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第118回都市経営フォーラム

自治体主導のまちづくり、都市経営
―武蔵野市の実践と提案―

講師:土屋正忠氏 武蔵野市長


日付:1997年10月23日(木)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール



 皆さん、こんにちは。
 きょうは、日建設計が中心となった社会政策に関するメセナに私もお招きをいただき、まことに光栄に存じております。いつもこのセミナーにいらっしゃる方々は、それぞれ経済や行政、政治、あるいはさまざまな社会活動の中で政策の計画者になっておられる方が多いと聞いており、まことにうれしく思っております。
 このお話があったとき、果たしてどういうお話ができるのかなと思いましたら、ふだんやっていることを紹介すればいいよというお話でありましたので、少し気を楽にしてお伺いした次第でございます。何とぞよろしくお願いいたしたいと存じます。
 私は、ただいま司会の方からお話がありましたように、今武蔵野市長として4期目、15年目を迎えております。41歳で市長になったのですが、そのときは青年市長などと言われて、今考えてみると、汗顔の至りの点も多々ありますが、当時は勢いに乗じて仕事をしていたかなと思っております。最近になって、十数年やっている間にやっと情報が統合され、多少総合的に、多角的に物が見れるようになったのかなと思ったりして、これからいろんなことができるのかなと思ったら、「おまえはもう4期目だから、この次は5期目だから」という多選批判などが出てくるようなありさまで、なかなか人生うまくいかないなと思っております。(笑)
 お手元にきょうは簡単なレジュメと武蔵野市を紹介するペーパーが3枚、そのほか、「ムーバス」のパンフレット、北町の高齢者センターのパンフレット、「0123吉祥寺」のパンフレット、そしておまけに最近出しました介護保険のブックレットを差し上げてありますので、御参照のほどお願いをいたしたいと存じます。
 なお、介護保険について話し出すと、それだけで1時間ぐらいたちますので、実は今度厚生省の審議官とディベートをやることになりましたので、再来週の土曜日のNHKの衛星第一放送で9時から11時まで、介護保険について徹底討論をやることになっておりますので、あわせてまたごらんいただきたいと思っております。



武蔵野市のプロフィール

 さて、本題に入らせていただきたいと思います。
 きょうお伺いいたしますと、東京以外の方も多いようでございますので、まず武蔵野の紹介を5分ぐらいでさせていただきたいと存じます。
 お手元にペーパーを用意いたしましたので、ごらんいただきたいと思います。
 武蔵野市は、23区に隣接したところにございます。新宿から西へ約12キロ。電車で13〜14分のところになります。これは23区とその他の市町村、実は東京には村もあるんですね。もちろん島は村がありますけれども、多摩に檜原村という村があります。
 東京は東西に長いわけでございますが、23区が約580平方キロ程度ございます。残りの西のエリアが約1100平方キロメートルありますので、23区と三多摩と言われるエリアは、面積的には1対2の関係になるわけであります。雲取山が東京都の最高峰ですが、2017メートルという中級の山岳であります。従って、東京は中級の山岳から海抜メートルの東京湾、そしてまた島しょを入れますと、1000キロ南の小笠原までと非常にバラエティーに富んだ地域だということがおわかりになるだろうと思います。
 現在のところ、この23区に住民登録人口で770万ぐらいが住んでおります。実態人口で800万近いと思います。三多摩では、住民登録人口で380万ぐらい、実態人口で400万近い人が住んでおります。したがいまして、大ざっぱに言うと、23区に800万、三多摩に400万ということになるわけであります。
 面積は、先ほど言いましたように、1対2の関係でありますが、2000メートルの山岳もあります。そういうところは人が住めませんから、いわゆる可住面積からいきますと、1対1の関係ではないかなと考えております。
 そこで、地図を見ていただければわかりますように、23区と西の可住面積の三多摩の市町村との真ん中、つなぎ手のようなところにあるものですから、私は「都芯・武蔵野」と言っているわけであります。(笑)武蔵野を中心に円をかくと、ぐるっと大東京が入ることになるわけであります。これは市長特有のご当地ソングでございますから、お許しをいただきたいと存じます。
 関東ローム層に支えられた、地盤もいいし、河川もない、比較的安全な町であります。次の「武蔵野市基礎データ」を見ていただければわかるわけですが、人口は多い方と少ない方を挙げておきました。
 人口は、ここに書いてありますように、多い方は横浜市が330万、以下ずっとベスト5まで書いてあります。少ない方は、何と歌志内市などは、これは炭鉱町でございますが、6661人しかいない。まことに大変だな。歌志内の市長さんは恐らく日本で一番大変な市長さんの1人ではなかろうかと思います。今だったら当然ようやっと町、村の人口でございますが、かつて市だったのが、炭鉱が閉鎖されることによって、このようになってきたということになっております。武蔵野市の場合には全国163位で13万399人となっております。
 面積ではどうかと申しますと、大きい方は、これは合併した市でございますが、いわき市、1231平方キロ。静岡市が1145平方キロ、札幌1121平方キロ。静岡市などは、三多摩全体に近いようなわけであります。ちなみに、先ほど申しましたように、東京の23区の面積は588平方キロぐらいでございますから、いかに大きいかということでございます。小さな方は、埼玉県の蕨、埼玉件の鳩ケ谷、東京都の狛江、東京都の田無、埼玉県の上福岡と続きまして、武蔵野市は653位となっておりますが、最近、2つ市がつけ加わりましたので、またさらに順位が下がりまして、655位くらいじゃないかと思っております。
 人口密度は、蕨市に次いで第2位と、極めて狭いところに大勢の人が住んでいるということになります。人口過密であります。
 1世帯人口は、一番少ないのは、何と武蔵野市で、1世帯当たり2.1人。一番多いのは、山形県の尾花沢市で1世帯当たり4.1人という状態になっております。
 このような都市像から浮かび上がってくるのは、都心から近くて通勤に便利、狭いところに人がごちゃごちゃいる。そして土地が高い。この統計には出ておりませんけれども、吉祥寺という町がありますので、吉祥寺は、売り場面積3000平米以上の第一種大型店舗が11ぐらいありますから、商業の年間の売上げが3000億近いということでございます。これなどは恐らく地方中核都市、あるいは県都、例えば青森とか秋田とか、そういうところよりも、商業の売上げに関していえば、武蔵野の方が多いのかなと思うぐらいでございます。
 そういう町に市民が13万住んでおりまして、所得の階層も比較的高うございまして、例えば、経済人も多いわけでありますし、1人当たりの税額は全国で2番目ぐらいであります。そしてまた知識人も多く、教授、助教授、専任講師以上の方は六百何十人おられます。
 今から4〜5年前は、東大法学部長、文学部長、理学部長、医学部長が武蔵野におりましたから、武蔵野の中で東大の学部長会議が開けると言われたぐらいでございました。(笑)実は私もその懇親の席に呼ばれたことがございます。
 さらに、例えば文化勲章受章者が、現存されている方が55名おられるようでございますが、そのうち武蔵野には5名いらっしゃいます。単純な人口比からいきますと、0.05名ぐらいでいいわけですが、5人いらっしゃる。11月3日に名誉市民の推挙を2人やりますが、そのいずれも文化勲章受章者という方々であります。
 弁護士さんが80人ぐらい住んでおりまして、左翼系の弁護士さんもおりますから、すぐ訴えられて、私などは満身創痍でございます。いつも東京地裁に座っているという感じです。(笑)本人は行きませんけれども、こういう感じの町であります。つまり、訴訟という方法を使って政治活動をやるという町でもあります。
 したがって、2年前の選挙には、私の対抗馬は菅直人さんがお師匠で、市議会議員選挙で3回トップ当選した方とか、東大の教授がやめてきて出るとか、そういう方々がお出になりました。東大の教授なんか、やめなくてもいいんじゃないかと私は思っているんですけれども、もっとも倍以上引き離しましたから、やはりやめなかった方がよかったんじゃないかなと思っているわけであります。(笑)
 脱線しているうちにだんだん時間がなくなりましたが、そういう町柄であります。しかし、心ある市民というのは、黙っていて支持しますけれども、例えば汚職事件なんかが出たら、黙っていて1万票、2万票すぐなくなってしまうという怖い選挙区であります。静かなる市民という感じがいたします。
 そういう町柄を背景にしてさまざまなことをやらなければならないわけでありますから、率直に言いまして、地方に行きますと、市長は非常に権力者でもあり、座り心地の良いいすでもあり、同時に地域の皆様方の羨望と嫉妬とさまざまな権限と、勝ち組、負け組なんて分かれて、負け組に入ったら二度と仕事が来ないとか、そういうことがあるわけでございますが、武蔵野市はそういう雰囲気のところではございません。
 つまり、市長が選挙で選ばれて、市民の気持ちとか、市民が何を考えているのかということを素早く、きちっとやって、そしてそれ以上でもない、それ以下でもない、別に市長だからといって特別偉いわけではない。しかし、きちっと尊敬する人は尊敬してくれる。一流の経済人の方も多いわけでありますが、大概頼み事を申し上げると、「地元のためならいつでもやります」と言ってくれます。
 かつて最高裁判事をやった方に私がお願いに行きましたら、市の公平委員の委員になっていただきました。最高裁判事をやった人が武蔵野市の公平委員になったというので、法曹関係者の間で大騒ぎになったことがあります。大体公平委員をやる方は、警察の署長さんとか、そういう方が多いわけでございます。
 そういう中にあって仕事をしなければならない。非常にやりがいがあると同時に、厳しい試練で、静かなる批判、静かなる支持、そしてきちっと尊敬はするけれども、だからといって、市長を奉ろうとか、あるいは市長にすがりつこうとか、そういうことはほとんどない。インディペンデントな市民が多いわけであります。そういう町でさまざまな仕事をさせていただきました。



