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第143回都市経営フォーラム

サステイナブル・コミュニティ
づくりと市民活動


講師:川村 健一 氏
  フジタリサーチ社長
潟tジタ・エンジニアリング事業部


日付:1999年11月18日(木)
場所:後楽園会館

 

1.はじめに

2.新しいコミュニティの潮流

3.サステイナブル・コミュニティづくりの例

  ポートランド

  オースティン

  チャタヌガ

  大畑町

4.まとめ

 フリーディスカッション



 ご紹介いただきました川村でございます。
 私自身、こういう会で話すほど、コミュニティのこととか、建築のデザインとか、たくさん勉強したわけではないので、とても恥ずかしい思いをしております。
 先ほどご紹介にあずかりました、なぜ『サステイナブル・コミュニティ』という本を出したり、コミュニティに興味を持ち出したかについてですが、私の場合は、技術開発を進める中で、今のところたどりついたのがコミュニティであると思っております。本日、最初は、私が大学を卒業して、どういう経緯でサステイナブル・コミュニティとか、コミュニティ論とかにたどりついたか、その経緯を私自身の中での価値観の変化という点から少しお話ししたいと思います。10分から15分ぐらいです。
 そして、私は今アメリカに住んで約13年、その前にヨーロッパとか中近東にいました。アメリカで会った何人かの私に大変大きな影響を与えてくれた連中、例えば、最近だとピーター・カルソープ、そういう連中の私にすごく役に立った考え、いわゆるサステイナブルデザインという基本的な考え、そういう部分を5分ぐらいお話しします。
 その後、コミュニティというのは、みんなクオリティー・オブ・ライフを求めているけれども、1つ1つ、英語でいうと、ソリューションが違いまして、その町の地域性とか文化とか、そういうことによって全部やり方も違う。そういう観点から、今アメリカの中で、「これは」という町が幾つかございますので、そういう町を2〜3ご紹介させていただきます。
 一番最初に紹介させてもらいますのは、ポートランドです。これを10分か15分ぐらいお話しします。
 お手元のメモにはビレッジ・ホームズと書いてありますが、とても有名になって、皆さんよくご存じだと思いますので、ビレッジ・ホームズよりも、きょうの市民活動に近いと思われるテキサス州のオースティン、ここでの市民参加を基本としたデザインをご紹介したいと思います。
 その後、ビデオを使いまして、テネシー州にチャタヌガという市がございます。いわゆる60年代工業化の波で繁栄して、60年代後半、リセッションが訪れて、全米史上最悪の町になって、95年に、世界で最も住みやすい町といわれるようになりました。多分ご存じの方も多いと思いますが、この町のビデオをご紹介した後、一体だれがこういう町をつくり上げたのかという観点から、だれが何をしたかというヒストリカルなレコードを少しご紹介させていただきます。
 その後、日本にもまちづくり活動はあるということで、私個人の立場で幾つかの町の計画に参加させていただいておりまして、特に青森県の下北半島に大畑町という町がございます。ここは恐山を持っている町です。その町の話を5分から10分ぐらいさせていただきます。
 最後に、私としてのまとめ、あまり思いを強くしてはいけないと思っておりますけれども、サステイナブル・コミュニティと市民活動の今後、あるいは何が大事かという思いを5分ぐらい話して、大体1時間15分ぐらいになるかと思います。それで、きょうの講演を終わらせていただこうと思っております。



1.はじめに

 それでは、一番最初に申し上げましたように、英語でいうと、フー・アム・アイという言葉ですが、私がどういう人間で、なぜコミュニティに携わるようになったか、こういうところから少しお話ししたいと思います。
 少しスライドを使いたいと思います。
(スライド1)
 私自身、大学を卒業して建設会社に入ったわけですけれども、大学で勉強したのは地質学、ジオロジーでした。そして、入社後、土木設計というところで桟橋とか橋の設計をいたしました。その後、1979年から当時東京大学の石井威望先生について、ロボット、システム工学、システム分散論というのを勉強する機会がありまして、もともとロボット屋になる予定だったんです。けれども、ひょんなことからアメリカに行きました。これはバイオ・スフィアー・2というものでございます。バイオ・スフィアー・2というのは、第2の生物圏ということです。これはどういうことかというと、アリゾナの砂漠の中に地球という、いわゆる生物圏と全く同じものを人工的につくってしまおうということで出現したのでございます。
(スライド2)
 約4エーカーか5エーカーと聞いております。ちょっと数字は定かではないんですが、太陽の光だけを外から入れて、地球上に新しく、地球と全く同じ機能の循環系生物圏をつくりました。ですから、中の空気も水も全然外に接しない。全部中で循環する。エネルギー系もそうなっております。食物の生育、栽培もそうです。この中に約8名が2年間入って生活をした。それをバイオス・ヒュアー・ツー・ベンチャー1というんですけれども、そういう実験をしたところでございます。これは私自身がロボットの延長線上で新しい地球圏がつくれる、これはおもしろいぞということで、人工的な環境をつくるという観点から少し協力したわけでございます。これはアリゾナ大学のカール・ホッジスという環境研究所の所長と協力した仕事でございます。
(スライド3)
 ちょっと人間が映っていませんが、食糧をつくっているところであります。150の種類の穀物をいろいろつくってトライしたわけです。一番よかったのは米だといっていました。循環してつくるのは米が一番効率がいいという話をしておりました。2年間というのは、日本から火星に行く時間だそうです。そして、こういう人工的に地球環境をつくること、これをロケットの中に設置します。そして、火星の定期便にこういう形で、人間が自然な生活を続けられるようにやってみようじゃないかということでつくった施設でございます。バス・ファミリーというのがテキサスにあるんですけれども、個人のお金、約600億円でこれを実現させました。これは穀物類の栽培ですから、米、雨も全部施設内で自動的に降らせることができます。水の循環もあります。
(スライド4)
 もっとよく見るとこういう施設でございます。
(スライド5)
 先ほどのスライドはロボット化の延長線上で、人工的な地球環境を創るという試みだったんです。今度はサウジの砂漠でございます。サウジの砂漠を緑にしてやろうじゃないか。自然の中に緑のものをつくってやろうというプロジェクトです。
(スライド6)
 この砂漠がこういう緑の草原になる。これは純海水を用いています。淡水化するのではなくて、純海水をそのままかけているだけです。世界中にはこういうふうな海水で育つ植物、英語ではハローファイトというんです。マングローブとか、日本でいうと、アツケシ草というのがあると聞いています。こういう草原をサウジの砂漠でつくってみよう。といっても、純海水で干潟の動きを考えると、海岸線から10キロぐらいしか生育できないんです。
(スライド7)
 こういうふうに、アメリカでポピュラーな、ピィポットというんですけれども、半径600メートルの散水機です。
(スライド8)
 半径600メートルですから、1つの円が10ヘクタール。これを幾つかつくったのです。向こうはアラビア海になるわけです。こういう人工農園をつくってみようとしました。
(スライド9)
 これがその植物。サリコニアSS10という種類です。この種をつくるまで10年ぐらいかかりました。これは植物油がとれますし、食用にもなる。フランスの方ではそのまま食べます。浸透膜がありますので、水だけを最終的には取り込みますが、食べると非常にしょっぱい。こういう砂漠の緑化にかかわっていたわけです。
(スライド10)
 さて、自然の砂漠中に生物学的な農場をつくるということから、今度は町の中、東京都内の町の中に自然機能を入れてみようじゃないかということで、これは私どもの本社ですが、アーバンオアシスというのをアリゾナ大学のカール・ホッジスと一緒につくったわけです。
(スライド11)
 中水も全部自然のプロセスを利用して循環していく。建物の中に自然の処理プロセスを入れたらどういうふうになるんだろう。魚はミシシッピーの源流から、パドルフィッシュという、キャビアがとれる魚を持ってまいりました。これはディズニーワールドのシンボルになっている魚と聞いています。それを持ってきて、あと、左右にありますのは、土のマイクローブを使って空気を浄化する土壌空気浄化装置です。自然のプロセスが建物の中でできたらどうなるんだろうというコンセプトでつくったものでございます。
(スライド12)
 建物の中での水循環とか空気循環です。自然のプロセスを利用した例です。
(スライド13)
 これは外につくった土壌を使って駐車場の空気を浄化する装置です。こういう開発にずっとかかわっていたわけでございます。
 そして、ある日はたと気づいたことがございます。
(スライド14)
 これからが、私がコミュニティーに興味を持つようになったきっかけです。私自身は工業化の最先端で、少し生物学的なプロセスを入れるという意味において、エントロピーを減らすという、すばらしい研究をしていると自負していたわけです。どの研究1つ、どのプロジェクト1つも、なかなかうまく育っていかない。何が足りないのかと思って、悩んでいたときにこの水路に行き当たったわけでございます。これはいわゆる専門家の設計した水を流すのに一番効率よくたくさん流せる水路です。これを水工学、シビルエンジニアがデザインすると、こういう答えになるという、そういう水路でございます。
(スライド15)
 先ほどの水路とこの水路の比較が、私自身にはすごく新鮮であり、びっくりしたわけでございます。先ほどの水路は土木工学の本当の専門家が、水を流すためだけにつくった水路である。ところが、この水路は、土木家も参加したかもしれない。生物の専門の人もいただろう。ランドスケープの人もいたかもしれない。建築の人もいたかもしれない。もっといろんな人が参加した水路です。要するに、どうも土木技術の専門家として自己満足していたのではないかということを感じたわけでございます。
(スライド14)
 この水路の違い。私自身がかかわった研究が、コンクリートの水路であり、自然を取り込んだ水路に比べてありがたくないじゃないか。いいと思っていたのは種々のエンジニアの協力を知らない自分だけだったなと思ったわけです。
(スライド16)
 このように、私は、工業化時代を創り出した技術パラダイム、すなわち技術が幸せをすべて引っ張るんだという、そういう幻想の中に、我々の望むクオリティー・オブ・ライフが実現できると思っていたんです。しかし、そうじゃないんじゃないかなということを強く感じたわけです。



