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第137回都市経営フォーラム

ガーデンアイランズの創造

講師:川勝 平太 氏
 国際日本文化研究センター教授


日付:1999年5月26日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

 

【1】なぜ’Garden Islands’なのか

【2】近代世界と日本の軌跡

【3】美(ソフトパワー)の戦略

 フリーディスカッション




川勝平太でございます。
 きょうは「ガーデンアイランズの創造」というテーマで、しばらくご清聴お願い申し上げます。
 私は歴史を専門にしており、都市計画、町づくりについては素人ですが、ご紹介にございましたように、今まで国土審議会で「文化と生活様式委員会」という画期的な委員会が設けられまして、いろんな方がそこの委員になられ、私もそのうちの1人になりました。文化や生活様式は恐らく論じられなかったのではなかろうかと思います。
 経緯を申し上げますと、阪神・淡路大震災で日本の都市の脆弱性が明るみに出ました。6000人もの方が一朝にして亡くなり、30万人が被災された。これは今までの日本の都市づくりのあり方、日本人の生活の仕方を反省するべき大変大きな契機になったと思うのです。
 国土を多極分散型にして均衡ある国土の発展を期さなくてはいけないということは、だれもが知っている。国土計画に何かが足りない。国土審議会の主要メンバーの人たちは、文化、生活様式であろうと思いいたられた。
 そこで、建築家、外国人、私のような歴史家も招かれました。「文化と生活様式」委員会で議論しているうちに、文化と生活様式は別物ではなく、「文化とは生活様式である」という結論にいたった。これまで文化というと、文化庁の文化ということで、学問、芸術、芸能といった特別のことだと考えられがちです。これはグローバルスタンダードには合わない。グローバルスタンダードの文化とは、暮らしの立て方、生活様式のことです。ライフスタイルのことであり、端的には衣食住である。これが世界標準の文化理解で、文化の学問的定義であります。
 生活を大切にする、これが政治あるいは経済の役割でなくて何なのか。日本国憲法において「国際社会において名誉ある地位を占めたい」と冒頭でうたっており、主権在民ですから、1人1人の個人が尊敬されるべき日本人として、個人の尊厳と幸福を追求するべき権利があるわけです。
 日本人が生きていく基本的舞台となる生活を大切にしないで、何が政治であり、何が経済であるか。政治も経済も文化のしもべである、そういう姿勢にたって、文化と生活様式委員会は方針を掲げました。
 その中で出てきたのが、緑のある生活、家と庭が一体。「家」と「庭」が一体で「家庭」であります。我々はホームを「家庭」という字であらわしているにもかかわらず、家が箱になって、庭が公園に逃げてしまった。家庭が家と庭に二極分解して、人々が緑に直接親しめなくなっているのが現状です。
 実際、日本の3人に1人が集合住宅、いわゆるマンションに住んでいる。マンションに住んでいる人たちの大半が都会に住んでいるのであります。箱に住んでいる。しかし、日本は広い。この広い日本を広く使おう。アメリカに比べれば狭いといわれるなら、それならば狭い日本を広く使う。十分に活用されてない地域が過疎地帯として残っている。
 分離した家と庭とを一体の「家庭」回復の日本の生活景観について、さまざまな角度から論じたのです。日本が6852の島々から成る島である。日本列島は、北は北海道から南は沖縄に至るまで、亜熱帯から温帯、亜寒帯に至る自然が広がっている。「日本列島は地球の自然生態系のミニアチュアである」といえる側面を持っています。
 自然との接し方は、破壊という都会的な生活の仕方と、育てるという関与の仕方があります。人間は自然に作為を加えて、栽培植物をつくったり、動物を家畜化して、文明を築いたのであります。
 自然に作為を加えるのは、文明をつくり上げた人間の原罪です。どうせ自然に作為を加えるならば、それを育てる姿勢を持ちたい。人間の育てる自然は原生自然ではなく、人工の自然でありますから、広い意味で庭です。庭を日本のさまざまな風土の世界でつくり上げれば、ガーデンのある生活景観、それが多数の島々に広がるので、島国日本は美しいガーデンアイランズになりうる。
 それが「富国有徳」の国づくり、「富国有徳のガーデンアイランズ日本」というコンセプトにまとめられつつあります。しかし、具体的に動いているわけではありません。
 ともあれ、そのコンセプトの背景、現在何が問題であるか、国土審議会や、先々月に発足いたしました「21世紀日本の構想」懇談会で話し合われていることを、かいま見る機会がございますので、そのあたりのところをご紹介申し上げて、ご批判を仰ぎたいと思う次第であります。



【1】なぜ’Garden Islands’なのか

 レジュメを用意しましたので、なるべくこれに沿う形でお話し申し上げたいと存じます。
 そもそも、なぜガーデンアイランズなのか。昨年3月31日に、戦後5度目の全国総合開発計画が橋本龍太郎内閣のもとで正式に策定されました。注目を集めなかったのは、金融システムを再生させて金融不安をとりのぞき、日本経済を立て直さなくではならない現実の中で、残念ながら、国土計画が十分に理解されないでいます。
 戦後5回目の全国総合開発計画は「21世紀の国土のグランドデザイン」と題されています。
 これは国土庁から全文ならびに簡便なパンフレットも公刊されており、時事通信社から解説付きの本も出ていますので、簡単に読むことができます。
 「国土のグランドデザイン」には「地域の自立と美しい国土の創造」という副題が添えてられいます。基本目標をこう書いております。「歴史と風土の特性に根差した新しい文化と生活様式を持つ人々、すなわち日本人が住む美しい国土、庭園の島ともいうべき世界に誇り得る日本列島を現出させて、地球時代に生きる我が国のアイデンティティを確立しましょう」と。
 一言でいいますと、「グランドデザイン」の核心は、美しいガーデンアイランズ、庭園の島日本の創造です。
 「グランドデザイン」には、「美しい」という言葉が1ページに1〜2回出てまいります。これはそれを入れるように、だれかがいったわけではありませんで、書いていくうちに自然にそうなったのでございます。
 過去の4度の全国総合開発計画に「美しい」という価値観が入ったことはありませんでした。しかし、「グランドデザイン」には、「環境」「景観」という言葉が300回以上も書き込まれております。すなわち、美しい自然環境、美しい生活景観を創造しようという姿勢をはっきりと打ち出しています。
 私たちは日常生活において、好むと好まざるとにかかわらず、さまざまな価値判断をしています。そういう中で、1つの価値判断として、美しいという価値を入れるということについて、当然議論はありえましょうが、結果的には入ったわけです。
 世の中の価値に大きく3つある。真、善、美といわれます。真は偽に対する真、善は悪に対する善である。美は醜に対する美であります。だれにも、真理を偽りよりも大切に思う心はあり、善悪についても同じであります。しかし、原理主義的なイスラム圏とか、今回のクリントン大統領の弾劾騒動に象徴されますような、真偽や善悪に徹底的にこだわるという文化圏と比べますと、親鸞上人が「善人なおもて往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」という善悪観を吐露された日本では、散る桜にあわれを感じたり、和歌に情感を託したり、情景の中に日本の心を託すという独特の審美感を培ってまいりました。
 何を美しいと感じるかは、個人の主観であります。それゆえ「グランドデザイン」の中に、美の定義はありません。しかし、国土審議会において、自然環境や生活景観を大切にしようという共通目標が立てられましたときに、おのずから美しい国づくりというコンセプトが立ち上って、確固としたものになりました。何をもって美しいとするか。これは実際に国づくりを担う民間や、地域の人々の主体性にゆだねられています。
 現代の日本の代表的な景観は都市景観は必ずしも美しいとは見られていない。その客観的な根拠は、日本を訪れる人々の数が、世界観光ランキングで見ましたときに、極めて低いのです。どのくらいかといいますと、どのくらいだと思われるでしょうか。10位以内だと思われますか。違います。20位以内には入っているだろうと思われるでしょうか。これにも入っていません。30位以内には入っているだろうと思われるかもしれませんが、それにも入っておりません。30位以下であります。
 政情が不安であるとか、あるいはやや不潔であるとか、いろいろな旅行の施設が整っていない地域というものと肩を並べて、日本は観光ランキング33位というところに位置しています。
 日本から海外に見物にでかける人は多いけれども、来日する人が少ない。
 日本人が何を見に海外にでかけているかに照らして考えましょう。日本は戦前には1年間に2〜3万人、戦後に5万人、1960年代に10万人、70年代に100万人、80年代に500万人、90年代に1000万人、95年には1500万という急ピッチで世界各地に旅行するようになりました。
 もともとはパリ、ロンドン、ローマが三大観光地でしたが、イギリスに行ってロンドンだけ見て帰る人が少なくなりました。少し足を延ばして、コッツウォルズに行ってみようか。ケンブリッジやオックスフォードに行ってみようか。オックスフォードからさらに足を延ばして、北の湖水地方。そこに何があるかというと、何もない。丘があって、川があって、牧場が広がっている。そこにBB(ベッド・アンド・ブレックファースト)の宿屋があって、レンタカーができ、自然の生活景観を楽しむだけで、心がいやされる。
 フランスでも、パリよりもプロバンス地域に行って、プロバンスの午後の静かなひとときが何よりのいやしになる。あるいはイタリアでも、ナポリもローマもフィレンツェもいい。しかし、その郊外に広がっているカントリーサイド、トスカナ地域、そこに行ってみたらもっとよかった。パリじゃなくて、バリに行きたいという人も増えてきたぐらいであります。
 そのように、ゲームセンターや、そこの後楽園ドームのような娯楽施設があるわけでもありませんで、生活があるだけです。生活を見に行く。つまり、生活イコール文化であります。暮らしの立て方が人を引きつける時代になっている。
 日本がウサギ小屋であるとか、電線があちこちにあってクモの巣が張っている都会だという言い方をされたりいたします。
 そういう中で、都市の広がっている東京より西の工業地帯は、今度の「グランドデザイン」では西日本国土軸といわれていますが、そこには日本の典型的な都市景観がみられます。
 それ以外に、気候や風土や文化蓄積や地理的特殊性、こうしたものを考慮すれば、日本は全く違う国土景観を持っています。北海道、東北を1つにした「北東国土軸」。北海道・東北の知事さんたちが21世紀構想推進会議を平成の初めから知事さんがおつくりになり、宮澤賢治のいう「イーハトーブ」というイメージの国土軸を描いた。
 イーハトーブとは岩手県のことですが、イーハトーブの花巻には、丘の上に宮沢賢治記念館があり、「南斜花壇」がしつらえてあります。「南斜花壇」とは彼が設計図を書いていたものを、実際に作ったものです。設計図には、岩手のすべての植物がそこに植栽されるように書かれている。南斜花壇を見れば、これが岩手の風土だということがわかるようにつくられている。そこにあるのは自然と共生する、宇宙空間に開かれた美しい風土です。そういうイメージで北海道・東北は1つの国土軸になれるという北東「銀河プラン」を数年前に出された。これは西日本国土軸の工業地帯の国土軸とは景観が全く違います。
 かつて日本の表玄関であった日本海は、対馬海流に洗われる文化圏で、これは「日本海国土軸」として西日本国土軸に対峙された。もう1つ、海上の道、すなわち黒潮の道に現れる「新太平洋国土軸」が構想されています。このように四つの多軸型の国土が構想されました。
 柳田国男は、海上の道を伝わって新しい米の文化が伝わり、日本は縄文から弥生に変わったといいました。しかし、それ以降もみな海上の道を伝わって、日本は古代から中世へ、中世から近世へ、近世から近代へと転換しております。島国日本は海によって洗われるという国柄です。海上の道=黒潮に点在している島々。琉球弧といわれる沖縄、九州、四国、南紀。それこそ伊良湖岬にたどりついたヤシの実を見て、柳田国男が、海上の道を発想したような海と結び付いた道がある。
 3つの異なる国土軸を西日本国土軸とは別個に立てたのは、これから日本は第1国土軸に対する第2、第3の国土軸を立てるのではないという意思表示です。都市景観としてつくり上げられた西日本(西日本というのは東京より西という意味であります)の旧第1国土軸とは異なる多軸型の国土を構想できる。工業地帯とは異なる生活景観を大切にする地域をつくろう、そういう構想です。
 実現する戦略は何かといいますと、都市に住んでいる人間が、自然が多い地域に移り住むことが最も重要である。多くの自然のある地域を「多自然地域」となづけ、そこを居住空間に変える。「多自然居住地域の創造」が、第1の戦略です。
 10人に1人、あるいは20人に1人でも、多自然地域に居住していく。そうしますと、都市にゆとりが出てくる。そうすると、都市のリノベーションがしやすくなる。多自然居住地域の創造を第1戦略とするならば、「都市のリノベーション」は第2戦略になる。そして、多自然地域間、多自然地域と都市地域間とを道路、鉄道、港湾、空路、情報などで結ぶ「地域連携の形成」が第3戦略になるわけであります。各地域が東京を通してではなくて、直接に国際社会に開かれる「広域交流圏の形成」が第4戦略です。
 この戦略順位から知られますように、「グランドデザイン」は、何よりも美しい生活のフロンティアを多自然居住地域に求めています。

