back

第114回都市経営フォーラム

まちづくりと景観創造

講師:西村幸夫氏 東京大学工学部教授


日付:1997年6月25日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

  1. なぜ景観とまちづくりなのか
  2. 景観コントロールの現状
  3. これからの景観コントロールの方向
  4. 欧米の経験から学ぶ
    イギリスの都市の事例
    フランスの都市の事例
    アメリカの都市の事例
    公共の場での議論

    皆さん、こんにちは。きょうは「まちづくりと景観創造」ということですけれども、 少し実際の具体的な技術論まで踏み込んで、いろいろ景観創造の問題を考えてみたいと 思います。少し精神論ではなくてやってみたいと思います。
     今なぜ景観とまちづくりなのか、今なぜ景観なのかという問題をまずいろいろな方が お考えになると思うのですけれども、実は景観の問題は、必ずしもこの10年だけの問 題ではないのですね。もっと歴史があります。むしろ日本の中で一番景観の問題が言わ れたのは、もっと前だったと思います。ですから、簡単にですけれども、その歴史を少 し振り返ってみたいと思います。

    1.なぜ景観とまちづくりなのか

     (OHP1)
     皆さん御承知のように、景観が一番熱心に、特に東京でやられたのは、震災復興のこ ろだと思います。一番上の図面は皆さん御承知の、昭和通りですね。あとは皇居周辺の 道路ですけれども、こういう道路ができたわけですね。ところが、戦後こういう道路は 、アンダーパスをつくったりして、真ん中の見事な緑地帯を、東京の都市計画は食いつ ぶしていった歴史があるわけですね。ですから、明らかにこの時代にはるかにすばらし いストックをつくっていたということは言えると思います。
     (OHP2)
     これは東京にできた美観地区であります。これは1933年に生まれました。ごらん になってわかりますように、この美観地区では高さ規制をやっておりまして、15メー トルから20メートル、26メートル、28メートル、31メートルまでの高さ規制が 皇居周辺にかけられていたわけです。戦前はこれは機能しておりました。それだけでは なくて、少し見にくいかもしれませんが、こういう通りの端に、少しひげみたいになっ ているところがありますが、これは、この通りの向かい側のファサードまで規制してい たということなんですね。ですから、部分的に、道路向かい側まで規制していた。それ だけではなくて、ここは半蔵門ですが、半蔵門から始まる新宿通りのこのブロックに関 しては、まあここからのヴィスタということでしょう、通りそのもののファサードの両 側規制をしているというようなことがありました。これが既に昭和8年の段階でできて いるわけですね。戦後この規制の中身はなくなりましたので、都市計画上は美観地区の 地区の線だけが残っております。今もそうです。中身が条例で決まっておりませんので 、中身がない状況が今でも続いております。これに内実をつけ加えようというのが、今 千代田区でようやく議論になり始めております。
     (OHP3)
     戦前には、それだけではなくて、これは余り知られてない図面ですけれども、皇居周 辺約1ブロック分に関しては、ここに建物を建てるときには、当時の宮内省と協議をす るということが決まっておりました。これは美観地区よりも、もうひと皮、内側であり ます。
     (OHP4)
     この美観地区は皇国史観を補強するような目的があったと思いますけれども、実は昭 和15年にこの美観地区を拡張しようという計画がありました。ごらんになってわかり ますように、ここが現在もある美観地区ですけれども、こういうふうに面的に一部分拡 張しまして、ちょうど我々がいるこの会場も、計画された美観地区の中に入っているわ けです。そして主要幹線沿いに広げよう。これはちょうど紀元二千六百年のお祝いと万 博、それから東京オリンピックを兼ねて、東京首都の美化という問題の中で、こうした 計画が取り上げられました。ここは明らかに、皇居崇敬というよりは、都市を面的にと らえて、その美観を考えよう、景観を考えようということが行われたことがおわかりに なると思います。しかし、残念ながら、これは実施には移されませんでしたので、幻の 美観地区案になっております。
     (OHP5)
     これは、大阪の都市計画で定められた美観地区です。駅前、中之島、御堂筋、阿倍野 橋などの地点が、美観地区として指定されていることがわかると思います。これが昭和 9年。ですから、戦前にこうした美観を整えていこうという意識、それから法制度、自 治体の動きも大変熱心であったということがわかると思います。
     ただ、問題なのは、ここでいう美観とは、恐らく公共が大きな公共施設をつくってい くことによって生み出していくという美観が中心ですから、自分たちでつくっていく、 お上の手によってつくっていく美観だったと思うのですね。ですから、これはいわゆる まちづくりとはちょっと違う。国の威信をかけた美観だったということが言えます。
     (OHP6)
     それが戦後になって変わってきます。
     これは1960年から93年までの間に、地方自治体で、景観もしくはまちづくりに 関する条例がどのようにできていったかというのを示した図面です。これで明らかなよ うに、2つの山があることにお気づきだと思います。1つは、70年代前半に大きな山 があります。もう1つは、80年代半ばからバブルの時期、バブルがはじけた後、こう 伸びておりますけれども、もう1つこのまちづくり関係、景観美観関係の山があること がおわかりになると思います。
     これはどういう山かといいますと、非常に性格が違う2つの山でありまして、前半の 山は、自然保護、それから歴史的環境の保全、そうしたものを中心とした山なわけです ね。自治体が自分たちの町の自然環境や歴史的環境を守ろうというような条例が70年 代前半に集中していることがわかると思います。ちょうどこのころは公害問題が騒がれ ていたころでありますし、75年には文化財保護法が改正されまして、伝統的建造物群 保存地区という、まちなみ地区が生まれているころですね。面的な歴史的環境を守ると いうことも始まったころであります。これが1つの山です。
     もう1つの山は、明らかにおわかりになりますように、都市景観に関する条例が中心 です。したがって、これは、きょうテーマにしたい都市、景観創造、新しいいい景観を つくっていこう、それに対するコントロールを行政がかけていこうという条例が80年 代半ばから始まって、今も続いているわけですね。ですから、非常に大きく違う流れが 、この戦後だけを取り上げてもあるということがおわかりになると思います。
     (OHP7)(グラフ)
     これは、1984年以降地方自治体において景観条例、要綱が制定されている数を見 たものでありますけれども、建築物に関する規定を定めているもので、建設省が把握し ているものだけを調べたわけですけれども、1996年現在、157の自治体で景観条 例、もしくは景観の要綱が制定されていることがわかっております。これは完全なリス トではないと思いますので、恐らく数はまだふえていると思います。また、単体に限ら ない、景観環境を守るという条例を広く考えて景観創造の条例だとすると、その数は3 00近くなるのではないかと思います。
     では、こうした条例がなぜこの時期にふえていったかということを次に考えてみたい わけですけれども、幾つかの要素があると思います。それはもう皆さんお気づきのよう に、行政施策の課題が、やはり量から質へ移ってきたということですね。シンボリック な言葉でいいますと、1970年代にシビルミニマムと言われてきたことが、80年代 にアメニティーの創造ということが行政の課題になっていた。フローの重視からストッ クの重視へ移っていったということがあると思います。
     もう1つは、景観の問題というのは非常に総合的な行政の課題であるということです ね。1つの部局が取り組むだけでは済まないわけです。非常に部局横断的に取り組まな いといけない。ですから、既存の行政の縦割りのシステムとなかなか合致しないわけで すけれども、それがむしろ新しい行政課題としてチャレンジする自治体がふえてきた理 由になっていると思います。
     つまり、都市が膨張しているころには、それぞれの部局が縦割りに、それぞれの都市 問題を解決していったら、それを足し算すると、まあそれなりにいい都市ができていっ たと言われるわけですけれども、そういう時代ではなくなってくるわけですね。都市が 膨張しなくなってくる。もしくは大半の都市で人口が減少してくる。そういう時代にな ってくると、それぞれが縦割りで、そ他の部局に迷惑をかけない範囲で頑張っていけば いいという時代ではなくなってきたということがあると思います。
     それからもう1つ景観とまちづくりの問題が非常に重要になってきた理由は、これは やはり、市民に非常にわかりやすいテーマだということがあると思います。つまり、こ の景観の問題に関しては、プロもアマチュアもないわけですね。みんなこれはいいもの 、これは悪いものという意見が言えるわけでありますし、さまざまな部局が集まって、 例えば道路や建物、屋外広告物など、全体が集まって1つの通りの景観ができているわ けですけれども、それは通りの景観としては1つですし、市民にとってそれが見えるも のなわけですね。その意味で、市民にとって一目瞭然である、これがやはりいろいろな 市民の方々に関心を持たれる理由になったのではないかと思います。
     もう1つは、都市の人口が伸びない時代になってきた。そうなってくると、都市間の 競争がもちろん激しくなってくるわけですけれども、自分の都市がどういうイメージを 持っているのか、どういういいイメージを持ち続けていけるのかということが、都市間 の競争に非常に重要なファクターになることを、だれもが感じるようになってきたわけ ですね。つまり、都市のイメージ戦略として、自分たちの都市が持っているイメージを どういうふうにつくり上げていくかが大きな政策課題になってきたと言えると思いま す。
     もちろん、行政にもお金がなくなってきましたので、大規模な改造をするような景観 創造はなかなか難しくなってきた。むしろそれよりも、今あるものを評価しながら少し ずつ建物をつくり続けていく、改善していく。そういう漸進的な、少しずつ建物を変え ていくような改善が、これから先の大きな流れになってくるわけですね。そのことから いっても、まちづくりにベースを置いた景観問題が非常に的を得ている、時宜を得てい ることになるのではないか、それがこうした流れの背景にあるのではないかと思います。
     (OHP8)
     もう少し図表を進めますけれども、東京都内でも、3区1市で、こうした条例そのも のができております。新宿、豊島、北区、そしてあきる野市で条例ができております。
     (OHP9)
     また、23区を見ましても、これは、平成7年9月現在都庁調べですけれども、23 区ほとんどの区で、何らかの職員が景観問題を担当していることがわかります。これは 、左から担当職員がいるか、専任か、兼任か。それから技術職か、事務職かということ で、ほとんどがここにあると思います。景観アドバイザーという制度を持っている区が 新宿、世田谷、豊島、北、足立区となっております。そして景観条例や要綱があるかな いか、または予定しているかということで、その条例の中身が書いてあります。また景 観条例を持っている場合は事前協議をどれくらいの件数やっているかというのがあり まして、港区は13件、新宿は最も多くて330件、江東区で29件、豊島区で106 件、北区で、これは7年度ですけれども、56件という事前協議が行われているという 状況になってきております。

