back

第162回都市経営フォーラム

自然エネルギー活用と地域再生
−サスティナブルな地域社会の形成に向けて−

講師:飯田 哲也 氏
日本総合研究所主任研究員
(環境エネルギー政策)


日付:2001年6月15日(金)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

 

1990年代「自然エネルギー革命」

自然エネルギーに急傾斜する欧州

新しい自然エネルギー政策ツールの発展

電力自由化「グリーン電力制度」

わき起こる地域からの自然エネルギーへの期待

地域の「持続可能な未来像」の軸となるエネルギー・環境政策

エネルギー政策の民主化に向けて

日本の自然エネルギー政策の課題

フリーディスカッション



 皆さん、こんにちは。今ご紹介いただきました飯田と申します。
 きょうはお手元のレジュメが「自然エネルギー活用と地域再生〜サスティナブルな地域社会の形成に向けて」というタイトルで、基本的にこのプレゼンテーションでお話しさせていただきますが、パワーポイントで話を進めていきますので、必ずしもこのアウトラインにならないかもしれません。
特に具体的にこの町をどうするかというよりは、サスティナビリティーという言葉の政治的な意味とか、ちょうどきのうスウェーデンのイェーテボリというところで、EUと米国のブッシュとの京都議定書をめぐる決裂がありましたけれども、ああいったところの背景に流れる環境思想のアメリカとヨーロッパのずれとか、そこら辺に触れる話をしていきたいと思います。


(パワーポイント「自然エネルギー活用と地域再生」)
   「自然エネルギー活用と地域再生」ということで、ちなみに、この写真は、去年の12月にデンマークのコペンハーゲンの沖合にできた洋上の風力発電です。2メガワット、いわゆる2,000キロワットの風力発電が20基で合計4万キロワットですが、そのうちの半分の2万キロワットをコペンハーゲンの市民が出資をしてできたという風車です。
 ちょうど私がスウェーデンにいたころに、1口大体5万円ぐらいでコペンハーゲンの市民に売り出していた風車です。それが去年の7月にはスウェーデンとデンマークを渡す橋ができて、この風車も建設状況がそのころ見えていまして、去年の12月に建築をした。コペンハーゲンという、いわば北欧の首都の玄関口に、こういう大型の風車ができ上がることの意味に触れつつ、話を進めていきたいと思います。
(パワーポイント「宮沢賢治の『注文の多い料理店』から」)
 最初に、話は全然違いますが、宮沢賢治の「注文の多い料理店」から話をしていきます。
 皆さんこの話はよくご存じだと思うのですけれども、2人の紳士が東京から犬を連れて、山の方へ猟に行った。途中で案内人も迷ってしまった。それから2匹の白い大きな犬も、泡を吹いて死んでしまって、猟では何も取れずに、おなかがすいて、そろそろ帰ろうかというところで、目の前に料理店が出てきた。
 その入り口には、まずこの料理店は、注文の多い料理店ですので、「勘弁してくだせえ」というような看板があって、扉を1つ1つあけていくと、「殊に若いお方、太った方は大歓迎です」とか、もうちょっとあけていくと、「頭に氷を振りかけてください」とか、次々と扉にメッセージが書かれています。
 最後に7番目の扉が出てきて、「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。どうか体の中に、失望の中の塩をたくさんよくもみ込んでください」というメッセージを見て、初めてこの2人の紳士は、日本語としていっているメッセージは伝わったわけですが、そのメッセージが何を伝えようとしていたのか、その意味が最後にわかった。
 宮沢賢治は非常に優しくて、最後に死んだ犬を生き返らせて、後ろの扉からなだれ込んできて、最後の7番目の扉も打ち破って、その奥に待ち構えていた山猫を食い殺して、その2人の紳士は救われた。ただ、顔だけはもとに戻らなかったというエピソードになっております。

(パワーポイント「2001年のトピックス」)
 我々の身の回りで起きている、例えばことし起きたエネルギーあるいは地球温暖化をめぐるさまざまなトピックスの1つ1つをとってみても、ことし1月にIPCCの作業部会で、100年後に最大5.8°C、最低でも1.3°Cの温度上昇があり得るという第1作業部会の報告が出ました。一方では、東京電力が、3年から5年、発電所を凍結する。それを受けて、福島県知事が、今度はプルサーマル実施を延期し、県としてはエネルギー政策を見直す。そしてこの間に、アメリカのカリフォルニアでは、去年の暮れからことしの初めまで、電力危機の暴騰がありました。それから3月に、アメリカのブッシュ政権が、京都議定書から離脱。きのうの会合でこの決裂はもう決定的になったわけです。また、その5月には、米ブッシュ政権が新しいエネルギー政策を打ち出す。5月に同じく日本では、刈羽村プルサーマル住民投票が行われる。
(パワーポイント「IPCC作業部会」)
 これらの出来事はことしに入ってからだけですけれども、もっとマクロに見ていくと、これはIPCCの作業部会の図ですが、過去10年間、ただ地球温暖化だけをめぐっても、サンゴ礁に異変が起きるとか、保険業界に異変が起こる。若干読みにくいですけれども、ヒマラヤの氷河湖の決壊、キリバス共和国の高潮の影響、氷河の後退等々、今全体として起きているさまざまな大きなメッセージを、我々が受けとめて、日々の意思決定に生かさなければいけないのではないか。「注文の多い料理店」ということから、我々は今日、環境に関しては、そういうことを読み取る必要があるのかなと思います。
 これはイントロダクションとして申し上げましたが、そういう意味では、サスティナビリティー、持続可能な都市を考えるわけですが、サスティナビリティーそのものの意味を考えていきたいと思います。




1990年代「自然エネルギー革命」

 (パワーポイント「でも、意味を理解できるのだろうか」)
        *自然エネルギーを通して持続可能な都市を考える
        *持続可能な社会とは……
 持続可能な社会、あるいは持続可能な都市の未来像、そして自然エネルギーがそれによってどういう意味を持っているのかを、単純に、自然エネルギーで賄えば持続可能になるという話ではなくて、もう少し政治的な意味合いから考えてみたいと思います。
(パワーポイント「国連ブルントラント委員会−1987」)
 この方は、前ノルウェー首相のブルントラント女史で、現在WHOの事務局長をされています。この方が1987年に出した「国連環境と開発委員会報告」、いわゆるブルントラント報告は、皆さんよくご存じだと思うのですが、「将来の世代がみずからの欲求を充足する能力を損なうことなく、今日の世代の欲求を満たすこと」というメッセージを出しています。
 その当時はサスティナブル・ディベロップメント、持続可能な発展、あるいは持続可能な開発といっていたわけですが、この委員会によって、サスティナブル・ディベロップメント、サスティナブル・ソサイエティー、場合によってはサスティナブル・エナジーという言葉が、1つの時代のある種のパラダイムになったわけですけれども、このことの意味はどういうことなのだろうか。
(パワーポイント「その社会的な意味……」)
 サスティナビリティーそのものを物理的、厳密的に定義すると、そういう本なども相当出されていますけれども、もうちょっと社会的、政治的な意味というのは、まず第1に、経済と環境を実質的に統合したところにあるといわれています。
(パワーポイント「@:経済と環境の実質的な統合」)
 つまり、究極的に持続可能な状態をぎりぎり考えて、そのことそのものを出した意味というよりは、1970年代は、環境運動の歴史から見ると、エネルギーと原子力紛争の時代として分析されていまして、1972年に、いわゆるローマクラブの「成長の限界」が出たわけですが、その年にストックホルムの人間環境会議があって、ある種の環境政策、しかも、その成長を疑うという1つの文脈が出てきたわけですけれども、その翌年の1973年に、我々の世代で辛うじて記憶のある、トイレットペーパーに行列が起きたり、石油の価格が3倍、4倍に上がるというオイルショックが起きたわけです。
 そのオイルショックをめぐって、1つは原子力について、日本もその当時、田中角栄が電源開発関連のいわゆる電源3法をつくって、地域への交付金をばらまくことによって、原子力の開発をより確実なものにしようとしたわけです。
 それは日本だけではなく、アメリカも、ドイツも、フランスも、デンマーク、スウェーデンも、当時、オイルショックというのは、石油をめぐり、OECDも結局オイルショックを契機にできたわけですので、実質的にはOECD諸国に対して、OPEC諸国が石油に関する政治的な主導権を握るという意味があったので、先進国はそれに対抗して、これは実質的に意味があるかどうかは別にして、政治的な対抗力として、各国の政府が原子力を推進しようとした。
 その当時、ちょうど日本では70年安保が象徴的でしたけれども、アメリカから始まったカウンター・カルチャー、いわゆる従来の東と西、あるいは右か左かという東西の冷戦構造とは違って、上か下か、お上対民衆という既成の権威を問い直す対抗的政治文化が、1960年代後半から流れてきていた。
 70年代の政府、いわゆるお上が、民衆を押しつけるために原子力を進め、巨大な技術を押しつけるという政治構造に対して、民衆は、小規模で分散型の自然エネルギーや省エネルギーを進めていくという対立構図にスポッとはまってきたわけです。
 その流れの中に、エモリー・ロビンスのソフト・エネルギー・パスもあり、シューマッハーのスモール・イズ・ビューティフルとか、イリイチのエネルギーの話があるわけですが、その中で、スウェーデン、デンマーク、ドイツでいえばフライブルグ、あるいはオランダといった北欧のいわゆる環境政策先進国といわれている国々が、お上か民衆か、原子力か否かという対立構図から、少なくとも一歩早く抜け出したわけです。
 それはまた後でもう一回振り返りますが、その当時は、イエスかノーかという構図で、原子力推進かそうでないか、エネルギー供給サイドか、省エネルギーかというのは、そのまま経済発展、経済成長か環境保全かという枠組みにはまっていたのが、1970年代です。それが80年代には、経済発展も環境もというふうに流れてきたのが1つです。
(パワーポイント「A:対立から対話への転換」)
 もう1つは、右か左かでなく、お上か民衆かの対立の構図から、対話の構図に変わってきたのも80年代です。特に持続可能な社会をめぐるキーワードの意味で、それまでは、例えば原子力をめぐって、相手をディベートで打ち負かせばよかったわけです。しかし、例えばスウェーデン、デンマークで、原子力の政治問題が、最大の問題からスポッと過ぎ去ったその瞬間から、要は、敵が目の前からいなくなったわけです。顔の見える相手は、敵ではなくて、自分たちが闘わなければいけないのは、自分たちが次につくり出すものだ。闘いではなくて、自分たちは実際に何ができるのかという構図に大きく変わってきた。
(パワーポイント「B:エコロジカルな近代化の時代へ」)
 そのことはレジュメの最後にちょっと書いていますが、「エコロジカルな近代化の時代へ」といわれています。英語でいうとエコロジカル・モダニゼーションです。
 もう1つ要素があって、これは後でまた触れますが、経済的手法、環境の社会的費用を実質的に中に取り込むのも、近代化の1つの要素です。




