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第132回都市経営フォーラム

シティマネジメント時代の地方自治体
−ISO14001取得の意義−

講師:宮越 馨 氏
新潟県上越市長


日付:1998年12月16日(水)
場所:後楽園会館


 

これから来る危機下の自治体経営

地方自治体の経営感覚

21世紀に向けた行政のスタイル

ISO14001の認証取得

市民版ISOと環境税

  フリーディスカッション





 ただいま御紹介いただきました新潟県上越市長の宮越馨でございます。どうぞよろしくお願いします。
 第132回の日建設計さん主催の都市経営フォーラム、これほどたくさんの回数を重ねて継続できていることについて、まず心から敬意をあらわしたいと思います。「継続は力なり」ということで、それぞれの時代の中のタイムリーな課題で、こういった勉強会をされていると思いますが、なかなかできるようでできないことをよくおやりになっているなと感心をしております。
 今御紹介をいただきましたように、既に御案内かも知れませんが、上越市はこの2月14日に、環境管理システムでありますISO14001を取得させていただきましたが、きょうは、その辺の取得に至る背景なり、今話がありました本日のタイトルであります「シティマネジメント」の意義づけを私なりに解説しながら、何かの参考にお話をさせていただきたいと思います。

 

これから来る危機下の自治体経営

 昨今の景気、経済状況は大変厳しいものがあるわけであります。恐らく今まで味わったことのない苦しみもありますし、また、新しいチャンスに恵まれて大変元気の出ている方々も多いかと思います。つまり、大きな変動の波動を今迎えているという感じがします。8年前、平成2年にはじけたバブルを頂点として、日本社会そのものが大きく変貌を遂げようという時期に差しかかってから、かなり時間がたっております。もう7〜8年たちますと、次なる手を打てるのが普通でありますが、それができないのはなぜか。私も、自分なりに分析をしているわけでありますが、社会システムそのものに対して自信を失っているのではないかと見ております。
 江戸時代から明治時代に変わるあの激変のときに、新しい社会システムとしまして、西欧のいろんな制度を学んで導入してきたわけです。江戸時代から明治時代に変わるときには、先が非常に見えやすかった、あるいは目標があったわけであります。その後ずっと、明治、大正、昭和と来て大戦を迎えて敗戦を味わう。しかし、戦争というものは社会システムそのものを変えることにはなっていないと私は思っています。それよりもむしろ、アメリカナイズしたことが大きく変わったということであるわけであります。
 そろそろ成熟社会を迎えて先進国となって、世界のトップランナーに立った瞬間、先が見えなくなって、真っ暗でどっちに行ったかわからなくなるという時間的な流れの中で、不安感も生じてきていますし、また何をしていいかわからない。手元には大枚の金はそろったけれども、その金の使い方を知らない。ちょっと変わった人種みたいな動きが、世界の国々に映っているのではないか、こう思われるところがあると思っております。ですから、世界一金持ちの国が世界一借金をしている。そして、世界一不況にあえいでいる。こんなアンバランスな社会、国はないわけでありまして、どこかがおかしい。
 そのときにふと、温故知新じゃありませんけれども、日本の社会は相当の長い年数かけてつくられていますから、文化論ではありませんけれども、日本文化がきちっとあるはずだ。それに目が今まで行っていなかった。今バタバタしているときに、失いかけていた大事なものに気づき始めているのではないかなと、私は勝手に推測しております。
 そういう大きな波動を見まして、ちょっと日本の歴史をひもときますと、今明治130年でありますが、その前の江戸時代がどうかといいますと、天保の改革とか享保の改革とか、江戸時代の中間にそういう大きなうねりがあった。そして江戸時代の初期の戦国時代のあの辺の動き、室町、鎌倉、こう訪ねていきますと、大体110年か130年で必然的に世の中は大きく変わる波動にあるのではないかなと私は見ております。
 今この時期、130年に当たるときに大きく変わっても当たり前であるということで、エネルギーがたまっている。つまり、マグマ論としてエネルギーがたまっている。ですから、これは当然変わらなきゃいけない、こういうふうに割り切った方がいいと私は思います。それを従来の価値観とか、基準、判断の仕方、あるいは習慣、そういうものを引きずっているから、そこから次に大きく飛躍できるきっかけづくりがつかみ切れていない。
 もう少しわかりやすくいいますと、今までのしがらみをどう踏ん切っていくか、踏ん切りだと思うんです。決別するかどうか、この勇気があって初めて次なるステップに出ていくだろうと思っています。
 その決断が各分野において今求められているのであります。例えば、最近では日債銀、金融監督庁が4カ月にわたって調べたら債務超過だ。最近の雑誌においても、そんなのはもっと前からわかっていたじゃないかという話でありますが、日債銀の経営陣は「いや、ない。まだまだ立ち直れますよ」「健全だ」といっている。ここが1つの象徴的なことですね。実態は債務超過になっている。つまり、踏ん切れるという決断ができないから、ただズルズル何カ月も引っ張って、不良債権がどんどん発生していくということで、けじめのつけ方が日本人は大変下手ではないか。
 よくよく考えてみますと、確かに日本人は農耕民族でありますから、お天気任せ。自分で決断して物をつくったり生産したりする、そういうことはない。そして集団化。集落単位で米や野菜の農作物をつくる。お互いにリスクをかばい合って、相互扶助体でつくられてきています。ですから、見た目によっては、日本は社会主義国であったといってもいいと思われます。
 一方、ヨーロッパとかアメリカは狩猟民族、あるいは騎馬民族といわれているように、獲物を追っています。そして技術にたけている者は、いち早く獲物を得る。もたもたしている人は食いっぱぐれて死んでしまう。つまり、弱肉強食、優勝劣敗。こういった歴史で来たものですから、おのずと、思考の仕方、価値観、物の見方、判断の仕方が変わってくる。
 そういった日本社会のありようについて、先ほど文化論をいいましたが、ここのところを失っていますと、結局は将来の日本の展望が開けていかない。ただアメリカのまねをしていればいいとか、ヨーロッパのまねをしていればいい。人まねは懲りたんですね。人まねはうまくいかないということがわかったのであります。バブルがあのようにはじけて、アメリカナイズされた経営の仕方とか、あるいは社会を動かしていくシテスムについては、問題があったわけです。十数年前にアメリカ自身が金融不安に陥ったときの後始末の仕方については、RTCあたりがきちっとやったわけです。大変な血を流してやっています。もし問題がなく、アメリカナイズされたアメリカのシステムを本当にきちっと受け入れていたならば、日本の社会そのものが崩壊するような危機状態にはなかったと思いますね。我々は十数年前に知らなかったぐらいであります。そういうシステムでやっていますから、例えば、住宅専門会社が3700社あったもののうち2割、七百数十社がコロッと倒産。何にも大きな社会問題になっていない。これはアメリカ主義ですね。それと同じようなことを日本に導入したらどうなります。これはめちゃくちゃになる。ヤ
 アメリカの戦略に屈したといえばそうかもしれませんが、どうも日本は主体性がない。日本社会、日本文化がオタオタしている結果、後始末できゅうきゅうとしている。そのときに外国の人たちは手を差し伸べて助けるかというと、とんでもないわけです。とことんまでやっつけて、その後にハイエナが群がるようにして、あの山一証券だって、すぐその後に向こうのメリルリンチが入ってきたのを見れば一目瞭然じゃないですか。つまり、アメリカの戦略で日本の企業は右往左往している、こういっても過言ではないと思います。
 そういう状態でありますから、ビッグバンというのは一体何だということすらわからない。ほとんどの国民は「ビッグバンて何だ。そんな必要あるのか」。関係のないところで空中戦でそれらのことが議論されているのを指をくわえて見ている。いつの間にか、自分の預金したお金がなくなっているのに気がつかず、とんでもないことになっているということからしても、日本社会、日本人だから、日本社会に合ったシステムをこれから構築していこう、こういうビジョンとかポリシー、そういう方向性をどう出すかということが出ない限りは、先行き不安がまだまだ続いていくと思います。
 経済企画庁長官が、景気回復の兆しの胎動が見えてきたといっていますけれども、「本当か」ということになると、厳しいわけです。
 きょう、上越から来るときにほくほく線に乗って、越後湯沢で乗りかえてきましたが、この冬どういうふうに雪が降るか、降らぬかで、あの越後湯沢の林立するマンションを経営している経営体、あるいはまた温泉街、ホテル、バタバタと倒れるような感じで見てきました。つまり、ことしの過ぎた冬の雪も少ない、その前も少ない、ことしの冬の雪が少なかったら、どうなります。完全にそういうところはバタバタ倒れますよ。そうでなくても、温泉地で団体客をとっている旅館は大変な思いで今やっている。この冬、忘新年会で、どんどん今まで遊びに行っていた者が行かなかったら、どうなりますか。完全に経営破綻ですよ。
 今まで金融不安といって、証券・金融界が主でありましたが、今度はどこに行くかということです。つまり、業態ごとに大きな倒産、経営破綻というものが次々と広がっていく芽がある。ですから、私は、確かに在庫調整が済んだところから多少上向きになっていくということを否定はしませんけれども、果たしてこれで底打ち感があるといっていいかというと、とんでもないと思います。
 一方、我々みたいな地方財政の財政破綻。財政危機宣言とかいわざるを得ない。そんなのは今いっただけで、本当にまだ来ていない。来年です。来年、再来年。法人税、県民税、市民税がどんどん落ち込んできます。特に、都道府県の税収の柱は法人県民税です。これが2割も3割も、大きいところは4割もある。これがダーッと落ちれば、とてもじゃないが、政変ということは別にしましても、いろんな動きが出てきても全くびっくりしないぐらい、とんでもないことになると思います。
 民間景気の後追い的に、国もそうでありますが、地方財政は後で出てきますから、来年とか再来年に出てきますね。ですから、この暮れにいわゆる兆しが見えたといっても、それはある種の期待感を持っていっているだけだというのが、恐らく実態かなと思っています。しかし、そうならぬでほしいという願いは、我々皆同じ気持ちでいるわけであります。そういうことで今本当に危機に直面しているのではないかと思っております。