    2.景観コントロールの現状

     (OHP6)
     それではもう一度先ほどの図面に戻ってみたいんですけれども、今まで、いろいろな 都市が、いろいろな景観コントロールの工夫をやってきました。その中の特徴的なもの をもう一回振り返ってみたいと思います。
     日本で最初に建築基準法、都市計画法を超えた景観コントロールをやろうとしたのは 金沢市です。これは1968年でありました。金沢には伝統環境保存条例という歴史的 な環境を守ろうという条例ができたわけですね。これは実は市民の間から起きた動きが きっかけになりました。金沢の若手の経済人が集まって、金沢経済同友会という会をつ くっておりますけれども、この会のメンバーが1966年に保存と開発委員会というの をつくりまして、自分たちの町の資産をリストアップしたことがあるのですね。それが この条例のきっかけになったわけであります。
     そして、非常に象徴的なことは、この条例は、1989年に改正されておりまして、 名前が変わっているのですね。もともとの伝統環境保存条例から、金沢市における伝統 環境の保存及び美しい景観の形成に関する条例というふうに、長い名前ですけれども、 変わっております。
    (OHP10)
    これが金沢市にかけられている地区指定の状況であります。長町や寺町などの古い環 境を守るというところが出発点。当初76.56ヘクタールにかけられたわけですけれ ども、これが現在、伝統環境保存区域が32地区、1558ヘクタール、近代的都市景 観創出区域は13区域、153.8ヘクタールまで広がってくるわけです。そして歴史 的なものだけではなくて、近代的なものを新しくつくっていくことを1つの条例の中に 合体していった。これが1つの大きな流れなわけです。
     ここが金沢の駅前であります。ここが武蔵ヶ辻ですね。ここが香林坊の再開発です。 ここにお城がある。ですから、お城の周りの商人地ですね。そしてこの駅前まで、ここ に大きな幹線道路が現在、ちょうど通り抜けができるようなところですけれども、こう して近代的都市景観創出区域は、新しい商業の軸をつくるということで、香林坊から武 蔵ヶ辻、そして駅前を通って、駅の西側の土地区画整理事業の中に軸として通っており まして、このバイパスまで至る。そしてこちらに公共施設が移転する計画がある。非常 に大きな都市軸をつくっていこうとしているわけですね。
     そしてこれは都市再開発法以前の市街地改造法時代から再開発が行われておりまし て、香林坊、武蔵ヶ辻ともに、現在もまだ活力のある都心型の商業地として生きている わけですね。ですから、金沢がいまだに魅力ある歴史都市であるのは、単に震災がなく て、戦災に遭わなかっただけではなくて、非常にきめ細かな地区を設定して、コントロ ールしている。それだけでなくて、また新しいものもそれなりにうまく町の中に入れて いこうとしている。まさに景観創造なわけですが、両方を工夫してやっているというと ころを我々は評価しないといけないのではないかと思うわけです。
     (OHP11)
     この地区はこういうふうに、かなり細かく分かれているわけですが、地区ごとに屋外 広告物の例えば絶対高さなどが規制されております。高さだけを見ましても、これは8 メートル以下から60メートル以下まで、8、10、12、15、18、20、31、 45、50、60メートルということで、これだけの高さ規制が場所を選びながらかけ られているということです。金沢はこういうことで非常に熱心にやっております。
     それだけではなくて、生け垣の整備事業や擁壁の修景事業、駐車場の修景事業などの 補助事業を持っております。広告物の撤去事業、寺院の土塀、山門、修景事業ですね。 そうした名前の事業も持っている。さらに、辰巳用水に代表される用水の保存、それか ら、2、3軒だけある小さな町並み、これを金沢では「こまちなみ」と言っております けれども、「こまちなみ」の保存ということまで現在は条例のもとでやっている。こう して景観創出のための大変精密なコントロールが始まった。基本的には、こうした歴史 的な都市が中心になっているので始まったわけであります。
     そして次、例えば盛岡で同じような状況が起きております。盛岡には1971年に、 自然環境保全条例という条例ができております。これは盛岡市内を流れている北上川、 中津川の川辺の緑を守るというようなことを熱心にやっている条例です。これも象徴的 なことですけれども、76年に条例そのものが改正になりまして、自然及び歴史的環境 保全条例ということで、自然環境の保全と歴史環境の保全を一緒にやっていくという条 例に衣がえをしております。
     (OHP12)
     そうした中で、全国的な景観ブームに火をつけたのは、恐らく神戸の景観条例だと思 います。これは1978年にできました。神戸の景観条例が非常に影響を与えた理由の 1つに、景観を非常に客観的に分析して、景観マスタープランをきちんと立てたという ことがあるわけですね。これはそのレポートの中の一部でありますけれども、特に神戸 の場合は海があり、水辺があり、都心があり、山辺があり、山頂がある。そして自然の 農村地帯がある。こういうふうに非常に起伏に富んだ地形でありますから、いろいろな 景色が楽しめるわけですね。
     遠景、中景、近景、そしてまた周りの景色、こうしたものを非常に分析的に、こうい う枠組みで考えたわけです。視点と見え方によって、景観というのは眺望型の景観と、 環境型の景観に分かれるのではないか。遠くを見る景観と、周りで感じる景観ですね。 また、地域や地区の広がりによって、広域的な景観、都市的な景観、街区的な景観と3 つに分かれるのではないか。これは遠景、中景、近景と言ってもいいかもしれません。 また、地域や地区の性格によって、自然地域景観、都市軸の景観、市街地区景観、それ ぞれがまたさまざまな自然緑地景観、臨海海浜景観などの性格に分けられるのではない か、こういうことをまず考えたわけですね。
     (OHP13)
     そして、そのもとで、自分たちの町の景観構造を考えてみるというようなことを行っ たわけであります。
     ですから、単純にきれいなところを守るというだけではない、新しい考え方がここで 生まれてきたということであります。
     (OHP14)
     そのもとで、例えば大規模な構造物、工作物を届け出、事前協議制度をつくっており ますが、それも今申し上げました地区特性によって、届け出の必要な規模、面積を変え るというようなことが、整った形では初めて行われたと思います。
     (OHP15)
     また、地区的に非常に重要な地区を守っていくという意味では、都市景観形成区域と いうのを全面的に取り入れた、ごく初期の例だと思います。これは神戸駅の周辺です、 居留地、これは新神戸から三宮駅を通って税関までの税関線ですね。これは異人館のあ る北野山本通り地区ということで、4つの景観形成地域というのがつくられているので すね。
     もう1つここに茶色で塗っておりますけれども、これが町並み地域ですね。伝統的建 造物群保存地区。ですから、これに関しては二重の規制をかけるということがここで行 われるようになったわけですね。今までは、町並み地区に関する規制は1975年から 生まれておりましたけれども、それはこうした中を非常に厳しく規制するわけですけれ ども、すぐ外側に対するコントロールというのは全くなかったわけですね。外側に土産 屋が建ったりするようなことに対しては無力だった。それに対してこういう二重の規制 をかけることが考えられるようになったわけであります。
     逆にいいますと、外側に関しては、ある1つのデザインのモチーフ、根拠が、この町 並み地区にあるということですから、その意味でも二重にかかっていることは、お互い のためにいいということになるわけですね。
     (OHP16)
     そこのところを少し見てみますと、赤で書いているのは異人館の建物ですけれども、 それを含んでこういう町並み地区、伝建地区あるわけですが、その周りに都市景観形成 地域がかかっていて、そのほかに、主要な歩行者路がかかっていているわけですね。こ こに都市デザイン、ストリート・ファーニチャーの整備などが集中的に行われる。それ は、地域を超えて行われるわけですから、非常に有機的にいろいろなことが行われるよ うになっていったと言えると思います。
     (OHP17)
     これは各地でよくやられている手法で、伝建地区の中の許可基準、修景基準を絵と言 葉であらわした模式図ですけれども、こういうものが全国的に現在ある形できちんと流 通するというか、はやるようになったのは、恐らく神戸の貢献だと思います。
     (OHP18)
     これはこうした伝統的なところだけではなくて、駅前や、大倉山の都市景観形成地域 では、また別の規制、例えばこの場合ですと、建物の高さは17メートル以上でないと いけないということで、最低限度が決まっているというようなことが起きたわけであり ます。
    (OHP6)
     これが1978年です。
     先ほどのを見ますと、ちょうどこの辺ですね。この辺で初めて都市景観条例の1つの プロトタイプが出てきた。これを建設省が、こういうのがプロトタイプだと推奨したこ ともありまして、各地で、先ほどお見せしたように、爆発的に伸びていったということ があると思います。
     70年代の後半は、思い返してみますと、「地方の時代」ということが言われ始めた ころなんですね。各地方に革新市政が誕生した時代であります。また、さまざまな地方 の個性を生かすためのモデル事業が生まれたのが、ちょうどこのころ、70年代の後半 から、80年代の初めでありました。例えば国土庁が地方都市整備パイロット事業を始 めたのが78年でありますし、建設省の公園緑地課が都市景観モデル事業を始めたのは 82年ですね。同じく82年には、同じ都市局の街路課が歴史的地区環境整備街路事業 という、歴みち事業と言われるものを始めております。これは形を変えて今でも続いて おりますね。
     次の83年には、これは住宅局の住宅建設課が、地域住宅計画(HOPE計画)とい うのを始めております。これも名前を住宅マスタープランと変えておりますけれども、 今でも続いているわけですね。翌84年には、街路課がシンボルロード整備事業という 事業をつくっております。こういう形で、70年代の後半から80年代の前半にかけて 、大変な勢いで国の省庁もモデル事業をつくって、地域の個性あふれるまちづくり、町 並みづくりをやっていこうとしてきたわけであります。
     ところが、神戸型の都市景観条例がふえていくと、必ずしもこれでうまくいくとは限 らないということが起きてくるわけですね。神戸の場合ですと、ある地区指定をします と、行政の役割が地区の中のお世話だけになってしまう。例えば担当部局が地区指定し たところのお世話だけになってしまうというようなことも起きますし、そもそもこうし た条例がどれだけの力を持っているのか。裁判になったときにどれだけ力を持っている かということに関して、非常に疑問の声も挙がってくるわけですね。ちょうど宅地開発 要綱が、規制緩和流れの中で上乗せ、横出しがなかなかやりにくくなったのと同じよう な問題が起きる可能性がふえてきたわけであります。
     (OHP19)
     そうした中で、いろいろな工夫がほかの町でやられるようになりました。これと違う タイプの都市景観コントロール手法というのは、細かい規制をやめて、もう少し大づか みに、都市をアレキザンダー流のパターンランゲージでコントロールしていこうという 1つの流れがあります。
     これは有名な真鶴町のまちづくり条例にある美の基準というものですね。美の基準と いうことで、場所、格づけ、尺度、調和、材料、装飾と芸術、コミュニティー、眺めと いう8つのキーワードを取り上げまして、この中で自分たちの町ができ上がっている空 間をもう一回記述していこうということを始めるわけですね。そのことによって、これ をみんなが理解してくれれば、自然にでき上がってくるものが、こういうデザインを継 承することになるのではないか。ある意味で、性善説にのっとったコントロールが生ま れてくるわけであります。
     (OHP20)
     例えばその1つ、これは、段階的な外部の大きさということで、外部空間と内部空間 が段階的につながっていくことによって、こういう有機的な空間ができる。断絶した空 間とは違う魅力があるのではないかということですね。私という小さいものがあって、 半公共、セミプライベートからパブリック空間へ出ていくということですね。こういう ことをそれぞれの設計者が考えることによって、おのずといい町になっていくというこ とが考えられたわけです。
     これは直接参考にしているのは、イギリスのチャールズ皇太子が書いた『ア・ビジョ ン・オブ・ブリテイン』という本があります。これはBBCの特集になった本で、この 中で、チャールズ皇太子は10の原則(テン・プリンシプルズ)というのを言うんです が、ここで取り上げているのは、その中の8つであったわけであります。
     (OHP21)
     またその中には大変象徴的なキーワードも含まれております。これは夜光虫というキ ーワードであります。夜光虫が景観創造とどう関係があるのかということになるわけで すけれども、これは明らかに、昔自分たちの町にはこういう夜光虫がいた。そういう環 境を取り戻したいということですね。つまり、ここに1つの都市、こういう地域が持っ ている環境、ライフスタイルが象徴的にあらわれてくるわけです。夜光虫が住める、夜 光虫と一緒にいるような、そういう生活を取り戻すことが、言ってみれば、その土地の まちづくりの目標になっているということが考えられたわけであります。こういう1つ の大きなライフスタイルを再獲得していく。そのための共通のキーワードを探していく アレキザンダー流の試みみたいなものが、幾つかの都市でやられるようになりました。  (OHP22)
     もちろん真鶴はそれだけではなくて、その背後には非常に厳しいコントロールがある わけです。それまでの都市計画の白地地区が建ぺい率70の容積率400という、ほと んど無秩序のうちに建てられるということに反旗を翻しまして、非常に厳しいコントロ ールを白地地区にかけた例ですね。60の200とか、50の100というのを町がつ くった独自の地区制、臨海地区、普通住宅地区、住戸協調地区、緑住地区、景観普通地 区、半島景観特別地区、こういうところにかけていったわけです。
    (OHP23)
     それだけではなくて、建物を建てるときには、近隣関係者の同意が必要であるという ルールを条例の中で明文化したわけです。これは今までの中にはなかったことでありま す。例えば建築区域が1000平米未満のものに関しては、隣地境界線から6メートル 以内のものの土地または建築物の所有者及び占有者の協議が必要だということです。そ れは8メートル、16メートルということで、建築の規模によって変わってくる。こう いうことがやられるようになってきたわけであります。
     こういう意味で、キーワードを決めて、みんなの良識に任せるのか、それとも非常に 細かく規制をして、細かくコントロールしていくのかということは、これから先、景観 問題を考えるときの非常に大きな岐路に我々は今立っているのではないかと思うわけ です。そのことは、また後で考えてみたいと思います。
     (OHP24)
     もう少し続けます。近年できた非常にユニークな条例の1つに、倉敷市の背景保存条 例、正式な名称は倉敷河畔伝統的建造物群保存地区背景条例という条例があります。こ れは有名な倉敷川であります。ここが大原美術館、倉敷民芸館なわけです。この範囲が 伝統的建造物保存地区です。ですから、ここは非常に厳しく守られているわけでありま す。皆さんご承知のように、倉敷の一番の景色というのは、この中橋に立って倉敷川を 見る景色です。この石垣のところに柳の並木がある。その柳越しに町並みが見えるとい うのが最も典型的な倉敷の景観なわけですが、実は、ここから見たときに、この奥、敷 地の外側に建物の計画が起きたわけであります。
     1990年にテナントビルとホテル、5階建てと8階建ての建物の計画が明るみに出 ました。市は大変驚きまして、教育委員会はその年の5月にアドバルーンを上げまして 、実際その建物が建ったときに、どれぐらいここから見えるかということをチェックし たわけです。その結果、伝建の審議会が、やはりこれは何とか規制しないといけない。 この歴史的な背景を守るということの要望書を提出しまして、6月に市議会で条例案が 提出されまして、可決、即日施行ということで、問題が起きて3か月弱で条例ができて しまった。大変なスピードで条例をつくり上げているわけです。
     これは建物のここの間の高さが1.5メートルのところから見て視界に入らないもの であるということです。中橋の上面並びに今橋から高砂橋の中間点までの間の倉敷川両 岸の道路面から1.5メートルの高さにおいて視界に入らないものであることというこ とであります。また視界に入ることになるが、保存地区の高さ、背景を著しく損なうも のでないことということが条件とされているわけです。ですから、実際ここは見える建 物が現在建っているのですが、頂部のデザインを工夫をしまして、不調和でないものが 建っているということです。
    (OHP25)
     現実的に規制されている背景の区域としてはここです。そして、この山側、ちょうど ここから見える背景のところに関して、こういう規制がかかっているということが日本 で初めて行われたわけです。まさに3次元的な規制なわけですけれども、こういうこと は、今までの日本の都市計画のコントロールにないわけです。みんな地図の上に色が塗 ってあるわけですから、2次元で規制しているわけですが、初めて3次元の規制が出て きたわけであります。

