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第159回都市経営フォーラム

SOHO CITY みたか構想の展開
−時代のスピードと三鷹らしさにこだわる−

講師:関 幸子 氏
株式会社 まちづくり三鷹 事業部事業課長


日付:2001年3月21日(水)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

 

1.すべての基本は市民参加

2.効率的で開かれた都市へ

3.地域情報化戦略としてのSOHO集積による都市型産業の育成

フリーディスカッション



 今ご紹介をいただきました株式会社まちづくり三鷹の関といいます。きょうはお忙しいところをお見えいただきまして、ありがとうございます。
 きょうは、皆さんの方にレジュメをお渡ししておりますが、「SOHO CITYみたか構想」という、今三鷹市の方で地域の情報化戦略として位置づけをいたしました構想を中心に話をさせていただきたいと思っております。よろしくお願いいたします。
 出席者の名簿を見せていただきますと、全国、北から南までお見えいただいており、非常にうれしく思います。三鷹市がどこにあるかというと、東京のちょうど真ん中にあり、チョウチョウのような形をしています。
 私どもの市は非常に小さい市です。16.5平方キロメートル、4km掛ける4kmのエリアに16万4000人ぐらいの人口を現在有しております。1平方キロメートルに1万人という規模は、人もいなからず、かといって、少なからず多からず、緑もありますし、余裕というほどではありませんけれども、住宅都市としては適正規模ではないかと思っています。
 最初に、「SOHO CITY みたか構想」のお話をする前に、前置きで、三鷹市はこういうまちづくりをしてきたというベースのお話を少しさせていただきたいと思っています。