 先般、24兆円もの大規模な追加景気対策を打ち出しましたが、私は大事なメッセージが抜けていると思います。この24兆のうちの全部が借金ではありませんけれども、ほとんど新規税財源がないのに袖を振って、あたかも金があるようにしている。とんでもないです、これはみんな借金です。つまり、後世代の若い、これから生まれてくる人たちが返済しなければならないところに手をつけたわけです。これは天罰です。そういうことをやっていては、全く先が見えてきませんね。
 中央と地方と足して560兆、1人440万の借金をしているわけです。膨大なものです。そういうことを、平気でやっているわけではないと思いますが、やらざるを得なくなっている時代そのものに、実は深刻な問題があるわけです。
 だから、24兆円を出すときに、メッセージとして、国民に対して「もうこれ以上借金をできない。やると国際信用を落とす。これ以上無理だ。みんな頑張ってくれ。国民の皆さんは1200兆もお金があるんだ。それをどうか、うまく生かすように協力してくれ」というぐらいの強力なメッセージを出さないと、もう立ち行かないです。
 これで終わりではありません。次々と11年度予算をどうするか。あるいはまた12年度予算をどうするか。これはまた単年度主義でやっているから問題なんです。
 私は、今「公共事業については単年度主義はだめだ。複数年度予算論をしなきゃだめだ」とずっと前からいっています。全国の市長会においても、私の提案は中央までいっています。いっていますが、そんなのは見向きもしない。違うんですね。複数年度でローリングしながら、公共投資みたいな複数年にわたって行うインフラ整備等については、あらかじめ予算をきちっと確保するような制度があれば、それに関する建設関係の取り組み方、体制もきちっと計画的につくれる。ところが、1年1年ですから、1年過ぎてみなければわからぬという話はだれが信用できますかということで、大きくブレてしまっているところに、不信感が募って無計画になってしまうという予算の組み方、あるいは執行の仕方にも、根本的にメスを入れていかなきゃいかぬだろうと思っているところであります。いきなり、専門家でもないのに生意気なことをいいましたが、きょうのテーマは「シティマネジメント」、自治体経営ということで、私はシティ運営をしているという、そのさわり、とらえ方を申し上げたわけであります。



地方自治体の経営感覚

 私ども上越市役所は、予算規模が、普通会計、特別会計、広域行政も入れまして、私の所管している範疇は約1000億です。市の職員が1170名おります。ですから、1000億の売り上げをしている1170人の社員がいる社長という考え方でとらえていただければわかりやすいかと思います。そういうことで、新しい価値観とか、新しい行政の執行のあり方を今模索しておるところであります。経営的な感覚でものを見ていきますと、かなりよく見えてまいります。
 そこで、今私が大きな柱として据えていますのは行政改革であります。行政改革という名前は古くさい名前のようでありますが、私は、行政がある限りは未来永劫続いていく課題であると思っています。もっと簡単にいいますと、行政のイノベーションですね。行政の質を高めていくことに普遍的に取り組んでいく課題が行政改革ではないかと思います。
 今地方分権ということがいわれておりますが、こんなのわざわざいわれるまでもない。みずからが気づいてやる行政改革の理念がしっかりしておれば、そんなことを取り立てていう必要もないのでありますが、実際はそうなっていない。すなわち中央があって、県があって、市町村があって、元請、下請、孫請みたいな発想、キングダム行政が全国で蔓延して、いろんなところで弊害が出てきて、行政改革、地方分権という話になってきております。
 そういう話になってこなかったのは、その方が仕事が楽なんです。人にいわれたことをやっていればいい、こういう社会は割と楽なんです。責任がありませんから。つまり、行政には行政責任というのが本当はある。いろいろな権限とか、やらなきゃならないこと、あるいは膨大な税財源を持って財政支出をする、そのことによって権限でやっていたということでありますが、責任ということになりますと、そこが抜けてしまう。皆さん方もよく気づいていることだと思いますが、組織というのは責任をとるということをどこにも書いてないですね。組織が、肩書が責任をとれとなっていない。責任というのは人ですね。政治家であり、行政官である。この責任をどうとるか。
 今バブルがはじけて経営者責任がいわれておりますが、これは経営の世界だけじゃないんです。行政の世界、むしろそっちの方が重い。なぜか。それは皆さん方、民間の方々が経営上生み出した利益の一部を税金として納税していただく。勤労者が働いて汗水流して頑張った所得の一部をいただくということですから、その税金を使う上での責任の方が重い。社会的責任もある。その重い責任を知らぬふりしていた。そして、仕事は上から来るのを待っている。上からいろんなことをいうかもしれませんが、その上が現場のことを知らない。こういうことで循環型になっていない。行政の循環型体制がつくられていなかった。だから、中央のつくり上げた制度をただ押しつけて、下がそれを受けて、補助金とか交付金というお土産をつけて、仕事をやる。これほど楽なことはないです。
 そのような楽な体制が地方の自治体でずっとこれまで続いてきた。私は市長になってから5年目でありますが、私も実は大蔵省の主計局におりまして、財政の予算編成を20年間やっておりました。ですから、中央のこともよく知っています。そのときも現場については、正直いいまして、そんなに私は熟知していなかったです。つまり、各省庁から予算要求が来たものを審査して、いい悪いを判断して、一定のフレームの中に予算規模をおさめて、予算を仕上げていく。今この時期ですから、こういう作業の最終段階に入っていると思いますが、大変な思いをして、毎日朝帰り。朝帰りを勘違いして離婚したという人がいるぐらい、異常な職場環境に長くいたわけです。
 その全く反対の側に立って、今市長をやっております。これははっきりいって現場行政です。中央官庁には味わえない、中央官庁には知り得ない情報が山ほどあります。この情報を的確に、従来の1つの循環型で機能していなければならなかったことが、上から来るときは水のごとく流れてきます。しかし、下からポンプアップするということはなかった。要するにボトムアップ。これがなかったから、結果的に中央官庁における適切な判断ができない、そういう面も一部あったと私は思います。
 そして、中央は金がなかったら、借金すればいいんですから、簡単です。しかし、現場はバランスシート、バランスをとらなければならないんです。ここが大きな違いです。ですから、財政全体、世の中が厳しくなって税収も上がらない、景気もよくないというときのかじ取り役は、どこを経験した人がいいかというと、やっぱり現場行政をやっている人ですよ。地方自治体の責任ある立場で堂々と実績を上げた人は、中央にものがいえる。あるいは逆に中央に行って当たる。官僚でなかったら政治家でいくとか、こういう人事が循環していくことでかなり改善されるんじゃないかと私は思っております。
 ちょっと余談になりますが、フランスに行ったときに、フランスの国会議員と自治体の首長が兼務できる。4つ兼職できる。だから、市長が国会議員をやるというのは当たり前です。何百人もいます。それはまさに合理的なんです。地方の現状をリアルタイムで国政に反映でき、国政をすぐに地方に反映できる。こういうことは非常に合理的なシステムだと私は感じ取ってきたことがあります。
 すなわち、私がいっているのは、流れを循環型社会に、これは環境の世界ばかりじゃないんです。人、ノウハウの流れ、資金の流れ、こういうものを循環していく。日本の社会は、循環しているうちに変な循環をしていますから、外国にスライスして行ってしまう。だから、アメリカの方に預金したのは行ってしまう。アメリカの国民は、オーバースペンディングじゃありませんけれども、どんどん消費していく。貯金しない。なまけものがいる。そんな国の債券を何百兆も買っている。「冗談じゃない」という意見。返せというと「日米安保条約」とかいって、にらみをきかせている。こういうことをやっているから、たまったもんじゃない。
 ですから、日本のあり方そのものを根本的に変えていかないと、何事もうまくいかないのではないかと私は思っております。



21世紀に向けた行政のスタイル 

 経営ということについては、きょうは民間の方々もいらっしゃるかと思いますが、入りと出をバランスよくコントロールする、経済を営む、そういう感覚でやるのは、民間は当たり前でありますが、自治体でもそういうことでやっていくことによって、合理的な市政運営あるいは財源の有効適切、むだのない使い方ができていきます。
 今お手元に配付させていただきました講演資料の中にもありますが、これからの自治体の経営の理念としては、5つのジャンルで整理しなきゃいかぬだろう、こう私は思っております。
 別紙1というところに、副市長制のことについてはまた後ほどお話ししますが、ここに書いてある5つのジャンル、考え、これがシティマネジメントの基本的な考えのあらわれとして、自治体の行政執行スタイルと私はいっています。

