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第138回都市経営フォーラム

ゼロエミッションからまちづくりへ

講師:安田 潤一郎 氏
 早稲田商店会会長


日付:1999年6月23日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

 

 

“エコ・サマー・フェスティバル in 早稲田”事始め

リサイクル運動の発展と商店街活性化

“いのちのまちづくり”へさまざまな実践

まちづくりの主役は誰か

自分たちのまちを自分たちでまもり、作る

 フリーディスカッション




 ただいまご紹介いただきました、新宿区にあります早稲田商店会の会長を務めております安井と申します。
 きょう 138回目の都市経営フォーラムに講師として出るようにいわれたのですが、正直いうと、最初はお断りさせていただきました。私は、こうやってしゃべって講師謝礼をいだたく柄じゃないし、まして先生と呼ばれるような立場でもありませんので、本業もありまして、お断りしました。過去 130何回の講師の方たちの名簿を見せていただきました。何と商店会長なんてだれもいない。いわば私が最初。だったら、一度行ってみるかということできょうここへ来てしまったんです。お集まりの皆さんの肩書等を見せていただいたときも、「こりゃ、来ない方がよかったかな」と思っている最中です。
 きょうは新宿区の出納長もお見えになっていますので、地元でやっていること、あまり大きなことをいうと、それは違うといわれそうですが、私から、何かアカデミックなことをお聞きになろうとは、皆さん思っていないとは思います。
 実践しかないわけです。だから、きょうは早稲田でどんなことをして、要するに、なぜこんなことを始めて、そして今何をして、これから先どんなふうになるというお話をさせていただきます。



“エコ・サマー・フェスティバル in 早稲田”事始め

 今、早稲田の町、早稲田大学とご紹介をいただきました。早稲田の商店会というと、「ああ、あの早稲田大学のあるあそこですね」と、よくいわれる。あれは間違いなんですよ。うちの町にある大学が早稲田なんですから。(笑)我々の方が先なんです。早稲田大学が真ん中にありまして、その周りを7つの商店会が取り巻いております。真ん中の早稲田大学は、我々は本部キャンパスというんですが、正確には西早稲田キャンパス。ここには学生が3万人おります。この周りを取り巻いている7つの商店会、そこに住んでいる地元住民の方たちが全部で2万2000人から2万4000人と考えております。
 ですから、8月の夏休み、お盆過ぎは町の人口が半分以下になってしまうんです。商店会長になりますと、商店会のメンバーさんから「早稲田の夏は寂しいよ。夏枯れ対策を何かやろうよ」という話が来ました。
 商店会長と簡単にいってしまいましたけれども、商店会長になるにはなるなりの理由があるんです。商店会長というのはなろうと思ったってなれない。またなりたいやつはあまりいないんですけれども。商店会長になるには一応PTAの会長をやらなきゃならないという不文律のようなものがあるわけです。PTAの会長をやるにはこの町で生まれ育ってこの町の小学校を出てないとなりづらいということがある。
 私は早稲田の町で生まれて、早稲田の町で育って、中学、高校が、早稲田中学、早稲田高校、大学は早稲田。ほかを知らない。親のやっていた商売の跡を継いでという形ですから、当然のように、私のところにPTAの会長役が来たんです。ただ、きょうお集まりの中には先生方もいらっしゃると思うんですが、学校なんてのは親がガタガタ手を突っ込むんじゃない、先生に任せておけばいいんだというのが私の持論でしたし、卒業以来、自分の出た小学校の門をくぐったのは、選挙の投票のときだけです。子供が2人おりますが、子供2人の運動会も授業参観も、何も威張ることはないんですが、行ったことがないんです。
 学校は学校に任せておけばいい、先生に任せておけばいい、親はガタガタ首を突っ込むんじゃないといっていた私のところに、ある日突然PTAの会長が舞い込んできた。地元の先輩に「安井、次のPTAの会長をおまえやってくれいないかな」といわれた。「勘弁してくださいよ。私のところは食料品スーパーで年中無休で、実際問題、こんなことやっていられませんよ」。次に校長先生がお見えになった。校長先生が「安井さんは、兄弟が4人、そして子供が2人、いわば6人がこの学校にお世話になった。お世話になった学校に恩を返すおつもりはございませんか」と、こういうんですね。即座に「ない」と答えたんです。(笑)私のところに小学校から注文来ませんでしたから、恩も何も感じてない。冗談じゃねえやと思って、「ない」と答えた。そしたら、校長先生は帰った。
 次に来たのがPTAの役員さんですね。PTAの役員のお母さんが5人来て、うちの事務所で、「安井さん、お願いします。やってください。安井さんがうんといってくれないと、次の入学式、PTAの会長なしでやらないとならないんです」。PTAの会長がいない入学式も乙なものでいいんじゃないかと思っていたけど、「お願いします、お願いします」と真剣に頼まれた。でも私できませんから、「勘弁してください」といって、お断りした。そしたら、その5人の中の1人のお母さんが、最後に、「こんなにお願いして、受けてもらえないんじゃ、あしたから稲毛屋さんには買い物に来れないね」なんて、目くばせするわけです。人の心臓を握りつぶすようなことをいうもんですから、「ちょっと待ってください。やらせていただけませんか」(笑)といって、2年間やった。
 PTAの会長を2年間やると、次に来るのは民生委員。民生委員が来ました。民生委員って何するのか知らなかったら、ひとり暮らしの年寄りに紫手帳というのを配って回る。あんまり格好よくないなと思ったんで、「嫌だ」といって断った。次が保護司ですね。保護司を20年やると勲章もらえるといわれて、「勲章要らない」と断って、最後に来たのが商店会長です。
 商店会の役員自体は私は20年前から入っていますから、いつかは会長をやるだろうなと思っていたけれども、まさかにこんなに早くなるとは思わなかった。商店会、商店会と商店会の話がよく出ますけれども、ご案内の方もいらっしゃいますが、商店会ってどんなものかお話ししますと、昭和の20年代は配給という制度があった。置いておけば物の売れる時代ですから、どれだけ組合から配給されるかによって、きょう1日の店の売り上げが変わるんですね。八百屋は八百屋の、肉屋は肉屋の、魚屋は魚屋の組合活動を一生懸命やると、きょう配給が多目に来る。組合活動を一生懸命やることによってのみ売り上げがアップするんです。ですから、組合活動をみんな一生懸命やったですね。しかし、昭和の20年代、真ん中過ぎには配給制度も終わり、30年代の初めから商店会活動が盛んになりました。小売店、商業店舗が集まっている商業集積としての商店会活動が大変盛んになりました。
 しかし、昭和30年代の真ん中、大阪の主婦の店ダイエー、今の大手スーパーのダイエーがスーパーマッケットという業態を開発して、それが定着することによって、商業集積としての商店会の使命は終わったんですね。しかし、昭和の30年代から40年代、50年代、60年代、今は昭和でいえば70年代、現状でも商店会活動はある。それも仲よしクラブであるんです。物を売ったり買ったりするつき合いの商店会の中で仲よしという精神論が中に入ってきた活動を、いまだに日本じゅうでやっているわけです。この商店会の会長に私はさせられたわけです。
 ただ、商店会会長になりますと、何をやらなきゃいけないのかということが気になりますので、いろんな人に聞いて回りました。今後、商店会というのは何をすればいいんだろう。そしたら、私にアドバイスをくれた人の中で、「商店会というのはこれから地域活動だよ」といわれた。「地域活動」なんてのは、商店会の方向の中、または定款の中等に1つも書いてない。地域活動なんてやるもんじゃないです。もっといったら、地域活動、いわばまちづくり。まちづくりだとか、環境なんていうのは、きょうは行政の方が大勢さんいらっしゃるということですが、そんなものは役所の仕事で、市民運動が自己満足でやっていればいいというのが我々の物の考え方でした。
 ですから、「地域活動、なんだ、それは」というふうに思っていました。でも、「物を売ったり買ったりする、いわば束ねやすい商店会というのは、実働部隊となって地域活動をやる。こうしなければ町はよくならないんだよ。お客さんというのはわいて出てくるものなんだ。汚いところには汚いものが、きれいなところにはきれいなものがわいて出てくるんだよ。だから、いい店をつくろう、いい町をつくろうと思ったら、自分たちできれいにする努力が必要なんだよ」といわれたんです。「ああ、そんなもんですか」と聞いただけで、私はそういう活動もしなきゃいけないのかなと思っていただけです。
 これは商店会長になって最初の年に、私があちこちで聞いた話の中の1つですが、商店会長になって3年目、もうそろそろ自分で何かやってみよう。やりたいことがあるだろうから、みんなのやりたいことも聞いてみようということで、商店会の役員会の下に事業委員会というのをセットしました。商店会の役員は、さっき申し上げましたように、会長なんて生まれ育って、地元の小学校を卒業してないとなりづらい。役員もそうなんです。ここで生まれ育って、地元の小学校を出てないと役員にもなりづらいんです。途中から入ってきたり、または婿さんとして入ってきたり、やる気のある人たちが商店会に入っていても、なかなか役員になりづらい。こういう人たちを集めて事業委員会というのをつくったんです。
 事業委員会を開いて、「何でも好きなことをいいなよ。何でもやりたいこといいなよ」といったら、先ほど申し上げたように、「早稲田の夏は寂しい。夏枯れ対策何かやりましょうよ」「具体的には」といったら、「大隈講堂の横にある大隈さんの庭、早稲田の大隈庭園を舞台に野外コンサートをやってみませんか」というんですね。
 「なぜ、そんなアイデアが」といったら、実は早稲田にはリーガロイヤルホテルという大阪のロイヤルホテルの系列で立派なホテル、バブルのときに計画されてできた、とんでもない豪華なホテルがあるんですが、そこの総支配人が、実はニューヨークリーガロイヤルの立ち上げを担当しておりまして、セントラルパークで日がな1日ジャズフェスティバルをやっている。ファミリーがいっぱい来て、すごく雰囲気がいい。あれが早稲田でできないかということらしいんです。できないかどうかわからないけれども、大学に聞いてみようと思いました。
 大学に聞いてみようと簡単にいいましたけれども、早稲田大学というのは門のない大学、都市型大学、町と混然一体となった大学といっております。これは私がいっているんじゃなくて、大学がいっている。我々はそんなこと思ったこともないですね。大学なんていうのは、自己決着できる組織体ですから、何でも自分のところで決着するんです。もっというと、我々町の商人と一緒につき合っていると面倒くさいことがいっぱい起こるから、門のない大学だとか、町の中の大学だとか、町と混然一体なんて、口じゃいっていますけれども、やっていることは全然違う。自分のところだけで決着をつける。それでいいと思ってやっているから、ことしは優勝しましたけれども、去年は東大なんて大学に野球で負けちゃったりなんかしちゃう。(笑)
 ですから、96年のころは、慶応湘南藤沢キャンパス、SFCなんてところはいいけれども、早稲田はだめだとかいうふうにいわれたんです。
 この町の人間からすると、慶応がよくて早稲田はだめなんていわれると、何だか生理的な嫌悪感があるんですね。もうちょっとよく取材してから記事を書けなんていうんだけれども、取材したやつが卒業生だったりするから、なおさら悔しかったりするんです。(笑)
 そんな早稲田バッシングの最中、大学は貸すかな。何で貸すかなというのは、早稲田大学はその当時 114年目でしたけれども、 114年の歴史の中で早稲田大学が我々地元の商人にキャンパスを貸し出したことがないんです。正確にいうと、ただで貸したことはないんです。金出せば貸してやる、そういう根性の大学ですから。私、こうやって大学を口汚くののしっているように聞こえるでしょうけれども、さっき申し上げましたように、生まれも育ちも早稲田ですから、うちうちのしゃべりと聞き流していただきたい。
 私は、大学は一切貸さない、無理だろうなと思っていたんですけれども、私は実は新宿区の生鮮産品特販組合の組合長を今しています。これの前身が新宿区の産直組合。新宿区の産直組合の副理事長をしていたものですから、区長さんとお会いする機会がありました。区長さんが「今、町では何をやっているんだ」といわれたものですから、「今度大学を借りてイベントをやろうと思うんですよ」。区長さんは町のことをよくご存じの方ですから、「大学が貸すか?」「いや、まだわからないですけど、いってくるだけいってきますよ」「でも、もし貸してくれたら、新宿区は全面的に協力するぞ」と区長さんいってくれたんですね。
 この言葉はすごいんです。その言葉を持って大学の我々商店会の担当の庶務課長さんのところに行きました。区長さんの言葉の前半部分を外して持っていった。「もし貸してくれたら」を抜いたわけです。(笑)新宿区全面協力で持っていった。そうしたら、「役所がそういっているんじゃ貸さないわけにいかない。大隈講堂の前の広場だけ、半日ね」と、こういわれた。で、大隈講堂の前の広場を半日借りられた。さっき申し上げましたように、 114年目で初めて、早稲田大学は我々町の商人に大学キャンパスを貸したんです。これは大成功というより大手柄ですよ。私の大手柄だったもので、それだけで舞い上がってた。
 舞い上がってばっかりいて、「ところで、野外コンサートって、だれを呼ぶの」という話になった。商店会の若手はサザンオールスターズを呼んでくれっていってきました。もっと若い連中はウルフルズにしてくれ。「幾らかかるかわかっているのか、おまえらは」といった。「とんでもない金がかかるんだぞ」といったら、商店会が幾ら持っているか知っている年寄りも、「会長、おれは藤あや子、好きなんだ」とか、いろいろわけのわからないことをいう。(笑)
 「幾ら、商店会金を持っていると思っているんだ」といったら、「じゃ、会長は何を考えているんだ」というから、「地元の小学校の子供たちを呼んで合唱コンクールだ。これならただでいい。子供を呼べば親もついてくる」といったら、学校の校長先生に「休み中に子供を集めるのは学校としては責任問題が出ます。勘弁してください」といわれちゃった。これは困ったなと思っているところに出てきたのが新宿区交響楽団。新宿区在住在勤の60人のオーケストラが、もし早稲田でそういう場を設定してくれるんだったら、喜んで行きますよといってくれた。60人のオーケストラが実費。実費って幾らといったら、10万円。60人のオーケストラが10万円ですよ。これは安いというので、ぜひお願いします、となった。
 だって、イメージがわくでしょう。大隈講堂の前に舞台をつくって、8月のイベントですから、夕暮れ、薄暗くなっている。そうすると、その舞台の両サイド、大隈講堂のキャンパスの方からスポットライトをパーッと当てると、その舞台が浮き上がる。その後ろには大隈講堂がシルエットとして出る。早稲田の町の中をすばらしい音楽の音色が包み込む。イメージできるじゃないですか。これはいいな。格好いいというので、「よし、これ、いこう」。
 ところが、最初から夕涼みコンサートだけじゃあんまりだよね。やっぱり出だしは華々しくやろうよという話が出る。華々しいというんだったら、ブラスバンドだ。早稲田には早実という野球で有名な学校がありまして、その早実のブラスバンドを呼んでオープニングコンサートをやろう。ご案内の方、覚えていらっしゃる方がいるかもしれませんけれども、実は96年の夏は早実は甲子園に出ちゃったんですね。とんとん拍子に決勝まで進みますと、イベントの日に間に合わない。でも、町の人間はただの1人も心配しなかったですね。早目に帰ってくるよといったら、案の定早目に帰ってきた。(笑)
 それで、出だしのオープニングコンサートで早実のブラスバンドが華々しかった。最後は夕涼みコンサート。これででき上がりですけれども、真ん中どうするという話。真ん中どうしようか。ただのイベントで焼き鳥焼いたり、焼きそばやったりするんじゃ、みっともないよな。何かいい手はないか。商店会でやるんだから、少し利口そうに見えるのはないかといったら、商店会の中の小利口なやつが1人いて、「会長、今環境っていうと、何でもひっかかりますよ」といってきた。「新聞見て、環境という2文字の出ない日はないですよ。これさえつければ役所は何でもいうこと聞くし、補助金使いたい放題だ」だなんて、すごくうれしいことをいうから、「じゃ、環境というのをつけよう」というんで、「環境と共生、今早稲田から」というサブタイトルをつけた「エコ・サマー・フェスティバル in 早稲田」というイベントを8月の24日にやったんです。

