back

第145回都市経営フォーラム

20世紀都市東京を変革する視点

講師:伊藤 滋氏
  慶応義塾大学教授


日付:2000年1月26日(水)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

 

1.文明の吸収と文化の喪失

2.国家戦略の中枢部と東京都心

3.鉄道と港湾を駆使した都市形成

フリーディスカッション



 年に2回、このように皆様にお目にかかると、顔なじみの方も随分おられ、だんだん懐かしい思いがするようになってきました。うれしいことですね。
 私もいろんな話をしてきました。来年は21世紀ですが、「20世紀都市東京」という言葉を選びますと、まだ21世紀ではなく、20世紀だったなと改めて思います。20世紀都市東京が21世紀に入るとき、何が必要かということを反省しながら項目を挙げてみましたら、10個になりました。今日はこれをお話ししたいと思います。

1.文明の吸収と文化の喪失

 目次どおりではないのですが、私が今一番関心を持っていますのは、私自身答えられない問題でもある「文明の吸収と文化の喪失」ということです。それは何かといいますと、私たちが習ってきた都市計画や、市民、一般の住宅地に住んでいる皆様、きょうおいでの方も、お仕事の立場ではなくて、おうちに帰られて奥様といろいろ町のことを話している立場で、そういう人たちの町に対する、こういうふうにしたいというイメージは、どちらかというと、ヨーロッパの町の話に重なることが多いのではないかと思うのです。
 例えば、町の真ん中にちょっとした広場があってほしい。遊具と砂場と3点セットみたいなのではなく、ちゃんと木が茂っていて、寒々しくない公園が欲しいなんていう話を奥様がすると、ご主人は、「そうだな。ヨーロッパの町、特にイギリスの町に行くとスクエアなんて場所があるな」、などという話になる。
 少し学校の教師らしく知ったかぶりしていいますと、スクエアというのは、大きい都市の四角い広場ですね。「中には墓場がある」なんて話をします。墓場の石が寝ていて、例えば、そこに大きい栗の木があるとか、何百年もたったニレの木がある。そこにここの土地を切り開いた何百年か前の先祖の魂とそれを記念する木が1本あって、その周りにしゃれた、これも何百年と手を入れてきた鉄の柵がある。騎士が戦いのときに使う槍のような形のこの鉄の柵はだれが塗るか知りませんが、きっと、役所ではないでしょう。入り口にはかぎがちゃんとかかっていますが、そのかぎはどこにあるか。これもお役所ではなく、広場を囲んでいる4階か5階のマンションのどこかに広場を管理するご主人が住んでいて、その人が持っている。そういうことを広場の周りに住んでいるマンションの人たちは知っている。そして彼は時々、かぎをあけて中へ入って、倒れたような石の前に花をちょっと置くとかする。こういう話はみんなヨーロッパ的なわけです。
 それから、川の周りだって、非常にしゃれたニレの木か何かがずっとならんでいて、そこに散歩道があって、オランダなんかへ行くと、自転車道もあるという話。これも物すごく居心地がいい話ですね。学校の教師もそういうことを学生にいう。彼らが大きくなって、特に奥様なんかはそういうことを思い出しながらご主人と話す。これらは全てヨーロッパの文化がつくった町のイメージです。
 ただ、ヨーロッパの文化といっても、少しずつ違います。
 地中海文明がつくった文化、例えば、フランスでも南スランス、スペインでも南のバルセロナとかナポリとか、あの辺の家のつくり方は確かに、北海の方のオランダとかデンマークとは違う。しかし、そこに共通に見えることは、都市に住む人が何らかの形でお互いに約束事をして、決めたことはちゃんと守る。ちゃんと守って家や道路と家の関係をつくり上げていく。
 北の方が1戸建てが好きかとか、南では少し日陰があっても、中庭を大事にするとか、気候の条件とか、風土的な条件で違いますが、全体として、ヨーロッパの町はそれなりの美しさがある。
 その美しさを一言で要約すると、僕は、ヨーロッパの町は屋根の文化ではないかと思う。この間も私ちょっとスペインに行って、たまたま時間があったから小さい田舎の町に行った。都市計画家と煙と何とかは高いところへ上がるという話がありますが、私も高いところに上がって、その集落を見たのです。高いところへ上がる前は、小さい集落も、皆さんも旅行されてご経験されているように、白壁はしょっちゅうおじいさんとおばあさんがしっくいを塗っていたり、窓のところにはすばらしいブーゲンビリアみたいな花があったり、道を歩いているだけでも楽しいんですが、上に上がってみたら、楽しいのを超えて、文化的ショックを受けました。要するに、何百個とある屋根の集合体なのです。同じ約束の軒の出、勾配、かわらの材質、全部統一されているんです。これはすごい文化だと思いましたね。
 新しい家も古い家も全部、同じルールで同じ色で同じ勾配で同じ屋根がわらの寸法。もちろん屋根がわら1つ1つは、調べていけば、100 年前の屋根がわらと今の屋根がわらは随分材質も変わり、かまどの中でのたき方も違い、あるいは、今の屋根がわらは大量生産をしているかもしれませんが、少なくとも上から見ると、1つのルールの中で屋根の景観ができ上がっている。
 そのとき私は「あっ、そうだ」と思い起こした。例えば、ストックホルムの市役所の上からみると、周りは結構木がいっぱいあって森があって、そこの中にマンションがありますが、この屋根のスタイルもほとんど同じなんです。
 ところが、日本の都市をみると、日本の都市というのは頭の上を全く気にしない。人間年をとると少し頭の上を気にするんですが、日本の都市はまだ年をとってないから、頭の上を気にしない。これはあまり笑いのない冗談ですが。



 これまで申し上げてきた話はみんな、いわゆる良い話です。つまり、学校の教師や住宅地の戸建ての住宅に住む奥様とご主人の会話の中では、本当に良い話として語られるわけです。
 ところが、仕事をするという面から考えると、途端にそういう話ではなくなる。つまり、今私がいったヨーロッパの町だって、現在の情報化社会とか、そこでの経済の発展とか、第3次産業がこれから大都市に重要だということに、建物も道路も全部対応していない。だから、きれいなんですね。
 対応しないと、どういうことになるか。ロンドンでは、新しいオフィスビルをまとめてつくるところがないから、ドッグランドに逃げました。つまり、大量にオフィスビルや、外国から来たエリート、日産の何とかさんみたいな人が、簡単に住める場所がないからドッグランドの辺に全部まとめてつくろうとなったわけです。それは東京湾の臨海部の、気をつけて言うのですが、東京都がつくったとは言わず、民間の工場跡地の再開発、そこと同じような話なんです。
 パリはどうしたか。パリでもデファンスの辺にまとめましたね。デファンスなんて、実は、あそこに何の文化的意味もない、どうしようもない場所なのです。20年ぐらい前には都市計画の人達はみんな見に行きましたが、今はパリに行ったって、だれもデファンスをわざわざ見に行く人はいません。むしろ、パリで都市計画的な面で見に行くのは、ビッグエイトプロジェクトでしょうか。アフリカ文化研究所とか、ラビレットとか、シトロエン公園とか、幾つかあります。そういうのを見に行く。実はこれは全部町の中の再開発なんですね。
 そういうふうに、ヨーロッパの町は確かにいいんですが、20世紀後半の世界中の都市が生き死にを争うような、そういう都市の経済活動に十分対応しているかというと、対応してない。
 そういう点で、都市間競争に対応しながら、勝者になってきた都市はどこかというと、1つの見方の方がアメリカの都市です。アメリカの今の経済力の強さはどこにあるかといったときに、いろんな悪口をいいますけれども、自動車の往来を思い切って自由にさせてきた都市構造を持っているロサンゼルスとか、住民の反対がほとんどない、高い建物を建てるのは当たり前だとみんなが思っているところで、より稠密化をねらって人口もオフィスも集積させたニューヨーク。シカゴも、第2次大戦の後に、自動車道路をシガゴの周りにつくりました。元気な町はテキサスにもある。ダラスとか、また、都市計画がない都市がテキサスにある。ゾーニングも何もない。ヒューストンですが、これが元気がいい。
 つまり、品のいい都市、確かに品格のある都市はいいんだけれども、一方、そういう都市が本当にあしたの食事を保障するかというと、必ずしもそうじゃないなということになるかもしれないわけです。
 情報革命で何が必要だったかというと、2つありましたね。天井高が高ければ床を上げて、中に床配線が自由にできるから、床を5〜6寸上げられる。もう1つ、縦シャフトがあれば、縦シャフトの中に通信の電線を全部いれ込む、そういう建物が情報化社会の中の情報産業を引き寄せることができるオフィスビルだと、10年位前にいわれました。スマートビルをつくろうという話がありました。驚いたことに、霞が関ビルというのはそういうのに対応できないビルだというので、三井不動産はあのビルに建物を建てる以上の金をかけて改装したなどという話を聞きました。そうすると、屋根のことを気にしたりするビルや、狭い町の中のマンションを改造して、そこに情報産業の企業をいれるより、思い切って、そういうビルを郊外にどんどん、ちょうど工場をつくるようにつくってしまった方が早い。それをやったのがアメリカなのです。
 また、あまりみんなが反対しないから思い切って高層の建物をどんどん建ててしまえ、道路の日陰なんかもいいじゃないかというので、都心部にどんどんこれをつくって、ウォールストリートを歩けば、道路にお日様はほとんど入らない。ところが、日本に来るとそうはいかなくて、やっぱり道路にちゃんとお日さまが当たらないと、湿気ってだめだ。道路は乾いてなきゃいけないなんて、これもまた学校の教師がいう。
 そうすると、一体日本の都市は戦後50年間何をやってきたか。どうも根本的に矛盾したことが日本の都市づくりで行われていたのではないかと思うんです。ヨーロッパ型の都市は非常にいい。コンパクトだし、コミュニティーも形成できる。お店屋も、例えばパリの町の中に行けば、朝になるとパン屋があいていて、果物屋があいていて、肉屋があいている。牛乳屋をいれて4つぐらいあればパリの朝の生活は全部できる。「自動車も使わないで、朝は歩いていってパンを買って牛乳瓶を抱えたお兄ちゃんが上からおりてきて、牛乳瓶を牛乳屋か肉屋かに預けて新しい瓶にミルクを入れてもらって、パン屋に行ってパンを買って、肉屋に行ってベーコンかハムを3〜4枚買って、果物屋に行ってバナナかリンゴを買って上に上がる。全部歩いて調達できるので、省資源、省エネルギー。こんないい町はない。」と、前に話したことがあると思います。
 そういう町の中にコンピューター産業のオフィスが立地しているか。ソフトをつくる会社で大きいものが立地しているか。あるいは外資系の企業が突然来て、コンピューターのネットワークを使いなから株取引をやるために、3000人ぐらいの従業員を雇用して、オフィスビルに事務所を構えるのにふさわしい場所があるかというと、対応できないですね。こういうことがヨーロッパの町の建物の制限条件なのです。



