back

第155回都市経営フォーラム

地方分権下におけるまちづくり

講師:松本 英昭 氏
財団法人 自治総合センター理事長


日付:2000年11月16日(木)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

 

1.地方分権の意味と理念

2.今回の地方分権改革

3.“まちづくり”と地方分権

4.“まちづくり”に対する地方自治体の分権的対応

フリーディスカッション



 

 ただいまご紹介いただきました松本でございます。
 きょうは、この都市経営フォーラムで皆様方の前でお話しさせていただきますことを大変光栄に存じております。
 名簿を拝見させていただきますと、大変幅広い方々にお見えいただいているようでございます。私の話はどうしても少し法制度的な問題が多くなるかと思います。それは話の性格上ご勘弁いただきたいと思います。また、個別の、特にハードの「まちづくり」ということになってまいりますと、専門ではございませんので、お許しをいただきたいと思っております。
 今ご紹介もいただきましたが、ことし4月から地方分権一括法が施行されまして、国と地方公共団体との関係におきます新しい時代が到来したということがいわれております。
 地方分権の動きは、来年1月からの中央省庁等の再編との関連で、行政改革の一環としての視点で見られることが多いのですけれども、元をたどりますと、実はそうではなくて、もっと早い時期から、「官から民へ」、「国から地方へ」と、皆様方聞きなれられた言葉でございますが、そういう大きな時代の転換という視点から、強く主張されるようになった背景がございます。また、その方が正しい見方ではないかと思います。
 したがって、今日においても、時代の変革というか、転換といいますか、そういう脈絡の中で捉まえられるべき大きな柱ではないかと思っているわけです。
 初めに、そのことだけ感想を述べさせていただきまして、時間もありませんので、レジュメに従いまして、お話に入らせていただきたいと思います。先ほど、市町村合併のことにも念を入れてほしいという話を伺いましたので、少し時間をかけてお話をさせていただこうと思っています。



1.地方分権の意味と理念

 まず、「政治行政のシステムとしての中央集権と地方分権」についてでございます。大変かたい言葉で恐縮です。「分権」というのは、権限、権能等が分立していること、または分立させること。「集権」というのは、権限、権能等が集中していること、または集中すること、こういうことで、それ自体は大変相対的な概念であります。ただ、こういう「分権」とか「集権」というのは、何も政治行政システムだけにあるわけじゃなくて、きょうはいろんな方がいらっしゃいますが、およそ企業等の組織の中でも、「分権」とか「集権」とかいうことはあるわけです。
 組織等がありますと、必ず権限、機能等の分担、分任の関係があるわけで、そのあり方が「集権」なのか、「分権」なのかということになるわけです。それが国内の地域の政治行政の中央政府との関係のあり方としてあらわれたときに、このタイトルに掲げております「地方分権」と「中央集権」とがあることになります。
 「中央集権」とは、地方の政治行政についても、国の中央政府の組織、機構を通じて、国の職員によって、中央政府の意向に沿って行なっていくというのを原則とするシステムであり、別名では「官治」という言葉でいわれます。「地方分権」とは地方の政治行政については国の中央政府とは別の法人格を持つ統治体を認めて、その統治体にできるだけ権限、権能等を配分していく。この中には財政権能も当然含んできます。そういうことで行なっていくシステム、これは「自治」ということになります。
 地方分権の推進とは、結局のところ、こうした地方の「自治」を基本的に拡大して、充実していくことにほかならないということになります。
 ここで、「政治行政上の」といったところに特徴があるのです。近代民主主義国家における地方自治は、地方分権ということでもいいのですが、こうした国とは別の法人格を持つ統治体の存在と、その法人に統治体としての自主的な活動が認められること、これを、教科書的で恐縮ですが、「団体自治」という言葉で呼んでいます。
 それに加えまして、その統治体の中で住民と統治機構との間の双方向のチャンネルがある、別の言葉でいいますと、自同性、可逆性がある。つまり、統治者が住民の意思によってとってかわることができ、地域の政治行政が住民の意思として行われていくということ、これを「住民自治」と呼んでおります。
 この「団体自治」と「住民自治」というのが、政治行政上のシステムの地方自治なり、地方分権の当然の2つの要素となっているわけです。
 日本国憲法8章において、ご承知と思いますが、「地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。」と規定し、地方自治が保障されているとよくいわれるのは、この「住民自治」、「団体自治」の双方を保障している、こういう意味なのであります。
 ここで特に1つだけ留意しておいていただきたいと思いますのは、国の地方出先機関に権限を委任したことをもってこれも地方分権だという人がいます。これは今申し上げましたことでおわかりだと思いますが、国の地方出先機関には統治体として法人格は認められておりませんし、先ほど申し上げましたように、住民との間の双方向チャンネルがあるわけではない。その長は中央政府の任命になります。だから、これはここでいう「地方分権」とは違うもの、全く性格の異なるものであります。法律や政治学・行政学等の先生方はよくご承知のように、ディセントラリゼーション(decentralization) というのと、ディコンセントレーション(deconcentration) というのは全く違うということなのであります。
 そういうことを踏まえて、次の「地方分権の一般的必要性−特に今日における必要性」ということについて若干触れさせていただきます。
 先ほど申し上げましたような正確な意味での地方分権、これは皆様方、お聞きになって、戦後に主張されたものだろうとお思いになったかもしれませんが、実は意外とこの話は古いのです。もちろん「近代国家における」ということが頭につくのですが、近代国家となった日本において、地方分権の必要性について論じたものとしては、福澤諭吉先生が明治10年に「分権論」というのを書いております。その中でこういうことをいっているんです。「国を立つるの風に二様の別あり。細根相集りて千種万状の盤根と為り、その盤根又集まり又合して、遂に一大幹たる全国を支へて文明の枝葉を繁茂せしめるものあり。或いは一条の大幹其根を下だすこと深からずと雖ども、一種の力に由て土壌津液を吸収し、以て無数の枝葉を維持するものあり。此二様の大木、其外形は相似たりと雖ども、大風豪雨に遭ふに至て始て実の強弱を見る可し。一条の巨根は幾多の細根に若かず。」
 すなわち、木に例えてみますと、大きな木を支えるのに、1つの大きな根がおりて支えるのと、幾つかの根が集まって幹を支えるという2つがある。しかし、この2つは全く違っていて、もし大暴風雨等に遭ったり、私の言葉を加えれば、土壌の環境が変わることになったときなどに、どっちが強いかといったら、これは明らかに細根がたくさん集まった方が強い。こういう方向でなければいけない。これが地方分権を論じる所以だということをいっているわけです。
 それから、大正年間に、後に総理になられました石橋湛山先生が、大正13年にお書きになっている本に、「行政改革の根本主義−中央集権から分権主義へ」ということを書いておられます。「而して、政治が国民みずからの手に帰するとは、一はかくして最もよくその要求を達し得る政治を行い、一はかくして最もよくその政治を監督し得る意味にほかならない。このためには、政治は出来るだけ地方分権でなくてはならぬ。出来るだけ、その地方地方の要求に応じ得るものでなくてはならぬ。……我が現在の行き詰まりを打開するのは、第2維新の第一歩(―第2維新というのは、戦前ですからです。今は第3の改革とかいわれています。―)は、政治の中央集権、画一主義、官僚主義を破殻して、徹底せる分権主義を採用することである。この主義の下に行政の一大改革を行うことである」。これなんか読んでいると、今そのまま適用するような文章です。
 ですから、「地方分権」というのは、戦後、日本国憲法で地方自治が保障されたからいわれているわけではありません。すでに明治10年から福澤諭吉先生がそういうことをいっているわけです。
 今私どもがそういうことに思いをいたしてみますと、感無量のものが実はあります。しかも、この福澤先生の文章も、また石橋先生の主張も、今日の地方分権への潮流というものと相通ずるところがあるわけです。相通ずるというか、基本的には全く同じ流れの中にある。それは私も大変興味深い思いがいたしました。
 ところが、実際はどうかといいますと、明治この方、最近に至るまで、日本というのは中央集権的な政治行政システムを維持し続けた。一時的に、例えば大正デモクラシーから昭和の初期や戦後の一時期に、確かに地方分権的な動きが現実にも起こって、地方分権的な制度への方向づけがなされたことがありますけれども、基本的には日本はやはり中央集権国家であった。それは改めて私がここでいうまでもなく、皆様方もよくお聞きのとおりと思います。
 この中央集権体制というのは、1つの目標に向かって全体を引き上げていく、そういうものに合った制度なわけです。つまり、上から強力な力で全体を引っ張り上げていく。全体の平均的レベルを上げる。それから、大量、画一的な処理をするとか、大量、画一的な生産でコストを下げるとか、価値観をそろえていくとか、結果としての公平を確保する、そういうことについては中央集権体制というのはよく合うのです。その典型が教育の分野に見られるとよくいわれます。日本の小中高校の教育を見ましたら、そういうことを目指しているのじゃないかと思われるようなことを今でもやっている。
 明治以降の西洋諸国に追いつけ、追い越せといいますか、富国強兵といったような戦前の時代にあてはめればよくおわかりだと思います。戦後もやはり、戦災復興という目標をたてるとか、あるいは国民の所得向上というものに目標を定めて、日本は頑張ってきたわけでございます。その間の基本的な政治行政のシステムというのは、中央集権というものがよく合ったわけです。その時代にもいろいろ批判もあったし、いろんな問題も起こったのですけれども、それはそれで一定の評価を与えられてきたのではなかろうかと思います。
 ところが、近年に至りまして、ご承知のように、日本もいろいろありましたが、キャッチアップの時代はもう過ぎて、成熟化社会になった。そういう中で、今までのような政治行政のシステム、中央集権体制というものはもう合わなくなってきた。そこで、これから目指すべき方向というのは、「地方分権」だということになってきたいえると思います。
 こういうことから、「官から民へ」とともに「国から地方へ」といった大きな発想と原理・原則の転換が求められるようになったわけであります。
 戦後において、皆様方が教科書的にお聞きになった地方自治の必要性、例えば、@地方自治は民主主義の小学校、民主政治の基盤である、A地方自治は現地的確性、現地即応性、現地効率性を達成する、すぐそばで処理する方が的確で、早く、効率的・能率的だ、B総合的に対応できる、各個別分野に分かれて専門分化している中央政府よりも地方政府の方が総合的に処理できる。C先導的役割、要するに地方自治で先導的施行したものを全体に広げていく、そういう地方自治行政の役割というものがある、こういった地方自治の必要性も事実でありまして、その意味は今日もいささかも衰えているわけではありません。
 ただ、これらのことだけで今回の地方分権の大きな流れができてきた、その必要性が強調されるようになったかといいますと、そうではなくて、その上にさらなる重要な今日的な意義、必要性というものがあるということです。
 それは大きく分けますと、2つの視点から論じられています。1つは、中央集権体制の制度疲労とよくいいますが、中央集権体制が時代に合わなくなって、ひずみや弊害というものが目立つようになってきた。そういうことを改めていくには基本的な原理原則というものを変えていかなければ、根本的治療にはならない、対症療法では対応できないのだという見方であります。
 これはいろいろいろな面がございます。例えば価値観の問題。要するに、価値観が合わなくなると、人間として生活していて、物質的に豊かであっても、心はそれほど豊かでない、満足感を覚えない。こういうことがあります。
 画一・統一、結果の公平、同質、平均的レベルの向上等、そういう中央集権的な価値観というものが何となく人々の価値観と合わなくなってきて、個性、創造性、多様性、機会の平等、精神的安定等、そういうものの方が求められるようになってきたということです。
 また、中央集権というものによって国土に非常に不均衡が生じる。一方では過疎ができ、多面で過密の弊害が起きて、それらの対応に追われていく。また、地域の活力が喪失していくといったことがあります。
 3番目には、中央政府が国内外の両方に幅広くかかわりを持つことに伴う問題です。中央政府は日本の飛躍的な国際的地位の向上に沿った国際社会との共生などにもっと重点を置いて、国家としての機能を充実強化しなければならないし、国の中でも本当に根幹的なプロジェクト、事業等に集中的に対応していけるようにする、そういう方向で重点化を図っていくべきにもかかわらず、そうではなくて、外のことも内のこともどっちも幅広くタッチするものですから、勢い、どちらも十分に対応できない。特に国際社会への対応となってくると、日本はその対応力が弱いということがよくいわれているわけです。中央政府はもっとそちらの方に機能を純化していく。そのほかのことは地方に任せてしまうという体制をとる必要があります。
 また中央と地方、両方に中央政府がかかわるものですから、中央政府にも、地方政府にも大変なむだができるし、即応的に効率的に処理できない。こういう問題があるわけです。
 以上のような中央集権体制の弊害というものを直すには、もはや対症療法ではどうしようもない。基本的に政治行政システムを変えてしまわなければならないというのが、今日の地方分権への要請の大きな1つの視点であります。
 もう1つの視点は、地方分権というものを積極的に評価する立場からのものです。先ほど、戦後の地方自治の保障について申し上げました民主主義の基盤となるものであるとか、あるいは現地的確性、現地即応性等ということとか、総合行政とか、先導的役割といったことはこちらの積極的な評価の側面の方にすべて入ってくると思います。
 しかし、それだけではなく、今日的な視点で考えますと、地域が生き生きとして自立的に活動していくということは、国全体としての活力なり発展に結びついていく根源であろう、そういうことがあります。
 それから、これからの政治行政のあり方で、およそ地域においては、住民とのパートナーシップということが重要になってきます。地元の政府と地元の住民とが一体となって対応していく。最近ローカル・ガバナンスという言葉がよく使われます。このローカル・ガバナンスというものを目指していく必要があり、これは分権でなければできないわけです。
 さらに、今まで何でもかんでも政府がお金を出している。政府という場合、中央政府も地方の政府も同じです。住民も何でも行政に頼んでやってもらおうとする。そういう思想から、住民たちもそれに参加をして、自分たちも進んで仕事をシェアをしていくことに意義を見出す。そういうことも、分権でなければできないわけであります。この辺のことはまちづくりと非常に関連してまいりますので、後でまたお話をさせていただきたいと思います。
 以上のような地方分権の今日的必要性があるわけです。