 そこで、はたと困ったことが起こってきた。なぜならば、8月24日のそのイベントに「環境」とつけちゃったものですから、「環境」とつけていながら、イベントをやってごみを出したらみっともないという意見が当然のように出てきた。どうすればいいんだ。それじゃ、環境関連機器メーカーさんにダイレクトメールを流して、品物、要するに機械を早稲田のキャンパスの中に置いて、それを動かして、その中でごみ処理しちゃおうじゃないかという意見が出てきた。そうすると、ごみの出ないイベント、もう一歩踏み込んで、イベントをやって町じゅうのごみをゼロにしてみようと大きく出たんです。
 その当時の環境関連機器メーカーさんと申し上げますと、空き缶回収機、ペットボトルの回収機、あと生ごみの処理機、発砲スチロールの処理機。それから、段ボールを束ねる機械とか、古紙の回収というのはどこでもやっています。あとは電池の回収、北海道に送る、何とかというメーカーさんだったんですが、そういうメーカーさんに皆さん来ていただいて、「早稲田大学で、環境をテーマにしたこういうイベントをやります。おたくの機械を持ってきませんか。宣伝になると思いますよ」といったんです。
 幕張メッセとかいろんなところの展示会で環境関連機器は動かせないんです。早稲田の町では動かしたんです。動かして、生ごみは生ごみ処理機に入れてコンポスト、堆肥といわれますが、正確には土壌改良剤、これを福島県の奥会津の金山町に送って、向こうの特産品、花とハーブと大豆をまた早稲田の町で売るという、リサイクル循環の輪っかに一番乗りづらいといわれていた生ごみがイの一番に乗ってしまったんです。もちろん、入れてすぐにコンポストにはなりませんから、金山町のハーブ農園の方に来ていただいて、イベントのときにはそのハーブを売っていただきました。
 空き缶は空き缶回収機という、ご案内の方がいらっしゃるかもしれません。自動販売機みたいな格好をして、ふたがついて、ふたをあける、中に入れる、閉める。閉めますと、その当時の機械は、アルミとスチールをセンサーで振り分けて、プレスされて下に落ちる。この時間帯をそこの機械に載っているパソコンでゲームをやる。ゲームをやって、当たりのチケットが出ると、商店会の会員店舗の割引券、サービス券が出る、こういうのをやった。
 いわばインセンティブを与えて拠点回収をしようということです。そのときの特賞がリーガロイヤルホテルの無料宿泊券ペアチケット。ここのホテルは大阪のロイヤルホテルの系列と申し上げました。出たときのプライドの高さ。「大阪のロイヤルホテルの……」なんていうんですね。「知らねえな」といったら、「東の帝国、西のロイヤルといいまして」「だから」といったら、静かになりましたけれども。(笑)何をとち狂ったのか、1泊3万5000円なんてとんでもない宿泊料金、わかってなかったんですね、早稲田がどんな町だか、出して、全然お客さんが来ない。
 夜、そのホテルの前を商店会のメンバーが犬の散歩で歩いて、次の日の役員会で、「会長、きのうは明かりが2つでした」なんていって、「あそこに泊まらないのは、寂しいから、怖いからじゃねえか」とか、いろんな話。そんな状況で、客も来てないんだから、「ペアチケット出せ」といったら、出してきた。1泊3万5000円ですよ。だから、ペアチケット7万円ですよ。空き缶持っていくと7万円だというんで、みんな舞い上がって持っていった。空き缶だとか、ペットボトル。ペットボトルも同じです。キャップを取って中に入れるとプレスされる。
 空き缶はアルミとスチールに分かれると申しましたが、アルミはアルミとしてまた町に戻ります。スチールは溶かして固めると建築現場の金の棒になるといわれます。ペットボトルは洋服になったり、じゅうたんになったり、エコバックになったり、今いろんな使い道ができて、すばらしい資源になっています。生ごみは先ほど申しました。あと、発砲スチロールは溶かして固めるとテレビのパネルになる。
 我々、少しはアカデミックにやろうということで、当日持ってきてもらったごみ、それを全部はかった。はかってどのくらい再資源化できたかとやった。何と9割が再資源化できたんです。アルミでもスチールでもペットボトルでも段ボールでも何でも、もちろんプラスチックごみはそのときはやりませんでしたから、9割というのは普通の平常の生活でイコールとは思いませんが、我々はこのイベントをやる前に東京都の清掃局から、今つくっている新海面処分場7400億円、これは10年、15年で寿命になりますといわれた。7400億円も金使ったものが10年だとか、15年でいっぱいになっている、こんなのおかしいんじゃないかと思いましたね。
 それ以上に、東京都は10年も20年も30年も前からごみ、ごみ、ごみとたしかいっていたはずだ。それなのに何も変わってないじゃないか。どうなっているんだ、これはというふうに思っていた。これが10分の1になったら、10年、15年でいっぱいが 100年、 150年持つんじゃないか、これはすごいことだ。
 空き缶、ペットボトル、生ごみが集まって、それが再資源化できて、お客さんもいっぱい来たし、それから何がすごいったって、マスコミがいっぱい来ちゃった。あのNHKのニュースに出たんです。夕方と夜、ほんのちょっとですけれども。大隈講堂が映りまして、それを見ながら、「いいことで早稲田が流れるのは何年ぶりだろう」なんて、みんなで涙ぐむような気持ちでそのニュースを見た記憶があります。
 何しろ、みんながすごい、すごいって褒めるんですね。それはそうですね。ふだん、役所から何いわれたって、「うるせえな。忙しいんだ。やってられないんだ、そんなこと」といっていた、いうことをきかない商店会が、自分たちから環境だとか、何とかいい出しちゃった。いっているだけなんですよ。思ってもみなかったんです。(笑)補助金くれると思ったからいってただけの話。そういう商店会が、「これはすごい、何か変わってきたぞ」と、みんないい方にいい方に理解してくれるようになってしまった。
 みんながこんなに褒めるんだったら、反省会やろうよというんで、みんなで集まって反省会、まあ、1杯飲もうということでやりました。お互いに肩をたたき合いながら「おれたちはすばらしい」とか、いろいろなことをいっていた。気分よく飲んでいたら、その中に1人、みんなが気分よくやっている中で水をぶっかけるやつが出てきた。早稲田大学の管理課長。
 この管理課長が昔から仲が悪くてというんだったら、いいんですけど、昔から仲よしで、イベントの当日は自分でリヤカーを引っ張ってすごく協力してくれた。いわば仲間ですよ。仲間が、みんなで楽しくやっているときにけんかを売ってきた。「3万人の早稲田の学生のいないときに何やったって、早稲田では平常ではない」といってきた。3万人の学生のいない早稲田の町で何やったって平常じゃないんだということでしょう。そして、「再資源化できた、再資源化できたって、こんなものは1日だからできたんだ。メーカーさんが補助したからだろう。再資源化できたって、だれがどのコストで再資源化工場まで持っていくんだ。こんなものはただのイベントだ」と、こういった。商店会だってそんなにばかじゃないですから、ただのイベントだってわかっているんですよ。もっといったら、一番最初は早稲田大学をただで借りたいといっただけの話なんですから。やっているうちに補助金がつくから「環境」とつけただけなんですから。来年やるとも思ってないんです。(笑)だって、ただで借りたのは114 年目で私が初めてですから。次の年もただで借りるやつが出てきたら、手柄が2分の1になってしまうとか、いろいろなことを考えながらやっていただけなんです。
 ただ、ただのイベントだといわれて、ムッとしますね。だって、楽しかった。一生懸命みんなやった。それを「ただのイベント」という言い方をされたので、ムッとした。でも、大学城下町ですから、管理課長は偉いですから、やっぱり少しヨイショしないとだめだ。「課長、そうおっしゃいますけど、マスコミも来ましたよね」といっても、課長ニコリとも笑わず、「早稲田という名前がつけばマスコミは来る」、こういうんですね。これにはキレた。それじゃ、学生のいるときやってやろうじゃないかということで、その年の11月に「早稲田ゴミゼロ平常時実験」という1カ月のロングラン実験をやったんです。



