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第127回都市経営フォーラム

国土のグランドデザイン

講師:伊藤 滋 氏
慶応義塾大学大学院政策メディア研究科教授


日付:1998年7月22日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

 

1.国土計画の性格と役割

2.作成上の主要視点

3.国土軸について

4.大都市の問題

5.計画策定の過程

6.審議会と行政組織

 フリーディスカッション




 この話題は、1年半ぐらい前に皆さんの前で途中経過をお話ししましたので、多分きょうの話はある程度ダブっているかと思います。そういう点で、この前の話をお聞きになった方は、またかということがあるかもしれませんが、お許しいただきたいと思います。

 この3月31日に、ようやく5番目の国土計画が「21世紀の国土のグランドデザイン」という名前で世の中に出ました。そして、6月には割合読みやすいパンフレットが出ました。厚い白表紙のものよりも、この薄いパンフレットの方が読みやすいかなと思っております。何かのときにはこちらをごらんになった方がいいでしょう。国土庁の計画調整局計画課が問い合わせ先のようです。それをちょっと前に申し上げて、これから本題に入りたいと思います。



1.国土計画の性格と役割

 「国土のグランドデザイン」という名前をなぜ使ったかということをまず初めに申し上げたいのですが、「グランドデザイン」というのは英語ですから、私なりにつまらない日本語で並べますと、「国土の整備方針」と言った方がいいのではないかと思います。どうも、計画ではないと考えた方がいいかなと思っています。
 なぜかと申しますと、「計画」というと、国家の国土空間に対する計画ですから、それなりの覚悟をした枠組みをつくって、その覚悟した枠組みを国民にきちっと示して、その枠組みを守っていくという相当強固な意思があるのが計画だと思うのです。
 国全体に対する計画は、一番なじみやすいのは、社会主義諸国であったわけで、ソ連なんかはいつも第何次の国土の整備計画なんていうのをつくっていたわけです。しかし、その計画が片方で、形としてはきれいに整っていますが、実体としてはうまくいかないというのは、ソ連が崩壊したという事実によって証明されているわけです。
 往々にして国家の意思をきちっと表明するほど、計画をしっかりつくればつくるほど、実体に合わなくなって、とんでもない間違いを起こすということは、日本の国土計画についても、これまで4つつくったわけですが、ある程度、正しかったかも知れません。
 国の強い意思は、具体的に何によって証明されるのかといいますと、これはしばしばお金で証明されると言われます。
 例えば、これまでの4つの国土計画が「21世紀の国土のグランドデザイン」の前につくられております。1番目の「全国総合開発計画」はちょっと違いますが、2番目の昭和44年(1969年)の「新全国総合開発計画」、3次の昭和52年(1977年)の「全国総合開発計画」、4次の昭和62年(1987年)と3つのうち、「新全総」という2番目は、具体的に昭和41年から昭和60年までに、昭和40年価格での累積政府固定資本形成を130兆〜170兆円であることをきちっと明示しておりますし、「3全総」では、昭和50年価格で、同じく政府の累積の固定資本形成は、昭和51年から65年まで約15年間、370兆円であることを明示しております。「4全総」では、ちょっと分類が違いますが、昭和55年価格で公民、政府と民間両方による国土の基盤投資の累積額は、昭和61年から平成12年まで15年間、1000兆円程度。政府が国民に計画をしっかりとやっていきますよということを、金額でこういうふうに明示してきたわけです。もちろんこの金額については、きちっと精査した数字ではございませんで、おおよその見通しでつくるわけですが、しかし、金額がはじかれるというプロセス、段取りは大変重要なことなわけです。
 例えば、新全国総合開発計画は先ほど言いましたように、昭和41年から昭和60年まで、昭和40年価格で130兆から170兆の政府の累積の固定資本形成をうたい、その枠組みのもとに具体的な開発方式として大規模開発プロジェクトを打ち出したわけです。新幹線も大規模開発プロジェクトの1つであるし、高速道路の整備も大規模開発プロジェクトであると言っているわけです。
 また、苫小牧東部とかむつ小川原の工業基地整備も大規模開発プロジェクトであると言っています。したがいまして、130兆から170兆円をはじくときには、当然新幹線はこれぐらいまでつくるとか、高速自動車道路網はこれぐらいまでつくる。おおよその新幹線の延長とか高速自動車道路の延長、それから苫小牧東部の工業基地開発で、その買収面積、それに関連した港の整備、こういうものをおおよそはじかないといけないわけです。
 したがって、お金が出るということは、地方政府にとっては極めて深刻なことでございまして、最終的に考えている国土計画と言われる累積政府固定資本形成の中に、例えば、1つの県を考えますと、いつもここで私は山形県を取り上げるのですが、山形県の酒田北港、昭和44年ごろの新全総を例に挙げれば、山形県庁は酒田北港という堀り込み港湾が新全総でうたわれているかどうかということは、非常に神経をとがらせ、場合によっては、知事の選挙にかかわるなんてことになるわけです。これは新潟県でも同じですし、富山県でも同じ話なわけです。
 ですから、これまでの4つの全国総合開発計画は、整理をしてまいりますと、最終的には政府の公共投資の15カ年計画についてのおおよその枠組みを整理することが極めて重要な作業であるというのがずっと続いていたと私は思います。
 それに対して、今回の「国土のグランドデザイン」はお金を明示しておりません。何もお金を明示しなかった意味はかくかくしかじかであると、今の平成10年の時点の社会情勢から、新聞記者とか学者が論評するという話ではなくて、前にも申し上げたかもしれませんが、5番目の国土計画である数字を出すということは、その当時の政府の財政計画上極めて重大なマイナスの影響力をもたらすのではないかということがしきりにささやかれていたのです。
 その結果、大蔵省が国土庁のつくる5番目の国土計画を認める上での極めて重要な条件として、これまでのように何らかの形で政府が言う何兆円というお金の枠は書かない、という約束がされていたと言っていいと思います。
 これから私が申し上げます、なぜかというのは、今の社会経済情勢から言うと、「そういうことがあったかな」という懐かしい話になっていくのですが、しかし、筋を通しているという点では、私はそれなりに意味があったと思うのです。
 つまり、多分今から5年ぐらい前にさかのぼるかと思いますが、バブルが下り坂でしたが、日本の景気が悪くなってきますと、皆様ご存じのように、日本の企業は猛烈な勢いで輸出ドライブをかけるわけです。円高になってまいりまして、円高であるにもかかわらず輸出ドライブをかけて、海外へ物を売ることで日本のGNPの伸びをある一定程度に維持していこうということをやりました。
 その結果が、今でも同じですが、アメリカ側から見ると、猛烈な対日赤字、日本側から見ると、膨大な黒字を計上することになる。当然今と同じ話になるのですけれども、アメリカが常に言っているように、日本の内需を拡大してアメリカに向けての輸出ドライブをある程度抑えていけ、こういう要求があった。
 当時のことを考えますと、5年から6年前には、いろんな食料品の輸入枠が広がってまいりました。牛肉に対しての関税措置とか、さくらんぼも輸入を解禁するとか、そんな話があった中に、例のウルグアイ・ラウンドに代表されるお米の輸入に対しての割り当て制度がありました。アメリカから何トンとか、タイから何トンとか、お米を輸入するということですが、もうじきこのお米の輸入は関税制度になるわけです。関税をかけることで関税の率を一定程度にするけれども、輸入量については言及しないという形になるわけです。これはウルグアイ・ラウンドの合意という形で今から5年か6年前に、日本政府は先進諸国とお米の自由化について合意をした。こんなことを御記憶だと思います。
 そういう状況の中で、日本政府はアメリカにどういう公約をしたかというと、昭和65年から75年の10年間の中央政府、地方政府の固定資本形成、公共支出と考えてください。公民にわたる道路とか鉄道、NTTも入ります。だから、全部政府ではなく、一部公益企業も入れて、これの10年間の社会基盤に対する投資額を430兆ぐらいだろうと言っていたのを、日米の経済協議の中で突然経済企画庁は200兆円上乗せして、昭和65年から、当時の昭和75年ベース、2000年ベースで10年間で630兆か640兆にしたのです。このことは御記憶の方も多いと思います。
 200兆円上乗せした。それに対して、ウルグアイ・ラウンド対策費が約6兆円、これも突然追加になったことも御記憶だと思います。ですから、足して約640兆から650兆の公的支出、田んぼの整備とか道路の整備、飛行場をつくる、港湾をつくる、新幹線をつくるとか、そういうことをやりますよとアメリカに約束したわけです。これは10年間です。国土計画はこれまでは大体15年です。何年とは言っておりませんが、4全総も15年間、3全総も15年間です。ですから、15年間にしますと、1000兆円になる。1000兆円の公共事業を15年間でやるとなりますと、この金額は本当に日本国民の税金だけでできるのか、財政支出、国債を出す政府の赤字は一体どういうふうにしてこれをしりぬぐいできるのか。こういう話が当然出てくるわけです。
 1000兆円を1億2000万人で割りますと、1人当たり80万ぐらいになる。赤ちゃんも入れて毎年80万円ぐらい。一家4人家族とすると、320万。教育とか老人介護とか社会福祉ということを別にして、公共事業で一家4人で300万円ぐらいのものを中央政府や地方政府に使ってくださいと、我々のポケット、税金あるいは皆様の預金を流用する形で差し上げる。差し上げると言うと変ですけれども、ポケットから出す。こんなことをやっていいかねという話が起きたのです。これが今から6年ぐらい前です。4全総の点検作業のときから始まったわけです。