 話を元に戻しますと、戦後50年、経済のことをあまり考えないで、都市はこうしなければいけないといって、都市づくりをやってきました。そしていろいろの論争が、上は中央政府、建設省対通産省とか、中央政府対経団連、下は、割合落ち着いた2〜3階建ての住宅地の中に突然、ある不動産屋さんが13〜14階建てのマンションをつくるなんていう、庶民型紛争まで引き起こしてきました。
 日本は明治以来ずっと、ヨーロッパ型の文化の中にあるいいものを取り込んで、いろんな社会制度、それから企業をつくりました。フランスの技術を売り込む企業とか、昔はちゃんとあったんです。スウェーデンの鉄鋼と医療器具をもとにして売り込むとか、ヨーロッパ各国の持っているいろんな品物とか技術を日本へ売り込むということで、企業は成り立ってきた。
 ところが、20世紀、戦後のオイルショック、昭和50年ぐらいから、それがどうもうまくいかなくなり、そこで出てきたのが、それまでの重厚長大型の産業から、軽薄短小の産業でした。確かに軽薄短小の方がエネルギーは使わないし、工場の面積も小さいし、どこにでも簡単に工場はつくれるし、いいなというわけです。これがいってみると、情報化社会の始まりだったのではないかと思うのです。
 そう考えていきますと、情報化社会の中で、企業はどこにでも立地したい、工場もどこにでも立地したい。足の軽い、経済の体質の変化とか、工場のリロケーションとか、こういうものに対応するのには、郊外であろうと埋立地であろうとどこでもいいから、土地という資源を使って、すぐ要望にこたえなきゃいけない。こういう話が出てくる。この話の後ろにあったのが、今考えると、アメリカ文明なんですね。コンピューター産業。流通機構の変化の中での大ショッピングセンター、ディスカウントハウス、百貨店ではない専門店化。しかし百貨店というのは省資源、省エネルギーに一番いいんです。地下鉄の上にでんとデパートがあって、そこにいろんなものが入っていて、そこへ来るお客さんは同じ場所で品物を全部選択できますから。だから、町の中にあって値段が今の半分ぐらいなら、百貨店はもう一回リバイバルすると思うんです。店舗展開を地球環境防衛という点で考えると、ショッピングセンターより百貨店の方が絶対いい。だから、日本橋東急をもう一回百貨店にするべきなんですね。
 何で私が一生懸命そういうことをいっているかというと、ここからが問題なんです。ドイツとフランスの失業率が今10%なんです。イギリスもかつて10%超えていた。ところが、今イギリスはかなりよくなって、3%かそこらでしょうか。イタリアの失業率も10%超えているんじゃないかと思います。
 そしてこの失業者というのは、ご存じのとおり、町の中にあふれているわけです。営々と何百年とつくってきた都市に失業者がいなければ文化の象徴であり、文化財の遺跡としても守っていいんですが、現実にはそういう都市の中に、失業者があふれている。なぜ、こんなに失業者がふえてきたか。そこで、都市と経済との結びつきについて、ヨーロッパはアメリカよりもいささか焦点を当ててなかったかなと思うわけです。日本の都市計画はヨーロッパをいつも向いてますから、日本の都市計画もそんなことをあまり考えてなかった。
 私はこのごろ痛切に思うんですけれども、都市計画の目的は何か、この考え方をそろそろ変えなきゃいけなくなってきたのではないか。都市計画というのは、4つの目的があるといいます。20世紀の初め、1930年ごろに都市計画の世界国際会議でいわれていたことであり、戦後はWHO、世界保健機構がパリかどこかでいったのと同じですが、4つというのは、第一に都市で生活するのは健康でなければならない。肺病になっちゃいけないとか、腸チフスで伝染病になっちゃいけないという。次に安全でなきゃいけない。安全というのは、火災に対して、地震に対して、洪水に対して強い都市でなきゃいけない、いろいろな災害に対して安全であること。3番目に、美しい都市です。屋根は全部きれいな屋根で、窓もそろっている。こういう美しい都市、快適性という。最後が効率のいい、むだな動きをしないようにしようということです。それに合うように道路もつくり、鉄道も配置する。むだな動きをしないように工場団地もきちっとまとめて、そこに貨物トラックが行って、その貨物トラックが町の中を通らないようにしよう。こういう4つ。効率、快適、安全、健康。これを都市計画では一等初めに学生に話すのです。
 これらは確かに重要ですが、今の4つの言葉に「失業のない都市にしよう」というのはない。実は安全という中に、新しい意味の安心感というのも含まれています。犯罪がない町、また、お年寄りが病気になったときにすぐに面倒見れるように医療施設が完備している。これはデイ・ツー・デイの生活の安心感です。地震、火事、こういうものに対する安全と同時に、安心というのがいま、世界じゅうの大都市の共通課題になっていると思います。
 そういうふうに考えていくと、失業問題というのは、この安心に物すごくかかわってくる。日本の全国の失業率も、10年ぐらい前は1.5%だった。世界に類を見ない。今4.5%ぐらいで高どまりしていますが、私はこの高どまりはまた上がるんじゃないかと思っています。
 失業ぐらい、住宅地を大切にしている家庭の安定感を壊すものはないんです。これを直視して都市づくりを考えるということを都市計画はしなくていいかというと、僕は当然すべきだと思うんです。なぜなら都市計画において、都市に住む人たちに質のいい住居を提供し、安全な都市環境をつくるということ、つまり物的な施設をよくするということは、それが十全に使われるということを同時に期待すべきだと思うからです。そうでないとむだなことをやっていることになる。
 失業問題の深刻さというのは、一生懸命つくったマンションが、家賃が高いから、そこに住めない。そして空き家が多くなる。空き家が多くなると、手入れが悪くなる。手入れが悪くなると、そこで犯罪が起きるとか、そういうことなのです。
 経済と都市計画を結びつけなくて済んだときはよかったんですが、今や、経済のことを直視しないで都市計画をすると、おかしなことが起きそうだ。その象徴が失業だとなると、もう一度経済の問題と都市計画のつながりを真剣に考える必要が出てくる。答えはどういうところに落ち着くかわかりませんけれども。そういうふうになる。



