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第165回都市経営フォーラム

都市再生に向けて視点と提言
都市再生:東京の場合、地方の場合

講師:黒川 和美 氏
法政大学経済学部教授


日付:2001年9月19日(水)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

 

人の移動から考える

戦略的なターンパイク手法

都心と郊外、3つの地域のネットワーク

都市再生に向けての視点

フリーディスカッション



 ご紹介をいただきました黒川です。90分間好きなことを話してよろしいということはめったにありませんものですから、きょうはとても喜んでいます。90分間時間をいただけて、しかもきょうはいろいろお世話になった方にたくさん来ていただきまして、緊張もしていますけれども、考えていることを率直にお話ししたいと思います。



人の移動から考える

 都市再生は、今の内閣の主要な政策課題のテーマにもなっていますが、なぜ都市なのかとおっしゃる方もたくさんいらっしゃいます。国のお金の使い道が大都市サイドに集中すべきなのか、国土全般に均等に分散すべきなのか、あるいは農村分野に支出されるべきなのかという議論もあるかもしれません。都市再生の問題を考えていくと、人の移動、フィルタリングプロセスを考えることになります。例えば住宅を建てるとか、オフィスビルディングを建設する場合でも、それが1つできると、そこに入る人はどんな人で、そこに入った人はどんな住宅やオフィスを捨ててきたのか、その捨ててきたところには今度はだれが入るのか、その人はどこから来た人なのかを考える必要があります。フィルタリング現象というのですが、どなたも、それぞれの世界でシミュレーションをされる。私も全く同じようなことをシミュレーションしてみようと思っています。
 きょうの話の筋立てとして、1人の経済主体、私のような年齢の者でもいいですし、大学を卒業するときの若い人たちでも構いませんが、自分の人生を魅力的にライフデザインしようとして、ある方向に向かって動き出す。どういう流れに乗っていくだろうか。「人の移動を考える」とレジュメに書いていますけれども、移動から社会の活力を考えるという1つのパターンがあります。経済学者的にいうと、個人の効用最大化とか、個人の将来の利益の最大化とか、そういうことを合理的にシミュレーションしたときに、いえる議論になると思います。
 同時に、法人も移動します。都心の大手町に金融機関がなければならないと日本企業は考えていたのに、モルガン・スタンレーやシティバンクは大手町をけっとばしています。彼らはなぜけっとばしたのかとか、あるいはそういう行動になっていくのにどういう理由があるんだろうか。企業は事業を行うのに幾つもの資源を同時に使います。お金という何にもかえられるものもありますし、立地という制約条件もあります。人材資源もあると思います。それは取りかえ可能です。ある程度の期間で資源を取りかえながら、会社の資源の有効な使い方に移していくことを経営者は常に考えていて、その1つの条件として本社オフィスの立地を考えていくと思います。
 男社会で日本的人間関係が必要で、だから大手町に集積、集中していないと、喫緊情報に漏れてしまう。その漏れが事業に支障を来すという不安を持つ男社会世界では、特定地域にたくさんの関係者が集まる。「アイランド」という言い方をしたりします。金融機関は大手町エリアとか、建設会社は飯田橋かいわいだとか、そういう集まり方があります。
 こういう集まり方の原理をガラッと変えてくれているのが、(ここからちょっとジョークですけれども)最近いろんな方がいろんなところで議論されているように、今の崩れそうな日本経済をけなげに支えてくれている30歳前後の独身の女性のサービス労働、サービス残業です。この人たちがいてくれなかったら、日本はITにも乗りおくれているし、多分私ぐらいの年齢の管理職は、今までと同じレベルのお給料をもらうことができていないと想定されます。彼女たちの努力が、上と下のすき間を埋めてくれていて、企業が構造転換の時間稼ぎをしている。彼女たちは高い報酬を得ていません。間もなく彼女たちが反乱を起こすだろうと私は確信しています。彼女たちは自分で会社をつくって、自分で動き始める。
 その後ろを追っかけている学卒の若い人たちは、将来、つまり30年後の自分の所得がどうなるということはもう予想できないと想定して、新しい産業社会に入ってくる。その人たちは自分の能力に応じた賃金をもらえる。それはトレーニングを受けて、スキルド・レベルというか、技術のレベルで彼らは賃金を得ることができるような形になる。
 実際に私のゼミの学生の就職活動を見ていても、かつてはNTTや日立製作所のような大きい会社に入って、どこのポジションに行くかわからない。
 そういうタイプの学生は今は激減している。NTTよりはNTTデータ、NTTデータよりはNTTデータテクノシステム……。NTTデータテクノシステムでも、東海とか関東とかエリアを決定したところで自分のしたい仕事をきちっと決めて、そこで5年間働いてスキルレベルを上げたら、この水準のお給料で次の場所に行くぞと考えられるようになってきています。そういう意味では総合職型雇用は不要になりつつある。今就職していこうとしている人たちは、親の世代の経験を見て、ああはいかないだろうと予測し始めている。
 今私が述べようとしていることは、人の移動にかかわることです。経済学者は単純な仮定を置いて議論します。私が話すことも、こんなに単純な仮定の上で議論していて許されるかと不安です。人がある場所から別の場所に移った。移ったという結果を見て、経済学者は、彼が合理的だったとしたら、移る前より移った後の方が、もし情報の誤りさえなければ彼の状況はよくなっていると想定しよう。この仮定を皆さんがどれくらい認めてくれるかどうか。
(パワーポイント−1)
 図は、皆さんがよく見られる折れ線グラフです。首都圏の人口の転入超過数の推移を示しています。
 これでは絶対数はわかりませんけれども、見ていただくとわかるように、この何年間か、都心への集中が戻ってきている。目黒区とか中央区とか、人口もふえている。そういうことは皆さんもよく知っていると思います。しかし、高度成長期の大きな変化からすると、移動が激減しているということがわかります。少なくとも出入りの数が等しくなってきていることの意味は、都心、つまり首都圏に入ってくる人と出ていく人の数がほぼ等しくて、ほぼ等しいということは、出ていこうとしている人の数と入ってこようとする人の数が等しくて、同じ人ではないわけで、性質を調べなければいけませんけれども、この図を見る限りは、大都市の居心地がいいか、地方の居心地がいいかということを比較したら、昔と比べると、わからなくなってきた。経済学者はこういうのを「インディファレント」というんです。国民的に無差別になった。
 入ってくる数と外へ出ていく数がほぼ等しくなって、日本国民は地方から都市へ入るのと、都市から地方に行くのがほぼ等しい数になったという意味で、全体の数として合計すると、日本は、大都市と地方都市がインディファレントな関係になっています。
(パワーポイント−2)
 これは太平洋ベルト地帯と北太平洋ベルト地帯という地方圏、名古屋圏、関西圏、東京圏で人口の社会移動の推移をあらわしています。見ていてわかるように、悲しいことにというか、全国の移動の水準がずっと下がっている。これを何と解釈するか。最初の仮定に戻ると、たくさんの人が移動したら、移動した人は前よりもよくなったという人が多いということを考えると、こんなに移動しなくなってきていることは、だれも前の状態よりもよくなっていない。つまり安定した状態になっているともいえるし、停滞しているという説明になる。
 この論理はあたかも正しいように見えて、穴だらけですけれども、今のところはそれはちょっと見逃していただいて、単純な議論を進めます。人はたくさん移動しているときほど魅力的な新しい夢を追っかけたり、いろんなことをする機会があって、そういうことが可能になっている社会だとみなすことができると。
 今日本の所得水準は、こんなに経済が悪い状態でも過去の最高1人当たり所得水準を確保したまま、名目でいうとおよそ512兆円、実質535兆円という経済水準は過去のどの時期よりも高い水準です。その水準を維持したままいるわけで、しかも1人当たりの国民所得水準では世界の最高水準の状態にある。だから、これ以上動かないという意味かもしれません。これを成熟社会と呼ぶかもしれません。停滞していて、なかなか前に進めない。これを景気が悪いと多くの方は議論していますけれども、景気が悪いというべきかというのも、数字だけ見ると非常に難しいです。GDP見ている限り、非常に高い水準を維持しています。維持していることが豊かさにつながっているかどうかということは別です。
(パワーポイント−3)
 次の数字は、人口移動の絶対水準をあらわしています。ピーク時が1970年ごろだったとしますと、それから比べると、移動の絶対水準は減ってきていて、600万人を超えるぐらいの水準で安定的になってしまっています。この状態はずっと続いています。移動は県内移動も県間移動も含めて、県内移動の方がふえている。地域の中の移動がふえながら、絶対水準は横一直線で、県内移動も県間移動もおよそ300万人の水準になっています。
(パワーポイント−4)
 これは新しい数字で、3大都市圏と地方圏で、転入超過数の長期の趨勢を書いた図です。先ほどから同じような図を見ていただいていますけれども、人の移動は、流出入で考えると、地方圏側と、そうでない側、3大都市圏の間の出入りはほとんどない状態です。
 問題は、この間ずっと日本の経済は着実に高い水準になってきていながら、1人当たりの国民所得は、全体数字として上がっていきながら、移動の絶対量は減りながら、大都市と地方圏の間の流出入の数は小さくなっている。差がなくなってきているということを三段構えで見ていただいたんです。
 このことを考えて、皆さんは、何を考えられ、日本経済の活性化に必要なものは何であるとイメージされますか。ここではまだどの地域がどうだったかという話はしていません。
(パワーポイント−5)
 これは、8月の中ごろに出されたことしの公示地価です。商業地はとどまるところを知らずまだ下がっている。私は長い間、東京国税局土地評価審議会の委員をさせていただいています。毎年5月ごろに最初の路線価というのが決まる。地価にも3種類の地価がありまして、国土交通省の土地局がやる公示地価というのがあります。路線価というのは財務省がやる相続財産評価のためにやる地価です。これ以外に、総務省、各自治体がやっている固定資産税評価のための地価評価があります。財務省がやっている路線価はどういう意味を持っているかというと、所得の垂直的な公平さを是正するためにやります。それに対して固定資産税評価はどういう意味を持ってくるかというと、これが今後の地方自治体の基本的な財政収入源になっていて、地方の時代のとても重要な役割をになっている。
 きょうの後の議論は、地方自治体のお金の使い方、これを地方自治体、公共サービスのポートフォリオという言い方をしていますが、それにかかわりがあります。地方自治体の公共サービスのポートフォリオのあり方が地域の魅力を決めて、その地域の地価水準を決めて、結果的にはその地域の固定資産税収入を決めて、その地域の活力の源になります。
 この間全国の地価はどんどん下がってくる傾向にありましたけれども、この10年間で固定資産税、都市計画税収入を飛躍的にふやしている自治体もあります。代表例は横浜市だと思います。横浜市はこの10年間の間にこの税源で1400億円ぐらいの税収入増をもたらしている。超赤字の市営地下鉄を引いても、それで取り返している。しかもこの横浜市は、あざみ野というところから港北ニュータタウンを通り抜けて、新横浜。20年前に新横浜はありませんから。そして桜木町を通る。桜木町もそのころはただの造船所。そして上大岡という再開発地域を通って、永谷を通って、戸塚を通って、今湘南台まで行っている。何もなかった土地の地価の評価を上げながら、すごく錯綜している道路を拡幅するための代替地を港北ニュータウンの電車の駅に近いところを確保しながら、総合的に土地権者のやりとりを上手にしながら、横浜全体の不動産水準を高めていて、基本的には税収入とする。
 これはアメリカの自治体が念頭に持っているTIF、タックス・インクレメント・ファイナンスという考え方で、将来の税収のことを前提にして今開発をしていく。前もって地方自治体が金融機関からお金を借りても、将来そういう増収があることを前提にしていろんな事業を進めていく。アメリカのTIFというシステムは、ほぼ全部の州(48州)で進んでいて、我が国でもこういうものを導入しようということで、都市基盤公団などは一生懸命プランを立てている。私の知る限りでは、大和市の桜が丘駅前でこの考え方を導入する実験が行われようとしたりしている。
 地価が猛烈に下がっていることは、一時的な動向だったわけですけれども、この地価をベースにして、地方自治体、特に基礎的自治体の税収入が決まるということがあります。ここでは路線価になっていますけれども、路線価というのはそういう垂直的な問題。固定資産税収入は、不動産の限界生産力というか、それを生産に使ったときにどれくらい価値が生まれるかという価値評価の対象になっています。固定資産税収入というのは収益基準、収益還元価格という形で評価されることが普通になっていて、路線価とは違っている。
 東京の場合は非常に高くなってしまっていますので、それを激変緩和している状態になっています。横浜の場合は、こんな時代で地価が下がっているにもかかわらず、極めて有効に税収につなげていって、多分全国の都市の中で一番活力のある新しい動きをつくっている町になっていて、ここにたくさんの人を引きつけています。移動させています。
 開発によって職場もふえていますし、生活の場、住宅もふえている。両面ふやしている。そういう意味では、東京が起点ではなくて、横浜を起点のまちづくり。相鉄線、横浜線、京浜東北線、横須賀線、市営地下鉄が横浜を起点にしながらの新しい環境がつくり出されてきていると思います。
 これからすると、住宅地の方の価格は、多くの人のニーズがあるために、下がっていく力があるとはいえ、一定の地価水準で下げどまろうとしています。もう既に住宅については下げどまろうとしているんですが、問題は日本人の人口が2007年にはピークアウトしてしまう。働く人口でいうと、20歳から65歳の人口は1996年ぐらいにピークアウトしてしまっている。どちらかというと、労働力不足の時代になっていて、労働力が伸びない状態で経済が成長した国はおおむねありません。日本は今ぐらいが普通の状態。これを上手に構造転換して、多くの人たちがワークシェアリングをしながら、この経済を上手に分け合うような形にどうやって持っていくかというのが、基本的な日本の経済のあり方だと思っています。しかし、年配の多くの人たちは、短期的にまだまだ活力を高めることができるという感覚を持っている。
 どんなに頑張っても消費がふえなかったり、どんなに頑張ってもそう簡単に景気が浮揚してくれない最大の理由は何か。お金をバラ撒けば物価が上がると教科書に書いてあるというんですけれども、それは結果と原因をさかさまにしているわけで、インフレが起こるのはインフレマインドという状態があるから、早く買わないとその土地はもっと高くなると思うから、焦って早買いをしながらみんなで地価を上げていた時代があった。逆の言い方をすると、あしたの方がもっと下がると思ったら全然買わない状態。これをデフレスパイラルという言い方をしています。そういう問題だけではなくて、もう一定の水準のところにいって、次の魅力にいかない。だから、きょうの私の議論は両極を魅力的にしようということで、日本人の生活の幅を広げることがその活力の幅を広げることになるのではないかという提案になっています。

