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第122回都市経営フォーラム

資源循環型社会への道

講師:三橋 規宏 氏
日本経済新聞・論説副主幹

日付:1998年2月18日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

無限で劣化しない地球
資源、エネルギーの枯渇、環境破壊
有限で劣化する地球








  皆様、こんにちは。御紹介いただきました三橋でございます。
 私は、新聞社の中では、マクロ経済を中心にこれまでやってきたわけです。マクロ経済と申しますのは、財政とか金融政策、あるいは景気の行方といったものを扱うポジションです。私が環境問題を扱うに至った背景を申しますと、今から8年ぐらい前の1990年ごろ、たまたま科学技術部長になり、環境問題に触れまして、環境問題が引き起こす深刻な問題に対して考えるところがあったからです。環境問題はいわゆる地球環境の破壊の現状を告発して、こんなに傷んでいるではないか、あるいは森林がここまで破壊されてしまったというファクトの指摘は非常に重要だと思います。しかし、もう1つ、破壊された環境をいかに修復させていくかということがさらに重要ではないかと考えるに至ったわけです。
  そこで私は、財政金融政策と並んで、3番目のマクロ政策は環境政策ではないかと考えて取り組み始めているわけです。私にとっては、環境問題、環境政策というのは、財政とか金融政策を扱うのと同じ次元で、非常に広い政策として取り組まなくてはいけないのではないかと思い至ったわけです。
  今から3年ぐらい前になりますか、1995年という年は、ちょうど戦後50年、これからの50年を展望していく節目の年だったわけです。このとき社説で何を書くかということで、論説委員会の中でいろいろ議論がありました。その中で私どもは、「環境の世紀への提案」を95年の元旦の社説で連載いたしました。同時に、社説を1回だけ連載するのではなく、できるだけ長期間にわたって環境問題の重要性を指摘しようということで、その年は元旦から始まって、ちょうど5月の連休明けまで、飛び飛びでしたけれども、合計31回の連載社説をやったわけです。
  戦後私どもの新聞は、産業界の発展とともに部数を伸ばしてきて、現在300万部の新聞になっているわけです。その日本経済新聞が、戦後50年目の節目で「環境の世紀への提案」という社説を書いて、企業に環境コストを積極的に負担しなくてはいけない、炭素税なども躊躇せず導入すべきであるという社説を書いたために、いわば産業界にある種のパニックを引き起こしてしまい、一部の企業経営者からは「日経は我々を裏切るんじゃないか」というお小言をいただいたこともあるわけです。
  そのとき私は、そういう方々に申し上げたわけです。戦後50年はパイを大きくさせるために、できるだけ高い経済成長を実現させていく、企業を大きくする、そういうことが必要だった。しかし、今成熟社会になって、いろいろな社会インフラも整った現在、今までのようなやり方で経済を発展させていくと、マイナスの方が大きくなる。特に21世紀は環境問題に配慮しない企業あるいは企業経営は破綻するであろうと申し上げたわけです。つまり、今の成長促進型の経済発展をどんどんやろうとしても、もうそれを環境と資源の制約が許さなくなっている。もしあなた方が21世紀も存続したいならば、やはり環境問題に対して思い切って人材とお金を投入しなければ、21世紀中ごろまでに次々と歴史ある企業も姿を消すのではないかということを申し上げたわけです。
  幸いなことに連載を10回以上やるに至って、日経さんがそこまで環境問題を真剣に議論するならば、我々企業も環境問題に対して積極的に取り組んでいかなくてはいけないであろうと企業経営者の考え方も大きく変わり、5月の連休明け、31回の連載社説が終わった後は、むしろよくやってくれたと企業経営者の方々からお褒めもいただいたということでございます。その意味で、日本経済新聞が環境重視を積極的に提言していく新聞の先陣を切ったということでございます。
  1年おくれまして、朝日新聞が「地球人の世紀へ」というやはり社説で連載を始めました。これはもう2年ぐらい続いてやっております。したがって、「地球人の世紀へ」という社説は、もう50回以上になるのではないでしょうか。さすがに朝日新聞らしく、粘りのあるキャンペーンをおやりになっておるということで、私も敬服しているわけです。
  ただ、私ども経済活動をフォローしてきた新聞が真っ先に環境重視への転換の重要性を指摘したという点で、私は産業界への一定の影響を与えるという点で貢献できたかなと思っております。それ以降、私どもは環境問題にかなり力を入れた紙面づくりをやっております。
  もちろん個々の記事を見ると、これはちょっと環境的におかしいのではないかというミスリードの記事もあると思います。しかし、全体として環境を無視しては、企業の存続ができないだろうという点については、次第に浸透してきておると思っております。
  そこできょうは、主にOHPを使わせていただきながら、日ごろ考えている「資源循環型社会への道」ということについてお話しさせていただきたいと思います。
  あらかじめ皆さんにお伺いしておきたいのですけれども、「ゼロエミッション」という言葉は、きょう話をする1つの核になるわけですけれども、「ゼロエミッション」という言葉を今ここで初めて聞いたという方はちょっと手を挙げてみてください──大体の方はご承知なわけですか。




無限で劣化しない地球

  (OHP1:カエルの実験)
  カエルの実験です。皆様方の中には、もう御存知の方もあると思います。このカエルの実験というのは、環境問題を考える上において、1つ重要な示唆を与えてくれる実験なわけです。
  ぬるま湯の中にカエルを入れます。そうすると、カエルはこのぬるま湯の中が居心地がいいために、飛び出そうとしないわけです。下からどんどんと火をたいていくと、やがてぬるま湯は熱くなってきて、最後は煮え湯になっていくわけです。それでもこのカエルはそこから飛び出そうとしない。その結果、ゆでガエルになって死んでしまうわけです。一方、煮え湯の中にカエルを入れると、熱いためにカエルはびっくりして、そこから飛び出して、命を長らえるというわけです。
  地球環境問題は、まさにぬるま湯のケースであるわけです。地球温暖化、酸性雨など、環境破壊的な動きが世界的に広がっているわけです。しかし、それはきょう、あした、あさっての私たちの生活に直接急激な影響を与えるような変化ではないわけです。したがって、対策を1日延ばしに延ばしておくことは可能なわけです。そのため環境問題はこれまで余り真剣にその対策がとられてこなかったわけです。
  いろいろなアンケート調査によると、環境問題は大切だ、しかし、実際に自分が資源の節約、エネルギーの節約に取り組むかということになると、どうも気が済まないということで、1日延ばしにしておるわけです。その結果、破壊の程度がどんどん進んでいって、気がついたときにはゆでガエルのような状態になって、どうすることもできなくなって一巻の終わりということになりかねない。地球環境問題というのは、そういう側面を強く持っておるということでございます。つまり、我々はぬるま湯の中で現在毎日を送っておるということでございます。

