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第141回都市経営フォーラム

ドイツの街づくり・その実際
−街づくり、官と民の義務−

講師:水島 信 氏
  建築家(バイエルン州建築家協会)


日付:1999年9月29日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

 

1.街並みのまとまり

2.建設許可−Bプランの実際

3.土地所有権−土地使用権

4.自由であることの権利と自由であるための義務

5.有言実行の街づくり

6.餅は餅屋

7.街並みの保存

8.街づくりへの自覚

 フリーディスカッション




 ただいまご紹介のありました水島です。
 司会の方からお話がありましたが、1970年、ご存じの方も多かろうと思いますが、あの時代、大学では勉強をするような状況ではなくて、一応建築科に属してはいたものの、建築論とか、建築についての実際をそれほど勉強しないで、僕は、大学を卒業したのか、卒業させられたのか、の後格好よくいえば挫折感で日本を後にして、本当は日本を追い出されたという状況でドイツに参りました。
 僕は、皆さんの前でお話しするようなことを立派に研究しているわけでもございません。どちらかというと図面を書くことが飯より好きな方の人間で、ヨーロッパに渡って生活するためには図面を引くしかないということで、あちこちの建築事務所を転々としてまいりました。その経験の中で、「建築家」というものが日本でイメージしたものと、生活が長くなればなるほどどんどん違ってきます。その間に、機会がありまして、ミュンヘン工大に入学できることになりました。そのときに習った先生がアーバンデザインではドイツ屈指の先生でした。
 その先生につき、かわいがられたおかげで、建築をするんですけれども、アーバンデザインの中での設計という、もろにドイツの都市設計、都市デザインの中に知らないうちに入り込んでいました。
 僕が日本から出ていったときの状況がそのようなものですから、日本に帰ってくることがあまりなく、10年ぐらい前に、ある日本の有名な建築家がミュンヘンでやられたプロジェクトを手伝えというお話で参加するようになってから、日本に帰ってくることが多くなりました。帰ってくると、酒を飲みながらいろんな方とお話をします。どうしても、ドイツの街づくりの話になっていく。持ち前のへそまがりの性格からいろんな方と討論をやるわけです。そうすると、そのうちに、「じゃ、おまえ、人の前でしゃべってみろ。生意気をいうなら人の前で説明してみろ」というお話がありまして、だんだん街づくりの専門家みたいな変な看板をつけられてきたような状況です。
 そういう過程を経まして、僕が、ドイツの街づくりというか、アーバンデザインの話を皆さんの前で生意気に説明する気になったのは、今までの日本においてのドイツの都市計画制度、ドイツのアーバンデザイン制度の理解の仕方があまりにもセオリーに過ぎている。僕は、フィールドワーカーの領域での考え方をする人間ですので、セオリー過ぎるところに欠陥があるんじゃないかということを実際の図面描きが、セオリー、制度をどういうところで具象化するのかということを、系統立たないまでも、実際の僕の経験の中でしゃべってみようじゃないかということがきっかけです。
 きょうもそのようなことでお話ししてまいりたいんですが、デザインをするというハードの部分は、どなたも勉強なさればわかるし、人それぞれ感覚が違うものですから、僕のやり方が必ずしも正しいということはいえないので、きょうは、どちらかというとソフトの部分、副題に無理やりつけていただきました官と民の街づくりにおける権利と義務のようなところ、官がどうあらねばならないか、それに対して民はどうあるべきかというところを皆さんにお伝えしたいということで準備してまいりました。



1.街並みのまとまり

 一般的にドイツといえば、僕も初めはそうでしたように、チロルはオーストリアですけれども、チロリアン風のアルプスの山があって、お花があってというイメージを持っておりました。実際にドイツには、個人で自分の家の庭を花で飾ろうというレベルから、自治体のレベル、街並みを修復して、昔のような街並みを取り戻そうというコンクールが多くございます。(スライド1)
 このスライドは、ミュンヘンのある一角です。この写真は20年ぐらい前の写真です。
(スライド2)
 このようなところが現在ではこういうふうにつくり直されてきます。昔あったモチーフを現代風にアレンジしながら、昔の街並みに合わせて創り直していくということが盛んになされます。
(スライド3)
 これは13〜14世紀の建て方ですが、そのまま残っております。
(スライド4)
 そのところを現在ではこんなふうに緑をふやしたり、建て物も手を入れたり、環境をきれいにしていこうじゃないかという事をどんどんやっております。
(スライド5)
 これは多分1984年度だったと思いますが、15年ぐらい前の街並み修復コンクールでミュンヘン市で1番になったプロジェクトです。それがバイエルン州のレベルでも1位をとりまして、連邦レベルでもまた1位をとりました。これは15年前と古いんですが、当時ドイツではベストとされた自治体レベルでやられた修復の典型例になります。前のモスグリーンの部分は修復ですが、こちらの明るい肌色の建物は全く新しい建物です。
(スライド6)
 これでおわかりになると思います。この部分は後で図面もありますが、この中庭の部分にはごみ置き場とか駐車場とか掘っ立て小屋的な、いってみればあまり美しくない建物が雑然とあったものを、取り壊して、新しい建物をつけ加えるときに整理して、みんなが休める、遊べるようなところ、緑をつくろうということでやられています。
(スライド7)
 こんなふうに、懲りもせずに、街並みを昔どおりに修復しようということが多くあります。僕たちがドイツの風景を見ると、窓に花があり、花も、ゼラニウムの虫よけの効能がある花ですが、テラスに飾ったり、バルコニーに飾ったりしてやっているわけです。こういう田園風景の中から町の中に入っても、街並みを昔あった状況に整えながら直していくということが、繰り返し繰り返しなされています。
(スライド8)
 ロマンチック街道にネルトリンゲンという町があります。、去年、市制1100年を迎えた町です。僕たち日本人がイメージしているようにドイツのロマンチック街道というのは、中世の町、1000年以上の歳月を過ぎている町々の集りです。どういうことかといいますと、都市構造自体が、現代のグローバルスタンダードといわれているような情報社会のストラクチャーには対応できません。にもかかわらず、昔の街並みをそのまま残そう、無理をしても残していこうじゃないかということが、個人のレベルでも、公共のレベルでもしつこくなされています。
(スライド9)
 そのような街に住んでいても、ヨーロッパでは、人それぞれの権利が非常に認められていて自由が保障されているから、ある程度自分の権利で、いろんな建物ができるんじゃないかと思いますが、逆に、そういう社会にもかかわらず、1つのルールを皆さんがよく守っています。あらゆる都市に不文律がございます。この場合には、左側に教会がございますが、あの教会の塔よりも高い建物はつくらない。それはどういうことかと考えますと、逆に、町のどこからでも教会の塔が見えるという市民の生活に結びついた考え方、感じられ方があって、その中で、それを1つの了解事項として、個人の権利を差し控えるということで街づくりをやっていきます。