 ちょっと細かいところに行きますが、都市計画の技術者は非常にまじめにいろんなことを考える。まじめに考えることが世の中のためになると思って考える。ただ、そのとき彼らは専門技術領域が必要とする土俵を設定して、その土俵の中で考える。一つの例が発生交通量の話です。
 発生交通量の議論は、オフィスビル1平米当たり1時間何台の車がそこへ出たり入ったりするとか、高層アパート1平米当たり1時間何台の車が出入りするとか、デパートではどうだとか、そういうのをまじめにやるんです。まじめに調べて、調べた結果を整理して、例えば、丸ビルを1.5倍にすると、その丸ビルの発生交通量は、西暦2010年ぐらいに何台ぐらいになりますよということを計算できるようになる。
 それは確かに、都市計画を土木と建築との技術領域でやればそうなんですが、問題は発生交通量というのはそんなに硬直的なものではないのです。混んでいれば、会社の重役さんだって、「きょうは地下鉄で行くよ。ハイヤー、来なくていい」というでしょう。道路が渋滞して、タクシーが動かなくなれば、若い営業マンはタクシーから飛びおりて、地下鉄に乗っていく。そういうふうに、道路の交通量というのは、発生交通量でちゃんと計算したほど、そんなに硬直的ではありません。そのときそのときの状況で、車、混み方において皆さんが使い方を考えて、加減するわけです。
 同じように、次に出てくるのは、オフィスビルの附置義務駐車場の話です。これもまじめに技術者が計算する。そして、地下駐車場をこれぐらいにすれば、ビルの周りの路側駐車が半分になるとか、そういうことはちゃんと技術的に計算できます。では、そのとおり地下駐車場が使われるかというと、使われない。今もそうです。10年ぐらい前、オフィスビルの経営者たちが、地下駐車場の附置義務設置台数が半分になれば、家賃は1万円ぐらい下げられるといっていました。家賃が4万円の当時です。これなんかも明らかに経済の活性化とオフィスビルの賃料と附置義務駐車場の3つの関係を示しているわけで、技術屋には想像もできない、そういうことが出てくる。
 また、大店法に基づいてショッピングセンターをつくるときに、きっとこれもまじめに技術屋さんは、ショッピングセンターができると、駐車需要が何台ぐらいになる、周りに交通渋滞を起こさせないように、駐車場の台数を計算する。駐車場が狭いとずっと列をなして車が並び、周りの交通量に影響を与えるから、駐車場はこれだけの大きさにしなさいと計算します。そこまではいいんですけど、都市計画では、それだけの駐車場を確保するための土地代とか、あるいは土地を借り上げる値段が幾らであって、そしてそこを管理する人件費が幾らであるか、ここまでは考えないのです。
 ところが、経営する側から見れば、一緒に考えますから、そんなに大きい駐車場が必要ならば、市街地にショッピングセンターをつくるのはやめて、山の上へつくろうかということになる。ショッピングセンターは、私からいわせれば既存の市街地の近くにつくってもらった方が土地を荒らさないからいい。ところが、そういう規制を避けるために山の上の、例えば第2東名のインターチェンジの近くあたりにつくった方が、役人から文句いわれない。土地の値段もぐんと安いから、駐車場もたくさんとれて、お役所のオーケーがとりやすいとか、こういう非常におかしな話になってきます。ですから、経済をどうしても都市計画は考えなきゃいけないと思うのです。
 これは極めてアメリカ的発想です。日本経済をずっと元気づけていくために、日本の都市はアメリカの自動車文明を物すごい勢いで吸収してきたのが実体です。しかし、かくあるべきであるという都市計画の筋道はずっとヨーロッパ文化的なことを守ってきた。その矛盾が21世紀直前になって、両方出てきて、はっきりしてきたのではないかと思うのです。
 そうすると、ヨーロッパ的パターンでは物事は解けない。アメリカ的パターンで行くと大変なことになる。その間で、とうとう日本独自の都市計画のよって立つ理屈を組み立てないといけなくなってきたかなと思うわけです。
 その準備がしてあったかというと、どうもしてなかった。いま私は、これは学者の責任だと思っています。役人の責任ではない。役人というのは、現場で、その時々の社会の動きや変化になるべく矛盾を起こさないように対応していきますから、中央政府の偉い顔をしている都市計画の専門の人でも、日本の都市計画の将来を考えているわけではない。学者がそういうことを考えているべきなのです。
 ここからがちょっと極論になるかもしれませんけれども、相当危険な言い方だと承知でいうのですが、ややもすると、日本の都市計画の学者は、何でもかんでもヨーロッパといい過ぎたかなという感じがするんです。そうすると、日本の都市づくりについて、今のような安全、健康、快適、効率、こういう言葉じゃなくて、日本の都市づくりを将来どういうふうにしていったらいいかという原点の言葉を探していかなきゃいけない。その言葉を探すということは、実はこういう都市がいいという都市像を絵姿で示すということではなくなると僕は思うんです。
 20世紀の初め、アメリカやイギリスでやドイツでは、日本にはいなかったんですが、都市計画の先駆者は、言葉と一緒に絵姿で20世紀の都市はどうつくったらいいか、というのを示した。いろんな人が絵姿と言葉でそういう都市像を提示しました。皆様方、いろんな例をごらんになっていると思います。例えば、トニー・ガルニエの工業都市論というのがありました。製鉄工場とか、機械工場、そういう石炭をたくさん使う工場が町の中にあっては困るから、住宅地から離して、煙が来ないところにまとめてつくりなさいよという議論。彼はちゃんとその絵をつくりましたね。
 社会主義国家ソビエトが工業都市をつくるといったときは、帯状都市というのを提案しました。これもちゃんと都市計画の先駆者がいるんです。真ん中に鉄道とか道路があって、その両側に住宅があって、その後ろに商店があって、その後ろに工場。エベネツア・ハワードの田園都市は丸くなっているんですけど、丸いやつを全部帯状にしちゃった。大量に人や品物を運ぶときにその方が効率がいいからです。
 確かに、20世紀初頭は、都市をつくるのは単純でした。道路をつくって鉄道をつくって、工場の煤煙をなるべく住宅地区から離して、住宅団地と商業地域とその組み合わせで考える。単純だった。だから、絵姿と言葉が一緒になったんです。
 しかし、21世紀の都市は、そうはいかない。20世紀の都市の姿は大部分がヨーロッパの連中がヨーロッパの文化の上でこうなるだろうと書いたものを日本が輸入しました。中国でも一部輸入していますが、必ずしもうまくいっていない。しかし、アメリカはヨーロッパのことはあまり信用が置けないというので、住宅地はヨーロッパの文化的な都市の住宅の姿を入れ込みましたけれども、都心部の商業地域、工業地域はヨーロッパとは違ったまちづくりをしました。
 では21世紀、どうなるかというと、21世紀はアメリカとヨーロッパだけでは絶対ない。アジア、ヨーロッパでもありません。アジアだって、韓国、中国、日本という、雪の降りそうなところのアジア都市と、赤道型のアジア都市と全然違います。多分インドだって、これからは都市抜きにはインドの国家像を語れなくなるでしょう。
 20世紀、一番顕著に出てきたのはイスラム国家の台頭ですが、しかし、そのイスラム国家の都市像だって、アメリカとヨーロッパの都市の姿だけでは語れなくなった。
 そこで、何が出てきたかというと文化です。ただ、世界共通の文化というのはあり得ないわけです。ヨーロッパの文化、建国以来二百何十年ですから、アメリカにだって文化はあります。
 日本は文化の固まりみたいにいわれてますが、文化が都市の姿にちっともあらわれてないんです。日本の文化といったときに、日本を代表する都市というので、東京なんて一言も出てこない。京都といいますが、京都ぐらいうじうじしている都市はないです。ほとばしるエネルギーを京都の都市が内蔵して、そこから次々と世界を揺るがすような産業を引き出しているかというと、必ずしも僕はそう思わない。日本は日本の文化を語れる都市をつくってないんです。つくらなければいけない。
 こういうふうに考えていきますと、多分、世界の中が幾つかの大きい地域ごとに、それぞれの地域の風土とか、そこに住む人たちを表現できる文化的空間、これを都市の中でもつくっていく必要があるということです。



