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第150回都市経営フォーラム

街づくりとパブリックアート

講師:関根 伸夫 氏
 彫刻家・環境美術研究所主宰


日付:2000年6月21日(金)
場所:後楽国際ビルディング・大ホール

 

街づくりとパブリックアート

フリーディスカッション




街づくりとパブリックアート 

 今ご紹介いただきました関根でございます。
 私、大体、彫刻家ということになっておりますが、今は環境美術家と自分でいっております。言い方というのはどうでもいいわけですが、やっている仕事の内容を正確に伝えるための言葉として環境美術家、そんな言葉はほかにないわけですが、環境美術研究所というのをやっている関係上、そんなことになっています。
 そもそも、私、多摩美術大学の油絵科の出身で、だんだん流れ流れてこういうことになってきました。最初のつまずきといいますか、きっかけは、私が大学院に行っているころ作品をつくりまして、平面作品をつくっているつもりがだんだんレリーフ状になって、それがレリーフにしては余りにも出っ張り過ぎかなというものを、それでも絵画部門に出品したところ、係が勝手に間違えてくれまして、立体彫刻部門に回りました。それが毎日コンクール賞というのを受賞しちゃいまして、それ以来招待出品という形で、彫刻家として出品するようになってきたわけです。それまでずっと、絵ばかりかいていましたから、当然彫刻というのはなじみがなかったわけです。
 そんなこんなで、1968年に須磨離宮で行われました第1回の日本野外彫刻展というのに招待作家として出ることになりました。彫刻をそれまでつくったことがなかったという理由もあるんですが、ボーッとしているすきに時間がどんどんたちまして、会期の1カ月ほど前に、係の人が「作品を取りに行きたいんですが、いつ伺ったらいいんでしょうか」。そのときにハッとしまして、「あ、いけない。彫刻というのは前からつくっておくもんだな」というのを初めて知ったわけです。運送業者が運んで会場にセットすることになるわけですが、私はたまたま何の用意もしてなかった。したがって、とっさに「現場でつくります。一切来なくて結構」ということで、当時まだ学生の直後でしたので、お金もなかったし、できるだけ倹約して何か作品をつくらなきゃいけない。いろんな条件を考えましてつくったのが「位相大地」という作品です。これは後のスライドで出てきます。
 その作品をつくったことによって、その作品がジャーナリスティックに、あるいは世間でちょっと評判になっちゃった。というのは、余りにも彫刻概念を超えているというか、これでも彫刻かということだったと思います。
 私が当時凝っていたのが位相幾何学ということです。結局、絵でも建築でも都市でもそうなんでしょうけれども、空間の認識を深めていきますと、どうしたらおもしろい空間の認識の仕方ができるかなということで、ちょっと難しい話になって恐縮ですが、たまたま読んでいた本の中に「位相幾何学」というのがありました。位相幾何学というのは空間を非常に柔軟なものとしてとらえる。形態に注目するというより、形態の柔軟な構造に注目するという考え方です。したがって、立方体を丸めてみたり、あるいは引き伸ばしてみたり、形状を変えていくわけですが、そういうことで空間の認識の仕方を物すごくフリーにしていくわけです。これは知っている方にとっては極めて幼稚な説明でございまして、それはさておき、その位相幾何学からヒントを得てつくったのが「位相−大地」という作品です。これは後でゆっくりご覧いただきます。
 第1回目の彫刻がそういう形でヒットしちゃったものですから、それ以来彫刻家ということが揺るぎなくなっちゃったということになるわけです。
 それから何回かの展覧会があって、ベニス・ビエンナーレというのに選ばれるわけです。1970年です。ベニスで2年ごとに行われている国際美術展です。そのときに日本からは荒川修作さん、この人は妙な公園をつくった人です。「創造天地反転機」。岐阜の方に非常にアクロバティックな公園、テーマパークみたいなのをつくりまして、一時相当話題になって、今でもかなりの人が見に行くというスペースをつくりました。その荒川さんと私の2人で出品しました。私は外で、荒川修作さんは室内で絵を出したということです。
 そのときにつくった作品が、これもスライドで見てもらえばすぐわかるんですが、角柱が鏡面のステンレスになっていまして、それに自然石を載せていくという作品です。「空相」という題をつけています。「空想」の「心」がないやつです。そういう作品で、ベニス・ビエンナーレをやったわけです。それもオープニングにセッティングをしたものですから、非常に話題になった。
 彫刻というのは普通静止しているものです。しかし、私の考えでは、一番面白い瞬間を見せる必要があるということで、イベントと最近はいいますけれども、そういうイベント性がある作品なので、実際、オープニングの日にイベントをやったわけです。
 ご承知のように、ベニスは水の都ですので、車が走る道路がありません。したがって、トラックと、でかい自然石をアルプスの山の方から持ってきまして、それをフェリーボートに載せて、当然トラックも石を載っけたまま運んで、それを会場で組み立てた。すごい騒音がしたものですから、オープニングのお客さんが随分集まりまして、テレビカメラマンが僕にくっついてきて離れないような角度で来るので、危険極まりない状態ではありましたが、石をつり上げました。その石が16トンあります。それを観客といいますか、皆さんの頭の上をずっと一回りさせて、塔の上に載っけたというイベントをやったわけです。
 たまたま多くの報道陣が入っていたということもあって、「ベニス・ビエンナーレ始まる」というニュースの頭にそれが放映されて、ヨーロッパでも有名になっちゃったということがあるわけです。
 そういうことで、会場で展覧会の申し込みが、殺到したとまではいいませんが、相当来まして、結局、それぞれ国が違うんですが、イタリアのジェノバとミラノとスイスのベルンとコペンハーゲンで4つの画廊が決まりました。それを消化して、作品を持っていっているわけじゃないですから、その都度、ある一定期間その地にとどまって制作して、それを展覧会して、また次に移動していくという生活を約2年続けたものですから、ベニス・ビエンナーレ以降2年間、イタリアを中心に移動しては生活するという状況があるわけです。
 生活をしながら見ていたものですから、都市の成り立ちとか、一番卑近な例でいいますと、街へ入ったら何が中心で、どういうふうに構成されているかということにすぐなれないと生活できない。それで制作もし、いろんなことをするわけですから、都市の厚みとかおもしろみというのを堪能したわけです。
 そういうことで移動して生活していたものですから、都市に非常に興味を持った。それから、現代美術的なアートというのは、生活感にはなかなか密着していないですけれども、それでも昔の美術というのはヨーロッパの場合はルネスサンス期から都市に密着してあるということを、随分感心しながら観察して回ったわけです。



