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第140回都市経営フォーラム

分権推進と活性化戦略の秘密
−小都市経営22年の観測−


講師:榛村 純一 氏
 静岡県掛川市長


日付:1999年8月23日(月)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

 

1.向都離村の学校教育から選択土着の生涯教育へ

2.住民参加という名の市民総代会と小学校解放とリーダーシップ論

3.まちの立派さの評価は保険・医療施策の立派さの評価から

4.日本一茶産地の生産消費地づくりと「これっしか文化」そしてエコポリス

5.女子は半天を支える(毛沢東)と妖怪七変化の登用

6.緑化と環境政策による地球田舎人の養成

7.30億円募金による新幹線駅設置と日本一掛川駅八景

8.土地改良事業や区画整理事業は生涯学習運動

9.新お国自慢づくり「唯一、最初、日本一づくり1ダース

10.生涯学習普及の4段階 究極の生涯学習一世紀一週間

11.広域行政と地方分権、パイロット自治体から地方主権フォーラムへ、4サミット
(一豊、塩の道、尊徳、茶)結成

12.21世紀における小都市経営の政策形成キーワード

フリーディスカッション



 皆様こんにちは。今ご紹介いただきましたように、私は浜松と静岡の中間の、東海道五十三次の掛川の宿、人口8万人の小都市の市長で、今23年目に入ったところです。長いことはあまり自慢にはなりませんが、知らないうちにたってしまったというのが正直なところです。
 きょうは、せっかくお招きいただきましたので、どんなことをやってきたか、これからどんな課題を持っているかということを率直に申し上げたいと思います。
 レジュメをごらんいただきたいと思います。私は、方々に話に出かけるときだけではなくて、市民に区画整理を立ち上げようではないかとか、婦人会や老人クラブやJCに行くとか、あるいは土地改良をやろうとか、とにかく何をやるにしても、30分以上市民と対話するときは、必ずレジュメを書いていくことにしています。ですから、この二十二年の間に3500枚書きました。効果は何があるかというと、書いて持っていくことは、いいかげんなことをいってないという証拠になることが1つ。それから、欠席者と家族に伝わるということが1つ。目で追いながら話を聞くと、ただ聞いているのと20倍ぐらい頭に入るという効果がある。その上でさらに、10年たって実現していれば、それが信頼になる。22年たてばそれが歴史になる。ホチキスでとめれば、掛川市の22年のまちづくりがそのまま歴史記録集になるということになっています。
 まちづくりで、日本ではよく「絵にかいたもち」といいますが、絵にかいたもちは、そんなものは絵そらごとだという人と、絵にかいたもちがなければ、どのもちを食いたいかわからないから、たくさん書かなきゃだめだという考え方とありまして、私は後者の方をとっています。それを食うか食わないかは、市民、住民の選択ということであります。ですから、手形でいえば、手がたく約束手形を5枚出して5枚落とすというやり方ではなくて、20枚出して13枚落とすというやり方です。それは一つ間違えば信用を失墜するおそれもありますが、そのかいた絵を食うか食わないかは市民の自由ですから、市民が選択しなかったことは実現しなかったということになるわけであります。
 日本の政治が、あるいは行政が書いたものを置いていかないということは、物を売り買いして、約束手形を出さないのと同じだと思うのです。だから、有権者が代議士に書いたものを置いていかせないから、日本の政治はよくならないと私は思っています。
 同じことは地方都市でもいえるわけで、地方都市の首長がそういうことをやっていないからだめだと私は思うんですが、うちの市民に限っては、生涯学習の町で浸透しましたから、役所の部課長が用地買収に行ったり、ごみ焼却場の話で行ったり、下水の話に行ったときに、市民の方で、きょうはレジュメはないのかと催促するようになりました。役人が書くと枚数が多くなりますので、何事もたった1枚にまとめろといっています。ですから、私は、きょう、22年のことをたった1枚にまとめて、その説明を申し上げたいと思います。



 前置きはそのくらいで、12の項目にまとめましたので、最初、どんな構成になっているか申し上げます。
 まず1番目は、まちづくりの理念の話です。理念にはその地域の地域学と旗印と両方なければなりません。掛川の場合は、地域学は、掛川学事始。旗印の方は、生涯学習都市宣言と新幹線掛川駅設置ということでした。
 2番目は、日本の国は津々浦々、小学校区単位にいろんなことが発想されたり、ローカルコミュニティが形成されているわけですから、義務教育施設が、田舎の町や地方都市の公共施設としては、空間的にも精神的にも金額的にも大きい存在です。この大きいものをフル活用しなければいけない。もったいないということで、小中学校のあり方と、それを住民参加システム形成に結びつけていくことと、それに果たすべき市役所のリーダーシップです。
 3つ目の話は、今市民が一番関心があるのは、病気と老後のことですから、市立病院の信頼と健康管理システムを都市の政策でしっかり確立することが大事なことです。生涯学習は、私の町では4段階目に入ってきまして、よく死ぬための教育が生涯学習の本質でよく生きるための教育が学校教育として健康長寿を第一義と位置づけているというお話。
 4番目は、農業とか産業連関とか、そういう所得、雇用、経済の問題をしっかりやる必要があるということ。
 5番目は、何といっても、女性が半分いるわけで、日本の国は、おっかさん、おふくろさんが支えてきたのです。その人たちが昭和40年ごろから、教育ママにみんななってしまったので、地方は疲弊しました。ですから、女性が元気づく町をつくらなければだめだということ。
 6番目は、緑化と環境の話と地球のお話。私は我が町の市民の指導層をできるだけ地球人に育てたいということで、小さい都市ですが、生意気にもアメリカに農場と森林を買いまして、中高大学生を毎年何十人か送っております。そのお話。
 7番目は、新幹線の駅とインター。掛川はずっと素通りの町だったので、これに駅とインターをつくることをみんなのお金を集めながらやったという話と、お城があったので天守閣を復元したことです。戦後天守閣は60復元されたのですが、みんな鉄筋コンクリートでやりまして、うちの町が最初に木造で本格復元した。観光政策をどこの町もいっておりますが、その観光政策充実には15条件あります。都市をつくりながら、15条件を整備してきたという話です。
 8番目は、土地条例のことですが、これからいい小都市をつくるには、土地利用計画がちゃんとしているかどうかが鍵です。この前お招きを受けてここでお話をさせていただいたときは、土地条例をつくって、私権を自治体の長が制限するというのは憲法違反だとか、建設省の都市計画法と農水省の農振法よりも権限の強い特別計画協定区域を自治体の長が設定するとはうぬぼれも甚だしいものだということで批判されましたが、あえて制定しました。バブル経済崩壊前夜のことです。それが今日、地方分権の時代が来て大体認知されてきまして、さて、どういう土地条例をそれぞれの市町村がつくるかという段階に来たということです。
 今地方都市に何が起こっているかというと、優良農地がどんどんつぶれる、農業の衰退とマイカー時代と郊外、近郊へのコンビニやスーパーの進出、その3つが結託して、都市だか農村だかわからない地域が全国に広がっている。ですから、土地利用計画をこの辺できちっとしなければいけないということであります。
 9番目は、お国自慢づくりということで、アメリカの都市計画ではエンジョイプランニングという言葉を使いますのに、日本の役所は、気難しくいろんな計画を立てているのです。私は楽しみながらまちづくりをやらなければいけないという考えですから、きょうお配りしたもう1枚のレジュメをちょっと見ていただきますと、シリアス半分、ユーモア半分、真剣半分、冗談半分で、掛川市の自慢話を1ダース並べてあります。これらを市民と共に談笑しながら22年の間につくってきたということです。題して唯一、最初、日本一。唯一であるか、最初である、そうでなければ日本一であるというようなことをいろいろつくっていこう。冷やかしながら、照れながら、我が町に自慢のタネをつくっていくことがまちづくりです。まちづくりは永遠のイベントであるということをどなたかいったと思いますが、そういう物語性が大切だと思ってやっています。
 10番目は、生涯学習とまちづくりのドッキング。全国どこでも津々浦々いうようになりましたが、それの4段階目の入り方、あるいは5つの生涯学習の必要性。
 11番目は、今はやりの地方分権をどう評価したらいいか。県をどう考えたらいいかというようなこと。
 12番目は、今まで述べてきたことを、小都市を活性化するための諸政策とすれば、その政策形成の政策領域は、健康、教育、環境、経済、建設、広域の6つです。これが偶然Kが重なりますので、6K政策といっているのですが、そのキーワードは何であるか。それから、12番目の項に、市場経済が出した公害と荒廃を正し、市場経済が滅ぼした文化と技能を復権すること、それが分権、ローカル思想ではないかということで、これから10年先以降は右肩下がりの時代が来るので、右肩下がりの社会でも人間は幸せになれるというシステムをそろそろ考えていかなければいけないと思います。その考え方の基本を二宮金次郎といい出しているということであります。
 以上が、小都市経営22年の始まりから、今までのことを総括して12項目に整理したものであります。
 これらをきょうは時間の許す限りいろいろ申し上げまして、後でご批判いただいたり、冷やかしていただきたいと思います。