(OHP2:基本認識)
  地球環境問題がどうして起こってきたかということについて、やはり基本的な認識が必要ではないかと考えているわけです。何を認識するのかといいますと、ここに「無限で劣化しない地球」と書いてあります。産業革命以降今日まで、私たちは「無限で劣化しない地球」という前提の上で経済活動を行ってきたし、日々過ごしてきたわけでございます。
  「無限な地球」というのは、天然資源は使っても使ってもなくならない。ふんだんにある。無限に存在するという前提でございます。それから、「劣化しない地球」というのは、有害廃棄物を自然界、つまり、大気中、地中、水中にどんどん放出しても、やがて自然の復原力が大きいために、一定の時間が経てば、もとの健康な地球に戻してくれるということであります。したがって、有害廃棄物をどんどん自然界に放出しても、地球環境が劣化することはないということでございます。
  この「無限で劣化しない地球」ということを認めると、ここに書いてある「大量生産、大量消費、大量廃棄」という一方通行の経済活動が当然ながら肯定されるわけです。資源は使ってもなくならないわけだし、有害廃棄物を自然界に放出しても、地球が劣化することはない。そういう前提のもとで経済活動をすれば、当然大量生産、大量消費が可能なわけです。しかも、大量廃棄しても一向に問題はないわけです。この経済は永遠に右肩上がりの経済発展ができるということを意味するわけです。
  しかし、バブルがはじけた今、おそらく皆様方の多くは、無限で劣化しない地球などあり得ないとお考えになっていると思います。しかし、それは今思うのであって、例えば、バブル以前にこういった考え方をすべての人が持っていたわけではないわけです。一部の人たち、ローマクラブなどに所属するような人たちが警告を発していた程度で、無限で劣化しない地球という前提の上で、引き続き経済活動を行ってきたわけです。使い捨て商品の開発、あるいはまだ使える製品をどんどん陳腐化させることで付加価値を高め、企業収益を上げていく。それが高度成長を可能にする。そういう大量生産、大量消費の経済システムは、無限で劣化しない地球の上でこそ開花するわけです。
  しかし、それが今やうそっぱちであることはだれの目にも明らかなわけです。なぜ明らかになったかというと、資源は相当枯渇してしまっている。また、環境破壊もどんどん進んでおるということで、これまでやってきたような路線を21世紀も続けていくことは無理であるということであります。
  それでは、これから21世紀にかけてどういう考え方が必要であるかといえば、「有限で劣化する地球」を前提として考えていかなくてはいけないということです。「有限」というのは、資源は使えば使うほど少なくなり、やがてなくなってしまうという意味だし、「劣化する地球」というのは、有害廃棄物を自然界にどんどん放出すれば、地球環境はどんどん悪化させてしまうということでございます。つまり、地球というのは、スーパーマンではなく、非常にもろくて壊れやすい存在だ。その地球の上で経済活動を行うためには、産業革命以降、20世紀までやってきたやり方ではやっていけないということが今や明らかになってきたということです。
  したがって、きょうの話の結論にもなるわけですけれども、「有限で劣化する地球」を前提に経済活動を行い、日々生活をしていくためには、資源循環型の経済システムをつくらなくてはいけない。そのための有力な方法として、ゼロエミッションの手法が使えるであろうということでございます。このゼロエミッションについては、後ほど触れたいと思いますけれども、今ここではゼロエミッションについて、簡単な言葉の使い方だけ説明しておきます。
  「エミッション」は、廃棄物とか排出物という意味です。自動車の排ガスのことを「エミッションガス」とか、「エミッション」といいます。したがってそれに「ゼロ」がつくわけですから、廃棄物ゼロ、排出物ゼロという意味になります。
  しかし、現在では、「廃棄物を出さない経済」とか、「廃棄物を出さない経済システム」という言葉より広い文脈の中で「ゼロエミッション」という言葉は使われています。




資源、エネルギーの枯渇、環境破壊

  (OHP3:鉱石量に占める採掘量の割合)
  資源の枯渇について、具体的な数字をお見せしたいと思います。
  これは天然資源の中でも主要金属資源です。工業化のために必要な資源です。ここが100%です。100%というのは、予想される埋蔵量のことです。黒棒は、予想される埋蔵量のうち既に何%ぐらいを発掘して使ってしまったかというパーセンテージをあらわしております。例えば、水銀、銀、すず、鉛、金のあたりは大体70%以上です。これらの金属は、予想される埋蔵量のうちの7割以上が既に発掘されて使われてしまっているわけです。逆に申しますと、今これらの資源が地下資源として眠っている割合は、おそらく2割から2割5分程度しかないわけです。したがって、これらの金属に限っていえば、地下はスカスカの状態になっているわけです。
  それから、亜鉛が大体65%です。マンガン、銅も大体予想される埋蔵量のうちの50%以上が既に発掘されて使われてしまっているわけです。鉄なんかはまだ十分あると言われているわけですけれども、それでも予想される埋蔵量のうちの3割くらいは既に発掘されて使われてしまっているのです。そういう点で見ると、近代工業化社会を立ち上げた主要金属のかなりの部分が、既に地下から掘り出されて使われてしまっておる状態にあるわけです。したがって、地下にはもう余り資源はないのです。
  これは過去100年、主として先進国が豊かさを求めて使ったわけです。現在世界の人口は、59億人ぐらいおります。そのうちの大体2割、11億ぐらいが先進国の人口です。たかだか11億の先進国の人たちが物的豊かさを享受するために、こういう形で資源をどんどん使ってしまったのです。したがって、これから次世代の人たち、あるいは途上国の人たちが経済発展をするために、できるだけ資源を有効に活用していかないと、これがネックになって、経済発展ができなくなってしまう状況に現在あるわけです。

  (OHP4:世界の石油埋蔵量)
  同じようなことは石油についても言われています。これは富士山を円錐形のカップにして、世界各地にある石油を全部集めてきて、このカップに入れたら、どのくらいになりますかということを試みたものです。この富士山の円錐形のカップは、大体3000億キロリットルぐらい入ります。それに対して、現在世界中にある石油、例えば、中東とか北海油田なんかにはまだ石油がいっぱいあります。そういうところを全部かき集めてきて、この富士山のカップに入れると、もう半分ぐらいしかないです。大体1500億キロリットルぐらいしかないです。この1500億キロリットルといえば、現在のようなテンポで石油をどんどん使っていくと、あと四十数年でなくなってしまう量です。したがって、もっとどんどん石油を使い出すと、石油の枯渇はもっと早くなるかもわからないです。そういうことで、20世紀文明を支えてきた石油も、今後おそらく50年もたない状況にあるわけです。先ほど申し上げました主要な金属資源の一部も、とても50年もたない状況にあるわけです。
  そういうことで、冒頭に申し上げました「無限で劣化しない地球」という前提で地球をどんどんこき使ってきたために、現在資源枯渇がきわめて深刻な状況になってきているわけでございます。

  (OHP5:劣化する地球環境)
  一方、地球規模での環境破壊も相当起こっています。地球の温暖化、酸性雨の問題、オゾン層の破壊、そのほかいろいろあります。このうち酸性雨あるいはオゾン層の破壊の問題については、現在技術的には、その解決のための手段が明らかになっているわけです。あとはお金をかけて対策をとれば、オゾン層の破壊の問題、酸性雨の対策といったものは、技術的には対応可能な状況にあるわけです。
  これに対して、これから21世紀に非常に大きな問題になる温暖化の問題は、そう簡単にはいかないです。ご承知のように、去年の12月1日から11日まで、京都で地球温暖化防止のための国際会議が開かれました。いわゆる京都会議と呼ばれているものです。私もその会議の取材で、後半5日ほど京都に行っていろいろと取材してきたわけです。
  21世紀に何が一番大きい環境破壊かといえば、やはり地球の温暖化の問題です。地球の温暖化というのは、世界的な気候変動をもたらし、その結果さまざまな破壊現象が起こってくるわけです。例えば、干ばつとか、その逆の洪水とか、熱帯雨林の破壊とか、いろんなところで砂漠化を進行させるとかの破壊現象が起こってきます。特に海面の上昇による陸地の水没化が非常に大きな問題になってきているのです。
  まず、温暖化によって、海面そのものが温められるために、海面の温度上昇によって膨張するわけです。それから、南極とか北極の氷が溶け出してくるということで、海面部分が相対的に高くなってくるわけです。その結果、水没してしまうところがどんどん出てくるわけです。
  IPCCという国連の下部組織で、世界の科学者が集まってつくっている気候温暖化を分析する集団があります。そこの調査によりますと、今のままで二酸化炭素などの温暖化物質が大気中にどんどん排出されると、2100年には地球の温度は今より平均2度上昇し、海面は50センチ上昇するという予測結果を出しているわけです。これはあくまで地球全体の平均です。だから、2度温度が上昇するといっても、場所によっては4度とか5度上昇するところもあるわけです。もちろんほとんど上昇しないところもあるわけです。
  海面が上昇するといっても、平均50センチ上昇するというわけですけれども、15センチぐらいでとどまるところもあれば、1メートル近く海面が上昇してしまうところもあるというふうにまちまちです。
  温度について言えば、温暖化の影響を最も受けるのは、南極とか北極という極地だそうです。したがって、今申し上げましたように、地球平均の温度が2度ということですけれども、極地だと、4度、5度と温度が上昇すると言われています。したがって、氷が解けやすい状況になるわけです。
  海面上昇でIPCCの予想が幾つかあります。バングラデシュは、海面すれすれのところで水田などの農地があるわけです。仮に1メートル海面が上昇すると、バングラデシュの約18%が水没してしまうということで、これはバングラデシュにとっては大変なことです。それから、エジプトなんかでもそうです。ヨーロッパで言えば、オランダは干拓して国土をつくってきた国です。そこでも1メートル上昇すれば、オランダの国土の大体5〜6%が水面下に没してしまうであろうと言われているわけです。
  それから、インド洋とか太平洋、あるいは大西洋のカリブ海に点在する南国の島々です。そういうところは概して海面すれすれの島国です。だから海面が1メートル上昇すると、島の半分ぐらいが海面下に入ってしまうおそれもあるわけです。例えば、インド洋に浮かぶサンゴ礁の島で、モルジブという国がありますが、そこなどは今でも、ちょっとした高潮が起こると、周辺の道路が全部水浸しになってしまうところです。高いところでも3メートルぐらいしかないと言われています。そういうところで1メートル海面が上昇すると、モルジブの島の半分ぐらいが水没してしまうおそれがあるわけです。タヒチ島とかサモア島とか、南洋に散在する島々は、海面が1メートル上昇するだけで大変な痛手をこうむると言われているわけです。

