2泊3日は必要だというふうになっている わけです。
 先ほど言いましたように、そういったところで育っているわけですけれども、 そこは国立公園で非常に厳しい環境庁の規制のもとにある。林野庁が地主であ りますけれども、環境庁が規制をかけている。その上にさらに世界遺産ができ たわけであります。そういった面で、極めて厳しい規制のもとに林業をしてい たわけですけれども、近世から信仰でお寺をつくることが、屋久杉の伐採と極 めて近い関係にあったということです。
 特に秀吉の亡き後、秀頼が大坂城を継いだわけですけれども、秀頼は京都の 寺社の復興計画、今で言えば文化財保護といった文化庁的な役割に大いに関心 を示し、朽ち果てようとしている寺にお金をどんどん出して寺社の再建、修復 などの事業に力を貸したと言われています。そのときに屋久杉が屋根材などに 使われ、相当切られました。そういったことで、屋久杉は、近世以降、伐採に 伐採の運命に遭っていくのです。
 屋久杉の多くは真っ直ぐな木でありまして、今残っているものは、屋根材に ならなかったものです。有名な生命の樹として写真で見られる縄文杉は、樹全 体がぐにゃぐにゃ曲がっていて屋根材にならなかったものですから、切られず に今残っている状況になっているわけです。
 そういうことで、現在縄文杉とか紀元杉とか、2000年、3000年クラ スの木は、ほとんど材にならなかったものですから、切られずに残ってきた。 それが今世界遺産の重要なシンボルとして息づいて来ているということです。
 このように近世以降から屋久杉は相当切られていったわけですけれども、戦 後の受難といいますのは、日本列島全体といった規模で展開された人工杉の植 林計画です。杉の植林計画は、戦後間もなく国内林業を振興を目指したもので す。全国の国有林を初めとして、民有林の相当面積が林に変えられていったの です。御承知のように、広葉樹林や里山などの郷土の森だけでなく、ブナ林の ような亜高山帯までも人工杉林に変わっていったのです。
 そういう大きな国の政策の流れと同じように、やはり屋久島でも戦後、人工 林化が進んだのです。屋久杉の下方、すなわち600メートルから300メー トルぐらいについては、亜熱帯林の広葉樹がずっとあったわけですが、それが どんどん人工杉に変えられていったのです。その杉林が屋久島においても間伐 期を迎え、成木として市場に出回るようになってきているのです。しかし、内 地の中山間地域であれば、陸続きで輸送はまだしもですが、離島ですから、搬 出することもできない。今間伐もできない状況の森林が屋久島の600メート ルから300メートルぐらいの国有林の中にうなっているということです。
 屋久島という個有の植生を持つにもかかわらず、その林業は、従来の国内林 業と同じような形で扱われてきた。今までの経過を見ると、屋久島の林業は収 奪型あるいは人工林型の変更を余儀なくされてきたということがいえると思い ます。

4.屋久島憲章とゼロエミッション屋久島モデル
 そういう中で、かろうじて残されてきた屋久島の自然が垂直分布ということ で、世界遺産に登録されたものですから、これが非常に脚光を浴びて、林野庁 もいわゆる垂直分布型の好ましい生態的な施業をやらなければいけないという ことになったわけであります。そういったことで、縄文杉の保存計画も含めて、 全体プランを策定する委員会が構成され、私たちの事務所も参画させていただ いたわけです。
 そのときに、調査を進めてゆくに従い、住民の意見や地元の委員の方と話し てゆくと、国有地をめぐって、林野庁と対立した歴史があることがわかってき たのです。といいますのは、住民側の入会地は昔から大体300メートルから 600メートルにあったのを、国 の土地にしてしまって住民の利用が不可能 になったことや、島民の信仰の山であった 2000メートルの宮之浦岳が国 のものとなり、精神的シンボルが薄れてしまったことなどがわかってきたので す。自分たちの裏山で里山であり、奥山であり、そういったものが国のものに なっていて、島民たちはかかわることができない。前山の入会地をめぐる権利 のために、国との裁判を相当長くやったという経緯があったわけであります。 裁判の結果は島民の敗訴になったのですが、「屋久島憲章」がつくられ、30 0メートルから600メートルについては、島民に伐採の権利があるとか、あ るいは経営の権利があるというところに落ちつきました。
 そういったときに、600メートルから300メートルの林業を島民の方々 の1つの大きな資産として経営できるようにしていくにはどうすればいいかと いう課題がこの調査の中で浮かび上がりました。そこでの結論は、いかにして 島内消費をしていくかという課題でありました。
 そういったときに、たまたまグンタ・パオリさんが、国連大学でゼロエミッ ションをフィージー諸島でやっている、これは島モデル、島という1つの閉鎖 された単位の中でゼロエミッションという話があるということをお聞きして、 これはいいヒントがあるなということで国連大学に電話して、グンタ・パオリ に会って、グンタ・パオリに屋久島に来ていただいて、いろんな議論をしたと いうのが経緯であります。
 ゼロエミッションとはどういうシステムかといいますと、ここに書いており ますように、廃棄物を絶対自然界に出さないシステムであります。彼が一番最 初にやったのは、母国ベルギーでのエコバーという石けん会社の経営でした。 その石けん会社の工場では、屋根に緑を植栽して、工場から出る廃棄物を全部 緑に返していく。その他、製造工程から出る廃棄物をすべて資源化して、廃棄 物を一切工場から出さないという工場のプロセスをつくり上げたのです。
 そういう実績を持って、彼は1つの島モデル、島でそういうものを実験的に やっていこうと提唱して、フィージーでは、ニワトリを飼ったり、そのフンを 肥料にして、また作物をつくる、あるいは竹であれば、竹の捨てられた部分に ついて、それをまた新しい産業にしていくといった事業を実際に展開し出した のです。
 例えば、ビール工場でビールを醸造するときに、そこから酵素を含んだ富栄 養化の廃液がたくさん出てくる。そういった廃液をもっと活用しようじゃない か。普通は海に流したり、川に希釈して流していたものを、工場内の池にため てそこで藻類を発生させて、その藻類をまたプランクトンで分解させて、そこ で養殖漁業をやる。ビールをつくることによって、養殖漁業ができるという連 鎖系をつくることを彼は考えたわけです。
 また林業にしても、杉は木材だけで出すのではなく、葉っぱも皮もあらゆる ものが利用できる。いわばずっと前に日本がクジラを捕獲していたとき、1頭 のクジラをとると、捨てるところがなく、すべてを利用していた。アメリカで 捕鯨をするときは、単に油だけをとって、あとは全部捨てていたというむちゃ くちゃなことをやっていたわけですけれども、そういう仕方ではなく、1つの 素材から出てくるものは、廃棄物にしないですべて製品にしてしまうという考 え方を彼は島モデルとしてやっていったわけであります。そういうことで、彼 に来ていただいて、ゼロエミッションという考え方を島モデルでつくろうとし 出したのが、屋久島のモデルであります。