(パワーポイント−6)
 次の図は、国と地方の財政関係をあらわしています。これは公共部門の役割はもう終わったということをいおうとしているわけで、こんなことをいい続けているために最近役所の仕事がどんどん減っています。
 どういうことをいっているかというと、日本人が今135兆円、公共部門で支出していますけれども、税収は85兆しかありません。こんな金額どうする。小泉さんが30兆にするか、33兆にするかという話をしていて、3兆のところで何か大きな問題があるかに見えていますが、全体としては何の関係もなくて、それ以外に十数兆の地方債の発行があって、合わせて今の130兆レベルの支出を維持していく。支出を維持しないと、国全体の経済の消費水準が落ちるという不安があると考えているわけです。
 それを加えたからといって、それじゃ、ほかの部分が誘発的に拡大するかどうかという問題があります。公共事業が経済にどのようなインパクトを与えるかというのに、いつも議論されるのに2つのパターンがあります。1つの議論は前方効果というものと後方効果という議論で、つまり、セメントや鉄を使ったり、新しい雇用を使ったり、道路を使ったり、公共事業をやること、それ自体が乗数効果をつくり出す。この議論がよくいわれる短期の内需確保のための議論です。
 もう1つは、ちょうど高度経済成長期のように、自動車産業が伸びてくるときに、高速道路の整備をすると、その道路を使って走る車がつくられるわけですから、相乗効果になっていくとか、Aという町とBという町の間に大きな山があったんだけれども、トンネルで突き抜けることができたら、2つの町の人たちは相互に交流が高まって、こっちの子供たちがこっちの学校に通う、こっちの子供たちはこっちの学校に通えるようになる。こういう交流ができることから生まれてくる新しい機会は、後から生まれてくるものという意味で、その公共工事の結果生まれてくる新しい世界です。
 私たちはその新しい世界をつくるために公共工事をやってきているわけで、当面のセメントや鉄を使うためでも、当面の一時雇用をふやすための仕事でもありません。
 ところが、かつては道路をつくって、車が売れて、車の生産量がふえて、輸出したくなるから港を整備して、港を整備するだけじゃなくて、輸出運搬船をつくらなければいけない。波及的に次々にそこから生まれてくる工事があったわけです。今では昔流のそういうものがなかなかうまくいかなくなってきています。
(パワーポイント−7)
 そこで、地方と国との関係でいうと、国の公共事業といわれているもの、少なくとも明治維新以降国が国策として、国土論として整備しなければいけなかった道路とか鉄道、空港、港湾あるいはライフラインのもとになるような上下水道ラインとかダム、こういったものはおおむね整備は終わった。多分住宅も終わった。あるいは農村地域の中の広域農道というのも、農林水産省の報告書ではおおむね7割は整備が終わっているといっている。
 だから、徐々に国土政策としての公共事業は店じまいの方向にある。この店じまいの方向が国土交通省という役所、4つの役所を1個にするような形の縮小にあらわれているといったらしかられるかもしれませんが、実際には戦後60年の間に、一生懸命霞が関が全国に公共事業を進めてきたおかげで、多くの批判もあったけれども、日本の国土全般に基本的な国土論として整備すべき社会資本は整備がおおむね終わっている。
 だから、これからやらなければいけない高速道路は、あばら骨状のようなものが幾つか残っていますけれども、つくられていくプロセスでは、「クマの遊歩道」といういじわるをいわれたりするような、整備したからといって直接効果があらわれるようなものではないという意味で、この公共工事を最終的に終わらせる最後のプロセスで、飛躍的に道路の利便性が高まったりするものではありません。一番利便性の高まるところからほぼ終わっていたんです。
 ところが、取り残されていて、これがあったらどんなに便利かというので、まだまだ今議論されているのに圏央道がありますし、外環道、川崎縦貫道というのがあります。こういうものが縦に上手につながってくることで、首都圏の都心部を上手に迂回をして、遠くに行かなければいけないむだなエネルギーを縮減することが起こってくる。つまり、生産貢献の高いものから順番に整備していったために、残されてきているものができ上がるプロセスでは、最後のものにたくさんの貢献を期待することは難しいというのが一般常識だと思います。
 そして、国が猛烈な借金を抱えてしまった。今国の国税収入53兆円あるんです。地方税収入は30兆円しかないんです。この53兆円から20兆円分交付税として、国庫支出金という補助金として13兆円、合わせて35兆円地方に支払っている。既に国債残高は400兆円になっており、20兆円分を交付税として渡すことがほとんど不可能です。来年以降ちょっとずつそれを縮小していかないといけない状態になってしまっている。もし国債の利子が5%にでもなったら利子支払いだけで20兆円になる。という意味で、長く行われてきた交付税の時代はもう終わりなんだということを認識しておいていただかないと、後の議論のときに、何でそういう筋道になるのかという質問が出てくるのではないかと思います。
 それから、財投の制度もことしから郵便貯金も年金も自主運用ということで、マーケットに依存することになりました。そのために一定の金額を政府が有効に使えるところに持ち込んでくるようなメカニズムができません。そのために財投機関といわれている都市基盤整備公団とか住宅金融公庫のあり方まで今問われています。政策投資銀行とか、こういうところは財投制度の中ではなくて、自前で債券を発行して資金調達をすることが行われようとしています。
 今週の初めには政策投資銀行が500億円の新しい財投機関債というか、政策投資銀行債というのを発行したら、物すごい勢いで、国債よりも高い評価で売れていますから、何も国債レベルじゃなくて、政策投資銀行は自前で事業をできるような時代になっている。しかも、最近政策投資銀行は自分で債券発行に備えて自社の財務について民間企業と同じ財務チェックをしました。その結果民間企業でも悠々とやっていかれるというお墨つきももらっている状態で、この後どういうふうになっていくのか、そういう金融機関もあります。
 住宅金融公庫などはやめてしまえという議論が起こっていますけれども、今は絶好調ですごい黒字です。儲かっている。それはなぜかというと、政府の提供金利が非常に低い状態で、貸し付けている金利が高いから、利ざやがあって、しかも不動産会社も金融機関も補完関係を強めて、こんな商売があるのかと思うような独占企業です。多くの民間の関係者の方は住宅金融公庫を残すべきだという議論さえされている。民間との間でそういう役割は両方あるはずだという議論さえされています。これも感覚はわからないでもないですけれども、今までの状態を維持したいという感覚以上のものではないと僕には思えます。住宅金融公庫はもっともっとさま変わりしていろんなタイプのことができるかもしれないという気がします。とりあえず住宅金融公庫は今絶好調です。
 こういうことから、税をベースにして事業を行っていくことがとても難しい環境にあって、これを「ニュー・パブリック・マネジメント」という言い方をしています。国からの補助金を期待しながら事業をやることもなくなって、基礎的自治体が自分たちで事業経営をやっていく。そのお金の使い方とか税収源を何に求めるかというと、公共サービスのポートフォリオというか、持っている財源を何に使うかということで地域の魅力をつくりながら、そこに住む人とそこに住む財産が蓄積されることで、その地域のポテンシャルが決まってくるという新しい循環の中に直接入っていく時代に今なろうとしています。
 そういうことをやるときの背景にあるのがプロファイといっているプロジェクトファイナンスの考え方になっています。このプロジェクトファイナンスの資金調達のためにリートとか、新しい不動産の証券化のスタイル、小口化のスタイルのいろんな新しい事業手法が生み出されてきて、これも動き出そうとしています。動き出そうです。なかなか動かない。そして、こういう問題の背景にずっと議論されているのがITという問題です。
(パワーポイント−8)
 次の図は、2005年の段階で集線点レベルの光化率の見通しについて示しています。88%と第2中間試算結果を得たら、何年か前に調査したものとほぼ変わりませんという野村総研の情報通信審議会での報告書のそのままの写しです。
 Eジャパンという戦略が今進んでいまして、我が国では今全国を、エリア1、エリア2、エリア3、エリア4と4つの地域に分ける。そして、エリア1というのは、政令市、県庁所在地レベル。エリア2は人口10万以上。エリア3は10万以下の地域。エリア4は過疎地域、条件不利地域。2005年にインターネットブロードバンドが行き渡っている率をEジャパンで戦略的に予想しているんですが、ほかの地域、1、2、3の3つのエリアまでは90%以上普及するとわかっているんです。
(パワーポイント−9)
 ところが、エリア4という地域についていえば、48%なんです。かなり強引にやったとしても48%までしか普及しないだろうと予想されています。それ以外の地域は9割以上伸びていく。ただし、伸ばしていくために一番深刻なのは何かというと、集合住宅の中に簡単に壁をあけられないから、光ケーブルを通せないとか、そうやってやるのはとても難しいから、FWAという電波を使ったエリアLANをやろうとか、もっと強烈なのは東京電力のような電力会社が電流の中に情報を通そうという電灯線方式というのも考えています。
 今はだれが勝つかわからない次の技術開発が進んでいますが、日本では韓国のような形で、ADSLみたいな形で1.5メガぐらいのインターネットブロードバンドができるように早くしようよということがEジャパン計画になっています。
 この議論の後ろに、もし2005年にすべての農村の住宅にまで力づくで光ケーブルを通したら幾らかかるだろうかという計算がされています。大してかからないんです。なぜかというと、農村地域はケーブルテレビがもう行き渡っています。難試聴解消のケーブルテレビ。とっくに東京電力や何かがいろんな形で進めていて、そのことも含めて8500億円ぐらいあれば、基線点までの光ケーブルと最後の家庭までの接続の両方合わせても2兆円かからないだろうといわれている。
 だから力づくで2005年までに、だれもがブロードバンドのITができるような状態を日本の国民全員のユニバーサルサービスにできるかどうかということを議論するための議論です。