  (OHP6:現在及び将来の全地球平均気温の変化(実績・予測))
  これはちょっと見にくいかもわかりませんけれども、感じだけ知っておいてほしいと思います。これは温度上昇のグラフです。1860年ぐらい、日本の明治維新が1868年ぐらいでしたか、したがって江戸末期、明治維新ぐらいからの100年間でみると、温度は若干上昇気味な感じがします。大体0.3度ぐらいの上昇でしょうか。しかし、これからの100年、急速に温度が上昇していくわけです。2度というのはこの辺です。全然努力しないと、3.5度ぐらい上がってしまうおそれがあるわけです。相当程度努力しても、1度は上がってしまうであろうと見られています。そういうことで、過去100年非常に落ちついていたのが、これからの100年は、どう見ても温度は急速に上昇していく方向にあるわけです。
  現在地球の温度は、世界平均で摂氏15度と言われています。だから、摂氏15度の世界をいかに保つかが、温暖化問題の本質であるわけです。摂氏15度という温度のもとで生態系が持続可能な形で維持されているわけです。この摂氏15度という世界が崩れてしまうと、先ほど申し上げましたようないろんな問題が起こってくるわけです。
  この地球を温暖化させるガスについては、CO2 (二酸化炭素)のほかにメタンとかフロンとかいろいろあります。その中で、やはり温暖化寄与度が最も大きいのはCO2 です。産業革命以降、世界レベルでいうと、温暖化寄与度の64〜65%がCO2 だと言われています。日本に限って言いますと、95%がCO2 による温暖化ということで、特に日本の場合には、温暖化対策と言えば、CO2 対策に絞られてくるわけです。このCO2 の膜が地球を覆っていることによって、摂氏15度の世界が維持され、生態系が守られているわけです。
  地球が誕生したのが46億年前と言われています。その当時の地球の大気の組成を見ますと、95%ぐらいがCO2 だったのです。CO2 の厚い膜に囲まれた地球は火の玉になって燃えていたわけです。その後、長い時間をかけて大気中にたまったCO2 が雨などとともに大地に降り注ぐ形で、大地とか海あるいは森にどんどん吸収されていったわけです。現在大気中に占めるCO2 の組成は0.03%と言われているわけです。だから、かつて95%のCO2 の膜があったのが、現在では0.03%の膜になっているわけです。その0.03%のもとで摂氏15度の世界がつくられて、生態系がうまく機能しておるわけです。その状況が、これから100年の間に相当崩れてしまうということです。
  しかし、そうかといって、CO2 の膜が完全になくなってしまうと、それもまたぐあいが悪い。科学者の分析によりますと、もし0.03%のCO2 の膜がないと、地球の温度はマイナス18度ぐらいになるであろうと推定されているわけです。現在摂氏15度。したがって0.03%のCO2 の温室効果は33度あることになります。CO2 が完全になくなってしまうと、地球は冷えてしまって、なかなか住みにくいし、逆に今問題になっているように、濃度がどんどん高まってくると、温暖化が早まってくるということで、バランスをどうとるかが非常に難しいです。しかし、今問題になっているのは、CO2 の膜が薄くなるのではなく、厚くなるところに問題がある。その厚くなる原因が、いわゆる産業革命以降の近代化、工業化によって、石油、石炭をどんどん燃やし続けてきた結果、そういう現象が起こるということであるわけです。
  これは非常に重要なことです。例えば、氷河期は、今から1万年ぐらい前に終わって、それから地球はずっと温かくなってきたわけですけれども、氷河期の最後のころの温度は、今よりも大体5〜6度低い程度だと言われています。それから、大体17〜18世紀、地球全体が冷えた時代があるのです。日本なんかでも、江戸時代、天明の飢饉なんかが起こったりしたわけです。イギリスでは、テムズ川の下流に氷が張ったと言われている時代があるわけです。小氷期と歴史的に言われていた時代です。その寒い時代でさえも、今と比べると温度が1度ぐらい低かったという程度ですから、温度が1度、2度低くなる、高くなることの気候に与える影響は、いずれにしても非常に大きいのです。今後仮に2100年までに温度を2度ぐらいでとどめることができたとしても、相当の変化が起こってくると思います。

  (OHP7)
  これは、海面が仮に1メートル上昇すると、東京湾の周辺がどうなるかということを調べたものです。この青色の部分が、海面下に入ってしまう場所で、これは亀戸です。ここは上野で、上野はかろうじて助かっているわけです。ここは亀有、北千住、新小岩、こういうところは、海面が1メートル上昇すると、全部水面下に入ってしまうということで、東京湾周辺は相当の犠牲をこうむるであろうと予想されているわけです。

  (OHP8:第三の発展の道)
  そういうことで、いわゆる「無限で劣化しない地球」という前提で経済活動を行ってきた結果が、資源の枯渇、地球環境の破壊を引き起こしているわけです。したがって、これからはそれとかわる循環型の経済に変えていかなくてはいけないわけです。そのために、どういう考え方があるかということについて、いろんな人がいろんな提案をしているわけでございます。
  そのうちの1つが、アメリカのハーマン・デーリーという環境経済学者の提案です。ハーマン・デーリーは、3つの条件を挙げております。サステーナブル・ディベロップメント、持続可能な発展のために3つの条件がとりあえず満たされることが必要であろうということを指摘しております。
  3つの条件とは、第1に再生可能な資源は、再生される資源量の枠内で消費しましょうということです。例えば、森林だったら森林、これは再生可能な資源です。森林からもし木を100本切って家を建てましょうということになれば、100本分の植林をしましょうということです。
  第2は再生不可能な資源は、再生可能な代替資源を開発して、その生産量の枠内でなら消費しても結構ですということです。ここのところに「代替資源」と書いてあるのは再生可能な代替資源のことです。再生可能で代替性のある資源を開発して、その枠内でならば再生不可能な資源も消費して結構ですということです。
  3番目が、排出物は、自然の浄化力の範囲内にとどめましょうということです。
  今考えれば、 1 2 3の条件は当たり前です。しかし、この当たり前なことが守られてこなかったわけです。特に 2の再生不可能な資源は代替資源の生産量の枠内で処理しましょうというのは、全く守られてこなかったですね。再生不可能な資源をどんどん消費してきて、先ほどの金属資源、石油資源、こんなものが今どんどん不足してきているわけです。
  それから、排出物は自然の浄化力の範囲内にとどめることも守られてこなかったために、今のごみ戦争の問題とか、ダイオキシンの発生、廃棄物処理をめぐるいろんな問題が起こってきています。今思えば、 1 2 3は、割と納得のいく条件だろうと思いますけれども、こういう条件が指摘され出したのは、割と最近になってからです。




有限で劣化する地球

 (OHP9:21世紀の経営戦略)
  産業革命から20世紀に至る経営戦略という視点から見てみますと、その核心は、これは言うまでもなく労働生産性の向上にあったわけです。産業革命は、人手に頼っていた仕事を機械に置きかえることによって、労働生産性を飛躍的に高める革命であったわけです。その後、労働生産性を高めるためのいろいろな技術革新が行われてきました。
 例えば、欠陥製品ゼロのTQCの運動とか、在庫ゼロ、トヨタのカンバン方式とか、こういったものも、全部突き詰めていけば、労働生産性をいかに高めるかということに尽きるわけでございます。もちろん企業が労働生産性を高めて収益を上げる活動は、これから21世紀にかけてももちろん重要なファクターです。
  しかし、問題は、この労働生産性を高めるためにエネルギー資源を非常にむだに使ってきた、あるいはエネルギー資源をむだ食いすることによって労働生産性を高めてきたというのが、産業革命以降今日に至る問題であったわけです。それが環境問題や資源枯渇の問題を引き起こしたと理解すべきだろうと思います。
  そうした考え方に立つならば、これから21世紀にかけて何が必要かといえば、エネルギー、資源の生産性を高めることが重要になってくるということです。おそらくこれからのビジネスチャンスは、このエネルギー資源の生産性を高めるという挑戦の中から、いろんな形で生まれてくるだろうと思います。
  エネルギー資源の生産性の向上をどう実現させるかということについて、いろいろな考え方があります。私はよく例に出すのですけれども、日本のお風呂は、体を洗う洗い場が湯船とは別につくられているわけです。したがって、家族4人が風呂に入る場合は、お湯は4人で共有して、洗い場で体を洗うわけです。それに対して、ホテルなどの洋式の風呂は、湯船の中で体を洗うわけです。したがって、4人で風呂に入る場合には、その都度お湯を入れかえなくてはいけない。そういう点でいえば、日本の風呂は洋式の風呂よりもお湯の生産性は4倍高いと言えるわけです。エネルギー資源の生産というのは、そういう考え方です。
  洗濯屋さんあるいはクリーニング屋さんが洗濯をする場合、水をいっぱい使います。1トンの洗濯物を洗濯する場合、水がどのくらい要るかというと、大体10倍ぐらい、10トンぐらい要るのです。したがって、洗濯屋さん、リネンサプライ屋さんでは、水の生産性をいかに高めるかが重要な課題であるはずです。
  洗濯屋さんの規模によって違いますけれども、中堅の洗濯屋さんだと、1カ月に上下水道料金は大体150万から200万ぐらいかかるのです。したがって、その部分の生産性が高まれば、洗濯屋さんの生産性は非常に高くなるはずです。
  ある金型のプラントメーカーがそこに着目して、洗濯水のリサイクル装置をつくったわけです。そして、それをある洗濯屋さんで実験してもらった。そのリサイクル装置は、大体90%の水を再利用できる装置だったわけです。それを使った結果、月200万ぐらいかかっていた上下水道の料金が15万円ぐらいで済むようになったわけです。したがって、水の生産性は10倍以上高くなったと言えるわけです。そういう形で、エネルギー資源の生産性を高めることがこれからいろんな形でビジネスチャンスにつながってくるであろうというわけでございます。そのエネルギー資源の生産性を高めるための有力な方法が、冒頭で申し上げましたゼロエミッション、廃棄物を出さない、廃棄物ゼロの経済システムです。