1.向都離村の学校教育から選択土着の生涯教育へ

 そこで、1番目にいきまして、日本の国は、福沢諭吉が明治5年に『学問のすすめ』という本を書きまして、これから文明開化しなきゃいかぬ、ちょんまげと刀を捨てて、合理精神を身につけろといいまして、それ以来ずっと130年、「向都離村」の学校教育、東京大学を頂点とする偏差値体系をつくり上げました。向都離村とは都に向かって村を離れることで、私は、それに対して、「選択土着」の生涯教育、そこに生まれた人は、1%かそこらの人は東京やニューヨークに行って活躍するけれども、99%の人は生まれ故郷にいて、そこで悠々と一生涯暮らそうではないかといったわけです。
 そういう考え方がなぜ出てきたかといいますと、私はもともと林業、木を植えて育てて製材をやるという仕事が本職でありまして、考え方はロングタームです。昭和40年ごろから全国の村々から、みんな都市へ人が出ていく流れができて過疎化が始まりました。そのときに、こんなところにいてもしようがないというのは残る人に悪い、子供の教育というエクスキューズが一番出やすいわけです。
 そこで山村では教育はできないのかと問いかけ、私は、住民生涯学習運動を始めました。昭和45年のことです。そのキャッチフレーズは、「我が山、我が川、我が大学、我が森、我が村、我が教室、我が家、我が田、我が魂」というスローガンで、ここにずっとくし刺しになって暮らしていく人間がいないといけないのではないか。みんな東京に集まっては日本列島がおかしくなってしまう。そういう抵抗運動から始まりました。それを「哀しい矛盾」という図式にしまして、今や紅葉の美しいところは貧しいところ、緑豊かなところは不便なところ、小鳥さえずるところは寂しいところ、水のきれいなところは住みにくいところ、空気の澄み渡るところは、そこに住んでいる人の頭は澄んでいない、そういう悲しい矛盾を訴えたわけです。
 なぜ、頭が澄まないかというと、空気は澄み渡っていても、効率がすべて、お金がすべてと割り切った人から出ていきましたから、割り切れない人が残っているので、頭が澄まない。それを「哀しい矛盾」と覚悟して、それを腹に据えて頑張ろうではないかというのが、地域学のすすめです。地域には地域の学問があるはずで、学際的な学問を地域としてやらなければいけない。それで、私は「掛川学事始」といって、生涯学習まちづくりを唱えたわけです。
 向都離村の教育は、地域と両親を乗り越える教育です。それに対して、生涯学習は地域と両親を尊敬する教育。ところが、残念ながら、尊敬したくても尊敬に値するものがないから、乗り越えていくわけです。だから、これから掛川の人だったら、掛川が尊敬できなければいけない、そこにいる両親は尊敬に値する存在でありたい、そのために生涯学習まちづくりやりましょう、新幹線の駅もつくりましょう、インターもつくりましょうということをいったわけです。
 その選択土着の宣言が昭和54年の生涯学習都市宣言で、全国で最初に掛川がやったわけです。今は全国どこでもやっていますが、それは結局、自分の町を立派にすることによって、そこの住民の人生も幸せにする。自分の町のグレードを上げなければ自分の人生のグレードも上がらない、そういう考え方を全国の地方都市がみんなわかってきたので、最近では生涯学習まちづくりということを一斉にいうようになったのです。
 そこで、活性化の概念も全く変わりまして、従来の活性化は、工業出荷額が伸びたとか、予算や人口が伸びたとか、舗装率や下水普及率が幾ら上がったとか、それを活性化といったのです。それはそれで大事なことですが、一番大事なことは、真の活性化とは、頭脳や血液の活性化であり、自然の活性化です。自然の活性化とは、川に魚がちゃんと泳いでいる、昆虫がいる、森林が最大成長量を発揮していることです。今、日本の森林は、まさに工場閉鎖のような状態で、除間伐をやらないので成長することをとめたような森林が多いわけです。さらに、立地の活性化。それは空港であり、新幹線の駅であり、港湾であり、インターです。そしてさらに大事なのは一生涯の活性化。死ぬまで活性化していなければいけない。家庭の活性化、親子、孫3代の活性化というようなことが大事であるということです。
 そういう理念を掲げて、さらに具体的に3つの旗印として掛川市は、新幹線掛川駅をつくろう、定住圏構想を指定してもらって、みんなで定住構想をすすめよう。その理念は生涯学習で18項目のテーマとプロジェクトでスタートしました。
 これが昭和54年と55年のことです。私は52年に市長になったのですが、1年半ぐらいさんざん議論して、五百何回、市民対話集会をやりまして、意見要望をまとめたわけです。ですから、ポッといったのではなくて、十分なアンケートの結果出てきた案が18項目だったわけです。



 

2.住民参加という名の市民総代会と小学校解放とリーダーシップ論

 2番目は、学校の問題、住民参加の問題、リーダーシップの問題です。私のフレーズは学校は地域の太陽であるということ。学校を生涯学習センターにしてしまおうおうということで、小学校に全部大人のたまり場をつくったわけです。学校開放というのはこのころからいわれ出していたのですが、せいぜい校庭と、体育館を開放するくらいの考え方でした。学校の中に大人のたまり場をつくって、おじいちゃん、おばあちゃんも、何も用がない日は学校へ行こう、そして自分が卒業した学校ではなくて、私の一生涯の学校といってその学校に行って碁や将棋をやったりお習字や俳句をやりながら、校庭で孫が体育しているのを見ているというシステムです。
 それから、移動市役所みたいなことをやって、小学校単位に10月11月に毎年部課長を連れていって、学区ごとに意見と要望と苦情とアイデアの4つを聞いて、それらをちゃんと市長と区長との「交流控え帳」をつくり記録しまして、来年度予算などにどう処理したか、調査検討するとかという報告をします。今まで20回転やりました。
 それから、私は施政方針を2回読むわけです。3月に市議会でやって、4月に、区長さん副区長、会計さんの区三役450人に市民総代になってもらい、その総会でまた施政方針をやるのです。そして秋に16小学校区別に歩いて聞くわけで、それを永久回転するようにしてやってきました。
 そうしますと、どこの学区でどんなことをいっているかがお互いにわかるし、議員さんも、その控え帳を見れば、自分の選挙区はどんな課題、問題、解決があるかというのもわかる。役所の悪いところは、縦割りの引き継ぎ文書はありますが、地域割りの引き継ぎ文書がないことです。地域別総合行政が掛川の場合はできていまして、この地域の20年の住民の意見、要望、苦情、アイデアはこういう形になっていて、こう解決されて、まだこれが残っているということが地域別にわかるようになっているわけです。その控え帳を住民側も関係者も持っている。これが私は本当の意味での情報公開だと思っています。どうも最近の情報公開は、市長の交際費や公共事業の食糧費のようなことばかりいうので、ちょっとおかしいと思っています。
 それはともかくとして、私は学者ではないので、行政学の言葉に、在庫管理、進行管理、品質管理という概念を、臆面もなく使いました。これからのまちづくりで大切なことは、住民の意見、要望、苦情、アイデアの在庫管理、進行管理をちゃんとやりその都市の品質管理とセールスポイントにつなげることです。メーカーの経営者なら必ずそういうことはやるわけですから、それを行政においてもやったというわけです。
 以上の住民参加、市民参加の手法は、小学校区別にちゃんと掌握するわけですが、何といっても市役所の職員の信頼性と応答性が鍵です。そのため、私は8倍の生産性アップを呼びかけました。すなわち郷土愛とやる気を持ってやれば2倍、足並みとチームワークがそろえばもう2倍、命令と目標ビジョンがちゃんとしていればもう2倍、2×2×2=8倍の生産性を上げることができるといったわけです。
 それから、リーダーシップは、市役所の職員全体がリーダー集団とし、市議会も結束、協力体制をつくらないと本当の市長のリーダーシップは出ないわけです。市長自身が選挙に強いということは、職員のまとまりと議会のまとまりと市民の意見、要望、苦情、アイデアの在庫管理力、進行管理力とによりそれらが本当の意味でのリーダーシップを形成します。そういう力関係の求心性、これをガバナビリティーという言い方でいう場合もありますが、それが清潔度と志の高さをもって打ち出されると、まちづくりはダイナミックに動いていくわけです。



3.まちの立派さの評価は保健・医療施策の立派さの評価から

 3番目の話は、市民がこの都市はいい都市だと実感するのは、病気になったときに、自分のかかった市立病院はいい病院だ、あるいは子供が病気になったとき、この病院なら安心だという病院のグレードと市のグレードは大体パラレルだということであります。私は市立病院の経営について非常に苦心しました。愛365日を続ける生涯学習センターとして、保健と医療と福祉を体系的に推進し、「健康安心サロン」をつくりました。方々の町でいう人間ドックセンターのことで、それを健康安心サロンという形で健康を考えるわけです。名前は大切で、老人便利組合という言葉を使わないで、「先輩市民活動センター」、今は「シルバー人材センター」といいますが、それをつくり、さらに保健センターを「徳育保健センター」と名づけてつくり、徳を育て、徳という気持ちがあると健康になるという精神論も入れてやっています。
 それから、「1世紀1週間人生」といって健康長寿を進めています。英語でセンチュリー・ワン・ウィーク・ライフといいまして、1世紀元気で生きて、介護を必要としないで、寝込んだら1週間でさよならする、そういう社会的コストをかけないで死ぬこと。その努力を続けることが生涯学習だと思うのです。それは頭をよく使い、手足腰もよく使い、そして腹八分など節制の生活もしなければいけないのです。ですから、人生太く短く生きるという人は、政策対象としては困るわけで、できるだけ長く元気で生きて、人の手を煩わさない1世紀1週間人生を実現しようといっています。
 そういう健康と病気に関する生涯学習のため病院と健康安心サロンと保健センターを体系化一元化して、市民が健康で安心して暮らせる町をつくることが、21世紀のまちづくりの第一義ではないかと思うわけです。