2.建設許可−Bプランの実際

 (スライド10)
 これはイタリアの例ですが、こういうことがドイツで計画されるとしますと、これはほとんど成り立ちません。こういう自己主張の激しい建物は、ドイツの中で、この10年来、20年来見かけません。30年ぐらい前はありました。
(スライド11)
 例えば、ミュンヘンのど真ん中のマリエン広場という中心地にございます真ん中のグレーの建物、あれはオリンピックのときにできたデパートです。これも建築法規的には、高さ制限も合っていますし、壁面線もそろっています。そのときの建築許可の制度がどうであったかは、僕はよくわからないんですが、建築許可的には通る建物です。ただ、これは一般市民の嗜好に合わなかったということで、非常な批判の対象になっています。
 当時、街並みで何か不都合なことが出ると、マリエンプラッツのカウフホーフと街並みに合わない建物の代名詞としてしょっちゅう使われる建物です。今でも残っていますけれども、一時このファサードをどういうふうに変えようかというテーマがありました。
(スライド12)
 不文律の中で新しい計画をやろうとすると、どこの計画局にもこういう都市の模型がありまして、市民が見れるようになっています。新しい建物をつくるときに、こういう大枠の中で自分がどれくらいのわきまえをしなくはならないのかということが常識として入っているような気がします。新しい建物を建てるときに建築申請をします。どのような形で建築申請をするかといいますと……
(OHP1)
 新しい建築を計画したときに建築許可を得るわけですが、そのときに、規制というとおかしいんですが、建て方としてどんな方法でいったらいいのかという条件を申し上げます。建てるんですから、その土地に建物が建たなきゃいけない、都市施設がなきゃいけない、道路を設置してなきゃいけないとか、細かい条件がありまして、これはミュンヘンの土地利用計画図ですが、基本的にこの土地利用計画図の建設利用に沿わなきゃいけない。これは当たり前のことです。建物自体については、州ごとの建設例があって、それに合わなきゃいけない。ほとんど同じようなことが書いてありますが、州によっては違う項目もございます。
 それから、アーバンデザイン的には連邦建設法第34条に沿わなきゃいけない。その意図に反してはいけない。この解釈がいろいろな誤解を生むんですが、これについて話をし始めますと、B−プランに関連してと同じように、1つの大きなテーマになってしまうので、簡単に話させていただきます。
 一般的には、連邦建設法34条に反しないで、それをさらに深めて、自治体がある一定のアーバンデザインの調整をしたいというときにつくりましたB−プラン、Bebauungsplan、日本語で「地区詳細計画図」と訳されておりますが、単純にいえば、建設計画図。その調整項目に反しないときに許可がされます。
 日本でも用途地域図というのがありますが、それはゾーニングで、ある大きな地域を色分けしているだけですが、土地利用計画図での一番大きな違いは、道路も水面も緑地も、全部1つ1つ違って表示されています。各小さなブロック、ブロックにきちんきちんと用途、利用計画がなされています。一般住居地域、商業地域、中心市街地域等に図面表記令、建ぺい率と容積率が付随してついています。だから、これを見れば、都市の景観は、見る方が見れば読めます。都市計画制度の規制、例えば、景観条例とか、街並み、アンサンブル保護の地域とか、そういう特別な、用途に関係のない部分のものはその用途に加えて表示されています。
 僕の持っている日本の用途地域図は20年前の地図ですが、それを見ていると、防火地域とか特定街区、高度利用地区という、用途とは全く関係のない表示が、用途の表示と同じように並んでいるという、町全体のボリュームの形態が読み取れないものになっているわけです。それがちょっとまずいのではないかという気が僕はします。
(OHP2)
 先ほどの用途の凡例ですが、非常に細かくなされてます。申請するときには配置図が要るわけですが、この配置図のための土地台記図というものを都市建設局が持っています。申請するときはそこへ行って、この地図を買ってきます。
(OHP3)
 凡例がついています。
(OHP4)
 この図を見ていただければわかると思いますが、もちろん土地台記帳ですから、土地の台記番号があります。それから、町の外部の状況がどうなっているかというのが読み取れます。例えば、屋根の形、この点線のあたり、切り妻になっています。建物の高さ、地上部分で通路があるというようなこと、それから、街並み、ここに木が植わっているとか、この台記地図をみますと、その地域がどんな形態になっているか、その形態に合わせて計画をしなければいけないのかなという予感を与えられます。それ以上に、先ほど申し上げましたように、自治体が、ある一定の意図をもって、都市デザイン的に規制をかけようというときに、このような図面をつくっておきます。
(OHP5)
 さっきの写真にもありましたように、さっきのはここから見た写真です。これを新しい建物でやろうじゃないかという建設計画図をつくっておきまして、その図面をもとにして、こういう都市計画規制のB−プランをつくります。
(OHP6)
 もう1つのB−プランがあります。ここに表示されています1.45容積率。一般住居地域、ここの間に木を植えて、子供の遊び場がなきゃいけない、というような建設計画に入っていくわけです。その建設計画図に沿って建設許可がチェックされます。
 そういう図面をもとにして申請図面を描くわけです。描く段階で、これは日本と同じだと思いますが、消防署とか造園局とかに行って、木を何本植えようかとか、細々としたことまで相談しながら申請図をつくります。だから、申請をやった段階でほとんど許可がおりる図面ができ上がっています。したがって違反建築はほとんどありません。違反建築が起きたときにどうなるかというと、違反建築をつくった人の責任によって、違反部分を撤去するか、修正をするかという慣例になっております。それでも、個人が「おれが建てたものだから」ということをやりますと、大体裁判になります。裁判になっても、論証のデータが公共の側にありますから、ほとんど撤去されることになります。
 日本で違反建築はどうなんだということをある方に僕が聞いたときに、例えば、容積率6割のところに8割の建物を建てても、撤去命令が来るかわりに、6割じゃなくて8割分の税金の要求が来るということが起きているという話です。そういう本末転倒な行政のやり方は、ドイツではほとんどございません。
(OHP7)
 先ほどのB−プランのお話をもうちょっと続けまして、このB−プランはどういう位置づけをされているのかといいますと、皆さんご存じだと思いますので、流してお話ししたいと思います。ドイツの都市計画制度には、連邦レベルの計画、州計画、その下に州の中の小さな地域に分けた計画区分があります。どんなことをやるかといいますと、大体インフラストラクチャー、連邦レベルでは飛行場の計画、アウトバーンの計画、鉄道の計画、いわゆる国レベル。もともとインフラストラクチャーは、防衛に関してサポートするものの設備、政治計画的なことですので、国家的なレベルでやるものをいいます。ですから、連邦レベルで考えるのはそういうようなこと、道路とか鉄道とか飛行場、河川もそうですが、そんなものを大まかに決める。その大まかなものを受けて、州政府が州計画図をつくる。
(OHP8)
 これは州計画図の一部です。これも資料が古いんですが、アクセスをどうしようかとか、町のランクをどういうふうにしようか。町のランクによって都市施設がどんどん変わってきます。例えば、ミュンヘンはバイエルン州の一番大きな都市で、その中で市民のサービスをする施設がどれだけなきゃいけないか。例えば、大学があるとか、大きな病院があるとか、同じような施設を小さな町につくる必要は全くないですから、大きな都市に大きな施設をつくって、その周りの影響範囲のある地域の住民の生活をサポートする。そういうランクづけみたいなことを州レベルで決めていきます。
 それを受けた地方の計画をレギュナルプランニングといいいます。バイエルン州の場合は18ございます。それが大まかな計画区分ですが、そういういろんな連邦レベルから地方レベルまでの計画を受けて、自治体が都市計画図をつくります。それがBauleitplanungといいまして、建築指針計画あるいは指針図みたいな、建設計画をどういうふうに誘導していこうかという図面を描きます。
 その最初の段階でつくるのがF−プラン、土地利用計画図です。それは法的拘束力を持ちませんけれども、議会で承認されなければいけません。その土地利用計画図を受けて、B−プラン、新しい地域に建設をやる場合には必ず建設計画図というものをつくります。それは自治体の権限です。連邦とか州計画とか、そういうものを受けながら、自治体の権限で、町の中をどういうふうにデザインをしていこうかという図面を描きます。
(OHP9)
 これはロマンチック街道の一番南のフュッセンという町のB−プランです。この図面を文章化します。基本的には文章は付属物です。基本はこの図面でこの図面が効力を持っています。
(OHP10)
 この町の場合はちょっと厳しいB−プランですが、このように屋根の形とか窓の大きさとか、細かい部分まで決めてあります。こういうものを日本の建築家の皆さんにお話しすると、「ここまで決められたら、デザインの自由がないじゃないか」と反発をくらいます。僕はこういう中で設計していますので、その反発に対してデザイナーとして、物足りないお話をするなと思います。規制は幾らあっても、個人的な嗜好とかは幾らでも発揮できる。どんな条件があっても、コンペでは、100人参加すれば100様の案が出てきます。規制は幾らあっても、自分のデザインは幾らでもできる。できなければ、アーキテクトという職能をあなたは全うしてないよという社会的な烙印を押されることになります。そういう話はドイツでは一切聞いたことがありません。
(OHP11)
 ここで注目していただきたいのは、こういうB−プランをつくったときに、必ず模型がついてくるという事です。これはB−プランをつくる前の現況模型です。
(OHP12)
 B−プランをつくったときに、どういうふうになるかという具体的な模型も提示されます。B−プランをもとにして、市民一般の方が参加して公聴会が開かれます。こういう模型があれば、市民の方によく伝わるわけです。
 公聴会のやり方はどうしているんだという話をよく僕は質問されるんですが、日本の場合は、お役所で文書で説明するんですが、それでは実際に町がどういうふうになるのかということが伝わってきません。計画の意図を伝えるためには、市民はいってみればアマチュアの方たちですから、図面が読み取れるわけがない、文章を具体的にイメージできるわけじゃない。何が一番いいかというと、やっぱり模型です。ビジュアルなものを提示して、あなたのところはこういうふうになるんだよという説明をしなかったらいけません。
 誤解していただきたくないのは、単に模型をつくれということじゃなくて、その模型ができるプロセスが非常に重要なわけです。その調査、計画があって、そのデータをもとにしてこういう街並みができ、こういうふうな町ができる。模型というのは、プロセスとしての最後の結果であるわけですから、逆に、最初から模型をつくって見せれば済んでしまうという話じゃなくて、計画のプロセスがしっかりしていないといけないのはもちろんです。ただ、方法論的に市民の方に伝えるためには、その計画を模型をつくってビジュアルにして初めて、市民との対等の討論ができるということを申し上げたいだけです。
(スライド13)
 こんな形で申請をやっていくわけですが、先ほど「建築違反がほとんどない」と、ちょっと口ごもって申し上げましたが、唯一ミュンヘンのど真ん中に建築違反があるんです。それがこれです。これは容積率からいったら1層分多いんです。この場合、例外中の例外の、例外中の例外みたいな感じで、唯一ミュンヘンで残っているところです。これは景観的にもそれほど問題はないし、容積率をオーバーしても、都市サービス施設にそれほどの負担がないという判断で、認められています。
 だから、違反をするということは、他人の迷惑になるわけで、都市施設に負担をかけるとか、景観を損なうとか、そういうことで違反を取り締まるわけですが、違反が万が一通るとすれば、その施設が公共の利益に反しないということで、大目に見てもらえるんじゃないかということがあります。
 このスライドでつけ加えていえば、先ほどの街並みを修復するという例で申し上げますと、この塔は、僕がミュンヘンに行ったときにはなかったんです。戦争のときにここら辺は98%ぐらいやられていますので、全部修復の町です。この塔がなかったときに、この広場の景観がちょっと落ち着かないという都市計画局の意見で、ここに昔あった塔の図面を修復しようじゃないかという話が起きまして、いろんな時代のエポックで建てられた塔の図面を全部この広場に展示しまして、現代に合う塔は、こういうふうにしようじゃないかという計画図がつけられまして、市民の意見にさらされました。これはできてから20年ぐらいになります。だから、これは全く新しいものです。そういうふうに執拗に昔の街並みを取り戻そうということがなされています。



