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第124回都市経営フォーラム

まちづくりにおける民活事業の役割

講師:里 敏行 氏
社団法人民間活力開発機構・理事長

日付:1998年4月20日(月)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

 

自治体のニーズと民活

民活事業の進め方

社会の変化と民活対応

まちづくりにおける民活の役割





自治体のニーズと民活

 ただいまご紹介いただきました民間活力開発機構の里です。
 民間活力開発機構というのは、皆様には聞きなれない団体かもしれませんので、話の中で徐々に御紹介いたします。今から11年前、1986年に民活法が生まれましたが、民活機構も今年で創立11年目となります。
 本日は、民活機構の宣伝をするつもりはないのですけれども、民活機構の周辺にあったいろいろな動きや出来事をお話しすることによって、民活事業というものに対する皆様の御理解を深めていただきたいと思います。
 御出席者名簿を見せていただきましたが、会場に来られている方は、都市問題の御専門の方が多いのですね。私は、どちらかというと現場のみを歩いた人間ですから、生々しい事業例を見たり聞いたり考えたりという経験のみがずっと続いてきました。本日はそれをご報告いたしますので、私のこの経験談を通して、まちづくりにおける民活事業の役割についてお考えいただければ幸いです。

 自治体が国の制度を活用したまちづくりを進めるということになると、どうしても制度の活用条件を満たさなければなりません。私達の調査では自治体は、制度を活用する条件に合わない事業を抱えており、自治体がこの事業を進めるためには民間のノウハウを活用したいというご希望の多いことがわかりました。
 そこで、民活機構の事業はまずまちづくりの草の根的な支援活動からはじめることにしました。そのときはまだ気がつかなかったのですが、企業は、官側の制度利用が確保されていなければ、事業に参加しない風潮がありました。そのような事業環境の中で民活機構は草の根民活事業をスタートさせたのです。
 私は、皆様のように都市計画の専門家でもなければ、土木建築の専門家でもありません。私の前歴は電通です。電通は、視聴率の高いテレビ番組があると、その番組にスポンサーをつける。新聞のメディアパワーに便乗して広告掲載を行う。つまり、そのメディア力を活用して商品の販売促進のお手伝いをする。これと同じように全国にすばらしいまちづくり事業があれば、その事業を一つのメディアと見立てて、企業にまちづくり事業への参加を御願いするのは無理なことでない。当時の私は、このような単純な発想をしていました。この単純さは私の反省点でもあったのですが、同時にそのような単純さが、草の根民活事業という新しいジャンルの仕事を構築するきっかけとなったのです。

 民活機構のスタート時の事業はなにから手をつけようか。基金があり、その利息で運営していくお金はない。団体から事業委託があり、その事業を進めながら事業エリアを広げるということでもない。民活機構みずからの力で資金を集めながら、全国自治体さんのまちづくりへ協力をしていくという難問が最初から課せられていました。これも今になってみると、民活機構にとっては良い試練となりました。
 このままでは「あいつは口だけで何もできない」と言われても悔しい。その苦しさの中から誕生した事業が「グリーン・ステイ・ガーデン」というまちづくり構想です。この構想は大自然のすばらしいグリーンの中でステイ(宿泊)する。ガーデンというのは、大自然の環境が自分の庭として人と自然の触れ合う場とする、という考えの企画です。具体的に言うと、キャンプ場にコテージを置いて、長期滞在も可能な施設とすることを狙ったものです。これは私達が考えた草の根的なまちづくり支援事業にふさわしいものだと思ったのです。
 この構想は、NHKの夜7時のニュースで紹介され、新聞でも大きく取り上げられました。この結果、232の自治体から、この構想を事業化したいというお申し込みがありました。
 さっそくこの構想について、あるゼネコンさんに協力の打診をしたところが、「あなたは世間知らずだな。素人だからしかたがないが、この事業には制度利用の見込みもなく、お金の当てもない事業だ。誰も乗ってこないと思うよ。」という冷たい言葉でした。私は、初めて草の根的民活事業の難しさを知りました。
 しかし、私はマスコミを通してグリーン・ステイ・ガーデン構想を発表してしまった以上は、この事業を完成させなければいけない。232もの自治体さんが手を挙げている。モデルとなるものを至急つくらねばならぬ。私は日頃からなじみ深い企業に協力の御願いをしました。お陰で、「わかった。まずやってみようじゃないか」ということになり、37社の企業がこの事業に参加してくださったのです。誠にありがたかった。
 当時は、バブル時代でしたから友人は「大きな土地を買って、そこに付加価値をつけて売れば利益が出る。おまえもそれをやればいいんだ」と言うのですが、民活機構の設立趣旨説明で、私は不動産的な事業にはかかわらないとはっきり言っている。
 また、当機構の木部佳昭会長は、「民活機構は、土地の売り買いをしないことになっている。企業のノウハウを取り入れたまちづくり支援を進めて行くのが当機構の役割である。」という演説をされ、民活機構の公約となっている。資金不足の民活機構へのご提案はありがたいが、それはできないことである。とにもかくにもグリーン・ステイ・ガーデンを実現化するしか道はないので、この事業の実現に向けてがむしゃらに走りました。
 民活機構がみずからの力で、まちづくり支援事業を進めて行く姿は、民活機構が全国の自治体さんへ「みずからの力で、住民パワー中心にまちづくりを進めよう」と言う私達の主張にもつながり、後々これが草の根民活事業の大きな流れとなって行きました。
 私達はグリーン・ステイ構想の事業化に手を挙げた自治体のところへ、北海道から九州の全国各地に事業化調査に出かけました。そして、やっとのことで事業のモデル地が決まりました。そこは北海道洞爺湖付近の7自治体が、洞爺湖を核に共同してまちづくり事業をおこしたい、というニーズがあり、私達の構想を知った虻田町は、この構想に賛同して、事業化を決めました。この事業には企業三十数社のご協力をいただくことになり、地元の会社と、大手企業の連携事業として共同出資の第3セクターが誕生しました。この草の根民活第1号事業が、民活機構の力となり、まちづくり草の根民活事業の大きな流れとなって行きました。
 1号事業が見えてきた段階で、全国自治体からいろんなタイプの具体的なまちづくり事業の相談が持ち込まれてきたのです。グリーン・ステイ・ガーデンの全国調査と、モデル事業の完成によって、民活機構は市町村のまちづくりニーズの吸収と、自治体との太いパイプができました。
 その後、町のニーズがつかめた私達は各種タイプのまちづくり事業に取り組むこととなりました。
 大分県臼杵市の城下町復元構想もその一つでした。このまちは大友宗麟の400年のまち並みが多く残っていると思われましたので、東海大学を通して、宇宙から撮った現在の市の写真と、150年前の古地図をダブらせてみたら、何と多くのまち並みが現在も使用されていました。入り組んだ道はくねくねと曲り、敵の侵入に備えたものです。両脇の塀からは、今にも鉄砲の狙いを受けるような気がします。これでは自動車も入れないし、過去にどのような事業もできなかったわけです。このまち並みは臼杵市の大きな資産となって残っていたのです。
 私達の提案で市は、二王座という通りの復元工事を進めることになりました。九州電力のご協力で電線の地下埋をしたり、制度を使ってまち並みの整備ができました。二王座という通りの一区画整備ですが、町をイメージするステージが誕生しました。見事なもので、一度ごらんいただきたいと思います。私達の企画提案が実を結び、ここでもたいへんな実績作りをさせていただきました。
 このようないくつかの事業が完成するにつれ、自治体は草の根民活という事業手法に注目するようになりました。それからは、ぜひうちの町を見てほしいという御依頼が続きました。佐賀県の鳥栖市からもグリーン・ステイ・ガーデンの事業化調査の委託がありました。ご存知のように、鳥栖市は九州縦貫道と横断道のクロスする交通の要衝です。
 民活機構はキャンプ場より鳥栖市の資産であるジャンクションを生かした物流基地づくりを優先させてはいかがですか、と提案しました。その後、鳥栖市は運輸省の物流ネットワーク構想の指定を受けました。このような経緯で私達は物流基地づくりをテーマとしたまちづくりにも関係することになりました。草の根民活事業のお手伝いをしているうちに、民活機構は、大型プロジェクトの支援事業にも参加するようになって行ったのです。
 鳥栖市は九州のへそに当たる地の利の良い所とあって、83社の企業がこの事業化研究会に参加することになりました。地元の資産を生かし、企業ニーズに合う事業企画を立案すれば、企業は積極的に参加し、民活事業は成立します。
 鳥栖市の物流ネットワークシティ構想事業化研究会が始まったころから、制度を活用する大型のまちづくりとなる相談が自治体から民活機構へ次々と持ち込まれるようになりました。私達はどのようなタイプの大型事業でも、今まで続けてきた、草の根民活事業の手法をまず導入して、自治体、地元住民・企業とのまちづくり研究会を優先して行います。住民との合意形成ができたと思われる段階から、大手企業の参加要請や制度活用の民活研究へ入って行くことにしています。
 これを簡単に言えば、大型事業は草の根民活手法(ソフトタイプの事業の進め方)+制度活用の民活事業手法(ハードタイプの事業の進め方)のミックス型の進め方を採用するよう、自治体へお勧めしています。