    3.これからの景観コントロールの方向

     こういうふうに、日本の都市景観の形成、コントロールの手法も少しずつ広がりを見 せてきたわけでありますが、ここで、これから先どっちの方向に行くかということは、 非常に大きな問題になるわけです。先ほど言いましたように、非常に細かく規制をして いくのか、こういうふうに、例えば仰角何度という形で細かく規制していくことになる のか。それとも非常に大ざっぱにキーワードを挙げ、並べるような規制といいますか、 協力要請みたいな形でいくのか、2つの大きな流れがある。
     細かくやるということは、ある意味で、おきて破りをやるやつがいるということが前 提なのです。人間は悪いことをするんだ、その悪いことをする人間に対しては、やはり きちんとルールを明確化して決めていかないといけないんだという考え方がもとにあ るわけです。
     キーワードを決めて、アレキザンダー流に景観を守っていこうというものは、これは 逆でして、人間というのは本来みんな言えばわかってくれるんだ、仲間だから、性善説 でお願いをしていくということになっている。ある意味で、コントロールが厳しいのは 懲悪型だと言ってもいいかもしれないですね。懲悪型のコントロールをやるのか、それ とも勧善型のコントロールをやるのかという言い方もできるかもしれないと思います。
     この問題はかなり大きくて、どうなるかと私は思っているわけですけれども、これは 単に二者択一ではなくて、1つには、地域コミュニティがどれぐらい生きているかにか かっているところがあるわけです。つまり、地方都市、小さな都市の場合、お願いをし たり、勧善型でやったりするということは、それなりにプレッシャーになるわけです。 例えばあることをやらなかった人の氏名を公開する。罰するわけではないですけれども 、氏名の公表をするというだけでも、かなりコミュニティの中でのプレッシャーになっ ていく。そういうコミュニティが生きていたところでは、割合性善型のコントロールは 効いてくると思います。しかし、大都市でさまざまなプロフェッショナルが法の網をか いくぐりながら、最も効率的な建物を建てていこうと頑張るような社会では、なかなか そうはいかないと思うわけです。そういうときには、恐らく合意のもとに非常に細かい コントロールをやっていくしかないのではないかと思うわけであります。

    4.欧米の経験から学ぶ

     (OHP26)
     では、ほかの国ではどうなのかということを少しこれから御紹介したいと思うわけで す。特に先進国のコントロールというのは一体どういうふうになっているのかというこ とを御紹介したいのですけれども、イギリスとフランスとアメリカの例を御紹介したい と思います。

