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第130回都市経営フォーラム

市街地再生に向けて
−まちづくりの実践と課題−

講師:西郷 真理子 氏
(株)まちづくりカンパニー・
シープネットワーク・代表


日付:1998年10月19日(月)
場所:後楽園会館

 

1.中心市街地再生の基本的視点

2.川越の事例から

3.長浜の事例

4.高松の事例

5.スライド紹介

 フリーディスカッション




 皆さん、こんにちは。ご紹介いただきました西郷でございます。
 私が今までお手伝いしてきた町の取り組みをご紹介しながら、中心市街地の問題を考えていきたいと思います。
 幾つかの町でいろいろお手伝いをしていく中で、調査ということで住民の方にご迷惑もかけましたが、その町に住んでいらっしゃる方々がその町を愛している、誇りを持っている、そして当然町のいろいろな仕組みにも意思決定をしているというところが、デザイン的にも美しい町であり、町を生き生きとさせていく仕組みができているということを痛感いたしました。そういった仕組みづくりをお手伝いできないかということが、現在につながっています。
 これから、OHPとスライドを使ってご紹介したいと思いますので、よろしくお願いいたします。

1.中心市街地再生の基本的視点

 (OHP1):現状認識
 最初に基本的な問題意識です。現状認識として、今は中心市街地問題がかなりテーマになっておりますが、大きな流れとして、右肩上がりの経済成長を前提とした人口の増加とか、市街地の周辺の拡大といったことから、人口が減少し、都市が成長しなくなった状況をどう考えるか。その中で改めて既成市街地問題が起きてきたわけです。
 既成市街地というのはいろいろな社会の矛盾が集積しておりまして、それが一番はっきりしたのが神戸問題だと思います。社会的なシステムの問題、弱者の問題等々が集積している。都市が成長してパイを大きくするということで問題を解決していったわけですが、それが困難になって、もう一度既成市街地の問題をとらえるというふうになったんだろうと思います。
 では、既成市街地の問題をもう一度考え直そうといたしますと、主要な経済活動である商業は今や瀕死の状態です。流通業は大競争を迎え、商店街を取り巻く状況は悪くなるばかりだということです。
 首都圏の都心はそうでもありませんけれども、地方都市に行きますと、郊外型のショッピングセンターが目白おしで、中心商店街は衰退の一途ということです。メーカーの側にいわせますと、1000億以上の販売量を持たない小売業は相手にしないというのがありまして、商店街で年間数千万、あるいはやっと1億という単位で販売をしているお店は切り捨てられていくわけです。そうなったときに、商店街の論理をどう組み立てていくかということで、もう一度考え直すと、商店街問題と都市問題が一緒になってくるということです。
 コンパクトシティという考え方を21世紀に実現しなくてはならないとなりますと、商店街の問題をもう一度とらえ直さなくてはいけないということになります。
 これは環境問題からもいわれていまして、環境問題などで問題提起しておりますワールド・ウォッチ研究所というのがアメリカにありますけれども、あそこのアラン・ダーリンさんという方が、日本の商店街を大変評価しております。それは、人口の密集度が非常に低いアメリカのような都市で、隣の家に行くのにも車を使うような広大な国土がある国で発達したショッピングセンターのシステムを、日本のように、あるいはアジアのように人口が密集していて、歩いていける範囲にある商店でその日の食べるものを賄ってきた国に持ち込んだ場合、大変な環境負荷が起こりまして、多分このシステムは21世紀はうまくいかないだろうということを主張しています。そしてもう一度日本の商店街を評価しているというのがあるわけです。

 (OHP2)
 では、そういった商店街をもう一度うまく立ち直らせることができるのだろうかと思いますと、なかなかうまくいかない。昨年ぐらいから中心市街地の問題もいろいろ出てきていますけれども、なかなかうまくいかないだろうといわれています。
 しかし、新しい発想の商業が起業され、顧客を集めるようになっているという一方の事実もありまして、商店街はこれらの新しい動きのインキュベーターとなるのであれば、少しは明るい未来が描けるといえます。
 若い人たちにはやっているストリートファッションとか、この間も、日経の紙面で「最近若い人にはやっている商売はショップマスターである」というのがありまして、ショップマスターといいますと格好いいんですけれども、日本語に直せば「商店主」。大企業に対する神話が崩れ始めまして、若い子たちが自分の生きていく糧は自分で稼ぐということを考えますと、商店街はそういう土壌を提供している。店を開きたいという希望がたくさんあるわけです。

 (OHP3)
 本来、中心市街地というのは、自然な形で土地が流動化していったのではないか。私がお手伝いしている幾つかの商店街、例えば川越の商店街、以前は南町商店街といいましたが、南町商店街で店を開くというのはステータスだったわけです。それから、高松の丸亀町商店街も、丸亀町商店街で店を開くのは大変なステータスだったわけです。意欲のある人が頑張って、高松ですと、周辺の南新町とか常磐町という商店街がありますが、その商店街に店を出し、最後は丸亀町ということをやってきたわけです。
 その時代その時代で最もはやっている商売を見つけ出す能力のある人が、その商売をやって成功する。そういう能力のある人たちが商店街に集まってきたわけですから、商店街にお客さんが来ないということはないわけです。一番はやっているお店があるわけですから。その仕組みが何でうまくいかなくなったかといいますと、1つは、高度成長による土地の右肩上がりと、流通革命における中小商業者の弱体、この2つです。
 先ほどいいましたように、流通革命の中で、小さい販売量を持つ人を相手にしないというシステムの中で、商店年商はどんどん落ちてくる。それまではサラリーマンより商店主が稼ぐ年俸は高かったが、今はサラリーマンの半分以下になってきていますから、優秀な人が商店を開こうと思わなくなってきた。
 ところが、土地だけは上がっていったわけです。特に、日本は土地を評価するときに、都市の真ん中にある商店街を一番高く評価する。一番高いところはいつまでも高いということで、年商は数千万しかやっていないのに、資産規模は数億を持つという矛盾が商店街には発生してきた。
 ですから、そういった新陳代謝のシステムが崩れて、商店主は経営者としてよりも、土地所有者としての判断をするようになっていった。その結果、事業意欲の衰えつつある土地所有者が、土地所有を一種の社会保障とみなして、経済合理性に基づく土地の利用を行わないということがより強くなりました。
 第三者との賃貸上のトラブルを恐れることから、土地建物を貸さない。特に、衰退傾向にあります商店街は、業種が混在化を始めますので、いってみれば、質の悪いテナントが入ってくる。そういうテナントにたまたま貸したときに、賃貸上のトラブルが発生して土地をとられてしまったということもありまして、そういうのが1つでも発生しますと、みんな怖がって建物を貸さなくなるということもあります。
 もう一方、出店テナント側、土地建物を利用する側からは、衰退傾向にあるとはいえ、地価が高値にとまっていて、要するに中心部の家賃は結構高いということがあります。
 そういう意味では、後でお話しする高松の商店街は、私がお手伝いを始めた1990年は何と坪2000万といわれていた。その後下落をしてまいりまして、ただいまは400万を切っておりますけれども、ショッピングセンターが郊外にたくさん出ていますが、そこは何と坪40万です。そういう意味では、土地の利用と所有を分離して考えていかないと、中心地の問題は解決しないのではないか。そこで既成市街地に新陳代謝のシステムをつくることが必要であるということがあります。