  (OHP10:ゼロエミッション型経済システム)
  廃棄物を出さないゼロエミッション型の経済システムへのアプローチはいろいろあります。産業クラスターの形成、逆工場とライフサイクルアセスメント、バッズ課税、グッズ減税、再生可能なエネルギー源の開発、植林やバイオマスの活用、それから何といっても、私たちのライフスタイルの転換といったいろいろな形で廃棄物を出さない経済システムへの挑戦が可能なわけです。
  きょうは、ゼロエミッションの中でも特に産業クラスターの形成、逆工場とライフサイクルアセスメント、このあたりを中心に話をしてみたいと思います。
  ゼロエミッション構想というのは、95年4月に国連大学が第1回ゼロエミッション世界会議を東京の青山にある国連大学本部で開きました。その第1回ゼロエミッション世界会議の中で国連大学がゼロエミッション構想を提案したわけでございます。

  (OHP11:ゼロエミッションの基本概念)
  ゼロエミッションの基本的な考え方は「インプット=アウトプット」の考え方です。私たちはいろいろな原材料を使って製品をつくっていくわけです。使う原材料すべてを製品の中に組み込んでしまえば、むだなものは全くないわけです。
  私たちはジグゾーパズルをやります。パズルの各片がインプットで左側にあるわけです。それをまとめて富士山だったら富士山の絵を完成するわけです。左側にあった材料(部品)が全部最終製品の中に化体されるとパズルは完成します。こういう技術ができれば、廃棄物は出さないで済むわけです。もちろん現在の科学技術の水準で、インプット=アウトプットは当然無理な話です。しかし、インプット=アウトプットを目指して、使う原材料をできるだけ製品の中に組み込んでいければ、むだな廃棄物を余り出さなくて済むのではないかということです。
  このインプット=アウトプットの考え方はどこから出てきたかと申しますと、やはり生態系から学んでいるわけです。生態系の中に存在するもので、むだになるものはないということが生物学者、生態系学者の間で言われているわけです。生態系の中に存在するものは、だれかの、何かの役に立っておるというわけです。
  例えば、食物連鎖を考えてみますと、草食動物は草や木を食べて生活しているわけです。ライオンとかトラといった肉食動物は、草食動物を捕まえて、それをえさにしているわけです。しかし、その肉食動物も死んでしまえば、やがて土に返って、植物の栄養になっていくわけです。そういうことで、自然界に存在するものは、むだなくだれかの役に立っているという形であるわけです。そういった生態系の循環のメカニズムを経済活動の中に取り込むことができないかということが、ゼロエミッション構想の出発点であるわけです。

  (OHP10:ゼロエミッション型経済システム)
  産業クラスターという国連大学が提案した考え方は、A産業が排出する廃棄物をB産業が原材料に使います。B産業が排出する廃棄物をC産業が原材料に使います。それでまた同じように、C産業が排出する廃棄物をD産業が……という形の一種の産業連鎖ができれば、廃棄物を無限に少なくしていくことができるであろうということを国連大学が提唱したわけです。それをゼロエミッション型の産業クラスターという言い方をしたわけです。
  「産業クラスター」の「クラスター」というのは、1つの固まりとか、ぶどうの房などのことをクラスターと言ったりすることがあります。あるいは、ヒツジの群れみたいなものです。したがって、産業クラスターというのは、産業群ということです。廃棄物を原料にするような1つの産業連鎖をつくり出せば、廃棄物は非常に少なくて済むだろう。そういうぐあいに産業構造をつくり変えたらいいではないかという提案でございます。
  この提案が日本の産業社会に相当大きなインパクトを与えたわけです。と申しますのは、先ほどの大量生産、大量消費、大量廃棄の中で、特に大量廃棄された廃棄物をどう処理していったらいいかということで、一方通行型の経済システムに限界を感じていたときに、国連大学のゼロエミッション構想が提案されてきたわけです。

  (OHP12:セメントを中心とする産業クラスター群)
  このゼロエミッション型の産業クラスターへの実験は、日本でも幾つかの先端的な企業が実験しています。例えば、セメント業界が産業廃棄物のほとんどを原料化あるいは燃料として有効に使える技術を、90年代に入って開発しました。その結果、産業廃棄物をセメント工場とドッキングすることによって廃棄物を少なくすることが可能になりました。
  例えば、電力会社は、石炭を燃やして電力を供給する場合に、石炭灰が出ます。紙パの場合は、スラッジという一種の汚泥などが出てきます。それから、もちろん自治体の下水汚泥とか都市ごみとか、自動車でも、鋳物を使った後の砂とか古タイヤとか、いろいろな産業廃棄物が出てくるわけです。こういったものをセメント工場とドッキングすると、原料か燃料になります。そういうことで、現在セメント会社はいろいろな異なる部門の産業と協力してゼロエミッション化を進めようということで動き出しているわけです。
  例えば、東京の日の出町では、ごみ処理の問題で、地元の人たちと自治体の人たちとの間でもめています。一般ごみなどの焼却灰が日の出町の最終処分場で処理されています。その焼却灰は、セメントの原料になるのです。日の出町で捨てられている焼却灰を原料に使って立派なセメントができるということで、現在31の市町村とセメント会社が共同でセメント工場をつくる話が進んでいるようです。そういうことで、廃棄物を原料にしていくという動きは出ているわけです。
  1つ非常にわかりやすい例としては、環境プラントメーカーで、荏原製作所という会社があります。ここが去年9月に中国で立ち上げた石炭の火力発電と化学肥料工場のゼロエミッション型の産業クラスターは、世界でも初めてのケースではないかと思います。
  ここではどういうことをやっているかというと、中国の四川省に成都という割と大きな都市があり、その一角に火力発電所があります。その火力発電所は石炭の質が余りよくないために、かなり大量のNOx (窒素酸化物)とかSOx (硫黄酸化物)を排出するわけです。このSOx とかNOx が酸性雨の原因にもなるわけです。これまでの技術は、SOx とかNOx を煙突の外から大気中に出さないために、排煙脱硫脱窒装置という形で、いわば公害防止型の対策を立てていたわけです。
  それをさらに一歩進めるため、荏原製作所が考えたのは、NOx とかSOx を原料に使って新しい製品ができないかということであったわけです。いろいろ研究した結果、SOx とかNOx に電子ビームを当てて、一定の量のアンモニアを加えるという操作をすることによって、例えば、SOx は硫安という化学肥料、窒素酸化物は硝安という窒素肥料に転換する技術を開発したわけです。昨年の9月にその実証プラントの開所式がありまして、実際に火力発電所から出てくる廃棄物であるSOx とかNOx を使って硫安とか硝安といった化学肥料をつくることに成功したわけです。この場合には、火力発電と化学肥料工場が1つの敷地で有機的に結び付くことで、廃棄物を資源化することに成功したわけです。
  中国側の要請もあって、荏原では、この工場の隣にさらにセメント工場をつくる。そうしますと、石炭をたいた後に出る石炭灰を今度はセメントに変えることもできるわけです。したがって、石炭を使った火力発電プラス化学肥料工場プラス・セメント工場ということで、1つのゼロエミッションが可能になるわけでございます。
  このゼロエミッション的取り組みは、現在日本が一番進んでいると私は理解しております。こういった考え方は、これから欧米諸国にもどんどん出ていくと思います。