    イギリスの都市の事例
     実は、この3つの国はどれも懲悪型、性悪説に立ったコントロールをやっているわけ であります。これはロンドンのシティー、セントポール寺院があります。ロンドンは驚 くべきことに、戦前から、それも1938年からこうした非常に細かい高さ規制をやっ ているのです。これはロンドン、セントポール寺院にかかっている高さ規制で、セント ポール・ハイツ・コントロール・エリアというふうに言います。こういうふうに、実際 はこの中を1250分の1の地図で、50フィートのメッシュを切りまして、そこの中 に最高の高さを書いてあるのです。それ以上の高さの建物は建てられない。そのベース になった考え方は、ごらんになってわかりますように、テムズ川の南岸もしくは幾つか の主要な道から見てセントポール寺院が見えるような、そういう線を決めまして、その 線より下じゃないといけないと決められているわけです。これは実際に今も生きており ます。
     これは何で1938年にこういうことができたかといいますと、実は1930年にイ ギリスの建築基準法が変わりまして、100フィートまで建物を建てられるようになっ たわけです。そしてまた、100フィートを超える建物はロンドン市が許可をすれば建 てられることになってしまう。そうすると、そういう建物がこのシティーの真ん中に建 っておりますと、セントポール寺院が見えなくなるという事態が懸念されたわけであり ます。
     それに対して、セントポール寺院が、いや、これはうちの建物だから、そんな高いの を近くに建てちゃいけないという権利は100ヤードまでしかなかった。敷地から90 メートルまでセントポール寺院が言う権利があったのですが、それを超えますと、もち ろん私有権がありますから、自由に建てられたわけです。そういう事態に立ち至ったと き、初めて高さ規制がやられるようになったわけです。
     (OHP27)
     具体的には、ちょっとわかりにくいですけれども、これは標高が書いてあるわけです が、80、90、100、110、120メートルという高さがかかっているわけです。 これは先ほど言いましたように、実際は非常に細かいグリッドが切られていて、1個1個の地点の最高高さが決められているということになっております。
     (OHP28)
     実はそれだけではなくて、その後もっとこうした眺望景観を大事にしようということ が70年代の半ばから言われるようになりました。これはロンドンのストラテジック・ ビュー(戦略的眺望)と言っておりますけれども、セントポール大聖堂だけでなくて、 ウエストミンスター寺院、国会議事堂の頂部が見えるように、特にこういう公共的な空 間から見えるように、ここの間に関しては高さ規制とか、非常に細かい規制をかけるよ うになってきております。これはもともと1976年からこういうことをやるべきだと いう議論が行Wわれるようになりまして、89年に環境省は各自治体のユニタリー・デ ィベロップメント・プランの中にそういうことを書き込みなさいというふうに指示して おります。現在では、これはウエストミンスター市の例ですけれども、10カ所からの こうした眺望景観がコントロールされるようになっております。
     (OHP29)
     これはちょっとわかりにいかもしれませんが、これはシティーの中のビューイング・ コリドーなわけですけれども、いろいろなものがかかっているのがわかりますね。いろ いろな線があるので、ちょっと不思議に思われるかもしれません。ハッチがかかってい るのとかかっていない部分があります。これはどうしてかといいますと、ハッチがかか っている方は手前側の高さが規制されているわけです。ハッチがかかっていない、こう いう部分はこちらから見たときのセントポール寺院の背景の高さが規制されているの です。ですから、非常に複雑に背景の高さと手前の高さが規制されるようになっており ます。
     (OHP30)
     それはこういう形になっているんですけれども、例えば、こういう形でセントポール 寺院の頭が見えている必要があるということになりますと、ここの地点から見て、この 幅が300メートルの範囲で建物を建ててはいけないということになります。そして、 そのすぐそばに高い建物を建ててはいけないので、この幅440メートルに関しては、 この幅の部分に関しては、高さが高い建物に関してはデザインを何とかコントロールを しようということで、相談をすべきである。この真ん中のところは建ててはいけない。 横の部分に関しては、これは高い建物の場合は協議をするということになっております 。ですから、この部分のことをワイダー・セッティング・コンサルテーション・エリ ア(広角眺望協議区域)というのがかかっているわけです。それだけではなくて、ここ から見たとき、この後ろに高い建物が建つと、やはり見苦しいですから、背景に関して も協議できるシステムになっているわけです。それをバックグラウンド・コンサルテー ション・エリア(背景協議区域)というふうに言っております。
     これは、かなり長距離の眺望ですから、1つの自治体だけでは済まないのです。ロン ドンには、ご承知のように、都庁はなくなりましたので、1つ1つの区が独立した基礎 自治体なわけですから、どこかの自治体に建築許可申請がありますと、それがこのビュ ーの中に入っておりますと、それぞれの自治体が全部調整をしながら全体のコントロー ルをしていくという大変面倒くさいことをやり始めているわけであります。
     それは、これだけにとどまらないで、実は眺望点も広場ですから、広場の1点という のは限定できませんから、横に動いていいということになっているわけです。そうする と、眺望点は横に動きますから、こちらの限界から見たときの一番広いところがワイダ ー・セッティング・コンサルテーション・エリアの限界、こちらの端から見た一番広い ところがワイダー・セッティング・コンサルテーション・エリアの限界、そしてまた背 景に関しては、逆に一番広くとれるところ、こっちからこっちの端の範囲がバックグラ ウンド・コンサルテーション・エリアになるという形で、大変緻密につくられていると いうことが言えるわけです。
     (OHP31)
     これはどちらかといいますとアメリカ的なコントロールですけれども、もともとロン ドンの行政が非常に裁量権を持っていて、1個1個アメニティに照らして建物を許可し ていくというところにおいて、こうした非常に数値的に明確にしながら、きちんと議論 をやっていくような規制が次第にロンドンでもやられるようになった。これはある意味 で、眺望景観規制のアメリカ化現象とでも言えるようなことが起こってきているわけで す。

    フランスの都市の事例
     (OHP32)
     それでは、ほかの国ではどうなっているかといいますと、実はフランスはもっとすご いのです。フランスには高さ規制に関する規制は3つあるのです。1つは、ファサード の高さが道路幅員によって決まっております。これは1784年の勅令の時代からある のです。これは1784年の事例ですが、高さが決まっておりまして、これは7.54 メートルにコーニスラインをそろえないといけない。そこから45の斜線を切りまして 、最高の高さは決まっているわけです。コーニスラインから4.87メートルいったと ころで横にいく。この3つかかっているのは、道路幅員によるわけです。ですから、道 路幅員によって3種類のファサードだけがプロポーション的には許可されているとい うことになっているわけです。
     日本の場合は、道路斜線がかかりますけれども、道路によって自由に延びたり縮んだ りします。最近はセットバックすると反対側にもっと延びるということですから、そも そもプロポーションでどこにコーニスラインがくるというような発想はゼロなわけで す。
     ところが、フランスの場合は、もともと3種類しかない。だんだんそれはふえたりし ておりますけれども、数種類しかないわけです。つまり、それは基本的にファサードが 先にあって、5階建てなら5階建てのファサード、コーニスラインが先にあって、それ に合わせるような規制が考えられているわけです。もちろんそれは窓がありまして、窓 割りをしまして高さを決めていくわけですから、変な中途半端の建物は許されないわけ です。まずファサードから道路景観を決めていくという発想は非常にフランス的だと思 います。
     こういう1つのコントロールがあります。これは時代ごとに緩くなってきております。 例えば1884年には、ここがアールになっております。このアールはドーマー・ウ インドーが突き出すことを許容するためのものです。
     (OHP33)
     また、その後一時期、1967年ですけれども、斜線を決めましてセットバックした ら、セットバックした斜線でいいという、非常に日本風な斜線規制に変えたことがあり ました。ところが、これは今撤廃されています。というのは、こういうことをやると、 実際に下がって建てる建物がふえてきますので、街路の壁面線ががたがたになる、これ はよくないということで、フランス人も反省をしまして、これは今撤廃されております。
     (OHP34)
     現在はどういう形でコーニスラインが決まっているかといいますと、これはパリの現 在の土地占有計画というPOSの中の一部分ですけれども、こういう形です。ある高さ が決まっておって、この高さは12、15、17.5、20、23、25という6つの 高さが許容されていて、それはコーニスラインの高さですが、そこから半径6メートル でアールを描いて、この高さ、プラス6メートルの高さが絶対高さである。そういう形 の高さ規制がまず1つかかっています。ほぼ全域にかかっています。これをフランス語 でガバリといいます。英語ではエンベロープ・コントロール(封筒規制)と言っていま す。幾つかのガバリがありますか!基本的にはこれです。
     (OHP35)
     それが実際に町の中にかかっているわけでありますけれども、ここに幾つかの事例が 書いてありますので、それをごらんになってください。
     (OHP36)
     これがパリの中心部ですけれども、ここにオペラ座があって、これがオペラ通り。こ こはごらんのとおり、黒い点が描いてあります。これはコーニスラインが20メートル に規制されていることがわかるわけです。ですから、こういう形で、数多くの道路に高 さが設定してある。まずその通りのファサードのイメージを決めるということがありま す。これが1つの規制であります。
     (OHP37)
     もう1つの規制は、実はちょっとわかりにくいですけれども、この色の違いだけを見 てください。この色の違いは最高高さの規制であります。基本的にはパリの高さは、先 ほど言ったコーニスラインの高さだけではなくて、絶対高さが15、18、25、31 、37メートルという5種類に規制されております。一番厳しいのは15メートルで、 こういうサクレクール寺院があるモンマルトルの丘のようなところで規制されていま す。基本的に、旧市街地は25メートルの高さ規制になっております。それで、ここは 凱旋門ですけれども、周辺部、この色は31メートル、再開発している部分がこういう 色ですが、このハッチがかかっているところは37メートルになっているわけです。
     ですから、最高高さが決まっていて、おもしろいことに都心ほど低くて、周辺ほど高 くなる。もちろんそれは都心が一番古い建物がありますから、そういう規制がかかって います。これが第2の規制であります。
     (OHP38)
     もう1つの規制は、先ほど言った眺望の規制であります。パリでは、眺望と言っても 3つに分けられるのではないかと考えるわけです。これは都市計画図の中にある付図な わけですけれども、3つの眺望のフゾーとフランス語では言っておりまけれども、景観 保全のための紡錘線というふうに訳せるのですが、こういう形でパースペクティブで見 る見通し景、つまり、あるところからパーッと広がる景色です。2番目は見おろし景、 ある高いところから下を見る。このときは、手前側の最低高さが必要になります。最後 はエシャペーといいますけれども、切り通し景といいまして、ある通りから見て、突き 当たりに何かあるというヴィスタです。そのときの景色、この3つの景色ごとにコント ロールが違うわけであります。
     例えば切り通し景の場合ですと、ある突き当たりにモニュメントがあるわけですから 、歩きながらずっと見えていかないといけないわけです。前後に視点が動いているとき に、必ず左右の高さ、背景の高さが規制される。もちろん手前の高さもそうです。それ に対して、こういう眺望の場合ですと、手前側の絶対高さが規制される。こういう場合 ですと、ここにモニュメントがありまして、このモニュメントが見えるように、手前の 高さと奥の高さが規制されるという何種類かの規制があるわけです。
     (OHP39)
     その規制が、余り細かくは言いませんが、大変精密に決められております。例えばこ れは標高40メートルのある地点から見たときは、高さごとに60、70、80、90 メートル。紡錘線ですから、だんだん高くなってくるわけですね。見おろす場合には、 120メートルの標高から、ここは100メートル、90、80、70というふうに、 ずっと下に高さが決められているわけです。
     また、このように視点が前後に動く場合、切り通し景の場合は、一番遠いところから 見たときの背景のこの高さが規制されているし、一番近いところから見たときの全景の この高さが規制されているということで、大変複雑に規制がかけられております。
     (OHP40)
     それはまたこういう形です。手前、下に地形の上下がありますから、それももちろん 考慮しないといけない。そして、ちょうどイギリスで見たように、横に視点が動いても いいように、後ろ側も広く、手前側も広くということで、ワイダー・セッティング・コ ンサルテーション・エリアと同じような考え方で考えられているわけです。
     (OHP41)
     こういうものは、たくさん考え方が決められておりまして、その結果どうなるかとい いますと、大変なことになるわけです。
     これはパリです。凱旋門周辺にはこういうように、同心円状に凱旋門の周辺の高さが 低くて、こういう漏斗状の高さ規制がかかっているわけです。そのほかに、例えばシャ ンゼリゼですけれども、シャンゼリゼはここから行きますと、先ほどのような切り通し 景がこちら側にあるわけです。逆にこの辺からこうある。サクレクール寺院に向かって はあるし、この寺院の丘の上から今度は見下ろし景で高さ規制がかかるという形で、大 変な数のコントロールが輻輳してかかるわけです。ですから、これは大変こんがらがっ ているわけですが、この中で最も厳しい数字がその地域の絶対高さになるわけです。こ の中で一番厳しいのをとりますと、こうなるわけです。
     (OHP42)
     ごらんになってください。一番厳しいところをとっているわけです。これがかかって いる。これは今いった眺望景観です。ですから、先ほど言いましたガバリというコーニ スラインを決めるのが1つ、全体の絶対高さ、都市景観全体、都心が低くて周辺再開発 地域が高いという景観を決めるのが2つ目、眺望景観が3つという、この3つがかけら れてパリの景色が守られているわけであります。
     我々が行くと、パリの景色というと、何か赤い色が規制されている。日航のマークも 赤でなくて金色になっているとか、その程度の知識しかないわけですけれども、そんな ものではない。大変厳しい規制がかけられているわけであります。
     (OHP43)
     実はフランスにはそれだけではなくて、もう1種類の規制がかけられております。こ れはどういうものかといいますと、モニュメント周辺の規制です。これは1930年に 風景保護法という法律ができまして、モニュメント周辺の500メートルの範囲に全部 デザインコントロールかかるわけです。これをアボールと言っています。これはカルカ ソンヌですけれども、城壁があるわけです。これがモニュメントなものですから、この 周辺500メートルの範囲でここにコントロールがかかっているわけです。こっちが新 しい都市、こっちもかかっているわけです。そういう形で、さまざまなコントロールが かかっている。ですから、この辺全体、この範囲はすべて景観のコントロール区間、高 さ規制だけで、デザインのコントロールもかかるということです。パリの中にあるモニ ュメントは、そこから500メートルの範囲で、またそういうものがかかっているとい うことなのです。
     (OHP44)
     ですから、これも入れると4種類の非常に細かい規制がかかっております。このほか に、もともと建築は許可制度でありますから、デザインのひどいものに許可がおりない ことはあるわけです。ですから、これは最低限のデザインをクリアした上での話なわけ であります。