武蔵野市の施策から

 「武蔵野市の施策から」として、「ムーバス」と単独型デイケアセンターと「012吉祥寺」という3つの事例についてまずお話を申し上げたいと存じます。
 この3つの事例は、この10年間ぐらいの間に「ムーバス」が走り出したのは2年前、デイケアセンターが10年前、3番目は5年前と、それぞれ全国で初めて武蔵野市が行った施策の特徴的なものであります。これ以外にも、全国で初めて行ったものの中には、留学生の支援、あるいは違法駐車防止条例とか、さまざまな施策がありますが、その中で特徴的な、そして全国に非常に影響を与えた施策を3つ取り出して具体的に申し上げさせていただきたいと存じます。

(1)「ムーバス」快走
 1番目の「ムーバス」は、お手元に「move−us」というパンフレットを差し上げてありますので、御参照いただきたいと思います。
 これは「ゆりかもめ」と並んで日本で一番新しい乗物と言われています。別に「ゆりかもめ」とこれを一緒にするわけではありませんが、岡並木先生がそうおっしゃってくださいました。「ゆりかもめ」とは比較にならないぐらい、ごく普通のテクニックの乗り物であります。単純に言えば、小型町内会バスといったような内容のものであります。しかし、だれもが感じながら、だれもができなかった。それを実現したところに意味があるのではなかろうかと思います。
 めくっていただきますと、地図らしきものが入っておりますが、この地図は、吉祥寺駅から東側にかけたルート図でございます。この番号がゼロ番から15までありますが、これはバス停の位置を示します。バス停間隔は約200メートル間隔であります。
 右のページに載っていますような、高齢者や障害者、あるいは妊産婦のようなハンディキャップのある人たちが乗り降りしやすいようなステップが出て、比較的簡単に乗り降りできる。また、車の中も、握り棒などがあって、この握り棒も握力のない人が握れるように細くなっておりまして、しっかりと握れるようになっていたり、いろんな工夫、仕掛けがしてあります。車いすをたたんで置くところもある。こういうバスであります。
 このバスが走っているところは、大体6メートルとか8メートルの道であります。例えば、一部分は11メートル道路の広い道でありますが、それ以外の道路は全部6メートル道路、とりわけルート図の北側部分は、事実上6メートルございませんで、5メートル60センチぐらいの道路でございます。東側が8メートル道路でありまして、南側がやはり5メートル50ぐらいしかない道路であります。
 どうしてこういうバスが注目されているのか、あるいは走らせるようになったのかと申しますと、武蔵野市は、先ほど申しましたように、1平方キロ当たり1万二千何百人という非常に過密なところです。ところが、私ども政策担当者は、過密イコール交通事情がいいと、何となくそのような錯覚に陥っておりました。しかし、今から10年ほど前に、ある足の悪いお年寄りのご婦人からお手紙をいただきました。私もよく面識のある方でございまして、そのお手紙にはいろんなことが書いてありましたが、その中に、その方はバス停の11−1のあたりにお住まいの方ですが、「私は足が悪くて、吉祥寺へ買いに行ったりしたいけれども、なかなか出られない。自転車にも乗れない。タクシーを呼ぼうにもなかなか来ない。いよいよ緊急になれば、近くの道路まで出てタクシーを拾うけれども、なかなかそうも言ってられない。そして、14のちょっと東側ぐらいのところに小田急のバスの車庫があるのですが、このバスの車庫まで帰り車があるから、これに乗せてくれないか」という切実なお手紙でございました。
 上のバス停の1番は五日市街道、下の12、13、14は井の頭道路でありますが、いずれもバスが20分に1本とか、井の頭街道などは80分に1本しか通っていない。ほとんどバス路線がないわけであります。ましてや、その大きな道路から1本中に入った道路などには、ほとんど移動手段がないことがわかりました。
 ちなみに駅からどのくらい離れているかというと、直線にいたしまして、11−2あたりがちょうど1キロでございます。例えば、数字でいいますと、3とか4までがちょうど駅から1キロという距離でございます。したがいまして、考えてみると、若い人たちは、極端なことを言えば、1キロぐらいすぐに歩きますし、あるいは自転車が使える。こういう移動の手段があるわけでございますが、高齢者あるいは障害者、あるいは妊産婦、小さな子供連れといった方々にとっては、なかなか移動の手段がないことがわかったわけであります。
 そこで、専門家にお願いして高齢者の実態調査をいたしましたら、高齢者の方々についてビデオで撮って歩きました。このビデオは編集して、あるところから売り出されておりますので、必要があればまた御紹介申し上げます。そのビデオに映っているものは、高齢者は大体150メートルから200メートルぐらい行くと休みます。65歳以上の方を一応「高齢者」と言っているわけでございますが、中にはえらく元気な人もいます。この間シルバー運動会をやったら、50メートルを6秒3で走った高齢者がおりました。(笑)そういう方もいらっしゃるわけでございますが、「後期高齢者」と言われるのは、どちらかというと、75歳以上の方は、徐々に体が弱ってまいります。
 そうすると、よく注意していると町でよく見かけるわけでございますが、荷物を持ってトットットと行って、100メートルから200メートルいくとコトンと腰をおろします。どこでも腰をおろして、例えば、よくあるのは、ガードレールの柱に腰をおろしたりしています。もっとひどいのは、車道と歩道の段差の縁石に腰をおろしている勇気のあるおばあちゃんもいらっしゃいます。何例か当たってみると、そういうことがよく実態として出てまいりました。なるほどなと思いました。
 1889年(明治22年)に武蔵野村ができましたので、武蔵野村、武蔵野町、武蔵野市とちょうど100年たった1989年に「21世紀を考えるシンポジウム」をやりました。そこには伊藤滋先生などもお見えいただいたのですが、そのとき私は、人口過密だけれども、交通過疎はある。とりわけ高齢者にとって交通過疎のところがある。こういう人に対するサービスができないのかということを申し上げました。
 そのとき、うちは交通課員を2人ふやして研究させているといったら、交通問題の専門家の岡並木先生が、「市長、それはだめですよ。ヨーロッパの場合には、交通といったものはまちづくりの中に組み込まれていて、市長にも権限が与えられているけれども、日本は全然権限がない。権限を握っているのは運輸省だ。だから、あなたが幾ら人なんかふやしたって、そんなものはできませんよ」と言われたわけであります。
 そのときはその場で終わったのですけれども、またのこのこ岡並木さんのところに行きまして、「岡並木さん、あなた、冷たいじゃありませんか。知恵を貸して下さい。何とかして家の近くまで行けるような町内会バスを走らせたい」。そして私は構想を示しました。私は左回りの構想だったのですけれども、この辺をどうだ。小型バスでどうでしょうか。最初は電気バスでどうだろう。無公害電気バス、低床バス。そしてワンウェイで1周100円、円バス。「円バス」というと、お気づきになる方もいらっしゃるかと思いますが、昭和の初めごろ、23区どこまで乗っても1円という「円タク」というのがございました。それが頭の中にありましたから、「円バス」と申し上げました。
 それからが大変であります。私が問題提起をして完成するまで5年かかりました。何が問題だったか。まず最初にポイントは、アイデアは非常にいい。そして需要もあるだろうということがだんだんわかってまいりました。しかしながら、路線の認可をおろすのは、御承知のとおり運輸省でございます。きょうは運輸省の方がいらっしゃったら失礼いたします。(笑)少し片耳で聞いておいていただきたいわけであります。運輸省は、主として事業採算性とか、あるいはさまざまなことで考えるわけでございます。
 さらに、道路交通安全の立場から、道路交通法の所管、これは国家公安委員会、地方公安委員会でございますから、警視庁でございます。警視庁はいろいろな規定がございまして、バスの場合には、バスが通ったあと何メートル横にあかなければいけないとか、そういうさまざまな規定がございます。大体6メートル以下のところでバス路線なんか認可したことはないんだというお話でございました。
 何といっても、最初研究会が発足したときに、まず最初に警視庁の方々に、この路線を乗っていただきましたから、まず現場の係官が言ったことは、「市長は夢見ているんじゃないか。こんなところを通せるわけがないじゃないの。市長は冗談で言っているんだろう」とうちの係官に漏らしたそうであります。と申しますのは、6メートルといっても、さっき言いましたように、5メートル50ぐらいしかないところがございまして、かてて加えて、そこにガードレールなんかがあったりしますから、横幅2メートルちょっとのバスが入りますと、えらくきついような感じがいたすところであります。皆さんも一度乗っていただくとよくわかるのですが、「えッ、こんなところを通るの?」という感じのところを通るわけであります。
 そこで、非常に難航したわけでございますが、2回にわたる研究会をやりました。私は、そのとき多少ほかの市長と違っているところがあったとすれば、その研究会に学者だけではなく、運輸省本省の課長補佐と、警視庁からも人を出してくれとお願いに行きました。今は海上保安庁の長官になっておられる相原さんが運輸政策局の次長だったころでございますが、お伺いをいたしまして、いろいろお願いいたしました。その研究会に人を出していただきました。時期もよかったんですね。そろそろ規制緩和とかいろいろうるさいことになってきた。時期もタイミングもよかったかなと思っております。
 その研究会が発足すると、私はこう申しました。できないという話は最後にして下さい。これはやろうという会なんだから、いろいろ研究してできないことがあるかもしれないけれども、できないという話は一番最後にしてほしいと申し上げたわけであります。
 それから研究が始まりました。いろいろありましたけれども、バス会社も入れまして、いろいろ研究会をやりました。バス会社も信じませんでした。「半年もたてば、こんなことはダメになるよ」と言われました。
 と申しますのは、武蔵野市は、吉祥寺、三鷹、武蔵境と3つの駅があるのですけれども、吉祥寺と三鷹からは武蔵野市役所までバスが来ております。武蔵境からバス路線を引こう。武蔵境の人は、3駅のうち武蔵境だけ市役所に行くバスがない、これは差別だとおっしゃるんです。私も市長になったばかりで、「そうかな。差別があってはいけない。では武蔵境の人にも乗ってもらおう」。路線バスですから、いろんなところに寄るけれども、武蔵野市役所までバスが来れる路線をやってください、と言って関東バスにお願いしました。関東バスも最初渋々言っていたけれども、補助金を出すことになってやったら、1便当たり平均たった3人しか乗らなかったわけでございます。(笑)実はそういう失敗があるものですから、私はそれに懲りて理念型はダメだなとつくづく思ったのですけれども、今度は理念型ではありません。調査もしてあります。ところが、そういうことがあったものですから、バス会社は信用しない。市長がまた変なことを言い出した。これなんて半年でアウトだと言っておりました。
 それから、運輸省がこだわったのは、ここは初乗り200円の地域です。200円の地域のところに100円のバスが走るわけですから、これは大変なことでございます。細川護煕さんの本の中に、運輸省は許認可の固まりだ、バス停を5メートル横にずらすのも認可が必要だと書いてあるわけでございますが、私どもは新しい仕掛けをつくっちまおうという話ですから、これはなかなか大変でございました。しかも、吉祥寺発のバス路線はみんな初乗り200円です。西武バスも関東バスも小田急バスもみんな200円です。ところが、この「ムーバス」だけ100円ですから、これは業界の秩序を乱すということになるわけであります。業界の方からいろいろクレームがついたら、運輸省は「あれは別な体系だ。今やっているのは、50人乗りの路線バスで、『ムーバス』は28人乗りで体系が違う」と言っているようであります。ところが、行革会議などに呼ばれると、規制緩和のいい例ですと言っているようでありますから、どっちが本音かよくわかりません。(笑)これは聞いた話ですから、うそか本当かわかりませんけれども・・・・。
 さて、そこでいざやってみました。どのくらい乗るかなと思いました。なお、これは朝8時から夜の6時まで15分間隔で出ます。1時間に4本ですから、10時間で40本プラス、最後の1本が入りますから、41本でございます。我々は大体平均17人ぐらい乗るだろう、そして100円ですから、どうしても赤字になりますから、1路線当たり2000万ぐらいの補助を出そうということを考えておりましたところ、いざあけてみましたら、初日こそ少なかったけれども、だんだん乗り出しまして、1日700人ぐらいと思っていたのが、ついに1日1000人を突破し、1日1100人を突破し、ついにことしの9月、雨が多かったせいもありますが、1日1200人、1バス当たり28人ぐらい乗っているということになったわけであります。まことにありがたく思っております。
 ともかく運転手とお客の距離が短いですから、えらく親切であります。関東バスの運転手は無愛想で、急ブレーキをかけたりしてとんでもないと言われていたのが、「このバスは本当にいいわね、どこですか」と言ったら、同じ関東バスだ。(笑)このバスの運転手になると人が変わると言われるぐらいで、関東バスは研修のために乗せているということもあるわけであります。(笑)
 急に雨が降ったりとか、そういうことがありますから、自由に使える傘を置いてあります。急に雨が降ると、傘をさしていくわけでございますが、この傘は開業以来1年半になりますけれども、1本もなくなっておりません。借りていった方がわざわざ返しに来る。
 今のところ、町内会バス、コミュニティーバスとしては非常に定着しているかなと考えております。
 ちなみに、100円の魅力はあると思っております。ワンコインで乗れる魅力。老人無料パスを適用するかどうかということで大もめにもめました。共産党などは、老人無料パスが使えないから反対だといって、結局これに反対いたしました。私は言ったんです。確かに無料パスは東京都から補助金が来るのですけれども、実勢価格の6割ぐらいしか来ませんから、これじゃますます赤字になっちゃう。無料パスになったら、ほとんどが無料のお客じゃないかといって、100円にいたしました。子供も100円、大人も100円、ただし未就学児、ゼロ歳から5歳まではただということにいたしました。この近くに保育園があるのですけれども、保育園児が井の頭公園の方に遊びに行くといって、保母さん1人で子供5人も連れて乗ってくる。(笑)それで100円ということになっております。出すときに、さすがに気が引けるのか、「これでいいのかしら」と言いながら出す。(笑)こういうことになっています。
 デザインも非常にかわいいデザインでありまして、ボディに数字が書いてあるんです。正面のピンクのマリリン・モンローの唇みたいなのがゼロということで、横に1、2、3、4、後ろが5になりまして、反対側が6、7、8、9。つまり0から9まで、だれもが乗れますよということになっております。このデザインを発表したときは、みんなギョッとしましたけれども、いざやってみたら、なかなかおしゃれなデザインだなということになったわけであります。
 ちなみにこのデザインは、昨年度1996年のCSデザイン大賞運送部門の金賞をいただきました。まことにうれしく思っております。賞金がまた武蔵野市に入るかと思ったら、デザイナーの方に入るということでありましたけれども、(笑)そんなことがございました。 今おかげさまで、1便当たり28人ぐらい乗っております。
 実は私は、恐らくこういう毛細血管のようなものは、これから高齢化社会になったりすると、どんどんふえるだろうと考えております。この間運輸省の参事官と話したときに、もう1つひねってみて研究しませんかと私は申し上げたのですけれども、もっと小さく、例えば、4メートルぐらいしかないところがあります。首都圏の中心には、6メートルさえ道路がないところがあります。こういうところにもっと毛細血管のようなネットワークをしていくためにはどうしたらいいかということを研究しようじゃないか。私もやりますよと言っているわけです。これは本格的な高齢化社会と同時に、今、脱マイカーということを通産まで言い出したわけでありますから、恐らくこういうことが非常にビビッドな話になっていくのではなかろうかと考えております。ですから、これから運輸省も少し思考方法を柔軟に、ワイドにいたしまして、もっと多様な社会的乗物を考えていった方がいいのではないかと考えております。
 なお、これに対して去年1800万の補助を出しました。2000万の補助が 1800万で済みました。ことしはもっと下がる予定でございます。しかし、いずれにせよ、1路線当たり千数百万の補助を出さなければいけないということに対して市長はどう考えるんだと問われます。だけど、私はこう考えております。今、特別養護老人ホームというヘビーな介護をいたしますと、1人当たり実勢価格で700万ぐらいかかります。人間は、外からの刺激を受けなくなったら、だんだん衰えます。今まで自転車で出ていた人が自転車に乗れなくなり、散歩をしている。散歩をしている人がだんだん散歩もしなくなる。そして、家の中にこもり出す。家の中にこもり出して花に水なんかをやっているうちはまだいいけれども、だんだんこたつにあたってテレビばかり見るようになる。そのうち寝たきりになる。大体こういうパターンであります。多少デフォルメがありますが、大体そのようなケースが多いわけでございます。
 ですから、私たちは、これからの高齢化社会を、いつも外に出てさまざまな町の刺激を受け、いつまでもお元気でいてもらえば、医療費の面から言ったって、介護の面から言ったって、いろんな意味で助かるわけですから、私は特養2人分だと考えれば、安いものじゃないかと考えております。つまり、後ろ向きの方向にお金を出すのか。後ろ向きという言い方は余りふさわしくないと思いますが、倒れてからお金を出すか、倒れる前にいろんな施策をやっていく方がいいのではないかと考えております。
 ところが、実際に乗っているのはお年寄りだけではございませんで、ここには、さっき申しましたように、子育て中の人だとか、妊産婦とか、あるいはごく普通の中年の人たちも利用しておりまして、バスの中はまるで1つの町内会のような、「あら、あなた、お嫁にいった○○ちゃんじゃないの」「はい、そうです」「あら、しばらくね」とか、そういう雰囲気が非常にあるわけであります。
 なお、詳しくお知りになりたい方は、武蔵野市が市役所らしからぬ楽しい本、「ムーバス快走す」を出しましたので、実費で特別にお分けいたしますから、どうぞご請求のほどお願いいたしたいと存じます。(笑)