3.土地所有権−土地使用権

(スライド14)
 個人個人の権利があって、個人が自由に何でも建ててもいいだろうという形でなく、1つのルール、例えば、これはローテンブルクですが、看板などもみんながそろえて、昔の街並みに不相応な看板は避けようではないかという市民の中の約束を守っています。
(スライド15)
 ここにマクドナルドがあります。マクドナルドという古い街並みに一番合わないものをつくるんですが、それでも町の中のルールに従おうじゃないか。逆に従わなかったら許可がおりないわけですから、従おうじゃないかという姿勢をとってやっております。
(スライド16)
 個人個人が自分のいいたいことをいい始めたら町がどうなるか。これもイタリアのトスカーナの地中海寄りにある小さな山岳都市の例です。あまり有名な町じゃないんですが、たまたま行ったときに、この建物が丘陵地形の町のど真ん中にできて、これで町の景観とか町の品位を落としています。こういうものはドイツではほとんど見当たりません。
(スライド17)
 ただ、こういうものが進みますと、唯一フランクフルトのような状況が起きてきます。これは景観とか街並みとかそういうのが一切無視されている例です。ほとんど銀行の建物ですが、銀行の権力の象徴を互いに競い合っています。
 ここでの街づくりはどうなっていくんだ。こんな結果が出てくるわけです。唯一フランクフルトがこういう状況を呈していますが、ドイツにおいては、大きな町も小さな町も、先ほど申し上げましたように、教会よりも高い建物は建てないということで街づくりがなされています。
 ドイツの一般的な建物のつくり方は、レンガを積み重ねます。外側にモルタルを25ミリから30ミリぬります。建築物は自分のものですが、その25ミリから30ミリのモルタルは自分のものじゃないという言い方がされております。ファサードを10年から15年ぐらいのスパンで定期的に手を入れていく。メンテをするわけですが、それをしないといいますと、村八分にされるというか、批判の的にさらされます。それが非常に進みますと、市の方から勧告が来ます。
 ファサードに限らず、これは僕が実際に経験した話ですが、忙しくて庭の手入れを怠ってしまって、ちょっと芝が伸び過ぎてしまったり、枝が道路にはみ出てしまったりしますと、隣近所から「汚くなっているよ」という声がかかりますが、それでもほうっておきますと、町役場から「あなたの家の状況は公共的に見て非常によろしくない。」という通達が来ます。非常にドイツ的ですが、「土地の境界線から10センチ以上枝ははみ出てはいけませんよ」と書いてあります。
 それはどういうことかといいますと、もちろん刈り込みがされてないと景観的によくないということはありますが、枝が道路に出てますと、災害時に弊害になるわけです。ということは、公共の利益に反するわけです。その根拠のもとで刈り込みをやっておかなきゃいけないということが書いてあるわけです。
 今の場合でも、いろんなことをいって個人のわがままを通そうとしますと、最悪の場合は裁判ざたになる。裁判ざたになっても、どちらに正当性があるかといえば、根拠をもった公共側に当然正当性があるわけですから、わがままをいった方が敗訴してしまう。しようがなくやらざるを得ない。そういうことがわかってますから、そういう問題が起きたときに、最初から争わないで、世の中のルールに従おうじゃないかということがやられています。
 ここまで個人的な自由というか権利が押さえられていますと、どこまで自分が土地を所有しているんだろうという疑問がおきます。僕がこういう話をしますと、日本では、「自分の土地じゃないか。自分の土地でどうして自分の自由にしてはいけないんだ」ということを聞かれますが、僕が答えているのは、逆に、「じゃ、あなたが土地をつくりましたか。地球をつくったわけではないでしょう」という非常にうがった言い方をするんです。「土地そのものは自然に属している、人間のものじゃない、人間がつくったわけじゃないから、自然に属しているという考え方をする方が自然の摂理に合っているではないか」という答え方をしております。
 そういう一歩も二歩も下がった謙虚な考え方で街並みを見てみますと、おのずから個人のわがままをあまりいってはいけないんだという常識の中、問題なくそういう街並みの中で人々が我慢をしながら住んでいるということが、すんなりと感じ取れるようになってくると答えております。
 個人と町の関係を、町と自然というスケールで考えてみますと、1個の建物をつくるということもそうですが、町をつくるとか環境をつくるということは、大きな自然の摂理の輪の中へ人間の勝手な都合を割り込ませるということになります。そのことを認識すれば、おのずと自然の摂理の輪の中にいかに協調して、人間のわがままを割り込ませていただくかという考え方で町をデザインしたり、環境をデザインしたりするようになるでしょう。
 そういう考え方で、集合住宅や建て売り住宅というものをつくれば、山を削ったり、その削った土で谷を埋めたり、今まであった流水、自然に沿った流れをコンクリで囲って流水路にしちゃうとか、今まであったため池とか、沼を埋めて四角な貯水池にしてしまうという、僕から見たらばかげた行為は出てこないでしょう。人間は地球を使わせてもらっているという意識、一歩も二歩も下がった意識で環境計画、街づくりをやっていけば、自然とそういうことができなくなってくるだろうという感じがします。
 そのように、自分の土地に自分の好きな建物を建てて何が悪いという割には、周りがどうなっているかを気にするのが日本の状況ですが、周りのことを気にしながら、自分のことになるとエゴが出てくる。総論賛成、各論反対みたいなものが出てくる。その日本の民主主義と、自分の権利はとことん主張するが、公共の利益という部分で個人の権利の限界があるということが自覚されているんじゃないかと感じられる西洋民主主義との違いがあるんじゃないかという気がします。
 町が出来てきた過程の中で、1人1人が個人の権利を主張した町というのは大体滅んでいる。簡単に説明しますと、都市国家でしたから、必ず隣町との戦闘状態があるわけです。1人1人が勝手なことをいい始めて、町にまとまりがなくなってくると、すぐ攻められる。自分の権利だ、自分の自由だといっていても、自分の所属する国家の存在がなくなれば、自由もへったくれもないわです。まず第一義に自分が属する共同体の存続を考えようじゃないか、そうしなかったら、自由も平等もあり得ないということを都市国家の中でヨーロッパ人は経験してきているんじゃないか。それが血となっているんじゃないか。だから、ある程度のところで個人の権利は我慢しなくちゃいけないということが、暗黙の中で了解されているんじゃないかということを感じます。
(スライド18)
 これはシエナの有名な町ですが、こんな町ではだれもが、自分の好きな建物を建てようという気が起きないのは当然なんですが、こんな町が残ってくるのも、そういう一般的な民主主義の了解事項があればこそという感じがします。