(パワーポイント−10)
 センサスを歴史的に追って人の移動を見ています。
 次の絵は大正の最初のセンサスのときの人口の流出入をあらわしている絵。町村別の人口が5%以上ふえたところは赤い色、1%以上の人口がふえたところはピンク、薄い青が1%以下の減少、5%以上の減少は濃い青になっていて、人口が大正9年から大正14年のときは、東北、北海道地方で伸びていたのがわかります。人口が今どういう状態で移動しているかを皆さんに見ていただきましたけれども、過去の日本、大正以降の日本ではどういう地域でどういうふうに人口が増減したかということをもう一遍おさらいをしてもらおう。
(パワーポイント−11
 これは大正14年から昭和5年ですけれども、東北、北海道で人口がふえていて、この時期には中国地方とか九州の一部では人口はふえていません。
(パワーポイント−12
 昭和5年から10年は、まだふえているのは東北、北海道です。だんだん人口がふえなくなりました。でも、全体としては赤いんです。
(パワーポイント−13
 これは第2次世界大戦が終わって、すべての町にみんなが戻ってきたということで、全部真っ赤なんです。この後予想できますか。
(パワーポイント−14
 これは昭和15年から22年にかけてですが、25年から30年のイメージ、皆さんできますか。まだ東北、北海道、九州に人口が帰ってきているという状態です。25年から30年、関西、中部というところの山岳地域の人口がだんだんブルーになります。この後大都市地域へどんどん人が流れていくという時代です。このときの日本は職場があるところ、高等教育のあるところ、そこに向かって人が流れていて、みんな多くの夢を追っかけていきます。この時代夢があってよかったといえるかどうかということは別にして、少なくとも、猛烈に人口が減少しているところがある。一方的に猛烈に人口がふえているところもあります。それは大阪、名古屋、静岡、東京、横浜がふえている。東北地方の仙台はふえています。
(パワーポイント−15
 これが35年から40年で、東海道メガロポリスというところだけが人口がふえている状態になって、あとは全域人口減少の状態に陥ります。
 今どんなふうになっているかということをみんなに想像してもらおうと思っています。今はどんな感じになっていると皆さん思われますか。移動は減ってきているんです。
(パワーポイント−16
 これは45年から50年で高度経済成長が終わるときです。だんだん白いところがふえてきて……
(パワーポイント−17
 55年から60年は全国白がふえてきています。
 これが60年から平成2年。
(パワーポイント−18
 平成2年から平成7年。間もなく新しいものが加わりますけれども、日本は、一番最初の人口の移動の絵から見ていただいてもわかるように、今人口の出入りがない状態。日本じゅうで人口の出入りがないんですが、2年から7年にかけて、首都圏でも東京の真ん中ではないんです。今は郊外に流れた、川越とか熊谷、春日部、越谷、相模原、八王子、こういうところでふえている人口が都心に戻ってくるという状態での県内移動がふえている状態です。全国での県間移動はすごく小さい状態になっています。
 東京からわずか1時間で行けるところにこんな自然があるぞという写真を集めています。東京の周りにこんな場所があることのよさでどういう議論ができるでしょう。
(パワーポイント−19
 これまでは大都市側に注目したけれども、この図は、農林水産省の若い人たちがつくってくださった絵です。日本の優良農地はどういうところに立地しているかという絵です。日本の優良農地はどういうところに立地しているか。日本の優良農地、水田、畑地は、両方とも新幹線の線上にあり、東海道線、東北線、飛行場、地方核都市に隣接して農地があるということがわかります。つまり、国土全体の7割は山林ですから、残りの30%のうちの20%が農地で、10%が都市計画区域で、実際にDID人口地域は1.5%しかなくて、そこのところに半分以上の日本人が住んでいるという日本の居住の仕方をもう一回改めて認識していただいて、すぐそばのところには魅力的な緑がたくさんあるということを頭に思い描いていただいて、農地は不便なところにあるわけではなくて、とても便利なところ。平らな水田がどこに立地しているかを絵であらわしているんですが、新幹線の線上に優良農地が整備されていることがわかります。むだな農地に多額の投資をするなという議論が強いですが、農地は都市住民の意外に身近にあります。
(パワーポイント−20
 もう1つ、公共部門のウエートがどういうふうに変わってきたかということを調べている絵ですが、一番上の水色の線が合計したものです。黄色の線があります。下からずっと伸びている。これは社会保障関係です。英語で「ガバメント・トランスファー・ペイメント」、公的移転支払いという概念です。つまり、政府は国民からお金を集めますけれども、政府自身が使うのではなくて、若い人から取ってきてお年寄りへとか、健康な人から取ってきて病気がちな人へ、そういう形で取ってきて配っているものをイエローのラインであらわしています。
 それに対して濃い青い線で横一直線に見えているものが何かというと、政府最終消費支出といわれている公共部門がみずから公共サービスを供給するために使っている費用です。
 そしてピンクの下がったり上がったりしているのが公共事業です。これで見ていただくとわかると思いますが、我が国は、この赤字財政をしてなければ、日本の計画では本来の国民負担率はGDPのおおむね45.5%になっていたはずです。ところが、この間恒久減税という政治的な政策が入ってきて、今のところ国民の負担率は36%のままであるんです。つまり、国民は増税を避けてきました。結果的には借金財政になって残ってきてしまいました。この10年間の間ずっと負担を避けて、そうすることが内需がつくられて景気拡大につながって、税収につながって日本の経済はよくなるはずだと思われてきました。
 一方で、政府の中で一番ウエートが大きくなっているのは何かというと、「ビジビリティー仮説」というものですけれども、現なまでもらう方が人はうれしいから票につながるという仮説です。このビジビリティー仮説に従ってイエローの線はどんどん伸びていて、世界の先進国共通にこのガバメント・トランスファー・ペイメント、公的移転支出という金額がずっと伸びてきています。どこの国もこれが高い水準になったまま固定しています。
 世界じゅう、政治メカニズムを通じながら、いわゆる公共サービスを供給するウエートはそんなに伸びないで、こういう所得の移転が猛烈にふえる状態になっています。日本はこれで1400兆円の個人の金融資産がつくられていて、それがお年寄りのところに累積している状態になっているということも、もう1つの認識ポイントになると思います。