 

 それでは、この地方分権に対する障害は何だろうかということです。つい最近も、地方分権推進委員会の諸井委員長さんが大変いいお話をされておられました。それはどういうことかといいますと、今回ある程度の大きな改革を行った。その評価について、「今回の一連の制度等の改革は、ベースキャンプをつくったものだ」とおっしゃっているわけです。この「ベースキャンプをつくった」ということについて、2つの見方があって、「ベースキャンプが設営できた」と考えるのか、「ベースキャンプの設営しかできなかった」と考えるのかということです。諸井先生がいっておられるのは、「ベースキャンプしかできなかった」という見方についてのいいわけをするならば、次の3つだろうといわれています。
 1つは、実現ができる勧告ということになると、各省庁や関係方面の了解を得て閣議で決定できるものでなければならない。閣議で決定するということは閣議で1人でも反対すればできないわけですから、それがないような内容しか勧告ができない。結局、中央省庁や関係する各方面の抵抗が非常に大きいので、本当に目指すところまでやり切るというわけにはなかなかいかなかったということです。
 2つ目に、財政の問題になりますと、国と地方公共団体の税源の配分の問題にどうしてもかかわってくるわけです。しかし、この税の問題は、政府税調とか、党税調等があって、地方分権推進委員会として具体的に踏み込めるような状態ではなかったということです。
 第3は、これは自治体側の問題ですが、自治体が千差万別であって、弱小の市町村の対応ができるかといった懸念が各方面にあった。それに対して市町村自身も腰を落ちつけて地方分権に対応するという意識があまりないということが多かったということです。
 この3つを挙げておられます。
 地方分権は、これから進めなければならないのですが、地方分権というものが進め切れないところの大きな理由だと私も思います。
 簡単に申し上げれば、地方分権の推進に対して、国の各省庁及びそれに関係する勢力の根強い抵抗がある、2つ目が、国、地方を通じる絶対的な税収不足の中で新たな税源を拡大できるような経済社会の状況になく、地方財源の充実確保の具体的見通しが立ちがたい、3つ目は、地方公共団体の行政体制と地方分権に対する確固たる意識ないしはそれに対するスタイルが必ずしも整ってない、このことは市町村合併にも関係してきます。こんなことであろうと思います。
 ただ、今般行われました地方分権の推進のための一連の制度等の改革は、今日の状況の中ではよくここまでやれたなという感じがするのも、一般的な評価ではないかと思っております。
 したがって、正当な評価としては、「ベースキャンプが設営できた」ことを率直に評価することではないかと思います。