 1つは、「開かれた市政と意思決定の迅速化」、オープンシステムといっています。情報公開条例を、皆さん方はどの程度つくっているかどうか知りませんが、私はいち早くつくっておりますし、マスタープランをつくる場合とか、基本的な住民の利害にかかわるものについては、政策が決定されるまでの間のことも含めて、極力情報開示しながら、意見集約して政策を練り上げていくということにいたしております。
 確かに、最初、情報公開条例をつくって、いろんな資料が外に出て大丈夫かなという感じは、正直いいましてありました。しかし、それはコロンブスの卵ですよ。立たない立たないといってボーンとやったら立った。何だ、そういう立て方があるのかという話になる。オープンにするということは、逆に信頼関係が非常に高まることにつながります。実証的に私はそう思っています。そして、自信がつきます。つまり、今までクローズの世界でしたから、一体どこまで我々がやっていることが正しいかというチェックが、自己チェックのみしかできなかったものが外部チェックされる。それはオンブズマンとかそういう意味でのチェックじゃありません。つまり、オープンにすることによって市民がどう反応するか、その反応がチェックなんです。
 私は、この情報公開制度でいろんな資料要求があっても、出して、政治的に利用するという人がいるのについては、むしろ利用者が未熟だなと感じております。オープンにした方が物事がうまくいきます。今まではどちらかというと、行政は案を決めるまでは黙っていて、突然、直前になって「これで、どうだ」という話を市民に突きつけますから、そこから反発が出ます。だから、結果的に手間がかかってしようがない。手間暇かかって、嫌な思いをして、金がかかる。これなら最初からこういうことでいきますよということで、事前にアナウンスしたりメッセージを送ったりすることによって、事はスムーズにいく。こういう手法です。これは要するに、オープンサイド。現実にそれをやっています。
 特に権利関係になりますと、道路とか河川、まちづくりをするときに、地権者に頑固な人がいるんです。こういうのをどう理解を得るかというときに、なかなかできないことだと思いますが、私は難しいと思ったら、私が最初に、そういうところにポーンとアクションを起こす。あとは担当者とやってくれということで、逆にする。逆にすると、極めてうまくいく。
 それを何とか偉ぶって、初めは担当課長、次は部長、そして助役、そして私が最後に出ていく。こんなばかみたいなことをやっていると、手間がかかって、結局はこじれます。そういうのは、相手もメンツがあるんです。市民を大事にするということなら、トップが動くということです。トップが動くというのは、そんなに大変なことじゃないんです。ちょこっと数分間で済む。ところが、それをやらないために、膨大なエネルギーと手間暇がかかってお金もかかる。結果的にうまくいかない。私が市長になってからいろんな難しい問題がたくさんありましたが、ほとんどその手法でうまくいっています。
 それはまさに開かれた市政です。開かれたスタイルがあるかないか。これにはやっぱり勇気が要ります。自信と勇気がないと、なかなかやれません。しかし、一度うまくいきますと、必ずそれは血となり肉となって、ついに役立ってきます。やっぱりコロンブスの卵です。

 そして次に、「環境変化に自立的・能動的に対応できる行政のシステムづくり」、私がいっているマネジメント。つまり、片側通行の発想じゃなく、入りと出の両方を目配りしながらやっていくということです。今オープンの話のときにいいましたが、トップマネジメントです。トップマネジメントと、職員がやるマネジメントとは違うんです。トータルでどうマネージするかということをしっかりと身につけていかないとおかしくなります。
 ですから、部署部署にマネジメント意識を持ちながらやりますが、どうしたらいいかといいますと、科学的事務管理ということをやります。それをもっと簡単にいいますと、数値的に物事を管理していく。客観性を入れるということです。このことを科学的事務管理。これをどうするかということが1つのこつになってきます。
 ISOを取得したのは、実はこのマネジメントという発想。つまり、科学的事務管理をどうしようかということで出会ったのがISOです。この辺のところはISOにつながるヒントになろうと思います。
 実は私、大学のときに経営学をとった。さっきちょっとアメリカの悪いことをいいましたが、いいこともあって、そのときに初めて日本にアメリカからマネジメント、つまり、テーラーの科学的事務管理という新しい学問が入ってきたわけです。それをいち早く取りまして、それが私のいわば思考の持ち方の1つの原点になった。つまり、科学性、合理性。日本人のあいまいという考えと違ったセンスとしてある。日本のあいまいもいいんです。否定はもちろんしません。時と場合によってはあいまいというのは非常にうまい手法だと思っております。もちろんそういうことをやりながら、科学性を持って合理的にやる。特にマネジメントということになりますと、あいまいは許されません。数値的に管理しなきゃならぬということで、数値的管理することによって迷いがなくなります。はっきりとします。評価がはっきりと出ます。そういう手法、これは行政の中にはどうしても入れなきゃならぬと思って、いろんなところでやっています。
 その資料につけたと思いましたが、その発想で、ことしの12月にボーナスを査定しました。業績評価。期末手当については平等に、保証的なところもありますから、仕方ない。勤勉手当は、字のとおり勤勉した人に手当を出すということになっている。人事院勧告でそうなっています。しかし、実際にそうなっていますかといったら、やってない。おかしいじゃないか。これは民間からいわれやすい。特に最近景気が悪くてボーナスもない。公務員はいいな。こうなっています。ねらい、照準を合わせやすい。勤勉手当はいち早くこの12月から差をつけました。この差のつけ方のヒントの資料を皆さん方にお渡ししておきましたから、後でご覧ください。 
 これを科学的にどうするか。恣意的にやってはいけません。人間が人間を評価するわけでありますから、なるべく科学的に多面的に見ているということで、初めてのことですから、この程度のことでやっております。
 結果的に8割はまあまあ出してもいいだろう。あと2割。2割のうち1割はいい、1割はだめだ、こういう結果になりました。私はちょうどいいと思うんです。腹八分目ではありませんけれども、8割やっておけば、組合もそんなに関わりはしないだろうという現実的なことも含めながら、1割は大変立派だ。1割はどうにもならない。
 こうなっても、世の中は当たり前です。同じ人間、仕事も一緒、能力も一緒、そんなことで、うちの組合はほとんどいいませんが、ほかの組合がもしいったとなれば、自治労にもいってみたいですが、「冗談じゃない。人間は全部一緒かい。クローン人間じゃないよ。能力は全部違うよ」。問題はどうするかということ。
 どういうことが問題かというと、例えば、このセクションで仕事をやって一生懸命やっている。しかし、こっちのセクションに異動したら、どうも不得手な仕事があまりうまくできないという場合もある。そのときは、こっちをやっているときはプラスして、そっちで業績が下がったら、マイナス。逆のことをいいます。向こうでだめだけど、こっちに来たら、途端に水を得た魚のように喜々として仕事をする。それはいいじゃないか。去年はマイナスだったけれども、ことしはプラスになる。これが平等なんです。公平。能力主義です。
 そういうことで業績評価を導入しました。いろんな広がりが、恐らくこれから出てくるだろうと私は期待をしております。

 3番目に、「市民に顔を向けながら時代を切り拓く組織」、これはマーケティング。民間では商品開発をどうするかということで、市場調査とかニーズ調査とか、いろんな研究をします。行政もそうじゃないか。今少子高齢化とか、行政が多様化してまいります。それに対して、どうサービスを行っていくかという新規事業の採択について、一番気になるところはそこですね。例えば建物をつくる。年間この建物だったら10万人入る。こういってふたをあけてみたら1万人も入らない。これはマーケティングの失敗です。税金のむだ遣いです。
 例えば、今高齢化福祉になって、ホームヘルパーをみんなが欲しい欲しいといっている。欲しいという声だけ聞いたら200人もいる。じゃ、200人雇用しよう。実際やってみたら100人で間に合った。これはマーケティングの失敗で、100人が過剰人員となります。あるいは過剰サービス。物事、行政サービスはほどほど。オーバーしてもよくない。足りなくもよくない。そこをどうリサーチし、どうそこに合わせるか。
 よく人の意見を聞けとか、市民の声を聞けとか、住民の声を聞いてやれ、こんなのナンセンス。こんなのは迎合行政、迎合政治です。合わせればいいんだから、こんな楽なことはない。合わせて完璧にうまくいくかというと、そういう場合はうまくいかないですよ。理念がない。勝手なことをいっているんですから。そこの真理は何だというところを見きわめる。これがマーケティングです。
 だから、そこはどうするかということは、トップはしっかりとした理念がないと、「これはだめだ、これはよし、やれ」ということにはならない。トップマネジメントということはまさにそういうことです。トップがしっかりしていかないと、議会やったらトップが矢面です。任したといっても、任せた責任は全部来ますから。つまり、マネジメントできているかいないかが決め手になります。マーケティングはトップ自身もそういう気持ちでやっていく。職員もそういうことをやっていくということで、マーケティングがうまくいくかいかぬかによって、税金が有効に、むだに使われていないということになっていくのではないかと私は思っています。