 もう一つ環境の問題があります。環境については、最近都市計画の連中がいろいろいい始めました。都市計画中央審議会でも相当議論になっています。
 都市計画の目的は何かというときに、よく出てくるのは非常に快適な生活とその生活の安全を保障する。これは都市計画で市民一般に一番受けやすい言葉であり、目的です。お役所の人は、それ抜きにはコテンパンにやられますから、それを彼らの文章の中に書きます。それが依然として主流なんですが、片方で、それもいいけど、もっと重要なのは、21世紀に本当に先進諸国の人たちが生き長らえていくために、都市の姿をどうしなければいけないか、都市の機能をどうしなければいけないかと考える方が先じゃないのということを、最近僕はいい始めているわけです。
 石原知事も割合フレキシブルですね。政治家的で政治家じゃない、文明の予言者みたいなところがあって、ディーゼルエンジンの排ガス規制やれなんていうのは、環境問題の重要性を都市づくりの中で物すごく認識しているんじゃないでしょうか。僕はああいうことは青島前知事が最初にいうべきだったと思うんです。その方が、我々が彼に投票した意味がずっとあったと思うんですが、彼は何もいわなかったですね。
 環境は重要です。特に、CO2 の問題は依然として深刻です。アメリカの国家2億4000万が、都市化すればするほどCO2 の排出量がふえます。これはもう明らかなんです。ついでにいうと、東京の都市に暮らしている人1人が年間にCO2 を排出する量は、自動車から電力から全部入れて、世界の大都市、例えば、上海とかロンドン、パリ、ニューヨーク、シカゴとかと比べてきまして、モスクワも含めて一番低い。東京はCO2 の排出量については立派なものなんです。
 ですが、そんな東京といえども環境問題にもっとまじめに取り組まなきゃいけない。例えば、最近はやりの燃料電池の問題について、都市計画家は何考えていたか。何にも考えてなかったですね。それから、電源立地の問題についても、都市計画家は何をいったか。何にもいってない。電源立地、原子力発電を遠隔立地させるよりも、もしかすると、天然ガスの火力発電所を都市の中に立地させた方が、地球環境に対して貢献するかもしれません。こういう根本論を抜きにして、都市計画家が市街地の構成を論ずるというのはおかしいんじゃないか。
 それから、ごみの問題。私の友達がこういうことをいったのを改めて思い出します。その友達は西洋古典学の先生ですが、アテナイ、ギリシャ文明の繁栄の中でのアテネの町が、突然なくなったというんです。、何でなくなったかというと、よくわからないけど、どうも2つの説がある。1つは、アテネ文明はギリシャの森林の木を切り尽くしたというんです。燃やしたり、あるいは石積みの宮殿の屋根のところに木をどんどん使って、かわらを載せたりいろいろした。燃料として燃やしてしまった。気がついたら、もう燃料も都市をつくる材料もなくなったというのが1つの説。
 もう1つは、ごみが周りにいっぱいになった。これはローマもそうらしい。とにかくごみを捨てる場所がなくて、都市の周りにごみがうんと集まって、臭くて臭くて、きっと水も汚れて伝染病も多くなったんでしょう。水は汚れ、臭いし、生活がそこでできなくなっていなくなった。この2つの説があるんだそうです。
 実はこの2説とも、21世紀に全く同じことが、都市の周りで今始まろうとしています。燃料は使い切ってしまい、廃棄物については展望がない。これに対してまず取り組んでいかなきゃいけない。こういうことが、多分新しい文化かなと思うんです。
 19世紀、20世紀の文化は、屋根の美しさに代表されていたかもしれません。これも重要な文化の1つの表現ですけれども、環境を守るという運動自体が新しい文化になるかもしれない。
 そうすると、都市計画4つの原則の前に、4つの原則を具体的に展開する3つの視点というのがあってもいいかなと、このごろ思っているんです。
 1つは、失業率を絶対高くしてはいけないということ。そのために都市の経済を活性化するということです。これは物すごくドラスティックです。
 60歳以上に定年延長をしようという話が今ありますね。私はこれに大賛成なんです。60歳定年で、あとは恩給で暮らしなさいというよりも、60歳から70歳まで月給10万円だって、働いているところがあった方が男の体面保てますね。家の中でゴロゴロしている男なんて要らない。とにかく出ていかなきゃいけない、という話がこれから起きる。つまり、失業率を高めないための経済の活性化が必要なんです。
 2番目は、文化というのをもう一回再認識しなきゃいけない。文化を常に視点に入れながら都市づくりをやる。これは都市づくりの礼儀作法です。
 3番目が環境です。世界人類が10年でも20年でも生き延びるために、環境に対して一生懸命努力しよう。なぜならば、都市は一番エネルギーを使うところだから。
 2番目の文化というのは、もうアメリカ、ヨーロッパと聞くのはたくさんだ。日本固有の文化を都市の中に表現して、中国の人が来たって、ロシアの人が来たって、フランスの人が来ても、一目置くに値する都市づくりが始まった。黙って、しゃべらなくても、都市を見ることで、これはちょっと日本人を見直さなきゃいけない。今までのような形で日本人を見ちゃいけないということです。プライドを持て。
 1番目の話は、そうはいっても、おまんまをちゃんと食って、男の体面を保つ、家庭を維持する、ということです。
 こういう視点から、都市の健康とか安全とか快適とか効率性を考える。経済という言葉がもう1つピンと来ないんですが、失業というとあまり品がないので、経済という言葉を使います。経済と環境と文化。これを21世紀の新しい都市計画の目標にする。そういう言い方がいいかな、と思っています。
 それをうまく組み立てていくために、日本の巨大都市、東京でも大阪でも、どういう具体的な表現ができるか。これをまず中心に置いて、それに使えるものは、中国で考えていることでも、アメリカのものでも、いいもの、使えるものがあったら使う。これは日本人の一番の特技ですね。日本人自身が深刻に哲学的に考えて、都市はこうあらねばならないなどと、考える必要は毛頭ないんです。日本人というのは、いろんな要素を統合化して、固有のものをつくるということに2000年来習熟してきた。
 そういうふうにして、アメリカ文明を吸収し、ヨーロッパ文化もいいところは拾い上げながら、そして結果として、自動車文明でない、21世紀の環境と文化と経済をきちっと守っていく。こういう都市空間をつくろうじゃないかという格好いい話が「文明の吸収と文化の喪失」ということです。これだけで1時間しゃべってしまいましたけれども、今までいったことを考えれば、レジュメの最初にあげた「資源無制約の都市運営」というのも、おのずからおわかりだと思います。