〔OHP1〕
 屋久島に関しては、このように非常に長いのですけれども、幾つか御紹介し ておきますと、NIRAの助成金で森林計画の次につくり上げたものです。こ れが屋久島、これがロケットが打ち上げられる種子島で、屋久島のこのあたり に小さな地球村の建設予定地があります。

〔OHP2〕
 屋久島ゼロエミッションは、新エネルギーシステムと廃棄物ゼロシステムと 地域資源活用システムの3つのシステムからとらえていこうということであり ます。そういう3つの視点から、地域振興、自然保護、エコツーリズムがバラ ンスよくできるような手法を開発しようというのが屋久島ゼロエミッションモ デルです。

5.後始末から始末へ
 従来の開発は、都市経営フォーラムの大きな課題の1つだと思いますが、長 崎県のムツゴロウが生息する干潟の埋め立てもありましたように、必ず自然保 護と対立する概念であるということでずっととらえてきたわけです。最近は、 経済成長と環境抑制と資源の枯渇の三者をどうして調和させるのかという、ジ レンマというより「トリレンマ」が問題になっています。このトリレンマを解 決するのがゼロエミッションという方法論だと私は今考えているわけです。
 従来既に述べましたように、開発と自然保護は対立する概念であった。この 対立概念を、両立する概念にいかに移行させるかというところにゼロエミッシ ョンの発想があると考えているわけであります。それはどういうことかといい ますと、資源を多消費し、廃棄物を多く出す産業における製造工程の中で、自 然界に負荷を与えないシステムをつくることによって達成しようとしたのです。 A社の生産工程における廃棄物ゼロ、つまりA社が出す廃棄物をB社が資源と する、B社が出す廃棄物をC社が資源とするという順繰りのサイクルの中で、 最終的には廃棄物ゼロの工程をつくろうということであります。既に「ゼロエ ミッション工場」とか、そういった言葉でいわれております。「エンド・オブ・ パイプ」ということがよく言われていますけれども、製造工程の中で、最終的 に廃棄物をどうするのかというのが、今までの1つの考え方であります。そう いう廃棄物をどうするかというのは、いわゆる処理とか後始末と言いますが。 後始末というのは、大量生産、大量消費をした後で出てくる大量の廃棄物をど うするかということであります。しかし、一たん自然界に放出された汚染物を 浄化したり、資源化することは不可能です。そこで始めから末のことを考える、 すなわち「始末」ということでありまして、ゼロエミッションを日本語に訳せ ば「始末」で、「あれ、もったいない」とか、そういう言葉ではないかなとい うことです。製造工程における初めから廃棄物を出さない工程をつくっていこ うということであります。
 今の製造工程において、原料を持ってきて、それでいろいろな製品をつくっ ていくわけでありますけれども、例えば、工程で出てくる廃棄物も、また処理 して、それを資源にして、あるいはもとのところに戻していくということで、 でき上がった製品も解体を前提条件にした家電製品とか自動車とか、そういっ たできるだけ自然に負荷をかけない製造工程を「インバース・マニュファクチ ュアリング(逆工場)」と言われていますが、そういう逆工程を考えていくこ とによって、自然に負荷を与えない産業活動、あるいは工程をつくっていこう ということです。
 そういう工程をつくっていくことによって、ある産業クラスターを地域社会 の中でつくっていこうということで、そういうものを私たちは「地域発ゼロエ ミッション」と言っているわけです。つまり、製造工程の工場の中だけ、ある いは工場と工場の間だけではなく、そういったものを地域という1つの空間領 域の中で、できるだけ資源をお互いに回してやっていこうということです。
例えば、東京の下町では、そういう産業コミュニティーはたくさんありまし た。京都では西陣が1軒ごとに全部職種が違うということもありますし、例え ば、鹿児島の畜産農業地帯へ行きますと、牛1頭からいろんなものができてく る。牛肉だけでなく、内臓、血液など、従来は捨てられていたものが薬品、香 料、防腐剤など多くの製品が生み出され、捨てるものは全体の35%しかない といった状態なのです。
 そういうふうに製造工程の中、あるいは工場と工場の間だけではなく、地域 の中で資源をぐるぐる回してやっていこう。都会であれば、消費者が出す一般 廃棄物も資源化していって、地域の新しい産業にしていくというのが地域のゼ ロエミッションなのです。その1つの事例を私たちが実験的なものとして屋久 島でやろうとしていたわけであります。
 そういう面で、自然保護、地域振興、エコツーリズムの3つのものを同時に 達成していくためのゼロエミッションの方法として、廃棄物ゼロシステム、資 源エネルギーシステム、地域活用資源システムの3つの柱を立てたわけであり ます。
 なぜ3つかといいますと、一例ですけれども、再生紙を一生懸命つくったと しても、そのためにエネルギーをどんどん使っていくということであれば、こ れは非常に変な話であります。そういった面で、エネルギーの負荷をできるだ け下げて、地域のエネルギーを押さえ込み、石油にできるだけ依存しない手法 と廃棄物をゼロにしていく工程を結合させることが必要なのです。