 それから、「行政の専門性の向上」、テクノクラート。いわゆる専門性、プロ意識です。特に行政官はプロ。給料もらっているんですから、プロに決まっているんです。ところが、「それは私の担当じゃありません。それはまだ入ったばかりだから知りません」。冗談じゃないですね。採用されたらその日からプロじゃなければだめですよ。そんなことをいうんだったら、半人前で、心得にして、給料半分でいてくれといいたいですね。そういう心構えというか、公務員意識、そういう気構えが欠けている。だから、市民が、市役所の職員であるが、どこの担当かわからないですから、何でも聞きます。聞いても、適切な対応してくれないと、すぐにブーイングします。当たり前です。いわれた方が問題です。いう方が問題じゃない。
 そういうことで、テクノクラート。その人が市の職員だったら、上越市の市行政の担当でないことについては、専門的には難しいかもしれませんが、一般的には浅くていい、自分に与えられたところは深く専門的に、何でも来いということを身につけるということです。そのことがあって信頼関係が生まれるんです。それならば税金を喜んで払おう。こういう気持ちになって、好循環になってくる。ところが、何回聞いても、にっちもさっちもいかない、何だろう、この景気の悪くて忙しいのに来て、答えを得るところがないということをやると、こちらも「税金払うか」ということで、悪循環になります。職員もテクノクラートになって、いろんな職責を全うしなきゃならぬ。
 そこで、仕掛けもやっぱり大事です。どういうテクノクラート集団をつくるかという仕掛け。私は2年前から課長の昇任試験を導入しています。これからは係長昇任もやります。こんなのは民間だったら当たり前です。つまり、民間でやっているいいものは当たり前に導入しなきゃいかぬと私は思います。いろいろと壁があるとか、そんなことをやると組合が大変だとか、そんなことをやると票が減るとか、こういうけちなことを考えるのが通り相場です。そんなことをやっているところはあまり発展しないと思ってます。こういう、いわば職員の資質を高めるような、そういう仕掛けづくり、これはプロでいいんです。
 もう1つ私が何をしているかというと、職員の人事交流。派遣しています。今中央官庁にも出しています。上越市の人口13万5000人、そこから市外に出しているのは10人います。今、環境庁、通産省、厚生省、建設省の本省に出しています。それから、自治省の地域活性化センター、郵政省の電気通信高度化協会。地方建設局に行っています。今東京事務所をつくって、4年目になりますが、そこに2人。通産、厚生、建設省、環境庁、県、地建、今いった団体2つ、東京事務所、10人行っています。お金が幾らかかるか。すごいです。7000万〜8000万かかっています。これは当面は全くむだといってもいいかもしれません。しかし、1年たち、2年たって帰ってくる。目の色が変わっています。
 つまり、地方自治体の職員の資質が向上できないという大きなハードルは、その自治体の中で人事交流をグルグル回している。正直いいまして、こんなのはよくなるはずがないです。
 だから、地方分権といって、人間、財源、権限と、「3ゲン」といいます。一番大事なのは人間です。人間を育てていない。つまり、テクノクラート集団になってない。なり得ない宿命を負っています。しかし、地方自治体の職員は優秀なんです。タマがいい。磨けば光ってくる。磨く人がいない。指導者がいない。私、5年前に市長になって一番びっくりしたのはここです。決裁の仕方もわからない。
 極端なことをいいますと、私は中央官庁にいましたから、簡単にいいますが、中央官庁はペーパーで、「初めに」から始まって「問題点整理」「結論」「方針」。こういうのが起承転結で当然出ます。ところが、地方自治体の職員は口頭です。こんな簡単なことはない。口頭だから、証拠がないから、責任をとらない。つまり、いいかげん。こうなっている。びっくりしました。
 決裁文書をちょろちょろと書いて、判こだけダダダッと押してある。冗談じゃない。たまに試験する。ちょっとやると、もうわからない。この連続が5年間続いた。しかし、今は立派に成長しています。まだちょっとだめな人が多少いますけれども、5年間、私はこのことに一番心血を注いできたなと思っています。しかし、今はどんどん成長してきています。ISO14001をなぜとるか。そこに仕掛けがあったんです。すぐにとれといったって絶対とれません。
 ということで、人を育てる、教育、人材育成、そこから始まっておりまして、テクノクラート集団、今仕上げしております。今は、中央に行った人もどんどん去年ぐらいから帰ってきております。逆にまた中央からもいただいています。もちろん、自治省、農林省、建設省、厚生省、本省のキャリアをもらっています。そういうことで人事交流。つまり、双方向行政です。対等ですよ。地方の実態を見て、国の政策をつくってくれ。我々の職員を派遣して、大海を見てこい、こういうことです。今は経費負担については一方通行です。こっちは手弁当で、向こうから来たときには丸抱え、だれが来たかわかっていますから、大変です。1億以上人件費。いってみればむだかもしれませんが、それは生きてくるんです。そういう決断がトップにできるか。ここが1つのポイントです。
 そういうことをしないと、人が育っていかない。仮にそれができないといったときにどうしたらいいか、私が感じていることを申し上げます。
 これは市町村合併しかありません。絶対に市町村合併しかないんです。今670市、3232の市町村があります。合併して広域的に人を求めるシステム。いろいろな動き、変化が出てくるような動きをやれる体制の自治体の組織体をつくらなきゃならぬと思っています。
 ちょっと横にそれますが、今560兆借金をして、これを返す手立てがないんです。しかし、今合併の問題をいいましたのは、そこにあるんです。この合併をきちんとやりますと、毎年3兆円ぐらいの金が浮きます。ざっとした計算をしてあります。自治体の数を幾つにするかによってまた違いますが、例を申し上げます。私のところの上越市、周辺の11をプラスして12で広域行政組合というものを持っています。そのくくりで人口20万人です。同じ新潟県で20万に近い都市に長岡市があります。ここは19万人です。職員はどれくらいいるかというと、私ども12市町村の自治体の運営を2000人の職員でやっています。長岡市19万人、1500人。500人要らないんです。400〜500人要らないんです。
 じゃ、みんな首になるじゃないか。心配要らないんです。それは実は皆様方も今頭を悩ませているかもしれませんが、介護保険制度の導入です。介護保険制度は基本的にはマンパワーが大変必要となります。それには膨大な資金も要ります。それは介護保険料というお金で賄う。つまり、400〜500人の給料を介護保険料で賄えばいいんです。
 そうすれば、一般財源と交付税は要らないんです。それで、3兆円浮くんです。もちろん、議会とか首長とか、いろんなところの経費も出ますから、それぞれアバウトに入れて3兆円です。毎年、要らないんです。つまり、1兆円単位の返済金を生み出さぬ限りは、日本の国はずっと借金をし続けて、1000兆は、そう遠くないときにすぐ来ます。
 それくらいの危機感を持ってやっていかないといけないんです。そのヒントが市町村合併にある。ということをあまり突っ込んでいくと、いろいろと問題が出ようかと思いますので、この程度にします。