1.すべての基本は市民参加

 市民参加と計画行政というベースが、今回のSOHO CITY構想に非常に大きい影響を与えている、もしくは、そのベースがあったからこそ、この計画ができたということになります。
 実は、三鷹市は、事業所統計でいいますと、約6800社の事業所がございます。そのうちの1100社が小売り商業、そのほか、製造業が約400、そのほかがサービス産業及び農業者という形になっています。
 土地利用については、9割が用途地域上住宅系の用途地域、5%が商業地域、5%が工業地域という形になります。産業振興という面からいえば、ある意味では産業振興を非常にしづらい市といえます。その用途地域は、昭和40年代には工業系が約3割あったのを、公害問題等を含めて50年代にかけて9割まで住宅都市として転換してきたということは、産業系で勝負することをしないと、そのときに選択をしてきた市なんです。その市がなぜ今ここでSOHOをやり始めたか。ここがやはり三鷹の原点だろうと思っています。
 三鷹は、昭和30年代都心のいわゆるベッドタウンとして人口が爆発的にふえてまいります。いわゆる公団住宅といわれる住宅・都市整備公団及び都営住宅という集合住宅が急増した中で、学校とか道路という都市基盤に30年代は費やしてきた時期です。
 たまたまそのときの市長が、いわゆるドクター、医者だったんです。それで、30年代後半から40年代の後半まで10年ぐらいかけまして、公衆衛生に力を費やしてまいりました。昭和48年に日本で一番最初に下水道整備を100%達成しました。このときに既に自己負担制度といって、行政だけではなくて、市民の方にも負担をいただくという形でのまちづくりを進めてきています。
 昭和49年から、コミュニティーという新しい概念をヨーロッパから輸入してきました。今皆さんの地域でもやっていらっしゃると思いますが、コミュニティー行政に昭和48年から着手しました。どういう形でこれを着手せざるを得なかったかというと、先ほど人口が爆発的にふえてきたと申し上げましたが、今までの地縁、血縁で住んでいた方と新しく入った方との意識格差、生活レベル格差、さらにその地域でのまちづくりというものについて分解し、遊離したままであったわけです。それを融合化させる手段としてコミュニティー行政を取り入れることにいたしました。
 それをどういう形で取り入れたかというと、コミュニティーセンターというものをつくる過程をコミュニティーを形成する手法にしてきました。ここでいう手法というのは、16.5平方キロという市を7つの住区、皆さんの方で自治会とか町内会というのがありますが、あれを一切無視して新しい住区という考え方で、その地域に住んでいる人は、新しいコミュニティーの住民ですよという新しい概念を持つということで、住区というものを取り入れました。その7つの住区に1つ1つ、地域の皆さんが必要とされているコミュニティーセンターをつくりましょうということで、コミュニティー行政をさせていただいています。
 現在7つのコミュニティーセンターができましたが、昭和49年に1号目ができ、最後にできたのは平成5年になったんです。つまり、20年間、7つのコミュニティーセンターをつくるという実証実験を私どもはさせていただいています。
 これはどういう手法をとっているかというと、まず先にその住区の皆さんに集まっていただいて、皆さんが必要としているコミュニティーセンターはどういうものですかという話をずっと進めてもらうことによって、いわゆる市民参加と市民自治という考え方を芽生えさせていただこうとやらせていただいています。
 ですから、地域によっては、バーまであるコミュニティーセンターがあります。体育館もあります。プールもあります。大体5000平米ぐらいの建物が7住区に1つずつありまして、現在の運営費が約1億円かかっています。それができる過程自体は、コミュニティーであり、自治だという形でつくりまして、そのつくり方に1つ特徴があるということと、今度はでき上がりました運営をどうしているかというと、地域の皆さんに住民協議会というボランタリーの自主運営組織をつくり、そこにすべての施設の運営をお任せしています。例えばスポーツ活動、文化活動等のすべて企画から運営までお任せをするということです。
 ですから、各地域ごとに違った活動を行っています。当然休館日も違いますし、運営時間も違います。職員の採用まで全部独自でやるという形での、いわゆる金は出すけれども、口は出さないというやり方で、コミュニティー行政をやってきています。
 きょうは自治体の方が多いので、わかっていただけると思いますが、自治体は、基本構想という市のビジョンが最初にありまして、その下に基本計画というマスタープランがあって、財源を持った実施計画、そのほかに福祉とか道路とか教育という個別計画があります。こうした行政計画も市民参加という手法をもってつくっています。
 まず、自分たちの町をもう一回知ろうということで、コミュニティーカルテづくり、いわゆる地域診断というのを住民協議会の方にお願いしました。それぞれ地域の皆さんに、「どんな町にしたいですか。この地域にどんなものがあったらいいですか。足りないものは何ですか」という形の診断をしてもらい、さらに分析、提案もしてもらうという形で、7つのコミュニティーカルテができ上がりました。
 その後、まちづくりプランという形で、カルテをさらにもう一段昇華させた形でのその地域ごとのまちづくりプランをつくってもらって、それを市でつくる基本計画の方に反映をさせるという形でやってきています。
 こうしたコミュニティー行政を昭和40年代から50年、60年の前半までやってきました。第2次の基本計画をつくるときに、三鷹市の長期計画案検討市民会議という公募型の市民会議という公募型の市民会議を組織しました。手の挙がった方が大体70人ぐらいいらっしゃって、その方々を中心に、いわゆる福祉、教育、国際情報、市民参加と市民自治という5分科会に分かれて検討していただきました。
 このとき、平成2年から4年にかけてやった手法は、最初にまず市の方が素案をつくって、それをお諮りをするという形での市民会議のやり方で、これがその当時精いっぱいのやり方でした。70人の方々が5分科会に分かれ、100回以上の会議を行いました。これを組織して、さらに運営し、提案にまとめていくという作業は、基礎自治体にとっては非常に任が重いものです。
 現在、第3次の基本計画をつくっていますが、これは市民参加という手法をさらに進めて、市民が先に自由に具体的に政策提言ができるというところまで市民会議が発展をしています。
 三鷹市はこの第3次計画の策定に当たり、先に市の方の素案というものを一切つくってないんです。まず、先に「市民プラン21会議」を立ち上げました。これも全部公募型なんですが、平成2年につくるときには70人しかお手が挙がらなかったのが、今回は400人の手が挙がりました。この400人の方を10分科会に分けて、それぞれの分野でそれぞれの検討、調整、意見集約をしていただきました。それをまとめて、市に提案をいただく。素案もなく、白紙の段階から市民が市の行政に対して、まちづくりに対して提案をいただくという形が、昭和48年にコミュニティーセンターをつくってから30年目にやっと実現することができました。
 市民会議と市役所はパートナーシップ協定に基づいて、それぞれが対等な立場でそれぞれの役割を果たしています。この市民プラン21会議、これは端的にいえば、要望提示型から政策提案型になってきたということです。ここまで来るのに、先ほどの7つのコミュニティーセンターという学習を重ね、1次、2次の基本計画の市民参加の市民会議手法を通して、やっと30年目に白紙から市民の方が提案をつくるところまで来ました。
 私も2期のころ、70人規模のときには、企画調整室というところでマスタープランの作成をさせていただきましたけれども、この10年間の動きは本当に早くて、とうとうここまで来たかという感慨が非常に強くあります。
 ここがすごく重要なところで、この新しい白紙からの提案型の市民参加手法がなぜ可能になったかというと、要素としては3つあると私は思っています。
 1つには、歴史的にも、経験値、市役所の職員も含めまして、市民参加という手法についての30年の経験がある。市民も同じように30年の経験があるということが1つ大きいと思います。
 2つ目は、徹底した情報開示にあると思っています。市民が市の職員と同じように提案ができるということは、同じように情報が市民にも行き渡っている、もしくは政策について理解ができているということになります。その情報開示という意味では、私どもは昭和63年に情報公開条例を既に立ち上げておりますし、あわせて、個人情報の保護条例というのをつくっておりますから、非常に徹底してやらせていただいています。
 今回それにあわせて、「三鷹市を考える基礎用語辞典」、こういう非常に大きいマスタープラン用の用語辞典、それと「三鷹を考える論点データ集」というのをつくりました。全部市役所の若手の職員がかなり残業等しながらつくらせていただいた2冊の本をここでまとめました。それが、それぞれ400人の委員の皆さんにも行き渡る。それと同時に、学習会もかなりの講座を開催させていただきました。
 もう1つ、説明責任ということで、必要があれば、市長も助役も部長も、平の担当である方が市民にとっては一番話がわかるわけですから、その職員が説明責任をきっちり果たしてきただろうと思っています。市民プラン21会議の方に呼ばれれば必ず行って、納得いくまで、もしくは議論が対立したままの場合もありますが、少なくとも市はこういうふうに考えています、データ上もこういうふうになっていますということを開示し、説明をさせていただいてきているということが挙げられると思います。
 3つ目は、やはりインターネットです。10年前に70人規模の市民参加の会議をやらせていただいたときには、私どもはワープロの会議通知を70人分切手を張って出していたわけですが、今回は400人になります。とてもではないですが、各分科会ごとの日程調整、市民会議のご通知は不可能だろうということで、これをすべてネットでやらせていただきました。通知はすべてメーリングリスト。会議録はホームページへサイトとして立ち上げる。意見については、市民会議のウェブ上の市民会議方式、いわゆるチャット方式でやらせていただくという形になっていまして、ITが私たちの非常に手助けになっている。やりたいと思っていたことが、10年前にはできませんでしたが、この時期に来て、やっと皆さんにもインターネットが使える環境が整ったということで、この方式をやらせていただけるんだろうと思っています。
 あわせて、今申し上げた三鷹市の方は責任を果たしてきましたが、市民についてもかなり厳しい体験をされています。なぜかといいますと、今までは行政対市民の形になっているわけですから、市民はある意味では正義なんです。どんな意見があっても、行政に対していっている分には、それは正義なんです。ところが、行政が入らない市民会議だけで意見をまとめるとなりますと、市民同士が初めて意見を本音でぶつけ合う立場になってきますので、そこでは、ある意味では本当の民主主義となるわけです。民主主義というのは、苦情をいっていればいいんじゃなくて、市民同士がお互いの立場を考えながら折り合いをつける、調整する、もしくは優先順位をつけるということを身をもって体験させるという形になりますので、みずからが引くとか、汗を流す、血を流す。血は本当に流されていませんけれども、そういった意味で痛みをやっとわかっていただいたような感じがいたします。
 ですから、かなり険悪なムードになった分科会もありますし、今まで仲よかった方が、意見対立のままということもあったように聞いていますが、それはやはり私ども三鷹市に対して本気でまちづくりをしていただけると感じていますので、その辺は市民の方にとってもいい貴重な経験だったろうと思っています。
 昨年の12月に「市民プラン21」という提案をまとめまして、現在市役所の方に提出をされております。現在市役所の方は、先に出ました市民がつくった市民のプランをもとにして、それを行政計画にするという宿題が残っております。今年じゅうには、当然財源に限りがありますので、すべての要求もしくは提案を実現することは難しいと思っていますので、取捨選択、それと優先順位をつけて、市のマスタープランにさせていただくということを現在させていただこうと思っています。
 今申し上げたのは基本計画のつくり方なんですが、この手法をすべての小さい事業にも取り入れています。例えば、公園づくりについても、私どもは緑と公園課という課があるんですが、その課が先につくったものを地域の皆さんに説明するというやり方ではなくて、ワークショップ方式、その公園のデザインをしてみたい市民の方に手を挙げていただいて、公園の形から機能から使い方からつくっていただくという手法をとっています。
 現在この手法で幾つも成果が上がっております。手のひら公園、「丸池の里復活プラン」といって、昔小さな池があって、そこでフナやコイを釣った経験がある方があったんですが、それが現在埋め立てをされていたのを、逆に丸池を復活するプランの提案が10年前にありまして、ここでやっと完成して、丸池の里復活ということで、池も再生されました。
 高山小学校というところでも、やはり同じように、こういうワークショップ形式で小学校の建てかえが現在進んでおります。
 ということで、三鷹市の方ではマスタープランで、こういう形の面倒くさいことをやっているんじゃないかと思われるかもしれませんが、そうではなくて、小さい事業であっても、1つの個別計画であっても、すべてこの手法を取り入れて、先に市民にご意見を聞き、市民が一定程度関与してやるという手法を取り入れています。
 この手法は、そのメリットとデメリットが非常にあります。まずメリットとしては、つくる過程自体のおもしろみというものも市民にわかっていただくという部分もありますし、意見調整を市民の方がしていただけるということもあります。それと、つくり終わった後がすごく早いです。プランが決まるまではすごく時間がかかるんですが、プランが決まった後は、市民にとっても自分たちのものですので、非常に利用がいい公園になっているとか、その地域を自分たちのものとして面倒を見てもらえるという地域の受け皿づくりというものができています。
 ですから、例えばほかの自治体さんで、市がつくったものを、これを地域で運営してくださいという形では非常に苦労されると思うんですが、私どもはつくるところから先の手渡しをしていく方も、つくる段階である程度視野に入れているということができると思います。
 デメリットとしては、1つは、このコミュニティー行政、それと市民参加の手法を取り入れたときからいわれていたんですが、議会軽視、市議会議員さんという議会がありまして、市民の代表である議会の意見をどう反映していくのかということを常にいわれます。ですから、私どもは市民会議でありましても、今回の基本計画をつくるときの委員さんにも、公募と同時に、市議会からの団体推薦、各会派からの推薦の方にも入っていただきまして、市議会との調整の折り合いをつけるという手法を現在もやらせていただいているという状況にあります。
 このほか、私どもは小さいながらもシンクタンクを持っています。昭和63年につくりましたまちづくり研究所です。三鷹市内には国際基督教大学という大学があります。そこの学識の先生を中心としまして、これもいわゆる市民参加という手法の1つのバリエーションですが、学識の先生、市民、事業者、それと市の職員が入って、さまざまな課題を検討する。勉強したり研究したりするだけではなくて、やはり市に提案をしていくという組織にしています。昭和63年につくったときには、国際化、コミュニティーづくり、高齢化対策、この3つの柱に沿って5年程度研究を重ねてきました。
 その後ふえましたのは、市民参加の手法としての提案です。400人からの規模でやるという白紙からの市民参加手法についても、これは市役所が最初につくったわけではなくて、このまちづくり研究所から研究を重ねた研究の成果として提案をいただいて、市が採用するという形をとっています。
 後から詳しく申し上げます「SOHO CITY みたか構想」も同じやり方です。この5年ぐらい研究しておりますのは、情報化研究会です。こちらからの提案が「SOHO CITY みたか構想」という形になります。これも先ほど来申し上げている市民参加がベースとなっています。市の施策をつくるときに、私どもは1200人の市の職員がおりますが、市の職員だけで考えるのではなくて、市内に在住、在勤、最近では在活、市内で活動している市民の幅広いご意見を、ある意味ではうまく盗ませていただく。ヒントを持っている人がいたら、貸してくださいという形で、貸していただいて市を運営させていただいているという形をとっています。
 今申し上げてきたところが、三鷹市のすべてのベースです。市民参加と計画行政。
 それともう1つ、最近取り入れているのが、三鷹市が今やっている行政はどのように市民が評価し、もしくは満足度があるかを見る、行政評価のチェックリストを既に導入をさせていただいています。そのチェックに従って、住民、市民である顧客の方にどのような形で、私どもの行政事業、施策が皆さんの満足度を得ているかということをやらせていただいています。いわゆる客観評価を導入しているという形になっています。