2.国家戦略の中枢部と東京都心

 レジュメの3番目に、「国家戦略の中枢部と東京都心」。『計画経済運営の組織とエリート集団の集中』と書きました。これも今いったことに関連するんですが、ちょっと申し上げますと、国家戦略の中枢部として東京を使ったというのは、明らかに20世紀の戦争で負けて20年間ぐらいです。昭和20年から20年代、30年代、東京はそういう場所でした。社会主義的資本主義ということを国家、官僚がやったんです。このころは国家官僚は胸を張って霞が関あたりを歩いた。戦争のときも統制経済でしたけれども、限られた資源を有効に使おうという考えでした。こんなに国家官僚が居心地よかった時代はなかったんです。
 その流れがまだずっと東京の都心に残っているんですが、これで本当にいいのかなということです。特に申し上げたいのは、『エリート集団』というのは、国内的エリート集団だということです。これは国家官僚だけではないんです。重厚長大の日本産業をつくってきた企業集団。その象徴は多分興業銀行だと思います。
 私が学生のころ、国家官僚になるための試験とは別に、同じころに試験があったのが、JR(国鉄)と新日鉄と多分興業銀行だったと思います。この3つは国家公務員の試験とオーバーラッピングしながら学生を集めていた。それぐらいのエリート集団です。例えば興業銀行は何をやったかというと、重厚長大の日本の産業に、社債、ワリコーによって中小企業や庶民からかき集めた資金を配分する機能を荷ってきたのです。開発銀行もそうです。ただし、世の中の人は開発銀行なんてあまり知らないでしょう。うちの娘はできたら興銀の男の子に嫁がせたいなんていう話が、昭和30年代、40年代にありました。
 これもまた、結局何をやったかというと、視野が狭かったんですね。国内的な資源、人間やお金や土地、これを非常に有効に使って仕事をした。サラリーマンという格好いい名前で呼ばれていたんですが、実は単純労働集団。これは営業部に代表されます。
 私は学校の教師で、営業ってどういうことをやるか、よくわからないですが、想像していいます。製鉄会社の営業部の人が、「おれは営業で会社のためにも、日本国家のためにも役に立った」というのは、重機械工業の会社とかに鉄を売る。売るために毎日毎日、大阪の北の新地で夜飲んでいる。昼間は寝ている。それが営業だと。こういうことがきっとどこでもあったんじゃないかと思うんです。
 女をそばに置いて酒を飲んで、高額な接待費を使って、それでお得意さんを確保する。これは今考えてみれば営業じゃないですね。早稲田や慶応や東大を出た有能な連中が銀行へ入った、商社へ入ったといって、営業というので、そんなことをやって、気がついたら4半世紀過ぎて、日本経済おかしくなって、流通コストが高い。こういうことをやっていたのがエリート集団だったんじゃないかということです。
 国際的視野なんて、全く持ってなくてよかったわけです。日本の昭和30年、40年当時は、所得も低かった。低いから、低い連中が一生懸命工場で働いてつくればいいものができますから、営業で少しぐらい酒を飲んで女をはべらかしてやったって、製品コストが安くて、それをトヨタが買ってくれたり、石川島播磨が買ってくれたりして、結構安くていいものがつくれたんですが、営業が酒を飲んでいる間に人件費がどんどん上がっちゃったわけです。
 GDPが上がるということが何を意味するか全く知らなかった。GDPというのは酒を飲んでも上がるんです。銀座に行ってお金のやりとりをすればGDPが上がるんです。で、自分の給料も上がったというけれども、上がった割には、どうも家の中が文化的でないのがわかってくるのは、20世紀も終わりぐらいになってからです。
 それを支えてきたのが東京都心の雰囲気なんです。世の中みずからの体質を変えるということは絶対できません。これは世界共通だと思います。みずからを律して生活態度を変えるなんて絶対できない。東京都心の雰囲気を壊すために、変えるためには外の人が来なければいけない。外国人です。中国人でもいい、ベトナムの人間でもいい、ニューヨークの連中でもいい。国際化ということを思い切って東京がやらないと、今いったような体質は変わらない。
 国際化というのは何か。今までの日本の国内で考えていた、都市計画でもこうしなきゃいけないといういろんな常識がありますね。その常識を全部撤廃することです。そういうチャレンジをやる。
 ところが、エリート集団というのは、居心地のいいところをつくっていますから、そういう組織を撤廃するというのはなかなかできない。実は私もそうなんです。
 だから、大学でも一番いいのは、大学の教育を全部英語にすることです。日本語を使うな。この一言で、学者もいい学者と悪い学者が随分はっきりしますよ。英語を使え、というと、能力のある学者で、英語が下手だったら、何やるかというと、きっとスライドを使う。スライドを見せながらとつとつと英語の単語を話せば、これは外人さんでもわかるんです。それをノートを英語にして、それをしゃべるなんてことばっかりやる。それが英語で授業することかといったら、そうではない。そんなばかな教師はやめた方がいい。
 あるいは、現場へ連れていきますね。現場へ行って単語で説明すればいい。アクションを伴う。つまり、学校の教師は講義でしゃべっているだけじゃなくて、実習に学生を連れていかなきゃいけないし、スライドやOHPを使って本当に具体的なシステム像を説明するということをやらないとだめなんです。それができない教師は大学を去れ、ということです。英語を使う授業にしろ、というだけで大学は変わります。
 実際に今、企業の中では英語をしゃべれないと執行役員成り立たない、ということが起き始めています。こういうことはやはり、積極的に前向きに、自動車的アメリカ文明じゃなくて、情報産業的アメリカ文明を吸収する。そういうことをやっているわけです。こういうふうになれば、東京の都心も相当変わってくるだろうと思うんです。
 「国家戦略の中枢部と東京都心」というのは、第2次大戦後の20年間ぐらい、それが日本を支えてきたわけですから、やむを得なかったと思いますが、やはり、これは変えないといけないと思います。



 東京都心に関連しながら、もう1つ申し上げたいことがあります。先日、建設省の若い事務屋さんとしゃべっていたら、こんな話をしていました。日本の企業の社員で海外に行けといわれて、ロンドンか、ヘルシンキ、ウィーン、ローマ、どこでもいいのですが、5〜6年、海外勤務で奥様も一緒に生活してきた。その奥様に、今住んでいる東京の市街地と、彼女が住んでいた、ヨーロッパやアメリカなどの住宅市街地、あるいは既成市街地の1戸建てでもマンションでもいい、どっちがいいと思いますかという単純なアンケートをしたら、東京がいいという人はゼロだったそうです。奥様方の反応は、アメリカであろうと、ヨーロッパであろうと、南アメリカであろうと、とにかくすべての答えが、居住環境は東京よりよかったというんです。
 これは大変なことですね。奥さんはそう考えている。旦那は会社のことを思ったり、いろいろ理屈があるんですけれども。もし、奥さんがそう思っているなら、東京に行かなければならない外国人の奥様も、皆そう思っているんじゃないかと思うんです。
 それから、さっきの外資系の進出企業の話に触れますと、私はこういうことが起きるんじゃないかと思います。オフィスビルの話をしましょう。丸ビルの建てかえが仮に来年完成だとします。今ごろお客さんを集めなきゃいけない。きっと営業担当の部長さんが、ニコニコして、「おかげさまで、イギリスの電話会社と、ドイツの自動車会社と、フランスの何とか銀行とに、それぞれ10フロアずつ入ってもらったので、埋まりました」。こういう話はそうおかしいことではないですね。「やっぱり国際化ってすごいもんですね」となる。
 問題はその後です。東京での生活費が高い、いい住宅がない、おまけに経済ははかばかしくない。そうすると、よくある話が香港とシンガポールと上海と比べて、上海の方がずっとメイドサービスがいいし、マンションだって東京より家賃が安くて、倍ぐらいの大きさのところに住める、また、家主から文句はあまりいわれない。言葉だって全部英語でいいじゃないか。セクレタリーは全部英語でいける。それなら上海に行くか。そういうデシジョンは、多分ヨーロッパの企業だって、アメリカの企業ぐらい早いはずです。あっという間にそのビルはあくと思うんです。だから、喜んでいたのもつかの間、2年後には3分の1どこかあいてしまって、10年後は空っぽになって、次に来るお客さんはいない。
 日本の企業同士ですと、そこに少し粘りっ気がありますね。「そういっても、ひとつ、あまり三井さんの方に行かないでくださいよ。長いおつき合いじゃないですか。」と、泣き落としをやる。これはあくまでも日本的土壌です。「そのかわり家賃は1割ぐらいサービスしますから」。ところが、外資系企業がどんどん来たらそんな話は通じない。ある日突然「やーめた」となるでしょう。
 そういうリスクがこれからの東京の中でのオフィスビル経営に幾らでも出てくるのが、一種の国際化なんです。そうすると、そう簡単に日本の社会システムだけを頼りにして、東京は生き延びていくことはできない。相当思い切って、日本の社会制度と国際化の中での国際的なサービスの仕方とを合わせていかなくてはいけない。今までは国内8で、外国2でやっていたのを、これから21世紀の東京では、あるいは大阪でも同じですが、国際的対応を6ぐらいにして、国内的には4ぐらいにして、オフィスビル経営だってやらなければいけないし、サービス産業経営もやらなければいけない。こういうことになります。そこで、国際対応の都心のつくり方は一体どうしたらいいのか、となるわけですが、これもまた十分な蓄積が必ずしもないんです。
 ただ、1つだけはっきりしていることがあります。外人さんがこのごろいうことで共通していることは、これは政治家もいっていることですが、長距離通勤ぐらいひどい人間虐待はない。東京の都市構造は長距離通勤を前提にしてでき上がっていて、東京に立地している日本の企業は、長距離通勤をサラリーマンに強いて、東京に本社を構えている。これは相当重要な話です。この議論を突き詰めていきますと、人権侵害ということまでなりかねない。多分アメリカの弁護士だったら、日本の何人かのサラリーマンの人たちを集めて、人権侵害、就業環境差別とか、そういう問題を組み立てて、日本の企業をいじめるかもしれませんね。アメリカの弁護士は、言い方は悪いが、人のふんどしで相撲を取るようなことをやりかねませんから。
 日本の企業が丸の内に立地して、あるいは港区に立地して儲けている利益は、遠距離通勤という人権侵害を前提にして成り立っている。しかし、国際的デファクトスタンダードで見ると、ヨーロッパでもアメリカでも、通勤の平均時間は45分である。日本だけ90分もかかる。何事だ。デファクトスタンダードからいえば、絶対これはおかしい、というのが訴訟の理由になるわけです。それを前提にして日本の企業は利益を上げている、けしからぬという、そんな話が生まれて来てもおかしくない。
 こういう観点から都市の姿を考えなきゃいけなくなるなんて、ちょっと予想もつかない話ですが、21世紀はそういうことも考えざるを得ないでしょう。



