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第115回都市経営フォーラム

21世紀における都市整備の視点

講師:伊藤滋氏 慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授


日付:1997年7月23日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール


はじめに
 年に2回こういうふうに話をしますので、だんだんダブリが多くなってきたかと思 います。この前話したことがまた出たかというのは、私も年をとってきたせいもありま すけれども、題材がだんだん少なくなってきたということがあって、お許し願いたいと 思いますが、そういう前置きで、また1時間半ばかり話をさせていただきます。
 いつものとおり、項目が書いてあるのですが、このとおりにいかないのが私の悪い癖 ですけれども、きょうはできるだけこの項目に沿って、話をしてみたいと思います。
まず「21世紀における都市整備の視点」というタイトルをなぜつけたか、という あたりの話ですが、私たちは20世紀後半、都市計画とか地方行政に何を要求していた かというと、個人の存在をきちっと認識せよということをずっと主張してきたのでは ないかと思います。集団の中で埋没してしまう市民、農民、住民を対象にして行政が進 められるのではなくて、今言った中では住民という言葉が一番いいと思いますが、住民 1人1人の生活とか仕事ぶりを、お役所もきちっと考えて仕事をしてくれないかとい う主張をずっと続けてきたのではないかと思うのです。
 例えば都市計画法でいえば、昭和43年に都市計画法が改正されているのですが、そ れでも昭和30年代から50年代までの30年間は、都市計画は市街地の住民をマス として眺め、郊外の開発を住宅団地として眺めるということをやってきたわけで、私た ちの主張は多分にそれに対する当然の1つのはね返りだったわけです。
 それでは、こういう20世紀に私たちがやってきた仕事は、都市計画法でも、地区計 画とか、市町村のマスタープランなど、21世紀もその流れのままで行っていいかとい うと、必ずしもそうでもないということが目の前に浮かびつつあるわけです。
 一言で申し上げますと、わがままをそれなりに抑える時代が来るのではないか。こう いうことを言いますと、憤然とした住民は、何がわがままであるか。自分たちはわがま まを言っているのではない。当然の個人の権利を最大限に主張して、それでも役所が無 視するから、こういう主張を続けざるを得ないと言うのですね。
 しかし、ただ単純に、例えば高速自動車道路が突然市街地の中を通ることになり、土 地の買収費のネゴシエーションがあって、土地の値段がなかなか折り合わないときに、 役所が「こういうような値段でどうですか」と言ってきたものに対して抵抗する。これ は20世紀後半のよくある話ですが、こういうパターンのわがままに対して、21世紀 には我々が地球で生きていけるのかという話が、次第に黒雲が地平から上がってくる ように、じわじわと起きてきたわけです。
 それが一番端的に出てくる話として、どうも地球が暖かくなり過ぎているとか、どう もこのごろ渇水が多いとか、アメリカのネブラスカとかオハイオのトウモロコシや小 麦の穀倉地帯の肥沃な土壌が、吹き飛ばされてなくなってしまったなどという話があ ります。
 もっと恐ろしい話を随分前に聞きました。皆さんアメリカ行きの飛行機に乗って北 回りで、例えばシアトルからニューヨークへ行く航路を通ると、サウスダコタとか、ミ ネソタとか、モンタナの上空を通ります。もっと南、サウスダコタの南のワイオミング の上空を通ると、緑豊かなところに、突然、円を描くように水まき機械が自動的に回っ ていて、小麦をつくっている。そういう円の斑点がアメリカの大平原に展開しています。 それをごらんになって、何だと思われた御経験があると思います。僕も初めて見たとき は何だと思ったのですが、地下水をくみ上げて小麦をつくっていることがわかって、あ あそうかとすぐ納得しました。
 それで、地下水のくみ上げの中で、アメリカのワイオミングとかサウスダコタのよう なところでも、塩が上がってきたという話があるわけです。地下水のくみ上げ過ぎは、 必ず粉を吹くように地表面に塩を上げます。そうすると、我々の生活に一番かかわって いる小麦やトウモロコシを生産しているアメリカやカナダの穀倉地帯の川上に塩が上 がって、そこが砂漠化するなどという話がどうも出てきそうだとか、こういう話がだん だん出てきたわけです。
 さらに、最近の新聞の話題でいえば、例のダイオキシンの話があります。その中でも 極端な話として、壱岐対馬の方で人口4〜5万の島の中にごみ清掃工場を4カ所つく って、それぞれがフル稼働しない。小規模の清掃工場なので、ダイオキシンがどんどん 排出されてしまうという新聞記事がありました。
 これなどは、考えてみれば、わがままの極致がそうなると言えないこともない。地方 のそういう過疎地帯の住民は、公共事業がないと飯が食えないから、清掃工場をつくる のが最終目的ではなくて、公共事業をそこに投入するのが目的で清掃工場をつくって いる。だから、小さい島でダイオキシンが少し出ても、空中に広がるだけでどうという ことはないという話なのでしょう。
 しかし、こういうことがもし通用していきますと、これは小さい島だけではなくて、 北海道、日本海側、四国、九州などで、人は住んでいないけれども、地方自治体が厳然 としてあるところには全て公共事業がばらまかれて、結果として環境を悪化させる公共事業になってしまうという話になります。
 こういう話は幾らでも挙げれば切りがないのですが、ダイオキシンの話から、アメリ カの穀倉地帯の肥沃だったと思われる土壌の風化の問題から、ダムの渇水の話から、今 までこういうことは余り起きないだろうと思われていたものが何となく恒常的になってきた。
 21世紀はそういう話を無視していける時代かというと、どうもそうではない。むし ろ日本が何をやるかといったときに、無視出来ない地球環境的な問題に対して、日本が 積極的に取り組んでいく、そして日本人として地球の中でのちゃんとしたプレゼンス、 存在価値を、他国の人たちから認めてもらう。こういう話が都市整備の視点でも大変重 要になってくる時代だろう。21世紀は、個人的なわがままもさることながら、それ以 上の市民あるいは地域社会としての相当自由過ぎる主張に対して、ほどほどの切り取 りをしなければいけないということになるのではないかと思います。
 こういう話がいま突然出てきたかというと、そうではありませんで、実は日本でこう いう話題は、4〜5年前からぽつぽつ学校の教師も言っておりました。私のつたない経 験でも、国際会議へ参りますと、しょっちゅうこういう話が出てきました。日本の学者 は、工学部の先生も、経済学部の先生も、ヨーロッパやアメリカでの会議に参加して、 日本の経験の成功例、失敗例を発表する。会議に参加した後は、精神がかなり高揚して、 日本へ帰ってきて1カ月ぐらいはもつ。しかし、それからはもとへ戻ってがっくり来て しまう。1年半か2年たって、もう一回国際会議に出席して、また高揚して帰ってくる。 こういうことをやってきた先生が随分多かったと思うのです。思い起こしてみますと、 私自身も幾つかそういう経験をしております。