 多自然居住地域は政策的にはどのように表現されているのか。それは、いわゆる「生活空間倍増プラン」です。生活空間倍増プランというのは、通産省の方が最初に構想されたそうです。そして、それを小渕首相が経済戦略会議の答申に盛り込んでほしいといわれ、今度施政方針演説の中でもはっきりと述べられました。
 お読みになった方がいらっしゃるかどうか。通産省の原案は、要するに公共事業をどんどん投下して、道路を拡幅、橋をつくる、公園倍増などありとあらゆる公共事業が入っています。しかし、生活空間倍増プランの柱は居住空間を2倍にする、それを除いてほかのものは二義的です。日本の住居は、1世帯当たり90平米です。生活空間倍増計画はその2倍、180平米にするということです。どうするかというところで、知恵を絞ってほしいというのが狙いです。
 東京では1世帯当たり70平米ぐらい。これを140平米にする。今のマンションの分譲を2区画分利用できるようにするわけですから、どうしたらできるか。1つは、もちろん都市における容積率を上げる必要があるでしょう。しかし、田舎において同じマンションをつくったって意味がありません。そこでは建ぺい率をぐっと下げて、庭を享受しながら居住空間を180平米に広げる。
 建ぺい率2割だと、延床面積を一階建てで180平米すなわち約60坪分確保するには、300坪の土地が必要です。300坪=1反の土地に対して建ぺい率2割。容積率3割ですと、90坪の家ができます。そういうイメージで考えられるのが多自然地域の居住景観です。それに対して、都市においては森ビルの戦略に典型ですが、高層ビルを建てて、横への移動ではなくて、縦に移動して、ビルの中ですべて賄える都市生活をつくるという考え方があります。都市では容積率を上げて居住空間を2倍にするという考え方です。これが第1戦略と第2戦略における生活空間倍増計画です。
 会場には地方の方もいらっしゃるそうでが、各地で、農水省、建設省などからこれだけ予算がつくということで、生活空間倍増プランとは、何か公共事業に予算がつくという形で受け取られましたけれども、さすがに小渕首相は、1月末に、生活空間を倍増するために、今日本の1人当たり延べ床面積30平米をヨーロッパ並みに40平米にしたい。目標年次はいつになるか、ちょっと失念しましたが、21世紀の割と早い段階でそうしたいとおっしゃいました。
 これは私からいわせるとまだ不十分です。まず1つは、基準が個人になっていることです。また、30平米から40平米ですから、倍率が1.3倍で倍増計画になっていない。基準を1人の人間に置くのは正しいでしょうか。家庭崩壊、学級崩壊がいわれている。そうした危機と家庭生活との関係は非常に深いものがあります。
 少子化の問題も高齢化の問題も、何が重要かというと、家庭です。未婚率が今25歳から30歳ぐらいの女性は40%ぐらいかと思います。厳しい少子化問題が起こっています。ポイントは家庭づくりです。世帯です。したがって世帯を基準にしなくてはなりません。1世帯当たり90平米をどうするかということを考えねばならない。それから2倍にするということですから、180平米にするというべきです。それをいつごろまでにやる、それを考えようというべきでしょう。これは私は小渕主張に直接に申し上げた。生活空間倍増プランについて我々は誤解する。これは公園を大きくするとか、道路幅を2倍にするとかとは違う。一番の基礎はハウスホールド。家である。そこを大きくするというわけであります。
 仮にそうなりますと、どういう効果を予想できるのか。家が大きくなると、買う物が増えます。内需が拡大する。個人消費が増える。個人の消費は国民所得の6割以上を占めており、残りが企業の投資、政府の公共投資です。GDPの6割を占める個人消費を大きくするにはどうしたらいいか。子供でもわかることは、家が大きくなれが買う物が増えるということです。
 日本は非常に高い貯蓄率を誇りながら、タンス預金したり、利子率が低いから、アメリカに逃げたり、個人レヴェルでは旅行とかで全部消えてしまっている。21世紀に何を残すのかについて考えるべきです。20世紀において歴史上初めて日本が未曾有の富を蓄積しながら、富に見合った形でストックが形成されていない。私のいうストックというのは目に見える生活景観に来るストックで、株式のことではありません。そういうストックをどう豊かにするかといった場合に、ドイツ人ならば立派な家具を買う、イギリス人ならば立派な家を建てる。

 ともあれ、日本の生活景観をよくするうえで生活空間倍増プランというのが直接それとかかわってくると思いますし、家が2倍になりますと、内需が増大する。そうしますと、日本の企業が喜びます。日本の企業だけが喜ぶのではありません。
 日本は原料輸入・製品輸出の国ではないのです。平成になり、製品輸入の方が原料の輸入よりも多くなりました。製品輸入は6割以上を占めています。どこから来ているのでしょうか。今物をつくっても売れなくて困っているアジア地域から来ているのです。1980年代後半から、日本の直接投資が進み、現地製品を日本が輸入するという形ができ上がっているのです。アメリカは世界最大の債務国ですから、長期的には買い支えられるわけがないんです。日本だけがそれができる。
 置き場所がなければ、買えない。どこに置いたらいいのか。家電も冷蔵庫が1つあったら十分。テレビも1つあれば十分ということになれば、それを増やしていけばアジア地域も喜ぶということです。
 それだけではありません。多自然地域で建ぺい率2割のところに、比較的ハイカラな生活ができると、人々はどうするか。どうせ、こういう山の中、あるいは海辺に来た。ならば、その地域に応じた花を植栽してみよう。実の成るものを植えてみようということになりませんでしょうか。四季折々の変化を楽しむために、庭にその地域の風土に合ったものを植えるでしょう。きれいになります。景観効果が出てくる。景観効果が出てくると、人が見に来ます。「いいですね」といったらうれしいですから、誇りも生まれ、観光効果が出てくるのです。
 それだけではありません。カキでも、トマトでもキュウリでもエンドウマメでもということで、自分の家庭でつくったものをちょっと食べてみるとしますと、農業効果が出てきます。日本の農業は今お年寄りと女性が担っている。そして、大半が兼業農家です。ですから、兼業のまねをする。農民になることはできませんので、そのまねをする。
 自分でつくったものを食すれば、プロの腕前に感心することにもなりましょうし、子供たちには物すごい教育効果が出てまいります。
 景観効果、安全効果、観光効果、教育効果。また、仮に地震が起こった。そうすると、公園に仮設住宅をつくらなくても、庭があればそこに仮設住宅をつくれますから、家財も身近で運び出せる。さらに、自分の友人、親戚縁者が、阪神・淡路大震災のようなことが起こった場合に引き取れます。神戸ではできなかったんですね。子供部屋をあけようといったってできない。寝室をあけようたってできない。来る方だって、気づまりでできない。だから、「頑張ってくれ」と励ましに行く以外なかった。引き取れないんです。安全効果もある。いろいろな効果が出てまいります。