 そういうアートとか建築というものが、ヨーロッパの中で何で大事にされるかというと、イタリアなんかを例にとるとわかりやすいですが、それが今観光資源の目玉になるわけです。だから、アーチストも非常に大事にしてくれるわけです。
 街の色どりをつくっていく。橋にいろんな彫刻がついたり、広場に行きますと、彫刻があって、そういうものが環境の1つの重要な形成要素として成り立っているということに驚きもしたし、非常に親しみも覚えた。私自身のことからいいますと、環境に対して少し働きかけるアートをこれから目指そうとそのとき考えたわけです。
 ヨーロッパはそういう意味では十分なことをやられている。そのときの東京、日本というのは、1970年ぐらいですから、余りにもそういう配慮がなく都市ができている。ヨーロッパの都市は非常に長い歴史があるわけです。つまり、何千年も前から都市生活になれているわけです。
 何で都市生活になれているかというと、いろんな民族がいますので、民族の抗争が非常に多くあった。すなわち都市というのは1つの城砦都市みたいなものがもとになって発達していくわけです。したがって、過密なスペースの中に多くの人が住んで、それの外側を城壁が囲っている。そういう中で生活していますから、自然とアパートメントに住むという習慣が何百年も前から続いているわけです。日本に比べて火災や地震がないですから、今でも残っている。
 だから、イタリアなんか特にそうですが、ちょっとこの建物はというと、もう、すぐ何百年もたっている。300年、400年ぐらいの家に実際に市民が生活しているわけです。
 都市生活というものになれている。そういうコンパクトなところに住むということになれていますと、個人の生活をそういう中でやるんですが、結局、パブリックなスペースがないと息が切れてしまうということが心理の中にあると思うんです。
 したがって、日本では考えられないほど公園や広場というものが重要になってくる。その中でみんな解放感にひたるわけです。例えば、会社が終わって夜な夜な行くのは、広場を中心にした近くのバーで、酒を飲んだり、コーヒーを飲んだり、歌ったり、そんなことが生活感の中に入っていくわけです。
 したがって、広場というのはどこでも充実したスペースになっているわけで、その中で美術家は、例えば噴水のデザインとか、そこに繰り広げられる広場のパターンを考えたり、テーマデザインを考えたりする。それが密着した形で、生活感の中に溶け込んでそういうものが成立している、ということに関心が行くわけです。
 日本は別の面でいいところもいっぱいあると思うんですが、近代になり、戦後特にそうでしょうけれども、都市生活にこれから我々としてもなれなければならないし、そういう中での生活をつくり出すのにどうしたらいいか。環境をすごくおもしろくしていく考え方はないかなということで、私は約27年ぐらい前、ヨーロッパから帰ってきて1年ぐらいしてから、環境美術研究所というのをつくるわけです。
 そこでいろんな仕事を展開していくわけですが、そういう中の1例をきょうはごらんいただいて、それにコメントをつけていきますので、それをお聞きいただいて、後で質問でも受けたいなと思っています。



(スライド1)
 これが最初にお話しした「位相−大地」という作品です。手前に穴を掘って、出た土を向こう側の円筒の部分に積み上げました。これにはどうしたかといいますと、ベニヤの型枠をつくって、その中に、出た土をほうり込んで、水を少しくれて、踏み固めて、その間にセメントの粉をパーッとまいた。そういうプロセスで積み上げたものです。途中から型枠が壊れそうになりまして、それを縄で結わえて、圧力をサポートしたり、そういうことはありますが、そんなプロセスでつくったものです。
 ここでいっておきますが、これは今ありません。戻しました。今は安心感を持ってこれは傑作だといえます。見ることができません。よく間違えてこれを見に行く人がいるらしいんですが、ありません。この写真しかないから、あしからず。

(スライド2)
 これはべニス・ビエンナーレに出したものではありませんが、同種の作品です。ベニスの作品は、今はデンマークのルイジアナという美術館に設置されています。これは一宮市民会館というところの1階のテラス、屋根の部分が広場になっていまして、その先端のところにこれが設置されている。

(スライド3)
(スライド4)
 今ディテールの方が先に出てしまいました。これは日大生産工学部というところでつくった「風景の指輪」というタイトルのものです。材質は黒御影石を6つのパーツにばらしてつくりまして、それをまとめたものがこれです。「風景の指輪」とタイトルをつけていますが、どういうことかといいますと、自分のはめている指輪を風景の方にどんどん拡大して持っていって、いい位置でポンと置くというのがイメージの中にあります。
 この種の作品はフレーム効果とか額縁効果とかいいますけれども、同種の構造といいますか、作品の系列は、北斎なんかがよくかいている桶屋の絵とか、手前に松が来て、そこから富士山を見るような「富嶽三十六景」のテーマと近いものがあります。北斎から影響を受けたというわけではないんですが、そういうやり方は結構日本の美術の中にはいっぱいあるんじゃないかなと思い出しますということです。

(スライド5)
 これを見ていただいて、次に行きましょう。

(スライド6)
 これは奥久慈憩いの森という公園の中心部です。これは茨城県の県営の公園です。自然公園という形になっていまして、それの山頂部分にこの記念塔広場というのがあります。これは昭和の森記念事業の一環で、山頂部にこういう柱が4本ある、それで構成されている広場があるわけです。山の上ですから登っていくのに非常に疲れるんですが、そこに行ってみると、パッと開かれて、こういう一種の造形物がありまして、そういう空間に出ますので、人が解放感を感じて踊ってみたくなる雰囲気がある。

(スライド7)
 これはたまたま作品の撮影のためにやったイベントです。たいまつを持って1人の女性が踊り狂ったというか、それの残影効果で、シャッターを開放の状態で置いておきますと、こういうフィルムができたということです。火祭りとか、そういうイメージになります。

(スライド8)
 ちょっとずれていますが、上の部分だけ見ていただくと、夕景に映えているモニュメントの場所です。夕方から夜にかけての一瞬の間こんな光を放つわけです。