リサイクル運動の発展と商店街活性化

 我々が一番最初にやったイベント、これは補助金ねらい。2番目の1カ月のロングラン実験、これはけんか越し。1つも褒められたきっかけではなかったんですが、(笑)何しろやった。11月の1カ月間、早稲田の町で、ちょっとした注意で、このちょっとした注意というのは分別ということです。我々は1日のイベントをやって、やっぱり集めてから分別する、分けるというのは無理だなということがわかった。出すときに分ける、これしかない。
 それと、もう1点、リサイクルというのは集めることじゃないなということに気がついた。リサイクルというのは使うことだなということに気がついた。要するに、集めること以上に使うことが大切だという学習を商店会はしたんです。
 しかし、我々商人はお客さんが買って帰って得にならないものを売ってはいけないんですね。では、お客さんが買って帰って得になるもの、それはどこからスタートするのか。グルッと回って集めるところに戻るんですよ。要するに、捨てればごみ、生かせば資源。この生かすというのは徹底分別だということを商店会は学習した。
 ですから、このごみゼロ平常時実験、地元にまいたB4の新聞折り込みチラシのテーマは、「ちょっとした注意でごみはどれだけ減るか」。分別するということで資源になるわけですから、ごみがどれだけ減るか。「儲かるリサイクル、楽しいリサイクルが可能かを、この早稲田の町で実験します」ということをテーマにして、「早稲田ごみゼロ平常時実験」というのをやりました。
 この11月の13日から19日までの中核の1週間を我々はコア期間と名づけて、全機種のフル稼働、すべてどのくらい入ったかカウントをとろうということにしました。早稲田大学の周りの7つの商店会に空き缶回収機、ペットボトルの回収機を、計7台。生ごみ処理機の大型を4台、中型を3台、小型を5台。そして、段ボールの集団回収のステーションを町内21カ所。あと発泡スチロールができなかった。そんなので、1カ月の中の1週間、コア期間をやってみました。何とそのときに集まった空き缶が1週間で2万4000缶なんです。生ごみは7トン。段ボールは数え切れないぐらい集まりました。
 何でそんなふうにできたのか。実は96年の12月から東京都は事業系ごみの有料化という施策を打ち出してきました。我々事業者がごみを出すときに有料シール、金をつけないと持っていかないよというとんでもないことを東京都はいい出した。事業系ごみの有料化、何で家庭系からやってこないとか、税金の二重取り、だれがこんなもの払うかとか、いろいろ役所には盾突いたんですけれども、役所は一たんいい出すとやめませんから、やり始めるだろう。
 我々シミュレーションをしてみたんです。ちょっと数字間違いがあったんですが、一番最初に出たシミュレーション、町の喫茶店で月額4万円というごみ処理費用が出たときには青くなりましたね。無理ですよ。商売やっていられないですよ。学生街の喫茶店で月額4万円。これは実は数字違いがあったんですけれども、これは大変なことだ。これに対する対抗手段は何だといったら、ごみ減量、リサイクル。リサイクルがこれのコストセーブに対抗する手段だということがわかってきた。
 だから、我々は空き缶回収だとか、生ごみ処理だとか、いろいろな形に商店会は入った。我々からそういう有料シール、コストをセーブするということは町が動くことになるんですね。

 それ以上に2万4000缶の空き缶が集まった。そのもう1つの理由は、前回は特賞にリーガロイヤルホテルの無料宿泊券ペアチケットを1本出しましたが、今回はハワイ6日間お1人様というチケットを2本出したんです。金のない商店会がよく出すねといわれたんですが、これはもちろん商店会が出したんじゃない。トラベルネットという旅行代理店さんがこれを出してくれました。トラベルネットという旅行代理店は、東京コロニーという社会福祉法人の子会社です。障害者、身障者の方たちの社会福祉法人東京コロニーの子会社。じゃ、何でその東京コロニーと我々のつき合いがあったかというと、実はその年の8月の第1回のイベントに戻ります。この第1回のイベントの中のプロジェクトにインターネットサーフィンというプロジェクトをやりました。
 これはコンピュータを20台借りてきて、それをネットサーフィン組んで、地元の子供たちに自分たちの手でインターネットにアクセスして、世界中の環境情報、リサイクル情報を取り出させようというプロジェクトを組んだんです。聞いているだけですばらしいと思いませんか。アイデアは出したんですけれども、はたと困ったんです。だれがそれを指導するのかというところで困った。
 私は早稲田の町の中では一番アカデミックなんですが、私とコンピュータとは相当距離があるんです。ということは私以上のこっち側はコンピュータとはうんと距離があるんです。いまだに電卓よりもそろばんを信じている連中がおりますので、こいつらにコンピュータといったってしようがない。どうしようかといっていたら、中華屋の出前と日本そば屋の出前が「会長、西早稲田に東京コロニー情報処理センターというのがあって、車いすの人たちがコンピュータを使って何かやっているよ。いっぱいいるからあそこに頼めば手伝ってくれるんじゃないか」といわれた。東京コロニーなんて名前も知らなかった。そんなところがあるんだったら、頼んでくるかということだった。
 語弊を恐れずに申し上げれば、私は、身障者、障害者、大嫌いです。身障者とか障害者は大嫌いでした。買い物に来ればほかのお客の邪魔になるし、何かやってもらうのが当たり前みたいな顔をしているし、ちょっとした言葉のあやでねじ込んでくるし、「体の弱いやくざ者」とか、いろいろいってたんです。その大嫌いな障害者がいっぱいいる東京コロニーに行って、こっちは頼み事をするので、素直にお願いしますといえばよかったんですけれども、こういう性格なものですから、どうしても言葉がよくなくなってしまって、「根性悪くて何もしてない健常者とはつき合ってねえんだ」といったら、東京コロニーの連中は、ニッコリ笑って、「安井さん、普通でいいんですよ」。懐深いなと思ったですね。
 もっとびっくりしたことは、この人たちとおつき合いして、活動を一緒にやっていると、この人たちの能力の高さ、前向きさ、ポジティブさ、さわやかさ、これにびっくりした。
 それともう1点。生まれついての車いすという人たちはこんなに少ないというのはわからなかったですね。柔道の練習中、水泳の練習中、ちょっとした手術の麻酔のミスである日突然車いすになった。ですから、私があした車いすの生活になる確率は私が考えているより相当違うということがわかったんです。それと、10センチの段差で身動きがとれないということにも正直びっくりしました。
 なおかつ、8月24日のイベントですから、夏の炎天下に車いすの人たちに長時間いてもらうと、命にかかわり合いがありますよといわれた。皆さんはご存じかもしれませんが、私は知らなかった。車いすの人たちの中には、頸椎損傷、脊椎損傷で体温の維持管理能力に欠損のある人たちがいるということを私は知らなかった。空調設備の整ったフルフラットなところでないと、この人たちは長時間の作業に耐えられないということを私は知らなかった。でも、下手な健常者のぐちっぽい話を聞いているよりも、東京コロニーの連中と話をしていた方が精神衛生上どんなにさわやかだったかわからないですね。
 健常者だって根性の悪いやついるんです。嫌なやつがいるんです。それと同じだ。そういうのがこの東京コロニーの人たちとおつき合いすることによってわかってきた。あっという間にホームページをつくってくれて、奥会津の金山町のホームページもあっという間につくってくれた。
 皆さんも車いすの方たちを生まれてからごらんになったことがあると思います。大変だな、かわいそうだなという心の端っこのところに「使えねえな」という思いは、皆さんお持ちかどうか、私は持っていました。しかし、コンピュータというこんな箱を1つ真ん中に置くだけで、この立場が逆転することにびっくりしました。向こうがその目で私を見るようになりました。「使えねえな」って。(笑)そのうちかわいそうになという目になりました。口じゃいわなかったです。あの人たちはやっぱり優しかったですね。
 そのぐらいに、コンピュータというもので変わるんだな、こういうものがあることによって仕組みが変わるなということを肌で感じた。それ以上に、さっき申し上げたように、根性がよくて前向きでさわやかで、この人たちが町を縦横無尽に動ければ、町は変わるぞ、景気はよくなる。だから、バリアフリーなんです。我々の町のバリアフリーは障害者、身障者がかわいそうだから、バリアフリーじゃないんですよ。バリアフリーすることによって景気がよくなる。町は変わるぞからのバリアフリーなんです。
 そんなことは後でお話しさせていただきますが、何しろそういう形で空き缶が集まった。ハワイ6日間だけで集まったんじゃないんです。商店会もいろいろ知恵を絞った。学生街の喫茶店はコーヒー1杯無料券というのを出した。
 駅をおりると、無料のテッシュペーパー配ってますね。皆さん、歩幅の関係でもらったりもらわなかったりなさっていますね。歩幅の関係で「あ、要らねえや」とかいってますね。ちょうど合うと手を出したりする。無料のテッシュペーパーはポケットに入れたとしても、居酒屋の割引券なんて、見て「何だ」と捨てているじゃないですか。まして、コーヒー1杯無料券なんて、全然魅力ない。
 ところが、いいことをして、対価として出たものは使いたいんです。町をきれいにする活動ということで空き缶とかペットボトルを入れるんです。それの対価として出たコーヒー1杯無料券、これはどうしても使いたい。大人だって使いたいんだから、子供なんかもっとですよ。子供が当たったりする。子供が町じゅうの空き缶とかぺットボトルをみんな持っていってくれちゃうんですから。早稲田大学の学生は大隈さんの銅像の下の植え込みにもぐり込んで、1時間も2時間もかけて空き缶きれいにしてくる。ついに早稲田大学の構内から空き缶が1つもなくなった。町の中からもなくなりました。神社とか公園からも空き缶が1つもなくなりました。駅の前に置いてある自転車、あの自転車の前の買い物かごが空き缶入れみたいなになっていますね。あの空き缶も全部なくなっちゃう。なおかつ、自動販売機の横についてる空き缶や何かを入れるごみ箱の中からも空き缶が消える。何しろ町じゅうから空き缶、ペットボトルは消える。子供たちがみんな集めてくる。
 集めて当たったコーヒー1杯無料券、子供は使いたい。子供はお父さん、お母さんにいうんですよ。「ねえ、飲みに行こうよ、飲みに行こうよ」。(笑)コーヒー1杯で3時間も4時間も粘る学生しか来なかった学生街の喫茶店にある日突然ファミリーが来る。お父さんがコーヒー飲んで、お母さんが紅茶を飲んで、子供はジュースとサンドイッチとケーキです。売り上げは上がる、回転はいい。おばさん大喜びです。私は実行委員長ですから、一応視察というか、調査に行く。「いかがですか。空き缶回収のシステムは」というと、喫茶店のおばさんは目を輝かせて、ニコニコ笑いながら、「会長、あれはすばらしい、町がきれいになる」といいます。あれはうそですね。売り上げが上がったというだけです。(笑)
 「でも、コーヒー1杯無料のコーヒー50杯分は負担があったんじゃないですか」というと、「キーコーヒーから50杯分の豆もらった」といっていましたから、負担はなかったようです。
 人のうちの話をするだけじゃなくて、うちは食料品スーパーです。うちから、伊藤園のウーロン茶1缶サービス30本というチケットを出す。そしたら、伊藤園のルートセールスが「社長、1ケース24ですから、2ケース出しますよ」。48本出してもらったんですけど、うちはケチですから、当たり40本しか出さなかった、8本裏に隠した。平均すると、8割の戻りですから、4×8=32、また裏に8本隠せる。イベントやって、16本伊藤園のウーロン茶がただで手に入った、儲かるリサイクルだといったら、せこ過ぎるっていわれましたけど。 (笑)
 そのせこいやつの上を行くやつが出てきた。これが雀荘のマスター。雀荘のマスターの出してきたチケットが、麻雀お1人様1時間無料というチケット。麻雀は1人じゃやらないですね。(笑)1時間じゃ終わらない。それを1時間、それも1人だけというのを出してきた。
 とんでもないやつがいるもんだと思ったら、その上を行くのが歯医者の先生。歯の無料相談券というのを出した。おわかりにならないみたいですね。ご説明します。ただは口をあけるところまでです。(笑)虫歯を見つけた途端、患者になるんです。だって、そうでしょう。こっちは寝ているんですよ。向こうはとんがったものを持って「虫歯がありますよ。痛くなりますよ」っていうんですよ。「ああ、そうですか。ありがとうございます。よかった。近所の歯医者で直してもらいます」なんて勇気のあるやつは1人もいませんでしたから、「お願いします」と答える。そうすると、歯医者の先生は「保険、使いますか」なんていって、だんだん患者になっていって、この2人がすごいというので、総括集会のとき、早稲田大学の大隈講堂の舞台に上げて、実行委員会から表彰状を出した。雀荘のマスターには、「文教地区でありながら、麻雀の無料券を出す、その勇気をたたえる」。歯医者の先生には、「歯の無料相談券という究極の患者募集法を編み出したその頭脳のやわらかさをたたえる」。2人ともちゃんとスーツ着て、壇上に上がって、表彰状をいただいて、一言ごあいさつといったら、マイクの前で直立不動で一言、「家宝にさせていただきます」と答えた。(笑)町の連中大笑いした。
 ここなんです。みんなが大笑いした。これは遊び心なんです。町が動くキーワードというのは、儲かることと楽しいこと。儲かるというと、耳ざわりが悪ければ、得することと言葉をいいかえてもいいと思います。得するというのは、金銭だけでなくて、精神的にも肉体的にも得するということがあるんですね。ですから、我々の町の中では、儲かること、楽しいこと、儲かるというのは今得することと申し上げました。じゃあ、楽しいことって何。楽しいことって、実は遊び心。遊び心というのは知恵なんです。知恵は知識の活用。知識という言葉が情報という言葉とイコールであるならば、実は96年8月の第1回のイベントから一貫したテーマ、これが我々の「自分たちの町は自分たちで守る」というテーマに重なってくる。