4.自由であることの権利と自由であるための義務

 日本で、公の方が力を持たなきゃいけないというと、非常に反発をくらうんです。 もちろん、官が権力を持っていろんなことを独断的に決めていくとよくないというのがあります。ドイツはそのことを経験しております。多数決でたった1人の人間に「おまえ、政治をやれよ」と任せたばっかりに、民主主義的な方法で独裁を生んでしまったわけです。それで歴史的な町が崩壊していった。だからといって、公の秩序のない世界が果たしていいだろうかということも疑問だという気がします。
 そこら辺になると、建築学の話じゃなくて、社会学の話に入ってまいりますが、僕が感じた西洋デモクラシーの基本は、日本では認られている最初からの全員一致の多数決で決めるということはあり得ません。どうしてかというと、1人1人が違うわけですから、最初から全員一致ということは、どこかに民主主義的でない力が働いているという警鐘です。これだけ多様な人間がいるんだから、最初から全員一致ということは、民主主義の力じゃない力がどこかに絶対働いている。ですから最初から全員一致ということは却下されます。
 それから、民主主義の基本として、いろんな意見を許容する、他人の意見を認めるということが原則ですから、公の一番大きな仕事は、そういう個人のいろんな意見をどんなふうにまとめ上げていくのか、それで共同体としてのコンセンサスをつくり上げていくのかということです。そういう街づくりのコンセンサスを取り上げてコンセプトをつくっていくわけですが、そのプロセスの中で住民がそのコンセプトに反対するときも、根拠を持って反対しなくてはいけません。一番大きな反対の流れをつくるのは新聞です。
(スライド19)
 皆さんの資料にもございますが、これは7月29日の新聞です。今ごらんいただいているスライドのフランクフルトの町のど真ん中に貨物操作駅があります。その隣にメッセ会場がありまして、そのメッセ会場と同じくらいの広さで鉄道引き込み線があるということで、フランクフルト市が非常に力を入れて、10年ぐらい前にこの敷地に槇先生がコンペをやられています。今年の3月にこの一部分でコンペがなされて、決定されています。
 そういうことがなされているにもかかわらず、この人物はドイツ銀行の頭取ですが、ドイツ銀行の頭取が町に何の相談もせずに、勝手にヘルムート・ヤーンを呼んできて、その部分に計画図をつくったわけです。それを抜き打ち的に発表したんですが、新聞は批判的に取り上げています。「銀行屋が夢を見ると」という、ちょっと揶揄したタイトルをつけています。町を計画するのはだれなんだ。というふうに、街づくりが間違った方向に、横暴な個人の権力が出てくるときに、民主主義にのっとった方法で規制しよう、押さえつけようというようなかなりの論調を張ります。
 こんなふうに討論を重ねますが、ただ、その討論のときでも、いってみればけちをつけるとか、批判をするということはだれでもできるわけです。どんな立派な建物でも、けちをつけられますし、どんな立派な街づくりでも批判はできます。一番重要なことはその批判がどの根拠に基づいているか。その根拠がなければほとんど討論になりませんし、根拠があれば、根拠と根拠の闘いで一致点を見出してくることがありますが、ただ単にけちをつけるのであれば、討論にならないわけで、前進はしません。公聴会でもそうですが、けちをつけるような意見は最初から無視されます。社会的にそういうことは人格を疑われるという暗黙の了解があります。だから、批判をするときには根拠を持って、こうこうこうだから、これはいかんのだ。なおかつ、だから、どうしたいのか、そういう提案までやられなかったら、前向きな討論、前進する討論が起きないわけです。
 公聴会に限らず、ドイツ流の討論会を見ていますと、一人一人がかなりの論陣を張ります。自分の論証を並べていきます。相手の論拠よりも自分の論拠の方が正しい。それでけんけんがくがくな討論をやるわけですが、そのけんけんがくがくな討論をやって、ある結論が出たとします。その結論を全員が認めます。するとそれにはけちをつけない。そこまで論を尽くして決めたことだから、それに従おうじゃないかということになります。
 僕が日本でよくお目にかかるのは、そういう討論会をやっても、自分が気に入らなくてへそを曲げてしまうと、絶対最後までゴネる。いわゆるゴネ得ということがありますが、そういうことは共同体の中に住む人間として失格であるという風潮、これは法律ではございませんが、そういう風潮がドイツの町にはあるように僕は感じられます。



5.有言実行の街づくり

 そういう中に僕は住んでいるのですが、たまたま二十何年間住んだというだけの話で、勉強しようとか、ドイツの街づくりを系統づけて勉強しようとか、そういうことはやってないのですが、ドイツにいるんだから、ちょっとドイツのことを見せてよとか、紹介してよという方が最近ふえました。僕が30年前に大学にいたころの「都市計画」という言葉が、今は平仮名の「まちづくり」とか、さらにその上に「環境に優しい」とか、「地球に優しい」という冠詞がつくようになりました。その規範をドイツに見に来られる方がふえました。そういう方たちとおつき合いをいたすんですが、おつき合いをして、調査結果の報告書なるものを送っていただきます。せっかくだから、僕は読むんですが、言葉を悪くしていいますと、どれも同じような文章が書いてあります。
 僕はちょっとひねくれてますから、そういうものを見ると、どこかにマニュアルがあるんじゃないか。どこかの陰謀で全部ひな形がつくってあって、町の名前だけを変えているんじゃないか、というほどの類似性があります。そこにイメージ図とかが出てきますが、色が違ったり大きさが違ったりしますが、基本的なコンセプトはほとんど同じです。書いている方たちは、「違うよ」とおっしゃるかもしれませんけれども、僕はひねくれてますから、そういうものをパッと見ますと、何だみんな同じじゃないか。こういう非常に立派な言葉をどういうふうに具体的にしたいの。それが全然書いてないじゃない。ですから、僕にとってはほとんど全部同じにみえます。
 ひどいのになりますと、「我が町の特徴を生かして、我が町の風景をつくる」とか、僕は新潟生まれなので、新潟のことにけちをつけると批判を浴びますが、新潟の報告書に、公園緑地の整備で、「街並み緑地の推進、水辺、道路などを軸とした緑のネットワーク化を図ることにより、緑の多い町の創造を目指します」と書いてあります。これは何も新潟だけのことじゃありません。どこの町にも書いてあります。この言葉はどういうことか。こういうことを書いたらどういうことをしなきゃいけないかという具体的なことが、どこの町にも書いてありません。
 例えば、この言葉がどういうことであるかという例を僕は申し上げます。
(スライド20)
 例えば、フラワーフェア、庭園博覧会をやります。その庭園博覧会のあった跡地に行きますと、ほとんどメンテがやられてない。芝が枯れてますし、お花も植わってない。庭園フェアをやったときには非常にきれいになるんですが、後のメンテがなされてない。結局は市民に使われていない。
(スライド21)
 これはミュンヘンの国際庭園ショーの敷地の跡地です。これは1983年にやられたものですから、15〜16年たっていますが、計画での一番大きな要因は、庭園ショーは半年しかないけれども、敷地はその後ずっと残る。残ったときにどういうことで使っていくか。町の中に有効利用していくかということです。
 緑が見えますが、この向こう側は全部住宅地です。写真を撮っている側のその裏は高速道路です。ここは昔資材置き場として使われていたところです。都市計画的に見れば、高速道路のそばに住宅地を建てれば必ず障害が起きるわけです。それはわかり切っています。だから、この部分に住宅地と高速道路の緩衝帯をつくることがまず1つの目的です。それで敷地が選ばれました。もちろん資材置き場であったら、購入が楽であったということがありますが、何で資材置き場になっていたかというと、やっぱり住宅地としては使えない土地であるからです。道路からの騒音が激しくて住宅地としては使えないものであるから、都市計画的にはこの場合公園にするのが最善の方法であるだろうという決定です。
 周りに住宅地がなかったら、公園として将来的に使われていきません。そういう条件がそろっているというところで、この土地が選ばれて庭園ショーがなされたわけです。その後をどうするか。庭園のときの自然植栽の提示された植物を、今でも手を入れて、この野原のようなところも手を入れてメンテをしています。こういうものはほうっておけばすぐにだめになってしまいます。都市造園局の専門家が税金を使って手を入れているわけです。
(スライド22)
 これは夕方近くで人が少なくなっていますが、土日にでもなりますと、天気のいい日は人でいっぱいになります。ここでピクニックをしたり日光浴をしたり。周りの住宅地の生活と密着しているわけです。そういうことをやって初めて緑をふやす事業をやっているということがいえます。
(スライド23)
 日本で残念に思うのは、例えば駐車場1つにしても、緑をふやすといいながら、環境に一番悪いアスファルトで駐車場を覆ってしまいます。片っ方で緑の多い街づくりを推進しますといいながら、駐車場をつくるときに、あれだけ広い土地をアスファルトで埋めて、線だけを引いて車をとめておくという、僕からいわせたら非常に矛盾したことを平気でやっています。これはロフテンブルクの駐車場ですが、こんなふうに木をたくさん植えたり、芝が生える穴ブロックを埋め込んだりして、なるべく緑をふやそうじゃないかとしています。
(スライド24)
 これはティンケルスビュールという南の町の公共駐車場です。こういうふうにちょっと税金を使えば、緑を多くする街づくりができるのです。
 アスファルトを敷くのであっても、税金を使うわけです。それだったら、税金がむだにならないように、ちょっとだけ加えてこういう政策をとれば、緑がふえてきます。そういうことが日本ではできていない。
 我が町を美しくしましょう、人に優しい、人が楽しくなるような街づくりをしますということが実現できないわけです。ほんのちょっとしたことでありながらやられていません。
(スライド25)
 これは僕が今住んでいる家の隣の集合住宅地の街区です。例えば、ビオトープ。最近日本ではやっているようです。そもそもビオトープとは何かといいますと、ギリシャ語で「ビオス」−生命、「トポス」−空間。僕は「生命の空間」という言い方をしますが、自然の生命がそこに生活できる所という意味で一般的にいいますと、放置された湿地帯のことです。放置された湿地帯を見られて、日本で箱庭的なものをつくって「ビオトープ」と称しています。
 僕がそのときに一番おかしいなと思ったのは、そのビオトープをつくると 野鳥の会の方がいらしたら怒られてしまいますが、野鳥の会の方たちが必ず、そこに木を植えろとおっしゃるんだそうです。なぜかといいますと、鳥が来て、鳥が休むのに木が必要であるのだそうです。それは本来のビオトープから反することです。僕は余計なお世話だと思っています。鳥は、木がそこになかったら、ほかのところにとまります。
 へ理屈をつけますと、鳥がとまるということはふんをするわけです。ふんをするということは、ふんの中に草の実がまじっていますからそこから新しい草が生えてくる。そういう役目を鳥のふんが持っているのです。だけど、それが木のそばに落ちたら芽は出てこない。
 僕が一言でそんなのは余計なお世話だというのは、鳥の機能を木をつくることによって半分減らしている。そこら辺の、データに基づいたことじゃなくて、現象として、1つの風景としてビオトープをつくることがなされなくてはいけないのです。
そういう基本的なところを見ないで、写真に撮って、日本に来て、住宅地の真ん中にビオトープと称して箱庭をつくっているというのは、僕にいわせると、本末転倒のようなことに見えるのです。
 ビオトープを本当につくるというのはどういうことであるかというと、まず自治体が大きな土地を買って、水が流れていなきゃいけませんが、例えば遊水池をつくるとします。その遊水池をほうっておけばいいんです。自然の成り行きに任せて、5年でも10年でも放っておけば、自然とそこにビオトープができてきます。自治体にそれだけの余裕があるか、それだけの許容度があるかということが問われてくるのです。
 緑の美しい自然環境を作るということの中身は、実はそういう税金の使い方をしますということを宣言しているにもかかわらず、実際はやってない。ということで、僕は報告書を見ますと、どこでもみんな同じじゃないか、どこに特徴のある街づくりをやっているんだ、という腹だたしさを超えたあきらめに似た感情を持つことが最近多くなりました。生意気を申し上げますが。
(スライド26)
 例えば、それをもう少し都市的なスケールで考えます。これは1987年のインターナショナルバウアウスシュテルング、国際建築展のときの1つのプロジェクトです。テーゲルというベルリン北西にある湖にある荷揚げをしていた港の再開発の例です。ここも一応ウォーターフロントということで考えられました。
(スライド27)
 いわゆる水辺に住むということはすなわち水にさわれなきゃいけない。第一に水がそれだけきれいでなきゃいけない。それから、子供が水の中に入っていっても危険じゃないという状況を先に用意しておかなきゃいけない。工事現場を見ましたら、ここの部分は水深1メートルぐらいの人工池みたいになっています。水上テラスみたいなものをつくって水辺に入っていく。現在は柵がしてありますが、基本的なコンセプトは水辺の中に人が入っていけるものです。そこで水の中に入っても危険じゃないような状況をつくっておく。昔ここにあった下水路がここの水の汚染をしていました。それをまず解消しなきゃいけないということで、ここに下水処理場をつくったんです。それである程度水の質を上げておいて流して初めてここで水が使える。そういう大きなスパン、都市全体の中で、この部分で何をしようかというような、町全体のバランスを見渡さないと、部分の開発が出来ません。
 この様に報告書の一言がどれだけの政策をやらなきゃいけないかということを考えなければならないわけです。それが税金を取っている方の義務です。税金で何も儲ける必要はなくて、税金取った分だけ市民に返せばいいわけですから、そのいったことをやる。できないことはいわないという姿勢が必要です。
 昔から「不言実行」は美しいことであるということがいわれていますが、事、街づくりに関しては、いったことに責任を持つ。できないことはいわない。「有言実行」が非常に重要なことになってきます。
 公聴会とか、市民との対話をやらなきゃいけないのですから、言葉を尽くしてそのプロジェクトの重要性、根拠なりを説明しなきゃいけないわけです。言葉の持つ重要性みたいなことをもっともっと自覚しなかったら、公共の方が自分たちの義務を果たしていないということがいえると僕は思います。