(スライド9)
 さっき広場の中にいろんな造形物云々があって、イタリアなんかでは楽しませてあげるんだということを実証的にやらなきゃいけないんですが、それの1つかもしれません。ここには「待ちぼうけの石」と書いてあります。ここではおしりだけがきれいに彫ってあります。したがって、ここでは見ることが目的ではなく、さわることが目的です。ここに来ますと、皆さん、おしりをなでて帰るということになるわけです。前から見ますと、ほとんど石の固まりに見えるわけですが、後ろにリアルにおしりだけが彫ってあって、「待ちぽうけの石」というタイトルがついているということです。これは藤沢の、こちらに見える東急ハンズの後ろ側の住宅棟の一部に三角広場がありまして、そこに置いてある等身大の彫刻ですね。

(スライド10)
 これも長い話になるわけですが、現代計画の藤本さんという方たちと、水戸の住宅シリーズをずっと手がけまして、私どもが足元の部分のランドスケープを担当してつくり上げていったものです。双葉台公園という近隣公園で、これは約2.3ヘクタールありますので、かなりの大きさです。その大きさをできるだけ保持するために土の山の山脈を外周にめぐらせて、あとは全部芝生で覆ってしまったという形になります。したがって、土工事と植栽工事があるだけで、ほとんどお金が余ったというか、意識的に余らせてまして、それを造詣物に使っています。

(スライド11)
 こういうものも1つの遊具の設定です。遊具というのは日本では砂場とブランコとすべり台が三種の神器といっていますけれども、これなんかは役所向きではないわけです。ちょっと困るという感じです。遊び方を具体的に示してない遊具っていうのはあるかということですが、結局、遊びを誘発する遊具というとらえ方で私どもはやりました。これは星型に並べてありますが、円形になっていたり、三角になっていたり、そんなものが列石であるわけです。列石というのは世界じゅうにあるので、一々話す必要がないかと思います。
 今「オーパーツ」という言葉があります。それは未確認な物体といいますか、人工物、そういうものを探して歩くグループがあって、オーパーツというんです。そういうものの1つにも思えるかもしれません。古代遺跡とか、そういうもの、日本でもピラミッドがかつてあったんじゃないかとか、あの山はピラミッドだったとかいう話が幾つもあると思いますが、そういう古代の遺跡と見間違うようなものを我々随分つくっていますので、オーパーツの現代版みたいな気もしないではないです。

(スライド12)
 これは、新幹線が新潟まで延びました。新潟の駅前広場の計画の中でつくった「水の神殿」というものです。

(スライド13)
 これは、新潟に行かれたら、南口の方に出ていただくと、こういう駅前広場になっていますから、見てください。水がいろんな出方をしまして、1つの景色にはなっていると思います。

(スライド14)
 千葉工業大学の新しいキャンパスがそっくり、岡設計の設計でできまして、その中央広場のところにつくったのがこれです。工業大学ですから、工業大学にふさわしいものをつくってくれといわれまして、いろいろ頭をひねりまして、メビウスの輪を利用したわけです。帯を1回ひねって両端をくっつけ合わせますと、どこもかしこも裏と表がなくなるんです。それを称して「終わりなきドーム」という無限大みたいな言い方がされますが、これは「永久の門」とタイトルはつけております。
 上の部分にいろんな映り込みがございまして、この周りは歩けるし、通過できますが、1つの広場アクセントになっていると思います。

(スライド15)
 これは、先ほど谷口さんの方からお話を出していただきましたが、東京都庁の第1庁舎と第2庁舎の間が人工地盤でできていまして、それが広場になっています。そのかたわらにこういう部分をつくってあります。

(スライド16)
 ごらんいただくように、水が噴射されていまして、それがちょっとカーテンとかレースみたいな形になっています。ここで一番難しいのは、超高層の間はビル風がすごい。したがって、噴水は普通下から吹き上げて、上に行って失速して落ちてくるわけですが、それをやりますと、ビル風でほとんどの水が池から外にはみ出してしまう。人が歩いてくると水びたしにされる噴水になっちゃうわけです。ここではノズルを全部つけまして、水をできるだけ早く水圧に力を与えて落とすということで、水の飛しょうを防止しているわけです。

(スライド17)
 この辺は、世田谷美術館の壁泉です。これは建築が内井昭蔵先生ですけれども、内井先生の建築をあまり乱しては悪いと思って、できるだけ順応した形で仕事をした、いい子に仕事をしたわけです。建築の石張りの目地割りを踏襲して、ここで1回乱しています。ここは当然むくの石を使っていますから、力強い石の厚みがあるわけですが、それをここで少し乱してまたもとにその目地を順序よく踏襲していくような形態になっています。
 これはグランドレベルがこちらですが、B1の部分にちょっとしたプラザがありまして、そこに至る落差を利用してこういう水の壁泉、カスケード、そういうものをつくっているわけです。

(スライド18)
 フィルムがちょっとブルーっぽいですが、これで見ていただく方がわかるかもしれないです。これがB1の部分の床です。こちらは手すりがありますが、向こう側がフラット面で、あちら側が美術館です。水音がすごく快くしています。つくった直後は結構撮影に使われた場所ですが、もう12年〜13年たっていますので、かなり落ちついてきています。

(スライド19)
 そのときに美術館の顔を環8の方に少しでも出したいということで、東京都の敷地を世田谷区が一部借りてつくった彫刻です。今は設営のやりとりがうまくいってなくて、木の中に隠れています。環8の渋滞のさなか、ちらっと見かける人はいるかもしれません。

(スライド20)
 ここは塩釜総合体育館の前の庭を設計しまして、そこに造形物も含めて設置したものです。ごらんいただくように、ここの部分は入り口の部分です。ガードマンがわりに、「待ちぼうけの石」みたいなものですけれども、人を抽象的に表現してあります。「守護の石」という題をつけてあります。一種のガードマンみたいなイメージになっているわけです。

(スライド21)
 ガードマンがありまして、こちらはベンチ的なものです。それからほかの彫刻があります。このペーブメントはちょっとでこぼこをつけてあるわけです。身障者用のブロックにもボツボツみたいなものがあるし、帯状のものが持ち上がっていますが、それと同じように、わずか5ミリぐらいの凹凸ですが、それが線状にうまく並べますと、こんなような日本庭園のイメージになっています。
 塩釜の体育館の海側といいますか、そこがちょうど松島です。だから、松島のテーマみたいなものに沿ってつくってあります。