2.新しいコミュニティの潮流

 たまたま、80年代後半になるわけですが、アメリカの友人と会ったときに、こういう言葉を彼はいったんです。4つのキーワードでございます。
 1つは、「工業化時代というのはマスプロダクションだったな。いっぱい物をつくろうとしたよな。しかし、考えてみると、そんなにたくさんつくらなくたっていいじゃないか。ヒューマン・スケールという言葉にあらわされるように、必要なだけ、自分のサイズに合わせてつくろうよ。マスプロダクションはもう違うよ。ヒューマン・スケールだよ」ということをいわれました。
 それから、先ほどの水路の例ですけれども、「スペシャライゼーションじゃないよね。その人が専門家になっていけば、それですばらしい結論が出るというんじゃないよね」。英語でいうと、インテグレーションというんですが、「いろんな人が集まって協力して答えを出すんだね。そういう時代になってきたんじゃないのかな」。これが2つ目だったわけです。
 3つ目が、スタンダーダイゼーション。要するに、たくさんつくるためには標準化していこう。同じものをたくさんつくるのが一番手っとり早いじゃないかということをいわれていました。ところが、「違うよ。スタンダーダイゼーションじゃないよ。アイデンティティーだよ。すべて同じじゃない、それぞれ違う方がいいんだ。その町の持つ、その人の持つ個性、そういうものが大事なんだ」。そういう視点でアイデンティティーという言葉をいわれました。
 それからもう1つ、大量生産というのを、英語では、リソース・インセンティブというんですけれども、たくさん物を使おう、つくろう。そうすると、社会が回るし、そういう意味では大量に使った循環型だったんですけれども、「そういうリソース・インセンティブじゃないよ。これからはインフォメーションだよ。情報が回るんだよ。情報が循環するような世界になるんじゃないか。だから、たくさん物を使う、そういうむだなことはやめよう。インフォメーション・インセンティブになるよ」。こういう4つのことをいわれたわけです。
 そして、僕自身が、「あ、そうだな」と思って、足元を見たときに……
(スライド17)
 これは、いわゆるシカゴのダウンタウンです。そして、私がびっくりしたのは、こういうところに、私の最初に一生懸命開発にかかわっていた生物学的なプロセスを入れても、人なんて集まらないし、何の役にも立たないなと。
(スライド18)
 これもそうですね。こういうふうな目の前のアメリカで感じたことは、いわゆる町の中心街から歯が抜け落ちるように、人が逃げていって、町中が寂しくなってきて、スラム化していく。
(スライド19)
 そういう人たちはどこに行くかというと、車を中心とした生活をベースとするエッジシティといわれる郊外に出ていくわけです。一軒家を持って、車でどこでも行く。スーパーマーケットにここから出ていって、車に物をたくさん買ってまた帰ってくる。人に出会わない。いわゆる車中心の生活になっていったわけです。
 そういう生活の中で、アメリカの大きな問題が出てきました。こういうところに住む人のことをニンビーと呼ぶようになったわけです。ニンビーとは、Not in my backyard。自分の裏庭でなければどこでもいいよ。そういう自己中心的な、社会的なことに無関心な人たちがたくさん出てきちゃった。どうしちゃったんだろうか。こういう状況の中では、先ほどお見せしたバイオ・スフィアー・2で行われた技術も、砂漠を緑化した技術も、ビルの中に生物学を入れた技術も全く役に立たない。何かもっと違うソリューションがあるはずだ。コミュニティとはどうあるべきだろうか、まずそこから考えて、それに対する答えを考えるべきじゃないか、技術開発を進めることでクオリティ・オブ・ライフを実現できると信じていた自分のアプローチが間違っていたなと強く思ったわけでございます。



 今、アメリカは、さっきいったマスプロダクションがヒューマン・スケールとか、スペシャリゼーションからインテグレーションへとか、そういう言葉に表現されるように、80年代後半の脱工業化時代を迎えたということで、それを示すをシンボルの言葉が変わったわけです。ヨーロッパはもっと早い時期に変わっていました。70年代にドイツは変わった。早稲田の卯月先生と話したときに、彼から幾つかいい言葉をいただいたので、それをお話ししますと、ドイツもどこも同じなんです。世界じゅう同じような現象が起きているわけです。アメリカで中心市街地から人が逃げて郊外に移り、車社会になっていく。大きなスーパーマーケットができて、生活圏が変わってしまった。ヨーロッパもそうです。日本ももちろんご承知のようにそうだと思います。
 そういう生活の中で、物すごく車を使って環境的にも悪いし、人と会うこともない。しかも、さっきいったように、どの町も一緒、何の特徴もない。郊外にある町を想像していただきたいんですけれども、スーパーマーケットがあって、そこにそこそこ個人住宅があって、車で行って冷蔵庫にいっぱい入るようなものを買って帰って、家でバーベキューして食べる。そういう生活は、考えてみると、本当に特徴のない、まさにマスプロダクションに近い生活だったんじゃないかという気がするわけです。
 そういう部分がドイツでもあり、ヨーロッパでたくさんあったんですけれども、そういうものをドイツは70年代の初めにどういうふうに変えたかといいますと、その方向性を彼らは4つの言葉をシンボルとして表現したそうです。
 1つは、もう一回、ちゃんと人間環境を考えようということで「環境管理」ですね。成長拡大を抑制しよう。緑がなくなる。いろんな問題が出てくる。だから、車中心の生活をやめよう。それから、循環、エネルギー、そういう自然環境をもう一回考えようじゃないかという話になってきました。ヨーロッパの場合、それが環境管理です。
 その次に出てきたのが、「歴史的文脈」という言葉だそうです。これは、きょうがあるのはきのうがあって、あすもその延長線上にあるはずだ。それは伝統とか文化とか、そういう歴史的なものを伝承しながら生きていく中で、サステイナビリティーという意味が実現されていくんだろう。建築様式、町並みも、さっきいったアイデンティティーという言葉に表現されると思いますけれども、持続されているということでございます。
 そして、もう1つはヨーロッパは日本よりも早く高齢社会を迎えております。「人間復興」ということで高齢者、障害者、女性、子供、あるいは外国人、そういう人たちがそれぞれ自由に遊べるようなもの、あるいは出会えるような社会の仕組みをつくったらどうだろうか。
 そして、4番目が、きょうのテーマである「市民自治」です。そういう社会を創出するためには市民参加、パートナーシップとかNPOが出てくるだろう、というふうにドイツではいっていたそうでございます。
 ですから、ヨーロッパは10年ほど早くアメリカより先行して、脱工業社会の中で、人間本位の生活、そういうものを進めようとしていたわけでございます。
(スライド20)
 これがアメリカの例ですが、世界共通の現象です。
(スライド21)
 これが先ほどいいました、郊外に出て、車中心の生活になっているスプロール化現象です。
(スライド22)
 そういう生活パターンを変えていくにはどうしたらいいだろうということで、非常に単純ですけれども、4つの基本があるそうです。
 1つ、これは英語でいうと、ネイバーフッド・アンド・コミュニティというんですけれども、足元、自分たちがつき合う場所、さっきのエッジシティでは、自分の家が中心だったんですけれども、これからは、「Neighborhood」と書いてありますように、向こう3軒両隣というコミュニティ、そういうネイバーフッドが中心で、そういう近隣関係が集まったのが市、町のようなものであり、それがまた集合してディストリクトがある。そして、それぞれの関係の中において解決すべきものがたくさんある。災害もそうだろう。ごみもそうだろう。交通もそうだろう。いわゆる近隣コミュニティ、都市、広域、こういう基本単位がうまくリンクするような方向での解決があるだろう。コミュニティの解決は次のディストリクト、そういう拡張を考えながらしなくちゃいけない。そういう拡張性のある関係の中で答えを出していきましょう。これの最小単位が、近隣地区とコミュニティというわけです。リージョン、ディストリクト、ネイバーフッド、これらが基本の単位でございます。
(スライド23)
 もう1つは、「Diversity Balance 」と書いてありますが、これはもともと「Civic 、Commercial、Resident」と、ゾーニングという言葉であらわされた。、要するに、住居、商業地区、役所関係、官庁街、どうもゾーニングで街の機能を分けてしまったな。一見、整合性があるようではあるけれども、シビックのエリアでは夜に人がいなくて、セキュリティーが悪いとか、人が出会うのは昼間だけで夜はだれもいない。コマーシャルも昼だけだ。レジデンシャルは朝夕帰るだけで人に会えない。ですから、そういう機能を全部一緒にしたミックスド・ユースというエリアでの多様性の中で街を考える。すると、いつも人に会える。いろんな目的の人がいつも出会う。そういう中でコミュニティは生まれてくるんじゃないのか。
 これからのコミュニティというのは人と人が出会う。英語で、リ・コネクトというんですけれども、人と人を結びつけ、人と歴史を結びつける。ですから、ひとつの場所にシビックのシンボルがあったり、コマーシャルがあったり、住宅があったりする。そしていろいろなものを結びつけよう。そのためにはミックスド・ユース、こういうものが基本になるんじゃないか。ゾーニングのように機能でエリアを分けていくんじゃない。これが2つ目でございます。
(スライド24)
 そして3つ目。これも先ほどから申し上げておりますけれども、ヒューマン・スケール。人間のスケールで考えよう。すなわち、エッジシティも含めて車のスケール、オート・スケールだった。ですから、比べていただいたら密度がわかるように、左のオート・スケールの中で人が歩いて出会うようなことはないわけです。車が通過していくだけです。
 こうじゃない。右のようにペディストリアン・スケール、歩く人のベースで考え、人間のスケールで考えたならば、この中で人と人が出会ったり、話が出たり、物と出会ったり、歴史と出会ったりする。通過型ではない。こういうふうにヒューマン・スケールに物を考え直そう。そして、歩行者を考えることをベースにしようではないか。
(スライド25)
 もう1つ、これは先ほどいいましたサステイナビリティー、コンサベーション、レストレーション。いわゆる人も歴史も文化も、こういうコミュニティをつくる資源はやはり持続すべきです。サステイナブル。要するに前があったから今がある。常にお父さんと、子供が同じ風景を見ながら話ができる。孫もそうだ。あのときそうだったね。歴史がずっと持続している。同じものが持続している。同じ経験が持続している。あるいはコンサベーション、そういうものは持続するにはちゃんと修理してメンテナンスして、持続させていかなきゃいけない。そういう参加型のものが出てくるだろう。参加して、物を修繕したり、保持したり、維持しながら、我々の大事な資産、文化、歴史、ファミリー、人、そういうものを持続していこう。こういう観点で物を考えなきゃいけないんじゃないかということを教えられた。
(スライド26)
 そして、今までのこういうものがヨーロッパでも日本でも出ているスプロール現象、町の中心地から外に出ていくこと、車中心の街づくりに対して、もう一度まちづくりを考え直すという別の方向性を示してくれているわけでございます。