4.日本一茶産地の生産消費地づくりと「これっしか文化」そしてエコポリス

 4番目は、何といってもそろばん勘定のことも、経済もしっかりしなくてはだめですから、掛川の場合でいいますと、お茶が全国で一番とれる町です。緑茶は全国の半分が静岡県で、そのまた10%が掛川市ですから、全国の5%が掛川市です。お茶の文化で、お茶は人類の発明した最高の保存野菜だといっているのです。これはジンギスカンが万里の長城の向こうでお茶の塊をかじっていた故事で、騎馬民族は羊の肉や馬肉はいっぱいあるけれども、野菜がない。その野菜の補給源に中国のお茶を持ってきて、かじったり馬乳に入れて飲んでいた。中国には「茶馬貿易」という言葉があって、北方騎馬民族が馬とお茶を交換していた。そういうこともあって、お茶にはカテキンというあの苦渋い味の成分ががんに効く、あるいは頭をよくするとか、虫歯にならぬ、O−157を殺すとか、最近は松下電器で、カテキン冷房といって、カテキンの風が出ると風邪を引かないとか、いろんな保健・薬事効果のことをいっています。
 緑茶のように、昔から食べたり飲んだりしてきた農産物は、分析すれば何か体にいいものがあります。だから、そういう研究をしながら、生産消費地づくり運動をやらなければいけないと思います。その意味は生産地はその消費の文化でも高いものを持っているという考え方です。今までは、生産地は貧乏暮らしで、消費地にいいものを送っているというパターンです。お茶でいえば、自分たちは三番茶を飲んで、一番茶のいいのを東京に送ることで、これは商品農業としてはやむを得ないのですが、これでは、いつまでたっても東京の家来だから、掛川の茶農家は、自分も一番いいお茶を飲んで、あんまりおいしいから東京の人たちにもおすそ分けして上げるという発想に転換することで、それを「家来農業からおすそ分け農業」という言い方をしています。農業もそれだけの誇りを持たないと、もう勘定に合わないやということでは、日本の農業は2010年にはこのままいけばほとんど崩壊すると思われるのです。
 一方で、我が都市の特色化にお金を出す運動をやる必要があります。その特色化のコンセプトを「これっしか文化」といっています。それはここにしかない文化ということで、今しか、ここしか、これしかないの三しか文化です。これをセールスポイントに第三セクターをつくって、掛川駅に「これっしか処」というお店をつくりました。そしたら、珍しくて、掛川に来た方は「これっしか処」で必ずお土産を買って帰っていただくので、年間で3億円ぐらい売れています。。お土産物で年間3億売るのはなかなか難しいので、日経新聞が3段抜きで「小さな町の大きなできごと」で、「これっしか処」を紹介していただいた。やっぱり東京と結託しないとだめだなと思ったのは、東京にはお金と暇のある人がいて、日経を読んでいる奥さんですから、程度の高い奥さんでしょうが、それが新幹線に乗ってわざわざ買い物に来ました。いわく「今しかないものを売ってください」という。東京には今しかないものはないわけです。
 掛川の新幹線駅と同じとき、富士の新幹線駅もできたので、そこの店長が文句をいったのです。「うちだって3億円売っている。何で掛川の店を書いて、富士を書かないんだと」いった。日経のデスクが「いや、おたくの方はだめだ。掛川の方は『これっしか処』という哲学がある。(笑)おたくの方はそれがない。「何ていう名前だ」「あれこれ屋」という名前です。(笑)だから、これはだめだということであります。
 このネーミングというのは意外に大事で、市民を引っ張っていくときに、面白い、それでいこうと共鳴されると盛り上がります。そしてネーミングだけではなくて、実質「これっしか文化」の品ぞろえができる見通しが立ちますと、そのために出資金を出す人もふえて、それらがうまくいけば成功体験となります。
 過疎地域や田舎の町が元気がないのは、成功体験がないから、よし、これでいこうという手法がわからないのです。考えようによれば、東京に何でこんなに人が集まったかというと、東京に一番成功体験があるからです。
 掛川は小都市。人口10万人以下の都市が全国に450ぐらいあるわけですが、その中で元気があるとすれば、成功体験がたくさんできたので、元気が出たかなと私は思っています。
 その成功体験の典型として100haのエコポリスという工業団地造成がありますが、バブルのとき計画して、全部売れて、全部操業したのは全国の工業団地でここだけだそうです。うちの場合は土地条例がありまして、底地価格を1万円に抑えて、売り出し価格を6万5000円と、売れる価格を設定したので、できたら、バタバタバタとみんな売れて、しかも一番当たったのは、松下通信という携帯電話のメーカー。携帯電話は今全国で4000万台動いていますが、そのうちの2000万台は掛川でできたものです。
 「エコポリス」という工業団地の名前もいいといわれ、エコ 生態系、自然系とポリス 人工系、都市系、この2つを一緒にした工業団地ということで、12社の企業が立地しました。掛川のここ7〜8年の間の工業出荷額の伸び率は全国で第1位でした。
 それから、企業を誘致するとき、普通どこの市長も、税金と雇用の増加というのですが、私は欲張ってもう2ついっています。それはある企業を誘致したことによって、その生産・商品の文化力、技術力でその町の文化・技術力が高まることを期待しているわけです。
 うちの町に資生堂がありますが、それだから、掛川市民はお化粧がうまい、ヤマハがあるからピアノを弾く人が多いというふうになってほしい。次にもう1つ、「筆頭力」というのがあります。これはイベントをやったときに、そこにある大企業がパッとお金を出すとか、コーディネーターや企画能力を出す。その筆頭になる。このように大企業と自治体の関係で4つの関係を結んでいくと、産業と地域の活性化の一番の決め手になります。



5.女子は半天を支える(毛沢東)と妖怪七変化の登用

 5番目は女性です。以上述べたコンセプトを今一番早くわかるのは女性です。女性の意識変革が進んでいるわけで、50年前毛沢東が4億の民を革命で引っ張っていくときに、字も読めない、新聞もないので、「女子は半天を支える」という言葉でそれまでの纏足をやっていた連中に「社会に出て、新中国をつくろう」と呼びかけた。それが燎原の火のごとく、全中国に広がって女子が奮い立ち、革命が成功したといわれる。だから、彼は最後まで失脚しなかったという話です。それはともかくとして、女性は、日本の国は昭和40年ごろまでおふくろさんという名の下に本当に頑張り、5つの苦労をしょってきた。それは何か。育児の苦労、家事の苦労、営農の苦労、そしてしゅうとに仕え、介護する苦労、さらに封建的社会と長男に仕える苦労、5つの五重苦。笑い話で、これが本当の「五苦労さん」。それをもう嫌だといい出したのが農家の嫁不足の始まりです。商店街にも若いおかみさんがいなくなった。
 ところで、女性は7役こなすわけです。7役は、娘として、妻として、母として、嫁として、しゅうと、おばあちゃん、職業婦人。男も7役こなしますが、大体同じ気持ちで生きていってしまうわけです。女はこれがみんな違うわけで、娘と妻はかなり違い、妻と母、これも子供を産んだ産まないで、かなり違います。嫁としゅうと、これは永遠の対立です。おばあちゃんと職業婦人。これらが個性的で美しく花開くように、「妖怪七変化」といって声援を送っているのです。
 掛川は新幹線駅建設のときに1戸平均10万円、1社平均100万円お金を出してもらって、あまりに負担が多かった。女の人は子供の学費は出しますが、町に寄附するなんてことは普通は考えない。豆腐1丁でも、大根1本でもいいところへ行って買うくらいですから、女性は細かいといわれている。しかし、うちの町は、新幹線募金に、奥さんの方がお父さんを説得してくれました。「お父さん、町を立派にすることによって私たちも立派になるというんだから、出しましょうよ。子供たちに平均800万円かけて東京の大学に出して、それで帰ってこなかったら、敵の戦力を蓄えているだけ。帰ってくるために1000万円の学費の1%が10万円。それでもって子供たちが帰ってくるなら、お父さん、出しましょうよ」ということを女性がいってくれたまして、30億円寄附が集まった。それから以降も、天守閣をつくるときも、インターをつくるときも、この20年間で、税金以外の寄附金を55億円、市は出してもらった。そういうお金を出すというとき、その町にとって「これは」というときに、女性がかぎを握っている。
 ところが、日本全国を見渡すと、学歴の高い女性ほど東京が好きなのです。なぜか、4つ理由がある。1つは、男女の差別が一番少ない職場が一番多いのが東京だ。2番目は、お買い物にしても、出会いにしても、お芝居にしても、選択の幅と機会が一番あるのが東京だ。さらに、プライバシーが守られるのが東京だ。それから、前衛が生きることができる、前衛を楽しむことができる、これが東京だ。田舎は、前衛というのは足を引っ張って絶対殺してしまうか、追い出してしまうのです。女性は保守的だといいますが、実は現代女性は非常に革新的です。
 掛川市はアメリカに農場と森林を持っていて、そこに中高生を毎年50人派遣していますが、最近の傾向で、8割が女性、2割が男性なのです。余りにも女の子が行きたがって、男性が行かないので、女性たちに「何で、男が行かないんだろうね」と聞いたところ、「男には度胸がないからですよ」という答えが返ってきた。(笑)今の地方都市の女性はそこまで進んできた。羽ばたきたい、羽ばたきたい一点張り。東京に成功体験があるから、みんな東京に来たがるわけです。
 だから、田舎にいても幸せになれるとか、田舎にいても自分が活躍できるという立場をつくらない限りは、田舎から女がみんな出ていってしまう。女が出ていったら、出産力がないわけですから、寂れる一方です。メスのいないところにオスはいない。だから、メスが喜ぶ町をつくることが大切で、女子は半天を支えるを肝に銘ずべきです。
 その考え方が20年たち、だんだん定着したのですが、最初の10年ぐらいはなかなか定着せず、これでは、いつまでたってもらちがあかないので、ショック療法をやろうと思ったのです。そこで、文部省に行きまして、「文部省のキャリア女性官僚をうちの町の教育長にくれませんか。生涯学習まちづくりの勉強にもなるし、女性を高めるために」と頼んだところ、文部省も協力してくれました。女性の教育長派遣は全国初めてです。大体田舎の町の教育長は小中学校の校長先生を4つも5つもやって、人格円満、経験豊富、無難という人がやっているわけで、女性変革の活用はできない。だから、38歳でしたが、女性教育長が誕生しました。女性でもここまでやれるんだということを証明してもらい、市民の意識が変わりました。
 その方は帰任して、婦人教育課長、社会教育課長を経て、今は総理府の男女共同参画室長です。その次の教育長は広報室長を経て、今、仙台市の教育長になっています。この2人の女性キャリア官僚が、都市経営と兼ねてこれからどのくらい教育を変えていくか。文部省の教育や戦後の日教組の教育は向都離村の教育でしたが、それを選択定住の教育にどこまで変えられるかで、日本列島の将来は決まるのではないか。大げさにいえばそのように思っています。