戦略的なターンパイク手法

(パワーポイント−21)
 これがきょうのレジュメの中身のことです。都市再生に向けて手っ取り早く、「戦略的なターンパイク手法」と書いてあります。再生は移動をふやす。移動をふやすための方法をどう考えるかということです。最近都心居住のことを強く主張されて、高層のビルが必要だと議論されている論客もたくさんいらっしゃいます。大手のディベロッパーはみんな、高層のオフィスプラス住宅をつくられてきています。代官山アドレス、品川ツインパークス。三井不動産だと神保町や青山パークタワーとか、森ビルだと六本木6丁目もそうですが、愛宕の開発とか、次々に住宅プラス・オフィスタイプのものがつくられてきて、それは魅力的な両極の形成の中の職住近接というよりは職住一体。昔でいうと小さなデザイン事務所、設計事務所は自分の住宅と事務所が一体になっているケース。それが高層ビルディングの中で一体になっている方が今猛烈にふえてきています。
 21世紀型の日本人の移動は一体どんなものだろうかということを考えてみようというのがきょうの私の議論です。
 魅力的な両極をつくろうということで、片方では都市の高度利用と都心居住を考えていますけれども、片方では半農半漁テレワーク、きれいな農村よりはもっとひどい、半農半漁。こういう議論が成り立っておかしくないのに、なかなか成り立たないできた理由は何だったか。昭和40年代、50年代からずっと、日本は全総計画の中では、第一全総のときからずっと定住化論があります。とりわけ日本人にとってのかつての夢の住宅というのはどんなものだったかというと、郊外の1戸建て住宅で、ガレージと庭があって、駅から少々歩いても仕方がなくて、家族で生活しているというイメージです。これは1960年代のアメリカのテレビ映画「うちのパパは世界一」とか、こういう世界でイメージされた郊外1戸建て住宅で自動車があって、郊外のレストランに食事に行く、こういう世界だったと思います。
 日本人にとって40年代、50年代、これは不変の目標で、多分絶対これでオーケーだ。郊外の多摩ニュータウンのような団地はそれにいく前の1個手前。つまり、フィルタリングプロセスでいうと、住宅金融公庫からお金を借りて最後に1戸建てを建てる状態が、最終ターゲットだとすると、その前の段階に位置づけられていた時代があったと思います。ところが、今は住宅金融公庫でお金を借りている人の一番大きい世代は25歳から30歳で、これから結婚する人たちなんです。この人たちが一番たくさん住宅金融公庫からお金を借りている層になっています。世代の上の方の人たちが戸建て住宅にいくときに借りるのは大きなウエートではなくなってきている。そういう意味で40年代、50年代に不変の価値だと思われていた郊外の1戸建てが最近は結構重たい。
 特に地方の核都市の中心市街地の空洞化という問題を考えると、このことは明らかになっています。中心市街地の空洞化は中心市街地の商店街の商店主の人たちが基本的に、例えばどこの町でもいいんですが、私が丁寧に調べた愛知県の岡崎市という町は、康生町という中心市街地があります。徳川家康が生まれたという「康生」です。この町はとてもすてきな中心市街地があるし、お城もあるんですが、この中心市街地は空洞化しています。この中心市街地、康生の小学校の一番生徒が多かったのはいつだったか調べていったら昭和35年なんです。その後、それを囲むエリアの人口はずっと減少しています。この人たちはどこに行ったんだろうかということで、いろんな形で商店街の人たちにヒアリングして調べていったら、この方たちみんな郊外の新しい住宅地に家を買って建てていらっしゃいます。
 つまり、商店街の人たちがシャッターをおろして7時になったら帰っちゃう。というのが、商店が多くの人たちからだんだん見捨てられた第一歩だったのではないかと思います。
 岡崎の場合には最近イオンというのが、ジャスコと西武百貨店と専門店街で周辺の人口70万エリアを想定して大規模なショッピングセンターをつくっています。ありとあらゆる大型店が全部集積していて、町の中心を国道1号が突き抜けている町です。この町にとって何が深刻だったかというと、大型店がやってきた。隣は豊田ですから、自動車社会が当然。男性の大人は1日に1時間以上自動車に必ず乗っている。物すごい自動車依存の社会になっています。こういう自動車依存の社会が中心市街地を空洞化させて、大型店にお客を持っていってしまう。
 中心市街地で働くべきだったお魚屋さんとか八百屋さんは、大型店の店舗の中で働くようになっていく。大型店が雇用を創出する規模は物すごく大きいです。そういう意味では、大型店はその地域に新たな雇用を大規模につくり出しています。
 ここの大型店の地域に中心市街地の古いお店も当然移動します。そのときには信用金庫からお金を借りて、そこを担保にしながら外に出ていってお店をつくります。幾つかのものについては、この間昭和40年代から50年代にかけて1人当たりの国民所得が9000ドルから1万ドルに(今は3万数千ドルですけれども)上がろうとした時期。家業型で親から子供に伝えていくようなスタイルの事業の運営の仕方は採算がとれなくなってしまった。その土地を担保にしながら、大型店の周辺にフランチャイジーという形で出店をしていく。好むと好まざるとにかかわらず焼き肉屋になっちゃったり、洋服屋になっちゃったり、いろんな形で外に出ていく。経営には参加しないまま、自分のところは不動産を担保にしてお金を出すというやり方。旧来のお店は平地の駐車場か何かで、担保になっているということで売却することはできない。
 しかも、中心市街地の地価はほかのどの地域よりも飛躍的に高いという状態のまま、全国のほぼすべての自治体が同じような状態になっていると思います。
 なぜそういうふうになってきたのか。今単純化して議論をしてしまいましたけれども、中心市街地の人口は昭和30年代の今は半分以下です。しかも、商店街にそのまま住んでいる人はほとんどいらっしゃらないという状態になっていて、中心市街地は空洞化します。
 だから、中心市街地空洞化対策の一番の議論は、商店の空き地をどう使うかという細かいこともありますけれども、決定的に大事なことは、そこに住む人をふやすことです。だから、多くの自治体で第1に試みられていることは集合住宅の建設です。この集合住宅の建設を魅力的にするためには、この中心市街地の機能を、かつての商店街機能だけではとても難しいということになっていく。ずっと複合化していて、アフターファイブの魅力的な環境を提供してくれるような大都市の中で、あるいは都心の中で、地方の核都市の中で魅力的な事業をしていかなければいけないということで、商店街を再活性化することだけではこの空間は生きていきません。
 そのために、この中心市街地活性化策は13省庁で、その中身も一定の地域、公園の費用も道路やモールをつくる整備費用も、あるいは集合住宅をつくることも、福祉費用も、教育費用も、ありとあらゆる費用をその1点に集中して、その地域が完全に経済的に自立するまで集中的に投資しようというヨーロッパ型の地域コアへの集中投資という議論が生まれてきます。
 いずれにせよ、魅力的な両極を形成しなければいけないときに考えなければいけないのは、東京のような都心、東京の郊外のようなところ、地方の核、地方の核と郊外の関係、そして農村地域という条件不利地域。幾つかの地域についてこの両極が魅力的になるように、しかも最初にお話ししたようなフィルタリングプロセスのシミュレーションができる形で、どういう形で人が動いていくだろうかということを想定しながら、今は私は、住、生活することだけをイメージしてフィルタリングのことを話していますが、働く、生産局面のこともイメージしながら、その移動も考えながら、こういうことがどういうふうに動いていくだろうかを一緒に考えてみてほしいと思います。