3.サステイナブル・コミュニティづくりの例

 ポーランド

 次に、具体的な例を少し話してみたいと思います。
 これはポートランドでございます。真ん中にダウンタウン・ポートランドとありますけれども、この境界でくくってあるところ、これをアーバン・グロース・バウンダリー。要するに、都市成長境界線と呼んでおります。これはたしか1973年にできたものでございます。ポートランドがだんだん大きくなるにつれて、その人口を既存の町のエリアの中でおさめるのではなくて、外にエリアを拡張していく。しかし、森林とか農業を維持するために、これはだめだ。1972年にポートランドの市長になったゴールドシュミット、これは32歳で市長になった。多摩の市長みたいなものです。メイル・ゴールドシュミット市長が出てきて、「外への無制限の拡張はだめだ。こういうことはやめよう」ということで、都市境界線の設定をしたわけでございます。
(スライド27)
 そして、「メトロ2040」とありますけれども、メトロというのはポートランドの広域のことをメトロというわけです。2040年までに人口を、例えば3倍、4倍とふやすときに、どういう方向でふやしたらいいだろうか。
 まず1番、Aは、外に向かってふやしていく。すなわち都市境界線を決めたけれども、そんなものは知らない。外に向かって住宅地域を開いて開発していこう。Bは、そうじゃない。中に向かって開発していこう。外に向かってということは中が空っぽになっていくわけです。すなわち、都市の中心市街地居住を進めていこうじゃないか。そういうやり方です。最後は、エッジシティ型です。拡張して外にどんどん町をつくっていこう。公共交通や車中心の住宅を外につくっていこう。この3種類があるわけです。
(スライド28)
 2つのティピカルな例です。上がシアトルです。下がポートランドです。左側が人口の増大。右が新しく都市開発をした土地。これがどれくらいふえたかということです。シアトルは、ご承知のように、38%の人口が90年代までにふえた。38%の人口がふえるときに、87%も市街地を開発して広くなった。これはさっきいいました外に向かって広げていった例でございます。
 一方、ポートランドは、77%の人口がふえて、外に向かってふえた市街地は6%。私がきょうお話しするのは、ポートランドが6%の新たな住宅の開発の増加で、77%の人口増大を受け入れられるようになったのはどうしてか。かつまた、今ポートランドというのは全米で2番目か3番目にグローイング・シティといわれています。成長している町です。なぜそうなったか。
(スライド29)
 これは1980年代だったと思いますけれども、ポートランドで右側がウィラメット川ですね。その横を通る高速道路がございます。この高速道路を、さっきいいました72年に市長になったメイル・ゴールドシュミットが、「もう高速道路はいい、車はいい。公共交通を優先したい。歩行者中心に変えたい」。ということで……
(スライド30)
 こう変えてしまったわけです。さっきの高速道路はリバーサイドパークになって、人が中心市街地に集まるようになった。
(スライド31)
 そうすると、これはポートランドの目抜き通りにある駐車場です。車が入ってこない、ほとんど公共交通利用になってしまった。そうすると……
(スライド32)
 市民がみんなれんがを持って、パイオニア・スクエアと、プラザになった。そういうものをつないだものが……
(スライド33)
 いわゆるパークアンドライドで、郊外から来る電車。ここをトランジットモールにして、すごく便利にして、すぐ歩けるようにした。
(スライド32)
 こういう活動は、市長1人でできるわけじゃないんです。例えば、一番最初に説明した都市成長境界線、アーバン・グロース・バウンダリーの設定。これ以上都市を外に広げない。そういうことを73年に決定しましたがポートランドはその後、1977年、78年、82年と、3回もその是非を住民投票したんです。やはり外に広げないと経済的には広げて人を入れないと、成長はないんじゃないか。いわゆる経済的に不況だったころに……
(スライド28)
 経済性というのは交通、高速道路と外に向かう広さ、いわゆる開発型。そういうものであるべきと思われていた。ところが、このポートランドの場合は、市長の考えに対して、物すごく力強い市民のサポートができたわけです。1977年にオレゴン州1000人の会というのができた。英語で、サウザンド・フレンズ・オブ・オレゴンといいます。1000人が集まって本当に自分たちの町を考えよう。
(スライド34)
 さっきいいました道路のスペシャリストは、交通系がだめになると経済はだめになるといつもいっていたわけです。ところが、そうじゃなかった。こういうふうに専門家の常識を変えたわけです。もう高速道路はいい、公園にした方が人が集まるということによって人が集まり、リテール、小売店舗が戻ってきて、市街地居住がふえてきた。そして、ポートランド自体、都心居住が、先ほどいったような形で、ほんの少しの郊外への土地開発の広がりで77%の人口増を受け入れる。かつ経済成長しているという状況になった。
(スライド35)
 この比較を見ていただきたいと思います。こういうふうなプラザをつくるのにみんながれんがを持ってきてつくった。車をやめ、公共交通に変えて……
(スライド36)
 こういうライトレールで周囲28の市町村を結んでしまった。こういうことによって、一番最初にいいましたように、サステイナブルデザインの基本で、いわゆるコミュニティ、ディストリクトとリージョン、広域の連携ができるようになったわけです。そして、何をしたかというと、地震時の対策、町同士のつながりが強くなった、ごみの収集も広域で考えるようになった。もちろん交通系も広域で考えるようになった。1つの町だけの解決、あるいは1つのコミュニティだけの解決だけではない。1つのコミュニティの解決が広域の中でもできるようになった。また、人と人をつなぐ広域の交通になった。非常にすばらしい町になりました。これがポートランドです。もちろん、たくさん詳しい資料はありますけれども、とりあえずポートランドはこのくらいにして、次に行きたいと思います。