6.脱石油社会への挑戦
〔OHP3〕
 屋久島ゼロエミッションにおける現状と課題というところで、今エネルギー と地域資源と廃棄物を徹底して調査して、可燃ごみ、不燃ごみがどれだけある かということをこういうところで調べ、地域資源はどういうものがあるか、そ れからエネルギーはどういうふうになっているかということを調べながら、自 然に負荷を与えないシステムをどう組んでいけばいいかということをいろいろ 議論したわけであります。
 その中で、特に屋久島のゼロエミッションモデルの最も重要な挑戦がエネル ギーを石油に依存しない屋久島であります。
 屋久島の山岳部では年間1万ミリの雨量があります。平地で4000ミリで、 島内の産業用あるいは民生用の電力は75%ぐらい水力発電で賄っているわけ であります。残りの25%くらいを火力発電で補っています。さらに自動車、 バイク、暖房、調理のために、重油、ガソリン、軽油、灯油が島に来ています。 こういった石油で賄われている部分を徹底して地域のクリーンエネルギーにで きないかといったことを今提案し、さまざまな検討に入っているわけでありま す。
 そういうことで、クリーンエネルギーとして自然エネルギーの風力発電から ソーラーエネルギーからバイオガス、それから先ほど言いましたように、島内 にうなっている杉からバイオとか微生物による発酵の熱とか、あらゆるものを 使って島内のエネルギーを高めていこうということが、1つの選択でありまし て、これが達成できると、1万5000人ぐらいのスケールで、おそらく世界 でも珍しい石油に1次エネルギーを完全に依存しない屋久島モデルができるの ではないだろうか。
 電気自動車は相当普及されているわけですけれども、電気自動車は、排気ガ スが運転されている地域において出ないということでメリットがあるわけです けれども、その電源をたどっていくと、原子力とか火力発電に負っている場合 が非常に多いわけです。だから、どこで発電しているか、どこで石油をたいて いるかという問題であって、それがたまたまガソリン車であれば、都会の中で ガソリンをたいているということでありますから、それを電気自動車にかえて いったとしても、依然としてもとの発電が石油であれば、石油に依存している ことを削減することはできない。ただ、大都会における大気汚染とか、あるい はヒートアイランド現象を多少やわらげることは可能であります。屋久島で電 気自動車を導入する事業の価値は、もとの電力供給から自動車という末端の利 用まで含めて石油に依存しない社会をつくるところにあります。
 屋久島におきましては、非常におもしろいことは、屋久島電工という電気会 社がありまして、これは九州電力とは違うわけです。日本で唯一民間で水力発 電を責任を持ってやっているわけです。その電力は、生産するわけですけれど も、屋久島電工は生産した電力を屋久町では農協へ卸しているわけです。上屋 久町では、それを町に卸しているわけです。上屋久町では、電気・水道課があ るわけです。それが屋久島電工という民間会社がつくった電力を買って、そし て民生用に売ったりしています。屋久島はそれを農協が買って、またそれを一 般に売っているという日本では唯一そういった事例があるわけです。
 ですから、例えば、皆さんが屋久島ですばらしいところだといって別荘を買 われたとしても、電力は農協から買っていただかないといけないのです。町も 農協から買っていますし、民間も買っています。海岸線にいい土地を売ってい た、物すごく安く手に入ったといっても、うっかり買うと後で後悔されます。 電信柱を全部自分の負担でやらなければいけないのです。電信柱1本は25万 から50万ぐらい設置にかかります。だから、1キロもしたら、莫大なお金が かかる。そういう極めて珍しい、インフラのない町であります。
 私たちの常識からいきますと、完全にインフラの電線があって、そこから自 分の引き込み線が出てくるということでありますから、延々と電信柱を自分の ところに持ってくるというところまではいかなくていいということであります。 ということは、屋久島で住んでいると、ローカルな地域ではローカルなエネル ギーを生み出す方が得策になるということであり、これはゼロエミッション的 生き方に近いと言うことができます。したがって、集落単位のエネルギーの供 給といったことが非常に効果があるということです。
 これをひるがえって見ますと、例えば、この間震災がありましたけれども、 私たちは、当然水と電気とは湯水のごとく、空気のごとく存在していると思い がちなわけですけれども、先般の大震災では、水、電気といったものが全く使 うことがなかったということであります。

7.屋久島サイズに合った資源循環システム
 こういう極めて微細な地域、集落単位ぐらいの地域における1つのあり方が、 屋久島においては社会システムとしてきれいに見えてくることになるわけです。 そういう面で、特に屋久島を見ておりますと、非常に小さな島でありますけれ ども、北と南では気候も風土も全部違うわけです。屋久島においては、いわば ミニ日本海、ミニ太平洋がある。東と西とが全く違う。集落単位で、植生から 作物からすべて違うというぐらいに変化に富んでいるわけです。垂直分布も変 化に富んでいますし、水平分布も、裏日本とということで、屋久島を一周して いく間にも猛烈なバリエーションがあるということであります。
 そういうバリエーションを生かして自然を守っていくかということが私たち に問われているわけでありまして、そういったプランをこの屋久島モデルとい う形でやっていく。なぜ「メタボリズム文明」と大げさに名前をつけたかとい いますと、やはりそこでは、私たちの日常目にしている絶対的なある社会シス テムとして普通だと思っているものがすべて違った形で存在しているというこ とでありまして、こんな小さな島とばかにしているわけですけれども、そこに は極めて多様な生態系と住まい方と作物の連携がある。しかも、インフラも完 全に島を一周してあればいいという利便性の高いものではなく、集落単位でし か生きていけないシステムがあるということであります。
 そういったことで、ゼロエミッションといいますのは、循環ということが非 常に重要でありますし、地域において多様性を保障する。特に循環モデルとい う中では、資源もエネルギーも非常に小さな世界でつじつまが合って循環して いるということにおいて、屋久島モデルは非常に微細なシステムの集合体であ ると言えるかと思います。そして、この小さなということが、いかに今の現代 文明の考え方と反しているかということだと思います。
 今までの都市計画とか、都市のつくり方は、集積の利益、つまりマーケット 論理というのは、集積を非常に重要視します。集積がまずあって、集積の利益 を追求することによって、ここにショッピングセンターができる、ここに会社 ができる、あるいはここに道路を通したらいいというふうに、すべて集積の利 益で計画されているということであります。それは当然ながら、市場の原理が ある。
 ところが、御承知のように、集積のデメリット、不利益を生み出していく。 例えば、満員電車であったり、交通渋滞であったりというのは、結局集積の利 益を満喫する余り、負の遺産がどんどん集積していくという悪矛盾になる。そ れがいわば私たちの活動が廃棄物をどんどん出していって、そういったものを 経済的なコストに加算しないで経済活動をやってきたのが、大量生産、大量消 費、大量廃棄だということであります。

【2】ブラウンフィールドのゼロエミッション
−持続可能な都市づくりをめざして
1.持続可能な社会への手掛かり
 そういった面で、最近言われていますのが、きょうの大きなテーマでありま す、持続可能な(サステイナブル)ということです。持続可能とはどういうこ とか? これは釈迦に説法でありますけれども、エントロピーでよく説明され るわけですけれども、結局私たちの使う資源が枯渇する、使うことによって劣 化していく、あるいはなくなっていくということに関心が向けられ過ぎます。 例えば、石油がなくなるのか。しかし、今日の問題は石油が幾らでもあったと しても、それを大気中で燃やすことができない、廃棄物として出すことはでき ないということなのです。石油を燃やすことはCO2 あるいは亜硫酸ガスの排 出につながり、海面の上昇になっていく。言いかえれば、幾ら資源があったと しても、それを使うことができない状況になってきた、これが地球環境問題に なるわけです。
  自動車を例にとってみますと、自動車を機嫌よく走らせるということは、ガ ソリンスタンドへ行ってガソリンを買って入れ、メンテ会社できちんと整備を して、アクセルを踏めば機嫌よく走っていくわけです。ところが、私たちが気 がついていないのは、例えば、排気口にふたをしてしまえば、絶対的に動きま せん。熱エネルギーからいきますと、絶対的なエントロピーを増大していきま すと、自動車がどんどん走ると、どんどんエントロピーがたまってくる。それ を排気ガスとか熱とかに置きかえて外に出さない限りは、エンジンとか内燃機 関はうまく機嫌よく動いてくれないということですから、排気口は非常に重要 です。ところが、排気口についてはほとんど関心がなくて、ただでどんどん出 していくということですが、一たん排気口をふさいでしまえば、運転手もすぐ 死んでしまいます。
 結局、サステイナブル(持続可能)ということは、資源をうまく供給すると 同時に、そこにたまったエントロピーを外へ出していく。その両者がなければ、 持続可能ではないということになっていくわけです。したがって、人間活動に おいては、究極的に廃棄物ゼロは無理でありまして、人間活動で必ず廃棄物が 出てくる。エントロピーが増大するということで、そういった面で必ずそうい うものができてくるわけですけれども、廃棄物をいかにしていくかということ さえ考えていけば、これは持続可能な社会ができるのです。
 したがって、持続可能ということは、自動車で言えば、排気口から出て大気 に放出されるものが、もう一度資源として返っていくというサイクルができる ことによって、自動車は非常に機嫌よく走ってくれて持続可能な状況になるわ けです。したがって、廃棄物がゼロであるということは、廃棄物を資源化して いく。人間が活動すると、どうしても廃棄物が出てくる。それを資源化するこ とによって、グルグル回していく状況をつくることがサステイナブルな社会で あるということだと思います。
 単に廃棄物を出してはいけない、あるいは自然を傷めてはいけないというこ とだけではなく、人間の知恵というのは、ある面でいえば、そういう廃棄物を いかにして資源化していくか。これはゼロエミッションの本の中にも、江戸時 代は廃棄物を徹底して資源化していった、江戸100万人のし尿も徹底して資 源化されたという循環のシステムができていたことが報告されております。そ ういう循環社会をいかにしてつくるかということになるわけであります。それ がサステイナブルということで、人間が出したし尿という廃棄物そのものが新 しい資源となっていく、それがまた新しい活力を生み出すということで、先ほ ど言いましたように、廃棄物から社会を見ていくことが、持続可能な1つの大 きな条件です。幾ら資源があったとしても、それを使うことができない状況が 今来ている。私たちが出す膨大な廃棄物を資源化していくことによって、循環 系がもとに戻るということであります。

