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第166回都市経営フォーラム

暮らしの支援からコミュニティ創造へ

講師:富永 一夫 氏
特定非営利活動法人フュージョン長池理事長


日付:2001年10月24日(水)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

 

NPO(Non・Profit・Organization=特定非営利活動法人)について

NPO・FUSION長池の暮らしの支援事業

1 コミュニティサーバー

2 高支隊(高度情報化支援事業)

3 住見隊(住宅管理支援事業)

4 夢見隊(住まいづくり支援事業)

5 その他

フリーディスカッション



 ただいまご紹介にあずかりました富永と申します。よろしくお願いいたします。(拍手)風邪を引きまして、あほなタヌキも風邪を引くとみんなにばかにされているんですけれども、本の中にも書きましたように、とにかく頭より先に行動力みたいな人で、年じゅう動き回っていて、どこにいるかわからないといわれています。よくしゃべるのだけが取り柄といわれているのが、商売道具の声が出なくなったらどうしようかなと思いながらきょうはやってまいりました。
 ところが、166回目のフォーラムということを最初はあまり自覚していなくて、実は谷口さんとお会いするのがきょう初めてなんです。メールをいただいて、うっかり「はい」といった。大体「ノー」という言葉を知らない人なもので、何かいわれると、「はい。イエス」と答えてしまうくせが、地域活動をやっているとついちゃうんです。余談ですけれども、地域の人たちが何か物をいってくるときに、「いや、それはちょっと……」というと、相手はもう気分が悪いんです。ですから、全部「イエス・ファースト」で物をいおうと姿勢を決めていて、今回もメールが入ってきたら「はい」と答えてしまって、166回目ということなので、今回えらいことを引き受けちゃったなと思いながらやってまいりました。
 それで、お断りなんですけれども、私は、都市問題のプロでもありませんし、学者でもありませんし、コンサルタントでもありません。本当に正直いって、たまたまこんなことになっちゃったというのが現実でございますので、その辺を率直に、ざっくばらんに語らせていただければと思っております。
 「暮らしの支援からコミュニティ創造へ」ということですが、きょう来ながら思いました。きのう八王子市の黒須市長と、ある宴席、会合の後の懇親会でも一緒だったんですが、このフュージョンに大層期待をしてくださっています。きょう皆さんに問いかけながら、皆さんが私にとっては鏡の1枚1枚でございまして、皆さんが喜んで話を聞いてくださるか、それはちょっとまずいんじゃないかといっていただくかによって、自分のやり方と姿勢を全部改めることにしているものですから、今自分が考えている妄想みたいなこともお話をしてみたい。ですから、少々オフレコのこともしゃべりますので、最後には活字にはならないかもしれません。その辺はご容赦をいただきたいのと、皆さんの良識で、私の言葉を変に利用しないように……。
 「暮らしの支援からコミュニティ創造へ」というとんでもないテーマをいただいた後ろに、果たしてNPOで地域経営ができるでしょうかという思いが、この2〜3日でしてまいりました。こういった場所でお話しさせていただくときに、常に心がけていることは、きのうまでじゃなくて、きょうここに来させていただく瞬間まで、自分の思いが進化を遂げていくものですから、その未完成の進化を遂げていく部分を皆さんに問いかけながら、語りながら、世間に自分の意見を問うような気持ちでお話をさせていただくことにしております。かなり乱暴な話をするかもしれませんが、ご容赦いただきたいと思っております。
 それでは、始めさせていただきます。
(OHPー1)
 どこから来たかというと、多摩ニュータウンでございます。NPOフュージョン長池と申します。長池という地域は、多摩センターからもうちょっと西の方、八王子市域の方になります。
(OHPー2)
 地域のもう少しわかりやすい地図です。この右側が多摩センターで、こっちが京王線で新宿になります。調布から電車を乗りかえて、橋本の方に行く京王相模原線です。京王堀之内から南大沢、都立大学が目黒からやってまいりましたけれども、この辺の南側。現在1万世帯ぐらいの町の地域活動を行っていると思っていただきたいです。そんなところから来ました。



NPO(Non Profit Organization=特定非営利活動法人)について

(OHPー3)
 きょうはちょっとだけNPOの法律とか成り立ちみたいな話も若干はした方がいいかなと思いましたので、前段でNPO促進法についても少々触れておきたい。
 ボランティア団体がこういった形で活躍を始めた。
(OHPー4)
 そうした中で、皆さんも感じられていると思うんですけれども、従来の行政とか企業の論理ではこたえられないニーズみたいなものがある。皆さんも、企業人であったり、行政マンだったりされると思いますが、きょうは自分自身の肩書をこの瞬間だけでもとっていただいて、自分が地域に帰った1住民であると思っていただいたらいいかなと思います。
 例えば、八王子市であれば、53万人で180平方キロという広大なところに八王子市域があるわけです。多摩ニュータウン住民は八王子市民である自覚を全く持っておりません。八王子市の多摩ニュータウン地域は10万人から擁しているんですが、その10万人はほとんど八王子市民の自覚を持っておりません。JRの八王子駅あたりがアベレージなものですから、行政の方々のアベレージ主義みたいなことからすると、どうしても八王子駅あたりを中心に物事がなされていく。いつも山間部とニュータウンは外れるという形です。
 それから、物もなかなか売れないという事態になると、大きくなった企業の要請にこたえられなくなってきているのではないか。それに引きかえて、ボランティア団体とかNPO団体がもてはやされるところを見ると、何か新しい価値、サービスの提供みたいなものが求められていることは事実だけれども、どうもまだその実体がよく見えなくてわからないと思っておられるのが事実ではないかと思うんです。
 後で私どもの活動の実体のお話をすると、そのぼんやりした映像、こういうことが地域で具体的にNPO法人がつかさどる活動なのかと、具体像を持って見ていただくことができるかと思います。概念としてはこういうことかなと思っています。
(OHPー5)
 そうした中で、NPOは市民のための専門家プラスアルファみたいな集団であると思っております。住民と企業と行政と等距離にNPO法人は書いてあるんですけれども、どちらかというと住民側にもっと寄っていると思ってもらえればいいと思います。ただ、最後に長池ネイチャーセンターでの出来事の話もさせていただきますけれども、すべてに対してニュートラルでいかないと、NPO法人というのはどこからか袋だたきに遭いそうだなと思っております。
 ですから、住民の諸団体からもニュートラル、行政からもニュートラル、企業からもニュートラルなポジションをとりたいと思っています。それをとればとるほどNPO活動の価値が出てくると思っております。
(OHPー6)
 そういった中で、NPOとボランティアがよくつかめないんですけれども、ボランティアの方々はこっちの方だと思うんです。心根が美しくて、大変にすばらしい活動をされるんですけれども、継続的な事業をするだけの事務局とかスタッフを持ってないがために、どうしても継続事業を行うことが難しい。でも、あるときにちょっとだけ責任感を持ってポッと出てきて、心根のいい活動をしてくださる、これがボランティア活動だと思っています。
 NPO活動と私がいう場合には、何もNPO法人という法人格を持ってなくても構わないと思っております。法人格を持ってなくても、任意団体であったとしても、立派に毎年毎年でっかいお祭りか何かを継続的にやっておられて、事務局を持っている活動というのは、継続性を持っておりますので、NPO活動と定義をしております。その中で法人格を持ったものがNPO法人であると区分けをして考えております。
(OHPー7)
 NPO法人にすることの目的、メリットみたいなものは、任意団体ですと、私が富永と申しますが、契約や何かも全部個人契約になります。よほど信頼性の高い任意団体でない限りにおいては、富永個人名義でしか銀行口座も持てません。何か事故、けがをされたとか何とかいっても、個人補償を余儀なくされるのが任意団体です。ですから、社会的な信頼等を得ることがなかなか難しいなと思います。
 ところが、法人格を取得しますと、社会的な信用度が上がってまいります。ここに来て、フュージョン長池の法人会員がふえてきております。プレゼントというか、パソコンが2台きちゃったとか、カゴメさんからジュースが毎月のように30本入りのケースで70ケースも送られてくるとかということが起こったりしてます。
 「長池ネイチャーセンター」と、ニックネーム、愛称で呼んでおりますけれども、正式には八王子市長池公園自然館と申します。今回、この自然館という体験学習施設を八王子市と市長とフュージョン長池の代表である私との間で契約を取り交わしました。管理運営委託事業契約を結ばせていただきましたが、そういうことができたのも法人格を持っていたおかげです。
 八王子市ははっきりいっておりますが、任意団体とは契約しない。難しい。やっぱり法人格を持って継続的に事業を行ってくれるところでないと、安心して契約ができないんだといっていますので、契約合意に対しての法人格を持っているということは優位さがあります。
 ただ、現行のNPO法においては、私どもの認証機関である東京都へも会計報告や業務報告をしなきゃいけませんし、税務署は税務署でしなきゃいけませんし、なかなか書類の管理等複雑になりますので、必要性がないのに、法人格取得に関しては、私は安易にお勧めをしておりません。
(OHPー8)
 NPO法で該当する活動は、この1項目から12項目になっています。ちなみに、フュージョン長池はこの12項目を全部入れてあります。地域を相手に活動してきたことが後ほど出てくるので、活動の仕方をよく見ていただいたらいいと思うんですけれども、地域問題を取り扱ったために1項目として除去できる項目がなかったというのが正直なところです。
 それで、東京都の認証機関の担当官の方からは、12項目全部入れてきたのはあんたが初めてだとプツプツいわれて、なかなかご理解がいただけなくて、本当にできるのか、本当に設立するのですかと随分いわれた。でも、促進法だからつくるなということはいえないでしょうとやんわりといい返しながら、だから、つくれるのよねといいながら、つくらせていただくことにしました。この構えでいろいろといわれています。
 元国家官僚という方も私どもの町にはお住まいで、その人たちからは「いかがなものか?」といわれました。「あまり大きな構えをするもんじゃない。法人経営もしたことがない人間が、行政でもない人間が無謀な構えをするんじゃない」といって、大分怒られたんですけれども、私は聞かなかったんです。結局悲惨な思いをするわけです。まれに見るばかたれな構えをしたNPOということで、社会的な評価をいただいているのは、ここまでやせ我慢して頑張ると、そういうことになるのかと思っています。
 特定非営利活動法人の対象。どういう条件であればできるのかということですけれども、営利を目的としない云々、ずっとあって、要は、非営利で不特定多数の方々に公益事業を行うということが定款にうたわれてあって、10人以上いれば資本金がなしで設立することができます。だから、つくること自体は今やそんなに難しいことではありません。
 ここまでがNPO促進法に絡む、NPOとボランティアというところの概念の説明でございます。