オースティン

(スライド37)
 これはテキサス州オースティンでございます。州都ですが、この三角形のところが開発で大変問題になった。周辺から大変苦情が出て、2年間ほうっておかれたところでございます。
(スライド38)
 関係者が集まって、じゃ、どうしようか。真ん中にいるのがピーター・カルソープです。ピーター・カルソープが参加した仕事の1つをあらわす彼の名言があります。「これまでは専門家がデザインをするから、いけなかった。プランニングをみんなから集めようじゃない。周囲の人全員に参加してもらって、プランニングのコンテストをしようじゃないか。」
(スライド39)
 これは反対していた周囲の住民を集めて説明会を開催している様子です。20組、200人。
(スライド40)
 これは7番のテーブルです。こういう形でグループをつくって1グループ10人。20グループで200人。そういう人たちが集まって、おれたちは、こんなのがいい。それぞれがプランをつくったわけです。
(スライド41)
 このようにアイデアを具体的プランにするわけです。日本とちょっと違うのは、アーバンプランナーという立場の人間がいて、まちづくりのブリッジをする。おれはこんなことが欲しいというときに、絵にできたり、「こうなの。こういうものでいいの」という形で、地味ではあるけれども、住んでいる人たちの欲求、願いを絵に落とせる。皆さん、こういう形でかいている。
(スライド42)
 そして、このように皆さん発表する。お互いに批評し合うんです。
(スライド43)
 左の方にたくさん何か書いてありますね。壁新聞にすると、いろんな人がプランに対してこれはこうしたい、こうしたいというメモをつくります。大変ですが、ここに参加した人たちの絵をアーバンプランナーがちゃんとまともな絵に変えていって、この中から、「じゃ、みんなが納得したよ。これだね」というプランができ上がっていきました。
(スライド44)
 これはその説明のところです。右上にいろいろ出たリクエストを男の人が書いています。左の人が20番のコラムを説明する。そうすると、いろんな意見が出て、それをかいていく。それをまた絵にする。それが数カ月というレベルじゃなくて、1年、2年、それぐらいかかってしまうわけですけれども、こういう活動を続けていくと、1つの最終案ができるわけです。
(スライド45)
 そして、最終的にできた町、これはプロムナード型町並みで、下に店が入り、薬局が入り、上にレジデンシャルがある。そういうところに人が集まる。
(スライド46)
 こういうことです。こういうふうな皆でデザインした町ができた。
(スライド47)
 そして、この辺はちょっと早い時期だったので、工事が終わってなくきれいな写真が撮れなかったんですが、真ん中のところは、雨水をためる池です。同時に、皆さんが集まってレクリエーションに使えるような池。いわゆる公共性をあわせ持つようなプランの町ができ上がった。そして、200人の人たちが集まって、語って、あのときはそうだったなというプランをつくり上げたころを思い起こす場所になった。そして、このあたりのシンボルとなったわけです。
 こういうふうに、オースティンの場合は、大きな問題があり、住民の皆さんが参加して作業が大変だった。けれども、アーバンプランナーとか、参加型のまちづくりをすることによって、逆に町のシンボルになり、皆さんが集まり、語られる場所になってきたという例でございます。



チャタヌガ

ここで、ビデオを用意しております。これはテネシー州チャタヌガの話です。あとでこのテネシー州チャタヌガのお話をします。その前にこのビデオを見てください。

(ビデオ紹介)
―NHKスペシャル『アメリカでもっとも住み良い町チャタヌガ市の挑戦』より―


【要旨】
 20世紀初頭から、テネシー川の水運や鉄道を利用した重工業の町として栄えたチャタヌガ市は、1950年代からの高度経済成長の中で鉄鋼業を中心にさらに繁栄したが、工場の排煙により、アメリカで最も公害のひどい町といわれた。
 大気汚染は極めて深刻で、事態を重く見た市は、1967年実態調査を行い、その結果、厳しい環境基準が設けられた。
 一方、そのころ経済不況が襲い、企業倒産が続出。1972年には3.6%だった失業率も1982年には9.8%にも上昇した。
 そうした中、1983年に市長に就任したジーン・ロバーツは改革のため、スペシャリストの起用、市民参加、経済活動の活発化という3つの柱を掲げ、まず最初に都市の改造計画に取り組んだ。彼はチャタヌガ市を活性化させるには、まず町の中心であるダウンタウンを、人々が集い、活気あふれる場所に戻すことだと考えた。



 ダウンタウン開発に関する具体的なプランニングを行うのは「プランニング・アンド・デザインセンター」であり、その所長は1980年、テネシー州立大学建築学科教授として赴任し、ロバーツの要請で就任したストラウド・ワトソンである。
 1983年の市長選挙の際、ジーン・ロバーツは他の立候補者達と一緒に、ストラウド・ワトソンが主催するまちづくりのためのフォーラムに参加、都市計画に豊富なアイディアを持つ彼に、もし自分が市長に当選したら、アドバイザーとしてまちづくりに協力してほしいと頼んだという。
 ワトソンが初めに考えたのは、ダウンタウンの中心をどこに置くべきかということで、彼はその場所として、チャタヌガの歴史の中でいつも中心であり、市民が集うリビングルームとして特別な意味を持っていた、マーケット通りとマルチン・ルーサー・キング通りの交差する地点を選んだ。この「ミラーパーク」は町のシンボルであり、市民が集い、コミュニケーションが図られるようにと考えられた。この空間には重要な価値があり、単に場所として中心を示すだけでなく、市の再建のための中心的な考え方をあらわしている。
 さらに、ワトソンは人々をダウンタウンに引きつけるために、ミラーパークプラザを中心とした南北の両端に2つのポイントを設定した。1つは、昔ながらの観光地、チャタヌガ・チューチュー、もう一つは新たに考え出されたテネシー水族館である。これによってミラーパークを中心とした人の流れをつくり出し、それによってダウンタウンにさまざまなビジネスを呼び込むことが可能になった。
 古いチボリ劇場の修復は都市再生プロジェクトの1つの例である。1922年に建てられたそれは、祖先から受け継いできた建築物を壊すことなく、現在の都市の中で機能するようにリニューアルされ、チャタヌガの都市開発のポリシーを最もよくあらわしている。市は過去20年間に、このような歴史的建造物の修復に数百万ドルを投資しているという。
 また、ダウンタウンのメインストリートには、ダウンタウン開発の重要なプログラムとして電気バスを導入した。メインストリートの北に位置する水族館と南のチューチューとを5分毎に往復することで人の流れを作り、町を活性化しようとした。
 電気バスは機能的にも優れており、充電4時間で8時間の走行が可能。しかも料金は無料で、画期的な輸送手段といわれている。市は電気バス導入に際して、水族館とチューチューそれぞれに市営の駐車場を作り、その収入が無料バスのシステムを可能としている。現在、電気バスはチャタヌガの重要な交通手段となっている。
 テネシー川のほとりにダウンタウンの北の拠点として建てられたテネシー水族館は世界最大級の淡水水族館で、単に観光客を引きつけるためだけでなく、これにはテネシー川に対する市民の感謝の気持ちが込められているという。年間110万人が訪れるこの水族館は、現在までに1億4000万ドルの経済効果を生み出しているが、建設には一切税金は使わず、すべて個人、企業、団体の寄附で賄われている。
 この水族館はまた環境教育の一環であり、水族館を歩けば、自然にテネシー川の成り立ちがわかるように設計されている。



 ロバーツが目指す改革のもう一つの柱は市民参加である。アメリカでは市民を巻き込み、協力体制を築くことが都市開発の近道だといわれている。
 1983年、市民主導のまちづくりモデルとして、インディアナポリスにチャタヌガの多くの市民・企業が視察を行った。そこで活動の実例を見た参加者はその後、集まって何度も話し合い、その結果、ある1つの組織が生まれた。
 彼らの結論は、まちづくりの意思決定にはだれもが参加できるオープンな組織が必要だということであり、1985年、町を改革するための組織、「チャタヌガベンチャー」が誕生した。初代のチェアマンとなったのは市議会議員、マイエル・ヒュリー。彼女は83年当時、政治とは無縁の普通の主婦であったという。
 チャタヌガベンチャーは市民から町を改革するためのアイデアを募集、また、意見交換のためのミーティングを市内各地で開催、広く市民に参加を呼びかけた。
 年齢、性別、人種の関係なく、さまざまな市民が集まり、そこから出たアイデアは2500に上ったという。そして、市民から寄せられたアイデアは40に絞られ、2000年までに実行すべき目標「ビジョン2000」となった。