 3〜4年前の新聞では、「公設のホールをうまく使っていない」「稼働率が悪く税金の無駄使いだ」と騒がれたことがありました。言いかえると、自治体はホールをつくるだけで、公共施設の有効活用の努力をしていないのではないか、という批判記事でした。このようなマスコミ論調の背景の中で、自治体から民活機構へホール活用の相談が各地からありました。
 このご相談に対して、私達は公演事業を専門とするプロダクションの事業領域にまで入ることには抵抗感がある。しかし全国に2400あるといわれる公共ホールの活用策に、自治体が悩んでおられるのだから、きちっとした事業コンセプトの下で、ご協力をしなければならない。討議の結果、一つの答えが出た。
 昔から村のお祭りでは鎮守の森の神様を中心に、村人の触れ合いがある。同じように公共ホールをまちの人々が誰でも参加でき、市民の広場的な使い方をすれば、ホールの稼働率だけを気にしなくても、まちの人々は納得するのではないかと考えました。このような考え方から、ホール公演プラス地場産品の振興事業、ホール公演プラス成人式など、まちの公共事業と公演事業の連携企画を進めました。
 これらの事業は、公共ホールしかできない事業として市民や地元紙の高い評価を得ることができました。このようなまちづくりソフト支援事業を続けている中で、新潟県公文協から御依頼のあったミュージカル良寛に取り組むことになりました。新潟県下の13館の公共ホールが参加するネットワーク公演事業です。良寛は新潟の生んだ賢人です。良寛は手まりをつきながら子供と大人に触れ合っていく。喜びも悲しみも、村人と一緒に分ち合う。そのような良寛はいつしか村人のこころの支えになっていた。このような良寛との触れ合いで育った子供たちはやがて大人になり、巣立っていく。苦難に出会った時でも、「私は死なない。良寛さんから教わった人生を大事に生きていくんだ」という感動的な公演です。
 つまり、今の教育の根幹に触れるようなものがこの良寛公演にはあるということで、たいへんな評判となりました。この公演には良寛と共演する地元の子供ら約1000人が出演するので、まちをあげての催事となりました。出演する良寛ほか、数名のプロは、素人の子供と共演するので、並大抵の苦労ではありませんでしたが、共演するわが子を見て涙を流す親の姿に出演者も会場の人も感激の渦となっていました。