自然エネルギーに急傾斜する欧州

(パワーポイント「エコロジカルな近代化とは……」)
  @:持続可能な発展への共通の合意
      *経済か環境かから経済も環境もへ
  A:政府と民衆との対立から関係当事者による対話へ
  B:イデオロギーをめぐる論争から経済的手法、合理的思考の実践へ」
 まず、持続可能な発展、あるいはサスティナブル・ディベロップメントというのを1つの合意にしましょうというのが、エコロジカルな近代化の1つの特徴です。その中には、先ほどいった「経済か環境か」から「経済も環境も」というふうになっています。
 もう1つは、政府対民衆の対立から、関係当事者、英語ではステークホルダーというのですが、関係者が対話をして、自分たち自身の社会を一歩前進させていくのだという対話に変わっていった。
 イデオロギーをめぐって、ある意味で原子力もそうですし、成長が善か悪かという神学論争のような次元のものから、むしろ実質的に、この社会において機能する経済的手法を導入しましょうとか、実質的なプロジェクトを実践していきましょうというふうに大きく変わってきたのです。
(パワーポイント「1980年代北欧で始まった政治的文化の転換」)

        《スウェーデン》
        *1970年代の原子力論争
        *80年の原発国民投票
        *80年代からのエネルギー・環境政策の転換
        *地域熱供給とバイオマスの普及へ
 フィンランドが一番最初でしたけれども、ただ、スウェーデンもデンマークも、いわゆる環境税を、90年から91年ぐらいにかけて、次々とあの諸国が導入したというのは、環境的な社会費用を経済の中に盛り込むというのが、まさにこの思想のあらわれだからです。
 それから、具体的には、スウェーデンとデンマークの例でもう一回ご紹介しますと、スウェーデンは、さっきのような文脈で、原子力論争が70年代にあって、特にそこでは、かつて農民党といわれた中央党が、政治的には右、いわゆるブルジョワ・ブロックであったのですけれども、原子力に関しては反対。今の政権与党である社会民主党は、政治的には左、いわゆる社会民主主義でありながら、原子力は推進というねじれ構造があった。
 原子力は、いわゆる国政レベルで論争されている最中に、最終的に、1979年にスリーマイルの原発事故があって、結局、原発国民投票が行われた。原発国民投票の結果というのは3択肢でしたから、推進、反対、中立的なものがほぼ3等分されましたから、その解釈は非常に矛盾に満ちたというか、あいまいなものになってしまったわけですが、実質的には原子力は政治論争の主題から去ってしまった。

 そこから例えばスウェーデンでいうと、80年代から相当加速したのは、後から図が出てきますが、バイオマス・エネルギーです。原子力は、ある意味で神学論争なわけですが、バイオマスは、例えば自分の地域の自前の自然エネルギーと今度具体的に取り組んでいける。
 原子力はエネルギー問題ですから、エネルギー問題をめぐって、それは推進も反対もそこに知識人が集まりましたし、知的な蓄積があった。それが賛成か反対かという対立から、では自分たちのエネルギーをどうしていくのかという問題設定に変わると、そこに集約されてきた知的資産というものが、かなり建設的に組み立てられた。
 80年代からは、スウェーデンでバイオマスの普及が爆発的に進んで、それが91年から92年にかけて、環境税の導入といって、いわゆる近代的な手法の導入に至った政治的な背景というふうに分析されています。

 地域熱供給と小規模なコジェネレーションの組み合わせ、さらに、燃料としてバイオマスを入れていくことで、自然エネルギーへの転換の、特にバイオマスに関しては、今世界的にもリードに立っているわけです。
(パワーポイント「1980年代北欧で始まった政治的文化の転換」)

        《デンマーク》
         *1970年代の原子力論争

         *1970年代半ばからの代替エネルギーへの流れ
         *1985年、議会による原発オプションの政策
         *風力発電、小規模コジェネ・地域熱供給
 デンマークは、同じように70年代に原子力論争が起きたのですが、デンマークの場合、スウェーデンと違って、オイルショックが起きた直後に、政府と電力会社が、原子力を15基つくるという公表をしたときには、まだ1基も原子力発電がなかったのです。スウェーデンと違って、原子力をこれ以上ふやすかどうかではなくて、原子力をそもそも持つか持たないかという論争で、政府は原子力を推進、民衆は原子力に反対という典型的な対抗的政治文化の構図が見られたのが70年代です。
 デンマークの場合は、もともと地域協同組合の歴史というか、一方で政治文化があって、70年代に原子力の論争の最中から、代替エネルギー、特に風力発電への取り組みが始まって、76年にはフォーケ・ハイスコーレ、民衆高等学校のトュヴィンというところで、2000キロワットという、今の近代風車から見ても一番大型のクラスの風車を手づくりでつくって、それがある種、対抗的政治文化の1つの政治の象徴になったりするような運動も起きてきた。エネルギーとしては、風車が1基できたところで何の意味もないのですが、政治的なシンボルとしては非常に大きな意味があった。
 そんな中で、例えば先ほどコペンハーゲンの目の前に風車が20基見えたわけですが、実は20基建つ前には、その対岸にスウェーデンのバルシェベック原発といって、おととし1基閉鎖された原発が見えます。その建設を進めるということを、スウェーデンの政府が決定したわけです。いってみれば、日本の東京の目の前に、例えば韓国はないですが、自分の国の首都の目の前に、どこの国も近親憎悪というのは何となくあって、仲がいいけれども、お互いに古くからけんかをしているという隣国が、目と鼻の先に原発をつくるという状況で、コペンハーゲンから今でも原発が見えます。

 それが、コペンハーゲン市民、ひいてはデンマーク国民の反対運動に火をつけて、結局最終的には、1985年、議会によって原発オプションを放棄するという決定がなされた。デンマークも実質的には、ここで政治的な原子力論争に終止符を打って、80年代からデンマークは、スウェーデンとは違って、今度風力発電とバイオマスの小規模のコジェネレーション、やはり同じように地域熱供給をしていって、エネルギーシステムを抜本的に変えていこうという流れが、過去20年間起きているわけです。



新しい自然エネルギー政策ツールの発展

 (パワーポイント「持続可能な社会と自然エネルギー」)
        *エネルギーそのものとしての役割

         @:持続可能なエネルギーの1つ
         A:自然エネルギーと省エネルギーが持続可能な社会
 そういう意味で、自然エネルギーは、もちろん持続可能な社会そのものの定義をすると、究極的には、再生可能なエネルギーと資源を、再生可能なペースで使っていくということを意味します。例えばオランダの地球の友がエコロジカル・スペース(いわゆる環境空間)とか、エコロジカル・フットプリントという、自分たち自身が使っている環境負荷を、世界的に平等な形に落としていかなければいけないとか、そういう話はいろいろあるわけです。
 そういう意味で、自然エネルギーというのは、エネルギーそのものとしては、持続可能なエネルギーの1つですし、もちろん今の日本のエネルギー消費量をそのままにして、自然エネルギーに変えていくことは不可能ですから、省エネルギー、あるいは飛躍的なエネルギーの効率化というのは、当然物理的な条件としてのサスティナビリティーを考えていくときには最大のかぎなわけですが、むしろ今北欧の歴史から見ていくと、社会政治的な役割が非常に大きい。70年代という文脈においては、原子力がまさにその対立の根源であって、その対立が対話に変わっていくかぎを握ったのが、ある意味で自然エネルギーです。しかも、自然エネルギーの性格というのは、小規模分散型、いわゆる地域分散型ですし、例えば社会的な関係性が非常に変わってくるわけです。
(パワーポイント「社会の政策的な役割」)