2.今回の地方分権改革

 次に、2の「今回の地方分権改革」について申し上げます。最初の「今回の地方分権改革の道程」というのは、ある程度省略させていただきますが、今回の分権改革に向けて大きな転機となったことが2つあります。
 1つは、竹下元総理の「ふるさと創生」の考え方です。「ふるさと創生」の何がそんなに大きな転機になったかといいますと、「ふるさと創生」の基本には「地方が企画し、国が支援する」「地方が知恵を出し、国が支援する」という考え方がありました。国がモデルを示し、メニューを示して、地方がそれに従っていくというのがこれまでの考え方だったわけです。あの「ふるさと創生」で、地方が創意工夫し、地方が企画し、知恵を出し、それを国が支援するという考え方を打ち出された。これが今回の地方分権の推進に大きなインパクトとなったことは間違いありません。
 実際、この「ふるさと創生」が契機になって、第2次行革審の平成元年12月の答申、そして、第3次行革審へとつながっていった。これは事実であります。そしてそれまでの日本の状況とも相まって、先ほど申し上げたような意味での地方分権の必要性についての認識が急速に高まってきて、「官から民へ」「国から地方へ」という2つの流れがほぼ確定してきました。それが第3次行革審の審議に集約されていったということができると思います。
 そして、そういう中で経済界でも、例えば経済同友会が、平成4年12月に「地方活性化への提言」を、民間政治臨調(政治改革推進協議会)が、「地方分権に関する緊急提言」を平成5年1月に出しています。経団連も、平成5年の2月と4月にそれぞれ「21世紀に向けた行政改革の基本的考え方」「東京一極集中の是正に関する経団連見解」を出し、その中で、地方分権の推進ということをかなり強調しています。
 いま1つ非常に大きかったのが、平成5年6月の衆参両院の「地方分権推進決議」であります。今申し上げたような動きがありましたから、政治の場におきましても、地方分権というのがこれからの大きな流れだということが共通の認識となっていったわけだと思います。衆参両院で、どちらも満場一致で「地方分権推進決議」が行われた。これは非常に意味があったわけです。
 その理由は、1つは、この「地方分権推進決議」というのは、今までも政府の審議会とか、あるいは外からのいろんな提言、あるいは学者、有識者、地方自治関係者の提言等があったわけですけれども、国権の最高機関としての国会において、公式にこれが決議されたという大きな意味があった。国会決議というものは大変重いものであります。もう1つは、この中に、法律、制度の改正を含めて推進するということを書かれたわけです。「地方分権を積極的に推進するための法制定をはじめ抜本的な施策を……」とされ、「法制定をはじめ」というところに非常に意味があったわけです。これを受けて、政府でいろいろ検討し、行政改革推進本部の中に「地方分権部会」が設置され、地方分権推進法が制定されて、地方分権推進委員会が設置され、累次にわたる勧告をし、今般の一連の制度等の改革につながったわけです。
 ここで、2の(2)になるのですが、「今回の地方分権改革」というものと、今年の4月施行された地方分権一括法によります制度の整備を中心とする「今般行われた一連の制度等の改革」、この2つを区別しなければならないということを申し上げたいと思います。
 「今回の地方分権改革」というのは、その経緯の中から読み取られますように、先ほど申し上げましたような段階から、今般の制度の改革等を経て、さらに次なる大きな改革までのタームでとらえなければ、「今回の地方分権改革」というものは説明できないし、正しく認識できないと思われます。まだたくさんの課題を残しており、地方分権改革はこれからも進められていくわけでございます。その全体として「今回の地方分権改革」というものがある。今の日本の政治、行政、社会、経済のシステムに求められている新しい体制の一環としての地方分権に向かっての改革というものはそういう長いタームで考えていかなければならないと思います。
 そして、その中で「今般行われました一連の制度等の改革」を位置づけていく、こういう考え方が必要なのではないかと思うわけであります。

 

 そこで、そういうことを念頭に置いていただきまして、それでは、「今般行われました一連の制度等の改革」とはどういうものであったのかということが問題になります。「今回の地方分権改革」については、既に地方分権推進委員会がその中間報告において、中間報告は平成8年3月29日ですけれども、その段階において「明治維新、戦後改革に次ぐ第3の改革の一環」と位置づけておられます。そのように位置づけられました「今回の地方分権改革」の中で、「今般行われました一連の制度等の改革」は、まことにエポックメーキングなものであったといえます。このことをとらえて、諸井委員長は、「地方分権への扉を開いた」とおっしゃておりますし、当時の野田自治大臣は、今回は「レールのポイントを切りかえた」とおっしゃているわけであります。
 その意味するところは、「今回明らかに目標を定めてはっきりと方向を変えた。ただし、これからまだそれに向かってたくさんの作業を続けて初めて目的地に着く」、こういうことじゃないかと思うのです。そのことを1つ申し上げておきたいと思います。
 それから、内容の面で、世紀の大転換事業の1つのプロセスとして、質、量ともにそれに相応するものを含んでおります。質の面については後で申し上げます。量についても、地方分権一括法というのは、公式に国会に出す定型的な資料だけでも、1つの資料が広辞苑の2冊分ぐらいあります。その中に475本の法律の改正があって、重さにして8.7キロという膨大なものであります。初め、法律を分けなければならないのじゃないかという話があったのですが、当時の要路の方々と話していたら、やはり分権改革というのはそれだけ大変なことなんだということがよくわかっていいんじゃないかといわれました。法制的なこともにありましたが、そういうこともありまして、1冊のものになったわけです。
 地方分権推進のための「今般の一連の制度等の改革」は、共通となる地方自治の制度等における改革の部分と、それと基調を合わせた行政分野の各個別制度等の改革とから成っております。最初の共通の部分の地方自治法制、地方自治の制度、これは横割りといっていいいと思います。そして、各個別行政分野において地方自治法制の改革の考え方に沿った制度改正が行われました。例えば、都市計画法であれ、農地法であれ、何法であれ、475本のうちのほとんどがそういうものです。
 全体は先ほど指摘しましたように、世紀転換の大事業の一環というべきものと位置づけられていますから、大変広範囲で、体系的な、システマチックな改革になっております。
 改革の内容の性格としては、大きく分けますと2つの側面を持っております。1つは、地方分権ということについて、地方公共団体の事務・事業、これをよく権限という言葉で呼んでいます。私はあまり権限という言葉が好きじゃないものですから、事務・事業といっております。事務・事業や財源や人材等について充実確保していくという側面。いま1つの側面は、地方公共団体の活動や組織運営の自由度を増すという側面。これは民間でいえば、規制の撤廃、緩和といった側面と類似したものです。
 「今般の一連の制度等の改革」では、双方とも当然検討されました。両方とも検討したのですが、結果として、よくいわれるように、後者の側面、すなわち地方公共団体の活動や組織運営の自由度を増すという側面が重点的に取り上げられたということがいえると思います。
 なぜ、前者の方がうまくいかなかったのかということについては、事務・事業については、5次勧告のときにいろいろ議論になりましたけれども、基本的に日本の地方公共団体は仕事をたくさんしておりますから、事務・事業をこれ以上ふやすという方向に目が行くよりは、「もっと自由にさせてくれ」という方に目が行ったということが1ついえると思います。また、財源の面は、先ほど申しましたように、今なかなか取り上げられない。人材等については、後で申し上げますが、なかなかこなれにくかったということがあります。ちょうど政府としては公務員制度の抜本的改正について審議会で検討していましたから、地方分権推進委員会で具体的措置については触れにくかったということであります。
 後者の方の自由度を増すという点で、大きな改革がありました。それは国と地方公共団体の関係の基本的原則に大きな転換がもたらされたということと、従来国と地方公共団体の関係が非常にあいまいであったことに1本筋を通した、端的にいってこれらが大きな改革の方向であります。
 もう少し詳しくいいますと、国と地方公共団体の関係の基本は、従来「上下・主従の関係」であったものを、原則的に「対等・協力の関係」に置きかえた。
 2つ目は、機関委任事務制度を廃止する。機関委任事務制度とは何だといいますと、専門の方はご承知かと思いますが、ある事務を処理するのに、それを国の事務だと位置づけた上で、それを地方公共団体の長あるいはその他の執行機関、例えば知事さんや市町村長さんに、国の各省庁の出先機関として担当させる、こういう制度なのです。ですから、一方では公選で選ばれた人が、国の行政機関の出先機関になってしまう。上下の関係になるわけです。これはかねてから問題があるとされてきた制度です。しかし、なかなか整理できなかった。しかも、困ったことに、こういう類の仕事が都道府県では7割から8割、市町村では4割から5割に達するといわれてきました。ですから、国と地方公共団体の関係が、幾ら地方自治だといっても、まるで国の出先機関との関係と同じような形になってしまわざるを得ないという面があったわけです。これは制度としてきっぱりやめてしまう、廃止してしまうこととしました。
 3番目に、そういうことになりましたから、およそ地方公共団体が処理する事務は、すべて地方公共団体の事務であるということになりました。そこで、地方公共団体の事務を再構成しました。地方公共団体で処理している事務は全部地方公共団体の事務であり、かつてのように国の事務はもうあり得ません、こういうことにしたわけであります。その中で、取り扱いや国の関与等に若干の差を設けるものを「法定受託事務」と称し、その他の事務は全部「自治事務」と称する、こういうことにしました。
 4番目は、国の地方公共団体に対する関与等を体系的、類型的にして、その上で、それぞれについてルールを設けた。スポーツでも何でもルールがないのは非常に困るのでありまして、今まではルールがなかったわけです。ルールがないということは、優位に立つ者がルールを決めることになりかねません。それでは地方公共団体としては困ります。そこでルールをつくろうじゃないかということで、国と地方公共団体との間にルールをつくりました。それと同時に、国から地方への関与等の緩和、撤廃を進めました。また、ルールがあればその適用をめぐって係争が起こります。スポーツでもルールをめぐって係争が起こる場合と同じであります。そこで、ルールの適用をめぐる係争については、係争処理委員会というものをつくって第三者的に解決する、こういう仕組みにしました。
 その他必置規制を見直すとか、事務・事業の拡充を図るとか、国庫補助負担金制度を合理化するとか、そういうことを実現しております。そしてまた、地方公共団体の体制整備も取り上げています。このことについては後に特に市町村合併について申し上げます。

 