NPO・FUSION長池の暮らしの支援事業

(OHPー9)
 自分たちは長池という地域に住んでいるわけです。このA、B、C、Dは何を指しているかというと、もう1枚別のページは団地の名前が入っている図です。多摩ニュータウンですから、ほとんど団地の町です。1994年の4月に私がここのA、せせらぎ北という名前の都市公団さんがつくられた分譲マンションに南大沢の方から引っ越してきたところから始まります。
 ここで7年半ぐらいたっているわけですけれども、最初の5年半余りは、特別NPOを目指して何かを考えていたわけではなくて、地域で何かいいことをしようよ。南大沢に8年暮らしておりまして、思ったことは、大変に美しいインフラの町ではあるわけですが、コミュニティがほとんどなくて、人間関係が希薄で、隣の人たちとなかなか仲よくなれないで、あいさつが難しい町なんです。
 私は時々やゆしていっていました。あいさつをしない大人たちが、子供に教育だと思ってあいさつを強いる町。「こんにちは、しなさい」といって、お父さんやお母さんがやる町といっていました。
 だけど、何かこのままでは変だなと思って、7年半ぐらい前に移ったときに、自分の老後の対策のためにも、もうちょっと地域に豊かな人間関係が生まれぬものか。週末に団地のおやじさんたちと駅前の赤ちょうちんか何か行って一緒にお酒でも飲みたいなと思ったのがきっかけです。
 ですから、最初は110世帯の小さな団地の中でコミュニティ委員会というのを始めただけです。その後、95年の1月に阪神・淡路の大震災があったので、地域の方々とお話し合いをするようになりました。それがこのエリアです。6団地ぐらいあります。約800世帯ぐらいの地域。公団さんがグランドデザインをされたところで、見附ケ丘地域といわれています。
 見附ケ丘といわれるゆえんは、ここに長池見附橋と書いてあります。その見附橋の由来は四谷見附にあった橋をつけかえることになったときに、古い本物の橋をどこかに持っていくというときにここに持ってきた。ですから、この800世帯ぐらいのところが見附ケ丘地域といわれています。
 見附ケ丘地域と公団さんが開発のニックネームで呼んでくださったところを対象に6団地で情報交換会を始めたり、連絡協議会をつくるようになりました。そういう中で、地域づくりというのは人間関係からがすべてですので、何か楽しいことをやろうということで、見附ケ丘フェスティバルというのを始めて、それが今日長池ぽんぽこ祭りという大きなお祭りに発展するわけです。
 せせらぎ北という団地で一番最初にコミュニティ委員会をつくって、私と石上さんと北村さんと3人だけの委員会で上映会をやったのが、「平成狸合戦ぽんぽこ」のアニメの上映会だったんです。自分たちの集会所でやりました。多摩ニュータウンの開発にタヌキたちが反対の合戦を挑むというのがアニメの物語で、皆さんよくご存じだと思います。それが出発点になりました。
 それが今日「NPOぽんぽこ」とか「ぽんぽこ活動」といわれるような言葉の遠因になりました。ですから、その上映会をやったときに、自分が非常に切ない思いをしたのは、ニュータウン開発があったから、自分は遠くからこの地に移り住むようになったわけですけれども、環境破壊をした上に自分たちが来て、今度来て住み始めると、環境が大事だ、緑を残せといっている物すごく矛盾した人種である、人間たちであるということに気がつく。
 切ない思いをしましたけれども、結局そんなところで落ち込んでいてもしようがないので、平成狸合戦ぽんぽこパート2とか、その後のぽんぽこというのをやってみようと思うようになりました。
 それは結局、環境、要は動物とも植物とも、近隣住民同士も、それから旧住民といわれる人たちとも、行政とも、公団とも、八王子市とも、東京都とも、合戦をするのではなくて、全部ニュートラルに構えて、徹底的に仲よくできないものかなと思ったのが、もともとの着想だったんです。
 その部分は、当時は本当に素朴で、あいさつができて、おやじさんたちと一緒に仕事のことを離れて週末に飲みに行ったりすることができれば、自分も60歳で定年になって、その後地域に戻ってきても、既に人間関係もあるし、楽しく老後を過ごしていくことができるのではないかなと思って始めただけなんです。
 それが、98年の3月にNPO促進法が国会を全会一致で通過した。98年の12月1日からNPO法が施行されて、みんながNPO法人にしたらどうなるんだろうかといい始めたところから、私の人生が曲がったというのが正直な気持ちです。
(OHPー10)
 地域で活動を始めたときに、とにかく子供たちに喜んでもらいたかったものですから、こんなことをしてきました。夏休み40日連続開放に挑戦というのを、地域の八王子市立の長池小学校と一緒にやりました。これはことしで3年目になります。とにかく新設校でありまして、校長先生も教頭先生も大変に張り切っておられて、夏休みになるんだけど、何かやりたい。
 ところが、先生たちはサラリーマンなものですから、夏はお休みだと思われていて、「何もやってくれないんだよね。そうすると、子供たちはかわいそうに、学校はいつも締められていて、遊ぶことができなくなる、学校に来ることができなくなるんだよね」というとき、おととし5月の31日にNPO法人の東京都への認証していただくための申請が通過したばかりのときぐらいでした。
 そしたら、NPO法人を目指しているようなフュージョン長池が、かぎの管理、安全管理で協力するのでということで「八王子市教育委員会の許可をもらいましょう。40日連続開放に挑戦してみようじゃないですか」。校長先生が「えっ、そんなことできるんですか」「できるんじゃないですか」と。「夏休み40日の間、40の地域からお父さん、お母さんの1日だけ先生を用意して40日並べることができたら本当にできるかもしれない」といったんです。「1日2時間ぐらいだったら、ボランティアしてくれる人もいますよ。お金を全くかけなくてもできるじゃないですか」という話をしたら、校長先生、教頭先生がえらい喜んで、フュージョン長池というNPOとこういうことをやりたいと当時の教育長にいってくれました。
 そしたら、既に行政のトップの方々にはNPOという名前がもう入っておりまして、NPO法にのっとって、NPO法人の認証の書類が受け付けられたような団体であれば許可しましょうということになって、40日連続開放に挑戦ということで始めました。
(OHPー11)
 これはガリレオ工房という理科の実験をやっているところです。そんなことをやったり、手づくりの絵本をつくってくれる教室をやったり……
(OHPー12)
 学校の給食の用務の職員の人たちが一緒になって、ピザづくり教室をやってくれたり、ことしで3年目になりますので、同じようなメニューを結構繰り返しやっています。
(OHPー13)
 これは手品教室で、真ん中にいる村崎さんという人は、サラリーマン時代に宴席を生き延びるために身につけた手品を子供たちに披露しております。ことしも披露したんですけれども、去年見て手のうちを知っている子に「タネあかししちゃだめだよ」とかいいながらやっていました。
 夏休みに彼も1日だけ先生をするんです。通常は、会社をスピンアウトして、個人で情報システムの仕事をしながら生きていっています。この日ばかりは手品教室の手品師に化けてこんなことをやっている。
(OHPー14)
 これはことしもやりましたけれども、巣箱づくり教室です。真ん中の頭のはげているおじいちゃんは、学校の理科の先生でした。リタイアした人で一生懸命子供たちに巣箱づくりを毎年のように教えてくれています。
(OHPー15)
 それから、これはぽんぽこ鉄道クラブと申しまして、赤羽さんという人が隊長でやっています。赤羽隊長は大企業の研究員でありまして、音声をデジタル化することの世界では有名な方らしいんです。地域ではぽんぽこ鉄道クラブと里山活動のおっちゃんで通っていまして、早稲田の理工か何かだったらしいんですけれども、その時代から鉄道クラブに入れ込んでいた。最近は長池公園というでっかい公園の中でチェーンソーを持って間伐をしたりしている、何が本職かよくわからないお父ちゃんで、毎週のようにネイチャーセンターにあらわれては何だかんだと私と話をしていってくれます。子供たちと一緒になって遊んでくれています。
 こういったことの中で不思議な現象が起きました。地域活動というのは、今まで私もそういうふうに思っておりましたけれども、お父さんたちがやるという意識があまりなかったんです。お母さんと子供たちがやるものだと思っていましたが、私、おやじが始めたということもあって、地域の奥様方と仲よしすると、家の母ちゃんに怒られるし、そういうこともあって、お父さんたちが大層出てまいりました。
 おやじたちが、地域に帰ってきたお父さんたちといわれていまして、お母さんたちから大変に喜ばれた。何でこんなにおやじが出てくるのかなと一時期思いました。そしたら、自分も含めて思い当たるふしがあるんです。月曜日から金曜日までがちっともおもしろくないんです。会社に行ったり、役所に行ったり、いろいろ仕事をするんですけれども、今ふんづまりみたいな状態の時代で、あまりおもしろいことがないんです。土日になると、気分転換したいわけです。ちょうど子育て真っ最中の、私が中間ぐらいの年齢、僕が49です。だから、41から60ぐらいまでの年代のお父さんたちが多く住んでいる町ですので、子育てにまだ忙しい人たちが結構多いんです。
 今までであれば、家族を連れて、田舎に住んでいるくせに、週末になると、中央高速に乗ってさらにまた田舎に行こうとする人たちなんです。あの辺の地域に住みたがる人たちのことを、都会的なすてきな田舎暮らしが好きな人というイメージでいっています。ですから、週末になると、リゾートか何かで暮らしているような気分を楽しみたい。だけど、通勤しないと生きていかれないので、働きに行ける距離の限界まで遠くに出て住んじゃったという感じの人たちです。そういう人たちがまださらに中央高速に乗っかって、レジャーだ何だと行きたがる。ところが、だんだんみんな金もなくなってきて、地域で遊ばなきゃいけなくなったんです。
 お母さん方に今度、子供たちをちゃんと連れて遊ぶようにいわれているんです。おやじたちが鉄道クラブや何かで、お母さんたちはほとんど出てこないんです。お父さんたちが子供を連れて集まってくると、お母さんたちが喜ぶものですから、おやじたちは奥様孝行と子育て真っ最中ということがあって、こんなことに入れ込んで出て来た。
 こういうことの中で、不思議なことがいろいろ話し合われる。不思議というか、ある種当たり前なんです。これが旧来のまちづくりとか、商店街や何かができてきたときと同じ流れなのではないかなと最近改めて思います。
 八王子市の地域産業振興会議の審議委員にも入れていただいて、お話ししていまして、まちづくり部会というのに入っています。JRの八王子駅の北口の方に16号線沿いにイチョウ並木通りがありまして、八王子市の旧来から何百年という歴史を持つ商店街です。全国至るところで見られるように、商店街がシャッター通りになり始めているわけです。だけれども、その方々と話をすると、昔はよくにぎわったといわれる。結局人が集まってくるところ、お寺や神社ができて、表参道といわれる参道みたいなところに、人がお参りに来て集まってくると、そのそばに物売りの屋台が出てきて、それが発展して、バラックから建物をつくったりして、立派な商店街に発展したように、人が集まってくるということはいろんな経済活動を生み出すんです。
 そういうことを自分なんかは気づかないで、単なるお遊びとして始めてしまったんです。こういう形の中で、お父さんたちが集まってくると、根っこはビジネスマンなものですから、ふだんは仕事のことなんか聞かないんですが、「会社行って何されているんですか」「どこお勤めなんですか」と、最後は聞き始めます。「どこどこに勤めていまして、音声のデジタル化をやっています」というのがいる。それから「一級建築士で、都市計画のコンサルやっています」というのがいる。「情報システムをやっています」というのがいる。さまざまな職種の人たち。公務員の人たちから、いろんな人たちがいる。