         *小規模分散型
         *社会的な関係性の転換
 日本でも、ちょうど私も個人的に経験があるんですが、電力会社は特にそうですけれども、電力会社だけでなくて、例えば商社の人とか、重工メーカーの人も、大体電力関係の開発の仕事に携わっている人は、まず大規模なプロジェクトばかりです。かつてはそうでしたから、そういうプロジェクトは、地域ではある意味で必ず嫌われていて、紛争を起こしていて、その仕事に対して、ある程度そういうものだと割り切りをしながら、どこか心に後ろめたさを持ちながら、しかし、エネルギー供給とはそういうものだと若干虚勢を張るというか、官僚的な対応をとる人が多いのです。
 例えば自然エネルギー、これは例えば昨年、アメリカのカリフォルニアに共同ミッションで、私は環境NGOの代表として、それから電力会社の人間と、アメリカで電力の開発にずっと携わっていた商社の人間という混成チームで、後でもご紹介しますが、カリフォルニアのグリーン電力という開発のヒアリングに、一緒に歩いたことがあるのです。
 特にアメリカに駐在の電力開発の仕事ばかりやってきた方は、それまで途上国でも、日本のODAの援助で、巨大な石炭火力をつくってきたという方で、グリーン電力とか、自然エネルギーがつまらない。珍奇な仕事で来たなぁというような対応を最初はされていたのですが、まず最初に、例えばカリフォルニアの政府とか、環境NGOが、あそこはグリーン電力を認証しているのですけれども、そういうところとか、グリーン電力を売っている電力会社とか、グリーン電力のトレーダーとか、ユーザーとか、そういうところをヒアリングしているうちに、みんな立場は違っても、未来志向で新しいものをつくっていくという意味で、しかも、ビジネス・プラス・アルファのいいことをしているのだという非常にポジティブな姿勢で、違った役割をみんな果たしているという感覚を、その方が持たれたようです。
 わずか2泊3日ぐらいのミッションでしたが、その方はニューヨークに帰っていかれたのですけれども、帰るときには、すっかり姿勢が変わって、これからはグリーンパワーを自分のライフワークにしていくのだというふうに、仕事の姿勢がガラッと変わったことがあります。そういう1人1人の個人もそうですし、組織対組織の関係性というものを変える力がある。そのプロセスそのものが非常に重要ではないかと思います。
(パワーポイント「1990年代エネルギー革命へ」)
 その背景に、長々と話しましたけれども、90年代の自然エネルギー革命、まず、こういう風車が、特に過去5年間飛躍的に伸びておりまして、昨年の暮れで、世界全体で風車が1,800万キロワット、90年代を通して大体20%台の成長率です。特に過去5年の累積は、この実線の方ですが、塗った方が毎年の設置量なので、ブルーの方で見ていただくといいのですが、特に過去5年間の設置量が非常に飛躍的に伸びています。全体量としては、世界全体で1,800万キロワットというのは大したことがないわけですが、この成長率が非常に大きいわけです。
(パワーポイント「牽引車となるドイツ」)
 中でもドイツがその牽引車となっているわけで、先ほどご紹介したデンマークがもともとのパイオニアだとすれば、90年代に風力発電をめぐるある種の自然エネルギー革命を起こしたのは、やはりドイツだろうと思います。
 ドイツの場合は、去年の暮れで611万キロワットの風車があって、合計約9,000基の風車ですが、ブルーのカーブを見ていただくと、日本が去年の暮れで、まだ完工していないのも含めて大体15万キロ、ことしの末で30万キロといわれています。ドイツが600万キロワットですから、まだ30倍から40倍の差があるわけです。去年1年間で170万キロ、また30〜40%ぐらい伸びているわけです。
 それがドイツの場合は、数字がちょっと見えにくいんですが、ここが1990年です。10年間で、ほぼゼロから600万キロワットができたというところで、発電電力量で80億から90億キロワット時で、電力量の4%ぐらいに達しているといわれています。4%はすごい数字で、これは2010年には電力の大体10%を供給するといわれています。これはドイツの政府が出している予測であり、目標です。
 あと、ドイツの風力協会は、さらにそれを延長して、2020年には、風力だけでも20%の電力供給が可能だといっています。実際には土地の制約と、洋上風力がかなり成功しないと難しいと思いますけれども、このカーブを見れば、あながちまるきり否定する数字ではないのではないか。
 仮に20%の電力供給が風力発電で可能になったとすると、例えば昨年の6月14日に、ドイツ政府と電力業界が、現在30%の電力を供給している原子力の長期的な脱原発に合意をしたわけです。それは実際、1基目の原発、たしかシュターデ原発だと思いますが、それは再来年、2003年には、1号機目が閉鎖を始めるのですが、32年という平均寿命とすることで合意をして、もしそのまま平均値をすべての原子炉に当てはめると、2020年にはほぼ原子力がなくなる。おととい行われた合意だと、厳密には2030年ぐらいまでには全廃という合意がなされているのですが、いずれにしても30%の電力量が失われるころには、ひょっとすると、風力が20%という数字に達しているかもしれないという驚異的な成長率であるということは確かです。
 それから、二酸化炭素の削減量が、おととしの数字で大体700万トン。これはカーボンではなくてCO2 で700万トンです。日本はCO2で見ていくと、12億トンぐらいですから、それを京都議定書がもし仮に発効するとすれば、6%削減しなければいけない。今はもうふえていますから、6%どころではないのですが、仮に6%だとすると、日本で12億トンの6%なら、660万、約700万トン弱減らさなければいけないわけで、そのうちの10%に相当する二酸化炭素量を、わずか10年で減らせるほどに風力発電を育てたということがいえると思います。それがさらに倍以上にふえますから、2010年には二十数%マイナス、4分の1とか、そういった数字を、風力だけでも減らせるというのがドイツの勢いです。
 それから、風力発電産業の総売上高も、おととしの数字で20億ユーロといわれていますので、ドイツでナンバーワンのメーカーが、エネルコンという会社で、2番目がタッケ、その他、デウィンドとか、ノーデックスとか、今幾つかの会社がありますが、かつてはデンマークが圧倒的にリードしていた風力発電産業ですが、今は世界市場をデンマークと二分をするまでに育っています。
 これは、繰り返しますが、10年前には影も形もなかった産業です。それが20億ユーロ、2000億円ぐらいの売り上げに達している。経済全体から見たら微々たるものかもしれませんが、それを生み出して、しかも成長している。実際に企業としても、4社がIPO、株式公開に既に成功していますし、風力に限らず、いわゆる自然エネルギー関係の株は、非常に成長率が高い。ITと並んで、ドイツにおける期待の成長産業といわれております。
 雇用も大体2万人ぐらいです。売り上げと雇用も、直接の雇用、直接の売り上げですので、風力発電というのは、風車をつくるだけではなくて、売電事業、コンサルティング等々、さまざまなビジネスがそれに派生して起きています。例えばホームページで見ることができますが、風車を建てたときに、その風車の株式を債券として、インターネットで売り出すようなビジネスも始まっています。売り切れると、もう「売り切れ」と出てしまうのです。
 あるいは、風力発電の風車貯金というのも今登場しているらしくて、風車だけに投資をする銀行もあります。風車を建てたい人がいたら、ドイツの場合は、デンマークと一緒で、しかも風車を建てるのに協同組合方式、あるいは地域参加方式がほとんどですので、建てたい人はそこから融資を受ける。あるいは風車など、環境にいいものに投資をする銀行もあって、風車という非常に透明な投資先のところだけに絞り込んで投資をする。そういうお金の流れも生まれてきているのです。
 デンマークも最近はそうですし、スウェーデンもそうですが、風車が確実に儲かるので、1人の農場主が1本の風車を丸ごと建てるケースがかなりあります。そういうところだと、どこの国も農業をやっている方は、いわゆる構造不況というか、非常に厳しいわけですが、風車自身の売り上げで、年収の3割、4割に達する。そういう意味で、地域や農村の経済的な活性化にも直接的に貢献をするところもある。
 もちろん、これだけ成長していますから、新しい発電技術、いわゆるイノベーションがどんどん進んでいます。例えば「風車はうるさい」というイメージがよくあるわけですけれども、今、風車というのは、まず物理的な音に関しては、本当に静かになっています。音というのは、いわゆるギアに派生する機械的な音と、あとは風切り音です。機械的な音は今ほぼゼロに近くて、最近は風切り音も表面処理をすることによって、風を切る音が非常に低下をしている。あとは、騒音というのはもともと相対的なものですから、自分の娘の弾くピアノの音は心地よく聞こえて、隣の家から聞こえてくるピアノはうるさいとか、かつてピアノ殺人もありましたが、そういうもので、絶対値のいわゆるデシベルだけでいえるものではないという一応留保はありますが、技術的には相当進んでいます。コストも飛躍的に下がっている。
 こういった一連のものが、ことし2月にNHKスペシャルでも、エネルギーシフトという番組で報道されましたが、1991年1月1日から、ドイツがその当時、超党派で導入をした法律、自然エネルギー下の電気を買い取る。それも非常に有利な価格で買い取るという法律が、この10年間のドイツの「グリーン・ゴールドラッシュ」とドイツではいわれていますが、そういう効果を生み出したわけです。
(パワーポイント「牽引車となるスウェーデン」)
 スウェーデンの場合は、バイオマスです。写真を幾つかご紹介します。スウェーデンは、森林が7割ぐらいを占めていまして、日本よりも面積が3割ぐらい広いです。ただ、スウェーデンの場合、北に相当寄っていますから、実質的、物理的な森林の蓄積量は、日本とほぼ同じぐらいだといわれています。
 森林産業は、日本の場合はとんでもない何兆円という赤字産業というか、非常に赤字経営になっていますが、日本と違ってスウェーデンの場合は健全な森林経営が行われていて、その森から木を切り出す。そのときに当然一番儲かる材は丸太、いわゆる材木の部分で、2番目に価値があるのが製紙用のチップです。それ以外のものすべて、木の皮、枝、木のトップ、根っこは、すべて燃料になる。その1つの作業で、3つの財を出してきて、燃料に関しては、こういうチップにします。これ(写真)は、一番大きい10万キロワットの南部のベクショーにあるコジェネレーション・プラントですが、そういったところで燃やしたり、あと一番小さいのは、家庭用の小さなペレットボイラーというのがあるのですが、そういうところで燃やしたりして、燃料のグリーン化、特にバイオマス化を図っています。
(パワーポイント「エネルギー供給量」)
 過去20年飛躍的にふえたと先ほどいいましたが、特に地域熱供給における燃料のバイオマスのふえ方が、80年当時ほぼゼロから、今25テラワット時ぐらいまでふえている。これは97年の数字で、今まだまだふえています。スウェーデン全体で500テラワット時ぐらいのうち、今100テラワット時弱です。多分そのうちの30テラワット時ぐらいが、今熱供給用のバイオマスとして使われています。これは日本もそうですけれども、昔から半分の40テラワット時ぐらいは、製紙業が工場の中で使っているエネルギーで、これはずっと前から使っているものです。ここの民生の熱利用の部分が、今というか、過去20年、飛躍的にふえています。
(パワーポイント「1990年代の環境税の効果」)
 先ほどちょっとご説明した1985〜1986年あたりに、いわゆる逆オイルショックといって、石油価格が今度格段に下がったことがあります。そのときに、例えば日本だと、太陽熱温水器の売り上げがガクッと下がったり、その価格がもろにいわゆる代替エネルギーの競争力を失わせて、スウェーデンでもバイオマスが、そのころにちょっと減るという現象があって、それで91年に炭素税と硫黄税を導入したのです。92年にNOxの課徴金を導入して、そこから今度は爆発的にふやした。
(パワーポイント「折れ線グラフ」)
 具体的に見ていくと、ちょっと字がぼけていますが、ここが石炭、これが石油、これがガソリン、これが天然ガス、ピートという泥炭、それからこれはバイオマスです。これが今現在のスウェーデンの裸のコスト、燃料そのもののコストです。これに何の税制も取らなければ、当然石炭がいまだに一番安くて、どこの企業も石炭に走る。日本のIPPがまさにそういうことをやっているわけですが、それに炭素税を載せると、当然バイオマスには炭素税が入りませんので、もうこれだけでバイオマスが一番安い燃料になる。
 そこにNOx課徴金を導入した。これは税金と違って、一定以上大きいボイラーは、NOxの排出量に応じてお金を払うのです。今度NOx課徴金を払わない企業が、そのお金を取れる。政府がお金をそこから持っていかない。いわゆるレビィ(Levy )という仕組みですが、これは産業界も反対のしようがなくて、負けるのが嫌だったら、バイオマスを利用すればいいという話ですから、政府にお金を持っていかれるのではないという仕組みです。さらに、硫黄税がエネルギー税という形で入っていますが、それを全部入れると、結局バイオマスが一番安い。後は市場に任せれば、勝手にバイオマスが伸びるという状態が、90年代になって登場して、先ほどの飛躍的な伸びにつながったのです。
 例えば、そういうドイツの風力、あるいはスウェーデンのバイオマスといった、いわゆる新しいエネルギー政策に後押しされる形で、ヨーロッパも去年の12月、自然エネルギーの倍増政策を、いわゆる欧州指令という形で合意して、まずは電力分野において、2010年までに13.9%を22%にする。あるいは、大型の水力ダムというのは政策目標から外れていますから、ダムを除くと、3.2%という新しいタイプの自然エネルギー、小規模分散型の自然エネルギーを、12.5%に持っていくという合意を、欧州議会ではしたということです。
(パワーポイント「近代的な政策ツールの登場」)
        《ドイツ》:自然エネルギー買取法
        《スウェーデン》:環境税

 これはいわゆる先ほどのエコロジカル・モダニゼーションという新しい考え方に基づく政策ツールの登場が一番大きい。ドイツは、自然エネルギーの買い取りということですし、スウェーデンその他の北欧諸国は、環境税です。結局、環境によいものが儲かる、そのことを制度的に保障することが、90年代の欧州の流れになっている。
(パワーポイント「テクノロジー・プッシュからマーケット・プルへ」)
 それをちょっと見ていくと、テクノロジー・プッシュというか、昔から日本は、今でもそうですが、NEDOなどの研究開発にお金を出せば安くなって売れるだろうという考え方から、マーケットをきちんと保障することによって、技術開発、技術革新の波を起こして、一気に普及させてしまうという考え方に大きく変わったのかなと思います。