(2)ダイアナ元妃も訪問されたデイケアセンター
 さて、2点目の「ダイアナ元妃も訪問されたデイケアセンター」についてお話をいたしたいと存じます。
 デイケアセンターというと、今ごろようやく世の中から認知をされてまいりましたので、御存じの方も多いと存じます。リーフレットがありますから、これらについて後でまた御参照のほどお願いをいたしたいと存じます。
 さて、デイケアセンターというのは、簡単に申しますと、「託老所」とお考えになっていただいて結構でございます。保育園のことを「託児所」と言いますが、それと反対の概念で、「託老所」と考えていただければいいわけであります。
 少し痴呆性の人、痴呆性ではないけれども、おみ足が悪い人、車いす対応の人、あるいは身体的に少し不自由な人、こういう人たちを、朝早い人で9時ごろ、大体標準的には9時半か10時ごろから、3時半から4時ごろまでお預かりをするデイケアセンターであります。
 こういう施設でございますが、実はデイケアセンターのようなものが必要になるということは、かなり前から言われておりました。福祉の先進国であるスウェーデンとかデンマークでは、このような施設がたくさんございます。
 しかし、このデイケアセンターが日本に初めて登場したのは、今から22年前、昭和50年でございます。これは保谷市にあります緑寿園です。これは100床ですが、この特別養護老人ホームに付属してデイケアセンターをつくったわけであります。1日お年寄りをお預かりして、軽体操や趣味活動、ときには入浴サービスのようなこともしたりいたしております。デイケアセンターそのものが日本の社会に登場したのが、先ほど申しましたように、昭和50年でございますから、その後徐々に広がってはまいりましたが、それほど数が多くありませんでした。ましてや単独型のデイケアセンターはございませんでした。
 なぜ普及しなかったかというと、これは老人福祉法、あるいは社会事業法という法律の中に規定された施設ではなかったからであります。つまり、法律で定まっていない施設というのは、土地を買うためにも起債も認められませんし、補助金も来ないわけであります。ですから、福祉8法が改正されたのが平成2年ですけれども、その前までは、単独型のデイケアセンターも併設型のデイケアセンターも、当然のことながら法の対象にはなっておりませんでしたので、日本で第1号の保谷市にあります緑寿園のデイケアセンターも、武蔵野市と保谷市、田無市、小金井市、4市でお金を出し合って、そこに委託をお願いしているというものでございました。ましてや単独型のデイケアなどは考えられなかった時代でございます。
 そのとき、パンフレットに書いてあります山崎倫子先生は、所長でお医者さんでございます。この山崎ご夫妻はたまたまお子さんがいないこともあり、ご自宅の土地約230坪ぐらいを寄附してくださいました。これは余り大きな声では言えませんが、奥様の方がなかなかお強い、ご立派な方でございます。(笑)ご主人様も武蔵野医師会の副会長、この方は全国女医会の会長。国連の第3委員会に日本を代表して3年連続して行って、国連総会でスピーチしたり、いろんなことをやってきた。こういう女傑でございます。ちなみにこの方は勝海舟の曾孫さんでございます。
 この山崎先生が、私に「土地を寄附するから、あなた、高齢者の施設をつくりなさいよ」と言いました。昭和58年に私が当選してすぐです。私の熱烈な支援者だったのですけれども、そうはいっても、土地を230坪もくれるという話を「はい、そうですか。じゃ、あしたいただきます」というわけにもまいりません。聞き流しておりましたところ、市役所まで電話がかかってまいりまして、市役所の部長が呼びつけられました。「この間、市長に私の土地を上げるといったのに何ともいってこない」。私の土地って、本当は御主人様のものなんでございますけれども。(笑)「役所が要らないんだったら、もう、留学生会館にしちゃうからね」と言ったわけであります。そこで私もあわてまして、これは本当だと思って、念のため「先生、本当ですか」と言ったら、「あたしはうそはつかないわよ。政治家と違うんだから」と言われました。(笑)「わかりました。それじゃやりましょう」。
 現場に今一番必要なものは何だ。特別養護老人ホーム(特養)もいいけれども、特養は面積的にここではできない。今高齢者にとって何が一番必要か考えろと言って、考えました。そのときにあがってきたのがデイケアセンターでありました。本格的な高齢化社会を迎えて在宅介護をやる場合に、3つのことが必要だ。それは、24時間のホームヘルプサービス、ショートステイ、つまり介護をしている家族が疲れたときに、1週間とか預かってくれる収容施設です。ショートステイといっております。短期入所施設です。小泉厚生大臣は、横文字ばかり使うなと言っておりますから、「短期入所施設」と言っておきます。それとあとデイケアセンター。昼間行って、ちゃんと実費をとってお昼もごちそうします。400円の実費をとって出します。したがって、デイケアセンター、24時間ホームヘルプサービス、ショートステイ、この3つがあれば、在宅介護はできると言われているわけであります。
 しかし、デイケアセンターがなかった。そこで、デイケアセンターをつくることにいたしたわけであります。何といっても、土地代がただですから、建物に一億数千万円かければいい。大きな家という感じでつくりました。
 しかしながら、先ほど申しましたように、法律で決まっていない施設、法外の施設ですから、いわゆる措置費、国からの援助はゼロでございました。都からの援助もゼロでございました。そこで、私どもとしては、可能な限りランニングコストを抑えようということを考えまして、そこでボランティアの活用を考えました。今、北町高齢者センターに毎日通ってきているお年寄りは、少ないときで30人、多いときで44〜45人でございます。これを何人の職員で見ているのかというと、武蔵野市の福祉公社に委託しているのですが、福祉公社のたった5人の職員が見ているわけです。
 その後法律が改正になって、こういう施設は国の認める施設となりました。これも実は全国でどんどんつくろうということになっているわけでございますが、このとき国の基準はどういうことかといいますと、国の場合には、通所者が15人で職員が8人です。15人を8人で見るという仕組みになっております。先ほど申し上げましたように今、武蔵野でやっているこの高齢者センターは定員40人に対して、たった5人の職員でやっているわけであります。国の基準に比べて、いかに武蔵野市の北町高齢者センターが少ない人数でやっているかがおわかりだと思います。ですから、仮に国の基準並みに40人を措置しようとしたら、20人近くの職員が要ることになります。それを5人でやっているわけであります。
 これはどういうことなのかといいますと、調理からお年寄りのお世話をする人から、話し相手になったり、あるいは歌などを定期的にやりますけれども、そのピアノの先生とか歌の指導者とか、全部ボランティアの人にお願いをしているわけであります。料理も全部ボランティアです。そのほか工作とか手作業をやったりとか、いろんなことがありますけれども、全部ボランティアでやっているわけであります。
 ボランティアで登録している人は200人近くおります。入れかわり立ちかわり来て、みんな楽しく。大事なことは、ボランティアの人たちが、やってあげるというのではなく、やらせてもらって、一緒に楽しんでいる。数年前に、戸井田厚生大臣が現職のときにお見えいただきました。厚生大臣をお迎えして、私はそのとき、この施設の特徴は、段差がないことですと申し上げました。まず施設にほとんど段差がございません。中庭があったりしますけれども、ほとんど段差がなくて、すーっと出られるようになっております。それから、職員とボランティアと、それを利用する人たちの間も段差がないんですよ、とても楽しくやっているんですよ、ということを申し上げた次第であります。
 さらに、法定の施設ですと、これは調理職だとか、これは寮母だとか、いろんなことが出てくるわけでございますが、そういう役職間の段差もない。忙しければ、皆で手伝う。5人だから忙しいのですけれども、このようなことでございます。
 こういうことがダイアナ妃のお耳に入ったのか、1995年2月にダイアナ妃がお見えになりました。33歳、なかなか魅力的な女性でございました。非常にノーブルでありながら、アットホームで庶民的な感じの方でございまして、とてもうれしくお迎えをしたわけであります。
 なかなか魅力的な女性ですね。私、3回握手をいたしました。(笑)3回握手をしたと言うと、最初と最後の2回はわかる。あとの1回はどこでしたんだと言いますから、それは私とダイアナさんとの永遠の秘密だと言っているわけでございます。(笑)とても明るい印象で、お年寄りたちを励ましていただきました。もっともボランティアの人もあがっているし、所長は英語とフランス語がペラペラの人なんですけれども、えらくあがっている。ダイアナさんをお迎えして歌を歌って歓迎することになりました。できればダイアナさんの知っている歌を歌おう。 「アニーローリー」というスコットランドの歌がいいのではないか。ダイアナさんはスコットランドじゃないですけれども、イギリスだからいいだろうということになったのです。
 しばらくお茶をお出しして接待の後、歌の会場へ行ったら、なかなか「アニーローリー」を歌わないで、「通りゃんせ」とか「さくらさくら」を歌っているんです。「通りゃんせ」もいいけれども、「アニーローリー」はどうしたんですかと言ったら、「いらっしゃる前に、もう歌っちゃいました」とすまして言うんですね。そこでもう1回「アニーローリー」を歌ってもらった。そしたら、ダイアナ妃はにっこり笑って、英語で私に「私は歌が好きです」と言ったんですね。私も英語で答えましたらば、市長はダイアナさんと英語でしゃべっていたという話になりまして、そんな一幕もありました。ダイアナさんのご冥福をお祈りいたします。
 ここで私が申し上げたいのは、単独型のデイケアセンターは、地域にいると必要だと感じていたけれども、法定の施設ではなかったから、なかなかできなかった。しかし、それを地域の篤志家の手によって実現することができた。そして同時に非常に効率的なやり方をやっていることをごらんいただければと思っております。