 その人たちが男同士の会話として、「この町、一体どうなっちゃうんだろうか」。東京都の現役の課長さんなんていう方もそばで遊んでおりまして、いるんです。そのAさんは、「近いうちに石原都政の中で、このままいくと、多摩都市整備本部は恐らく解散すると思う」というんです。そしたら、そばで今度は住宅都市整備公団、都市基盤整備公団に改組される前からのおつき合いがありますので、そういうところで非公式で一緒に活動している人は、「いや、都市公団もそのうち危ないです。今みたいなことをやっていて、だれか剛腕な人が政治家の方に出てくると、特殊法人解散といわれる事態にもなりかねないし、こんなに土地が余っていて、なかなか処分もし切れない状態って、どっちみち行き詰まると思うんです」なんて、本音の会話が出てきたりする。
 だんだんみんな不安になってきた。というのは、半分ぐらい公団の賃貸の人たちなのですから。それから、都営住宅の方もおいでになるし、東京都の住宅供給公社の賃貸の方がおいでになったり、分譲の方もおいでになる。いまだにさっきの地図の中で、公社の分譲で6割しか入居してない。できてから5年も6年もたつんですけれども、6割しか入居してない団地もあるんです。ところが、分譲ですから、今度は賃貸にすることもできない。住民が反対する。何とか売ろうとして実勢価格に合わせるというので値下げをやりました。そしたら、今度は住んでいる人たちから、「我々には高く売っておいて、何だ、おまえらは」というので、今度はむしろ旗のような反対がバッと出てくるという現象も起こったりして、一体ニュータウンって、今後どうなっちゃうんだろう。結構男同士の真っ当な会話みたいなものが出てきて、不安感が出てくるんです。
 そういった中で、本当に東京都が手を引いて、都市公団が解散してみたいな事態になったときに、自分たちはそういう年代にちょうど60歳迎えて、住宅ローンをまだふんだんに残している年代なのに、町の行方がわからなくなって、今は子供たちと一緒に「ぽんぽこ、ぽんぽこ」なんて鉄道クラブやっているけれども、こんなことだけやっていていいんだろうかという会話が徐々に出てくる。それをしている人たちは、お世辞抜きで当代一級の能力のある人たちです。一流企業の部課長ぐらいになれる人ですから、リスクヘッジ、最初に気合で「前例がありません」とか、すぐいい出す。どこか高級官僚みたいなところが大企業に勤めていると出てくるみたいで、前例主義みたいなこともいうんですけれども、ざっくばらんな席で酒飲んで酔っぱらい始めると、「おれたちの町、一体どうなっちゃうんだろうかね」。
 自分たちはまだ平成元年に町開きですから、町としてまだ若いわけです。自分らの平均年齢もまだ若いわけです。もうちょっと先輩の方の流れを見ると、多摩ニュータウンはもう30年を超えておりますので、ご存じのように、諏訪、永山といわれる一番最初に開発された町は、地域活動なんてほとんど見られなくなってしまって、団地に居住している人たちの平均年齢が60歳を超えて、今まさに建て替えが話し合われている。それがもう5年も6年も話し合ったり、公団さんに委託コンサル料を払われているにもかかわらず、何も進展しない。総論賛成、各論いろいろで、住民側も全く意見をまとめ上げることができない地域が現存しているわけです。その先輩たちを見るにつけて、自分たちの不安感みたいなものが真っ当に語られるようになってきた。
 でも、そんな中で、やっぱり楽しいからというので、風船アートをやって、子供たちを喜ばせてみたり、こんなお祭りをやったりということでやってきました。
 ところが、一方で、98年4月にNPO促進法が通った。私なんかは正直いって、そのNPO促進法が通ったときにそれを知りませんでした。ところが、私の住む町はもう1つの特徴がありまして、大学がいっぱいあるんです。町の中で石を投げると大学教授に当たるというぐらい大学の先生たちもいっぱい住んでいる。自分の周りにも中央大学の教授ですとか、大妻女子大学の教授、都立大学の教授ですという人はいっぱいおるわけです。そういう方々が、「どうも富永さんのやり方を見ていると、NPO法人運営すると、うまくいくかもしれぬ」とかいって、勝手におだてるんです。じゃ、やろうかということで、「いよいよやります」といったら、「ばかたれ、だれが本気になってやれといった」ということをいうんです。学者の先生って、やっぱり無責任だなと思いました。
 人をおだてるようなことだけいうと、「隣の人のおやじさんの名前と職業は」と聞いてあげるんです。コミュニティ、コミュニティという学者の先生に限って、隣のおやじの名前を知らなかったりします。そういう先生やコンサルの方々が、NPO法人をつくったらいろんなことができるんだということを私に教えてくれたんです。
 だけど、最初は僕は真剣に聞いていませんでした。長銀総研がまだ存在したときに、長銀総研の優秀なコンサルタントの人が、私の目の前にあらわれました。その方から聞いたNPOという考え方に触発されて、「じゃ、NPO法人をつくってみよう」という気になりました。
 それは何かというと、アメリカのシリコンバレーのスマートバレー公社、かなりの方がご存じじゃないかと思います。シリコンバレーが一番最初に半導体で有名になったそうです。半導体をつくって有名になったんですけれども、その後日本の家電メーカーが、大量に安く高性能の半導体をつくり始めて、席巻しまして、その半導体が不況に陥って、シリコンバレーが不況に陥ったときに、ある方が私財を投じてスマートバレー公社というのを設立されて、それがNPO法人なわけです。そこは何を用意したかというと、地域の人的な交流の場を用意したんです。みんなが交流できるように。そのNPO法人がある種ボランティア活動からビジネスまでコーディネートしていくわけです。そうすることで、今日のシリコンバレーの隆盛がもう一度戻ってきて、ヒューレットとパッカードなんかもそんなところから出てきて、ヒューレット・パッカードが世界に冠たる、HPなんていわれるようなコンピューターメーカーとして世界に君臨するほどになったという話。
 新川さんという今でも私どもの理事をやっていただいていますが、この方いわく、NPO活動というのはゆめゆめボランティアに終わるのではないのだ。ボランティアに見えて、人が集まってくるということは、地域活性化につながるし、将来は地域経営につながるだろうし、コミュニティビジネスになるんだ。そうすると、もしかしたら、この地域にいる大量に優秀なお父さんたちが大量にリタイアを迎えて戻ってきても、それまでの間にNPO法人がボランティアからビジネスまでをコーディネートするような活動をしておきさえすれば、要は、地域を耕しておきさえすれば、その人たちが、アナログであろうが、デジタルであろうが、地域に帰ってきて、最後まで経済活動を営む。要は死ぬまで納税者の立場を維持して、元気いっぱいに生き切ることができるのではなかろうかと私にいったんです。
 ボランティアからビジネスまでをコーディネートする。言葉をかえると、マーケティングする、そういうことができる構えはNPOじゃないとできないんだよ。私有財産をこさえようとしている株式会社富永みたいなものに、だれがボランティアで貢献してくれるかと、彼が切々と私に説明をしてくれたんです。「ああ、そうか」と。僕はビジネスマンで、21年間スウェーデンの会社に勤めてまいりました。マーケティングとセールスと新規開発のプロジェクトリーダーを何度もやりながら、新規の事業を立ち上げたり、そういう事業が一段落すると、マーケティング部をつくったり、セールス活動をやったりするということで生きてまいりましたので、それなら自分も食っていけるかもしれないと思いました。
(OHPー16)
 そういったことの中で、本を書けといってくださる隣の団地のおやじさんがいまして、隣の団地の理事長さんが、何とNHK出版の取締役でした。一昨年の夏の終わりに、野球帽をかぶって、半パンとTシャツみたいな格好で来るわけです。「富永さん、本を書け」といきなりいうんです。仕事を聞いたことがないですから、「何であんたがそんなことをいうんだ」とキョトンとした顔をしていると、「実は、僕、NHK出版の取締役をやっているので、僕が推挙すると、本になる」というんです。それで、一生懸命本を書いて、そのときにタイトルを決めました。「多摩ニュータウン発市民ベンチャー」という言葉を使いました。「ベンチャー」という言葉をその人が使え使えというんです。ベンチャービジネスというと、ボランティアマインドいっぱいの人に怒られるといって、僕が嫌がったんです。そしたら、新川さんが、「市民という言葉を前につけて、市民ベンチャーという言葉でどうだ」といったので、『多摩ニュータウン発市民ベンチャーNPOぽんぽこ』という本が生まれました。
 そして、NPO法人をつくるに当たって、どんなことをやるかという話をしたときに、「暮らしの支援事業」といいました。僕らがやってきた暮らしの支援事業、これからもやろうとする暮らしの支援事業というのは一体何なのかという説明を続けてしたいと思います。
(OHPー17)
 暮らしの支援事業のパラダイムですけれども、私は愛称で「ひまわりの図」といっています。地域ですので、育児から教育、消費、ごみ、健康、コミュニティ、住宅、介護、環境、とにかくいろいろある。
 先ほどもいいましたように、NPO法人をやるに当たって、どんな構えでいくかというけんけんがくがくの議論をしました。そういったことの中で、「おまえはばかだ。一緒に協力できぬ」と大分怒られて、こんな大きな構えをしたためにかなりもめました。もめごとも正直に本の中に書きました。本には、地域の人たちの名前が全部実名で入っております。その人たち、幸せなことにまだ1人も死んでおりませんので、もめごとも含めて一切うそは書いておりません。
 この円形というのは、オールラウンドに地域に対して対応できることがあればやろう。ただ、いきなり全部できるわけじゃないので、住宅問題から入ろうといって始めました。
(OHPー18)
 なぜ住宅問題かというと、多摩ニュータウン発ですので、多摩ニュータウンは皆さん方がよくいわれるように産業がありません。ベッドタウンで開発されたためにあまり企業もありません。ですから、何も産業がない、産業がないとみんなにいわれちゃうんですけれども、私は自分が住んでいる居住者の実感として、住宅産業こそが最大の産業だと思いました。
 約2万戸の分譲団地が多摩ニュータウンにはあります。大体100戸ぐらいの団地で10年で最低でも1億円ぐらいのお金がたまります。10年に1回の大型修繕で空っぽになります。大体200億円ぐらいのお金が修繕のためにずっと蓄えられています。その10分の1のお金、要は20億円ぐらいが毎年毎年ランニングで、メンテナンスの費用で使われています。ですから、住宅問題こそが最大の産業。それ以外に賃貸住宅がそのほぼ倍、2万戸ぐらいあります。ですから、何十億というお金が毎年地域の中で落ちているわけです。
 ところが、それは管理会社にほとんど吸い上げられて、どこぞへ消えていく。どうも、クオリティーが高くありません。その割にお金も高いです。自分たちがやろうとすると、なかなか大変で疲弊するんです。管理会社さんにお任せして判こだけついていると楽はできるんですけれども、だんだんみんな懐ぐあいが寒いものですから、自分らでやることを考える。ところが、自分らでやろうとすると、月曜日から金曜日までは一生懸命働かなきゃいけません。土日になってやっと、自分の分譲団地の管理組合のことを考えるようになったときには、JSさん休んでおります。当たり前です。自分も休んでいるんですから、相手も休んでいます。大手の管理会社はほとんど休んでいます。住宅問題を相談しようにもできません。
 こんなときに地域に専門家集団がいて、土日でも祭日でも相談に乗ってくれて、自分たちの目線に合わせた居住者感覚で対応してくれるところがどこかないんだろうかと思いました。
(OHPー19)
 ところが、そういったことの情報交換はなかなか大変なんです。僕らには長年培ってきた有効な手段がありました。まず、ぽんぽこかわら版です。デジタルの時代で、ITなんていわれる時代ですけれども、やっぱりアナログがまだまだ強いです。当初1000部とか2000部ぐらいからスタートしたかわら版、これは公団さんに感謝しております。当初お金を全面的にサポートいただいたおかげで、僕らの事業が生まれました。「フュージョン」という名前も、公団さんがこのかわら版につけられた名前をいただいて、そのまま「フュージョン」とつけております。ですから、都市公団さんがなかったら、フュージョンはありませんでした。そのかわら版が32号、今度月末か11月頭ぐらいに、33号ができ上がってきます。地域に1万部配ります。この中で住宅問題や何かをレポートしてまいりました。