  (OHP13:ゼロエミッション−富士ゼロックスの例)
  これは、今のゼロエミッション型の産業クラスターの一歩手前の事例です。富士ゼロックスという複写機メーカーがございます。小田原の近くにその複写機メーカーの竹松工場があります。この工場では、複写機の部品をつくっているわけです。この工場では、年間大体2000トンの廃棄物が出ていて、それを処理業者を通して埋立処分してきたわけです。1990年に東北の福島県の方で、廃油のドラム缶が腐って、中から廃油が出てきて土壌汚染をもたらせて、その業者は告発されたわけです。新聞でも大きく取り上げられたわけです。
  この事件と富士ゼロックスの竹松工場はもちろん無関係だったわけです。しかし、竹松工場も廃棄物の一部として廃油を出しているわけです。将来自分の工場で同じようなことが起こると、企業イメージにも大きなダメージを与えるし、地球環境にもよくないということで、2000トンの廃棄物を埋立処理するのをやめようということを決めたわけです。
  そのために何をしたかというと、分別を徹底したわけです。素材ごとに廃棄物を分類した。その結果、素材ごとに70種類ぐらいに分類したわけです。これをするのに大体1年ぐらいかかったそうです。
  それともう1つ大変な仕事は、70種類ぐらいに素材ごとに分けた廃棄物を、原料なり燃料として引き取ってくれるメーカーあるいは業者探しです。これが大変だったわけです。しかし何とか努力した結果、20社ぐらいが原料なり燃料として、富士ゼロックスの工場が出す廃棄物を引き取ってくれることになりました。

  (OHP14:埋立量と単価推移)
  これは今申し上げたことを図でかいたものです。ここが2000トンです。ここの茶色の部分は、1991年までは2000トンの廃棄物を埋立処理していたのです。しかし、1年かけて廃棄物を70種類ぐらいの素材ごとに分別した。また、それを原材料として使ってくれる業者探しをした結果、92年には2000トンあった埋め立てに回す廃棄物が200トンぐらいにまで急速に減ったわけです。その後毎年少しずつ減っていって、97年、去年の1月には、遂に埋立業者を通して埋立処理に回す廃棄物はなくなってしまった。ゼロエミッション工場、廃棄物ゼロ工場が実現したのです。91年から大体6年ぐらいかかって埋立処理に回す廃棄物ゼロを実現したわけです。
  今20社ぐらいの企業が、富士ゼロックスの工場が出した廃棄物を引き取ってくれたわけです。引き取った工場が、富士ゼロックスの工場がやっていたと同じような形でそこで出す廃棄物を分別して、それを引き取ってくれる業者を探すということの連鎖ができれば、同じ場所に立地しなくても、一種のゼロエミッション型の産業クラスターになり得るであろうということで、ゼロエミッション型の産業クラスターの第一歩であるわけです。
  実は、工場の中で廃棄物をゼロにする、つまり工場の外に廃棄物として埋立処理をするものをなくすということは、既にかなり日本で行われています。例えば、アサヒビールとかキリンビールでは、工場の外に廃棄物を出さないゼロエミッション工場が実現しています。例えば、キリンビールの場合、現在日本で15工場ありますが、そのうち8工場ぐらいが既にそういう体制になっているし、ことし中に全部そうするのだとキリンは言っています。アサヒビールもことし中にすべてゼロエミッション工場にすると言っています。それから、NEC(日本電気)の九州にある半導体工場なども廃棄物ゼロの工場が実現しています。
  そういうことで、廃棄物ゼロ工場は日本ではかなり登場してきています。この富士ゼロックスの工場の場合には、埋立処理を廃止したことで、工場の合理化にも結構役に立っています。ここに書いてあるのは、最終処理する場合の廃棄物1立方メートル当たりの値段です。91年ごろは、廃棄物を埋立処理をするのに1立方メートル当たり大体7000〜8000円だったのです。しかし、処理場がどんどん不足してくるということで、96〜97年ぐらいには、3万7000〜3万8000円まで上がっているわけです。したがって、仮に96年も2000トンの廃棄物を埋立処理していたら、この工場のコストは大変なものになったろうと思います。
  それともう1つ、廃棄物の素材ごとに70種類ぐらいに分けた廃棄物を、相手がお金を出して買ってくれるという部分もあるわけです。それがやはり年間1500万円ぐらいになるというのです。だから、廃棄物がお金にもなるということです。分別し、それを引き取ってくれる業者を探すということは、資源の生産性を高めることですが、それが工場の合理化、コスト削減にもつながっていくということです。

  (OHP15:ライフサイクルアセスメント(逆工場))
  次に、「ライフサイクルアセスメント」という言葉が最近使われています。この言葉を今初めて聞くという方はちょっと手を挙げてみてください──ライフサイクルアセスメントというのは、製品を設計し、工場でつくり、それを流通させ、実際に使い、廃棄物になる、そのすべての過程でその製品が環境にどの程度負荷を与えているかということを総合的に評価する制度のことです。環境ISOと言われるISO14000シリーズがあります。これも、最終的な目標は、ライフサイクルアセスメントにあるわけです。
  ISO14001という環境管理システムが一昨年秋からスタートしておりますけれども、これの最終的な目標は、ライフサイクルアセスメントにあります。この規格ができることによって、製品及び製品をつくっている企業、工場の環境配慮がかなりの程度完成度の高いものになるであろうということです。つまり、企業は、これまでは製品をつくって市場で売ってしまえば、それで終わりだったわけです。しかし、これからは、製品を売ってそれで終わりということではなく、廃棄物になった後も引き取って、それを再資源化するという形で、企業が製品の生産から廃棄物になった段階まで責任を持つ時代がやってくるわけです。それに対応した製品づくりが必要になります。
  逆工場というのは、廃棄物をもう一回再資源化して資源として使ってみましょうという考え方であるわけです。これは「インバース・マニュファクチュアリング」という言葉で、去年まで東大の学長をやっていた吉川弘之さんが提唱して、インバース・マニュファクチュアリングの研究を現在彼のお弟子さんたちを中心に進めています。
  このライフサイクルアセスメントの立場に立つと、解体しやすい設計にして製品をつくらなくてはならないし、また部品数もできるだけ少なくして再生利用できる素材を使うとか、また、できるだけ長持ちする製品をつくっていきましょうとか、いろんなことがライフサイクルアセスメントを考えていく場合には必要になってきます。

  (OHP16)
  そのほか税制面からもゼロエミッションへのアプローチができるということです。ここでは「グッズ」「バッズ」と書いてあるわけですけれども、これまで税金は、グッズの部分から徴収されてきたわけです。労働から得る所得に対して所得税、それから消費を切り詰めて貯蓄します。そうしますと、利子所得が得られます。利子所得について現在20%の分離課税が取られています。それから、企業は、投資活動や株を通し所得を得ます。それが法人所得ですが、法人所得は法人税という形で税金を取られているわけです。
  それに対して、「バッズ」については、これまでほとんど税金は取られていなかったのです。資源の浪費とか大気汚染とか交通混雑とか騒音とか、こういうバッズに対して税金が取られてこなかったのはおかしいじゃないかという発想です。これからはむしろバッズに対してどんどん課税をして、グッズに対する税金は引き下げていきましょうということがバッズ課税、グッズ減税という考え方です。

  (OHP17:バッズ課税)
  バッズ課税としては、いわゆるごみの有料化、ラッシュアワー料金、炭素税などが考えられており、この中ではもちろん一番大きな問題は炭素税です。炭素税をどうするかということは、これからおそらく京都会議の合意の実現も含めて、21世紀に一番大きな問題になってくると思います。
  炭素税というのは、石油とか石炭を燃焼させるとCO2 が排出されます。そのCO2 が温暖化をもたらして世界的な気候変動を招くということで、石油や石炭など、化石燃料の消費に対して税金をかけましょうということです。普通炭素1トン当たり幾らの税金をかけるという形で税金がかけられていくわけです。炭素税は既に北欧諸国では実施しています。日本、アメリカ、EUの国々も、炭素税の導入をこれから真剣に議論していくことになると思います。