(3)日本初の専業ママの子育て支援施設「0123吉祥寺」
 3番目に「0123吉祥寺」があります。
 これは「0歳児から3歳児の子育てコミュニティ」と書いてあります。家庭保育をしている人の子育て支援施設です。これは武蔵野市が全国で初めてつくった施設でありまして、もう5年ぐらいたつわけでございますが、今やはり全国に広がりつつある施設でございます。
 これはどういうことかと申しますと、わかりやすく言うと、今の子供対策は、法律別になっておりますから、例えば、児童福祉法=厚生省=保育園となっております。それから、幼稚園の場合には、学校教育法=文部省=幼稚園ということになっているわけであります。つまり、法律別、官庁別であります。家庭で保育している子は対象になっていません。
 ちなみにこの「0123吉祥寺」をつくったときに、私がいつも考えていたのは、例えば、保育園には1300人ぐらいの子供が今行っておりますが、23億とか25億という金を使っております。幼稚園には、2300人ぐらいの子供たちが行っているけれども、この子供たちに武蔵野市は、民間の幼稚園に行っている子供には授業料の補助を出したり、あるいは市立の幼稚園を1園持っておりますから、それで一億数千万かかったりして、この2300人ぐらいに4億から5億のお金を使っております。
 ところが、ゼロ歳から5歳までの未就学児は、これを計画した段階で約7000人おりまして、保育園に行っているのが1300人、幼稚園に行っているのが2200〜2300人、合わせて3500人ぐらいでございます。7000人行っているうちの3500人は幼稚園か保育園に行っているけれども、残りの3500人は法の網から漏れているものですから、地域にいながら子育てのサポートは何もされていない。つまり、いわゆる子育てをお母さんを中心にやっている家庭保育の状態でございました。
 私は、これは全児童対策という観点から見ると、少し片手落ちなのではないかと考えたわけであります。そしてまた、さまざまなニーズを確かめてみると、孤立して、大体都会の生活というのは、「隣は何をする人ぞ」といった隣人関係が希薄でありますから、実は子育てをしながらも、ご主人はエリートサラリーマンか何かで朝早く会社、あるいは官庁に行って、夜遅く帰ってくる。土曜、日曜日というと、接待とか何とかいってゴルフなんかに行って、これまた朝早く行って夜遅く帰ってくる。あとは疲れて寝ていたりする。ほとんどそういう状態で子育てを母子がべったりでやるわけであります。
 今ちなみに申し上げておきますと、今の子育ては二極分化しています。どういうことかというと、お母さんと子供がべったりのいわゆる家庭保育と、片方では、保育園に預けているいわゆる長時間保育。大体今朝7時から夜6時半まで預かっていますが、また7時から7時までになって、それを30分ずらそうという話がありますから、大体12時間とか12時間半ぐらい預かる。こういうふうに徹底した母子分離の育て方と、徹底した母子密着型の育て型の二極分化している傾向にあります。
 そこで、私たちとしては、この二極分化しているのを、長時間保育の人たちはどこかで母子接触とか父子接触をさまざまな形で助長していくようにしなければいけないと考えたのです。母子べったりは、子育てということは極めて創造的ですばらしい、日々変化に富んだ尊い仕事ではありますけれども、ときには過酷な労働でもあります。したがって、よくあることでありますが、いつの間にか赤ちゃんのお尻がお母さんのつねった跡で青くなっていたり、そのぐらいならまだいいけれども、育児ノイローゼになって、お母さんが子供を抱えて電車に飛び込んでしまったり、ということもあるわけであります。
 電車に飛び込むほど極端ではないにしても、その前の段階はたくさんございます。どうやって孤立感をなくして、さまざまな形で子育てをサポートしようかという考え方の中から生まれたのが「0123吉祥寺」であります。これもぜひ武蔵野にいらした節は寄っていただきたいわけでありますが、延べ床で五百何十平米でありますから、二階建ての大きな家という感じであります。非常に入りやすい、スーッと入れるような、ここに写真が載っていますが、こんな感じですから、お屋敷街の中にあるちょっとした大きな家という感じであります。
 ここに4人のスタッフがおりまして、ここでは原則として母子ともども来ていただく。子供1人は預からない。つまり、家庭保育をしている人の子供同士の交流、親同士の交流、親子の交流、こういうことを自由にするところであります。火曜日から土曜日まであいておりまして、9時から4時までということになっております。お母さん方はここに来て子供たちと一緒に遊んだり、あるいは、自分の子供のためにいろいろ悩みを持っていたけれども、なあんだ、ほかの子と大して違わないじゃないかということを発見したり、あるいは、子供が家庭の中では、たった1人しかいなかったのが、他の子供たちと接触していろんなことになったり、それから、イベントを企画する場合には、例えばミニ動物園なんかやったりすると、子供たちが動物と一緒に遊んだりして、楽しく過ごすことができます。そういうふうなさまざまな仕組みをして、この中から、別に教育の場ではありませんから、うるさく言いません。また、保育園ではありませんから、子供を預かりません。お母さんと子供、子供同士、お母さん同士、あるいはもちろんお父さんでもいいのですけれども、こういう人たちがずっと育っていってくれるようにと考えた施設でございます。
 全国で初めてで珍しい施設であり、今全国の保育の研究大会とか幼児教育の研究大会なんかが開かれますと、必ずこの事例が発表され、ここの園長なんかが行って発表したりいたしております。こういうことがあって、今一番ビビッドなところでございます。
 1日どのくらい利用しているかと申しますと、1日80組くらいが利用をいたしております。80組ということは、2人ですから、160人ぐらいは利用しております。最近100組ぐらいになっちゃって、何だかラッシュアワーみたいになってきて、これではもう少し余裕が必要だということで、これは東に偏っていますので、町の真ん中に第2「0123」をつくろうということで、今準備にかかっております。吉祥寺、三鷹、武蔵境と駅勢圏ごとに、3〜4万人ぐらいの人口に1つぐらいつくればいいのかなと思っております。
 もう1つの悩みは、これが吉祥寺の東町にあるのですけれども、200〜300メートル南へ行くと練馬区とか、200〜300メートル東の方に行くと杉並区になるせいか、30%ぐらいが練馬区の方とか杉並区の方が利用しているわけでございます。(笑)他区の人は有料にすべしという意見も市議会の中でも一部あるわけでございますが、けちなことを言いなさんなと言っているのですけれども、やせ我慢も必要であります。やはり風格の市政をやるためには、そのぐらいやらないといけません。(笑)でも、練馬区や杉並区の方がいらっしゃったら、ひとつお願いしておきますが、どうぞそれぞれの区でまたこういう施設をおつくりになっていただきますようにお願いいたします。(笑)