 そういう政策を今こそやるべきである。今までこういうものがなかったかというともちろんあったわけです。田園都市国家をつくろうという理想はもう既に1907年からあります。田園都市というコンセプトは外来語です。何の訳かというとガーデンシティーの訳です。これは誤訳です。ガーデンシティーは田園都市ではありません。庭園都市です。庭のある都市、都市生活の中に庭があるということで、田畑は不可欠ではないのです。
 ガーデンシティーの源をたどっていきますと、日本です。イギリス人のハワードが、1898年に『真の改革に至る平和な道』というタイトルの本を書き、第2版の題名を『あしたの田園都市』(ガーデンシティーズ・オブ・トゥモロウ)として、未来の都市はガーデンシティーズでなければならないと主張しました。これは都市計画のバイブルとされ、皆様方もお読みになったと存じます。地域計画、国土計画にも影響を与えてまいりました。
 しかし、日本の場合、都市周辺に市街化調整地区として緑を残してきた以外、田園都市の建設は、ほぼすべて失敗した。今や都市民はウサギ小屋とやゆされる狭い居住空間に押し込められて、首相が施政方針演説で、生活空間倍増計画を打ち出さざるを得ないような状態に立ち至っています。
 なぜ失敗したのか。私は、ガーデンシティーの理念には学ぶべきものがありましても、イギリスのまねをしてもうまくいかないと思います。
 19世紀末の都市の劣悪な生活環境というのは物の本に書かれている。例えば、簡単に読めるところで、エンゲルスの『イギリス労働者階級の状態』という本もあります。いかにすさまじいか。全く緑がない。
 イギリスの都市は城壁で囲まれた人工空間です。城壁の外にフィールドが広がっている。街の中は緑がない。その緑をつくり始めたのは、19世紀に公園の思想ができ上がってからです。もちろん、王宮の前には馬場として緑の空間がありますけれども、一般市民が使える公園は19世紀後半からです。
 それを日本が、あたかも昔からイギリスやヨーロッパにあったかのごとくにして入れてきて、都市の中にあった庭をつぶしてきたというのはまことに残念です。
 ともあれ、そういう都市の劣悪な生活環境から人々を救おうという使命感を持ったハワードは、本の序文で、その切実な思いを最初にこう書いていました。「いかにして、人々を土地に戻すか。天空を持ち、そよ風が吹き、太陽が温め、雨露が湿りけを与える我々の美しい土地、それは人類に対する神の愛の具体的あらわれそのものである」。しかし美しい。そういう面がイギリスにないのかというと、ある。イギリスの農村、カントリーサイドにある。広い猟をする庭、スミレの香りの漂う森、新鮮な空気、サラサラ流れる小川がある。彼はそのような農村のよさを都市市民が享受できる方法を模索する過程で、「都市と農村は結婚しなければならない」という命題を生み出し、ガーデンシティーという概念に結晶させたわけであります。
 イギリスでは、ハワードのガーデンシティーの構想は、本の出た翌年、ガーデンシティー・アソシエーションというものが設立されまして、1903年にはリッチワース、1920年にはウェルビンにガーデンシティーが造成され、ハワードはそこに移り住んで生涯を全ういたしました。
 日本人はすぐそれに反応しました。1907年に内務省が、「田園都市」という報告書を編んでいます。第1章は「田園都市の理想」と題され、こう書いております。「都会生活の短所を補わんがために、都の人々を郊外の地に移して、新たに農村の様相を交えたる。新団体をつくらしめんとするがごときは、まさしく最近の理想たるを失わず、これ、いわゆる田園都市の新計画にして、往々、花園、菜園を中心とするがために、世人はこれを花園都市ともいえり」。河上肇も、これを花園都市として紹介しております。田園都市というよりも花園都市という方がよかったかもしれません。
 もう1つ注目すべきことは、このときの内務省の日本の官僚たちが、翻って、日本の生活景観はどうかということで、全部で2〜3章あてているのです。そこで彼らはこう書いています。「田園都市、花園都市の名は絶えて我が国に聞かざりしところなり。されどその実態につきてこれをいわば、平安の旧帝都に見ずや。山紫水明最も天然の風光に富み、春は東山の桜狩り。人はさながらに雲霞のうちを行くごとく、秋は西山の紅葉、2月の花よりも紅にして、道行く人の杖をとどめしむ。清渓玉のごとき賀茂の水、翆緑したたるがごとき吉田の森。かかる自然の風姿は、それいかばかり都人の塵境を洗い去りて、一段の壮気を与うるなからんか。禁裏を中心として東西に開き、南北に通ずる街区の整然たるは、ヨーロッパの使者が近ごろ、理想の都市として推奨する方形もしくは長方形の街区をば、直ちに旧帝都に実現したるものにあらずして何ぞや」。既に日本にそれがあるといっているわけです。
 さらに「時は古今を隔て、地は東西を分かつも、田園都市の実態がつとに我が国に現実せられ、今たまたま泰西の識者が新たにこれを唱えて、主要の問題となすに至りしは、すこぶる奇とすべきを覚える」。そして、それは単に現帝都、旧帝都だけか。そうではない。「地方の都市にありては、山により、水に臨みて遠くこれを望めば、人家いずれも緑樹の間を隠見し、たとえ戸ごとに農園を備えずとも、天然の光景より、これをいわば、多くの都市はおのずから田園の仕儀を得ざるはなし」。
 地方都市だけではない。それは村落もそうである。さらに、村落に民家。「菜園、木を翻して、博労、緑をみなぎらすのところ、鶏犬の声相聞こえて、そろばんの目のごとき整然たる田の面。松、杉、雲にそびゆる森のここかしこに望遠の散点するさま。さてはその間に四季折々の草花が、籬の根をいろどれるなど、自然のたまもの、かくのごとくに天然の美を集むる一幅の絵画は、遠今至るところの農村にこれを見らるべし。これに冠するに花園都市の名をもってするも、だれかこれを不可なりとせんや」。こういうふうにいっています。
 そして、こう断言するのです。「されば、我が国の都市、農村は、その形よりいえば、つとにヨーロッパ人種の唱導せる田園都市、花園都市に比して、むしろまされることありとも、決して劣るところなきを見るべし」。こう断言しているわけです。
 要するに、ガーデンシティーの名こそ日本には知られていないけれども、日本には平安の昔から、首都、地方都市、農村といわず、ガーデンシティーにあふれているというのであります。ヨーロッパが理想として追求し始めたガーデンシティーの景観を、日本は既に実現している。
 ところが、過去100年余り、ヨーロッパが克服しようとした緑なき都市景観を日本が追いかけてきたというのは、何とも皮肉の限りであります。
 なぜ、日本はガーデンシティーの建設に失敗してきたのか。誤訳が1つということです。
 もう1つは、私もイギリスに6年おったんですけれども、イギリスに行かれますと、イングランドというところは山がありません。ヒル、丘はあるわけですけれども、山がない。ですから、日本とイギリスの自然景観は全く違う。イギリスにおけるカントリーサイドは、日本では山です。カントリーサイドに花園都市をつくるということでありますと、我が国の場合には、山に森の町をつくるということにならねばならぬのです。
 山から水を集めて伏流水や扇状地にいろんな田んぼや畑ができている。そういうところにどんどん都市を広げていって、田園都市の名のもとにつくって、結果的にはそこに都市化を蔓延させていくということになっている。むしろ、日本の景観は、山と海と両方から成っているのですから、海の幸、山の幸の両方を享受できるようにし、その間にある中山間地域は、田園地域としてあまりさわらないのが理想でしょう。
 日本は、イングランドと違い、農村も都市も平地にあります。平地を城壁で囲って都市をつくったのがイギリスです。一方、山がちの日本は、山が城壁のかわりをしている。その風土の違いを考慮しますと、ハワードのいう「都市と農村の結婚」は、日本では臨海地と山間地の結婚と読みかえねばなりません。縄文の昔は、海の幸と山の幸とは相互補完の関係にありました。ハワード100年にもし学ぶべきものがあるとすれば、ガーデンシティーをこれまでのように、狭い臨海平地につくるのではなくて、縄文時代の海と山との交流に学んで、自然豊かな山間地域において、森を育てるガーデンシティー「森の町」の実現可能性を探るということではないか。

 そうはいっても、山は寒いし住めないだろうと思われるかもしれません。実は、私ごとで恐縮ですが、京都の盆地で生まれ、東京で仕事をしてまいりましたが、2年前から標高1000メートルのところに住み始め、山の民になりました。先ほど申しましたことは、ことごとく真実です。すなわち内需が拡大する。1反の土地を求めて、庭をとり、上下合わせて80坪のプレハブ住宅をつくってみたのです。そうしますと、生活スタイルが根本的に変わりました。
 1つには、車です。車は公害を出すので、車社会反対の先頭に立っていたのですけれども、山に行きますと車が要ります。免許を取りました。そうすると、今は3台にもなった。どうしてかというと、人がくれるんです。「廃車にする車があるから、使ってくれ。置くところがあるだろう」ということで、車をいただく。ただでもらっても、保険代とか、名義の切りかえとか、車検とか、なかなか高くつくのでありますが・・、ともあれ、内需が増える。
 人が泊まりに来ます。卒業生、親戚、友人、子供を連れて来る。そんなことは前はめったになかったのです。それが2年間でもう40組以上になっております。
 彼らにレンタカーをして勝手に使ってもらう。彼らは勝手に見て回るわけです。彼らが若干長期に滞在するということになれば、家財道具も増やさなければならない。内需が拡大する。そして、その地にふさわしいような植栽を始め、土いじりを始めた。きれいになって、「きれいですね」といわれるとうれしいので、またきれいにする。また「余計きれいになりましたね」ということになります。教育効果も、観光効果もある、自給効果もある、そして、これが日本の生き方の1つの選択肢になれば、経済効果も出てくるということなわけであります。
 そんな小さな実践をしながら思うのでありますが、山、高、山間地域に対して新しい目を向けてみるということが、今求められているのではないか。
 日本のアイデンティティは、島と庭にあります。Japan as garden islands です。私は長野の追分軽井沢に居を構えましたが、長野県に尖(とがり)石というところがありまして、そこに縄文の遺跡があります。すばらしく景色がいい。それから三内丸山も参りましたが、あそこも景色がいいですね。縄文時代が長く1万年も続き、土器がいろいろ凝っているのか。そこには芸術性がある。それを人々は火焔式土器と表現して、美の特徴を議論される。弥生式土器は機能的なだけで、味がない。
 縄文文化の背景にあるのは、住んでいる地域がきれいで、見晴らしがいい。これは安全の面もあったでしょう。同時に、きれいなところに住んで審美感を培ったに違いない。私は、例えば尖石で発見された「縄文のビーナス」を見ながら、こういう美の感覚を持っているのは、周りの景色が美しいからであり、山が人間の気性をつくるというのはそのとおりであると思いました。
 四角四面のコンクリートの中で生きている子供の心象風景を思いますと、これは貧しくなるのではないかと危惧します。そういう生活の仕方しかできないとなりますと、やはりぐあいが悪い。人間は、生まれ育った景観に応じて世界をイメージします。どういう生活景観を提示するかということは、子孫に対する我々の責務である。
 美しい景観が北海道から九州まである。その日本の姿を改めて見直したい。日本の国づくりの神話に、イザサギが「ああ、よきおなごよ」、イザナミの方が「すばらしい男よ」と見合いをして結婚をして最初に産んだのが淡路島、次に伊予を産み、筑紫を産み、隠岐を産み、佐渡を産み、対馬、最後は秋津島、8つの島を産んだ。日本は島国です。
 それだけではありません。「島」という言葉に注意して万葉集を繰っていかれますと、「鴛鴦の住む君がこの山齋今日見れば馬酔木の花も咲きにけるかも」「磯影の見ぬる池水照るまでに咲ける馬酔木の散らまく惜しも」という歌がある。解説をごらんになりますと、島は庭と同じ意味で使われていることが知られます。
 池の中につくられた中島が庭である。注目したいのは、掘られた池の周囲は、海の荒磯を表現するように、石が組まれる。庭は海洋に浮かぶ島なのです。これは中国の蓬莱の島などの神仙思想から来ているのですが、それを日本はつくった。海の景観を模して庭、すなわち島がつくられた。それを専門用語で「海景模写」というそうです。以来、海景模写は日本庭園史の基調をなしている。平安期に『作庭記』がつくられる。造園技術書ですが、その根本思想は石が欲するように石を置く、自然に従うということです。庭は自然ではなくて人工を施した第二の自然です。その庭を我が国ではあたかも自然のごとくに表現するという作庭哲学を立ててきたのです。それが庭の原点になる。
 こうして見てきますと、美しい日本のアイデンティティとするべきは、島と庭が一体になっている庭園の島、ガーデンアイランズであると思う次第であります。