電力自由化「グリーン電力制度」

 (パワーポイント「電力市場自由化とグリーン電力制度」)
         *スウェーデンを走る風力電車
 90年代のもう1つの大きな流れは、電力の自由化です。もともとイギリスのサッチャー政権のときにこの自由化が始まったわけですが、結局エコロジカル・モーダニゼーション、エコロジカルの近代化の背景にあるのは、実はまずアメリカでレーガン政権が登場して、イギリスではサッチャー、日本では中曽根でしたが、ちょうどいわゆる新古典派といわれているアングロサクソン系の経済が登場したことに対する大陸の方のカウンター思想、対抗思想として、ある意味でエコロジカルの近代化というのが登場したと見ていいと思うのです。
 電力自由化も、大もとはサッチャーが、まずはガスの自由化をして、それから電力の自由化によって、ある意味で官僚の非効率と石炭業界の破壊をねらって、サッチャーなりのいわゆる新古典派の思想に基づいて、電力自由化を進めたわけですが、それがその後、大陸に移って、イギリスの後、自由化を進めたのはノルウェーですし、順次、スウェーデン、デンマーク。デンマークはおととし法律を通したところですし、ドイツはその前です。そういうことで、自由化の進展度合いは、またアメリカもそうですが、ヨーロッパも地域的に差があるわけですが、大陸に渡ることによって、電力自由化が、単に値段が安いこととか、規制をしないことという文脈から、随分変わってきたということです。

(パワーポイント「写真」)
 その中で登場したのが、グリーン電力制度です。この写真はスウェーデンの風力電車です。これは環境NGOと電力会社が共同で開発した一種の「商品」です。スウェーデン南部にマルメという町がありまして、そのマルメからイースタッドというところまでの50キロの区間を走る電車の電力を、3本の風車で供給するという考え方です。そのうちの1本がこの風車ですが、もちろんエレクトロン・レベルで見ていくと、その風車が直接供給できるわけではないので、風車は電力の系統に流れ込むだけで、電車は系統から電気をもらう。ただし、風車が1年間に発電した量と、電車が1年間に使った量は計測可能なので、それを環境NGOが認証しましょうということで生み出された制度です。
(パワーポイント「グリーン電力制度とは……」)
         *電力会社と需要家の協力的なプログラム
         *自然エネルギーの普及を目的とする制度
 電力自由化は、1つは電力会社と需要家とその間の環境NGOとの協力的なプログラムです。80年代には、電力会社というのは、第2の官僚というか、官僚より官僚的というか、大体どこの国も非常に傲慢不遜な態度をしている人が多くて、自分たちは電気を供給してやっているのだという社内文化を例外なく持っていたわけですが、それが随分変わってきて、これももうちょっと狭い文脈で見たエコロジカル・モダニゼーションの1つのあらわれだろうと分析されています。
 かつては電力会社というと、そういう形で、市民とか環境NGOと対立をしてきた関係性が、やはり自然エネルギーをめぐって、協力的な関係性が生まれてきた。そういう意味で、もともと登場したのはアメリカでもカリフォルニアですし、あるいはスウェーデン、あるいはドイツでも非常にローカルなところから生まれてきましたから、そういうところがあります。
(パワーポイント「電力市場自由化とともに拡大するグリーン電力」)

         *海外に広がるグリーン電力制度
         *規制市場:グリーンファンド型が主
 電力市場自由化も、実際にいろいろなものが広がっていて、特に日本でも、既に去年から始まったわけですが、いわゆる規制された市場というのは、まだまだ割と需要家と建設的な関係をつくるという顔の地域性が限られていますから、グリーンファンド型といって、日本でもグリーン電気料金と呼んでいますが、そういうグリーンファンド型が多いです。
(パワーポイント)
   《ドイツ》:1万人の参加者を集めたRWEのグリーン電力制度
         *日本でも始まった電力会社のグリーン電力基金
 ドイツも、RWEというドイツ最大の電力会社がグリーン電気料金を始めました。始めたといっても、これは96年に始めています。日本は去年グリーン電力基金が始まった。もっと自由化された市場では、電気を選ぶ。むしろ売っている電気そのものを商品にして、競争力をつける。そういうふうに進歩していて、電力会社だけではなくて、顧客からすると、電気の種類も選べる。エネルギー会社からすると、グリーンな電気を買うことができるということを競争力にする。それで先ほどのスウェーデンの風力電車が登場した。
(パワーポイント「米国でのグリーン電力の拡大」)
         *グリーンファンド【グリーン料金】
         *グリーンパワー【選択型のグリーン電力】
 アメリカ・カリフォルニアでも、これは3年前になりますが、グリーンEというステークホルダー、いろいろな関係当事者が集まって環境NGOが認証するというものが登場したのです。実はこれは、ことしのカリフォルニア電力危機によって販売を停止して、カリフォルニアは、今若干グリーンエネルギーが消え去った形になっています。
 オランダでは、世界自然保護基金が協力する。そういった形で、ただ、米国全体で見ると、どちらもふえていて、グリーンファンドがこれを実施している州ですけれども、今全米で80プログラムぐらいある。とにかく電気料金の一定比率をドネーションして、それで風力発電をつくるというのが非常に多いです。数字がちょっと見えにくいですが、こんな形で、ここが全部で80ぐらいにふえています。

 それからグリーンパワー、これは電気を選ぶタイプです。これはちょっと見えにくいですが、グリーンで塗ってあるところが、自由化がもう既に進展している地域で、星印が、グリーンパワーが実際に行われている地域です。
(パワーポイント「『風力ビール』」)

         *コロラドに登場したグリーンマーケティング
 例えばアメリカでは、コロラドに「風力ビール」というのがあります。グリーンマーティングといわれていますが、風車の電気を供給して、ビール会社をつくって、しかもレストランとして提供する。ここは風車の電気を100%使っているということで、ランチョンマットにもこのような風車のマークをつけて、環境に優しいレストランということでやっています。
 そういう意味では、日本でも、企業に関しては、今電気が選べる。いわゆる大規模需要家は、部分自由化ということで選べますので、それもあって、今日本では、自然エネルギーという会社を東京電力が中心となってつくったもう1つのグリーン電力の動きがありますが、グリーン電力公社の方は、これはある意味では日本型のエコロジカル、近代化の兆しなのかなと思います。



わき起こる地域からの自然エネルギーへの期待

 (パワーポイント「わき起こる地域からの自然エネルギーへの期待」)
         *地域を再政治化する自然エネルギー

        《中央》:産業経済のためだけのエネルギー対策
        《地域》:多様な価値を持つ自然エネルギー
 最後に、地域における自然エネルギーの意味というものを少し考えてみたいと思います。
 私も委員として入っております政府の審議会で、今ちょうど地方公聴会が行われていまして、おとといは札幌、実はきょうは仙台でやっていて、私はサボッたのですが、来週は名古屋、福岡、大阪ということで、ある意味で、聞いたというアリバイづくりのような地方公聴会が行われております。新エネルギーに関しては、再来週の28日には総合部会で日本の新しい長期エネルギー需要見通しが決まります。

 実はきょうがパブリックコメントの締め切りの日で、きょうの12時までは、皆さんもパブリックコメントを出せるので、経済産業省のホームページにアクセスすれば出せます。来週の22日に、新エネルギー部会の最終回をして取りまとめましょうということです。制度も目標もかなり官僚主導というか、中央政府主導で行われているわけです。
 自然エネルギーの議論は、自然エネルギー発電、自然エネルギー促進法推進ネットワークという環境NGOを我々が立ち上げて、ちょうど3年目ぐらいになりますが、それまでは、どちらかというと、通産省、今は経済産業省ですが、あるいは中央で、東京電力、電事連と向き合って、やはりどうしても原子力の論争が中心になる。そういう状況から、かなり地域ベースでのさまざまな自然エネルギーをバネというか、キーワードにして、ある種、政治的ないろいろな声が起きるようになってきたのではないかと思います。

 我々が日本語の漢字で「政治」とか、片仮名で「セイジ」というと、それこそ小泉のパフォーマンスとか、いわゆる国会・永田町あたりだけを、あるいは地方でいうと、県議会とか、市町村議会で行われている、そのことだけを政治ととらえがちだと思うのですが、我々は政治というのをもう少し幅広くとらえた方がいいのではないか。
 やはり社会の中で何か価値観の違いを調停したり、何らかの新しいルールをつくらなければいけないとか、まずその要求を出すことですし、その要求を出すと、必ず反対の要求というか、あるいは抵抗があって、それを調停するプロセスというのがすべて政治だと思うのです。たまたまその中の一部だけが議会に持ち込まれて、条例になったり、国の法律になったりするわけです。

 例えば風力発電に関しては、一昨年、電力会社の動きとして、北海道電力が、その当時、55万キロワットの風力発電の計画がわき起こって、それをすべて北海道電力が買うと、100億円の持ち出しになる。風車が北海道に集中し過ぎると、100億円の持ち出しになると困るということで、ある意味で一方的に15万キロワットに制限することを発表し、既に約束している9万キロワットを除く6万キロワットについては競争入札することとした。ある種、ゲリラ的な手法で、競争入札というものを、そこで先に実施をしてしまった。
 こうして、去年、北海道電力が一たん門戸を閉じてしまったので、風力事業者の関心が、今度は東北と九州、特に東北に向かっていった。電力会社は、北海道の系統連携を口実に使っているわけですけれども、東北は、北海道のように系統連携のせいにできない。そのため、電力会社が一丸となってグリーン電力を導入し、そのかわり、競争入札を導入するというやり方で、ある意味では電力会社の一方的な都合で買い取りの枠を決めて競争入札するという形でポンポンとルールが決められたわけです。

 もっといえば、それまでの電気の買い取りと違って、今は太陽光をつけると、余剰電力購入メニューということで、電力会社が売っている値段と同じ値段で買い取ってくれますが、もともとは風力発電もそういう制度でつくられたわけですね。それが今度、98年には、長期購入メニューということで、値段は下げるけれども、15年から17年間、長く買い取りますよ。そういう制度に、はっきりいえば、電力会社は段階に応じて見直してきたのだといいますが、我々から見ると、泥縄的に対応しているとしか思えないのですが、いずれにしても、これは実は社会制度の1つです。
 今まで例えばドイツの例で見たように、その制度のつくり方1つによって、1つの産業が生まれて、社会が変わるわけですね。やっぱりそういうことは、実は本当は政治的に決めなければいけない。その政治というのが、日本では非常に矮小化されて、場所も役割も限定化されてきました。
 前置きが長くなりましたが、おとといも札幌の公聴会で、私は委員として聞く側で、余り発言をしないようにといわれて聞いていたのですけれども、5名の方が発言されました。そのうちの1名は北海道経済連合会の人で、この方は何か書かれた文章を読んでいるだけのような感じでした。ただ、その北海道経済連の人ですら、自然エネルギーのことをちょっといっていました。5名のうちの残る4名の方々は、美唄の市長、北海道大学名誉教授、消費者連合会の専務理事、それから北海道グリーンファンドという我々の仲間でもありますけれども、環境NGOの代表の人、そういういろいろな立場の人が、北海道における自然エネルギーの豊かさとその普及政策、それから北海道電力が電気を買わないことへの不満というものを、非常に強い形で発言されており、公聴会の一断面を見ても、状況が非常に大きく変わってきたのかなと思います。