 既にごらんになった方も何人かいらっしゃると思いますが、アメリカ市民の、あるいは市政のあり方の基本だと思うので見ていただきました。「直接参加」という言葉が出たと思いますが、直接参加でイエス、ノーをいうことが市民の責任なんです。
 さっきポートランドの話をいたしました。ポートランドで、ライトレール、公共交通をベースにいろいろな町がつながったと申し上げましたけれども、つながっただけではなくて、ポートランドの場合は、つながったことによって、その交通系をサポートする新しい広域政府系ができたわけです。市でもない、州でもない、広域系といいます。それをメトロというわけです。電車をベースにしてつながった大きな地域、メトロ。
 ちょっとポートランドの話に戻りますと、どういうふうにやっていくか。これはそこに住んでいる人の直接参加なわけです。非常におもしろいのは、先ほどいいましたように、28の市町村がある。その28の市町村の市長も町長も、そのメトロの中ではその中にいる住民、そういう立場で出るわけです。市長ではないんです。もちろんメトロとして何人かのマネジメントする人たちはいるわけです。これは2年ごとにかわります。
 そういう2つの見方、要するに、28の中のどこかの市長であるけれども、メトロに出るときはそこに住む一員として出て「こうあるべきだ」という。そういう形での2面性がある。
 日本の場合は公務員制度という形がありまして、民間のアドバイスもできない。大変難しいということを聞いております。
 先週、鎌倉市長等と話した場合も、一度市長になると、公務員としての立場を守らなくちゃいけないから、プライベートとしてしゃべれない。こういうおかしいものがある。
 しかし、ポートランドもそうですけれども、チャタヌガもそうです。市民として直接参加して必要なことをいえる、そういう部分が1つのまちづくりを促進させているんじゃないかと思います。
 メトロの話になりますと、先ほどちょっと話しませんでしたけれども、その交通によってできた広域系の中で、もしも地震が起きた場合、あそこも太平洋岸で日本と同じように地震があるわけです。市町村がどういう協力をするか。どの町が被害が大きいか。じゃ、おまえの町は大きいから、おれのところで水を見てあげよう。そういう協力関係も全部できております。例えば震度6の地震が起きたら、どういうふうに広域系で交通系をベースにしてお互い助け合うか、それもできております。
 美術館に関しても、「要らないよな。3つ町で1つの美術館でいいよな」という形で、美術館をどこに置くか、これもメトロで決めます。そして、メトロの不思議な点は、メトロを維持するためのお金、税金みたいものですが、それを独自で課す自由があります。それによって、一番うまくいっているのはごみの収集だそうです。広域系でごみを収集してどこに置くか。そういうことも含めてメトロの中で決められている。
 メトロの中にいながら、ポートランド市民でもあるわけですから、ダブルの位置づけです。しかし、それぞれうまくいっている。それは交通系を整えることによってできていっている。人と人をつないでいるのは公共交通であるという観点ではないかと思います。



 チャタヌガに関して少し話させていただきますと、今ビデオを見ていただいたのは、直接参加でああいうものができてきた。これを少しカレンダーデートで、歴史的にどういうプロセスだったかをもう少し説明しますと、今のジーン・ロバーツが市長になって、水族館ができた。そして、チャタヌガベンチャーができたわけです。
 あとたくさんストーリーが残っているんですけれども、その前の話を少しします。あのチャタヌガという町は、ジーン・ロバーツが英雄のように話してましたが、全然違うんです。本当はストラウド・ワトソンです。ジーン・ロバーツが市長になってもならなくても、ストラウド・ワトソンはあのまちづくりを必ずした。
 どういうことかといいますと、69年にチャタヌガはアメリカで一番住みにくい町といわれたんです。そして、失業率が1972年で3.6%、82年で約10%、9.8%まで落ちて、どうしようもなくなっちゃった。そういうときに、僕はこのストラウド・ワトソンってすばらしいと思う。彼が町を考えるフォーラムをスタートしたんです。これはジーン・ロバーツが市長になる3年前です。これはだれかがしなくちゃいけなかったと思うんですけれども、彼が始めた。彼がテネシー大学の教授として赴任してきて、余りにも元気なかったので、「おい、もっと町を考えようじゃないか。もっとみんなでやろう」ということでフォーラムを考えた。そのフォーラムが1500人になったわけです。それをサポートして、ジーン・ロバーツが市長になったわけです。
 ですから、本当のストーリーは、だれかが何かを具体的に始めている。そしてもっとすばらしいことは、ストラウド・ワトソンが始めたフォーラム。さっき女性の人がいいましたね。インディアナポリスに行って影響を受けたといいましたけれども、そのインディアナポリスに行くお金はどうしてできたかというと、フォーラムがみんなで、まちづくりをしようとしてつくったんです。「チャタヌガビジョン2000」というのがビデオで格好よかった。そうじゃないんです。その前に、彼らがインディアナポリスに行き、ほかの町を見て自分たちの町がいかに悪いか。あるいはどういう町にしたいか。そういうことを見るためのお金を州政府から約600万ドル。日本円で100円換算で、6億円ぐらいとってきたわけですけれども、そのとった仲間がいるわけです。これはストラウド・ワトソンが前述のフォーラムで、人が集まってこういう町にしたいとみんなに話を出した。それに対し市の計画局、役人の方が、片方で役人なんだけれども、片方では市民として全部書類をつくった。そしてそれを州に出すことによって、そのお金ができて、役人も、83年当時普通の女性だった女の人も、みんなインディアナポリスを見に行って、やろうという機運で始めたわけです。
 だから、僕はそういうスタートのときに、だれが何をしたかというのを本当によく知っておくべきだろう。ああいう市長を1人置けば、こういうチャタヌガができたかというと、そうじゃないということを皆さんにご説明したいと思います。
 そして、そのときに計画したのは、名前は出ないんですけれども、ジャンニ・ロンゴという人です。市の計画課の役人でありながら、個人の立場で計画をつくっていった。そして予算を取る運びにした。ビデオの中ではこれはどこにも出てませんよ。でも、そういう人たちは必ずいて、そういうお金ができて、チャタヌガベンチャーができ、回り出した。
 そして、さっき水族館がございましたけれども、あの水族館、公共の金は全く出てないんです。日本とアメリカの税制が違うので、これがちょっと残念なんですけれども、あそこはコカコーラの発祥地なんです。そして、コカコーラのリンドハウス財団というのは、約35億から40億ダイレクトにファンドを出した。それに対して市民も寄附金を出した。ですから、公共のお金を使わずに、そういう財団のお金で建てた。その財団のお金で建てて、あとは入場料で回していく。そういうふうな活動が行われた。かつ、リンドハウス財団というのは財団ですけれども、35億出したことに対して、税金は控除される。リダクトされる。税金と同じ扱いになるわけです。これは普通の会社の場合でも一緒です。
 税金は、日本の場合大蔵省がパッと取っちゃうんです。そして、どこに使われたかわからないけれども、アメリカの場合は、明らかにこれにしたいと援助したお金はそのまま税金として扱われる。そういう意味での税制のよさが出ているんじゃないかなと思います。
(スライド48)
 ウォールナットブリッジというテネシー川にかかる橋があるわけですけれども、この橋も実は市民が橋げたの1本1本を寄附したわけです。もちろん支払った金は税金として控除される。寄附して皆でつくって、その橋に名前をつけていくという形で維持した橋でございます。
(スライド49)
 これがさっきいった水族館です。リンドハウス財団がメインのお金を出して、市民も若干出して、市の金ゼロでつくり出した水族館です。
(スライド50)
 これは歴史的なものを維持するという趣旨ででき上がった町並みです。
(スライド51)
 もう1つ申し上げたかったのは、先ほどチャタヌガの町のメインストリートは町のロビーだとストラウド・ワトソンがいっていたと思いますが、そこを走る電気自動車をつくる会社です。バスはシンボルで、環境に優しいものをつくっていこうという思想で、あえて電気自動車を走らせた。これが町を支える産業になった。これがメインストリートを通ることによって性能をよくして、宣伝にもなり、そして今チャタヌガのベスト5じゃないんですけれども、町の産業になっちゃった。町づくりをすることによって、メインストリートに電気自動車を走らせたら、これがショーケースとなって、他の町の皆さんが買うようになった。そして市の雇用を促進させている。そういうサイドメリットも出てきたという例でございます。
(スライド52)
 これは同じように市民の援助でつくられた美術館です。
(スライド53)
 これはさっきシンボルを残すという思想で改修されたチボリ劇場の中です。
(スライド54)
 これが次の話になるわけですけれども、チャタヌガの町づくりの中で2つだけいわせてください。
 サステイナブルコミュニティの話は、皆さんのお手元にお配りした紙に書いてありますので、きょうはあまりしゃべりません。けれども、そんなに難しい話じゃないんです。考え方だけですから。
 コミュニティ、町がサステイナブル、持続して生きていくためには、いつも3つのことが大事だと英語でいわれます。
 1つは、エコノミカリー・フィージブル。要するに、町が生きていくためには町の産業、そういうものが持続しなきゃならない。経済も一緒に持続してないと、環境だけよくたって、いい町だって全然だめだ。