民活事業の進め方

 今まで話したことは、民活機構の体験的な民活事業についてでした。このような過去の経験から私は、民活事業というのは、どうも2つの流れ、2つのタイプがあるのではないかと思います。
 1つは、制度活用型、または、施設整備型とでも言えるものです。もう1つの流れが今まで話した草の根的な民活事業です。私は前者をハード的なタイプと言い、後者をソフト的なタイプと言っています。ハード的なタイプには土地の基盤整備とか、施設づくりが多く、制度活用の多い分野です。私は社会資本の整備というか、住民が生活していく上で大切な基盤整備にかかわるものは、国の制度を大いに活用すれば良いと思います。しかし、そのとき大切なのは、最初の計画段階で、採算のとれる運営計画をきちっと立てておかねばならない。「稼ぎがないから、メンテナンスひとつできない」という言い逃れは民間企業では許されないことです。計画段階から民間を入れ、運用段階でも民間にまかせる。しかし、最初の計画段階では、官民のニーズをはっきり主張し、どこに接点を持つかが大事なのです。
 民活事業では、官民のノウハウの使い方を間違うと、新聞紙上で書かれているように、第3セクターへの不評となるのです。計画段階では、官民の十分な合意形成が大切で、民活機構の「民活事業の進め方」もこの各段階的な進め方を最も重要視しています。
 民活事業にはソフトタイプから入ってハードタイプに至るものもあるし、ソフトタイプだけで終わるものもあります。いずれにしても、民活機構における事業の進め方は最初の段階では自治体と地権者、住民の代表者、議会、県庁、民活機構が入った「地域民活研究会」を設置して、まちづくり構想の検討を行います。
 第2段階は自治体・県、民活機構およびこの事業に関心を持つ地元企業、大手企業(公募を行う)がはいった「まちづくり研究会」を設置して、まちづくり事業原案について、官民のそれぞれの立場から検討を行います。この2つの研究会で、自治体・地元住民・議会側の意向と、企業側の考えが一致したところで、初めて制度をどう活用するかを考えれば良いのであって、最初から制度利用を予定して計画を練ると、後でぎくしゃくしてくるのです。
 
 民活事業を成立させるための、官側対策、民側対策には、どのような配慮が必要かを考えてみましょう。
 自治体は公益性を考えます。民間の方は収益性を考えます。また官側は、住民とか議会を意識します。企業側は、社内稟議書を上げますから、決裁をする上司を意識します。民側の稟議書には「我が社がこの事業に参加することによって、将来的にはこういうビジネスが発生する」とか、あるいは「メセナ事業として社の知名度を高めていくことができる」とかを書くのですけれども、どこの社でも社長決裁まで行くようです。稟議書を書く担当者はたいへんな努力をするのです。
 自治体側は、市町村長が選挙で公約したことを仕上げていかなければならない立場にあり、有権者である住民を意識した行政を進めます。それに対して企業側は、住民を消費者として捉え、消費者の集団であるマーケットを重視して事業を検討します。
 民活事業の成立要件には公益性と収益性、住民・議会対策と社内対策、選挙重視とマーケット重視など、このほか官民の対立点がいっぱいありますけれども、これをどうまとめていくかが、私達の一番苦労しているところです。
 各省庁さんは私のところへ来て、「うちも民活機構のような団体をつくろうと思うがうまくいかない」と言います。また、県庁さんは「官民共同事業の説明会を開いても、企業参加が少ない」とこぼします。この時、私はいつも、いま話した内容のことを申し上げています。民活事業の成立には官民ニーズを満たす事業企画と、官民の納得を得る合意形成作業がポイントとなります。

 熊本県の天草は、行かれるとわかりますが、風光明媚なすばらしい土地があります。西武さんはこの土地の112ヘクタールにゴルフ場とホテルをつくる計画を立てました。この計画を知った住民から開発反対運動がおこり、立木トラストと言われる闘争方法で、土地の虫食い状態をつくったのです。112ヘクタールのうち約22ヘクタールの土地買収ができなかった。この虫食い状態では事業の推進は不可能である、ということで、平成8年の進出協定の期限が切れたのを機に、事業は中止となった。
 民活機構は、この計画にタッチしていなかったので、不明な部分が多いのですが、こういう事業には、先ほど述べたように計画段階から地権者や住民を入れた地域民活研究会で充分なる検討を行い、合意形成を図っておくことが大切です。
 先ほどご紹介した臼杵市の事業説明会では、私達がつくったまち並み復元図を見て、住民代表は「これはうちの倉庫じゃないか。うちの倉庫を所有者の許可なく勝手にこんな茶屋の絵をかかれては困るよ」というように、市側と住民側で計画段階から十分なる検討を重ねていました。事前に汗を流してお互いが話し合い、住民にとっていいまちづくりであることが理解されるまで話し合うことが大切です。このようなプロセスを経ていると、議会も反対しない。天草の話は、「堤さんが来る、それッ!」とばかり喜び勇んで走りすぎてしまい、地権者との話し合いがちょっと足りなかったのではないかと思うのです。現在は、この土地に関する活用策について、民活機構はご相談を受けています。今後この仕事に民活機構がお手伝いすることになるとすれば、自治体・住民と私達が一体となってまず話し合うことからスタートしなければなりません。

 事業のコンセプトと、住民・自治体の合意が形成されれば、民活事業を成立させる次のステップとして私達は「官と民の最適な組み合わせ」についての計画に入ります。
 企業の営業体制は多種多様です。商品別の独立採算を考えた社内シフトを敷いているところもあるし、全商品を総合管理体制で営業しているところもあります。どのような営業体制であっても、各社は商品別の販売戦略を考えています。私達はこのように商品別の窓口がいっぱいあることを熟知した上で、民活事業への参加要請をしています。そうしないと企業は動かないのです。社の総合戦略を立てている、キーマンはだれだ。そのキーマンを動かしている担当者はだれなんだ、というように、1社1社の社内体制や担当者役割を知っていないと企業アプローチは難しいのです。会場の皆さんはこのようなことを良く御存知の方ばかりですから、このような話をしても面白くないかもしれませんが、官側にはこのことを知らない人が多いのです。ある社と組んで民活事業を進めようとするときには、各社の適切な窓口へプレゼンテーションを行わないとダメなのです。ましてやこれが80社、100社と組む民活事業を考えているとなると、1社について5回の説明会を開いたとしても、400回から500回の会合が必要となるのです。そのような努力をしないと、せちがらい経済状態になってくればくるほど、企業さんは民活事業へ参加しません。
 各県が事業説明会を行うと、会場は満杯となる。しかし、事業に参加する企業はほとんどない。これは各社の事業戦略に民活事業企画が合致するものとなっていないからです。民活事業の推進には日頃から企業の事業動向を知っておかねばなりません。
 幸いなことに、民活機構には、民活事業を通して蓄積された企業の事業動向の資料があります。この資料は当機構の重要なノウハウとして御評価をいただき、民活事業を成立させるために自治体のご活用が増えてきまた。