 この議論はそうおかしくないのです。今の時点でも、3人の自民党の総裁がいろんな公約をしていますが、一番大きい問題は、赤字国債発行の最後のしりをだれがぬぐうかということについては、3人の総裁とも全然言っていないわけです。赤字国債をこのままどんどんふやしていいかどうかということについての危機感があったから、財政構造改革が出てきたわけです。ところが、財政構造改革は、今の状況でなくなってしまった。ですから、「21世紀国土のグランドデザイン」を組み立てていく時期、今から4年ぐらい前、スタートには、財政構造改革をやらねばならないという橋本政権を支えてきたそれなりの政治家の持っている財政赤字に対する危機意識と軌を一にしていた。
 そうなりますと、大蔵省と言わずとも、多分建設省でも1000兆円の固定資本形成を本当に書いていいかどうかについては、「待てよ」と思わざるを得なくなります。おまけにウルグアイ・ラウンド対策はどういうふうに使われたか。今使われつつあるわけですけれども、これのお金の使い方は、率直に申し上げまして、地方の方はそれなりに理解はできると思いますが、大都市から見ると、温泉を掘って、非常に立派なクラブハウスのような建物を建てて、そこに野菜を並べて、お米を売って、そこへ来る都会の人にゆっくりして楽しんで買ってもらおう、これで黒字になるわけがない。これは当然です。温泉を掘って、野菜販売とか農産物促進センターをつくることを仮に第三セクターでやらせたとしても、これをつくること自体、赤字をベースにして赤字をまたもう一回国の金か何らかの金でしりぬぐいすることになります。そしてそれをあたかも当然であるという形で動く。こんなことはあちこちにあるわけではないと思いますけれども、世の中ではよく語られる素材です。ウルグアイ・ラウンド対策費はこんな形で使われていることもあるわけです。
 そうすると、これはちょっとおかしいぞ。5番目の国土計画をつくるときには、農学系の先生も土木系の先生も、私は建築ですけれども、要するに土建業、農業土木とか、こういうところの先生たちも、公民による累積国土基盤投資を1000兆円にするのは、ちょっと考えなければいけないという話があったわけです。
 ですから、そういう点で、投資総額を示さないで国土計画を考えるのは、今から5年くらい前には、理由がありました。しかし、当時、もしかして財政構造改革がきちっと進んでいけば、最終的に5番目の国土計画を仕上げる時点では、投資総額を書けるかもしれないと思ったのですが、実体はそうはいかなかった。
 その非常に大きい理由は、国土のグンランドデザインの議論を国土審議会でスタートするころ、今から3年半ぐらい前から、明確に地方からは最終仕上げの道路整備をきちっとやれ。要するに、20世紀最終の仕上げの自動車道路網整備をきちっとやれという要求がずらっと出てまいりました。
 これをもう少しきれいな言葉でいうと、「国土軸」という言葉に裏打ちされてくるわけです。日本海国土軸というのは、当時の地方から知事さん方が連なって日本海国土軸促進議員連盟とか、あるいは北東国土軸促進何とか協議会とか、いろいろありました。そこの中で、いろんな地域開発の素材が上がってくるわけですけれども、共通してそれぞれ軸というところで出てきたのが、1番目は、明らかに高速自動車道路のネットワークを全国隅々までつくってくれ。今までの4全総までの段階では待ってくれ、待ってくれと中央政府が言っていたものを、地方政府は最後に「待ってくれと言った最後のツケはこれだ」と突きつけたわけです。2番目には新幹線です。一言で言うと、この2つが地方の知事さん方にとっては、国土軸というものの実体である。これは疑う余地もなかったと思います。
 そうすると、当然、平松さんが言われている豊予海峡の架橋の話とか、三重県知事とか静岡県知事、奈良県知事が一生懸命言った伊勢湾架橋とか、和歌山県知事と兵庫県知事とが一生懸命な紀淡海峡の橋、この3つの橋が大物なのですけれども、こういうのが出てくるわけです。
 架橋の話は、それだけにとどまりませんで、話がちょっと余談でいきますが、私は気がつかなかったのですけれども、東京湾でも、東京湾口の架橋の話が国土庁に千葉県知事から出てきたようです。神奈川県知事はどういう対応をしたか知りませんけれども、私は横須賀市の都市計画をやっていたので、横須賀市の都市計画の最終仕上げに、東京湾口の架橋について、これを横浜横須賀道路が延伸したときに、東京湾口道路とくっついて館山の方へ行けるという計画を、神奈川県としてはきちっと表へ出すべきではないかという意見と、とんでもない、こんなものは出してはいけないという議員さん、要するに環境を守る議員さんと経済を促進する議員さんの議論が横須賀市の市議会の中であったという話を聞いております。
 首都圏の中でも、東京湾口架橋は、千葉県の南側は相対的に極めて農村的色彩の強いところで、そこから出てきたというのは、今から考えるとおかしくないのかもしれませんが、驚きました。
 それから、橋というのは、一種の土木建設業にかかわる男どもの夢をかき立てる工作物であることは疑いの余地もございません。ちょうど建築の連中が超高層建築物とか、あるいは東京フォーラムみたいな大会議場をつくるということについて、むだ遣いだとか何とかいわれながらも、そういうものをつくる喜びを感じる建築屋と似たような心情があります。橋というのは、そういう点で、政治的には極めて単純素朴な男心をくすぐる素材です。
 ついでに申し上げますと、広島県の柳井の辺と、愛媛県の松山、日本地図をごらんになりますと、その間に橋をつなげると、すぐつながりますよというふうに島がつながっています。直角にピッとはいかないのですが、非常にきれいなSカーブができる。そういうふうにして橋がつながります。そうしますと、やはり広島大学とか愛媛大学の先生方も一緒になって、豊後水道に橋をかけるのであるならば、広島県と愛媛県の間にもう1つ、こういう橋がかけられるではないか。それも極めてリアリティーに富んだ、技術的にもすぐかけられるロケーションであるという話題が出てくるのです。もしこれが動き出すと、四国には今現在橋が3つかかるわけですけれども、3つ目が来島海峡ができています。4番目がこの柳井線の柳井の辺と松山を結ぶ橋がある。もう1つ、淡路島と徳島のところに橋があります。それに豊後水道の橋。九州と本州を結びつける橋を合計すると、四国には6個かかるという話になるのです。
 橋の話に関しては、さらにすごい話があります。次に申し上げることは、真剣勝負ではないけれども、考えようによったら、こういう橋も政治的には浮かび上がってくるという話題で、多分、県庁の皆様方の間にはあったと思うのですが、長崎県の島原半島と熊本県の天草列島を結びつける橋です。そうすると、八代の辺と島原の辺がつながってしまう。それができると、宮崎県の有名な大規模投資、シーガイアから高速自動車道路で都城の辺を通って、ずっと八代まで上がっていって、天草から島原へ行って、あの辺で見物して、オランダ村へ行くという観光コースができ上がるのです。
 もっとすごい話があと2つありまして、平戸から五島列島へ橋をかけるという話があるのです。これも地図をながめますと、かかりそうなのです。国土計画の最後のレベルでは、割合リアリスティックな雰囲気でうわさ話が上がりました。
 もう一つは北海道と青森の間にもう1本橋をかけろという話です。どこかというと、恵山岬から下北へかけてやるわけです。恵山岬から下北へかけては、北大の土木の先生方が一生懸命調査をして、あそこは一見物すごく距離がありそうだけれども、海底地形を考えると、紀淡海峡なんかよりずっと橋がかかりやすいように、海底地形が上がっているのだそうです。そこへ橋脚を建てればかかる。
 これは皆さんお笑いだと思いますが、「国土のグランドデザイン」が最後の3月の末に表に原案ができ上がったときに、ある方々が「どうしてこれを国土計画に書かないのか」と猛烈な勢いで国土庁へ駆け込んだといううわさ話があります。
 ですから、橋の話というのは、東京で朝日新聞や毎日新聞や読売新聞とNHK、テレビ朝日なんかを見て悲憤慷慨をしている皆様方には想像もつかないのですけれども、地方のインテリにとっては、東京や大阪のインテリとは違う考えでこの橋の話を見守っているわけです。
 このグランドデザインがこの3月に出たときには、朝日新聞では大体こてんぱんにすべての国の計画をたたくのですが、それと同じように、これもたたかれまして、羊頭狗肉の計画だという話があったのです。何で羊頭狗肉かというのは、朝日新聞さんの記事を見ればわかるのですが、私も後で申し上げます。
 片方で、地方紙は必ずしもそれほど朝日的ではない。要するに、東京の大新聞的ではない。それなりの中立的、あるいは好意的な解釈をこの架橋問題について書いているわけです。それは当たり前でして、大分合同新聞が豊後水道がなくなったことについて手をたたいて、それこそ国家のためにいいことだなんて書くわけがありません。大分合同新聞は、豊後水道についての橋の検討は、一応橋については検討する、話題として無視しないとこの「国土のグランドデザイン」が書いてありますから、これについては、「よく頑張った、よくやった」という記事を書いて当然なのです。そういう話は、きっと徳島新聞とかも同じでしょう。
 こういうのが国土軸ということにつながって出てくるわけです。ですから、こういう点を考えていくと、国土計画というのは、非常に皮肉に言えば、大蔵省のお先棒を担いでいる余り力のない役人集団と学者集団が、大蔵省の前に建設省と運輸省が来て、その後ろに大蔵省が来る先触れだよという、ある意味では、体裁の悪い、余り男らしくない仕事かも知れません。「後ろからおっかない人が来るぞ。だから、言うことを聞け」という形で国民に計画を聞いてもらうというちょっとみっともない立場にもなりかねないわけです。しかし、少なくとも4番目の国土計画はそういう性格を持っていたわけです。