1 コミュニティサーバー

(OHPー20)
 途中の97年ぐらいまで来たとき、NPO法人をつくるなんてことをゆめゆめ考えてないときですけれども、コミュニティサーバーという話の提案をいただきました。インターネットを使って連絡を取り合ったらどうですかということを、フュージョン正会員になってくれている羽田野さんという優秀なコンサルタントの人が私に教えてくれました。きのう、彼は八王子市の地域産業振興会議のブロードバンドの時代に夢をかけるようなフォーラムをやったわけです。地域産業の活性化にブロードバンドを使おうということをやったときに、フォーラムのコーディネーターをやっておりました。
 その彼がまだまだ無名だったときに、私に、コミュニティサーバーということを教えてくれました。皆さん、メーリングリストをお使いでしょうか。私があるときに彼にぐちをこぼしたんです。「電話かけて連絡するのも難儀です。そのうちファックスもたまりません」。ホームファックスなんて電話と切りかえ用になっているものですから、親がいるときはいいんですけれども、親がいないと、小さい子供って電話が好きで、こっちは一生懸命ファックスを打っているのに、電話をとって、ワーワーバチャッと切っちゃうんです。そうすると、ファックスは送れないわ、電話はつながらないわ、10件を超えると連絡に疲弊するんです。
  それで、嫌になっているときに、彼が、メーリングリストというのを使うと、1回に100人でも200人にでも同時に、「こんにちは」というと、100人の人に「こんにちは」と届く、200人の人がいても、メーリングリストに登録しておきさえすれば、200人の人に「こんにちは」と届く、「何か用事か」と相手が答えると、100人の人に届くんだという夢みたいな話をするわけです。
 最初はどうしたらいいかわからなかったんですけれども、98年4月からぽんぽこネットというメーリングリスト、現在も使っておりますけれども、それを使って連絡をするようになりました。そのことによって地域のボランティア活動が爆発をするんです。ボランティア活動が爆発するということは、そこに出てくる人の数も爆発的にふえたんです。そのことによって、自分たちの活動がNPOへ向かって押し上げられていくんです。
 メーリングリストというのは日々の電子井戸端会議みたいなものだと、ここにも書いてあります。井戸端会議だけやっていると、その記録が残らないものですから、後から参加する人たちに寂しい思いをさせるというので、その後99年の4月に今度はホームページをつくりました。「ぽんぽこウェブ」とか、「ぽんぽこのホームページ」といっておりますけれども、「ぽんぽこ」という名前のホームページをつくって、データをストックすることにいたしました。



2 高支隊(高度情報化支援事業)

(OHPー21)
 住宅問題と後先になってしまいましたけれども、僕らの事業の1つの柱に今日なってきております高度情報化支援事業、略して「高支隊」と申します。ああしたい、こうしたいの「高支隊」といっていますが、それはなぜ生まれたかというと、後ろに白い大きなわっかがありますけれども、これが情報インフラなんです。
 忙しいお父さんたちが中心に出てまいりましたが、この人たちの得意わざがありました。得意わざというか、無理やりやらされちゃったわざといってもいいのかもしれません。民間企業の方はインターネットに向かって非常に速いスピードで動いたために、部課長の登用試験のときに、インターネットもできないやつは管理職にしてやらないといわれて、一生懸命になって1本指からでも始めた人たちが大量に住んでいる町であったわけです。
 ですから、インターネットをいち早く自分たちのものにしたお父さんたちが、僕らの活動の仲間だったものですから、インターネットで会話をするようにいたしました。そうすると、ぽんぽこネットでつながっているものですから、お母さんとお父さんとの間に地域情報の逆転現象が生まれました。お母さんのいいかげん、クチコミの地域井戸端会議よりも、お父さんの電子井戸端会議の方が速いんです。速くて正確なんです。
 家に帰ってきても、子供やお母さんに、「きょうはこんなことがあっただろう」というと、お母さんや子供たちがキョトンとするという事態を迎えるまでになったんです。お父さんたち、これ、気分転換らしくて、お昼休みと夜残業が終わると、会社から一生懸命になって打ってくるんです。仕事しないでおしゃべりしているところへ私が「少しは仕事しろ」とかメールを打ったりして、そういう楽しい会話をぽんぽこぽんぽこと繰り返してきた。
 ところが、ナローバンドと孫正義さんの弟さんが講演でやっていましたけれども、ブロードバンドじゃありません、ナローバンドですから、おそいんです。画像なんか入れようなものなら、紙芝居見ているよりとろくて、ジジジジしか出てきません。みんな意識の早い人たちなので、ブロードバンドをやりたいというんです。
 ところが、NTTはISDNを売りたいがために長い間ADSLというものの存在を隠し通していました。なぜかというと、ADSLは電話線さえあればできるんです。それもアナログ回線さえあればできるんです。ISDNが天敵なんです。ISDNとADSLは共存できないんです。ADSLやるためにISDNやめなきゃいけないんです。
 ところが、東京めたりっく通信というベンチャーが出てまいりました。100人ぐらいの会社です。そこの社長さんや会長さんなんかに、「僕らの町にこんなインターネットを使ったコミュニティ活動があるので、ここでめたりっく通信もADSLを展開すれば、ビジネスになる」と、いいに行きました。それも地域の70%の人が署名をして、持っていったんです。
 そしたら、こんな正確な市場分析レポートなんてないわけです。世帯代表署名で7割の人が署名したのを私が持っていったわけですから、向こうの会長さん、社長さん、喜んじゃって、すぐ設備投資するというわけです。去年の12月1日から自分たちはADSLを我が町に導入しました。
 これで僕はびっくりしたんですけれども、NTTがあわてたと東京都の部長からいわれた。ことしの6月1日には、ADSLを促進したというので、総務省の関東局長表彰をいただきました。電波の日だったなんてことを初めてその会場で知ったというおそまつでしたけれども、電波の日を記念して、表彰されたんです。
 ブロードバンドを住民主体で、ベンチャーと一緒に誘致したNPO法人というので、NHKの首都圏版のニュースにも生で出演させられたり、朝日新聞の人の欄に出ちゃったり、ニュースステーション、久米宏のところへも、スタジオには入りませんでしたけれども、夜のニュース番組になっちゃったり、大変な騒ぎになりました。
 でも、僕らはそんなことを目指したんじゃなくて、自分の町のために、ブロードバンドの時代なんだから、人任せにして、順番待ちするんじゃなくて、こんなにビジネスになるぞといえば、ビジネスマンだったら投資してくれるんじゃないか、NTTさんはなかなか動きそうにないけれども、ベンチャーだったらきっと投資するんじゃないかといったら、本当になったというまぐれ当たりみたいな話だったんですけれども、それが現在の高支隊。
(OHPー22)
 多摩ニュータウン全体を情報システムで包み込むためには、NTTの中継局が2局、乞田局と由木局というのがありますが、そこの2つの局にADSL用の設備機器を東京めたりっく通信が設備をすれば、大体2キロ圏内ぐらいがそれでADSL化される。ニュータウンの8割ぐらいがブロードバンドになるというので、両方とも設備をしていただきました。自分たちの由木局が去年の12月1日から、乞田局というのがことしの3月1日に設備を完了しております。
 ですから、多摩ニュータウン住民の8割の人はその気になれば、ブロードバンドをめたりっくでも3500円均一で常時接続で定額、つけっ放しができるんです。テレビ映像が送れるほどのスピードで現在ブロードバンドを楽しめる町になりました。
 そういったようなことを、おふざけ半分なんですけれども、多摩ニュータウンLAN構想といって、「たまらん」とかいっていました。そういうばかげたことをいっているのが、地域ではぽんぽこなんです。もめごとを起こすのは、地域はご法度ですから、とにかくみんなでぽんぽことかたまらんとか高支隊とかいいながら、楽しくやれればいいなといってインフラをやってきたことが1つの事業になっております。
 どういうふうな意味でお金になるかというと、高支隊のホームページを開いていただくと、自分たちの代理店コードが入っております。そこから東京めたりっく通信にそのコード番号を使ってオーダーが入りますと、営業代行業みたいな感じですので、いくばくかのコミッションが、代理店に対してのキックバックがめたりっくの方からやってくる。これはNTTや何かも、ISDNを仲介した業者にはちゃんとキックバックしておりますので、真っ当な事業スタイルです。そういうお金が今NPO法人に出てくることで事業になっております。