 (OHP4):既成市街地再生と市民参加
 では、その新陳代謝のシステムをどうつくっていこうかというときに、既成市街地における市民参加あるいは住民参加ということが必要になってくると思います。そのためには、市民及び商店街関係者が中心となって、中心市街地、もっといえば都市像について共通のイメージを持たなければうまくいかない。いわゆる市民参加の仕組みが重要になるわけです。
 それはまさに、地域社会、コミュニティの主人公は市民であるという点に尽きるわけです。その市民にとってまちづくりが満足いくものであるためには、それが市民参加のもとで進められることが不可欠である。それと同時に、町や都市のイメージ、どういう町にしていったらいいか。あるいは中心市街地、中心商店街はどういうものにしていったらいいかというイメージとともに、さらに重要なことは、それらのイメージを現実化していくためのシステムをつくらなければいけない。
 先ほどから、「システム」と何度もいっておりますけれども、こういう町になったらいいな、こういうものができたらいいなと思うわけですけれども、それをどうしたらつくり上げられるのかということを、専門家の支援を受けつつ、住民の人たち自身、自分たちみずからで考えなくてはいけないのではないかと思います。

 (OHP5)
 これまで日本においては、既成市街地の整備が必ずしもうまくいってこなかったわけですが、その大きな理由は、そのような地区では権利が複雑に錯綜し、住民の意思を統一することが困難であったというのが相当大きな理由だと思います。まさに住民の人たちの合意をとっておく、意思を統一しておくという意味で、住民の人たちがまちづくりのイメージを共有するとともに、まちづくりの主体として能力を発揮しない限り、事業は進展しないのではないかと思います。
 住民参加型の事業はいろんな地区でたくさん行われています。密集住宅の建替えとか、あるいは法定再開発などは、住民型の最たる例だと思います。そこで開発利益がたくさん見込める地域に関しては、専門家がたくさん投入されて、それに見合うフィーも全体のプロジェクトの中から捻出できるということで進むと思うんですけれども、そういった地区は本当に限られた地区ですから、それ以外の地区をどうするかといえば、大変手間はかかると思いますが、やはり住民自身が考える仕組みをどうつくっていくかということだろうと思います。

 (OHP6):コミュニティ・デザイン
 ここでは、コミュニティ・デザインという言い方をしました。地域の人々がまちづくりにおいて自分で判断していく能力を持つためには、自分たちの環境に関心を持ち、状況を分析する能力、まちづくりのメカニズムを操作する能力を有する必要がある。個人のエゴを超えて、共通の目的を有し、都市ができ上がっていく仕組みを共有するシステムが必要である。そこで基本的に重要になるのは、みずからの環境に対する感性と地域社会に対する思い入れである。自分たちが生活し、仕事をしているコミュニティを総合的に認識し、コミュニティの中に現に存在する問題点に対して、その改定や解決方法を考え、行動していくことが必要ではないか。
 自分たちの都市を考えるといっても、都市全体を考えるのはかなり専門性を要すると思いますので、とりあえず自分たちが住んでいる範囲をどう考えるかということで、地域社会(コミュニティ)を構成しているシステムを理解し、コミュニティの課題を解決するための新しいシステムまでも含んだものをコミュニティ・デザインと呼ぼう。これは何人かの先生が提案してらして、私も賛同しております。私は、実現のシステムまでを含んでコミュニティ・デザインではないかと思ってやっております。

 (OHP7)
 例えば、既成市街地では、権利者の土地を必要な経済活動に利用していくことが不可欠で、先ほど土地問題のことをいいましたように、住民の方イコール権利者である場合が多く、(そうではない住民の方もいますから、もちろんその人たちの参加も必要ですが)まず権利者の人たちが了解しなければいけないということで、権利者が自分たちの権利を維持しつつ、安定的に利益を生み出す状況をつくり出さなければならない。
 しかし、高地価を顕在化すれば新たな開発は大きな課題とならざるを得ず、開発は失敗する場合が多い。地区のポテンシャルにふさわしい、身の丈に合った開発を行うためには、地権者の側が地価を顕在化させないスキームを、まさに彼らの主体性のもとに組み立てていくことが必要である。環境のデザインとこれらのスキームを総合的に組み立てていくこと、システムを構築することがコミュニティ・デザインといえるのではないかと考えております。

 (OHP8):グローバルスタンダード VS コミュニティベース
 次に、先ほどの1000億の販売量を持った小売店と商店街とはどういう関係にあるのかということで、グローバルスタンダードとコミュニティベースという考え方で整理してみました。これからはグローバルスタンダードでないと企業は生き残れないといわれているわけですけれども、そういった価値観が成立する一方、コミュニティが重要な価値を持ってくるわけです。これは政策的にも、欧米ではそういう政策をとっていますし、英国のブレアさん等も、「第3の道」と今あちこちで紹介されていると思いますが、市場の論理でグローバルスタンダードを突き詰めていけばいくほど、一方で、コミュティというものをきちんとつくり上げないと、本当に社会が疲弊してしまう。弱者が生き残れないわけです。そういったコミュニティをもう一度建て直したい。その場合に商店街の果たすべき役割は大きい。
 毎日歩いていける範囲で物が買える、安くて適切なものを買うということが必要だと思います。特に、食料品でいえば、日本は自給率が大変低いわけです。2〜3割しかいっていない。しかしながら輸入した食料品のうち、半分は捨てているわけです。それはなぜかというと、ライフスタイルの問題があります。土日に車で郊外の大きなショッピングセンターに買い物に行って、たくさんの食料品を買ってきて、大きな冷蔵庫に入れる。全部食べられなくて3分の1ぐらいは捨てているということをしているわけです。例えば、お魚をサービスで5切れ買ってきて、2切れしか食べないのか、それとも1切れ買ってきて1切れ食べるのかという意味では、商店街というのは大きな役割を持っていますし、単に買い物の場を超えた暮らしの広場として重要な役割を果たしている。
 都市に中心があるというのは都市の構造上の最も特徴であり、中心の主要な構成要素は商業である。中心部がにぎやかであるためには商業が頑張っていなければならないということです。

 (OHP9)
 グローバルスタンダードで活動している大企業にできないコミュニティベースの活動、コミュニティベースのサービスを行うことができるのが中小企業者の産業である。また、地場産業として地域の雇用とか租税も担っている。グローバルスタンダードの時代であっても、これらの産業は必要だし、十分活動の余地はあるということで、これが理念として考えていることでございます。