社会の変化と民活対応 

 民活機構創立以来の10年の間には、いろんな社会的変化がありました。まちの人々は、政治家から見ると有権者であり、企業から見ると消費者であり、市町村長から見ると住民です。同じ人でありながら、角度が違うと見方が違っているわけです。そのまちの人々に大きな変化が起こりました。
 バブルの時期には、流行やファッション志向であった人々が、バブルがはじけると実質志向・本物志向に変わってきたのです。
 人々の生活ニーズの変化に、政治も事業も、当然ながら、行政の進めるまちづくりも変わってきたのです。大型の施設をどんどんつくり、観光会社と組んで町にお金を落とそうという発想から、各個人をターゲットとして、本物のすばらしさをしっかりと味わってもらうというまちづくりへと変わってきました。このようなまちづくりの変化を全国規模でつかんでおこう、というので、民活機構は、平成9年の10月から12月にかけて、全国3232の自治体さんにまちづくりに関するアンケート調査をいたしました。
 その回答結果は、地場産品の販路拡大というまちづくりテーマについては、552の市町村、観光事業については445、温泉町の活性化が420、中心市街地の活性化が394、公共施設の活用が307、公有地の活用227、流通拠点の整備168……などのテーマでまちづくりに取り組みたいという意向でした。 22のまちづくりテーマの中からトップより7番目までのまちづくりテーマをご紹介しましたが、自治体は最近になって、皆共通のまちづくりテーマを持ち始めたのです。それは、今、町にあるものを生かしたまちづくりを進めたいという共通の認識があるからです。
 それにもう1つ、自由回答欄にはっきり書いていることは、財政難の折、民間の活力に期待をしている。まちづくりへ民間企業が入ってほしい、というのが全自治体の70%を占めていました。自治体は、まちづくりへの企業参加を切望していることがよくわかりました。

 今回の調査で、共通のテーマを持っている自治体さんが多いことを発見しましたので、私達は、今まで、単独自治体さんに、まちづくり支援活動を続けてきましたが、今後は広域連携又はネットワーク事業として、取り組まねばならないと思うに至りました。そのためには、まず共通のテーマを持つ自治体さんが一緒になってまちづくり共同研究ができるシステムをつくることにしました。
 このシステムについて、現在進行している事業例を申し上げながらご紹介いたします。調査では温泉資源を生かしたまちづくりを進めたいとする420の市町村があることが分かりました。温泉まちづくりを志向する420の市町村の分布は、ほとんど全国の地域にまたがっています。この温泉まちは、10年前に比べて、ひどいところでは50%の客が来なくなった。何とかやっている、と言っているところでも20%減、ごくまれなところで5〜6%の減または微増となっている。温泉まちは、経済的に非常に厳しい状況にあります。温泉まちの市町村長さんはこの状況を放っておけない。何とかしないと、町の財政にも大変な影響が出てきた、と悩んでおられるのです。バブル期の温泉は、大きな宴会場に大きな風呂場という組み合わせで考えられて、温泉は主役ではありませんでした。浴場はサイドに置かれた存在だった。これからは温泉を主役にしなければならない。そのためには、温泉療養という切り口で、温泉イメージの再構築を図ることにしました。
 温泉による「治療」について専門の先生に話を聞いてみると、慶応大学の医学部教授は「温泉の治療的分野では、まだ十分に研究され尽くしているわけではない」と言われました。そこで私達は治療の「療」と保養の「養」をつけて「療養」という言葉に置き換え、温泉療養をキーワードとして、温泉のイメージ形成を図ることにした。温泉キャンペーンではリュウマチ、カリエス、胃弱、皮膚病などの「温泉効能」を強く前面に押し出すことにしました。
 これらの温泉療養のキャンペーンによって、温泉のイメージを変えるのと同時に、温泉まちに見えた客に対して、温泉まちらしさに感動してもらわないと再度の来訪が期待できなくなるので、その町の個性に合った湯の町の演出をすることも大切なポイントとなります。

 当機構では本年から、まちづくりインターネットを開設しています。このインターネット上で温泉まちづくりを志向している420の自治体さんと温泉まちづくりの共同研究をしていくことにしました。自治体さんは、この研究会を通してご自分のまちづくりの方向を決めるヒントを得ていただくことが、この研究会設置の目的です。
 まちづくり共同研究会では、現在進行中のまちづくりにご登場いただき、このモデルを中心にまちづくり研究を行います。現在の予定では、温泉−静岡県天城湯ヶ島町、物流−佐賀県鳥栖市・熊本県八代市、などです。温泉をテーマとした場合には、先に述べた天城湯ヶ島町の「温泉療養の宿」が点在する温泉郷のまちづくりをご紹介する予定です。
 また、物流のまちづくりの場合には鳥栖市(内陸物流拠点)、八代市(港湾物流拠点)とそれに空港物流拠点(予定地未定)を加えた九州物流として、物流をテーマとしたまちづくりにはどのような整備が必要なのか、などについて162の物流まちづくりを志向している自治体と共同研究をはじめる予定です。

 先ほどご紹介申し上げたように、当機構でお手伝いをしているまちづくりには、物流基地づくりの鳥栖があるし、八代もあります。両市は、内陸物流と港湾物流の拠点となるところです。これに空港物流を含むと、陸海空の立体的な物流のあり方の研究ができます。これはコンテナを含めたいろんな物流問題を考えなければなりません。企業は物流コストを下げるためのあらゆる研究を進めています。各企業が進めているこれらの研究成果をインターネット上で発信して、162の物流まちづくりを志向している自治体と共同研究を始める予定です。
 また、この共同研究では物流に対する企業の考え方などもご紹介します。これにより物流基地作りを目指す自治体は民間企業がどのような整備を求めているかがわかるので対応策が立てやすくなります。更に自治体側はこの物流基地に地場の特産品の販売をどう乗せていくか。自治体の中でもいろんなアイデアが出てくる。物流でも温泉でも同じことですが、今後は共通のまちづくりテーマを持っている自治体間の連絡が密になって行くでしょう。
 各自治体さんは隣の町が進めたまちづくりに対して、うちのまちもやるんだという意識が強いのです。
 香川県のあるところへ行った時のことです。商工会さんのご紹介でまちづくりの懇談会が始まりました。地元の中小企業の人、商店街の人が集まっていました。午後6時頃から10時くらいまでのぶっ通しの会合です。
 出席した皆さんはまちづくりについてたいへん熱心で、私もついこの熱意に動かされてしまって、遅くまでお付き合いをしました。町の人々は口々に「うちの町は何もない。隣に温泉が出たのだから、温泉の脈が地下にあるはずだ。掘ろうかな。幾らかかるか。1億。どのぐらい掘るんだ。1000メートル」という会話が続きました。そこで私は「どこだって1000メートルか1500メートル掘れば、それは温泉は出てくるでしょう。でも、その必要がありますかね」と言ってしまったのです。隣町といっても、自動車でわずか4〜5分の距離しかない。少ない人口のところに、同じものを作るよりは、互いの町にないものをゆずり合って作ればお互い便利になるのではないか、との思いから発言したのでした。
 自治体も競合、企業も競合、ではまちづくりにロスが出てきます。もう少し広域的な視点で、まちづくり計画を練りたいものです。今回の調査ではまちづくりについて、同じテーマを持っている自治体の多いことが分かりました。同じテーマについては共同研究を行い、それぞれの町はその町しかないものをどのように演出していくかを考えて、共通テーマとは違う部分で個性化を発揮していけば良いと思っています。