郊外化と一戸建て住宅地の限界
 ここで数年前に話したかもしれませんが、もう一度古い話を蒸し返します。それは私 がいつも言う例のOECDの話です。最近OECDに地域整備局という局ができまし た。今までばらばらだった地域開発に関するOECDのいくつかの課を、地域整備局の 下にまとめたわけです。1つは都市整備課、もう1つは農村整備課、もう1つは地方経 済振興課ですが、むしろ地域開発課と言った方がいいので、3番目は地域開発課にしま しょう。4番目は、おもしろいことに雇用促進課です。つい3〜4年前のことですが、 この4課で地域整備局が構成されました。
 6〜7年前にこの地域整備局をつくるための議論をしたのですが、ユネスコとか、O ECDとか、もしかすると、産業開発で頑張って悪名高きUNIDOも入っていたかも しれませんが、こういう連中とか、世界じゅうのちょっとおもしろい学者を7〜8人集 めて、何のためにOECDで地域整備局を作らねばならないかという議論をしたので す。
 そのとき、多分ユネスコの専門官だったと思うのですが、当時イタリアのローマ大学 の教授だった先生の発言を、私は今でも極めて鮮烈に覚えています。この先生は、後で 花博のときに大阪へ来て、同じ話をいたしました。もちろんこういう先生の話は、ある 事例を極論化して言っていますから、それが普遍的に全部正しいとは必ずしも言えま せん。しかし、その話を聞いたとき、私は相当ショックだったのです。
 一言で言うと、彼はパリの郊外の話をして、ある問題提起をしたのです。パリの町は、 御存じのように、大変すばらしい町だと皆さんはお考えです。しかし、すばらしい花の シャンゼリゼとか、そういうところのちょっと外側へ、電車あるいは高速道路で行って 見ますと、2段階に分かれて町の態様が変わってきます。
 すばらしい町だというモンマルトルとか、モンパルナス、シャンゼリゼ、革命広場の あった場所、ああいうところは、いってみると18世紀までの町です。19世紀の産業 革命の後、18世紀までの町の外周部に、パリでいうと、かつての城壁があったところ に今高速道路ができていますが、高速道路の外側に隣接して幾つか工場地帯をつくった。19世紀末期から20世紀にかけて、その工場地帯で産業革命の成果をつくり出していった。そこまではずっとつながっている町です。連担して市街地がある。18世紀末期までにでき上がった城の中の町があり、もちろんそこでシャンゼリゼ通りを外科手術のように通す大手術をした皇帝がおりました。そこと、その後、19世紀の産業革命から20世紀初頭にかけての工場地帯がずっとつながっている。
 そこの変化は、外側に行くと確かに汚くなっています。例えばパリの東側の地区で、 北ホテルの辺までは皆さんも行かれると思います。パリの町を余りお歩きになってい ないと、御存じないかもしれませんが、その向こうに地下鉄でテレグラフ・ヒルがあり ます。テレグラフ・ヒルぐらいまで行きますと、19世紀の終わりから20世紀初頭に かけての労働者用の集合住宅がずらっと並んでいます。そこにかなり大きい製造業の 工場があったりする。そういうところにだれが住んでいたかというと、集合住宅の2階 にイベット・ジローが住んでいて、隣が肉屋で、向かい側が安売りの洋服屋だというよ うに、下町の情緒がある。東京になぞらえれば、それはきっと三河島とか亀有かもしれ ません。ここまでは連続的につながっているから、工場地帯に展開する場所も汚くて不 細工で、住んでいる人は労働者だけれども、それはそれなりに1つの、見られるタウン スケープです。
 ところが、戦後、20世紀後半に何が起きたかというと、大体昭和30年代から40 年代にかけて、東京オリンピックぐらいまでに、パリでも醜い集合住宅団地をいっぱい つくりました。今では醜いと言っていい集合住宅団地です。建築関係の御年配の方や、 特に住宅公団にいた人は、オリンピックのころ、パリに行くと興奮して、パリの町の中 を見るよりも、外側の集合住宅団地の写真を撮って歩いたという御経験がある方もおられるでしょう。
 あの集合住宅団地は、地図の上とか飛行機から見ると、物すごく形の整った幾何学模 様ですが、自分の足で現場に行って確かめて、自分の目で地表面から150センチぐら いの高さで集合住宅団地を見ると、こんなところにだれが住むかというような荒涼とした団地です。建物もそうですけれども、特に建物と建物の間のオープンスペースは、本当に荒涼とした感じです。こういう集合住宅団地がパリの町をぐるぐるっと取り囲んでいるのです。
 その外に、またそこから畑を介在して通勤電車が整備されてできたところに、パリの 郊外に第2の大規模住宅団地が展開されています。町の名前を幾つか挙げられますが、 例えば、エブリという町があって、ネズミ色と赤色と黄色で塗りたくったような外壁で、 よくこんなところに住んでいるな、フランスの建築家は本当にひどいなと思わせるよ うなデザインの集合住宅団地もありました。そして今度はこちら側に戸建て住宅団地 をつくる。
 要するに、私が言いたいことは、大都市化の傾向として、ずっと外側へ移っていくと いうことです。さすがのパリですら、町の中はそのままにして、外側へずっと広がって いった。外側へ広がっていた建物の質は、30年たてば、磨きがかかって、いぶし銀の ようによくなるかといえば、絶対にそうではなくて、30年たてば、ドブネズミルック になってしまって、50年たったら、窓回りにひびが入ってしまうような住宅団地を 我々はつくったわけです。
 先ほどのイタリアのローマ大学の先生は、そういう団地を引き合いにして言ってい るのです。その団地は1戸建て住宅団地があって、また集合住宅団地がある。パリの一 番外側にできたものです。昭和50年代ぐらいからできている。そこには今でも多くの 人が写真を撮りに行ったりしているところですが。
 例えばヨーロッパのディズニーランドにできたマルヌ・ラ・バレー、マルヌ川渓谷の ニュータウンですが、こういうところは科学都市とかいって、パリのつくば学園都市み たいだぞと言われる。行って写真を撮ると、タウンセンターにとんでもない建物が建っ ている。とんでもないというのは、太鼓のような円筒形を輪切りにした建物が2つぐら い並んでいて、そこに窓があいている。あれは何だといったら、公営住宅だというわけ です。こんなばかなことをやる。およそ建築家とはこんなひどいことをするものかとい うことを見せつけるようにつくってあるのです。繰り返して言いますが、そういう集合 住宅団地は現実にある。
 ところで、現代の若者の価値観は、多分世界共通で、パリでも東京でもニューヨーク でも同じなんでしょう。国際的大都市に住む若者の価値観は、結婚するまでは仕事場に 近いところにいる。パリでいえば、18世紀から19世紀初頭にかけて建てられた、町 の中の古い建物の4階か5階の1LDKに住んでいる。そのうちに恋人ができて結婚 する。それは自分のところか、恋人のところか、どこでもいいのですが、しばらくは1 LDKに住む。そのときの生活スタイルは、環境的には極めてつましい生活スタイルに なって、それを日本の雑誌や新聞は、これこそザッツ・パリというので、写真を撮った りしている。
 これはどういうのかというと、これまたお聞きになった方はまたかというので眠っ ていてもいいのですが、私はそういう現場を見ていますから、実感があります。私が小 さいビジネスホテルに泊まって、大体朝6時ごろに町の外へ出ると、必ず見られる光景 は、肉屋と果物屋と牛乳屋があいています。そこへ若い亭主がガラス製の空っぽの牛乳 瓶を持って、古い建物の6階か7階の上の方からトコトコおりてくるのです。これは必 ず男がやる。
 牛乳瓶を持って牛乳屋に行くと、前に出しておいた牛乳瓶がありますから、それと取 りかえるわけです。牛乳瓶が2本あって、1本あいた方を置いていき、1本新しく牛乳 の入った方を持って帰る。ガラス瓶だから、2本あれば、取りかえて行ったり来たりす れば、プラスチックのこんなものを使う必要がないわけです。それからパンは、いつも のとおり細いパンを1本買って、あとはハムのちょこっとしたものと、果物のリンゴぐ らいを買って、それを全部紙袋に入れて、抱えて上がっていく。
 上がっていく先の1LDKにはどういう家具があるかというと、これも私は学生時 代に経験しましたから、わかりますが、50年ぐらいたったであろう冷蔵庫があります し、100年もたったであろう、煮しめたような、下がわからないじゅうたんがありま す。何も格好いいものではないのです。踏みしめ、お金がない学生が使い切ってしまっ たような安物です。そして、ギコギコする木のベッドがある。
 昔のじゅうたんだから、きっと羊の毛でつくっているのでしょう。牛乳瓶はガラス瓶 です。冷蔵庫だけは金属製ですけれども、およそ電気効率が悪いのですが、50年もつ 冷蔵庫を使っている。そこでの生活は、電気代も安い。多分エレベーターも、ガタガタ のリフトのエレベーターを使っていますから、新しいものと取りかえていないので、エ ネルギー効率は悪いでしょう。しかし、スクラップ化しないということは、ごみになら ないということです。
 こういうところで生活しているうちに、子供ができます。子供ができると、途端に家 庭という感じが出てきますから、若い連中は途端に目覚めます。それは悪い方に目覚め まして、郊外の比較的広いアパートか、1戸建て住宅団地に移り住もうとする。途端に そこで自動車を買って、ショッピングセンターを使って、今度は化繊のじゅうたんを買 うのです。自動車は大体10年に1回はオシャカにしていいぐらいの安物を買う。
 冷蔵庫も大きいものを買って、ショッピングセンターへ行くと、食べ物は安いですか ら、たくさん買い込む。しかし、やはり3〜4カ月たつと、冷凍庫の下に全然使わない 食品が凍りついて残ってしまう。着るものは、大体2〜3カ月に1回はどんどん取りか えてしまうような安物を買ってしまう。
 奥さんや子供と一緒に家族でどこへ行くかというと、自動車でどこか好きなところ へキャンピングに行く。こうなりますと、ごみの排出量も、ガソリンを使う量も、途端 に膨れ上がるわけです。
 自動車はどこへ廃棄するかといいますと、ディーラーが持っていくものはいいでしょうが、ディーラーが引き取りを拒否するぐらいの安物の自動車を買う連中も出てきますから、そういう自動車の置き場は谷間、英語で言うブルックス、田舎の小川といったようなくぼみに、自動車がどんどん積み上げられてしまうわけです。そうすると、そこから油が漏れて、小川が汚染されて、地下水へ波及する、こういう話が幾らでもできるのです。その話を今から7〜8年前に、全部イタリアの先生がしていたということなのです。
 私はそれを聞いていて、なるほど、ヨーロッパの連中は20世紀後半の我々の生活を、これぐらい意地悪に考えているのだなと思いました。相当意地悪ですね。しかし、主張しているのは、やはり今の生活のスタイルでは先進諸国の都市生活はもたないということを主張する、極めて先覚者としての発言が、当時幾つか出てきていたわけです。当然そこには、都市の形態と地球環境的な問題とを結びつけて議論をするということが起きました。
 もう1つ、これも随分前に話したのですが、今のは地球環境と都市形態という話です けれども、今の話の逆を考えれば、お嫁さんをもらって子供ができても、既存の市街地 の集合住宅の中で、1LDKから、2LDK、3LDKと移り変わっていきながら、生 活スタイルとしては、量的に大きい消費行為、大きいじゅうたん、大きい冷蔵庫、大き い自動車、大きいベッド、頻繁に取りかえる洋服といった誘惑を起こさないような、そ ういう市街地形態とか集合住宅形式をつくる。そこでずっと移り変わっていくという生活をすれば、多分地球環境に対して、先進諸国として、自分たちのわがままを押し通していないという一種の強い表現、英語で言うとマニフェステーションが、先進諸国の人たちにできるだろうと思うのです。