 以上3つのケーススタディーを申し上げましたが、これらは交通問題、あるいは高齢者問題、あるいは少子化対策、子育て問題、こういう問題において、いずれも全国で初めて、全国で必要だと思われていたけれども、霞が関では考えつかなかったこと、住民に密着し、地域に密着をした自治体だからできたこと、そしてそのことが非常に時代の先取り、先駆けとして今日注目を浴びていることであります。
 そして、この3つの施設あるいは3つの施策に共通することは、可能な限り行政経費を減らそうとしてさまざまな試みをやっております。例えば、「ムーバス」などの場合にも、私は今この「ムーバス」を走らせる前に1つの提案をいたしまして、この地区に走っている関東バス、小田急バス、西武バスがそれぞれ出資をして「ムーバス株式会社」をつくり、そしてムーバス株式会社は、55歳以上65歳ぐらいまでの人を雇用したらどうか。そして、バスの経費はほとんど人件費ですから、今まで700万、800万取っていても、55歳ぐらいになって子育ての手が離れたら、これが500万ぐらいでもいいじゃないか、200〜300万下げたらいかがでしょう。仮に700万取っていた人が500万ぐらいに下げてもらって、そのかわり65歳まで雇用します。そのかわり500万円に対してムーバス株式会社は300万ぐらい払う。あとの200万は、例えば、小田急が出していたら、小田急が出して下さい。小田急にとってどういうメリットがあるかというと、200万出すけれども、わかりやすく言うと、700万の人を外に出して、新卒の300万の人を採ると、400万経費が削減されるわけです。そのうちの200万位を「ムーバス」に出してもらうわけです。そうすれば、ムーバス株式会社は結局1人の運転手に300万ぐらいで回すことができるわけですから、100円で十分採算がとれるわけです。
 ですから、「ムーバス」という足が定着するためには、なるたけ経済性に乗らなければいけないわけだから、そのためには「ムーバス株式会社」をつくって、新しい再雇用制度みたいなのをつくる。バスを経営されている方はおわかりだと思いますけれども、バス会社は若い体力のあるときは観光バスに乗せるんです。それから、体力が落ちてくると路線バスに乗せるのです。もっと体力が落ちても、路線バスしか乗せようがないから、乗せているのです。例えば、もっと体力が落ちたけれども、熟練してきた55歳ぐらいになったら、例えば、「ムーバス」みたいな時速15キロぐらいで走る小さなバスに乗ってもらえば、その方は65歳まで働くことができる。
 つまり、新しい雇用を生み出しながら経費も安くなる。こういうことができるではないかと考えているわけですけれども、そんなことをしたら路線免許が下りないというから、やむなく委託をしております。しかし、委託をしている関東バスと既に協議に入っておりまして、第2号路線には、関東バスの再雇用職員を十分訓練した上でベテランを充て、必要経費を安くすることを考えております。
 デイケアセンターについても、先ほど申し上げたとおりでございますから、本来なら20人ぐらいでやるところを5人でやっています。そのほか「0123吉祥寺」も、実は、通ってくるお母さんの中から、当番を決めていろんなことをやってもらったりしています。つまり、それぞれの格好で自治、工夫ということで、経営という観点から言っても、いわゆる社会的ニーズをいかに少ない経費でやっていくかということについて、配慮した施策になっているのではないかな、と考えているわけであります。