 (OHP10):中心市街地再生のシステムづくり
 実際に、中心市街地を再生するのにどういう仕組みをつくっていったらいいかといえば、まずは地域の魅力を十分に引き出す魅力的な都市再生のビジョンと、ヒューマンスケールのフレンドリーなデザイン。巨大型の開発よりは、ヒューマンスケールの開発というのが求められています。
 次は、それを実現するためのシステムですが、1つは、合意形成システム。権利が錯綜している中心市街地で、関係権利者、関係団体が合意形成をしていくというシステムが必要です。そのためには、協議機関を設立し、その協議機関が基準とする考え方のガイドラインを明確に確認していく必要がある。
 一方、開発システムとしては、先ほどいった高地価を反映させないために、利用と所有を分離し、地域に根差したエキスパートを通して活動していく街づくり会社という仕組みが必要なのではないかということでございます。
 これが全体的な総論でございます。あと、川越と長浜と高松の3つの事例をごらんいただいて、今いったことが実現できてないところも多々ありますけれども、住民の皆さんと考えてやってきたことをご紹介したいと思います。




2.川越の事例から

 (OHP11)
 川越は首都圏にありますから、町並み保存としては大変注目されておりまして、’75年には伝建の調査が行われましたが、伝建はなかなか実現せずにマンションができてしまったり、蔵が取り壊されたりという状態が続きました。1983年に「川越蔵の会」というのが、市民の方、商店街の方が一緒になって発足いたしまして、『@住民が主体となったまちづくり』が始まりました。それまでは景観といいますと、文化財保存が大義の一方の柱だったわけですが、川越では、同時に、経済的に自立をしないと保存もできないだろうということで『A商店街活性化』ということを、町並みの中ではかなり早い時期に提案しました。
 また、『B町並み保存のための財団形成』、これは当時盛んであったナショナルトラストの運動に刺激をされて、壊されていく古い建物を買い取って保存する方法ということで、この3点を提唱して蔵の会ができ上がりました。しかし、先ほどいいましたように、買い取り保存だと地価の高い川越では困難で、そこで自分たちが不動産会社を経営すればよいのではないかということで、これが街づくり会社を考えた発想の原点でございます。

 (OHP12)
 1985年に、通産省の「コミュニティマート構想モデル事業」ということで計画を立案いたしました。それは施設整備として『@個店の整備』と、『A全体共同施設というモール(道路を整備するということ)』、『B核施設』という(商店街の3点セットといわれていますが)個店とモールと集客の施設、3つのセットの計画を立案いたしました。合意形成システムとして町づくり規範と町並み委員会。開発システムとして街づくり会社という2つの仕組みが提案されました。
 しかしながら、このうち今の時点で実現できているのは、個店の整備と町並み委員会と町づくり規範ということです。モールに対しましては、都市計画道路が決定しているものですから、それを外すのに時間がかかりまして、ただいま伝建と一緒にセットで外していくということでの動きが進んでおります。
 このうち町並み委員会というのは1987年に発足して、町づくり規範を作成して、毎日、その運営のために委員会を開催している。昨年、10周年の記念式典を行っております。

 (OHP13)
 
改めて川越の町です。首都圏ですので、行った方もあるかもしれませんが、これが川越の全体の地図で、ここに川越駅がありまして、市駅と本川越という3つの駅に囲まれて、ここがただいま一番の繁華街です。一番街商店街というのはここでございます。この○印は何かというと、江戸期からの商店街の変遷を、中心で推移をあらわしたんですが、蔵づくりの町並みの商店街は戦後大変栄えておりました。しかしながら、1960年代に地元の百貨店がこちらに移動したのをきっかけに急速に衰え始めまして、今は駅前が一番栄えています。戦後、2.5〜3キロぐらい中心が短期間で移動したということでいえば、多分日本で一番短期間での長距離の商店街の移動ということがいえるのだろうと思います。

(OHP14):Kawagoe Walking Map
 
初めは、商店街の方も古い建物は全部壊して新しい建物をつくって、商店街近代化をしようと考えていたんですが、なかなか合意ができないままにどんどん衰退して、古い建物が取り壊され、取り壊されて美しい建物ができるかというと建たない。歴史的な建物が取り壊されて、貧弱な建物が建っていくということが行われまして、どんどん商店街は衰退してしまったわけです。
 歴史的なものを生かしながらといいながらも、地元の人たちは、そんなことをしても、あんな使いづらい建物を利用して商売がうまくいくとは思わないということで、なかなか賛同を得なかったんですが、先ほどの1985年のコミュニティマート構想のときに商店街の方々みずからが、歴史的なものを生かして、商店街を再生しましょうと決めたわけです。
 これがそのときのマップで、ここで100軒ぐらいの権利者といいますか、敷地がありますが、それの半分以上が歴史的なものです。そういったものを生かしながら、まちづくりあるいは商店街活性化をしましょうという合意ができたわけです。

 (OHP15):中心市街地の機能配置計画図
 川越市全体としては、ここが昔の城下町区ですから、それが中心となる一番街と、駅周辺の広域型というのを役割分担してやりましょうと決めました。

 (OHP16)
 それから、川越の場合は、商店街活性化でも町並み保存ということがテーマでしたから、町並みのファサードを蔵づくりとか塗り屋とか、木造町家ということでパターン別に整理しました。

 (OHP17)
 その中でこういうパラペット看板を取ってきれいにしましょうとか、ここはこういったふうにしましょうとかいうことを皆さんと議論をいたしました。

 (OHP18):川越一番街
 地元でできることが町並み委員会をつくって、まちづくりのガイドラインをつくりましょうということだったので、一番街の町並み委員会を発足させて、町づくり規範をつくるということをやりました。

 (OHP19):町づくり規範
 
これは皆さんよくご存じのアレキザンダーのパターンランゲージをもとにいたしまして、都市の基本目標から始まって、都市の部分と建築の部分というふうに67項目つくりました。

 (OHP20):建築
 例えば、都市の第1項目としては、地形を生かしながら、固有な都市・川越をもう一度つくり上げていきましょうという理念的なところ。

 (OHP21):固有な都市・川越
 都市には城下町区とか、駅前の商業地とか、住宅地、いろいろな性格を持った地区があるわけですから、それぞれが発展するように考えましょう。

 (OHP22):固有な性格を持った地区が共存する
 都市計画の基本的な考え方を町づくり規範という形で、住民の皆さんと確認した。

 (OHP23):賑わいの結節点を布石する
 例えば、ここではにぎわいの結節点を布石するということで、にぎわいの結節点は、250メートルから300メートルごとということで、一番街商店街が400メートルぐらいの長さですから、3カ所のにぎわいの結節点を布石しましょう。