6.餅は餅屋

 その言葉の持っている重要性、それをいえるためには、そこに専門家が座っていなきゃいけません。僕が一番びっくりしたのは、20年近く日本とあまりコンタトクを持っていませんでしたので、こちらの官庁、自治体の都市計画課にも建築の専門家が常に座っているんだろうと思っておりましたが、あるとき町役場、村役場の街づくりの関係の方たちがミュンヘンにこられて、街づくりについて説明してくれといわれ、お話ししたときに、その方たちのほとんどが建築を勉強したことがないというんですね。それがわかったときに、じゃ、僕が話していることはほとんどわからなかったでしょうと伺ったら、やっぱりわかってないのです。もっと難しいB−プランの話は全然わからないのです。基本的に街づくりをやるベーシックな部分がわかっていらっしゃらない方たちが、都市計画とか街づくりの担当局に座っているということ自体が、僕にとっては驚きでした。
 そういう言葉をしゃべったら、こういう事業をしなきゃいけないということをいえる人は専門家でなきゃいけないのですから報告書の言葉の持っている薄さみたいなことがこの時理解できたんです。もちはもち屋といいますか、専門家がそこに座っていなかったら、何も計画が進まないでしょう。計画が現実味を帯びないでしょう。だから、非常に失礼な言い方をすれば、素人が座っているからこそそういう言葉を平気でしゃべれるんだろう、平気で書けるんだろう。その言葉をしゃべった後の責任のとり方、恐ろしさみたいなことがわかっていらっしゃらないから、そういうことができるんじゃないかという気がしました。
 その専門家をどういうふうに育てるのかといいますと、僕の経験でしか話せませんが、ミュンヘン工大では、建築科に入りますと、いろんな専門の先生がいて、その専門にそった設計課題を出します。その設計課題を学生たちが自分の興味で選んでいきます。たまたま僕は都市デザインの先生を目標にしていましたので、その方向の課題を選びました。その時の課題はミュンヘンの町の当時問題になっていた地のプロジェクトでした。
 僕などが日本の大学で勉強していたころは産学協同は非常に悪であるという、今でいえば間違った考え方をしていたのですが、それぞれの学問というのは社会生活に有効に生きなきゃいけないのですから、建築の場合、都市デザインの場合、現在問題になっているプロジェクトを研究室に持ち込んで研究して、解決方法を見つけることをやりながら、授業を進めていくことに何ら抵抗はないのです。学問は学問のためにあるわけじゃない。学問は世の中に還元されて初めて学問であるという感じです。先生が学生たちに実際的なことを教えなきゃいけませんから、事務所を持つことに全然抵抗感はありません。大学と産業が共同で何かを開発していくということに全然問題もありません。
 そのときに、僕が実際にミュンヘンにある問題点の設計課題を受けて、いろんなことを先生とやりながら図面を引くわけですが、その図面が、もし参考になる、これは実際問題としてこういう解決方法もあるという判断がなされますと、その図面が都市計画局に持っていかれます。その場合、学生が描いたからどうのこうのとか、若者が描いたらどうのこうのとか、そういうことではなく、その図面のクオリティーが非常にいいことであるかということによって価値判断がなされます。建築のよしあしというものは年の上下によるものではない。建築のよしあしは、デザインのクオリティーでしか判断できないということです。たまたまそれが学生が描いたことであっても、偉い先生が描いたことであっても、クオリティーのよしあしの判断の物差しには関係ないという感じがいたします。
 それと同時に、卒業のときにディプロムエンジニアというタイトルをもらうんですが、そのディプロムエンジニアをもらって、その後3年間実務を積んでアーキテクトというタイトルをもらいますが、そのアーキテクトの人達が市の建設局に座っております。この人達が一時期、外に出てフィールドの建築家になることに問題はありませんし、フィールドの建築家がまた逆戻りして官庁に入る、地方公共団体の都市計画局に戻ることに全然抵抗はありません。だからそういうフィードバックがなされていますから、都市計画局でなされるB−プラン等、地方の問題点の解決を基本にして、根がついた計画がなされていくわけです。
(スライド28)
 エキスパートが計画局に座ってどういうことをやるかという具体的な説明をやります。これはブレーメンの絵ですが、これをもらってきたのはつい最近ですが、絵自体は20年、25年ぐらい前の絵です。ここら辺はまだ建設されていません。20年前か25年前ぐらいのブレーメンがこんなようであったということでごらんになってください。
(スライド29)
 これはブレーメンの建設局の入り口ホールにある模型ですが、こんなふうに町全体の模型をつくって、新しいプロジェクトが起きたときに、この中にはめ込んでいきながら、チェックしていくということがなされております。
(スライド30)
 今、実際問題として彼らが市民に広めているパンフレットの中身ですが、この中にいろんなプロジェクトがあります。それを全部こういうふうにまとめて、市民に知らしめます。これは専門家じゃなければできません。素人の仕事じゃないと思うんです。市街地再開発がどんどん計画されて、今、半分でき上がっています。今最優先で計画されているのは、この部分、河畔をもう一遍人間のものに戻そうとしている所です。ブレーメンというのは港町ですから、ここの部分に荷揚げがなされていました。港は船が大型化して、街の中に戻ってこれませんけれども、昔の港を復元しよう、取り戻そう、荷揚げはできないだろうけれども、遊覧船とか観光船とか旅客船は入ってこれるだろう。そういうものの船着きをさせようじゃないかということで……
(スライド31)
 こういうパンフレットをつくって市民に公開しております。今、工事がなされております。ここは全部駐車場だったんですが、駐車場をどこかに移して、地下駐車場もできています。そういう問題を解決して、このプロムナードを広げて、昔は自転車と人間が並行して歩けない、危険な幅しかなかったんですが、それを自転車も通れ、なおかつ歩行者も楽々とそこを自転車を避けて通れるように、幅を8メートルぐらいに広げて、ここをもう一度市民の場として取り戻そうという計画をしております。こういうパンフレットをつくりながら。これはアマチュアの方に描けといっても無理な話です。こういうことはやっぱり専門家にしかできません。
 さらに、ここに道路があります。これは60年代の車社会のときにつくった道路で、今一番問題になっているものです。ブレーメンという町はウエーザー川河畔のブレーメンといわれます。旧市街地と川が一体として考えられているところです。それがこの道路ができたことによって、旧市街地にいても川が意識できません。さらにここに立体交差をつくっています。これも60年代の車優先での立体交差ですから、この立体交差があることによって車がどんどん入ってきます。このドームの広場、これが市庁舎です。これはベェントヒャーシュトラーセといって、北ドイツ表明主義のヘットガーがつくった街区です。その軸を通っても、ここが境界になって、直接川に出ていけません。せっかく昔の都市軸を再生して、町の中の快適さを追求してきたにもかかわらず、ここで途切れてしまっています。
(スライド32)
 それを今どういうふうに解決しようかということが計画を通して考えられています。現在時点では車を通さないわけにいかないから道路の幅を狭くして、交通量を少しずつ落としていくような政策をとらなきゃいけないんじゃないかということで、このような模型をつくって検討しています。
 こういうことは、問題点を先取りしていける人じゃなきゃできない。どういうことかというと、専門家じゃなきゃいけないということです。
(スライド33)
 もう1つ例を申し上げますと、これは、ジュッセルドルフ市のライン川の荷揚げの港であったところを、こういうふうに模型をつくって計画し直していますが、ここも船が入ってきません。港としての機能がなくなっています。寂れてきたのですが、残っていたのは倉庫だけであったりして、非常に市街地に近いにもかかわらず有効利用がされてなかった所です。たまたま、この倉庫がテレビ関係のスタジオに使うのに非常に便利だということで、テレビ関係の人たちとか、アトリエとして使う芸術家の方たちとかが住み着き、もう1つ大きな要素は、ここに魚のレストランがあります。魚のレストランが港にあるというのは非常に自然な感じに見えるので、魚のレストランが出来て繁盛して人が集まるようになりました。
 それを受けて、都市計画局が、港の部分を市街地として有効利用しようじゃないか。1つには個人のスポンサーがいてできたんですが、有名な建築家を呼んできて、建築をさせようじゃないかということで、これはフランク・ゲーリーの住宅地です。そういうものを取り入れながらここの部分の活性化を図っていこうじゃないか、町をつくっていこうじゃないかということを考えます。こういうものを都市計画局でつくり上げて市民に公布します。
 ここはジュッセルドルフですから、ウエストファーレン州の建築協会で会館のコンペをやりました。こちらの部分で最近都市計画的なコンペがなされています。そういう将来性を見定めて、先取りしながら街づくりの計画を先行させていきます。そういうことが考えられるのは、エキスパートでしかない。素人の方はそこまで考えが回らないだろう。だから、都市計画局という重要なところには専門家が座ってなきゃいけないんだという気がします。



