back

第170回都市経営フォーラム

都市再生と経済対策

講師:八田 達夫 氏
東京大学空間情報科学研究センター教授


日付:2002年2月13日(水)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

 

1.総合規制改革会議の都市再生政策

2.東京の成長の原因

3.集積の利益

4.集積の弊害

5.都心分散論は正しいか

6.都心居住促進策は正しいか

7.東京都心容積率の費用便益分析

8.国土の均衡ある発展論は正しいか

9.公共投資の都市地方間分配

10.大都市内の公共投資基準

11.東京の潜在力

フリーディスカッション

 1.総合規制改革会議の都市再生政策

 八田でございます。
 都市再生ということがここのところずっといわれているわけですが、この理由は何かということが問題です。まず現実的な観点から見たら、自民党が選挙で都市部において負けた、それでこれは放っておいたら大変なことになる、だから都市にお金を回さなきゃいけないということになった。そこで、急遽都市再生ということをいい出した。私は、元々のきっかけはそんなところだと思います。そして、景気対策にもなりそうだということで、そのアイデアがいろいろ広く受け入れられた。ついには、都市再生本部のようなところが活発にプロジェクトベースで動き出した、そういうことが現状じゃないかと思うんです。
 裏を返してみますと、基本的な哲学がない。日本の再生のためには都市再生がどうしても必要なんだ。資源を地方から取り戻して都会に戻すことが全体としてみたら、日本のためにいいんだ、だからそうするんだという理屈づけがあまりない。それなしに、見切り発車でとにかく都市に金をつけろということで今一生懸命走っている、そういう状況ではないかと思います。
 実は、今行われようとしているもろもろの都市再生政策の多くは、長い目で見て日本のためになる、どうしても必要な政策です。それをきちんと整理して、なぜそういうものが必要なのかを明らかにする必要があると思っております。
 まず、具体的に私の関係しました総合規制改革会議で打ち出した幾つかの政策がございます。これは各省との折衝の結果、12月11日に規制改革推進に関する第1次答申としてまとめられまして、それの最大限の尊重ということが後で閣議決定されました。閣議決定されるということがあったので、各省庁とも、非常に慎重に交渉に臨まれたんですが、都市再生の分野に関していえば、1年前には考えられないぐらいの大きな進展がもろもろのことであったと思います。
 総合規制改革会議の第1次答申には都市再生に関して実に多くの政策が盛り込まれています。それら全体を私自身は以下のように見ております。まずこれらの政策で盛り込まれているのは、都心の土地の有効利用を図り、都心の土地の活性化を行うということです。しかし、そういうことをやると必ず副作用、すなわち通勤混雑が発生します。しかしこの対策としては、通勤混雑自体に対して直接的な対策を立てるというのが基本的な考え方だと思います。都心の土地を有効に使い、活性化する、しかし、それによってもたらされる通勤混雑の弊害に関しては、混雑自体に対する直接的な対策を立てるというのが都市再生策の基本方針です。
 具体的に申し上げますと、第1に、通勤混雑のときには時差料金をかけることです。ピーク時に高い料金をかけて、オフピーク時にただ同然の料金にする。これによってピーク時の乗客をオフピーク時にシフトさせる。今30分ぐらいが本当のピークで、その後がまだまだ乗客を運ぶ余地がありますから、そこに乗客を移すわけです。これは現制度でも、鉄道事業者がやろうと思ったらできるのですが、やるインセンティブが全く与えられていない。もしそういうことをしてピーク時に高く取れば、そのお金をオフピークの料金低減に全額使って、全体で合わせて総括原価主義になるようにしなければならないという仕組みになっている。事業者にとって、時差料金制を採用するのが得になるようなインセンティブを与える規制に変える、そういうことを年限を限って2年以内に検討するということが決まりました。
 第2は、都市計画における特別に高度利用を図る地区を指定する必要があります。これは都市再生委員会の方で後で決まりました特区と密接に結びついています。特定の、特に複数の地下鉄の駅があるところについては、特別な地区として容積率を大幅に引き上げて、集中したビジネス・ディストリクトとして活用する、そういう考え方です。
 第3は、都心再開発を妨げているさまざまな制約を取り除くことです。再開発における認可の迅速化。用地買収型の再開発への民間の事業者の参入。そういうようなことです。さらに収用法の改正、あるいは少なくとも運用の改善も重要です。自動車道路ができないということだけで、再開発には随分不確定要因になりますから、一定期間内にきちんと収用できる、そういうことにする必要があります。再開発の迅速化は、都心の活性化の鍵です。
 第4は、都心の容積率を用途別にその根拠の説明を果たすことです。なぜこれだけの容積率にしているのかという理由をきちんとはっきりさせる。今までのように、環境のためとか、インフラのためとかいうことを何となく大まかにフワッといって、それだけでいきなり容積率幾らというのではなくて、用途別に、住居用にはこれだけなきゃいけない、ビジネス用にはこれだけ制限しなければ、こういう問題が起きる、そういう理由をきちっと説明すること、そういうことが盛り込まれました。
 これは、先ほど申し上げたように、混雑に関しては混雑自体に対策を立てて、それ以外のことに関してはできるだけ都心の活性化を図ろうというものです。これは従来の都心政策とまるっきり違うわけで、従来の都心政策は、通勤混雑がある以上都心のビジネス・アクティビティー自体を減らそうという、いわゆる成長管理政策をとってきたわけです。それで、都心のビジネスに使うフロア面積をきびしく制限してしまおう、というのが従来の考え方。
 容積率のような副作用の多い通勤対策を道具でやるのではなくて、副作用の少ない混雑対策として最も有効な対策を立て都心の土地利用の有効化を計る、そういうことにしようというのが大きな都心政策の変更だと考えることができると思います。
  さて、このような政策の変更を制度化できるのか。個々の政策じゃなくて、全体として見て整合的な政策はどう組み立てるべきか。それをきょう考えていきたいと思っております。