(パワーポイント「地域の持続可能な未来像の軸となる自然エネルギー」)
         *化石燃料ゼロ・コミュニティ

 いきなりここで飛びますが、特に90年代のエコロジカル・モダニゼーションの流れと、もう1つは、エネルギー政策がかつては国家の専権事項といわれてきて、まさに安全保障の根幹として、軍事とエネルギー、あと食糧等の基本的な政策は、中央政府の役割という位置づけがなされてきた。
 かつて70年代、特にエネルギーに対しては、石油ショックを中心に、国家の専権事項だったわけですが、石油に関しては、その後、1つは、ヨーロッパだけでなくて、国際的にも、いわゆる国際市場化が進んで、ある意味で、国家が日常的な安全保障まで担う必要は必ずしもなくなってきた。
 それから天然ガスが出てきた。例えばヨーロッパは顕著ですけれども、過去二十数年から30年弱をかけて、天然ガスのパイプラインがヨーロッパじゅうに敷かれた。またロシアから、北アフリカから、あるいは中東から、天然ガスのパイプラインが整備されて、90年代の電力自由化によって、電力も自由な取引ができるようになり、エネルギーは実質的には自由に行き来できる国際商品になり、いわゆる安全保障が最優先の概念では必ずしもなくなってきた。
 それから、経済成長があります。日本では3Eといって、1つがエネルギー、もう1つのEはエコノミーで、経済成長の根幹とよくいわれるのですが、経済成長におけるエネルギーの役割も、経済のソフト化が随分進んで、日本でいえば石油ショックのころ、石油そのものの経済に占める割合が5%近くあったのが、今はコンマ数%ということで、役割が1ケタ落ちている。もちろん、エネルギーがなければ経済も成り立たないのですけれども、経済成長における直接的な影響が、非常にソフトになってきた。
 残る3つ目のE、いわゆる環境が、非常に大きな役割を果たすようになってきて、その環境と、話がちょっと前後しますが、エコロジカルな近代化という思想とともに、もう1つはリスク社会ということで、かつての開発、あるいは産業、科学技術、そういったもののあらゆる進歩が、大いに豊かさをもたらすと考えられてきた産業社会という考え方が、むしろ進歩が必ずしも豊かさをもたらさない。リスク社会ということで、今の近代化に対する大きな問い直しというか、とらえ直しが起きて、その文脈の中で、地域における持続可能性を追求する、あるいは意思決定のプロセスが非常に重要になってきたということがあります。リスク社会については、時間があれば、もう一回戻ります。
 例えば1992年のブラジルのリオで行われた地球サミットでも、アジェンダ21に、持続可能な社会に向けた人類の行動計画ということで、その中でも、とりわけローカル・アジェンダ、地域におけるサスティナビリティーが非常に重要視されてきて、そこで地域とエネルギーというものが、環境を軸にして非常に大きな役割を果たすようになってきた。



地域の「持続可能な未来像」の軸となるエネルギー・環境政策

(パワーポイント「A fossil fuel free Vxj」)
 まず最初の例は、スウェーデンの化石燃料ゼロ・コミュニティーということで、これは、フォスタイル・フューエル・フリー・ベクショー(「A 
fossil fuel free Vxj」)と書いてあります。これはスウェーデンの南部のベクショーという町ですけれども、ここは町を挙げてアジェンダ21の取り組みをしています。クライメット・ディシジョンといって、まずは人口7万人の市ですが、市役所そのものが使うエネルギーを、2010年までに化石燃料ゼロにする。それから、市全体で使う二酸化炭素を半分にする。そういうある種のディシジョンというか、宣言をしたわけですが、これ自身は、いわゆるローカル・アジェンダ21というプロセスの帰結として提起されたものです。
(パワーポイント「棒グラフ」)
 物理的にいうと、ここは先ほどちょっとお見せしたバイオマスのコジェネレーションを中心に、もともと歴史的に地域熱供給を使ったバイオマス化にずっと取り組んでいまして、ここが1980年で、ここが1997年までのデータで、それから推測されていますが、実は1980年にスウェーデンで初めて地域熱供給にバイオマスを導入したのはこのベクショーです。そこから段階的にふやしていって、その宣言をした1996年以降は、この緑色がバイオマスですが、今度100%です。ちなみに、茶色が重油で、上の薄い茶色がピート(泥炭)で、一番上の水色は、電力を使ったヒートポンプです。
 もともと歴史的な要因として、ここはバイオマスをエネルギーに使うことのパイオニアであったという背景がまずあります。きょうこの中にはベクショーの写真というか、地図が入っていませんけれども、ベクショーの「ベク」は道、「ショー」は湖と、どちらもスウェーデン語でそういう意味ですが、湖と湖が出会う交差点というスウェーデンの古語に由来していて、多くの湖に囲まれて、今見ると静かな町ですが、その湖が1970年代にやはり非常に汚染されてしまった。その汚染が非常に大きな問題になって、その汚染を克服するための環境保全運動という市民運動が非常に盛んだったという背景があります。
 そういった素地があって、1992年のリオ・サミットを受けて、スウェーデンには、いわゆる日本でいう市町村に相当するものとして、全部で288のコミューンがありますが、そういう基礎自治体が、すべて自分たちのイニシアチブで、ローカル・アジェンダ21に取り組んでいたわけです。
 特にベクショーは、市長の直轄のところにアジェンダ21のオフィスを設けた。つまり、政治的に、権限があらゆる部署に及ぶようなところにアジェンダ21のオフィスが設けられた。そこには、もともと環境NGOをやってきた人間が、市役所の中に入った。
 今度は、全国的な環境NGOの組織も、ベクショーに集中的に協力をして、外部のリソースと、中身の政治的な構図と、それからもともとの歴史的な背景、それがすべて一体となって、ベクショーの中で、これはベアブといって、ベクショー・エネルギー・カンパニー、いわゆるベクショーにおけるエネルギー会社と、もちろんベクショーの地方の政治家、あるいはここは林業がすごく盛んなので、そういう林業会社とか、市役所の役人とか、そういう人たちの地域内の対話が物すごく進んだ。最終的には、電力会社とかエネルギー会社が100%バイオマスにするという宣言をする。市全体では化石燃料ゼロ・コミュニティー宣言をして、それを裏づける実施行動としては、エネルギー会社がそういう約束をするというところまで進んだわけです。
 これは政治的には3Cプロセスといわれていまして、最初のCは関心、コンサーニングです。これはその問題に関して関心を引き出して、その関心のある当事者をまず浮かび上がらせるということです。
 2つ目のCが契約、コントラクティングです。いわゆる会社対会社の契約ではなくて、ルソーの社会契約的な思想の、いわゆるそういう問題設定をして、政治的な議論の場を設けて、そこに自分たちはその社会的な責任を背負って、そこに参加をするという意味です。
 3つ目のCは合意、コンプライアンスです。そういう合意の場で、自分たちが一たん合意したことは、その実行の責任を自分たちの所掌において実行するという意味です。
 これがすべてではないにしても、リスク社会の話にまた若干飛ぶと、リスク社会というのは、実は従来の代議制民主主義そのものが問い直されているというテーゼでもあります。というのは、かつての代議制民主主義は、一定の地域あるいは国という単位で、代議制の意思決定をするわけですが、それは例えば、もともと生み出される財が社会にとって豊かになるもので、その財の配分をめぐる意思決定だった。それは一番大きな構図からいえば、かつて社会主義、資本主義、共産主義といろいろな主義があったわけで、資本主義の中でも、もちろんそのひずみをもう少し補完するような、例えば北欧型の社会民主的な資本主義もあれば、アメリカ型のもっと市場型の民主主義もある。しかし、いずれにしても、財の配分をそういう形で合意しましょうというのが大きな考え方です。いわゆる産業社会的な意思決定のプロセスといわれているわけです。
 今、環境問題をめぐっては、例えばチェルノブイリの事故もそうですが、リスク社会というのは、ドイツのウルルヒベックという社会学者が一番最初に出したテーゼで、ちょうど1986年ですから、チェルノブイリの事故が起きた年に出されたテーゼです。結局、チェルノブイリの事故というのは、国境をいとも簡単に越えてしまう。つまり、当時はソ連ですが、ロシア政府が決定してつくったことが、環境被害は、国境をいともやすやすと越えてしまいますし、核の廃棄物というのは、また数万年、数十万年の単位で残る。そういう意味では、現世代の意思決定が、将来世代にそのまま影響を及ぼしてしまう。
 もちろんこれは原子力だけではなくて、地球温暖化とか、オゾン層等々、いわゆる環境リスクに関しては、今の意思決定のメカニズムが果たしてそのまま妥当なのかということが問い直されている。それだけに限りませんが、そういった中で、環境リスクをある程度顔の見える形で、その地域社会で問い直すプロセスの1つとして、こういうスウェーデンのアジェンダ21に見られる3Cプロセスは、実験の1つだろうというふうにも評価される。
(パワーポイント「自然エネルギー100%アイランド」)

 同じような取り組みに、これはデンマークが、今サムソーという島で進めている自然エネルギー100%の島のプロジェクトです。こちらは人口4000人ぐらいの島で、このプロジェクトを始めた1987年当時は、自然エネルギー自給率が大体4%ぐらいだったのですが、それを100%にしましょうというプロジェクトです。
 これは、デンマークが1996年に出した「エネルギー21」という、国のエネルギー政策の中の1つの目玉プロジェクトとして、島という1つの閉鎖系のところを、100%自然エネルギーにしていくという挑戦から得られる社会的なインプリケーションです。さまざまな制度、技術等々、あるいは意思決定のプロセスといったものが、社会全体にいろいろ学べるだろう。まさにそのインプリケーションがあるだろうという発想で、自然エネルギー100%の島をつくりましょうというプロジェクトを、まず国が提案をして、そこに5つの島が応募をしまして、そのうちの自然エネルギーから一番ほど遠く、かつ、1つのショールームにできそうな島ということで、この島が選ばれた。