 (OHP24):回遊路(プロムナード)
 その結節点をプロムナードでつなぎましょうとかということを確認した。

 (OHP25):4間・4間・4間のルール
 建築の利用は、川越は他の歴史ある町と同じように、ウナギの寝床式なので、敷地が細長いわけです。それが店の間と住宅と中庭が、ちょうど4間、4間、4間と並んでいまして、これを「4間、4間、4間」のルールといっております。中庭がこの4間のところにありまして、歴史的な建物は当然この形をとっております。新しく建替えのときに、町の人はこのルールでこの建物をつくる。ところが、新しく土地を買って入ってきた方々は、このルールを当然知りませんから、ようかんみたいな建物を建てまして、北側の方の日照を害する。結局その北側の方が余りに日当たりが悪くなって、また売るという形で、町がだんだん悪くなってくるというのが始まっていたので、ここでは4間、4間のルールを生かして、その中庭のゾーンはそのままに使いましょう。前の4間だけでは店としては当然狭いですから、それは4間行ったところまで店にしますけれども、中庭をそのままにしてその裏に住宅をつくる。あるいはそれでも店が足りない場合は中庭を挟んで店にするということで、中庭をうまく使ったお店は、青山や広尾などでおしゃれなのがいっぱいありますから、そういったものを使ってやりましょうということを確認しながら、まちづくりをしました。
 後で、スライドをごらんいただきたいと思います。




3.長浜の事例

 (OHP26):長浜市街地関係位置図
 長浜は、町全体をどうするかということがテーマでした。これは琵琶湖のほとりの長浜の町の中ですが、私がお手伝いを始めたときは、黒壁が、やっと頑張っていろいろ始めたときに、郊外に大規模なショッピングセンターが計画されまして、ちょうど特定商業集積法ができたところなものですから、それを使ってつくることが必要ではないか。特に、周辺都市でそういう計画がたくさんあったものですから、長浜はこのままでは周辺都市に負けてしまうのではないかということで、計画立案のプロセスで、本当に郊外型SCをやる必要があるかどうかというのを検討しました。

 (OHP27)
 そういったことを考えるときに、少なくとも人口が30万人以下の都市においては都市の中心は1つであるということで、これもアレキザンダーのパターンランゲージの中ですけれども、心ときめくダウンタウン30万人に1カ所。プロムナード5万人に1カ所。ショッピングストリート1万人に1カ所。小さな店舗が集まった市場4000人に1カ所。街角の雑貨屋さん1000人に1カ所ということで、コミュニティの単位と、それが必要としている商業商店街、あるいは商業施設と、それを重層的に組み立て直すということをしましょうと議論いたしました。

 (OHP28):都市全体の中心と周辺コミュニティの中心と
         ネットワークをかたちづくる
 これは先ほどの長浜の地図です。旧長浜といいますか、もともとの長浜の町がありまして、長浜というのは集落が周辺に割ときちんと残っておりまして、その集落の中心をつなぐ形で街道ができておりまして、その街道に全部商店街ができている。北国街道もその一部です。ここで「フォブール型商店街」と名づけたのは、城壁都市の場合は城壁の前にそういうフォブール型の商店ができるというのをなぞらえて、フォブール型商店街といった。旧長浜の町と周辺の集落とそれをつなぐ商店街というものを階層的に考えようと議論をいたしました。

 (OHP29)
 長浜もそうですけれども、中心部が衰退した理由は、公共施設が郊外へ移転したこと、駅周辺に大型商業集積ができたこと、郊外にも大型店ができたこと、市街地が拡大して、人口が分布した、自動車によるアクセスが困難である、駅の乗降客数が減ってきたということです。

 (OHP30):商店街再生の方法(長浜を事例として)
 都市生活をエンジョイする中心をつくるということで、周辺の人口への入り口ないし接点、商店がある場所、集まってくるような場所に中心がある必要がある。通過交通を排除する地区になっていること。プロムナードを構成していること。公共交通機関の結節点と結びついていること。その一部に夜も楽しめる場所があること。お祭りなどの広場があること。歴史文化の集積が豊富であること。豊かな都市生活が営まれている場所であることを確認して、それは郊外ではなく、既成市街地の中心だろうということで、中心市街地を1つのショッピングゾーンと見立てて、整備をしていく必要があるということです。

 (OHP31):戦略
 長浜の場合でいいますと、近くに長浜楽市というセゾングループがやった施設がありまして、それがまさに長浜の中心地と同じくらいの広さがある。そこと匹敵するようなきちんとした、ある種の合理的な、整備といっても、普通の整備とは違うと思いますが、見立てて整備を進めましょうということで、町の側も工夫によってショッピングセンターになり得るのじゃないか。
 1つのショッピングセンターと見立てた、第1には都市文化の魅力を商店街に点在をさせるということです。魅力のある施設が適切に布石される、点在すれば町は活気を取り戻すであろうということで、黒壁などは、空き地、空き店舗をうまく使いながら、魅力ある施設を点在させていった。それは商業施設であり、あるいは文化施設であり、場合によっては工房というような製造施設もつくっていったわけです。
 第2に、町の固有性を強調すべきであろう。街路のにぎわいを満たし、かつ都心の魅力的で豊かな居住空間を守る。長浜の伝統的空間は、歴史的な建物を生かしながらということですから、それをうまく生かしましょうということ。
 第3点目に商店街のアイデンティティーをはっきりさせる。ショッピングセンターでいえばレイアウトゾーニングに匹敵するわけですから、さまざまな販促活動とともに、空き地、空き店舗の活用により、異色業種などを導入しましょうということ。

 (OHP32):旧長浜町 町域図
 これが旧長浜の地図です。この一角を1つのショッピングゾーンと見立てる。

 (OHP33)
 
これが長浜の各商店街です。北国街道があって、表参道があって、IGOとか、大手商店街等商店街が集積しています。このエリアを1つのショッピングゾーンとして開発をしようということを考えて、北国街道沿いで頑張っているんですが、そのほかの商店街もファサードを直したり、アーケードを直したりして現在に至っているということです。
 次に開発システムとしての街づくり会社についてお話しします。

 (OHP34)
 町並み委員会のように、町全体を見て合意形成をしながら、ファサード修景をやりましょうということと、もう一方で、開発システムとしての街づくり会社というのはどうだろうかということを考えました。これは川越のコミュニティマートをつくったときに、住民によるまちづくりのポリシーというのが、町並み委員会と町づくり規範になっていったんですが、不動産の積極的、合理的利用による町並みの形成ということを考えまして、当時、地主の方にいろいろアンケートしたわけです。

 (OHP35):地主・家主の意向
 自己利用をしていく方は、もちろんそれでかまわないんですが、自己利用ができない方の中では、売ってもいいという方より、売りたくない方の方が圧倒的に多かった。売りたくない方に、賃貸型とか、経営委託型とか、信託型とか、いろいろとタイプを想定して、議論をして、検討し、高松の例も含めながら現在に至っています。

 (OHP36)
 そのとき考えましたのが、1つは、これは川越を想定しているんですが、町並みの中に比較的大きな、250坪の土地を利用している地権者の方がいらっしゃって、この方は自分自身では開発はできないけれども、共同型でやろうとなりまして、ここでは地権者と街づくり会社が一緒になって共同開発をしようというタイプです。これは共同開発型です。街づくり会社という組織を介在させることによって一定の公的支援が得られるということと、テナントの誘致もしやすいというので、共同開発型というタイプの250坪を想定しました。