2.効率的で開かれた都市へ

 それでは、きょうの主題になりますが、地域情報化戦略としての、SOHOの集積による都市型産業の育成について少し話をさせていただきたいと思います。
 先ほど「SOHO CITY みたか構想」もまちづくり研究所の方からの提案だという話をさせていただきましたが、これが平成8年の終わりごろです。三鷹市では、平成8年に三鷹市産業振興計画を策定いたしました。この計画は、商業と工業しか入っていないんです。その当時、私どもも情報産業ということについてはまだ全然目配りができていません。一方で、まちづくり研究所で、課題として地域情報化について研究しており、その中でたまたまアメリカから帰ってきた中小企業の社長さんが、「アメリカでは今SOHOというのがはやっている」というお話をされました。私どもは「SOHO」って聞いたことがないので、「何ですか」と聞いたら、「small office home officeと書くんだよ」「実際どういう形で事業をやっているんですか」といったら、「いや、ビル・ゲイツのような働き方なんだよ。いわゆるパソコン1つとインターネットさえあればどこでもビジネスを起こすことができる。これがアメリカでは隆盛をきわめているんだ」というお話をしていただいたときに、「あっ、これなら三鷹市でもやれるんじゃないか」というヒントをいただいたと思いました。
 実は、三鷹市は小さいながらも製造業が400社、一時期600社ぐらいまであったんですけれども、ここ10年で100社なくしています。製造業については、都市型産業を立地させるため一生懸命さまざまな政策をやってきました。平成元年には三鷹ハイテクセンターという日本で一番大きい分譲型の工場アパートを持っています。
 これは三鷹市は土地が狭い、さらに土地が高い、住宅が9割ということはどこで操業しても住工混在です。東京は全部住工混在なんですが、中小企業であればあるほど、建屋が防音になっていないとか、駆動するエンジンの音が大きかったりということで非常に嫌われていました。それを、いわゆる土地の高度化利用と、少ない5%の工業用地に工場を移転集約することによって、製造業についても、この地域でこれからも継続して操業していただこうという環境を整えようということでつくったものです。
 これは国の高度化事業という手法で協同組合を結成し、20社が入る大きい工場アパートをつくらせていただきました。これは全国のモデルケースになっておりまして、非常に厳しい中でも今はうまく操業させていただいています。
 製造業は、3Kといわれるように、非常に厳しい環境の中でやっていたんですが、そのハイテクセンターは、どこから見てもマンションなんです。発想は工場アパートというぐらいですから、マンションに近く、まず建物がきれいになった。操業をしてもいいように、公害防止用に窓はすべて二重サッシにさせていただきました。躯体も縁切りをして振動が地域に伝わらないようにしました。さらに扉も航空機と同じようにパッキン使用で音が漏れないようにしました。
 そういうふうにしてどういうことが起こるかというと、まずリクルート的に非常に良くなるんです。今まで汚い小さい工場でやっていたんですが、きれいなマンションのような工場になると、ここに勤めてもいいという従業員が、工学系の大学卒業者も採れるようになった。さらに、今までおやじの後を継がないといっていた2世が、こんなにきれいで、今まで孤独で1人でやっていたのが、20社同じところにいると、やはり仲間ができますので、その仲間を頼りに帰ってきた。さらに、もう1つは、異業種交流の中で1社ではできない受注がとれるようになったということで、製造業についても一生懸命やってきています。
 でも、とめてもとめてもとめ切れないというのが実は三鷹の現状です。
(パワーポイント−1)
 製造業については、先ほどの工場アパートのほかに、平成9年には、東京都で賃貸型の融資制度の1号目となる賃貸型の工場アパート牟礼研究開発センターを建設しました。バブル崩壊後なので、分譲でなく、賃貸型の工場アパートとしました。現在8社が入居しています。
 先ほど申し上げたSOHOの概念は国の方でも全然決めていらっしゃらないんです。このSOHOを一番先に使わせていただいたのは三鷹市になります。この計画を進めるに当たって、三鷹市の方では、ここに書きましたような位置づけをさせていただいております。現在どこへ行っても、三鷹市の位置づけがほぼベースとなっています。テレワーク協会の調べでは、2005年にはかなりの人数になってくると予想されています。
(パワーポイント−2)
 これが、先ほど来お話をさせていただいておりますが、三鷹市の位置です。
(パワーポイント−3)
 三鷹市の人口の流れと、ベッドタウン化とそれに伴う工場の減少の図です。
(パワーポイント−4)
 これは三鷹の工場の位置図ではありません。三鷹市から既にいなくなってしまった工場群です。私どもは日産プリンスの発祥の一部の地域でもありますし、中島飛行機の発祥の地でもあります。現在、富士重工業ですが、もう研究棟しかありません。建物の大きいのは幾つも残っていますが、ラインは撤去されています。
 日産の工場用地は、都市基盤整備公団さんがお買いになりまして、すべてマンションになっています。このように製造業については非常に厳しい現状です。三鷹市だけではなくて、多摩地域全体でこういう形で地域から工場がなくなっています。
(パワーポイント−5)
 これが住宅の用途の面積。
(パワーポイント−6)
 SOHOにした理由の1つとして、いわゆる製造業では勝負できないというお話をさせていただいているんですが、もう1つは、商業もやはり厳しい現状にあります。先ほどちょっと名簿を見せていただきましたら、武蔵野市さんからもきょうご出席があるようですが、実は私どもの最大のライバルは武蔵野市さんでございまして、商業は隣の吉祥寺という大商圏に5割以上が流出しています。
 私ども三鷹市には三鷹駅という駅があって、特快がとまって、乗降客が1日に16万あるんです。ところが、その16万が乗りおりする駅前が、いわゆる大商圏ではなく、普通の近隣商店街といわれている本当に普通の商店街になってます。
 ですから、三鷹市が今後産業振興するに当たっては、商業でも工業でも、基本的には厳しいということです。
(パワーポイント−7)
 もう1つ注目していたのは、実は税収なんです。一般会計が約580億、国民保険、水道等の特別会計を入れても約870億円の予算規模です。そのうちの財源を見ていただきますと、住宅が9割という形になりますので、ほとんどの税収は市民税、普通の一般の個人の所得。個人の生活をされている市民の皆様が払っていただいている税金で成り立っている形になります。たばこ税と事業所税がほぼ同じぐらい。10億円ぐらいずつしか市の方に歳入としては計上されていません。
(パワーポイント−8)
 それと、もう1つ、高齢化という形の人口の構造の変化が大きいということが挙げられます。三鷹市の高齢化率14.5%ぐらいまで来ています。そこが問題ではなくて、皆さん、中年化という言葉をお聞きになったことがありますか。高齢化とともに、もう一方で中年化が始まっていまして、あと5年ぐらいたつと、人口の半分は50歳以上になります。
 つまり、今若い高校生とかOLの皆さんが一定程度の消費者としてのリーダーといわれていますが、購買層として見ると、50歳以上の方が人口の5割いらっしゃるということは、50歳以上の方が実質上の経済の消費者なんです。ですから、そこをターゲットにした形、もしくはそういう高齢化という厳しい、それとあわせて中年化という人口動態の変化の中で、次の産業振興は何かということを、まちづくり研究所の方では考えていました。
(パワーポイント−9)
 そこで、アメリカ帰りの社長さんが、SOHOがいけるというお話をしたときに、これらの課題をかなりカバーできると思いました。土地の状況から見れば、新しい大きい企業を外から呼んでくるとか、新しい消費者をつくり出すとか、新しい担い手をつくるというのは非常に難しい。地域に現在いる人たち、高齢化していく市民の皆様に産業を起こしてもらう以外にはないんじゃないか。主婦でありますとか、リタイアした中高年の方々でもできる産業ということで、SOHOはその可能性を実は秘めていたということになります。
(パワーポイント−10
 それとあわせまして、「ない」というお話をしましたが、三鷹では「ある」ものが幾つかあったんです。1つは、先ほど商業が厳しい、武蔵野市さんと比べものにならないというお話をしましたが、そうなりますと、武蔵野市さんより業務床が安いんです。1駅違いで安い。さらに、都内に出るときに特快に乗れるということは、武蔵野市さんを飛び越えて新宿に近い。安くて近いという立地性が1つあります。ランニングコストのパフォーマンスがいいということと、立地性がある。
 さらに、もう1つは、平成9年に、武蔵野三鷹ケーブルテレビが営業を開始しました。域内でのケーブルテレビですが、規制緩和第1号目の会社で、2つの事業をされています。1つは普通のCATVとしての放送。もう1つ、通信事業者としての認可もお取りになった。10メガの光ファイバーを使ったCATVの線で、域内のLANの構築を平成9年にし終わっているという形になります。SOHOの皆さんが必要としているインターネットの線は十分の速さを持っている三鷹市としての「ある」という要素があるという形になります。
 それと、SOHOは、音とか振動の影響のある工場と違って環境への負荷がない。さらに、立地産業としては非常に小さい立地条件でいい。6畳1間でもいいという形になりますので、これも三鷹市には合致している。
 さらに、人口動態としても、高齢者の皆さん、これから中年化になるという話をしましたが、アルバイト料が幾らよくても、遠くに2時間かけて行くということはできませんが、近くでいいし、自分の気に入った仕事があれば地域でももう一回就労したいという方がいらっしゃいますし、女性、さらに障害者の皆さんにとっても、域内でパソコン等を使った近くでの就労というものについては、昼間人口をふやすという形でも、防災上も非常にメリットが出てくるととらえたわけです。