 予定調和型の都市形態を役人が考え、学校の教師が考えるということではなくなってくるということです。もっと乱暴にいうと、土地利用計画でも、いろいろ面倒な問題のある国立市とか武蔵野市とか、そういうところでは何もいじりません。これはアメリカでもヨーロッパでも当たり前です。ボストンだってサンフランシスコだって、戸建て住宅地がきちっとでき上がっているところは、戸建て住宅地がほとんど何も変わることはないです。変わらないことに価値がある。
 僕がボストンで暮らしていたところは、戸建て住宅地ではなく、2戸1の住宅地でした。そこだって、この木は150年とか、この建物は100年。この歩道のレンガも60年ぐらいたっているとか、すべてきちっと昔と同じ形で、木も歩道のレンガも建物も昔どおりあり、それがその住宅地の価値を生み出すわけです。そう考えれば、国立も武蔵野の住民も絶対に今の都市形態を変えてはいけないんです。変えると資産価値が減る。だから、親が死んで相続のときに、100坪の土地を50坪にするなんてとんでもないことです。国立に住む限り50坪で相続はさせない。売るときも絶対100坪以上でなきゃいけない。国立や武蔵野の人はマンションが建つとけしからぬといいつつ、相続のときは土地を30坪にして売るなんてことはやるべきじゃない。
 しかし、周りに文句いう人がいないところでは、思いきった再開発をしてよいと思います。そこにまるで人がいるかのような規制を加えている土地利用計画はおかしい。思い切っていろいろな制限を取っ払って、外資系を入れて再開発をやらせてみたらいいじゃないでしょうか。そういう場所は、少なくとも、名古屋、大阪、東京にはあるんです。もしかすると、神戸でも横浜でもあるのかもしれませんね。
 これはロンドンのドッグランドのエンタープライズゾーンと同じようなことかもしれません。ロンドンのエンタープライズゾーンはドッグ跡地や、工場跡地ですが、東京や大阪の既存の市街地でも、そこに土地を持っている人たちが、最早そこに住んでいなくて、店を形式的に経営しているようなところは容積率を思いきって高くしてもよいでしょう。商業の500%のところでも、商店主がそこに住む気がさらさらないなら、好きな用途で、容積も無制限でやれるならやってみなさい。どんなお客さんでも呼んでくださいというぐらいの場所をつくってもいいんです。
 そこにアメリカの不動産屋を、アメリカ流の理屈で、容積1000%でマンションを作り、そして家賃を半分にするという計算で入れられればしめたものです。アメリカやヨーロッパに資本投下させ、失敗させて帰すなんて、冷酷な都市経営戦略ではあたりまえです。昭和60年代に、日本の不動産業はばかみたいにロサンゼルスやニューヨークやロンドンへ行って、とんでもない不良物件を買わされて、大やけどして帰ってきました。今度は日本でそれを外国企業にやったってよいでしょう。そのためにはそれぐらいのえさをまいたっていいのです。それが冷酷な経済競争というものです。
 例えば、神田の駅西の司町、あるいは駅の反対側、秋葉原と神田の間、銀座通りの東側。皆さんあの辺の町をごらんになったことありますか?ないでしょう。あそこでもちゃんと用途や容積の規制があるんです。ああいうところこそ、容積野放しで何建ててもいい、むしろ地主さん方喜ぶかもしれませんね。何も隅田川の向こうに行かなくてもそういう場所はある。もちろん、隅田川の向こうに行けばもっとありますが。
 こういうことが思い切ってできるぐらいの仕事師が区役所にいてくれるといいんですね。ことしの4月から区役所は都市計画をかなり自由に使えるようになるんですが、問題は、そういう人が本当に、それぞれ区役所にいるかというと、いない。
 特に重要な区は千代田区と中央区と港区と台東区だと思います。台東区というのは、大体商業の500%の真っ赤っかなんですけれども、容積を全然使ってない。あんなに便利なところないんです。あそこのイメージを変えるような民間ディベロッパーがいたら、石原知事は全面的にそこに公的援助をしたっていいと思うんです。あるディベロッパーが言っている超高層ビルなんかも、港区でやるより台東区でやってもらったら、不動産ノーベル賞ぐらいやったっていいぐらいです。
 そのような場所に民間が来るための下地をこしらえるために、実は公団が出てくるわけです。21世紀の話と公団という変なことになりましたけれども、これがまた大変な存在なんです。今公団はどういうふうになっているかというと、分譲マンションをつくるのはやめろ、郊外に住宅団地をつくるのをやめろ、賃貸住宅をつくれ、民間のマンション屋さんが来て仕事をしやすいように土地条件を整理しろということですね。そういうところで公団は頑張れとなっている。そして、赤字出すなということ。公社公団5現業は赤字たれ流しで、けしからぬということです。
 赤字出さずに、民間の業者が仕事をしやすいように土地を整理して、おまけに賃貸住宅を既成市街地でつくるなんてことができると思われますか。公団の人間が三井不動産や三菱地所や森ビルの数倍の仕事の能力を持っていて、資金集めの信頼感もあってならできるんですけれども、そんなのはないですね。公団の役人ぐらいお役所的な人は見たことないという風評もかつてはあったぐらいのところですから。(笑)
 ですから、赤字を出すなというところが問題なんです。赤字をたれ流さないというのは重要ですが、しかし、赤字を出すなといったって、今のようなことをやっていたら、赤字は絶対出ます。新宿の有名な富久町、あそこはホステスさんがいっぱいいたところです。新宿の安キャバレーの若いホステスさんが6畳一間、フォークソングの神田川のように、住んでいたのが富久町。コリンズという不動産屋が土地を買ってどうしようもなくなり、今そこに公団が入っている。そうすると、地元の人達は、公団は頼りになる。土地も買ってくれて、おまけに住宅も建ててくれて、全部しっかりして、アパート経営もできてと、白馬の騎士みたいに思っている。
 そんなのに一々つき合っていったら、公団は全部赤字になります。今の公団はそうじゃなくて、表向きは、富久町であっても、土地を全部整理して、これを例えば東京建物とか大和ハウスとかに、それなりの企業採算ベースで買えるような値段で売ることができなければ、そこでの仕事はやめていいと、多分そうなっているはずです。
 ところが、公団が調査に入れば、民間の地主さん方は公団がやってくれると思いますね。だから、そこへ入った公団の技術者はやっぱりやろうという気になるんです。これは、いいことなんです。だけど、そのためには何年かかかり、その間の人件費やいろんな経費、例えば、やくざ対策費というのがあります。こういうのは民間企業では、ちゃんと経費に入れる。住宅公団も何かの名目で入れます。また、住んでいる母子家庭などをどこかに動かすために必要な費用を考えますと、膨大な金がかかる。これら全部の費用を入れて、最後にこの土地を幾らで売りますということになっても、そんな値づけで買う不動産業者いないですよ。
 そこでいみじくも、ライトダウンというアメリカでいっているような話が起きてきます。とにかく今買う値段は、いろんな担保がかかっていて、おまけに借家権も借地権もあるから、これは外資系の企業が全部バルクで買う。いいものも悪いものも全部まとめて。評価が1000億のものを100億で買う。富久町の場合、確かにそういうことなら、土地の値段は坪50万ぐらいの評価かもしれません。だけど、そこは不良物件、傷がいっぱいついている。やくざがいた、借家権もある、お金がない、生活費に困っているけど、ほかに行くところがなく住みついた人もいる、そういうのを整理するのに5年や6年すぐかかります。これを公団が全部整理して、職員の人件費も入れて、それで土地の値段は幾らになるかというと、もともと50万が、500万上乗せして、550万円、それに販売経費を1割載せて700万円。こういうことになる。売れるかといったら売れないのです。
 ライトダウンというのは、アメリカやヨーロッパでやっていることです。しかし、重要なことは東京や大阪、そして名古屋、横浜、神戸、こういう町が、先ほどいいました文化という点から、1つ1つのプロジェクトが、今までと違うまちづくりをする。日本の都市文化を代表するまちづくりをやるためには、日本国民、東京都民、そしてこれらの都市の市民は当然それだけのコストを払うべきだと思うんですね。
 ですから、そういう点で公団の動きを考えれば、赤字はどうしても出ざるを得ない。公団が赤字で仕事をするから、その潤滑油の上で民間が民間らしい仕事を展開できる。そういうことが東京のあちらこちらで起こってくるかもしれない。
 そう考えると、神田とか台東区、そういうところにもっと公団の仕事をいっぱいつくっていく方が、公団の存在意義としては重要かなと思ったりしているんです。
 そして、郊外の住宅地の手直しというのは、公団はやらなくたっていいんじゃないかと思いますね。郊外の住宅の手直しは、そこに住んでいる人たちがみずからの力でやるべきことかなと思ったりしています。