2.グリーンフィールドとブラウンフィールドのゼロエミッション
 そういった面で、持続可能な社会を屋久島を1つのターゲットにしてきたわ けでありますけれども、先ほど言いましたように、江戸時代のサステイナビリ ティーは、やはり農業を基準にしていたわけであります。つまり有機系の廃棄 物がほとんどでありました。大体大正時代までを含めて、家から出るごみはほ とんどない。長男が着た服は次男が着、次男が着た服をまた三男が着、またお むつになったり、最後は畑で肥料になっていく。捨てるものが全くなかった。 そういうのは、やはり私たちの生活の基本的な材料が有機系であったというこ とになるかと思います。
 そういう面で、今中山間地域とか、そういったところは、基本的には有機系 の生物資源の循環で相当いろんなことができる。加藤登紀子さんのだんなさん の藤本さんなんかは、徹底して微生物を活性化して資源をもう一回循環してい こうとしています。そういうことは極めて目に見えてきている話でありますし、 やる気になれば、生ごみといったものも相当リサイクルできる。
 ところが、問題は、現代は工業系のリサイクルです。江戸時代に返るのは容 易でありますけれども、江戸時代と違うのは、圧倒的な工業系の材料が廃棄物 として出ている。そういうものが今ブラウンフィールドでの大きな課題になっ てきているということであります。
 したがって、屋久島モデルといいますのは、非常に小さなモデルでありまし て、農業系あるいは、そういったものだけで相当循環系が戻っていくだろう。 もちろん屋久島では相当たくさんの観光客が来て、むちゃくちゃ捨てていく。 自動車も野ざらしになっていたり、屋久島で建てられる住宅は、島の資源を全 く使っていない部分が多いのです。しかし、本当にやる気があれば、屋久島モ デルはそんなに難しいことではないと思います。
 私は、屋久島モデルをグリーンフィールドと言いましたけれども、ゼロエミ ッションの地域版としては、2つのエリアで考えております。1つは、グリー ンフィールド、もう1つは、ブラウンフィールド。
 グリーンフィールドは、屋久島のように貴重な自然がまだ残っていて、自然 を大切にしていかなければいけないエリア。ブラウンフィールドは、既に相当 都市化されて、自然の生態系がほとんどない臨海工業地帯みたいなところです。 住宅街なんかは、どっちかというとグリーンフィールドに入るかもわからない ですが、生態系が残っている部分の地球上でそういうところと、ブラウンフィ ールドの2つに分けてみたときに、屋久島モデルはもちろんグリーンフィール ドに入ります。
 グリーンフィールドにおけるゼロエミッションとはどういうことかといいま すと、すばらしい自然を維持するゼロエミッションだということです。屋久島 の住民あるいはエコツーリズムの人たちは、屋久杉の垂直分布、すばらしい自 然をクリーンに維持していく義務がある。そのためのゼロエミッションという ことが言えるかと思います。

3.都市のゼロエミッション……循環共生型の都市計画への改革
 グリーンフィールドにおけるゼロエミッションでは、自然の浄化とか、排気 ガスをいかにして出さないか、電気自動車を入れることによって生態系にダメ ージを与えないでいこう。国立公園なんかに電気自動車がどんどん入っている のも、そういった意味を持っています。環境庁は今国立公園における電気自動 車の役割を評価しているというのは、そこにありまして、せっかくエコツーリ ズムにいっているのに、ガソリン車でどんどん廃棄物を出しながら自然が大切 だと言っているのはおかしいということで、そういう面で電気自動車を入れて いるのは、きれいなところをきれいに維持していくためのシステムだと解釈で きるかと思います。
 もう1つ、ブラウンフィールドにおきましては、失われた自然を徹底して再 建していこうというゼロエミッションととらえられるかと思います。先日私ど もの会議で、安井さん、門田先生に講演していただきまして、大阪湾に100 年かけて、昭和30年ごろから失われた干潟を人工的に復元していこうじゃな いかというプログラムを考え出しまして、これはすばらしいプロジェクトだと いうことで、ただそれを国だけではなく、民活でもやっていこうということで、 「100年プログラム」とおっしゃっているわけです。
 そこにはさまざまな課題が出てくるかと思います。失われた緑を干潟に返し ていくときに、今まででしたら、干潟をつくることはいろいろな技術がありま す。最近は干潟をつくることは、1つの大きな港湾開発の戦略になっているわ けです。そういった干潟をつくるときに、また山を切り取ってそれを素材にし ていくということになりかねない。私たちもそういう犯罪的な行為をしている 部分が非常にあるわけで、公園をつくると、ほかの山がつぶされたということ もありまして、非常に矛盾に富んでいるわけであります。
 そういうことではなく、2000ヘクタールの自然の再建の材料を、大阪湾 ベイエリアの後背地にある産業から出てくる廃棄物で干潟をつくろうという考 え方であります。そういったことが「大阪湾ベイエリアのゼロエミッション」 と書かれているものでありまして、干潟の再建、魚礁の再建、森林の再建、水 質の浄化、水質の再建といったものを徹底して廃棄物でつくり上げていこうと いうことであります。そういう機運も運動体としてできないだろうか。
 先ほど言いましたように、廃棄物を資源化していく。従来ならば、それを埋 め立てるだけでありましたけれども、廃棄物からレンガをつくったり、し尿か らエネルギーをとったり、そういったもので1つの材料をつくり出して、それ を景観創造に役立てていこう。あるいは、傾斜護岸をつくるときの材料をつく っていこう。
 関西新空港は、非常におもしろいプロジェクトで、普通でしたら、垂直にな っている護岸の埋め立てでありますけれども、傾斜護岸をつくられたわけです。 これは門田先生なんかがプランをされたわけですけれども、護岸を傾斜にする ことによって、そこに藻類ができ、関西新空港の周りは、カニとかエビのすご い漁場になってきているわけです。そういう傾斜護岸あるいは魚礁も徹底して 廃棄物の材料でつくっていこう、湾内にたまったヘドロを材料にして景観創造 をつくっていこう、ヘドロを材料にして建築物をつくっていこうということを 総合的に考えていくことになってくるかと思います。
 そういうことによって、ゼロエミッションが工業系でできる。エコセメント なんか、セメント業界で建築廃棄物あるいは工場から出てきたもの、あるいは おがくずといったものを混ぜてエコセメントをつくって道路をつくるゼロエミ ッションロードという事業が、今東北地建で検討に入っている。
 都市公園の建造物はすべて廃棄物でつくっていく。そういうことに対する建 築基準とか構造の問題、品質の問題を徹底して解決していこうということで、 廃棄物、汚泥がたまったものを材料にして新しい公共事業を起こしていくこと になるかと思います。