6.緑化と環境政策による地球田舎人の養成

 6番目は緑化と環境のことです。緑化は自分の専門ですから、町の中の街路樹が250本しかなかったのですが、今は5000本にしました。また河川と堤防を私は大事に考えていて、5つの機能を持たせています。1つは、もちろん洪水防止や治水機能ですが、もう1つは、橋の文化、道の文化機能、第3は、水に親しむ、親水の機能。それから、樹木と花を植える(美化緑化)機能。最後が防災防火帯機能です。
 私は神戸の大地震のとき1週間目にとことこ歩いて、災害現場を3回見学に行きました。そこで、家が倒れても庭木は倒れていない、街路樹は倒れてないということがわかりましたので、都市の防災機能には大木が一番いいと思いました。神社なども倒れているのですが、お宮の森だけは何ともない。そこで火災がとまっている。それから、芦屋なども川のほとりの木だけ残って、あとはみんな倒れている。そういうことを見ましたので、河川堤防には防災帯機能を持たせるために緑をうんとふやすのはいいなと思ったわけです。その考えで今市街地の河川を緑の精神回廊、「グリーン・モラル・リンケージ」という形で立派にしています。
 それから、し尿処理センターを生物循環パビリオンという名前にして改築しました。つまり迷惑施設を学習施設に変えて、この世の中は植物が生産者、それを使ったり食べたりするのが動物。だから、動物は消費者。消費する過程で廃棄物が出るが、それがし尿とごみで、それを分解するのが微生物。だから、微生物は分解者。そして水と土に返ってまた植物になるのを生物循環というわけです。その生物循環に入らないやつが公害物質ということです。そういう意味で、し尿処理センターを生物循環という言葉でパビリオンにしたのですが、3年間で2万5000人も見学に来ました。
 都市経営の問題で、屍体処理とし尿処理、ごみ処理と下水処理の4つを、迷惑施設4題といいます。これをきちっと解決できたら長期政権ということがあるわけで、きちっと解決するのはどういうことかというと、ある意味でこの4つは、マーケットが限定的で、業者も特定されているので、「うちのプラント使ってくれ」と、物すごい誘惑があるのです。それでつまずく首長が多く、用地買収で大変、業者選定でも大変で、どこにするか、どれにするか。迷惑施設はみんなその都市にとって絶対に必要ですが、自分のそばに来たら反対です。その迷惑施設を公害を出さないのは当たり前でもう一歩進めて全部生涯学習施設にしてしまおうという考え方であります。
 微生物学習といいまして、うちの町の小学生に「わんぱく水の探偵団」ができまして、生物循環パビリオンに来ますと、学校の顕微鏡よりはるかに倍率の高い顕微鏡を用意してあり、「ゾウリムシがいた、いた」なんてことをし尿処理センターで勉強しています。それが環境教育の1つで、「流しの出口は川の入り口」というキャッチフレーズで、川の水質をよくする運動と一緒にやっているのです。
 それから、生涯学習都市は目指す人間像を「地球田舎人」といっています。人間は、田舎のことや農業のこと、土や昆虫のことがわかること、それが田舎人。そして霞が関や六本木のこと、大都会のことも多少わかる。それと外国のどこか、3カ所の土地勘を持っているのが一番バランスのとれた、これからの大事な人間形成の要素ではないか。地球人、都会人、田舎人。その3つの土地勘を持った人を育成するのが大事なビジョンだとして、「ふるさと創生1億円」のときに、それを一部使って市民からもお金を出してもらって、3億3000万円の第三セクターをつくり、オレゴン州に農場と森林を買いました。そして、農家の嫁といっている間は、そういう人はないから、農家の嫁という言い方をやめて、「女性農芸家」という名前で、アメリカの農場へどんどん送って発想の転換をしてもらうことをやっているわけです。
 私は農林省のキャリア官僚の初任者研修に時々行って話しますが、一番危険だなと思うのは、今や、キャリア官僚の卵がみんな大都市出身者、極端なことをいうと、東京出身者ばかりです。昔であったら、常識である農村のしきたり、「結(ゆい)」なんていう言葉もそうですが、そういう基本的なことを全然知らないのです。これでは、将来危ないので、田舎や農業の体験をさせる必要があります。
 そういうわけで、緑化運動と水質をきれいにする等の環境政策と地球の温暖化とか、もろもろ合わせて学習運動のプログラムをもつのが大切な都市経営だと思います。



7.30億円募金による新幹線駅設置と日本一掛川駅八景

 7番目の話は新幹線駅とインターの話と天守閣復元です。新幹線の駅は、私が設置運動を始めたときに、全国には53駅あり、その53の駅の中で浜松と静岡の駅間距離が71.5キロで一番長かった。高速鉄道の論理はサァーッと速く通って駅が少ないほどいい。東京、名古屋、大阪と、せいぜい30万都市か50万都市以上でなければ駅をつくらない考え方です。それに対して沿線住民の論理は「静かにしてくれ、とまってくれ、乗せてくれ」です。だから、高速鉄道の論理と沿線住民の論理の妥協点は30キロに1駅という理論を展開して、静岡 浜松間の真ん中で30キロ地点に駅をつくれと頼んだ。それから後大体50〜60キロ離れているところには駅ができましたが、米原 京都間だけは、草津と近江八幡がけんかしていたものですから、いまだにできてない。地域の意見をきちっとまとめなければ、いろんなことはできていかないわけです。
 その駅をつくるときに巨額のお金を負担して、ただ便利になるだけだったら、静岡、浜松は国鉄がただでつくって、貧乏人の掛川がお金を出してつくるのでは、こんなばかばかしいことはないから、一番立派な駅前広場、駅の文化をつくる、そしてその町の顔をつくる、そういう運動としてやろうと思ったわけです。また国鉄二俣線が分岐していましたから、ローカル鉄道の赤字線も引き受けて、第3セクター天竜浜名湖線として存続し、駅と一緒に鉄道の文化、旅の文化で始めたわけです。
 私はマニアックですから、全国に53ある新幹線の駅を全部回りまして、どこにもない名物を8つつくってやろうと思いました。もちろん、量と規模の競争では小さな町はかなわないですから、質と本質的な珍しさの勝負を挑みました。一番安上がりで、一番大事なことは緑ですから、街路樹を33種類100本植えましたが、53駅の中で駅前広場の街路樹が、一番種類が多いところで13種類だったので、種類では一番とし、そして京都などは、歴史と文化の町だといいますが、京都の南口広場などはやせこけたプラタナスとクスノキが5〜6本ずつあるだけですから、駅前広場の緑化だったら、小なりといえども、その種類とバラエティーや大きさでは掛川が一番としました。
 それから、舗装も6種類やって、舗装の文化を勉強したかったら、掛川へ。それからミラーガラスを最初にやったとか、この会でもたびたび講演なされている伊藤滋先生や力沼幸一先生の指導で、いろいろな試みをしました。
 新幹線の駅ではただ1つ、二宮金次郎の銅像を駅前広場に飾りまして、こんなことダサイという人がありますが、金次郎というのは、土光敏夫さんの晩年に「この金次郎の教えこそ、明治の実業人魂だ。松下幸之助もそうだ。だから、掛川にある大日本報徳社は大切にするように……」といわれたことがあります。だから、正面玄関に銅像をつくって、南口には裸婦を飾って、裸婦と金次郎と、意外性のコントラストということでやりました。このミスマッチはおもしろいなということでヒットしました。それから「これっしか処」がゴールドセラミックのモニュメントとか、どこにもないものを8つつくって「日本一掛川駅八景」と名づけ、文化運動として進めました。それが市民にも、「ああ、そうねえ、これは大事なことね」という評判になって、先ほどの女性たちも、子供たちが帰ってくるとき美しい駅で迎えなければいけない、そのためにお金を出そうとムードが上がり、みんな募金をしてくれたのです。掛川駅の募金運動は神武以来初めての大きさと冷やかされました。うちの職員もみんな出したくれました。市民にお願いするためには市の職員が率先垂範とばかり、私が依頼したのではなくて、自主的に相談して、部長は50万、課長は40万、補佐は30万、係長は20万、平職員は10万円と、100%出しました。そういうわけで、一大募金運動に火がつきました。
 いい都市をつくるためにはみんな人一倍汗を出さなければだめだ。そして知恵を出し、みんなで土地を出すことです。用地買収で行政がどのくらい遅れているかわからないし、用地買収費で公共事業の多くをとられています。だから、ほどほどの値で土地を出す。それからお金を出す。多数派工作力を出す。これら5つの力を結集できる力がガバナビリティーがあるといいます。特に職員の人たちには、汗を出せ、知恵を出せ、お金を出せ、3つとも出せない人は辞表を出せ(笑)、こういうことをトゲトゲしくなくやれたわけです。生涯学習まちづくりの成果でみんな協力してくれたと思います。
 その次にインターをつくりましたが、全部で45億円かかりました。そのうちのJHが持つ分等を引いて、地元負担は35億円ぐらい。そのうち12億を寄附で集めました。掛川のインターは道路公団のインターで502番目にできたのですが、502番目にして初めてデザインを変えたのです。
 例えば、インターの屋根はみんな平らですが、建築物の美しさというのは屋根にあり、その屋根が平らだと、雨よけにすぎない。ですから、切り妻にしてもらった。料金徴収人の入るブースは、どこも真っ赤赤ですが、これが公団のアイデンティティーだというわけです。事故も起きてない。だから、赤でいいというんです。ところが、赤は、私にいわせると「とまれ、注意しろ、金よこせ」という意味です。(笑)だから、あれを通った人が「もうおれのものだ」といって百何十キロで走ってしまう。だから、掛川のインターから緑にしたいと申し込みました。改革は難しいものだというのがその1例でわかりますが、501カ所が同じですから、絶対赤だ。私は何回も行って、最後は総裁室まで通って、鈴木総裁が「この市長がこれだけいうんだから、1回だけやらしてやろうではないか」といったんです。それでやれた。そうしたら、意外に評判がよくて、このごろはみんな緑になりました。
 これがなぜできたかというと、当時分権ばやりで、これからは町のデザインや土地利用とか、自治体の長がいったらそれを優先しようという分権ブームになっていまして、その分権ブームのケーススタディーみたいになったわけです。インターをその町の市長のデザインでやる。公団の場合でいえば、当然のことですが、経済性、機能性、安全性、したがって画一となります。それに対して私は、地域性、芸術性、思想性、多様性、というようなことをいった。その考え方を、マスコミが上手に、あるいは半分誤解して、これが分権の運動のケーススタディーだとなったものですから、公団の方々もやむを得ず、私のわがままを聞いていただいたのです。インターチェンジの料金徴収人は、第2、第3の人生の方で、必ずしもサービスや勤労意欲が必ずしもという人がいるわけですから、その人たちの休憩所と宿泊所を一番立派につくってくれと頼みました。だから、高級侍屋敷風事務所となりました。
 これからは、まちづくりについてのデザインとかビジョンを持っている町は美しくなるし、みんながその気になるのではないか。その典型としてお城を復元したのです。天守閣は戦後五十数城、全国で復元されたのですが、広島市とか名古屋市みたいな町は、力があって、戦災復興の最後の完成が天守閣なのです。それからちょっとおくれたグループが、40年代で歴史を見直すブームになったときにまたできました。ですから、それまでは鉄筋コンクリートでやった。私はどうせつくるなら、おくれてつくるのだから、本物志向でいこうとオール木造でつくり、これがヒットしまして、1年目は50万人ぐらい人が来てくれました。
 それから、大手門を木造で復元したのは掛川が最初で、そのときも議会でおもしろい論議がありました。「大手門なんてのは、わざわざ自動車を通せんぼしてしまうし、あんなものは要らぬもん(門)だ」といった。私は「そうではない、歴史を大事にし、城下町風まちづくりをやるのに、大手門は玄関だから大切なもん(門)だ」といった。「要らぬもん(門)だ、大切なもん(門)」だという論争がありました。(笑)
結局、それもやり、結構評判よく、本物志向だなということをつくづく感じました。
 うちの町は城下町風まちづくりといって、白と黒のトーンで、1戸について100 万円市が助成して、最初十数軒でやり始めたのが、今七十何軒になりました。そういう共通デザインにしようということをやっています。
 それから、これからは人口が減るばかりですから、お客様がふえるようにということで、観光開発・地域活性化の般若心経をつくりました。これは基本5条件と背景5条件、拡大5条件とから成り、まず基本5条件は「見・食・買・遊・美」。これは、見どころのあるものは何だ、おいしいものは何だ、買いたくなるお土産は何だ、遊びたいものは何だ、美しいものは何だ、そういうのが基本的観光資源です。背景5条件として、歴史とお祭りと人。おもしろい魅力のある人か偉い人か、それから宿と夢が必要。それから、拡大5条件は、交通、周遊性と国際性と学術性、これはリピーターが来るのに必要なことです。「近者喜ぶ」は、孔子様の言葉です。今薄っぺらな観光をやっているところは、みんなその地域の人は白けている。お客が来たって、一部の人が儲かるだけで、ごみを散らかすだけだといっている。そういう地域の人が白けている観光は成功しません。近くの人が喜んでいる。そうすると、遠くの人が来る。「近き者喜べば遠き者来る」、これが孔子様の名言です。
 きょうお見えの皆様方の町も、もし田舎の町があれば、この町にそれを全部当てはめていけば、何が欠けているかというのがわかる。
 私は、都市経営のことで、あるいは活性化戦略のことでちょっと話に行きますときに、大体どこの町も、交流人口、お客を呼びたいとみんないうのです。そのときに、この15条件をいって、これの何がいいですか、何が欠けてますか、ないならどうやってつくりますかということで、これをチェックリストにしている。外国の場合はこれに音楽が入るんですが、日本の場合は太鼓ですから、お祭りの中に入れています。