3.鉄道と港湾を駆使した都市形成

 もう1つ、「鉄道と港湾を酷使した都市形成」の話をしましょう。
 これは何をいっているかといいますと、昭和30年代、日本の都市は、ご存じのように、さっきいった長距離通勤と都心の勤務先で象徴されます。それから、臨海工業地帯と重厚長大の産業の成長でした。そして、船が鉄や石油をアラビアとかオーストラリアから持ってきて、そこでつくって、アメリカやヨーロッパへ輸出した。この2つを、一言で乱暴にいいますと、ソフトは長距離通勤サラリーマンと丸の内、そして、ハードっぽいところでは京浜臨海工業地帯と鉄と石油で、鉄はオーストラリア、石油はアラビア、こういうことに象徴される。この2つが日本の経済を引っ張ってきたんですが、鉄道というのは物すごく重要で、21世紀の省エネルギーから考えれば大変いい通勤の手段なんですが、20世紀後半、東京は鉄道にすがりすぎました。鉄道も長期的戦略でネットワークをつくらないで、放射型で、既存の鉄道を使って、どんどん遠距離化を加速しました。鉄道を酷使したことは遠距離通勤を加速化した。そういう都市形成が結果として起きたのです。
 アメリカは自動車がうんと使いやすいというので、郊外化を加速したんですけど、日本の大都市の場合には環状型の鉄道のネットワークを考えず、既存の鉄道を補強していくという形で遠距離通勤が加速化した。
 しかし、繰り返し申し上げますけれども、この鉄道でつくられた鉄道駅を中心にした市街地。それから港を中心にしてつくられた臨海工業地帯。2つとも、もう一回手直しをして、21世紀に新しい姿につくり直していかなければならない。そうなってくると、こういうところは平面的な都市の膨張ではなく、ここで初めて立体的な都市の使い方ということが必要になってくるかなと思うんです。
 21世紀の都市づくりのこれからの特徴は、多分土地利用についても、これは既に都市計画中央審議会で話をしておりますが、平面的な土地利用じゃなくて、いろんな土地利用をオーバーラッピングする。そういう都市の将来の姿を考えてもいいだろうというのが一般化してきます。これまで、立体道路制度などというのがありました。ご存じでしょうか。あれは平面的土地利用の都市の部分的立体化なんです。少しずつそういう立体的な土地利用が話題に出てきて、この間も大深度の話がありました。リニアモーターカーでもつくろうというねらいがあるんですが、大深度に地下鉄をつくって、地表から40メートル以下は補償しなくていいということを考えています。
 これも立体的土地利用ですが、そのほかに、これも何回もいっておりますけれども、今まで土地利用の指定が、ここがごみ処理場、ここは下水処理場、ここは都市計画公園、ここは博物館、ここは特別養護老人ホームと、全部平面的なわけです。特別養護老人ホームは厚生省系列で、市役所でいえば老人福祉部とか、ごみ処理の方は環境衛生課とか、それぞれ所管が違います。それぞれごとに必要なみんなの施設というので、平面的な配置をしていた。これはもうやめた方がいいと思うんです。
 一つの例をお話ししましょう。見沼田んぼ、浦和の東の方にございますね。私、5年ぐらい前に見沼田んぼを見にゆきました。だんだん上の方へ上がっていきますと、ここは下水処理場、ここはごみ焼き場、ここは中学校、ここは公園、見沼田んぼの中に変な建物と変な土地造成がやられている。全部公的な施設です。
 だから、市街化調整区域の中でもお役所が必要とする施設は、いじめない。手前みそというんでしょうか、お手盛りというんですか、市民のために必要な下水処理場ですから、これは調整区域につくります。次に市民のために必要な特別養護老人ホームですから、これをここにつくります。次に市民のために必要な美術館ですから、この丘の目鼻のいいところにつくります。みんな市民のため。1つ1つ全部オーケーしていって、見沼田んぼの公的施設が立地しているところを部分的にちょん切れば、そこの市街化調整区域の半分以上は、お役所がつぶしている。民間の住宅ディベロッパーなんかほとんど入れないなんて場所があります。
 市街化調整区域だって、立体化を考えることは可能だと思うんです。博物館の下にごみ処理場をつくって何が悪い。下水処理場の上に体育施設をつくって何が悪い。体育施設の横に特別養護老人ホームをつくって何が悪い。これは全部まとめられますよ。もっといえば、ごみの中間処理施設と下水処理場と体育館と特別養護老人ホームを、1カ所でまとめて設計しろというのは、下からずっと積み上げればできるはずです。
 ついでにいいますと、都市の文化を阻害している、非常にけしからぬ建物が2つあると僕は前から思っている。1つは、いずれつぶれる運命ですから、いいんですけれども、町の中に昭和30年初期ごろにつくられたイトーヨーカ堂とかジャスコとかダイエーの安普請の小さいショッピングセンターです。あれ、いずれつぶれますね。もう1つけしからぬのは、お役所の営繕課のつくった建物です。小学校もそうです。小学校というのは、不思議なことに、つまらない建物か、物すごくアクロバティックな建物か、品のいい建物はなかなかないですね。非常に不思議です。
 ですから、公的な施設はすべていいかというと、デザイン的にもロケーションの上でも、考えるとすべて悪い。もっと突き詰めていきますと、上野の東京文化会館というのがあります。確かにすばらしい建物です。昭和の30年代初期に出来て、日比谷公会堂の次ぐらいに、日本のクラシック音楽会を聞きに行く場所だといわれた。確かにいいです、今でも。しかし公園の中です。どうして初めから地下にもぐらせなかったかなと思う。少しぐらい屋根に土を盛ったっていいですね。サントリーホールって、地形がこういう斜めだから、表へ露出してないです。入り口だけあって、上は植え込みがいっぱいあります。あれ二重に使っているわけです。音楽ホールと公園と。上野の文化会館だって、あれを全部地下に埋めて、周りに昔風にドライエリアをつくりまして、できたらドライエリアのところに水でも入れまして、花壇でもつくって、上の方に土を盛って、上の方に木を生やしていく方がずっと公園チックです。
 再開発でもこの間、ある大都市、人口100万の都市なんですが、再開発計画でデパートが2つある真ん中に公会堂をつくろうという話がでてきました。公会堂というのは確かに模型をつくるとよく見えますけれども、夜の8時、9時になりますと、公会堂の周りはだれもいないで真っ暗なんです。刑務所の塀みたいなのが建っていると思われる。それが町の真ん中。そういうセンスをどうしてお役所の人は持たないのかなと思うのです。だから、ああいう公会堂は土の中に埋めてしまったらいいのです。音楽ホールでも何でも土の中に埋めてしまって、上の方を公園にして、そこを芝生にでもしておいて、子供たちがすべったりした方がいい。
 本当にそんなのがあるかというと、あります。キャンベラの国会議事堂がそうですね。キャンベラで一番評価すべきなのは、昔のキャンベラの新首都の丸に十の字みたいな、19世紀末期から20世紀の初めにつくった紋章型・図案型の都市計画の図面ではなくて、新しくつくった国会議事堂ですね。あれは屋根の上が全部芝生になっている。ずっと上がれるんです。下のところに国会議事堂がある。一番悪いのが東京フォーラムです。あれを全部下に埋めて上を公園にした方がよっぽどよかった。
 そういうふうに考えると、どうも公というものがやっていることはおかしいんじゃないか。立体的利用というのをそれぐらいのところまで突き詰めていくと、結構、都市の中の再開発だって、外人さんに「オッ」といわせるようなものができるかもしれません。「おれたちはポンピドーセンターなんてのはつくらないよ。ああいうことをやるから、周りの環境がおかしくなるんだ」そんなことをいえるような、都市の立体利用を大阪や東京で十分できると思うんです。
 それから、さっきいったごみでアテネがだめになった、ローマがだめになったというなら、ごみ工場もこれからの土地利用でその位置・規模・形態をはっきりとさせるべきです。民間がやるというと、黒字経営になるのがなかなか大変なので、一定の補助金が要ると思うんですけれども。武蔵村山の日産村山工場が今度やめるそうです。厚木の工場のところも、工場用地だから、自動車展示場になっているそうです。あそこをどういうふうに使うかという話になるでしょう。このままでいきますと、ああいう工場用地を買えるのは、多分マンション屋さんぐらいしかいないんじゃないでしょうか。あそこはオフィスビルをつくってもそんなに事務所は行かないですね。立川の駅前にオフィスビル幾らでもつくれますから。そんなことをするよりも、あそこに産業廃棄物の処理施設を、その40万坪を徹底的に使ってつくった方がずっと意味があるんじゃないかと思うんです。
 もっと話を広げていくと、川崎製鉄の千葉工場が100万坪あります。産業廃棄物をスクラップ化して、整理して、再資源化する施設にこの100万坪全部を使う。それから、京浜工業地帯でも渡田という昔のNKKの設備があったところ、あの辺も適当に港の周りをまとめますと、40万坪や50万坪はあく。今まで、そこに住宅をどうつくるかとか、レジャーランドをどうつくるかとか、倉庫をどうつくるかといっていたんですが、そんなことよりも、千葉で100万坪、京浜で60万坪、関東内陸で40万坪の施設が3つ、4つぐらいの大きい産業廃棄物処理センター、再生センターなどというのを考える方が、国際化という視点で東京都市圏の変わっていくイメージをつくるのに、ずっと前向きですね。
 名古屋の例の博覧会用地の後に建設省の補助金で住宅団地をつくることを頼りにして博覧会をやるなんて、国際的に通用しないです。そうじゃなくて、名古屋の国際博は、ウォーターフロントの工場跡地の再生で行う。終わった後は産業廃棄物処理工場として働くんだという方が、ずっと国際的アピールしますね。そういう観点が、さっきいった環境と文化と経済と全部結びついてくると思う。産業廃棄物処理センターが何で経済に結びつくかというと、ここに、50過ぎの何にもする能力のないおじさんが行って仕事ができるからです。コンピューターも関係ない。分類整理だけですから、僕だってできます。重要なのはそういうことなのです。
 コンピューターのできる連中はほっておけばいいんです。そして、情報革命の中に取り残されていく人たちが有意義に仕事する場所をつくらなきゃいけない。地球環境を守り、大都市圏の生活を楽にするための産業廃棄物大再生センターがあって、そこに1カ所1万人くらいの年配の男性がパートでワッと入って仕事している。日当は時給500円位だけど、それよりも、社会再生のために意義があるなどというのをつくるのが、新しい経済の活性化だと思うんです。
 私の経済の活性化というのはそういう意味なんです。何もコンピューター産業の若者がますますストックオプションか何かで何十億の金持ちなるなんてことをいっているんじゃないんです。そういう視点で話題を展開すれば、都市計画の土地利用は物すごく将来性がある仕事になる。