高齢化から見た市街地の姿
もう1つは、高齢化の話です。これもまたお聞きになったという方もいらっしゃるか もしれません。これはできたらこの都市経営フォーラムでも有志を募って、本当にまだ そうなっているかどうか確かめに、現場へもう一回行ってみたい気もするのですが、ス ウェーデンにマルモという町があります。マルモは、デンマークのコペンハーゲンと海 峡を挟んだ向こうの町です。ここに橋をつくろうか、トンネルにしようかという話があ って、今橋をつくりつつあるかと思います。この海峡の距離は、今、大分県知事がつく れと言って大騒ぎをしています豊予海峡、豊後水道の間よりも、多分短いと思います。 そこをバルト海へ向けて、大量の船が北海から行ったり来たりしているのですから、こ こを通る船の危険性は、この間の東京湾口の中の瀬と同じぐらいに危険な海峡なので す。
 そこを通って対岸にマルモという町がある。マルモという町はスウェーデンの港町 で、かつては造船業で頑張っていました。スウェーデンの非常に質のいい鉄を使って、 割合付加価値生産性の高い造船業と言われますから、きっと天然ガスを運ぶ船とか、小 麦を運ぶ船をつくっていたのでしょうけれども、それが日本の造船業にやられてしま った。
 もう1つその町が頑張っていたものとして、石油の精製装置をつくっていたのです が、これもドイツにやられてしまった。日本とドイツに、マルモの誇るべき製造業基地 がやられてしまったわけです。
 ついでに言うと、マルモという町よりも、ルントという名前を御存じだと思います。 スウェーデンにはウプサラとルントという2つの有名な大学があります。歴史的に哲 学で栄えた大学ですが、言ってみればルント大学は、ドイツの哲学や思想をスウェーデ ンに受け継いで、スウェーデンに発信する中継ぎ地として有名だった大学です。それが マルモの近くにあります。
 イギリスのスコットランドのグラスゴーと同じで、この町はとにかく全部の産業が 日本に次々とやられていった。戦争前から第2次大戦後しばらく繁栄していた製造業 が、次々とつぶされていった。この町の生存をかけ、みずからの浮沈をかけて、どうい うふうにして生きていこうかを考えた。
その話を聞いたのは今から15年ぐらい前のことです。その頃、スウェーデンは高福 祉・高負担の国だ。税金は高いけれども、お年寄りにとっては天国だ。そういうことが 日本では有名で、社会福祉の関係の人達はよくスウェーデンへ行きました。今でも日本 女子大など、女子大の住居系の先生方は一生懸命研究されて、事例がたくさんあるスト ックホルムやイェーテボリなどの大きい町へ見学に行っています。
 要するに、男性が先に亡くなって、女性が残りますから、単身の高齢の御婦人が4〜 5人で集まって、台所を共有にして、部屋はセパレートされて独立しているという住宅 があるわけです。そういうふうに単身の高齢の御婦人同士が、けんかもするけれども、 楽しく暮らせるような住宅建設が普遍化していることでも代表されるように、マルモ は高福祉・高負担の町だということを売り物にしたわけです。
 そういう状況でマルモが考えたのは、日本とは逆で、お年寄りを徹底してマルモの町 に集めてしまおうと考えた。しかも、居心地のいいお年寄りの集合住宅とか、お年寄り の御夫婦のマンションなどを、徹底してダウンタウンのど真ん中に集める。そうすると、 中央政府から、お年寄りがちゃんと楽しく生きていけるための補助金がいっぱい出る そうです。その補助金を目当てにして、マルモの町の再生を図ろうとした。
 それをやり出したら、思わぬことが起きたわけです。補助金を使っていい集合住宅を つくると、その1階に、お花屋さんとか、本屋さんとか、パン屋さんができ上がって、 しゃれた若い女性やお兄さんがそこで店の経営を始める。そうすると、お年寄りが本当 に生き生きしてくるそうです。1階に行けば、すてきな女性がやっている花屋さんに行 って、小さい花を数輪でも買っていけるというふうに興奮する男性のお年寄りもいる かと思うと、あそこのお兄さんのいる本屋さんへ行って、品のいい週刊誌を買ってきた いわと興奮する御高齢の御婦人もいる。
 結局、お年寄りを町の中に集めるということは、ビジネスチャンスがあるというので そこへ若者が集まってきて、商売をする若者と、すてきな暮らしをするお年寄りが共存 する町になった。そのことをマルモの町では大々的に宣伝したのです。世界じゅうの都 市計画の専門家に。それが今から10年〜15年ぐらい前のことです。
 日本の町はどうかというと、何か年寄りが来ると、支出ばかり多くなって、実入りが ないから、来るなということがどうも一般的のようです。そういう点では、年寄りに対 する若者の扱いは日本の方が冷酷であり、これは昔からの姥捨て山の伝統なのかな、そ れが姥捨て山ではなくて、町の中にまで起きているのかなと思ったりします。
 しかし、これから21世紀になって、若者の人口が減少してくる時代には、若い連中 は、町につややかさ、色、華やかさを与える非常に重要な存在ですから、こういう人た ちを積極的に集めるためには、思い切って若者たちのビジネスに補助金を出してでも 来てもらうことを考える地方自治体が、これから幾らでもふえてくるのではないかと 思うのです。