 こうした日本の生活景観を、やがて専門家集団が意識的にするようになる。わび茶です。お茶が戦国時代に武将の間でたしなみとして流行し、わび茶ができ上がります。お茶をいただくのには、市中に山里をつくる。「市中の山居」という景観がつくられたわけです。江戸時代に、戦国武将から大名になり、茶室、茶庭を持つ。大名庭園が江戸の町々のほか、各地の城下町につくられる。庭をつくるのは町人、つまり植木職人ですから、植木職人がみずから栽培技術を持っているので、自分たちの狭い長屋にもつくる。日本じゅう緑にあふれるということになるわけです。
 「市中の山居」は堺の商人たちが自分たちの茶庭についていっている言葉で、これは16世紀にヨーロッパから日本に来た宣教師たちの報告書に出てくるのです。
 ヨーロッパとの交流が長崎を通してオランダ人だけに限られたときに、オランダ人に紛れて、ドイツ人のケンペルが来ています。ケンペルは博物学者であると同時に医師であった。博物学というのは植物が中心であります。植物は何が薬草であるかという効能を見きわめねばならないので、医師と博物学は一体であったわけです。彼は1690年に日本に来て2年間滞在するのですが、その間に長崎と江戸の間を往復するわけです。彼は博物学者の目をもって日本の生活景観を書いています。その一節に、こう書かれている。「ここ日本には美しい花や葉の野生植物が他の諸国に比べて断然多い。これらの花が季節季節に広い野や狭い谷を美しく色どっている。しかも、これらの野生植物は住居の庭に移植され、栽培されて、いろいろな品種に改良されている。それらの中で品位の高いものは、ツバキ、サツキ、シャクナゲである」。大変な眼力です。
 ツバキ、サツキ、シャクナゲというのは、アヤメなども含めて大名が非常に大事に育てたものであります。例えば、将軍秀忠は、広島のツバキを大変に愛しました。「あの広島のツバキがまだ届かぬか」とかいうようなことをいっているわけです。「まだでござりまする」てなことでやっているわけです。
 それくらい各藩は、それぞれの地域にしか育たないものをつくる。肥後六花はその典型で藩外に持ち出した場合には打首になる。丹精込めて、みずからの風土に合ったみごとな花々を栽培していた。そうしたものをケンペルは見ているわけです。
 そして、「菊やユリには数え切れないほどいろいろな品種がある。菊は栽培によっては、バラほどもある大きな花が咲き、庭を飾っている。ユリは山野に咲き乱れ……」このユリこそは、イギリス人がこんなに美しいものがこの世の中にあるのかと賛嘆したものです。それが山野に咲き乱れている。その情報を最初に持っていったのがケンペルです。
 「スイセン、アヤメ、ナデシコなどの花の咲くころの自然は、他の諸国では全く見られぬ美しさである。日本の家屋がどんなに粗末であろうとも、必ず目を楽しませる若干の草花が見受けられるのである」等々、このようなケンペルの記述からほうふつする日本のイメージは、決して、力の国、パワフルステートではありません。美しい国、ビューティフル・ステート、プリティ・カントリーであります。それが1690年代。
 それから150年後に日本は開国される。その間に日本の園芸文化はますます隆盛をきわめます。その帰結を見るわけですから、幕末維新期に来日した西洋人は、美しい園芸の国の姿をもっと増幅する形で、現実が期待を裏切るどころか、期待以上の美しい日本の自然景観・生活景観にを目のあたりにするわけであります。
 例えば、そのうちの1人、イギリスのいわゆるプラントハンター、旧ガーデンのバンクスが派遣する世界の植物をイギリスに持って帰って、それを品種改良して、イギリスの貧しい土地に植えていくということをやっている植物の狩人の1人、ロバート・フォーチュンは、キュー・ガーデン(イギリスの王立植物園)の命令を受けて、1860年、61年、開国してすぐ2度来日して、鑑賞用の園芸植物採集を目的にどこを回ったか。大名庭園ではありません。農家や寺を回るんです。なぜかというと、「あ、どうぞ、持っていってください」「きれいですね。beautiful! May I have it?」「ああ、どうぞどうぞ、なんぼでも持っていってください」と、日本の大衆は親切にさしあげた。
 そして、彼はこう書きました。「もしも、花を愛する国民性が人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人々は、英国の同じ階級の人たちに比べると、ずっとまさって見える」。つまり、彼が回ったところは低い層の人々だった。全く比べものにならない。脱帽である。じゃ、中級の層、上級の層ではどうでしょうか。もっとすごいです。要するに、イギリス人は文化的に日本に脱帽していたのです。
 イギリス人だけではありません。ドイツ人シュリーマン、トロイやミケナイを発掘したあのシュリーマンは、1865年に来日して、こういう記述を残しています。「日本人はみんな園芸愛好家だ。日本の住宅は押しなべて清潔さのお手本になる。日本人が世界で一番清潔な国民であることは議論の余地がない。日本の家には必ず庭がある。庭には水槽や、小さな庭石で縁取られ、扇の形の尾をした金魚でいっぱいのモデルのような池がある。もし文明という言葉が、物質文明を指すならば、日本人は極めて文明化されていると答える。なぜなら、日本人は工芸品において蒸気機関を使わずに達することのできる最高の完成度に達しているからである。それに教育はヨーロッパの文明国以上に行き渡っている。支那も含めて、アジアの他の国では女たちが完全な無知の中に放置されているのに対して、日本では男も女もみな仮名と漢字で読み書きができる」こういう次第であります。
 そのほか、明治初期にやってきたトーマス・クック。大旅行会社の創始者ですけれども、彼は瀬戸内海を見て茫然自失するわけです。日本を必ず世界旅行に入れました。こんな美しい国はない。そしてまた、貧しいといわれた東北地域を明治11年にイザベラ・バードは秋の米沢平野に見た景観を1つ1つ植物の名前を書きながら、「これは鋤で耕したんじゃない、鉛筆で耕した。しかし、これは非現実的なものではない。これが世にいう東洋のアルカディア、理想郷である」。こう表現をするわけであります。そして、日本アルプスの命名者となりましたイギリス人ウエストンは、日本の山々の美しさに深く魅せられていました。
 このように、日本は、生活景観・自然景観が美しいという強い印象を与える国として西洋史、世界史の中に登場したのです。日本と西洋の出会いは、力の西洋と美の日本の出会いである。力の文明と美の文明の出会いであった。この国は花と緑の織りなす庭園のような島国、すなわちガーデンアイランズとして登場したのです。
 それは西洋人のあこがれを誘い、フランスにおいてはモネなどの印象派に代表されるジャポニスムスが盛んになり、モネのジヴェルニの庭の原型は日本であります。池を掘る、そしてスイレンを植え、太鼓橋をかけ、フジを植栽する。これは浮世絵・版画から来た日本の庭のイメージです。彼はそれを絵にかいて世界の人を魅了しました。しかし、絵は売ったけれども、庭は国家に寄付したのです。これは公共財産である。そのインスピレーションはどこから来ているか。我が国から来ている。それを日本人は、この150年間で1つ1つつぶしてきたのです。



【2】近代世界と日本の軌跡

 日本人も西洋に対して一目置きました。どういう一目の置き方をしたか。近代日本の建設には薩摩、長州が日本を指導しました。薩摩、長州はそれぞれイギリスに戦争で負けております。横浜の生麦というところで薩摩の行列をイギリスの青年が馬で横切った。「無礼者」ということで、リチャードソンという青年の首を落としてしまうわけです。その報復で鹿児島を砲撃する。鹿児島人は目が覚め、これからは攘夷一辺倒ではいけないということになります。すぐに青年をイギリスに派遣するのです。
 また、長州は、1863年、下関を通る西洋の商船に対して嫌がらせをする。これに対して砲撃事件が四国連合艦隊によって起こされ、長州がやられるわけです。長州と薩摩は、ともにイギリスに対して「とてもかなわぬ」。何にかなわぬかというと「あの軍事力に」ということで、薩摩、長州が明治維新の指導者になって最初に何をするか。明治4ー6年かけて見に行くわけです。
 どこを見に行ったか。欧米視察ですけれども、一番記述の長いのがイギリスです。イギリスに4カ月もとどまり、イングランドじゅうを鉄道で経めぐるわけです。軍事工場、造船所、鉄工所、機械工場、紡績工場、こういうところをつぶさに回り、絵にまでかいて、工場というのはこういう形をしている。ここにはどういうものがあるかということを、文庫本で300ページ以上にわたって書いている。
 ところが、全然書いてないことがある。鉄道時代にイギリスじゅうに張りめぐらされた鉄道で回っていますが、現在、私たちが見ることができるのと同じイギリスのカントリーサイドを見たに違いありませんが、何も書いてない。そここそ、イギリス人が最も誇ったところである。イングランドのカントリーサイドのジェントルマンのライフスタイルこそ、イングランドの誇りなのですが、そこのことを全く書いていない。イギリス人は都市化をもって決して近代化だと思っていないのです。彼らは都市で恒産をなせば、カントリーサイドに戻る。必ずしも、自分のふるさとではありません。気に入った地方に行って、屋敷を借りたり買ったりしてそこで住む。それが彼らの理想です。それを見ているけれども、全く書かない。なぜ書かなかったのか。
 推測ですが、書くに値しなかったに違いない。当のイギリス人が感心するほど、日本の方がきれいなわけです。彼らが最初に見た日本の農業景観は、田植えが終わったときです。1859年7月1日に横浜が開港しています。田植えが終わった後ですから、整然と田んぼに並んだ苗を見て、これは庭だと思った。農業じゃない。人間が手で植え、雑草を全部抜き取り、たんねんんに世話をしている。これを見て、日本に農業がないと彼らは思うわけです。何があるか。園芸だ。「日本の農業は園芸なり」というのが彼らの日本農業観です。
 日本農業は園芸。日本の都市は真正の「園芸」の最たるものでした。日本全体が園芸であったのです。それだけでなくて、日本は山を借景にして生活していますから、日本全体がガーデンに見えた。そういう生活景観を持っている日本人にとって、イギリスに回っても、カントリーサイドが美しいといっても「ああ、そうか」ぐらいで終わったと思う次第であります。