(スライド22)
 これはおじさんが立ち上がろうとしている瞬間です。ちょっと不明な、何となくぎこちない写真になっています。この松島の塩釜市というのは、何といっても松が多いですね。松島は自然に松が多いという気がしますし、そういう古木が生えている。古い松が生えている。それをできるだけ生かしながらこの庭は構成されていると考えてください。

(スライド23)
 これは、松島のテーマから拾ったものですが、「長寿の門」です。長寿岩というのが近くにあるんです。松島の1つの島が水でうがたれて、穴があいている。そこを船でくぐるような岩があるわけです。そこは長寿岩というんですが、それにちなんで、ここは「長寿の門」というふうにしてます。この辺のおじいさん、おばあさんが朝よく散歩するんですが、必ずここをくぐってもらうようにしています。そうすると、長寿になるというわけです。そういう冗談もいっぱい入っています。この辺は夜光る、1つのいさり火というような照明灯が入っています。

(スライド24)
(スライド25)
 これがほぼ全体です。もっと手前もあるんですが、大きく見ると大体こんな感じになっているということです。

(スライド26)
 最近公園を手がけることも多くなってきていますが、公園内を歩く道、遊歩道とか、園内道路みたいものがあって、歩くための道ですが、それを造形的に処理しようということで、こういうふうにやりました。これはコンクリートのはけびきで、お金としてはほとんどかけられていないんです。いろいろ工夫することによって、1つの遊びに誘い込むという考え方でつくっているわけです。

(スライド27)
(スライド28)
 全体はこんな感じです。これは北九州の方です。

(スライド29)
 これは噴水です。それとゲート的なモニュメントがあります。この辺も米軍が接収していて、それが返還されて公園になると、なぜか平和公園という形になるんですが、それの1つです。

(スライド30)
 ここはちょっとまた不思議な場所です。ちょうどわんを持ってきたような形になっています。逆円錐になっている形です。これは多摩霊園の御霊堂という共同墓地です。建築は、先ほどお話ししました内井昭蔵先生です。その中に入りますと……

(スライド31)
 こういう部分があります。私の担当したのはこの彫刻と噴水、これは水が出ています。それから、納骨されているスペースがロッカールームみたいになっているわけです。それを隠すべく界壁というのを設けています。これは5段にわたって張りまして、両側にロッカールームがずっと並んでいるわけですが、一般の人はこの広場、その部分までしか入れません。納骨時にのみその近くに寄れるんですが、あとは間接対面といいまして、この広場のところから拝むか、外側から拝むかになるわけです。ここでは直径が60メートルぐらいありますので、大変な面積の壁画と真ん中の円錐状の石の彫刻をつくりました。
 上は天窓です。これは当然雨が入らないようになっていますが、光も採られるようになっているし、人工光はほとんどないので、こういう自然の光がそのまま円錐状のところに当たって、周りがちょっと薄暗いんですが、こんな雰囲気になっている。常に水音が聞こえるようになっているということです。

(スライド32)
 ここの部分は、お風呂場によく使うタイルがありますが、あれをぶち割って、乱張りと称して、点々でつくり上げたものです。

(スライド33)
 上から見ると、こんな形になっています。これはまだロッカールームがセットされない状態ですので、ちょっとわかりにくいんですが、今はこういう角度で見えるところがないものですから、全体の構成をわかっていただくためにこれを持ってきました。

(スライド34)
 突如、霊園からこちらに来るのはちょっと苦しいんですが、ここは大阪エアターミナルの地上と地下を使ってできているモニュメントです。関空に行く乗りかえ口と、JRとバスがここから発着するようになっています。高速道路も近いし、いろんなジャンクションみたいな位置にございまして、その中でのモニュメントということです。フライングマップというのがあります。JALはどういうふうに飛ぶとか、全日空はどういうふうに飛ぶ、そういうフライングマップの1つをよく見ていただくと、アーチ状にいろんな場所を移動して歩くものを立体的に造形化されていると思っていただけるんじゃないかと思ってます。

(スライド35)
 これはステンレスの色彩を用いてつくってあります。

(スライド36)
 これはよく見ますと、模型です。制作の前につくった模型です。ほとんど実物と変わらないです。

(スライド37)
 ここから、最近の作品をできるだけ持ってきました。名古屋に平和公園というのがあります。ここは戦後50年たってやっと墓地の整理がついてきたということです。名古屋は100メートル幅の道路で有名ですが、あれをつくるために一番ネックだったのは、お寺さんにいかにどいてもらうかということだったらしいです。それがために、平和公園という形で墓地をずっと整備しまして、1カ所にまとめたわけです。それの完成記念という形で21メートルの塔状のものをつくらせてもらったわけです。これは石組みでつくってありますが、構造は実に現代的で、PCでつくってあります。芯はPCの円筒状のものを積み上げられまして、それがピアノ線等で締めつけてあるわけです。それで耐震構造をやって、外側にはこういう石張りをしています。

(スライド38)
 ディテールを寄って見ますと、こんな表情になっています。1枚1枚の自然石がこういうふうに加工されて張りつけてあります。ところどころ、こういう穴状のものがありますが、これはちょっと内部には入ったことがあります。

(スライド39)
 中からのぞきますと、中に入れるようになっていますので、見上げますと、こんな形で、上にプリズムが仕掛けてあって、先ほど開口が出たと思いますが、そこにはステンドグラスがはめ込んであります。ステンドグラスといいましても、色つきガラスがはめ込んであるわけです。

(スライド40)
 そして、春分の日と秋分の日、春と秋のお彼岸のときに、この部分に虹が落ちるわけです。これはたまたま犬を連れてきた人がいますが、秋分の日にこの部分に虹が落ちるというのが一応みそになっています。何時にセットするかというので、一番確実なのが12時ということですが、2時まであってもいいんじゃないかということで、12時から2時の間にここに焦点を結ぶというふうに設営してあります。今も行ってみますと、確実にそうなっていますから、行かれる人があったら見てください。

(スライド41)
 中をのぞくとそうなるということですが、これはらせん状にずっと上まで延びているということです。この部分では一番太いんですが、直径2メートル20ぐらいの円筒になっています。これは石組みになっていますが、ベンチがしつらえてありまして、広場を囲んで4つあります。