3.地域情報化戦略としてのSOHO集積による都市型産業の育成

(パワーポイント−11
 三鷹市のSOHOって何をやっているんだろうとお考えになると思いますが、私どものSOHOというのは非常にシンプルな政策です。柱は2つしかありません。1つは、SOHOの応援団をしっかりつくったということがあります。SOHOをどうやって探したかというと、統計でSOHOが出てくるわけじゃないんです。つくり始めた平成8年から9年のころには、やっている人たちも自分がSOHOだと思ってやっていません。どういうふうにSOHOを探したかというと、NTTさんがお出しになっている電話帳で、ソフトウエア、システムハウスとかありますが、あれの三鷹市のところにエントリーされている方を全部赤で塗って、リストアップして、あとは全部ローラー作戦でヒアリングをさせていただきました。
 最終的に200人ぐらいにヒアリングをさせていただきました。その方々のビジネススタイル、それと、もし自治体がその方々を支援をするとしたらどういうものが必要ですかというヒアリングをさせていただきました。
 SOHOの方々がどこにいたかというと、三鷹の駅前にワンルームマンションが多いんです。そのワンルームマンションを使って、実際に操業され、もしくは事業を営んでいる方が非常に多かったのが形態としては特徴的です。
 ニーズ把握でいえば、皆さん今何が一番ご要望がありますかという形で話を聞かせていただきました。資金繰りが苦しいといった方は、その当時ほとんどいらっしゃいませんでした。それよりもチャンスが欲しいという方が多かったです。なぜかというと、いい技術もある、システムを開発する能力もあるんだけれども、それを認めてもらうということがほとんどない。
 SOHOの方の会社は、今普通なんですが、横文字が多い。片仮名で長い。1回じゃ覚えられない。電話しても何といっているかわからないということで、売り込みに行ってもなかなかまともに話を聞いてくださるクライアントさんが少ない。ですから、信用力を何とかつけてもらえませんかということと、どこに売り込みに行ったらいいですかというビジネスチャンスをつくってください。自分たちがここにいるという認知を何とかつけてくださいという方が多かった。
 チャンスをつくるということになりますと、SOHOだけ集積させても産業は起こらないということがわかってきました。SOHOを認める人がいないと、SOHOが世に出ないということになります。じゃ、その人たちを認めてくれる人を先に私どもの応援団にしようということで、ここに書いてありますが、「SOHO CITY みたか推進協議会」というのを先に立ち上げました。平成9年7月に推進協議会をまず一番最初に立ち上げました。
 協議会には、域内で有名な会社の社長とか、さらに今まで住んではいたんだけれども、会社にだけ通っていた有名企業の部長級、取締役級の方々に参加していただき、顔の見える関係づくりを進めてきました。
 さらに、近隣に工業系の大学があります。例えば、調布市の電気通信大学、小金井市の法政大学の工学部、八王子の東京工科大学、そういったところの先生にこちらの応援団という形で入っていただいて、SOHOというものを認めてくださり、さらに応援してくださるという志のある応援団を先につくったというのが、三鷹市の一番最初にやったことです。
(パワーポイント−12
 あわせて、当然新しい応援団だけではなくて、三鷹市商工会、さらに公共機関、地域の研究所、大手の事業所さんにもお願いし、既存のネットワークも広げるということで現在やらせていただいております。
(パワーポイント−13
  2つ目の大きい柱は、平成9年にかけて、「SOHO CITY みたか構想」を掲げ、SOHOを次の地域産業、地域情報化の柱に据えようとしたときに、「SOHO」と幾ら説明しても、市のトップ、議会の皆さんもなかなかわからなかったんです。じゃ、SOHOという人はこういう人たちだということで、ショールームをつくらせていただきました。これがSOHO CITYの一番最初の支援拠点になるんですが、SOHOパイロットオフィス。これも5年間実験事業としてやらせていただいています。
 パイロットオフィスはユニット9個のSOHOのオフィスです。民間ビルとコンビニエンスストア2階の約240平米の空き店舗をリニューアルをいたしまして、5平米、大体3畳、そこから12平米、6畳間ぐらい小さい部屋を9つ、それと打ち合わせコーナー、会議室、パソコンのレンタルコーナーの公共的な部分も含めてサロンを整備しました。募集したところ、問い合わせが240件、実際に5年間の事業計画をつくっていただきました57社が正式に応募をいただいて、ほっと安堵をしたと同時に、これは今後主流になる可能性があるというぐらい、熱気を感じました。
 平成10年から三鷹市はずっと取材攻勢に遭い続けているという形になります。
 あわせて、中心市街地活性化法というのが平成10年成立しました。この法律の特徴は、今まではいろんな省庁がばらばらに補助金をお出しになっていたのを1カ所にまとめて、3つも4つも束ねた補助金を1カ所に使っていいですよという法律です。
 今回、この三鷹産業プラザを平成12年、去年の4月にオープンをさせていただきましたが、国の支援メニューとしては3つの補助金を使わせていただきました。総工費15億円のうち13億円はすべて国からの補助金という形で賄わせていただいております。
(パワーポイント−14
 産業プラザの規模は、4600平米ぐらいの建物です。ユニット数26、15平米から、1フロア330平米までの規模的にもバラエティーに富んだユニット数を持っております。
 ここの特徴は、製造業の皆さんも使えるような支援機能を持っているということと、もう1つは、先ほどSOHOだけ集めても大きくならない、もしくは産業振興にならないという話をしましたが、実はここにはもう1つの仕組みがあります。SOHOというのは業種じゃないんです。業態なんです。昔でいえば中小零細企業という規模をいう。それで、ここには業種ミックスをしています。例えば、SOHOの皆様が非常に身近に相談できる税理士、あとは行政手続を含めた行政書士という方もSOHOという位置づけでここに入居をいただいています。
 それと、TAMA産業活性化協議会といって、今回社団法人になりましたけれども、国の外郭機関も入っています。あわせて、電気通信大学がつくられた会社も入居しています。その会社は電気通信大学さんがお持ちの特許をお売りになる、自分たちの大学の学生さんを起業させるための会社です。このように業種的にもここにミックスをさせていただいています。
(パワーポイント−16
 こうした動きの中で、製造業の社長さん、三立電子工業社長の高橋さんが、廃業を期に、自分の工場のご寄附をいただきました。そこをSOHOの方が入居できる17ユニットに整備しました。
 高橋さんは、自分たちの役割は終わったんだけれども、時代的にまちづくりの中でこれを使ってほしいといわれたことは、私たちは非常にうれしく思っています。
(パワーポイント−17
 軽負担で、学生さんとか、高齢者の皆さんでも、起業できるように、こちらは賃料を非常に安くしてあります。先ほどの2つは、賃料は一切安くしていません。産業プラザに至っては、隣接している地域の商業地より1.5倍の高さになっています。三鷹市は政策的にいわゆる家賃補助をしていないんです。今後もする予定はありません。なぜかというと、家賃補助で来ていただく企業じゃなくていいと思っているんです。三鷹市でいい、もしくは三鷹市がいいといってくださる方だけに来ていただきたいと思っています。
 ここに入る条件が1つだけあります。皆さんは地域の1企業として地域貢献をしてください。それは何か寄附をしてくださいということではなく、しっかり稼いで長くいてください。そのつもりがある企業さんだけいてくださいというお願いをしていまして、例えば渋谷とか、最近は霞が関に近い方にお出になる企業さんが結構あるんですけれども、これはもういたし方ないとあきらめています。そういういわゆるベンチャー企業として店頭公開まで行く企業さんは、やはり三鷹の地域では難しいというのを本音的には私どももわかっていますので、そういった企業さんに無理に三鷹に残ってくださいとはいってないんです。そうじゃなくて、この地域とともに歩んでくださる気持ちがある企業さんだけに何とか残っていただこう。地に足のついた企業活動をしていただくということを条件にしております。
 それ以外にソフト支援としては、3施設には必ず受付サービスを置いています。
 それと、私もコーディネーターの1人ですが、月曜日から金曜日まで日がわりでコーディネーターが必ず相談コーナーにおります。地域の商業者、工業者のパソコンのリテラシーでありますとか、主婦の方が創業したいという身近な相談に乗れるようにしています。
 あと、私どもの株式会社は一応第二種プロバイダーとして、53社のプロバイダーもやっております。
(パワーポイント−18
 こちらは昨年の12月までのSOHOパイロットオフィスの利用実績になります。現在、推進協議会の会員は160名です。そのほかサロンということで自由にお使いいただける打ち合わせコーナーの利用。昨年の4月に産業プラザをオープンしてから、この1年で約1000人ぐらいの方が視察にお見えいただいたと思います。
 12月からは週に1回という形で決めさせていただいて、その日程に合わせて今は視察をお受けするという形をとらせていただいています。
(パワーポイント−19
 こちらが具体的な支援メニューです。コーディネーターの相談では、SOHOの社長さんが相談席に着いていただいています。相談に来る方と同じ目線になるように、起業経験がある、もしくは既に起業している方々がご相談に乗るということでのオン・ザ・ジョブという意味で、コーディネーター機能を重視しています。
 あわせて、三鷹経営コンサルタント協会という地域での専門の協会がございまして、そこと提携して、毎週木曜日に、弁護士さんを初めとしたいわゆる専門士の方がついて、専門相談をさせていただいている。あわせて、製造業の皆さんに合わせての技術の指導員さんもおります。
(パワーポイント−20
 こちらがSOHOフェスタの写真です。先ほどチャンスがないというお話をさせていただきましたけれども、出店料5000円程度でハードルを低くいたしまして、「SOHOフェスタ」という名前での展示会を連続3年やっております。毎年いらっしゃるお客様、もしくは出店されますSOHOの皆様がふえております。多摩地域でもこんな企業があるということを、だんだん知っていただいているんじゃないかと思います。
(パワーポイント−21
 そのほか、電気通信大学とテレビ会議の講座もやらせていただいていますし、セミナー、名刺交換会も頻繁にやらせていただいています。
(パワーポイント−22
 市役所の職員でこの事業に携わって私が驚いたのは、民間の事業の皆さんも、意外とアナログ的な環境の中でビジネスをされているということです。インターネットで商売が進むかというと、意外とそうではなくて、あの人がいるからこの会社に出しますとか、システムをあの人にやってもらいたいという顔の見える信頼関係があって初めて契約が成り立つということがだんだんわかってきました。民間も思ったよりアナログ的な商売のされ方をしているんだなと思ったんです。SOHOの皆さんにとっても、大企業さんにご紹介をするときにも、やはり顔が見えるように、認知をしていただけるような形での交流会になるように仕掛けをしています。
 実は、SOHOの皆さんを集積させるということが私どもの最大の、ある意味での戦略だったんですが、思った以上にいろんなところに波及効果が出ています。
 1つには、先ほど既存の産業のお話をさせていただきましたが、既存の産業の方もSOHOの皆さんに触発されて、インターネットについて勉強しようという機運になってきています。
 まず1つは、工業については約350社の方々の企業のデータベースをつくるという動きになりました。これは商工会の方でデータアップをしております。そのほかに商店街ではこの4月からME−MALL(mitaka electronics market place)、電子商店街が立ち上がります。これも近くでホームページをつくってくれたり、自分のパソコンの面倒を見てもらっている方々が、地域で毎日のようにうろうろしているというのが大きいです。
 それと、一番動きが早かったのはシニアの方々です。地域に戻っていらしたシニアの皆様が、ここに書いてありますが、「シニアSOHO普及サロン・三鷹」というNPO法人を1年間でつくり上げられました。これが今非常に話題になっています。自分のキャリアを地域で生かす場所を探していらしてたんですが、これまでなかったんです。シニアSOHOさんに入ることによりまして、今まで培ってきたキャリアをそのまま生かして、コミュニティービジネスをされています。
 私どもの産業プラザの方でやっていますパソコン教室は、ほとんどこちらのシニアSOHOさんにお願いをしています。シニアSOHOさんも、独自にシステム開発、さらに教材開発をされまして、シニア向けのパソコンの教え方、シニア向けのパソコンの教材開発ということで、かなり今引っ張りだこになっております。
 あわせて、女性の起業の動きも出てきました。「ビジネスサポートチームそーほっと」というのがあります。これは3カ所受付があるというお話をさせていただきましたが、その受付に雇ったパートの女性の方々が、そこで毎日「あれが欲しい」とか、「あれをやってください」とか、「何かないですか」という形で、SOHOの方々のニーズ把握をされているわけです。「じゃ、こういう会社があったら、SOHOの人たちが楽になるんじゃないか」ということで、3カ所の受付でやっていたパートの女性陣が代行業の会社をつくったんです。
 現場が近くにあるときっかけがわかります。女性の方もこういう形で身近に起業化されるという動きが出ています。
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 これは話題の方ですね。
(パワーポイント−25
 最終的に、「SOHO CITY みたか構想」はどういうふうにしたいのかということですが、「SOHO CITY みたか構想」は、産業政策じゃないというお話を一番最初にしました。地域情報政策だというお話をしたんですが、実は地域で最大のビジネスチャンスを持っているのは行政なんです。行政が今抱えている、もしくは専属的にやっている情報、もしくは事務を民営化させることによって、市民サービスの向上につなげていきたいと思っています。
 例えば、教育分野はそういった意味で非常にチャンスがあります。今不登校のお子さんがいらっしゃるんですが、私どもは、現在インターネットで学習を既に開始しています。これが1つの例です。生涯学習のホームページ、もしくは生涯学習の予約システムも既に構築しました。
 あわせて、福祉。福祉は介護保険が出て、ビジネスにしていいという形になったんですが、福祉もビジネスチャンスがあります。特に高齢者が高齢者にサービスするという事業は、必ず成功すると思います。これはなぜかというと、自分が受け手であり、サービスを受給、さらに発注する側の両方の経験を持っているわけですから、非常にいいビジネスになるだろうと思っています。
 最近注目しているのは環境です。環境問題については、自治体もまだ本格的に動いていませんが、この辺のビジネスは非常に大きいと思います。
 あわせて、三鷹市自体を動かす受発注システム。CALSといって電子入札制度がこれから建設省さんの方で構築されるように聞いておりますけれども、それが進んでいけば必ずや自治体の方にも電子入札制度という形でおりてまいりますので、この辺もいくと思っています。
 最後に、SOHOが域内にいることによって、本当にいい形で、今まで自信がなかったり、次の一歩を踏み出すのに非常に迷っていた皆さんが、新しい感覚、実際に顔が見えて、あの人に相談しようとか、こういうビジネスが実際に成り立つんだという経験値の中で見えるという環境が地域の近くにあるということが、既存の産業の皆さんにも、新しいビジネスへの意欲というものを考えていただける機会をつくったんじゃないかと思っています。
 最終的には基礎自治体が持っている情報が非常にいい地域情報化の産業になるだろうと思っています。三鷹市は行財政改革を意欲的に行っており、一定程度のものについては民営化する形をとろうとしていますので、この辺も割と早い時期に事業化していくんじゃないかと思っています。
 あとの細かいことにつきましては、ご質問を受けながら、もう一度おさらいをさせていただいたり、ご質問にお答えをしていきたいと思っています。
 最後になりましたけれども、「SOHO CITY みたか構想」というのは、そんなに大きい仕掛けづくりではなくて、いかに必要な人に必要な情報を届けるかというソフトの支援メニューだとご理解をいただければと思います。
 長い時間ありがとうございました。あとはご質問を受けたいと思います。(拍手)