  (OHP18:諸外国における炭素税の概要)
  炭素税を既に実施しているフィンランド、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマークといったところは、1990年から1992年ぐらいの間に相次いで炭素税を導入しています。
  炭素税というのは、どのくらいかといいますと、炭素1トン当たりに対して、例えば3000円の税金をかけますとか、1万円の税金をかけますというふうに考えるのです。石油を燃やした場合、どのくらいの量を燃やすと炭素1トンになるのかという1つの事例として、例えば、自動車で言いますと、1556リットルぐらいガソリンを使うと炭素1トン分になるというのです。私たちが使っている自家用車の場合には、1回満タンにするのに50〜60リットルぐらいではないでしょうか。そうしますと、大体30回ぐらい満タンにすると、炭素1トン分の量になるという感じです。
  炭素1トンに対してどのくらいの課税をするかについてはまちまちです。現在は大分高くなっておりますけれども、スタート段階では、フィンランドの場合には、日本円520円ぐらいと非常に安かったのです。それに対してスウェーデンの場合には1万8000円、ノルウェーの場合には5400円〜2万3000円と、国によって炭素税の税額は相当大きな差があります。もちろん炭素税が大きくなればなるほど化石燃料の消費を抑制しようという動きになるわけです。しかし同時に、それは産業を停滞させるのではないかという批判もあるわけです。したがって、現在のところは炭素税の導入に対して、産業界、通産省は反対しているわけです。しかし、京都合意で、2008年から2012年までの間に、日本の場合には、温暖化ガスを1990年比で6%削減するということで合意しているわけです。したがって、これを実現していくためには、ある段階で炭素税の導入をやっていかないと対応できないのではないかという感じがしております。

  (OHP19:フロー重視とストック重視経済の違い)
  きょうの話の締めくくりに入りたいと思います。
  「フロー重視とストック重視経済の違い」と書いてあります。このフロー重視というのは、戦後50年、日本経済がやってきたような付加価値極大化、高度成長を目指した経済発展の仕方です。この仕方で高い成長率を実現したわけです。それは大量生産に支えられてきた。使い捨て製品あるいは商品寿命の短い製品をどんどんつくる形で大量生産は可能になってきた。製造業は物をつくることに特化してきた。輸出主導。しかし、環境的には、このやり方は環境破壊型、資源枯渇型です。こういう形で戦後50年日本経済は発展してきたわけでございます。それに対して、これから21世紀にかけては、ストック重視にその比重を移していくべきであろうという考え方です。ストックというのは、成熟社会に特有の経済で、社会インフラとか住宅とか、そういうものが行き渡った経済なわけです。いわゆるいろんな財貨の蓄積が充実した社会を「ストック経済」と言います。したがって、ストックが充実した経済とは、「成熟社会」という言葉で置きかえてもいいと思います。
  ストック重視の経済運営の特徴は何かというと、ストックの維持に力を入れる経済ということです。つまり良質のストックを蓄積することに重点を置いた経済と考えていただければいいと思います。ストック重視の経済は安定成長になります。例えば、現在日本には4000万戸を超える住宅があります。4000万戸を超える住宅のうちには、寿命がきて建てかえなくてはいけないような住宅があります。そういうものは積極的に良質の住宅に建てかえる。それが建てかえ需要です。自動車なんかでも、寿命がきて買いかえる時期がきます。それが買いかえ需要です。そういう更新需要とか買いかえ需要といったものを中心とした需要がストック重視の経済を支えます。適正生産というのは、むやみにどんどんモノをつくるのではなく、磨耗したり、新しくつくりかえたり、そういうものを補充するための生産ということです。製品づくりにあたっては、当然長持ちする製品をつくるということです。使い捨て商品をどんどんつくると、資源がもったいない。エネルギーも食うわけです。
  例えば、日本の木造住宅についていうと、現在大体25年ぐらいたつと建てかえるわけです。同じ木材を使って、今度は100年もつ住宅をつくりましょうということです。そうしますと、フロー重視の経済で会社を経営してきた住宅会社の人は、今までのやり方でいえば、100年のうちに4回家をつくることができたのに、100年もつ住宅をつくってしまうと、1回しかチャンスがなくなってしまうということで、付加価値が大幅に減ってしまう。そういうやり方は困るとお考えになると思います。
  しかし、ここで「製品のサービス化」と書いてあります。100年もつしっかりした住宅をつくって、その住宅メーカーはその住宅の一部がちょっと傷んできたり、あるいは世代がかわって子供の時代になって、家全体をリフォームするとか、そういういわば自分がつくった住宅の、人間でいえばホームドクターみたいな形でサービス収入の比重を高める形で収益をバランスさせていけばいいわけです。自動車とか家電とか家具とか、割と長持ちさせて使えるようなものについては、そういう考え方が必要になります。これは製造業のサービス化という考え方です。
  それから、一番下に「資源枯渇 資源循環」と書いてあります。この点について申しますと、フロー重視の経済、つまり、これまでの経済は、地下資源をどんどん掘ってきて、それを使って経済を発展させてきたわけです。しかし、ストック重視の経済はそうではありません。地上資源がビルとか道路とか鉄道という形で現在ストックされていると考えるわけです。例えば、このビル1つとっても、このビルにはいろいろなものがストックされているわけです。鉄とか銅とかアルミあるいはコンクリートとかいろんなものがビルという形でストックされているわけです。これは鉄道とか道路、いろんなものについて言えます。地下にあった資源を地上に持ってきてストックしている経済、それがストック経済であり、成熟社会の特徴であるわけです。したがって、これからは地上に蓄積された地上資源を有効に循環させ使っていくことが非常に重要になってくる社会であるということです。
  鉄などについて言うと、一度鉄を使ってビルをつくります。やがて寿命がきて建てかえますというと、いわゆる鉄のスクラップになるわけです。それをまた溶融して再生して使うという形で使うと、鉄などはほぼ半永久的に使えるというのです。フロー重視の経済では、そういったものを廃棄物として捨てていたわけです。しかし、ストック重視の経済のもとでは、地上資源を何度も有効に活用して使う。そのために必要な技術開発、システムをつくり出していくことが必要になってくるわけです。

(OHP20:フロー重視経済(持続不可能な発展))
  今申し上げましたことをちょっとドラスティックに申しますと、戦後50年やってきたフロー重視の経済活動を引き続き21世紀も同じやり方でやりますと、ある程度経済が発展するかもわかりません。しかし、ある段階、2030年になるのか、2040年になるのかわかりませんけれども、資源の枯渇あるいは環境の制約によって経済成長がパタッととまってしまう、いわばフューチャーレス・グロース(未来なき成長)に陥ってしまうでしょう。ちょうどガス欠に近い状況で高速道路をガスがなくなるまで走りましょうといって車を飛ばしているような発展の仕方がフロー重視の経済です。つまり、20世紀、戦後の日本経済を発展させてきたような経済発展を21世紀も続けようとすると、資源と環境の制約で、ある段階で成長がパタッととまってしまう恐れが強いわけです。

  (OHP21:ストック重視の経済(持続可能な発展))
  それを避けるためには、やはりストック重視の経済に日本経済を全体的に変えていかなければならないわけです。そうしますと、今いった地上資源などを有効に使い、長持ちする製品をつくる形で廃棄物を出さない経済、つまりストック重視の経済をとれば、経済成長率そのものはある程度下がると思いますけれども、持続可能な発展が可能です。私は、このやり方で日本の経済成長率2%前後は楽に達成できるであろうと思っています。
  ちなみに、バブルがはじけた後、90年以降今日まで、日本経済の実体はストック経済に移っているのです。しかし、フロー重視の経済のときの発想で、公共事業中心の景気対策をもう6回ぐらいやってきているのです。したがって、景気対策費の総額は60兆円を超えています。しかし、90年代に入って97年までの平均年率成長率は1.5%ぐらいです。つまり、フロー重視という経済で効果的だった公共事業中心の景気対策は時代に会わなくなり、1.5%ぐらいの成長しかできないで今日に至っているわけです。むしろ思い切ってストック重視の経済に経済政策の重点を移すことによって、2%は優に超える安定した経済成長ができるというのが、私の主張でございます。