(スライド42)
 これの方がわかりやすいですね。このようなベンチがモニュメントを囲んで4つあるということです。

(スライド43)
 これも最近できたほやほやですが、埼玉県の志木市。ちょうど私の郷里に当たるところです。そこが再開発されまして、全体の再開発は20年ぐらいかかっているんですが、その仕上げのときにこういう造形物をつくらせてもらっているわけです。これは雲をイメージしています。

(スライド44)
 こちらに花びらみたいな形のもあります。

(スライド45)
 全体はこういうベディストリアンで構成されている広場というか、駅前の設計の中での話ですが、ここはタカハ都市科学というところが全部まとめまして、私どもはその演出の部分でちょっとかかわった。だから、私どもがやったのは、ここに切り絵がございまして、これはガラスなんですけれども、そこに着色されたエッチング、こういう志木市の48景というのを、池田先生という昔の恩師がかいていましたので、その人の作品を提供していただきまして、やりました。照明灯なども我々がデザインしました。

(スライド46)
 全体はこんなような形です。今は丸井となっていますが、これが再開発ビルです。キーテナントが丸井です。こちらにモニュメントがあり、この部分、2階の部分ですが、一種のプラザみたいになっていまして、モニュメントの下に星くずみたいなファイバーグラスといいますか、ファイバーの点光源の光があります。

(スライド47)
 モニュメントは「四季のパビリオン」という名前をつけています。このエッジの部分にもライトファイバーというのを仕込んでありまして、このモニュメントの特徴は外側が半球をアーチ形にカットした形で構成されていますが、内側もなぜか鏡面で磨いてある。内側の鏡面というのは、皆さん見たことがあると思いますが、人がここに立ちますと、中空に浮くような感じになるんですね。ちょっと奇妙な引っ張られるような感じになるわけです。しかも、全体の風景が映り込んで見えているので、ちょっと不思議な感じになるわけです。足元には星くずといいますか、先ほどのファイバーの点火源がかがやいています。

(スライド48)
 中からのぞくと、これは広角レンズで撮っていますから、こんな感じじゃなくて、もう少し包み込まれているんですが、こんな映像を結ぶことができる。これは我々考えるときにコンピューターグラフィックでやったんですが、これがほとんど変わらずにできまして、コンピューターグラフィックのすごさをよく認識したわけです。
 スライドは以上です。



 大体話としてはこんなところであります。あと幾つかのお話をして、それから皆さんの質問を期待して終わりたいと思います。
 最近、何をやっているかということはさておき、今私が凝っているのは、ここでお話ししていいかどうかわかりませんが、いろんな方がおられるので、少し縁があるかなと思ってしゃべります。環境美術館というのを構想しています。それはどういうのかといいますと、27年ずっと環境美術をやってきましたので、膨大な資料と模型と彫刻と絵画を持っているわけです。いってみれば、11トン車で3台分ぐらい持っている。それを今羽村の方の倉庫に入れてありますが、50坪の倉庫をいっぱい持っているわけです。それからいろんなところにまた分散して持っている。そういったものを、市町村のどこかでいいと思うんですが、街づくりに対してアートが必要なところ、そこにそっくり寄附して環境美術館というのをつくりたいと思っています。
 それは、建物もできたら古い倉庫か何かがいい。おしょうゆをつくっていたり、お酒をつくっていたりすると、蔵が残っていたりします。それを利用して、その中に今いったような資料とか模型とかを展示して、それまでに至る道で、幾つか環境美術でやってきた実物を実現するという構成で、環境美術館というのを考えているわけです。
 これほど長く、しかもかなりの多大な数のモニュメント類を世の中につくって置いてきちゃったものですから、置いてきたって、頼まれてやったんです。自分でただやったわけではない。そういうことが一挙に理解できるような博物館というか、美術館、生きた美術館みたいなのをやりたいなと思っています。縁があれば、市町村の街づくり等で目玉が欲しい、人を寄せるにしても、アートではなかなか無理なのかもしれませんが、そういう中でぜひ使いたいということがあったら提案していただければ、我々と接触していい関係になれるかもしれません。そんなことも考えております。
 環境美術館の話は質問でもしてもらうと、ノリよくしゃべれると思いますが、今はその程度にとどめておきます。今ご覧いただいたように、スライドは一部のもので、全国で450カ所ぐらいにやっていますので、スライドでとてもお見せできないと思います。これはわずか50枚ですので、幾つかのサンプルを持ってきたにすぎません。
 私の考えている環境美術といいますか、アートというのは、結局、皆さん、環境をつくるために、あるいはいろんなスペースをつくるためにいろいろ努力されていますが、私どもアーチストとして手伝えるのは、環境に対して、簡単にいえば、アミューズメントの部分を担うということだと思います。道路をつくったり、公園をつくったり、建物をつくったり、どうしても利便性とか機能性、その他必要なことを先に解決していかなければならない。そうした中でどうしてもやり残してしまう楽しみの領域、そういうものを環境美術というか、我々みたいな人間が担う必要があるんじゃないかと考えています。
 数年前、特に立川ファーレの北川フラムという人が中心でやりましたけれども、そのあたりから「パブリックアート」という言葉がかなりはやり出しました。バブルの影響もあって、現在はそれも少しへこみつつあるというのが現状です。そういう中で、アートが少し街の中へ出てきたという感覚なのではないかと思います。
 よく話に出ますフランスは、グラン・プロジェというのがありまして、古い建物を改築したり、その中にアーチストを組ませたり、そういうことでパリの改造を積極的にやっていると思います。当時大統領だったミッチュラン初め、フランスあたりですと、そういうものに対して非常に造詣が深いものですから、アートを重要な場面に必ず取り入れてもらえるわけですが、日本の現状ではちょっと弱目というのが正直なところではないかと思います。まだまだお飾り2次的なものという捉え方だと思います。
 そういう中で、我々みたいな人間もいまして、活動しています。皆さん、そういう立場でお仕事をされている方が多いと思いますので、できるだけこういう機会に知っていただいて、私ども環境美術といわないまでも、いろんなアーチストやそういうものが世の中にはいますので、そういう人が担える部分が随分あるかと思うんです。
 アーチストの初めというのは、頼まれないでも考える。頼まれないでも絵はかいているわけです。したがって、創造性というのは、アーチストによっては物すごくあると思うんです。そういう人は自分の食事を倹約してでも芸術活動に邁進して努力しているわけです。彼らの意欲が画室の中で終わってしまうのが非常に残念ですし、町場の画廊で展覧会をするとか、団体展に出すとか、そういうことだけでは非常に残念な気がします。我々もそういった意味で、アートが街の中にどういうふうに使われるかという実験をしているつもりです。今見たスライドがそれに該当するかどうかはわかりませんけれども、それを少しずつ皆さんに知ってもらうということが大事で、それからいろんなことが出発するのではないかと思っています。
 一口にアミューズメントになっているといいましたけれども、アートの中にはいろんな要素があります。したがって、アミューズメントの部分もあるし、非常に精神的な領域もあるだろうし、もっと「きれいだ、美しい」という部分もあると思います。それは各アーチストによっていろいろだと思います。そういう人を起用したり使ったりすることによって、空間の質は大分変わってくるんじゃないかと思うんです。
 そういうことを蛇足ながら加えて、簡単ではありますが、きょうはこの辺にしてもらいます。あとは質問という形で話が展開できるとありがたいと思っていますが、いかがでしょうか。(拍手)