規制緩和……三層の政治

 大きな2点目として、「規制緩和……三層の政治」ということを申し上げておきたいと思います。
 今さまざまな政治が混乱しているとか、あるいは混迷している。どの方向に行ったらいいかということについて悩んでいる。確かに悩んでおります。そして、時代は規制緩和、規制緩和ということがよく言われます。しかし、私は規制緩和ということをばかの一つ覚えのように言っていることについては、かなり疑問を感じているわけであります。規制緩和というのは、失敗した例がたくさんございます。
 建設省の都市局や総務審議官の前で私はっきり申し上げたのですけれども、例えば、今から数年前に行ったリゾート法などというのは失敗した。なぜ失敗したか。あれは規制緩和の手法を使ったわけであります。リゾート法というものに基づいて総合計画らしきものを立てたところには、特別に規制緩和をして、本来建てられないようなもの、石1つ動かしたって文句を言われたような自然公園法などの網のかぶさっているところの網を取っ払って、そこにリゾートマンションでも何でもいいから建てなさいという手法をとりました。
 確かに一時期は景気がよくなったようでした。しかし、地方にとってみると、そういうのをやっているのは大概大手ゼネコンの皆さんがやってきている。余り地域還元はなかった。しかし、一定の景気はよくなった。しかし、景気はよくなって、気がついてみたら、潮が引くように引いた後には、何階建てかの建物が残って、それがちゃんと使われているならともかく、つくったのも東京の大手のゼネコン、またそれを買ったのも、値上がり目当ての東京の人、そして週末になっても、ほとんど灯がつかない。300戸ぐらいのマンションのところに、せいぜい10戸か20戸ぐらいしかいなくて、廊下を歩いていると、自分の足音がこだましている。(笑)しかも、最悪なことには、景色の一番いいようなところに建てるから、自然はなかなかもとには戻らない。こういうことがあるわけです。これは規制緩和が余りうまくいかなかった例の典型でございます。
 ですから、今世の中によく言われている規制緩和についてはよく考えてみないと、取り返しのつかないことになるから、私は何が大事かということをよく考えなければならないだろうと思っております。
 私は、小さな町の政治家ですから、全国的な事例を多くは知りませんし、あるいは、責任を持った発言はできないですけれども、私がいろいろ心配していることがあります。一番長期的に見て心配しているのは、海が汚くなっていることであります。例えば、私たちの姉妹友好都市の中でも、瀬戸内海の海を持っているところとか、酒田とか幾つかあります。そういう海が年々汚くなって、例えば、瀬戸内海とか日本全国のところで磯焼けといった現象が起こってきます。要するに、一番生命活動が活発な大陸棚に海草なんかがつかなくなったりして、荒涼たる死の海になるといった現象が少しずつ起こったりいたしております。農薬のせいだとか、あるいは土砂が流れ込まなくなったせいだとか、いろんなことが言われているわけでございますが、これなどはむしろ規制をいろいろかけていかなければ、大変なことになるのではないでしょうか。
 有名な科学者、ジェームス・ラブロックが「ガイア仮説」を打ち立てましたが、彼などは、大陸棚の持つ生産力は、植物性プランクトンの酸素供給、地球の温暖化も含めて大変大事だということを、その著書の中で強調いたしております。
 恐らく21世紀を考えた場合に、一番問題となってくるものの中に、やはり環境問題があるだろうと思っております。規制緩和ということがいわれておりますけれども、その1つの問題点は、例えば、今度の12月に行われます地球温暖化防止京都会議がありますが、これは新しい規制をどうやってつくるかという話でございましょう。
 私は、21世紀の中で最大のテーマになるのは、資源とか廃棄物といったものを含めて、地球環境問題ではなかろうかと思っております。これを正確に申しますと、人間の生産活動が大きくなって、水循環、大気循環、エネルギー循環や、物質循環や、こういうものの中で、なかなか人為の活動が処理し切れなくなってきている。対流のエネルギーとか、地球全体のシステムを乱すような勢いになってきているところに問題があるのだろう、ということがだんだんわかってきたように思います。
 21世紀の最大のテーマ、高齢化問題などというのも、人類が初めて行き当たった問題であります。400万年の歴史の中で、こんなに大勢の人が長生きするようになったのは、この40〜50年が初めてであります。だから、高齢化問題なども極めて前衛的なテーマでありますけれども、しかし私は、地球環境問題は最大のテーマになるだろうと思っております。
 これは国連の統計でありますが、その根底となっているのは人口と1人当たりの消費エネルギーの問題であります。こういう問題にどう対処していくか。人口のこと1つとってみても、国連の統計によりますと、人口研究諸家の推計による推計、つまり人口研究家がいろいろいて、いろいろ推計しています。それをまた推計して平均値をとってみると、一体どのぐらいになるかという数値がございます。これは国連で発表された数字の中で、1900年のときに13億から17億地球の人口があったと考えられています。それが今世紀末には60億になるわけであります。
 これはどういうことかといいますと、13億から17億の間をとって、わかりやすく15億とした場合には、この100年間で15億が60億になったわけでありますから、100年間で4倍であります。100年間に4倍というのは暴走に近いわけであります。100年間に4倍ということは、その次の200年で16倍、その次は六十何倍、その次は250倍というピッチであります。500年たつと1000倍というピッチであります。こんなことは到底不可能であります。カール・セーガンをはじめ、多くの科学者が計算しておりますけれども、今の西欧人のようなエネルギーの使い方をしていて地球がもつのは100億ぐらいだろうと言われておりますから、あと40年しかタイムリミットがない。私はアンチ・ヒューマンな時代が来るかもしれないという感じを持っております。

(世界基準)
 私たちは、そこで規制緩和というけれども、よく考えてみると、いわゆる世界公準、グローバルスタンダードといったものがあって、そのグローバルスタンダードはどの分野で適用するのか。貿易の分野で適用するのか、金融の分野で適用するのか、あるいは環境問題のような分野で適用するのか。
 つまり、規制緩和といっているけれども、要求されていることは、一定の世界的な基準で同じような競争をやりましょう。最近の言葉で、「総資本主義化」とか「総市場主義化」といった言葉がありますけれども、主として今言われるのは、規制緩和というのは、アメリカの基準のようなやり方を日本もやりなさい。あるいは、EC諸国のような基準の仕方をやりなさいよと言っていることのようにも聞こえます。だから、日本人は規制緩和なんていうことに余り惑わされてはダメです。それはよく考えると、アメリカの基準に合わせろという要求かもしれない。
 ついでに申し上げておきますと、私は、やがて橋本首相の胸の内を察すると──ここから先は非常に無責任なお話として受けとめていただければと思います。私が武蔵野市のこと以外で言ったことは、ほとんど一政治家としての漫談と考えていただきたいと思います。(笑)
 私は、もう間もなく、1999年か2000年ごろ、消費税が8%ぐらいにアップするのではないか、こういうプログラムがあるのではないかと考えております。御承知のとおり、1999年にEUは通貨統合をいたすという目標を掲げております。この間ベルギーの大使館の参事官と話したら、ベルギーは大丈夫だと言っていましたけれども、いわゆる財政赤字をGDPの3%以内におさめるというのが、ユーロに通貨統合する際の1つの基準になっております。これが果たして1999年に達成できるのかできないのか、ということが1つ非常に問題なのですけれども、仮に大多数の国が達成するとします。あるいは達成できないかもしれません。フランスでは、シラクに対して、そんなに性急にやるなよ、ユーロなんてとんでない、フランの方がいいといってノーということになりましたし、西独もコールに対するプロテストがありました。したがって、そのプログラムどおりいくかどうかわかりませんけれども、仮に1999年にいったとすると、EU諸国で共通した基準がGDPの3%とかいう基準が出たときに、それはどうなるか。恐らく日本もそれの数値に合わせろなんていう話になってくるでしょう。これは一種の規制緩和というよりも、グローバルスタンダードと言った方がいいです。多分そういう基準でいきましょうということになると思います。
 そういうことになってくると、日本はどうかというと、今の基準では到底そんなことはできません。財政赤字をGDPの3%以内におさめることは不可能です。毎年毎年医療費とか社会福祉費だけでも1兆円ぐらいふえていくわけですから、それは到底不可能です。
 そうするとどうか。つまり、私が橋本首相の胸の内を考えると、今ともかくも行政改革をやって血を流して、行政も頑張っているんだというところを国民の皆さんに理解してもらって、その挙げ句増税を勘弁してもらう、こういうプログラムがあるんじゃないかと思うんです。
 ところが、2000年というのは衆議院のちょうど任期満了のときですから、1999年あたりに解散をしておいて、2000年あたりに消費税を8%ぐらいにするということになるのかな、ならないのかな、当たるも八卦、当たらぬも八卦という感じですが。
 何を申し上げたいのかというと、私たちは世界公準といったものがさまざまな形で問題になるだろう。かつてスーパーパワーと言われたアメリカでさえ、日本を相手にしてWTOに訴えますよと言って問題解決を図ろうとしている。つまり、世界公準、世界基準を今つくろうとしているわけであります。気象変動条約のことも1つであります。そういうことの結果として、規制緩和ということを言っているわけですから、規制緩和ということの中身を考えてみないと、いろいろ問題は出てくるのではないかという感じがいたしております。

(日本のグランドデザイン)
 そしてもう1つ申し上げますれば、それでは日本のグランドデザインみたいなものはどうやって決めていくのか、今国民が増税に対して反発したり、あるいは私たちが行く末を思って何となく不明瞭な気持ちになったり、あるいは不機嫌になったりするというのは、一体どこにあるのかというと、先が見えないからだと思います。先が見えないからというのは、我々は多少の苦労をしても、先が見えるなら苦労するという気構えがある。だけど、先が見えない。先が見えないのは、日本のグランドデザイン、例えば、日本という国をどういう国にして、そして私たちが後世に残すべきものは一体何なんだとか、そういうことをしっかりと目標値にしていないからではないかと思っております。
 規制緩和したことによって、白砂青松がみんななくなって、はるばる行ったらテトラの海だったということになっていいのかどうか。「我は海の子 白波の」という歌に思い出すような白砂青松の海浜はどこに行ったのだろうか。あるいは、天然林や手つかずの自然はどこに行ったんだろうかという国土に対する愛着とか、そういうことも含めて、我々はどういうふうな国に持っていくのかという日本のグランドデザインということについて、国政の任にある人はしっかりとやってもらいたいと考えております。

(地域の独自性)
 もう1つ、これからの時代は、さまざまな形で変化したりして、今第1番目に私が 「ムーバス」やデイケアセンターや「0123吉祥寺」の事例で申し上げたように、場合によっては、それぞれ地域の人たちの自治に任せてやっていただいた方がうまくいくといったことはたくさんございます。それは、伝統的なお祭りとか、伝統的な習俗といったものを守っていくことと同時に、言ってみれば、地域の独自性、ローカル・アイデンティティーということだろうと思うのです。
 ですから、地方分権とかいうことが論議されるときに、やはり日本のグランドデザインがあって、そのうちのどの部分を本気になって地域に任せようか、そしてそれは例えば、A市とB市と北海道と東京では違っていい部分はどこだ、共通する部分はどこだ、世界的に共通する部分はどこだという三層の政治がうまく組み合わさっていかないと、これからの人類と日本の未来はなかなか難しい。とりわけ戦略的な課題であります環境問題、これは資源の問題、食糧の問題、廃棄物の問題、大気汚染の問題を含めたようなトータルなものを考えていく際に、グローバルスタンダードをつくっていく試みは非常に大変なことになってくるのではないかなと考えております。