4.自然界での資源の循環系
 そういう疑似的な方法は、今まで自然界にもありました。例えば、ことし浜 離宮を訪れて本当にびっくりしたのですけれども、あそこに約100の海鵜が 巣をつくっていまして、過剰に来ていて、とにかくフンだらけで、ほとんど森 林のていをなしていないわけです。あの中のあらゆる森の木が真っ白になって いるわけです。これは余りにも過剰に鳥が来ますと、琵琶湖の竹生島もそうで すが、陸上の生態系を荒らしてしまうわけです。
 昔はそうではなく、あそこに海鵜が来ると、わざとフンを落とさせて、それ をまた肥料にして、それでいろいろな農業をやっていた。いろいろな報告を読 んでいますと、例えば、伊勢湾でも鵜の森をつくって、海鵜をわざと陸上に呼 び寄せ、そのフンで畑に肥料をやっていた形跡があるのです。
 だから、鳥は海上における富栄養物を陸上に持ってきてくれる極めて重要な 伝達者である。生態系においては、山に降った雨とか、そこに住んでいる人間 活動によって、どんどん栄養分が川を流れて海に行くわけです。重量に従って、 栄養物は下へ流れて行く。そういうのが自然の原理になるわけです。だから、 栄養物はどんどん底へ行く。琵琶湖の富栄養化も、陸上において人間活動がい ろいろなことをやっているから、富栄養化されてくる。つまり、貧栄養化でな いといけないのに、富栄養化されていく。
 土田先生は極めてすごい人なのですけれども、富栄養化というのは、「富ん で」「栄えて」「養う」、こんなすばらしい3つのいい言葉があるのに、なぜ 目の仇にするのかとおっしゃっていましたけれども、実は本当はそこに物すご い資源があるという逆なのです。だから、水が下に行くほど富栄養化されてい くのが自然の摂理なのです。だから、自然界では、その富栄養化されたものが、 例えば河口では、生態系の漁場でありまして、陸上から流れてきた冷たい水が 温暖化の海洋の中にストレートで下に行く。そうすると、御承知のように、そ れが河口域で攪拌されて下にたまっていったら、プランクトンとか富栄養化さ れたものが水上に上がっていく。海面下で、今度は太陽のエネルギーが待って いますので、そういったところに漁場が発生する。その漁場に鳥が来て、その 鳥が陸上に帰ってくる。そういうことで、富栄養化された水がどんどん海に来 るわけですけれども、その海はまた鳥によって栄養分が山に持ち込まれる。
 だから、海が森林の友達といって漁民が山に木を植えておられるケースがあ るのですけれども、あれは余り推奨できない話です。もっと漁場の栄養価のあ るものを山に返していく方法は自然界にきちんとあったのです。例えば、サケ が遡上するということは、山に住んでいる熊とかいろんな生物の食物になる。 ということは、海で培われたサケが川を遡上することによって栄養物がまた山 へ戻っていくという自然の循環系があるわけです。そういうことを全部ぶった 切ってきたのが、今までの河川行政であるし、ダムであるということになるわ けです。
 だから、私たちはもっと人為的にそういったものを湾内、閉鎖海域にありま すヘドロとか富栄養化されたものを資源と考えるべきだ。そういったものを陸 上に持っていく。私たちがやりたいのは、もっと鳥の力を借りるとか、自然の 力をいかにして借りながら自然をうまく循環系に持っていくかということが必 要であろう。
 その中の1つの方法として、ウの森がありましたし、特に大阪湾では、イワ シ漁業は非常に盛んでありまして、大阪湾でイワシを捕獲して、そのイワシを 肥料にして綿作の農業をやって、そこから繊維産業ができてきた。繊維産業が どんどん発達していくと、イワシをとっていかないといけない。イワシという のは、陸上の富栄養化されたもので育っていくわけですから、イワシを捕獲す るということは、大阪湾を浄化することになるわけです。イワシをどんどん食 べていかないといけない。そういう状況で、人間と自然とがうまく循環してい くことが必要になるわけです。
 そういうところからいきますと、イワシ漁業と繊維産業と農業とが一体にな って、イワシ漁業がさらに食卓にも入っていって、大阪湾から出て、紀伊水道 から房総半島まで、相当遠いところまでイワシをとりに行って、黒潮に突き出 ている紀伊半島、室戸岬、そういった岬の文化は、イワシという漁業の、文化 の共通した親戚がいる。そういう文化も育んでいくということでありますので、 循環系がいかに重要であるかということであります。