 前にも触れたように民活事業はこれから新たな展開が始まると思います。今までは、市町村別の施設づくりや運営に民活事業手法を取り入れれば良かったのが、これからは広域連携・ネットワーク事業へと移行することが予想されます。
 温泉資源を活用したまちづくり事業を例にとると、天城湯ヶ島町の温泉まちづくりは、やがて中伊豆に広がり、それが伊豆半島から箱根へと広がると予想されます。なぜならば、温泉利用のお客さまは伊豆、箱根という広域地域で温泉療養を考えるからです。この動きを見ている温泉地の全国自治体さんは、同じような広域連携事業を考えざるを得なくなります。その動きは、やがて広域地域と広域地域を結ぶネットワークへと移行するでしょう。
 このように民活事業が広域連携・全国ネットワーク事業へと移行し始めると、全国的な展開となっていく民活支援事業は企業から見れば、全国的なマーケットになった、と見るでしょう。それが企業の戦略にピタッとかなうということになれば、異業種が一緒になって、スクラムを組んで、この事業への参加が始まると思います。そうなれば民活支援事業はこれから支援形態を変えざるを得なくなります。




まちづくりにおける民活の役割

 まちづくりはこのように単独自治体の計画から広域連携事業へ、広域連携から全国ネットワーク事業へと広がった視点で計画されるようになります。
 この広がりのあるまちづくりの支援を考えて民活機構は平成10年度事業から「まちづくり情報センター(みんかつインターネット)」を設置しました。みんかつインターネットでは先ほど申し上げたまちづくり共同研究を行います。まちづくりネットワーク事業が進めば「官+民」の最適な組み合わせにも、大きな変化が始まります。一定業界中心の「官+民」から、メーカーや流通業界などが参加した異業種組み合わせの「官+民」が始まるからです。
 民活事業は、情報通信のインフラ整備によって自治体のまちづくり共同化が進んでいく。あるいは、共同化できない部分もはっきりしてくるでしょう。まちづくり事業のネットワーク化が進んできても、国の支援制度がこれに間に合わないとするならば、民活機構も含めて、本日会場にご出席の財団、社団が一緒になってネットワーク事業にどう取り組んでいくのかという研究をしたいですね。いろんなノウハウを出し合って地域のまちづくりに貢献するという時代になってほしい。まちづくりは各省庁を超えて、横断的な事業としてソフト面、ハード面の両面から取り組んでいかなければいけないのではないか。自分のエリアだけがうまくいけばいいという時代は終わりつつあるのではないか、と思っています。


 私は体験的な民活事業についてずっとお話を申し上げてきたのですけれども、ここで民活事業を推進する皆さんにぜひご紹介しておきたい先進事例があります。
 香川県の満濃池を御存知かと思います。満濃池は、美しい池で、湖と言った方がいいかもしれません。この池は今から1177年前に大変なドラマがありました。2000年前のこの池は雨が降るとすぐ氾濫して死人が出る。大雨のたびにいろんな災害がおきる。地元の人はみんな集まって、必死で築堤を行う。しかし、大雨が降るとすぐに堤は決壊する。一向に解決できない。今から1200年前は、律令政治があり、その制度によって、指定された人しか働けないという仕組みがあった。彼達だけでは、この問題がどうにも解決できない。悩みに悩んだあげく、一つの解決策を見つけた。「讃岐の国から出ている傑出した人、空海さんが京都にいる。この人は唐から帰ってきて、技術も持っていると聞いている。それにこの方は神通力を持っている」というので、村人は空海さんに力になってもらえるように働きかけて欲しいと、当時のお役人である国司、郡司に懇願した。
 空海さんは、後の弘法大師です。この空海さんは、ふるさとからの要請であるし、果たして自分の力でできるかどうかという迷いもあったのかもしれません。しかし、郷土のためになんとか役に立ちたい。こう考えた空海は、祈りに満ちた気持ちで、京都から讃岐に向かった。驚くことに、彼の徳を慕う人々が、ぞろぞろ、ぞろぞろとその列に加わってきた。その列の中には老若男女や、役人、百姓、商人などのあらゆる層の人が加わったようです。満濃池に着いた時には5万人の群集となった。当時は日本の総人口が500万ですから、その中の5万人といえばたいへんな人数です。全人口の1%です。満濃池の周辺は黒山の人となりました。
 空海さんはこの5万人の人に向かって「天は我に味方している。みんなで力を合わせてこの工事に当たろう」という言葉に、ウワーッという天をもゆする声の中で作業にかかったのです。やがて、この作業は完成した。大雨がきた。多くの人々は空海とともに池に向かって祈った。池はびくともしなかった。その姿が今も残っている。
 私はある日、満濃池を見に行くことができました。とても1200年前の池とは思えない立派な池だ。そのとき、私はこの築堤のドラマを思い出し、これが民活のあり方じゃないかと思った。限られた人々では解決できなかった大工事が、空海のもとへ官民のあらゆる層の人が集まって築堤工事に加わり、その人々の心が一つになって、熱気を帯びて、まちづくりをすすめた。その池が今も残っている。私は深い感動の中でこの池を見ていました。