 そこで、20世紀ももう終わりに近いわけでございますが、20世紀を振り返ってみた場合に、後世の人は何と呼ぶのかと私も考えてみました。いろんな規定の仕方があると思います。社会主義が登場して終焉した世紀だとか、いろんなことがあると思います。その中で私は2つあると思います。
 1つは、科学技術が飛躍的に発展した時代。極小から極大がわかるようになった時代。もう1つは、人口爆発の時代ということになるだろうと思います。一言でいえば、掛け算の時代であります。掛け算をして右肩上がりでどんどん坂を登っていく掛け算の時代であります。
 ところが、21世紀は、やはり100年間で人口が4倍になるということは、到底不可能な理屈なのですから、500年間で1000倍になって、1000年間で100万倍になるのですから、こんなことは絶対不可能です。21世紀は、繰り返し、繰り返し安定成長、逆から見ると、停滞型社会。こういう社会になったとき、果たして市場経済なんかはこれだけでうまくいくのかどうか。
 私はよく言います。社会主義対自由主義の戦いは終わった。自由主義は勝った。だけど、市場経済が100%勝ったのだろうか。これらについては、今後新しい課題となるのではないだろうかと思っております。もし20世紀を“掛け算”の時代とするならば、21世紀は“割り算”の時代ということにもなるのかなと考えております。
 左右の対立の時代は終わった。しかし、さっき言ったように、世界と日本、日本と地域社会、中央政府と地域社会といった上下の対立が始まるのではないか。左右の対立は終わり、上下の対立が始まる時代に差しかかっているのではないだろうかと考えている次第でございます。
 まとまらない話でございましたが、御清聴ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口)
 どうもありがとうございました。
 それでは、御質問、御意見その他ありましたら、どうぞ御遠慮なく、手を挙げていただいて、よろしくお願いいたします。

長塚(長塚法律事務所)
 弁護士の長塚です。
 高齢化時代に向かっての介護保険とか、いわゆる福祉行政について、何かご提言をお持ちのようですが、落とされたようで、その辺をひとつうかがえればと思いますが。