8.土地改良事業や区画整理事業は生涯学習運動

 8番目は、日本は明治100年、国土を使いやすくしようということで、土地改良事業と区画整理事業をやってきました。それらは、都市計画の母、農村の母といわれるように、1つの有力な手法であったことは間違いありません。ところが、減歩率という用語について、その言い方は損をしたような気持ちにさせるから、建設省に何回かいっているのですが、減歩率を貢献率という言葉にいいかえた方がいいといっているのです。減歩率は自分の土地が犠牲になった気がするから、みんなで土地を出し合って貢献し、いい町をつくったという方がいい。つまり、区画整理は自分の庭の木を開放して、街路樹に変えるという運動ですから、緑の開放運動でそれに感謝する意味で、お宅の庭に貢献してもらうという考え方に変えた方がいいのではないかといっているわけです。
 そうはいっても、バブルのときに都市計画法と農振法ではバブルを防げなかった。確かに農振法と農地法があったから、日本列島はかろうじて守られた面もある。農林省はうるさいとか、県庁は頭がかたいとかいわれましたが、そのくらいでちょうど、日本列島が食い散らかされなくて済んだ。それでも、バブルの後遺症がひどいところを見れば、みんな仮登記、仮登記でやったわけです。農振法と都市計画法はバブルの土地投機には無力であったので、私はこれを市長権限できちっとしなければということで土地条例をつくったのです。
 そうしたら、バブルがはじけ、土地投機がとまったのと、条例の発効と同じころだったものですから、条例の効果がどれだけあったのか、よくわからないのです。ただ私は、あのときに、市町村長が私有権の制限だとか、土地取引規制に手をつけたら怖いなと思ったのは、一時期、不動産屋とか、地上げの人たちから、土地利用条例などけしからんと、「月夜ばっかりじゃないぞ」という手紙をもらったり、警察からも「身辺に気をつけてください」といわれました。だから、産廃問題で殺されそうになった首長がいるように、土地問題でも本当に突っ込んでいったら、身辺に危険を感じるようになります。
 ということですから、みんな分権、分権といっても、国や県が頭がかたくて……といっている方が楽なんです。土地問題についてしっかりとした町をつくるには、優良農地と開発地というのはもっと鮮明に区別しなければいけない。ところが、今日本の国の人たちは一億総不動産屋になって、土地の値上がりをみんな期待しているわけですから、今はそれは幻想だといっています。
 そういうわけで、土地条例はどういう考え方をしたかというと、私は、農振法と都市計画法は否定はしない、それはそれで大事だが、それだけでは十分ではないことがわかったから、特別計画協定区域というものをつくって、市町村長がそれについて「こう」と決めたら、地権者と協定すべて、8割賛成してくれたら、土地改良法や都市計画法には3分の2強制がありますが、憲法の問題となったら、3分の2では負けると思ったので、8割以上にしたのです。8割以上が合意したら合意の強制権が働く。公共の福祉を優先するとはそういう考え方で、しかも農振法と都市計画法とバッティングした場合には、特別計画協定区域の方が優先する。「これを計画高権」という考え方をとったのです。
 私は、自治体の長が決める土地利用が非常に強いのはドイツだと聞きましたが、確かにドイツ、バイエルン州の農林大臣に「日本はまだそんなことをいっているんですか」といわれました。そういう市町村長が持っている土地利用に対する権限の強さ、これを計画高権というのだと聞きました。これから地方分権を本当に進めるのであれば、それに土地改良と区画整理の補助金が、あるいは国の出るお金がどういう形で税財源として市町村長に来て、それが市町村長の責任において土地利用計画とちゃんと結びつくようになるか。国が定める諸計画に対する計画調整権を市町村長が持ち、永久農地とか永久森林を設定する時代が来たと私はそう思います。