 (OHP37)
 これは60坪で空き店舗型です。地権者の方は自分でやる気は全くない、しかも土地を売らないということですので、建物を改修することも含めてすべて街づくり会社の方がやります、テナントも導入します、一定の家賃を払いますというタイプを考えた。これは空き店舗型です。

 (OHP38)
 もう1つは、500坪ぐらいの土地がありましたので、これは市が買い取って、先ほどの核施設を導入するというタイプです。

 (OHP39)
 3つのタイプの事業採算を考えてみますと、さっきの250坪のタイプで、1986年につくった計画なので、地価も高いですし、定期借地がなかったものですから、一般地代でやりましたので、成り立たない。これは上が損益で下が資金繰りになっていますが、資金繰りが回らない。250坪のタイプも60坪の空き店舗タイプも成り立たないということ。

 (OHP40)
 核施設タイプは、500坪の敷地で土地を買うと成り立たない。相当地代を払っても成り立たない。土地代を定期的に10年間割賦で市からもらうと成り立つという案になりまして、この3案に先ほどのA、B案をつけると事業は成り立つというのをシミュレーションしたものでございます。
 当時、川越はバブルに入りかけておりましたので、坪200万。長浜のこれからお話しする黒壁が事業を始めたときは、坪40万です。そういう意味で、土地代をどういうふうに考えていくかということがやはり大きな要素ではないかと思います。

 (OHP41)
 これは黒壁で、駅前の通りです。先ほどいっていた中心のエリアをこのぐらいに設定して、北国街道沿いに28店舗を成功させています。黒壁は有名になったので、ご存じだと思いますが、後でまたスライドもごらんいただきます。

 (OHP42)
 黒壁スクエアという中心になっている一角のこの建物が売りに出されたけれども、これは町のランドマークになっているので、保存したいという市民運動が起こりました。売りに出されて買い取った不動産屋さんが壊して駐車場にしてしまう。町のランドマークなので、保存をしたい。長浜市の方に陳情した。ここまではよくある例ですが、そのとき当時の長浜市が大変見識がありまして、「長浜市がこれを買い取っても、かび臭い資料館ができて終わりでしょう」と。商店街の隣で、もともと昔は大変な商店街だったわけですから、「買い取って皆さんで活用したらどうですか。長浜市は応援しますよ」となりまして、第三セクターができて、ここ一帯の整備をして成功したということです。
 当時長浜は人口が5万人で、商圏人口としても7万か8万ぐらい。周辺の商店は年商が3000万から4000万ぐらい。頑張っても5000〜6000万ということで、初動期の総投資額が5億ですから、資本金は1億3000万集めたり、長浜市にポケットパークをつくってもらったりはしていますが、それ相応の施設を運営していくためには年間1億2000万の売り上げが必要である。どう考えても8000万ぐらいしかならない。周りが数千万ですから。まして、ガラスの専門店ですから、こんな田舎町に成り立たない。笹原さんがよくおっしゃるんですが、札の辻といっているところを、当時計画する前に通行量をはかったら、1時間に4人しか歩いていなかった。これで本当にビジネスとして成功するだろうか、みんなからだめだろうといわれつつも、失敗したら自分たちがリスクを負うということで始めまして、結局は初年度から1億2000万の売り上げを上げて、きちんと経費が出まして、その後順調にいっております。ただいま黒壁だけで6〜7億ぐらい売り上げを上げているということです。観光客ではありますが、リピーターが多いんですが、200万人ぐらい集めて大成功したということです。

 (OHP43):黒壁株式会社の事業手法
 黒壁の成功というのは、推進者の企画力とか、市民の熱意とか、たくさんのことがありますが、もう1つ、あれだけたくさんやってきたというのは、先ほどいった事業手法をいろいろ使っておりまして、重要な建物に関しては、取得をして自己利用するということをやっています。ガラス館とか、観賞館、ポイントになるものは自己使用しています。例えば、売りに出て、黒壁自身が取得するだけの力はないけれども、価値ある建物は買い取って売却をするということでやるとか、あるいは建物を借りて自己利用をする。今転貸するのがふえているということで、先ほどいいましたように、通常の不動産ディベロッパーならいろいろ工夫するようなことを、黒壁もいろいろ工夫しながら成功してきたということです。

 (OHP44):黒壁株式会社の資金フロー
 これは4年ほど前のデータですので、ちょっと古いですけれども、黒壁の資金がどういうふうに上がってきたのかというのをやりまして、現在借家しているものを購入した場合は、より収益が悪くなるということですので、そういった手法もうまく使って黒壁は成功したということです。

 (OHP45):街づくり会社成立の基本構造
 
こういった黒壁の成功などからもわかりますように、街づくり会社というものの基本構造を考えました。街づくり会社が商店街にタウンマネジメントを行っている。タウンマネジメントが何かといえば、いろいろ議論されていることですし、相当多岐にわたると思います。空き地、空き店舗とか、広義の再開発事業も入るでしょうし、黒壁のように施設面も入るでしょうし、あるいは農道を整備する、維持する、いろいろあると思います。
 ちょっと乱暴な言い方ですが、街づくり会社が商店街に投資をするといいかえますと、投資をした利益は商店に行く。今まで商店街の開発がなぜうまくいかなかったのか、開発利益は商店に行く、商店のために何でそういうことをやる必要があるのかというのが議論の1つだったと思います。ここでは中心市街地、中心商店街の大切さがあるわけですから、街づくり会社が投資をすることによって、その開発利益が街づくり会社に戻るようにする。投資をして開発利益が戻ってくる。投資をして戻ってくるという、短いサイクル、エンジンのスターターのようなものが動き始めますといいのではないか。
 そのためには、それが一定の公益性があれば、行政の方も補助金とか、商業施設ですから、高度化資金という無利子融資が想定されております。あるいは市民の側が、それが町のためであれば、出資やコミュニティボンドなども考えてもいいということで、初動期に支援をもらう。初動期に通常のディベロッパーがもらえないような支援をもらうことによって、これが動き始めて、エンジンのスターターのように回り始めることによって、大きなところでは税金とか雇用となって都市全体の動きが出てまいりますし、あるいは町がきれいになる、都市空間が魅力的になるわけですから、アメニティとか利便性が増すという大きなサイクルが動き始める。街づくり会社というシステムを使って、中心部を動かし始めながら、町全体がうまくいくような仕組みができないだろうかということでございます。




4.高松の事例

 (OHP46)
 この仕組みで本格的に取り組もうとしたのが高松の丸亀町商店街です。高松は四国の玄関といわれておりまして、ご存じのように、瀬戸内海に面した都市です。高松市の中心商店街はここですが、北側は全部海です。南と西と東の陸地になっている5キロ圏に、バリアのように大型店が出店をしてくるということをきっかけとして、商店街の人たちが、これでは自分たちが立ち行かなくなると考え始めたのがそのきっかけです。