これが、私がヨーロッパで昭和60年代に経験した2つの事例です。1つは環境、1 つは高齢化ですが、この2つとも、個人のわがままに対して拘束性を与えて、拘束した 中で、最大限の満足感や安心感を自分の手で確かめようというのが当然であるという ことで、そういう主張を、ヨーロッパの町は、西暦2000年まであと15年ぐらいの ときから言っていたわけです。それを日本が、少しおくればせながら、21世紀まであ と数年というところで、同じようなことを今言い始めたということです。
 実はここからが問題で、ヨーロッパで言っていることと日本で言っていることが同 じならば、ヨーロッパ型の町を日本でつくればそれで済むかというと、そういうことは 絶対にあり得ない。まず、ヨーロッパ型の町は日本ではつくれません。それから、ヨー ロッパ型の町をつくったからといって、本当に日本の人たちは幸福になるかというと、 そうではない。
 というのは、今私がしゃべっていることの裏には、ヨーロッパの町に起こっている現 象で、日本の連中がそこに入り込んではいけない非常に大きな落とし穴があるのです。 それは失業の問題です。失業の問題は物すごく複雑ですが、基本的には、ヨーロッパの 経済的な力が衰えているということがあります。
 何ゆえに衰えたかというと、やはり政府が個人の生活に対して徹底的な保障を与えた。これはドイツがその最大の例です。ドイツの労働賃金が世界最高になって、ドイツの労働者は、最大の自由時間をエンジョイするようになってしまった。また、フランスでは、アルジェリアとか、アフリカのモロッコとか、イラクとか、イラン人に、汚い仕事や人がやりたがらない仕事のチャンスを徹底的に与えてしまったために、今になってみたら、フランスの貧乏な連中の職業がなくなったと言っています。
 さらに、イギリスは、そういう痛手からかなり回復しましたけれども、移民問題の中 で、コモンウェルズ・オブ・キングダム、要するに、大英帝国という夢の中で、実はそ ういう大英帝国がなくなったにもかかわらず、かつて大英帝国だったころ、もともと黒 人の人たちが住んでいた西インド諸島とか、パキスタンとか、そういうところからの人 たちを、かなり自由に大英帝国の中に入れてしまって、そういう人たちが、逆に今度は 職業がない。
 ここに共通する基本は、経済の変化に対する硬直性がヨーロッパの町の中に組み込 まれているということで、これは絶対に無視してはいけない。ヨーロッパの町がコンパ クトで、美しくて、情緒にあふれていて、文化的薫りがするというスタイルは確かにあ ります。しかし、ヨーロッパの町すべてにそういう姿があるかというと、そうではない。 それは、ドイツでも、フランスでも、オランダでも、小さい都市を訪ねたときに、ダウ ンタウンから少し外れた住宅地へ行くと、非常に恐ろしい体験をされるということで おわかりだと思います。
 アムステルダムの町でも、お行きになった方は御経験があると思いますが、駅前はゴ ーストタウンというか、もうホリブルタウンです。ドレッドフルというか、かつての美 しき町が恐るべき町になっています。これもやはりアムステルダムの町が外国人を受 け入れるときに、その人たちが十分に満足できる職業を提供できる都市構造になって いなかったからです。
 それではどういう都市構造がいいのかというと、なかなかうまく言えませんが、少な くとも自動車を使って遠距離通勤をして、どこか郊外の工場に行って仕事をして帰っ てくるといった生活形態で、時間的拘束性も強いし、交通手段の拘束性も強いし、職業 の選択も極めて単純である、このような都市形態と都市産業の形をつくっていけば、必 ず失業問題が出るわけです。
 失業問題を深刻化させないためには、何だかわからないけれども、町の中でしょっち ゅう店の模様がえをしているところがあるとか、何だか不思議なサービス産業がうご めいているとか、何だか不思議な塾みたいなものがあって、2〜3カ月したら、いつの 間にかつぶれて、今度はそこが美容室になっていたり、またしばらくたったらそこがつ ぶれて、今度は年寄り向けの栄養剤を売っている場所になってしまう。こういうふうに 非常に身がわりが早いとか、職業のスクラップ・アンド・ビルドを許容し得る市街地形 態が望ましいのではないか。実はこれは日本の大都市の中の市街地形態であるわけで す。
 それをヨーロッパの町でできるかといったら、これはできません。まず用途地域から 見て、そんなに簡単に職業の選択を許すような市街地になっておりませんし、住居形式、 建物形式からいっても、煉瓦でつくられた集合住宅の1階部分を塾にしたり、美容院に したり、突然お菓子屋さんにしたりということは簡単にはできません。
 日本の建物は、大変いいことに、軽くて、すぐ手直しがきいて、いろいろな工夫がさ っとできます。また、看板屋も電気屋もすぐそばにいるし、すぐに直してくれる。あち こち電話をかければ、じゅうたんを敷いて、電気の配線を直して、看板をかけることま で1日のうちにできる。気がついたら、きのうの夜まで床屋だったのが、けさになった ら美容院になっていたというのは、日本の町だけです。こういう話題は、普通の都市計 画の先生はなかなか言わないのですけれども、実はそういう日本の町のよさがある。  こういうことを全部頭の中に組み立てていきながら、しかし、どうも共通しているこ とは、アメリカの都市形態になることだけはやめよう。もう1つ、片っ方では、ヨーロ ッパのように、市街地の中で産業や商業がなかなか融通無碍にいかない硬直性も避け よう。こういう2つの命題を与えられながら、21世紀に日本の大都市をどういうふう につくっていくかという観点から、都市計画を議論しなければいけないということが、 どうも新しい都市整備の視点ではないかと思うのです。