3 住見隊(住宅管理支援事業)

(OHPー23)
 それと、先ほどいいかけて前後しましたが、そういったインフラがあるおかげで、住宅管理支援事業、「住まい見守り隊」とフルネームでいうんですが、最近では専ら「住見隊(すみたい)」といっています。先ほどもいいましたように、住宅産業の町でありますので、でき上がっているマンションが多摩ニュータウンに4万戸ぐらいあるわけです。NPOフュージョン長池の最終的な事業規模というか、地域密着型ですので、エリア限定をしております。最大ニュータウンエリアまで。それ以上は自分たちの手に負える範囲ではないと自覚をしております。
 ニュータウン全体で大体4万戸の団地があるわけですから、これを対象にペンキの塗りかえであるとか、ガスだ、電気だ、水道だ、とにかくいろいろあるわけですが、そういうものは古くなると取りかえなきゃいけないとか、団地の管理のためには管理組合のお金をためておく、管理をする方法もきちっと考えなきゃいけないということもあって、「住見隊」ということを考えてまいりました。それをやるためには、団地の窓口の管理をしなきゃいけません。
 こういうと怒られちゃうかもしれませんが、管理会社さんですと、団地の窓口に女性を1人派遣してこられるわけです。団地の住宅のことしか聞いてくださいません。けれども、自分たちは、暮らしの情報、要は地域のお医者さんから、教育から、ショッピングから、いろんな情報を全部1カ所にポータルサイトとして、まとめられるホームページを用意してまいりましたので、これを導入していただくことで、団地の窓口まで行くと、介護のことはどうしたらいいんでしょうか、歯が痛いんだけど、この辺に歯医者さんないでしょうか、今度は子供が、孫が保育園に行くんだけれども、人気のある保育園、幼稚園はないんでしょうかとか、とにかくよろず相談全部に団地の窓口で応じられるだけの体制をこの間に準備してまいりました。
 それから、いよいよこの会計システムが完成をいたしました。今1つの団地で契約をいただいて、この半年間ランニングをしてまいりまして、バグつぶしも終わりましたので、自分たちの法人会員であるメディアプラスという小さな会社が団地会計用のソフトをつくってくれました。それをジャパンネットバンク、インターネットバンクです。さくら銀行と住友銀行、今は三井住友銀行、この辺がつくった日本で最初のインターネット専門銀行です。この銀行の頭取というか、社長をよく知っているということもありまして、彼の思い入れでインターネットでバンキングができることを主にした会計システムを整えてまいりました。
 これによって、団地の会計担当理事さんが、365日24時間、お休みであっても、業者支払いや何かを自分たちの手で即座に決済を行うことができる。お金の支払いが行えるようになった。現在はどうなっているかというと、会計担当理事さんになると、奥さんが協力的な方は奥さんに頼んで、銀行の窓口まで行って、1回1回支払いを行ったり、奥さんが協力的でないと、お父さんみずから会社を半休したり、会社を抜け出したりして銀行に行って支払いをやらなきゃいけないわけです。それがいかに難儀なことであるかということを私も実感をしてまいりましたので、そういうばかなことはやめようということでやってきました。
 それから、多摩ニュータウンの計画に寄り集まった優秀なコンサルの人たちがおいでになったおかげで、この仕組みができたわけですから、団地の長期修繕からライフラインから、よろず相談に応じきれるだけの力を持つようになりました。その優秀なコンサルタントの人たちがフリーのコンサルタントで、通例お金をとっていません。成功報酬ですから、何か団地から委託があれば、そのときだけ何%かのコミッションを僕らがもらうわけですので、ちょっとした問い合わせはボランティア対応になってしまうんです。自分の町だからボランテティアでもいいかというぐらいで、応じてくれるところがNPO法人のメリットなんでしょうか。
 ですから、コスト的に大層安いコンサルタント業務もできるようになりました。それがいよいよ去年から認められ始めて、今3つの団地と契約になって、数団地と来年4月1日からコンサルタント契約とか、窓口の業務の委託をどうしようかという話を開始してきております。
 これが昨年の5月にNHKの「土曜オアシス」に取り上げられて、NPO法人が団地の管理業務を支援するというので、NPOというのはこんなこともやれるんだねと話題になりました。



4  夢見隊(住まいづくり支援事業)

(OHPー24)
 でき上がった団地の建物の管理の話をしていましたら、住宅都市整備公団が都市基盤整備公団になりまして、そのことによって新たに都市公団さんは団地を建てられなくなった。まだ売らなきゃならない土地がいっぱいあるし、建物が建てられないということは提案ができなくなってしまいましたので、民間ディベロッパーの方に売り渡すしかないということになった。
 それだけじゃ、ちょっと寂しいねと思った、多摩ニュータウン事業本部の現役の、女性で鋭敏な係長さんがおいでになりまして、彼女との出会いがなければフュージョンはなかったと僕はよくいっていますが、彼女が「住まいづくりをやりませんか」と、いきなりいいました。
(OHPー25)
 家をつくるということです。これは彼女がゴッドマザー、名づけ親という意味ですが、「夢見隊(ゆめみたい)」、「夢の住まいづくり支援事業」といっています。理想的な住まいづくりとまちづくりをやろうじゃないか。
 我が町の中に売れてない公団さんの土地があるわけですけれども、それを、コーポラティブ住宅をつくるための建設組合を参加者何人かでつくって、我々がコーディネーションをすることによって、その組合が、公団さんからダイレクトに、直に購入をする。そうすることで、公団さんは民間ディベロッパーの方に売られるよりも、恐らく言い値で買ってもらえるだろうし、買われる方は、中間に民間ディベロッパーの方が入っておられれば、真っ当なマージンをとられるわけですけれども、中間に業者がいないので、逆に卸価格で安く買える。供出な土地を買えて、なおかつその上にコーポラティブという自由設計の家が建てられるのではないかということを彼女が想定をしました。
 「あったらいいなこんな考え方」ということで、こんなグループ分譲プラスコーポラティブ住宅なんてことが果たして成り立つだろうかと、去年の4月から調査に入りました。そうしましたら、どんどんそこに集まってきてやろうという人がふえてきて、人間いっぱい集まると意見が合わなくて困りますが、現在14世帯あれば成立するところまで来ております。今ほぼ14世帯が見えてきています。14世帯のうちの10人がもう判こをついてくれて、あともうちょっとなので、年内にはこの建設組合が結成できるところまで来たなと思っています。
 公団さんが民営化されて、ぐちゃぐちゃにならないうちにやりたいと、こっそりでっかい声でいっています。
 理想的な住まいづくりをNPOがコーディネートすることで、自分たちの町の中でやりたいということで活動しております。これもテレビ朝日や何かでも大分報道されたりしました。