  (OHP22:循環型社会への挑戦)
  ここに「資源循環型社会への挑戦」と書いてあります。ストック重視の経済に日本経済を移転させていく必要があるということを今申し上げたわけです。これから資源循環型社会に挑戦していく場合には、3つのポイントがあります。
  1つは、「グリーンフィールドからブラウンフィールド」という言葉です。グリーンフィールドというのは、森に象徴されるような緑の地帯という意味です。それから、ブラウンフィールドというのは、荒廃地という意味です。赤茶けた荒廃した地域。森をさんざん痛めつけてきたので、これからは経済開発をする場合に、緑の地域には手をつけないで、例えば、重厚長大型で現在斜陽化しているような旧工場の跡地などの荒廃地を積極的に活用することによって事業を展開していきましょう。そういう発想が少なくともこれからは求められます。
  「地下資源から地上資源」は、先ほどちょっと申し上げたことです。
  「一方通行型経済」は、先ほど言った大量生産、大量消費、大量廃棄という一方通行型の経済です。それに対して、資源循環型、ゼロエミッション型の経済システムにしていきましょうというのが、資源循環型社会を目指す場合に必要だということです。
  もう1つつけ加えておきたいのは、資源循環型社会は、どうも節約、節約みたいなことを迫られて、何となく薄暗いイメージがあると思います。しかし、私はそういう考え方は全く間違っていると思うのです。成熟社会をさらに質の高いものにしていくために資源循環型社会が必要であって、そのためには、今のフロー重視型できた経済社会を思い切って変えていかなくてはいけない。そこにはいろいろな挑戦の楽しみがあるし、いろいろな技術開発、アイデアが出てくるだろうと思っていまして、むしろ挑戦しがいのある経済社会なのではないかなと思います。
  今申し上げましたことは、3月初めに発売になる月刊「中央公論」という雑誌の4月号に割と長めの論文を書いておきました。お読みいただければ幸いです。




フリーディスカッション

御舩((財)多摩都市交通施設公社)
    大変刺激的で興味深いお話をありがとうございました。私、たまたま現在駐車場の仕事をしております。
 最近、自動車の動きなど、例えば、トヨタがハイブリッドの車を出して、世界に先駆けた積極的な努力をしているということなどが報じられておりますが、三橋先生のこれまでの資源循環型社会への道という観点からして、そうした自動車のハイブリッドなり、新しい動きをどのように評価しておられるのか、さらに、大胆な方向として何か自動車はこうあるべきだ、あるいは日本としては自動車をもっと減らすとか、あるいは使うにしてもこういう方向という御提案なり、お考えがあれば、ぜひお話を聞かせていただきたいと思います。
 

三橋先生
  今御指摘いただいたハイブリッドなんかは、非常に歓迎すべき車だろうと思っています。燃費が今のガソリンの大体半分、1リットルで28キロ走るんですね。したがって、CO2 の排出量が半分で済むわけです。こういった車は、税制面でかなり優遇してもいいのではないかなと私は社説などでも書いているのです。ドイツなんかでも、そういう方向があります。ドイツの場合には、例えば、3リットルで100キロ走れる車に対しては、3年ぐらいはほとんど税金がないような優遇措置がとられる法律が最近できたと聞いています。まだ3リットルで100キロ走る車はドイツでも開発されていないと思いますけれども、そういうインセンティブを置くことによって省エネ型の車が発達してくるなという感じは持ちます。
  トヨタのハイブリッドは、価格的には原価を割っておると言っていますけれども、こういう車がどんどん普及してくることは望ましいと思います。先ほどストック重視の経済では、車はむやみにつくるのではなく、買いかえ需要に合うような形で車の生産をすべきであると申し上げました。しかし、エネルギー多消費型のガソリン車にかわって、ハイブリッドなり、あるいは電気自動車といった無公害車、低公害車が出てきた場合には、それを短期間に普及させるための税制的な優遇措置をとることは例外的に認めるべきであろうということを社説などでは主張しているわけでございます。
  自動車については、よくこういうことが言われています。私は専門ではないので、よくわかりませんけれども、仮にガソリンで走らない、モーターだけで走る電気自動車ができますと、自動車のつくりは一変して素人でもできるようになるというのです。そうしますと、現在私は屋久島のゼロエミッション運動の一端を支持して応援しているわけですけれども、屋久島のような離島などの場合には、むしろそういう時代になると、手づくりの自動車が可能になってくるのです。今のハイブリッドの場合には、技術的に相当複雑ですから、これは個人とか小さなガレージでできないわけですけれども、モーターだけで走る車ができると、例えば屋久島でそういう車をつくるとすれば、屋久島で採れる木を使った独特の車を手づくりでもできるようになるということも可能になってくるというのです。
  今電気自動車の場合には、バッテリーの開発の問題が大きな障害になっておりますけれども、ゆくゆくもし電気自動車ができると、多様な車ができて、特に地域で走る車というのは、何も大手の自動車会社がつくらなくてもいいような、地域にふさわしい自動車の開発ができてくるのかな、という感じを持っているわけです。この辺については、あるいは皆様方の方が御専門の方がおられると思います。
  ガソリンで走る今の乗用車は、本当に高度な技術が要るので、なかなか小資本ではできないわけです。しかし、モーターで走る電気自動車という段階になると、一転していろいろな中小企業、個人でさえも、自分の好きな自動車が開発されてくるという形で、自動車の多様化が進んでくると思います。
  もう1つ言いたいのは、自動車というのは、なければないに越したことはないという人がいるわけですけれども、やはり一定の利便性があるわけです。自動車の利便性を100%無視して21世紀の経済社会を考えるということは、逆に私は、そういう主張をすると、その主張が浮いてしまうのではないかと思います。自動車の利便性はあくまで尊重しつつ、自動車の弊害の部分、今で言えば、例えばCO2 をどんどん出すとか、大都市の交通ラッシュとか、そういう対策をとっていくと考えるべきだろうと思います。
  自動車の利便性、それらと同じようなことで、電気についても、原子力を使うのが嫌だとか、あるいは現在でも火力発電が中心で、電気はやめてしまえという主張をする。そういう主張の最後は、地球上から人間がいなくなればいいんだという議論にまでつながりかねない議論になってしまっても困るなという感じがいたします。これは皆さんいかがでしょうか。
 

水谷(日本上下水道設計(株))
  よい機会をお持ちいただいてありがとうございます。
  先生がおっしゃった最後の点なのですけれども、人間がいなくなったらいいとは思わないですけれども、しかし、むやみに人口が世界的にふえて、こういう形で資源循環型社会になるともちっとも思えない。そういうことで、人口問題の見通しとか資源循環型社会との関連とか、そういうことについて少し教えていただければと思います。
 

三橋先生
  人口問題は、本当に難しいです。ロジスティック曲線という言葉を聞いたことはございますか。ロジスティック曲線というのは、きょうはここに持ってこなかったのだけれども、S字型の右肩上がりのカーブのことです。初め緩やかで、指数関数的にワーッと上昇して、ある一定の時期を過ぎると、このカーブが大体横ばうようなグラフのことをロジスティック曲線と言っています。
  このロジスティック曲線はどこから出てきたかというと、人口学者が一国の人口の推移を割と長いロングランで何百年という形でとると、大体一国の人口の増加率は、S字型のロジスティック曲線が描かれるというわけです。だから、日本について言えば、江戸時代は人口はほとんどふえなかったです。生産性が非常に低かったわけです。しかし、やがて日本が明治維新を迎え、特に戦後高度成長期を迎える中で、人口がずっとふえていったわけです。しかし、成熟社会になるにしたがって、人口増加率はどんどん減ってきて、今ここのロジスティック曲線で言えば、日本の場合には、人口増加率はむしろ減ってしまうような動きがあります。今厚生省なんかの統計だと、2008年ぐらいに日本の人口は一億二千何百万人でピークを経て、それ以降人口は減っていくと予想しているのです。だから、2050年になると、日本の人口は1億を割ってしまうという予想があるわけです。
  先進国も大体みんなこのロジスティック曲線をたどっています。成熟社会になって、人口増加率が減るということについては、いろんな理由があるのです。それは、例えば女性が自分の生活を楽しむために余り子供を産みたくなくなるとか、あるいは子供を少なく産んで、高い教育をつけさせるとか、そういう形で生活水準が上昇するにしたがって人口増加率は下がるということがいろんな国のケースで実証的には証明されているのです。
  そういうことを考えますと、現在途上国の人口が年間1億人弱人口がふえる中で、9割以上が途上国の人口です。その途上国の人口をある程度抑制するためには、今申し上げました先進国のロジスティック曲線というケースから見れば、やはり彼らの生活水準を引き上げる、途上国の女性の教育水準をもっと高めるという形の先進国からの支援を積極的にやっていくことが、今人口対策としては最も重要であろうという感じがしているわけです。生活水準が高くならない限りは、人口増加率はどんどん高くなってしまうでしょう。
  国連人口基金によると、2050年に100億人、それ以降は余りふえないような推定をしています。ふえてもおそらく20億もふえない。2050年のときには、そういう人口増加を予定しているのです。そうすると、今人口が最もふえそうな2000年から2050年の間の人口増加率が一番危険だということです。しかし、指数的に人口がどんどんふえることに対してどういう対策が立てられるかはなかなか難しいです。
  現在2000年ぐらい、2年後に地球の人口は60億人ぐらいだと言われているのです。60億から100億、これからの50年間で40億ふえるわけです。しかし、いい対策がないかというのは、なかなか難しいです。今私が申し上げましたように、結局途上国の人口を抑えるためには、途上国の生活水準を上げ、特に女性の教育水準を高めることに尽きるなと思うのは、3年ほど前インドに行きまして、この人口問題をいろいろ取材しました。そのときにインドでも、例えば、ニューデリーとかボンベイとか、都会のインド人と話をして聞いてみたら、大都市では子供の数は2人から1人だと言っていました。しかし、ガンジス川流域のお米なんかをつくっている非常に貧しい農村地帯では、相変わらず子供が労働力として使われているために、7人も8人もいるようなところが多いわけです。
  インドみたいに人口増加が非常に高いところでも、大都会では子供の数が減ってきているわけです。そういうところの生活水準は、農村部なんかと比べると、はるかに高いわけです。そういうことで、時間はかかるようだけれども、私はやはり彼らの生活水準を高めてあげることと、女性の教育水準を高めることをこれから積極的にやっていく必要があるのだろうなと、人口問題では考えているのです。