(パワーポイント−22)
 都市再生本部がこれまでのところ、「骨太」の後ろ側でこんなことをやろうとしているということは、皆さんもチラチラッと漏れ聞こえてきていると思います。
 一番最初に都市再生本部の中で議論したのは大都市の防災ということです。最近いろんな事件が起こってくると、ますますこの防災論はウエートが高くなってくると思います。特に東京の場合は、ピッキングその他の日常的な不安、そういうものが猛烈に高まっているということが大事です。
 2番目の問題は夢のようなことですけれども、私東京都の廃棄物処理審議会の委員になっていまして、東京で廃棄物処理をしていくことがいかに大変かということがわかっていますけれども、ゼロにしてまおう。どうせやるならごみを出さない。東京から一切ごみが出ないまちづくりをしようというのが次のリサイクル都市という議論になっています。これは大都市のリノベーション、21世紀のグランドデザインという五全総の中に位置づけられているウォーターフロントの高度利用の中に大都市のリノベーションがあって、この中にリサイクル都市というコンセプトが出てきています。川崎の扇島あるいは千葉の京葉臨海というところの土地の利用の仕方として、このリサイクルという議論がされています。
 最近、都市再生本部の中で「やるぞ、やるぞ」といわれていて、先回伊藤滋先生もいわれたんじゃないでしょうか。伊藤滋先生がいかにPFIをやるかということの責任者みたいな地位にいらっしゃいますので、このPFIの話はそういうところから生まれてくると思います。
 私自身も川崎市のPFI事業の推進の座長みたいなことをしています。川崎市の場合は他の地域と雰囲気が全然違います。280事業から成る中長期の事業全部を洗い出してきて、この事業を全部ホームページに載せて、「民間でやってくれる人がいたら手を挙げてください」。ほとんど手が挙がらないので、じゃ、川崎市でやろうか、こういうことになります。「やってもいいぞ」という声がかかってくるのも幾つか出てきて、消防署の建て替えとかスポーツ施設とか、今6つの事業がホームページの上で地図も公開されて、情報提供しますということになっています。
 全国で全部の事業をそのまま丸出しで投げ出して、PFIでやってくれるならやってくださいという姿勢をとろうとしているところがふえてきているということです。今はPFIの事業は全部で27事業が動き始めようとしています。全国で今プランをつくって、交渉に入ろうとしているのは150ぐらいあるかもしれません。実際に動こうとしているのは27事業だったと思います。最初のは神奈川県の大学のケース、府中市の三井物産の小学校の建設のケース、そういうものは実体として動き出そうとしています。
 今話題になっているのは四国の高知の高知市民病院と県立病院を合体させて新しい病院にするというシステムで、PFIとして情報を提供しようとした途端に、議会からクレームがついて、事業者は高知県内に限るんですよと、話がややこしくなって、何のためのPFIだとか、マーケット論の意味がわかってないんじゃないかと思うようなことも起こっています。高知らしくていいという感じがします。私は高知県が本籍なので、やや悲しいものがありますが。
 それから、都市再生本部でもう1つは保育所の問題が提案されていました。これは女性が働く環境、私はこれが最も大きい意味を持つと思います。
 それから、環境問題そのもの。
 それから、最近の第3回の会議のときには港湾整備という物流拠点としての港湾の意義ということが議論されてきています。ずっと背景にあるのは国際化に都市はどう対応するかというテーマです。
 僕はきょう、移動、移動といっているんですけれども、どこまでいっても視点をミクロに置いています。マクロの経済学者の方たちの問題点、僕が個人的に問題だなと思うことの意味というのは、ミクロの合計がマクロだという認識を時々忘れるということだと思うんです。
 本当は、小泉総理は、「お年寄りで今余裕のある環境にいる人はこう行動したらどうですか」とか、「地方の中小企業でこういう事業をやっている人は、今こういう環境を整備しようとしているから、あなたたちはこうしてくれたらどうですか」。つまり、1人1人のミクロの行動の指針になるような形で政策が生まれてくるといいんですが、マクロの先生たちが提案をしてしまうと、例えば、通貨をちょっと多目に出してこういうふうにすればインフレターゲット論ができますとか、ミクロがそのプロセスに介在していないから、私たちは何をしたらいいかということがちっともわかりません。1人1人の人たちがどうしたらいいかということを上手に指摘しながら合計が見えてくることがとても重要なことで、経済学では7割以上ミクロなんです。代表的個人といわれているミクロがある方向に動き出したときは、それは代表ですから、日本じゅうの多くの、5割ぐらいの人は同じ方向に動き出したり、それぞれの方向で動き出すものなんです。
 ですから、多くの経済学者はミクロベースでどう環境を変えたらその一歩が動き出せるのかということを考える。その結果、規制緩和論が出てきたり、いろんな議論が行われる。でも、それはまどろっこしい。政治家の人たちは「私たちに任せておいてくれたら、こういうふうに世の中は変わるぞ」といいたい。変わるのは私たちの方なんですから、政治家が変わったってしようがないわけです。1人1人の行動様式、それも消費行動とか貯蓄行動。
 例えば私だったら、日本には今4400万世帯の人がいます。1軒の家で郵便貯金から目をつぶって月に2万円余計に引き出してきて、何でもいいから、子供たちのために2万円使っちゃってください。それを5カ月続けていただけませんか。2万円の5カ月で10万円、10万円が4400万世帯で4兆4000億円ぐらいになるんです。これが6ヶ月だと5兆円になって、やっとGDP1%分なんです。
 日本では1年間全世帯が毎月2万円ずつ余計に消費をしてくれて、日本じゅうで24万円、各世帯が平均して使うことができたら、合計すると、およそ10兆になります。これでやっとGDP2%分なんです。10兆円のお金を動かすことがどれぐらい重たいことで、大変なことかということです。
 しかし、その気になって使っていくことができて、みんながある種一定の水準で消費の活動をふやすことができたら、目に見えていろんな形で、今までになかった経済活動が見えてきます。それが波及的なことになっていくことは十分あり得るかもしれませんけれども、今のままだれが何をしたらいいかということがわからない。僕の今の例は正しい例ではないですけれども、そういう工夫が必要とされています。
 何をしたらいいかわからない状態で、だれかに任せておいて、日銀がお金を印刷して、大蔵省はこういうふうにディストリビュートしたら勝手に経済はこう変わって,みんなは何も心配しないでも直るかのようにいうことは、まるでナンセンスで、そのうちの痛みの側が、小泉さんが、「みんな痛みがかかります。いろんな大変なことがあるけれども、我慢してください」と、我慢の方はいっている。一方で1400兆円も貯金の累積がある状態になったままになっています。これを動かし出す方法が見つからないということになっています。
(パワーポイント−23)
 もう1つ、私も少しだけかかわっていますけれども、木村庄三郎先生がリーダーになって、町は文化的ベースで魅力的じゃなかったら話にならない、それ以外のところはもう要らない、本当におもしろい町、魅力的な町にしようよというので、都市観光から見る都市再生という議論をしている都市観光学会グループというのがあります。木村先生には怒られますけれども、木村先生の生活様式やキャラクターそのものが魅力的です。あの何ともいえない行動様式が、成熟社会の活力になるのではないかと思います。日本社会の緊張感みたいなのは、どうも成熟社会に似合わない。
 都市の魅力、都市間競争、都市のゲートウェイ機能、都市の交流連携、文化、歴史の蓄積というキーワードの中で、生産都市から観光都市へという議論がされている。エジプトだって人を集めているのはピラミットじゃないか。パリの町で人を集めているのは国際会議か。全部違う。ルーブル美術館だ。とにかく生涯のうち1回見てきたいと思うようなものがいっぱいあるわけです。そういうものの累積がたくさんあるところこそ都市なのだという発想に立つ。
 例えば、いい例かどうかわかりませんんが、静岡という町を挙げると、1年間に新幹線で通過されてしまう人口だけで1億5000万人もいる。ネットワーク社会で、もし一生のうちに1回見ておかなきゃいけないものが静岡にあって、それをいつか見たいなと思うドキドキした状態で電車に乗っていたら、100人に1人がそう思っただけで150万人が一度はおりてくれることになるはずなんです。
 今から3年前に、初めてアウトレットでベイサイドマリーナというのが横浜の新杉田の隣のウォーターフロントにできたことがあります。このとき、三井不動産の方は、お客が来なかったら恥ずかしいと思ったと思うんです。「TOKYO Waker」とか「YOKOHAMA Waker」「Hanako」、ありとあらゆる女性雑誌を動員して、「50店舗余のこういうアウトレットができて、10余のレストランができます。魅力的ですよ」と、開店前に宣伝しちゃいました。これを見た首都圏の人たち、首都圏には3500万人も住んでいますから、何かの間違いで、この中の1000人に1人が、「行ってみようか」とその日に思っちゃったりすると、3500万人のうちの1000人、車3000台行ったらいっぱいになってしまう。5000人も入ったら耐えられないようなアウトレットのところに、あの日1日35万人が目指したといわれているわけです。だれが計算したかわかりませんけれども、そういう間違いが起きてしまうのがネットワーク社会です。
 ジョージ・ソロスというおじさんが、世界じゅう、グローバルに、「お金の余っている人、私がタイに投資してあげます」。1兆円も投資したらあふれてしまうようなところに10倍ものお金が集まってしまうような世界をつくったために、タイは爆発してしまいました。
 つまり、何かが起こると、こんな大きなネットワークですから、その適正なエリアに適正な数がいつも行くとは限らない。しかも、それをコントロールすることはとても難しい状態の中に私たちは巻き込まれています。
 金融ネットワークもそうだし、交通のネットワークも全く同じで、しかも情報を出し過ぎると、とめることができないという状態になっていく。上手に、例えば1万人ずつ100日間来続けてもらうメカニズムをつくることは、1回どっと宣伝をして情報を出すことと随分違ってしまいます。
 この都市の魅力をつくっていくことの意味は、パリのような町に、春夏秋冬、運賃を少しずつ変化させながら、満遍なくそれぞれの季節に多くの観光客を集め続けて、だれにもがっかりさせない。そういうまちづくりが一体どういうふうにしたらできてくるのかと考えると、京都のようなたくさんの集積のあるところはいいんですけれども、限られた集積を幾つか今拾い出したところで、とても耐えられる状態ではありません。こうなってくると、周辺の地域の魅力と自分たちの魅力を競争しながら、連携するような形で、一定時間の中に幾つかのネットワークの中で、そういうものを置いて一体とする交流連携、地域連携の問題が起こってきてしまいます。
(パワーポイント−24)
 私の議論はシンプルで、「コンパクト核空間ポートフォリオ」というタイトルです。ある場所を魅力的にするかどうかというのは、できるだけ幅広にしてしまわないで、1カ所に集中してコンパトクに、ある種の空間にいろんなさまざまな公共財サービス、民間財サービスを配置する。制約条件の中でベストになるように配分することをポートフォリオとイメージしていますけれども、「コンパクト核空間ポートフォリオ」というコンセプトにしています。
 「都心−郊外−地方核都市−農村−条件不利地域」、それぞれ全く違う類型のところにそれぞれのところでそれぞれらしく魅力的に生活する。しかもかつては定住ということが当たり前だったのに、子供が小学校1年から5年までの5年間だけでもいいい。自分にとってこの場所で生活するのがとても魅力的だ。アメリカでは、日本の移動と比べて、老後になったらサンベルト地帯に行くということだけではなくて、働き盛りのときにニューオルリンズで働いてみたい、サンフランスコで働いてみたい、今はシアトルが1番人気ですけれども、シアトルで働いてみたいとか、ピッツバーグで働いてみたいとか、いろんなところにみんなは行って働いてみたいと考えています。
 私は1992年から93年にかけてワシントンDCのそばのバージニア州に1年ほど住んでいました。
 私たちが1年住んでいた町内会の人たちは最後の1週間をみんなで毎日毎日バーベキューパーティーやってくれて、夜じゅうパーティーという状態が続きました。お世話になったから、おととし、偶然ワシントンDCに行ったついでですが、お土産いっぱい持って、各家庭を訪ねたら、その当時住んでいた人は1軒もありませんでした。みんなどうしちゃったんだろう。かくもこんなに定住しないのかと思う。私たちに住宅を提供していたサバティーニさんという中南米系の不動産屋さんが、「彼はここに移り変わったよ。彼はここに移り変わったよ。彼はここに移り変わったよ」っていっているんです。みんな職業の転換とともに住宅も移していまして、ミノルタに勤めていた人、NECに勤めていた人、日本系の企業に勤めた人もいらしたんですが、全部違う会社に移った上に住居も変わって、家族丸ごと移動しているんです。
 これがアメリカの活力、いいかどうかわかりません。私たちに向いているかどうかもわからないけれども、今アメリカでは日本の4倍法人があります。日本が300万弱ある。アメリカという国はこの数のうちの年間13%がなくなって、年間14.5%ずつつくられているんです。物すごい数がなくなりながら、新しくできていて、しかも人々は1つの会社に30年勤めたりするわけではなくて、10年単位で次々に新しい職に移っていきながらステップアップをしていく大きな移動の中に自分たちの身を置いています。
 日本ではそうでなかった。1つの会社に入ったら、僕は法政大学に入って26年目か、27年目。こんなばかな大学の先生はめったにいません。普通は大学の先生はどんどん変わっていって、最終的には東京大学の先生になる?のがいいのかわかりませんけれども、そういうふうに流れていくのが流れなのかもしれません。極めて居心地のいい法政大学にいたために、27年間いっ放しの状態です。
 30年後の自分が予測できてしまって、そのときに年金を幾らもらえて、どういう生活ができるなんてことを計算できていた日本の社会だった。これが、多分年金計算が崩れました。次の若い世代たちは年金に支払うという気がありませんとか、いろいろその構造を壊すような形ができているわけです。今新規に働こうとしている人たちは私たちに対してそっと革命を起こしています。大きい会社に入って30年間働き続けようなんてだれも思っていません。
 今は従順に働いてくださっている30代前後の女性たちが、間もなく50代の私たちに革命を起こして、彼女たちは自分たちのITリテラシー能力で自立した会社をつくるでしょう。彼女たちが自立した会社をつくるようになった途端に捨てられるのは50代の管理職、40代はまだコンピューターがさわれるといわれているんですけれども、50代には不幸な環境になります。
 こういう人の移動の違い、アメリカ的な移動から考えると、日本はほぼ移動がないような状態だったんだけれども、私のイメージでは、この移動が21世紀に入って新しいタイプで大幅に起こってくるのではないかと思っています。特にこれから15年ぐらいの範囲、2015年ぐらいの間にさまざまな条件が整って、この種の大きな改革が進んでいって、能力に応じた、大学生は高い能力だったら、そのまま高い所得が得られるようなアメリカ型の形に変わってくるように思います。
 というのは、僕が大学の先生をしていて何を感じるか。彼らの自分に対する人的投資の仕方がこの10年間で見てきた学生と、この4〜5年の間では全く違います。本当に勉強しないでスポーツのクラブに入って昔のままというタイプの子も法政には結構いるんですけれども、本当に自分に投資をして、自分がこんなことができるというように個別にスキルアップしている人たちが物すごく多いです。
 法政大学の経済学部だと、直通率、4年間で卒業する率は75%ぐらいです。なかなか学校も厳しくなっていて卒業できませんけれども、多くの人たち、25%おくれるうちの15%以上は1年間日本にいないということです。みんなさまざまないろんな経験をします。インターンシップというスタイルもあります。大学生のアルバイトの仕方も、ある時期まではコンビニに1日いてバイトするようなことが多かったと思いますけれども、今は全く違います。ほとんど職業的に組み込まれていると考えていいぐらい、多くの学生たちは仕事の中に入っていると考えていいと思います。特定の会社の仕事の中に入ったまま仕事をしていて、その中でスキルアップをしています。
 そういう学生たちを見ていて、これがあと10年続くと、今の30代の女性たちが45ぐらいになって会社をつくり始めたときの日本の変わり方は、明らかにアメリカナイズされたものになってくる。
  このアメリカナイズされた形を香港とか上海とか中国の人の大学生は日本に入って来ながら次々にやっているという感じもします。海外からの留学生のこの種の行動は進んでいます。