“いのちのまちづくり”へさまざまな実践

 「自分たちの町は自分で守る」というのは、自分たちだけでやるということじゃないんです。自分たちから動き始めたら、自分たちの力の足りなさ、自分たちだけでは無理だということがわかり、そこから行政、企業、団体、学校、PTA、いろいろな組織との緊密な連携の必要性を感じるだろうというのが、我々の一貫したテーマです。 東京新宿区にある商店会、新宿区は何してくれる、東京都は何してくれる、国は何を考えているんだという前に、自分が何ができるのかいおうよということなんです。自分たちから動き始めたときに初めてわかることがあるよということです。
 ですから、我々はこれをするために、いろいろな人たちとの連携、商店会、町が場をつくり、そこに東京都、新宿区、早稲田大学、そして先生、学生、地元のPTA、地元町会、この人たちに参加してもらって、実行委員会を組織したんです。自分たちが場をつくり、そこに参加してもらった。
 市民参加のまちづくりという言葉がよく聞かれる。もうこんな言葉はないんです。これから先は行政参加のまちづくりなんです。だって、自分たちが住んでいる町ですよ。自分たちの住んでいる町をなぜ役所や他人にお願いするんですかということです。要するに、自分たちが場をつくり、そこに行政に参加してもらう。
 我々は今までの活動、96年から丸3年のこの活動の中で学習したことが1つあります。行政が最高に力を発揮できるポジショニングは側面支援という立場だということがわかりました。要するに、役所が先頭に立たないということです。

 きょうは都市経営フォーラムということで、都市、まちづくりの皆さんが大勢いらっしゃると思うんですが、我々はこういう活動を通じて、日本中の元気な町、元気な商店会との連携をとれるようになりました。そして、いろいろな町と友達づき合いをするようになりました。
 その中から1つだけわかったことがあるんです。元気な町に共通項が1つあったんです。この場でいうのは、問題が出てくると思うんですが、元気な町の共通項というのは、コンサルタントと企画会社が入ってないということです。コンサルタントと企画会社が町に入ってない、その町だけが元気であり続けるんです。自分たちでやっている町が元気なんです。コンサルタント、企画会社を否定はしません。町の住民になったところはすばらしいと思います。しかし、コンサル、企画会社に振り回されている町で元気であり続ける町を私は知らない。
 アーケードとカラー舗装でお客の増えた商店会を私は見たことないですね。舞台と照明を変えたって、役者が変わらないでいい芝居なんか見れるはずないじゃないですか。舞台と照明変えて役者が変わらない、下手なのが目立つから、もっと笑われるぜっていう話を私はしますね。じゃ、どうすればいいんだ。役者の心根を変えるだけなんです。役者の心の持ち方を変えるだけでガラッと変わるということが現実として起こっていると思います。
 何でそんな生意気なことをいい出したのかといいますと、我々はこの一連の活動を通じて、ごみはごみだけ考えていても、結論、決着は迎えられないなということがわかったんです。何でかといいますと、早稲田大学には3万人の学生がいるといいました。今早稲田大学の3万人の学生たち、ジュースを飲みますね、飲んで、ポーンとほうり投げます。または人の家の塀の上にきれいに並べていってくれたりする、まめなやつもいるんですけど、ポーンとほうり投げる学生の後ろから、早稲田大学の労務のおじさんが「そこは捨てるところじゃないよ」というと、今の早稲田の学生は何て答えると思います?「おまえの仕事だろう」というんです。こんなのが3万人もいるんですからね。
 この話をすると、早稲田大学の学生が「安井さんのころはどうでした?」「昔だから忘れちゃった」と答えるようにしているんですけど(笑)。実際問題、これを見てみると、環境問題の活動をしている人たちは教育に問題があるといって、そこで終わってしまう、挫折する。我々の町ですよ。すべてのことはリンクしている。だから、我々の活動はまちづくりという傘の下ですべてのことがリンクして動いているんだなと我々商店会は学習し始めた。
 さっき自分たちで場をつくり、そこに行政、企業が参加すると申し上げました。役所の人たちも大勢さんいらっしゃますから、少しは褒めないとと思うんでいいますけれども、参加なさった行政の方たちはすばらしい能力をお持ちですね。平たくいえば、利口ですよ。1人1人は利口だなと思いました。何で集まるとばかになっちゃうのかなと、(笑)素朴な疑問を感じるぐらい1人1人の能力は目を見はるようなものがある。
 早稲田大学の職員なんて学者みたいですから。その人たちが集まって、何で早稲田大学も新宿区も東京都も大していい評価が出ないのか。これはそこの行政の担当者の人たちが自分たちの組織の中で、自分の持っている力の95%が根回しという形の中でそがれているんだなという気がしました。
 我々が場をつくります。我々のところに参加してください。すべての責任は商店会長が持ちますといったら、行政の人たちの能力が弾け出てきた。要するに、役所に奉職以来20年間、この人の20年間の人的資源というのは、我々が推しはかれないぐらいのすばらしい人的資源を持っている。これがどんどん町に流れてくる。「へえ、こんなこともできるんだ、あんなこともできるんだ」というふうに我々商店会、町はびっくりしました。

 そんな活動の中の1つですが、教育に問題があるといわれたときに、我々は何をしたか。だったら、「親と子供の環境学習講座」をやろうとやったんですね。日本じゅうに幾つあるかわからない商店会、その中で「親と子供の環境学習講座」なんてやる商店会は、うちの商店会ぐらいしかないですから。そこで、「親と子供の環境学習講座」をやって、子供を人質に取って親を呼んで、子供のころからのしつけというのをぴしっとやった。なかなか評判がよかった。
 きょうお集まりの皆さんの中に、お読みになった方もいらっしゃるかもしれませんが、今大変なベストセラーの『五体不満足』の乙武洋匡という男の子がいます。ご存じない方には申し上げますが、この子は先天性四肢切断ということで、生まれついて、両方のひじから先、ひざから下がないんです。いわば上半身だけの子供です。この子が私のところに初めて来たのが、さっき雀荘のマスターと歯医者の先生を表彰した総括の集会のときです。
 彼はそのとき早稲田大学の政経の1年生。彼の電動車いすというのは、人の目線と合わせて話をしたいということでちょっと高いので目立つんです。ことしの1年生の中には随分重い障害を持った子がいるなというのは見てました。私も何回か見ました。しかし、口を聞いたことも話をしたこともありません。その彼がその総括の集会のときに、電動車いすをおりて、私のそばに来ました。私の腰より下に来て、私の方を見上げて、「安井さんですね」と声をかけてきた。この「安井さんですね」という言葉がすごくさわやかだった。何でこんなさわやかな声を出せるんだ。だって、生まれついて、両方のひじから先、ひざから下がない。上半身だけ、生まれついて、かわいそうだ、かわいそうだ、同情し続けられてきた子が、何でこんなさわやかな声を出せるんだろう。それに私は興味がありました。私は生まれついてずっと褒められ続けているんですね。それでもこんなに屈折してしまうのに(笑)同情し続けられた乙武が何でこんなさわやかな声を出すのか。
 乙武がいってきたのは、僕も一緒にまちづくりをやりたいというんです。「ああ、すばらしいことだ。いいよ、一緒にやろう」。やっていくうちに、「安井さん、僕じゃなきゃできないことがある」といい出した。この言葉がおもしろい、この言葉は大きい。「よし、乙武。『親と子供の環境学習講座』の一番最後に、15分講師をしろ」。乙武が、生まれてから講師という立場で話をしたのは、それが最初だったと思います。「町と心のバリアフリー」というお話をしました。
 乙武を初めて見た小学校の低学年の女の子は泣くんですよ。かわいそうで泣くんじゃないんです。おっかない、気持ち悪いで泣くんです。しかし、乙武が15分話をすると、乙君といって、終わった後はまとわりついてくる。彼はそれだけのインパクトのあるお話ができる子だった。
 乙武の15分の話が終わって、私が当日集まったお母さんたちにいったのは、何で乙武に話をさせたか。「乙武が『僕じゃなきゃできないことがある』っていい出した。この言葉がすごいので、乙武に話をさせました。乙武のこの言葉がきょう集まった子供たちの心の中に入ったら、『私じゃなきゃできないことがある、僕じゃなきゃできないことがある』というふうになる。そうしたら、この町から自分たちの命を自分たちで縮める子は1人もいなくなる。その願いを込めて乙武に話をさせました」といったら、集まったお母さんたち、すごく喜んでくれた。
 これには後日談がありまして、乙武が学校のそばをその目立つ電動車いすで動いていたら、向こうから小学校1年生ぐらいの子が4人ぐらい歩いてきたそうです。『五体不満足』の中にも書かれていますから、お読みになった方いらっしゃると思いますが、その4人ぐらい来た1年生ぐらいの子供たちが、乙武を見て「何だ、あれ、気持ち悪い」といった。乙武は生まれてからずっといわれているから、「あ、まただな」と思ったそうです。しかし、その中の1人の男の子が「いいんだよ」といったそうです。そして、すれ違いざまにもう一言「いいんだよ」といってすれ違っていった。乙武はその「いいんだよ」という言葉の中に、「このお兄さんは早稲田大学の乙武君といって、まちづくりをやって、僕たちと全く変わらないんだよ、いいんだよ」という言葉の意味がわかった。ショックを受けたのは乙武です。生まれて初めていわれた。すぐに私のところに来ました。「安井さん、こんなことがあった」、興奮してしゃべった。「でも、いった子は1人だろう」といったら、「そうです」「でも、すべてのことは1人から始まる。語り続けろ」。
 彼はそれから子供たちと一緒に、町を探す探検隊、車いす探検とか、いろいろなことやった。その活動が毎日新聞で大きく写真入りで取り上げられ、その毎日新聞の記事を見て、NHKのディレクターさんが「青春探検」という20分間の番組で彼を取り上げ、その青春探検を見た講談社の方が『五体不満足』を書かせた。今 380万部とも 400万部ともいわれております。韓国でもベストセラーだといわれています。
 我々にはホームページがありますが、このホームページ、当然のように、乙武の住所も電話番号もEメールのアドレスも消してあります。運悪く、そこに書いてあるEメールのアドレスは私のだけが残っている。私のところに読書感想文が来るんです。「乙武君、格好いい、頑張って」なんてというんだったら、読み飛ばしますよ。読み飛ばせないんですよ。「私の娘にも左手がありません。死のうと思いました。でも、本を読んで生きる元気がわいてきました」なんていうのを読ませられたら、やっぱりお返事書かなきゃならないんです。乙武はメーリングリストから外れていますから、乙武にそれは送れないので、プリントアウトしてFAXで送っています。
 今彼のところには2万通の手紙が来ているそうです。すべて自宅の電話は留守番にして、FAXにしていますが、FAXのロールは5日間で必ず1本がなくなるといっています。テレビの出演後、講談社に用意した6つの電話はすべて鳴りっ放しだ。ですから、彼は去年の12月の14日以来在学中の講演はすべてお断りしている。「断ることないじゃない、やれば」といったら、1日で1年分が出てしまうということです。Eメールの講師依頼などで、私のメールアドレスに「乙武君に講師お願いします」なんていうのが来るんです。いつからおれがあいつの秘書をやらなきゃならないのか。(笑)けさ来たメールなんてひどかったですね。群馬の富岡のPTAの人が「乙武君の講演は忙しくて無理だといわれていますから、安井さんはどうですか」という、嫌な頼み方と思った。(笑)絶対断ってやろうと思っているんですけど。
 乙武はあの『五体不満足』の中で、福祉とは何ぞやとか、障害とは何ぞやなんて書いてないんです。ごらんになった方はおわかりのように、僕は生まれてからこうやって育ってますというふうに、ごくさらっと、上っ面をなぞった。その本が、あれだけいろんな方たちにインパクトを与えている。
 要するに、乙武1人ではできなかったんですよ。町が商店会の夏枯れ対策でスタートしたことによって、乙武の持っているものが具現化できた。我々のやっていることは決してむだでも何でもなかった。もっといえば、我々のやっていることと乙武のやっていることは全くイコールで結ばれるということです。