 そこで、「今後の課題」というところに移ります。
 先ほど申し上げましたように、なお、今後の課題が非常に多いわけであります。今後の課題に何があるか、その中に市町村合併ということもあるわけです。これだけが今後の課題ではありませんので、今後の課題について簡単にさらってから申し上げます。
 今後の課題は、大きく分けると、実体的な面と、意識や行政の処理スタイルの面の2つに分けられると思います。
 実体の面では、残っております税財源の問題。税財源をもっと地方に与えなければならない。第2には、事務・事業についても、地方公共団体の仕事は量的には大変多いとはいいながら、地方として肝心なもの、肝心な部分は、国に留保されているということです。第3には、地方公共団体側の体制整備、就中、市町村の合併であります。これは後で申し上げます。第4には、人材の確保。第5には、住民自治の視点からの制度等の改正。住民がもっと自治というものを共有できるような仕組みにしていかなてればならない、こういうことであります。
 実体の面でもう1つ重要なことは、先ほど申し上げました地方自治に共通の横割りの部分が大変進んだ制度になってきているわけですが、それに伴います縦割りの部分、各行政分野の部分が必ずしも横割りの制度で転換をしたことに沿って見直されていないものがたくさんあるわけです。例えば「通達」。「通達」というのは、言葉はともかくとして、今は「通達」で地方公共団体を義務づけることはできません。法律上してはならないと規定されています。しかし、現実には昔の「通達」がなかなか見直されていないわけです。
 そういうものを直さなければいけないとか、あるいは関与につきましても、後で都市計画のところで申し上げますが、確かに許可、認可というものは原則なくなったが、「合意を必要とする協議」がたくさん残っているとか、こういうことがありまして、全体としては確かに総論的に横割りで制度の大きな改革をして、理想に近いものにしたのだけれども、それに沿って、各個別の法律が直されていない、あるいは事務処理の仕方が見直されていない、こういうことがあります。
 以上が実体の面ですが、意識等の面では、何よりも大きいのは、国も地方も、住民も、本当に今度の地方分権の改革の、先ほどから申し上げておりますような大きな意義と、時代を変えていくのだという意識を持った対応ができていない、あるいは事務処理スタイルにも変わりがない、こういう問題があるわけです。こういうことについて今後改革をしていかなければならないということになります。

 

 そこで、今後、地方分権と関連して進めていかなければならない大きな課題の1つとして、市町村合併ということがあるわけであります。市町村合併の問題は、率直に申し上げまして、大変微妙なところがあります。日本は明治の近代的地方自治制度を創設する際に大きな市町村合併をしております。その次に、昭和の戦後に大きな市町村合併をしている。ただ、よく検討していただけばわかりますように、この2つの合併とも、政治行政の大きな変革が先行して方向が決められて、それに沿って地方制度が整備され、その一環として市町村合併が進められたわけです。
 ところが、今回の合併については、国家として制度の大きな変更が決まっているかというと、それはないわけです。ですから、市町村の合併だけをやかましくいいましても、市町村にとってみれば、「我々の方は今はそんな必要は全然感じていない。なぜ合併しなければならないのかさっぱりわからない」、これが率直なところだと思います。今度の合併推進の難しさは、「こういうことになるでしょうから、今のうちに備えておきなさいよ」というタイプの市町村合併の推進の動きであることにあります。ですから、当事者になかなかわかってもらえない。ただ、確実にいえますことは、私は市町村合併は今のうちに進めないと将来もっと大変なことになるだろうと思っております。
 市町村の合併の必要性については、私はよく4本の柱にして申し上げているのです。1つは、基本的に基礎的地方公共団体としての規模、能力の充実強化が一般的に必要だということです。それは2つの面があります。1つは、市町村に期待されている行政というものが大変高度化している、それから、技術化、専門化している。IT革命なんていうのもそうですし、介護保険の問題もそうです。それから、環境保全の問題、グローバルスタンダードとの調整というのもあります。市町村行政の段階で既にグローバルスタンダードとの調整の問題が出てきている。こういうようになってまいりますと、今の市町村の体制のままでは多くの市町村でなかなか対応できないだろう、そういうことがいえます。もう1つの面は、地方分権との関係になるのですが、仕事がふえるということよりも、地方分権というのは「自己決定と自己責任の原則」を貫徹していくことですから、「自己決定と自己責任」が成り立たないような体制では、地方分権は実現しないわけです。今の市町村がどうかといわれますと、やはり心もとない。そういう意味において、市町村の基盤強化、合併が必要だろうということです。
 2つ目は、モータリゼーションとか、交通基盤の整備とか、情報化等によりまして、明らかに昭和の大合併の時代と今日の社会経済状況は大きく変わっているということです。結局、これで何が起こるかというと、生活領域とか企業の活動領域、住民が一緒になって活動する領域、こういうものと基礎的地方公共団体の単位があまりかけ離れますと、企業活動でいえば、皆様方おわかりのとおり、同じ1つの仕事をするのに数カ所の役所に行かなければならない、これは大変ご迷惑な話でありまして、合併して1つにしてくれといわれるのも当然のことであります。地方公共団体の「まちづくり」のようなもの、こういうものを進めていきますについても、経済の活動の広がりと一緒にするのはなかなか難しいけれども、あまりかけ離れてもいいはずはありません。少なくとも生活領域とか、あるいはいろいろな活動をされる団体の活動範囲、それらの領域とできるだけ近いものにしないと、「まちづくり」なら「まちづくり」として、その他の行政分野におきましても、まとまった行政の経営体としての働きが十分にできない。成果も上がらない。計画行政をとってみてもすぐわかると思いますけれども、それぞればらばらになったのではちゃんとしたものができない。また、今日においては、地域が経済戦略を立てなければならなくなっているわけですが、地域の経済戦略というものも、今の市町村のような狭い範囲では成り立たない。これらのことは、大都市の周辺ほど強く意識されなければならないことだと思っております。

 

 第3番目には、地域のイメージアップとか地域活力の増進という面でありまして、大きくまとまった方が活力も、全体としてのパワーが出てきますし、一般的には小さいときよりも大きくした方がイメージが向上する。早い話がイベントを取り上げても、小さなところで開催するよりは大きいところで開催した方が当然に取り組みやすいわけですし、企業を含めて人々が外部からも参加することがより期待できる。
 第4番目に、率直にいわなければいけないのは、国と地方の行政を改革し、効率化していくためには、今のような市町村の体制というものではむだが多過ぎます。あまりこれをいいますと、地方公共団体の人は喜びません。「我々は効率化のために合併しなければいけないのか」ということをよくいわれます。しかし、それも考えなければいけない、私はあえてそのことをよくいっているのです。それは国、地方を通じた行政の中で、地方公共団体が7割から8割までお金を使っているわけです。その中で、地方の体制を合理化しなければ、国全体の行財政の改革は進まない。もちろん国自身も改革していただかなければいけませんが、行財政改革の推進に資するものとして、市町村合併というものもあるでしょう。ただ、それだけで合併が必要だといっているのではないということも私はいつもつけ加えておりますが、それも合併の必要性の1つであることは間違いないということです。
 こうした合併の必要性というのは、地域によって大変違います。中山間地、農山村だけの地域、地方の中心的な都市とそれを取り巻く地域、それから、大都市や大都市の周辺における地域、これらは相当違ってきます。農山村のような地域では、私が申し上げました1番目の理由が大きくなるでしょうし、大都市周辺では、地域経営体、あるいは「まちづくり」の主体という言葉の方がやわらかいのかもしれませんが、そういう意味での地方公共団体の単位、市町村の単位ということを考えて、合併が必要だという見方が強いでしょう。地方の中心都市と周辺地域については、両面を持っておりますが、生活圏における一体化という意味、そういうことが全面に出てくるかと思います。
 いずれにしても、全国を見渡して、それぞれの地域においてその理由は違っても、市町村の合併の必要性はあるのじゃないか。だから、市町村の合併というものは進めなければならないという決断をしたわけです。そういう決断をして、平成8年の1月に、それを地方制度調査会に正式に諮問をしました。諮問するについても大変な異議がありました。ただ、これは避けて通れないということを説得して理解を願い、市町村の合併に関する答申をその年のうちに出していただきました。
 それからまた、地方分権推進委員会も取り上げられ、その勧告もいただいて地方分権推進一括法でもって「市町村の合併の特例に関する法律」を改正しました。しかもこの部分だけは、公布とともに施行にしました。だから、ことしの4月を待って施行したわけじゃありません。平成11年7月に施行しています。
 こういうことでありまして、いろいろな制度の改正をしました。皆様方に一々それをご説明する時間もありませんから、一言で申し上げてみますと、住民の意向というものがより反映しやすい方向に制度改正をするほか、地方財政措置と国の財政措置を合わせて財政措置等を大変手厚くしております。細かい数字はいいませんが、財政措置だけを見れば昭和の合併のときよりも手厚いと私は思います。
 さらに、今いろいろ問題になって議論されておりますことの中で、市になる要件の人口を合併したときに、一般に5万というのを4万に下げていますが、さらに3万に下げ、かつ、市は人口要件さえあれば、連たん区域などに関係なく、合併したときに人口3万以上あれば、市になれるようにする、そういう制度の改正が考えられております。
 多分、今月中に市町村合併について今の段階での一つの方針が出されます。少し細かいこともあるかと思いますが、中身はそうびっくりするようなことはないと思います。方針的なものと両方が出てくると思います。
 こういうものを整えて、今の合併特例法の期限であります平成17年3月31日までに何とか実効性ある、成果の上がる合併の推進のための施策を進めていくこととさされております。
 ただ、私は、制度的な対応というものはすでにかなり整えていると思っています。若干これからのものもありますけれども。問題はパワーだ、パワーをつけなければ合併はなかなか進まないというのが私の持論なのです。これからはいかにパワーをつけるか。例えば、地方制度調査会が先月の答申で出しました住民投票の導入というのがあります。中身は今から決めるのですけれども、今までは、合併特例法に基づき住民から合併協議会設置の請求が出されたとき、各議会にかけて「だめだ」といわれれば、それで終わりだったのですが、そういうことがあっても、なお、住民投票に付して賛成多数であれば、合併協議会を設置しなければならないというようにしようという改正が次の通常国会で多分行われます。これなんかも、パワーをつけることになると思います。それから、政府全体としての取り組みにさらにパワーをつけることです。合併にいろいろ論議があっても、住民の合併に向けてのエネルギーがあれば合併が進む体制に持っていくのが、1つの方法であると思っています。
 そういう点で理解を得たいのですが、さっきいいましたように、先のことを見通して、将来は困ったことになりますから、今のうちに備えなさいよといったって、個人の年金でもなかなか理解が得られないですから、本当に難しいことです。けれども、理解をできるだけしていただくという方向に持っていく必要があります。「合併は結婚と同じで、双方の合意に基づくべきものだから、お互いが一緒になろうと思えば一緒になったらいいのではないか」とよくいう人がいます。私はちょっと違うと思うのです。
 合併にも2つの契機があります。全く合意だけで進めるべき合併もあります。昭和の大合併以降今まではそうだったかもしれない。しかし、今論じられていいる合併はちょっと違う。先ほどの話からも理解していただけると思いますが、日本の基礎的な行政単位をどう構成するかという視点が入っているのです。今のはやりの言葉でいえば、「国の姿を決める」ことにもなるわけです。
 例えば、アメリカのように、地方団体は自分たちで自由につくって、つくりたくなければやめたっていい、全く自由にそういうことができる。そして、その地方団体の仕事についても、全く自由ですから、一々国がどうこういういうことはないし、また、逆に財政面で支援することも少ない。国といってもアメリカの場合は連合制ですから州のことです。そういうタイプの制度をとるなら、それは1つの考え方です。そうじゃなくて、今の日本のような国と都道府県と市町村とで、「公」の機能を分担し合うような政治行政システムをとるならば、最も基本的な国全体の行政単位である市町村がどうあるべきかというのは、すぐれて国家的関心事でもあるのです。だから、一緒になりたくないから、嫌だといえば常に、それで済むという場合ばかりではないこともある。しかし、最終的に決めるのはそれぞれの地方公共団体です。強制的に、どうしても嫌なものの合併を法律で決めてしまっていいというわけにはいかないものだと思います。
 そういうことで、今都道府県でそれぞれの合併のパターンをつくっていただいております。既に10ほど出てきておりますし、今年度末にはほとんどが出揃う予定です。このパターンというのは必ずしも1つだけじゃなくていい。いろんなパターンがあり得る。現実に出てきているものの中にも、2つ、3つのパターンをつくっておられるところがあります。Aという市が、あるいはAという町が、あるパターンではここに入り、別のパターンではこっちに入るというものです。こういうものも含めて各都道府県でパターンの策定を進めていただいております。来年の3月、今年度中にはほとんど出てくると思います。
 そうしますと、そのパターンを見て、いろんな違いはあっても、都道府県レベルでおよそこの程度にまとまることが考えられる、それを全国レベルで集めた姿も出てきます。アプリオリに市町村の数を約300にするとか、約1000にするとかいう話があります。初めから約1000にするといっても、じゃ、1000が適当であるという根拠を示せといわれたら、何もないということになりかねません。だから、まず都道府県でパターンをつくられたものの全体を見れば、およそ、このくらいになるのが1つの考え方かなということが初めて出るのではないか、そういうふうに考えてきたわけです。