 例えば、きょうは紹介しておりませんが、ビレッジ・ホームズというところがございます。これも自分たちの町をつくることによってその町の中でのネットワークができ、人と人のつながりが密になり、環境もよくなった。同時に、町の価値が7倍にも8倍にもなった。そういう町をつくることによって自分たちの街区の価値、いわゆる資産価値も上がっていく。そういうことが、両輪になっていくわけです。
 ビレッジ・ホームズに関しては、本当に住みたい町、5年待ちになっております。
 このチャタヌガも、さっきいいました電気自動車がある意味で実質型になってきた。エコノミカリー・フィージブルの1つの例だと思います。
 そして、もちろん、エンバイアロンメンタリー・サウンド。環境がいい。経済が回って環境がいい。これはすべての例で実現されています。
 そして、3つ目はソーシャリー・ストロングといいます。それによって社会が強くなり、人のつながりが強くなる。そういう社会環境の中で社会も持続し、コミュニティも持続し、次の世代にちゃんと渡していけるようになるんじゃないかということでございます。



 こういうやり方は、一見、すべての町に当てはまりそうですけれども、そうじゃない。考え方はユニバーサルであるけれども、答えはローカル。唯一しかない。この町でこうであったから次の町でこうであるというわけにはいかない。経済状況も含めて、地域状況も違うわけです。もっというと、チャタヌガの答えはインディアナポリスの答えとは全然違うということです。インディアナポリスになりたいけれども、チャタヌガがたどった道は決して同じ道はたどってない。彼らとして彼らの中でできること。例えば、リンドハウスもそうです。電気自動車が走ることもそうです。そういうものを考え出して、市民が自分たちの責任で持続していく過程でできたわけです。
 そして、彼らは今何をやっているかというと、チャタヌガ・パートナーシップとか、チャタヌガ・ネイバーフッドという組織をつくり上げ、市街地内居住を促進した。また、ブラウンエリアという工場跡地が大変問題なんですが、そこをきれいにして、黒人も白人も本当にだれでも頭金1000ドルで住めるようにした。そういうプロセスで町の変身を促進しております。
 居住を促進するお金も政府からの補助金ですが、補助金は補助金として渡さず、ローンとして渡して、お金が回る形にして、常に戻ってくる。循環する。そういうものにしています。頭金の補助に使っているわけです。そして、住む人は自分の生活費の中でローンが払えるような組み合わせ。さっきのビデオの後ろにはそういう状況、過程があるわけです。



大畑町

(スライド55)
 今度はチャタヌガから日本に一挙に飛びます。
 これは下北半島の北側に位置する、先ほど申し上げました大畑という町です。この町は海に面している側が北海道側です。スライドの下が北側に向かっております。上が南側で山は恐山の山塊です。恐山から流れてくる川が右の方にあります。この川の改修をメインテーマにした大畑のまちづくりの例がありますので、ご紹介しておきます。
 緑のところがかつての縄文時代の海岸線です。
(スライド56)
 緑の山のところからは縄文末期の埴輪がたくさん出ます。いわゆる三内丸山の時代でございます。司馬遼太郎先生が話されていた「まほろば」、こういう文化圏でございます。
(スライド57)
(スライド58)
(スライド59)
 そして、これは恐山系ですけれども、アオモリヒバという、非常に衛生度の強い木で、お宮の鳥居、社とか、料理のまな板はこれでつくるそうです。殺菌性の強い木です。このようなアオモリヒバの山地です。町域の95%が山林で、また、ほとんどが国有林です。今の林野庁行政の問題がたくさん出てくるんですけれども、これは別の機会にします。そして住んでいる人が約1万人。町の産業は、先ほどいいました海に向かっての漁業と、山に入っての林業、この2つが大きな産業です。
 そして、この町でどういうことが起きてきたか。
(スライド60)
 私が共著で出版した『サステイナブル・コミュニティ』が一番売れた町です。何を契機にしてまちづくりが活発化したかといいますと、山からの木の伐採です。アオモリヒバが高い値段で売れるものですから、林野庁が経営上かなり切ってしまった。そうすると、雨が降ると水が大量にたくさん一度に出てきて、災害を起こした。しかも、その災害を起こしたときに堤防が自然型だったらよかったんだけれども、コンクリート型の護岸になっていたものですから、とまることなくて水が海に流れ出ちゃった。山のヒバの下をくぐった水がそのまま海に出ると、海が大変汚されて、今度は漁業が問題になってきちゃった。そして、これをどうしようかということで住民大会を開いたわけでございます。そして、その中で彼らは、森と海をつなぐ川、文化、自然を育くむ川に関して、我々はどう考えるべきであろうかという話をし始めたわけです。
(スライド61)
 彼らは、コンクリート護岸を全部やめさせて、昔と同じ近自然工法に変えた。これを変えるのに青森県議会に陳情したり、建設省の土木研究所河川研究室の研究員、室長を呼んで町長と討論をしたり、約1年半から2年かかったと聞いております。
 こういうプロセスを経て、彼らは海と山をつなぐ川を自分たちのかけがえのない財産として、もう一度昔に戻しました。水の流れはゆっくりと流れ、生物を育くみ、そして海を汚さない。海の人が植林をする。漁業の人たちが山に行って植林をするという形での新しい連帯をつくったと聞いております。また、川に沿って新たなビオトープや近郊農業を始めました。
(スライド62)
 これがその近自然工法の工事の状況でございます。こういう本当に小さなところですが、彼らにとって両方の生活の糧を結ぶ川、これをどうするかということで新しい市民運動ができて、その延長線上に、彼らが気がついたことがたくさんあって、それを多分ホームページで見ることができると思います。「大畑原則」という、町づくり原則として日本でもこれほど立派につくられたものはないと思います。
 前回のビオ・シティという雑誌に特集しておりますので、ごらんになった方もいると思いますが、彼らがそれをベースにもう一度まちづくりをしようとしています。この町もバブルのころに、中心街から人がいなくなりましたが、そこに高齢者を戻して住まわそうとか、色々なまちづくり運動を展開しております。
 私も、アメリカのピーター・カルソープと一緒にこの町のマスタープランを来年つくると約束しております。
 そういうふうにすごく積極的に動き出した町でございます。詳しくはホームページで読むことができますので、皆さん、ぜひ読んでください。97年の8月30日。仲間でみんなで徹夜をしながらつくった「大畑原則」でございます。私も、コピーがありますので、必要でしたらお送りします。
 大原則は、「命をふやす。人間の活動を、自然のストック資源を蓄積する方向に変えていくこと。枠を超えたコミュニティの創造を目指して」ということをタイトルにして、地域連携、先ほどポートランドで申し上げましたそういうことも含めて進めていこうとしております。
 たった1つの川を改修するという中から新しい流れができて、次の効果ができてくる。今度は隣の町とどういうふうにしようか。ごみもやるそうです。エネルギーもやるそうです。
 こういう形で次々と小さなところからの芽が日本でもふいているということを、最後にご紹介したわけです。