林(建設省OB)
  ちょっと聞き漏らしたのかもしれませんが、結局ストックの社会になっていて、それでまたフローの感覚で60兆の公共投資をしたけれども、成長は1.5%。まさに同感でございます。どうしたらいいのかというあたりを政治家にも教えてやるべきだと思いますし、どういうお考えでございましょう。
 

三橋先生
  それは、私も今日本経済新聞の社説で、景気対策として、今の御指摘に対して主張していることは、やはり減税を中心とした政策をとれ、ということを言っているわけです。これまで公共投資を中心としてやってきた景気対策がうまくいかなくなったのは、幾つか理由があるのですけれども、それは公共投資は、基本的には国民から税金を取って、それを政府が割と恣意的に配分するわけです。
  どういう配分の仕方かというと、政治家と官僚のいわば裁量によって決められるわけです。だから、昨年度について言えば、一般政府予算のうちの大体10兆円近くが公共事業費です。それから、GDPベースで見ると、現在日本のGDPは大体500兆円ぐらいあるのですけれども、そのうちの40兆円ぐらいは公共事業費です。これらは市場を通して配分されるわけではなく、政治家と官僚の話し合いによって配分されるケースが非常に多いわけです。
 その結果、その公共投資の波及効果が非常に乏しいような、例えば北海道の山の中とか、九州のはずれの方で、普通の道路でいいようなところに高速道路をつくるとか、そういうお金の使い方をすると、公共投資そのものの波及効果は極めて少ない、いわば資源のむだ、非効率の配分ということになってしまうわけです。
  戦後長い間そういうやり方が割とうまくいっていたのは、公共投資をやる場所が、経済的波及をもたらすようなところに重点的に実施されたからです。その場合には、公共投資の効果は景気浮揚という点でもプラスになるわけです。したがって、政治家とか官僚が結託して、いわゆる箇所づけと言っていますが、あそこにこれだけの橋をつくりましょうとか、道路をつくりましょうという決め方だと、お金の使われ方が非常にむだです。非効率になってしまうわけです。
  そこで、むしろ政府が取り上げるお金の量を少なくして、所得税の減税、法人税の減税、それから住宅ローンなどについて言えば、住宅ローンの金利分を全額課税所得から控除するとか、そういう政策をとって、民間にお金をもっと潤沢に与えなさい。そうすれば、個人、企業は、そのお金を非常に有効に使うでしょう。なぜ有効に使えるかというのは、マーケットメカニズムを通して使うから、有効に使えるわけです。したがって、政府は前面に出なさんなということです。経済政策的には思い切った所得税の減税、法人税の減税、住宅ローン控除の拡大、規制緩和といったものをセットしてやれば、景気はあっという間に回復します。
  橋本首相がやった政策は、明らかに政策不況です。現在アメリカとイギリスの経済パフォーマンスは世界で一番いいです。これはなぜいいかといいますと、80年代にイギリスはサッチャーさん、アメリカはレーガンさんが規制緩和と所得税、法人税の大幅減税と政府支出の削減をセットでやったからです。その効果が今出ているのです。だから、橋本さんが規制緩和をやるのは結構なわけだけれども、実質9兆円の増税をしたわけです。つまり、非常にいいエンジンを搭載した自動車に、その自動車を走らせるためのガソリンを入れないわけです。増税という形で、逆に吸い上げてしまうわけです。だから、日本経済という非常に性能のいい車は、エンジンがどんどん回って、いい状況にあるにもかかわらず、ガソリンを入れないから、日本の経済は前に進めないわけです。
  だから、今私どもが主張しているのは、大幅な減税と、引き続きの規制緩和、それから政府支出の削減の3本柱を同時同方向で進めれば、今の不況は割と早く乗り切れるであろう。わざわざ景気が失速するような政策、規制緩和と大幅増税は全く相反する政策です。どうしてそうなってしまうかというと、やはり大蔵省に引きずられるのでしょうね。大蔵省は短期的な財政収支の改善しか考えていないです。
 

池田(システム販売(株))
  「環境ビジネス発掘のためのマトリックス」というところ、「シュンペーターの創造的破壊 三つのR」のお話が伺えなかったようなので、簡単で結構ですので、教えていただけないでしょうか。
 

三橋先生
  (OHP23:環境ビジネス発掘のためのマトリックス)
  これは即物的な話なので、きょうは皆さんレベルの高い人がおそろいになっているので、割愛したのですけれども、そういう御指摘があるので、ちょっと説明いたします。
  ここに「環境ビジネス発掘のためのマトリックス」と書いてあります。シュンペーターという経済学者がおります。これは皆さんも名前を聞いたことがあると思いますけれども、ケインズと同時代に生きた経済学者で、二大経済学者と言われているわけですけれども、ケインズの方が日本では有名です。
  このシュンペーターという経済学者は、経済発展の原動力は何かということについて、いわゆる企業家の創造的破壊にあると言っているのです。創造的破壊というのは、日々古くなった考え方とか制度を破壊して、新しい考え方、制度を打ち立てる過程が創造的破壊であり、それがイノベーションである。その創造的破壊を通してイノベーションを起こす。それが経済発展の原動力になるということを主張した経済学者です。
  そのシュンペーターがイノベーションを起こし得る分野として、5つの分野があるということを彼のメインの本である『経済発展の理論』の中で指摘しているわけです。イノベーションを起こし得る5つの分野は何かということについて、シュンペーターは、新製品の開発、新生産方法の導入、新販路開拓、新原料の開拓、新組織の実現の5つを挙げています。
  一方、エネルギー、資源の生産性を高めるために、「3つのR」という言葉が言われています。「3つのR」とは、減量(リデュース)、再利用(リユース)、再生利用(リサイクル)です。したがって、シュンペーターの言う5つのイノベーション可能な分野と、縦軸にエネルギー、資源の生産性を高めるための3つのR、減量、再利用、再生利用を結びつけると、全部で15のマス目ができるわけです。このマス目を埋めることによって、それぞれ環境ビジネスを発掘してもらいたいし、また環境ビジネスの発掘までいかなくても、自分の所属するオフィスの省エネ、省資源化を進めてくださいというための提案です。
 
  (OHP24:環境ビジネス発掘のためのマトリックス(2))
  このマトリックスの埋め方について、1つの事例を申し上げますと、例えば、先ほどの15のマス目のうちの一番左上Aというところに書いてあったところを拡大したものです。この「AFK」の部分です。今の「AFK」の部分を拡大して、具体的にどういう形で埋めましょうかということです。
  例えば、何のために新製品を開発しますか。CO2 の削減を目的として新製品を開発しますということを仮に決めたとします。そうすると、「何を減量しますか」というのは、「CO2 を減量します」ということになるわけです。そうしますと、CO2 を減量するための新製品としては、例えば、自動車についていうと、無公害車とか低公害車、したがって電気自動車とかハイブリッドとか燃料電気自動車とか天然ガスとか、そういう類のものはここに入ってきます。
  そうしてつくられた新製品を再利用するためにはどうしたらいいですかというところのセカンドマーケット、中古市場、サービス部門の拡大とか修理部門の体制が再利用のためには必要です。そして、再生利用という点についていえば、無公害車、低公害車をつくるに当たって、できるだけ解体しやすい設計にして、廃棄物を有効に使うために再資源にしやすい素材を選択して使いましょうということが書き込まれるのではないですかということです。そういうことで、今のAFKのほかのところも、順次自分の所属する業種にのっとって埋めていただけると、何かアイデアがひらめくかもわかりません。


司会(谷口)

  ありがとうございました。まだおありかもしれませんが、ちょっと時間を超過しましたので、きょうはこれで終わらせていただきます。
  三橋先生、きょうは大変ありがとうございました。(拍手)
 


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