2.東京の成長の原因

 一般に都心を集積させることによるメリットとデメリットを比較してみよう。明らかにデメリットもある、メリットもある。これをどうやって比較したらいいか。今まではメリットの方がほとんど強調されずに、明らかにデメリットがあるということだから、制御しなきゃいけないということをいわれてきたんですが、これを数値的に何円メリットがあって、何円デメリットがあるのか。容積率を緩和するときにそういうものをどうやって測定するのか、そういうことを議論したいと思うんです。

(OHPー1)
 そのためには東京がここまで一極集中といわれるような状況で成長してきた、この理由をまず考えてみようと思います。
 「東京は一極集中の原因は、東京の政府にありとあらゆる権限が集中されて、規制がこれまでずっと強まってきたからだ」という意見がいろんな方面から聞かれます。
 しかし、本当に戦後、規制が強化されつづけてきたのでしょうか。まず60年代の初頭は貿易が自由化されていませんでした。例えば、各鉄鋼会社は、どれだけ鉄鉱石を輸入してもいいかという通産省の許可を得て輸入できた。通産省は各鉄鋼会社に対して絶大な干渉権があった。例えば、住友金属が溶鉱炉を建てたいといったときに、「市場全体の需給のことを考えたら、供給過剰になるから、おまえのところはだめだ」と通産省がいった。住金の社長の日向方斉氏がそれを押し切って頑張ろうとしたけれども、そのときに何で通産省が何せそういうことを言えたかというと、「うちのいうことを聞かないなら、鉄鉱石の割り当てをやらないぞ」、といえる規制権限があったわけです。今では考えられないような強い規制権限を持っていたわけです。
 それから、資本も自由化されていませんでした。海外から資本が入ってくるなんてとんでもない話で、今のように、銀行をどんどん外国の銀行が買っていくなんてことは全然考えられない。これも後で、1960年代に初めて緩まったことです。それから、為替レートも固定されていたし、金利も固定されたし、全部その裏には規制当局の権限が集中していた。その時代から考えると、本当に規制が緩やかになって、行政の裁量は小さくなった。通産省なんてほとんど規制権限はなくなっちゃたといわれている。
 それなのに、東京にビジネスも人もどんどん集中してきたわけです。集中の原因は規制だ政府だというのはどうもおかしい。実際、各種のアンケートを見ますと、おたくの業界が東京に本店、本社を持っていることの理由は何ですかというアンケートに対して、多くのアンケートで、自分の業界や他の業界からのインフォメーションを得ることができるということを第1に挙げていて、政府があるからということは非常に下の方に来るということが多い。
 例えば、1980年代の後半にとられた国土庁のアンケートはまさにそういう結果でした。その後の幾多の結果が、まずほかの業界のインフォメーションがとれるということ。あるいは人材を採りやすいということを東京に本社を置く重要な理由として挙げている。しかし、政府があるからというのは非常に下の方に来る。
 実は三菱総研のアンケートでは、都心に本社を持っている400社に対して、「もし新しい首都ができたらば、本社を移しますか」という質問に対して、「移します」と答えたのは400社のうち3社しかなかった。「一部を移します」という会社はかなりあった。だけど、「全部を移します」いうのはたった3社しかなかった。これは、政府があることが東京に本社を置いていることの理由ではなくて、むしろほかの業界とのインフォメーションを交換できるということが理由であるかということを示していると思います。
 したがって、首都ではないニューヨークという大きな町があり、それから、メルボルンもシドニーも首都キャンベラよりはるかに大きいことの説明になると思います。
 東京の成長も、政府の存在では説明できない。そうすると、東京のここまで成長してきた理由は何だろうかということになります。
 第1の理由は、日本経済全体の第3次産業化・都市化です。