 実は、まちづくりと変わっていきましたが、我々は6つの分科会で動いているんです。まず第1は、ごみ減量、リサイクルですから、リサイクル部会、次がバリアフリー部会、3番目に、インターネットによる情報共有化。これは、自分たちで場をつくり、行政、企業、団体が参加するというところに話がちょっと戻りますけれども、一緒に実行委員会を組織したといいましたが、我々町の商人は商売がありますから、夜の9時からじゃないと集まれない。行政の方、企業の方たちは6時から始めて9時には帰りたい。時間的に合わない。どうしようかといったときに、インターネットのEメールで会議をしようといい出した。最初4人からスタートしました。最初4人からスタートしたメーリングリストが、今 100人を超えようとしています。
 インターネットの情報共有化、インターネット部会。その次に出てくるのが震災対策です。この震災対策という部会をつくった途端、東大の地震研のドクターがメンバーとして入ってきました。いわば町のシンクタンクができたんです。このシンクタンクにとってみると、町は現場です。現場を持ったシンクタンク。
 きょう三菱総研の方いらっしゃってないようですから、いっちゃいますが、商店会長の知恵を借りに三菱総研の方が来たんですよ。千葉市の事業系ごみ減量のオファーを受けました。つきましては、商店会長のお知恵を借りたい。三菱総研、いわば日本のシンクタンク、日本の頭脳が聞きに来たと思って舞い上がって、きっちり2時間半しゃべって、「そうですか」といって聞いていってくれた。帰りにこんな封筒を私に渡して「些少ですが」という。なかなか気がきいてんじゃないかと思って、帰った後中を見たら、図書券が3000円入っていました。 (笑)
 去年の暮れは三和総研の方が来た。三和総研が、北海道、東北開発公社の人たち3人連れてうちの事務所に来て、「北海道、東北の地場産業が疲弊して、駅前商店会はガタガタです。これの活性化について、安井さんのお知恵を借りたい」というから、「だめだ」といった。「うちの町見られてからじゃ、しゃべれねえ。うちの町のどこが活性化しているか、見られた後じゃ、幾らおれがうそつきだってしゃべれねえ」といったら、「一応考えていることだけしゃべってください」といわれたので、好き勝手なことをしゃべったんです。
 そんな形の中でいろんな人たちが来るようになった。 100人のシンクタンクが我々にとっては大変な財産になってきたんです。
 それ以外に地域教育という部会があります。そして最後に、元気なお店という部会をつくりました。これはいろいろな町、いろいろな人たち、いろいろな地域との連携をしていくうちに、日本中の商店会がみんな今ぐあいが悪いなということを見て、なおかつ、シャッターが閉まった商店会、その町で今何が起こっているかということを我々は見てしまったんです。



まちづくりの主役は誰か

 中心市街地の活性化というのが今スタートしています。中心市街地の活性化、あれは郊外に大手量販店ができて、町の中の商人がみんなシャッターをおろしてシャッター街になっちゃったということです。あれは大きいのと小さいのが勝負して、小さいのが負けたということだけですから、別段大したことはない。別段大したことないんですけれども、そこから次に何が起こってきたか。実は子供が荒れ出しているんです。子供の非行が増えている。何でだと思いますか。当然ですよね。シャッター閉めた店のおやじが何ていいます?「もうこの町はだめだ」というんです。「もうこの町はだめだ」なんていう言葉を聞いた子供が、自分の町を大切にしますか。しません。自分の町を大切にしないということは、人を大切にしない。ひるがえって自分自身を大切にしないんです。だから、荒れる。
 うちの町の隣に、日本一の繁華街、歓楽街といわれる歌舞伎町という町があります。歌舞伎町というのは 200メートル四方です。 200メートル四方にやくざ者の事務所が97あるんですけれども、この事務所同士はみんな仲よしですから、抗争が起こらない。だから、警察権力は手を中に入れられない。その話を地元の警察から聞いたときに、「ああ、あれは新宿警察だ、おれたちは関係ない」といったら、我々の所轄は戸塚警察ですが、戸塚のおまわりさんが何ていったか。「構成員はどこに住んでいると思いますか」というんです。「構成員は電車に乗って来ませんよ。要するに歌舞伎町の周りに住んでいるんですよ。町に住んでいる皆さんがまちづくりという意識を忘れたら、警察権力を幾ら強くしたって、町の治安維持ははかれないんです」、こういわれた。
 町の商人がいつまでも元気でいつまでも明るくしてないと、町の治安は守れないということです。この町で生まれてこの町で育って、この町でなりわいを立て、生まれても育たなくてもいいですけど、この町でなりわいを立て、この町で子供を育ててもらったということに感謝する気持ちがあったならば、次の世代に胸を張ってバトンタッチできる町をつくらなきゃいけない。この使命感に、早稲田の町の連中は目覚めたということです。
 環境問題、まちづくり、そんなものは役所が仕事で、市民運動が自己満足でといっていた町の人間が何をいい出したか。「環境ってどういう意味?」「環境って身の回り、まちづくりってご近所づき合い」っていい出した。自分のご近所づき合い、自分の身の回りを何で役所や他人に任せるんだとなってきたんです
 うちの町では去年の9月の10日から商店会のエコステーションというのを開設しました。これは空き店舗対策です。5坪のスペースの店舗が空き店舗になりまして、商店会の空き店舗対策と散逸ごみ、いわば環境対策、この2つが1つになって、商店会エコステーション、商店会情報発進基地1号館というのを昨年の9月10日に開設いたしました。
 これは空き缶回収機とペットボトルの回収機を置いて、町のみんなが空き缶とかペットボトルをそこに持ってきて、入れて、当たりのチケットで商店会の活性化をはかる、お客さんを増やすというのを目的とした商店会のエコステーションです。これが去年の9月の10日からスタートしました。
 ですから、今うちの町で見ていただけるもの、ビジュアルに耐えられるものって何というと、商店会のエコステーションしかない。でも、もう1つだけあるとすれば、夜コンビニの前でしゃがみ込んで、ペッペッとツバを吐いている子供たちは1人もいないということです。
 我々にとってまちづくりって何?というと、まちづくりというのは大人が町を好きになることというふうに我々は定義づけできると思っています。我々大人が町を大切にする気持ちなんです。ここから町は変わってくる。劇的に変わってくるのが子供たちです。
 我々商人は小なりといえども、資本主義経済の下で生きていますから、儲からなくなったら、やめればいい、つぶれるときはつぶれるんだと、過去軽々に発言していました。しかし、我々がつぶれたらどうするんだ。我々がいなくなったら、我々から元気が消えたら、町から元気が消えて、子供が荒れるんだぞとなったら、どうすればいいか。
 しかし、まちづくりをやっていますといったって、お客さんは絶対増えませんよ。うちは食料品スーパーですけど、「うちの品物はちょっと高い。ちょっと使い勝手が悪い。ちょっとまずいんですね。でも、うちの社長まちづくりやっていますから」といったって、お客は絶対増えません。これははっきりいえます。いろいろなマスコミ、新聞に出たって、テレビに出たって、これまた客は増えないということもはっきりわかってきた。現実問題、まちづくりをやっているからといったって増えません。でも、我々はつぶれちゃいけない、元気であり続けなければいけないというときに、初めて謙虚にどうすればいいんだと人の話を聞けるということなんです。
 郊外の大手量販店がお客をみんな持っていった。それはそうでしょう。町の零細小売業と郊外の大手量販店、業態が違うんです。郊外の大手量販店というのは流通業です。 100人いるうちの60人から80人の人たちが、これは欲しいというものを並べなければ採算の合わない業種、これが流通業。我々町の商人は 100人いるうち、5人の人たちが、これが欲しかったのよというこだわりの品物を置いておくだけで食っていける、これが小売業。
 簡単にいいますけれども、今日本で一番大きいダイエーと町の中で一番小さな零細小売業は、問屋さんがみんな一緒なんです。要するに、町の小売屋が自助努力して勉強することがなくなったんです。なおかつ、日曜も休む、祭日も休む。日曜、祭日を休んで客が来ないといっている。こんな部分帯の商人は当然消えてなくなるんです。
 早稲田の町は一体感があって仲よしでとよくいわれるんですが、まずそこが間違いです。商店会に一体感を求めてはいけない。商店会は仲よしじゃないんです。我々はよく役員会の中でよく話をするんですが、我々の心の中にある言葉は何なんだ。自分の店さえよければいいんじゃないか、自分の店さえよきゃいいというのがみんな集まっているんじゃないか。自分の店さえよきゃいいんだ、でも、自分の店をもっとよくしたいときに、自分1人では無理だ。嫌だけど、嫌いだけど、隣のおやじと手を組む、腕を組むというところから本当の一体感が生まれる。商店会長になったんだから、みんなに頭を下げてお願いして、商店会の一体感を保とうとする必要もないと私は答えた。
 新宿区には 101の商店会があります。 101人の商店会長がいます。この 101人、小学校、子供のころに、将来の夢はと聞かれて「商店会長」と答えたやつは1人もいません。もちろん私もそうです。商店会長なんてのは、やらされているんです。やらされている商店会長だから、だれが人に頭を下げなきゃならない。頭を下げるのは、商店会の会員のみんなが私に頭を下げて、私は下げないんだと私はいっている。それで商店会としてはおつき合いはやめよう。うちの商店会はおつき合いの部分帯はやめて、自分の店にとってメリットのあることだけをやっていこうということで今進んでいます。
 実はうちの商店会は、大正2年、早稲田商工会からスタートしている由緒正しい商店会なんですが、ご多分に漏れず、昭和の30年代後半から40年代前半をピークとして、毎年毎年会員店舗が減っておりました。何と昨年1割増えた。できたばっかりの町の商店会だったら、それはあるかもしれませんけれども、我々のような商店会で今店舗数が増えているのは東京の中でうちだけじゃないですか。何でかというと、この活動をやっている商店会の役員たちがみんな楽しそうに、おもしろそうにやっているからなんです。ここと一緒にやると何かおもしろいことがありそうだとみんなが思い出した。
 我々は96年8月のスタート以来、イベントに興味を持つなといい続けているんです。イベントは 365分の1だ。我々はイベントに興味を持ってはいけない。イベントを通じて町がどう変わるかに興味を持とう。 365分の 364が大切なんで、イベントの1なんかどうなったっていいんだ。そういうと、せっかくやるイベントを失敗したらどうするの。町では失敗と書いて経験と読むといっている。失敗を恐れて経験を積まないと、知らないやつが増えてもっとおっかない町ができてしまうんだよといっている。
 我々の活動の中でいろいろな学習をしたと申し上げました。楽しいこともいっぱいやりました。そして9月の10日からエコステーションもオープンした。7月の15日から東西線の早稲田駅をおりて15秒早稲田中学の正門横で商店会のエコステーション2号館がオープンしようとしております。考えてください。学校施設ですよ。学校施設に空き缶回収機とペットボトルの回収機を置いて、持ってきたお客さんにインセンティブを与えて、当たったチケットには生ビール1杯無料なんていうチケットを出している。中学校、高校の正門の横で生ビール1杯無料なんてのを出しちゃう。これは何か。環境といったら、これができる。
 今うちの店で出しているチケットをご紹介申し上げますと、「きょうのお買い物がただになるかもしれない抽選券、空くじなし」というのを出している。ちょっと長ったらしいので、ご説明申し上げますが、空き缶を入れます、入れてバーッとゲームが始まり、当たり、稲毛屋賞というのが出る。そこに書いてあるのが、「稲毛屋賞、きょうのお買い物がただになるかもしれない抽選券」が当たりました。レジでこのチケットをお渡しくださいと書いてある。お客さんが買い物をする。3000円のお買い物をして「こんなのが当たったんですけど」といって出す。そうすると、レジの担当者は「町をきれいにする活動に協力していただきまして、ありがとうございます。これが抽選券です」といって、スクラッチカードをお客さんに渡す。お客さんはこする。特賞、きょうの3000円のお買い物はただなんです。どうぞお持ちください。1等賞、半額です。3000円ですけれども、1500円いただきます。2等賞、1割引き、2700円です。3等賞、空くじなし、50円引きです。
 これが始まると、何が起こると思います。みんなきょうただになると思い込んでしまう。 (笑) 客単価が上がるんです。うちは食料品スーパーですから、邪魔になるものはないんです。でも、お客さんこすって「また、3等賞よ。当たり入れているの」というんです。うちの店長はサラッとした顔で「企業秘密です」と答える。「うん、そんなことばっかりいって」。でも、お客さんがにっこり笑って帰る。このにっこり笑って帰るというところから実はコミュニケーションが始まるんです。うちみたいな食料品スーパーはお客さんは一言も口を聞かなくたって買い物できる。にっこり笑わなくたって買い物できる。お客さんは、口をきかない、笑わなくても買い物できる。その店でにっこり笑いながら、「本当にしようがないんだから」なんていいながら、進んでいく。こういう形の中からコミュニケーションってできると思うんです。
 こういう集まりで、昔の商店会を皆さん懐かしがってお話しいただくことがあります。行政の方たちの集まり、市民運動の方たちの集まりで商店会の代表として行くと、昔の商店会はよかった、よかったとみんないうんです。本当によかったと思います?皆さん。私は昔の商店会なんて買い物しやすかったと絶対思いませんよ。昔の商店会ではコミュニケーションがどれていた。本当にコミュニケーションとれました?私は魚屋のおやじなんておっかなくて口聞けませんでしたよ。八百屋のばばあなんて荒っぽいばかりで1つもおもしろいと思わなかったですね。魚屋のおやじに「この魚新しい」なんて聞いた途端、どんな目すると思います?(笑)これはいけないと思ってよいしょして、「どこでとれたの」なんていうと「海」なんて答える。八百屋のおばさんに「このみかん、甘い?」といったら、何ていうと思います。「食べてないからわかんないよ」なんていう。そんなことをやっているから大手量販店に負けたんです。
 我々がこれから先やらなきゃならない商店会というのは、昔の商店会とは違うんです。我々がやらなきゃならない商店会は、これからの新しい商店会。これは何か。有店舗による無店舗販売というものに進んでいかざるを得ないと考えています。これはこれからおいおいいろんな形で皆さんのお目にとまると思います。マルチメディア、コンピュータというものが町をどう変えていくか、おもしろい実験が出てくると思います。