7.街並みの保存

 エキスパートがもっともっと重要になってくるのは保存問題です。
 保存問題といいますと、また日本の悪口になってお耳ざわりになるかもしれませんが、古い建物を壊すことに日本では抵抗感がないんですね。古い木を切ったり、古くからあった山並みを削るとか、そういうことについては一切罪悪感がない。そういうことに僕は非常にびっくりするんです。これは価値あるものだよという判断するエキスパートがいないわけではないでしょう。そういう人たちはほとんど無視されているのでしょうか。その判断をする方たちの職能としての社会的価値が認められてないといいますか、非常に悲しい事態があるのではないかという気がします。
(スライド34)
 これはベルリン首都のでき上がったばかりのポツダム広場の一角です。コンペ、コンペで決められてきて、つい最近できあがったものです。こんな近代的な街並みができているにもかかわらず、ここの部分に昔からあった1軒の建物を残しながら、新しい建物と古い建物をつなげているようなデザインが見えます。このデザインは街並みとしてまとまっているか、こっちの新しい建物と古い建物は街並みとして合っているかと、聞かれますと、ちょっと首をかしげますが、そのことは基本的に個人の嗜好であって、いいという方もいらっしゃるだろうし、嫌だという方もいらっしゃるでしょう。しかし基本的に古いものはまず残そうじゃないか。まず残すことから新しい計画を始めようじゃないか。残っている建物を新しい計画の中に取り入れてやってみたらどうなんだろうと考えた結果だと思います。
 ここの場合はこの古い建物を動かしたんです。設計者としての苦労はたくさんあるので、簡単には批判できないんですが、一番いいやり方は、古い建物を現状のまま残しながら新しいものをつくっていく、それが連邦建設法34条の考え方ですが、それでもだめだったら、動かす。金がかかっても動かす。それで古い建物を残してきました。大体それで解決するんです。それでもまだうまくいかなかったときに壊さなきゃいけない。その古い建物を壊したときにどういう付加価値が出てくるのかというのは、必ず設計者の方としていわなきゃいけません。存在しているものをなくすということの行動の社会的責任の大きさみたいなものを、ちゃんと筋道を立てて、論証しなくてはなりません。こうこうこうであるから、この建物をなくさなければいけません。その後こういうものを建てると、それにも増してこういう効用が出てきますということを説明できなかったら、社会的に認められません。
 僕らが設計に携わってますと、基本的にまず古いものはごちゃごちゃいわないで残そうじゃないか、という態度をとります。非常におもしろいジュッセルドルフの例です。これはまた随分昔の絵ですが、川べりが自動車のために使われていました。60年代の名残りです。ここの船着き場の脇の旧市街地が、川と切り離されてしまいました。それを何とかまた市民の場に戻そうじゃないかということで、地下に道路を埋めて、地上を遊歩道にしようということででき上がったものです。
(スライド35)
 これは完成後の夏の絵ですが、市民が出てきてにぎわっています。こういう使われ方をして、先ほどの絵と比べますと、こんなふうに変わりました。このときに非常におもしろいことが起きたのです。あそこの茶色の建物ですが、その部分に集合住宅を計画していたのです。集合住宅をつくるのであれば、必ず地下駐車場をつくらなきゃいけない。ということで、地下駐車場をつくるため掘っていたら、昔の港の跡が出てきました。その跡地を、保存法を専門になさっている方たちの手にゆだねて調査した結果、これはジュッセルドルフ市ができた当時の港の跡地であるということでここは残すべきだろうという判断がなされた。
 それは専門家、エキスパートの決定ですから、設計者を含めてアマチュアがどうのこうのいう筋合いのものじゃなくて、それはそれとして認めて、それを計画の中にどういうふうに取り入れていかなきゃいけないかのけんけんがくがくの後に最終的に何をやったかというと、港を残しました。だけど、駐車場は要るわけです。
 その駐車場をどこにつくったか。この古い港の水面の下です。日本の常識から考えると、非常に金がかかりすぎています。ただ、税金のかかり方がジュッセルドルフ市の歴史とのつり合いの中で、どっちが大事であるか。エキスパートが結論を出したわけですから、それを認めざるを得ない。そこら辺までエキスパートの意見が社会的重みを持っています。
 もちはもち屋です。それから、昔からあった物を残すということは、一度壊れてしまったら、どうにも取り返すことができない。壊してしまったらなくなっちゃうんだよということ。覆水は盆に返らずといいますが、壊してしまってはだめだ。後で気がついても後悔先に立たずなわけですから、まず残そうじゃないかということで計画をやっていきます。その際、最後の決定をするのはエキスパートの判断です。