9.新お国自慢づくり 「唯一、最初、日本一づくり1ダース」

 次はお国自慢づくり。先ほど申し上げたように、掛川市はエンジョイプランニングということでやりましょうと、民間活力をできるだけ導入して、第三セクターも8社つくりました。小さな町としては第三セクターの数が一番多いわけです。もう一度小さい方のレジュメを見ていただきたいのですが、1ダースの自慢話をつくりましたので、あと5分ぐらいで説明します。
 1番目は、お茶の文化。緑茶人間科学研究所というのをつくりまして、お茶の勉強をやって、茶道と和食産業。今農林省に和食産業課というのをつくれと私はいっています。3つの美しいあいさつ。「お茶もお出ししませんで」「お手盆で申しわけない」「お番茶で申しわけない」。こういう3つの「スリー・ビューティフル・エクスキューズ」をやっているのは日本人の日本人たるところだといっています。
 それから2番目は、「生涯学習都市宣言」を最初にやった町として、そのソフト開発も一番やった。それが市民総代会システムとか年輪の集い。年輪の集いというのは20歳から90歳まで10年ごとに成人式みたいなのをやっているんです。それから、徳育とか、生涯投票率。生涯投票率というのは一生涯の投票率をいっていて、人間は20歳から80歳まで衆議院、参議院、知事、県会、市長、市会議員と6種類の選挙を 100票持っていますから、その100票を100%使おうというお話。いろいろコピーもたくさんつくって、例えば「清い川の流れは文化」「三しか文化」「学校は地域の太陽」「妖怪七変化」「頭脳の活性化」。鉄は国家に対して「木は国土」というようなフレーズを開発しました。
 3番目は、「掛川学事始」。どこの町へ行っても、そこの町、知床に行ったら、知床学事始というようにやらなければだめだということで、うちの町でいえば、5つの文化、「溜池谷田文化」「海道宿駅文化」「城下町文化」「茶業・報徳文化」「欧米科学文化」というようなことでやっている。日本で最初の有料道路は、掛川の佐夜の中山でできたんです。
 4番目は、天守閣と城下町風まちづくりと、大手門の最初の木造復元です。
 日本一の掛川駅八景。日本一の東名インター。そういうデザインを町の顔としてやったことです。
 それから、万緑のエコポリスで、自然系生態系と工業系技術系のハイテク団地。これは横文字の会社をそろえたのではないのですが、偶然横文字の会社になったのです。
 7番目が、病院のこと。いわゆる1世紀1週間人生。それから、宮城まり子さんのねむの木学園が浜岡から掛川に引っ越してきて、今立派なねむの木学園ができましたので、ぜひ皆さん見に来ていただきたいと思います。この人はパートナーの吉行淳之介のあらゆる資料の吉行文学館というのを自分でつくりました。
 それから、土地条例でいろいろなことをやっている。アメリカに農場を持ってやっている。中国の砂漠緑化をやっている。うちの町は中国の砂漠の緑化に毎年派遣をしているんです。
 それから、住民参加、市民参加の市役所というのをつくりました。きょうは日建設計さんにお招きを受けたので、日建設計さんによいしょするわけではないのですが、日建さんの最高顧問の林さんという方がいらっしゃいますが、その方に相談に乗ってもらって、「全執務室一室、一目瞭然ガラス張り」「花道階段」ということで立派な市役所をつくりました。何がいいかというと、全国どこでも住民参加、市民参加といいますが、市役所の建物の空間として、住民参加、市民参加をしやすいのはどういうものであるかというのはだれもわかっていないのです。掛川市役所が初めて、住民参加、市民参加の市役所とはこういう空間でなければならぬというものを日建さんに設計していただいたわけです。
 あともう1つは、下水処理場と生物循環パビリオンを一緒につくって、し尿と下水と市役所、頭のこととおしりのことを同じ敷地内にやるようにした。これが新しいやり方の1つだと思います。
 それから、「とはなにか学舎システム」というのをつくっている。「とはなにか」というのは根源的な問いかけですね。だから、資生堂に行ったら、美とは何か、化粧とは何か、口紅とは何か。サカタのタネという会社に行ったら、種とは何か、遺伝子とは何かと、「とは何か、とは何か」と聞いて歩けるところを36カ所つくって、一流の教養大学ができたような、そういう日本で最初に生涯学習都市宣言をした掛川ですけれども、30年たったら、日本で最初に生涯学習社会を実現した町、そういうことにならぬかなと思ってやっているのです。今36カ所の名所をつくったのですが、全国の人が来て恥ずかしくない、満足していただけるというのはまだ15カ所ぐらいしかありません。やがて全部合格というふうになるようにしたい。
 12番目は、全国シンポジウムとかサミットを17回開いた。それぞれ報告書を11冊出しまして、今10万人以下の小都市では、あるいは地方都市の中では一番情報を発信している町にしたわけです。
 こんなことをうんと自慢すると気違いではないかといわれますから、シリアス半分、ユーモア半分でやりましょうねということをいっているわけです。



10.生涯学習普及の4段階 究極の生涯学習一世紀一週間

 もとに戻っていただいて、10番目。生涯学習は5つの側面を持っていまして、「楽しむ・たしなむための生涯学習」「勉強を求められる生涯学習」「教育改革としての生涯学習」「まちづくりが柱の生涯学習」「介護不要の究極の生涯学習」という5つです。掛川の場合でいえば、最初生涯学習が普及し出した段階で、それは社会教育、公民館活動の拡充強化として全国に入っていった。その次には脱学歴社会という形で入って、それがまちづくりに変わった。今は、やがて住んでいる町の問題解決から1世紀1週間へ。つまり、究極の生涯学習は介護を必要としないで100歳まで元気で生きて、寝込んだら1週間でさよならということです。
 なぜ、100歳1週間が究極の生涯学習かというと、100歳まで元気で生きるためには頭を使ってなければだめです。それから、手足腰を使ってなければだめだ。それから、腹八分目に暮らさなければだめだ。栄養のバランスが必要だ。規則正しい生活が必要だ。生きがいを持って明るく楽しく前向きに生きなければだめだ。その5条件が必要なのですが、その5条件を本当にやろうとすると物すごい節制が必要です。節制を維持するためにグループ活動も必要になる。したがって、生涯学習運動だというわけであります。



11.広域行政と地方分権、パイロット自治体から地方主権フォーラムへ、4サミット(一豊、塩の道、尊徳、茶)結成

 11番目は、広域行政です。今地方分権が一段落しましたけれども、私にいわせると、地方分権は、ここでは4つの論理と書いてありますが、権限の移譲だけで、機関委任事務だけのことで精力を費やし過ぎてしまったのです。機関委任事務を自治事務にするというのは表向きのことで、本当は財源、税源をどうするかということと、交付税の分け方をどうするか、市町村合併をどうするか、それ全部含めて行革をどうするか、この5つの論議を並行してやらなきゃ、地方分権なんていったってできないです。ところが、地方分権はまだまだ緒についたばかりで、はやりですから、反対すると、平家にあらずんば人にあらずと同じで、分権であらずんば人にあらずとなってしまった雰囲気があります。実際は今のままでいったら、生半可な議論で終わってしまうわけです。
 そこで、671市あるうちの、今、市長と名のつくものはピンからキリまで671人いるわけですが、そのうち30万人以上が64市、10万人以下が446市。その中で江戸時代からの小都市は333です。3万人以下の都市でさえ71ある。町村は2558。人口5000人以下が678、1000人以下が44町村もある。330万の横浜市から1000人以下の町村まである。これを1つに扱って何が自治だということがいえるわけです。
 それから、県の役割機能も、今や県の存在価値としては、弱小市町村の行政代行機能、補助金の分配機能、高校、警察、3段階制の諸団体の育成、県単事業、これだけの機能でやっているといわれますが、今県は国の中央集権の統治体系の1つなんです。本当の地方分権は、基幹自治体の市町村、3200が500〜600にまとまってしっかりしたことをやって、国と県はもっと身軽になればいいわけです。ところが、そういう方向に、日本の国は官尊民卑の国ですから、お上のいうとおりやっていた方が楽、交付税をもらっていた方が楽だ、だから、市町村合併なんてなかなか進まない。そこで自治省がその気になって、交付税の配分の計算の仕方を、合併促進の方に変えれば一遍にいくでしょう。今自治省はそれをやろうかどうしようかと迷っている。やや、そういうふうに変わってきているようです。