 話があちこちいって申しわけないんですが、「商店会がこんなことをやっていて本当に儲かるの」と、よくいわれるんです。儲かるんです。4月、5月の2カ月間に、早稲田の町に修学旅行のグループ研修で、田舎の中学校の子供たちが来たんです。うちの町に修学旅行が来たんです。うちの町には水族館も、美術館もないんですよ。日本中の行政が箱物行政して、ピーピーヒーヒいっているこの世の中で、早稲田の町は、みんなで口裏合わせて、ごみだとか環境だとかいっていたら、修学旅行が来ちゃったんです。
 早稲田の町に修学旅行が来て、早稲田大学を案内して、早稲田の大学の先生に、町と大学が一体となった環境対策なんていう説明をしてもらって、説明する前に、中学生に、めちゃくちゃ偉い先生だとか、思いっ切りすり込んでおくと、田舎の中学生たちは純真ですから、そんな偉い先生の話をこんなに間近に聞けて、僕たちは幸せ者だ。それで早稲田大学の一番新しくできた14号館というのを見せる。「すげえな、大学って」と思う。6階にある学部共通端末室、 100台のコンピュータがダーッと並んでいるすばらしいコンピュータルーム、最新鋭の機器がいっぱい並んでいる。それを外から見ると「ウエーッ」、田舎の中学生が目を飛び出るようにびっくりする。商店会を通ってエコステーションに行って、商店会のエコステーションの中で空き缶回収をやる。商店会を歩くときに、我々は何ていうか。「3年たったら、来いよ」と声をかける。子供たちはうれしがって涙を流す。と、我々は思い込んでいるんですけれども。(笑)
 やっていくうちに、「早稲田はすごい、早稲田の町で勉強したい。早稲田大学に行きたいと思い込むやつが何人か出てきたらしめたものです。今1つの学部を受けるのに3万5000円かかりますから、みんな大体3つぐらい受けますから、10万5000円、学校が用意するのは紙3枚ですから、相当儲かる。ことしは広末涼子という女の子が早稲田に来るというので、7年ぶりに受験者数は前年をアップしたといっていますが、あれ、うそですよ。広末涼子という女の子の教育学部の国語国文は増えてない。減っているんです。増えている学部はどこかというと、まちづくり、環境対策、環境関係の学部が増えている。だから、早稲田の大学は我々町の商店会に向かって足向けて寝られないんです。でも、周りに7つあるから、どっち向けていいかわからないだろうなと思っています。(笑)そういう早稲田の大学と町とのかかわりの中でやっております。
 遊び心といいましたが、今のエコステーションの中で出ているチケットに、町と大学が一体となった環境対策を記念して、早稲田大学総長奥島孝康先生直筆色紙プレゼントというのを出している。もう1つが、行政と町が一体となった環境対策を記念して、新宿区長小野田隆区長直筆色紙プレゼントというのも出しているんです。
 これは出しただけじゃ、遊び心にならないですから、我々は区長秘書室、総長秘書室に内緒で、そのチケットの一番下に、「色紙の要らない人、 500円のお買い物券と交換」と書いてある。 (笑) それがばれたときに総長秘書室は怒りましたね。「うちの総長の色紙が 500円?」といったんです。区長秘書室も「安井さん、あんまりだ」というんです。私が両方にいったのは「1000円だったら、だれが色紙なんて持っていくか」。総長とか区長をこうやっておもちゃにできるのは、我々町しかないんだよ。この遊び心が町を動かすことなんだ。この遊び心がわからない区長は、4月25日の選挙のときにきっちり話をしようじゃないかといったら、区長から直接電話があって、「どう使っていただいても結構です」。 (笑) 今でも出しています。
 ただ、冗談にならなかったのは、だれ1人色紙持っていかないというのは困った。みんな 500円のお買い物券になっちゃって、冗談にならねえなといっているんです。そんな形で、町では儲かること、楽しいこと、そして人が集まることをやっています。



自分たちのまちを自分たちでまもり、作る

 震災対策、きょうはまちづくり、都市計画ですから、1つだけお話ししますが、実は震災対策の中で我々の町がやろうとしているのは、町と大学が一体となった震災対策。空き缶パーンと投げ捨てる。「おまえの仕事だろう」という学生が3万人いる。この3万人の学生も、我々町の商人にとってみれば、お客さんですから、メリットがあるんです。ところが、うちの隣のマンション、向こう側のアパートに住んでいる人にとってみれば、近所に大学があることに対してのメリットって実は何もないんです。長いこと、早稲田に住んでますから、おたくの息子を入りやすいようにしておきますなんて絶対いいませんし、ましてや月謝を安くしておきますなんて口がさけても、あの大学はいいません。そうすると、近所に大学があることに対してのメリットがない。町の住民にとって近所に大学があることについてのメリットを出させようということで、始まったのが、大学と町が一体となった環境対策です。
 これは前段がありまして、早稲田大学の震災マニュアルというのを私見てしまった。この震災マニュアルには何て書いてあったかというと、第1番目に書いてあったのが、「学生を安全に学外退去」って書いてあった。これは大学の中で学生に死なれると面倒くさいということでしょう。
 町の一時避難場所は大学になっておりました。(笑)3万人が出て、2万4000人が入る、ただそれだけです。
 この担当セクションは管理課長です。けんかした管理課長がこのセクションですから、これはしめたと思いまして、「もう3万が出て、2万が入る、真ん中で折り重なるように死ぬね。あんた業務上過失致死、担当常任理事も一緒、即日パクられる」といったら、管理課長が顔色変えて、町と大学が一体となった震災対策をいい出した。
 商学部の3年生の何々クラスは西早稲田1丁目地区のおじいさんを助けろ、おばあさんを担いで逃げろという具体的な自主防災です。でも、これじゃ無理なんです。山田さんのおじいさん、田中さんのおばあさんじゃなきゃだめなんです。でも、もっというと、山田さんのおじいさんは足が悪くなった。田中さんのおばあちゃんは耳が不自由になったということがわからなければ、助けられないんです。だって、震災が起こったときにまずは自分の家、そこに3万人の学生、3万人全部じゃなくても、1万5000人、または1万人の学生がダッと出てくる。その震災弱者のマップ、我々の持っている情報を学生さんたちに渡すと、ダッと出ていってくれる。こういう形の中からおじいさんが助け出され、おばあさんが担ぎ出されるという具体的な自主防災をやろうということが動き始めている。こうすることによって、早稲田の町は震災対策、安全な町になろうとしている。
 もう1点、我々のメーリングリストのメンバーに東大の地震研のドクターがいるといいました。このドクターがいい出したのは、震災時の倒壊家屋診断をやりましょうということなんです。「安井さんのお店の特売のチラシ。これはB4で月に3回ぐらい打ちます。そのB4のチラシの裏、3分の1をご提供いただけますか」というんです。「何」といったら、「そこに倒壊家屋診断申し込みというのをくっつけて、それを稲毛屋さんのところに持ってくるということで、早稲田の地区で1000軒を目標に倒壊家屋診断をやろうと思うんです」というんです。あれ、普通頼んだら3万円ですから、3000万のプロジェクトです。もちろんこれから先はプロの方にお願いしないと無理ですといいながら、早稲田の町で1000軒の倒壊家屋診断ができたら、今東京都で出している 500メートルメッシュの震災時のものよりもっと精度の高いものが出てくるんじゃないですか。
 その中で、行政ではいえない、または研究機関ではいえない、おまえの家はつぶれた、おまえの家は燃えたということにしてのシミュレーションも町が主体になればできる。そうすると、我々の町は住んでいて安心という町になる。震災対策のシミュレーションも、町と大学、そして行政が一体となって進めていこうと今考えております。このキャッチコピーも私は考えたんです。あんまり評判がよくないんです。何で評判がよくないかわからないんですが、総長に話をして「震災シミュレーションのキャッチコピーを考えた」といったら、早稲田大学の総長が「何を考えたんだ」というから、「グラッと来たら、待ってましたといえる町」といったら、 (笑) 「ほかのやつに考えさせなさい」といわれた。おれはいまだにいいなと思っているんですが、何でおかしいなのかなと思っている。(笑)
 そんな形の震災対策、これから先うちの町はどんどんおもしろい方向に変わってくると思います。

 実は、12日の土曜日に韓国から4人の見学の方たちがお見えになりました。下手くそな通訳が1人入っていたので、本当にそういったのかどうなのか、よく分からないんですけれども、「何で来たの」といったら、韓国には財閥系企業グループで現代グループというのがあります。その現代グループから「日本に行って、安井潤一郎に会えといわれて来ました」というんです。「ええ、知らねえな」「現代グループでどなたか安井さんはお知り合いの方がいるんですか」と聞かれたから、「知り合いの韓国人は焼き肉屋しかいないよ」といった。(笑)
 先週の土曜日は、ペテルスブルグ第5テレビ局というのが取材に来ました。昔のレニングラードというところのテレビ局らしいです。これが来る前に、うちの商店会の副会長の会計のところに、外務省大臣官房国際広報課長新美何とかさんという人の、、「ペテルスブルグ第5テレビ局の取材に対し、格段のご配慮をお願い申し上げます」なんていうでっかい判このついた紙がきちゃった。何だかよくわからなくなっちゃったな。何で韓国が来るんだ。何でロシアが来るんだ。でも、「商店会の副会長の会計、おまえのところに来たんですから、おまえが対応しろ」といったら、「そんな」とかいって、直前になって、やつは不動産屋なので、「契約が入ったので、安井さん、頼みます」と、こっちに振られてしまった。(笑)インタビュー受けて、「この空き缶回収機、見ましたか」「この空き缶回収機に、ロシアからも何かサービスを入れたらどうですか」「キャビアが好きだ」。もしかしたら、ロシアのおっちょこちょいのやつがキャビアを送ってくるかもしれないなと思っているんです。そんな形でどんどん広がろうとしています。