都心と郊外、3つの地域のネットワーク

(パワーポイント−25)
 人々の大きな動きの中にこれから話をする内容がうまくオーバーラップしていただければありがたいと思います。コンパクトな空間を議論するときの都心と郊外。郊外地域の変容。郊外大型店の高度集積機能。駅前拠点高度利用。こういうふうに書いてありますけれども、これは地方核の論点です。中心市街地の空洞化の話は既に話しましたけれども、居住者呼び戻し、第1戦略は集合住宅建設で、中心市街地再集積、再集中が必要になる。中心市街地の複合多機能化は、地方自治体歳出ポートフォリオ戦略といわれるようなものと考えます。
 何がその地域にふさわしいかは、かつてのように霞が関がアイデアを出せるような状態ではありません。地域の側しかわからない。中央では一般論は議論できるけれども、それぞれの個別のプロジェクトに当てはまって考えるしか手がないと思います。
(パワーポイント−26)
 地方の核と3つのネットワークという議論も大切です。地方の核というのは、今は核都市といわれている地方の県庁の所在地のような都市とその周辺を取り巻いている町。周辺と地方の核とのネットワークというのがあります。それから、地方の核都市ともう1つの地方の経済圏の核都市。核と核のつながりというネットワークがあります。それから、核都市を取り巻いている周辺の地域同士のネットワークというのがあります。
 このネットワークのどの部分を強調するかということによって変わってきますけれども、結果的には日本全体をある種の町を核にした、250とか、大都市の郊外圏を除くと、全国でおよそ200ぐらいの大きな核を中心にしたエリアができてくる。それは都道府県レベルでいくと、1つの県に2個ないし3個ぐらい。大都市圏のところにはそれぞれ10個とか15個とかいう形のエリアができてくるのではないかと思います。
 地方核都市間ネット、こういうのを「地域連携」という言葉を使っています。地方核都市、周辺自治体ネット、広域連携という言葉遣いをしています。周辺自治体間ネットのことを交流拡大という議論をしています。
 こういう手段の1つに、市町村合併が議論の対象になります。ただし、市町村合併というのは公共財サービスを効率的に供給するための規模の経済性のことを議論しています。規模が大きくなればいいかというと、必ずしもそうじゃなくて、公共財サービスも効率的な議論だけだったら、市町村合併する必要は全くありません。例えば、一部事務組合とか複合的事務組合となって、お金を出し合ってサービスを供給すればいいだけの話で、これは市町村合併の理由にはなりません。大事なのは、ある核を中心にした大きなエリアの都市経営を1つの価値観というか、ワンポートフォリオにしてほしいと思っていることです。
 1つの政治的な価値観で自立できる中心地域に集中投資をしながら、その地域全体がどういう役割を果たすべきか。中核都市の都心にあるべきなのは大学であったり、あるいは法律とか会計のコンサルタントであったり、設計所やデザイン事務所であったり、高等教育が受けられたり、そういう地域の行政の中心地があったり、普通の病院ではないちょっと重い病気が治せる総合病院があったり、そこには周辺のところから簡単にアクセスができるようになる。中心にあるべきものは一体何なのか。それをどういうものとするかで、この戦略が決まってくるし、地域の魅力が決まってくると思います。
 とりわけこの中で大事なのは、交通のネットワーク、情報のネットワークと、1地域として共有できるコモンズといわれている内容のもの、地域に固有のものがあると思います。
(パワーポイント−27)
 もう1つ、農村の方で今こんな動きが行われています。皆さんもご存じのとおり、省庁再編の結果、農林水産省がかつての国土庁の中で条件不利地域の地域振興をやっていたところを構造改善局の中に取り込んで、農林水産省は構造改善局を農村振興局という名前に変えました。農林水産省はかつては農業生産者省だったわけですけれども、今は農村地域の空間整備ということになってきて、国土交通省の都市の舞台に対抗して、農村振興ということをやるようになった。
 両方とも農業基本法がこの数年の間に見直されて、農林水産省の重要な仕事の中に農村振興という仕事が入ってきて、しかも農村振興というのは基礎的自治体の自治事務だ。農林水産省はこれを外側から何らかの形で一般論として応援します。かつてのような補助金システムではない形で、いろんな形で応援しますといっているんです。
 この農村振興局が最初に始めた事業で、今全国の町村に、敷地面積を500平米以下にしてはならないという条件で、せせらぎのそばに自由にどんな建物をつくっても構わない、環境を破壊しなければいいという形の住宅地供給を始めています。これが間もなくいろんなところで売りに出されると思います。敷地500平米以上で、しかも120余の町村に最低40戸以上、つまり合計すると5000戸規模になるのです。これが新しい人の移動のきっかけになるかどうか、私にはわかりませんけれども、実際に動き始めました。
 水辺環境つき、子供を育てるもう1つの環境とか、定住から一時居住で構わない。農村も変わりつつあります。昔は農村地域は農業委員会があって、本当にあなたはここで永久に農業をやるかどううかと、バイブルの上に手を載せて宣誓させられるような厳しい環境がありましたけれども、今はもうありません。農村集落の中の90%は農業生産者ではありません。農村地域で生活する人たちも、普通の職業を持っている人たちが当たり前になってきてしまった。結果的には定住から一時居住へ移動の議論が行われています。
(パワーポイント−28)
 時代を1つの概念でくくって、工業化とか情報化とか、都市化、脱工業化、脱情報化、脱都市化と議論してきていますけれども、21世紀のこの新しい動き方をどういう概念でくくるべきなんだろうか。ごく普通の、今でも住宅環境の水準がよくないから、これから郊外に1戸建てを持ちたいと思っている人も当然います。それから、そういうところからステップアップして、今度は思い切って都心の高層住宅の40階に住んでみたいと思う人もいるかもしれません。
 思い切って東京から離れて、インターネットで仕事をしながら半農半漁のところに行って、子供の教育も全部自分でやる、そういう生活を5年間だけやってみたいと思うような、マンネリ化してしまった今までの生活スタイルから21世紀型の今までには考えられなかったライフスタイルに飛び込むということもあるかもしれません。
 今まで私たちは、狭い幅の中でライフスタイルをだれかのスタイルをまねながら努力してきたわけですけれども、住宅供給にも余裕ができ、さまざまな全国の情報、交通ネットワークもでき上がって、スタンダードな社会資本ストックができている。
 女満別に行くのに1時間余で行かれるんです。気がついたら、もうオホーツクの海が見えるところまで、たかだか1時間半の世界で移動が可能になっているような日本の環境の中で、本当に生涯1回魅力的なライフスタイルを送るとすると、どんなライフスタイルがあり得るのだろうか。それを支えてくれるのがITのネットワークや、交通ネットワークの利便性です。毎日1時間半通勤をすることがいいのか。週末だけ2時間高速道路で移動することの価値の方がいいのか。週に1回北海道に飛行機で移動することがいいのか選択肢も展ってきます。
 鍵ワードとなるのは、人間的自然、愛情、エコ、日本的、アジア的、モンスーンなど自然環境をひっくるめた言葉です。
 高い文化と高い技術を背景にして、さまざまな選択の可能性があります。私たち自身が住居とか職場とかを提案しなければいけない提案の幅広さが、これまでのものとはまるで違う、広くて夢のある大きいものになってないと、多くの人たちをこういう新しい21世紀型の移動に駆り立てるパワーにならないのではないか。
 移動の主役は若年なのか老年なのか。男女、新規学卒、30代前後の単身女性。ITリテラシーを装備している人々。日本人なのか外国人なのか。職業生活なのか。サービス残業醸成時代に働く母親の環境をどう見守ったらいいのか。
 今までだと難しいと思っていた壁を全部ブレークスルーした先にいろんな新しいことが可能になる。そういう意味では、安易に議論はできないし容易にそこには行かれないんですけれども、障害になっているものを取り除いてしまった途端に違った世界が飛び出してくる。
 21世紀日本の代表的個人というのをイメージしてみました。
 21世紀の移動の中心になるような日本人の代表的な個人で、教養が高くてITに支えられていて、国際社会で活躍していて、エコ循環が理解できていて、すぐれた社会人で優しい家庭人で、すぐれた地域人で、すぐれた企業人で、日本人でなきゃいけない。皆さんどれくらい条件を満たしているかわかりませんけれども、こういう日本の代表的な人だと、そのままカナダのバンフーに行っちゃうかもしれませんし、ニュージーランドに行ってしまうかもしれない、上海で仕事をするかもしれない。みんな簡単にそういうことが選択肢の中に入っていて、それは昭和40年代の高度経済成長期に私たちが頭に置いたものではありません。
 昭和40年代から50年代にかけて郊外の1戸建ての住宅に住んだり、多摩や港北ニュータウンの団地に住んで、みんなと同じように車を買って、これがカローラの中古で、郊外の16号線沿線にあるスカイラークみたいなところに行って、家族で週末ステーキのディナーを食べて帰ってきて、感動した時期が皆さんにはありませんでしたか。(笑)その感動が2年間も続かなかった。あれは一体何だったのか。次々に私たちは新しいものを手に入れたつもりでいたのに、あっという間に消えていってしまって、今はアウトレットだといっている。次は何なんだ。追っかけていたものが本物ではなかったのかもしれません。あるいは生き方が、定住に物すごく影響を受けていたのかもしれない。一体どういう第一歩の踏み出し方が可能なんだろうかと考えています。社会の制度がいろいろ変わるということを考えています。