3.“まちづくり”と地方分権

 次に、「“まちづくり”と地方分権」の話に入ってまいります。「“まちづくり”における地方分権の意義」と書いておりますが、「まちづくり」というのもいろいろな意味に用いられております。今日の「まちづくり」という言葉は非常に広い概念を持っていますから、単に地域空間の形成、整序、管理といった意味のほかに、産業や文化の振興とか、人づくり等も含めて「まちづくり」といっている場合も少なくないと思います。
 ここでは、地域空間の形成、整序、管理といった面に絞った概念として「まちづくり」ということをいっているとご理解をいただきたいと思います。
 地域空間って、何なのか。これは皆様方専門の方が多いですから、申し上げる必要もないかと思いますが、一定の地理的範囲を、対象としてさまざまな主体の活動、人々の生活とか、事業の活動等が折り重なって展開する場というのが地域空間だと思います。概念を絞ったうえでの「まちづくり」というのは、そのような地域空間につきまして、利用秩序を定め、計画的、体系的な整序、整備、調整等と管理に当たっていく、そういうことじゃないかと思います。もっともこういうかた苦しい定義をあらかじめいいましても、さらに「まちづくり」という言葉には当然に、みんなが、住民とか市民が力を合わせて「まち」をつくっていこうという非常に単純な、素朴な概念があって、これが大変いい響きを持つことも事実でありますから、そのことには常に留意をしておかなければならないと思っております。
 こういう「まちづくり」への参与の機能をどう配分するかということが、実は地方分権とのかかわりということになってくるわけです。これは憲法を頂点とする法制度、法秩序によって定まってきますが、次のようなことだけは指摘しておく必要があると思います。
 第1に、日本の場合に、「まちづくり」についての機能に関する法律が、別個の目的を有する多くの法律、例えば、都市計画法制、建築基準法制、住宅宅地関連法制、産業立地関連法制、農地農政関連法制、環境保全関係法制、森林関係法制、自然保護関係法制その他たくさんありまして、こういうものが極めて複雑で、しかも総合性が確立されていない、総合性を確保しがたいという状況になっております。
 第2に、その中で「まちづくり」についての法制で核になっているともいわれる都市計画法制については、沿革的に見て、皆様方ご承知のとおり、大正年間、1919年にできました都市計画法は、都市計画を中央管理型のもの、いわゆる国家の仕事として規定しておりました。1968年制定の現行の都市計画法、そのときにもいろいろ議論があったところでありますが、自治管理型と、中央管理型の中間的な形になりました。最近の一連の改革(一連の改革というのは、3回ありましたから、みんなあわせて一連の改革と思っていただきたいのですが、)一連の改革を通じて、自治管理型の性格が強くなったといわれています。そして、将来は、住民、市民管理型を指向すべきであるということをいう人もだんだん多くなってきているように思われます。
 つまり、「まちづくり」についての権能というのは、「中央集権」から「地方分権」への大きな潮流にあることは間違いないといえると思います。
 「まちづくり」についてなぜ地方分権が志向されるのかということについては、単純にいえば、「自分たちのまちづくりは自分たちでやるのが当たり前」だといえば、それっきりで、それが常識じゃないか、よくそういうふうにもいわれております。ただ、先ほど申しましたように、「都市計画」イコール「まちづくり」でないことは断っておきますが、そのうえで、「まちづくり」の核となる部分は、かつては国家の事務だったわけで、沿革的にいうなら、「自分たちの町を自分たちの手でつくるのは当たり前じゃないか」ということが常に通っていたわけではないわけです。それじゃ、今いわれている「まちづくり」というものが、なぜ分権的でないといけないかということについては、いろいろなところでお話を聞いたことを申し上げることとなるのですが、次のようなことがいわれております。
 そもそも国は「まちづくり」について、その結果について、多くの場合責任を負う立場にないわけです。責任を負える立場にある者がものを決めていくのは当然の理屈であります。国は全国的な制度を構築したり、資金的な支援を行うのが限度なのでありまして、責任を負う者が決定するというのが本来の姿。とすれば、住民に対して直接責任を負うこととなる市町村がその役割を担うのは当然であります。
 世の中に、決定しない者が責任を負う制度が時々あるのです。特にある制度などは、その典型だと思っています。制度設計をする者が責任を負うのは当然なのにもかかわらず、制度設計をする者は最終的に責任を負うシステムになってないものがある。これはやはり問題で、特に「まちづくり」なんかはそういうことであっては非常に困るのじゃないかということです。
 次に、一般論として、より小さい空間単位に対応する組織の方が、より大きい空間単位に対応する行政組織よりも、より詳細で、適宜・的確な空間計画を策定する機能を有することができるといえます。
 第3番目には、よくいわれるように、都市化社会から都市型社会にと都市のあり方を変えていくことが、これからの「まちづくり」の中心課題になるわけですが、その際、具体的に各区域や市街地、あるいは近郊地域等の区域像というものをイメージできる、このことが重要なわけです。そうして「まちづくり」に取り組むこととなりますが、そのような任務は身近な自治体の方が適しているということです。
 第4になりますが、これからのまちづくりは先ほど都市計画法についての潮流でも申し上げましたように、行政主導型から進んで住民との協働型が指向されておりますが、まちづくりの目標を定める段階から地域住民自身が、創造的、主体的に参加したり、評価することなしにそれは成り立たないと思われます。そうすると、それは身近な自治体でしかできないわけです
 第5番目には、前にも指摘しましたように、我が国の「まちづくり」法制は、多様に分立しておりまして、実際の「まちづくり」においては、施策の総合性の確保が不可欠でありますが、その総合性の確保という点では、自治体の方が適していることは先ほど申し上げたとおりであります。
 このような「まちづくり」におきます分権化の必要性は、さきの地方分権推進委員会の勧告においてももちろんいわれておりますが、都市計画審議会の1998年1月の答申でも、「都市計画を決定するに当たっては市町村が中心になって主体となるべきである」と指摘されているわけであります。