5.サステイナブル・クラスター
 きょうは時間的な制約で余り細かい話にいけませんけれども、いずれにしろ ブラウンフィールドにおけるゼロエミッションといいますのは、自然をうまく 使いながら、1つの循環系をつくり上げていくということであります。
 そこで、先ほど屋久島で言いましたように、小さな地球村といっているので すけれども、ゼロエミッションの生態系の1つの単位を「サステイナブル・ク ラスター」と呼んでみてはどうか。つまり、これはブラウンフィールドでもグ リーンフィールドにおいても共通する1つの自然の再建の単位として、サステ イナブル・クラスターを考えることはできないかということであります。
 11ページは、そういったものを大体1万人から3万人ぐらいの大きさの単 位として、そこでできるだけ物資循環として自立している。先ほど言いました 3つの柱、エネルギー、廃棄物ゼロ、廃棄物の資源化がどこまで自立している のかというアセスメントの表をゼロエミッション達成度ということで、その地 域はどれだけ大きな資源に依存していないかという評価をこれからやっていく 必要があるのではないか。
 そういったときに、クラスターは、水域を、自然を生み出す視点が必要であ るということであります。グリーンフィールドにおいては、大きな自然に寄り かかって、それをうまく活用しながら自然に負荷を与えないというクラスター だと思いますが、ブラウンフィールドにおいては、干潟を造成するという1つ の自然の創造、再建という行為を軸にしてクラスターが生まれてこないか。し かし、そんなことはお金がかかり過ぎて、とてもできないのではないか。環境 というテーマをある事業に入れると、事業費が1.5倍とか2倍に膨れ上がる のが普通であります。償却期間は非常に長くなる。
 そういうことで、ゼロエミッションは非常に高くつくのではないかというの は、コストの面で言われていくわけでありますけれども、先ほど申し上げまし たように、逆工場でありましたように、初めから製造工程の中にゼロエミッシ ョンといいますか、廃棄物が出ないシステムをつくる企業の方が利益が出ると いったことだと思います。
 例えば、ある工場である1つの製品をつくるのに物すごいエネルギーを使っ ている会社、あるいは猛烈な廃棄物を出している会社は利益率が非常に低いと 評価していいのではないか。それは初めからいろいろな面で省資源で、しかも 有効活用して、できるだけきちんと再利用ができるということは、利益が出て くるはずである。そういうふうに、初めから循環系を考え、自然を干潟を造成 していくプログラムをすることによって、そこに地域自身で利益が出てくる。 あるいは、そういう自然を再建する費用が生み出されるというシステムを組む のが、サステイナブル・クラスターの自然つきのものであるというのが、12 ページの図であります。
 サステイナブル・クラスターは、インターネット・クラスター、産業社会複 合クラスター、エコロジカル・クラスターの3つのクラスターがうまく合って いるということであります。
 資料の1ページで紹介していただきましたように、1996年、国連大学の 世界会議がチャタヌガ市で行われました。そのときに、インターネットで同時 画面で屋久島から参加した。向こうが朝8時で、こちらが夜9時でした。そう いうところでインターネットを通して同時にやることができました。これは相 当大変でしたけれども、ゼロエミッションというのは、必ずインターネットで 実現していこう、いろいろ交流していこうということが国連大学の1つの方針 ですけれども、屋久島という離島においても、離島であるからこそ、情報社会 におけるゼロエミッションが相当リアリティーを持ってきたということであり まして、インターネットの情報というのは、地域社会における廃棄物がいつ出 てきてどうなった、そういう情報も含めて極めて重大な要素になってくるとい うことでありまして、エコロジカル、産業、インターネットの3つの要素が集 まってサステイナブル・クラスターができる可能性があるということでありま す。

6.メタポリズム文明の可能性
 そういったことで、島モデルから、ブラウンエリアにおいていろいろやって いるわけですけれども、最近は北海道全部をゼロエミッション化していこうと いう動きとか、極端に言えば、日本列島全体をゼロエミッション化していこう という話もあります。
 そういう面で、先ほど御紹介しましたように、メタボリズム文明というちょ っと大げさな結論になりますけれども、そういった1つの新しい文明のスタイ ルが何か見えてきたような感じがするわけであります。
 きょうの日経新聞に非常におもしろい記事がありましてた。「老齢化の経済 学」です。その中で2050年には1億2000万の現在の人口が老齢化して 大体1億人ぐらいになる。2000万人減ると言われているわけです。これは 大変なことだと書かれているわけであります。
 私は、必ずしもそうではなく、今現在の成長神話の価値観からいくと、大変 でありますけれども、新しい文明のスタイルができると考えれば、メタボリズ ム文明が見えてくると考えます。日本は今貿易だけで稼いで富が蓄積されると いう極めて異常な形で攪乱要素を世界でつくっているわけでありますが、地球 的規模から言いますと、5分の1の先進国の人口が地球上の5分の4の富を独 占していると言われております。そういう極めて偏った資源の使い方における 先進国のあり方が今非常に大きな話題になって批判されて、CO2 排出規制な どの協議会が行われるわけであります。このような状況で、一国だけが人口を 増加させ、成長をいつまでも持続させるという考え方は、世界では通用しない のです。かといって、人口が減るということは、さみしいことであります。全 く発想を変えてみますと、拡大期にある文明よりも、凝縮期にある文明の方が 創造性を発揮してきたという現実に注目すべきです。文明が凝縮していくとと らえていきますと、過去に日本の歴史の中で、大きく分けて3回人口が減って いる時期があります。
 1つは、縄文時代です。縄文海進が起こった後ぐらいに人口がドラスティッ クに減ったと言われています。もちろんエジプト文明とか中国文明は既に日本 の縄文時代にできていたわけです。今私が注目するのは、そういう時代ではな く、日本においては、古代末期、ちょうど「源氏物語」が書かれていたころに 人口が減っているわけです。そういうときに初めて和風の文化ができた。つま り、藤原京や平城京が建設され、全国に国分寺や条理制が整備されたとき、あ るいはその前の古墳時代では、人口がどんどんふえていった。つまり外来文明 を受け入れて意気盛んなときは、人口が伸び、経済も成長していったのですが、  この「バブルの時代」には、固有の創造的な文明が生まれなかったのです。平 安末期の1000年前後になりますと、その勢いがとまり人口も大体600万 人ぐらいでずっと推移した。
 そういった人口がほとんどふえない、あるいは減りぎみのときに、和風の片 仮名が生まれ、源氏物語などの女性の文化ができたと言われております。それ からもう1つは、江戸時代です。これは極めてポリティカルに国を閉鎖したと いうことで、一切の物資循環が日本列島の中でできたということで、鎖国とい う極めて独特の中における人口がずっとサステイナブルで動かなかった時代に 1つの大きな文化が生まれたのではないか。そういった面で、これから人口が ずっと推移していく中で、人口が減っていったり、停滞しているように見える のは、必ずしも悲しいことではなく、全く新しい循環の社会が来るのではない かという予兆と見ればよいのです。こういう時代にこそ、メタボリズム文明が 可能になると考えます。
 そういうことで、メタボリズム文明にとっては、バブルではなく、全く新し い循環系の社会の構築が1つのチャンスとして、インターネットも含めて出て きたのではないかと思いまして、ちょっと難しい小理屈を述べましたけれども、 ゼロエミッションにおけるサステイナブルの可能性について、私の講演を終わ りたいと思います。
 御清聴どうもありがとうございました。(拍手)