4.まとめ

 ビデオを使ったものですから、時間を節約して楽をしたような感じで申しわけないんですが、私は、まとめとして、4つのことをぜひ申し上げたいと思います。
 私自身が技術開発屋としていろんな開発に携わった過程で、今のところ、私自身のライフワークを通して感じたことでございます。
 まず最初は、環境の中で人間は育つといいます。人間は弱いがゆえに、生き続けるために与えられた環境のに順応できるアダブタビリティーという能力を持っています。これは本能だと思います。このアダブタビリティーというのはその町に、その歴史の中に、自分たちがどういうふうに順応していくかという動物としての生存本能ではないでしょうか。
 KDDの望月さんという人の『心の考古学』という論文がありまして、その中に書いてあるのは「我々が人間としてその環境に順応していこうとしたプロセス、そういうときに苦労したことの1つ1つが、後天の遺伝情報として次の世代にパスされる」。僕知らなかったんです。遺伝情報として残るのだそうです。これは考えておかなくちゃいけないなと思います。コンクリートの中とか、無味乾燥の中で育って子供がおかしくなるというのは、親の中のそういう部分が出てくる危惧もあるだろう。環境が人間に及ぼすものというのは物すごく強い。私は、環境は人間を写す鏡だと思います。
 同じ人間でありながら、日本でも地域によって、東京の人も、京都の人、金沢の人、岡山の人、青森の人、みな違う。いいかえれば、ユニバーサルで共通な人間が、その町にどうして生きようかという歴史、持続性の中でそのキャラクターをつくり出していく。それは遺伝子の中に間違いなくあるということでございます。それを教えられました。
 これを和辻哲郎の『風土』の中の言葉でいいますと、「我々は風土において我々を見、その自己了解において我々自身の自由なる形成に向かったのである」まさにそういうことです。我々自分の環境、自分の町を鏡として自分を見ているということでございます。そして、その感性が、次世代に伝えられるということです。
 2つ目は、アメリカで一番大きな問題になったニンビー、Not in my backyardという人間がふえたこと。自分のことだけを考える人間がふえた。これは日本もそうです。パブリックは、お役所仕事とよくいわれます。世の中がパブリックとプライベートに分かれている。「あれはお役所の仕事だ、おれは知らない」、お役所の人は個人になれない。しかし、アメリカの市民活動の基本はシビルというのですが、新たな人が出てきた。シビルというのは市民です。要するに役人と個人、その間にシビルという人種ができてきた。これはプライベートとパブリック、役所にブリッジをかけて、自分たちの町をどうするか。シビルという人がそういう役割を果たし始めてきた。これが市民活動の基本で、スプライドではないんです。NPOもそうだと思います。そこがどれだけできるかというのがコミュニティの強さです。ソーシャリー・ストロングというのはそういうことだと思います。
  ですから、シビル、これは教育ともリンクするわけですけれども、そういう出現。こういうことがその町を強くする。そして、ピーター・カルソープの言をかりれば、そういう人たちの持っている心がシビル・ハートというそうです。
  市民が自分の町を愛し、自分の町を強くし、チャタヌガのようにしていく。そういう心意気をシビル・ハートといいます。ですから、彼がいつも最後にいうのは、「我々は誇りを持ってシビル・ハートを持とうじゃないか。個じゃない。そういうことによって連携できて、話ができる」。それをシビル・ハートという言葉で彼がいっております。
  そして、3番目。これは皆様にぜひ申し上げたいんですけれども、オースティンのスライドで、建築家の人たちが市民参加のデザインを助けていましたね。さっきチャタヌガでも申し上げましたけれども、市の計画の人がマスタープランづくりをしたりしていろいろしている。ストラウド・ワトソンもそうです。あるいはポートランドも、出ていませんけれども、そうなんです。こういうふうに個人と役所の間にブリッジをかける、こういう役のことをシティ・プランナーといいます。これが日本にない。日本でシティ・プランナーというと、補助金だけをとる人のような気がします。彼らは違う。しかも、僕がこれをすごいと思うのは、シティ・プランナーというポジションがアメリカでは保証されているんです。町をつくり、開発するときにシティ・プランナーというポジションがあるんです。そういうものがないと、個人と公共はつながらない。そういう役割を、日本の計画家協会の人とか、そういう人たちにぜひなってほしい。誇りを持ってしていただきたい。これを育てることがとても大事なことだろうと思います。
 そして、最後に、スライドをお願いします。
 もう一度、私自身がなぜコミュニティを考えているか。
(スライド14)
 何回もお見せして大変恐縮ですが、私はいわゆる私自身の中で自信を持って技術開発に携わってきたわけです。しかし、私がつくってきたのはこういう水路だったかなと思うわけです。私の専門性の中でつくれる水路は、こういうコンクリートの水路ではなかったかなと思っております。
(スライド15)
 これから市民活動も含めて我々が目指すのはこういう水路だろう。多様な人と協力しながら、話をしながらつくり上げていく水路はこういう水路ではないかと心に強く思っております。
 以上です。ご清聴どうもありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口)
 どうもありがとうございました。
 いろいろ事例をご紹介いただきながら、サステイナブル・コミュニティの考え方とか、最後には、何が大事かというお話までやっていただきました。
 いつものように、ご質問、ご意見を頂きたいとおもいますが、最初の私の方から質問させて頂きます。
 最後のところでいろいろ大事なことをお話しいただいたと思いますが、役所と個人の間にシビルという考え方があると言われました。。これは川村さん、アメリカのいろんな都市の例を既にいろいろご経験なさっていらっしゃるわけですが、日本でこのシビルというものをどうやって育て上げるのか。お考えの点があれば、教えていただきたいと思います。

川村
  私は、妙薬はないと思うんです。例えば、一橋の中谷先生がソニーの役員になる。これはいわゆる国家公務員法でいくと、民間のそういうものになっちゃいけない。これも同じだと思うんです。僕は、役人であり、個人であるという両方の目を持たないとだめだと思うんです。そういうチャレンジができてきた。経済も、まちづくりもすべてそうだと思うんです。
 アメリカの大学の先生は自分で会社を持って、自分で会社を経営します。そうでないと、とても人に技術開発を教えたりすることはできない。まちづくりもそう思います。
 ですから、大畑の場合、まちづくりは町長も参加します。あるいは長野県に飯田市というのがありますが、これが多分いい例になるかもしれません。市がある、こちら側にNPOで南信州アルプスフォーラムという、青年商工会議所の連中がメインでつくった組織ですが、役人の方々が上着を捨てて、そういう人たちと話すフォーラムをつくった。その中で、市役所で見た人だなという人たちがたくさんいるわけです。でも、彼らはそういうフォーラムの中で市の職員ということを捨てて、まちづくりを話す。そして、南信州アルプスフォーラムを通ってきた意見に対して、市としてどうするかということを我々に聞くわけです。
 要するに、自分たちのつくった意見だから、市の人間としてパッととりたいんだけれども、なかなかそうはいかないので、逆にちゃんとしたシティ・プランナー、バランスを通してやっていく、そういう例もございます。
 大畑の場合は、小さな町ですから、生きていくために直接参加しますけれども、やり方としてはそういう第三者的なフォーラムを形成し、その中に個人として参加し、意見を述べる。そういう形でのコンセンサスづくりをしている例がございます。そこからスタートかなと思います。

二宮(千葉県企業庁)
 千葉県の二宮といいます。
 役人なものですから、非常に話はよくわかります。事実だけ確認したいんですけれども、最後に大畑町の例で、約1万人の人口とおっしゃいました。そういうコミュニティの話をしたときに、人口規模みたいなことが非常に重要になってくるという感じがします。簡単にいうと、大きな町になると非常に難しいんじゃないかという気がしています。事例で幾つか出てきた町の例はどんな規模なのか教えていただきたい。
 もう1つ、メトロという考え方が、28の市町村が集まっているということですけれども、緩やかな連邦制の話かなという。日本でも広域市町村圏という固い言葉がありますが、そのイメージをもう少し補足的に説明してもらえればと思います。

川村
  人口的にはポートランドは40万人。広域系のポートランドを含めたメトロ、28市町村ですが、これが約100万人でございます。
 まずメトロの方の説明をしますと、彼らが成長境界線、いわゆるアーバン・グロース・バウンダリーを決めたときに、1つの町ではできないわけです。それで彼らが1つ考えたのが、メトロポリタン・ディストリクト、成長境界をお互いに協力して守るために、いわゆる緩い連邦、おっしゃるとおりです。緩い連邦を決めたのが77年です。1973年にオレゴン州の成長境界政策が州の法律を通りまして、これができた。約950平方キロメートル。さっき申し上げましたように、110万人です。そして、その後どういうふうに維持するか。ちょっと時間がかかりましたが、そのエリアをメトロポリタン・ディストリクトと制定するのが77年。6年かかりました。
 そして、もっと時間がかかるのが、メトロポリタンエリアの中で、先ほど申し上げましたように、ごみの問題とかいろんなことを協力して解決していこう。これを「メトロ憲章」というんですが、メトロ憲章ができたのが、これまた延びて92年です。こういう中で徐々にできてきておりまして、メトロ憲章ができた時点で、いわゆる税金を与える権利とか、ごみの徴収権、そういう形ができました。もっといいますと、86年ぐらいに、さっきの路面電車、ライトレールができて、それの運営をメトロに任そうという動きも出てきております。カレンダー的にはそういう形の中でメトロというものができてきております。50万のポートランド。それが110万のメトロエリアという形になってきております。
 そして、オースティンが30万ぐらいだったと思います。ちょっと自信がありません。後で連絡させていただきます。
 チャタヌガは十何万だと思いますが、大体そういうレベルだと思ってください。そして、飯田市は10万ちょっとだと思います。
 メトロは幾つか資料ございますし、成立の過程とか、中でやっていることが私の本にも書いてありますが、後でご連絡していただけば、何か資料を差し上げようと思います。

津島(津島マーシャルデザイン事務所)
 1つだけ、デザイナーとしてお伺いしようと思ったんですが、ピーター・カルソープの話がご講義にも、本にも出ていまして、我々デザイナーの中では、どちらかというと、ニューアーバニズムという言葉で彼らをくくってしまう傾向がある中で、あえて先生がサステイナブルデザイナーとしてとらえたのはよくわかったんですけれども、もう少し具体的に。