 この話について、最近の話をいたしますと、何回かここで申し上げていますが、私も専門委員で出ているのですけれども、この間地方分権委員会で、国土庁のヒアリングとか通産省のヒアリングがあった。建設省のヒアリングもきのうありました。このねらいは、国の持っている権限を主として県へおろしていくための整理の作業です。ですから、新聞に出ているように、建設省の道路局がピリピリしておりまして、3ケタ国道を一応道路局の権限の中へ置いておきたいのですが、もしかすると、これは全部地方分権委員会がむしりとって、県の管轄下に置くのではないかなんていう心配をしております。河川局もそうだと思います。そういう作業をやっています。
 その中で国土庁の計調局とか大都市研究のヒアリングをやったときに、こういう質問をある大学先生がしたのです。「国土計画は、本当に国民のために役に立っていますかね」。その先生は私の親友なのですけれども、非常に痛烈なことを言うのが得意な先生です。
 例えば今度の国土計画で、「多自然居住地域」「大都市のリノベーション」「地域連携軸」「広域国際交流圏」という言葉が出た。これは今度の国土計画にとって物すごく重要な言葉です。その先生は、逆に予算規模が書いてないということがあって、こういう基本的な国土整備の開発方式、4つの言葉で国土空間を開発し、整備していく方式を政府が言ったわけですから、地方政府は、国土計画の4つの言葉を頼りにして、あるいは悪く言えば、言いがかりをつけて、それをうまく利用して公共事業の金をむしり取る。そういう役目を国土計画がすることになりませんかという質問をしたわけです。
 これは相当正しい。それに対して、計調局の皆様は相当苦労した返事をして、必ずしもそうでないということを言っておりました。
 地方分権委員会の言い方は、こういうことです。委員会の立場は、あくまでも地方の自主性を尊重して、地方ができると思ったことは全部地方にやらせろ。どうしても地方ができないことだけは国がやるべきだ。そういうのが地方分権の大きい流れであるのにもかかわらず、国土計画が国土空間の整備方針という意思で4つの言葉を県庁の人たちに投げかけた。投げかけたということは、県庁がこの言葉に拘束されて仕事をすることになるのではないか。本来理念的には、地方分権というのはそうではない。国土計画は、まさに地方分権の考え方と逆行している。言葉によって、これは中央政府の意思であるということで、県庁を拘束する。その県庁の展開する地域開発のいろんなやり方について、ある一定の方向性を与えてしまう。こういうことをやるべきではないのではないか。こういう話です。
 これは今の時代、ここ1〜2年の時代では正しい言い方なわけです。地方分権とはそういうものである。小さな政府ということをこれから考えなければいけない。実は地方政府もそうなのですが、今のところ県庁が肥大化しながら中央政府が細ると私は皮肉で言うのですが、そういう図式を国会の先生方は描いているのではないかと思うのですが、少なくとも中央政府はやせていきます。
 そうすると、国土計画のこういう4つの戦略は、大きい政府を前提にした国土整備方針ではないか。これがおかしいという言い方は、地方分権委員会から指摘されれば、「はあ」と言わざるを得ない。
 しかし、4年前、5年前のことを考えてみますと、これは多分大きい政府を前提にしていたと思います。少なくとも社会福祉、健康保険、教育、研究開発、こういうことについては、大きい政府を前提として、消費税を3%から5%に上げるとか、あるいは最低の課税水準を下げてみたらどうかとかという話は、4〜5年前は極めて皆様方も当たり前に議論をされていたのではないか。そのときにスタートした国土計画ですから、地方分権委員会の質問に対して、相当意見の違いがこれから露骨に出てくる。そういう論戦のスタートであったと思うのです。
 このように1つ1つ詰めてまいりますと、どうも5番目の計画というのは、公共事業についての枠組みを決めるための筋道を文章と絵によって示すという4番目のような国土計画とは違うスタイルにならざるを得ない。そうでなければ、国土計画は社会的使命はなくなるのではないかという危機感があったのも事実です。
 この地方分権委員会の論戦が1週間ぐらい前にあったのですけれども、多分そのことも4年前ぐらいに、国土計画にかかわる専門家はそういう危機感を意識していたのかもしれません。
 ですから、投資額を示さずというのも、3年ぐらい前の大蔵省は、膨張する赤字財政を食いとめるために絶対に数字は書くな。それから、道路についても、国土計画の中で、高速自動車道路をどこからどこまでこれから15年間に整備するとか、あるいは新幹線をどこからどこまで整備するとか、そういう箇所づけ的なことは書くなということを国土庁の連中との議論の中で大蔵省は言ったのです。そういう線はかなり守られているのですが、しかし、投資規模を示さないということ自体が、今度は地方分権の委員会の学者連中から言うと、逆に野方図な投資規模、大きい政府を前提にしてやる危険性がある、こういうふうにも理解される時代になった。
 すべてこれは公共事業の将来方向について、極めて大きい責任を持っているのが、全国総合開発計画であるという、つい5〜6年前までは明白な常識だったことの根元が崩れ始めたわけです。