都市再生に向けての視点

(パワーポイント−29)
 きょう皆さんにお配りしたメモに戻ってみたいと思います。「都市再生に向けての視点」というので、私がいいたかったのは、気がついてしまうと、日本人はこんなにも平均して移動を好まない民族になっていた。いつの間にか十分現状に満足して、その場所にい続けるようになってしまっていた。以前あんなふうになりたいと思っていたものがあったのに、それが消えていて、消えているのは何だろうと考えると、例えば「リバーシティー21」の50階のてっぺんのマンションに住みながら、あしたの仕事のことを考えて、家族と一緒に生活することがいいかどうかとか、代官山アドレス(2億8000万円するそうです)この上に住んで、東京を俯瞰しながら仕事もする。こういうこともとても魅力的なという意味で、大都市のど真ん中で、考えられないような非常に希少な不思議な空間の中で、大きく水平線まで見通すような視野で物事を考えてしまう1つの見方のことを、ここでは「超高層俯瞰空間」という言い方をします。
 同じような実感を農山漁村に求めて、某電通の方みたいに、岩手県のリアス式海岸のところに移り住んで、朝クルーザーを運転して釣りに行き、戻ってきて畑を耕して、ランドクルーザーで町まで買い物に行って、子供を送り迎えして、子供の教育もやりながら、インターネットを使ってコピーを書いている。カッコいいですね。でも、彼は多分5年もちません。
 かつては定住で普遍的な価値を求めていたのかもしれませんけれども、本当に短期にこんなことができたらと思うような動きが幾つもあるかもしれません。
 私はみんなをけしかけているだけの議論をしていて、本当に自分が動くのかというと、さっきもいったように法政大学で27年間も居座ってしまった。ただし、法政大学の方が変わってくれて、かつては都心のえらくみじめな環境にいたんですが、勤めて10年もしないうちに高尾山のふもとの中に、ちょっと大学としては考えられないような非日常空間をつくってくれて、これが大学のキャンパスになりました。
 ふと気がついたら、社会人の大学院をつくらなきゃいけないしということで、市ヶ谷でも講義をする。気がついたら、僕は今あそこにある26階建てのビルの19階の研究室に週に1回は来るようになっています。
 やっぱり高層の中に巻き込まれていて、週に1回は多摩の緑の中にいないと、精神状態が不安定で、自分の自前のオフィスは中目黒の雑踏の中にあります。1週間の間に走り回っている最悪のパターンの移動を繰り返しています。これは統計には全くあらわれていません。
 定住というのは私は目黒区に住んでいることになっていますし、センサスでいえば、職場は町田にあることになっています。いかにも違うかもしれませんけれども、僕と同じようにあっちこっちにまたをかけながら動き回らなければいけなくなりつつある自分を、多分皆さんも感じていらっしゃると思います。
 少なくとも、夢を追っかけようとすると、移動の量はふえます。この移動の量が少なくなってしまうと、みんなは耐えられなくなってしまうはずで、21世紀に入って、日本人は次の動き出しにかかろうとする時期にあって、次のこういう新しい動き出し、何という概念でとらえるべきなのか、私にはわかりませんけれども、つまらない言葉遣いで「21世紀のニューライフスタイル」というのは新しいタイプの移動に基づいているものなんだと思います。
 しかも、それは私たちの生活の両極を広げていく形でいろんな可能性が生まれてくるものなんだと思っています。(拍手)



フリーディスカッション

谷口(司会)
 どうもありがとうございました。
 人々の新しい移動をどうつくり出すかが都市再生の眼目であるというお話だったと思います。
 あと30分ありますので、質疑、ご意見その他お伺いしたいと思います。挙手をお願いします。

市(YKKアーキテクチュアルプロダクツ梶j
 私、7年ほどイタリアに住んで、仕事をしていました。アメリカは学生のころ4カ月ぐらいウロウロしていました。先生が、人口移動でアメリカの例を出されました。人口移動の活性化が本当に個人の幸せになるのかどうかは、戦後日本は貧しくて中卒で都市に一極集中で仕事を求め、お金を求めやってきまして、アメリカナイズされて、価値観も変わってくる。ファミリーレストランにしても、ライフスタイルもアメリカに似てきました。
 実際ヨーロッパに住んでみて、伝統とか食文化、歴史、家族というのを考えると、やっぱりヨーロッパ的な生活の方が本当はいいんじゃないか。アメリカは建国200年ちょっと、今回のテロもありまして、いろいろ人種とか家族制度も、話によると、白人で50%、黒人で75%が離婚されている。子供もだれがパパだかママだかわからないような状態。安全にしても拳銃社会ということを考えると、日本のマスコミも、アメリカ、アメリカで、アメリカと日本を対比するんですけれども、そういう国土の問題、歴史の問題を考えると、アメリカ一辺倒でいいのかなというのが素朴な疑問です。その辺、個人の幸せとかいろいろ考えると、先生のお考えのようにもなる。
 仕事でステップアップしていくことはいいと思うんです。ただ、日本の現状を見ると、日産自動車の副社長がトヨタの社長になったり、違う銀行の副頭取がほかの銀行の頭取になったりというのは日本ではちょっと考えられないという感じもあり、また転職にしても日本の場合は、アメリカみたいに能力を使って、できなければスパッと切るという感じじゃなくて、人間関係で仕事をする。特に建設関係。例えば、ここは赤字だけど我慢していいねという商習慣もあると思うので、なかなかアメリカナイズ一辺倒でいいのかなというのはそこら辺で……。

黒川
 今の議論に関して皆さんも全く異論はないですね。今の議論に関して、異論はないことが問題だという問題提起になっていて、これまで定住化論というのが、つまりコミュニティー形成論を含めてすごく絶対視されてきて、いろんな政策がそれをベースにして動いてきました。そのこと全部が総入れかえになるとはだれも思っていないと思うんです。そのことのために全体の枠づけの枠が、もっと両極の人たちが幅広くいろんなことができていいはずなのに、そのことができない枠の中にいることが日本の停滞をつくっているのではないだろうかという気がします。
 特に、地方出身で地方で有力な老舗のお店を引き受けた人がいたとします。彼はその店を継がなければいけませんかとか、親から子供にという家業型は、地場産業についてもいえると思いますし、農業についてもいえると思います。一番ダメージを受けたのは商業だったと思います。親から子供に継いでいくような形の家業型の職業選択で、そして自分はここでこの仕事を継がなければいけないと思ってきたような職業選択が、見るも無残に次から次に壊れていきました。
 これが昭和40年代、50年代の動きだったんですけれども、壊したことがいけなかったのかよかったのかということも含めて、いろんなものが壊れていってしまったという事実と、そのプロセスで人は移動しましたということをいっていて、私は、時代の動きは地域を守ったり、コミュニティーや文化を守ったりするのは、コモンズという概念はあるけれども、特定の人に役割が与えられていて残るものだとは思っていないんです。新しいタイプのコモンズの残り方があって、それは次々にその地域に入ってくる人たちがそれを支える。お祭りもそうで、どこどこのおうちの方がずっとそれを支えるということになると支えられなくなってくる。次々に入っていって出ていく、その地域の人たちがその地域の、僕はさっき「コンパクト・スペース・ポートフォリオ」という言い方をしましたが、一生懸命いいたかったのは、その場にいろんな資源が投入されていって、ある種のコモンズをつくっている。それは人との直接のつながりはないのではないかと思っているということです。
 20年とかその地域に長くいて支える人はもちろんたくさんいると思います。法政大学の経済学部に黒川というやつがいて、もう27年間支えてきているわけですから、それなりに、あそこにはこんな先生がいるということがイメージとしてつくられる。だけど、何年かたったらどうせいなくなって次々にかわっていって、違う中身の人が支えてくれる。地域というのは違う人が入ってきてもその大事なコモンズを支えられるような体系になってくれなければいけないわけです。それが制度になったりルールになったり地域性になってくると思っています。
 今イタリーのケースが出てきました。イタリーの文化は遠くから見たらとても魅力的で、さっきの議論でいうと、観光資源で人を集めるということでいえばとても魅力的だけれども、イタリーのもう1つの致命的なところは、それが人を支え続けることができなかったということでもあるわけで、たくさんの人の移動が生まれている。よりどころとして困ってしまったときに国に戻るということはあるかもしれない。
 イタリーでミラノの工科大学というのは偏差値が一番高いらしいんですが、ここの卒業生は就職するときにどこに行くかというと、オリベッティの本社に勤めます。オリベッティというのは成績のいい人たちを十何人全部採ってしまうんです。このオリベッティという会社は、フランス国境に近いトリノの山奥の中にポツンとあるんです。とんでもないところなんですけれども、若いときにみんなその人たちを引っ張ることができる。とても優秀な人材をオリベッティは集めることができている。自動車メーカーもとても有能な人材を自分たちの地域に集めています。
 日本よりもはるかに迫力のある人の移動を若いときにつくっているというのが私の認識で、リットーリという有名な出版社がミラノの郊外にあります。建築の雑誌などでとても有名な出版社で、郊外に持っていって、リットーリのオフィスを空港のそばにつくっていくとき、多くの人たちは動きたくないといいました。でも、会社は全然無視してリットーリを動かしてしまいました。何も関係なく動いたというケースがあります。
 これに対して、ルチアーノ・ベネトンさんのベネトンという会社は、ベニスから車で2時間ぐらい行くトレビゾというブドウ畑の中にあるんです。ルチアーノ・ベネトンが生まれた町に戻ったわけです。1年間に8000とか1万2000とか、季節ごとにアイテムをつくり出してファッションデザインを出しているその拠点が、あんなトレビゾの、しかもそこで働いている人たちは、不思議なことに全くトレーニングや何かを受けたことがない、その地域で生まれ育ってきた若い女の子たちがドドッと学歴もヘチマもなく、その会社に入って、1年も2年もしないうちにみんなが最先端のデザインをつくって世界に情報を発信しています。
 これが定住かもしれないと思いますけれども、彼女たちはすごい能力で新しいアイテムをつくり出していくけれども、彼女たちは5年もたないといっていました。同じことをやっているとあきる。彼女たちは次のステップに動いていくのが一般的みたいです。
 イタリーというのは日本と大分違うところで、全体として移動がどんな感じにあるのかと、僕自身はなかなか認識できなくて、日本も、お盆のときの東北への移動は、いまだに自分のふるさと精神がとてもあって、都市に住む人は何ともいえない懐古的な気持ちを持っていると思いますけれども、イタリーにはイタリーの短期での移動と長期での移動があって、日本にも日本の短期での移動と長期での移動がある。たくさん移動はするけれども、老後になったらどうするとか、最終的に行きたいところはこんなところだという終息する場所は、多分同じような意味を持っているのではないかという気がしています。
 僕は1年間のうちに移動する移動の仕方、あるいは一生涯のうちの自分が住む場所を選択するのが、もうちょっと冒険幅の広いところに広がるといいなというところが提案のシンプルな部分になっていて、大きな根本的なところは意見は何も変わってないので、とてもありがたい質問で、根本的なことは何も変わってないんだけれども、移動の量がふえるイメージは一体どんなものなのかというのを、そういう意味で考えてくださいといい直してもいいかもしれないと思っています。
 多分イタリーも移動の量がふえているのではないかと思います。すごく有力な別荘や何かが次々に売りに出されて、外国人が買う、日本人がというべきかもしれませんが、買うようになっているというのも具体的な事例なんじゃないかと思います。
 意見は全く賛成です