 (OHP47):高松市第一種大型店・ショッピングセンターの主な計画
 大体このとおり、ほぼ全部オープンいたしました。当時、平成3年のときに高松市全市で40万平米、中心地で約12万平米あったんですが、16万平米の大型店の増床、あるいは出店がありまして、これが全部オープンいたしますと、中心部の占める割合が26%に下がってくる。これは何かというと、全市の売り場面積に対して中心部の売り場面積と一定割合ないといけないといわれています。長浜の計画立案のときに、専門の皆さんと議論しながらやっていたことは、全市に対して中心部が占める割合が30%というのが1つのメルクマールで、30%を過ぎると本格的な衰退が始まってしまう。長浜もそうですし、高松はこれからですけれども、そういうことが想定されます。
 それから、アメリカなどは、ゾーニングプランをきちんとつくっている国だといわれておりまして、ちょっと名前は忘れましたが、カリフォルニア州のある都市では、小売業の70%は中心部に置くようにとマスタープランでうたわれているということもありまして、全市に中心部の占める割合というのは、物理的に必要です。高松の商店街の人たちは、自分たちはここで頑張るしかないということで、再開発事業に取り組んだということです。

 (OHP48):高松市中心市街地の位置
 大変大きな再開発事業に取り組んでおりますけれども、商店街は大変力があります。丸亀町商店街というのは、先ほどいった12万平米のうち2万2000平米の売り場を持っておりまして、小売販売額で250億売っております。そういう意味では大変力のある商店街で、しかも、20年ぐらい前に株式会社をつくって駐車場経営を成功させて、振興組合自身が約30億の資産と8000平米ぐらいの施設を持っております。それで年間の運営経費が5億円ですから、そういう意味では1つの企業に匹敵するぐらいの歴史を持って、これだけ大きな再開発に取り組み始めたということでございます。

 (OHP49)
 何でこの時代に再開発をする必要があるのか。しかも、ごらんいただくとわかるんですが、結構にぎわっているんです。にぎわっている商店街で何で再開発をする必要があるのかというのもありますが、高松の商店街の方が大変うまいことをいいました。要するに、商店街というのは、物売りの機能を特化させて売り場ばかりつくろうとしたために、衰退を招いた。物売りに特化させてしまったために、衰退を招いた。もうちょっと複合的な機能を持っていないと成立をしない。しかしながら、ここは一等地の商店街ですから、1階とかに空き地があるわけじゃありませんから、共同化をして上を利用する。そこに不足業種といいますか、商業でも売り場効率の悪い業種とか、文化施設を入れ込んで再開発をしないとうまくいかないということで、立体共同利用する。法定再開発を使っておりますけれども、限りなく共同建替えに近い法定再開発ということでございます。
 しかも、丸亀町商店街は500メートルありまして、街区全部で約4ヘクタールありますので、これを一気にやることはできないので、できる街区から進めていく。現在A街区とG街区が一番進んでおります。

 (OHP50)
 少しずつやっていきながら、将来的には全部をやりかえるような計画にしようということでございます。

 (OHP51):高松丸亀商店街開発計画策定書
 一番最初に立てた計画が、1つのショッピングゾーンと見立てて、それぞれの街区ごとにテーマを決めてやりましょうとなりまして、これを商店街の皆さんが見て、これならみんなでやるのはおもしろいんじゃないかということが、取っかかりになったということでございます。
 街づくり会社の仕組み等につきましては、後でスライドでご紹介をいたしますので、そこで見ていただくとして、ご存じのように、再開発事業ですから、時々刻々と内容は変わってきておりまして、ただいま進んでいるのはスライドにありますので、それをごらんいただくということです。

 (OHP52)
 
これが高松の、先ほどいった高松駅、こちらが丸亀町商店街です。ここが琴電の瓦町駅です。ただいまここに大型店のそごうがあり、三越があります。丸亀町商店街というのは、ここの約500メートル。ごらんになるとわかりますように、駅がないわけです。この周りに8商店街がありまして、ここがうまくいくことによって、人が歩いてここに集まってくる、この中心地の中でも中心にあるということで、この開発がうまくいけば、周りの商店街もうまくいくだろうということで、支援をもらいながらただいまやっているということです。
 それから、これが約500メートル、ここから琴電まで約500メートル、ここからここまでは500よりちょっと、800ぐらいあります。大体3等分の位置にあります。そういう意味でも中心整備ということで話を進めているということでございます。




5.スライド紹介  (略)




フリーディスカッション

司会(谷口)
 
どうもありがとうございました。
 西郷さんから、OHP、スライド、最後のナレーション入りの高松の例とか、いろいろお話しいただきました。
 一応、西郷先生のお話をこれで終わって、質疑ということにさせていただきたいと思います。

長塚(長塚法律事務所)
 弁護士の長塚ですが、高松の例ですと、水に親しむというか、水の関係が全然出ていないのですが、川とか流れ、滝など、そういうものは特にお考えになっていないのでしょうか。
 それから、情報の発信など、情報については何か取り組んでおられないのか。この2点をお伺いしたい。

西郷氏 
 おっしゃるとおりで、今ごらんいただいたのは1994年に権利者の合意が一応できまして、そのときにつくったものでございまして、もう一度内容の練り直しをやっている最中でございます。先ほどいいましたように、大きな広場をつくりますので、ほんの少し水をテーマにしてやっていこうということと、高松市は渇水が多いところですから、雨水利用とか中水利用とか、そういったものを計画に取り込むということをただいま進めている最中でございます。
 情報の件に関しては、今回は再開発事業のスキームの方を紹介しているスライドなものですから、そちらの方が重点になると思いますけれども、街づくり会社ができ上がった暁、再開発ができ上がった後、再開発をすることを目的としてやっているわけじゃなくて、先ほどいいましたように、中小企業者が中小企業者同士のネットワークを組みながら生き残っていくにはどうしたらいいかということをテーマでやっておりますので、海外を含めた地場との情報交換のシステムをつくりたいとか、消費者に対して直接アプローチして、そこから販売をしていくとか、幾つかのことは想定はしているんですが、実際に具体的な内容としてやるまでいっておりません。再開発を立ち上げる方を今優先しております。

永井(日建設計)
 日建設計の永井です。まちづくりで、タウンマネジメントというソフトの仕掛けを入れられたのをおもしろいと拝聴させていただきましたが、特に組織面、街づくり会社とか、ファイナンシャルの側面のサポート、これはNGO組織だと思いますが、そこらあたりがどういうふうになっているのか、もう少し詳しくお聞かせいただきたい。
 そういった再開発のプロセスというか、街づくり会社をつくっていくに際しての仕組みとか、仕掛け、そういうことについてもを聞かせていただければと思います。