フ リ ー デ ィ ス カ ッ シ ョ ン

○司会(谷口) どうもありがとうございました。
 それでは、フリーディスカッションに入りたいと思います。御意見、御質問 があれば、どうぞ御遠慮なく発言なさってください。
○長塚(長塚法律事務所) 長塚です。
 先ほどの屋久島の話と大阪の臨海の話ですが、結局屋久島では、自然をこれ 以上破壊しないということ、それから大阪臨海地域では、失われたものを回復 する。そこにはやはり教育が一番大事じゃないかと思うんです。教育と回復す る科学だと思うんです。
 例えば、ごみから堆肥化石や何かをつくる。そして、それをかいばや何かに 使っていく。あるいは、沼津市などでも、そういう施設をつくっていく。そう いうことについては、かなり費用と科学の進歩、研究が追いついていく必要が あると思うんです。
 そういうことで、きょうの話は非常に貴重ですが、これを実践ということに なると、非常に教育が大事ではないか。例えば、屋久島あたりでも、観光道が つくり始められ、そこに人が集まってきて、ポイ捨てや何かしたり、小便した り、ごみを捨てたり、そういうものは学校の教育だけではなかなかやり切れな いのではないか。マスコミその他全体の世論が重要だと思う。
 また、先ほどの大阪湾の件についても、水質の浄化なんかもかなりお金がか かるのを、いかに経費をかからないようにしてやるか。そういうことで、教育 と科学、そしてそれに対する経費、その辺についてひとつ御意見をお伺いした い。
○吉村先生 今の御指摘は一番痛いところであり、一番重要なところでありま す。屋久島の経験からいきますと、これは運動論的な展開が主体ですが、これ を社会システムにいかにしてつくっていくかということが教育の一環として非 常に重要である。その中で幾つかの原則を屋久島でつくって、今議論をやって おります。それは、いずれにせよゼロエミッションというのは、地域の全員参 加が重要である。だから、今までの事業とか環境運動は、例えば、石けん運動 とかありましても、特に琵琶湖なんかでやっている方の話を聞きますと、いろ んな啓蒙活動をやっても、結局参加者は実際に有機的な石けんを使っていくと か、そういうことをやっているときの運動体に参加されるのは、大体2割ぐら いと言われます。それで教育をして、役所がどんどんやっても、それより1%、 2%ふえるのが関の山だということなので、これはいい子ちゃんだけ集めてや っても、ゼロエミッションは絶対できない。そういう面で、全員参加が絶対的 に必要です。
 そういうことで、1つは、ゼロエミッションの運動を進めていく中で、まず 一番重要なことは、小さな循環系であるということです。例えば、水道の蛇口 をひねったとき、その水源がどこにあるかというのは、全然知らない状況であ りますので、ごみがどこへ行くのか。大きいサイクルでは、起承転結が見えて こない。日常のスケールの中で、ランドスケープの中で、小さな循環を見るよ うにする。
 例えば、今私たちが進めようとしているのは、地域社会から出てきた廃棄物 で、それがエネルギーに転換して、それをガス化して、公園の照明にする。公 園にある照明ぐらいは自分たちで出した生ごみでつけてやる。生ごみが入らな いときは、多少夜道が暗くなってもいいぐらいの照明があってもいいのではな いか。コンピューターで使う極めてハイクオリティーの電力と、中ぐらいのク オリティーの電力と、もっと低レベルのクオリティーの電力に分けて、それほ ど正確でない電力については、風力とか自前でつくっていって、それが照明で あったり、公園の照明はすべて石油エネルギーに頼らないものであるというこ とが日常的に体験できる。雨が降って水を貯水しておいて、太陽が照って雨が 降らないときに水を屋上庭園に上げる。電気エネルギーをそこまで強い力でや ることは非常に難しいのですけれども、最近直流ということで、太陽エネルギ ーを設置しておいて、わずかの電力で地下貯留した水を屋上まで上げる力を持 ってきた。これは非常に大変な技術だと思うのです。
 しかし、小さな技術の集積はばかにできなくて、相当大変な技術革新が要る。 大量のごみをたくさん集めてしかできないリサイクルは、今までの大量生産、 大量消費、大量廃棄の理論の延長です。少量廃棄物でもリサイクル資源ができ る。そういうことを私たちは日常生活で相当これから工夫していかなければい けない。
 ジャンボ機がありますけれども、燃料をどんどんたいて、大量の人を運んで 値段を安くしていくという話ではなく、トンボにしても、チョウチョウにして も、あれだけの体をすごいエネルギーで飛び続けても、全然疲れていないわけ です。空中で非常に小さなスケールで膨大な飛躍力があるという技術は、屋久 島でも触れましたが、もっと民生用に開発されてもよいのではないでしょうか。 まだ小さな技術と小さな循環系が暮らしの中の身近で、自分たちの排出物が資 源化されて役に立っているという風景がわかることが最も重要な教育だろうと 考えます。それが全員参加につながっていく。それが最終的にみんなに得にな る。
 循環系の社会で一番重要なことは、「ウィ・ウィン構造」といっているわけ で、全員がみんな勝利をおさめる。つまり、だれかが損をしてはいけない。全 員がすべて得をする構造をいかにつくっていくかということであります。それ を「ウィー・ウィン構造」といっているわけです。
 最近非常におもしろい生物学的な論理として見つけられているのは、1つの シャーシの中にアズキを入れる。そのアズキを食べる2つの種類の昆虫を入れ ると、どっちかが皆殺しになるまで戦って、最終的に1種類しか残らないとい うことです。1対1というのは、必ずどちらかが撲滅されるという状況の生態 的な論理があります。
 ところが、その2種類の昆虫のところに、両者の昆虫を食べる別の昆虫を入 れると、3者が全部生き残るシステムになることが最近報告されています。つ まり、今までの生物学というのは、要するに1対1でしか物を考えてこなかっ た。勝ち負けだけでしか見てこなかったわけです。それが両者を食べる第3の 昆虫を入れてあげれば、3者が全部共存していくシステムになるということが、 つい最近生物学で言われるようになったということがあります。つまり、トリ プルということがいかに重要であるかということです。
 自然界でそういう視点で見ると、いろんな事情が生態系に見えてくる。つま り、ツバキを食べる虫が出てくる。ツバキはその虫にかじられたくないものだ から、どんどん葉を固くしていく。それでも虫はツバキの葉を食べてくるから、 ツバキは一生懸命考えて、その虫を食べる別の鳥を呼んでくるエキスを出して いるらしいことがわかってきました。そういう三角関係の成立が生物の多様性 をつくり、共生のシステムになってきます。それで全員が「ウィ・ウィン構造」 になっていく。
 これが循環系の世界であって、遺伝子の中にすべてのこういった共生の情報 が生物の個体に蓄積されているということであって、恐らく人間社会のゼロエ ミッションについても、1対1の関係における勝ち負けではなく、あるいは開 発と保存ということだけではなく、第3の因子を持ってこない限りは共存はで きないことが、最近の生物からわかってきたことであります。そういった面で、 全員参加と、小さな技術で見える技術の開発、あるいは「ウィ・ウィン構造」 が非常に重要であるということでお答えになりましたでしょうか。
○大西(NTT関東支社) 大西と申します。きょうはありがとうございまし た。1つだけ教えてください。
 きょうのお話の廃棄物ゼロ社会が仮に実現したとき、お話を聞いていると、 今我々が享受している生活のレベルは、私が勝手に考えても、かなり落ちるの かな。そうだとしても、将来の地球環境を保護するために、それに耐えていか なければならないのかな。その辺ちょっとお話を聞かせていただきたいなと思 います。