 日本人は、イギリスの軍事力の源泉が経済力にあると見抜き、殖産興業政策を起こす、それを都市でつくっていくということになりまして、その帰結が、我々が今持っている都市景観です。
 戦前から一貫性しているのは戦後復興の中で、第1次国土計画、すなわち昭和37年の拠点開発方式、第2回目の大規模プロジェクト方式、これらは戦後復興、すなわち戦前以来の同じ国づくりの流れの中で起こってきたわけですから、我々はヨーロッパがそこから脱出しようとした都市工業の景観をつくってきたというわけです。
 そうせざるを得なかったという面もある。といいますのも、ヨーロッパは全陸地のわずか3.3%を占めるにすぎません。しかし、1800年で全陸地の34%を支配しております。1914年になりますと、全陸地の84%を彼らは支配していました。植民地にならないためには、彼らと対等に渡り合うだけの経済力、軍事力をつけねばならない。ノー・チョイスだったと思うのです。
 日本は富国強兵の国づくりを国家のスローガンとし、今世紀のうちに達成いたしました。その功罪は半ばいたします。戦前期には軍事大国として、西洋列強に並ぶ一等国になった。戦後は自他ともに認める経済大国になった。こうして富国強兵の実を挙げました。
 一方、軍拡競争の帰結としての未曾有の敗戦、そして冷戦時代のソビエト、アメリカが、それぞれ、ソビエトは経済が破綻して軍事力をもう拡張できないということで、国家が解体しました。アメリカは世界最大の債務国に転落しました。これからは軍事立国はできないということで、軍縮が世界の趨勢になっています。
 軍事立国をやろうとしたサダム・フセイン、あるいは今それをやっているかに見える北朝鮮は、国際社会から総すかんを食らい、大衆が飢えている。軍事立国はもうできない。ただ、軍事紛争はあるでしょう。それをどういうふうに国際的に一緒になって処理していくか。軍事力を警察力として国際社会における紛争を共同して処理するものに変わっていくと思います。けれども、軍事立国それ自体を目的にするということは、我々人類はもうしないと思います。
 経済力は何のために使うのか。私は、これは冒頭で申しましたとおり、文化の成熟のために使う、人間1人1人の生活をよくするために使うべきだと思うのです。
 我が国も、国際社会も富国強兵の時代を終えた。日本は戦後は富国強兵じゃないだろうといわれても、アメリカの従属国です。アメリカは富国強兵でした。その中に入っていたという意味で、富国強兵時代の一環を担ってきたけれども、もう終わりました。私たちは新しい国の理念を立てるべきです。
 その場合、今申しましたような自国の歴史にかんがみ、そして、自国のアイデンティティとしてのガーデンアイランズに照らしたとき、この国は世界史に登場して以来広く認められてきた特性を持っている。それは自然との調和です。我々は「文化」という言葉を持ってなかった。文化というのはカルチャーの訳語ですから。その前に何といってたんでしょう。風景、風物、風俗のように「風」という言葉であらわします。今でいうカルチャーです。水際立って美しいとか、水とか風とかいう言葉であらわす。外か内かわからない縁側を持っていた。自然と生活とが対立しないようになっている。確かに、自然との調和は自他ともに認める日本人の特性であります。

 もう1つ重要なことは、繰り返し強調したいことでありますが、日本の自然景観が地球生態系のミニアチュアと賛嘆されることであります。同じ緯度にあっても、高低さがあるので、山岳、渓谷、盆地、高原、里山、平野、そうした綾があって、多様性に富んでいる。自然は四季折々に美をつくり出す。深山幽谷の興趣に満ちた自然の中で最も美しいと見られ、その象徴となってきたものは何か。内外において、富士山です。
 これは横浜に入ってくるわけですから、相模湾から見える。「Did you seeMt.Fuji?」、最初の言葉です。「Yes, I did.」「How lucky you are!」ということです。我々だって東海道新幹線を通って、「富士山が見えた。きょうはちょっとゲンがいいな」と思うのと一緒であります。やがて、漢字が読める外国人が出てまいりまして、山というのはマウンテンという意味だ。富士はどう訳したかというと、富士の富は「リッチ」、富士の士という字、あれはさむらいとは訳さない、もとの意味をとっています。「十」書いて「一」と書きます。「十」書いて下に「一」を書くのが富士の「士」という字でありますけれども、漢和辞典を引かれますと、書かれておりますけれども、学問をするものは一から始めて十に至る。そういう勉強をする人、学問を積んだ人、徳のある者をもって「士」という。これをヨーロッパはシビル、シビライズドという意味だということで、リッチ・アンド・シビルないしはリッチ・アンド・シビライズド・マウンテン、こう訳している。僕は、たまたまイギリスの百科事典で「ジャパン」の項目を引いていたときに見まして、「はあ、うまいこと訳しているな」と、思った。
 内外の人士から仰ぎ見られてきた天下の秀峰富士山は、広いすそ野をもって天高くそびえる。人間にたとえれば、広い視野を持って、高い志を持つ、その姿は品格に満ちている。だれが決めるともなく日本の象徴になった。それは地球社会に向けてはばたく日本の姿にふさわしい。たくまずして、日本の象徴になっている富士山のごとき姿こそ日本の理想といえるでしょう。富士の見えない地域があります。しかし、北は青森の岩木山は津軽富士といいます。南は鹿児島の桜島山、あれは薩摩富士といいます。象徴として富士のごとき姿に見立てているわけです。
 戦前期にヨーロッパ人に日本は美しいというイメージを持たれた。日本に旅行ブームが起こるのは、大正後期から昭和の初めであります。そのときに日本人の旅行熱の基本は何かというと、冒険してみたいとか、珍しいものを食ってみたい。違うんですね。美しい風景を見に行くというのが最も大きな旅行の動機でした。
 その美しい風景を描いた絵もできました。例えば、吉田初三郎という画家が日本の鳥瞰図を書くわけです。鳥取県と沖縄県だけ見つかっていませんが、全都道府県で見つかっています。例えば、八戸、鹿児島、堺、軽井沢などの画に、必ずかいてあるものがある。山です。山の中に都市がある。それだけではありません。海です。山が必ずかいてあり、海がかいてある。日本は山国であり、日本は海に囲まれた島国である。この2つのメッセージはどの絵にも共通しています。鉄道案内図です。
 そして、もう1つ。富士山です。広島をかいている。富士山は見えないはずでが、向こうの方に富士山が見えるんです。日本列島をU字型にデフォルメして富士をかくんです。福岡からも富士山が見える。それは日本の象徴は富士であるということを、彼はその絵をかくことによって伝えているわけです。
 富士山の言葉にこだわりますと、富士の「富」は、物の豊かさ、物質的な豊かさを意味しており、「士」は、心の豊かさを意味している。物・心ともに豊かという意味が富士という意味です。そのような字を日本人はあてている。「不二」とも書きます。2つとあらず、類例のないみごとな山という意味でます。富士は「rich and civi-lized」。清貧ではありません。清く貧しくではない。豊かで、しかも廉直である。これが大事だと思います。
 日本人が清貧などということを、本当に貧困な人たちの前でいえません。バングラデシュに、私は去年の2月にたまたま2週間ぐらい滞在する機会があり、ダッカの町や農村をまわったのですが、ダッカの街のスラムの子供はみんな裸で、汚物で汚い。そういうところで、日本は清く貧しく生きていくなどといえますか。purely and poorly でしょうが、ピュアすなわち清潔であるために、お金がないとできないわけです。第一、そんなことをいうのは偽善であり、傲岸であります。
 日本は1人当たり国民所得に直せば、先進7カ国の中でトップです。そういう日本人であってみれば、我々の先達のつくり上げてきた富は、幸運として受けとめる。これをどうして罪と思う必要があるのか。富の使い方が試されているのです。豊かで、しかし、シビライズドであることが大切です。これは日本の象徴の富士の意味です。
 日本は富国強兵を目指したといいましたが、富国強兵は確かにヨーロッパの形なのですが、ヨーロッパ人自身は自分たちが富国強兵だとは全く思っていなかったのです。どう思っていたのかというと、文明(シビライゼーションズ)であると思っていました。自分たちは、シビライズド・ネーションズである。ほかの地域はバーバリアンズである。だから、シビライゼーションを及ぼして、感化して、キリスト教圏的な文化圏に引き上げてやるという考えです。
 彼らが自分たちの文明の皮をはがしせば、そこにあるのは富国強兵以外の何物でもないことに気づいたのは近々20年のことです。ポール・ケネディの『大国の興亡』(草思社)がそれです。彼はアイルランドの生んだ秀才。アイルランドはイギリスの植民地だった。20世紀に独立しました。その秀才がオックスフォードに行って大歴史家サー・マイケル・ハワードのもとで博士号をとる。アイルランド人はイングランドに対し反発がある。なぜ、イングランドにアイルランドが植民地化されたのかという思いがある。彼は博士論文を書いた後、大国はいかなる条件によって大国たり得るかに論点を絞り、『大国の興亡』で、500年間の西洋史を見て、国際政治史は戦略論だけでやられてきた。しかし、経済力がないと覇権がなくなることに気づいた。
 17世紀オランダは大変な経済力を持っていた。その前の16世紀はスペイン。スペインはラテンアメリカから金銀財宝を奪って経済力があった。それで覇権国になった。スペインからオランダが独立して富を築いた。富の源泉は東アジア貿易です。17世紀はオランダの世紀といわれます。オランダのライデン、アムステルダムのミュージアムに行かれますと、ほぼすべての絵が17世紀にかかれていることからも分かります。富がオランダを覇権国にした。同じようにして、フランス、19世紀にイギリス、20世紀にアメリカに移ります。
 彼は、アメリカの経済力がソビエトに果たして勝てるかどうかは覚束ない。負ければアメリカの覇権はなくなるという意味のことを書いている。序文に「覇権国の基礎は経済力だ。その経済力が基礎になって、軍事力、覇権が確保できる。つまり、富国強兵が大国の条件である」。彼はその本を書いて有名になり、アメリカに引き抜かれて、戦略研究所の所長におさまった。
 そのことに日本人はその130年も前に気づいていたことです。富国強兵は日本人がつけたコンセプトで、ヨーロッパに原語を探そうといったってありません。
 一方、富士はリッチ・アンド・シビライズドです。これを富国強兵のように4つの漢字であらわすと、富国有徳になります。富国有徳の国は「どういう国ですか」と問われれば、「あの富士山みたいな姿です」といえば済む。各国から敬愛される富国有徳の日本というのは、21世紀の日本の理念たり得るのであります。