フリーディスカッション

谷口
 どうもありがとうございました。
 いろんな事例を見せていただきながら、空間の質の豊かさのようなことについての問題提起をなさったというふうにお伺いしました。お話についての質問、あるいはいろいろご意見、今のお話を発展させるという観点でも結構ですので、ご意見をいただければと思います。

國武(ナブコシステム)
 私は埼玉県の蓮田市という人口が6万5000人の町に住んで、20年来になるんですけれども、そこに元荒川という川が流れております。そして、東北自動車道の蓮田インターチェンジと蓮田駅から5〜6キロのところに黒浜沼という沼があります。2つありまして、面積は2つ合わせて5ヘタールぐらいです。周辺をずっと見ますと、全部で50ヘクタールぐらいの湿地になっていまして、そこを何とか公園をやりたいなということで、県の方にお願いしているんだけれども、県の方の予算も、こういう時期ですからなかなか難しいということです。そういうこともありまして、先生にぜひ現場を見ていただいて査定してもらいたいなという感じがあります。
 今、樋口さんという女性の市長さんが一生懸命頑張っておられて、出来れば助けていただきたいなと思ってちょっと質問いたしました。後で時間がありましたら、少し詳しい説明をさせていただきたいと思います。
 先ほどご提案のありましたああいうことができるかどうかわかりませんけれども、実は農業との関連が非常に大事だと私は思っています。私は昔、地域振興整備公団というところにいて、日本全国で工業誘致の他面開発計画などをやっておりました。今は定年でやめていますので、町づくりとかに参加していきたいなと思っているものですから、ご指導をお願いしたいと思います。

関根
 答える筋のものではないんですが、私は、大宮で生まれまして、その後内間木村というところで育ったんです。それがちょうど荒川の、多分川口の対岸になりますから、その下流で育ったというべきかもしれません。だから、蓮田から流れてくる川のどこかで育ったはずです。したがって、荒川の風景は僕もかなり覚えています。先ほど水戸のシリーズで公園が出てきたと思いますが、その中で一番重要だったのは原っぱのイメージです。子供のころですから、当然公園なんていうのは近くになくて、草が物すごく生えていたり、作物が植わっている部分を駆け回って遊んでいたわけです。結局、一番豊かなのは何にもない原っぱの方だと思って、ああいう公園も展開したわけです。そんな記憶が戻るような何かがあるといいと思うんです。
 お手伝いできるかもしれませんし、どうかわかりませんが、一度お話を聞くことはやぶさかではありません。

赤松(藤沢地区市民会議)
 街づくりの活動をしています。
 先ほどの志木の作品を見せていただいた感想ですけれども、事業が始まる前に行ったきり志木には伺ってないものですから、張り出しの日よけのテントをせり出した八百屋さんの軒先を歩くような駅前の雰囲気が大分変わったんだなということを感慨を持って見せていただきました。
 最後の方で、環境の作品を蔵や倉庫を使って展示し、活用していきたいというお話があったわけでございます。私などが考えておりましたのは、1つの蔵とかそういうところにあえて置いてみたいというお考えがどういうところから出てきたのかということと、全国各地で作品をおつくりになって、それぞれの場所性とか、時を刻んで時代性を持ってきたりとか、風雪にさらされた変化があった、そういったものを新たな拠点性を持った展示をされることで、再構成をされる部分がかなりあろうかと思います。その辺をどういうふうにリコンストラクションしていくかということをお考えがあったら、ちょっとお伺いしたいと思います。

関根
 環境美術館の話ですか。簡単にいいますと、前に美術館をつくろうと思って、茨城県の筑波山麓が土浦の方に延びていく山の山頂部分の6000坪ぐらいまとまっているところを、まずとりあえず1500坪だけ買ったんです。それから、ちょっとばかばかしくなりました。美術館をつくるとか何かをしようとすると、すごくお金がかかるんです。
 こういうものは自分でつくるものじゃないと思ったんです。というのは、人のために役に立つようにつくればいいわけで、自分も含めてそれを残しておくということも含めて街づくりとかいろんな計画がある中にフィットする場面があれば、そこで使ってもらいたいという考え方なんです。
 だから、既にある倉庫とか、余った学校の校舎とか、そういうことを利用してつくっていくという形の方がどうも望ましいと思ったんです。だから、わざわざ新築のビルを建てて多くのお金を使ってしまうよりは、もっと整備をしながらつくっていく、お金を有効に使って、もっと生きた空間をつくりたい。
 もっと簡単にいえば、中心市街地等が今へこんでいますね。活性化してない。そういう中でいろんなところがすごく頑張って中心市街地を活性化させようと努力されていると思います。そういう中に1つ入れていただいて、役に立つような方向で環境美術館をつくっていきたい。仕事をやりながら、なおかつ自分もよくて、いろんなところがハッピーになれればいいんじゃないかという考え方です。そんな都合よくはいかぬよといわれそうで困るんですけれども。
 でも、こういうものは、私は提供してもいいよというけれども、そんなのもらいたくないという人がほとんどで、それは縁のものだと思います。そういう場面で欲しがっているところがあれば提供してもいい。そのかわり少し何かやらせてということもあるわけです。だから、そこのところも含めて、何かいい機会があればそういうことでやってみたいなと思っているわけです。
 あまり答えにならないし、まだどんどん展開できるものであるし、その場の状況に合わせながら条件をつくっていかないといけないと思っているものですから、非常にフレキシブルにとらえているわけです。
 要は、熱意のある人たちと仕事をしたいと思っているわけで、アートなんて全然おもしろくないという人だけで構成されている街にのこのこ行っちゃったときの悲劇ったら、ないわけです。そういうことも含めて少しはサポートし合える関係がとれればいいなと思うんです。
 そういう状況下でやりたい。それには資料とかいろんなものがありますので、利用してほしいということを申し上げているわけです。簡単ですけれども、そんなことで。