(OHPー2)
これは私が好んで使う絵ですので、ごらんになった方もいらっしゃるかと思いますが、1965年から1990年、両方とも景気のいい年同士の比較で、その25年間に昼間の人口がどう変化したかというのを見てみます。夜間人口を見なかったのは、市町村合併で町が大きくなると、夜の人口は途端にふえます。ところが、昼の人口は郊外からも勤めで来ている人もいますから、市町村合併による人口増が少ないからです。この図を見ると、わかるのは、東京一極集中ではなく、基本的には多極集中であるということです。顕著なのは、札幌、福岡、仙台、広島、こういう地方中枢都市が、この間に非常に大きくなっている。関西でも、神戸、京都なんかもちゃんと大きくなっている。
例外すなわち小さくなった都心は2つしかない。これは全般的にいえば、日本の産業の第3次産業化が起きて、50万以上の人口の都市に、それより小さい市町村から人々が集中してきたことの反映です。要するに、日本が都市化してきたということの反映であって、東京だけが伸びたのではない。東京の成長というのは、日本全体の多極集中化の一翼を担った側面があるというのが第1に押さえるべきことだと思います。
第2は、都市間交通費の低下です。
図から明らかなように、人口の減った大都市は北九州と大阪です。北九州市が減ったというのは、恐らく2つ理由がありまして、1つは、北九州は鉄鋼の町でしたから、鉄鋼の衰退とともに、町の勢いがなくなってきた。ほかの町と比べて、城下町的な側面が非常に強い町だった。もう1つは、非常に近くの福岡と新幹線で20分ですし、新幹線は日本じゅうの新幹線の駅区間で、博多−小倉間が一番乗客数が多いそうで、事実上1つの町になってしまった。小倉に住んでいて、福岡に通うという人は幾らでもいる。そういうことになってしまったということで、これは例外です。
 もう一つ、大阪の人口も減っている。関西の地盤沈下というよりは、大阪の沈下です。90年までとったというのは神戸の地震の前までですから、少なくともこのときまでは神戸も京都も伸びている。大阪はなぜ減ったかということです。これの理由はいろいろあると思いますが、一番大きい理由は、本社機能が東京に取られてしまったということだと思います。
ご存じのように、戦争前までは大阪の産業は東京よりも大きくて、日本全体が「2眼レフ体制」といわれていました。大阪は西日本経済圏の中心地でありましたし、東京は東日本経済圏の中心地であって、大阪には多くの会社の本社があったわけです。例えば、日本生命、住友関係、そういう非常に有名な会社は、もともと大阪の会社です。活動の中心が東京に移っていってしまったわけですが、今でも本社は大阪です。年代位までは強力な西日本経済圏が存在していたわけです。
 ところが、いまでは多くの会社の本社機能が東京に奪われていった。例外はありまして、製薬会社なんかは今でも大阪に残っていますが、ほかの多くの産業が移っていった。この理由は何でしょうか。西日本経済圏があった理由は、そもそも都市間の交通費が非常にかかったためです。交通の時間もかかった。このため九州の支店にとって、東京に本社を持つということは大変なことで、20時間以上かかって、夜行列車に揺られて行かなきゃいけなかった。また戻ってくるのに20時間。これが、大阪であれば、夜行で行けばもう朝着いてしまう。格段の違いがあったわけです。
今の方にはなかなかわかりにくいかもしれないですけれども、私の子供のころの50年代、60年代の前半も、汽車に乗る、長距離のブルートレインに乗るといったら、だれか涙を流している人がいるし、そこら辺で万歳している人がいる。多くの人は人生の一大転機にしか長距離列車に乗らなかった。そのくらいお金もかかったし、そんなにめったにやることじゃなかった。それをしょっちゅう東京まで出張するというのはとても大変なことだった。それで、九州とか四国、近畿圏は大阪に本社を持ち、いろんな商売の決済も大阪で行う。そのために西日本経済圏というものがあった。
ところが、飛行機代が安くなって、新幹線でも東京にどこからでも行けるようになった。東京から全国の町に日帰りで行けるようになった。そうすると、何も本社のある都市を2つに分けてもっておくことはないわけで、一番集中しているところに来ればいいということになって、東京に移ってきた。
したがって、大阪だけが減っている理由は、東京の成長は単なる多極集中の一翼を担っただけでなくて、特殊な事情があって、大阪の機能を代替するようになったということがもう1つございます。
その裏には、何も小難しいことじゃなくて、非常に技術的な交通費の低下という理由があった。いかんともしがたい交通費の低下という客観的な状況の変化のために、東京が大阪の機能を代替することになった。そういうことがあります。



3.集積の利益

 こういうことでもって東京が伸びてきた。しかし、いったん東京が伸びると、次には集積の利益が発生いたします。集積の利益がますます東京を大きくするわけですが、次に集積の利益についてお話ししたいと思います。
 集積の利益とは何かというと、結局先ほど申し上げたように、都市にオフィスを構えると、ほかのオフィスの人たちと話ができる。その利益があるということです。例えば、渋谷と大手町を比べますと、バブルのときも今もオフィス賃料が大体倍違います。では賃料が倍違うのに、なぜみんな、どこの会社も渋谷にオフィスを置かないのでしょうか。高い大手町になぜオフィスを構えるかというと、大手町に行けば、1日に会える人の数がうんと増えるからです。
 例えば、金融業で機関投資家を相手にしているような会社、外資系のソロモン・ブラザーズとか、そういう会社が大手町にオフィスを持っていますが、そういう会社にとっては、そこで高給をはんでいる職員が、1日になるべく多くのお客さんに会えた方が便利だ。それは大手町ならば、お客さんである機関投資家の会社に歩いて説明に行けるし、そうでなければ5本の地下鉄を使ってどこでも行ける。渋谷だと、なかなかそうはいかない。
 そういうことで、お客さんに最も会う必要があり、お客さんに会うことによって生み出す取引の額が非常に大きい金融業の多くは、大手町、丸の内かいわいに固まっています。それほど多くの人に会うわけでもない日立はお茶の水にあり、ホンダは青山1丁目にあり、ソニーは品川にある。要するに、そこの会社のニーズに従って立地を選んでいるわけです。
 そうすると、企業は、どこに立地するかを、@ほかの会社とどれだけ会うかという必要性とAオフィス賃料との勘案で決めている。すなわちある地とすると、どのくらい時間が節約できるならば、そういう賃料の高いところに価値があるのかということを計算したくなります。
 皆さんの多くがご存じだと思いますが、石澤卓志さんという、もと長銀総研で、みずほ総研におられるオフィス研究の第一人者の方がいらっしゃいますが、石澤卓志さんが昔計算されたので、大変おもしろいのがあります。平均的なホワイトカラーを考える。その人が使うオフィススペースなども計算した上で、渋谷から大手町にその人が移る。そうしたら、オフィス賃料が倍になるわけですが、にもかかわらず、それが1日何時間節約できればペイするか。要するに、人に会うのに時間を一日に7時間も8時間も節約できるというなら、それはもちろん問題なく移った方がいいでしょう。万一、ほとんど節約できないというなら、渋谷にいた方が、安い賃料でいいだろう。では何時間ぐらい節約できれば、その倍の賃料を正当化できるかというと、1日1時間節約できれば、渋谷から大手町に移ることがペイするということを計算で示しました。
 集積の利益というのはそういうものです。集積の利益は、ほかの人にフェース・トゥ・フェースで会える。会える数がふえる、それが非常な価値を生むということです。ビジネスというのは、ご経験から明らかなように、人の表情を見ながら話すことで随分時間が節約できるということのためです。
 次に、集積の利益にはオフィスサポート業があります。ある程度の集積があると、例えば、国際税務をやる会計会社というものが成立する。大阪にもありますが、東京の方がはるかにいろんな機能を持っている。外国と交渉する弁護士事務所も東京にある。これもある程度の規模があるからできる。もっと卑近な例では、エレベーターのサポートとか掃除会社、そういうものもオフィスのたくさんあるところでは、安く、競争的なサービスがあるということになります。
 それから集積しているところでは、交通の便がよいというのも明らかだと思います。ただ、日本じゅうどこでも行けるだけじゃなくて、頻度も高くなる。例えば、大阪に行くにも、福岡に行くにも、スケジュールをほとんど見なくても、飛行場に行けば乗れる、そういう頻度があるということは大いなる時間の節約になります。
 こういう集積の利益があるということを考えますと、オフィスをどんどん集めればいいのかということになります。例えば、香港三菱商事の社長さんに伺いましたところ、「香港では、食事の後のパーティーに呼ばれたときに、とにかく4軒は行く」というんです。「香港のセントラルという狭いところに、パーティーするところがみんな詰まっているから、4軒ハシゴができるんだ。それを、ほかの先約がありますから行けないと断るわけにいかない。東京は1軒だ」というんです。「東京はやっぱり広がっているから、そんなに4軒も行けるはずがないとみんな思うからだ。実は、それは象徴的で、昼の仕事もこうなんですよ。昼の仕事も物すごい数のビジネスができるんです」。そういうふうにいってらっしゃいました。