【3】美(ソフトパワー)の戦略

  ヨーロッパ近代は、経済力を上げて軍事力で他地域を侵略し支配していく時代であった。経済力とは生産力と消費力、軍事力は破壊力を本質としています。生産力と消費力を上げれば大量生産、大量消費になります。軍事力を上げれば大量破壊になります。経済力と軍事力を上げる富国強兵は、どうしても、大量生産、大量消費、大量破壊に結びついた。
 そういう力だけが力ではないと思います。ほかにも力の形態があります。魅力です。引きつける力。引きつけることによって相手に影響を与えていく力。経済力、軍事力がハードパワーとしますと、ソフトパワーです。文化の力とは、脅しや破壊力ではなく、引きつける力ですね。
 世界に異なる文化が幾つあるかというと、3000ある。いいかえますと、異なる民族が3000います。3000の異なる民族がそれぞれ違う衣食住の生活体系、違う価値体系、違う言語を持っている。それらの間には上下の差はないのです。キムチと日本の奈良づけとどちらがいいかといったって、好き嫌いの話で優劣を論じられない。手で食べるのと、はしで食べるのと、ナイフ、フォークで食べるのと、違いはあっても優劣はありません。自己の文化を他地域に押しつけるのは道義にもとります。
 しかし、ある地域の文化は広まる。例えば、日本が唐の文化あるいは明の文化を取り入れて、近代になりましてからはヨーロッパの文物を取り入れて、ヨーロッパの文化が広がっていったように、取り入れられた文化は中心性を持ち、広がりを持つことによって文明になる。文化はあこがれられて、中心性を持ち、求心力を持つことによって、文明になります。
 日本は間違いなく文化を持っている。しかし、日本は文明か。日本にあこがれて人々が来たことがあるでしょうか。2000年の歴史の中で日本にあこがれて人が来たことは19世紀以前にはありません。日清戦争に勝って中国の留学生が数百人来た。それが最初です。留学生はあこがれる地域に行く。日本への留学生はわずか4万人です。そして、外国の観光客も世界観光ランキング30位以下である。惨たんたる状態です。
 20世紀になって外国人が日本に学びに来たり、観光に来ることになり、それなりにあこがれられる国になりましたけれども、世界地域に影響を与える文明とはまだいいがたいと思います。
 これからは文化力は魅力をいかにつけるかを考えるべき時期です。
 国土計画が「地球時代」といっているのは言葉だけかと思われるかもしれませんが、そうではありません。そこには人類が今経験している、気がつかないまま静かに進行している空間認識の革命が背景にあります。それはどういうことかといいますと、地球を大気圏外から眺めることのできる時代に我々は生きている。それは近々、30年のことです。最初に飛び出した人はガガーリン、1961年。アメリカ人が月におり立ったのが1969年。そして日本人の毛利さんとか向井さんなども宇宙へ行く時代になった。
 地球の姿を外から眺めることができる。最近では、地球を earth といわなくなった。アースというのは陸とか大地とか土とかいう意味です。外から見たらば、球体ですから、globe です。グローブは青い水の惑星です。地球の表面積の7割が海で覆われているから青いのです。陸地というのは3割を占めているにすぎない。その3割を大小さまざまな陸地が占めている。日本人が今まで大陸といっていたものも、地球的観点から見れば、大きな島でしかないということです。
 地球的観点ないしは宇宙的観点から見たとき、つまり、今日の空間認識上の革命から見たときには、地球は大小さまざまな島々から成る多島海です。地球は外から見ると美しい。かけがえがない。そこに生命が営まれている。そういう共通イメージで見られている。地球に対する共通の感覚が育っている。コモンセンスを「常識」とか「良識」とか訳さないで、文字どおり、美的センスというときの「センス」、五感に訴えるという意味にとれば、共通感覚が育っている。地球は小さいけれども、美しい。美しい地球という共通感覚が育っています。
 宇宙から見れば、青い水の惑星である地球は無辺無窮の宇宙の中にあったケシつぶのように小さい。宇宙の中では文字どおり極小ともいうべき存在であります。
 一方、1人1人の人間にとって地球は地上で最大の存在である。地球は人間にとって全体性を持つ。全体性を持つ地球が美しく、かけがえがないという共通感覚でイメージされていることは、未来の国づくり、まちづくりにおいて、特に自覚するべき重要な価値基準になると思うのであります。すなわち、地球の共通感覚を国づくりに取り込むことが、時代を先駆けることになると思います。
 19世紀は、西力が東に及んでくる時代でありました。大隈重信侯がいわれましたように、東西文明の調和が20世紀前半の課題でした。後半は東西対抗の時代であった。しかし、これからの時代は、東洋への復古でもなければ、西洋文明の継承だけでもない。むしろ東西文明の成果は、日本文化の中に息づいています。次なる課題は、あたかも、神がみずからの姿に似せて人間をつくったように、地球の姿に似せて、日本をつくり上げることではないでしょうか。
 地球についての人類共通の感覚である美しい水の惑星の地球像のアナロジーで国づくりをするということが、グローブ、グローバルな力を持つことになるということであります。
 その夢を実現するのに、大平さんが既に、これからは経済の時代から文化の時代に移らなくてはならない。近代西洋にはそれなりのキャッチアップをした。これからは近代西洋を超える時代であるということで、田園都市国家構想と環太平洋連帯を打ち出された後。急死された。そのときに初入閣した代議士がいた。それが小渕恵三氏、40歳です。
 そして、小渕氏は「なるほど、こういうふうにして国づくりはするのか」と思われていたわけです。そして、20年の歳月を経て首相になって、「自分は大平総理が夢として実現できなかった田園都市国家構想と環太平洋連帯というものをやっていきたい」といわれまして、今度の懇談会を、その答申をもって実現するべき手段にしようということなのであります。

 時間がなくなりましたので、詳しく述べられませんが、田園都市国家構想のポイントは、ガーデンアイランズという言葉に出ておりますように、多自然居住地域の創造と、もう1つは、首都機能、新しい首都をどうつくるかにかかっています。
 各市町村は、例えば神奈川県の真鶴のように「美の条例」をつくるとか、大分県の湯布町のように、自然の高さ以上のものをつくらないという条例をおつくりになる。軽井沢町の条例では、建ぺい率は2割以下、建物は10メートル以下、そして、塀はつくらない、看板は出さない、ラブホテルはつくらない等々、条例で決めています。そういう条例をつくることによって、発信していくことが大切でしょう。
 国家がやるべきこともあります。中国文明を奈良と京都に自家薬籠中のものとしてつくり、欧米文明を東京につくったように、東漸してきた文明、チグリス・ユーフラテスから、エジプト、ギリシャ、ローマを経て、アルプス、ピレネーを渡り、そしてチャンネルを越えて、イギリスから大西洋を渡り、アメリカから入ってきた西洋の文明、ともに日本にあるわけです。西洋の文明を形にしたのが東京ですが、もうミニ東京が嫌がられています。東京時代は1つの時代を終焉したと思います。
 新しい国の姿をどういう形でつくるか。国土を人間の身体に例えますならば、首都というのはキャピタル、ヘッドです。その表情をどうつくるかが大切である。それは国がするべき事業です。ところが、国土計画の中に首都のことは書いてない。首都機能移転のことを論じる国会等移転委員会の方は、皇居のことをいわない。おくびょうです。おくびょう心を克服して、新しい首都は、日本は先進国で最も森が多いことを生かして、森の高さ、すなわち木の高さ以上の建物はつくらない。ガラスで覆えばますます燃えにくい。しかも、ガラス張りで透明性を高めるという意味合いもあります。それはともかく、新しいコンセプトで、森の都をつくっていく。田園都市は庭園都市といいかえ、町はこういう理念でつくるという模範が、国の顔としての新首都にできれば、突破口となって他の地域に波及していくだろう。
 日本の自然は、地球的生態系の箱庭のような価値を持っている。日本をガーデンアイランズに変えるということは、地球の生態系を生かしていくという意味合いがある。
 環境の破壊、森林の喪失について危機感が共有されている現在、日本人がお金を出すという貢献ではなくて、生活実践によって自然を育てることをしなくて、どうして外国に向かって偉そうなことがいえるかと思うのです。
 北海道から、本州、四国、九州を経て、沖縄にいたるまで日本は美しいガーデンアイランズという以外に形容のしようのないような姿をつくりえます。しかも、日本で閉じられているのではなく、日本はヤポネシアともいわれるように、フィリピン、インドネシアからオセアニアにまで半月状に島が広がっています。そこは文字どおりいろんな国、宗教、文化があるところです。
 文化的に豊穣である。西太平洋の豊穣の海である。「豊穣の半月弧」あるいは「豊穣の三日月」地帯。豊穣の三日月というのは、「肥沃の三日月」地帯という古代のチグリス・ユーフラテスの文明だった。こちらは未来の海に浮かぶ豊穣の半月弧ないしは豊穣の三日月地域をつくる前夜に我々はいる、そう思うのです。
 富国有徳のガーデンアイランズというのは、そういう志をもって今打ち出されているということでございます。
 時間になりましたので、終わります。ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口)
 どうもありがとうございました。
 残りの時間でいつものように皆様からご質問をお受けしたいと思います。ご質問のおありの方は、ご遠慮なくどうぞ、挙手をお願いいたします。

石黒(中央大学)
 中央大学の大学院で勉強をし直している石黒と申す者です。
 非常にいいお話をお伺いしたし、こういうことを考えておられる先生がおられると知って、日本の先もあるかなというふうに聞かせていただきました。
 先生がこういったお話をされる以外に、あるいは自宅をそういうところに構えられて、自分自身が実践される以外に、例えば研究会とか、そういうグループをつくって、こういう運動を実践していく形で何かやっておられるか。実践していくということは非常に大事だろうと思いますし、新しい首都の構想も、私も全く同じ考えで、新しい国をつくるには首都を変えるしかないということです。実は私の出身地は絞られた3つの候補の1つに入っているものですから、余計にそういうことを気にするんですけれども、それは別として、実践されている研究会、あるいはNPO的な形で何かやられるとか、そういうところがありましたら、教えていただきたいと思います。

川勝
 実践は必要ですね。私は研究会自体は持っておりません。早稲田で働いていたのですが、僕の全人格をかけて早稲田大学に買ってくださいと申請した資料をけられて、その資料が関西の研究機関に入ったので、早稲田を辞職して、関西に勤め先が変わったばかりでバタバタしています。もっとも、非常勤でやっている早稲田のゼミに大学院生や学部生、必ずしも早稲田の学生だけではありませんけれども、一般の人や他大学の学生が来ています。私が一方的に指導するのでなく、各自の発表にコメントし合って研さんしております。それが研究会といえば研究会かなとも思います。
 ただ、ガーデンアイランズをつくるために、庭園都市協会みたいものをつくって、何かやれるだけの力は僕にはありません。

清水(千葉大学名誉教授)
 きょうは、日本の自然のよさを教えていただいて、私のいつも考えているとおりのことで、そういうことを子供たちにちっとも教えてないんです。これを知ると自信と誇りを持つと思う。話の中に、自然、自然といいましたけれども、日本には昔からの言葉に「自然」という言葉はないんです。公園、パークという言葉も全然知らなかった。オアシスも知らない。ということは何かといったら、全部が自然の中にいるわけです。自然という概念も要らなければ、パークという概念も全然ない。全部が公園で、全部がみずみずしいオアシスである。そういうふうにいえば、よくわかるし、家庭といっても、西洋のファミリーとは全然違って、家と庭と書いた。庭のないうちはないんです。それは草花を植えるだけじゃなくて、ちょっと土を掘っておけば、あらゆるものはすぐ浄化されてしまう。いつもきれいでいられる。土を持っている。江戸の60%が大名屋敷で、実に緑が豊かだった。
 1つ触れられなかったのは、世界地図の中に日本を位置づけてみると、北緯35度の文明なんです。彼らは北緯50度の太陽の当たらないような、どうしようもない、体が白くなってシラコになってしまう。だから、力でいく以外にない。肉を食わなければいけない。我々は草を食うというおとなしい民族です。
 ユーラシア大陸の東でも西でもなくて、さらに海の中にいるということです。それが東洋文明でもない、西洋文明でもない、違う海洋文明になった。南北に長いから、亜熱帯から亜寒帯まである。いろんな影響を受けている。縮図といってもいい。日本は実に恵まれている。
 それから、もうひとつ、信仰のことですね。神道、神ながらの道といわれまして、だれから教わったんじゃなくて、1万何千年前から、自然と一体となろうとする神道、神ながらの道。天皇制も神ながらの道、日本語も神ながらの道、あらゆるもの、日の丸でも何でも、だれいうともなくそうなった。神ながらである。ほかの国は一神教ですから、絶対相いれない。彼らは鉄砲と十字架でもって世界じゅうを支配する。鉄砲を放すことができない。だから、アメリカでもあんなに子供たちが人を殺したり、血を流しても、鉄砲を放せといえない。彼らは気の毒だ。鉄砲をどうしても放せないということが、彼らの基本的人権になっているんです。放したら生きられない。日本は鉄砲もない、一神教でもない、何でもいれられる。
 そういう意味で、人類がこれから21世紀を生きていくためには、西洋型文明、力の文明ではだめなんだ。日本的な神ながらのような素直な、神代がそのまま歴史につながり、現在につながってくる。こういうものが世界にだんだんあらわれるようになったんじゃないかと思います。
 「日本待望論」なんて書いて、今までの文明だったら、人類はあと数世紀しか生きられない。もし将来人類があと数世紀生きたかったらば、どんな文明が一番いいであろうか。日本文明だとだんだん気がついてきた。そういう意味で、私たちに自信と誇りを持たせるようなお話をいただいてありがとうございました。