5 その他 

(OHPー26)
 それから、リサイクルということも話題になるものですから、生ごみと牛ふんのたい肥化プロジェクトということもやって、保育園で分別された生ごみを、毎週火曜日、ハチオウという産廃業者、企業の協力で無償で鈴木牧場まで運んでもらって、そこのたい肥小屋で牛ふんと混ぜてたい肥にして、カタクリの家という知的障害を持った子供たちが、発酵されて本当にきれいになった土そのものを袋詰めしてくれます。それを販売するような形にまで今来ました。
 ネイチャーセンターにいらしていただくと、10キロ500円、2キロが100円ということで、カンパと称してネイチャーセンターで販売を手伝っております。これが彼らの多少お小遣いになったりして、小さな小さな事業ですけれども、行政の指導を受けてこれを始めたわけじゃありません、地域の中で自力で、僕らだけの人脈と人間関係の中だけでこれを実現させました。
(OHPー27)
 それと、これもまだまだ小さな事業です。おやじたちが集まってすぐ赤ぢょうちんに行くというのが私の夢だったわけですけれども、余りにも回数が多くて、お母さんたちに嫌がられまして、それでは健康によくないというので、「おつまみ作り隊」というのをお母さんたちがつくろうと何回かテスト的に出動いたしました。「おつまみ作り隊」が発展すると、地域のおすそ分けの町がやってくるのではないか。
 昔ありましたね。肉じゃがをいっぱいつくったから、隣の家にも分けてあげようかとか、きょうはおでんをいっぱいつくったら分けてあげようかとかいう関係があったわけですけれども、大量に顔が見える町になっていくと、そういうことがもう一回現代に復活するんです。これのオーダーをホームページでとろうじゃないかと今いっています。
 親戚が新ジャガをいっぱい送ってきたので、「今週の富永の家のおすそ分けメニューはコロッケ50個」と入れておくと、早い者勝ち。1個何十円か、お金はもちろんもらうんです。地域経済で回さなきゃいけませんから。そういうことをやることで、地域に顔の見える関係と温かい心と料理もやってくる。
 少子高齢化の中で、小さな子供を抱えているお母さんたちも、ある種安心して風邪引ける。安心して熱出せる。年とって1人の老人になっても、これがある種のセーフティーネットで、いつでも、近いところのNPOの会員みたいな人から「おすそ分けだよ。早くいえばいいのに。これ、おかゆさん1杯100円だよ」といって、気のいいおばちゃんが届けてくれたりして、そういう町が生まれることを望んでおります。
 そんなことをしていると、やっぱり人間が主人公なんじゃないと今いっています。地域が舞台で住民が主人公で、企業や行政が応援団であってくれたら、どんなにかすばらしい町がやってくる。僕らが先行して7年も活動をやっていましたけれども、最初の5年間は意識もしませんでしたので、あえて嫌ったわけでもないわけですが、八王子市の市の職員の方とほとんど口をきいたことありません。市会議員さんと口きいたこともありません。自分らが楽しいからということで楽しい活動をぽんぽこぽんぽことやっていただけです。
 今度は企業の人たちが寄ってきて、例えば高支隊であれば、東京めたりっく通信というところが、一緒になって、「それだけいっぱいインターネットユーザーがいるところでしたらナローバンドよりもブロードバンドの方がいいですね。だから、高速インターネットの装置を導入しましょう。でも、皆さん、ただ働きじゃかわいそうですよ。だから、お金が出るようにしてあげましょう」といわれて、「えっ、僕ら金もらえるんだ」ということがわかったりして。
(OHPー28)
 そんなことをやっていて、僕らの町も「住宅問題、大変だね」といって、それを何とか解決しようとしたことによって、今まで管理会社に任せていたお金よりも、同じか安い値段ではるかに高いクオリティーのものが提供できることがわかった。人がいるということはすごくて、それをインターネットを使って決済することから、専門の会計ソフトをつくることまでできるようになって、長期修繕のコンサルティングなんかもできることに気がついて、人がいると、今度は家が建てられることもわかって、公団さんとも仲よくやってきたので、絶大なる信頼関係のおかげで、NPO法人で初めて全国のトップを切って、公団の指定業者に入れてもらって、調査委託を受けて、調査の委託を受けたことがお金になり始めた。そして、今まさに自分たちがコーディネートする土地が年内に決着がついて、売れそうになってきて、「初めて成功報酬のコミッションが入ってくるかね。やっとただ働きから脱却できるか」なんて楽しい思いをしていたりする。
 そして、今度はマスコミの早い人たちとか大学の先生方に取り上げられるようになって、そうこうしているうちに、昨年八王子市と東京都の関連のフォーラムやシンポジウムに呼ばれてお話をするようになりました。
 そんなときに、我が町には長池公園という巨大な19.4ヘクタールもある自然保全型公園。これは何と不思議な、タヌキたちが守ろうとした多摩丘陵の昔をそのまま保全したいということで、公団さんたちの本当に思い入れのある場所で、現場のロマンティックな非営利型のディベロッパーの方々が思い入れて思い入れて残してくれた自然公園です。
 そこへもってきて、ネイチャーセンターという経費を入れると7億円かかったと、日経アーキテクチャーに載っていたのを見られたかと思います。ここにおいでの方はほとんど日経アーキテクチャーを読んでおられるんじゃないかと思います。この間は取材を受けたんですけれども、まさか表紙になるなんて夢にも思わなくてびっくりしました。とにかくその建物は木彫のすばらしい建物です。入ると木の香りがいっぱいです。平屋で千三百数十平米ぐらいありまして、事務所があって、広いロビーがあって、常設展示室が左側にある。そこに長池公園と里山活動を紹介するコーナーがある。中に入っていくと企画展示室があります。今「平成狸合戦ぽんぽこ」の原画、高畑監督と仲よしにしてきたおかげで、「じゃ、お祝いだ。上げよう」といわれて、25枚ただでもらってきて、八王子市からいただいた管理運営の中の活動経費で額縁だけ払いました。これも余談ですけれども、多摩美の先生がついていって、額縁屋さんに行って値段折衝してくれたものですから、破格の値段に下がった。
 我が町の大学も行政も地域住民もみんながエールを送ってくれるような部分でNPO法人ここまで大きくなってくることができました。そしてその奥には、45人が自然のことを勉強できるレクチャールームもあります。その廊下向かいには30人が座れる6つのテーブルがあって、工作教室がやれる。竹トンボをつくったり、鳥の巣箱をつくったり、この間はウッドバーニングアートなんていうのを、業者の人が来て、木に焦げ目を入れて絵をかくようなことを子供たちに体験学習として教えてくれた。彼らはあわよくば自分たちがつくっている自然のグッズが売れたらいいというのが望みです。露骨な販売活動が公園内では禁止されているものですから、なかなか思うようにいかないんですけれども、そういうものも行われるようになった。
 今度の日曜日には、地域のお母さんが、阿部さんの工作教室なんていうのを3時間ばかりやってくれる。その次には、多摩美の笹井さんという4年生の女の子が卒業研究をやりたいというので、染め物教室を地域の人たちと一緒になって、工作室でそれをやって、すぐ企画展示室で展示するといっています。これは本来は貸し館料でお金をとらなきゃいけないんです。企画展示室の大きいのは、1日借り切ると4400円、工作室を1日借り切ると5600円かかるんです。学生さんにはとても大変なんです。
 ところが、八王子市の好意で、管理運営を委託されたフュージョンが主催をして、なおかつ自然にまつわるようなことであれば、フュージョンの判断で無償にしてもいいという条項をいただいたおかげで、お金をとれそうにない人からはお金をとらないでやるんです。だけど、気のいい方々はそれに今1口100円からカンパを置いていってくれるんです。10月1日からは1口100円とカンパをお願いすると、何と2週間で1万円になっちゃったんです。もっと早くやればよかった。
 7月1日オープンしたものですから、7月1日から9月の30日までは全部ただで、オープニングキャンペーンだといっています。10月からはお金を極力とるようにしております。何もかもただというのはあまりいいことでもありませんので、会議室や何かの使用料を極力いただくようにしております。
 使用率もどんどん上がってきて、今月はわずか4カ月目にして使用率が40%をクリアするんじゃないかと思っています。夏休みも含めて9月になっても10月になっても人の数が減らないんです。月間今5000人〜6000人の人が、地域の人を中心に集まってきてくれます。それは日めくりカレンダーのように行事が入れかわるからおもしろいんですね。ほとんどそれがボランティアの方々に支えられて行事そのものがただでできるんです。だから、人件費が限りなくかかってないおかげでそういう運営ができる。
 当初は月間500人〜600人ぐらい来たらいいところじゃないのという声もあったんですが、10倍です。
 経費は、今私を入れて常駐のスタッフが3人おります。あとの2人の人はパートで入れかわりなんですけれども、常に3人おります。3人、いろいろ諸経費を入れて市の職員の人でしたらやっぱり1人で1000万ぐらいかかるはずです。だから、3000万ぐらいかかるところを、1000万ぐらいしかもらっておりません。ですから、私のもらっている報酬はサラリーマン時代にもらっていた報酬の半分ぐらいしか実入りはありません。正直生活面では苦労しています。でも、いろんな喜びはいっぱいあるものですから、その喜びをエネルギーに変えながら、ご飯にしながら生きているような感じです。
 毎日毎日、平日でも数十人から100人、週末の土曜日曜で400人〜500人の人がどんどん来てくれます。この土日も大層いっぱい来ると思いますので、その現実をごらんになりたい方は南大沢までおいでいただいて、ネイチャーセンターにお電話をいただければ道順ぐらいは即座にご案内いたしますので、その事実確認に来ていただければ、ニュータウンにコミュニティなんてできないといわれてきたところにまさにコミュニティができ上がってきて、行政からの応援をいただいて、とんでもないプレゼントだと思いますけれども、その委託費のおかげで私なんかも飢え死にしないで済むかなと思って、やっと基盤ができて、立ち上がってきています。
 ですから、企業が応援してくれて、行政が応援してくれて、先日は東京都の都知事からも教育環境の向上に貢献したというので表彰状をいただいて、10月4日は都市の日というのを初めて知ったんですけれども、都市の日だというので、「美しいまちなみ大賞」というのがありまして、何とあれで大賞をもらいました。都市基盤整備公団と八王子市とフュージョン長池が3者連名で応募したもので、美しいまちなみ大賞をいただきまして、扇大臣の表彰状が届いてまいりました。
 そんなふうに世間の、市政、都政そして国政のレベルまで応援をいただけるような形になって今日を迎えています。
 その間、長池ネイチャーセンターという建物を欲しかったです。正直、管理運営できたらいいな、地域拠点としても欲しかったし、自分たちの財政面の基盤としても欲しかったし、自分たちの事務局が、もしかしたら、そのうちごちゃませで事務局になるかなと。自分たちの居場所としても欲しかったです。だけども、一切政治力を使いませんでした。市会議員の方々で、ある種好意ですけれども、間に入って交渉してあげようかという人もいました。一切お断りをしました。住民の署名運動みたいなものも一切しませんでした。そういうことじゃなくて、僕は営業マンで、生意気なんですが、営業の極意、売れてほしいけれども、最後にお客に買いたいと先にいわせるのが究極のセールスなんです。そうすると、値段は限界まで高く売れます。
 だから、欲しいという意思表示はするけれども、市長と一緒にフォーラムをやったときに、「あの建物をだれが受託するのかな。私ら欲しいな」ということはいってみましたけれども、一切市長のところに交渉しに行ったこともありません。
 ことしの1月中旬に八王子市の公園課の課長から第1報の電話が私の携帯電話に入りました。「少々お話し合いがしたいので、市役所までおいでいただきたい」という、まことに丁重なごあいさつから始まって、3月市議会で通りました。市議会の議案文を見てびっくりいたしました。八王子市の公園条例の中に管理委託という条項がありまして、そこに追加条項として、「長池公園自然館の管理運営を特定非営利活動法人NPOフュージョン長池にこれを委託する」と、名指しでした。そこまでいっちゃったんです。
 それを背景に4月から6月までの3カ月間に交渉しました。民間委託にして、あとは入札にするということでしたら、強気で向こうは値段折衝からいろんなことができるわけでしょうけれども、私の場合には後ろがもう決まっているわけです。委託するという固有名詞も入った法律になって通過している。私は絶対にけんかしません。けんかすると、お客さんには絶対負けますので、行政権限とけんかして勝てるわけないと思っていますし、地域住民とけんかすれば僕は絶対に負けますから、絶対にけんかしません。ぽんぽこぽんぽこと仲よくいいます。最後には、市役所の中からも「富永の好きなようにやらせろ」といってくれる。そういう絶大なるエールのおかげでかなり強気の折衝を、最後の土壇場の、6月27日に調印しましたけれども、そこまでやりました。
 そのおかげで契約内容の自由度はかなり広がりました。そのおかげで、町の人たちに、場合によってはただで貸してあげることもできるし、いろんな意味でハードルを下げて、随所で飲み物を飲んでもいいということになりましたし、工作室ではお昼に入ってきて弁当を広げてもいいということになりましたし、いろんなことが可能になった。
 とにかくそれが可能になったのは、市長とその側近に理解者がいて、NPO法人フュージョン長池に任せたんだから、自由にやらせろというのが好意の話として飛んできております。
 今現在は実はフュージョン長池の事務局は住所は別のところに置いてあるんですが、ほとんどネイチャーセンターに電話がかかってくる。そうすることによって、フュージョンの事務局経費は格段に下がりました。経費がかからないので、住見隊とか、高支隊とか、夢見隊の事業を焦らないで、真っ当に地域の世論を形成するような思いで、ゆっくりゆっくり形成することができるような環境が整いました。
 これを僕は「亀さんイヤー」といっているんです。行政は物すごい速いスピードで行政改革を求められていますので、行政もドッグイイヤーかキャットイヤーで動かなきゃいけないし、企業もITの時代にドッグイヤーとかキャットイヤーといわれるようなスピードで動かなきゃいけないんですが、地域住民というのは暮らしの場ですから根っこがボランティアであるものですから、7日分の何日分かのエネルギー、0.何日分のエネルギーでしか地域のことを考えておりませんので、ゆっくりやるしかありません。そのゆっくりやることと速いスピードとを融合させることができてきたかなと思っています。
 その亀さんイヤー、タートルイヤーを共有しながら、フュージョンさせることができるようになってきたのかなと思います。
 最後に、公園とか公共のものは利用権と使用権というのがあるというのを、地方自治法の勉強を始めまして知りました。使用権という考え方にネイチャーセンターははまっているために販売活動ができません。ところが、先日東京都の所有する井の頭公園にジブリが財団法人をつくって、ジブリ美術館というのをつくりました。そこは利用権という考え方になっているんです。利用権ということに法律改正をすると、販売ができる。使途を明確にしなきゃいけませんので、そこから上がってくる事業収益というのは必ず公園の管理であるとか、ジブリ美術館の管理運営に使うということは約束しなきゃいけません。ほかのことに流用してはいけませんけれども、利用権ということになると、公園とかそういう公共設備で売り上げを上げることができる。ですから、僕はネイチャーセンターを経営する時代、公園を経営する時代がNPO法人と上手に八王子市がタイアップすることでできるんじゃないか。
 まさに三鷹市が財団法人をつくることで、ジブリという民間企業、徳間書店という民間企業と日本テレビとの民間企業をつくって、財団法人という構えをすることで、美術館を経営していっているんです。
 NPOも財団法人も非営利活動法人になりますので、考え方の原点に違いはないわけですから、僕らもやりようによってはできるかもしれないということを思っています。そうすると、何が起こるかというと、行政の方々の財布をあまりあてにしなくても、自前で稼ぎながら、要は受益者負担をある程度期待をしながら、公園経営、建物経営ができるんじゃないか。それを発展させると、ひょっとすると、NPO法人で地域を経営することが可能になるかもしれない。もしかしたらこれこそが究極の地域のプライベート・ファイナンス・イニシアチブ、PFIになるのかもしれぬなと、きのうあたりも改めて思ったような次第です。
 この辺で終わりにいたします。ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