2.作成上の主要視点

 こういうことをもとにしながら、「国土のグランドデザイン」は、全国総合開発計画とは違うというのなら、一体、何を書くか。これは相当難しい話だったわけです。
 考えられますのは、1つは、地球環境の問題です。4番目の国土計画が昭和62年に作成されてから10年以上たって、日本社会の中でも、地球環境に対する意識は物すごく深まり、広がってきたわけです。その1つの例が、例の行革で、環境庁を環境省にするということについて、橋本総理大臣が提唱したことを東京中心の大新聞がサポートしている。こういうのに示されているわけです。この地球環境の話題をきちっと国土計画で取り上げている。こういうことは明らかに公共事業とは一応切り離された話題になるわけです。
 それからもう1つ重要なことは、前にここで申し上げましたが、「成熟国家日本」と言われたときに、本当に日本がいろんな面で大人の国になっているか、ということです。そうではないというのは、幾らでも話題を挙げられます。何でもかんでも日本はダメだと言うほど私は日本嫌いでもないし、ペダンティックなしゃべり方もしません。相当いいこともあります。均一化された教育水準なんていうのは、世界で一番すばらしい義務教育をやってきたと私は思っておりますし、所得配分だって、大金持ちをつくらないというのは、私は大好きなことなので、税金を50%に下げろなんていうのは、おかしいなと思うほどです。そういう意味では、所得の再分配は日本は物すごくうまくやってきたと思うのです。
 しかし、そういういいことがありながら、片方で、やはりどう見てもおかしいのは、汚い日本ということを言わざるを得なくなったのです。日本は清潔かもしれないけれども、汚い。美しくないと言ってもいいかもしれません。この汚さについての実感は、この10年間に皆さん一般の国民の中に随分わき上がってきたと思います。外国に行くチャンスが膨大にふえたことと無関係ではないと思います。外国へ行けば、少なくとも景観的には、一目瞭然日本はこんなにひどい国かとわかるわけです。結構いい国だと思っていたのは犯罪です。犯罪については、日本は犯罪はなかった。景色は汚いけれども、犯罪については日本は随分よく守られているな、防犯水準は高いななんていうのは、外国へ行ってみればすぐわかる話です。
 今だって年間1300万人ぐらい日本から外国へ行っているわけです。かなり東南アジアへ行ったとしても、きっと1300万のうち半分ぐらいはアメリカやヨーロッパへ行っているでしょう。アメリカやヨーロッパへ行けば、向こうの国もいろいろ問題はあるけれども、少なくとも特に都市の景色はきれいです。そういうことが相当国民的な形でわかってきたというのが、1つ取り上げなければいけないことです。どうも景色がおかしい。美しさとは何なのだ。
 それに関連して、片方で、もう1つこの10年ぐらい大変だったのは、歴史物を随分みんなで勉強しよう、あるいは歴史物についての出版がふえる、いろんな情報提供がふえるというのがありました。日本の歴史をいろんなマスメディアが我々の前にいろんな形で提供してくれる。
 そこの中の1つに、幕末から明治へかけて外国の宣教師あるいは冒険家という連中が日本へ随分来て、日本の見聞記を書いている。共通して見聞記の中で言っているのは、日本の景色の美しさと清潔さについてです。ある有名なイタリーの探検家の非常にコンパクトな手記を読みますと、彼は幕末のころ、中国から日本へ渡ってきて、日本で滞在して、アメリカのサンフランシスコへ渡っていっているのですけれども、中国のお寺へ行ったとき、境内が物すごく不潔で、汚れていて、そこにいる人たちの雰囲気もよくない。それが日本に来たら、日本のお寺はこんなにも清潔で清廉で、坊さんも非常にいい顔をしているということを書いているのです。
 それから、イギリスの女性の探検家は、日本の地形にはいろんな盆地がありますが、それを峠から見た。当時幕末のころは、集落はほとんど見えなかったのでしょう。畑と田んぼと森のあやなす緑のコントラストの美しさに、大変感動したという話があります。
 それから、19世紀末期のパリなどに代表される博覧会のときに、日本の庭園が非常に美しい芸術的作品だと紹介されています。二百何十年江戸幕府が続いたときの最終の江戸文化の仕上げの時期は、町の中も農村も森もそれなりのきちっとした手入れが実施されていて、洗練された生活形式で、日本国土の景色自体もきちっと完成されていた。そういうふうに考えさせられる物語が幾らでも出てきた。
 そういうことを頭の中に入れていきますと、国土計画というのは、今までの国土計画とは違う。むしろ国土の点検作業をするということです。点検作業をして、その次に、どういう見方で国土を整備することを、国民にどういう立場、どういう観点から訴えていくか。こういうことを記述することが、非常に重要になってくるのではないか。こんな話が生まれてきたわけです。こういう議論がなされたのは、国土計画を作成する初期のころでした。
 一番醜い話というのでよく出てくるのは、電線が張りめぐらされた景色です。これはだれもがいっていることで、一番象徴的なものです。
 2番目には、観光地の入り口へ行くと、やれ普茶料理だ、山菜料理だとか何とかという看板がいっぱい立っています。それから、料理の看板の横にゴルフ場へ行く道案内の看板が立っていたり、そこにお医者さんの看板が立っていたり、悪い意味で、かくも看板というのはかくも多彩かという状況です。これもすぐに話題になりました。こういう話を議論をしていきますと、基本的には、日本というのは先進国家という形での資格をある領域では徹底的に欠けて、備えていないということがあるのではないか。このことを広く国民に知ってもらうというのは、極めて重要な話だろう。こんな話がございました。
 これが今度の「21世紀の国土のグランドデザイン」の極めて重要な言葉になってくるわけです。例えば、「21世紀の国土のグランドデザイン」の基本的な考え方は、「経済的豊かさとともに精神的豊かさを重視する」、「自然のいやしや文化の創造」、「人々に多様な暮らしの選択可能性を提供する」ということを言っているわけです。基本的に文化について、あるいは生活様式について、日本が第2次世界大戦で負けて50年間、これをもう一度点検し直そうという話です。
 そして、川勝平太さんの言葉が国土計画の重要なキャッチフレーズとした残ったわけです。川勝平太さんは、こういうことを言ったわけです。「歴史と風土の特性に根ざした新しい文化と生活様式を持つ人々が住む美しい国土・庭園の島とも言うべき、世界に誇り得る日本列島を現出させ」、これは要するにとにかく景色として美しくあれということです。「庭園の島とも言うべき世界に誇り得る日本列島を現出させ、地球時代に生きる我が国の独自性、アイデンティティーを確立する」、こういう言葉です。このとおり彼が言ったかどうかはわかりませんが、この文章が国土計画に残ったのは、彼の持っている強烈な世界史観、歴史観を国土計画で受けとめざるを得ない日本の現実の姿があった。これが1点です。この議論をした途端に、「全国総合開発計画」という言葉はなくなったわけです。まさに「国土のグランドデザイン」という言葉がいいということになると思います。




3.国土軸について

 もう1つ、我々のやった議論というのは、ある意味で、現在のシステムを国土計画の中からも、場合によっては組みかえていくことを相当やらなければいけないだろうという話があります。そこの中で、複数の県知事の言う国土軸、あるいは県の財界の指導者が固まって主張する国土軸とは別に、「国土軸」という言葉を別な解釈をしようということが出てきたわけです。これは大変難解でして、わからないのです。これは下河辺さんという会長の性格を反映しているわけです。
 彼の言葉で言うと、国土軸というのは、風土とか美しい小さい地方の都市が歴史と伝統によって磨き抜かれて洗練されてくる。それが森や田んぼの中にきらきらと輝いて点在していて、その周りにまた本当に健全な農業を営む農村集落があって、その外側には、日本型の落葉広葉樹を主体にした森林が展開する。それが日本海型の小都市と集落の結びつき、あるいは太平洋の黒潮型の小都市と集落の結びつき、これは明らかに違うであろう。これは文化論です。
 北東国土軸は、やはり日本海に面した主として北上川の流域に展開する農業と農村集落、農村集落が要求した歴史上存在する農産物を集散することをもって商業が成立した小都市です。そのコンビネーションを大事に磨き抜いて美しくしていこう。北上川の風景というのは、日本海側とも違うし、黒潮に洗われている紀伊半島とも違う。これはわかります。そういう地域社会が数珠のようにつながったのが国土軸だというのですけれども、これはかなりわかったようでわからないです。ましてや地域には全然わからない。例えば、九州経済連合会の会長なんかに全然わからないでしょう。エコノミスト、経済学の大学の教授でもわからないかもしれません。そういうことを「国土軸とは何ぞや」というところにちゃんと書いてあるのです。
 しかし、私はこういうふうに考えております。国土軸を提起したというのは、県の境というものに対して、「これはおかしいぞ」ということを突きつける1つの試みかなと考えます。これまでの4つの国土計画では、いろいろな提案をしておりますが、日本列島を地域区分するときに、東北地方とか北陸地方とか、あるいは九州地方と分けています。これは我々の常識からいって当たり前です。東北地方というと、新潟県も入るのでしょう。新潟を入れて7つの県を集めたところが東北地方だ。東北地方の地域整備戦略はどうするかということを4全総でも3全総でも議論しています。今度の「グランドデザイン」でも、第3部というところにそういう分け方をしております。何でそうなったかは後で申し上げます。3全総でも新全総でもそうでした。首都圏地域はどうするとか、近畿県地域はどうするか、これは全部県を1つの単位にして、富山から石川、福井まで3つ集めれば北陸地方だ。北陸地方に対して、国土計画はどういう考え方を示すかとやっているのです。
 これに対して、国土軸の議論は、県境に関係なく線を引っ張ったわけです。日本海という地域、それから北東国土軸の北海道、北海道は日本海の国土軸と北海道の国土軸がオーバーラップしています。東北は日本海国土軸と北東国土軸に分かれている。北東国土軸は、北関東まで入っています。北関東は同時に西日本国土軸の一部でもあるというふうになっています。
 そういうふうにして考えていきますと、例えば、日本海国土軸は、山形県の内陸、村山盆地と置賜盆地を除いた地域。それから、日本海国土軸の秋田版は仙北地域は除いたところとなってきます。青森県でも、日本海国土軸は津軽のところだけを通っている。
 そういう分け方で国土軸の将来像を考えるということになると、一種の県の境ということについての基本的な考え方を整理してくださいという問題を突きつけていると言えないことはないわけです。
 