8.街づくりへの自覚

街づくりには矛盾したプロセスがあります。一方で非常に大きな町全体のビジョンを持ちながら、ある一定地区の改革、開発をやっていかなければならない。しかし、その地区地区に必ず特色がありますから、その地区地区を、例えば住宅地はこうであるとか、市街地はこうだ、商業地はこうだ、工業地はこうだ、そういうタイプの違うものをつなぎ合わせていかなきゃいけないわけです。色の違ったきれを、パッチワークみたいに継ぎ足していかなきゃいけない。一方でマクロの見方をしなきゃいけないし、片っ方でミクロの見方をしないと、どうしようもないという事態が起きてくるわけです。
 街づくり、都市計画、アーバンデザイン。言葉すべてひっくるめて、自己矛盾した考え方を自分の内側に持ってなかったら、とてもできないだろうという経験から割り出した感じを僕は持っています。
 先ほどからも申しましたが、ドイツの都市計画は、いろんなレベルで筋道立てて構成されています。基本的な考え方を申し上げますと、どの市民も平等にかつ快適に住む権利を有する。それを供給する義務が公共の側にはあるということです。税金を取っている限り、税金を払っている住民の住むことに対して保障しなきゃいけないということだと思うんです。
 そういうことは具体的にはっきり書いてありませんが、ドイツの都市計画法を見ていると、どうもそんなような基本的な考え方があるんじゃないか。それを難しくいいますと、秩序立った都市建設的開発と一般的福利、健康に対応する社会的に必要な土地利用を確保し、人間の尊厳に値する環境を確保、保持し、自然の生態の基盤を保護することに貢献すると書いてあります。難しくこういうふうに書いてありますが、簡単にいえば、先ほど申し上げましたように、自然の摂理の中で人間も一緒に住むことの環境の保持、保全をするということではないかと僕は解釈しております。
(スライド36)
 ベルリンの例を申し上げますと、この赤い線は、市の地区の境界線になっておりますが、東西の壁があったところです。ポツダム広場というのがここの部分。これは昔の帝国議会で今、連邦議会になっています。ここに議員会館と首相官邸のコンペが5年前にあって、マクセル・シュルテスが勝って工事しております。その北に今、東西軸と南北軸が交差したヨーロッパでは初めての鉄道がクロスするレーターバーン駅、ドイツ人がヨーロッパの中央駅にしようとする目的があるのだろうという駅を工事しています。いろんな別々のプロジェクトを、この1つの大枠の中で考えられています。南北軸も地下を通した方がいいだろうとか、道路も地下を通した方がいいだろうとか、市民の公園がありますから、それを崩さないためにも、そういうものは地下に通して、おのおののプロジェクトをつなげていこうという計画がなされています。
(スライド37)
 これは先ほど申しました首相官邸と議員会館。右側の上が帝国議会。今は完成して使っています。
(スライド38)
 これは1年前の工事現場の様子です。これがレーターバーン、中央駅の工事現場で、左側に帝国議会、右側に議員会館、そういうものが見えています。こんな計画をもとにしてコンペがなされているわけです。これが中央駅です。パンフレットをつくって市民に広報しています。
(スライド39)
 これがその現場です。これは中央駅のホームの脇に道路をつくって、その脇に駐車場をつくるという計画がなされています。
(スライド40)
 これはポツダム広場で、丸い建物がヤーンのソニーセンターです。個々それぞれ違ったプロジェクトを1つの全体的な流れの中でどういうふうにつなげていこうかということもやらなきゃいけない。そういうマクロの見方とミクロの見方をつなげながらなしていくのがドイツの都市計画であろうという気がしています。
 最後になりますが、都市計画自体が公共主導であるといっても、市民がその中で指をくわえて見ているかというと、そうではないのです。その例を申し上げますと、これもロマンチック街道に戻りますけれども、日本人は、ロマンチック街道というのは、観光旅行でいく街だから、観光のためにつくっているだろうとお考えになるかもしれませんが、とんでもないことで、この町で話を聞いたところによると、この町のつくり方は、そこの住民が快適に住める町をつくった結果、街並みがきれいになり、1人1人が自分たちの住む町を住みよくしようとした結果、観光客が集まってきたということなのです。
 今どういう問題があるかとこの町で伺った1つの例ですが、ほうっておきますと、この町が全部観光用の建物で埋ってしまう。今までは住居であったものがお土産屋さんになったり、レストランになったり、観光用途に全部食い尽くされていきます。そうすると、この町が住む町でなくなってしまう。それをある程度とどめなきゃいけないということで、こういう規制をつくりました。この規制をつくったときに住民の同意が得られたわけです。住民たちも、ほうっておけば観光に食われてしまう。日本語のくだけた言い方でいいますと、「おらの町がおらの町でなくなってしまう」。日本人とか韓国人とかアメリカ人とか、そういう人間が1日か2日しか来ないような町になってしまう。それではロフテンブルクに町としての機能がなくなってしまう。
 そこで決めたことは、建て替えるときとか修復するときは、今までお土産屋さんであったところはお土産屋さんにしてもいい。住居であったところは必ず住居にしなきゃいけないということで、町の中に住むことを最前線に持ってきた町のつくり方をまたやり始めることにしました。
 この町が今でもこうやって、何も街並みを崩さないで、かつ観光旅行客が集まり、かつ住民が快適な生活を続けられるような町になって生き続けているわけです。町が存続するというのはそこの住民がいて初めて町が存続します。どうやったらそこに住めるかというと、環境として最低快適な条件がそろってなければ人間が住まない。それを目的としたことが街づくりだということが、ドイツの街づくりの基本じゃないか。それが僕が二十数年間の中で経験したことで割り出した結論です。
 日本の街づくりはどうすればいいんだということを聞かれます。街づくりの自覚とは何だ。これは説明すれば延々と語らなきゃいけない話ですけれども、一言で申し上げますと、その町に自分が住んでいるんだ、住むんだという自覚を持つことです。そこから始めなきゃいけない。それはどういうことかというと、生意気なことを申し上げますと、民主主義です。民主主義のあり方をもう一遍見直さなきゃいけないんじゃないか。考え直さなきゃいけないんじゃないか。みんな平等だということがどういうことであるのか。個人の権利がどうなのか、どこにあるんだ。その権利のある前に自分たちが住む義務はどこにあるのか。もろもろのこと。一言でいうと民主主義だといいますけれども、僕が最近日本に来て一番感じるのは、言葉のあやでいいますと、日本の民主主義とヨーロピアンデモクラシーの根本的な感じ方の違い、それが日本の街づくりに非常に弊害を起こしているという気がいたします。
 それが僕のきょうの結論ですが、先ほど申し上げましたように、30年前に日本を追い出されていって、日本を半分うらやましく見ながら、憎みながら複雑なところで生きております。そういう意味で、日本をばかにしているというとおかしいんですけれども、僕自身は日本を大好きなんですが、好きだからゆえに憎むみたいな、自分の理想像になっていないがゆえにけちをつけるような、子供が母親に甘えるみたいな感じでものを申しております。それに僕の持っている情報が30年前のもので、今の日本の状況とは合わないかもしれません。
 加えて、生意気なことを申しますが、向こうに行っております故、都市計画の話をしますと、概念がドイツ語で出てきてしまいます。日本語で僕は勉強してないものですから、日本語でよく説明できない。言葉足らずのところもありましたでしょうし、いっていることが古いじゃないかということも多々あったと思います。ですから、質問とか、ここはおかしいというところがあったら、これから皆さんとお話をしたいと考えております。ご清聴をありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口)
 どうもありがとうございました。ドイツの紹介をいろいろしていただきながら、日本のいろいろなご批判もありました。残念ながら、時間が迫っていますが、ご本人もご質問があればということなので、ご質問のある方がいらっしゃいましたら、挙手願います。

石井(住宅生産振興財団)
 中央大学で学生をやっております石井と申します。
 非常にいい話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。専門家という言葉が出てきたと思いますが、日本で専門家というと、建築家なら技術中心、文系でもそういう感じがしますが、工学系でも社会システムとか、文学とか環境のことをよく知ってないと、きょうみたいな街づくりはうまくいかないような気がします。いわれている専門家の社会システムとの連携性、あるいはそういった知識あたりは、ドイツではどういうふうに教育されているのかというのが1つ。
 行政の中での専門家が、専門家同士の連携をどう保っているのか。街づくりということになりますと、建築家だけじゃなくて、交通の問題とか、地域の経済発展の問題とか、いろんなことと絡んでくるような気がしますので、行政の中での専門家の横の連携、その辺がどうなっているのか、教えていただけたらと思います。