フリーディスカッション

谷口
 
どうもありがとうございました。
 実践を中心に大変興味深い話題を提供してただきました。
 多分皆さん、いろいろなご質問、ご意見をお持ちではないかと思います。どうぞ忌憚のないご質問・ご意見をお願いします。

鈴木(磐田市長)
 興味深いお話ありがとうございました。  SOHO、いわゆるオフィスを兼ねるところがあるというお話を伺いました。その3カ所に入居をする人をどういう基準で、言葉がいいのか悪いのかわかりませんが、選別をしているのかなと思います。  また、この3カ所の違いというのはどこにあるのか、教えていただきたいと思います。


 入居審査のやり方ですが、これもすべて応援団の皆様の人脈を貸していただいております。審査員につきましては、SOHO CITY みたか推進協議会の、いわゆる大手の社長軍団にすべてお願いをしています。最初に一定程度の信用調査も事務方がさせていただきますけれども、その後面接をする方は民間の社長の皆様方にお願いをしています。その方々が、基本的には、赤字であっても人物的によろしいという形になると、その方の方が優先順位が高くなっているように感じます。
  当然、今好調でも、この分野は下がる、市場的にこの分野は狭くなるということを既にわかっている方が多くて、今は好調だけど、2〜3年後に必ずしぼむよという形でアドバイスをいただいていまして、伸びる分野のさらにプラスアルファ、やはりSOHOの皆さんの最大の武器は、社長の個性と意欲なんです。それをいかに評価いただくかということで、これは行政は一切関与していません。割と大手の社長の皆さんにご審査をすべてお願いをしています。