4.集積の弊害

  そうすると、香港のように、徹底的に集中して、ビジネスするのにかける時間を最小限にできる町にするのがいいのかという疑問がわいてまいります。もちろんそれにはコストがあるわけで、それがこの「集積の弊害」です。これにはさまざまなものがありますが、一番顕著なものは、通勤の混雑ということだと思います。とにかくそこに就業している人を運んでこれなかったら話にならない。混雑が起きるということがその制約であります。
 もう1つは、集積すると地価が高くなること、これが問題だという説もあります。弊害として普通挙げられるのは、混雑と地価、この2点だと思います。この場合に、地価と混雑はどう考えたらいいかということですが、まず私は地価は問題にならないと思います。地価は高くて全然構わない。
 これはこういう例をお考えいただければいいかと思います。例えば、日比谷公園を東京都が、民間開放するとしましょう。そうなると、好きな人は勝手に使ってくれというだれでもが、あんな便利なところはないからと、テントを持っていって、ここはおれの縄張りだと主張する。日本全国から押し寄せる。押し合いへし合いになる。次には暴力団がやってきて、前に占拠していた人を追い出そうとする。全くの混乱が起きる。中には金を取ってやろうという人もいるかもしれない。これが混雑です。いつまでたっても落ち着かないで、押し合いへし合いの状態が続きます。
 それに対して、東京都が、民間開放するけれども、入札でだれが使えるかを決めることにすると状況は全く変わります。そうすると、東京じゅうの大手の不動産屋さんが走り回って、どういうテナントを入れようかと考えて、あそことあそこを組み合わせればうまくいくだろうと考える。ソロバンをはじいて、このくらいならば入札してもやっていけるだろうと考えて、それぞれのノウハウを生かして入札します。その結果、最高の値をつけたところが日比谷公園を買う。そのあげく、その土地は、日本であの土地を使うに最もふさわしい、最も有効に活用できる会社だけが、高い賃料を払って入ることになります。この結果混雑が解消されているわけです。価格でもって混雑が解消されている。
 ただし、この場合にだれが得をしたかということが問題です。そのオフィスに入居した企業が得をしたかというと、そうでもない。高い家賃を払っているからです。不動産屋はどうかというと、入札に高い金を払っているからそう得をしていない。最終的には東京都がぼろ儲けするわけです。入札によって、非常に高い生産性を生み出したんだけど、その生産性の成果は基本的に全部地主の手に落ちるというのが仕組みです。
 にもかかわらず、集中をとめたら混雑はなくなりますが、土地は全く非効率に利用されてしまう。解決法はそうやって自由に競争させて、そのかわり土地からの税をきちんと取るということが一番の解決方法だろうと思います。すなわち集積の利益の成果を国民全体で吸収するには、都地を有効に利用させたあとで、地価に税をかける必要があります。
 それがこの地価に関することです。混雑は、こうやって考えてみますと、何で起きているかというと、需要の方が供給を上回っているのに、そのギャップを調整する価格が何も動かない、そういうときに混雑が発生するわけですから、混雑が発生しているときには価格を導入すればいい。価格を入れて、十分に高い価格を払える人が使うことにして、混雑を解消すればいいということになります。
  そうしますと、ピーク・ロード・プライシング制を採用し、一番込んでいるときに高い料金をとり、すいているときにはただ同然に安くすればよいということになります。その際、以前は8時直後に乗っていた人は、5分早くしようというので、8時直前が込むけれども、シフトする。9時直前に通勤していた人は、ちょっとずらして9時直後に通勤するようになります。しかし例えば、8時から9時まで一律に高い料金を取ると、一番混雑している8時半に通っていた人は30分も早くするのは嫌だからといって、そのまま8時半に乗り続けますし、9時以降じゃ、会社の出勤時間におくれちゃうから嫌だというので、やっぱり8時半に通勤します。したがって一律ピーク料金では、最ピーク混雑の解消に全然ならない。
 ところが1分おきあるいは5分おきに料金を変えるということにすれば、最ピーク時で1分早起きすれば1分分得する。あるいは1分遅く家を出てその分駅から会社まで走れば得をするということになります。
 ワシントンの地下鉄では、プリペイドカードで時間ごとに料金を変えるいまや1分ごとの料金変更プリペイドカードでもって十分できるわけですから、それがベストな方法だと思います。
 結局、集積の利益はいろいろある。集積の弊害は、地価は上昇ではなくて、むしろ混雑である。混雑への根本的な解消法は結局時差料金制を導入することだ。それがここまでの議論です。