西郷氏
 
基本的には、私がお手伝いをしている地区は、商店街組合という組織がございまして、商店街組合というのは、ご存じのように、振興組合であったり、事業協同組合であったりするんですけれども、もともとは地元の自治組織です。そこに商業者の人たちが中心となってできた自治組織が歴史的にはありまして、それが戦後の法制化の中で制度化されて、振興組合になったり、事業協同組合になったりということです。
 ですから、私どもも最初は、まず組合のお手伝いを始めるということになっていきます。組合で話をして、どうしたらいいかという町のビジョンを語っていく中で、具体的にプロジェクトがある程度はっきりしてまいりました時点で、組合全員が参加するべきものなのか、それとも一部の人がやるべきものかという仕分けができてまいります。先ほど全体のガイドラインとかいろいろいいましたけれども、全体が参加していかないといけないような仕組みと、それから一部やる気の人たちを何らかの形で組織化する必要があります。でき上がった後に運営をしたいというところから始まるわけですから、その運営にかかわれる組織をどうつくるかということになってきます。それはまさにいろいろな方法があると思います。要するに、川越のような特徴、ポテンシャルを持った地区、長浜のような地区、高松のような地区、それぞれだと思います。
 高松に関していえば、大変ポテンシャルがある地区で、今でも年商250億を商っているわけですから、再開発をしても相当成立するだろうという合意のもとに、再開発の準備組合と、そうはいっても、準備組合は法律的に新しくつくった組合ですから、何の財産も力もありませんので、振興組合という組織が全面的に支援しているのが高松の特徴です。
 もちろん、行政的な支援をもらい、いろいろ企業の支援をもらいということになっていくでしょうけれども、初動期は振興組合で決議したということが、これだけ状況が悪くなっていく中でも事業が進行している大きな理由になると思います。
 そのファイナンシャルのサポートに関していえば、事業の主体となろうという人たちが、土地建物という一定の資産を持っている中小企業者であるということでございますので、先ほども述べましたように、再開発をしようと思っても、はっきりいいまして、土地と建物の両方を買ってやったら大変な投資額になってしまうわけですが、土地に関しては定期借地とか信託とか、いろいろ手法を検討しておりますが、事後に払い続けていくということを考えております。それは要するに、最初に地代が幾らです、何とかが幾らですと決めるよりは、ある種の開発利益の配分だろうと思います。うまくいけばたくさんもらえますし、事業が順調でないのに地代だけたくさんよこせといっておりますと、自分の土地がなくなってしまうわけですから、そういう相関関係のある中での開発利益の配分という仕組みをつくりました。
 ということで、ファイナンシャルのサポートじゃないんですけれども、一定のスキームをつくったということです。それに対して、支援ということでいえば、中小企業者であるというところを生かして、補助金とか、低利融資など中小企業者の施策の支援を全面的にもらっている。
 ちなみに、私がお手伝いしたときは、高松は坪2000万だったんです。坪2000万で、1階の家賃が坪5万円だった。ところが、現在は下落をして400万を下回っている。じゃ、5万円が1万円になったかというと、なってない。2万5000円から3万円です。ですから、年間の利回りからいいますと、逆に上がっている。前は3%ぐらいだったのが、今は8%ぐらいになっている。そういう意味では、ちょっと発想を変えて、利回りをどうとらえていくか。もらうお金は同じですが、利回りが上がったということで、みんなが納得しているということがあります。

阿津澤(埼玉総合研究機構)
 
埼玉総合研究機構の阿津澤です。2点ほどお伺いしたい。
 まず第1点は、高松市の再開発の件で、地元住民は本当にあそこで買い物をしているかなということを感じたわけです。というのは、余りにもきれい過ぎて、私など行くと、非常に緊張して、ちょっと行きづらいような雰囲気だったので、その辺、人の流れについてお伺いしたい。
 商店主の話し合いの場面で、一般住民がイメージを共有するという話がありまして、一般住民はどのようにかかわっていったのか。まず1点目についてお伺いしたい。

西郷氏
 地元住民の方が買っているかどうかといえば、香川県が100万人の人口でございまして、香川県100万人の商圏人口で成立している商店街です。非常に広域化している商店街ですから、いわゆる都会の非常に洗練された商店街として成立し、そういう位置づけの中で商店街として繁栄してきたということです。ですから、商店街全体の中で高級衣料品の占める割合が高い。家賃が高いということもありますが、バブル期はそういう高級衣料品で占められてしまいました。計画的なショッピングセンターの中でいえば、レストランがあり、生活雑貨品がありということで、業種、業態が変更されていくわけですから、そういう仕組みをつくらないと、おっしゃっているように、市民の人たちから評価してもらえないだろうという商店主の側の反省に伴って、今回の再開発に取り組んだということがあります。
 では、住民参加、市民参加といって市民はどうなっているんだといえば、参加する市民も幾つかのレベルがあると思います。まずはそこに住んでいる人たち、権利者と称している人たちの合意。それからもう少し計画が進みますと、高松市民が本当に中心市街地を大切にしているのか、香川県民はどう思っているのかというレベルがあると思います。その中でどのレベルを一番最初にやるべきかといえば、上位計画で、中心地としての位置づけをやったわけです。これは特に新しい指標を使っているわけじゃなくて、通常のやり方で位置づけをしています。
 その後、問題となってくるのは、非常に錯綜している権利の中で、住民合意ができるかということが一番かなめだと思います。それをやらない前に市民に呼びかけても、話がこんがらがってしまって、何もまとまっていかないというふうに判断しております。ですから、まず、権利者の人たち、住民の人たちが開発をしていくんだという合意を優先してやっております。
 この合意がとれた暁に、先ほどスライドを見てもらいましたように、あれが本当に市民の評価を得るかどうかということは、次の段階でチェックする必要があると思います。それは権利者合意ができた段階でやりたいと思っております。

阿津澤
 もう一つ、コンサルタントとして、歴史的遺産があまりなくて、またはあってもほとんど新しい建物に建て替えられてしまった地区、いわゆる新住民がふえている地区では、どう市民のイメージを共有化して、町を再生していったらいいかということをお伺いしたいと思います。

西郷氏
 
歴史的な特徴を持っている地区、文化があり、建物があるところはやりやすいと思います。開発の仕組みでいえば、その地区にしかないものをどうやって見つけ出していくかということです。日本に1つしかない。その地区に1つしかないものは何か。世界に1つしかないものは何かということを見つけ出していく、固有なものを見つけ出していくことが必要であるということ。
 第2点目としては、開発というのは、なるべく修復型であり、ヒューマンスケールであるということが大切だと思います。
 3番目には、システムをどうつくっていくかということが大事だと思います。日本の今のいろんなシステムの開発の仕組みを見ますと、いろいろ過去の流れもありますし、全部正反対のような気がします。
 まず第1には、そこにあるものを探し出そうとしないで、同じものをつくろうとする。同じような形にしてしまう。
 第2点目としては、事業採算の問題とかいろいろあると思いますが、ヒューマンスケールがなかなか実現できない。巨大スケールになってしまうということ。それは別に、だれが悪いということじゃなくて、今の日本全体の流れだと思います。
 第3点目といたしましては、システムづくりというよりは、必要なところもありますが、どうしても土木工事、建築工事になってしまう。そういう意味では、都市の開発のシステムづくりというのが、ファイナンシャルサポートも含めて、日本はなかなかできてないという気がします。
 その3つをやっていくことでいえば、私は日本の、これだけ歴史があり、人が住んでいる町で、固有なものがない地区はないと思っております。ただ、見つけ出す努力をしていないだけではないか。見つけやすい地区と見つけにくい地区があります。新住民といいましても、自然環境とか、体に優しい工芸的なものとか、そういういいものに対する評価は大変強いですから、見つけ出せさえすれば、お互いの共同作業は成り立っていくと思います。