鈴木
 審査の基準というか、そういうものはないのですか。


  基本的には項目は5つぐらいあるんです。市場性とか信頼性とか、最終的には審査員の合意をもって人物評価で決めていただいています。
  もう1つの3カ所の違いですが、これは意図的にかなり違っています。「SOHOパイロットオフィス」の方は、先ほど申し上げましたが、5年間の実証実験であるということでの完全なショールーム的な位置づけになっています。「産業プラザ」の方は、これはできれば長くずっといていただきまして、税金をそのまま市の方に還付いただけるぐらいまで大きくなって、大きくなったら次のビルに移っていただくぐらいの勢いで大きくなってもらいたいという意味での拠点型になっています。
  3番目の寄贈いただきました「三立SOHOセンター」の方は、こちらは意図的に家賃についても非常に安くしてありまして、2万円台からあります。経費負担ということで、これは女性とか高齢者、学生さんが創業しやすい形のきっかけづくりになるようなインキュベーションという位置づけをさせていただいています。
  あわせて、この4月にもう2カ所、「産業プラザアネックス」の1、2というのをつくりました。中心市街地、私どももご多分に漏れず空き店舗がたくさんあるんです。その空き店舗を民間のオーナーの皆様から私どもが借り上げて、小さいユニットに切りまして運営をするんですが、運営の仕方が今までの3カ所と違います。これは実際にそこに入るSOHOの方が運営します。共同事業化という形でやらせていただいています。初期の事業経費の半分をまちづくり三鷹が持って、半分を入居する方が持ちます。これも税金一切使わないで、空き店舗対策事業として、民民同士の共同事業化ということでやらせていただける形になっています。
  まちづくり三鷹は、事業費の2分の1の負担と、入居代行です。いわゆるまちづくり三鷹という第三セクターが募集をすることによって、信用とバリュー・・・バリューがあるかどうかわからないんですけれども・・・、ネームバリュー的に、入居を代行する。その後はすべてパートナーであります民間事業者の方に、契約から実質上の施設の運営までお任せしていき、出した分ずつ賃料は折半するという形でのビジネスモデルを今回2カ所でやらせていただいています。
  これも全部4月オープンになっているんですが、入居が決まりましたので、ほかでもお手が挙がれば、民間の床を借り上げて、こういったSOHOセンターという形でつくっていきたいと思っています。

篠原(地域活性化研究所)
 きょうはいろいろ参考になるお話をありがとうございました。
  もし関さんが直接のご担当でなければちょっと失礼なんですけれども、お話の中で商業の空洞化ということをおっしゃられていまして、吉祥寺が隣にいて、ライバルである。中心市街地の活性化、いわゆる商業の活性化という意味で、4月から電子商店街のME−MALLというお話がありましたが、その辺のことをもう少し具体的にイメージをお話しいただければと思います。


 実は三鷹市の最大のウイークポイントは商店だろうと思っています。既存の産業振興計画の中で、商店街用のメニューというのは一番多くて、10分の10という補助金もたくさんあるんです。全額市がやりますから、何とかやってくださいという形で、結構メニューを、イベントとか、歳末、お中元の売り出しの費用を全部こちら持ちでやってもらっても、それすら商店街としてはなかなかできないという商店街が割とあります。
  ここで42あった商店街は3つぐらい商店街としてもやめてしまうという危機感がありまして、電子商取引そのものが商店街の活性化になるかということについては、皆さんも迷っていらして、お答えは出ないと思います。私どもも非常に迷っているんてすが、それでも次の一手を打たないと、もう商店街がロードサイド店、コンビニエンスストアに押されっ放しで、足元から崩れ去るだろうと思っています。
  いや、コンビニエンスストアでも、ロードサイドでもいいじゃないかというお話が一方にあるんですが、先ほど高齢化と中年化の話をさせていただいたときに、ともかく歩いていけるところに商店がないと、これから地域って絶対だめな時代になっているんです。
  もしくは、高齢者が電話1本で全部の買い物をして届けるという配達をしていく時代になっているんです。ですから、商店街は近くに残すのか、もしくは宅配という形でのサービスの付加をつけるか、ともかく高齢者がご自分の意思で買いたいものを買えるという環境を残さなくちゃいけないと思っています。
  それで、このME−MALLというのは、その1つのきっかけになればと思ってつくっています。
  まず電子商店街で物はあまり売れないと思っているんです。一部の大手さんでも、そんなに売り上げは大きくありません。売り上げは実は多くないんです。だけれども、こういう品物が幾らで売っているかというようなチラシ的な情報網としては、電子商店街は意味があるだろうと今はとらえています。いわゆる電子商店街で物を売るのではなくて、個店への来客促進とチラシ的効果でとりあえずメリットがとれればいいかなと思ってやらせていただこうと思っています。
  これはこの4月にオープンするんですが、当面200店舗まで拡大をしていこうと思っていまして、最大のネックは商店街がほとんどパソコンを持っていないということなんです。それで、歩みが非常にゆっくりです。まず一番最初にやり始めようとしているのはパソコン講習会から。何を買ってどういうふうにパソコン操作をしたらいいかという一番最初の手始め。電子商店街をつくることによって出るだろう効果、それと期待される宅配制度のようなソフトの支援づくりというものを全部足元から固めていこうと思っています。
  それがSOHOと商店街の方が出会うきっかけになればいいと思っています。そこから商店街の方の意識が変わったり、もしくは今まで見えてなかったビジネスチャンスが見えればいいかなと思っています。それを見定めようと、3年間は絶対何としてもやり切るつもりでいるんですけれども、非常に不安です。電子商取引は非常に不安です。全国の商工会を中心にやはり立ち上げていらっしゃるんですが、どういうふうに聞いても儲かっているところは1カ所もないんです。ただ、やらざるを得ないぐらいに、地域の商店街は足元から弱体化しています。
  ですから、これがベストだとは思っていませんけれども、ベターだと思ってやり始めたいと思います。そのノウハウがこの1〜2年は生きなくてもその次で生きてくればいいんじゃないかと思いますので、足元から、一からゆっくりゆっくり電子商取引についてはやっていきたいなと思います。
  それを補完いただくスタッフは、逆に十分におります。電子商取引がわかっているスタッフがいるので、地元の商店街の方がうまく、ある意味ではご一緒に歩んでいただける環境になればいいんじゃないかと思っています。

布台(花巻市産業部商工課)
 きょういただいているレジュメの最後の方に、今後の展開ということで、地方情報都市のネットワークというところがありますが、この辺についてもう少し具体的に、どのような展開を考えていらっしゃるのか、教えていただければと思います。


 今後の展開のところで少しお話をさせていただいたように、1つには民間型の空き店舗、空きマンションをつくるというハード的なものと同時に、ソフト支援を充実させる予定です。
  それと、あとはsmall office home officeの方は割と支援メニューとかやらせていただいているんですが、HO、在宅勤務でお仕事をされる方用のメニュー出しがまだ少ない形になっていますので、女性の起業家講座でありますとか、入力もしくはCAD、CAM等を使った技術開発のものもやっていこうと思っています。
  女性の起業家講座のところは、福島県にいわきテレワークセンターという女性の会田社長さんという方がやっていらっしゃる会社がありますが、そこと組んで、女性の起業講座をやっていこうと思います。地域で、SOHOの皆さんのインキュベーションを助ける機関の顔が見えていますので、全国の拠点をネットワークしていきたいと思います。
  きょうの題目にもありましたように、この事業はスピードというのを非常に必要としている事業で、平成9年に三鷹市が、SOHOといい始めてから3年余りで、5カ所のインキュベーション施設と200人からの応援団をつくってこられたことは、ちゅうちょなくやってきたということにつながっているんです。これであと1年おくれたら、三鷹のSOHOじゃなくて、武蔵野のSOHOだったり、岩手県さんの方でやっているSOHOの方が有名だったりということで、タイミングをちょっとでも迷っておくらせてしまうと、その時代に合った施策なりメニュー出しができないと思っています。
  その辺のスピードをつけるという意味でも、既に確立をしているところがあれば、そのものとお互いにジョイントしていくという手法の方がよりいいだろうと思っています。
  今後の展開のところでは、先ほどの福島県のいわき市さんと提携もやらせていただいていますが、高知県の方からもご一緒にというお話もいただいていますので、今後は私どもみたいなところでよろしければ、こういうものをおつくりになりたいところとは、ノウハウもしくは私どもは3年間インキュベーションを運営してきました経緯としての経験がございますので、その辺については連携をさせていただきたいと思っています。