 今度の国土計画を組み立てていくときに、相当いろんな議論をしたことを、だんだん思い出してくるのですが、例えば、2050年、50年先の日本列島は一体どうなっているのかなんていう議論をいたしました。そのときに、データとして一番確かなのは人口です。これは明確に2050年には日本の人口は幾らになるとか、65歳以上の人口と14歳以下の人口との比率はどうなる。これは相当の精度でわかります。
 その次に確実にわかるのは、意外と森林の変わり方です。森林の変わり方も、50年ぐらい先になると、どこの山は木が大きくなり過ぎて、本当は切りたいのだけれども、だれも切る人がいないとか、どこの山は意外とちゃんと木を切って、それなりにマーケットへ出して、次の植林が行われているとか、これは割合はっきりわかるものです。
 そういう50年先の議論をする中で、国土の整備方針ですから、政治構造と行政システムがどうなるかなんていう議論もあったのです。そこで、相当強烈な議論があったのは、道州制的な議論が出てきたわけです。道州制という形ではなく、日本政府の中央政府、都道府県、市町村の3層構造をいつまでも続けていていいのかどうかといことです。こういう議論でした。むしろこれを2層構造という形で考えてもいいのではないか。2層構造とは何かというと、道州制が必要だという議論はそんなになかった。2層構造というのは、国と県抜きで市町村300です。これは皆さん御存じのように、私は歴史はよく知らないのですが、明治政府になる前の藩の数が約300だということだそうです。小選挙区が300。だから、人口30万〜50万ぐらいを1単位とした地域社会があれば、そこの行政区は、相当能力のある人間がそこに入ってくるだけの規模を持っている。それが300ぐらいの数であるならば、中央政府1つ県抜きでも、その300の市町村で対応できるだろう。こういうことは2050年ぐらいの姿としては、考えてもそうおかしい姿ではないという話題がありました。
 そうしますと、国土軸論というのは、考えようによっては、2層制を前提とした地域再編計画につながっていくという考え方で議論できないことはない。県の境は、非常に不思議なのですけれども、明治から100年変わっていない。これは当たり前と思われているかもしれませんけれども、こういう話をよく聞きます。これは少し気を許して、お酒でも飲んだ後に企画部長さんなんかと話したとき、ある2つの県で同じことを聞いたのです。ある県の企画部長さんはこういうことを言っていました。県ができたころは、きっと県庁から県の境までは、県庁のお役人で偉いから、馬車あるいは馬に乗っていくのでしょう。馬に乗ってトコトコ割合早足で行っても、県境から到達するのに丸1日かかってようやっと県庁へ行ければ、その県の境は近い方だ。遠ければ1日以上かかる。だから、明治のころの県の境はそれなりに1つの中間の行政体として設定されたというのは理解できるということです。
 ところが、100年以上たって、高速道路もでき、鉄道も整備されていけば、自動車で県庁を出て、県の境までといったら、大体2時間もあれば行ってしまう。遠いところでも4時間あれば行ってしまいます。そういうのが当たり前の中で、県知事が1人で威張っていて、極めて小さい地域の中で「おれが天皇だ」という顔をしてその地域を支配しているのは、どう見ても不思議な現象ですねという話が出るわけです。
 そういう話をもうちょっと具体的に言えば、県の境というのは、中央政治的に言えば、一番政治的に弱いところだから、A県の境とB県の境が接しているところは、道路も来ないとか、水の手当てもないとか、そういう話はよくある話です。最近は県の境を中心にして、したがって国土庁でも、3つの県とか2つの県が一緒になって、県の境を中心にしたところに新しい雇用機会をつくったり、新しい観光施設をつくって雇用機会をふやしたりするというプロジェクトをいろいろやっています。
 もっと深刻なのは、例えば、埼玉県と東京都の境とか、神奈川県と東京都の境なんていうのは、そんなのんきな話ではないです。例えば、神奈川県と東京都の境では、神奈川県の相模川の水が、本来もしかすると町田に来るのは意外といいかもしれないけれども、町田には意外と神奈川県の水が来ているかもしれないとか、上水の整備の仕方でも、議論しなければいけないこともありますし、学校区の問題もありますし、道路の問題は一番深刻です。こういう不都合なことは幾らでもあります。
 そんなことを考えていくと、「国土のグランドデザイン」の中で、県境を越えた広域的な行政をきちっとやっていくことをいろんな形で表現することがいいのではないかという話題が出てくるわけです。
 したがって、国土軸というのは、3つの考え方があるのです。1つは、知事さんが主張している基本的な高速自動車道路と、できるならば新幹線です。先ほど言うのを忘れましたけれども、日本海国土軸の知事さん方が集まり、企画部の部長さんが集まったときに一番欲した、一番これだけは何とかしてくれと言った要求事項は、鳥取県と福井県との間をつなぐ、要するに小浜街道、敦賀から三方港から舞鶴から兵庫県の豊岡を通って、天の橋立もあります。それから、鳥取へ抜ける。ここは高速自動車道路が計画決定されていないのです。これは当たり前で、鳥取県の高速自動車道路は、兵庫県から大阪へ行きます。それから、北陸の高速自動車道路は滋賀県を通って大阪へ来るのです。だから、当然そこへ高速自動車道路はないのです。しかし、明らかにこれは日本海側からの高速自動車道路のつくり方から見るとおかしいということで、今のエアポケットのところの高速自動車道路をつくってくれというのは、日本海国土軸の知事さん方のいろんな要求がありますけれども、最終のぎりぎりの要求事項はそこになったわけです。これが1つです。
 2番目は、文化論の話です。美しい国土をつくるという形から、地方の生活の仕方、職場のつくり方について、小さい単位の生活様式を評価しようということです。これは風土論から出てきた。
 3番目は、広域的な行政処理ということで、県の境について根本的に考え直した方がいいのではないかという話題。この3つが「国土軸」という言葉の中に呉越同舟という形で含まれている。こういうことが1つ言えるかと思います。
 もう1つ、この裏話になるかもしれませんが、「国土のグランドデザイン」、今度の国土計画では、基本目標として、「多軸型国土構造形成」と言っています。それに対して、4番目の国土計画(4全総)では「多極分散型国土の構築」と言っています。「多極分散型国土の構築」と言ったら、4全総のことを思い出していただくと、この「多極」の「極」とは何かということです。4全総の議論では、その後にこの「多極分散型」ということを法律的にある程度実証しようということで、政府は多極法という法律をつくりました。
 多極法と同時に、通産省は「アルカディア構想」といって、アルカディア何とか整備法という法律をつくりました。これは一言で言うと、県の2番目の都市、例えば、富山県で言うと高岡、新潟県で言うと長岡、青森県で言うと弘前、愛媛県で言うと、今治とか宇和島、こういう町です。こういう町の持っているかつての歴史的な文化の厚み、あるいは伝統産業の厚みとか、こういうものにもう一度息を吹きかけて、政府が支援をしながら、人口10万人クラスの都市を、その周りの農村と一緒にして、もう一回頑張ってもらう。つまり、経済的な意味で元気になってもらって、地域形成の核になってもらいたいという議論があります。
 これは4全総のときに既にあったのですが、一極集中というのは、東京対全国のほかに、首都圏対全国もありました。それから、首都圏と大阪、近畿圏の話題もありました。首都圏ばかりが強くなって、近畿が相対的にダメになってしまう、何とかしろという議論がありましたけれども、片方で、県庁とその他の都市という県の中での一極集中も、4全総のころは随分言われたのです。
 ですから、一極集中ということではなく、多極型というのは、国土計画的に言うと、もちろん東京ではなく、近畿圏や北海道で言えば道5県とか、あるいは九州で言えば北九州とか、こういうところが文化的にも経済的にも力が強くなり、人口もそれなりにそういうところの人口は減らないということもありましたけれども、片方で同時に、県の中での一極集中ということに対して、人口10万人クラスの土地を中央政府の政策として許可していこうという話だったのです。これが4全総の多極分散型国土ということです。
 これに対して、今度の「多軸型国土構造」の「多軸」というのは、今言ったように国土軸です。この多軸というのは極がないわけですから、農村も地方都市も、金沢とか新潟という地方の大都市も、一体的な形で多軸というふうにつかまえたわけです。そして、日本海の地域と新太平洋国土軸という、例えば、和歌山から四国、九州南部に向けての国土軸と、それぞれの地域社会、帯状で長くて、実際にはつながりがないと言われるけれども、風土的には、亜熱帯型モンスーン地域で洗われるとか、太平洋新国土軸につらなっている地域にある一種の共通性がある。それから、日本海国土軸といえば、昔の京都に対する船の品物の輸送の仕方です。そういうものの共通性がある。こういうくくり方をして、そこで文化的な類似性で議論しようということになる。実際には、これはかなり無理があります。
 私はここで多軸型国土構造というのではなく、実は多軸多極型の国土構造という方がなじみがあるのではないかという話題提供をしたのですが、しかし、「多極」の「極」というのは、極めて国土計画的には嫌う言葉になりました。「極」という言葉を使うということは、片方で極でないところがあります。経済的にも極があることは一方で疲弊したというか、活性化していないその他の地域が存在するということがあるので、「極」という言葉について非常に気をつけた言い回しが必要で、結局これはとられて、「多軸型国土構造」ということになったのです。