海老塚(国際建設技術協会)
 都市再生のテーマで、できましたら教えていただきたいことで、人の移動と違う観点から質問させていただきます。
 例えば、都市再生の話でいいますと、東京でいいますと、京浜工業地帯のような重厚長大産業の工場跡地が膨大に未利用のまま残っていて、そこを再生するときにディズニーランドとかアウトレットモールなどで埋め切れないと思うんです。なかなか難しい議論だと感じています。
 それから、地方都市、私ちょっと関係していますが、茨城県の日立市、これも幾つか駅があるんですが、駅のそばの日立製作所の広大な工場跡地が利用率が下がっていて、使い切れてない。これからどうなっていったらいいのか。日立市の場合ですけれども、日立市の周辺市街地もご多分に漏れず、駐車場がふえて、店舗が使われてない状況です。先生がおっしゃったような公共投資の集中投資、そこのところに主要な公共施設をつくらなきゃいけないということで、ある程度は日立市の場合も試みられていますけれども、財政が限られている中で、単純な投資ということもこれから先難しいんじゃないかという感じがしています。
 たまたま私、アメリカとかイギリスの都市再生のことについてもちょっと勉強していますが、外国の場合、例えばリバプール、マンチェスター、アメリカですと、ピッツバーグの今まで調べた範囲でいいますと、彼らは結構成功しているような気がするんです。その場合どうして成功しているかといいますと、私の見た感じでは、一回荒廃しました都心地域が土地の価格が非常に下がりまして、場合によっては地主が放棄するような状況があって、そこの土地を非営利組織なり公的なところが再生して、低所得者住宅をつくったり雇用をつくったりして、一定の中心都市の再生ができているような気がします。
 そこからの単純な類推なんですけれども、日本の都市再生を考えるときに、日本の場合の中心市街地ないしは工場跡地等の地価が下がり切ってないというところに問題があるんじゃないかという気がしています。仕組みとして非常に安い土地の価格ないしは借地、定期借地のような形でもいいんですけれども、使えるような形をつくらないと、今日本でいわれている都市再生ということが、いろいろ試みはされていますけれども、基本的には都市再生になかなか利用できないんじゃないかという気がしています。都市の経済問題に詳しい黒川先生に、その辺のことについてもしコメントしていただければありがたいんですが。

黒川
 全くそのとおりで、イギリスの例もそのとおりだと思います。この種の例というか、きょう途中で扇島の話とか、日本の場合はウォーターフロントのエリアは、これまで都市計画でいうとにじみ出しで考えていますから、ウォーターフロントの先端のところは工専になっていて、こっちの方が準工になっていて、業務地域、住宅地域になっていく、そういう絵面になっていた。
 きょう僕がチラッといいたかったことの1つは、魅力的な生活空間は、ひょっとするとそんなところだからつくれるというところがいっぱいあるかもしれない。今日本ではとても難しいんです。つまり、にじみ出しでしか用途転換ができませんから、ウォーターフロントの先端のところにもし住宅をつくったとしたら、これはとても大変です。学校教育からライフラインからさまざまなことを用意しなければいけなくて、お台場でもあのようにすごくコストのかかることになっちゃいます。
 でも、たった3年間だけだけど、こんな経験はめったにできないと思うような住宅。普通だったらなかなか経験できないような居住空間をもし整備することができたら、それは2つとない貴重なものである。例えば、東京駅の上に100階建てとか、それは物すごい価値があるので住んでみたいと思うことになる。極端なことをいったら、都市の側で極端に市場性があって価値のある希少性のあるものはどういうものなのかを考えてみてほしいと考えて、きょうああいう議論をしました。
 ですから、ウォーターフロントの先端の大都市のリノベーションの対象地域が、一般廃棄物のリサイクルとか、そういうことになるのが当たり前だという感覚だけで物事を考えるのは大きな間違いなのではないかと思っていることと、東京みたいなところ、マンハッタンのかなりのところについていえば、子供なんか一緒に生活してないような居住者だけが住んでいるところがいっぱいあるわけです。そういう町がいいかどうかというと、町の形状としてはとてもいびつかもしれないけれども、マンハッタンのかなり高層の住居地域ですら、10軒に1軒ぐらい子供がいる。これは何年か前に国土庁が調査された結果でそういうのが出ています。つまり、ダブル・インカム・ノー・キッズというケースで、それぞれ個別のワンルームに住んでいて、仕事ができるような住宅地だって、価格と場所によってユニークな形で十分存在し得ることがあるんだけれども、今の日本の制度の中ではそういうものを供給することがとても難しい環境にあるということをいいたかった。思い切った冒険ができる住宅がなかなかできないということがいいたかったことの1つです。
 それから、思い切ってユニークな職場環境、例えばアリゾナの幾つかの町、特にフェニックスの新しい企業がたくさん起こってきたところは、エアコンも何もない飛行場の格納庫みたいなところに若い人たちがいっぱい集まって、安いテナント料でいろんな事業をやりながら、今のインターネットサービスをつくり出してきたりしています。ベンチャービジネスを育てるというと、ソーホービルディングとかカッコいいものがすぐつくられてしまいますけれども、そんな必要もないかもしれない。
 ところが、今の日本の都市計画の用途でいうと、順番に整備されていっているから、奥の方から空洞化していて、そこを使わなきゃいけないけれども、周りは全部工専の建物が建っていて、そこの先だけが空いているという状態です。工専に囲まれたところで空いているところを魅力的に使うことはすごい制約があって、しかも工専の中でしか対応できない。せいぜいFAZのような商業地域がつくれるのが精いっぱいという今の状態というところを、環境の技術をクリアしながら魅力的な生活空間をつくってそういうことをクリアできる可能性があるのかないのかということは、考えてみてもいいのではないかと思ったということです。
 そういうところに居住空間を提供することができたら、大都市の別のところで緑の空間を提供できる可能性が出てくると思っています。
 もう1つ、日立のようなケース。世界の国々の場合はほとんど土地の価格がゼロになるか、持っていることがコストになるようなケースから、ニューヨーク・マンハッタンのリンケージ施策とか、ボストンのコンセプチュアルゾーニングとか、いろんなタイプの新しい再開発手法ができてきました。
 さっきTIFというコンセプトをいいましたけれども、TIFの概念も、基本的には土地の値段がただ同様になっていて、そこからは固定資産税収入のような税収も上がってこない状態です。だから、徹底的にそこの不安な状態を大規模に集中的に投資することによって、不動産価値があるものにする。それは一番は住宅だと思います。住宅を建設して売ってしまう。相手の所有権にしてしまって、そこから税収入が上がるという形をベースにしながら再開発の循環をつくり始めているのがミルウォーキーであったり、一番典型的なのはイリノイのシカゴの中のノースループのエリア。一番最初にどうにもならない危ないところに役所を持ってくる。駅を再開発する。オフィスビルディングをつくる。その後シアターや何かをつくっていくというスタイルで、全く市場価値がなかったところをきれいにしてしまうということでつくり上げたわけです。
 日立の場合にどうしたらいいかというと、再開発で大型の施設もできたことも僕は知っていますけれども、つくったものが大きなホールのようなものであったり、こういうのが本当なんだろうかという気が僕にはすごくしています。確かに年に何回か使うという意味で価値があるかもしれないけれども、その空間を日常的にみんなが安く利用できて人が集まらなければいけないし、そこに日常的に人が行くためには決定的に住宅ベースでつくるべきで、それも賃貸住宅ベースではなくて、所有権の住宅ベースでつくって安く提供して、そこから税収が上がるという循環をつくっていって、経済活動の自立拠点をつくっていくことが大事なんです。
 そうすると、コンパクトに、集中的にということをいうと、郊外にある住宅を都心に移していくメカニズムがないと、そこが自立して動くことにはならない。どうやっても一定数以上の人が財産を持って住まないと経済は自立しないと思います。
 外国の場合と日本の場合の再開発の思想の違いが幾つかあります。日本の型の方がだんだんふえてきたと思いますけれども、昔のシカゴのアーバンリニューアルのときは、遊休住宅が人口の2割ぐらいあるとすると、思い切って悪い住宅はスラムクリアランスしてしまって、最高級のいい住宅を安く提供するやり方をすると、そこが魅力的だから自動的にそれ以外のいいと思う人が移ってくる。手放して移ってくるから空く。その値段が下がるので動いていく。最終的にはそこにいた貧しい人たちもどこかに必ずはまっていく。住みかがなくなることがないのがアーバンリニューアルのフィルタリングをベースにした考え方だったと思います。
 日本はそうはしなかった。日本で一番大事のは、クリアランスしてしまうと、その人たちをどんな住宅に入れたとしても、彼らが自立して生活するすべを持っていなかったら、新しい住宅がスラムになってしまうというのが日本的な考え方です。日本は予防接種論というか、1人1人のそこで生活している人たちが自分で自立できるスキルを持っていて、家族が生活できる、自立した個人をつくることが重要。だから、雇用の場をつくるということもあるかもしれませんが、1人の人が完全に自立して生活できる環境をつくることが、日本ではまちづくりの基本だとされてきています。
 日立のケースでいくと、そこに住んでいる人たちが今既に魅力的な雇用の場を持っていて、生活循環しているんだ。そのことから問題になることは何だろうか。そこがどうなのかということです。つまり、失業者がいっぱいいて雇用の場がない状態で、しかもそういう困った町があるという状態ではなくて、今既にみんな雇用の場があって、今以上に彼らが魅力的に生活する環境に入っていこうとすると、彼らが住んでいる住宅が賃貸住宅だったら持ち家住宅に移ってもらって、彼らが税循環の中に入ってくれたりするメカニズムの中にはまっていくルートをつくるべきだと僕は思います。
 基本的には、まちづくりはそこの町に住んでいる人の数をふやすことが決定的な問題だと思っています。しかも、そこに住んでいる人たちがそこの地域の資源を有効活用してくれるという意味で、住宅を埋めるとか、所有するとか、そういうメカニズムの循環の中に入ってくれたらいいなと思っています。
 それをもうちょっとレベルアップするときは、雇用している場の所得が上がることを前提にしなければいけないので、産業構造転換の話になります。それはもう1つの別の難しい問題を持っていると思います。
 いわれたとおり、外国のケースというのは、マンチェスターもそうですし、基本的にはシカゴノースループもそうですけれども、マイナスに近い不動産価値の状態です。それからすると、日本の中心市街地の活性化対応のところは、全国どこでもその地域の中でいまだに地価は一番高いんです。そのことが対応を大変にしているのは今おっしゃられたとおりです。これをどうしたらいいかということで、これが担保になって、郊外の隣地出店の重要な資金にもなっているので、今これを崩すことが、日本の経済を崩すのと同じように、地域の経済を崩すことになるのではないかという不安を多くの人に与えているという気がします。

谷口
 ありがとうございました。
 まだほかに質問がおありかもしれませんが、ちょうど時間が参りましたので、きょうの都市経営フォーラムをこれで終わらせていただきます。
 本日は法政大学の黒川先生においでいただきました。最後に先生に拍手で終わらせていただきます。(拍手)


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