    アメリカの都市の事例
     (OHP45)
     最後に、アメリカのお話をしたいと思います。
     アメリカはもちろん州ごと、都市ごとにコントロールのやり方が違うので、1つには 言えないわけでありますけれども、歴史的に見ると、さまざまな高さ規制や景観の規制 がかかっています。それは19世紀の終わりからあります。例えばボストンの有名なコ ープリースクエアというH.H.リチャードソンの設計したトリニティチャーチの前に 広場がありますけれども、あそこの周りには、高さが90フィートないし100フィー トの規制がかかっております。これはコープリースクエアの美観を守るための規制なわ けです。
     それだけではなくて、後でスライドで御紹介しますけれども、例えばボルチモアには 、ちょうど一番高いところにワシントンモニュメントというモニュメントがあるのです が、そのモニュメントの高さを超える建物を建ててはいけないというのが1904年に できておりますし、ほぼ同じ時期にフィラデルフィアでは、都心にある市庁舎のドーム のてっぺんにウィリアム・ペンの銅像がかかっているわけですが、彼の銅像の高さを超 えない建物が規制されております。
     というふうに、この歴史は19世紀終わりからさかのぼるわけです。ゾーニングは、 1910年前後から各地にでき始めるわけですけれども、もともとアメリカのゾーニン グそのものがやはり郊外住宅地の美観を守る、中産階級の資産を守ることが1つの大き なモティベーションでありましたので、その意味では、美観規制というのはゾーニング の最初から目指しているということになります。
     もちろんそのこと自体を大っぴらに言いますと、裁判でなかなか勝てませんので、い ろいろな理由をつけているのですけれども、ずっと美観問題というのは、アメリカには 最初からありました。こういう眺望景観だけに関しましても、大体1960年代からこ ういう規制がされるようになってきております。その一番典型的な例がデンバーだと思 います。
    (OHP46)
     デンバーはコロラド州の州都ですけれども、皆さん御承知のように、西側にロッキー 山脈が非常によく見えるわけです。そのロッキーマウンテンの景観を守るための景観規 制がかかっています。この辺にかかっていて、黄色いのは公園ですが、公園の東端にこ ういう形で、西側の景観を守るための斜線制限がかかっているのです。この勾配は、場 所によって違いますけれども、大体100分の1から50分の1ぐらいという勾配で規 制がかかっているわけです。すべてこちら向きがそうです。ここのポイント、ここから 見たこの範囲。
     ここだけ1個違っておりまして、これは前に池があるのですけれども、これは逆向き を見ている規制なのですが、これはダウンタウンですから、ダウンタウンに高層ビルが 並んでいるのを池越しに見るという景観を守るためにかかっているわけです。全体に、 ここでは建築基準法をベースに10地区、ゾーニングをベースに2地区、合計12地区 の景観地区がかけられております。
     (OHP47)
     それだけではなくて、例えばこれはデンバーの州議事堂です。これはここから見て、 先ほど申し上げましたように、ロッキー山脈が見えるようなということで、こういう眺 望規制がかかっているわけですが、それだけではなくて、今度は逆に州会議事堂が周り から見てよく見えるようにということで、この地区に関して、周辺に高さ規制がかかっ ておるわけであります。色別に分かれておりますけれども、手前ほど厳しい高さ規制が かかっているということで、守られるようになっております。
     (OHP48)
     ですから、こうした自然の山ですとか州議事堂。州議事堂は、アメリカの中でもドー ム建築のゴチックが非常にはっきりした様式建築ですから、守りたいという気になるの もよくわかるわけですけれども、州都はほとんどリンカーンですとかサクラメント、ワ シントンDCもそうですが、かかっております。そのほかに川の景観を守るというのは 、例えばピッツバーグでかかっていたり、ダウンタウンの景観を守るというので、こう いう形でかかったり、もしくはダウンタウンからある通りの向こう側の突き抜けた景観 を守るというビューイング・コリドーが有名なのはマンハッタンでありますけれども、 サンフランシスコなど、さまざまなところでかけられておるわけです。大変いろいろな コントロールがかけられているということがおわかりになると思います。
     (OHP49)
     これはテキサス州の州都オースチンです。キャピタル・ビュー・オーディナンスとい う州議事堂の景色を守るための条例があるわけで、28の地点から、見るための高さ規 制がかかっているわけであります。
     (OHP50)
     逆に、これは州会議事堂周辺ですけれども、州会議事堂周辺では、半径4分の1マイ ルの範囲で、逆の高さ規制、高さが110フィート以内でないといけない。海抜653 フィート以下でないといけないという規制がかかっていて、それから外には斜線がかか るということになっております。
     (OHP51)
     そして、これは計算の仕方はもちろんおわかりのように、タンジェントで計算すれば いいわけです。しかし、1カ所1カ所の地区を計算するのは、非常に単純な話ですけれ ども、こういう距離を求めないといけないわけです。
     (OHP52)
     ということなので、実際、具体的にどうやっているかといいますと、こういう建物の ここのところにビューイング・コリドーがかかっているときには、この高さをはかりま して、Wその高さの式をこういう計算式に入れて計算していくと、これで最高の高さは わかる。76フィートか78フィートということで、計算をして、それぞれの高さがわ かるようなことになっているわけであります。
     ですから、大変な細かい規制がかけられている。これが恐らく日本を除く先進国の現 状なんです。それは、ここ10年ぐらいで非常に厳しくなってきているということが言 えるわけであります。
     (OHP53)
     その理屈も、特にアメリカの場合、こういう厳しい規制を私有地にかけるということ は、私有財産の規制なわけですから大変周到に規制の論理が準備されている。これはた くさんの裁判の積み重ねがあるわけですけれども、その論理も次第に変わってきており ます。 もともとは、ビジュアルビューティーの保護が出発点でした。とにかく美しい ことはいいこと、ビジュアルビューティーを守るんだというのが一般の考え方です。し かし、これはなかなか裁判では受け入れられないわけです。なぜかというと、それは一 般の人には多数派ですけれども、それは主観的で行政になじまないのではないかという ことで、これは裁判になると、いつも負けるわけであります。
     そこで、次第にいろいろな考え方が出てきました。特に1960年代、これは日本で も言われましたけれども、視覚公害である。醜いものは他人に対して害を与えているの である。英語でいうとプリベンション・オブ・ハーム、害悪から守るんだ。だから、ひ どい、醜いものが建つと、それは万人にとって害悪だから、それから守るんだという理 屈で、美観コントロールをしようとしました。こういう考え方そのものは、もともと近 代以前からあるニュイサンスという考え方です。
     しかし、それだけではなくて、70年代になると、もう少し違う考え方が出てくるよ うになりました。70年代には、これは住む人間共有の価値なのである。英語ではシェ アード・ヒューマン・バリューズとして美観というのはあるんだという議論がある一派 によってなされているわけです。これは次第に力をつけてくるわけです。美観というの は普遍的な価値であるという考え方です。
    最近ふえている考え方は、また一歩踏み込みまして、これはエンバイロンメンタル・ ハーモニーである。環境調和のシンボルとして景観がある。だから、景観だけ取り出し て、醜いとか美しいとかと言うのではなくて、そういう景観が享受できるということ全 体が、地域の環境のよさをシンボライズしているということです。エンバイロンメンタ ル・ハーモニーの象徴的価値として、こういうものが大事なんだと言われるようになっ てきたのです。
     ちょうど体にいい食べ物はほとんどの人間がおいしいと感じるわけです。サッカリン みたいな甘味料を除きますと、体にいいものはおいしいと感じるし、体に悪いものや腐 ったものは苦いと感じるわけです。それは恐らく人間がやっぱりそういう体にいいもの を快適なものと感じるような感覚を長い歴史の中で身につけていったんだと思うわけ です。ちょうどそれを景観にアナライズしまして、美しい景観というのは、やはりそれ は安全だとか、さまざまなもので、これは非常にいいものなんだ、いい1つの環境だか ら、人間はそれは美しいと感じる。だから、総合的な環境の価値をそう感じるのである というふうな議論がされているわけです。その意味で、美観、景観問題というのは、だ んだんと論理の上でも今積み重なってきていると思います。