4.大都市の問題

 しかし、それにもかかわらず、今回の国土計画では、極を認めざるを得ないということも相当重要な話題で出てきました。これは文章全体を読んでみないとわからないのですが、4番目までの国土計画では、国土の均衡ある発展ということが後生大事な文句だったわけです。4番目の国土計画のどこを開いても、国土の均衡ある発展を目指して農業政策はとか、国土の均衡ある発展を目指して道路体系はとか、国土の均衡ある発展を目指して地域経済の活性化、こういうことをうたったのです。この「均衡ある発展」というのは、御存じのように、非常にわからない言葉です。率直に言うと、最後まで明快に説明できない。均衡とは何か。経済用語を国土整備上に持ってきたわけですから。均衡がいつもずっと続いていることはあり得ない。均衡した途端に、その均衡が崩れて、また別の均衡をつくり出すなんて話はエコノミストはしょっちゅう言うわけです。
 これは明らかに地方に対する大都市圏で生み出す国富の所得移転です。これをいつも国土計画は重視しろという言葉であるわけです。それに対して、この言葉を必ずしも今度の国土計画では、一番大事な言葉とはしなくなった事件が、例の阪神・淡路大震災です。国土計画をつくっている最中に阪神・淡路大震災が起きました。皆さんよく御存じのように、大変悲惨な結果で、その象徴は、よく言うのですが、6500人の方が亡くなっています。そのうちの50歳以上の方が約半分です。50歳以上の方の3分の2、50歳以上の方約3000人ちょっとの中で、2000人ぐらいは、私は65歳以上のご婦人が亡くなっていると思っているわけです。
 それはご亭主に先立たれた奥様です。70歳のご婦人でしたら、ご亭主は80歳近いわけで、75歳とか80歳ですね。大体女性の平均年齢の方が長いから、男の方が早く死ぬわけですから、ご主人に先立たれて、結果としてそう豊かな生活ができない高齢のご婦人が、非常に居住の質の悪い大都市の一隅で暮らしていた。そこに地震が起きた。その結果が、今の数字にあらわれたということです。
 このことは、いみじくも大都市に対して中央政府は一体何をやっていたかということを、国民側からというより、大震災が中央政府に突きつけることになりました。
 これも大変皮肉なのですが、阪神・淡路の大震災がなければ、私は今度の「国土のグランドデザイン」でも、「国土の均衡ある発展」の「均衡」という言葉がもっともっと書かれていたと思うのです。それが阪神・淡路の大震災のおかげかもしれませんが、「国土の均衡ある発展を目指して」という言葉は、白表紙の本文の中ではゼロとは言いませんが、2〜3回ぐらいしか出ていないはずです。
 それに対して、今までの国土計画では語られていなかった言葉が出てきたのが、「大都市のリノベーション」という言葉です。これは5番目の国土計画になって初めて出てきたわけです。要するに、国土全体の整備構想のときに、大都市の持っている極めて質の悪い市街地構造について、根本的な点検をしろということを初めて語ることができたということです。
 今でも覚えておりますが、4全総、これは先ほど言いましたように、昭和62年にできた。当時の内閣は中曽根内閣で、この計画をつくっていったときに、これはある意味で、一極集中の弊害、東京は何でこんなにも巨大化してしまったのか。東京の巨大化を食いとめることができないかという話題が出てきてた。これは地方側からの議論としても出てきましたし、大都市の中の地価問題あるいは住宅問題とか、通勤難とか、こういうことで噴き出してきた
 4全総の計画の最後のときに、今でも思い起こしますが、昭和61年の暮れか62年の初めぐらいですか、当時50歳前後の連中が10人ぐらい集められまして、東京問題について一議論やってくれという特命が総理大臣から出たのを覚えています。
 私もそのとき呼び集められたのですが、東京を中心として大都市問題を国土計画の中できちっと位置づけよう。それで東京とか大阪の再開発問題とか道路の整備問題とか、そういうのを文章としてまとめました。
 そして、そのまとめました案を国土庁の連中が政府に説明をしたときに、3日ぐらいでつぶされました。あっという間です。東京問題について、かくも書くということは、結果として、公共投資について、これまでの流れを極めて著しく歪めるものであるというのです。今の自民党の体質がそれを受け継いでいるのかもしれませんけれども、要するに、自民党体質というのは、大都市に対しては、現実問題として厳しい、極めて深刻な問題であるにもかかわらず、しかし政治の問題としては、それを国土計画で位置づけることはずっとやってきていなかった。4全総でも、相当シャープに東京問題をいろいろ取り上げて、それに対する対応策を提起したものが、多分あのときは富山県選出の相当有力な代議士さんが矢面になって、これは絶対通してはいけないというので、4全総に載らなかったのです。
 3全総、新全総は、東京問題は全然書かれておりません。そうすると、「開発方式」という言葉で定義された中が、実は先ほど地方分権委員会の委員が皮肉も言ったのすが、ここに書かれた言葉が、実は各省庁がこれから予算の編成のときに国土計画で書かれている方針に従って、例えば、建設省の都市局は中心市街地整備を何かやるとか、建設省の道路局は、例えば地域連携軸をつくっていくためにかくかくの道路整備をやるとか、きっとそういうことをやるに違いない。通産省でも、中央経済活性化のための法律を整備しろとやるに違いないです。
 この開発方式では、どういうものが取り上げていたかというと、ちょっと古くなりますけれども、繰り返していいますと、全国総合開発計画は有名な拠点開発構想です。
 新産工特という有名な法律ができた。それから、新全総では、大規模プロジェクトです。大規模プロジェクトの一番始末が悪かったのが、苫小牧東部とむつ小川原です。3全総では、定住構想です。モデル定住県なんてありましてけれども、定住構想というのは、言ってみますと、3全総というのは比較的静かな計画でしたから、県の中に新しい小さい中央ブロックをつくっていこうという流域圏を主体にした考え方です。
 それから、4全総が交流ネットワーク構想。交流ネットワーク構想というのは、通信網、鉄道網、道路網、要するに動きです。情報化社会の中の動きを、人と物と情報の動きを円滑にするための基盤投資をやる。これが交流ネットワーク構想です。こういうのが開発方式として掲げられていたわけです。
 それに対して、今度のグランドデザインでは、「参加」と「連携」が大きい開発方式の言葉で、そこの中にきちっと4つの戦略を掲げてあります。参加と連携という開発方式をうたい、その参加と連携を具体化する戦略として、1つが多自然居住地域、2番目が地域連携づくり、3番目が広域国際交流圏、そして4番目に大都市のリノベーションという言葉が入ったわけです。ですから、5番目の国土計画で初めて大都市を何とかしろという言葉がここで生まれてきたわけです。
 こういうことからわかるように、今度の「国土のグランドデザイン」は、明らかに4つの国土計画とは違う。一言でその象徴を言えば、「大都市のリノベーション」という言葉が入ったことで明らかに違う。なぜならば、この言葉を使って、もしかすると今までの地方に向かって全総以来、約40年弱にわたって流れていた東京、大阪で生み出した国富の地方への滔々とした流れに対して、あまり効かないかもしれませんけれども、ある程度のさおを差すことが初めてできた。違うというのは、こういうことが一番はっきりした言葉で言えるのではないかと思います。