川勝
 ご立派な見解だと思います。16世紀に鉄砲がヨーロッパから伝来します。鉄砲を発明したのは中国の金という国です。それを元が応用して、元寇のときに使い、ハンガリーを攻めるときにも使い、それがヨーロッパへの伝来につながるのですが、元の後に明という国ができます。明の時代に鉄砲をつくらなくなる。非常に不思議です。鉄砲はヨーロッパで改良されて火縄銃、マッチロックとして日本に入ってきます。日本人は、1年でそれをコピーして、世界最大の鉄砲生産国、鉄砲使用国になる。ところが、江戸時代に鉄砲を使わなくなって、刀に舞い戻った。これは非常に興味深い。なぜ、鉄砲を使うことができ、つくる技術があったのに、やめたのか。
 日本は明治以降軍事大国にもなりました。しかし、日本史には、江戸時代における鉄砲放棄、戦後の憲法9条による戦争放棄の時代をもっており、それを多くの国民が受け入れています。鉄砲放棄以外の時代ももっていますので、単純に日本的なものはこうこうだといえない面もあると思うのです。
 それから、英語のネーチャーとしての自然はなかったわけですが、江戸時代、自然(じねん)という言葉がありました。おのずからなるという意味ですね。今では自然界の自然という意味で使うっことが多いのですが、日本という国には純日本的なものだけで成り立っているんではなくて、中国的なもの、ヨーロッパ的なもの、いろんなものが入っております。
 そんな中で近世以前は中国的なものが入っているんですが、中国でつくられているほどのものは、近世日本で全部つくっていますね。そのつくり方がなかなかすごくて、フロンティアのないところでつくっている。陶磁器も木綿もお茶も生糸も砂糖も、世界で消費財として使われているほどの物を、日本人はつくった。フロンティアのないところがつくるから、リサイクルです。リサイクルを目的にしたのではなくて、海外渡航を禁ずる。海外からの帰国を禁じた結果、フロンティアがない。国内だけで260幾つかの藩が、それぞれ自前で特産品をつくり、大阪で交換する。そうすると、風土に一番合ったものをつくるとになります。そして他藩に侵略できないので、各地がリサイクルして資源を大切にする。経済的目的であったのが、結果的に生まれた社会はリサイクル社会で、来日したヨーローパ人から見ると、全くむだがないわけです。
 これは美的感覚もさることながら、経済的必要に迫られてやった面がありまして、私がきょう申し上げたことは、単純に審美感だけに換言されたり、日本の平和愛好主義だけに換言されますと、見落とすものもあると思うのです。ただ、歴史の中に学ぶべきものがある。温故知新を申し上げたかったのであります。
 ヨーロッパの方はフロンティアをもった。アメリカ大陸を開拓しました。 日本も20世紀になりまして、ブラジル移民のように、ジャングルを開拓してコーヒー園をつくっていったわけです。それはよきことだったわけです。ところが今やフロンティアがなくなりました。ついにリサイクルをせざるを得ない。そのとき、鎖国時代の日本人の実績が効いてくるわけです。フロンティアがなくなり、互いに他国を侵略できない中でどういうふうにして国づくりをしていくのか、鎖国時代の知恵に学ぶことができます。
 私は、鎖国に戻れとか、懐古主義とか、日本中心主義を申し上げているのではありません。

清水
 いま、神ながらの道のことについてお答えがなかったのですが、日本の神道をどう見るか。それは非常に重要なことだと思うんです。
 鎮守の森というのは、自然を保護する。そのままの自然ですから。日本に8万軒の神社が1万年前からあるんです。だれも壊さない、神主も何もいない。一体これは何か。皇居も鎮守の森です。外国人が偉大な国だ、天子がどんな格好をしているか、モニュメントがあるかと思うと何にもない。森と石垣があるだけ。宮殿が全部1階建てです。国民の上にのしかかることは何もしない。これは何か。そういう宗教がやがて世界の宗教になれば、戦争も何もないと思うんですけれども、日本の神道が外国にない、これをどう考えられるか。

川勝
 そうですね。今いわれたとおり、神道には教典がありません。鎮守の森を見る以外にない。教典を学ばなくて済む。見て分かるというのは、これは文化の違いを越えて訴えうるものがありますので、そこが大事だと私も思うんです。
 これからの時代は、感性が大切です。美というのは、目に美しい、音に美しい、聞いている音が気持ちがいい、そうであれば世界じゅうに広まりえます。ベートーベンの音楽やモーツァルトの音楽がそうであり、あるいは潮騒、松籟、こうしたものには普遍性があります。フレッシュで腐ってない食物。これもやはり美しい食べ物ということになるでしょう。五感に訴えることやものはいずれも、真か偽とか、善と悪ではないのです。美か醜なんです。そういう文化の違いを超える美的感覚を形にしていくことが、これからの課題であろうと思います。
 特に、見た目に美しい生活景観をもつことは大事です。日本人は狭苦しいラビットハッチに住んでいる。それに対して日本人が言訳をして、1人当たりの所得に直すと外国よりもたくさん所得があり、家具だって高いというようなことを説明しなくてなたないようではぐあいが悪いと思うのですね。
 五感に訴えるという意味において、鎮守の森や神道にけがれを清めるというのがあります。汚れたものを清めるというところに本質があると思うのであります。
 それは単純なアニミズムでもありません。一木一草、全部いいというんではありませんから、汚れたものはやっぱり排するところがあります。選んでいるわけですね。神道の哲学は、説明は難しいと思いますが、見ればわかるという長所があるかもしれません。今のところ、私は後者の方が大事ではないかと思っているわけです。

和田(未来工学研究所)
  今のお話に関係するんですが、必ずしも、江戸時代の昔に戻ればいいということではなくて、私は、仮にガーデンアイランズとした場合、21世紀になったときに、じゃ、どういうものなのかということが一番関心があって、例えば、SF作家のアーサー・C・クラークという人はスリランカという島で、SF作品を書いています。彼は衛星通信の原理を発明した科学者でもあるんですけれども、その人は結局島の中にいながら、同時に地球レベルで、グローバルブリッジも体得している。単に島国に閉じこもってしまうということではなくて、例えば、インターネットみたいなものを使えば、島でありながら、地球全体が村でもあるということが体現できるんではないかなと思うんですが、そのあたりの先生のイメージは何か。

川勝
 同感です。島というと、離島イメージがあったんですけれども、皆さんの中で島出身の方がどれくらいいらっしゃるんでしょうか。・・いらっしゃらない。日本は島国だと申し上げているにもかかわらず、(笑)日本人は全員アイランダーです。ところが、島にマイナスイメージがある。世界島しょ学会の会長はオーストラリア人ですが、「私はビッグアイランドに住んでいる」という。世界全体がアイランドだという意味合いです。海によってつながっている。地球を見るということは、海によってつながっている島々のネットワークで地球社会を見るということです。今いわれましたとおり、江戸時代に戻って肥だめの近くで住むことを奨励しているのではありません。最新の技術成果を駆使することによって、我々は山間へき地に快適な生活空間をつくることができるということであります。
 その中で一番大切なのは、私は、人間の歩く道が整備されているかどうかだと思っています。文明は道であると思います。人は二足で立って人間になった。歩く道を大切にしない町は文化に欠けていま。
 モーターウエーをきっちり整備することも必要だと思います。
 イギリスで誕生した鉄道は、1830年にリバプールとマンチェスターの間で初めて走るんですけれども、これは日本で新幹線という最高技術を持つ鉄道に変貌し、今はリニア新幹線も射程に入りました。安全で大量に人々を運ぶことができる。モーターウエーとともにレールウエーも大切です。
 島国ですから、港がないとぐあいが悪い。ウォーターウエーというものも重要です。国際社会と結びつくにはエアウエーも必要である。これは旧来の交通インフラがあって初めて情報が生きてくる。島に閉じ込められていて、世界の情報があっても、人に会いたいけど行けない、持ってきてもらいたいものが持ってこれないとようではぐあいが悪い。こういう道のすみ分けを考えつつ、情報の時代の情報基盤を整備していくことを考えねばならなりません。
 私は関東平野の外に出ると決心したとき、家族がいますので、オーケーしてくれなければ移れないわけです。たまたまオーケーしてくれた。これは日ごろのコミュニケーションがよかったからと思うんです。そういう家庭内のコミュニケーションも非常に大事です。善は急げ、相手の気持ちが変わらないうちに、翌日には不動産業者に行って家を売りに出す。(笑)退路を絶つということですね。家は売れましたが、行くところが決まらないんです。我々は仮住まいを余儀なくされました。
 島にしても、山間へき地にしても、やっぱり不便です。インターネットさえあれば大丈夫だといっても、交通、街灯、病院、買い物など生活レベルで必要なものが整わない限り、都会に生まれ育った者は田舎には行きにくい。田舎の人は逆に都会にあこがれて来る。都会にとってもあこがれられるようなまちづくりをせねばならぬのです。
 それには都会にないものをつくる。魅力によって引きつけるくことが大切です。都会の便利さをある程度あわせ持ってないとぐあい悪いことが分かりました。高速道路があり、新幹線もオリンピックまでにつくるということで移れました。僕は実感しておりますけれども、多自然地域に居住するといっても、幾つかの条件が整わない限り行けない。
 さらに土地問題は非常に重要で、土地を所有していいものかどうか。過疎地の土地は安いので、借地物件がほとんどない。借地にして農業やろうと思ったら5反借りないといけない。初めから専業農家でやれと法は命じている。そんなことはできやしない。やっぱり定期借地権を充実していく必要があります。現在、定期借地権は50年です。あれを100年に延ばす必要があると思います。100年だと安心です。50年だと、借地を大切にしないんじゃないか。50年定期借地は感心しません。借家法の改正はまだですが、これからの時代はレンタルがよいと思います。レンタルとはいっても各人の生きている間は自由に借りられる制度に変えていく必要があると思いますね。この方面については専門家がたくさんいらっしゃると思いますけれども、法整備が大切です。

阿部(日清紡敏開発)
 