  5.都心分散論は正しいか

 これまでは一般論でした。日本の都市をこれまで支配してきた考え方を検討したいと思います。
 これまでの日本の都市を支配してきた考え方は、都心分散論と国土の均衡ある発展論だと思います。国土の均衡ある発展論は、後でゆっくりお話しします。まず、現在までいわれている都心分散論を考えてみましょう。
 都心分散論というのは、「都心に集中すると、混雑が非常に発生するから、望ましいことではない。なるべく都心を分散しよう。例えば、池袋に副都心をつくるとか、幕張につくるという形で、都心をできるだけ広げていこう」という考え方です。
 都心分散論の最も悲惨な犠牲者は大阪です。まず梅田ではなくて、新大阪に新幹線がとまる。次に、大阪ビジネスパークという梅田から離れたところにビルをつくりました。今度は南港にオフィスをつくろうとしました。ばらばらにしてあるわけです。こういう背後には、一種のイデオロギーといいますか、一貫した考え方があります。「都心集中は混雑を招くから望ましくない。その対策としては容積率の制限も必要だが、分散も必要だ」そういう考え方がはっきりとあったと思うのです。これをどう考えたらいいかということであります。
 通勤混雑に対するファーストベストの対策は、通勤鉄道に時差料金制を採用することです。そうすると、容積率を制限する必要は一切なくなります。そうなると、都心にある会社は容積率が制限されていないから、床面積が大量に供給されるので家賃は下がります。しかし都心で9時5時で営業するにはとにかく通勤手当を高く払わなきゃいけない。だから、都心で営業するのは大変二の足を踏む。特にたくさんの従業員を雇っている会社は二の足を踏む。
 ただし、あまり人を雇わないサーバーだけ置いておく会社は、どんどん都心でもって営業できるということになります。さらに例えば、飲み屋やキャバクラのような夕方から開く店は、大手を振ってやれる。何となれば、オフピークの通勤費はただですから、キャバクラに通うお姉さんたちはただの通勤費で来られる。ところが、朝の8時、9時に来る人たちは物すごく高い料金を取られている。8時、9時に人を雇う会社は、都心に立地しようと思うと二の足を踏む。そういう状況になる。
 何らかの料金規制に関する哲学のために採用できない場合のセカンドベストの通勤混雑対策は、各会社が雇っている従業員の数に応じて、特別事業所税を取ることです。これはやはり都心を抑制しますが、人数に応じて取るという考え方です。コンピューターのサーバーばっかり置いていて、従業員がいないという会社も、特別事業所税の下ならちゃんとやっていけるわけです。非常に安くやっていける。
 特別事業所税の欠点は、通勤時間帯をずらす効果が一切ないことです。現在は鉄道会社が「時差出勤をお願いします」と各社にいって回るのに対して、各社は「なるほど、それは社会的に意義のあることですね」というだけで、自分のところは何もしていません。この状況が続くわけです。これがセカンドベストです。
 特別事業所税はなかなかいいと思いますが、それもできないとすると、サードベストとして容積率の規制ということがある。これはもう就業者数じゃなくて、床面積を規制してしまう。これはサーバーを置いているような会社まで規制してしまうという副作用がある。今の日本の通勤対策は、結果的にサードベストを選んでいるといえると思います。
 その際の最大の問題は何かというと、ビジネスオフィスを制限するだけじゃなくて、居住用のビルの床面積まで制限してしまうことです。これは、猛烈な副作用です。ファーストベストの場合には居住用のビルは一切制限されませんし、セカンドベストの従業員の数に応じた特別事業所税も、居住用のビルを制限しませんから安い都心居住が可能になる。しかし、容積率制限をしたら、途端に居住用のビルまで建てられなくなって、居住用ビルの賃料が高くなってしまう。現状の日本がそうであるように、アメリカなどに比べて大変低い夜間都心人口密度になってしまうわけです。
 それでは、ここまでの議論をまとめますと、今までのような容積率を使った分散策は正しくないだろう。むしろファーストベストか、せめてセカンドベストのような混雑対策を講じるべきだ。そうしないと都心居住の抑制という、とてつもなく大きな副作用をもたらしてしまうということになります。