(パワーポイント「写真」)
 これも、それでは選ばれたからといって、そこに政府の補助金を投入して、風車を山のようにつくって、バイオマスの発電所を山のようにつくるという、いわゆるハードオリエンテッドな進め方ではなくて、ここに写真をお見せしているのは、ゾーレンというサムソーの中にあるエネルギー環境事務所のコーディネーターですが、まず、こういうエネルギー環境事務所というものを、その島の中に、スウェーデンのベクショーでいえば、アジェンダ21の事務所に相当するようなネットワークの中心をつくります。
 例えば彼らがそのプロジェクトの計画をつくったり、その計画を住民に説明をして、いろいろなレスポンスを得たり、また、単に住民説明という形ではなくて、ここにもエネルギー会社がありますし、政治家はいますし、高校の先生もいます。たしかここには大学はなくて、高校はあるのですが、そういう知識人もいれば、そういう社会を構成するいろいろな当事者の対話集会もやります。
 さらには、例えばデンマークの政府、それからEUの欧州委員会の補助金の獲得とか、そういう外に対するチャンネルの窓口にもなる。そういう仕掛けづくりが最初にあって、その中で、この島全体で自分たちの社会の未来像を考えていきましょうというプロセスをつくるわけです。
 当初ここでつくった自然エネルギー100%の未来像というのは、実はこの沖合に洋上風車を大量につくって、電力を200%自給をして、残った100%は外に売るというような計画だったのですが、最近かなりリバイスされて、今の消費量を前提に、自然エネルギー100%あるいは200%にするのではなくて、自分たちのエネルギーそのものを半分に減らしていきながら、自然エネルギーをふやしていくというような計画で、まさにもう一歩進んで、サスティナビリティーにさらに一歩近い計画に見直されていて、その中で発展そのものが見られる。そういうプロセスにやはり学ぶ必要があるのかなと思います。
(パワーポイント「CTOプロジェクト」)
         *100の自然エネルギー100%のコミュニティーを
         *地域を支援するEUの補完性原理
 例えばデンマークの自然エネルギー100%のプロジェクトが、またダイナミックに、欧州委員会、欧州連合とは相互に関係性を持っています。実は欧州委員会も、1997年12月に京都で行われた京都会議の1週間前に、欧州委員会のホワイトペーパー、自然エネルギー白書を出しています。その中に、CTOプロジェクト(キャンペーン・フォー・テイキング・オフ・プロジェクト)を提案しています。
 これは実は強いていえば、スウェーデンのベクショーの化石燃料ゼロからのある種のパクリなのですが、そこに欧州委員会が影響していまして、自然エネルギー100%コミュニティーを2010年までに100個つくりましょうというプロジェクトが、この欧州委員会全体でも今進められる形になっています。
 欧州委員会としては、そのハードに直接ファイナンスをするというよりは、デンマークのサムソー島にあるエネルギー環境事務所のようなものをヨーロッパのいろいろな地域につくっていって、そういう地域のエネルギー環境事務所が、1つのドライブとなって進めていくというやり方をしています。
(パワーポイント「弱い補完性原理、強い補完性原理」)
 これは欧州連合における補完性原理に従う1つのやり方です。補完性原理というのは、英語ではプリンシプル・オブ・サブシディアリティといわれていますけれども、弱い補完性原理と強い補完性原理の2つから成っています。弱い補完性原理というのは、できるだけ小さな主体、例えば究極的には個人に来るわけですけれども、例えば市町村ができることは、その小さな主体にゆだねなさいというか、任せなさいという原理、つまり、不介入の原理です。例えば、周りの県、国、欧州委員会は、基本的には手を出さないので、市町村でできることは自主的にやってください。
 一方、強い補完性原理は介入の論理で、小さな主体でできないことは、積極的に支援をしましょう。例えば高度の病院をつくるとすれば、小さな市町村ではできませんから、県レベル、あるいは場合によっては国レベルで、例えば大学なんかもそうですが、そういう形で小さな主体を支援していく。
 その不介入と介入の原則というのが、もともとアムステルダム条約、当初のマーストリヒト条約の中にも入っており、地域が主体となっていくという原理を裏づけています。そういうところもこのプロジェクトの根っこの思想にはあるといわれています。そのように持続可能なエネルギーをこれからつくっていくという意味では、エネルギー政策のパラダイムを大きく変えていかなければいけない。とりわけ日本においては変わらなければいけない。



エネルギー政策の民主化に向けて

(パワーポイント「エネルギー政策のパラダイム転換」)
         @:持続可能性への選択

         A:エコロジカルな近代化
         B:リスク社会における意思決定へ とりわけ北欧、あるいはドイツ等で見られるサスティナビリティーという1つの大きな合意は、いわゆる成長か環境かというのが、ある意味ではそこがいまだに日本では問われているのに対して、持続可能性というものが、もう少し社会常識的にディファクトにならなければいけない。そういうエコロジカルな近代化という発想が持たれなければいけない。
 変わりつつあるとは思います。例えば私なんかが政府の審議会に入るというのはその一歩なのかもしれません。でも、産業界にいる人は、例えば環境NGOというのは、アウトサイダーで反対運動を叫んでいるというふうなステレオタイプでまだ見てしまう、あるいは政府がそう見てしまう。そういった感覚は抜け出さなければいけない。先ほどのリスク社会における新しい意思決定を模索しなければいけない。
 例えば5月25日に行われた刈羽村のプルサーマルをめぐる住民投票でも、政府とか、電力会社とか、負けるや否や、そのご説明が足りなかったという態度で、ある種、民衆あるいは一般の人を愚民化したような発想が政府レベルではまだ強い。そういったところも開かれた形で見直さなければいけない。
(パワーポイント「これまでのエネルギー予測」)
 とりわけパラダイムの転換という意味では、日本政府、これはオランダでもそうだったのですが、今までエネルギーに関しては、予測をこうしてきていたわけですね。あらゆる経済予測がそうですが、今までのトレンドにデータも拘束されますし、マインドセット、自分たちの発想もそこにとらわれますから、これを大きく変えなければいけない。
(パワーポイント「デンマークの選択」)
 デンマークが「エネルギー21」という政策を1996年に出したと先ほど申し上げたですが、その前に「エネルギー2000」という政策を1989年に出していまして、EP90というこのラインなんですが、実はこれは、その10年前の1983年にNGOが出している、もっとエネルギーを減らしましょうというシナリオと、カーブがよく似ているというか、ほぼそのカーブを後追いしたようなエネルギー政策であります。
 それまでは、まずEP76というのがありまして、1976年に政府が、今後エネルギーはこれだけ伸びるのだから、原子力は要るのだというシナリオを出して、NGOも、エネルギーは伸びることは伸びるけれども、もう少し減らすことができて、しかもそれは天然ガスでできるのだというAE75というのを出しています。これはオールタナティブのAですが、オールタナティブの代替政策を出したのが1970年代のデンマークです。

 80年代に入って、まずNGOは、NGOといっても、実際にデンマーク工科大の科学者がやったのですが、エネルギーは減らしながら、実は豊かになれるのだという提案をして、それを10年たたない間に政府が踏襲をした。恐らくもうすぐドイツとスウェーデンが出すと思いますが、今ならまだ辛うじて考えられることですけれども、それまでというのは、政府が公式にエネルギー消費量が減っていくという政策目標を出したのは、これが世界で最初だと思いますし、いまだにまだ唯一のものだと思うのですが、こういうエネルギーと経済成長のディカップリング、分離というところにいかなければいけない。
(パワーポイント「『見かけの成長』と『本来の豊かさ』」)
 もう少し先に進むと、「見かけの成長」と「本来の豊かさ」ということがあります。上はGDP、下はGPIです。アメリカの研究者が、ジェニュイン・プログレス・インジケーター、実質的な成長の指標というのを出しています。
 例えば今交通事故に遭って、車を修理して、しかも病院でけがを治す。それはすべてプラスのGDPのわけですが、そういったものは例えばマイナスの豊かさというふうにカウントしたら、アメリカの実質的な豊かさというのは、1970年ぐらいからはもう落ちてきているのだというのをアメリカ人の研究者が出しているのです。本当の豊かさというのは何なのかということを問い直さなければいけないというところがあります。
 (パワーポイント「エネルギー・環境政策の近代化」)
         @:新しい作業制度
           →環境によいものがもうかる制度の導入
         A:消費者=市民をつなぐ
           →エネルギー大消費地の消費者としての自由
 そういう意味で、最後に少し整理をすると、エネルギー環境政策をもっと近代化する必要がある。その促進のメカニズムは、とにかく環境によいものがもうかる普及制度というのが実質的にもうありますので、これを導入する。
 それから我々市民というか、消費者と市民をつなぐ新しいメカニズムが要るのではないか。例えばこの東京という場所を考えたときには、エネルギーの大消費地ですので、例えば単に電気料金の値上げとか、高いということだけの反発ではなくて、やはり消費をしていること、それが例えばエネルギーの生産地に押しつけていること、それをさらに市民として選択できるもの、そういう制度が必要だろう。場合によっては、東京にいる場合には、そういう都民としての誇りとして、プラス、より高いものを選択するような方法も必要かもしれない。そして、新しい市民参加の場、これはあらゆる当事者に開かれた意思決定の場をつくる、そういう一歩をこれからつくっていかなければいけない。
 これは先ほども出しましたが、スウェーデンの環境税の例です。環境によいものが儲かる制度としては、例えば環境税があります。環境税だけだと、非常にナイーブですが、これは一番象徴的な例です。それから、自然エネルギーの買い取りの制度もそうです。消費者と市民をつなぐ制度としては、例えば東京などの大都市で自然エネルギーというと、すぐに太陽光とか、そういう具体的なイメージしか出てこないわけですけれども、消費者の責任を考えたときには、太陽光よりも、むしろエネルギーの消費をいかに減らすかということで、エネルギー消費効率を増す、消費を減らす、そちらの方が重要だろうと思います。
 例えばデンマークとイギリスでは、電力自由化とともに、省エネルギー・トラストというものが導入されています。これまで日本でも、電気料金は3段階になっているわけですが、それが有効に機能しているかどうかはともかくとして、あるいは、日本では電力会社が余り機能していませんけれども、カリフォルニアでは、ディマンド・サイド・マネジメント(DSM)といって、消費者の省エネルギーに電力会社が協力をするというプログラムが、かつては有効だったわけです。
 電力の自由化というのは、電力会社が普通の会社になることです。これまで政府の政策を実施したり、政府のパートナーであった電力会社が、今後は普通の会社になる。そうすると、そこでこぼれ落ちるものを、政府の政策が支援をしなければいけない。それが例えば省エネルギーなわけです。
 イギリスで行われている省エネルギー・トラストというのは、これまでは電力会社が省エネに努力しながら電気を売るというふうに、ある意味ではオオカミにヒツジの番をさせるようなことを制度的な工夫でやっていたわけですけれども、オオカミは勝手に肉を食べてください。ヒツジを守るのは我々の役割というふうに分けるわけです。そのために、例えば電気料金に一定の上乗せをして、それを省エネの方に持っていって、イギリスの場合はファンドをつくって、それを省エネに成功した電力会社に戻していく。例えばヒツジを食べなかったり、ヒツジを守ったオオカミにえさを上げるというような制度です。
 デンマークの場合は、実質的に省電力を進める。デンマークは省電力トラストで、電気を減らすことが環境に保全するという発想に立っていますので、電気を減らすにはどうするかというと、デンマークとかスウェーデンでは、電気暖房がかなりありますので、その電気暖房を減らすために、いわゆるコジェネレーションを使った地域熱供給に転換をする。そこに集中的に補助金を充てる。そういった形で、省エネは第三者機関、いわゆる政策の役割というふうに見直しています。