田園国家構想というのは、我々が本来の日本人の姿を取り戻すという意味では、非常にすばらしいことです。近々20〜30年の間に日本人の生活は非常に変わってしまった。先ほど来先生がおっしゃっていますように、非常に自然を大事にする。もともとは、国家の隅々まで農業で、木を植えて、そういうつつましい生活の中で、非常に友好的な隣人関係、自分の生活態度も身辺みぎれいにきちんとやるという、日本人が江戸時代に入ってきた外国人から非常に尊敬された清潔感とか礼儀正しさ、そういうのを持っていた日本人の生活があったと思うんです。
 急速にこの数十年で変わってしまったのは、生活の便利さとか、経済の合理性から考えると、農業中心の生活が当然破壊されてきて、お金が入るような、家族が全部、奥さんも含めてサラリーマンになってしまう。とにかくお金が第1。生活の便利さとか、物的な豊かさが生活の中の基準になってきているんじゃないか。そういう生活がいったんねじれてしまうと、昔のように自分の家を大事にし、自然を大事にするという生活がなかなか取り戻せないのではなかろうか。そこら辺のところが非常に矛盾するんじゃないか。現に、農村の至るところ、休耕地でペンペン草が生えている。日本の山林も、昔は非常に手の入った立派な山林がたくさんあったんですけれども、山林もそこで働く人たちがいなくなって、木が、林が荒れ放題になっている。山林が荒れるために、泥が崩れたり、川が荒れて、それが日本の沿海漁業を破壊しているとか、いろんな点で矛盾が来ている。
 本来なら、そういうことで、田園都市国家構想というのは非常に大事です。日本人の個々の生活の経済的な面と、国全体の調和をどういうふうに考えていくか。そこら辺のところは非常に大事だと私は思います。

川勝
 おっしゃるとおりです。都会の人の農業への転職は難しい。日本の専業農家が農民の中で占める割合は非常に少ないです。大半が兼業農家です。兼業農家とは農業以外になりわいがあるということです。しかし、それでも兼業の業がついている。業として農業をやるというのは大変です。しかし、農はおもしろい。それは物を育ててみるということです。
 そういう農をちょっとやってみると、花き栽培もそのうちの1つかもしれませんけれども、農の趣味はハイカラだと思われる時代が必ず来ると思います。農村、漁村を離れて都市のお金一辺倒の生活が行き過ぎて、今揺り戻しもありますが、農業をやるのは大変なので、ほかに職がありつつ、農業の物まねで農をやって楽しむぐらいのことならできるんじゃないでしょうか。
 森の話をされましたが、日本は国土の7割が森で、そのうち5割弱が人工林です。つまり、杉、ヒノキが生えているわけです。それもあまり利用しない。人工林ですから、人間の手が十分に入っている。あれは緑の砂漠だといった人もいます。つまり、下に雑草が生えないので、雑木林ができないので、砂漠に等しい。自然を愛する人たちというのはそういう言い方をします。
 いいかえますと、人工林は、場所によっては、そこに町ができると思うのです。森の中の5割の場所。そういうところは農業に向かないと思うのです。山あいのところ。しかし、住むことはできるだろう。
 長野県の例でいいますと、弥生文化は800メートルのところまでいったそうです。800メートルより高くなりますと、米が育たないので、縄文文化が残っていたというんです。米は熱帯性の植物ですが、今は津軽、北海道でも米はできるようになりました。いずれにせよ、高地は農業には厳しい条件ですが、住めると僕は思っているんです。
 山の町と海の町の真ん中に農村地帯が広がっている。こういう風土ですと、臨海地と山間地では農のまねごとだけでよいような生活形態をイメージできるのではないか。
 人工林を住宅に使う。日本の材木を使うことが大切じゃないか。木は炭酸同化作用で、酸素を放出しますが、光合成の物質代謝が豊かなのは若い木だそうです。老木になると、代謝量は非常に減るそうです。切れば、植えて、若い樹木を育てれば、かえって空気もきれいになるわけです。
 江戸時代に治水には治山をしないといけない。川下が氾濫する。山上から植林をしないと、治水はできないということで治山治水は一体でした。川は上流から下流まで一体である。山の上で木を使った生活をし、そこに植林する生活です。
 近代化の象徴として下水道が言われますけれども、大切なことは生活雑排水や汚水がそのまま河川に流れ込ませないことなわけです。汚水を浄化して土に返して、自然に返しさえすればいい。それは下水道でなくてもいいわけです。
 例えば、合併浄化槽が10年ほど前に非常に改良されました。生活雑排水と汚水を一緒に処理して土に返していく。土ほど水をうまく浄化する媒体はありません。土に返せば水は循環します。下水道は小さい町村ではみな赤字です。にもかかわらず、町長さんや村長さんが公約に掲げられる。最終的に一体だれがその負担をするのか。旧国鉄の赤字どころじゃなくなると思います。旧国鉄は民間のJRが一部肩代わりして何とか返していくことができる。だけど、こちらは税金で払わなくちゃいけない。
 地域に応じた技術があると思います。合併浄化槽の場合には、トレンチを土の下に通して土の中に水を返していくわけで、それなりの広さが必要です。合併浄化槽もどこでもできるわけではない。人口稠密の地域は下水道、過疎地域は合併浄化槽が合理的です。今のところ、下水道は建設省の管轄、合併浄化槽は厚生省の管轄で、それぞれ業者が結びついていて、必ずしも住民本位とはいえないと僕は思っております。こういう縦割り行政をなくすためにも、首都を変えて、行財政改革もあわせて行う。官僚の住まい方、働く場所のあり方も根本的に変えればやり方も変わるだろう。ちょっと余計なことですけれども、そんなふうに思っております。

村田(日本鉄道建設公団)
 きょうの先生のお話の中で、国土ということでいろいろとお話をいただいたわけですが、現実の既存の都市についてどういうふうにお考えになっておられるかということをお聞きしたいと思います。
 例えば、既存の都市は、日本の都市ですと、空洞化、市街地の活性化、都心3区の空洞化対策、そういうような既存の都市をどういうふうにするのか。そういうことを先生自身がどういうふうにお考えになっているのかということをちょっとお聞きしたいんですが。

川勝
 難しい質問ですが、都市では容積率を上げることが合理的であるとしか申し上げませんでしたが、中小都市の駅周辺が空洞化している。その問題をどう活性化するかとなるんですが、交通体系が変わると、当然大きな改変が起こるであろう。今その産みの苦しみだと思っています。現在の都市は駅がつくられて発展していったものです。
 ただ、駅周辺は道路が混雑して、車が入れない。郊外のスーパーマーケットに買いに行くことになって、町中の商店街が荒れています。
 では、町をつくり直して、道幅を広げて駐車場をつくればいいかというと、すごいコストがかかります。ですから、町の周辺に大きな幹線の道路をつくってみる。そこにどういう店舗はつくってはいけないと決めてしまうと、既存の商店街は荒れない。
 京都の新京極をご存じですか。河原町通りと平行している商店街道路です。道幅は5メートルほどで、車は入れていません。大変繁盛しています。車が入らないことにかえって発展しています。新しい幹線道路に面したところは住宅地にするとか、ゾーニングをして、幹線道路体と旧来の商店街をコミュニティーロードでつなぐ、コンセプトを変えることは1つ考えられると思います。今の中小都市の中心部の空洞化をについて、私もあまりいい案がないのです。
 申し上げられるのは、一貫して、あるところがずっと繁栄してきたということはなかったと思うのです。今日本の交通体系が東京中心からむしろネットワーク型に変わろうという意向を強めています。そうしますと、その中で衰退するところと発展するところが出てくるでしょう。摩擦をなるべく少なくするという方向で考えることができるだろう。
 町のコンセプトについても商店街ということだけで考えるのか。コミュニティーとして、集まる場所として考える。その場合は必ずしも今のような商店街をつくるために、通産省あたりが大金を出すということとは違う投資の仕方がなされていいのではないか。町とは本来何ぞや、それを考える時期になっているんじゃないか。中小の商店街が寂れているから、そのために援助をするということは、20年ほど前にもやったと思いますが、結局このありさまですから、同じことを繰り返さないために、また日本の国土が新しく生まれ変わろうとしているときに、どういう町づくりが望ましいかを住民と一緒に考えていくという時代になっていると思います。
 今衰退しつつあるものを止めるためにお金を使うのか。新しいコンセプトでつくり変えるのかということで、私は後者の方に賭けたい。後者の方向にしか活路はないとさえ思います。新しい多自然地域においてどういう町をつくっていくかということとあわせて考えるべきだと思うんです。
 多自然地域において人間が集住していく。当然そこに消費者がいるわけですから、いろんな供給者が出てきます。その供給者のつくり方は、町で考えないといけないですね。新しい町のつくり方と旧来の町の活性化は別個のものではないと思うんです。
 ミニ東京的な町はもうぐあいが悪い。住まい方を考える。働くための住まいではなくて、むしろ働いた後の、働いた成果を享受する生活の場をどうつくり上げていくかということが、生産から消費へと、つくる供給側の立場から、使う消費者側のライフスタイルが問われる時代になっていると思うんです。
 ライフスタイルが気持ちがいい町はどういうまちづくりになるのかなということは、これまでの生産拠点としての町のコンセプトを変えないと出てこない思います。

清水(千葉大学名誉教授)
 大事なことで触れなかった点で、日本人の美意識とか美感覚の中に、虫の音を聞いたときに非常に感動するんです。セミの声を聞いて。ところが西洋人は雑音と聞いてしまう。一体これはどこから来るのか。目に見えるものだけいったんですが、目に見えない水の音、そんなものは関係ないじゃないか。我々は、「静かさや岩にしみ入る蝉の声」、何ともいえない。中国でも韓国人にもわからない。我々は左脳で聞いているらしい。彼らは右脳で聞いているから、雑音として聞いている。なぜそうなるのかということで、私は非常に疑問を持っています。
 それは先ほど触れなかったけれども、日本列島というものの特色は、火山列島であり、地震列島であるということです。これが影響してないことはない。これが絶えず、世界の大きなプレートの4つ、太平洋プレート、北アメリカプレート、フィリピン海溝、ユーラシアプレート、これが年じゅうぶつかり合っている。それで地震になったり火山になったりして、風景もよくなりますけれども、それから何か霊波というものが出ているんじゃないか。日本人はここに何千年も住んでいるうちに特殊な脳になったんじゃないかという説があるんです。そうじゃなかったら説明がつかない。世界の中で虫の声に共感する、これは大したものですが、どうお考えになりますか。

川勝
 日本人が自然の中で培ってきた感性は類例のないものだと思いますね。だから、ほかの人にもそれをもてといっても、なかなか無理なので、よその国の人にはその国の美感があると思います。我々はよき感性を備えているのかもしれません。しかし、先ほどおっしゃったように、北緯50度の地域にセミを生かそうと思っても、セミが拒否するわけです。日本の風土の中で培われる感性は、単に目に見えるものだけじゃなくて、耳に聞こえる音も含めて全体で審美感を培うものであったと思います。幸運なことだと思う次第であります。

司会
 まだお話があるかと思いますが、少し時間を超過しましたので、きょうのフォーラムをこれで終わらせていただきます。
 きょうは川勝先生に大変興味深い、またこれから地域づくりを考えていく上で大変重要な点をご示唆いただいたと思います。川勝先生、どうもありがとうございました。(拍手)


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