 

 そこで、「今般の一連の制度等の改革と“まちづくり”」ということになるわけです。都市計画法制におきます今般の一連の制度等の改革は、先ほど申し上げいましたように、3回行われておりまして、それらをみんな含めてということで理解していただきたいと思います。つまり、今年4月から地方分権一括法による改正が施行されました。この部分は当然ですけれども、それに先行しました1998年11月20日に施行された都市計画法の改正、そして今年の通常国会で成立し、明年5月までに施行予定の改正、これらを含めてです。都市計画法だけでなく、都市計画法制以外にもたくさんございますが、特に都市計画法制に絞って申し上げております。というのも、他の法令の方は、「まちづくり」部門の改正にはそれほど内容的に注目すべきものがないものですから、どうしても都市計画法制が中心になります。
 このことを前提として、今般の一連の制度等の改革と「まちづくり」の関係を申しますと、先ほど申しましたように、今般の改正が、横割りの地方自治法制の改正を通じた改革の部分にかかわってくるものと、都市計画法制及びその他法制の改正を通じた各分野ごとの改革にかかわるものとあると思います。
 地方自治法制の抜本的改正によるものとのかかわりを申し上げておきますと、まず国と地方公共団体の関係の構造的な転換の「まちづくり」への反映ということが挙げられます。
 1つは、先に申し上げましたように機関委任事務制度を廃止しましたから、それに伴いまして、地方公共団体の事務が抜本的に再構成され条例の制定範囲が非常に拡大しているということであります。機関委任事務は条例の制定権の対象でなかったのです。都道府県知事の決定する都市計画あるいは都市計画区域の決定、その他都道府県知事の従来の権限は、すべて機関委任事務でした。したがって、この分野は今まで条例制定権の範囲外の分野、「上下・主従の関係」であったわけです。これが完全に廃止されましたから、都道府県も「自治事務」として都市計画の事務に携わる、こういうことになってきます。
 そういうことになってきますと、少しものの考え方が変わってきたのではないかと私は思っているわけです。どういうことかといいますと、これは地方自治法制全体の話ということです。今まで国の法令で地方公共団体の事務を規定している、あるいは地方公共団体の機関の事務を規定している、こういう場合は、ものの考え方として、国権の最高機関である国会が、まず中央省庁の仕事にして、その中央省庁の仕事が地方公共団体の仕事として委譲又は委任されるというか、配分される、という考え方がどちらかというと支配的だったのかもしれない。ところが、今回はそういう考え方でなく、先ほど申しました対等・協力の関係のものの考え方というのは、国が国会の法律で行政の事務を定めた場合に、それを中央政府に配分するか、地方の政府に配分するかは、それぞれの法律の定めるところによる。したがって、地方公共団体の事務とされたものは、一たん国の中央省庁の事務におりてから渡されるのではなくて、直接に国会から地方団体の事務に渡されていく、こういう考え方。これは法制的にはいろいろ議論があると思いますが、少なくとも、地方自治法制の体系の中ではそうなっているといっていいと思います。
 そこで、次のようなことがいえると思います。従来は地方公共団体が自主的に自主法等(条例等)を制定しようとするときに、その周辺の法律とのかかわりというものを領域的に見てきたわけです。こういう規定があれば、その周辺領域も我々が手を入れてはならないだろう、アンタッチャブルの領域だ、こう考えてきたところがあります。ところが、今回は法令には違反してはいけませんが、法令に違反するということは何かというと、それは同じことについて、同じ目的で、同じ対象に対して違った規定をすることが法令に違反するのであり、それ以外のことは違反するものではない、多くの場合、こういう推定ができるともいいますが、少なくとも地方自治法制上はそういうことがいえるということになっているのです。
 このように、条例の制定権の範囲が非常に広がっているということがいえます。つまり、機関委任事務制度を廃止して広がった部分と、地方公共団体の事務についての考え方の変化に従って広がっているものと2つあります。
 第2には、国と地方公共団体の関与の関係ですが、対等・協力ということで、許認可等が「協議」というふうに変えられております。ただ、「同意を得る協議」となってくると、許認可とはどう違うのだという議論がありますし、いろいろ学界で問題になっている例として、都市計画法の24条、建設大臣の指示についてですが、これなどはむしろ強化されていておかしいじゃないかと、先日もどこかでいわれました。そういう問題はありますが、全体的に緩和をされているともいえます。
 それから、国の関与等の手続について、国民・住民と行政庁との関係に行政手続法があるのと同じように、国と地方公共団体との間も行政手続法に似た手続をルール化して決めました。すなわち、手続が公正、透明になり、明確化されたという面があります。
 都道府県と市町村の関係も、今申し上げました点は同じなのですが、都道府県と市町村の新しい関係では、「条例による事務処理の特例」という制度を認めました。これは都道府県の条例によって、市町村と「協議」はするのですが、最終的に「合意」までは行かなくても、都道府県の事務を市町村に再配分することができるというものです。これは使い方によってはかなりメリットがあります。皆様方お気づきのように、「まちづくり」などの事務・事業の所管は、各法制で分野別にばらばらになっています。都道府県の権限になっているもの、市町村の権限になっているもの、ばらばらですが、実際の話、できるだけ、市町村に集めるものは集めた方がいいわけです。それは法令ではなかなかできなくても、この「条例による事務処理の特例」で、できるだけ関連する権限を市町村にまとめることが可能になってきます。
 「まちづくり」のように、面的な性格の事務・事業については、それが相当効果を上げるだろうということが考えられます。
 次に、先ほど申し上げました市町村の合併がもたらす効果です。市町村の合併が「まちづくり」の推進に大きな役割を果たすだろうということがいえると思います。
 これは2つの面がありまして、そもそも空間的広がりが前提となる「まちづくり」について、合併によってそれに合った行政単位ができるということと、いま1つは能力の問題、合併によって、特に人材、財源、そういう面で、より規模、能力をふやすことが「まちづくり」にとって非常に有効になる。こういうことがいえると思います。
 3の(2)の中で、地方自治法制以外の各分野の改革です。先ほども申し上げましたように、まちづくり関係の法制につきましては、地方自治法制を通じた改革の反映として行われたものは別ですが、独自の分野で改革したものは残念ながらあまりないのですが、その中で都市計画法制において独自の改正が行われているわけでございます。その中で「まちづくり」に関して留意することを申し上げておきたいと思います。
 まず、「まちづくり」における「法定メニューの活用」と「自主条例」との関係であります。
 ご承知のように、「まちづくり」に関する法制の多くは、都市計画法などがそうですが、「法定メニューの活用」ということを原則としております。その例外として風致地区の建築等の規制が条例でできるとか、あるいは特別用途地区内の建築等の規制、先の国会で規定されました開発許可の技術基準などのように、条例で規制の強化や緩和できるというように、法律で規定しているものもありますが、基本的に「法定メニュー主義」、法定メニューの活用が原則ということには変わりないと思うのです。
 ところが、先ほど申しましたように、地方分権一括法による地方自治法制の大幅な改正で、「まちづくり」の権能というのは大部分が「自治事務」になりました。
 また、従来は地方自治法の事務の例示の規定に、地方公共団体が建築物の構造とか敷地とか、その他住民の業態に基づく地域等に関し制限を設けることについては法律の定めるところにより行うという規定があったのです。例示ですから、この解釈についてはいろいろあったのですが、この規定があるから、この類のことは法律でなければできないのだという考え方が有力だったので、地方公共団体もそのことを気にして、なかなかそれを乗り越えることができなかったというのが実情です。
 今回は地方自治法の事務の例示のは全部とりましたから、当然その規定もなくなってしまっているわけです。
 こういうことになってきますと、地方公共団体の条例制定権は、先ほどいいましたように、法令に違反しない限り、その法令に違反しない限りというのは「自治事務」ですから、「自治事務」については法律で、「国は地方公共団体が地域の特性に応じて当該事務を処理することができるように特に配慮しなければならない」と規定されていることなどから、法令に違反する場合というのはできるだけ狭く解釈されるべきだということになります。少なくとも地方自治法制上はそうなってくる、こういうことになります。
 そうしますと、先ほどの「法定メニュー主義」というものと、「自主条例主義」というものとの間をどう関係をとるか、こういうことも議論になるわけです。従来、例えば「自主条例」では、開発許可その他の規制に関する制度と法制上結びつかないから、否定的にいわれてきました。しかし、これからはそうではなくなるのではないかと思います。なぜならば、確かに、「自主条例」は法律の開発許可やその他の制度には結びつかないとしても、「自主条例」自身の中に開発許可の制度等を規定することができるのではないか、こういう議論が出てくるわけです。
 こういうことを踏まえますと、これからの「まちづくり」法制というものは、「法定メニュー主義」と「自主条例主義」の2本立てといいますか、双方の調整されたものの体系となっていくのではないかと私は思っております。
 したがって、これもいろいろ評価があるのですが、先の通常国会で成立しました都市計画法の改正の中に準都市計画区域制度とか、特定用途制限地域制度などが盛り込まれましたが、これらは今回の地方分権一括法による改革以降においては、条例でできないのかというと、恐らくそうではないだろう。条例でも可能である。このことは私が聞いている限りは、関係省庁の間でも合意していると聞いております。そうなると、学者、識者によっては、果たして法律で定めることがて適当であったかどうか、むしろ初めからそれは地方の条例に、「自主条例」の分野に任せてよかったのではないかという見方も少なくないようです。全体的にいって、今の法令の規定密度は高過ぎると思われます。もっと大まかなものに法令はしていくべきだ、こういう考え方が、今日の地方分権推進の動きの中で、有識者の間ではかなり出てきております。
 もう1つは、「まちづくり」に関する国等の関与の問題。国等というのは、市町村に対しては都道府県も関与しますから、そういっています。先ほども申し上げましたが、国と地方の関係は対等・協力、都道府県と市町村の関係も対等・協力。そして、都道府県の事務は「事務処理の特例制度」で市町村に配分することができる、こういう体制になっておりますから、これから関与等もできるだけ整理していく方向ですが、残念ながらまだたくさん関与等が残っているという声もあるわけです。
 特に、地方公共団体の区域を越えた広域的観点とか、国土政策や国の利害に重大な関係があるという国家的観点とかいうことが関与等の根拠としていわれておりますが、今の制度のように、首都圏の既成市街地や近郊整備地帯であればおよそそうだと、そんなことは果たしていえるのかという学者の先生方の偽らざる指摘もあります。
 それから、「まちづくり」における合意形成手続についてでございます。ご承知のように、さきの通常国会で成立いたしました都市計画法の改正で、条例でもって、地区計画等につきまして、住民または利害関係人から地区計画等に関する都市計画の決定若しくは変更、又は地区計画の案となるべき事項を申し出る方法を定めることができるとか、都市計画決定手続に関する事項について、住民または利害関係人に係る都市計画決定の手続に関する事項について定めることができることが規定されました。
 もともと都市計画というものは、さまざまな人間が交錯する場のものでございますから、当然利害調整ということが必要になるわけで、その利害調整のルールづくりというのは、住民の合意と参画がなければ本来うまく行かないと思います。そういう意味で、この分権改革の目指す「自己決定と自己責任」の徹底という方向に沿った住民による「まちづくり」の前提をつくり出すものといえ、これは評価できることではないかと思っているわけです。