谷口(司会)
  どうもありがとうございました。
 残りの時間が20分ぐらいありますので、いつものように質問、ご意見その他承りたいと思います。どうぞご自由に挙手をなさってお話しください。

市川(中野のまちづくり考える会)
 市民運動をやっておりますので、きっとどこかでそちらの方にお会いしたと思います。中野の方でまちづくりという形でかかわり始めたもので、そのうちにそちらがあるということを知りまして、来させていただきました。
 行政とあまりかかわりがなかったということで、お話を聞いていると、とにかく夢がいっぱいあって、これからも何かおやりになるご様子で、しかも高齢者の支援事業をこれからもやっていかれるようなことをおっしゃいました。正直いうと、今高齢社会に突入して、私も八王子に何回か、私の母の介護ということで行ったことがあります。永山あたりもちょっと見ました。高齢者のための病院がありますから、グループホームも土地とかお金を集めればできると思うんです。去年、在宅ケアセンター成瀬というのが町田にありますから、そちらの方も見学いたしました。
 正直いいまして、私の住んでいる町、ここら辺もそうですが、とにかく土地はない。土地があっても、建築会社が買い取っちゃって、10階以上のビルを建てたり、そういうことで、グループホームや何か建てたいと思って、支援をお願いしていますが、そういうこともできないんです。そういうことをこれから先、行政とかかわりなくという形ではなくなると思いますが、どのようにやっていかれるのか、それをお聞きしたいと思います。

富永
 自分たちは最初から完全にボランティアだったので、行政を意識する必要がなかったというのがまず出だしでした。途中から行政の方との関係も出てきてということで始めています。だけど、いつの時代も、僕は行政は後からついてくるものだと思っています。例えば、極端な話で、明治維新のときでも、明治新政府が先にできたのではなくて、薩長連合が動いて、徳川政権がつぶれるという事態があって、その後の明治政府の行政のスタイルは、新しい時代に求められる社会秩序としてでき上がったものだと思うんです。
 ですから、今日、どうも自分も納税者という立場を意識し始めると、先に行政にお願いをして何かをやり始めるという意識が強いんです。よく、みんなにいいます。多摩丘陵の昔に保育園があっただろうか。養護老人ホームがあっただろうか。そういうことがなくても、みんな助け合いながら、何とかかんとか、子育てから老人介護までを地域の村社会の中でやり抜いてきたのではなかろうか。先に行政システムがありきで物事を考えるのではなくて、自分たちの幸せは自分たち地域住民がかち取るという動きをすれば、必ずそれは民意だから、行政も企業もついてきて応援をしてくれざるを得なくなる。それが市場経済だし、行政もそれを応援せざるを得なくなるのではないかと思ってきました。
 それと、我が町に僕らの事務所がどういうところにあったかというと、最初の出だしは私の家。今でも本籍は私の家。一番最初の事務所がわりが保育園、その次が学童クラブ。その次が公団の会議室。まちづくり館という町を紹介する建物の中の会議室。それから学校の体育館の中の会議室。家賃のかからないところを転々としながら、この何年間かを耐え抜いて、欲しがったのは欲しがったんです。徹底的に欲しがったわけではなかったけれども、応援される形で場所を得た。
 だから、僕は自分たちが立ち上がって行動することと、実体を先につくり上げることがすべてではないかなと思っています。
 ですから、おつまみ作り隊みたいなもので、配食サービスみたいなものが立ち上がるとしても、我が町は我が町の独自のスタイルでつくり上げて、もし必要であれば行政とのつき合いも後から始まるだろうなと思っているわけです。だから、自分たちが自由に自立して先行するという形でやってこそ、自分の町は自分たちで守っていくということだと思っております。
 だから、中野だとか、いろんなところにも公的な場所があるはずです。活動が実体を持ってくれば、それを周りはもう無視できません。学校の1室であるとか、公民館の1室だとか、どこかにスペースはあると思うんです。そういうところに置いてあげようじゃないかとなる世論をどう形成するか。その世論を形成するに値するだけの実体を先につくり上げられるかどうかの方が重要なのではないかと思っています。

  松井(松井一事務所)
 きょうはいいお話をたくさん聞かせていただきました。地域通貨、エコマネーのお話が出るのかなと思っていましたが、そこら辺の展望をお聞かせいただきたいと思います。