公共事業費の効率的な使い方
もう1つの大きい話は、「公共事業費の効率的な使い方」です。これも皆様大体おわ かりだと思います。実は日本の中での道路事業とか鉄道整備事業は、私はもっともっと やらなければいけないと思います。公共事業を7%削減すると政府が言っていますが、 そういうことで公共事業を急にシュリンクしてしまって、先ほど言った日本人の経済 的な失業問題もうまくくぐり抜けて、なおかつ、生活も小市民的に楽しむことができる かというと、絶対にそうではない。
 これも私がよく言う話をまた申し上げますと、例えば、私はつい4〜5日前に、用事 があって、中央高速で諏訪の方へ行きました。ちょうど3連休だったので、帰りに、か の有名な笹子トンネルの手前から八王子まで、三十何キロ渋滞だというのです。そこに 巻き込まれましたから、円滑に行けば諏訪から高井戸まで2時間半ぐらいで行くのが、 5時間かかりました。
 原因は極めて単純です。要するに、大月から八王子までの道路を3車線にしていない からです。皆さんも頭の中であの辺の地図を思い描いてください。大月から八王子まで の道路を3車線にしていれば、大月と甲府の間の笹子トンネルの1車線規制はなくて 済むのです。笹子トンネルは2車線でずっと円滑に通すことができるわけです。
 なぜ休みのときに笹子トンネルを1車線にしているかというと、皆さんもよく御存 じのように、大月と八王子の間が2車線なので、交通渋滞が大月から笹子トンネルの方 へずっと広がっていく。渋滞が後ろへどんどん延びてきたところで、笹子トンネルを2 車線で車を通せば、笹子トンネルが渋滞の車で埋まってしまう危険性があると、警察の 連中は言うわけです。そこで事故が起きたら、あの笹子トンネルは4キロ強ありますか ら、日本坂トンネルのことを考えると、とんでもないことになる。
 3車線になれば、どれぐらい楽かというのは、関越自動車道路を見ればおわかりです。 関越と中央道の違いは、3車線化が進んでいる関越と、進んでいない中央道の差です。 その結果、何が起きるかというと、中央道を使ってウィークエンドに山梨から長野の方 になんて遊びに行けるかよ、という話になるのですね。
 もう少し言いますと、例えば東京の連中が福島の方に遊びに行くときに、外郭環状自 動車道路が今練馬まで来ていますけれども、あれが神奈川の方までずっとおりていれ ば、世田谷の人も、調布の人も、府中の人も、福島の方に簡単に行けるわけです。しか し、それはできてない。中央環状自動車道路もできていない。
 こういうふうに大都市の中の道路網の整備は、単に大都市の中の人々の行き来のた めだけにあるのではなく、考えてみると、福島で旅館経営をしている人にとってもなく てはならない。猪苗代のあたりで旅館経営やお土産屋さんを経営している人たちのと ころへ、首都圏からお客さんが来るのを妨げているのが首都高速自動車道路だという 解釈があり得るわけです。
 もっと極論すれば、新潟県でも、山形県でも、中部圏でいえば、長野県でも、三重県 でも、近畿圏でいえば、福井県、兵庫県の一部、こういうところの地域産業を活性化す るために、大阪市内と名古屋市内と東京の中の都市高速道路をきちっと3車線にして、 インターチェンジをつくって流すことが一番いいということになるわけです。幾ら先 っちょの田舎の高速道路を大きくしても、もとから出るお客さんを絞り上げているの が首都高速とか阪神高速の2車線ですから、何の意味もない。結局、外側につくる高速 道路は、地方の土建屋さんの息を殺さずに長く維持させようとするシステムであると いう批判は免れない。
 そうすると、次の話題は、自民党体制下、社民党体制下、そして多分共産党からも、 「地方が大事だ。地方に公共事業を」という声が、これから一斉にわき起こるでしょう。 それは地方に公共事業を持ってこないと、地方の人たちは干上がってしまうというこ とです。しかし、実はそういうことよりも、今の産業がサービス化し、ソフト化し、自 由時間がふえて、新しいレジャー形態を求める鬱積したポテンシャルが首都圏や近畿 圏にあるとすれば、地方の人たちはむしろ首都高速道路にお金を投じることが正しい。 こういうキャンペーンを張ることの方が、都市整備の視点としてはずっとおもしろい のではないか。これが、地方に新しく物をつくればいいというのではなくて修繕をせよ、 修繕をすることによって思わぬ効果が出てくるという話です。
 さらに高齢化社会との関係で話をいたしますと、こういうことも考えられます。これ はあちこち、世界の話をつまみ食いするようなことになるかもしれませんが、お年寄り になりますと、私も年寄りですが、エスカレーターもいいのですけれども、安心してき ちっと対処してくれるエレベーターというのは、多分エスカレーターよりも物すごく 安心感があります。なぜならば、エスカレーターは、そこに立っていても、そばを若い 人が走り抜けていきます。ところがエレベーターは共同社会ですから、同じ床の上に皆 さんでじっと立って、同じ運命共同体で、何秒か一緒ですから、これは年寄りにとって 安心です。若者も一緒で、何かのときは助けてくれるでしょう。しかし、エスカレータ ーだったら、きっと若者は年寄りのトラブルを見ながら通り過ぎてしまうでしょう。  そのように考えていきますと、パリやロンドンのメトロで、アンダーグラウンドに、 古い地下鉄の駅があって、駅の上には物すごく大きな穴ぼこがあいている。土をうんと くり抜いて、駅の上に穴ぼこがあって、その上はまたふさがっている。その中にプラッ トホームからガタゴトいう古めかしい大きなエレベーターが上まで上がっていく。そ れをプラットホームから眺めるとなかなかおもしろい。そういう駅が幾つかあったの を御記憶の方もあると思います。私はパリで1つ見ておりますし、ロンドンでも1つ見 ております。
 そうすると、日本の地下鉄も、エスカレーターと細長い地下道で地上と地下を結びつ けるよりも、場合によっては、あそこに大きな穴ぼこをポコンとあけて、そこにエレベ ーターをつける。長く歩かせるよりも、スピードはゆっくりだけれども、エレベーター で上までゆっくり上げていって、「さあここでおりてください。ここがプラットホーム になりますよ」とか、「何段階も上に上がらなくていいですよ」というような工夫を、 高齢化社会においてはやはりいろいろ考えなければいけない。これは若者が多い社会 のときに考えていた地下鉄建設の修繕をするということで、お年寄りが、こういうこと なら町の中にいてもいいよということになるだろう。国会議事堂の駅とか永田町と赤 坂見附の駅などでは、幾らでもそういう提案が可能なはずです。そういうことにもっと お金を使う方がいいだろうということです。
 このキャンペーンは、日本の現在のシステムの中では物すごく難しいのですけれど も、おもしろいことに、今度の国土計画の中で、土木系の人たちにとって、これはいい 言葉だと思うことが入っております。ついこの間もいろいろな議論をいたしましたが、 土木系の若い先生方がこの言葉を使って、公共事業をやるときには、公共事業費をどこ に投入して、それが1億の人間のどれぐらいの人にプラスの影響を与えて、なおかつ、 産業的にも新しいインパクトを与えるのか。もしかすると、それは地方にも与えるかも しれない。そういうことを説明する頭の文言ですが、国土計画で、「大都市のリノベー ション」という言葉を使って、今のような話をしています。「イノベーション」は革新、 「リ」は再ですから、「リノベーション」は再革新ですね。
 これは日本人の得意な分野で、非常に技術的、先端的で、なおかつ、普遍的な都市構 築技術をいろいろ要求するようになります。下水道の整備、地下道の話、今言った地下 鉄の交差点、地下鉄のジャンクションの手直し、超高層ビルの足元と地下広場の関係、 こういう点では、日本人が一番得意な技術領域の研究成果を都市の中で応用していく という可能性をいっぱい持っているわけです。日本全体の経済の活性化ということか ら考えれば、こういう仕事の方が、田舎に道路をつくるよりもずっと意味があるだろう ということです。
 これは都市整備の視点を離れますが、多分日本が今突きつけられている大問題は、こ ういうことだと思います。これまで地方に対して公共事業でテコ入れをしてきた。その 結果、起きたこととしては、農業土木の人たちが今非常に困難な状態にぶつかっている 事例として、大規模圃場整備があります。これは、水田は基本的には私有財産ですけれ ども、米をつくる国家目的のために田んぼの性能を上げようということで、大きな圃場 整備をする、それは一種の耕地整理ですから、区画整理みたいなもので、農林省がそこ へ補助金を出します。
 国が補助金を出すと、それにつき合って、県も市も補助金を出します。区画整理と同 じです。しかし、最終的に地主さんがお金を出さないで済むかというと、そうはいかな いのです。なぜならば、その農地は私有財産であるから、私有財産の価値を高めるため には、高めることに対して国が補助しているけれども、そこはやはり自分の金もきちっ とそれに対応して払わなければいけない。
 その金額は、日本の地方政治は農業に手厚い措置をとっていますから、例えば1つの 地域の水田を1億円かけて直すときには、多分私の想像では、9500万円ぐらいまで は国や県や市の補助で、残りの500万円ぐらいを、それぞれ地主さん方が賄いなさい ということだと思います。しかし、農家からはこの500万円が出ない。というのは、 500万円かけて水田を整備することで、一体水田の単収が上がるか、ということです ね。そしてまた、片っ方では農業政策で減反政策をやっている。
 だから、今や労働力をたくさん投入して、1反当たり何百キログラムの増収を図った などという米づくりの美談は、昭和40年代の半ばにもう終わってしまった。お金を投 入しても、投入したものに見合って米の収入が上がらないわけですから、そんなお金を 投入するよりも、もっと自分の住宅を直した方がいいということになる。どうも大規模 圃場整備事業が動きがとれなくなってしまっている。
 そうしますと、公共事業をテコにして、地方をいつもサポートしているというふうな、 これまで日本が明治政府になってからずっと、100年以上も続けてきた伝統をここ でやめて、ドイツやスウェーデンやイギリスで見られるように、国家の中でだれもが行 きたくない山村とか、やせている農村に住んでいる人たちに対して、その人は住んで田 んぼを耕したり、畑を耕すことによって、国土管理をしているのだから、所得保障をや った方がよっぽどすっきりしているではないか。
 そこに住んでいることを、他の国民は、どうもありがとうございますと言い、所得に 対して一定の金額、そこでの生活に必要な補助金を素直に差し上げます。そのかわり、 そこに住んでくださいという方が、ずっと筋道が通っているだろう。これは説得力があ ります。そうすれば、公共事業という変な政治的な嫌らしさが抜けて、ある意味でお金 の使い方の透明性が確保される。これはヨーロッパで実施されています。地方に対する 国家の助成がこういう考え方に脱皮できるかできないか、こういう問題が、今我々の目 の前に突きつけられているわけです。
 今のは脱公共事業ですが、この間、もう1つおもしろい話がありました。これも脱公 共事業がある程度成り立っていると思うのですが、大分県の山の奥へ行きましたら、そ こでは昔の牧草地がもう全然役に立たなくなっているのです。その牧草地の一部分に、 見てくれは物すごく悪いのですが、非常に安いお金で鷄舎をつくって、そこで何千羽と いう鶏を飼っていました。
 ところが、この何千羽という鶏を飼っているところへ行っても、例の特有のにおいが しないのです。鷄糞が下に落ちているところへ行っても、少しはにおいますけれども、 すさまじい糞のにおいがしない。
 そこで働いている若い人たちにどうしてなのかと聞いたら、実はこれは今までの窒 素、燐酸、カリという3つの要素から出てきているような、麦や米を育てる際の農業の 西洋近代型の科学、サイエンスとはちょっと違うというのです。ここにいる鶏に飲ませ る水の中に、諌早湾の泥を取ってきて、それをペレット化したものを土の中に入れてお くと、鶏が触れる水の表面積が大きくなるわけです。それだけで、鶏がその水を飲むこ とによって、どうもにおいが消えているというのです。確かに消えています。
 においが少なくなるということは、鷄糞でもそうですが、もし豚の屎尿でこのにおい がとれると、これは堆肥に使えるのです。豚の屎尿は物すごく臭いので、持ち運びがで きませんから、水に流してしまうのですが、もしにおいが少なければ、それをタンクに 詰めて、ちゃんと堆肥工場へ持っていって、非常にうまく腐らせて堆肥の原料に使える。  よくわからないけれども、どうも、今までの西洋型の技術開発ではなく、一種の新し い生物科学的な技術開発を使って、それが環境に対していい影響も与えるという話で す。さらに、その鶏の生卵は、全部はしでつかめるくらい、すごくかたいのですね。そ ういう卵をつくることに対する補助金の方が、水田や道路に対する補助金より、ずっと 経済的インパクトがあります。
 もしそれが日本じゅうに広がっていけば、ちょっとジャーナリスティックですが、諌 早湾の海底にあった土をペレット化したもので鶏糞のにおいがなくなるということに なったら、韓国や台湾に輸出すれば、物すごく向こうの国もハッピーになるわけで、こ れは一種の産業化です。これも脱公共事業の話ですが、こういう話がどうも田舎でも出 てきそうだ。
 結局それはチャレンジャブルに知恵を使い、今までの固定観念を脱して、新しい技術 開発に挑戦することが大事であるということです。国家が、国家の補助金をそういう領 域に徹底的に投入する姿勢に変わるだけで、農村は変わってくるのではないかと思い ます。
 そういうことに対応して、大都市のリノベーションは、やはり両方が技術的な形で、 日本の産業の高度化が地域空間にうまく戻って、地域空間をより質の高いものにして、 そこで新しい産業ができて、そこでの技術開発がまた日本の地域空間をよくするとい うサイクルにつながるだろう。