土屋市長
 それでは、時間が余りないようでございますので、簡潔に申し上げます。お手元に資料をお配りいたしております。
 介護保険は、国民の間で大分認知されてくるようになりましたので、大体皆様方おわかりのことと思いますが、わかりやすくいいますと、今まで家族介護を中心にやってまいりまして、さっきお話をいたしましたデイケアセンターとか特養とかというのは、むしろ例外の出来事だと考えられておりました。お年寄りは家族で見るんだよということでございましたが、しかしながら、核家族化が進み、さまざまな社会的条件が変化いたしました。
 家族介護を支えていた条件は3つあると思います。
 1つは、昔の人は余り長生きしなかったこと。もう1つは、子だくさんだったこと。もう1つは、産業構造が、農業とか商業とか、家族を含めて1カ所にまとまっていることを許した時代。この3つの条件が、今は3つともありません。
 昔は「70歳古来稀なり」と言いました。現在「古来稀なり」、古稀というのは100歳ぐらいではないでしょうか。70歳を「古来稀なり」なんて言ったら怒られてしまいます。つまり長命になりました。そうすると、90歳の父母を60代の子供が見るといった現実がたくさんございます。現実に武蔵野市の元医師会長さんなんかは、60代半ばで90代のお父さんの面倒を見ております。
 同時に、子供が1人とか2人とかしか生まれなくなりましたし、その子供が地球の裏側まで飛んでいって仕事をしているといった状態になりますので、家族介護を支えていた短命、子だくさん、一緒に住んでいるという3つの条件が完全になくなっているのではなかろうかと思います。
 したがって、家族介護から社会介護へ、あるいは公的介護へと移っていかざるを得ない宿命だろうと思います。このことについては、だれもが否定できないだろうと思っております。
 ただ、公的介護制度をつくるにはどうしたらいいかということについては、いろいろ論議が分かれております。今厚生省が出した政府原案は、公的介護を保険制度でやろうといたしております。保険制度ですから、被保険者の範囲を決めて、そこから保険料をいただいて、それに公費を負担して、それによって給付をしようという仕組みになります。理屈だけからいくと、まあまあいけそうだなと思うのですけれども、実態はなかなかそうはいきません。
 現在厚生省が考えている介護保険の骨子といったものは、このペーパーの見開きのところに書いてありますから、どうぞ御参照いただきたいと思います。下に小さな字で書いてあって恐縮です。わかりやすく言うと、6000万人いる40歳以上の国民を強制加入させ、この人たちに保険料を払ってもらうことによって、それを財源として保険給付をしようという仕組みになっております。
 ところが、いろんな問題がありまして、細かくはこの中身を読んでいただきたいわけでありますが、ちょっと項目的に申し上げますと、まず第1項目として、私どもが心配しているのは、「保険あって介護なし」では困るということを申し上げているわけであります。
 これは先の話ではありません。2000年の話です。2000年というと、もう丸3年しかないのです。3年後に仮に介護保険を適用しようとしますと、当然そのとき被保険者になった方は、平均して月額2500円の保険料を取られます。これは65歳以上の人も40歳以上も全員です。40歳以上の人は、例えば、大会社に勤めている人は、雇用者がその半分を持ちますから、被保険者は1250円、いずれにせよ2500円と考えていただいて結構でございます。2500円負担することになります。年間3万円負担するわけでございますが、年間3万円負担をすると、当然のことながら、自分は保険に入って保険料を負担しているのだから、保険給付をしてくださいということになります。これは当たり前のことであります。
 ところが、2000年から保険をスタートさせようとしているわけでございますが、実はどこの市町村でも、保険を導入したとしても、十分な介護を供給するだけの力がない。これははっきりしているわけであります。
 例えば、武蔵野市の例をとってみたいと思います。一番わかりやすい例に、特別養護老人ホームがあります。特別養護老人ホームは、24時間お世話をする施設でございます。私が市長になったとき、25ベッドしかなかったのが、十何年間で今280ベッドと10倍以上にしました。しかし、これを厚生省が言う新ゴールドプランという目標を立てて、330床にすることにいたしました。3年間であと50床です。頑張れます。つくります。私は2000年までにあと50床つくるということをはっきりと公約を掲げておりますし、具体的な準備にも入っております。だから、新ゴールドプランは達成できます。
 ところが、武蔵野市で特養の待機者は現在150人いるのです。ですから、280から330まで、あと50床つくったとしても、あと100人が入所出来ないのです。これをどうするのかという差し迫った問題があります。新ゴールドプランを達成しても、100人足らないのであります。
 ところが、全国の市町村は新ゴールドプランも達成できないといっているのです。達成できない市町村が5割から7割あるのです。ですから、10月3日に全国市長会が正式に、これじゃダメですよと、ここに書いてあるようなことを厚生省に正式に申し入れております。
 次に問題なのは、2番目の介護の認定の問題であります。保険給付をする場合に、6段階に分けていたします。3ページの右下に書いてあります。細かい内容は、後で読んでいただきたいのですが、今御理解をいただきたいのは、その人の介護の状態によって6段階に分かれますという内容になっております。
 ところが、この6段階はだれが決めるんですか。これはコンピュータが決めます。どういうことによって決めますかというと、調査員が、土屋なら土屋のところへ来ます。そして、その人の状況を見て、左半身がまひだなとか、いろんなことを調べて、マークシートで71項目に対して印をつけます。約1時間の面接で、マークシート方式で71項目についてつけます。それをコンピュータにかけて、「はい、あなたは何級」というふうに判定するわけであります。そしてそれを第1次判定として、さらに5〜6名の人たちによる判定委員会で再度判定して、最終的にあなたは何級ですよということになります。その際かかりつけ医の意見も聞くことになっております。約30日間かかります。
 しかし問題は何かというと、ここで皆さん、考えてみてください。71項目でコンピュータが判定して、うまく判定できるのでしょうか。──判定できません。昨年、東京都の中で、保谷市と品川区で、試しにその71項目でやってみました。35%が間違いです。つまり、コンピュータの判定と実態とがずれていたわけであります。細かいことを言い出すと切りがありませんから、以下省略いたしますが、要するに、コンピュータではちゃんと判定できないことがわかりました。これはコンピュータのマークシートをつくった人が言っているのです。在宅のケースなんかの場合には、変数が多過ぎて、うまく適用できない。このコンピュータのマークシートのプログラムをつくったのは女性ですけれども、その人が言っているのです。
 皆さん、その結果、どういうことになりますか。自分はこのぐらい重いと思っていたのが軽く判定されたら、当然のことながら、不服審査が起こります。どのくらい不服審査が起こるのかというと、1995年ドイツでは、介護保険を入れましたけれども、この介護保険で1年間に8万件の不服審査が起こっております。その中には訴訟に至っているのもたくさんございます。ですから、ドイツの人口を日本に置きかえてみますと、大体日本では12〜13万件の不服審査が起こるだろうと考えられております。
 そのほか、困ったときにすぐ必要なサービスなどは受けられませんよとか、サービスメニューは自由に選択できるのでしょうかとか、いろんなことが書いてあります。
 5点目として、もう1つの問題点は、やはり毎月の保険料、1割の利用者負担、保険外負担といったことが起こってきて、低所得者に対して非常に重くなってくるということであります。同時に、また1割の定率負担ですから、妙なことも起こってまいります。
 大きく分けた5の一番下のケースを見ていただきたいわけでございますが、実は 1000万の所得がある人は、年額の保険料が4万5000円でございます。この結果どうなっているかというと、4万5000円を払えば給付を受けられますから、 1000万の人にとって4万5000円は大した金額ではございません。実際に武蔵野市で1000万以上所得のある方は大勢います。こういう人は、どういうことになるのかというと、もしこういう人が倒れて寝たきりになって、常時介護が必要だということになれば、特別養護老人ホームに入ってもらうことになります。特別養護老人ホームに入りますと、大体年額にして400万程度でございますから、その1割の40万円を負担すればいいことになります。
 いいですか。高額所得者の皆さん、高額所得者の息子さん、娘さん、お父さんが倒れることを期待してください。そして、お父さんがなるたけ倒れて特養に入ったまま長生きすることを期待してください。
 なぜでしょうか。例えば、1000万所得がある人でも、特養に入ると、一部負担金の40万ぐらいで3食ずっと面倒を見てくれるわけです。不動産所得の方が特養に入ると、つまり、残り960万ずつ残っていくことになります。社会的費用が高額所得者の人に対して移転をしているわけでございます。それですぐ死んでしまったら、すぐ遺産相続になってしまうわけですけれども、10年ぐらいずっと特養に入っていただきますと、毎年960万ずつ残っていくわけでございます。非常に矛盾のある制度になっております。今の制度は、所得のある人については、一定の割合で実費に近い格好でいただきますよという制度になっております。
 そのほかいろいろ問題があります。それから、介護保険は地方分権を否定する一律の制度だということで、6ページに書いておきました。これは介護保険法案には215の条文があるのですけれども、このうち政令や省令に委任している項目が296項目ございます。ほとんど政省令に委任していることになるだろうと思っております。
 この間日本テレビの朝8時からやっている桂文珍さんのテレビに小泉厚生大臣が出てまいりまして、市町村が条例で決めてもらうのだから、これは地方分権の制度だとおっしゃいました。私は、あの方は正直におっしゃったのか、あるいは知っていておっしゃったんじゃないかなと思いますけれども、政令の基準に従って市町村の条例で決めるということになると、政令以外の基準で決めることは不可能でございます。法令に違反した条例は無効だという明快な法律がありますから、例えば、政令で給付水準を幾らにしなさい、保険料を幾らにしなさいと決めた場合には、それ以外の方法で決めた場合には、行政法上の無効の問題が出てまいります。したがって、厚生省が政省令で決めたら、そのとおりそっくり、その基準で条例で決めることになるでしょう。これは今の法体系の中で明らかであります。ですから、小泉さんは、ほかのところはうそをついていないと思うけれども、あのところはうそをついていると私は思っております。
 したがって、重大なことは全部厚生省が決める仕組みになっております。その仕組みは、右側のところを見ていただければわかりますけれども、考えてみたら、国会議員の皆さんも随分なめられた法律を出されているなと思っております。
 なぜかというと、国民年金にしろ、健康保険にしろ、給付水準は必ず法律の中で明記されております。例えば、健康保険法という法律の中では、健康保険の料率を、政府管掌の健康保険を何%にしますよということを法律で決めて、四十何級まである標準報酬表によって法律の中できちっと決めておくのです。つまり、国民の代表がこれを議決する。これは租税法定主義の基本でありますから、もちろんこれは保険料でも事実上租税であります。なぜ租税かというと、国税徴収法の例に従って滞納処分もできるわけですから、これは事実上租税でございます。租税を決めるのを厚生省令に委任してしまうことができるのでしょうか。
 つまり、今審議されている介護保険法は、法学でいうところの包括的授権法であります。つまり国会で一応法形式をとっているけれども、その具体的な中身の国民に負担を求めたり、国民に給付したりする、その水準は、厚生省、あんたに任せるよという法律です。こんなことをよく国会議員さんは黙っていらっしゃる。つまり、大事なことはおまえ決めていいよ、おれたちは形式だけ決めるよ、わかりやすく言えば、こういう話です。今までの社会保障の関係の中で、際立って国民の代表が参加できない法律ということになっております。
 厚生省はそうではない、地方自治体が条例で決めるのだと言っておりますけれども、さっき言いましたように、政省令で決める限り、これ以外のことは決められないわけですから、非常におかしな話だと私は思っております。
 ついでに7点目に申し上げておきますと、行政改革に全く反すると私は考えております。それはどういうことかと申しますと、保険である以上、必ず保険証を発行するとか、正確にいうと、被保険者証とか、あるいはそれの資格を受けるとか、失うとか、資格得喪事務。それから、保険料を賦課徴収する事務、納付する事務、こういうものがかかってまいります。さらに判定事務がかかってまいります。こういう事務に大体どのくらいかかるかというと、厚生省は800億と言っておりますが、全国で恐らく2000億かかるだろうと私は思っております。
 この2000億は、これしか方法がないならばやむを得ないことだけれども、後に私が申し上げるような租税方式をとれば、保険料をかけるとか、保険証を出すとか、こういうことは一切必要ないのです。
 「武蔵野市からの提案」のところを後でまたごらんいただきたいと思いますけれども、まず介護保険は、地域の力を極めてうまく活用した方がいいと考えております。
 そこで、消費税賦課方式にして財源を調達したらどうか。そうすることによって、徴収経費はゼロになるわけであります。かてて加えて、それを65歳以上の年齢に応じて、例えば、A市には65歳以上の人が1万人、B市には5000人いたとすると、それぞれ1万人と5000人というふうに65歳以上の年齢で配分をして、それぞれ市町村が中心になって、どういうふうな介護をするかということについては、例えば、デイケアセンターをつくるのか、在宅サービスに重点を置くのか、あるいは施設をつくるのかということは、それぞれ市町村ごとに決めればいいじゃないか、ということを具体的な提案としてやっております。
 大事なことは、先ほど申しましたように、介護認定をめぐって必ず不服審査があったり、その結果として訴訟が起こったりすると思っております。これはどういうことかと申しますと、大体2000年に要介護になる人は280万人いると考えられています。280万人いるとすると、280万通りの介護の状況があるのだろうと私は思うのです。
 例えば、今私は母親が左半身まひで介護しております。介護保険の議論をしているうちに母親が倒れちゃったんです。本当に皮肉なもので、我が身に振りかかってきたわけでありますが、それはともかく、母親の状態を見て、左半身まひといっても、その人によって全部違います。自分で自立してトイレに行ける人とそうじゃない人といろいろ違います。自分でご飯を食べられる人もいるし、さまざまな状態で変わります。
 つまり、私が申し上げたいのは、もし2000年に280万人の要介護者がいたら、むしろ医療と同じように、280万通りの治療、280万通りの介護が必要なのではないですか。その280万通り違っているものを無理やり6通りにおさめようとしているから、私は何級だとか、いや、そうじゃないとか、そういう問題が起こってくるのではないでしょうかということを考えております。
 さらに、今問題となっていますところは、本人の身体的な状況だけを基準にしているのです。ところが、どうでしょうか。家族と一緒にいる人、住宅を改造して車いすで対応できる人、家が狭くてそうでない人、つまり、本人の身体的条件プラス家族の状況、住居の状況、あるいはその人が今までどういう生活を送ってきたかによって違います。
 例えば、武蔵野なんかでも、あるボランティアをやっていた人が倒れました。そしたら、ボランティア仲間は、10年もボランティアをやってきた人だから、みんなで助けようといって今疑似家族になって助けている。そういうことだってあるでしょう。
 つまり、身体的条件以外に、家族の状況、あるいは住宅の状況とか、その人がどういうサークルに入っていたかとか、それを言うと、家族、血縁、地縁、コミュニティ縁、NPOというものがいろいろ出てくるだろうと思っております。
 したがって、私は、10ページ、11ページぐらいに書いてありますように、北海道のAさんと、東京のBさんと、沖縄のCさんとでは給付の条件が違うのではないかと考えております。
 さてそこで、最後に申し上げておきますと、私は、今度の介護保険法で最大の問題点は、確かに家族介護だけではやり切れないというのはわかっているのですけれども、家族介護より社会介護が優先するのだろうかという、基本問題にかかってくるだろうと思っております。これからの介護保険は、現金給付ではなく現物で給付しますから、家族だけで介護していて、それでやっていける人に対しては、ホームヘルパーなんかは行かなくてもいいということになると、そういう人たちに対する現金給付もありません。12、13ページに書いてあります。
 21世紀の介護を『保険に入って保険料を納めたのだから給付を受けて当然』とい う権利と義務の関係だけにしていいのでしょうか。もちろん、介護を必要としている人に対して権利を保障していくことは大事なことです。また、受給者が権利意識をもって公的介護をチェックしたり、それに伴う義務を履行することも必要です。
 しかし、家族やそれを支えるボランティアや隣人を含めた大勢の人々の奉仕と感謝の精神が、それに付け加えられなければならないと思います。
 権利と義務という社会保障の根本と同時に、日本の地域社会の温かい人間的な感謝と奉仕が付け加えられれば、本当の意味で血の通った介護を実現する社会となるでしょう。 こういうことを申し上げ、一番最後のページに、

◎日本国と日本国民は、永年社会に貢献してきた長寿者、高齢者が不幸にも倒れ、社会的介護が必要になった時に、公的援助によって支えられないほど貧しいのでしょうか。

◎新しい介護制度を創るにあたっては簡素・明解・公正で、事務経費がかからない効率的な制度とすることをまず第一に念頭に置くべきです。

◎介護は、本人の自立、自尊の精神を大切にしながら、家族、地縁、血縁、ボランティア、NPOなどコミュニティの力で支え合うことが大事です。市町村ごとの自主性、独自性を生かし、介護に取り組むことが大切です。地域社会の底力を活用しましょう。

◎私たちは今、岐路に立っています。21世紀の日本の地域社会を、不服申し立てが 続出する対立と不信、権利と義務だけの訴訟型社会にしていくのか、あるいは、権利 や義務を大切にしながらも、それだけでなく血の通った奉仕や感謝といった人間としての役割を付け加えた、温かいうるおいのある地域社会をつくっていくのか、今私たちはその選択を迫られているのです。

 ここが問われているのではないかと私は考えているわけであります。ですから、今の介護保険という制度には、いろいろむだも多いし、地方の市町村の裁量を否定しているし、さまざまな形で非人間的ではなかろうか、こんなふうに考えて問題提起をしているところであります。
 大変説明が長くなって恐縮でございます。

司会(谷口)
 ありがとうございました。
 ほかにもまだご質問がおありかと思いますが、残念ながら時間になってしまいました。本日はこれで終わらせていただきます。最後に土屋市長に再度拍手をお願いいたします。ありがとうございました。(拍手)


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