 今日はレジメの半分以下しかしゃべれなかったんですが、後半は次回にでも話したいと思います。話が相変わらずあっちこっち飛びましたけれども、大体の意図はわかって頂けたと思います。経済と環境と文化、この3つの軸で日本型の都市計画はつくれないか、是非考えていただきたいということです。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口)
 どうもありがとうございました。
 わずかですが、時間がこざいますので、ご質問、ご意見のおありの方は挙手をお願いします。

伊藤
 都市公団は赤字でもしようがないでしょうね。どうですか。ちょっと意見いってください。都市公団がやる使命は、結果として赤字をもたらす。これは避けられない話題だと思います。

御舩(多摩都市交通施設公社)
 本当に刺激的なお話をありがとうございました。
 都市基盤整備公団についての評価も、全く伊藤先生のおっしゃるとおりだと私は思います。どこが費用を負担するかというところを、今の都市づくりの中で考えて整理をして、そういうことがとりあえずは抜けて都市整備基盤公団がスタートしていますから、単純に、仕事をしたら補助金をつけるとか、そういう話よりは、かかった費用をどう負担するかということできちんと、それこそ情報公開で公開して仕事をするべきだと私は考えております。
 それを前提にして、おっしゃるとおり、千代田区から台東区にその可能性があるという話も、私も全くそのとおりだと思いますし、既存の市街地の中で、多くの市街化では、例えば多摩ニュータウンでも、伊藤先生に会長になっていただいております多摩ニュータウン学会という組織。組織というよりは活動ですね。活動ができて3年になりますけれども、実際住んでいる1人1人が住民の立場と専門家の立場と、さらに職場として、例えば大学で仕事をしていたり、SOHOで仕事をしていたりという職業人の立場を1つの地域で重ねながら、自分たちの町を、職場としても、環境としても育てていこうという動きが出てきていますので、郊外一般については、むしろ住民の力を中心にというお話も、既に具体的な芽が出ている。それをたくさんの地域で広げていくということだと思います。
 そういう意味で、大変励まされたお話を聞かせていただきました。
 次に一つだけ質問をさせていただきます。
 立体的な土地利用、従来の立体換地ということをはるかに超えて、都市として必要なものを重ねていくべしというお話。これはこれからいろいろ具体的な事例で考えていくことになると思いますけれども、伊藤先生がたくさんの現場をご経験の上で、お差し支えない範囲で、ここでこういうことをやったらどうかという具体的な地域と事例があったら、ぜひ参考にお話ししていただいて、それを手がかりに、きょうのお話から、自分たちの地域でそういう立体的な土地利用の可能性をぜひ探りたいと思います。先ほどは一般的なお話ということで、体育施設、美術館、下水施設に福祉施設というお話がありましたけれども、地中に埋めるという話よりも、私はむしろ縦に重ねていくということを、特に東京というか、日本の臨海部の都市は考えた方がいいという気がしますので、ぜひ何か私たちのヒントになる具体的なお話をしていただければと思います。

伊藤
 いろいろありまして、御舩さんの方が詳しいと思うんですが、非常におもしろい例は高輪のお寺さんの話が有名ですね。お寺さんの建物の下に変電所を地下5階までつくった。これは相当性能の高い変電所です。あの高輪一帯のホテルとか、かなり大規模なところへ配電する変電所。その上にお寺さんの本堂が載っかっている。こんな例も1つあります。
 私は、基本的に区役所とか市役所、地元の学校、生活に密着した公的な施設を全部平面的に使っているわけですから、立体化すれば何ができるか、全部チェックしてみたらおもしろいと思っています。もっといいますと、唐突ですが、お墓。東京の人たちはお墓を手に入れるというと、八王子の山とか青梅の奥とか、とんでもないところに行ってしまう。墓というのは一種の環境破壊ですね。そう思いませんか。
 墓地というのは緑っぽく塗るんですが、木ってほとんどないんです。小平の墓地とか青山の墓地とか公的なところはいいですよ。しかし、民間施設の墓地は、小さく切って高く売るわけです。木を生やすところがあったら、そこを小さくして、墓石を建てて、何百万円かで墓石を売った方がいいですから。ひどい斜面を切っています。ああいう墓はもうつくるべきでない。
 墓こそ、さっきロンドンのスクエアの話をしましたけれども、町の中に持ち込んできて、お骨だって骨つぼに全部入れる必要ないわけです。本当に象徴なんですから、象徴の重要な部分だけ、大事な父親とか母親のお骨だと思えば、あとは散骨したっていいんです。そうすれば、町の中に小さく、ここにうちの両親も寝てるのよというのが児童公園の下あたりにあって、そこにちょっとした名前でも刻み込まれていれば、結構子供にもおもしろい教育的なものになるし、それがあると、そこの周りに住んでみたいと思う人たちも出てくるかなと思う。立体利用の話題の1つは墓なんです。
 あるいは、地下じゃなくて、上の方でもいいと思うんです。お寺さんがビルをつくって、一番上の見晴らしのいいところにお墓を置いたっていいわけです。結構儲かると思うんです。お墓のビルの下に下水処理場があったっていいし。そういうことは、もしかすると、これからあいていく小学校なんかの再開発のときに考えてみたらいいかもしれませんね。小学校とお墓、関係があると僕は思います。小学校とまちづくりとお墓。特別養護老人ホームはこのごろ小学校とくっついてますけれども、小学校と特別養護老人ホームとお墓。割合、品よく、安心して老人はそういう町なら住んでみようとなるかもしれませんね。これはビジネスとしても成り立つかなと思います。
 以上、実例からちょっとずれましたけれども、願望を申し上げました。

谷口
 ありがとうございました。
 もう少しお話を聞きたいところですが、時間がちょうど参りましたので、きょうはこれで終わりにします。どうもありがとうございました。(拍手)


back