5.計画作成の過程

 もう1つ、申し上げたいことがありますが、今度のグランドデザインでは、つくり方について、非常に痛切に感じたことが2つあります。1つは、やはり国民に対していろんな形でつくっている実体を知ってもらう。あるいは、国民の側からどういう要望があるかということを本当に現場に行って、その現場で皆さんの話を聞いて、現場の生々しい情報を東京の作業グループのところに持ち込んでいる。こういうことが極めて大事だということが、実験を通して実際にわかってきた。
 実は「一日国土審」ということをいたしました。この一日国土審は、4番目までの計画ではやっておりません。5番目の国土計画で初めてやったわけです。もちろん一日国土審でいろんな意見を出す方は、時間が限られていますから、何十人もの御発言ということにはなりませんけれども、しかし、4人とか5人、多くて6〜7人だったでしょう。そこの中で出てきたのは、明らかに道路が欲しい、鉄道が欲しい、飛行場が欲しいという地方の非常に大きい地域を支配する男性の皆様にとっての共通の悲願です。それと同時に、地域社会で暮らしていく新しい生活の仕方は、こういうものがあるということを非常に率直に国土計画の専門家に語ってくれた人たちがいたのです。
 北海道では、北見でヒアリングをいたしました。北見では、北海道開発庁から出てくる公共事業が物すごく重要な地域住民に職を与える仕事で、その人は、その請負業を仕切っているのですけれども、片方で、その地域社会の中に流れる極めて美しい清流をどういうふうに守っていくかということで、別の市民グループをつくって、川の清流を守る会をやっている。矛盾はしないのでしょうけれども、一見「おッ」という相異なる生活行動を一緒にしている人の話を聞いたときは、「そうか、こういう形で地域での生活に、表ではわからない二面性があるのだな」というのがわかりました。
 神戸の一日国土審では、先ほどのように、木造密集地域での住宅がいかに悲惨な状況のものであったかということをるる語られる人もおりました。こういうことが生の情報で入ってくる。そういうチャンスをいっぱいつくったことは、物すごく重要なことだったと思います。
 もう1つは、国土計画のつくられ方についての基本的な疑問が、おおよその国土計画をつくる大学の教師、専門家共通にあったのは、国土審議会の性格に対しての再点検、国土審議会はこのままでいいのかなという思いがあったと思います。
 全国総合開発計画は、国土総合開発法という法律に裏づけされています。国土総合開発法は昭和25年にできております。この国土総合開発法に基づいて全国総合開発計画をつくるときの審議会はかくかくしかじかの構成であるということは、昭和25年の法律をつくるときに当然議論されているはずです。実際に全国総合開発計画は昭和37年ですから、全国総合開発計画という1回目の国土計画をつくるために審議会が開かれたのは昭和34〜35年ごろでしょう。
 国土総合開発法がつくられた昭和25年ごろを思い起こしていただきたいのです。このときは2つの流れがございました。1つは、アメリカ民主主義です。アメリカ民主主義が日本に滔々と流れ込んだ。草の根民主主義がうたわれた時期です。これは政治的にもいろんな形で、政党をつくるときに、アメリカの民主主義は大きい影響を与えました。グラスルーツの人々の動きで、私の領域で言えば、やはり昭和25年ごろに国土計画の専門家の中では、非常に重要な、見習うべきテキストとしてTVAが勉強された時期と言われます。これはニューディールです。
 もう1つは、朝鮮事変です。それから、コールド・ウォー、ベルリンの封鎖。この矛盾する2つの流れが日本に共存していた時期ですから、これを国土計画的に考えますと、日本の国民を守るために、コールド・ウォーの中でも生きていかなければいけない。朝鮮事変などの思わぬ戦争にも耐えていかなければいけないというときに何をしなければいけないかというと、輸送路の途絶の中で国内資源を最大限に使うことを考えようということです。だから、石油が来なくても、食糧の輸入がされなくても、木材資源が来なくても、何とか当時の日本人は多分7000万〜8000万の国民が、昔を思い起こしますけれども、お米の配給で「二合三石」という言葉があったのですが、2合3石のお米をもらえば生きていける。そういう国内資源を最大限使って海外のいろいろな政治の動乱の中でも、日本国民全体が生きていけるような国土の利用を考えようという動きです。昭和25年にこれがあったのはおかしくないのです。
 片方では、要するに国土計画を組み立てていくときには、グラスルーツ、草の根型民主主義の中で、官僚だけには任せられない。民主主義という形で選挙によって選ばれた選良、代議士がやはり国家の枢要な計画にきちっとかかわらなければいけないということです。
 ここで戦前のドイツ型の法律の組み立て方から、イギリス・アメリカ型の法律の組み立て型のにおいが、国土総合開発法の中にも入り込んだわけです。それは何かというと、国土審議会の中に今でも代議士さんが入っているのです。参議院で何名、衆議院で何名ときちっと入っています。これは昭和25年、30年の時期を考えてみれば、代議士が入って、あと専門家と称する人たちが入って、役所のOBが入って、壮大な審議会になるのですけれども、そこで国民の声をきちっと代表するのは、代議士がするのだというのは、民主主義的であり、筋が通っているわけです。
 ところが、ずっと30年、40年たってまいりますと、この考え方で入った代議士の行動はどういうことになるかといいますと、代議士さん方は怒るかもしれませんけれども、明らかに族議員として、あるいは地域議員として、あるいは党を代表する議員としての主張を国土計画の中にどう入れるかということになってくるわけです。これは代議士として当然の行動かもしれません。
 しかし、その中で国土審議会に選ばれる代議士さんはどういう代議士さんか。もしかすると、そこまで議論しなければいけないのに、たまたま選ばれてくる代議士さんは、やはり地方に対して発言力の強い代議士さん方が多いのが実態なわけです。




6.審議会と行政組織

 最後に「グランドデザイン」はどういうつくられ方をしたかということを申し上げますと、3月31日に新しい「21世紀の国土のグランドデザイン」が閣議で決定されました。その前に、実は国土審議会としては、1月半ばぐらいだったでしょうか、国土審議会としては最終の「21世紀の国土のグランドデザイン」の案を作成しまして、国土審議会を開いて、国土審議会としては「グランドデザイン」の案の作業は完了したということを正式に決めました。いろいろやったけれども、国土審議会としては1月の中旬にこういう報告を承認したというか、国土審議会として決めた。計画部会の案を承認したということは、国土審議会としてこの案を決めたということです。
 しかし、国土審議会で決めたからといって、これが中央政府の国土計画にはならない。あくまでもこれは国土審議会の決めた案ですから、これをあと政治的な手続の中である作業をして閣議へ持ち込んで、閣議で決定をするということをしないと、計画ができないわけです。
 この1カ月少しの間に何が起きたかというと、実は第3部の組み立てなのです。第3部は「地域別整備の基本方向」が書かれています。ここでは地域別は、もはや「国土軸」という言葉は存在しません。北海道地域、東北地域、関東地域となっています。この地域別整備の基本方向の中で、政治的に国土庁の役人と各党間とのいろんな折衝が行われたわけです。その折衝の中で重要なのは、自民党の政調会とのやりとりです。そこで出てきた言葉が幾つかございますが、そこの中に橋の話があって、これがずっと記述されるようになるわけです。これは解釈によっては、大変おもしろい解釈ができるわけです。
 例えば、四国地方でいいますと、豊予海峡道路の構想については、「長大橋等にかかわる技術開発」「地域の交流連携に向けた取り組みなどを踏まえ、調査を進めることとし、その進展に応じ、周辺環境への影響、費用対効果、費用負担のあり方などを検討することにより、構想を進め」と書いてあります。これは役人の世界では、卓抜な記述です。「構想を進める」のです。構想を進める前に、いろんな条件をいっぱいくっつけています。これはほとんどできないということを役人は言いたいのですけれども、政治的には構想を進める。調査費がつくことは、知事さんにとっては非常に重要な政治的な勝利なのです。
 こういう言葉が、豊予海峡だけではなく、紀淡海峡、伊勢湾各橋についても書いてある。こういう文言については、第3部が政治の手に委ねられてから、いろいろ入れられてきた。これは考えようによっては、国土計画を行政のみに委ねるのではなく、民主主義の選挙で選ばれた選良である代議士、そこは間接民主主義ですから、国民の声を代表しているわけです。そういう代議士の議論の場にこの国土計画を専門家の領域から委ねることによって、最終的に完成させる。これは手続的に極めていいことですが、実体としては、朝日新聞が言ったように、羊頭狗肉、かくも第1部で学校の教師が清らかにうたった言葉とは裏腹に、橋はつくりますということを書いているではないかとなるわけです。大変矛盾した話題になるのです。要するに、国土審議会の構成メンバーとして、政治の代表である代議士は国民を代表しているわけです。それを入れるということは、何者もおかしいとは言えない。しかし、その代議士が入ることによって、地方の人もおかしいと思っているでしょう、国民のかなりの人がおかしいと思っている1つの共通のプロジェクトが正当化されます。こういう国土審議会の組み立て方が続いていいのかということです。
 たまたま、私は「国土審議会」という言葉を使いましたけれども、私も今、ある審議会の取りまとめをやっているのですが、審議会という存在についての根本的な検討をせざるを得ない状況にきたかなと思っています。それの最も象徴的なのが、国土審議会かもしれません。
 これから国土計画は一体どうなるんだということです。それについては、私がきょう冒頭に話しましたように、国土計画の専門家としてはよかれと思ってやった開発方式の4つの言葉、これも地方分権の連中から見ると、逆にそれが国家の意思を地域に誘導していく極めて強力きわまりない行政手法であると理解されるのはとんでもないことですが、そういう理屈になるわけです。そうすると、国土計画のオーソライゼーションは、現状の国土審議会を通過して、政治的な取り決めをして、閣議で決定するやり方でいいのかどうかということ自体が問題になってくる。閣議の決定というのは、実体として極めて形式的です。
 私の想像するのは、自民党の政調会の重立った人との話の中で、こういう文言を入れておけば、あとは大体目をつぶるとか、政治ですから、そういう話でしょう。社民党もこれではうまく何とかしてやるとか、共産党はこれはわからないよとか、そういう話でしょう。それを前提にして、それをバックにして、そういうのを閣議に来る大臣に全部根回しをしておけば、「国土計画をこれでつくりました。いかがでしょうか」「賛成。オーケー。意見なし」とみんなが言って、それで閣議決定になるのです。こういうのはどうもおかしいじゃないかという話も出てきます。
 片方で、国土計画をつくる組織は、今後国土交通省に委ねられることになります。そうすると、国土計画の持つ社会的影響力は強くなるでしょう。なぜならば、国土交通省は膨大な公共資本、公共事業を握っているわけですから、国家全体の公共事業を推し進めていく極めて重要な戦略として、国土計画が使えるということは、国土交通省にとって大変いい筋道だからです。
 というのは、政治家に対してきちっと説明ができる。無理な政治家の要求はそれではねのけることができるとありますが、これはあくまでも国土交通省としての議論でしかない。
 もう1つの考え方は、これは多分そうならないと思いますが、内閣府が所管するという考えがあります。内閣府には今幾つかの重要な会議があります。男女平等の参画会議、科学技術の会議、中央防災の会議、経済諮問会議があります。これは全部総理大臣に対するアドバイザリーです。そこに国土計画を持っていくという考え方です。これは総理大臣が各省の大臣の思惑を超えて、総理大臣という比較的中立性、客観性を保てる立場からの指示を行う重要な武器として国土計画を総理大臣が握っているということです。これはやり方としては割合おもしろい。
 どうおもしろいかというと、国民に対して一党一派に偏らない筋道を総理大臣が責任を持って、総理大臣の責任のもとに執行する。そういうテキストブックとして国土計画が位置づけられるわけです。しかし、内閣府というのは、御存じのように、ほとんど絶望的に実力がないだろうといううわさがあるのも事実です。これは一種の官房の知恵袋と見ていいです。
 どちらへいくかということですが、今の流れでは、どうも、国土交通省で公共事業執行の極めて実力のある、しかし、場合によってはある地域や政治的イデオロギーに傾斜する、あるいは族議員に傾斜する筋道として国土計画がつくられるという話があります。
 もう1つの可能性は、国土計画を国会で議論するというのがあります。これは最近の情報公開という流れの中で、相当面白い議論として検討すべきやり方です。国会で堂々と国民の前で、テレビを通して、各党の議員が国土計画の原案についてお互いに質問し合う、議論をし合う、そこへ官僚の説明を求める。そこへ官僚が来て説明する。そういう議論をして、最終的に国会で議決する。こういうやり方もあるのではないか。
 そうなってまいりますと、まさに国土審議会が本当に必要かどうか、ということにもつながって来ます。