それから、これはもっと恐るべき話になるかも知れませんがが、もう1つ、私たちが 覚悟をすれば、21世紀の都市整備の視点について、相当おもしろいことが考えられる、 ということを話します。できるかできないかはわからないのですけれども、やってみる ことは悪いことではない。
実は、ある日突然、私の事務所にある方が飛び込んできた。大変元気な方ですが、そ れはあるゼネコンのおやじさんでした。
 初めて知ったのですが、彼のやっているのは全建といって、中小零細企業の土建屋さ んの集合体で、大手の土建屋さんの集合体である日建連とは違うそうです。彼の会社も 大手土建だから、何も弱き者の味方をするという言い方をしなくてもいいのですけれ ども、さもそうだという言い方をしていました。彼は、「公共事業が減ると、土建屋は かなりつぶれる。でも、努力している土建屋が、やっぱりその努力に報われるような仕 掛けを考えるべく勉強会をやるんですが、それにつき合ってください」と言われた。何 だといったら、一言で言うと、BOTだと。
 御存知だと思いますが、BOTとは、ビルド・オペレート・トランスファーのことで す。徹底して民間資金を投入して、将来は公共事業になるようなものをつくっていく。 ある程度民間資金は元金を投入するわけですから、利息を払って、元金の回収のめども ついたところで、民間会社がここで、残りのお金を公共側が払うことで、公共施設にし ていいよというときに、所有権を変えていくというやり方です。普通、公共事業という のは、今までの常識では、民間事業でやれないから公共事業でやるわけです。もう1つ は、公共事業でやるほどの必然性がないけれども、こういう公共的な仕事をすれば、多 くの人が物すごく喜ぶ。しかし、それは民間事業でできないから、財政投融資というこ とでやるという筋立てだった。
ところが、財政投融資は一番悪用されてしまいまして、歯どめがきかないからもうだ めだといって、今は一番悪者になっているわけです。
 何で悪者になったかというと、要するに、10年で元金を償還すると言っていたのが、 気がついたら、15年で償還するような建設事業にも財政投融資を使い、それが元金償 還期間が20年になり、30年になってきた。つい最近起きたのは、50年で償還する ということが起きた。例の東京湾横断橋です。
 東京湾横断橋が何でそうなったかというと、東京湾横断橋は、川崎から木更津までの 片道の運賃を計算すると、乗用車で5500円だった。つまり、東京湾横断橋は株式会 社ですから、その株式会社が借りた先というのは、たぶん、日本開発銀行でしょう。だ から、皆さんの郵便貯金とか厚生年金が入っていますが、その元金償還期間を、多分3 0年で返すという前提で料金を計算したら5500円になった。それを亀井建設大臣 が、「何でこんなに高いんだ。こんなに高い料金の橋に客は乗らないだろう」と言って、 安くしろという話になったようです。
 安くしろと言われて四千何百円になった。何でそういうマジックができるかといっ たら、要するに、元金償還期間を50年にしたからです。100年にしたら、もっと安 くなります。200年にしたら、ただになるかもしれない。そこまではいきません。 (笑)ただ、100年にしても、重要なことは、100年間利息を返す約束だけは守っ てもらいたい。200年でもそうだ。もしかすると、利息は変動相場制にしておくぐら いのことはやってもらわないと困ります。
 今何を言おうとしているかというと、皆さんが貯金している1200兆円というお 金の使い道が今全くないということです。1200兆円が日本の内需振興で使える見 通しがないから、アメリカの国債を買っているわけです。そして、アメリカのドルの目 減りがありますから、例えば日本が20年ぐらい前にアメリカで買った国債は、今きっ と日本円換算で半分以下になっているでしょう。だから、日本円換算で今物すごく目減 りしているのです。
 それならば、それだけ日本円で目減りするアメリカ国債を買うよりは、その目減りよ りちょっと減るぐらいの目減りの日本の社債や国債を買った方がいいかな。国債はア レルギーがあるから、社債を買った方がいいかな。利息だけはちゃんと払います、とい うことです。
 もう一歩踏み込んでいえば、皆様の貯金のうち、貯金が2種類に分かれて、半分はい つでも銀行は全額払います。残りの半分は払いません。利息だけ払うというふうに分か れたとします。問題は、それで本当に困る人がいるかどうかです。今皆さんが貯金して あるお金をすぐに全額払い戻して何かに使う、これはいいというもうけ話があるでし ょうか。
 だから、銀行の資産が不良化して、貯金が全額戻らないという心配があったとしても、 もしかすると、利息さえちゃんと払ってくれれば、しかも固定相場制ではなくて、その ときの社会情勢で上がったり下がったりしてくれる変動相場制で利息計算してくれて、 ほどほどのいい利息ならば、もしかすると、自分の持っている元金の半分は死ぬまで返 ってこなくてもいいよ。但し、元金の残りの半分は全部現金化できる。そうなれば、ま た生活設計も随分変わってくるのではないかということを言っているわけです。
 50年で元金を償還するとか、100年で元金を償還するという計算で、橋の通行料 金について、建設大臣の一声で上下させているというのは、実は、東京湾横断橋の株式 会社の経理部のおじさんの頭の中には、基本的には国民から預かっているお金の何分 の1かは、現金としてもうお返しいたしませんで、利息だけは返しますということが暗 黙裏にあるから、建設大臣の言うとおり四千何百円にしたのです。
 しかし、こういうことで、建設大臣が料金を下げたというのは本当にけしからんこと かというと、必ずしもそうではないでしょう。料金が安ければ皆さんは気楽に使うわけ です。もしかすると、例えばその会社の収益は好転するかもしれません。そこはだれに もわからないリスクがあるのです。
 今まで日本では、だれもが予想できない皆さんのリスクは、全部日本政府が背負うと いう、できもしないことを公約にしていたから、実際には、返ってこない元金も返って くるような錯覚になっていたのですが、21世紀は、もしかすると、元金は返ってこな いけれども、利息は返ってくる。そういう時代になったことを、日本政府がきちんと世 の中に表明していって、政府は、すべての国民に対して責任を負うことではなくて、も っと国家としてやるべきことだけはきちっとやるというふうに限界を明確にする。そ れが21世紀の中央政府のやることだ。そういうふうに言った方が、話にごまかしがな くていいのではないか。私はこういう時代が今来つつあると思います。

権限移譲と個の責任
その象徴が、次の「中心がない都市の出現」という話で、それに引っかけて少し言い たいことがあります。私の言ったことを、もう少し別の言い方をしますと、これはまた おはこの話ですが、市町村に対して県庁は文句を言うな、県庁に対して国は文句を言う な、こういうことを皆さんが言ってきたわけですが、それは中央政府はすべての皆様の 元金を返済することに責任を持たないということにつながってくるということです。
 例えば信用組合と信用金庫と地銀と都市銀行というふうに、いろいろ銀行のランク 分けがあって、信用組合に対しては、今まで経理の監督を県庁や都庁がやっていました。 信用金庫に対しては、国がある程度関与していた。こういう何かわかったようなわから ないような、銀行の規模の大小によって監督官庁が対応しているということがありま した。
 信用組合が随分いろいろトラブルを起こしたときに、これはとんでもない、監督不行 届きではないかとジャーナリズムが言ったら、政府側の弁明は、あれは都道府県が監督 官庁だからこういうことになったのだというので、信用組合の監督も今度は国がやり ますと言ったけれども、実はあれはとんでもないインチキだと思います。
 というのは、信用組合という金融組織と、信用金庫という金融組織の持っている性格 の違いを、市民はわきまえておつき合いしていたはずだからです。そういうことまで知 らないで、ただ銀行に金を預けているという人がまだいっぱいいるとすれば、もはや地 方分権などと言うべきではないのです。市役所に権限を与えろ、県庁に権限を与えて国 は遠くに遠ざかれなどと言うべきではない。
 しかし、今や市町村に力を与えよ、もっとひどいのは、市町村どころか、地域社会に 力を与えよということまで、今これは全国知事会、全国市長会、全国町村長会挙げて、 一斉にそういう要求を出しています。まさにそういう時代が今ひたひたと押し寄せて きて、それならそういうふうに権力をあなたたちに預けようということにこたえる作 業が着々と進んでいるわけです。
 そうすると、都市計画や地方行政だけではなくて、金融の問題も、お医者さんの問題 も全部、政府のとるべき責任と限界が今よりももっと明確に厳しくなって、市町村がそ の責を負うことで、市民と役所の距離がぐっと近くなって、今までのように何でもかん でも中央が、地方が、県庁が悪いという言いわけがもうできなくなってくるということ です。
 この話は、実はもう1つ伏線があります。本来は「公」が責任を負うべきなのに、な ぜしないのかというような話ですが、これは市役所でも県庁でもいいのですが、民側が あることをして、そのために何かトラブルを起こしたといったときに、「民」が「公」 に文句を言うと、公は、「申しわけございませんでした。管理不行届きですが、今後そ ういうことが一切ないように努力いたします」ということの繰り返しをずっとやって いたわけです。
 それでは、そのことの繰り返しの結果で町がよくなったかというと、そうではないと いうのは、どこでも幾らでも例を挙げられます。例えば玉川上水の周りにバラ線が張ら れています。あの例でよくおわかりのとおりです。バラ線が張ってあるのは、もしかし てあそこに子供が落ちたときに、バラ線が張ってあったか張ってないかで裁判上のト ラブルになって、管理者責任を問われるから、醜いバラ線が張られるのです。
これは全部司法の手によって裁かれるわけですが、それでは、司法の社会的常識が硬 直的かといったら、必ずしもそうではない。司法という一番硬直的な世界の判断も、や はり社会の流れの中で、かなり自由度が増し、弾力化してきているということがありま す。
また昔の話が出てくるのですが、これは10年以上前の話で、PTAのお母さん方が、 ある小学校のテニスコートで、夏休みにお母さん方同士のテニスをやっていた。そのと きに、審判をしていたお母さんが興に乗って、審判台をちょっと動かしたら、審判台が 後ろに倒れて、お母さんが頭を打って、そう深刻ではないけれども、けがをした。けが をしたことについて、これは審判台を固定しておかなかった学校側の管理責任だとい うので、おそれながらといって裁判所に届けたそうです。
 司法はどういう判断をしたか。これはPTAのお母さん方の言う方が、常識的に筋が 通るかもしれないという判断もできます。なぜならば、審判台を固定しておくべきなの に、固定しておかなかったから、そういうふうになった。
 ところが、裁判所の判断は違ったのです。それは日曜日に審判台を使って、PTAの お母さん方が小学校でテニスをしていたのは、PTAとして本来やるべき仕事や事柄 を逸脱して、子供に関係なく、1つのPTAの仲間としての遊びを校庭のテニスコート でやっていた。
 そして、普通は審判台に座るのは先生であって、先生が子供のテニスを監督するとき には、審判台が固定していないことを先生は十分認識している。それが教育システムの 中での1つの通念になっている。ましてや日曜日にPTAのお母さんが、感きわまって 審判台を動かして後ろへ倒れるなどということは、そこまで予見して管理者としての 行動をする、社会通念としてそこまで公的なところに責任があるとは言えないという 判断だったそうです。これは10年以上前の話ですが、やはり社会通念によって裁判も 変わってくる。
 そうしたことからすると、やはり市民生活の中での「私」と「公」との関係が、どち らかというと、裁量が「私」に極めて自由に大きくなって、また、行政権限が身近な市 町村へ来ることによって、市町村に対しての直接のつき合いは市民がやるわけで、そう した中で、今までのようにあいまいな領域で「公」を責めることはできなくなる。  市を責め、市役所を責めて、市役所が悪いということは、もしかすると、その責めて いる市民にはね返ってくることであるかもしれない。このような議論ができるように なった。地方分権とは、まさにこういう話です。