6.都心居住促進策は正しいか

 今度は都心居住促進策は正しいかということになります。実は、10年以上前から都心居住促進策を、千代田区が採用し、大阪市などが続きました。この政策のもともとの理由づけはあまり尊敬すべきものだったとは思わないんです。これは都心の区のお役人とか政治家とかが、自分の区から人間がいなくなっちゃったら、本当に困ってしまう。自分たちの職がなくなってしまうんじゃないかという危惧があった。それで、やれ住宅附置義務とか、補助金とか、容積率ボーナスということをつけて、やっきになって人口を取り戻そうとした。どうもお役人が交付金を使って、自分たちの利益のためにいろんな政策をつくり上げていったというにおいがする。私は当時それを猛烈に攻撃して、こんなむだな政策はないんじゃないか。アラブの王様とか女優さんにとっては得かもしれないけれども、普通の人にとっては、そんなもので誘致されたって得にはならぬだろうという議論をしていました。
 その議論に対して、都心の居住を進めるべきだという論文がたくさんありまして、読んでみたけど、ここでもお書きになった方がいらっしゃるかもしれないが、どれも説得的な理屈がなかった。中の議論で1つあったのは、アメリカで都心居住が盛んなのは、ゾーニングをやって、例えばマンハッタンでは、ここはビジネス用、ここは居住用といって、地区を分けてある。だから、普通に放っておけばビジネス用に負けてしまうのが、ちゃんと居住用のゾーンが守られている。だから、日本もそうすべきだ。そうしてない以上、ある種の容積率ボーナスや附置義務はやむを得ぬ。そういう議論を聞きました。
 私は、それにも反論して、それはニューヨークが間違っているんじゃないかと主張しました。隣接する地域があって、一方はオフィス用に高い金で土地を貸すことができるが、他方は居住用に制限されているために安い価格でしか貸せないということならば、そこにゆがみが生じているじゃないか。ビジネス用ゾーンのビジネスがつくったものを最終的に買うのはどこかの消費者なんだから、その分ゾーニングの結果つけられた人工的に高い価格を押しつけられている。これは、人工的につくり上げられた価格のゆがみじゃないか。だから、ニューヨークが間違っているんだ、東京が正しいんだという議論をしました。
 にもかかわらず、1993年か4年に私は完全な転向をしまして、都心居住促進論になったんです。そのときに、都市政策学会の機関誌に都心居住保進論の論文を書きまして、後で学会賞をもらったんですが、そのときの受賞の言葉の冒頭に、「これは私の転向の書である」ということを書いたことがあります。
 なぜ転向したかといいますと、容積率の根拠を考えた結果です。日本で都心居住が進まない理由は、都心の居住用のビルの床面積当り家賃が高いからです。家賃が高い理由は容積率にあります。ここで、もともとの容積率の根拠に立ち返ってみますと、容積率制限をすることは、オフィス用ビルに対してだけ意味があるので、居住用ビルは一切外すべきじゃないか。容積率規制の目的が通勤混雑を抑制することにあるのなら、居住用を一切外すべきである。それが元来の姿で、そうすれば、当然地価は均等になるわけです。容積率制限のない居住用ビルは、うんと高層になって、オフィス用ビルはあまり高層ではなくなって、地価は均等になる。床面積当たりの賃料は居住用の方がはるかに安い。だから、みんなが住める、そういうことになるわけです。元来そうすべきだったんじゃないか。今の状況は、人工的に居住用の容積率まで制限してしまっているある意味で人工的につくり出された状況である。それを正すには、むしろ居住用ビルを特別優遇すべきじゃないか。あるいはアメリカのようにゾーニングをつくって、もともとつくった人工的な制限を相殺する措置をとるべきじゃないかと考えるようになったわけです。
しかし、今述べたように、例えば容積率を居住用だけ青天井にしてしまうということにすると、それは町並みとしては変な町ですね。まず居住用だけがみんなノッポビルで、ビジネス用は低い。それだけじゃなくて、居住用のビルがどんどんできて、恐らく安い家賃になって多くの人がやってくるでしょうから、ビジネスのためのフロアスペースがその分狭くなってしまう。
もともとの眼目はビジネスの集中を可能にし、かつその際に弊害である通勤混雑を招かないような形で居住用ビルもふやしましょうということだったんだから、ビジネスが減ってしまうんじゃ元も子もない。
では、どうしたらいいかというお話をしましょう。ここからは、冒頭に挙げた総合規制改革会議の提案よりも先に進んでいて、将来こういうふうになるべきだと私が考えている案です。基本的には、まず、各地区にビジネス用の容積率を割り当てて、居住用はどの地区にも全くの無制限とする。そして、居住用のビルを建てたい人は、自分の敷地に割り当てられたビジネス用の容積率は、容積率市場で売る、そういうことにすれば、ビジネス用の高いビルを建てたい人は、市場から容積率を買ってきて建てればいい。しかし、都心のビジネス用のフロア面積全体は、容積率の割り当てでもう規制されていますから、それ以上にはなりませんが、その面積を保持しながら十分に高いビルが建って、オフィス用と居住用が住み分けできる、そういう形になるだろうと思います。
鉄道のピーク・ロード料金が入れられないという条件のもと、そして容積率に当分は頼るという条件のもとでは、それが恐らく最善の混雑対策ではないかと思います。これは、今の容積率制限の改善策として検討に値するのではないかと思います。