    公共の場での議論
     (OHP54)
     それからもう1点、ここでようやくまちづくりの話になるわけですけれども、もう1 つ非常に重要なのは、特にアメリカやイギリスで、重要なのは、今言ったような議論を 公共の場で議論して、その中で、今建とうとしている建物がいいか悪いかというのを議 論しよう、決着をつけよう、そういう仕組みが整ってきているということです。これは 一般的な許認可プロセスに組み込まれています。まずその前に心にとめておかないとい けないのは、日本以外の先進国は、どこも開発そのものが許可制であるということ、こ れを忘れてはいけないです。日本のように、確認だけをとればいいという国は、途上国 ならまだしも、欧米先進国ではないわけであります。ですから、許認可のシステムにこ うしたものがのっていることがまず第1の前提とされるわけです。
     (OHP55)
     その許認可のシステムは、国によって少しずつ違うのですけれども、アメリカの場合 を考えてみます。これは開発業者が開発計画及び環境影響評価(アセスメント)を担当 する都市計画部局に持ち込んでいるところです。そして、この開発業者は、計画委員会 が決定を下すわけですが、最終的にオーソライズするのは議会ですけれども、開発計画 のプレゼンテーションをやる。この計画はこんなにいいんだ、だから開発を許可してく ださいとやるわけです。これはすべての計画でやるわけですが、もちろん簡単な計画は 事務的に処理されますけれども、ある程度の規模以上の計画はすべてこういうプレゼン テーションをやらないといけないわけです。そのプレゼンテーションそのものが市民に 開かれているわけです。それに対して、市民が意見を述べ、許認可効率化法に基づいて 、これはカリフォルニアの法律ですけれども、審査をする。ですから、開発業者がこれ は非常にいいと言っても、市民が反対意見を言えるのです。そして、それを全体として 計画委員会が聞いていて、最終的に計画委員会が両方の言い分を聞いて判断を下すとい うシステムになっております。
     これを普通パブリック・ヒアリングと言うわけです。日本でパブリック・ヒアリング と言うと、公聴会というのがあって、何かあるプロジェクトに関して、とにかく文句の ある人は言ってください、全部聞きましょうという会のように思われがちでありますけ れども、アメリカのパブリック・ヒアリングの大半はこういう形で、ある許認可プロセ スの中に市民が参加して、文句が言えて、決定プロセスに影響を及ぼすことができる。  ですから、これは公聴会というより、普通は公開審査と訳した方がいいと思いますが 、公開審査の場であるわけです。こういう公聴会は、普通月に1遍行われます。例えば ゾーニングのパーミッションはゾーニングのパーミッション、リゾーニングは別ですけ れども、基本的に開発は大体月に1遍。例えば第3木曜日の午後に決められているとし ますと、この日に会場も決められているわけです。この日のアジェンダはこれであると いうことは公開されております。公開されたアジェンダは、もちろん市の掲示板なんか に載せられるわけですが、それだけではなくて、切手代を払えば、家に郵送してくれる のです。大半の自治体ではそれをやっています。
     ですから、次の委員会はいつ開かれて、それはもうわかりますね、場所はいつも固定 されているわけですから。そして議題は何かということが居ながらにしてわかるわけで す、切手代だけで。そして、関心のある市民はそこに行って、賛成でも反対でも文句を 言う、意見を言う権利を持っているのです。義務でなく、権利を持っているのです。そ れは彼らに言わせると、納税者としての権利であるというのです。もちろん最終的に判 断をするのは、委員会のメンバーです。これはプロフェッショナルです。このプロフェ ッショナルは、普通はプロフェッショナルの団体が推薦して市長が任命をします。そう いう人がやる。最終的に、それを議会がオーソライズすることになっているわけです。  とすると、どういうことになるかというと、こういうところで反対意見を言うのに、 個人で行っても迫力がないわけです。個人で行くと、それはあんたの個人的な私怨が絡 んでいるんじゃないかとか、個人的な利害で言っているんだろうということになるわけ です。そのために、例えばある団体をつくったり、また、もともとある団体が、その団 体の名前で賛成とか反対とかいうと、これはかなり迫力があるわけです。それは当然で すね。1人で自分の利害だけで言っていないわけですから。
     ということは、まちづくりをやる人たちがこういうあるグループをつくって発言をす るということは、非常に効果的なわけです。つまり、こういうシステム自体がまちづく りをうまく進めるように働いているわけであります。
     (OHP56)
     これはイギリスの事例でありますけれども、先ほど郵送されてくると言いました。こ れは実際に郵送されてきたものの一例です。これはプランニング・アプリケーションズ ・リシーブド・バイ・テンダリーン・ディストリクト・カウンシルとあります。これは テンダリーンという地区、これはエセックス州の1つの地区ですが、そこのプランニン グ・アプリケーション、つまり開発許可の申請です。それに対する許可のことをプラン ニング・パーミッションといいます。これは1987年8月21日までの1週間に受け 付けたものということです。
     アプリケーションナンバーがありまして、申請者の名前がある。プロポーザル、これ はイギリスで、開発許可ですから、すべての開発に関して、こういう許可をとっている わけです。すべての開発で出てくるわけです。
     中身を読んでみますと、これは Erection of garage and demolition of garage and outbuilding、車庫をつくる、それに伴って車庫を壊す、付属屋を壊すということで、 許可申請が出ている。
    次は、Demolition of flat roof garage 、フラットルーフガレージを壊して、and small outbuilding 、同じですね。Erection of garage built in red brick with gray slate、グレーのスレートぶきの赤レンガのガレージをつくる。これはレジデンシャル、住居。
     次のはすごいですね。キャッテリーというのは猫小屋なんですが、10匹までの猫が入 れられる。インディビデュアル・エンクロージャーですから、1匹1匹寝るところが違 う、10個の猫小屋をつくるというのが開発許可がかかるわけです。
     Extensions to form enlarged kitchen, garage and bedroom、これは台所とガレー ジとベッドルームの増築、こういうのがかかるわけです。そして、かかってそれぞれ送 られてくるわけです。イギリスの場合は、非常に大きなものでない限り公聴会は開きま せんで、これに対して、反対の意見がある人は反対の意見を手紙で書くのです。陳情と いう習慣がないので、手紙を書くわけです。最終的にはプランニング・オフィサーがそ れを読んで、プランニング・オフィサーが判断するのです。それも重要なものは議会に かかります。その手紙を書くときにも、個人の名前で書くと、なかなか採択してもらえ ないでしょうけれども、まちづくり団体の名前だと採択する可能性が高いわけです。と いうことで、まちづくりをやる、それで景観のことをやるということで、大変意味があ るわけです。
    ですから、日本の大きな課題は、こうしたプランニングプロセスとまちづくり団体と をどういうふうにうまい形で結びつけることができるかということにあると思います。 日本の場合は、まちづくりは今好意でやっている団体です。自治体の窓口がどこにある かもわからない。だれに対して、何を効果的に言えばいいのか、そのタイムリミットは いつなのか、わからないわけです。建物に関していうと、確認申請は全然別なルートで 建築主事がやってしまう。全く違うところで動くしかないわけです。
     その意味で、目標がないところで右往左往している。善意を持って、善意だけで、行 政との信頼関係だけで動いているわけですけれども、何ら決定プロセスの中に関与して いない。それを変えていく必要があるのではないかと思うわけです。

    時間がなくなりましたけれども、少しスライドを御紹介したいと思います。
     (スライド1)
     これはセントポール寺院です。
     (スライド2)
     これはこういう形で、高さ、ビューが見えるということです。
     (スライド3)
     これはセントポール寺院のすぐ斜め向かいにあるブラッケンハウスという新しい建 物、大林組が建てた建物ですけれども、古いウィングを残して、真ん中を改築したので すが、この高さそのものが先ほど言いましたセントポールハイツで非常に厳しく決まっ ているぎりぎりの高さなのです。ですから、ここは新しい部分ですけれども、高くはで きないわけです。
     (スライド4)
     これは凱旋門から見たところです。ここにも先ほど言ったようなフゾーという紡錘線 がかかっていて、1個1個にはガバリという建物のコーニスラインの線がかかっていて 、なおかつ全体の高さ規制がかかっているから、こういう景観が守られているわけです。
     (スライド5)
     これは1931年にアメリカで初めて歴史的地区ができたチャールストンですけれ ども、これはデザインレビューをやったアメリカの最初の都市なのです。1戸1戸の建 物のデザインレビューという制度が、もともと歴史地区から始まって、きょうはその話 をしませんでしたけれども、ほかの地区に広がっていく。今アメリカでは、こういう歴 史地区が1000地区ほどあります。
     (スライド6)
     これは先ほどいいましたフィラデルフィアのシティーホールです。もともとここは広 場だったんです。フィラデルフィアは5つの広場が、真ん中と四隅にあるという、そう いう広場で有名な土地だったんですけれども、真ん中の広場、スクエアはこういう市庁 舎が建ってしまいました。そして、ちょうどアイストップに市庁ドームが建てられて、 ウィリアム・ペンが建っている。この高さがもともとこの辺の最高の高さだった。この 再開発がそれを越えてしまっております。
     (スライド7)
     これは逆側です。ですから、こういう形で高さ規制がかかった。これが超えた建物で す。
     (スライド8)
     これが1904年からあるバルティモアのワシントンモニュメントの高さ規制です。 この高さの標高が決められておって、これより高い建物を周辺に建ててはいけない。こ れはちょうど尾根線に当たっておりまして、これを越えると、また向こうに下って行く わけです。ですから、ここが一番高いところになるわけです。
     (スライド9)
     これはバルティモアをちょっと離れたところから見ているわけですけれども、シンボ リックに守られているのがよくおわかりだと思います。
     (スライド10)
     これはデンバーのキャピタルです。これが周辺の高さ規制がかかっているわけです。
     (スライド11)
     これもそうです。
     (スライド12)
     これは先ほど言った池越しにダウンタウンを見るという眺望規制。ですから、手前側 に高い建物が建たないような、そういう規制がかかっているところであります。
     (スライド13)
     これはあるレファレンスポイントが決まっていまして、ここからロッキーの山合いが 見えるように、ちょっと見えませんが、ここの高さが規制されているわけです。ここに は高層が建っていない。これも何も偶然に守られたり、開発の圧力が弱いわけではなく て、非常に用意周到にコントロールされているからなわけです。考えてみますと、日本 は山国ですから、もっとこういう眺望景観というのは考えられてもよさそうな気がする のです。
     (スライド14)
     これも同じ。別のレファレンスポイントから見たところで、手前の高さが規制されて いるわけです。
     (スライド15)
     これも同じです。この高さが規制されているのがおわかりになりますね。
     (スライド16)
     これはオースティンだと思います。この周辺に高さ規制がかかっているということで す。
     (スライド17)
     これはまた別の事例で、イギリスで、実は先ほど一番最後にOHPをごらんに入れた と思いますけれども、開発許可、プランニング・アプリケーションします。それを今議 論しているところです。情報公開は徹底しておりますから、プランニング・アプリケー ションを見まして、この開発は怪しいと思ったら、どういうプランかというのを全部取 り寄せることができるわけです。日本の場合、確認申請の図面をほかの人が勝手に見る ということは普通はやれないわけですけれども、それが権利としてあるわけです。
     (スライド18)
     ですから、こういう形で、この開発はいいかどうかというのを議論して、ここで決め て手紙を書くわけです。この会議というのは、最終的なプランニング・アプリケーショ ンの決定が下されるほぼ1週間ぐらい前に、毎月開かれるわけです。ですから、明らか に目標を持って、こういうまちづくりがやれるということなわけです。
     (スライド19)
     もう1つ、これはイギリス、ボストンの例ですけれども、先ほど言った、まさに許認 可のプロセス、ごらんになってわかりますね。ここに委員がたくさんおりまして、開発 者がここの開発はこういうことをやるんだということを説明しているわけであります。 市民はいろいろな人、関係している人が来るわけです。
     (スライド20)
     市民もこうやって発言できるわけです。もちろん大変厳しい反対と賛成が対立するよ うな場合のときには、賛成者10分、反対者10分とか、発言時間は区切られますけれ ども、大半の場合は自由に発言していいわけです。発言者が一通り終わりますと、質疑 応答もやるわけです。質疑応答をやった後、今度は中で委員会の委員のメンバーで議論 をして、ほとんどの場合、そのまま議長が合意がとれたと思ったら、これはオーケーだ とか、非常にあやしい場合はその場で挙手です。賛成の人とか反対の人といって、大体 委員の方は奇数ですから、ほぼその場で決まるわけです。
     これもまた非常にアメリカ的ですけれども、委員は事前にこの情報を知ってはいけな いことになっています。ですから、根回しというのは違法なのです。ということは、信 じられないことに、委員の人は全く初めて5分か10分のプレゼンテーションを聞いて 、市民がすごいことを言って、その意見だけで、一番納得した意見で賛成か反対を挙げ るわけです。これは大変なリスクがあるわけです。もちろんそれが大変なリスクなもの なので、開発は最終の開発だけでなくて、イン・プリンシプルということで、基本計画 の段階で開発許可をとれるようになっております。これはアメリカ、イギリス、両方と もそうです。ですから、ある意味で、どれだけプレンゼンテーションがうまいかという ところにかかっているところが、またそれが非常にアメリカ的でありますし、目の前で 手を挙げますから、あいつは反対したとか、そういうのがガラス張りだというのも、本 当にアメリカ的だと思います。