 

 第3の、「地方分権の一層の推進と“まちづくり”」ということですが、このことについては大体話してしまっておりますので、繰り返しは避けたいと思います。
 特に申し上げておきたいのは、これからは住民協働型の「まちづくり」になっていくといういうことになってきますと、「まち」の課題をよく認識した住民による都市の将来像の検討と専門的な知識と経験を持ったプランナーによるコーディネートが必要だろう、こういうことがよくいわれております。そして、そういうものを制度的に位置づけていく。都市計画プランナー制度とか、そういうものです。現実にも、地方公共団体の中でもサポート会議、専門家による支援組織など、現につくられているところもあります。またアドバイスなどの制度もあちこちで取り入れているようです。
 それから、一方では、住民の参画と合意形成のための仕組みについて、地域で創意工夫していく必要があるわけですが、「まちづくり条例」的なものの多くは、地域の住民の参画と合意形成をある程度行政主導で実現していくことをその目的の1つとしているようです。
 それからさらに進みますと、行政主導的なものではなくて、純粋に住民レベルだけで取り組んでいく。個人が情報を駆使して活動するとか、人々が寄り集まって「まちづくり」について協働したり、交流する、そういったものと後方の行政とが一体になって「まちづくり」と取り組んでいく。そうした仕組みを構築していく。これが「まちづくり」におけるローカル・ガバナンスだと思うのです。



4.“まちづくり”に対する地方自治体の分権的対応

 4番の項目の「“まちづくり”に対する地方自治体の分権的対応」です。先ほど申しましたように、これから「まちづくり」に対する条例等が非常に重要になってくると思います。私どもの方で調べますと、バリアフリー化の条例も含めてこの類の条例を定めている市町村の数は669、条例数が1080という数字が出ております。これらは非常に幅広い側面を有しておりますから、いろんな形のものがありまして、「まちづくり」ということを本当にずばりとテーマにしているもの、土地利用の規制や調整という形のもの、建築規制という形のもの、街並みとか景観とかアメニティー、そういうものをテーマにしているもの、環境保全、住民活動、住民参加などをテーマとしているもの、これらが大まかなジャンルだと思います。そのほか、法令を根拠として、建築基準法に基づくとか、都市計画法に基づくとか、工場立地法に基づくとか、こうした条例があります。
 これらの条例の機能というものが重要なのです。その機能の1つの面は、国の法令が分野別に分立してしまっているものですから、まちづくりの条例等(「等」というのは必ずしも条例だけじゃなく、いろいろ批判があっても要綱行政等で対応しているのもあります。)によって調整をして、調和をする。そこで創意工夫を凝らせるようにして、全体として「まちづくり」を円滑に進めていく、そういう役割を果たしている条例等があります。例をいえば、「掛川市生涯学習まちづくり条例」「湯布院町潤いのあるまちづくり条例」などがそういう面を持ていると思います。
 また、法令の適用の範囲外、対象外について必要な規制や誘導や保全等行うを条例等が見られます。これは法令の適用外のものです。法令の趣旨目的と異なるもの、あるいは適用される地域以外の地域、対象となる行為等以外の行為等について条例等で定めているものです。これは法令の適用部分とそれ以外の部分との調和を図っているものです。「岡山県県土保全条例」などが挙げられます。
 さらに、最近ふえているのが関係者の住民の利害調整と合意形成を重視して、条例でそのルール等を定めるものです。これは必ずしもそれだけを規定しているのではなくて、そこに最初に申し上げたような趣旨目的のものや、2番目にいった趣旨目的のものも合わせて規定しているのが通例ですが、住民協働型の「まちづくり」を目指しているということを反映しまして、手続部門を非常に丁寧に条文化している、そういう傾向があります。最近できました「金沢市における市民参画によるまちづくりの推進に関する条例」、「八郷町の緑豊かなまちづくり条例」等があります。また、特定の対象に限ったものとして、中高層建築物等の建築に関する条例。これはまさに調整を中心とする条例で、東京都の条例とか、京都市の条例などが挙げられます。以上のようなことが今日の「まちづくり」に関係する条例の動向であります。

 

 次に、「まちづくり」の財源の問題です。「まちづくり」に係る財源は、当然、一般財源も使うのですが、目的税で、ご承知のように都市計画税とか事業所税、鉱泉浴場所在市町村には入湯税があります。また、現在は適用市町村がありませんが、宅地開発税というのもあります。
 それから、目的税ではありませんけれども、都市計画税を取らない見合いとして、固定資産税の超過課税を行っているものもあります。
 これらの目的税等によるだけでは当然「まちづくり」はできませんから、一般財源もつぎ込むのですが、その関連として、地方財政措置として行われているもので、ご承知かとも思いますが、地方債を発行してその元利償還金を交付税で措置していくものがあります。一般的には地域が創意工夫を生かして行う地方単独事業に措置されます地域総合整備事業債を発行してその元利償還金を交付税で措置するというものがあります。それから、過疎地域には過疎債がありますし、今度合併をしますと、過疎債と全く同じような合併特例債の制度が合併市町村に適用になります。元利償還金に対する交付税の算入率も70%です。充当率が95%で5%違うだけで、あとはみんな過疎債と同じです。これは補助裏にも適用になります。こういう制度があります。そういうものを使っても「まちづくり」ができます。
 それから、いま1つ注目すべきは、今回の地方分権一括法による地方税法の改正によりまして、法定外目的税制度が導入されました。だから、「まちづくり」について、特定の事務・事業に必要な経費のため税金をお願いするということで、法定外目的税を徴収することが可能になる、こういうことです。今検討されているものとしては、特に環境に関して検討している地方公共団体があるようです。環境に影響を及ぼす行為等に課税して、環境保全等に使うというものです。
 最後に「まちづくりと人材」の話です。人材の問題は一般的にも非常に重要な話ですが、特に「まちづくり」は地域の課題をしっかり認識して、その上に立って都市の将来像を検討していく必要があるわけで、そういう専門的な知見を持った人、あるいはコーディネートしていく能力のある人、そういう人材をどうしても確保していく必要があります。こうしたことの面での対処としては、単に役所の職員だけではなくて、専門家のボランティアとしての参加とか、その他住民団体等の主体的な参加というものが望まれるだろうと思います。
 それから、役所におけるそういう人材の確保ということでは、今の制度では難しい面もあるだろう、だから、任期つきの公務員採用制度というものを早く制度化すべきであると私は以前からいってきました。そういっていたら、この臨時国会で国の方が先に任期付職員採用制度の導入の法案を国会に出しました。地方公務員の方がおくれてしまった。
 地方公共団体にもいずれ導入されると思いますが、恐らく次の通常国会では難しいかもしれません。しかし、いずれにしても実現すると思います。そうしますと、皆様方のように、大変幅広い方々の中から、多少高給で、国の場合は次官級まで給料を出していいことになっていますが、地方ならば、例えば「部長級までは給料を出しますので、20歳代の方でもここで5年間働いてください」、こういうことがいえるようになります。そういう制度を早く取り入れて、人材の確保をすべきであると考えております。
 もう1つは、法制執務における人材確保の問題があるわけです。先ほども申し上げましたように、地方公共団体の条例等の役割が「まちづくり」等で大変重要になってきておりますので、このことは地方公共団体も十分に意識しておりまして、今、政策法務ということを重視するようになってきております。このことについて、多くの地方公共団体において現実に法制執務の強化の体制づくりが進められておりますし、私どももアドバイザー制度というものをつくろうということで、いろいろ検討しているところであります。
 1時間半でといわれておりましたが、若干長くなりまして、申しわけありませんでした。
 御清聴まことにありがとうございました。