 あちこち話が行って申しわけないんですが、直近の話をさせていただきます。来週月曜日、6月28日、早稲田の町で全国リサイクル商店街サミットというのを開催します。夕方4時から商店街のエコステーションを見学して、4時半から地元の東京三協信用金庫の3階のホールで2時間のサミットを行うということです。
 こういうと格好いいですけれども、実はこの出だしは、29日に小樽の商店会長が東京で講演をする。ついては前の日に東京に行くんだけど、「安井さん、夕方、会えないか」という電話があった。「いいよ。28日の月曜日だったら、空いているから飯でも食おう」といった。で、小樽の商店会長が来る。でも、せっかく小樽から来るのに2人だけで飯食っているんじゃもったいないな。みんなも呼ぼうぜという話をした。「みんなって、だれ」「口先ばっかりで環境だとか、リサイクルといっている商店会長がいろいろいるじゃないか」「ああ、いるいる、じゃ、みんなに声にかけよう」といったら、みんな来るということになっちゃった。
 九州熊本、佐賀の多久、四国からは新居浜と高知と高松といってました。兵庫県から神戸と三田。滋賀県からは彦根。隣の神奈川からは神奈川県庁とブレーメンが来る。東京からは私のところと神楽坂と下高井戸。埼玉からは戸田と入間。長野県の大町。群馬高崎のJC。みんなぞろぞろ集まっちゃった。とんでもないことになっちゃったなと思って、こいつらに東京で安井と1杯飲もうというんじゃ、商店会も交通費を出しづらいだろうというので、全国リサイクル商店街サミットと後から名前をつけてやった。こんなことをやるよと通産省にいったら、通産省のリサイクル推進課長が同席させていただきたいといってきた。通産だけじゃ、片手落ちになるので、厚生省にいったら、厚生省のリサイクル推進室長も「私も出ます」。東京都の労働経済局の部長さんが「私出ます。産業政策担当部長も来ます」というんです。とんでもないことになっちゃったなと思っていたら、NHKのBSが取材に入りたい。NHKのBSが入るといったら、ニュースステーションが来るという。「あらあら」要するに世の中何が起こるかわからないということです。
 我々は行動の伴わない議論は時間のむだといっている。行動という字は行く動くと書く。行く、動くというのは、何かといったら、物の見る視点。視点が変わる。動く前に話をしていることは見えないこと、わからないことを話をしている。だから、最後の結論が今までどおりになることが多いということを、皆さんもよく覚えておいた方がいいです。この会議をやっていながら、「やってみなきゃわからない」というこの一言をどこでだれがいえるかです。しかし、「やってみなきゃわからない」という言葉は、行政でも企業でもなかなかいえない。これがいえるのは何か。我々町だから、いえる。自分たちの活動は行政の仕事でも市民運動でもないんです。我々はこの町に住んでいるから、我々の活動は生活なんです。生活だから、無理なことはしない。生活だから、むだなことはしても無理なことはしない。できることだけをやろうといっている。しかし、できることは広がる。この広がるところから元気と活気が出てくると我々は学習したわけです。

 これから先、町はどんどんおもしろく変わっていこうとしております。劇的に変わるのは小学生といいました。実はPTAの会長になるときに、学校なんてのは先生に任せておけばいいんだといいました。でも、これは先生に全幅の信頼を置いて、学校に任せておけばいい、先生に任せておけばいいといったんではないということが、後になって私は気がついた。町と学校と地域、この3つが一体とならなければ、今の子供たちを安全に真っ直ぐ育てることは無理だ。だって、そうでしょう。私だって、学生時代、大学生になる前にたばこ吸ったり、酒飲んだりしました。しかし、あっちこっちで、変な覚醒剤を売ったり、変なものを売ってたりしてなかったです。
 我々の町の隣には歌舞伎町があるといいました。歌舞伎町と我々の間に何があると思います。新大久保というところがあるんです。今から7年前、私がPTAの会長だったときに、この大久保小学校のPTAの会長は頭抱えてました。なぜか。あの新大久保の裏通りに外人売春がいっぱいいた。このお茶引いた外人売春が中学生をつかまえて「坊やなら3000円でいいよ」といったんです。小学校のPTAの会長は頭抱えました。だって、6年たったら、今いる子供たち、全員中学以上になるんです。小学生はまだしも、中学、高校生、男の子にとっての性欲というのは食欲以上だといわれています。この子たちに「坊やだったら、3000円でいいよ」なんていう町をつくっちゃっている。自分たちの町ではそれをつくらせないという形の中からスタートしていかなきゃいけないんじゃないですか。
 その新大久保が随分変わってきて、新大久保からはじき出された外人売春がどこへ行ったか。池袋に行きました。池袋はそれで大変困って、池袋の商店会の若手の連中が、もう何年も前になりますが、暮れに町の角々にテントを張って、たき火をして、外人売春追放、そういう部分の客が行きづらいような形にした。その外人売春がそれからどこへ流れたか。上野に流れた。こういう話をしていきますと、大もとのところがやらないからだと、よく識者はいわれる。くさいものはふただという言い方までされる。
 でも、私はこれでいいと思っている。なぜか。自分たちの町を自分たちで守るという意識を日本中で持てば、こういう状況にはならないということです。自分たちの町、そんなものどうでもいいと思っているところはつぶれて消えるんです。
 建設省の役人が話をしているのを聞いて、東京都の役人は、東京都と北海道と違うんですよという。でも、東京都の役人の話を聞いて、新宿区の役人さんは、「新宿と杉並区違うんですよね」という。でも、新宿区どこでも一緒だと思っている。四谷と早稲田は違う。歌舞伎町と落合、違うんですよ。早稲田の中でも向こうとこっちは違う。行政のいう公平と平等というのはみんな一緒という意味なんです。みんな一緒という意味は、我々の公平と平等の中にはないんです。我々にとっての公平と平等というのは、公平なルールのもとに平等に競争に参加する権利があること、これを我々は公平と平等だと思っています。
 でも、行政は税の公平化ということですから、こんなことはいえない。しかし、行政の方たちは、私たちの口を通してそれをいわすことはできるんです。自分たちのできることをおやりなさい。自分たちのできることをやろうということに最後はなっていくんじゃないかと思います。
 好き勝手な話をさせていただきまして、大変申しわけありません。ここまでにさせていただきます。
 ご清聴ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口)
 廃棄物ゼロの話からまちづくりまで、いろんなお話をしていただき、まちづくりの主役はだれかなど、いろいろ考えさせられる点がたくさんあったかと思います。
 いつものように、ご質問、ご意見をうけたまわります。ご質問のある方は挙手をお願いいたします。

南(人権ネットワーク東京代表)
 薬王寺に住んでおります南定四郎と申します。きょうここへ来ましたのは、私どもの町内会の役員から、おまえ、行って探ってこいということでした。なぜかというと、早稲田は環境、環境といっているけれども、薬王寺というのは環境では元祖なんだ。光化学スモッグであんなに大騒ぎになったから、早稲田が環境であんなに町がよくなるんだったら、我々だってよくなるはずなんだから、おまえ行ってちゃんと聞いてこいということだったのです。それでお話を聞いて、大変参考になりました。
 1つだけ、ご質問したいことがあります。お話の最初のところで、商店会長になるには、PTA会長云々というお話がありました。やる気のある人がいても、それなりの資格がなければその役目につくことはできない。したがって、その意思決定の場に参加することはできないというお話しを頂き、その後、事業委員会をつくったというお話でした。
 私どもの地域で同じようなことを私がもし提案したとすると、必ず否決されます。簡単には事業委員会というのはできない。早稲田の町で簡単に事業委員会ができたのは、商店会長さんのツルの一声でできたのか。あるいは、それについて何らかの手だてがあったのか。その辺をお聞きしたいと思います。