7.東京都心容積率緩和の費用便益分析

 これまで集中の利益の裏付けとしては、香港の例とかソロモン・ブラザーズの例で説明したのですが、どうも具体性がないんじゃないか。ちゃんと数字で示せ。何億円の利益があるんだということが当然問われると思います。そこで東京の都心の、例えば大手町地区の容積率を仮に倍にするということをした場合に、それがもたらす便益はどれだけあるかを示したいと思います。
それから集積の弊害についても数字が欲しいところです。例えばピーク・ロード・プライシングなんて、将来のこととしてはいいかもしれないし、確かに総合規制改革会議で、政策当局からこれを検討するという言質は取りつけてあるけれども、すぐそんなものを実現できるわけじゃない。当分の間、混雑抑制は容積率を中心にやっていくことにならざるを得ない。ピーク・ロード・プライシングがないという状況で容積率を緩和したときに、どのくらいの混雑が発生して、それを金額に直したらどうなんだ、そういう疑問が当然わいてくると思いますので、それについて多少の私の研究室の研究をご披露したいと思います。
まず便益の測定からお話しいたします。就業者が集積していると、その分オフィス生産の能率がよくなると、結果的にはその集積利益はそこの地域の家賃の高さに反映されます。それだけの利益があるからこそ企業はそれだけの家賃を払っても、そこにオフィスを構えるわけです。したがって個々の地区の家賃が就業者密度にどれだけ依存しているかをもって、集積の利益を測定いたします。また地価は、家賃に連動しますから、家賃の代わりに地価を用いることもあります。いろんな想定の仕方がありますが、大手町・丸の内地区の就業者の数を倍にすると、集積のメリットが約4兆円の間であるということになります。
次は、集積の結果起きる混雑のコストをどう計算するかです。まず、大手町・丸の内地区にどの駅から何%通勤客がいるかわかっています。東京じゅうの駅から大体何割通っているかわかっておりますから、大手町の就業者の数を倍にしたならば、乗客も各線全部倍になるとしますと、各駅区間ごとの混雑率がわかります。
それを駅区間ごとについて、1900年の時点の混雑度と比較してみました。実はこの10年間で鉄道輸送力が随分伸びていまして1900年時点に比べると、現在では混雑率でどの線も駅区間でも非常に低くなっています。このため、大手町・丸の内地区の就業者を倍にしても、どの駅区間の混雑率も90年の水準に到達しない。ただ、上野−御徒町間はかなり込むことになり、当時に近い状態になります。
今度混雑度の増加を金額表示するのにどうしたらいいでしょうか。混雑した電車で通勤する嫌な気持ちを補償する金額、すなわち、幾ら金もらえればそういう状況に入ってもいいかという金額を測定するわけです。それをどうやったかといいますと、私はこういうことに着目したのです。三鷹駅から東京駅側は複々線で、特別快速が止まりますし、鈍行の総武線もとまります。さらに、東西線もあります。したがって、駅区間ごとのピーク時の混雑率を見ると低い。ところが、武蔵境から先は単なる複線しかありませんから、大変込んでいます。この混雑率の差が、中央線沿線の家賃に統計的に有意な差を与えています。
 東京駅までの時間や家の大きさ、駅までの時間、距離、そういういろんな条件を制御した上で、混雑率を説明変数に入れて、混雑率に家賃がどのくらい反応しているかと見ると、統計的に非常に有意な結果が出て、込んでいるところはその分家賃が安いという結果が出てきます。これが混雑率の高さで、どのくらい家賃が下がっているかを、かなり大きなサンプル数で計算してみますと、混雑率が1上がると、幾ら家賃が下がるかというのがわかってきます。
 その金額を使って計算した結果、大手町・丸の内地区の就業者数を倍増した時の混雑コストは、最大限に見積もっても1.2兆円です。利益の方約4兆円ですから、いずれにしてもネットでかなりな利益があるということになります。
 ここにお集まりの多くの方は都市計画の方であると思いますが、今申し上げましたような形での容積率緩和の費用便益を測定したのを御覧になったのは初めてではないかと思います。そもそもベネフィットがありません。コストも自動車のものはあるのですが、鉄道の混雑コストの計算はこういう形ではあまり見たことがないでしょう。これからはこういうことを容積率の算定の基準にすべきだと思います。
 したがって、こういう形の分析をして、今の容積率が本当に妥当なのかどうかということを確かめていくべきではないかと思います。
 この分析では、結局都市の分散策をとるよりは、なるべく都心を有効活用することが望ましいということになります。大手町の就業者を倍にする程度だったら、ピーク・ロード・プライシングも要らないということです。もっと広範囲で容積率を緩和するようになれば、ピーク・ロード・プライシングが必要になってくるでしょう。
 いずれにしても、都心分散策から都心再生策への転換が必要なことをこの分析は示しています。