12.21世紀における小都市経営の政策形成キーワード

 12番目は、さっき申し上げたように、政策の6領域、健康の領域、教育の領域、環境、経済、建設、広域、この6K政策について、ビジョンと計画をちゃんと持っている町はいい町になる。出たとこ勝負の町はだめになると思います。町の活力をアップするには、市民が、あるいは市役所の職員が汗を出す、知恵を出す、お金を出す、土地を出す、多数派工作力を出す、その相乗効果が大切です。それから、いろいろなことを活性化させるには、例えば文化やスポーツを活性化させるには5つの求心力を働させることで、その5条件とは、指導者とか人の問題、スタッフ、事務局の問題をどうするか。お金、予算をどうするか。テーマ、企画、出し物、演出をどうするか。設備、機会、施設をどうするか。常連、会員、同好の士の層の厚さ、この5つが並行して伸びていくことが大切です。
 これは新興宗教に例えれば一番早く、教祖がカリスマか。常連、信者が多いか。そうすると、本堂を立派にできる。こういうようなことで、これから田舎の町が活力を持ってちゃんとするためには、この5つの条件の整備次第です。その5つの条件を満たすためには、人口規模がどうしても20〜30万ないとできないから、そのくらいに合併しなければだめだということになると思うのです。
 それから、ダイオキシンの問題とか、小中学校の給食の容器が環境ホルモンで悪いというのですが、今自治体は厚生省と文部省のお達しを待っているわけです。だけど、本当に自治体に理学博士がいて、これを実験してだめだというなら、みずからやめればいい。だから、ちゃんとした技術官僚、理学博士を雇うためには、職員が2000人ぐらいの集団が必要です。したがって、人材確保のためにも合併が必要だと思うのです。
 これは誤解を招きやすいですが、日本の国は、向都離村で、優秀な人が東京に出てキャリア官僚になって、地方を統治してきたわけです。それに対して田舎の職員はほかに勤めるところがないから、役場にでも行くかといって入った人が多い。市町村会議員から県会議員は、中央官僚のように正規の登竜門を通らずに、いわば敗者復活で出た形です。ですから、キャリアにかないっこないんです。(笑)そういうことがあるから、中央集権というのはなかなか変わらない。
 しかし、今やそんなことをいってはおれない時代が来た。人口が右肩下がりの時代があと8年で来ますと、地域の人の創意が物をいう時代です。右肩上がりだからこそ中央官僚の統制ができたわけで、右肩下がりになったら画一ではできません。2050年には人口は9000万人になっているそうですが、もっと前に1億人を割るときは案外早いかもしれません。そうすると、ゼロ成長にもなり質を追求する自治体の時代です。
 大学も入学の難易度によってその序列が決まっていますが、これからは出るのが難しい大学がいい大学になる。入るだけならあと15年もたてばだれも入れない人はないようになるわけです。
 ところで、これからの総合政策で市場経済を組みかえる視点が必要だと思います。市場経済は今日の豊かさをもたらしたのですが、その反面、成人病、糖尿病をふやし、ごみの山を築き、ダイオキシンを出しました。教育荒廃と少年殺人を出し、昔のいい伝統文化の、たるとかおけとかざるとか、職人芸を滅ぼしました。だから、これを組みかえる必要があります。組みかえるにはどうしたらいいか。
 今掛川で内山節さんという哲学者と、環境倫理の鬼頭秀一さん(東京農工大教授)と、河川工学の大熊孝さん(新潟大教授)と私と4人で、「掛川哲学塾」という運動を始めまして、全国で 300人ぐらいの人が、市場経済とは違ったローカル経済で生きていくネットワークができつつあります。
 一方、日本は土建国家で、土建屋さんが選挙をやりますから、都市経営とか都市計画において土建屋さんを敵に回したら、市町村長も知事もみんな選挙に弱くなる。土建屋さんは選挙で人もお金も出すし、車も出す。そのかわり、業界で仲良しクラブの話をしている談合的社会。私はいつも土建業界に「いいものをできるだけ安く、安全に、確実に、市民に信頼されて」と頼み、競争原理を働かせるように工夫してきた。だから、価格破壊を起こして、本当に技術力のある会社、本当に良心的な会社に公共事業をしっかりやってもらう体制をつくらないといけないのですが、22年市長やってきて、土建屋さんを敵に回せない体質が日本の政治体制なんだとつくづく思います。東京では大手5社が霞が関体制を牛耳っているし、県は県で県内大手が大手5社とともに牛耳っている。末端の市町村もそうです。だから、土地改良も下水道も農村集落配水も、全部そういう権力体系と公共事業体系のヒエラルキーができている。それを全く違う随意契約の競争原理で破れるかどうかというのが鍵だと私は思っています。
 そのときに二宮金次郎の教えが物を言うのではないか。二宮金次郎の教えは、本を読んでまきをしょっているあの姿だけで、あとはろくに知らない状況です。金次郎の教えは「勤労、分度、推譲」と、3つの教えから成り立っていて、勤労をうんとしてお金をためなさい。それは自由だ。しかし、だれのおかげで儲かったかという分度、つまり分をはかる。環境のおかげ、友達のおかげ、みんなのおかげという分度をはかる。そしてもらったものと出したものとどちらが多いかというと、すべての人はもらったものの方が多いはずだ。そうしたら、その分は推譲しなさい、寄附しなさいという教えなのです。
 先述の土光さんは「わしはこの気持ちでやってきた。それで幾つか会社も再建したし、行革の精神もこれでやったんだ」とおっしゃいました。
 徳というものは、よくわからないのですが、勤労、分度、推譲というのは別の言葉でいいかえると、自由、平等、博愛ということといえます。
 GHQが来まして、日本の軍国主義教育を追放しようと、どこの小学校にも二宮金次郎があったから、これが封建思想の権化ではないかと、インボーデンというGHQの日本指導課長、これが来まして、金次郎の教えを勉強した。そうしたら「これは立派な教えではないか。これはフランクリンとリンカーンを一緒にしたような教えだ。追放する必要ない」と、これを追放しなかったのです。ところが、日教組と文部省が結託して、戦前教育の一番悪い権化に仕立ててしまったのです。
 GHQが追放しなかったものをなぜ戦後教育は追放したか。ここは謎です。だれがそうしたか、わからないから、もう一遍金次郎の教えをしっかり勉強し直さないと、せっかく明治以来の実業家のバックボーンだったものが、敗戦とともに、徳というものがちょん切れてしまい、ただの経済優先になってしまいました。
 尊徳の教えで一番立派な言葉をご紹介して終わります。彼は「経済のない道徳は寝言である」といいましたが、その後の言葉がすごいんです。「道徳のない経済は犯罪である」といったのです。今の大蔵省のスキャンダルから始まって山一、拓銀、日債銀、長銀、まさしく日本の戦後50年の道徳のない経済の末路です。これを江戸時代の末期に既にいっているところがすごいと思います。
 渋沢栄一、鈴木馬左也から始まって、御木本幸吉。御木本幸吉は真珠の人だと思っていたら、山の尊徳に対して、「我は海の尊徳たらむ」といって、尊徳の生家がつぶされそうになったとき、それを急いで来て寄附して、この生家は残すべしといった人です。それと同じで、松下幸之助も土光敏夫も全部尊徳の教えで、明治時代の実業家の創業者はみんな一生懸命働く。それで実力者になる、そして寄附する。だから、報徳記念館をつくりまして、寄附金を集めて7億円でつくろうと思ったら、3億5000万円で寄附金が集まらなくなったとき、土光さんのところに頼みに行きましたら、「この教えは絶対大事だ」と奉加帳を回してくれて、ポンと3億5000万円くれたんです。だから、彼は推譲している典型で行革の鬼の迫力はそこから来たといえます。
 それはともかくとして、まちづくりのバックボーンというのを土地利用計画についても、デザインについても、考え方にしても、市民がみんなでそうだなという気持ちをつくり上げる、そういうムードをつくることが第一義です。行政は、今までは橋をかけたり、道路をつくったり、学校を建てたり、それが「つくります行政」。次にソフトとなり、交通安全とか青少年健全育成、食生活改善とか、これを「推進協議会行政」というわけです。この次は住民参加、市民参加、女性参画で「ムードをつくる行政」。みんながやろうじゃないかというムードをつくる。それがNPOとNGOだと私は思うんです。
 儲け仕事や金勘定でやる株式会社による会社人間と、企業戦士の時代はもう終わったのではないか。しかし、まだ今の段階で企業戦士も会社も大事ですけれども、そろそろ準備して、NPO、NGOも町の中にいっぱいつくっていく、こういう方向に行くのが大事なことだと思います。それが活性化戦略の秘密に当たる秘密です。しかし、まだ秘密でありまして、もうちょっとたたないと本当にはうまくいけるかどうかわかりません。
 以上、つたない体験談にすぎないのですが、ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口) 
 ありがとうございました。残りの時間、いつものようにご質問を予定しておりますので、ご質問のおありの方はご遠慮なくどうぞ。

長塚(長塚法律事務所) 
 農業の問題について最近いろいろと騒がれていますが、農業のことについては掛川ではあまり討議されてないのでしょうか。特に遺伝子による公害、そういうような問題もあります。静岡は自然に恵まれ、農業にも恵まれている土地ですが、その辺について少しお話頂きたい。

榛村 
 はい。きょうは都市経営フォーラムということで、都市計画関係の方が多いと思ったものですから、あえて触れませんでした。さっき申し上げたように、掛川市はお茶に特化して全国一ですから、お茶については物すごく一生懸命やっています。またサカタのタネを、単なる企業誘致ではなくて、バイオテクノロジーとか、遺伝子のことで関係が深いので、積極的に誘致しました。花や野菜や園芸、メロン、その他一そろい、農業ショールーム都市をつくるべく、農産物が一そろい全部掛川にある、そういうまちづくりをやっています。しかし、私が市長になったときに4800戸の農家があったのですが、残念ながら今は3400戸に減りました。
 これからは3代目の兼業農家の子弟教育が大切です。この人たちはおやじやおじいちゃん、おばあちゃんが農業を「えらい、えらい」といっていると、2代目の兼業農家が手伝ったのに対し、「そんなにえらければやめればいいじゃないか」という人たちなのです。この3代目の農地を持つ強さと収穫の喜びを教えないと日本の農業はおかしくなってしまうと思います。もちろん専業農家はしっかり育てなければなりません。
 今、私が農水省に提案していることは、38年ぶりに改正された農村基本法は、何か論議が沸騰するような新政策があるかというとないのです。だから、せめて議論を呼ぶために、和食産業課を設置すべしといっているのです。それは、お米とお茶を柱にして世界に攻め込んでいくことです。フランス料理、中華料理、イタリア料理、この3大料理に伍して、日本料理を世界に売り出すグローバルな姿勢を持つべきです。
 今、全国の約半分の町村は過疎で苦しんでいて、地域おこしをやっています。その地域おこしは昔の工芸作品とともに漬物や佃煮。日本は世界に冠たる発酵食品、こうじとかびの国です。味噌、醤油、納豆等でやっていますから、この人たちの地域の元気づけと、世界への進出、両方を農水省の政策でやるべきだと提唱しています。そうすると、食品流通局に置くんですか、農産園芸局に置くんですかとかの次元の話になって、なかなかうまくいかないのです。
 そういうことで、申し上げ出すと切りがないんですけれども、やっています。

泉(都市環境計画研究所)
 きょうは、掛川市長としてお話しいただいたと私は理解をしていますけれども、もう1つ、このペーパーにも書いてありますように、市長は森とむらの会の理事長でいらして、今のご質問と軌を一にするんですが、私自身は、森と都市の関係について関心を抱いておりまして、右肩下がりの時代になって、これから森と村ではなくて、森と都市に大きな展望が開けるのではないかと密かに思っているところです。昔市長はシルバ(森)ポリスということでやはりそんなことをおっしゃっていられたような気がします。その辺のお話を聞かせていただきたいと思います。