 谷口(司会)
 先ほどちょっとお話が出たかと思いますが、インキュベーションというか、SOHOを中心に新しいビジネスをどんどん起こしても、ある程度エスタブリッシュされた段階で、地域の外に出ていってしまうということが考えられるわけです。選定のときに、ずっと最後までいていらっしゃる方をというものの、ビジネスというのはそういうものじゃなくて、常に成長しようとしますので、そこら辺はもう割り切るということでしょうか。

 
 非常に難しくて、私どもも実質上はまだ迷っている部分があるんです。とめてもとめ切れない企業さん、当然ございますので、大きくなろうとする方を、ある意味で足元で引っ張っているということは絶対あり得ないと思っていますので、飛躍される方はどんどん都内に行ってもらおうと割り切っています。その分、逆に、HO型とか、地域でもできるようなビジネスについては後ろから肩を押すことによって新たな産業を常につくり続ける環境を整えていきたいと思っています。
  それとあわせて、三鷹の駅前がほとんどマンション群で埋まっていまして、いいオフィス床、特にステップアップをしていく企業さんが、リロケーションしていく、移転をしながら大きくなっていくといういいインテリジェントビルが非常に少ないので、今後の再開発、もしくは民間の事業主さんのビルの建てかえに合わせて、若干大き目のオフィスの方も民間企業さんと合わせて整えていきたいと思っています。
  私個人の意見としては、できれば住宅を規制してでも、何とか業務床の拡張を図っていきたいと思っています。なぜかというと、ほうっておいても、三鷹というところは、きょうはディベロッパーの方もいらっしゃってよくご存じと思いますが、三鷹で歩いて10分圏内ですと、1日でマンション完売しちゃうんです。ですから、マンションの方がねらっているんです。それを何とかやめたい。マンションは、売ったときはいいんですが、住民が新陳代謝しないんです。高齢化していくだけなんです。企業というのは代謝していく。経営者がかわったり、もしくは入れかわったりということで。きょうは大手ディベロッパーさんがいらっしゃいますけれども、三鷹駅前にも何とかいいインテリジェントビルを企画していただきたいと思っていますので、ぜひよろしくお願いします。
  それだけの立地上の優位性は、今回の産業プラザを含めて、私どもが企業誘致を幾つかさせていただいてもいますし、地元の小さい企業さん、個人企業者さんを法人化させたりという形で、地元からもつくるという動きを一生懸命していますので、ぜひ民間の開発の事業者の方ともうまく連携をとらせていただいて、駅前に一定程度の業務集積を図っていきたいと思います。
  三鷹は本当に住宅だけは豊富にあるものですから、そこ以外のものを足す時期だろうと思っています。ここでうまく足さないと、高齢化のまま、税金が目減りするのを、ただただ座しているということになってしまうものですから、その辺はうまくリロケーションができるような次なる受け皿というものがハード的には必要だと思っています。  あとはソフト的には、出ていかれる企業さんも確かにいらっしゃるんですが、大体その企業さんは最終的には推進協議会の応援団としては必ず残っていただくということで、人脈的には常につながっています。三鷹市の企業さんが、逆に全国にいるというつもりで、なるべく広い心で企業さんの支援をさせていただきたいと思っています。

 山中(磐田市役所)
 
SOHOの業種といいますか、今具体的にどのような仕事が好調といいますか、代表的なものが多いか、どういうものがビジネスになるかというのを教えていただきたいと思います。

 関
 私どもに入っていただいている企業さんは、幾つか得意分野はあるんですが、共通していらっしゃるのは、インターネットのシステム開発、インターネットのネットワーク管理、それとアプリケーション開発、この3つは特徴的にどなたでもおできになります。基本的に、システム開発をされる方はそれを使ってインターネットについてもかなり把握されてきますので、やらなくてもできるという方が非常に多いです。ですから、例えば、ホームページをつくるとか、インターネット管理だけを任せるというふうにしても、最終的には割と幅広く、あれもやって、これもやってという形で、ネット関連、システム開発のところ全体がカバーできる形でお仕事を発注されるという形態に変わりつつあります。
  ですから、この分野だけというのは、ある意味では少ない。その分野だけに特化したビジネスをされている方はいらっしゃらない、幅広くやらないと、お客さんがつかない、とれないという形にはなると思います。
  あとは、セキュリティーの関係の認証の方も私どものところには入っていますし、あとウェブデザイナーということで、ホームページをつくられたり、今は紙とホームページを同時につくる方が結構いらっしゃるんです。ホームページで上げながら、紙ベースでも大体同じコンテンツを切り回ししていくというのがあるものですから、その両方がデザインできるようなウェブデザイナーというのが、今非常に重宝されているように思います。
  あとは、教育関係でいきますと、ウェブベストトレーニング。インターネットを使ったコンテンツの配信のような仕事も最近非常に多くなっています。

 吉田(三菱総合研究所)
 SOHO CITY みたかのお話を以前からお聞きしたいと思っておりまして、本日このような機会は大変ありがたく思っています。
  前半の方で、市民参加、パートナーシップで進めていらっしゃったということで、大変すばらしいことだと思っております。市民参加とか、開かれた行政というのも、うまくいっている間はいいと思うんですけれども、最終的な責任という意味で、時代のスピードが速いということで、順風満帆といかないときに、このような市民参加の仕組みのものについてどのようなお考えなのか、お聞かせいただければありがたいと思います。


 厳しいご質問だと思いますが、責任は、基本的には市民にはなくて全部行政側がとるというつもりでやらせていただいています。提案をいただくということは、市民自治として市民の義務であり、さらに権利であると思っておりますが、自治体はまちづくりへの最大の責務を持っている。責任を果たすべき、そのためにつくられている組織であり、税金をそのために使わせていただいている形になります。提案をいただいたことをやるということも当然責務ですが、もう1つは、やらないということを決定するのも1つの責務だろうと思っています。今の三鷹のやり方は、1つは、政策を判断しているところの透明性を保つということと、先ほど申し上げた説明責任、なぜ、じゃ、これはやらなかったのか、もしくはやれないのか、やりたくないのか、やれない条件がこれだけあるのかということについては、相当時間と労力をかけて説明をさせていただくように心がけをしています。
  もちろん、今のインターネットも最大的に駆使をしていますが、それ以外に紙ベース、映像というメディアもありますし、直接対話、特に私たちが重視しているのは、地域に出向いて市民と直接対話をする説明会を、何に対しても夜昼関係なくやらせていただいています。そういう意味での、必ずフィードバックするということについては、最大限の努力をさせていただいているだろうと思っています。
  先ほどお話をしましたが、客観的な判断ということで、行政評価のチェック性、それも他の第三者機関に一定程度の評価をお願いするという客観性の導入という意味、主体性だけでなく、客観性を導入するということもさせていただいていまして、外からも内からもやれる範囲内ではやらせていただこうと思っています。
  ただ、三鷹の場合には気持ち上、こういうものをやりたい、こういう新しいことをやりたい、もしくはモデルケースになるものをやるための財源の確保が、最大のビッグポイントだと思っています。
  税の構造が住民税を主体としていますので、高齢化になれば、今後どんどん稼がない都市へということが目に見えています。ですから、「SOHO CITY みたか」というのは、ある意味では背水の陣を敷きながら、これぐらいしか三鷹ではやれないというくらい、これについては一生懸命やらせていただこうと思っています。
  9割が住宅という用途地域の中で、どう税収を上げるかというのは非常に難しい課題だったんです。産業政策というのは、ソフトではなくて、土地利用としてのグランドデザインの上にどう産業を起こすかという、土地利用がすごく大きい影響を及ぼすと私は思っています。
  例えば、近隣市の府中市さんとか、調布市さんにおいては、大型のマーケットを呼ぶ商業地域でありますとか、工業地域をもう少し割合的に多くお持ちなんです。ところが、三鷹の場合には、40年から50年にかけて住宅都市で生きるという選択をその時代に既にしていますので、現在9割が住宅の中でいかに稼ぐかということは、私は、産業振興という面で今から見ると、そのときの選択がベストだったかどうかというのはちょっと疑問視をしています。
  じゃ、その用途地域を変更すればいいじゃないかとおっしゃると思うんですが、実はこの用途地域というのは非常に厳しい法律によって規定をされていまして、私どもの基礎自治体に用途地域の改正権限がないんです。東京都は首都圏整備法に基づきます範囲内に入っていまして、東京、大阪、名古屋の3大都市につきましては、用途地域の改正権限はすべて東京都レベル、県レベルの許認可になっているんです。
  ですから、基礎自治体が、産業振興に向けて土地の用途地域を変更したいといったときに、これがなかなか変え切れないでいます。現在、三鷹市の方ではもう5年越しになりますけれども、ある地域を住宅系から工業系に変更したいと東京都と大分交渉させていただいておりますけれども、いまだによりよい返事をいただいておりません。土地利用と産業振興は両輪の輪だったということが、今ごろになってやっとわかってきたということになります。
  三鷹の場合には、少なくともこういう形でわかってまいりましたので、当然土地利用も変更し、さらに逆にいえば、住宅都市の中でもやれる産業振興についても、もう少し工夫していきたいと思っています。
  そういう制度を勉強すること自体、もしくは時代を読むということが基礎自治体の行政の責務だろうと思ってやらせていただいています。先ほどの人口構造でありますとか、土地利用の考え方についても、幅広くもっともっと勉強していかなくちゃいけないなと感じています。