加藤(日本都市総合研究所)
 都市設計をやっています。
 関根さんのお話を何回か聞いて、改めて幾つかの作品を見せていただいて、1つ知りたいなと思ったことがあります。一言でいえば、関根さんの中で、ランドスケープデザインとパブリックアートをどういう違いでとらえていらっしゃるか。区別されているか。私なりに解釈しますと、かなり初期の「位相−大地」から、「空相」ですとか、近間のところでは松島の絵なども、かなりアート、パブリックアートといっていいと思うんです。それに対して世田谷美術館のカスケード、どこの公園でしたか、北九州、佐伯市、ああいうたぐい。あれに似たので、例えばイサム・ノグチが札幌でやった「モエレ沼公園」。さらに最近では、ダニー・カラバンが同じく札幌でやったのもあります。ああいうような我々の世界ではランドスケープに近い作品があるわけで、関根さんの作品を拝見していると、まさにその辺のところが一緒になっていて、冒頭おっしゃられた環境美術、そういうところに思いが込められているんじゃないかなと思います。
 私が一番知りたいのは、私自身が抱えている問題ですが、ある広場で住民が参加しながら議論している中で、「パブリックアートが欲しい」というわけです。それはよく起こるケースです。そういうときにその空間に合うアートを探していくことはなかなか難しくて、関根さんが仮に「わかりました」といって、そのパブリックアートをつくったときに、彼らはもっとランドスケープに近いものを望んでいるということが起こりそうなんです。そういうときに関根さんはどんなふうに対応なさるんだろうと。

関根
 
質問がなかなか高度で難しいですね。おっしゃっている意味は重々わかるんですが、いうならば、アートという名前をつけていますが、人々が求めているものはアートそのものではない。環境をつくっていく要素をアートに期待しているだけのことで、それはラウンドスケープでもあるし、1つのスペースということでもあると思うんです。今だけの話ではわからないんですけれども、そういうものに的確にこたえていくときに、アートというのも拡大して考えていただかないと、ランドスケープとアートというのはピタッと切れないんです。多分建築ともピタッと切れないなと思います。
 ある建築家は、「環築」といったりします。それは環境と建築が密接に関係している関係性を大事にしていくとしたら、建築の領分とランドスケープの領分はひどく怪しくなっていくわけです。怪しい関係がおもしろいと思うんですけれども。そういうことでアートのランドスケープとどういう切れ目があるかというと、職能的には分かれると思うんですけれども、意識の上では極めて接着度が大きいなと思うんです。
 ほとんど答えになってないと思いますが、そういう接点をできるだけ大事にすることの方がむしろ重要かなと思っています。住民の意識とかいろんな人の要請によって、ある事が始まっていく場合に、そういう人の話をよくよく聞いていくことが創造の、あるいは制作の原点になるわけです。それを聞いていくことが、逆に彼らの考えが創造的である場合が多いわけです。僕は仕事としてそういうのがおもしろいと思っています。人の話、つまり関係者がどういうことを考えていたかということをインタビューするのが大好きなんです。
 そういうことを聞いていくと、ほとんど50〜60%まで作品をつくったような気がするというか、イメージのもとをつくり上げてくれているなという感じがするわけです。我々はそれをちょっとヘルプする。造形的に解決したり、1つのモニュメントという形にするんだったら、そういうことができるかもしれないと思います。その街で、あるどこかの特定の団体なりがいろいろ悩んでいることが長くて強いほどおもしろいものができるんじゃないかと思っています。ほとんど答えになってなくて済みません。

長塚(長塚法律事務所)
 環境と美術と2つを切って考えるか、あるいはつなげるか。というのは、お花や何かでも、生け花などはいいんですが、のこぎり使ったり、鉄板を使ったりします。それと今の領域との関係。巨大な欠けた木の株や何か、要するに、人工を加えないで、屋敷の中に飾っておく。これと今の環境美術との関係がよくわからない。建築その他においても、そういう自然の形のものを利用して、橋や何かにする。そういう感じのいいものを利用して、補強をして使うとかということがよく行われるんですが、環境美術というものがどこの範囲でどういう定義づけなのか、ちょっとわかりにくいんですが、ちょっと教えていただきたい。

関根
 きょうはなかなか難しくて困りますね。1点でもって語られると、ちょっとわからなくなる瞬間がありまして、廃物利用的なものと、到底人工でないものを持ってくる。例えば自然石を使って見る習慣が日本の造園にありますね。石をめでるというか、あるいは木石、盆栽なんかもそうかもしれません。とにかく自然石をめでるという感覚とアートというのはどこかで通底しているというか、つながっていると僕は思っています。
 それが環境美術との関係になると、難しくなってくるわけですが、要は、環境に何か刺激を与えていくアートであると、環境美術でいいんじゃないかと思っています。めでる感覚、見立てる感覚、そういうものは実に日本の文化の中にいっぱいあると思うんです。お茶から始まってお花もそうだし、盆石とか盆栽、いろいろあると思います。そういう人工の手が加わらないであるものをめでる、見立てるというのは、利休なんかはそれを非常に評価して、それを茶道という形につくり上げたと思うんです。
 そういうことと環境美術がどこでつながるかというのは、僕もよくわからなくなっちゃったので、答えられないんですけれども、何か通底はしていると思います。ただ、その断定がどうなっているかというあたりになると、ここだといえないので、ちょっと残念です。めでる感覚とアートする感覚と環境美術の感覚も、みんなどこかでつながっていると思います。ただ、それをはっきりいえといわれるのが、ちょっと難しいなと思うんです。ただ、おっしゃる意味はわかりますし、今答えられないけど、もう少しよく考えておきますので、次の機会に答えます。