中心がない都市の出現
そこで、「中心がない都市の出現」という話になるのですが、これはどこの地方都市 でも起きているわけで、ここ5〜6年来の地方都市の中心市街地の共通現象です。こう いう町があること自体が物すごくおかしいという感覚を持つ人と、これはなるように なっていくだろうと考える人と、判断が分かれてくると思うのです。
 今までならば、中心市街地が過疎化するのはとてもよくないことだという理屈を、国 や県がきちっと組み立てて、それに基づいた補助金の投入が行われて、その事業が失敗 したとか成功したということが、今度はジャーナリズムで評価されるということだっ たのですが、実はそうではない。
 これは、中心市街地がなくてもいいのではないかという都市があってもおかしくな いという話です。中心市街地が空洞化しても、それでいいのではないか。なぜならば、 中心市街地に昔のよき幻影を求めているのはお年寄りだけであって、そのお年寄りは もうじきいなくなって、若い世代のように、車を転がして、小市民的な1戸建ての郊外 住宅地で住むことについての価値を最大限にする都市の市民であれば、これはショッ ピングセンターがよくて、郊外の自動車道路整備がよくて、町の中については何の未来 がなくてもいい。そういう理屈を組み立てれば成り立つのです。
 それをただ、昔は中心市街地があって、あそこにはいい古店のおばあさんがいて、そ のおばあさんのところに行くと火ばちがあってというようなことを言っている、それ は果たして本当に全市民的にそういうことを言っているのかというと、そうではない かもしれない。
 もっと極端に言えば、中心市街地に穴があいたら、そこを全部森にしてしまってもい いではないか。これは土地の取得問題からいけば、そう簡単にはできませんけれども、 中心市街地に穴があいたところを当面使わなければ、木を生やしておけばいいのです。  中心市街地の商店街のおやじさんたちは、そういう小さい土地を持ちこたえられる ような程度には資産を持っていますから、30年でも40年でも持ちこたえられる。そ ういう商店街のおじさん方が500人でもいれば、空き地に木を植えておけば、50年 たてば集合体として立派な森になります。それはボイドの空間です。ボイドの空間とは、 要するに、城下町とお城の関係です。あるいは宮城と東京の関係です。これもまた不思 議なことに、日本の都市にはボイドがある。ヨーロッパの都市には教会がある。これは 対比的です。ボイドとは、お城とか、寺の神社の森ということです。
 地方分権の行き着くところはそういう議論になる。しかし、ここにお集まりの皆様方 や、私たちの常識からいえば、中心市街地がない都市などあり得ないというのは、単な るノスタルジーではなくて、1つの常識論としてあるのです。
 もしこれが常識論として正しい組み立てで、常識論としてこれがいい、本当に正しい 常識であるということを頑張るとすれば、まさにそこは、私が言ったように、都市整備 の1つの前提として、環境の問題とお年寄りの問題を真っ向から大上段に振りかざし て、それで都市をどういうふうに組み立てるかという筋道を考える。そして、それを具 体化する図面をつくる、絵をつくる、模型をつくるとか、そういうことをやらなければ いけないわけです。