 5番目に、「目的意識を持った職務執行と責任の自覚」、アカウンタビリティー。これは先ほどちょっと触れましたが、行政責任です。責任持ってやってくれ、そして説明をしてくれ。何を市民に対してやるんだ。市民の方から、行政が何をやっているのかわからないといけません。物事をはっきりという。はっきりいうということは、さっきいったオープンシステムと裏返しの話です。ものをいったら、ちゃんといったとおりやってくれ。この事業はどういう意味を持っているのかということを説明しなければならぬ。行政を行うに当たっての責任をどう明確化するかということが、アカウンタビリティーといわれているはずであります。
 ところが、最近、ビッグバンというものがあります。これは政府の段階でいろんな金融財政で議論されております。ビッグバンというのは一体何かという説明ありましたか。ないじゃありませんか。ないから、混乱が起きるんじゃないですか。そこなんです。要するに説明責任を問われている。ところが、日本人はディベートとか、国会を見てもそうでしょう。役人のつくったペーパーを読んでいるだけで、ああいう議論しかない。全く深みも広がりもないわけです。
 ヨーロッパ、私もイギリスの下院議会とか見てきましたが、やっぱり何もペーパーはなくて、ボストンバッグに手をかけながら、メージャーあたりが相手とボンボンやっている。みんな頭の中に入っている。だから、議論も高まってきます。責任は当然それに連動して出てきますから、いいかげんなことはいえないです。だから、ふだんから勉強もしているわけです。
 体制が根本的に違っているということで、上辺だけ西洋文化のまねをしよう、こんなことをやっているから、問題が起きる。それなりのシステムをきちんとつくればいいじゃないか。こう私は思っているわけです。
 最近ようやく、政府委員制度をやめて副大臣制を取り入れよう。こういうのが起こっていますが、ちょうどその話になりましたから、副市長制を私は今唱えています。
 早ければ新年度に入ってすぐに、遅くとも来年の10月には副市長制を導入しよう、こう私は思っています。これは合併ということも視野に入れております。これは非常に都合のいいアイデアなんです。つまり、合併というのは、今のままではそう進んでいきません。渡れないんです。1000人、3000人、5000人、1万人の町村がうじゃうじゃあって、ほとんど交付税、交付金、補助金、自分の自主財源は1割にも満たない。1の仕事しかできない力なのに、10の仕事ができるんです。こんなばかなことはないです。だけど、それに至る経緯ということもあって、あながちすぐに否定はできませんから、ここはこの次の話に続きます。
 これを、では全部給付をとるかというわけにもいかない。しかし、こういった状態で地方分権なんて、正直いってできないです。地方分権の基本理念は自立性、自主性、多様化したものにどう対応できるかということです。1000人でも村が成り立つ。3000人でも成り立つ。こんなことは常識で考えてもおかしいです。
 今情報化社会、車社会、いろんな事務も機械化されてコンピューター社会。そんなすぐに見えるところの村は必要ないです。町もないです。でも、そういう制度があるからで、もちろん、地域経済にも貢献していますし、雇用のチャンスもそこでおかげさまで確保されていますから、失いたくない。当たり前の考えです。だから、合併が進まない。
 そこで、さっきちょっと介護保険の話もありましたが、要するに、重層で合併できないか。つまり、実体を残しながら、権限とか執行体制を合併できないか。簡単にいいますと、全部事務組合です。一部事務組合というのは皆さん方やっていますね。ごみとか、し尿とか、消防、水、電気、ガス、そういうものを一部事務組合といいます。そこの地域の中心の都市に実際に頼って、例えば、上越市は13万5000人、周辺は多くとも1万3000人、小さいところは2000人とか3000人とかいっぱいある。何かあるとほとんど私が調整をしなければならぬ。結局は実体制に頼り切っている。一部事務組合ですから、それもみんな頼り切っている。もちろん、うちの職員がほとんどやってしまう。
 そうしたら全部事務組合に近いんじゃないか。今私がいったほんの幾つかの項目だけでも、住民とかかわる行政の割合といったら、計算ははっきりしてませんが、恐らく半分ぐらいいくでしょう。あと半分はない。住民票とか戸籍とか、農林水産、建設。こんなの一々、そこに人を置かなくてもできるじゃないですか。だから、全部事務組合で可能なんです。全部事務組合ということでみんなと一緒にやりましょうやといって、そこで副市長ができたんです。A町村担当副市長、B町村担当副市長、C町村担当副市長。地域担当副市長を置けばいいんです。
 副市長は選挙で選んでもいいと思う。そういうことも決めておけばいいんです。議会は要らないんです。執行体制は全部事務組合がやっていますから。
 そういうことで重層合併です。仮に議会はあってもいいんですけれども、形は市町村の形を残して、全部事務組合で統合するということで、合併をする。そこで職員が要らなくなる。そして、新しい需要にその職員を回せられる。さっきの介護保険ではありませんが、介護保険料でその人の給料を見る。首にはならないということです。 
 これは自分で考えて、いい考えだなといって、この前、地方分権推進委員長に届けました。今窓口というか、それをやっている内政審議室長にこの前電話したら、「いっておいたよ」と話しておられました。
 まともに合併というのは進まないです。その自治体の中の副市長というのは事業部制にします。環境担当、まちづくり担当、福祉担当、農林水産担当ということで、5人ぐらい副市長を念頭に置いています。民間の事業部制です。専門的な仕事に張りついて意思決定をしていこうという一種の取締役、それを制度化しよう、こう思っております。
 なかなか大変なことなんです。仕組みをつくることは簡単なんですが、何が大変かというと、やっぱり人材です。どういう人を副市長に置くか。助役というより副市長というのは何となく権限がありそうでしょう。だから、権限と責任を明確にするという意味で、副市長制をつくろう。
 ロシア、アメリカ、中国、フランス、ドイツ、どこに行ったって副市長です。自治体の副市長はグローバル・スタンダードです。助役なんてないです。助役なんて明治22年の市町村制ができたときに初めてできた。それを百十何年もまだ引きずっているわけです。冗談じゃないですよ。明治の遺物なんて要らない。あれはJRの駅の助役だけでいいんです。市町村の役場で助役なんて要らない。当時は新しい制度でしたから、首長はどんな首長になるかとキョロキョロして不安だから、しっかりした補佐役をつけにゃいかぬという程度で恐らく始まった。今はそんなことはないです。助役が市長になったり、町村長になったりしているじゃないですか。逆にいえば、町村長も成長しているんです。そんな助け役なんて要らないというのがわかりやすいことです。
 その副市長制を入れながら、組織全体を見直す。皆さん方のところも、課長補佐とか参事とか副参事、わけのわからぬのがいるんです。そんなのは要らないです。ラインです。スキッとする。中2階なんて要らない。今は部長制をしいてます。きょうも部長がそこにいますけれども、部長制は廃止します。副市長からすぐに課長。
 つまり、どういうことかというと、実態的に現場を統率している責任者と副市長を直結させるということです。副市長と市長は一体ですから、現場のことがリアルタイムで状況把握でき、また、その行政執行を行える。この仕組みをつくりたいと思っています。それに部長が入りますと、中間管理職ですから、話がおかしくなっちゃう。これは私が5年間やっていてわかった。中央官庁には要らない。現場、市町村だから、その方がいいだろう、こう私は思ったんです。
 議会にこういうことを話しますと、「部長を降格するのか」「冗談じゃないです。部長制なくなっちゃう。降格も何もないのです。もう課長しかないんだということで、御心配要りません」で、終わりです。
 つまり、ラインです。副市長、次は課長、その次は副課長です。課長補佐みたいなものもあった方がいいんですが、それは副課長です。ラインとして、責任と権限を明確化するという意味で、名称を変える。係長、係員。私、名簿を見てびっくりした。みんな主任、主事です。入ったらすぐは主事補。半年か1年か知らないけれども、補というのがついているようですが、主事補、主任、主事。主任て何でこんなにいっぱいいるのか。同じ係で、ダーッと主任、ダーッと主事がいる。市民が名刺をもらっても、わけがわからない。主任は主任らしく、10人いたら、その責任は主事。基本的に要らない。係長でいい。担当係長、係員、事務官。わかりやすくなる。知らない人が名刺をもらったときに、この人はどこまで権限があるかということがわかるように肩書がなっていなきゃいけない。それが、主任とかでこの人は偉いんだなと思ったら、きのう入ったばかり。冗談じゃない。こういう目くらましみたいなことをやっちゃいけない。
 そういうことでわかりやすい。権限と責任は明確化するということで、この副市長制、そして組織の改革をしていこう。これもマネジメントの発想であります。