岩井(通産省通商産業研究所)
 私が50年弱住んでいる世田谷の小田急線の駅がありますが、今、そこで駅前広場をどういうふうにつくるかという話を、仕事の合間にやっています。きょうの題名の「街づくりとパブリック・アート」というのに非常にひかれて参りました。1つ前の方の質問にも非常に触発されたところですが、街づくりというのは、そこに住んでいる人間がいろいろ、関根先生がいわれたように、話をコミュニケートすることによってコミュニティーをつくっていく。それは中の問題と外から見た外形の問題と両方あると思います。
 その中でパブリックアートというのがどういう役割を果たせるのかという質問になってしまうかもしれません。これまで関根先生が、いろんな例がありまして、そこに住んでいる人間なり住民なり、主におつき合いをされていたのは、市役所とか町役場とかそういうところなのかもしれませんが、そういう人たちとの会話なり、住んでいる人たちの会話を通じて、街づくりそのもの、コミュニティーが成立する。日本の場合、それぞれの個人は組織に属していて地域に属してないといわれたりしますが、地域における人間としてコミュニティーをつくっていって街ができるという精神的な意味を込めた街の形成にパブリックアートというのがどういうふうに役立っていったか。そういうパブリックアートを通じて街づくりができてきたという例があれば、その実例を教えていただきたいのと、そういう街づくり、コミュニティー形成におけるパブリックアートの役割、こんなふうに役立つことがあった、そういうお話を幾つか教えていただきたいと思います。

関根
 こういう話は非常に難しい話だと思います。パブリック・アートはどういう役に立つんだといういわれ方をすると非常に難しい感じがします。それに即答できる人はほとんどいないかもしれません。ただ、僕が思うことは、そういういい例を体験したかどうかというのがあるかなと思うんです。
 例えば、さっきイタリアの話をしているからいうわけじゃないんですが、私がローマを散歩しているときに、ある噴水というか水飲み、奇妙な格好の魚が口をあけて、そこから水がチョロチョロ流れ出すような水飲みがあったんです。子供がその中をのぞき込んで、頭を魚に食われるように水を飲んでいるわけです。それを見たときにハッと思ったんです。ハッと思ったというのは、「ああ、絵になるな、すごいな」と。箇条書き的にはいえないんですけれども、そういうすごくおもしろい例を見ますと、アートというか、パブリック・アートが役に立っている場面がいっぱいあるわけです。
 例えば、これもヨーロッパの話で恐縮ですけれども、ある物語があって、豚と動物が、モールといわれる普通の歩行者道路にいっぱいつくって置いてある。それがブロンズでできていまして、子供は豚の体に乗ったりして遊んでいる。それは何げなく置いてあるというより、その前にラッパを持った少年が歩いていて、それの後ろに豚とか熊とか何かが続いて、道路に歩いてくるわけです。そこの豚に子供が乗ったり、つかまったりしている。
 そういう例とか、ある美術館の前に行きましたら、すごい太ったおじさんが手を出しているんです。「ウエルカム」している。つまり、「いらっしゃい。来てくれてありがとう」という感じの銅像がある。美術館に入る人は、銅像なんですけれども、それに必ず握手をして入る。帰るときも握手して「じゃね」っていって帰る。それは違和感なく、その風景の中に溶け込んでいますので、パブリックアートともいえないような、非常に小さい、圧するばかりのものではないんですけれども、ヒューマンな格好でそういうものが展開されているんです。
 そういうのを見ますと、何か意思を感じるんですね。人の意思、アーチストの意思が感じられると思うんです。
 それと同じ例はいっぱいありまして、アートといわれない領域でもいっぱいあるなと思ったのは、奈良に三月堂というのがあって、そこに雨の日に行った。高いところまで階段で行かなきゃならない。階段を上っていきましたら、雨でテカテカ踏み段がぬれていまして、すべりそうで嫌だなと足元を見たら、石に彫り物がしてある。それは唐草の文様だったりする。そのときに思ったのは、昔の職人がやったことですが、雨の日はずっと昔からあるわけで、すべって困る人たちのために、そういう唐草の文様を階段の踏み面のところに彫ってある。そのときにやっぱり意思みたいなものを感じます。意思というか、手を差し伸べている1つの意思みたいのを感じた。そういうことでお答えさせてもらおうと思っています。

末(末商会)
 小石川後楽園庭園保存会の代表の末でございます。
 最近、ガーデニングというのが非常にはやっています。それから、今先生おっしゃったパブリックアート、これが今後非常に接点、その他、生じると思うんですけれども、そういうものとの区別とか、いろいろお考えの中であるかどうか。昨日、NHKの番組の中での東農大の学長の進士先生のお話の中でも、淡路島とか、環境がすごく破壊されたところにそういうものをつくって、逆に何万、何百万という人が訪れる、こういうものもこれからの動きかなと思うので、先生のお仕事も大事ですけれども、その辺についての接点をお聞きしたいと思います。

関根
 やはりパブリックアートとかアートというのが少し世の中に入り込んできたなという胎動、そういうものを感じます。人間の楽しみというのは年々多くなっているのかもしれませんが、ゲームセンターやパチンコを含めて遊びに行くわけですけれども、年をとっていく人が多くなっていくということは、遊びの質が少しずつ変わってきたんじゃないかなと思うんです。
 先ほど「モエレ沼」をつくったイサム・ノグチという話がありましたが、イサム・ノグチさんが、「アート、芸術というのは本質的なレジャーの1つだ」といっているんです。それはいい言葉だなと思って僕は覚えているんです。
 遊びというものが年々歳々進化していくと思いますが、そういう中に芸術も1つの役割を担っているのは確実にいえると思うんです。
 だから、直島にいろんな人が見に行くとか、芸術家がやったところにわざわざ見に行くとかいうこともある。遺跡を見に行く感覚と同じように、少しずつ定着していくんじゃないかと僕は思います。21世紀になっていくに従って、日本の社会は高齢化していくのは確実なので、楽しみの仕方、楽しみ方が年々歳々、少しずつ大人向きになっていくとか、少し本質的なレジャーというものを追求していくべき時代にかかっていると思うんです。
 そういうときにアートというものが少しは役に立ってくる。本当は宗教の方が役に立つんじゃないかと僕は思って、宗教も研究しているんですが、アートもそういった意味で同じようなこともできるんではないかと信じています。

谷口
 どうもありがとうございました。
 ほぼ、予定の時間になりましたので、きょうはこれでお開きにしたいと思います。
 きょうは、関根先生をお招きしていろいろお話を伺いました。大変ありがとうございました。(拍手)


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