 果たして我々が行っている民活事業で、地元の住民が燃え、自治体が燃え、国が燃える事業がどれだけあるのだろう。私は、新しい民活事業に出会うたび、満濃池のドラマを思い浮かべて、果たしてこの事業は住民が熱を帯びるかな、地元の企業は本気になるかな、県が動いてくれるかな、国がこれを認めてくれるかなと考えます。熱のない事業はやがて頓挫してしまう。ダメになってしまう。まちづくりに人々の心が集まらない限り、民活はやがて衰退していくでしょう。私はこのドラマを通して、改めてまちづくりにおける民活事業の役割を皆様とご一緒に考えてみたかったのです。
 残りの時間は会場の皆様とのディスカッションと聞いています。
 私の知っている限りのことは何でもお答えします。私は、どちらかというと、ディスカッション型、討論型の人間でありまして、こういうところで余り立派なことを言うのは下手なのです。そこで本日は、民活機構が歩んできたまちづくり事業のありのままを御報告をすることにしたのです。私のワンウェーの話は終わりといたします。




フリーディスカッション

司会(谷口)
 
きょうはご質問、ご意見の時間を普段より長くとって、これにお答えいただきながら、理事長の方から、さらにお話をすすめて行って頂きたいと思います。どうぞご遠慮なく御自由にご質問、ご意見をいただきたいと思いますが、いかがでしょうか。

松原(岡村製作所)
 現在、会社の活動というより土、日も地域でいわゆる市民運動としての活動も行っています。私が住んでいる茨城県の竜ケ崎ですが、主婦を集めて土手に花を植えようなど、要するに下から立ち上げをしています。
 民活とは、講師のお話ですと企業と行政が主ですけれども、私は住民サイドががまちづくりでは結構、重要と思っています。その辺のところがお話の中ではあまり聞かれなかったのですけれども、そういうパワーが日本には足りなさ過ぎるのではないかと思っています。
 私自身も会社人間になりきり過ぎている反省から、土日は住民サイドの活動をしております。NPO法案ができても、例えば、アメリカあたりでは、いわゆるNPO事業というか、ノンプロフィットの事業に7%ぐらいの就業人口がいると言われています。その方たちは、別にそんなにお金をたくさんもらおうとするわけではなく、そこに情熱を傾けて、仕事をしながら、まちづくりに参加していると理解しています。日本は、そういうレベルのところがほとんどゼロに近く、おそらくNPO法案ができても税制措置などはまだ不完全ですから、組織化しても実態はうまく機能しないと思えます。一方で企業が中心になりますと、どうしても利益中心です。
 今、景気が悪いと言われてますけれども、個人的な意見では企業の中には、実質失業者がいっぱいいます。彼らの中には、阪神大震災のときにボランティアが活動したように、いろんなことをやりたがっている人もいるはずです。そういう人のパワーは企業という名のもとで、利益だけを出そうとする仕組みにはめ込まざるを得ません。ほかの仕事ができない、仕事がない、はめ込まれて嫌々やっている集団が、いわゆる企業の中の実質失業者で失業率には出てきません。生産性をあげてないそういう人口が日本はちょっと多いのではないのでしょうか。時代がここまで来たら、もう少し市民活動のエネルギーが出るようにした方がいいんじゃないかと私は思っているのです。それが行政とリンクして、もちろんそこにおっしゃられるように、民活と称する企業が参加する。そういう意味のトライアルに火をつけるような部分に関与したらどうかなと思っているのですが。

里氏
 おっしゃるとおりです。同感です。実は、「公共ホールの有効活用」というテーマで良寛公演事業を請け負ったとき、地元の中学校、高校の音楽の先生が子供を集めて、お母さんと一緒になって出演の練習をしました。民活というのは、民間のノウハウを動員することですから、民間のノウハウの中には、資金も入っているし、技術も入っている。中学・高校の先生のような個人のパワーも入っているのです。どちらかというと、民活ノウハウの中には資金が非常に大きなウェイトを占めています。民活事業というと民間の資金力と、それを回収する能力、運用する能力などだけが強調されてしまうものですから、民活はおっしゃったようなイメージになってしまうのです。民活というのは住民が入っています。私達の民活事業では、最初に住民との話し合いから始まるのです。

 住民が参加したまちづくり事例をもう1つご紹介しましょう。第1号の民活事業として、洞爺湖のある虻田町で、グリーン・ステイ・ガーデンをつくりました。2万坪の畑だった所です。この土地は湖に向かって斜面となっているので、雨が降ると土も流れてしまうのです。すてきな斜面の景観を失いたくないというおもいから、町長さんも住民もこの事業のために立ち上がった。地元住民・企業,大手企業が参加した草の根民活事業の全国のモデルとなるところです。そのとき住民は何をしたかというと、自分の山にある木を1本ずつ寄附して、この斜面に住民が植樹したのです。今どき聞いたことのないすがすがしい出来事です。まちづくりというのは、このように住民の心が集まらないとうまくいきませんよ。
 今高齢化が進み、子供の教育を考えたとき、奉仕的な事業エリアは広げなければいけません。同時に企業もそれに目を向けていって、資金、技術面の協力をすることが大切です。ボランティアばかりでは、まちづくりも不可能となる場合があります。やはり、お金がなければ現実的なまちづくりとはなりにくい。自治体、企業、住民が上手にかみ合って、共同で事業が進んでいるところに、制度も及んでくるようにしたいですね。

赤松(潟lオナジー)
 昨年の3月まで竜ケ崎の大学院におりまして、今は自宅のある神奈川と、仕事でかかわっております千代田でいろいろまちづくり等の活動にかかわらせていただいております。
 第3セクターに関してですが、成功事例はたくさんある中で、失敗もあったというお話をいただきました。その経験をきちんと整理することなしに、PFIに飛びついてしまう形ですと、うまくやれば日本に根づくかもしれないPFIという制度が、第3セクターの経験を十分に分析しないがために、第3セクター同様、何かブームに乗ってやったけれども、うまくいかなかったじゃないかという懸念があると認識しております。PFIが日本にきちんと根づいていくために、第3セクターの問題をいかに整理したらいいのか、どういう観点でみていったらいいのか、その辺のお話をちょっといただければと思っております。