ISO14001の認証取得

 そこで、いよいよISO14001でございますが、これは今私が話していたそういう背景の中でISOの取得をしたんです。お手元に、地球が2つあるようなのがありますが、この表紙のデザインは実際にあるものです。市役所の入り口にこういう広告塔をつくりました。これは写真だけじゃなくて本物です。これも市民からいろいろなアイデアをとって、広告宣伝塔をつくりました。地球環境都市宣言をして、担当課も地球環境課というものを大胆につくりました。地球環境課、えらいでかい名前だなとちょっとちゅうちょしましたが、「えい、やっ」という話で、目的意識というか、その担当課の性質、目的をはっきりとすることがネーミングとしてはいいのではないかということで、思い切った。恐らくこれは全国で初めての地球環境課だろうと思います。そのことによって、全くコストがかからずに、意識が変化していきます。
 だから、マネジメントじゃありませんけれども、やたらに金を使えばいいというんじゃないんです。そういう仕掛けをしていくと、自然に広まっていくという効果、目に見えないメンタルな、マインドというか、そういうところの効果を期待して、こういうことでやっています。
 せっかく資料をつくりましたので、追っていきます。2ページ、私どもがつくりました「みどりの生活快適都市」、つまり上越市を将来どんな都市像にするかということで、市民参加型でつくった「Jプラン」であります。Jというのは上越市の頭文字J、ジャパンプランじゃありませんけれども、ジャパンプランになってもいいんじゃないかくらいの気合いでつくったわけであります。
 これは別に資料があると思います。「のびやかJプラン」。自前のまちづくり会議というのを起こしまして、市民147人にそれに参加していただきましてつくったのが、「のびやかJプラン」。そこに基本理念としまして、このような形が盛られております。基本方向として、「外に向かうまち」「美しいまち」「躍動するまち」。環境というものの切り口は「美しいまち」から始まります。
 そういうことで始めたわけですが、最初はこんなに理念をしっかりと持ってISOに取り組んだわけではないです。たまたま出会いがありました。昨年の4月に「ワールド・パートナーシップ・フォーラム」という国際会議を初めて上越市で開催しました。これはどういう会議かといいますと、駐在しています世界各国の大使、公使の方々が年に1回地方に行って、その時々の世界の問題となっているものをディスカッションしよう、こういう国際会議です。開催場所というのは都道府県の県庁所在地の都市が主なんです。上越市が地方都市として初めて10万台の都市で開催できたわけであります。これもいろんなアプローチをかけまして、そういう仕掛けをして開催したわけであります。
 そのときのテーマが「環境保全と開発」でした。私は、単に国際会議を開いてそれで終わったというんじゃ、全くつまらぬということで、その会議に至るまでの間、去年の4月でありますが、何とかいい知恵はないか、我々もそれに参画できる方法はないかと考えまして、やっているうちにISOに出会いました。「よし、これだ」、これを取るということをそこで宣言しよう。これはなかなか勇気が要りました。何しろ、全国どこでも、前例がないものですから、とにかくチャレンジしよう。
 当時ISO14000シリーズか9000シリーズか、どちらかを取ろうという話が、正直あった。9000シリーズについては結構検討されている自治体もあったようでありましたが、14001はそんなになかったわけでございます。そこで、なぜ14001になったかというと、確かに行政サービスをやっていますから、行政サービスの質の製品管理というか、商品の品質を高める、サービスの水準を高めるという意味では、9000という考え方もないとはいえない。しかし、それは1つのものじゃない。つまりトータルではないということです。14001というのはまさにトータルの問題です。トータルで、しかも地球環境という観点で、いずれ取り組んでいかなきゃならぬ課題である。すなわちそれに取り組む。
 14001を民間の事業所が取り組むにしても、それは部分にしかすぎないじゃないか。民間会社のテリトリー、その会社の範囲しか発展しないじゃないか。つまり、いろんな方々が努力して14001をダーッととっても、絶対にすき間はできる。すき間をどう埋めるか。トータルでものを考える立場はだれか。これはあくまでも自治体しかない。そして、現場を見ていますから、国ではない。県でもない。やっぱり市町村がきちっとやるということ、これで地球全土を埋め尽くすことが可能になるんじゃないか。
 地方で固有に取り組まなきゃならない課題が環境問題であり、その実効性を上げるためには何がいいんだというシステムとしては、ISOがいい。
 そしてこのISOは大変易しいシステムです。決して無理をいわない。自分の身の丈に合わせた目標を設定して、それを行動に移して、改善をして、また新しく進めていく。PDCAという言葉は、皆さん方はご承知かと思いますが、これなんです。自分の身の丈です。
 5ページに書いておきましたが、これです。「Plan」「Do」「Check」「Action」。そして、環境方針、理念。一体何のためにやるんだ。方向性をきちっと示しておいて、あとはどう転がしていくかということです。そして、継続していくということです。何てことないシステムだと思いますが、物事は始めますと、熱が熱いときはいきますが、冷めてくると、途中で挫折します。これは世の常であります。このシステムはそうならないんです。決して背伸びをしていませんから。そして、私どもの命をはぐくんでいる、命を守ってくれている、動植物にとっては絶対に欠かせない地球環境、これに取り組むということは、理念的にも大変高い崇高なものであるということに気づきます。
 そして、このことが地球資源の問題にもかかわってくるんです。地球資源は、皆さん方既にご案内のとおり、今のペースでいったら石油はあと32年しかもたない。しかし、発展途上国はどんどんまだ消費を拡大してきますと、ひょっとすると20年ももたないかもしれない。だから、新エネルギーをどう開発するかということに手をつけなきゃならぬ。
 ついこの前、BSを見ていましたら、ヨーロッパは風力発電だらけです。ついこの前私はドイツのフライブルクに行きましたが、その途中においても、でっかい風車が牧草地の真ん中に立っている。スペインの風のいいところはずっと何百基と並んでいます。その地区の電気の半分以上を賄っているらしい。風力発電など当たり前なんです。ようやく日本も、我々もやります。我々も来年度1基、その次は2基。1基2億します。高いんです。もうちょっと普及してくると安くなります。風力はクリーンエネルギーで夜も昼も関係なく、勝手に回ります。全体のエネルギーの消費を抑制するということで非常にいいことです。
 こういった地球環境は地球資源の問題にも直結する話です。石炭は70年しかもたないとか、あるいは鉄が無尽蔵にあるといっても、あと3分の2しかないとか、こういうことです。しかも、これは何千年かかってそうなったんじゃないんです。わずか200年という高科学化社会。この時間でそれらを使ったんです。当たり前に、あと残年数はどれくらいということはわかりますね。
 だから、環境問題というのは地球資源の問題であるということでもあるし、温暖化の問題になりますと、すぐに気づくのは異常気象、気象変動。私も昨年の12月に京都のCOP3に行ってまいりましたが、世界の国々の代表の方々、環境大臣クラスが次々とスピーチします。聞いていますと、大変深刻なことをいっている。我々日本人は、「何、そんな状態!」という驚きです。ということで、初めて日本は立ち上がって、ついこの前、10月に地球温暖化防止推進法がようやくできました。遅いといえば遅い。
 しかし、さすが日本は気づいたら、立ち上がるスピードは相当速いと思います。さっきもちょっと触れましたように、日本社会は集団化社会ですから、いいと思ったら、ワーッとやります。悪いと思っても気がつかぬでワーッといってしまう。「それっ!」というと、ワーッといってしまう。これが日本人の特異な体質であるわけですから、うっかりすると大変なことになる。今環境問題については、「それっ!」というと、ワーッといきますから、これはいいことです。
 ISOを取ると、「それっ、ISOだ」とワーッといきます。これはオーケーです。いいことはオーケーです。悪いことはまねしない方がいいと思います。いいことはどんどんやるべきだと思っています。
 そういうことで、理念的なことについては、すぐ終わります。そして意識改革。環境改善に取り組んでいく意識をどう改革するか。これも私はそんなに難しくないと思います。私どものやっていることについて、また後でゆっくりと見ていただけると思いますが、7ページ以降については、やっている具体的なメニューがどっさり書いてあります。7、8、9、10と、いろんなことを今やっています。
 ですから、意識改革というのはそう難しくない。問題は、そこから「Do」、どうしたら行動に移すか。環境改善の具体的なメニューを起こして、それにどうチャレンジするかということが、実は大変重要なことだと思っております。
 これは別に目新しいことではないと思いますが、私は、とにかく今年は「環境行動元年」と位置づけ、やれるところはすべてやるということで今やっています。
 環境ISOというのは、大変いいシステムでありますし、本当のねらいとなりますと、単に環境改善をしていれば、行政の責任はそれでチョンという話ではないんです。他の分野にも全部こういったシステムを当てはめていこうという、マネジメントシステムの具体的な手法として、このISOを取り入れたんです。環境改善はもとより、このシステムが科学的事務管理に一番具体的でわかりやすくて、取り組みやすいという例示的にやったんです。
 今トータルで事務改善に取り組んでおりますが、まず、何が変わったかというと、やっぱり職員の意識が変わりました。職員に、物事を見るには数値的に、科学的に見ようという意識が芽生えてきました。それがまだ実行できていないところもありますが、このISOはきちんとできております。
 どんなことで職員にチェックをさせているかというと、「ISO14001環境目的プログラム達成状況」というのがここにあります。こういう分類で、もっと細かいのがありますが、結果として、この表を参考に用意させていただきました。
 目標設定して、実績としてどういう推移をしていったかということで、表の方は○で、最近10月あたりで2つ×です。これは公表しています。×は×です。原因を究明させるとわかるんです。例えば、1の(5)「フロンガスの回収…1トン」を目標にしていますが、4月からずっと○○になってきた。10月が×になっている。「何で×だ」ということで調べましたら、景気なんです。景気が悪いから、車の買いかえの台数が減ってしまった。おもしろいところに出ているんです。景気は当初見込んだときと同じように推移するだろう、大体1トンぐらい出るだろうと目標設定しましたが、実は、廃車する台数が減っていますから、フロンを回収する台数が減っているんです。だから、1トンもいかない。決して悪いというんじゃないんです。地球には逆に優しくなっている。ということでおもしろいです。科学的分析です。
 裏を見ていただきますと、ほとんど○ですが、下に来るとちょっと×があるんです。「けしからぬ」といっておるわけですが、例えば、(5)「灯油使用料…5.1%削減」となって、ずっと×××。「何で最初から×だ」。実はトラブルを起こしてポンプが破損してしまった。破損したから、管理状態がよくない。原因ははっきりしている。是正措置、ちゃんとやっているかどうか。これはだれが見ても原因がわかりますし、その対応もはっきりするということで、大変いいシステムです。
 ○のところはみんな目標を全部上回る。オーケー。これがずっと続いているわけです。これをこれからもずっと続けていきます。
 それから、環境問題の取り組みのメニューの中で、最近ちょっと変わった取り組みをしておりますのは、ごみの減量化ということにチャレンジしております。電動生ごみ処理機というのが最近普及してきました。これは家庭から出る食材が、皆さん方、全部ペロッと食べる人はいない、残るでしょう。残った生ごみは、考えてみれば、今まではクリーンセンターで燃やしていた。よく見たら、水分が8割から9割です。つまり、水を油で燃やしておった。冗談じゃないです。だったら、そういうことをしないように、何かうまい方法はないかと考えましたら、ちょうど電動生ごみ処理機が最近ようやく普及をし始めた。「よし、これだ」。家庭からごみを出す前に、生ごみを圧縮してしまえ。それを残滓として、家庭菜園とかガーデニング、そういうところに肥料、コンポストにして使えるようにすれば、ごみは出ていかないです。だから、油はそんなに要らないです。これは大変結構なことです。
 それを普及するには、黙って6万も7万もするものを買うかというと、なかなか買わない。そこで、インセンティブ、我々行政がちょっと後押しをする。3万円の補助金をつけた。条件で3万円、2分の1。5万円のもあるから、その場合は2万5000円。そうしたら、爆発的です。初めは「どうかな」と思って、補正予算で50台組みましたら、何と今や、15日現在で1321です。初めは50台を見たんですが、爆発的です。あと3カ月ほどで終わりますが、2000台ぐらいにいくでしょう。次々とふえて、1万台にふえてもおかしくないと私は思っています。
 例えば、1万台としますと、補助金が3億円かかる。えらい金がかかるな、こういうことでありますが、これは6年間もちます。6年間もちますと、もしそれがごみに出ていった場合、処理費が4億円かかる。それが要らない。つまり、6年使える機械を最初に買うときに3億円出しますが、その結果、4億円の焼却費用が要らない。ごみ処理費が要らない。つまり、ここで1億円浮くんです。そして、6年以降は、今度はご自分でやってほしい、こうなっていますから、4億円丸々もうかるんです。これはいいですよ。最初ちょっと痛いなと思うかもしれませんが、これはオーケーです。
 私ども上越市民は4万4000世帯ありますから、この生ごみ処理のほかにコンポストを農村部ではやっています。普及しているのが約1万基あります。農村からは基本的には生ごみはほとんど出てきません。ということで、油、燃料が助かります。だから、焼却炉も長持ちする。これは財政支出を非常に軽減しています。
 それから、低公害車、今ハイブリッドカーをトヨタでやっていますが、私ども行政の方でも既に買って、環境パトロールとか、そういうのに使っておりますが、これも民間に普及しようということで、同じタイプの通常の販売価格よりハイブリッドカーは高いですから、その高い半分を見ていきましょうということで、今補助金制度をスタートさせましたら、当初10台ぐらいかなと思っていたら、今14台手が挙がっています。そのほか、太陽光発電、屋根に乗っけるという話もありますが、私どものところは雪国でありますから、これはなかなか手を挙げる人はいません。1件しか今来ておりません。
 このように、具体的に輪が広がっております。仕掛けのだいご味、市民にどう広げていくかということにチャレンジしています。
 私ども上越市は、小学校が30です。30に分けると全市をカバーします。そこで、観光資源のある、お客さんがお見えになる、きれいにしておかなきゃならぬところの学校を3つ選んで、環境のまち整備モデル地区といたしまして、町内会の人たちに、とにかく環境問題すべてにチャレンジしてくれということで、今ボールを投げております。さすが住民の方はそれに的確に反応をいたしまして、いろんなことに今取り組んでいます。
 そして、それにはインセンティブ、補助金を3地区で1000万。何にでも使っていい。3地区3分の1ずつだから、333万円ずつ分けています。いろんなことをやっています。私どもが気づかないことにチャレンジしています。自分の町をきれいにしようということで、老若男女、事業所、そのエリアに入っている人たちが協議会をつくって、自主的にやっています。自主的に講演会を開いて、環境の専門家の先生を呼んで話をしたりしております。