末(末商会)
 私はこの文京区後楽におりまして、これから再開発事業をすすめようとするオーナーの1人ですが、今の話で大変参考になったのが、2点あります。私、小石川後楽園庭園保存会の代表でございまして、小石川後楽園の環境を守るために頑張りまして、周辺に計画されているビルの高さを抑えるような運動もやりましたし、周辺環境もやりました。私はこの町に生まれ住んで70年になるわけですから、小石川後楽園がいかにこの地域にとって大事な、今いった固有文化財であるか、これを生かしたまちづくりをしたいと思っています。今、東地区では再開発が進められています。我々は西の方ですが、今度は住民を中心にした再開発をやります。
 今先生がおっしゃったような商店街を何とか入れたいと思う場合において、例えば、文京区の街づくり公社が、先生の費用とか、そういったシステムとか、そういうものを出してくれるのかどうか、それも1つあります。
 私も500坪からの地主で、商店でしたから、土地を商店街に提供することはしたいんです。その中で、例えばさっきいった坪単価の問題が出てきまして、1坪かなり割り引かないといけない。大きな開発ですから、周辺の事務所の人たちなど、いろいろな方々が大勢、この町にお見えになります、そうすると、そういう人たちが利用される飲食店だけが、テナントとして来て、共益費その他を払って、賃料払ってやっていけるけれども、そのほかの商店などは、坪幾らという金額でしたら恐らくやっていけないと思います。我々オーナーがやるしかない。今、再開発のためにいろんな職種がどんどん出ていってしまいましたから、残っているのは少ない。今でも活性化しているのは飲食店だけで、それも皆さんご存じのように、ろくな商店がない、飲食店にお困りだと思います。
 こういったような飲食店も大事ですけれども、新たに、例えば地元にあるこういう施設とドッキングするような再開発をするのについて、先生方のお知恵なりお力をいただくようなシステムを、町ができる前の設計図の段階から入っていただくようなことはできるのかどうか。その辺、ちょっとお聞きしたいんです。

西郷氏
 要するに、私たちを含めた専門家がお手伝いするということに関しては、今区や都はいろいろな支援制度を持っていらっしゃると思いますので、それを活用するということはできると思います。

 
 補助金とかそういうものはどうなんですか。

西郷氏
 実際に施設をつくるときに、その補助金や何かを使うということでいえば、中小企業者、商店街の支援策、あるいは製造業に対する支援策、例えば、商店街だったら豆腐屋さんがつくって売るとか、いろいろあると思いますので、そういうところに対する支援策も、国も都も区も持っていると思いますので、そういう支援を積極的にもらって、おっしゃっているような成り立たないような家賃を成り立たせるようにしていくということは、今はかなり可能になってきていると思いますので、どんどん活用した方がいいのではないかと思います。

内山(フジタ)
 
フジタの内山でございます。2つお聞きしたい。
 1つ。今のご質問にちょっと関連しているんですが、住民参加のまちづくりというのはよくわかる、自分でもよく考えます。住民参加ということが本当にそのまま額面どおりでいけるかというと、かなりきついところがあって、先生はコミュニティ・デザイナーということだと思いますが、そういう個別のプロとしてよりも、もう少しコーディネートするようなまちづくりのデサイナーが不在で、それが日本のまちづくりにうまくドライブかけてないんじゃないかという思いがあるんですが、その点に関して、お考えをお聞かせいただけたらということがあります。
 もう1つは、丸亀が1つ成功して、それが起爆剤になって周辺の商店街が活性化していくという場合に、全体をとらえた場合に、次のテーマになっているのかもしれませんが、中心市街地における交通問題をどういうふうにとらえておられるだろうかということをお聞きしたい。

西郷先生
 まず第1点目に関しましては、私のようなことを含めてやっている人がなかなかいないというのは、大変だし、なかなか成果が上がらないし、評価も低いという現実があるということだと思います。ただし、これからはとても必要な職能だと思いますので、きちんと評価をされてくれば、それを目指す人はふえてくるんじゃないかと思います。
 海外、英米にお邪魔をしていても、呼び方はいろいろいっています。コミュニティ・アーキテクトなんて言い方をしている人もいます。要するにコミュニティにフィットして専門家としていろいろやっている。それはいろんな事象があります。そういう人は着実にふえてます。これから社会が必要としていますから、人はふえてくるということと、そこにやはり優秀な人が集まってくるんじゃないか。英米を見ていて、日本もそうなるのは遠くないなと感じます。
 もう一方は、そういう専門家とともに、今は住民が物すごく優秀になってきています。市民社会が成熟している証拠だと思います。黒壁の笹原さんにしても、ビジネスマンとして能力のある人で、年商3億の会社を30億にしたわけです。黒壁に参画をしなければ100億の会社になっていたと思いますが、その会社をやめて、こういうことに取り組んでくる。高松の人たちもみんなそうです。力のある商店街ですから、年商規模だけで優劣はつけませんけれども、大きな年商を動かしていくというのは相当の能力が要るわけですから、その能力を持った人が自分の会社の年商を大きくすることに価値観を持つのではなくして、町のために、いい町をつくることに価値観を持ち始めたというのが一方の流れです。
 ですから、そういう人とそういう専門家とがうまくパートナーを組む、もちろんそこに公的支援、役所や何かあるわけですが、それぞれの立場で関係を持てば、うまく回り始めるような時代が来るんじゃないかなと、希望とともに思っております。
 第2点目の、交通に関していえば、商店街自身が今既に500台の駐車場を持っておりまして、再開発絡みで少なくとも2000台ぐらいをつくっていこうと、独自に駐車場計画を持っている。あと、高松市も市営駐車場を持っていますから、高松市が駐車場システムを導入したりして、個別の駐車場がうまくコントロールされながら、うまくいくようにというのは行われています。

司会(谷口)
 
今ご質問にもございましたが、中心市街地の再生の話と車の問題については、次回、横島庄治氏にも触れたお話をしていただくことを予定しておりますので、ご興味があったらぜひご参加ください。
 それでは、きょうはこれで終わりにします。西郷さん、どうもありがとうございました。(拍手)

 


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