自由競争を認める土地利用の功罪
次に「自由競争を認める土地利用の功罪」という話です。これは相当難しい話ですが、 今私は、20世紀に持っていた都市計画の規範を、1つ1つ再検討しなければいけない という話を少しずつしているわけですが、この話は、もっともその核心に迫る話になる かもしれません。
 それは何かというと、都市計画はどこまでおせっかいをやいていい行政手法かとい うことです。都市計画の行政手法を一般市街地に介入させることによって、経済を振興 させるという理由が成り立つか。あるいは、都市計画という行政手法を一般市街地に投 入することによって、自動車交通量を減少させることがいつまでも許されるのか。どこ まで都市計画と言うのかということです。
 もっととことん考えると、都市計画にとって一番重要なことは、一番所得の低い人た ちの安全と安心に対する頼りなさを、もう少ししっかりした頼りがいのあるものにす る市街地を組み立てていくことである。それ以外の、例えばより高密度のオフィスビル をつくるとか、より美しい公園をつくるとか、より生産性の高い流通団地をつくるとか、 そういうことに都市計画の行政目的を置くことは、もしかすると、おせっかい過ぎるか もしれない。
 なぜならば、都市計画という1つの行政手法は、それほど先端的技術であるのかとい うことです。今までの用途地域制とか、交通網体系とか、1人当たり3平米とか5平米 という公園の基準面積が、とことん詰めていったときに、なるほど、そういう数字なら ば、現代社会の環境問題を解く面でも、お年寄りの安全な行動を保障する面でも、こう いう考え方は正しいんだという理由が本当にくっつくかということです。
 1つの事例を申し上げますと、道路幅によって係数が0.8とか0.6という斜線制 限があります。道路幅に0.6を掛ける。例えばその地域全体の容積率が300%だけ れども、前面道路が4メートルの場合には、それに0.4か何かを掛けてやるというの がありました。そうすると、容積率が300%の場合、前面道路が4メートルだと、二 百何%になってもらいが少なくなるというのがあります。それに斜線がかかります。  では、斜線とか係数0.6というのは一体どういう理屈で出てきたのか、とことん調 べてみると、よくわからないのです。あれはもしかすると、4メートルや6メートルの 道路の周りの建物を余り高くすると、昔は舗装しておりませんでしたから、雨が降ると、 ジュクジュクのドロドロになってしまいまして、乾きが遅い。だから、道路を乾かすた めに、お日さまをうんと当てようとして、0.6とか0.8の係数を決めているのかな と思ったりする。(笑)それに対して反論できる理屈があるかというと、ないですね。 何か反論する理屈をお持ちの方はおありでしょうか。これは建設省の建築基準法担当 の役人がきっと用意しているはずですが、多分ないでしょう。そうすると、斜線制限は 何のためにあるのか。係数は何のためにあるのか。
 それから、発生交通量というのはなおさらわからない。これは非常にダイナミックで、 スタティックな数字です。確かに建物が多くなれば自動車が集まってくることはわか りますけれども、物には程度がある。建物が大きくなっても、このごろはコンピュータ ーが多くなることの方が重要である。多分統計学的には、コンピューターの台数と建物 の大きさの相関関係の方が正しいと説明できるでしょう。
 それから、オフィスビルの大きさと会議室の床面積の相関の方が、きっと統計学的に 正しいと証明されるでしょう。それに比べると、建物が大きくなるから、例えば乗用車 の寄りつきが多くなるなどというデータの統計学的な正しさは、今まで私の知ってい る限りでは、それより極めて弱いはずです。
 オフィスビルが建つことによって、コンピューターと会議室がふえるということの 統計的な強さの方が、交通量の説明よりも強いとなったときには、多分これはオフィス ビルのつくられ方について、ただこれまでのように、交通量が多くなるから、容積率に 限界を与えるのはけしからんという話ではないはずです。もっと別な話を組み立てな ければいけないのです。その準備ができているかというと、必ずしもできていない。  むしろそれよりも、私が新しい都市計画の視点として考えるなら、容積率を幾ら大き くしてもいい。そのかわり地下に蓄熱槽をつくってくれ。場合によっては自家発電設備 をつくってくれ。東京電力や関西電力がピーク対策で投入する1キロワット当たりの 設備投資の金額は物すごくたくさんかかる。その金を、大きなビルを作る時に、蓄熱槽 とか自家発電設備を入れることで、そのピークカットを何千億円というふうにカッテ ィングする方が、多分都市生活にとっては、自動車交通量でオフィスビルの大きさを制 限するよりは、ずっと筋が通るかもしれないという話があり得そうです。
 そう考えていきますと、例えば周りにはくどくど言う人が古い土地を持っていて、借 地と借家の権利関係で頭を抱えているような地主さんたちがいっぱいいるようなとこ ろは別として、湾岸の埋立地のようなところで、ここは工業地域の200%とか、準工 業地域の何%とか、商業地域の何%とかいう容積をどんな理屈で決めているのだろう か。臨港地区というのでもっともらしく、商業工区とか工業工区とか考えて土地利用規 制の色を塗っているのは、とんでもない間違いかもしれない。
 そんなところまでおせっかいに介入して、周りの人たちが文句を言うかといえば、周 りに人がいないのですから、言うはずがない。周りにあるのは流通施設、工場、あるい は競輪場かもしれません。
 それならば、思い切ってそういうところの土地利用規制をもうやめて、好きなように やっていい。そのかわり、水もこれ以上供給しないし、電力も供給しない。ましてや道 路などつくらないし、橋もつくらない。全部民間でやってみなさい。もし橋をつくりた かったら、自分の金で橋つくりなさい。規制は一切しないかわりに、援助も一切いたし ません。その敷地についてやれるところでとことん知恵を出し合い、資金力を出し合っ て、それぞれの民間のディベロッパーが3社でも5社でも競争して案を出して、地主さ んが、これがいいというのを選んでおつくりください。
 ただ、1つだけ、もし既存の市街地にそういう行動の結果として環境的な悪影響が明 確に出てきたときには、その免許事業を取り上げる。そのことだけは約束します。こん なことを考えていい時代になってきたかなと思うわけです。
 実は私がこういうことをしゃべると、建設省の若い役人たちに怒られるのです。「あ なたは都市計画中央審議会の会長さんになったのだから口を慎みなさい」と言うので すが、(笑)やはり21世紀へ向けてのいろいろな考え方を提案するわけですし、先ほ ど言ったように、所得の低い人たちがいて、その人たちの安心と安全と最低限のきちっ とした生活がうまくいかないところに対しては都市計画をやるけれども、あとは都市 計画を引き揚げる。それでもいいのではないか。
 もしビル経営とか、デパート経営とか、流通団地経営がうまくいけば、実は地方分権 の一番大事なよりどころは、市町村に権限を渡すということは、土地や建物に対する不 動産の課税の財源は市町村に来なければいけないわけです。これは基本であり、イギリ スでもそうですし、多分ドイツでもフランスでもそうでしょう。不動産に対する課税は、 市町村税の一番重要な財源です。そうしたら、もうかったのは、市町村の財源として吸 収して、後でゆっくり道路でもつくればいいということです。この話の組み立て方を、 やはりお若い方はぜひやっていただきたい。
 今私がずっと話をしてきたことは、余り体系的に組み立てられてはいません。今おま えが話したことによって、1つの市街地像を絵で描けといったときに、うまく絵で描け るかというと、なかなか描けないのですけれども、いろいろなバリエーションの絵は描 けます。答えが1つの絵ではなくて、いろいろなバリエーションの絵が多様に描ける。 多様に描ける中から、実は例えば武蔵野市ではこのタイプになるかな、三鷹市ではこの タイプになるかなという議論ができる素材が出てくる。そして、都市計画という行政手 法はなくても、今言った議論の中から出てくる民間活動と、行政側の極めて緩い誘導を 前提とした都市の変貌というのは、結果として、武蔵野だったらこうなる、三鷹だった らこうなる、国分寺だったらこうなるという絵は描けそうです。これが都市整備の視点 です。
 私は最近こんなことを考えているのですが、若い連中が私の言ったことに対して、
「伊藤先生は都市計画を超越した、霞を食ったようなことを時々言う」と言います。こ れは不規則発言と言うのだそうです。(笑)余り不規則発言はしないでくれというので すが、きょうは最後に不規則発言の連発をいたしましたけれども、どうも伊藤がまた 「スーパー都市計画」をしゃべっているのではないか。スーパーというのは、どうも都 市計画を超えたという意味らしいですが、お若い方はそれぐらいのことも考えてもい いかなと思います。
 私の話は大体これぐらいにして、御質問があればお受けしたいと思います。いつもの とおり尻切れとんぼでございますが、きょうはこれぐらいにして、次回にまた思いを新 たにして、話をいたします。 どうも失礼いたしました。(拍手)

フリーディスカッション

○司会(谷口) どうもありがとうございました。
 あと少し時間がありますので、ご質問があれば受け付けさせていただきます。
長塚(長塚法律事務所) 今おっしゃられた21世紀は、21世紀100年間のことを おっしゃられるのですか、あるいは50年ぐらいのことなのでしょうか。その辺を教え ていただければと思います。
○伊藤先生 50年ぐらいを目標にしたいのです。50年を超えると、さすがの私もちょっと想像を絶するのですが、(笑)2050年ぐらいにどうなるかということを頭に描ける想像力は、大体2010年ぐらいまでに何を公共事業としたらいいか、行政システムはどう変わるか、あるいは裁判所の社会通念はどうなるだろうかということは、相当もっともらしくしゃべれると思うのです。
 2010年から長くて15年ぐらいまでの具体的な提案をして、その結果が動いて、 2050年ぐらいにはこうなるだろうという前提です。そう言っておかないと、役所に 怒られますからね。(笑)でも、これはかなりの真実です。
 ついでに申し上げますと、今の国土計画の目標は、大体2010年を目標にして、具 体的な公共事業とか市街地整備のありようを考えているのですが、人口想定は205 0年を目標にしております。2050年に人口がこのぐらい減るだろうとか、このぐら いお年寄りになるだろうとかいうことを頭に描きながら、2010年から15年ぐら いまでにやる具体的な政府の仕事とか、民間とのつき合い方は、こういうふうにしなけ ればいけないとか、そんな話になっています。
 それから、私は毎回言っているのですが、21世紀で一番変わってもらいたいのは、 女性の発言と行動です。女性というのは恐るべき存在で、(笑)行動力は抜群ですし、 お金を持っていますし、体力がある。ただ、惜しむらくは、知恵を缶詰にしているので すが、頭の中の整理整頓が下手です。しかし、その缶詰になっている情報は、物すごい ものを持っているのです。だから、亭主に恨みつらみを言うと、延々ととめどもなく言 うのは、整理整頓していないからです。(笑)しかし、この際ぜひ女性の持っている行 動力と知識欲の吸収能力、データストックとお金を活用させるべく、ぜひ頭の中で整理 整頓して置いておいて、男性と議論していただくと、随分よくなると思うのです。
 何を言っているかというと、細かいことについて女性は気配りしていただくわけで すが、考えようによっては、大きいことは小さいことをある程度犠牲にするけれども、 その大きいことができないと、うちの息子や娘や孫にとって不幸だという議論をして ほしいのです。
 都市計画というのは、既に申し上げましたけれども、身近なことは物すごく重要です が、身近なことを積み上げていっても町がよくならないのです。大きい都市計画をどう してもやらなければいけない。手っ取り早く一つの例を言いますと、地下に道路をつく るとき、どうしても排気口が出ます。この排気口を、要するに排気ガスそのものが出て は困るとやられてしまったら、むしろ皆様方の住環境の中での小さい道路に車がのめ り込んできます。小さい道路に車がのめり込むと、一番困るのは、交通渋滞でストッ プ・アンド・ゴーを繰り返す。ストップ・アンド・ゴーを繰り返すと、排気ガスが大量 に出て、NOx が出るのです。
 だから、今都市の交通計画をやっている人の一番重要な課題は、ストップ・アンド・ ゴーをなくすために、大都市の中で円滑に車を動かすことの方が、交通量はふえてもN Ox を少なくすることができるということです。そうすると、やはりNOx を最小限 にして車を流すために、どうしても地下道路にして排気トンネルを高くしなければな らない。それぐらいは認めていただきたいという話が、男の口からこれから次々と出る と思うのです。このような話ですが、ちょっと余分なことを申し上げました。
司会(谷口) 残念ながら時間がなくなりましたので、本日の都市経営フォーラムを終わらせていただきます。伊藤先生、どうもありがとうございました。(拍手)


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