    少し時間をオーバーしましたけれども、きょう私は余り精神論ではなくて、技術的に 今どういう形の景観コントロールがやられているのか。日本でどう進んできたのか。先 進国では、どういうふうに今やられているのか。その方向はどうあるのかということを 申し上げました。そうした決定プロセスの中に、市民が参加できる仕組みがビルトイン されているというのが非常に重要だと思うんです。そのことが市民のまちづくり意欲を エンカレッジしているのです。日本はそこにいっていないわけです。ですから、そこを 今から考えないといけない。そのことが非常に大きな、これからの景観とまちづくりの 課題ではないかと思っております。
    どうも御静聴ありがとうございました。(拍手)

    フ リ ー デ ィ ス カ ッ シ ョ ン

    ○司会(谷口) どうもありがとうございました。 それでは、御質問、御意見おありの方、どうぞ御自由に御発言ください。
    ○長塚(長塚法律事務所) 弁護士の長塚ですが、先ほどの広聴会その他で意見を言えるという人たちの範囲ですけれども、例えば東京の建物その他について、北海道札幌の人あるいは沖縄の人が文句を言っても、門前払いになる。あるいは昼間人口と夜間人口と分けまして、東京に何がしかの関係があれば、そういういろいろな意見が言えるというような、何かそこに人的な制約があるのかないのか。
     それから景観といっても、心地のよい景観ということになると、災害とか公害も一緒 に入るのか、入らないのか。また、それらの知識については、資料をどうするのか、以 上2点お話しいただきたい。
    ○西村先生 第1点、原告適格の問題だと思いますけれども、これに関しては、基本的に個人が、部外者がやった場合は原告適格が認められないわけです。ところが、団体で、例えば何か美しい東京を守る会ですとか、そういう会の名前で訴えを起こすことは認められることが次第にふえてきているようです。
     ですから、その会のメンバーは必ずしも居住者じゃなくても、会の目的がそういうも のであれば、適格と判定されるという、これは物によりますけれども、事例がふえてき ているようです。
     もう1つ、景観だけではなくて、さまざまな環境の問題に関しては、アメリカの話で すと、1969年に国家環境政策法というナショナル・エンバイアロンメンタル・ポリ シー・アククトという法律、NEPAといっていますけれども、その中で、環境に影響 を及ぼす行為に関するアセスメントが公開されることが決められておりまして、EIS というエンバイロンメンタル・インパクト・ステートメントというのを作成して、それ を公開しないといけないということが決められている。それによってやられているわけ です。もちろんそれぞれの州でNEPAを超える厳しい規制がかけられているところも ございます。
    ですから、こうした景観の問題に関しては、景観の条例でコントロールされる場合と、 NEPAも景観で非常に重要なものに関しては、EISを義務づけておりますので、両 方でかかってくる場合があるようです。
    長塚 最初の問題で、例えば東京の中の団体ではなくて、大阪とか沖縄あたりに、東京 を考える団体とか、研究しておる団体などがあるときはどうなのかということもありま すが。
    ○西村先生 ちょっとそれは調べてみないとわかりません。
    ○長塚 わかりました。
    ○西村先生 ただ、自然保護なんかでは、動物が原告になったりしていますよね。でも、あれはそこに住んでいる動物ですかね。日本でもアマミノクロウサギなんかやりましたけれども。全然違うところに住んでいる居住者が、例えば大阪に住んでいる東京の丸の内を愛する会というのができて、丸ビルのことを訴えられるかというと、ちょっとそれはわかりません。
    ○高田(清水建設) 清水建設で地域計画をやっております高田と申します。
     2点ほど意見といいますか、質問がございまして、まず1点ですけれども、実は、私 もフィラデルフィアでシティー・プランニング・コミッションでアルバイトしておりま して、いわゆるコミッション的なシステムがビルトインされる定義ということで、きょ う先生のお話で、まさしくそういうことが必要だということで、ここが大変興味深かっ たということが1点でございます。
     もう1点ですが、アレキザンダーが言っていたようなお話だった、セミパブリックと かセミプライベートでというような、そういうヒエラルキーといいますかシステムとい うのは、非常に国とか文化によって考え方ですとか、景観の内在する理屈ですとか、そ ういったものが異なるんですけれども、そういったことを踏まえた景観のコントロール というのは、実際にはどうなっているか。もしそういうことがわかればお聞きしたいと 思います。
    ○西村先生 1点目は御意見でよろしいんですね。
     2点目の、具体的にはパタンランゲージの手法でコントロールしている事例で、地域 的な特色があるかということですか。先ほどの真鶴も、多少はそれなりの特色を、例え ばこれは現実問題としては、余り具体的な精密なコントロールをもともと想定していな いわけですね。精密なコントロールは、また別のシステムでやっていく。そのための設 計の作法集みたいなものであるわけです。作法集として見ると、先ほどの場合のような 夜光虫なんていうのは、まさに全然アメリカでない考え方なわけですから、そういう特 別なキーワードを少しずつ入れているということはあるのではないでしょうか。
     恐らく御質問は、非常に細かい空間のことではないかと思うんですけれども、それは それほど細かい……伝統的な建造物、伝統的な建て方に関して、隣とどれぐらいあける だとか、軒の出をどうするだとか、勾配をどうするとか、雪の多いところで構造をどう するとか、そういうことはありますね、少しずつ。
     ですから、全然ないわけではないんじゃないかと思いますけれども、でも、全体とし て、こういう作法集というのは、ある意味では力を持てないだけに、パンフレットをつ くって終わりということになるわけですね。そうすると、パンフレットがあるうちはい いけれども、なくなると、増し刷りする予算はないので、やっぱりつくった人の自己満 足に終わるという問題が残っているような気がします。余りうまい答えになっていませ んけれども……。
    ○加藤(清水建設) 清水建設の加藤と申します。
     今景観に限らず、開発を含めてコントロールの方法に、日本の場合はかなり課題があ るという御指摘だったと思うんですが、実際には、非常に限られた手続の中で、都市計 画の開発許可だとか、都市計画審議会、それに縦覧だとか、小さなことがあるわけです けれども、どちらかというと、規制緩和の論調の中で、若干規制をふやすようなことに なるのでしょうか。そういう意味で今先生の考えておられるようなことが、実務的にど んなような方向で、今日本の場合は動こうとしているのか、動こうとする場合の大きな 壁みたいなものがあるのかどうか、そんなようなところを教えていただきたいのです。 西村先生 私がきょうしゃべったのは規制強化の話になるわけで、今の全体の大きな流 れの中で、逆行しているのではないかという感じをお持ちの方も多いと思うんですけれ ども、それは規制の種類で、土地利用規制というのは、私は違うものだと思うんですね。物をつくって、物をつくるときのコントロール、メーカーにかかわるようなコントロー ルの話と実際土地利用をどういうふうにやっていくかというときのコントロール、これ を同じ規制の問題と考えるのは私はおかしいと思うのです。
     土地利用というのは、やっぱりそこでつくったら、何十年、何百年という、そこを規 制してしまいますし、その後、その周辺に住み続ける人たちすべてに影響を及ぼすわけ ですから、これは簡単にその土地を持っている人の権利だけで、緩和して済むという問 題ではないと思うのです。基本的に、私は規制緩和の問題を土地利用の問題まで広げる のは、議論をはき違えているのではないかとまず思うのです。
     じゃ今具体的にどういう動きがあるのかというと、1つは、先ほど言ったデシジョン メーキングのあり方をもう少しガラス張りにしようということはやられてくるように なりました。例えば川崎市でしたか、日本で初めて基本的に審議会の議論を原則公開に するという研究会報告が出ました。これから先は、国の審議会も議事録が公開されたり とか、都のものも、例の臨海副都心の大きな問題が起きてから、極力公開という形にな ってきています。その場に居合わせなくても、議事録は公開されたりとか、マスコミの 人の取材が受けられるとか、いろいろな段階がまず当面は考えられると思いますけれど も、まずそういうものをオープンにしていくということです。
     それからもう1つ、どうしても考えないといけないのは、都市計画によると、都市計 画の審議会で、今おっしゃった縦覧、今の縦覧は時間が限られているし、場所が限られ ていますね。今ごらんに入れたように、欧米の場合は、もう少し期間が長い上に、個別 のものですけれども、あるマスタープランを立てたり、土地利用のコントロールをやる ような縦覧、ディポージットといいますけれども、その単位が数年です。
     ですから、計画案をつくった段階で、印刷を多量にしまして、各所に配って、全部か ら意見を吸い上げて、どういう意見があったかをすべて公にして、その意見1個1個に どういう対応をしたかということまで含めてオープンにする。そこで初めて決めていく ということです。
     イギリスのユニタリティー・ディベロップメント・プランも、先ほどちょっとストラ テジック・ビューのことを言いましたけれども、多分縦覧にかかって、もう5年ぐらい だと思いますけれども、たしかまだ決まっていないと思います。非常に時間をかけるわ けです。5年はかけ過ぎじゃないかと思いますけれども。