○吉村先生 そのことについては、私すぐ答えることができないのですけれど も、ここにいらっしゃる加藤さんが、今インターネット、情報社会からエコ・ コミュニティーを提唱されて、その考え方が先ほどの3つのモデルになってい るのです。後でちょっと加藤さんに答えていただければありがたいのですが、 ゼロエミッションという考え方とインターネットと情報社会と自然とは一体で あるといったとき、簡単に言えば、在宅勤務やリゾート地でのサテライトオフ ィスが極めてできやすい。余り移動しない社会。移動しないというのは、別に 移動してもいいのですけれども、もっと地域をじっくり観察する力、先ほど言 いましたように、自然界はもっともっと不思議で、豊かなバリエーションの中 に参加していくことに対する喜びとか新しい可能性、つまりジャンボ機、ワシ だけでなく、もっと小さなモンシロチョウ的な生き方もあります、それは物す ごくすばらしい世界ですよ、そういう1つの考え方です。だから、そういうも のがもっと出ていくことによって、私たちは自然界の多様性をぶっつぶして収 奪して生きてきたことに対する別の世界が極めてクリアに見えてくる。それは 極めて創造的な社会であるということで、加藤さんに少しコメントをいただけ ればありがたいのですが。それを含めて加藤さんの本をちょっと宣伝していた だきたい。
○加藤(金融監督庁設立準備室) 加藤と申します。
 今のお話を聞いていて思いましたのは、やはり価値観とか倫理観を変えなけ ればいけないのではないかなということで、おそらく物質的な生活レベルは下 がる。だけど、精神的な満足度が上がればいいじゃないかというところまで割 り切らないと、おそらく吉村さんの世界は完結しないのではないか。
 私も情報化社会から入って、結局エコノミーとコミュニティーとエコロジー の3つが一体になった世界がおそらく21世紀の社会ではないかと思ったんで すが、それを支える価値観とか倫理観は、非常に簡単に申し上げると、物理的 には、豊かさは仮に低下しても、端的に言えば、生活水準がGDPで計ったレ ベルでは減少しても、自然と一体になって精神的な満足が高めれらるところに 人間が価値を別途生み出せば、それが文化の創造につながるのだろうと思いま すけれども、そういうところまで割り切らないといけないのではないかなと思 いました。
 実は、吉村さんに質問しようと思っていたのですけれども、そういうふうに 考えると、特にブラウンフィールドの方で典型的にあらわれるかと思いますけ れども、人間が都市に求めている感覚は、必ずしもそういう価値観だけではな く、やはり物質的な豊かさとか、それを我々は都市に期待している部分がまだ 結構あるのだろうと思うんです。今おっしゃったのは、小さな系というのです か、おそらく開かれた開放系の社会ではあるけれども、小さな社会で住民が一 体になる循環型の社会を実感できるようなところでしょう。屋久島はまさにそ れを実感できて、まさに検証はそういうことでできているのだろうと思うので すけれども、そういう小さな系、社会系が形成しにくいところ、大阪湾もそう だと思うのですが、そういうところでは価値観とか倫理観はむしろそう単純に 割り切れない。むしろ都市に物質的な価値をどんどん見出している人たちも多 い。
 逆に言えば、今容積率を緩和して、エネルギー多消費型の町をつくろうじゃ ないかという規制緩和の議論すらあるようなところで、どういう意思決定をし ていけばいいのか。大阪湾のことも、おそらく最後はそういう意思決定が本当 にできるかどうか、端的に言えば、生活水準を下げてまでも精神的な豊かさを 本当にみんなで求めていこうというところまで意思決定をしないと、ブラウン フィールドでのゼロエミッションというか、循環経済、循環社会の構築はでき ないのではないかと思っています。そのあたりの方法論といいましょうか、何 かお考えがあれば教えていただければと思います。
○吉村先生 きょうはぜひ加藤さんを逆にお誘いして来ていただきたいと思っ ていました。加藤さんは、ついこの間まで通産省の貿易課長で、現在は大蔵省 の金融全般を大改革するお立場の方です。
 スマートバレー・ジャパンというサンフランシスコの新しい情報化のところ における産業クラスターをつくろう。私たちは環境の方から来ているわけで、 そことのドッキングがいかにしてできるかということで、ついこの間も加藤さ んが行かれたそうですけれども、いずれにしろ大都会で、資源が循環されてい ないものを徹底して循環型にしていくときに、もちろん資金が投入されなけれ ばいけないわけですけれども、それをいわば今の非常に限られた選択の中でや っていくと、非常に高いお金がかかる。だから、それをもっとシステマティッ クに、例えば、今おやりになろうとしている関東の方では、関東地建の建設省 から出てくる廃棄物をインターネットで直ちに情報化して、それをどこに持っ ていけば資源化できるか、そういったものを護岸に使うなり何かしていくとい うシステムが構築されつつある。それは明らかに情報の持っている力です。今 まではそういうものなしに、廃棄物をストックして、またストックヤードをつ くり、非常にもったいないことをやっている。
 だから、そういう面でいえば、今関東地建がおやりになっている、つまり産 業廃棄物がどこに発生するかということをきちんと把握できる情報システムが いろんな障害によってできない。例えば、民間で解体した建築の廃棄物は、全 然データ化なんかされていないわけです。建設省というか国がやっているもの をまずはしていこう。そういう面で言えば、インターネットで逆工場の情報化 をしていく。例えば、1つの冷蔵庫があれば、冷蔵庫のすべての部品はすべて コンピューターに入れて、それがどこへ行けば再利用されていくか。つまり、 廃棄物を解体されているところの情報化が極めてうまくいけば、それが資源化 する効率のよさのルートができてくる。それが今はほとんどできていないわけ です。だから、現在のバージンマテリアルからそれを利用するシステムはでき ているけれども、廃棄物を回収していくシステムが全く情報化されていない。 それは多分利益が出てくるという話がないとできないわけですけれども、そこ に技術のブレークスルーとか、そういう話が出てくると思います。
 廃棄物を資源化していくというところにおける情報ネットワークをいかに指 定していくか。それと、今これ以上集積のデメリットがダメだということを含 めて、経済コストができていく可能性は、小さな選択であると、非常にコスト が高いわけですけれども、もう少し大きな循環系から見ると、むだなお金を投 入した部分が削減されてくる可能性が出てくるということです。
基本的にそうであって、今最もできていないのは、農業の循環はできてきた わけですけれども、水もリサイクル型になってきた。一番難しいのは、熱の回 収です。これを今通産の方でエネルギー回収系の利用といっていますけれども、 熱回収というものがこれから非常に重要であって、熱が一たん大気中に放出さ れると、地球温暖化も含めて極めて大変だ。熱の再回収ということが経済コス トにも合わない。そういう面で言えば、熱の回収を極めてローカルにやるシス テムをやることによって、熱の共同体ができてくるはずだし、それが単にカス ケードという選択だけではなく、私たち専門の森を植えるとか、干潟をつくっ て都市のクーラー役を果たすとか、そういうことによって、地球を冷ましてい く。都市の温度が上がっていくことに対して冷ましていくような1つの産業が できてくるということで、つまり熱エネルギーというのは、最もローカルで回 収に対処していかないといけない。そういうことをこれからは地区ごとにして いかないといけない。規制緩和はどうかわからないですけれども、そういう状 況の中で、新しい投資とか、新しい開発の考え方が出てくるのではないかなと 思うわけです。
○司会(谷口) どうもありがとうございました。
 残念ながら時間が参りましたので、まだほかにも御意見がおありかもしれま せんが、きょうは一応ここで終わりとさせていただきたいと思います。
 吉村さん、どうもありがとうございました。(拍手)


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