日本の自然エネルギー政策の課題

(パワーポイント「グリーン電力」)
 もう1つは、例えば東京とか都市において、自然エネルギーといっても、なかなか限界がありますので、むしろ自然エネルギーは外から買ってきてもいい。ただし、その正当な対価を、やはり電力の消費者がきちんと払う。そういう仕組みももう1つ必要だろうと思います。

パワーポイント「新しい市民参加の場を作る」)
         @:市民出資の風車
 これは先ほども出した図ですが、市民参加の場として、見かけだけの公聴会ではなくて、やはり実質的に何かプロジェクトを形成していくような場として、例えば先日、石原都知事が、東京湾で風力発電をという構想を発表されましたので、例えばそういうところが手初めになるかもしれません。
 そういう意味では、コペンハーゲンでは、市民出資の洋上風車ができています。この図で見えるかどうかわかりませんけれども、コペンハーゲンのこの歴史的な町並みの沖合に、近代的な風車がここに見えるわけですね。そういうものが例えば東京湾に出現してもいいのではないか。ただし、もちろんいろいろ議論するところはありますね。
 それから、実際に我々もかかわっていますが、北海道の浜頓別で、ことしの5月に着工して、9月半ばには竣工する、1000キロワットの市民風車を、今つくり始めています。これは大体2億円のプロジェクトです。1口50万円で市民出資でつくろうという呼びかけをして、わずか2カ月で1億4000万円が集まったわけですね。そういう責任のある市民はかなりふえてきています。

 これは少しスケールが違うかもしれませんが、例えば東京湾につくるとしたら、こんな感じで風車ができるのではないかという予想図です。
(パワーポイント「新しい市民参加の場を作る」)
         A:『森』のエネルギー
 あるいは「森」のエネルギーを利用する。これも、いきなり地域熱供給といっても非常に難しいので、バイオマスを利用した暖房エネルギーといったものが考えられる。これもこれから大事だろうと思います。
 これはペレットを使ったペレットボイラーの写真ですが、こちらはペレットストーブです。特にボイラー、お湯を使ったパネルヒーターというのは、これはスウェーデンのもので若干不細工ですが、今は相当薄型で非常にモダンなものになってきています。こうした形でこれから暖房の文化を変えていく必要があるのではないかと思っています。
 もう時間が来ているので省略しますが、暖房に関しては、私は、吉田兼好神話というのが日本にはあると思っています。吉田兼好は「日本の住宅は夏を旨とすべし」ということをはるか昔にいっているわけですが、もちろんそういう地域もあるかもれしませんけれども、その神話があるがゆえに、例えば私も都内近郊に住んでいますが、かつて借家に住んでいたときに、冬、物すごく寒いんですね。スウェーデンだと、外がマイナス十何度でも、中は、暑くはなくて、比較的快適なんです。ところが、日本では、冬は本当に寒くて、そこで灯油やガスをガンガンたいてしまう。
 これからの日本の暖房文化について、直接室内で化石燃料を燃やすような、ある意味で発展途上国型の乱暴な暖房設備ではなくて、もう少し近代的でクリーンで、しかも自然エネルギーの暖房設備に変えていく、そういう大きな方針を出さなければいけないのかなと思います。
(パワーポイント「東京の『島』から」)
 最後に、島です。例えば八丈島には、今風車と地熱による発電設備があります。これは全部東京電力の設備ですが、むしろそういう島を日本でも、特に東京の島がありますので、自然エネルギー100%のようなプロジェクトをそういうことから始めていく道もあります。
 いずれにしても、一歩を踏み出していかないと社会は変わっていかないですし、サスティナビリティーの究極の姿を幾ら神学論争していても、結局はそこに関する合意ではなくて、サスティナビリティーの意味というのは、そのプロセスにある。しかも、経済と環境の統合にあるということです。
(パワーポイント「未来は予測するものではない、選び取るものである」)
 「未来は予測するものではない、選び取るものである」。これは私の本の帯にも使った言葉です。先ほどのエネルギー予測ではないのですが、未来は予測をして「こうなるんだ」とか、「だから原発を13基、20基つくらなければいけないんだ」とか、ある種、仕方がない未来ではなくて、むしろ自分たちがつくり出し、選び取っていくものではないかというメッセージを最後にして、私の話を終わりたいと思います。
 どうもありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

谷口(司会)
 
 どうもありがとうございました。
 ヨーロッパの例をいろいろご紹介いただきながら、自然エネルギーについて、経済的、政治的、社会的な意味のようなところから、政策的な方向までいろいろお話しいただいたわけです。

 時間がまだあと少々ございますので、いつものようにご質問、ご意見のある方はご発言いただければと思います。

吉村(大成建設)
 これからのエネルギーの民衆化に向けてということで、リスク社会における意思決定というのが、いまひとつどういうことかなとちょっと思ったので、もう少しお聞かせいただければと思います。

飯田
 OHPでも、リスク社会の話はきょうちょっと飛ばしたところがあるのですが、リスク社会のテーゼというのは、これまでの社会は産業社会であった。それが大きくリスク社会にも変わっているし、変わりつつある。産業社会というのは、産業とか科学技術を発達させればさせるほど、それが豊かな財を生み出してという近代化としてとらえられています。
 リスク社会というのは、そうではなくて、マイナスの財、すなわちリスクを分配する近代化であり、今やそういう時代に至ったという認識です。もちろんいまだに産業社会の側面もあるし、今後も財を生み出して、その財を配分していく政治プロセスは必要である。だから、代議制民主主義を否定しているわけではないのですが、しかし同時に、原子力や地球温暖化、オゾン層といった環境リスクを見てみましょう。例えばオゾン層なんかまさにそうですね。人類が豊かになり、便利になると思ったフロンというものが、思わぬリスクを人類にもたらしている。環境ホルモンもそうですし、今そういうものが次から次に出てきている。それが国境と時間を越え、世代を越えることが、今の代議制民主主義、しかも、いわゆる国民国家に基づく民主主義制度そのものが正当なのかという問い直しをしているというのが1つです。
 もちろん、それは実は環境リスクだけではなくて、今社会の構造そのものが大きく変わっているということを、ベックはいっています。1つは例えばジェンダー・レボリューションということをいっています。男女の社会的な役割というのは、今、根本的に変わりつつあります。それからインディビデュアライゼーション(個人化)、かつては組織、職場とか、労働組合、あるいは場合によったら家族という一定の価値観を共有していた基盤というものが次々に壊れつつあるし、細分化しつつある。
 政党政治とか、代議制民主主義というのは、一定の共通の価値観をベースとして、政治的な共有を基盤として成り立っているものですが、そのものの足もとが、またそれによって掘り崩されていますし、社会のリスクというのは、実はかつては勝ち組と負け組が明らかだったわけですね。例えば資本家対労働者というのは、明らかに一定の対立軸があって、一定の価値観を共有していた。それが例えばダイオキシンのリスクというのは、場合によっては、意思決定したその人個人にさえ、また振りかかっていくかもしれない。そういうかつての意思決定の足もとを掘り崩してしまうという意味で、再帰的な近代化というか、自分たちにブーメランのようにリスクが戻ってしまうといわれています。
 そういう時代においては、いずれにしても、少なくとも新しい意思決定が補完的には必要だろう。そういったところから、ある種登場してきたのが、例えばリスクをめぐって、アメリカとヨーロッパで根本的に価値観が違うのは、今ヨーロッパの環境政策は、基本的に予防原則(プリコーショナル・プリンシプル=PP)の方に軸足がほぼ置かれつつあります。
 それに対してアメリカは、いまだにというか、今後もそうなのかもしれませんが、リスクというのは定量的に管理できる。例えば死亡率に換算する。お金に換算する。それをマネジメントするというリスク・マネジメントの発想です。リスクそのもののとらえ方が、アメリカは定量でできるもの、あるいは欧州、とりわけドイツ、北欧では、社会から疎外をされる、意思決定から疎外をされる、あるいはそういったものもリスクとしてとらえる。リスクのとらえ方自身もまた違う。
  予防原則は、アメリカとしては受け入れがたい。それは、今回のブッシュ対欧州連合の発想の違いにも、根っことしてはあるわけです。彼らは、リスクというのはマネジメントできるし、今読み切れない不確実なリスクに、アメリカの経済学者から出てくる言葉は、ノーリグレット・ポリシーです。それが外れたときにも損にならない経済政策をといいます。しかし、ヨーロッパは、それが起きたときに取り返しがつかないリスクに対しては予防原則をといいます。根本的な価値観の対立も、その背景にはあるのです。
  そういったものの総体というのが、今の環境政策の軸足としては、80年代の半ばから欧州で大きく変わってきて、それとアメリカとは大きく対立があるわけですが、それをめぐって意思決定のあり方もやはり変わってきている。

  その一例に、デンマークから始まって、今日本でも実験的に取り組みまれていますが、コンセンサス会議というのがあります。コンセンサス会議というのは、デンマークは1986年に議会で、デニッシュ・ボード・オブ・テクノロジー(DBT)といって、デンマーク技術評価局という組織をつくった。それは何でつくったかというと、やはり70年代に、原子力をめぐって社会を二分する論争があった。今後も科学技術とか環境をめぐって、新たな問題は次から次に来るだろう。それに対して、常に社会を二分する論争というのはではなくて、それを予見して、デンマークの国民がその新しい技術とか、新しい環境リスクを、どういうふうに受けとめるのかということを、率直に合意というか、議論できる場というものをつくったわけです。
  やり方としては、例えば20人ぐらいのデンマークの代表的な男女、地域、学歴、職業をばらつかせて、例えば遺伝子治療とか、遺伝子操作食品とか、放射線照射食品とか、そういう新たなもの、しかも、そのリスクはどちらに行くかわからないといったものを、一般の人は一体どういうふうに受けとめるかということを調べていって、中立な科学者というか、推進、反対、両サイドの科学者の意見も半年間聞きながら、素人はどこまで新しいことを受けとめることができるのか。
 最終的に一定の合意文書をつくり上げるわけですが、その合意というのは、例えば遺伝子治療を受け入れるという合意ではなくて、遺伝子治療という新しい技術に対して、全く素人である一般の人たちが、どこまでは理解できて、どこまでは理解できないのか。ここまではわかったけれども、そこから先は不安だとか、そういったものを誠実に書きとめて、それを社会に公表して、それを政治家と科学者は、できるだけ誠実に、自分たちの意思決定に反映をするという仕組みです。
 だから、それはその素人が物事を決めるのではなくて、一般の人がどう受けとめるかをきちんとモニターして、それをまた政策決定にも反映するということで、意思決定のチャネルを多様化するようなやり方です。それも1つの取り組みですし、先ほどスウェーデンの例でいった3Cプロセスも、また別の1つの取り組みです。
  いずれにしても、従来のように、地方政治、中央政治もすべて代議制民主主義で、硬直的に代議制民主主義だけが意思決定なんだということ自身が、今の時代は通用しなくなっていますし、そうかといって、一方で、住民投票がすべて決めるのかというのも、これはまた他方の極論だと思うのです。だから、これからは少なくともそういう多様なチャネルを用意する必要があるだろうと私は思います。