里氏
 PFIに関しては企業数社の方と研究をしているところです。企業さんのお話では、「自治体は公共性、企業は収益性という両面から事業成立の可否を判断することになります。PFI事業のアイデアは、イギリスの事例を見ると企業にとって大変興味深い事業だと思っています。しかしお金を出す企業側から見ると、災害があった場合はだれが補償してくれるのか。例えば、地震があって、ごみ焼却場やビルが崩壊した場合、使用側の公共団体が補償してくれるのであろうか。」という点を気にしていました。
 それからもう1つの問題点は、選挙で市長さんが代わり、金利の変化があった場合、市民や議会から「過去のこんな高い利息のものをなぜ市が負担しなければならないのか。利息が安くなった分だけ使用金から差し引け」と言われた場合、企業は過去にお金を借りて既に施設を作ってしまっているのだから、いまさら金利が下がったからといって、その差額分を戻せというのはまことに無理な話である。PFIを実施する場合には、弱い立場の企業保護策が必要である、と言っていました。
 PFIの事業は、20年〜30年という長期の賃貸借契約となり、その借りる側の態度が変わったときにどうなるんだろうというところが、問題点として残ります。
 政府は、第3セクターの問題点を整理してから新たな取り組みであるPFIに取り組むべきだというお話はごもっともだと思います。第3セクターの事業は、計画段階と運用段階との両方に民間のノウハウを生かしていくべきだ、ということを先ほど述べました。私は、第3セクターの問題は、計画の進め方と運営のあり方にあると思います。

月見里(多元空間えんがわ)
 数年前に退官しまして、古い人も若い人も個人で働く場を、あちこち小さな空間を使ってみたらどうかと思って、秋葉原に「えんがわ」という小さな空間をつくって実験をしています。たまたまその空間に来る人の中に、町の地域おこし、村おこしの問題がいくつか発生していまして、北海道、長野、沖縄、こんなところでいろいろ出ている問題があります。それから学会誌の紙が腐ってしまい、まだ完全にコンピュータに移してないのに活字自体が消えてしまうという問題も出てきてます。今、リストラで何か縮み上がって、あちこちの社長に問題解決を頼んでも動かないですね。官の方もちょっとでも政治にかかわれば逃げ腰ですし、こういうところと組んでやっているうちに、また気が変わるとか、抜けるとか、はしごを外されたりすると大変だな、と実は思っています。
 今は年金生活者が汗をかく時代じゃないかと思うのです。地域に年金生活者がグリーン・ステイのような意味ですけれども、長期滞在をして、これから残さなければならない資料を持ち込んで、毎日コンピュータで4〜5時間はうちこんでます。そこから、しだいに何かを残す運動をするような問題に移って、その近所の観光とか何かをやるような、いわゆるボランタリーワーク、自主的な活動を何かできないかなどと話し合ってもいるのです。
 もう1つは、北海道の方から頼まれて見に行って、知床あたりにはナショナルトラスト運動が始まってました。行った途端に7000〜8000円取られましたが、今はお金もパワーも産官じゃなくて民間が動かなければしようがないという感じがしております。ただのステイというだけでなく、何か社会のためになるような仕事をする。そういう仕事の種類を見つけるという方向もあっていいんじゃないかと考えている矢先でした。
 例えば、ネパールにボランティアで行きました。トレッキングという形で外国旅行をする人とボランティアで外に行く人がふえて事故も多くなっています。長野県にトレッキングとかボランティアで出かける人の第1次訓練所みたいなものをつくってはどうだろうかとかも考えたりしました。
 あるいは人形なら人形の博物館を全国チェーンでインターネットに載せながら、特徴を紹介していくとか、年金生活者が無料で少し汗をかいてみるための「この指とまれ」という運動を起こしてみたらいかがかと感じております。何かその辺の情報がありましたら、教えていただきたい。

里氏
 こちらにときどき見えている伊藤滋先生も定年を迎えられて、東大から慶応に行かれてます。私も今年で68となりました。やはり晩年に大切なのは、持っているノウハウを燃焼するのが生き甲斐に通ずる。これは私自身が強く感じているところです。
 日本は少子化の中で、これから先どうなるのだろうかと心配する人がいます。私も年配といわれますが、自分は年寄りだと思ったことはありません。いつも持っているノウハウを燃焼するようにしています。汗をかけと言われたら、かきますよ。年齢に関係なく持っているノウハウを上手に使うということであれば、日本の労働人口はまだまだ余りますよ。ご質問のように各所で民活事業として働かされるのは大賛成でありまして、そういう仕組みをつくっていくといいかもしれません。
 民活事業は評論家じゃいけません。ゼロからスタートして、グリーン・ステイ・ガーデンをはじめました。それを通して、いろんなまちづくりテーマが入ってきたと話しました。同じように、何か1つ目標を立てて、行動を起こすことです。私が長野県大町市に行ったとき、あそこには登山の家があります。そこには、おっしゃるように、年配の人もいて、登山指導をしています。みんな喜んでこの事業に参加しています。とにかく具体的なものでチャレンジしようじゃありませんか。まちづくりの中ではいっぱい仕事があるはずです。

東(建築家)
 中野で設計事務所をやっていまして、中野区や杉並区で仕事を通じて、または仕事以外のボランティアで本当に一生懸命まちづくりをしているつもりの男です。
 きょうはこの「まちづくりガイド」のパンフレットにしても、先生のお話にしても、基本的なことはほとんど地方のお話が多かったのですけれども、財政逼迫などは23区でも同じような状態です。そこで都内における民活をどうしていったらいいのか、ノウハウがあれば、ぜひ教えを賜りたいと思います。

里氏
 都心の抱える問題は、いっぱいあると思います。そこに民活がどうやって入っていけるのか、民間パワーはどのように入っているのか、まちづくりのテーマ別に考えていかなければ、東京の場合、非常に難しいですね。すぐ土地問題、地上権などの問題に当面します。当機構はまちづくりが発生したら、まず土地に関することはすべて自治体にお願いします。クリアになった地上の利用について私達はお手伝いをしています。
 民活事業というのは、モデルをつくることから始めて、それを大きく膨らませていく。小さく産んで大きく育てることで事業が見えてきます。民間企業はみんなやっているのです。もしこのような手法を都がとりあげ、それを民活事業で進めたいとなったら、私は立ち上げてみたいと思います。何か具体的なものが発生したら、それに向けて、民間ノウハウをどう使えるのか、考えてみたいと思います。

月見里
 民活における地域性、例えば地方には入会権に似た団体があります。ABC3地域の行政区画がまたがって1つの団体のようなものをつくったりとか、東京の人が団体をつくって沖縄や北海道にいろいろ民活の施設、保養施設その他リゾート、いろいろなものがありますが、そういう地域性の関係についてちょっとお聞きしたいと思います。