安井
 私の前の商店会長は2人で30年やっていました。同い年の商店会長さんなんですが、このお2方が30年間やっていました。「自分たちがどんなに頑張ったって、町が動かなかった。もう自分たちも60になった。そろそろ安井、かわれ」ということになった。かわるときに、ご自分のブレーン、お仲間が全部一緒にやめました。「それはあんまりだ」といったら、「相談役とか班長という立場では残るが、正副会長はすべて安井が決めなさい。そのかわり正副会長会で決まったことはどんなことがあって、絶対ノーとはいわない」という確約をいただきました。
 だから、正直いって、私はベテランの方たちに育てられたんですね。この方たちの懐が深かったんです。ただ、私はこのベテランの方たちに申し上げました。会合は同席していただきますけれども、この方たちに1つだけお願いした。「心配しないでくれ」といった。ベテランの人たちの心配は若手のやる気をなえさせてしまう。ベテランの方たちは、心配する気持ち、本当にありがたい気持ちで心配事をお話しいただくんだろうけれども、決して心配しないでくれ。ベテランの心配は、往々にして「あのとき、そういったろう」となってしまう可能性がある。ですから、ベテランの方たちのアリバイづくりのための心配ならば、やめてもらいたい。もっといったら、商店会がどんなことをやったって、大したミスはしません。商店会でも町会でも赤字を出したらチャンスですよ。若手の役員、飼い殺しです。実は私が最初の96年のイベントのときに50万円の赤字を出しました。最初のイベントですから、どういうふうにやっていいかわからなかったし、資金的な部分もわかりませんでした。どのくらいかかるかもわからない。結果として50万赤を出してしまった。正副会長以下スタッフ5人が、町の中で一番のオピニオンリーダーのところ、相談役さんのところにいって「実はこういう形で50万の赤を出してしまいました。トントンで終わる予定だったが、50万の赤を出した。どうしようもないので、1人10万ずつ補てんします」といったら、「何を考えているんだ。それはあしき前例になる。やめなさい。何かあったときに備蓄していたんだ。それを取り崩しなさい」といわれた。「でも、先輩たちが営々として築いた商店会の資金を勝手に崩していいんでしょうか。緊急総会を開いた方が……」といったら、「安井、何をいっているんだ。そんなものは役員会の中で処理しなさい。役員会の中で処理できないんだったら、私がそれに出ます」といってくれた。それで、最後に「ためようと思ってためてたんじゃないんだよ。使い道がなかったんだよ」と、ポンと人の方をたたいた。正直いって涙ぐみましたね。「ハアーッ」と。
 でも、今考えるとやられたなと思いました。我々5人の役員は飼い殺しですよ。一生やめられないんですから。(笑)この相談役いうんですよ。ちょっと私たちが生意気なことをいうと、「ところで、あの最初のときの赤は幾らだった」とかいうんです。もうないんですよ。商店会の備蓄を取り崩しているから、赤はない。でも、みんなの心の中にはあのときのスタッフ5人の名前と50万という金額はインプットされてますから。そのときに同じ間違いを2度しては笑われるけれども、最初のとき、何かやろうといったときに、みんなでたきつけてやるべきだとおもいますよ。
 お答えになるかどうかわかりませんが、いわばツルの一声です。しかし、この一声の中には私の前の30年間の営々とした苦労があったのだと、私は感じています。
 よくいわれるんです。薬王寺の方がおっしゃるように、おれたちの方がもっと前からやっているとか、おまえたちよりもっとスマートにやっている。この間など、豊島区の染井銀座商店会の商店会長といろんな会合で会った。実は今うちのエコステーションでは月に3回、福祉の作業所でつくった商品を販売しているんです。それが日経新聞の夕刊にドーンと出て、また早稲田の商店会は立派なことをやっているというんですけれども、現実問題は、あそこが空いているから、だれかに貸してやったらどうだというだけの話なんです。福祉の作業所というのが来てくれれば、きれいに使うだろうとか、もちろん家賃も何も要らないわけですから、貸すわけです。そうすると、すばらしいとみんなが褒める。
 さっき韓国の人が来たといいました。韓国の人が現代グループから会ってくれ。とんでもないことになっちゃったな。「どうしてですか」といったら、韓国ではエコタウン早稲田というふうにマスコミで取り上げられている。「それは大きな間違いです。何にもしていません」。エコステーションに連れていった。エコステーションの空き缶回収機とペットボトルの回収機をえらく気に入ってくれました。なおかつ、ついこの間新しい機械、アドマリーンという機械を入れました。チケットが出て、そのチケットの中には中華屋さんのお食事の方にぎょうざ1皿サービスというのも出ている。中華花月でぎょうざ1皿サービス。花月ってどこにあるんだといったときに、こっち側にあるアドマリーンという機械。水槽なんです。本物の熱帯魚が泳いでいる。熱帯魚の後ろ側がテレビ画面です。ここの熱帯魚の下に差し入れる口がありまして、バーコードがチケットについてますから、これを読ませる。そうすると、中華花月の全景がパチンと写真で出て、オーナーの顔が出て、ぎょうざが出るんです。(笑)これを韓国人が見て、「これはすごい」というんです。
 ちょうど運悪く、福祉の作業所、知的障害を持った人たちの作業所の人たちがつくったものを売っている。韓国の人たち涙ぐまんばかりに感激して、人の手をギュッと握って、「あなたはすばらしい」なんて、世の中いろんなことが起こるもんだなと思った。(笑)
 ですから、染井銀座の商店会長が、こんなことをやっているんだけれども、うちも実は前からやっているとかいってました。「どうしておまえのところだけ、そうやって取り上げられるんだ」「そんなもの、わかっている。商店会長の器量の差だ」といっている。(笑)
 さっき谷口さんの方から、早稲田大学というのがあるからできる活動ですねといわれたんですけれども、そのとおりですよ。早稲田大学があるからうちの町ではできる。しかし、この活動をやる前はどうでした。3万人の学生、夜酒を飲むとうるさいんですよ。自転車なんてあっちこっちに置いてくれるんです。けんかもしてくれますし、こんなのが3万人もいるんで、困ったもんだなと思っていた。それが、この活動では大変な力を発揮する。ですから、今度、薬王寺さんが、薬王寺でなければできないことってできるんです。
 きのうの午前中に大久保のところにある海城中学の先生から電話がかかってきて、中学1、2、3年生のお勉強として、早稲田“いのちのまちづくり”というのを取り上げたいというんです。ことし8月29日、うちは夏のイベントをやるんです。そのときに「じゃ、海城中学にテントを1つ提供しましょう。中学校の皆さんがうちの町をどうやって料理してくれたか、どうやって分析してくれたかを、ここで出したらどうですか」といったら、「ぜひ、やらしてくれ」ということでした。
 もう1つ、建築会社の社長さんと別件で会いました。「安井さん、幾ら頑張ったって、産業廃棄物はなくならないよ」といわれた。「20年ごとに家を建てているようじゃ、産業廃棄物なんてなくならないよ。今一般廃棄物の方に目がいっているけれども、その8倍産業廃棄物があって、その大多数が建築廃材だよ」というんです。「我々は今 100年住宅を勉強しているんだ」というから、「だったら、8月29日来いよ。テント1つ貸してやるから、その 100年住宅をみんなに教えたら」といったら、「ぜひ来る」というんです。
 それから、もう1つ、大豆畑トラストというのにうちの商店会は取り組んでいる。日本の食糧自給率は低い。ましてや大豆というのは3%しかないそうです。日本で使う大豆、日本古来の食品、おしょうゆとか納豆とか、おみそをつくる大豆、これの食糧自給率は3%。残りの97%は海外から輸入されて、なおかつアメリカから入ってくる大豆は遺伝子組みかえ食品が混在していて、安全、安心度にはいま一歩というのが日本消費者連盟から出ました。大豆畑トラストという運動がある。4000円払うと、10坪の畑が自分のものになって、そこでつくられる非遺伝子組みかえ完全無農薬の有機栽培の大豆があなたの手元に届きますという大豆畑トラストです。
 でも、大豆がそのまま自分の手元に来たって、困るわけです。じゃ、これを商店会でやろうということにしました。どうするかというと、お豆腐です。私の町には手づくり豆腐屋さんがありますので、このお豆腐屋さんに大豆畑トラストで6キロの大豆がとれるそうです。6キロの大豆でできるお豆腐が年間48丁。お豆腐屋さんの手間賃が半分ですから、24丁として考える。年間24丁、月に2丁。毎月第1、第3水曜日はお豆腐の交換日とすればいい。「マイ豆腐作戦」と名づけました。マイ豆腐作戦で、4000円払って、年間24丁。天然にがり使用、国産大豆 100%のお豆腐は1丁 200円が平均なんです。ということは24丁、4800円です。4800円払うよりも一括4000円払った方がお得ですよという大豆畑トラスト、マイ豆腐作戦。これを8月29日のイベントのときに、4000円の募集と同時に、大豆畑トラストの説明もするということで、今度の8月29日のイベントは盛りだくさんという形になっています。
 実行委員会の中で、イベントをインターネットで同時中継しませんかという話が出てきたんです。ビデオで撮って、それを圧縮してインターネットのホームページに載せると、早稲田大学のホームページで受けてくれれば、早稲田大学のホームページをクリックすると、今早稲田でやっているイベントがリアルタイムに見れる。10秒間ごとの動画ならばできるということです。商店会のおじさんたち、そんなことを聞いたってわからないですよ。そのアイデアを出してきたのは、早稲田の高等学院、高校2年生です。附属の高校2年生が「こうやってこうやって、こうやればこうなると思うんですけど、どうでしょうか」って、商店会のおじさんたち、みんなで顔を見合わせて「何いってんだ、こいつ」(笑)と思ってたんですけれども、座っていた若手の助教授に、「先生、こんなこといっているよ、こいつは」といったら、助教授が「そのとおりでいいんです。それならできます。そこまで考えているんだったら、早稲田大学の回線を1つ8月29日に用意しておきましょう」ということで、ことしの8月29日午後の1時から早稲田大学のホームページをクリックしていだたくと、見れることになるかもしれません。まだまだ流動的ですけれども。
 実は早稲田大学には1600人の留学生がいるんです。1年ごとですから。ということは、「日本時間8月29日の午後の1時に早稲田大学のホームページをクリックしてください。あなた方が1年間学んだ大学で今起こっているイベントが見れますよ」とできるんです。これから来る留学生の人たちには「あなた方がこれから1年間学ぶ早稲田の大学で今やっているイベント、町の商人と一緒にやっているイベント、これから先あなた方はこの中に入れますよ」ということもできる。
 ということは、この8月29日のときに、3200人が海外から早稲田大学のホームページにアクセスしてイベントを中継して見て、懐かしがってくれる。「ああ、あの大学はよかったな」「ああ、これからこの大学で1年間できるんだな」と思ってくれる。これが町を好きになってもらうということだと我々は感じております。

伊藤(株式会社リョーワ)
 きょうは大変貴重なお話をありがとうございました。
 時間がないので、1つだけ。これから先のことの件で教えていただきたいんですけれども、今世の中で中心市街地が確かに全国で寂れています。いろんな手法の中で、外国で十数年前からやっている方法で、通産省の主導でTMO、タウン・マネジメント・オーガニゼーションというのがこれから脚光を浴びてくると思うんです。その辺を成功させるところで、多分先生のあれが非常に大きなウエートになってくると思います。これからのことで申しわけないんですけれども、その辺の参考になるところを教えていただけたらと思います。

安井
 TMOの話も中心市街地活性化という形であると思います。ただ、我々は今後こうなるだろうとか、ああなるだろうといって活動を続けてきたわけじゃないんですね。自分たちのできること、それを見ていったら、これができる、あれができるという形の中から出てきたと思うんです。ですから、私のきょうお話しさせていただいたことが、皆さんがお考えになっていることと果たしてジャストフィットするかどうかについては私はよくわかりません。ただ、早稲田の町ではこんなことをおもしろがってやっているよということだけわかっていただいて、なおかつ、町が動くキーワードは儲かることと楽しいことだということをわかっていただく。町をきれいにする、倫理観とか、責任感とか、精神論だけで町を動かし続けると、必ず挫折するよということだけわかっていただければ私は進んでいくと思うんです。
 もう1点、飛騨高山、去年の暮れから何をいい出したと思います?来外者、来てくれる人たちのメインターゲットに障害者を据えたんです。 100人に1人、1000人に1人、1万人に1人の人のために物事の箱を変えたり、仕組みを変えたり、絶対コストに合わない。しかし、人に優しくする、大切にするという思いが実は次の 100年のエキスだということがわかり出したんです。
 飛騨高山でいうと、何が起こり始めたか。おじいさん、ちょっと足腰が悪い。でも観光客のメインターゲットに障害者を据えたら、自分の家から飛騨高山に行って帰って、おじいさんが全然苦労しない。おじいさん1人では絶対行かないですね。高校生の孫が行く。高校生の孫とおじいさんだけで行かなかったですね。お父さん、お母さんが行く。実は障害者をメインターゲットに据えたら、観光客が増えた。
 そういう形の中のいろんな切り口があって、おっしゃられたTMOの中は1つじゃないと思います。我々はミニ東京にした町は全部ガタガタになっているのを見ています。ローカルにローカルにローカルに徹するところで初めてグローバルに増えていく。広がっていくと思っています。
 横浜に二俣川フォルテというのがある。二俣川というなかなかいい商店街、ここは福祉の町宣言をしてお客さんは増えたんです。何で福祉の町宣言をしたかというと、郊外に大手量販店が出て、それの反対運動で署名を集めたら、町に住んでいる人たちはだれも署名に参加してくれなかった。これで商店会長はショックを受けて、町に住んでいる人たちにとって必要だと思われる商店会をやろうといったら、福祉の町宣言になった。
 目の不自由な人たちがいるから、ライトセンターがあるというのでやっていったら、弱視と一言でいうけれども、弱視の中には大きな字なら読める人と、光の強弱しかわからない、その人たちも含めて弱視だった。景観を考えると、街路灯なんかは全部町の中に沈み込むような色にしていたけれども、実はオレンジと黄色でなければ見えないということがわかった。盲導犬を連れて食事をしようと思ったら、盲導犬はだめですといわれて追い出された。すごく寂しかったという話を聞いて、それを商店会に流したら、当然のように、盲導犬ウエルカムというのを出した。そうしたら、お客さんは増えたんですよ。二俣川は福祉の町です。福祉の町宣言してお客さん増やしている。うちは環境ですよ。環境で修学旅行ですよ。お中元セールとお歳暮セールしている町はみんなつぶれていったんです。
 要するに、切り口が全部違うということです。そのあたりをよくごらんになっていきながら、その町の中のオリジナリティー、それは実は人なんですが、人をどうやって生かしていくか。人をどうやって元気にさせていくかということに尽きることだと思います。中心市街地の活性化、やる気のないところに幾ら中心市街地の活性化をやったって、そんなものはどぶに捨てるだけです。やらない方がいいです。やっているところ、1つの成功事例をつくって、そこをみんなに見せて、ああなりたいなと思わせることです。
 さっきの薬王寺の方がいわれたように、自分が何か出しても、旧来の会長たちが全部つぶしていく。つぶしていった会長たちが、後になって町の中で縛り首になるぐらいの町になっていくような気がします。縛り首というと大げさですが。
 でも、よく考えてください。我々は自分たちで動こうとしているでしょう。皆さんが暮らしていくのに安心、安全、私がやります。皆さん、私を支持してくださいという人が出てきたら、もっと怖い世の中になるんですよ。ナチスがそうだったじゃないですか。あのナチスという組織はアウトバーンで、失業率を低下させて、人の気持ちを引きつけたんです。
 今、石原さんが、強いリーダーシップを持ってというけれども、今の石原さんはまだまだ安心。でも、もっと変わった人が出てきて、ヒステリックな話を始めたら、私を含めて、きょうお集まりの皆さんの大多数の人たちは戦争体験がないと思います。しかし、戦争体験を持った人たちに育てられた年代です。でも、我々から下はどうなんですか。戦争体験を持ったこともない親に育てられるんですよ。ということは今自分たちが動き出すという思いを持たないと、次の世代をまた戦場に行かせるということになってしまうんじゃないかと我々はこの活動を通じて感じているところです。
 商店会長が夏枯れ対策から戦争の問題まで話しするなんて、これっぽっちも考えなかった。それを長い時間おつき合いいただきまして、ありがとうございました。(拍手)

司会(谷口)
 
本日は大変ユニークな、また、面白いお話が伺えたと思います。
安井さん、どうもありがとうございました。これで終わります。(拍手)


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