市民版ISOと環境税

 そこで、私は、きょうは私どもの2つの姿勢をどうしても申し上げたくて来たわけであります。
 1つは、「市民版ISO」ということを今考えています。つまり、行政は1170人、あるいは行政にぶら下がっている組織、機構、協力団体までISOの範疇に網羅しています。業務委託とか、委託会社もこれに入れています。相当広い範囲でやっています。これはまだ市を全部カバーしていません。今、3つのモデル地区を入れまして1割カバーしましたが、あと9割弱、これをどうカバーするか。これは市民版ISOを取るのがいいだろうということで、既に研究を始めました。そのシステムはありません。どういう形が市民版ISOなのかというのはわからない。それを今打ち合わせして、体系化して整備していこうということで始めました。
 私が途中で申し上げました、自治体がすき間を全部埋めるということの完結になる。だから、自治体、市町村の役場の皆さん方、あるいは事業所の企業の方々が、自分のセクションだけをとっても埋まりません。究極は住民を巻き込んだISOシステムをどうつくり上げるかということに尽きると私は思っています。
 この新しいシステムはありません。ISO本部に行ってもこんなのはありませんから、皆さん方と意見交換、情報交換しながら、新しいシステムを立ち上げていきたいと私は思っていることを申し上げておきます。
 次が、実に難しいことと思いますが、チャレンジをしてみたいなと思うのは「環境税」です。環境税をどう導入するか。これは下手をすると、今「消費税を下げろ、所得税を下げろ、法人税を下げろ」というのが吹き荒れているときに、「環境税?ふざけるな」という話で一発でやられます。そこなんです。今鎌首を持ち上げるわけにいかないです。そのタイミングを見て、どういう形でやるか。
 このヒントは、ドイツのフライブルク市にありました。フライブルク市は、ごみの収集処分については別会計でやっています。収入を受益者負担制度でとっている。つまり、税金みたいなものです。1軒当たり1万3000円とか、世帯が多ければ2万1000円とか、こういう形で、1軒当たり受益者負担金を課して、それを導入して全体を運営しているといういわば株式会社を持っている。これです。環境税という名前を別にしても、そういう負担税。負担金を普通会計で皆さんは出しているでしょう。あるいは広域行政組合だったら、そういう負担金を出している。一般会計です。
 そういうことで、生きている限りは生活するわけで、ごみは出てくる。その処分には金がかかる。これは明快です。今はどちらかというと、いっぱいごみを出した方が、人の税金でやっているんで、ずるいわけです。と私は思います。皆さん方もやっているかもしれませんが、ごみ袋を有料化でやっているところがあるかと思いますが、私はそれで完璧じゃないと思うんです。それでも必ず一般財源を投入していると思います。
 そこですよ。それはなし。まさにごみは、自分が買いたいもの、好きなものを買ってきてごみを出したんだから、後始末は自分でやれ。当たり前の話です。それに日本人も気づかないと、買って、食べて、あとは知らぬ、今度は行政だ。無責任性がそういうシステムを新しく進歩させないところがあると私は感じています。ですから、これはどなたか、勇気のある方からおやりになって結構です。これはすごいですよ。
 今どういうタイミングでやろうかなと思っているのは、意気込みだけを申し上げますが、私はもう市長はいいやという最後にドーンといって、税金を入れる。今のところそれぐらいの自信も結構だなという感じです。こんなことじゃいけませんね。逃げの姿勢じゃ、やっぱり攻めていかなければ。それは仕掛けです。
 私が申し上げた3つのブロック、環境のまち整備モデル地区の話をしましたが、それをだんだんと広げていって、市民ISOを取る中で、そのようなコスト意識をどう植えつけていくか。それでわかったら、オーケーですよ。その分、一たん市民税を下げる。だから、増減税です。まさに増減税一体。ツーペイです。これでいいんです。ただ増減税といっても、増税は嫌だ、減税はいい。こういう住民の反応、納税者の反応がありますから、そこは気をつけなきゃいけません。うっかりすると、減税だけとられて、増税はだめだ。こういう議員も中にはいるわけです。本当の理念とか哲学、ポリシーというものがしっかりと根づくまで、少し仕掛けが要ります。
 ドイツは相当進んでいます。なぜ、フライブルクが世界に環境都市として有名になったかというと、これは割と簡単なんです。あそこに原子力発電所をつくるという話が持ち上がったそのときから市民運動が始まって「ノー」。そのとき、行政主導でなくて、住民主導でその反対運動が盛り上がった。しかし、エネルギーは欲しい。一体どうしたらいいか。じゃ、新しいエネルギーを開発しよう、ごみを出さないようにしよう、こういう哲学、ポリシーを市民が持った。だから、成功したんです。だから、いろんなところに発展的に環境問題に取り組んでいける素地ができたんです。行ってみてわかりました。
 今、日本は先進国で地球資源を一番使って、地球を汚しているわけでありますから、これこそ私どもが取り組んでいかなきゃならない大命題、これが地球環境問題ではないかと私は思って、できるところをやっているわけです。人様のところまでやれるようなそんな大それたことは私はできません。自分の与えられた行政責任の範疇でやっていくだけです。
 きょうも、私がやったから、あなたもやってくれ、そういう強要めいたことを一切申し上げるつもりはありません。まさに環境問題は、自意識、自覚、そして自分の基本的な理念に根づいていかないと、持続もできません。人にいわれたからやっていくという話じゃない。自分の自治体のエリアは人のエリアと違うんです。自分のエリアは自分でやる。まさにこの環境問題というのは、地方自治体固有の課題であると私は思っています。
 だから、私は上越市の問題を責任を持ってやる。隣は知りませんよ。これはもうしようがない。それを、ああだこうだといい合うと、またおかしくなってしまう。
 きょうはたくさんの自治体の方々もお越しになっているようでありますし、また民間の方々もいらっしゃると思いますが、こういった意味で、みんなで快適な地球環境を守り、改善していくことがみんなの幸せにつながる、こう私は思うところであります。
 時間がオーバーいたしましたが、私の話はこれで終わらせていただきます。御静聴ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口)
 
どうもありがとうございました。
 時間があと15分ぐらいありますので、いろいろ忌憚のない御質問、御意見を受けたいと思います。

阿津澤(埼玉総合研究機構)
 ISO取得の経緯というか、考え方についてちょっとお伺いしたい。ISOは認証ビジネスといわれて、取得のときに金がかかりますし、継続のときにまた金がかかります。そこまで金かけて取ることに果たして意義があるのかということを私は思っています。というのは、民間企業でしたら、それをビジネスに結びつけて収益を上げるということがありますけれども、自治体としては性格が違って、市民に、ISOをやりたいから、あえて募集するとか、そうしたことで市民とともに時間をかけながら、考えていけないのかという感じがします。
 最後に、住民を巻き込んだISOシステムをどう構築するかが課題だとおっしゃっているんですが、私は、地球環境問題というのは時間をかけてやるべきであって、ちょっと性急過ぎるかなという感じがします。その辺どのようにお考えでしょうか。そんなに官と民のレベルというのは違うものか。
 また、NPOとかNGOといった環境団体は、そうしたものに全く関与してないのか、その辺についてお伺いしたい。