 国土計画は一応こうまとめたが、その今後の進め方、あるいは国土計画そのものが必要なのか、必要なら、どういう情報公開、あるいは専門家の参加、政治の決定力、どういう形でそれらを組み立てて国土計画を世の中に出すのかについて、いろんな課題がある。これについて、これから多分、国土庁の人たちはその答えを見つけていかなければいけない。この国土計画の報告書には、それを重要な課題にしていくべきである、ということについても書いているわけです。
 延々と2時間近くしゃべってしまいましたけれども、きょうは少し、裏話も入れて御説明申し上げました。これで一応私の話は終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)




フリーディスカッション

司会(谷口)
 
どうもありがとうございました。時間がかなり逼迫してまいりましたが、質問のおありの方はどうぞお願いします。

古賀(三菱地所梶j
 三菱地所に勤務しております古賀と申します。
 初歩的な質問で非常に申しわけないところなのですけれども、4全総の後の5番目の国土計画と言われております、きょうの論題となりました報告書ですけれども、これの正式名称は…。

伊藤先生
 「21世紀の国土のグランドデザイン」が正式名称です。本編は3月31日にでき上がりました。パンフレットは6月に国土庁計画調整課から出ました。

古賀(三菱地所梶j
 おしまいのところのお話では、審議会にかかったのが1月半ばということですから、その後にいろいろまたあって、本編ができ上がって、閣議決定ということですか。 そういたしますと、きょうの論題となりました「グランドデザイン」の報告書に関しましては、とりあえず国の方で既に決定された4全総と同じような感じで、今後運用されるのでしょうか。

伊藤先生
 2015年プラスアルファぐらいまでは、一応こういう方向で国土整備をすることについて、国家は国民の皆様方に提案をいたしますということです。

高橋(木更津市議)
 木更津の高橋といいます。
 先ほどの4つの戦略の中で、大都市のリノベーション、今までは東京から地方へ、地方から東京へというふうにさおを差せるどうかというお言葉だったのですが、私たちの町は業務核都市という位置づけになっているのです。そういうのは国土計画には関係あるかどうかなのですが、業務各都市の関連が何も来ないうちに終わってしまって、新しく何かなるということでしょうか。

伊藤先生
 お答えしますと、木更津は業務核都市ですね。何のお金も行かないです。

高橋(木更津市議)
 何の業務も来ないわけですか。(笑)

伊藤先生
 業務も行かないです。ただ、千葉県庁の役人にとっては物すごく重要なことです。というのは、「業務核都市」という名前を木更津につけることができて、それを中央政府、国土庁大都市圏局がきちっと公認して、しかし、それなりの薄い、例えば木更津にオフィスが行くとか、それについての極めて薄い補助政策をすることを国が認めたということで、県庁のお役人は大変幸福な感じを持つということになります。(笑)
 薄いというのは、補助金ではなく、私の理解するところでは、開発銀行のお金を借りる機会がふえると思うのです。おわかりですか。そうすると、昔は開発銀行のお金を借りると、市中銀行より金利が安いということはあったのですが、このごろは逆転していますから、そのうまみも余りないのですけれども。
 それから、税金です。企業がオフィスをそこへ立地すると、それにかかわるお金がいろいろ動きます。その税金の減税、免税措置をやるとか、そういうことです。一定の地域開発はどこでも税金を減免したり、金利を安くしたり、一番よくあるのは、昔NTTの無利子融資があったのです。NTTの株を政府が持っていて、NTTの株式を売った金を無利子で融資するというのがあるのです。木更津に仮に殊勝にもどこかの企業がオフィスビルを建てるというときには、無利子融資もできますよということです。そういう1つのパターンがあるのです。これは木更津の業務核都市だけではなく、さっき僕がいったアルカディア法で、高岡の郊外にオフィスビルをつくるというときも、企画法で宇和島かどこかのところに工場団地をつくるときも、みんな同じです。税金の減免とNTTの無利子融資。民活法もそうです。それから、財投からのお金を開発銀行を通して入れるとか、そういう1つのパターンニズムがあるのです。
 木更津はほとんど役に立たないでしょう。(笑)だけど、千葉県の知事さんにとっては、大変重要な政治的決定を国土庁と千葉県庁はしたというので、これは県会議員さんに対しては大変説得力がある。県会議員さんも、「おれが努力したから、木更津市が業務核都市になった」ということを話すと思います。これは東京の八王子とか立川での業務核都市決定のときの雰囲気もそうです。市長さんだって、それを胸を張ってしゃべると思います。男の社会の理屈ではそうなるわけです。女性にはほとんど影響がない。どうも済みません。(笑)

金(新日本気象海洋(株))
 金といいます。本当に楽しいお話で、すごくためになるお話を伺いました。
 先ほど先生のお話の中で、国土軸の中で、2層構造になるんだというお話があったのですけれども、これは非常に重要で、やはり中央政府の方がやせるだけで、地方が今みたいな感じでやるというのは、21世紀に非常に難しいわけで、言ってみれば、富をむだに浪費するというのは、器があるでしょうから、これは先生のお話の意識にあるのか、あるいはまた本の中にこういうふうなものが精神的に入り込んでいるととらえていいのかどうかということですが。
 

伊藤先生
 これは隠し味で入っています。ずばりいいますと、下河辺さんがこのごろとみに、日本を300の県にしようと言われるのです。今日本は50の県があるのですけれども、300の県にしろというのは、市町村だって名前を県にすれば、昇格できるわけです。だから、知事さんが300になるといえば、50の知事より、みんな知事になれる。大体、下河辺会長がそういうことを言われると、市長よりも知事が偉いと思うから不思議ですね。そう影響はされませんけれども、そういう変なことを言う学校の教師もいたりします。
 しかし、今地方分権でも議論していますが、大変重要な問題提起をこれからする素材としておもしろいと思います。300の市でも県でもいいですが、300の県と国家、中央政府。県庁は要らない。そういう非常に重要な問題提起をすることになると思います。そういう流れは、隠し味としてここへ入っています。
 ついでに申し上げますと、県庁がこれから肥大化します。猛烈な勢いで肥大化すると思います。なぜならば、今地方分権で中央政府をどんどんそぎ取る作業を我々はしているわけです。市町村にまではまだおりません。市町村も残念ながら、力がないところがいっぱいあります。県庁が猛烈に肥大化します。要するに、大きい政府が県庁になるのです。これもまた大問題です。

金(新日本気象海洋(株))
 どうもありがとうございました。
 私も別に中央政府と何の関係もないですけれども、国の中央の政府の役人たちが、一部だとよく言われておりますけれども、日本が今まできたというのは、中央政府の役人たちが猛烈に働いてきたというか、知識を出してきたというのがあると思うのです。全部それをそぎ落としていって、地方は水太りみたいな、先ほど先生が言われたように、都市の富を地方にやるということをずっとやってきたわけですから、それはやはりどこかで反省していかなければいかぬのではないかと思って、この2層構造をもしもこういう形でやっていけたら、今までの全総の中で最もすぐれたものになるのかなと考えております。

伊藤先生
 どうもありがとうございます。

司会(谷口)
  まだたくさんおありだと思いますが、大変申しわけないのですけれども、時間を超過しましたので、きょうはこれで終わらせていただきます。伊藤先生、どうもありがとうございました(拍手)


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