富永
 地域通貨、エコマネーといわれるものですね。私も勉強を少々しました。自分たちのお仲間プラスアルファというか、正会員の人の中で、多摩ニュータウンでちょっと有名になりました「コモ」というエコマネーをやっておられる方々があります。ただ、僕は、イギリスや何かでエコマネーが出てきたときは、本当に経済が疲弊して、本物のお金が流通しないので、地域通貨を独自につくって回さないとどうしようもなくなったからだと聞いています。日本の経済力からすると、かなり疲弊しているところに行っても、そこまでいってないんですね。本当の意味でのイギリスや何かが生み出したエコマネーではないと思っています。物々交換のための物差しであったり、人の温かい心の好意の対価を明確にしようとしたり。
 だから、コモというエコマネーも、ワンちゃんを散歩に連れていってあげたから、100コモとかやっております。それは別に決して悪いことじゃないと思っています。ところが、僕は話が難しいって、拡大しないと思っているんです。エコマネーと聞いたり、地域通貨と聞くと、それは一体何だろうと、まず能書きをいわなきゃいけないんです。能書きをいおうとすると、意見が百出して、地域というのは必ず異論を唱える人がいてもめるんです。地域と議論したくないというのが僕の思いであります。
 そこで、ヒマワリの花の銀行というのを自然館で始めました。この夏にヒマワリを咲かせくれた人たちがいまして、ヒマワリの種が収穫されて、置き場所がないのでというのが実態だったんですけれども、ネイチャーセンターに持ってまいりました。大量に持ってきたんです。しようがないので、プラスチックの引き出しがいっぱいついているのを買ってきて、乾かして干した上でそこに入れてあります。「これ、どうするかね」といって、みんなで知恵を出しました。私がフッと、「そうだ。花の銀行をやろう」といったんです。
 今ストックされているヒマワリの種を小さな袋に入れて、もらっていってくれる人たちに渡しています。「これ、銀行だから、あなたたち借金して帰っているんだから、来年は巨大な利子をつけて持ってこい」といっているんです。「利子をつけて持ってくるのもいいけれども、次は何か球根を持ってきてもいいよ。いろいろ持っていらっしゃい。花と花との物々交換をやろうじゃないか」といったら、この間コスモスの種を引き出しの中にこっそり置いていってくれた人がいました。名前ぐらいいっていってほしいなと思います。
 それが始まり始めました。地域通貨、日本型エコマネーの思いを込めて、花の銀行、花の物々交換というのをやり始めています。これを見ていただけたらと思います。

谷口
 大変多彩な事業活動をなさっていますが、どのくらいの事業規模、つまり予算、決算規模、それからその中に占める長池ネイチャーセンター管理費がどのくらいのものかを、ちょっと差し支えない範囲で教えてください。

富永
 こういうときに興信所みたいなに聞いていいですよといっていますし、私は一切ガードをしない人なものですから、率直に申し上げます。八王子市から出ている予算は1280万。長池ネイチャーセンターの建物の管理、それから活動費、人件費、そういったもので1000万です。250万円がその館の清掃用の予算です。目的化されていますので、自分たちの人件費や何かに一切使えなくて、この250万というのは清掃事業者に払い出すだけです。だから、僕らはただ働きです。
 長池里山クラブというのが里山活動をやっています。任意団体です。公団さんが3年間事務局をやってくれて、大分経費を持ってくれていたんですが、今年度から住民が引き継ぎまして、それを何とか八王子市から年間30万だけ経費を引っ張りだすことに成功いたしました。この部分も再委託ですので、30万は全部それにいっています。
 ただ、フュージョンの特別会計ということに1280万がなっています。公的資金が出ていまして、これをフュージョンのほかの事業と区分けをしなさいということになっていますので、1280万というのは特別会計です。それ以外の事業が一般会計になっています。
 この6月の通常総会で決議した一般会計の予算は何と3000万だったんです。目算はあったんですけれども、事態が急変をしたとか、いろいろ思うようにいかないことがいっぱい出て、全く思うようにいっていません。ですから、3000万規模の予算計上をしたんですが、1000万に満たないで終わるのではないかと思っています。
 ですから、今年度締めると、2000万強ぐらいの事業規模で、4200万〜4300万までいくかなと思っていたんですけれども、2200万〜2300万ぐらいの事業規模で終わるんじゃないでしょうか。
 ただ、平成11年度実際の売り上げ金額が150万円ぐらいでした。平成12年度が1200万ぐらいだった。ことしはほぼ倍増という形で動いております。来年度予算どのくらいで組めるかです。だから、人件費が大体3割と思っていただければ結構ですので、事務局員を真っ当にフルタイムで正規に若い人を雇ってなんてことができない事情があります。自然館で時給850円で働いてくれているおじいちゃんとか、主婦の方々がプラスアルファでNPO法人の事務局を兼務して動かしているというのが実体です。これが正直なNPOの実体です。 

佐藤(QUEST)
 都市公団のOBでございます。
 3つお尋ねさせていただきたいと思います。50人の正会員で地域にお住まいの方は1万戸ということでございました。ネットで十分な通信をされているんだろうと思いますが、やっぱり浸透の度合いとか、活動の度合いはどんな段階になっているのか。1万世帯かもしれませんけれども、全体でどんな段階で、活動、参加の状況がどの程度になっているかというのが1点。

富永
 現在平成13年の個人正会員を9月の30日で締め切りました。65人です。正会員の位置づけは、NPO法人の経営に意欲を持って意識がある人であってほしいと願っています。そういうふうに露骨にいってはいけないという法律ですので、露骨にはいえませんけれども、僕がよくいっているのは、デパートの特典会員とは違うということです。この65人が年会費3000円払っているんだから、富永よ、おれたちに対してもメリットは何かよこすのかというふうにいうなといっています。
 ですから、65人というのは地域の事務局だといってます。地域に対して公益的な活動をするために意欲を持って集まった人たちなんだから、外に向かって社会貢献をするのが正会員である。本当に意識の高い人たちが正会員であってくれればいいと思ってます。
 ところが、そうすると、今度はなかなか周りに広がりません。ぽんぽこネットというメーリングリストに今350人ぐらいの人がつながっています。でも、1万世帯ですから、3万数千人ぐらいの人が住んでいる中で、わずかに350人〜360人でしかないんです。その中でも日常的に会話をしてくれるのは、そこで発言するのは10人から20人なんですよ。本当に大したことありません。だから、一番威力を発揮しているのが、先ほどいいました地域1万世帯に全戸配布しているかわら版が年4回配られるということです。
 もう1つ、フュージョンの最大の強みと弱みはおやじたちばっかりということです。ですから、今までに見なかった前例のない活動がこれだけ豊富にできてきたのは、お父さんたちのマネジメント力によるわけです。ところが、お父さんたち、土日しか活動できないし、土日もフルタイムでやれるわけでもありませんので、日常的に手が足りなかったんですが、ネイチャーセンターができて一気にリズムが変わりました。
 特に夏休みが終わって、月間5000人〜6000人の来館者数が落ちてない。夏休みはもちろん、子供たちと親たちがいっぱい来たわけですけれども、そろそろ静かになったというので、高齢者と小さな子供たちを抱えたお母さんたちが来るんです。それから、これをいうと怒られるんだけど、暇を持て余した奥さんたちも来るんです。
 その人たちが、正会員でもないし、賛助会員でもないかもしれないけれども、町のことに興味を持って、さまざまな活動に威力を今発揮し始めているので、やっと人的に老若男女という意味で、バランスがとれ始めてきたかな。
 そして、学校の先生たちと子供たちも、例えば、隣の小学校の工作の先生が1クラス連れてきて、きょう午後工作教室を使ってくれているはずです。学校と子供たちとの交流も始まって、やっとバランスよくその地域に根ざし始めたのかなというステップだと理解いただいていいでしょうか。

佐藤(QUEST)
 どうもありがとうございます。
 今女性のお話もありましたけれども、奥様方の参加との関係も重要かなと思うんです。お父さんが中心に活動されているということのようですが、今後その辺はどんな状況になっているのか。今後どうされるのか。

 富永
 ですから、これからお母さん方がある種バランスよく表に出てくる時代かなと思っています。というのは、98年の4月からぽんぽこネットというメーリングリスト、インターネットを使って情報交換を始めたんですけれども、お父さんたちの年齢も結構若い、子育て真っ最中ということは、お母さんたちの年齢はもっと若くて、ちょうど幼稚園から小学校低学年ぐらいの段階の子供たちを大量に抱えていたり、小学生ぐらいのところまでですので、お母さんたちは今までは子育てで手いっぱいで、お父さんが地域で遊んでくれることを喜んで見ていた。インターネットをやろうとしても、小さい子が来てバチャッとボタンを押したりするものですから、腹が立っちゃってやっていられませんというのがお母さん方。
 それと、まれに見ることにおやじたちが一生懸命やり始めてうれしくなっちゃって、要望されるまでは出ていかない。ところが、祭りだとか、何かのときにスポットでは、屋台の野菜切りとか、女性の手が必要なときには出てきてやってくれる。お父さんたちが前面に出て、お母さんたちが後ろに隠れているというのが今までの状態だったんですけれども、そろそろ子供たちが中学生に飛び込み始めて、お母さんといえども相手されないという事態になると、今お母さんいろんなことを思い始めてます。
 そこで、おやじたちの間に出ていくのは女性たちも嫌ですね。我々おやじたちも女性が先につくったコミュニティに出ていくなんてまっぴら御免です。おやじばっかりいるコミュニティにお母さんたちがもろに入っていくのは苦手です。ところが、ネイチャーセンターという活動拠点を得たことで、押し花教室であるとかコーラスグループ、茶話会、子育てグループ、絵本の読み聞かせ会、ここに来てお母さんたちがいろんなサークル活動をつくって、私の目の前の見えるところに出てくるようになった。この人たちがまた独自の活動形態を組み立てていくんじゃないでしょうか。
 ところが、この人たちは、NPO法人なんてややこしい法人の経営主体になる気はありません。一部の物好きなおやじたちが一生懸命になってあくせくして、ボランティアからビジネスまでマーケティングしていますけれども、それはある種マネジメントですから、おやじたちに任せていればいいと思っていますので、彼女たちはおすそ分けのおつまみ作り隊とかいったら、一生懸命になって料理をつくってくれて、配ってくれたり、女性的なテーマがこれからどんどん出てきて、広がりを持っていって、女性たちの出てくる部分もできてくるのかなと今思っています。

谷口
 ありがとうございました。
 ちょっと時間が過ぎましたので、きょうはこれで終わらせていただきたいと思います。本日はフュージョン長池理事長の富永一夫さんにおいでいただきました。どうも大変長い間ありがとうございました。(拍手)


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