川村
 彼もそうですし、マイケル・コルベットとか、ザイバーグとか、たくさんいますけれども、彼を入れたのは、結局、80年代のポスト・インダストライゼーション、脱工業化の中から、どういう方向にまちづくりをしたらいいか。お手元の資料にアワニー原則というのが載っていると思いますが、それをつくったのが彼らなんです。しかも、サステイナブルコミュニティという言葉を始めたのも彼らたちなわけです。
 ピーターと私が一番仲がいいので、名前がよく出てくるんです。私自身のバックグラウンドは、先ほど申し上げましたように、プランナーではない、デザイナーでもない。ただ、サステイナブルという観点から物を見なければならないということにおいて、だれかの目とか、意見を必要だという観点でピーターの話をしております。
 もう少しいいますと、彼はどちらかというと、民主党系なんです。ゴアと仲がいいんです。シスネロスというのがいまして、サンアントニオの市長に若くして就任して、運河が回る町をつくった。そのシスネロスが住宅長官、そしてゴアが副大統領。ピーターが、ニューアーバニズムという分野で、サステナブルなまちづくりの分野をつくっているわけです。そのときに何をやろうとしたかというと、クリントンの大統領改選のときに、運輸省と住宅省を一緒にしよう。いわゆる生活環境とかコミュニティを考えたときに、道路と住宅というのは、あそこで切れていてはおかしい、連動しないとおかしい。だから、住宅と道路はリンクしなくちゃいけないということで、住宅と道路は常に一体にしなくちゃいけない。道路というのは、さっきチャタヌガでも町のロビーという話がありましたね。そういう意味で、道路と家の位置関係。道路に対して家がどうあるかによって、人の目もあるわけでセキュリティーも全部変わる。
 そういう動きが新しいコミュニティをつくる上で大事だということを、彼はニューアバニズムの中でも話しております。
 そういう点において、私がさっきいったサステイナブル・コミュティを語るときに、ザイバーグでもだれでもいいんですけれども、彼の言葉をよく使っているわけです。長々しゃべって理解していただけたかどうか。答えになったどうかわかりませんが。
 資料がたくさんあります。例えば、『ニューアーバニズム・ニュース』。これは非常にいいアメリカの事例だと思うので、ぜひおとりになったらいいと思います。僕も会員になっています。これは、アメリカの新しい住宅の動きに興味のある方はおとりになると、デザインと開発をヒューマン・スケールで考える、そういう意味での協会の雑誌です。

花井(光と風の研究所)
 光と風の花井といいます。
 先ほどからいろんなお話を伺って、私自身、横浜に生まれて、横浜に育っておりまして、今の横浜は大変住みにくい、どうやったらよくなるかなということで、実は今1900世帯の町の自治会長をやったりして、そうすれば、少しは行政に対して文句をいえるのかなと。ところが、全く反応なし。幾ら要望しても。その間にコミュティなるものはある。今おっしゃった行政と我々の間に。ところが、それは聞き置くだけで、何もやらないというのが実態でございます。
 そんなことはともかくとして、今先生の方で、アメリカの話がいろいろ出ましたけれども、そういうまちづくりに大人だけが参加するだけではなくて、小さな子供のころからそういったコミュティづくりといいましょうか、市民としての教育をしているんじゃないかなと思ったりしますが、向こうの方ではそんなことをどのような形でやられているのか、それともやられてないのか。そのあたりをお聞かせいただければと思います。

川村
 たくさんのお答えがあるんですけれども、1つは、宗教の違いがあるかとは思います。私の子供がアメリカの大学に入るわけですけれども、入るときの採点これがまず考え方の基本になるかもしれません。要するに、アメリカはハイスクールから大学に上がるときに受験というのはないわけです。4つの分野を均等に評価して、志望の大学にインターネットで送る。その情報に対してイエスかノーか返ってくるわけです。例えば、何々大学何々学部に行きたいというと、インターネットでそこに自分の持っている4つの分野の点数を送ればいいんです。そうすると、イエス、ノーで返ってくるわけです。
 4つの分野は何かというのが大事ですが、1つは、日本と同じでSAT、スタンダード・アチーブメント・テストという共通1次試験が入っています。ただし、日本と違って1回勝負ではなくて、高等学校に入ったときから、年2回あって、何回受けてもいい。高校4年ですから、8回受けられるわけです。そのうちの一番いい成績を出せばいい。それがSAT。それから、学校での学業のポイント。A、B、C、Dの点数。それに課外活動。テニスに勝った。ゴルフに勝ったとか。タイガー・ウッズがスタンフォードに行ったときにずば抜けてそういう点がよかった。課外活動、クラブ活動。
 4つ目がボランティア、社会活動。この4つのポイントをある程度イコールに判断して採る。しかも、あるところがパッと伸びるとそこで採ってくれるケースもある。社会認識としてそういうのが1つある。
 だけれども、今子供の教育が問題になっているんです。子供のカード破産とか、非行問題、たくさんあります。
 ですから、こういう教書が出ている。大統領教書です。『サステイナブル・アメリカ』という教書。これを日本語に訳していろんな本屋に持っていったんだけれども、全然出版してくれない。これは新しい方向を目指して大統領府から出ている。アメリカは経済的にいいわけですけれども、足元である家族とかコミュニティの崩壊がかなり多い。サステイナブル・コミュニティじゃないからいっているだけです。反動です。
 『サステイナブル・アメリカ』の中で、7つの項目がありますが、大事なのは、国としてのサステイナブルな方向へのゴールをどうするかということ。教育をどうするかということ。自然をどういうふうに守っていくかということ。人口を持続するのにどうしたらいいか。そういうふうな観点から大統領府が教書を出しております。
 日本よりもちょっと進んでいるのは、『サステイナブル・アメリカ』というコンセンサスを出して、つくっているところ。これはまだまだ途上ですけれども、積極的にやっていくという点だと思います。
 お答えになったどうか別として、具体的な対策を立てて実行しているということでございます。

林(山万株式会社)
 文京区の林といいます。
 今の横浜の方のお話ですが、今私たち文京区で町の再開発をやろうとしてNPOをつくろうとしています。きのう実は会合がございまして、三鷹の方でもう立ち上げております。そういう情報があります。
 それと同時に、きのうちょっとおもしろい経験をしました。ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、世田谷ではまちづくりは今非常に熱心に行われています。やはり地域の建築家が中心になってやっておられます。世田谷の場合はまちづくり基金というのをパートナーでつくってやっておられます。きのう京王線の代田から歩いて上北沢のせせらぎ公園というのがあります。そこを見ましたら、1つの場所で、上下で、市民参加のものと役所でやったのが続いているんです。だから、2つを一遍に見られるんです。一応報告しておきます。以上です。

赤松(藤沢地区市民会議)
 地元の藤沢等でまちづくりの活動をしております赤松でございます。
 最後のところで、一生懸命苦労したことが後々になって報いられるみたいなお話があったかと思います。日本の場合、プランナーが一生懸命市民に役割をうまく割りつけないからいけないかどうかはわかりませんが、ある意味で、プランナーが頑張り過ぎてしまうと、そこにおんぶに抱っこで、周りは、あの人が一生懸命やってくれているから、いいよみたいな話になって、結局、町全体を巻き込んだ形でやるのはなかなか難しい例が少なからずあると思いますが、この点はいかがでございましょうか。

川村
 私もそういう部分があると思います。先ほどいいましたシティプランナー、テキサスのオースティンのお話で見ていただいたと思いますけれども、あれに出ているプランナーもとても名前の高い人たちなんですね。彼らが大事にしている基本の言葉を申し上げますと、「私は、やはり市民たち自身が最も優秀なデザイナーであり、設計者ではないかと思います」。彼らは自分の町を知って、自分の熱意をいろいろ話すわけです。そういうものを絵にするという観点において、やはりあそこに出ていたプランナーは本当にアメリカのトップの人たちだけれども、少し違う。さっき申し上げましたように、技術とか考え方というのはすごくユニバーサルで一般的なんです。どこにも当てはまるようだけれども、そういう設計技術を持って、その町に当てはめようとしたときの答えは唯一そこにしかないんですね。そのときに一番大事な答えを出すのは、そこの市民たち自身、住民じゃないかというのが基本の考え方です。
 ですから、アーバンプランナーとしての基本のスタンス、考え方をどうとるかということではないかと思います。そこがポイントだと思います。僕はその人たちが優秀だとは決して思わないし、意見を聞かれることで、プランナーではないのじゃないかな、単なるアーキテクトかもしれないなという気もします。答えになりますか。とてもアイロニーなんですけれども。

赤松
 ちょっと補足でお聞かせ願いたいんですが、その点を克服するための仕掛け、特定の人がずっとかかわっていくといったような、まちづくり会社とか、NPOといった仕掛けの中で動くとか、行政とかそういうところから仕事を請け負ってやるだけじゃないよという意思だけがそういったことを変えていくというふうに解釈してよろしゅうございますか。

川村
 もちろん、それも1つですね。ちゃんとしたシティ・プランナーということのクオリフィケーション、これを決めなくちゃいけない。シティ・プランナーというのが違うんですね。ちゃんとしたポジションとして、機能として明確に規定されておりますので、立場としてもそういう観点もその1つかなという、それは必要だと思います。両方だと思います。

司会(谷口)
 それでは、他にご質問がないようであれば、本日はこれで終わりたいと思います。
 川村さん、大変有り難うございました。(拍手)


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