フリーディスカッション

谷口(司会)
 ありがとうございました。非常に幅広い観点で地方分権の理念から始まって一通りのお話を網羅的にしていただきました。せっかくの機会ですので、ご質問その他ご意見ありましたら、お願いします。

長塚(長塚法律事務所)
 弁護士の長塚です。この条例というのは今後ますますふえると思います。隣り合って仕事するような場合、景観とかあるいは公害とか、統一してなければ地方の幸福にはならぬと思うんですが、そういう場合に、さっきいわれた行政的な感覚か何か、そういうものでも折り合いがつかない場合にはどうするんでしょうか。

松本
 今おっしゃっているのは、法令との関係の方ですか、それとも地方団体同士で隣り合ったところで調整がつかないという……。

長塚(長塚法律事務所)
 両方ですね。

松本
 まず国の法令との関係では、国の法令がどの程度まで規定しているかによりますけれども、もちろん法令に違反してはいけないわけですから、法令に違反しない限りの話です。ですから、国がどうしても地方が独自に条例等で規定しては困るということなら、法令で規定をするということになります。ただ、先ほども申し上げましたように、「自治事務」となったものは、国の法令というものは地方の特性をできるだけ生かせるようにしなければならないという規定を地方自治法に入れてあります。ですから、そちらの方は、地方の特性というものとの調整の問題になると思います。国が法令でなぜそこを規定しなければならないかということについては、むしろ後者の方で、結局広域的に隣の町とあまり違うのは困るなどという、そっちの方が多いのではないかと思います。そもそも「まちづくり」にそんな大きな国家的利害が絡んでくるのはよほどのことがなければ、本来ないのではないでしょうか。骨格的な高速道路とかは別です。
 そうなってきますと、隣と隣の、いってみればご近所の調整みたいなものです。個人で隣人との意見の違い等や、塀が中に入っているとか、木の枝が出ているだのといったことは、しょせん話し合いで解決しますね。だから、「まちづくり」でも隣と隣の問題というのは協議して話し合いで解決する。それがうまく行かないときには都道府県に調整に入ってきてもらう。そういうことじゃないかと思うのです。

伊藤(株式会社リョーワ)
 最後におっしゃった人材育成との関連でご質問したいんですが、平成10年7月に中心市街地活性化整備改善法というのが施行されまして、13〜15省庁が一緒になって、中心市街地の活性化をやっていこうということでスタートしています。通産省の系列の方で、今大体300カ所ぐらいの市町村で基本計画ができていると思います。そして、TMO、タウン・マネジメント・オーガニゼーションという組織が考えられ、そこでタウンマネージャーという人材の育成が推進されているようですが、そのタウンマネージャーというものと、今先生のおっしゃった人材確保、国なり地方の格付の問題、その関係はどう考えたらよろしいのでしょうか。

松本
 私は、地域として人材を確保するということがまずあると思うのです。ですから、地域において人材確保する上において、地域住民、必ずしも住民じゃなくてもいいのです、外からでもいいのですが、そういう人材を地域として確保していく。逆にいうと、そういう人たちが活動して、「まちづくり」に大いに参画してもらう。参画というよりは「まちづくり」に入っていただくということだと思うのです。それは必ずしも地方公共団体の職員じゃない。
 もう1つは、地方公共団体側にもそういう人材を必要とする。なぜかというと、行政体ですから、地域をコーディネートしていく機能がなければならない。各住民のレベル、民間のレベルならば、自分たちの集団ではコーディネートということがありますけれども、集団と集団の話になってくると、コーディネートは自分たちだけでは必ずしもうまくできない面がありますから、行政側にそういう人材も必要。それらが一体となって協調して、ローカル・ガバナンスというものを築いていくということじゃないかと思うのです。
 今おっしゃったタウン・マネージャー、そういうものは民間側の人材としても大いに期待されるし、役所側の人材と一緒になって「まちづくり」の面でのガバナンスを構築していく、それは、タウン・マネジメント・オーガニゼーションの考え方と共通しているのではないかと思います。そういう方向が今後望まれるし、これからはそうならざるを得ないんじゃないでしょうか。私はそう思います。

谷口
 先ほど合併の話がありましたが、合併の要因というので、都市計画あるいはまちづくりというのはかなり重要な部分を占めると思います。特に大都市圏の周辺など、市街地が連旦しているようなところは、それぞれの自治体が別々にマスタープランを考えにくいというようなところが随分あるわけです。そういうことを要因として合併話が進んでいくということも、現実にはたくさん考えられるのでしょうか。

松本
 それは大いに考えられると思います。まさに大宮、浦和、与野の合併というのはそういう性格のものですね。もちろん指定都市の指定ということもありますけれども。ですから、大都市周辺の市町村の合併というのは、社会というか、地域そのものが一体化している、そのことに対して行政なり政治なりが対応していく単位というものが非常に不適切である。広域的な都市計画区域としても、都市計画そのものは個々の市町村単位になってしまう。広域でつくってもいいのですが、今のところはなかなかそうならないわけです。議会を別々に持ちますと、どうしてもそうなります。ですから、それを考えますと、今の政治行政の単位として一緒になっていくことで、一体的なマスタープランの作成がしやすくなりますし、それが大都市部などにおける合併推進のかなり要因となっていると私は思います。

大柿(千葉県東金土地改良事務所)
 これから住民協働型ということで、地域の人材というか、一般の人の存在がすごく大切だということはわかりました。これまで、地域でプロジェクトをやるときは、市の方でそういった案をつくって、商工会議所とか、既存の団体にも委員会をつくって、それで意見を聞いたという形にしてプロジェクトにしていくというのが多かったわけですけれども、これからはそうじゃなくて、一般の人のエネルギーとか知識とか人脈とかを使ってやっていきますよと。そういった人がいれば、地方の競争力がついて、いい地域になるということですけれども、一般の人はふだん仕事を持っていて、こういったものを本当に勉強して時間をとって、しかもコーディネートしてというのは、時間もとられるし、頭もとられるし、お金も取られる、大変じゃないかなということで、これを満足する人材というのが、例えば、大学の先生をやっていて、こをライフワークにしているということであれば、何とかなると思いますけれども、一般の人の中からそういった人材を探すのは極めて難しいのではないかと思うんです。
 でも、そういう人が必要だというお話ですから、その辺のところをどうやって、見つけ、育てていったらいいのか。またその人が打ち込める環境をどうやってつくっていったらいいのかというのを教えていただきたいんですが。

松本
 大変難しい話なんですけれども、基本的には今おっしゃることと、ちょっと観点が違うかもしれないので、お許しいただきたいと思います。個人についてはもともと自覚した個人を前提として話をするかどうかということだと思うのです。私の話の前提には、自覚した個人が前提となっています。その前提の部分がないと、今の話はつながらないのです。私の知っている人でもボランティアをやっている人が数人いますけれども、別にそんなに仕事が暇なわけではないのです。そういうことに生きがいを感じ、少しでも自分も参画して、自己実現するという自覚があるわけです。人のために尽くすということだけじゃなくて、自分のそういう能力をできるだけ社会的に発揮して貢献したいという意欲もあるわけです。
 私の話はそういう自覚した個人というものが前提になっている。そこを前提としてお考えいただきたいと思います。その前にいかにして個人を自覚させるかというところは社会教育の側面があるのですけれども、そこまでは言及しませんが、ただ、いえることは、そういうことをだれかが始めますと、私もそこに参加していこうではないかとか、そういうことで自分の能力も何かに使える、あるいはそれによって自分にもっと磨きをかけていく、そういうふうなことが広がっていくのじゃないでしょうか。私はそういうふうに少なくとも期待したいと思っております。
 今おっしゃいましたお金のことはともかくとして、時間がないからというのは、今ボランティアに参加している人と話していると、そんな感覚はあまりないのではないかと思います。私はボランティアの人に「自分の生活を犠牲にしてまでやることかどうか。自己実現の道、社会的な貢献に対する満足度、そういうものとの兼ね合いで自分の生活をそこに没入する、その範囲と程度を決めればいいのではないか」ということをよくいっているのです。仕事が忙しいか忙しくないかという感じじゃないような気がしているのですけれども、どうでしょうか。

谷口
 まだいろいろと、お話があるかもしれませんが、ほぼ時間が参りましたので、きょうのところはこれで終わりにさせて頂きます。
 本日は、自治総合センターの松本理事長においでいただいて、貴重なお話を伺いました。大変ありがとうございました。(拍手)


back