里氏
 特に土地問題だけでまずお答えします。入会権のようなものは私どもが行ったところでは必ず発生しています。私は土地はもともとその地方へ神様が与えたもので、その使い方は住民やその周辺が真剣に考えることです。私はいつも市町村の自治体さんに土地の整備をお願いしています。自治体さんがやれば、地元住民のニーズに直結するはずであるという読みです。土地を買って整備をするのは国と県と市町村にお願いする。その土地利用、地上の事業については民間のノウハウを使っていただく。私達はずっとこの考え方でまちづくりのお手伝いをしてまいりました。本日会場にご出席のみな様は、そういう御専門の団体さんばかりですから、私のこの考え方でまちづくりを進めたいということであれば、私達とジョイントできるのではないかと思うのです。

月見里
 今、都市の真ん中にものすごい過疎地域ができています。特に土日になるとガラガラで空間が遊んでます。戦争で生き残った人間ががむしゃらに働いた結果、若い人に譲ったものは時間でしょう。長寿とか余暇とか休暇など時間の方はずいぶんつくり出したんですけれども、空間の方は窮屈になっています。昔、経営者の団体の集まりの中で、人生50年、あとの25年を有効に使うために49歳以下が月火水木と働いて、50歳以上が金土日と働くという話をしたことがあるんです。その当時JRの方は非常に大賛成でして休日ダイヤを組まないで済むというし、東京電力の副社長が、電力だってピークカットが要らなくなる、本当にそれができれば、日本は万々歳だなんて笑ってそれで終わりました。あちこちに呼びかけても、やろうという人間はないです。何か具体的にもっと日本が本当に活性化するために何か御意見はないでしょうか。

里氏
 今のお話を整理すると、都心の中にある過疎地活用をできないか。その活用の中に、高齢者をうまく使ったらどうだ、というご質問ですか?
 都心の過疎地問題というのは、その土地についての地上権などで、なかなか活用しにくいことが多いようです。
 御年配の人の持っているパワーを使うことについては、全く同感でありまして、昔は同じ家庭にあっても、おじいちゃん、おばあちゃんがいろんな生活の知恵を教えていた。今の若い人はそれがない。核家族になればなるほどそれがない。まちづくりについても同様で、経験豊かな年配者の知恵を大いに活用すべきだと思います。高齢者のノウハウ別のリストを作ってセールスすれば、その道はあると思います。
 具体的な事業目的がないと、何となく集まって慰め会みたいになってしまいますから、具体的な事業で突っ込んでいくということを、お勧めしたいと思います。

阿津澤((財)埼玉総合研究機構)
 この分野については、私は専門ではないのですが、最近どこに行っても地域コミュニティーとかまちづくりとか、そういった話題が多くて、みんな同じようなことしか言っていなくて、まちづくりのためのまちづくりみたいな感じになっていると思います。住民が考えるまちづくりと、企業が考えるまちづくりと、行政が考えるまちづくりというのは、果たして同じものかなという疑問を持っているのですが。

里氏
 企業というのは、採算性、収益性ということを重視すると申し上げました。自治体さんは、公益性を重んじる。自治体さんのトップは選挙対策を考えている。企業は、消費者の要求をよく見ているというところで、かなり違う部分があることは事実です。だから、私は部分的な開発という時代は終わった。むしろ地域連携、あるいはネットワークをお勧めするということを私見として申し上げました。
 企業はマーケットがどう変化するんだという市場の動きをじっと見ているのです。ところが1地域だけですと、例えば埼玉のある地域だけですと、コミュニティーホールをつくりましょう、コミュニティースペースをつくりましょう、あるいはこういうまちづくりをしましょう、というように、通り一遍の姿になります。しかし、それでもその地域に必要であれば、行政としてはやはりつくらなければいけないと思うんです。
 住民ニーズですから、生き甲斐づくりのために、こういう施設をつくって、そこにお年寄りが集まって、楽しく碁や書道をやったらどうだ、なんていう話もあるかもしれません。けれども、民間企業というのは、非常にマーケットを重視しておりますから、どのような事業にでも民間企業が参加するとは思えません。まちづくりはすべて民活で解決できるとは思いません。民活事業には必ずお金がかかります。理想的なことを言っても、それを完成させるためには、お金と労力、あるいはその前段として企画が必要です。そこにどういうものが必要なのかということをよく調査をして、住民の話を聞いて、そこに何かしかるべきものをつくっていくということです。
 コミュニティーづくりである、何とかづくりであるというサンプルは山ほどありますけれども、それに対して民間のノウハウをどうやったら組み入れられるかは、マーケットという側面から見なければいけないし、多側面から判断しないと、企業は動員できない時代になっていると思います。不景気になればなるほど、お付き合いの予算は全くないと理解していいかと思います。

阿津澤
 まちづくりのテーマという部分で、自治体が回答しているということですが、果たして住民の意志かなと思っていたのです。自治体が勝手に考えているだけで、実は住民は別のことを考えているかもしれないし、先ほどの質問にもありましたように、住民運動をやる人は非常に少ないということでお話がありまして、それで自治体の考えていることと住民の考えていることは実は違うのじゃないか。その辺のすりあわせから必要なのではないかと考えたのですが。

里氏
 最初に住民の方としっかり話を詰めておかないと、何となく自治体さんの構想が机上の空論だったり、あるいは予算があるから使ったという形になりかねません。住民ニーズを十分に吸収した事業にするためには、住民を含めた事前の打ち合わせが必要であるということです。

 まちづくりは、民活ですべてができるとは思いません。しかし、民活でまちづくりを進めたいと思う時には、民活には2つのタイプがある。一つは草の根民活事業手法であり、もう一つは制度を活用した民活である。その2つのタイプが今ではミックス型となり、一本化されてきている。ということを話しました。
 本日の話をまとめて言えば、民活事業ははじめに草の根民活事業でスタートして、その後、制度利用の民活を検討すべきだと言いたかったのです。また、まちづくりには、何よりもまちを良くしたいという住民の熱意がなければダメである。その事例として空海さんのドラマをご紹介いたしました。まちづくりを進めるのは住民であることをもう一度ご認識頂きたかったのです。それがスムーズに伝わらなかったとすれば、私の話し方が下手だったということになります。

司会(谷口)
  どうもありがとうございました。(拍手)
 


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