榛村
 今、日本の林業はほとんど倒産状態ですね。伐採もほとんどなくなっています。それはまず外材に押さえられ、鉄とコンクリとアルミに食われ、新建材、実成材にやられたからです。しかし、反面、成長はしていますから、森林、苗種はふえて、杉、ヒノキ、松を植えた。1050万ヘクタールは世界に冠たる人工林です。これを除間伐をちゃんとやって、みんな100年生の木になるぐらいにしていったら、国民が1億人になるときには10億本の大木を持つ、世界で一番大木のある国をつくることができます。
 それから、どなたも、都市と農村とか、下流と上流とか、買方と売方という言い方で議論している方が多いのですが、私は「と」でいうべきではなくて、「の」でいうと発想が変わると思うのです。だから、都市と森林ではなくて、都市の森林とか、森林の都市とか、「の」でいうべきで、下流と上流も、下流の上流、上流の下流といいかえてみる。これはわかりやすく、男と女の関係でいえば、「あなたと私」という対立関係でなく、「あなたの私」というと、愛情関係になる。だから「の」というといいと思っています。
 これからは、下流の都市が上流の森林を経営する時代だと思います。それに合わせてキャンプ場の経営もする。上流下流運命共同体の中で、森林経営をやっていかざるを得ない。このままいきますと、林業家や山持ちという存在は、勘定が合わないですから、なくなると思います。そこで、日本の林業経営論、森林管理論をいい出すと、私の専門ですから、長くなりますので、ちゃんと時間をとって、しっかりビジョンを述べたいです。
 一方、国有林は3兆8000億の赤字を税金で肩がわりしてもらって、「営林」という言葉をやめて、「森林管理」という言葉に変えました。林業経営とか木材産業ということをあまり考えない経営になってしまった。
 それから、日本列島は山紫水明の国で、東京都は群馬県の山や、奥多摩の山のおかげで繁栄しているわけですから、下流が上流にいろんな意味で費用を持ってやらないとやれない。しかし、上流を汚くするような開発をしたら、これまた元も子もないので、そこが非常に難しいところだと思います。
 中山間地域の所得補償の問題も、どういう形の計算をして幾ら補償するか。ある識者が、農林省というのは、日本がテイクオフするために一生懸命働いたお百姓さんたちが、あと15年ぐらい生きている間、その農民に対して慰謝料を払っている団体だというんです。したがって、その慰謝料を払うことをやめるときに、農水省は何をやるかということだと私は思います。
 日本の国は明治初年にあれだけ義務教育を早く普及して、それから、GHQが来て6・3制を入れて、あれだけ全国に中学校を早くつくれたのはどうしてでしょうか。これは村々に木があったからです。そのことを指摘している人はないですが、木が豊かにあったおかげで日本は、教育先進国になれたといえます。とにかくつい40年ぐらい前まではエネルギー源が木材だった。それが石油が来るようになってから途端にみんな木のありがたさ、森林のありがたさを忘れてしまった。今にしっぺ返しを食う気がします。
 とにかく「と」の関係ではなくて、「の」の関係でいきたいと思っています。

司会
 私のほうから1つ質問させていただきます。
 先ほど市長は、地方分権というのは今はやりでやっていると、ちょっと皮肉な言い方をされましたが、お話のように、右肩下がりの状況の中で、中央主権の力が弱まり、本当の地方分権が誕生するようなシナリオといいますか、何かキーワードになるようなことがあれば教えていただきたいのですが。

榛村
 地方分権論議が高まり、分権推進委員会ができたころ、私もその会に呼び出されて、公述人とか、国会議員の会で証言させられたりしましたが、地方分権論には、中央の人がいう虚実と、地方の人が主張する虚実と、虚実が4面あります。中央の人が「地方分権の時代が来た」というときの実の部分は、制度疲労や、縦割りの限界が来て、財源もない、地方も育ってきた、だから、地方にやってもらった方がいい。全国画一のやり方の破産もあるので、「これからは地方分権ですね」といっているのが実です。
 ところが、反面、虚の部分があり、それは、そんなこといっても、市町村長を信用できないし、自立もしていない。せめて県だけに少し移譲する。県は国のいいようになる部分もあり、そもそも行政の権力体系はまず国ができ、次に県ができて、最後に市町村ができた。県は縦割りの出店的ですから、県に少し移譲しても大丈夫、あとはお茶を濁しているうちにこの嵐も吹き去るだろう。まだ何といっても、中央キャリア官僚体制、既得権、これはちゃんと守っていく必要がある。それから、土地改良事業という農業土木の1つの体系、都市計画における道路族、河川族の技術体系、そういう牢固としたというか、確固とした集団というものはそんなに簡単に崩れるものではない。田舎の市町村長に何ができるかということをいわんばかりの人が、世論の風向きで一応地方分権といっている。これは虚の部分です。
 地方の人がいう虚実の実は、自分たちで実績を上げ、地域が自立し、住民自身も巻き込んで、地域経営資質を向上したという信念を持っていうときです。それが日本の国を守るわけで、東京一極集中し、都会の人だけになったら、日本列島は弱い日本列島になり、ボートピープルが来ても、水際を守る人がなく、沖縄の島々を守る人もなく、北海道も、みんな札幌に集まって、今はソ連がないからいいですが、攻めてくれば簡単に占領されてしまう状態です。だから、そういう意味で、隔地が地域自立すべしというのが実の部分です。そういう人がかなり出てきたことは事実ですが、残念ながら、3235の市町村の中でまだ300人か400人くらいだと思います。
 虚の部分は、口では地方分権といいながら、一皮むけば、税源、財源が来るまではだめだといって、改革的なことをやらないこと。本当に地方分権の姿勢でやっていれば、今だって相当のことができるわけです。その上で税源、財源のこの部分はよこせとか、県や国の権限を本来のものに限定してということをちゃんと理論的にいう必要があります。しかし、まだ、交付税をもらっていた方が楽だ、お上のお達し行政というお達しを待っていた方が楽だという人が、首長や職員の中に多く、実際は地方分権をそんなに思ってない人がまだ6割か7割はいます。だからこれは虚の部分で、これから虚々実々で論議が深まっていくと思います。
 小渕首相の話によると、国債を大増発して景気が回復し、2003年に軌道に乗ったら、税財源のことを議論する段階が来るかなという調子です。しかし、税財源を分ける話をする前に、日本の国は借金が700兆円以上になって、もっとひどい状態になっている恐れもあり、だれが責任持っているかわかりません。中央集権も自信を失っているが、地方分権はまだ未成熟です。中央集権は、大蔵官僚などがちゃんとしていれば、それはそれなりに意味があったと思うんですが、これも自信をなくしている。政財官界、学界、マスコミの中で、だれが責任を持っているかわからない状態で来ているのが一番怖いと思うんです。
 消費税を上げなくてはしようがないわけですが、消費税を上げるといった途端に選挙に負けますから、だれもいわない。結局は借金を重ねて、その借金が700兆超えてから、みんなしようがないなと思うようになるか、どうなるかということだと私は思います。地方分権という前に、日本の物すごい借金財政、それから官尊民卑、お上意識、草の根保守主義、そういうものを、情報がふえた国民や茶髪の若者たちが、この次の選挙でどういう形であらわすかです。
 私は市民に、1票1票が分権であり、あなた方に与えられた1票は、あなた方に与えられた世の中の革命権。その革命権を行使しなければいかぬといっているんです。今は若者が投票に行かないですから、革命権を放棄していると同じです。国民が革命権を放棄しちゃっていて、何が分権ができるかと私は思うので、私は絶望しているんです。

大河(調布市議会議員) 
 最後のところで、これからの行政は、住民参加、市民参加の運動づくりということをお話しいだたきましたが、私たちの調布市というのは、都市を、自分のところを我が町と考える住民が少ないことと、投票率が4割に行かないという現実があります。こういう中で、自分の町を活性化したり、分権化していくときに、活性化した都市経営をしていったらいいのか。これは自分の問題ですが、非常にユニークな発想をしていらっしゃる市長から見ると、我が町にどういう戦略をたてていったらいいか、何かお教え頂けることがあればお聞かせいただきたいと思います。

榛村
 こういう規定をしていいかわかりませんが、あえて分けると、人間には漂泊者と定着者とがいるんですね。私は定着者の典型で、ドップリ故郷につかっています。近代社会になって、漂泊している人間。どの土地に帰属するかわからぬ人、これを「デラシネ」といい、デラシネの集まりが東京ですから、我が都市という考え方はなかなか持てないと思うんです。しかし、所沢なら所沢でダイオキシン問題が出れば、あるいは少年殺人や誘拐が起これば、我が町の暮らしを守るということとか、健全な子供を育てるとか、何か共通のテーマがその町であるはずだと思います。
 全国のコミュニティーはローカルコミュニティーとテーマコミュニティーに分けられます。ローカルコミュニティーは、従来からの草の根保守主義で、1つの地域社会ができ上がっていて、そこの推薦があれば市会議員も当選するとか、昔からある小学校区や旧村単位で全国に7万あった村社会のシステムです。自民党体制というのはその村社会体制に依存しています。テーマコミュニティーは、村社会ではなくて、自然教育や環境問題、子供の健全育成や女性の自立、国際化、NGO等々テーマで動くコミュティーがあるわけです。だから、大都会では、ローカルコミュニティー的なもので何かしようと思っても、そんなものは煩わしいと一口で逃げられてしまいます。だから、その町や地域に、たとえあと2年、3年しかいない場合でも、どこの町に行っても、自分のテーマはこれだというテーマを持っている人がいて、そのテーマコミュニティーをつくれば、そのテーマなりのまちづくりはできると思います。同志やネットワークができていくのではないでしょうか。
 あなたは、市会議員さんだそうですが、さっきの女性の話を含めて、どこに行っても、女性の市会議員さんがもっと出なければ都市がよくならないといっています。女性はテーマコミュニティーだからです。今、地方都市の議会で、従来的にいうと、社会党の消費生活運動系の人か共産党さん、または自然環境派の人たち、これはテーマコミュニティーから出る女性議員です。そのテーマ公約がある程度よければ女性議員は、35から50ぐらいまでのこんなことをいうと、男女差別になるか、セクハラになるかもしれませんが、ちょっときれいっぽい人が出たら 100%当選する時代が来ました。(笑)地方都市でちょっとしっかりしたことをいって、美人でなくても、小かわいらしい人が出れば(笑)100%当選します。それだけ日本の国は動いているのです。その動いているものを漂泊者と定住者が交流して、地区推薦を得ないで出る市民派議員がふえると、地方都市はよくなっていきます。そのことがもっと行き過ぎたというか、先にそうなってしまったのが東京都の都下の市だと思うんです。だから、進み過ぎて無党派デラシネばかりで困ったというか、みんな他人任せでいいかげんになってしまったところがあります。
 それ以上は、風邪を引いたがどうしたらいいかという質問と同じで、あなたの処方箋は個々に異なる問題ですから、また後で時間があったらお話しします。

司会
 きょうは、榛村市長からいろいろと貴重なお話を伺いました。最後に拍手をもって、お礼を申し上げたいと思います。どうもありがとうございました。 (拍手)


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