御舩(多摩都市交通施設公社)
 飯田先生のお話、具体的なヨーロッパの実験などのお話があって、大変興味深く伺いました。
 非常に初歩的な質問なんですけれども、3つお尋ねしたいと思います。
 1つは、バイオマスに関して、先ほど、最後のところで、バイオマス暖房という事例のご紹介がありましたけれども、実は昨年の9月、この都市経営フォーラムで山地先生のお話を伺ったときに、日本においては風力は総量に限界があるので、むしろバイオマスの方が非常に期待できるというお話があったので、それと重ねて考えると、特にバイオマスの日本における活用の可能性、あるいは今具体的にプロジェクトをつくって、こういうことが始まりつつある。そんなところをお話しいただければというのが第1点。
 第2点は、大都市では、より省エネルギーが重要だ。省エネルギーと自然エネルギーの活用の組み合わせが基本的にバックアップ済みだというお話は大変納得がいったのですけれども、その場合に、省エネルギーを例えばコミュニティー単位で考えたときに、どういうふうな枠組みで考えたらいいのか。あるいは具体的な事例として、こんなものがあり得るということなのか。先ほどの特にヨーロッパの場合に、100の自然エネルギー100%コミュニティーをというお話がありました。この中でも、ただ単にエネルギーを自然エネルギーに転換するだけじゃなくて、一方で省エネルギーを重ねて、自然エネルギーの活用というお話がありましたけれども、大都市におけるコミュニティーでの自然エネルギー・プラス省エネルギーの可能性というふうなものが、お話を伺った限り、モデル・プロジェクト、モデル・コミュニティーは、どうも独立型の大都市の一部という感じがしなかったものですから、可能性として何かあり得るのか。
 それからもう1つは、そういうことも含めて、大都市地域の中では自然エネルギーを供給するのがなかなか難しいとすれば、それはきちんと費用を負担して、外から買うことが必要だというお話がありました。その場合に、当然買うときに、例えば野菜その他なら産直で買うというふうなことが、プロセスというか、ルートとしてあるわけです。例えば大都市地域の一部が、自然エネルギーを積極的に買いたいと考えたときに、今の仕組みをこういうふうに変えればその可能性が出てくるとか、何かそういうふうに、例えば電力会社経由でなくて、地域的に、いろいろな形で自然エネルギーを積極的に産直型で推進したいというようなことを、地域で考えることが可能かどうか。
 私自身、小規模な地域開発というか、都市開発の仕事をしているものですから、特にその点でもしお考えになっていることがあれば、ぜひヒントを教えていただければと思います。よろしくお願いします。

飯田
 
バイオマスの具体的なプロジェクトは、本当に、去年からことしにかけて、急速、かつ一斉に動き始めようとしています。まず林野庁が、過去3年ぐらい前から個別の調査をしてこられていて、私も熊崎先生などと協力していますが、ことしからは割と県ベースでやるということで、たしか石川県、愛媛県、山口県、高知県、岩手県の5県が、まず林野庁の中で、バイオマスの県としての事業可能性の調査を始めた。
それから、ことしNEDOが合計30億円の予算をつけて、バイオマスの1つは、いわゆる環境調和型エネルギー・コミュニティーということで、10億円ぐらいは、熱利用を中心に、地域での熱利用を考えていく事業に対して補助事業をしていく。残り20億円が、高度燃焼技術というか、R&Dとして進めようとしているので、バイオマスという言葉が、それこそきょう締め切りのパブリック・コメントの新エネ部会の中でも、私と山地さんが強く言って、エネ庁もその可能性を認めて、バイオマスというのが、初めて新エネあるいは自然エネとして、今日本の国の言葉に入ったので、そういう政府、いわゆる役所ベースも動き始めている。
 個別には幾つかのスケールであって、大型から小口までいろいろありますが、小口では、さっき紹介したペレットですね。これは何かつまらないように見えて、実は大きな可能性を秘めて、スウェーデンでも今急速に伸びています。
ペレットがなぜいいかというと、ぎゅっと圧縮してつくられていますから、バイオマスの場合、私がいっているのはまず木質バイオマスの話をしているのですが、燃料のカロリー密度が薄いので、大体チップで地域で燃やすのが非常に多くて、輸送距離も100キロぐらいまででないと、カロリーが合わないといわれています。ペレットの場合は、乾燥度も十数%で非常に低くて、かつ密度が高いので、場合によっては、例えばスウェーデンがタンカーでカナダから輸入するとか、そういう移動性が非常に高い。それから燃焼も、自動で燃料のフィーディングができたりするので、スウェーデンは全国で120カ所ぐらい、いわゆる主なコミュニティーにはバイオマスの地域熱供給がほとんど入っているのです。
 しかも、さらに次の段階として、500キロワットから3,000キロワットぐらいの小規模な地域熱供給も、今どんどん普及しているのですが、もうちょっと離れた1戸建てで配管をすると、とてもコストが合わないといったところには、ペレットボイラーというのが非常に有効なので、今その普及が進められています。また、1戸建てのペレットボイラーだけではなくて、ペレットは可搬性がすぐれているということで、小規模なコジェネレーションなどにもペレットはかなり有効です。
 ペレットはこの1年ぐらい、今一種のブームとして、日本でもペレットボイラーを売っているところも幾つか始まりましたし、それから高槻の森林組合が、まだ動いてはいませんが、ペレットの工場をつくりつつあります。実は東京都もペレットをやりたいということで、ことしの夏以降、フィージビリティー・スタディーに乗り出されるなど、そういう動きが出ています。
 それから、もっと大口ですと、やはり一番現実的なのは、とにかく山からの資源というのは、量的というか、コストになかなか合わないだろうということで、既に廃棄物として出ているマイナス・コスト、いわゆる有償のものを燃焼する。いわゆる建築廃材の利用というのが、1つの目玉として今後考えられるのではないか。
 その場合には、例えば石炭火力のIPPにまぜる混焼、コファイアリングといいますが、これを例えば石炭100%に対して、木材がそこに5%でもまざれば、その分、CO が5%減るわけですから、アメリカも結構これをして、実はスウェーデンも、さっきも重油にちょこっとバイオマスが入っていたみたいに、いわゆる混焼から入っているのですね。だから、それも技術的には有望だろうと思っています。
 ただ、石炭火力で建築廃材もいわゆる嫌われ物なので、今これを実際にプロジェクトとしてやろうとしているところは、私の知っている限りはちょっとないですね。ただ、電力会社さんがもうちょっとクリーンな木材で、石炭を粉末化して、例えば今、石炭をスラリーとか、微粉炭で燃焼させているところを、混焼するプロジェクトを、電力会社さんが検討されているという話は聞いています。多分そこら辺の2極から始まっていくのかなと思っております。
 余談ですが、薪ストーブも実はバイオマスです。私も去年、自宅に導入したのですが、薪ストーブは非常にレトロに聞こえますが、今は性能が物すごくよくなっている。かつてのダルマストーブは、燃やしたら燃やしっ放しですから、紫色の煙が出て、中にはヤニというか、タールがたまって、場合によっては煙突火災も起き得るようなものだったのが、今クリーンバーン技術とか、触媒を使って二次燃焼して、完全燃焼に近い形で、燃焼効率も80%ぐらいに達するストーブになってきていまして、建築という意味では、薪ストーブが非常に潜かなブームになっていますね。
 それと、2番目は、大都市の省エネで、これは多分2つの目線があると思うのです。政策として省エネをしていくときという目線と、やはり実験プロジェクトとして、省エネ・コミュニティーをつくっていくときの目線です。政策当事者から見る上からの目線と、実験コミュニティー的に入り口として見る目線というのがあるのかな。
 実験コミュニティーの例は非常に多くて、皆さんもご存じだと思うのですけれども、例えばカリフォルニアでも80年代の初めに相当つくられたビレッジホームズというのがあります。コルレットさんという元市長がイニシアチブをとり、本当に省エネ・コミュニティーで、今はすごく成熟した町になっています。そういった町とか、オランダには90年代の初め、エコロニアといって、100ヘクタールに100戸ぐらいの家をつくって、環境とエネルギーに関して相当先進的、かつ、普通の人が暮らす実験コミュニティーなどもあります。さっきの100のコミュニティーの中では、スウェーデンのマルメに実験コミュニティーをつくりつつあります。
 そういった実験コミュニティーのようなアプローチで、何らかの可能性を見出すというアプローチが1つあるでしょう。他に、都市という意味では、例えばデンマークもやっていますが、やはり省エネ基準を相当厳しくするというんですか。建築物に対して、今建築基準法における省エネ基準は義務づけではないものですから、実質的には余り進んでいないわけですけれども、それを条例などで、もうちょっと上乗せ、横出しで、もっと厳しい基準にしていくということで、全体のパフォーマンスを上げていくようなアプローチもあるでしょう。
 ただ、今単に基準を厳しくするだけだと、社会合意的には嫌われまして、難しいので、3つ目の自然エネルギーの話とこれを組み合わせることができるのではないか。例えば、今政府の改正省エネルギー法の中では、1種と2種工場については、毎年、大体1%ぐらいの省エネの努力義務があるわけです。ただし、省エネの努力義務に関しては、新エネルギー、いわゆる自然エネルギーの利用はその対象から除くというような規定があるわけですけれども、そこをある程度援用する形で、例えば東京なら東京とか、その地域で省エネルギーに取り組んだときに、地方の風力発電からのグリーン証書を出して、例えばどこかの貸ビル1棟としてはそれを買うんだとか、買ったところは、その省エネ部分を免除するとか、しかし、買わないところは、省エネに関する課徴金を乗せるとか、そういう前に進むインセンティブと、インセンティブにならないところは税金がかかる。ある種のそういう方へ動いていくメカニズムを埋め込んで、例えば地域版の法定外目的税を利用した環境税というものは、都市的には利用できるのかなと思います。

そういったところで省エネを進めつつ、最後の自然エネルギーを利用していくという、さっきのグリーン証書というのは、今自然エネルギーから、電気そのものと環境付加価値、これは英語ではグリーンネスといわれていますが、グリーンの部分を証書という形で切り離して、それを取引しましょうという部分は、今後いろいろな使い道があるだろうと思います。さっきの省エネの応用形は、また皆さんがいろいろ考えて、それはそれでまたビジネスにもなると思います。そんなところでよろしいでしょうか。

谷口
 まだいろいろお話があるかもしれませんけれども、ちょうど時間が参りましたので、きょうのところはこれで終わらせていただきたいと思います。
 きょうは飯田哲也さんにいろいろとお話をいただきまして、どうも本当にありがとうございました。(拍手)


back