水島
 答えられるかどうかわからないんですが、そういう質問があちこちで出て、僕は最近気がついたんです。先ほど学問のところで言葉足らずで申し上げたんですが、学問が社会情勢と結びついているわけです。社会問題を解決できなかったら学問ではない。社会に還元できなかったら学問ではないという基本的な了解事項があると思います。だから、日本では、社会学学者はいる、建築学学者はいる。社会学者はいないけど、社会学学者はいるというような、半ばばかにしたような言い方をします。実際問題として、学問のための学問ではなく、学問はフィールドの問題解決をするためにあるということ。建築でいえば、僕はミュンヘン工大で勉強したときにそれを感じました。実際に社会の問題に対応できなければ学問ではないということが前提です。
 それから、職能、エキスパートということに関して、建築家という言葉でいいますと、日本では石を投げれば建築家に当たる、大工に毛が生えたみたいなものじゃないかといわれていますが、「アーキテクト」という言葉がヨーロッパでどれだけの重みを持っているかというと、文化の一角を担う人間なんです。説明し始めちゃうとドイツの教育システムまで入らなきゃいけないんですが、いわゆる建築家は医者と歯医者と弁護士の4つの職業の中でもエリートなんです。教育システムの中でも選ばれています。
 片っ方で、バウエンジニアという建設技師というのがあります。それと「アーキテクト」という言葉がどうして分けられているかというと、アーキテクトというのは文化を担っている。具体的にいいますと、デザインに関しては、建築家が権威を持っています。
 僕らが、日本の施主とヨーロッパの施主と話して違うのは、いろんなデザインのコンセプトを話して施主を説得しますと、施主は大体素人ですから、ちょっと建築家とは意見が合わないようなことをおっしゃる。そのときに僕らが説明します。そうすると、ドイツの施主の返ってくる答えは、一般的に「まあ、建築家がいうんだから、しようがないだろう。やろうじゃないか。専門家、エキスパートがいうんだから、そうしようじゃないか」。日本の施主は、「何を生意気なことをいっているんだ。おれがやりたいんだから、これ、やれよ」。そうじゃないかもしれません。僕の経験した施主がよくなかったのかもしれません。一般的に建築家の意見の社会的な重みがそこで分かれてきます。
 そこら辺、いわゆる建築家とアーキテクトの社会的な職能としての位置が非常に違う。それがまず第一です。そこを説明するためにはもう一回講演会をやらなきゃいけない気がします。
 それから、横のつながりといいますか、人それぞれの職能の価値観の認め合いといいますか、僕は、街づくりの部分ではエキスパートかもしれないけれども、経済のことはオンチである、全く知らない。自分の知らないところは知らないといったときに、どこで穴埋めするかというと、その専門家をまた呼んでくるわけです。それで共同作業をやる。街づくりに関していえば、建築家がそれのコーディネーターでオールマイティーの役割で、他のエキスパートの意見を聞く。なぜ、建築家がオールマイティーになるかといいますと、町をデザインするということにかけては、建築家、アーキテクトがオーソライズされているからです。しかも建築家がこの専門家の委員会のコーディネーターをしなきゃいけないわけです。それだけの職能を持たされているわけです。それなりの設計料をもらっている機能を持っています。違う分野で建築家が参加しているときには、そこのオーソライズを持った方がいるわけです。
 だから、橋のコンペがあるにしても、橋梁エンジニアと建築家が組みます。というのもデザインをしなきゃいけないからです。ランドスケープのコンペがあっても、ランドスケープアーキテクトとアーキテクトが組みます。それがコンペの条件です。そこではデザインということが起きてきますから。デザインということに関しては、アーキテクトという職能が社会的にオーソライズされています。
 それを日本でわかっていただくのはほとんど絶望的といいますか、そういう感じがしております。

繁野(且O和建設)
 日本の場合は行政がどんどん町を破壊しているという感じがいたしております。それは建設省に都市計画の能力がないのではないかと疑っておるわけです。私は都市計画をやるのは天才がやる仕事じゃないか、相当に覚悟してやらないとできないんじゃないか。そうじゃなければ、アジアはほうっておいた方がかえっておもしろいんじゃないかという逆説的にかなりはっきりした考えを持っています。その考え方について先生のご意見を伺いたいのが1点。
 もう1つ、先生は今ヨーロッパというか、ドイツ人の中で死にますか。それともやっぱり日本が懐かしくて迷っている最中ですか。これをちょっと教えていただきたいんです。

水島
 最初の質問は簡単に答えれば簡単に答えられます。難しく答えようと思ったら難しくなります。簡単に答えますと、都市計画は独裁者ができたときに一番よくできるということがいわれています。確かに歴史的に、オスマンにしても、ナチの時代にしても、その権力を持った人がいたときに強引な都市計画がやられているわけです。だから、そういう意味でいったら、天才がいたら都市計画がうまくいくということもいえると思います。
 ただ、都市国家ということで考えると、やっぱりそうじゃなく、住民の総意をまとめながらつくっていくという街づくりもあるわけです。今2度の戦争を経て、民主主義を築き上げてきた社会においては、住民総意の街づくりをやることが正しいやり方だろう。将来的にどうなるかわかりませんが今現在僕たちが生きているこの状況でいえば、相対的な真実をいえば、民主主義の世の中に生きていて、街づくりをどうやってやるかというと、民意を総括してつくり上げていかなきゃいけないだろうと考えます。
 今、役所が町を壊している。それはなぜかというと、僕の1つの見方としていえるのは、街づくり、都市計画が、「人が住む」という物差しではかられてないところでやっている。極端な言い方をしますと、土木の方に非常に失礼な言い方になりますが、建築家の立場でいいますと、都市計画を土木のスケールでやっているから、より人が住めなくなってきている。「人が住む」という観点から、土木のやり方を見ますと、やっぱり壊しているとしかいいようがない。
 僕はまだ調べてないので、これから調べようと思っている範囲ですが、区画整理1つにしても、まず道路をつくってしまう。それでは人は住めません。住む背景が全くありません。もちろん、ドイツにも区画整理とか、日本であるシステム、逆に西欧の制度を日本に持ってきたのかもしれませんけれども、そういう手法、制度は全部あります。ただ、基本的にまず区画整理をやる前に街並みをつくってしまう。それで、都合の悪い土地の区画を整理していく。街並みを造形するに都合のいい土地区画整理をしていく。そういうことが日本で行われない限り、住むということを基本にした住民側から見たら、行政側の破壊が永遠に続いていくという気がします。
 どこかでだれかが変えなきゃいけないということで地区計画制度も、僕は初め期待して、多分にデザインが先行した街づくりがいくんだろうという気がしておりました。ただ、今見ると何か1つ制度をつくっただけの話じゃないか。規制制度をつくっただけの話じゃないか。B−プランはどこにあるか。B−プランというのはデサインありきですから、デザインがあって、それで初めて法律ができてくる、というB−プランのやり方はどこにあるんだと思っています。
 僕なんかB−プランがあっても平気でフライングします。僕の方が当然いいんだ、デザイン的にいいんだという気持ちがあればフライングしていいわけです。それで根拠をいえばいいわけです。デザインが先行しなきゃいけない。そういう街づくりをだれかがどこかで始めなきゃいけない。でも、始めようとしたことが、今20年たってこういう結果になっているということでいえば、おっしゃるように、これから永遠に行政側は街を崩していくことになるでしょう。
 2番目の質問。おまえはドイツにいるのか、日本に帰ってくるのか。オフィシャルに答えると僕はどこでもいいと思っています。ただ、プライベートな感覚のところでいえば、僕は日本人ですので、ヨーロッパにいることに辟易しております。だからといって、日本がいいかといえば、日本にも辟易しているんですが、辟易の仕方の神経のすりどころが、日本とドイツでは全く違います。ドイツにいたら、僕は顔の形が変わってしまうぐらいに闘っていかなきゃいけない世界です。
 個人的な事情を申しますと、非常におかしな話になってしまいますが、僕の女房が日本人で、バイオリンを弾いております。ミュンヘンのオーケストラにおるんですが、そろそろ、5〜6年たったらドイツの年金をもらって隠居してもいいという時期になっておりまして、彼女が考えていることは、ヨーロッパの音楽のやり方を日本で広めたい。すると多分日本に帰ってくるだろう。それを、夫婦の会話でいいますと、「あなた、どうするの」ということを聞かれるわけです。(笑)「そういう冷たいことをいわないでくれ」といっているんですが、基本的な状況として女房の方が有名なものですから、女房のイニシアチブで引っ張られていく。どっちかというと、僕は金魚のふんみたいについていくみたいな、情けないところがあるものですから、「おい、日本に帰るならおれも連れていってくれないかな」という冗談とも本気ともつかない会話をしております。将来的には、できたら、真面目なところで、ちょっと大義名分でいえば、僕の持っている情報を日本に持って帰ってきたらいいのかなという気もないでもない。ただ、この年になってそれだけのエネルギーがあるかといったら、昔ほどのエネルギーもなくなってきたなというのがありますし、ドイツのこういうような話をしていても、しんどいなという気があって、ちょっと振れています。
 もちろん日本人ですから、日本に帰ってくれば楽しいし、安心していますけれども、どういうふうに結論をつけるかということは、まだ自分の中ではあやふやです。やっぱり29年間いますと、そこに1つの根が張ります。人間は弱いものですから、変化させるということに非常にちゅうちょがある。それを決断させるような条件があればいつでも変えられるんでしょうけれども、自分の方から条件をつくり出すことができるかということは、10年ぐらい前だったら、やってやれないことはないという気がしましたけれども、最近ぎっくり腰を起こして、そういう体力もなくなってきたということもあります。
 ただ、だれかがやらなきゃいけないということは、僕らは「学生が問題提起した世代」で育っていますので、提起したことは、おまえ責任持ってやり遂げろよという責任追及みたいなところは、良心の呵責として持っています。だから僕はしゃべればしゃべるほど日本に帰ってくるべきなんだという、行動の柵をつくっているような気もしないでもありません。ちょっとあいまいな日本的な答え方ですけれども。

司会(谷口)
 
まだあるかもしれませんが、申しわけありません。時間が来ましたので、本日はこれで終わりにします。(拍手)


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