宮越市長 
 コストについては、コスト意識の問題がありますが、私ども実際にやったことだけ申し上げますと、直接経費については、認証取得の経費等含めまして500万円で取得しました。プラス、職員の人件費等々入れますと、1000万になるか、計算はしておりませんが、そういう近視眼的なことでないということを途中で申し上げました。つまり、マネジメントシステム、自治体経営という中で、トータルでどうやっていくかということが1つのねらいであるということ。その具体的な手法としてこのISOシステムを導入したということで、通常の行政サービス、行政事務事業に対して、科学的事務管理を導入することによって、経費がそれ以上にはるかに合理性が高まり、職員の能力も高まって、結果的に税金をむだに使っていかなくなっているのではないかと私は思いますし、それらの方向で市政運営を進めていこう、こう思っていますから、目先のすぐ出る現金のことについて、あまり気にしてはできない性格のものである。これは理念として御理解をいただけたらよろしいんじゃないか、こう私は思います。
 それから、民間とかあるいは市民ISOを急ぎ過ぎじゃないかということでありますが、私は、地球環境というのは、新幹線以上のスピードでやっていかぬといけないと思うんです。遅過ぎるぐらいです。さっき私が話をしましたが、昨年の京都会議を見てわかりました。とにかく世界の皆さん方は、私どものスピードよりとんでもない速さで進んでいるなと感じております。
 ですから、COP3においても、議長国である我が国は、あの議定書をまとめ切れなかった。それはそれだけのバックボーンが足りなかったと私は見ています。世界の皆さん方の意見を集約するには、それなりのパワーがないと、あるいはそれだけのノウハウを持ってないと、こういったことはできなかったなと思ってます。
 環境庁自身は、以前からこういった警鐘を鳴らしておったにもかかわらず、政府全体、国として、国民として、そういうものを後回し、先送り、こういうことでやっていた。経済大国、工業大国である日本が、先ほど環境問題は資源問題であるといいました、その資源を金にかまけてどんどん使っていく。こういった現状を顧みたならば、それはもう遅過ぎるぐらいだと私は思っています。
 市民ISOは、速やかにできるところからやっていこうということでやりますし、また民間においても、同じ気持ちで取り組んでいく。民間だから、行政だから、住民だからといって、差がつく話じゃないです。みんな同じ気持ちで、フラットな気持ちでやっていかないといけない課題であると私は思います。
 行政だからいいとか、住民だから後回しでいいとか、業界だから早くやるとか、利益追求とか、そういうものとは違った理念が、この環境に含まれているのではないか、こう私は思いますので、願わくばそういう気持ちでお取り組みいただくとありがたいなと思います。

赤松(藤沢市民会議)
 私、地元の藤沢などで市民活動をしています。今回の上越市では環境基本計画等の施策の中で、住民を巻き込んだ環境施策の展開ということで、さまざまな組織づくり、制度づくりをされておられるようで、資料を拝見いたしますと、環境推進会議、環境管理委員会、環境モニター制度、環境パトロール員制度、環境レインジャー制度、そしてお話の中にございました環境のまち整備モデル事業地区の協議会とございますけれども、それぞれの役割分担とか、逆にお話の中で非常に強調されておられました簡素、効率的な行政執行のあり方との関係、活発な市民活動の展開という中で、これらをどのように整備して、施策の活性化ということでお考えになっておられるのでしょうか。

宮越市長
 今御指摘なされた具体的な行動メニュー、少なくともこういったことが今まで全くなかったわけです。なかったことから、そのおくれを取り戻すという意味が、当然込められています。当たり前に取り組んでいかなければならぬことをやっていなかったという自己反省のもとで取り組んでいるというのが最初のきっかけです。
 それが、さっき申し上げた広がり、環境だったら広がりを持っていかなきゃいかぬという課題でもありますから、部分部分をやっていればいいという話じゃない。ですから、広がりをどう持っていくか、それをどう持続させていくか、どうそれを検証して、評価していくか、そこのところの仕組みづくりを、いろいろなことでやっていく。あるところでは入りやすいけれども、あるところでは入りにくい。客体を見ると、子供たちだったら何が取り組みやすいか。お年寄りだったら何が取り組みやすいか。あるいは事業所だったら何だとか、あるいはいろんな仕事をやっている人たちがどうだという客体がみんな違いますから、究極的には環境教育にいくんだろうと私は思っています。
 そこで、来年度予算から、地球環境学校をつくろう。小さい学校が廃校になるという建物を利用しながら、あるいはだんだんと子供たちが減っていく、あるいは中山間の自然環境に恵まれている学校をベースとして、地球環境学校をつくろうということで、検討委員会を立ち上げています。いろんなジャンル、客体が全部違いますから、全部に及ぶような形で取り組んでいるのが実態でありまして、ある意味では総花的かもしれません。実は環境問題は総花的になっていますから、総花的にやらなきゃならぬということをもってよろしいんではないかなと、割り切ってやっています。
 藤沢とおっしゃいましたけれども、藤沢の荏原製作所のゼロ・エミッション、循環型の工場をつくっていらっしゃるわけですが、ゼロ・エミッショッン、廃棄物ゼロという社会をいずれ実現するといいと思います。そのことは当然でありますが、循環型社会をどうつくるかというのは、釈迦に説法でありますから、私申し上げなかったのであります。資源は有限でありますから、資源を循環して使う、何回もリサイクルして使うという社会システムをどうつくるかということが、究極的な絵姿ではないかなと私は思っています。

上村(福田組)
 上越市の市長さんがトップダウンということで、みずから環境問題に取り組んで、いち早く地方から日本全国に発信しておられるということには非常に感服してお聞きしました。 質問ですが、こちらに「ISO14001の環境目的プログラム達成状況」というのがございますが、その3番の「省エネルギー・省資源及びリサイクルの推進」という項目の中の(7)、(8)、(9)が、私のやっている仕事の中で関係のあることでございます。これは行政側の方で指導しているものが、民間の中で仕事として活用しておられるのか。それとも、先ほどの3ブロックの中で、ある特定の企業にそういったことをやって、目標の基準として判断しておられるのか、その辺をできればお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。

宮越市長
 ちょっと細かいところについてはわからないところがございますが、考え方としましては、私ども行政が携わる直接的な仕事があります。そういったものについては、材料の使い方について、自分たちが一応環境基準を設けて、そういう使い方はやめよう。例えば、残土を使うときに、掘ったまま捨てますと、お金とられます。産廃みたいになりますが。それを水を切ってまた再利用する、こういうことは可能です。これは今やっています。みずからがリサイクルができる、そういったこともできます。ですから、直営事業が中心であります。今民間の皆さん方が仕事をやっていただく中にどう入っていくかということまで、これから、グリーン調達ということも含めながら、グリーン施工、そういうことまでこれから広げていかなきゃならない。そういうノウハウを持っているものを、もう少し先に行って、入札近くにリストアップするとかしないとか、そういう選別的なこともやっていかなきゃならぬという考えは一応持っておりますが、そこはまだ実行しておりません。行く行くは、民間の方々にもかかわるということになってくるのではないか、こう思っています。

長塚(長塚法律事務所)
 ごみ焼却、その他の環境施設や公害についての住民の知識、専門的なものをふくめて、一般の住民全体の知識という点から、市政に意見を言う代表の選び方、また知識の普及、そういう点はどうなんでしょうか。

宮越市長 
 公害健康被害、有害物質等についての認識のあり方だと思いますが、これについては、今のところ、一般的な情報を集約しながら、それを間接的に伝達して注意を喚起するとか、あるいはまた、そういう原因が発生しないように、有害なダイオキシン類みたいなものがあるかないかということを事前にチェックしながら、それを公表するとかいうことはやっています。
 また、私ども上越市に環境科学センターというものがありまして、ついきのう、ダイオキシン類を分析できる機械、装置を一応完成させました。これは私がその理事長を務めておりまして、ISOを取得した後の4月、そういう研究、分析棟をつくろうと決断しまして、そのとき理事の方々にいろいろな話をするのでありますが、なかなか理解が及ばないわけでありますが、そこは理事長として決断して2億7000万の投資で、きのう完成したわけであります。
 こういった研究、分析施設を持つことによって、住民が安心する。すぐに対応ができる。我々の職員がかかり切りでやっています。今までは分析能力がないので、民間に発注して、それを待っているという不便さが解消される。こういう目に見えた形で有害物質を確認し、それを管理する。そういうことをやっています。
 「上越市環境白書」ではありませんけれども、定期的にそれをつくりまして、現在の環境状態はこうですよということで一般に情報を開示して、わかりやすくやっています。悪いところは悪いといって、この改善をどうするか。改善処方をどうするかということも含めながら対応しているのが現状であります。

司会 
 どうもありがとうございました。
 皆さん、まだまだ御質問、御意見がおありかと思いますが、時間がまいりましたので、きょうは一応これで終わらせていただきたいと思います。
 宮越市長、長い間どうもありがとうございました。(拍手)


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