近江(日本大学)
 三鷹にすてきな音楽ホールがあるので、私、吉祥寺なものですから、しばしば行くんですが、あのホールは大変いいホールだと思います。あれがの使用頻度、それと維持管理費、その辺はどうなっているのか。、自治体でホールをつくるとお荷物になって閑古鳥が鳴いているという話がよくあります。あの場合は、例えばあれを設置することについての住民参加とか、意見を聴取したという実績がございますか。もしご存じでしたら、教えていただきたいことと、管理費などはどんなぐあいになっているのかということをちょっと心配しております。

 関
 私どものホールにお褒めの言葉をいただきまして、ありがとうございます。三鷹市芸術文化センターというクラシック音楽専用のホールがありますが、このホールの建設につきましても、芸術文化の団体からの長年のご提案、さらに市民参加手法でもやはり文化都市としての三鷹市の位置づけの中からホールの必要性というものについては再三いわれてきておりまして、その市民からのご提案という形で、当然市民からの発意が先にあってホールを建設させていただいております。
  バブルのころで小さい建物ながら総工費約70億円ぐらいの建設費をもって、実質上建設をいたしました。現在維持管理費は、人件費も入れて5億から7億ぐらいかかっていると思います。稼働率は非常にいいと思います。お褒めの言葉をいただいておりまして、私どもの学芸員が頑張っております。空きがないくらいに、毎日のようにイベントを打ったり、市民の方からも貸し出しをさせていただいていると思っています。
  ただ、三鷹の場合には、もう1つの大きい総合体育館については延期をさせていただいております。やはり財政難ということと、コミュニティーセンターが7つありまして、基本的に大きい体育館が地域ごとに7つあるんです。ですから、当面その地域で体育をやる方はその体育館を使っていただいて、近隣の総合体育館をお借りすることで当面をしのごうということで、実施設計まで終わっていたと思うんですけれども、最終的に着工だけをここ3年延期をさせていただいています。
  優先順位と、実施設計まで終わっていても今つくるべきじゃないという政策判断をしてきていますので、結構自治体の中でも厳しい選択をしている方じゃないかなと思っています。
  そのほかに、5年前まで1300人いた市の職員を5年間で1200人まで減少して、いわゆる補充をしないという形でやらせてきていただいています。歳入という面を考えますと、身の丈に合った行政執行という意味では、総合体育館を3年も先送りしているように、割と厳しい政策判断はしているんじゃないかと思っています。
  最大のウィークポイントは、先ほどから申し上げているように、三鷹市がやりたい、一定程度、高福祉・高環境といわれているレベルの行政を維持するための財源をどうするかというところが課題です。
  ですから、「SOHO CITY みたか構想」で税金が上がったのかどうかという市議会さんからのご質問をしょっちゅう受けるんですけれども、これは私どもとしては長い目で見てください、10年をもって一定程度のご評価をいただきたいと思っているわけです。
  必ずしも、SOHOの方々が直接稼いで出す税金だけではなくて、工業者なり商業者の方も元気づくということが今は一番肝心じゃないかと思って、それぐらい産業は今ぐあいが悪いと思っています。今一番元気のいいところをともかくゲットしておくだけでも、これは次の産業につながると思っています。時代の変化をキャッチするために、この「SOHO CITY みたか構想」をあと4〜5年、継続的にやらせていただきたいと思いますし、税金の方はもうちょっと長い目で評価をいただければと思っています。

 滝谷(滝谷国際経営事務所)
 私自身この近くで、SOHO、SOの経営者でございます。専ら情報産業の経営の指導をしております。そういう意味で行政のことはわからないので、教えていただきたいんですが、冒頭に、市役所と市民会議がパートナーシップ、契約といいますか、私は、イーブンパートナーシップをなさっていたのかなと思っていたんです。先ほどのお答えの中で、責任は行政がとるとおっしゃった。もし、イーブンパートナーシップであれば、市民会議の側も責任を共有しなきゃいけないわけで、どちらかというと、今日本では三重県を初め、生活者中心の行政というのがどんどん進んでいる中で、少し流れが違うのかな。つまり、立案を官の側が中心になって立てて、だから責任もうちがとるというスタイルなのか。
  もしそうだとしたら、先ほどのどなたかの質問と関係しますが、16万の市民が、本当にこのSOHOの施策にどれくらい合意なさっているかというところをどういうふうにとらえていらっしゃるか。マンション需要があるということは、それだけやはり求められている。しかし、それを一方的に、それじゃ困ると考えて、そういうものが建たないようにこういうことを進めるんだというのは、ひょっとしたら矛盾があるかもしれない。そういう基本的なところをお教え願いたい。
  その結果として、きょう説明を省かれたようですが、日本経営品質賞というんですか、これとの関係、評価との関係がどうなるかということ、もしあればそれを追加していただきたいと思います。

 関
 今回のパートナーシップ協定については、第3次の基本計画の意見を集約する目的がメインであるという一定程度の対象がはっきりしているパートナーシップ協定になっていますので、立場的にはイコーリティー、対等という形になりますけれども、最終的な事業の実施及び立案については、当初から市役所、自治体側の方で責任を果たすということが既に暗黙の了解値でございましたので、きょう教えていただきました他市、もしくは他県さんとは若干違った形での協定書になっていると思っています。
  それともう1つ、SOHOについての認知度もしくは参加といいますか、応援のところについては、全体的なアンケート調査というものをとっておりませんけれども、まちづくり研究所の方から先に市役所に提案をいただきまして、その後の市民からの反応、それと議会での市議会議員さんは自分の地元にお戻りになったときにいろんな方のご意見を聞いていらっしゃると思います。基本的には先ほど来申し上げているように、産業振興の中では次の一手を打てないでいる市が多いんです。その中にあって、少なくとも次の一手のカードを切った。シャッフルしているだけじゃなくて、少なくともカードを開いた、やった、ドウしたというところについては、市民の方はご評価をいただいているように、私は担当者としては思っています。
  なぜかといいますと、行政側にとってありがちなのは、きれいなプランとか、着飾った言葉で紙のものをつくるのは非常に得意にやってきています。そうはいってもやったかどうかということが最後です。小さい事業であっても、私どもは3カ所、ここで5カ所ふやし、さらに実質上の企業としては70社を少なくとも誘致、育成し、さらに国からの補助金等も含めて、数十億単位の事業を少なくとも地元に持ってきたということに対しての一定程度やる、それを積み重ねてきたということは評価されてきていると思っています。
  先ほど時代のスピードが必要だというお話をさせていただきましたが、実は今はデジタル社会になっていまして、デジタルというのは基本的に0か1でできているんです。アナログはレベルは1から10のスイッチがあれば、1から10の中ぐらい、高速というのがあるんですが、現在はデジタルの社会なので、どんな事業であっても、0か1の判断でいくんです。やったかやらないかという差は、一定超えていくと、相当の差があると私どもは思っていまして、少なくとも立案したものについては、やってきた、やった、つまり0じゃなくて1である。1であるということは常にオフラインじゃなくてオンラインであるということです。
  ですから、そのオンラインでやってきたということについては、やはり他市よりは少なくとも志はあったと思っております。  市民の方からも一定程度そういうお話を聞いていますが、実際上アンケート調査等を正式にとったわけではありませんので、その辺は、やってご評価をいただいたんじゃないかぐらいにとどめさせていただきたいと思います。
  もう1つ、日本経営品質賞の方は、これが社会経済生産性本部さんの方とご一緒している行政評価という基準値でございまして、これについては既に12年度導入をさせていただいておりまして、一応自治体としてはかなり高いレベルになっているという形で、顧客マインドとしての満足度としては市民からは高い評価をいただいている、数値的には出ているという形になります。
  ただ、自治体側はほかはやってないので、他市との比較という意味では、ちょっと自己満足的なところからは抜け出てないんじゃないかなと思います。
  お答えになったかどうか、不安ですが、どうでしょうか。

谷口 
 
どうもありがとうございました。  まだいろいろとお話があるかと思いますが、ちょうど時間が参りましたので、きょうのところはこれで終わらせていただきます。きょうは関さんにいろいろお話しいただきました。どうもありがとうございました。(拍手)


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