     ということは、その中でさまざまな人の意見が出てきて、それに対応するシステムを ガラス張りにすることによって、そこで意見を言わなかった人は、自分の権利を行使し ていないわけです。つまり、100人が100人みんな満足するような答えというのは あり得ないと思うんですけれども、少なくとも手続だけは全員が言う機会があって、そ れに対して正当なレスポンスがある。もちろんそれはこういう理由であなたの意見は受 け入れられないというレスポンスを含めてですけれども、そのプロセスを経て、時間を かけて決めていくことによって、反対者にも明らかに説明しているわけです。いわゆる 説明責任、アカウンタビリティーを高めていくというのが非常に重要だと思います。
     日本の場合は、最もだめなのは、例えば意見書を審議会に出す、つまり都計審に出し ても、どういうふうに処理されたかもわからないわけです。意見書への対応を示す書類 はつくられているとしても、全く公開されていないわけですから。そういうことをやっ ている限り、市民、まちづくりの団体は、盛り上がらないですね。不審に思う、不審の 方が強くなるかもしれない。
     そういうものがきちんとアカウンタブルになっていくこと自体が、まちづくりの運動 を建設的なものにしていくのです。最初のうちは、いろいろなうるさい声が多いでしょ うけれども、それが次第に建設的なものになっていくわけです。何しろアメリカでこう いうアカウンタビリティーのことが言われて、そこで日本のある事件が参考にされてい るのです。それは何かといったら、成田、三里塚なのです。三里塚で、日本はひどいア カウンタブルじゃないことをやったから、あんなに長引いたんだ、あれから学んで、あ あならないようにするにはどうしたらいいか、ということです。一生懸命考えたわけで す。
     ですから、我々は今そういうことをきちっとやらないといけない。それは1つは縦覧 ですし、審議会の公開ですし、意見書なんかをガラス張りにする。多分そのことと現在 進んでいる行政手続法、これからいろいろな条例まで追っていくこととが一緒になって いく。そのことが市民の活動を建設的に刺激することを目指すということが、非常に大 事だと思うのです。
    ○成岡(千葉県庁) 千葉県の職員の成岡と申します。
     市民参加でまちづくりをつくるということで、例えば区画整理とか開発なんかをやっ ても、市民がそこにどういう町ができるのかとか、将来のビジョンがわからない現状が あると思うんですね。そうすると、そこで税金を使ったりとか、いろいろな形で投資が される。市民として、先ほど納税者としての権利だというお話があったんですけれども 、そういう自分たちの町が大きく変わったりするときに、市民がグループをつくって、 ビジョンも含めて提案をする。そういうのを例えば日本でやろうとしても、先ほどの話 があったように、タイムリーにどういうふうに登場したらいいのかとか、長い年月そこ に住んでいて、先ほど言いましたけれども、そこに山があれば山を見たいとか、自然が あれば自然を享受したいとか、そういう思いみたいなものを市民として持っていますよ ね。そういうのをビジョンづくりみたいな形で、計画者と市民の協調の中で新しい町が できていくというシステムが日本にもぜひ欲しいと思うんです。先ほどの話ではいろい ろな寺院の視点を守るとか、何か町の歴史を踏まえて、まちづくりの方向というか、ビ ジョンが市民に共有されていると思うんですよね。そういう共有の過程をつくるプロセ スと、具体的に計画者と市民のすり合わせというところがオープンになっているという ことなのですが、そして、日本でも何かそうしたものをビルトインした制度が必要とい うお話だったと思います。今そういう市民的な動きとか、役所とか企業とか、それぞれ どういう役割をして、今の隘路を打破していくかで、NPOとか、いろいろな動きの中 でみんな模索していると思うのですが、その辺に関連して、何かコメントがあれば教え ていただきたいんですが。
    ○西村先生 非常に難しい問題だと思います。大都市と地方都市の場合は、やっぱり状況がちょっと違うと思います。地方都市の場合は、恐らく行政の人たちがプロフェッショナルとして地域に入る入り方というのがまた別の可能性があるような気がするのです。それは今さまざまなところでやり始められているワークショップのような形式だった り、もう少し非常に細かい声を聞いていけるようなシステムというのは、だんだん市町 村マスタープランなんかでうまくやっているところは出てきていますね。
     そういうことで、進んでいける芽がすごく出てきているのではないか。特に都市計画 のコンサルタントの人たちは、市町村マスタープランをやる中で、市民参加のあり方と いうことで、この数年ワークショップに関する関心が爆発的に広がっていますね。あれ は明らかに、1つの非常に単純な手法でニュートラルに、だれでも使える、なおかつみ んなの意見がうまく集約できる手法だと思うのです。ですから、そうしたものにみんな がなれてくることによって、議論がもう少しスムーズになるシステムはあるのではない かと考えています。これは討論の技術的な問題です。
     もう1つは、なかなかそうもいかなかったりすると思うんですけれども、特に大都市 の場合ですと、もう少し中間的な、NPOという話がありましたけれども、専門家がう まく提案をできるようなシステムがないだろうかということです。アメリカの場合、大 きなプロジェクトは非常に難しいですけれども、ある程度のプロジェクトの場合ですと 、そういう中間的な団体や、補助金をもらったある中立的な専門家のグループが地域の 中にオフィスを構えて、例えば3年間ぐらい常駐して、いろいろな地元の人たちと議論 をしながら、意見調整を図っていくというようなシステムが割とあるのです。
     日本の場合は、それをすべて行政が窓口になってやっているわけだけれども、何かせ っかくさまざまなコンサルタントの人たちがうまく育ってきて、もう少し地域に入って いけるようなときに、単にビジネスとしてではなくて、ある意味で、NPO的な位置づ けで入り込める。地元の人たちにとっては、もう少し違う意味での議論ができるのでは ないかと思うのです。今入ると、やっぱり行政の人か、コンサルタントが来ても、行政 からお金が出ている。ビジネスでやっているということになると、あなたの意見を言っ てくださいと言われても、そんなに専門的なことを知らない人が意見を言って、住民の 声が絶対だという感じになると、まさにある低いレベルのイメージで町のことが決めら れてしまうことだけに終わります。
     ですから、次のレベルにインプットしていく役割をやっぱりどこかの専門家集団がや っていく必要があって、その専門家集団が必ずしもどちらにもついていないような、ニ ュートラルな立場でいられるような仕組みがうまくできていけばいいのではないかと 思います。それが1つあるかなという気がします。
     非常に難しい問題で、きょう私が申し上げたのは、どちらかというと、目標はある程 度固まっている、もしくは言えばすぐわかるような目標にどうやって仕組みを突き合わ せていくかということですけれども、その前段の話で、そういうもっと広くあるんだろ うなと思います。
    ○司会(谷口) 時間がまだ少しありますので、最後に、西村先生に何か補足していただくことがあれば、もう少しお話いただきたいと思いますが。
    ○西村先生 少し言い残したことを言いたいと思います。
     もう1つ景観の問題というのは、先ほど言ったように、一目瞭然、市民がだれでもわ かるということで、これから先の行政は、いかに市民の合意を形成していくかが大きな 課題になると思うのですが、そのときの非常に大きな手がかりになっていくだろうと思 うのです。
     ですから、景観の問題は、単に見える、見えないとか、きれい、きれいじゃないとい うだけではなくて、大きな市民の意見をつくり上げていったり、うまくつき合っていけ る、大きなまちづくりのシステムをつくっていくという意味では、非常に大きな可能性 を秘めているものではないかと思うのです。これから先、恐らく建築のコントロールの 問題と屋外広告物の問題が大きくなってくると思うのです。各自治体、県ですけれども 、もうやられるようになってきましたし、だんだんと通りの景観が整ってくると、屋外 広告物の問題は、本当に議論していく時代がもうすぐ来るのではないかと思います。
     一番最後には、やっぱり単にそれは物だけの問題ではなくて、そこのライフスタイル をどういうふうにイメージしていくのかが非常に大きな問題になってくると思うので す。特に農村でのライフスタイルですとか、高齢者を中心としたライフスタイルですと か、都市は都市のライフスタイル、そしてまた少子化の中でのライフスタイルがあると 思うんですけれども、そういう非常に具体的な、やっぱりそこに住み続けることのイメ ージがきちんと出ていく、その中に景観も位置づけられていくということだと思うので す。景観は必ずしも最終目標ではないわけですから、ライフスタイルをきちんと提示で きていくかどうかが大変重要な課題であろう。それは行政側にとっても課題であるし、 多分まちづくりの運動、住民側、市民側にとっても、そういうことが1つの目標だと思 うのです。
     ですから、そういうふうにライフスタイル再構築の大きな流れの中に、こういう景観 の問題というのも流れ込んでいく、そういうふうな感じがしております。
    ○司会(谷口) ありがとうございました。
     最後に、きょうのお話を全部総括していただいたような気がします。どうもきょうは 大変ありがとうございました。(拍手)


    back