8.国土の均衡ある発展論は正しいか

 さて、今までは都心をどうするかというお話をしてきました。ところが、日本のこれまでの都市政策は、都心分散策とともに、「国土の均衡ある発展」論というもう1つの哲学があって、それが都市への過少な投資を招いてきたと思います。国土の均衡ある発展という考え方をどう考えたらいいかということを次に検討したいと思います。
 まず、今構造改革が非常にいわれていますが、構造改革とは何かということが国土の均衡ある発展論に非常に関係していますので、そのことからお話しましょう。構造改革というのは本当にいろんな意味で使われますけれども、一番簡単な定義は、次の通りです。資源というものは元来、生産性の低いところから高いところに市場の機能を通じて動いていくものなのに、それが何らかの制度的な制約によって動いていけない状況があるとき、その制約を外してやって、資源がきちんと生産性の高いところに動いていけるようにする、それを構造改革といえると思います。労働や資本やそういう資源に対しては、生産性の高いところではより高い賃金なり報酬が支払われますから、生産性の低いところから高いところに資源は自動的に動いてきます。ところが、それを人為的にとめる仕組みがあるときに、その仕組みを取り除いて、きちんと資源が生産性の低いところから高いところに移っていけるようにすること、それが構造改革です。
 日本の戦後の歴史を見ると、目覚ましい構造改革の成功例があります。1960年代の初頭に行われた、石炭から石油への転換政策です。戦後日本は石炭の復興のために大変な政策的な援助をして、石炭産業を栄えさせました。ところがそのうち、大型のタンカーの建造が可能になって、中近東から石油を非常に安く輸入することができるようになりました。この中にも50年代、60年代のことを覚えていらっしゃる方がいるかもしれません。毎年のように、今度は10万トンのタンカーがつくられるようになりました。今度は12万トンのタンカーがつくられる。今度は14万トン。毎年のように世界記録が更新されていって、その多くが日本の造船技術でつくられる。そして、それで中東からの石油を安く輸入できるようになりました。
 これをまともに自由に輸入したならば、日本の石炭は完全にやられてしまう。1960年代の初頭はそういう状況にあったわけです。それで石油の輸入制限はもとより、ありとあらゆる規制がかけられました。当時は、風呂屋は石炭の使用を義務づけられていたのです。石油だとうんと安くたけるのですが、石炭を使わなければいけない。一事が万事で、日本のありとあらゆる生活に石炭を保護する政策が押し込まれていました。
 それを1960年代の初頭に政府は方向転換をしまして、石油の自由化に踏み切りました。それは石炭産業を壊滅させることになったわけです。三池もつぶれ、夕張もつぶれ、常磐もつぶれた。そして、大量の失業者が出たわけです。もちろん、失業者を放っておくわけにいかないから、炭鉱離職者を雇用した会社には補助金を出しました。炭鉱離職者たちが東京や大阪で就業するときには、就業しやすいように雇用促進事業団がアパートをつくってあげました。雇用促進事業団が当時としては非常にハイカラな公団型の住宅を幾つかつくりました。
 そうやって、離職者の痛みを和らげるという政策をとる一方で、大胆に自由化をして、三池や夕張や常磐はガラガラっと変わっていったわけです。こういう相当強引な政策をやりました。
 しかし、そのときの政策の特色は、お金を三池や夕張や常磐に落としたんじゃないんです。そこから出ていった人たちを助けるために、東京や大阪に落とし、彼らがより高い生産性を持っているところに移動するのを助けたんです。それが構造改革であったゆえんです。政治的には非常に難しいことですが、そういうことをやりました。それが原因だとはいいいませんが、それをきっかけに日本は高度成長を始めたわけです。
 石炭から石油への転換政策をやったから高度成長が始まったのではないが、それをやらなかったら、日本の高度成長というのはあり得なかったということも明白です。その決断を日本はしたわけです。
 次に、高度成長は、結局田舎から都会に人々が移ってくることによって起きました。1960年代の初頭は、春になると田舎から大都会に貸し切りの列車が次から次に来ました。集団就職の列車です。中学を卒業した子が山ほど乗った列車がやってきました。この移動によって彼ら1人1人の賃金が倍になったので、日本の所得がどんどん上がっていきました。GDPが上がるのは当たり前なわけです。それが高度成長のプロセスでした。生産性の低いところから、工業化によって生産性の高くなったところに資源を移動させる、そのことによって経済が成長したわけです。
 経済が成長したときに、議員の定数はそのまま置き去りにされて、政治における田舎のレプレゼンテーションは人の数に比べて非常に高くなってしまいました。1960年代の末に、田舎は過疎だ、都会は過密である、この動きは田舎の人間にとっては不利な動きだから止めねばならぬ、という政治家の声が大きくなってきました。その結果1960年代に工場等制限法ができました。これは後の「国土の均衡ある発展論」を予測させるような政策です。東京や大阪での工場や大学の新設が1000平米以上は認められなくなりました。後に、中央大学が八王子に移り、法政大学も移り、都立大学も移り、学生たちが元気にいたお茶の水なんかが随分寂しくなっていきました。そういうことは、この工場等制限法が、大学を含めて新設を認めなかったということにあるわけです。
 こういうことで、大都市を抑えて、地方になるべく資源が残るようにということを始めました。そして、そのきわめつけは、70年代における田中角栄さんの「日本列島改造論」です。これは要するに、東京や大阪の高い生産性を利用して税収を上げて、田舎にばらまこうということです。そして、「国土の均衡ある発展」ということをいい出した。全国総合開発計画によって、地方に金をばらまき、道路などの公共投資を地方に行いました。
 さらに、国鉄も東京の収益で地方に鉄道をつくりましたし、米も東京や大阪の高い米代でもって地方をサポートしました。放っておけば地方から都会に移っていく資源を、それが移らないように、人工的に地方の所得を高くしたわけです。それが73年〜74年から行われるようになって、それとともに、日本の経済成長はピタッととまったわけです。
 オイルショックで日本の経済成長は止まったのだと、よく言われますが、その後石油の値段は下がってしまいましたから、オイルショックのはずがない。
 結局は、地方から生産性の高いところに資源が移ることによって日本経済が成長して、60年代の目覚ましい成長があって、1次産業から2次産業に転換をしました。今度、2次産業から3次産業に転換する段になって、資源の移動を、それが国土の均衡ある発展という政策で無理やり止めたために、日本の経済成長はストップしてしまいました。
 先ほど「都心分散策」は大きな誤りであったと申し上げましたが、「国土の均衡ある発展」に基づく政策がもう1つの誤りだったわけですただし都心分散策の方は、いってみればちょっとした誤解でやってきた。深い利害関係に基づく政治的なごり押しではなくて、何となく都心集中の利益の大きさに気付かず、要するに集中の弊害は計画主義の手法で直そうという、イデオロギーでやりました。これは単なるミステーク。
 しかし「国土の均衡ある発展」の方は、単なるミステークではありません。非常に政治的な裏のあることで、地方の利益のために国全体を犠牲にしてしまった、ということがいえると思います。
 そうなると、今の都市再生策は、都心を再生するだけでなくて、ただ地方に金をばらまく体制をやめて、真に生産性の高いところに資源を移動させるという方向に政策を転換すべきです。国土の均衡ある発展というのはもともと意味がありませんでした。もともと地方の代議士のために生産性を犠牲にする、要するに、現状を維持するための政策でした。いいかえれば、石油が安くなった時代に石炭をずっと温存させて、日本の経済成長をしなくてもいいという考えと全く同じ考え方です。これをやはり根本的に修正する必要があるだろうと思います。
 実は、経済財政諮問会議の方針にも、国土の均衡ある発展という考え方はもうやめた、これからは各地方間の競争の時代だと書いてあるわけです。この政策転換の理由は上で述べた通りだと考えられます。
 しかし大都市への資源の流入を阻害している要因を除くことになると、その結果起きる混雑に対する対策をやることが必要になります。先ほど申し上げた通りです。敵は本能のような感じがしますが、ピーク・ロード・プライシングが大切ですし、あるいは土地に対する税をきちんと整備することも必要でしょう。総合規制改革会議で決められた都心再生策こそが一番必要とされている政策ではないかと思います。



9.公共投資の都市地方間分配

 ここまでで根本的な議論は終わるわけですが、きょうの題が「都市再生と経済対策」ということですので、どうしても公共投資のあり方について議論しておかなければならないと思います。
 公共投資については、過剰な公共投資が行われてきて、地方にむだな金が使われてきたとよく議論されます。特に、道路公団はたくさん道路をつくっているが、ペイしない道路ばっかりつくっているではないか。ああいうものはけしからんから、ペイするものだけに絞って、それ以外は全部切り捨てろ、そういう議論があります。これは正しい議論なのか。あるいは本四架橋はペイしないから切り離さないで、道路公団の中で全部面倒見てくれとか、いろんな話があります。これはそもそも何が悪くて、何がこれまでの政策でも決してまずくはなかったのかということを、きちんと整理する必要があると思います。
 まず、公共投資の基準は何であるべきかというと、それが料金でもってペイするかどうかなんてことは、全くどうでもいいことです。道路なんてものは、ただで使うのが当たり前の話で、せっかくできた道路を金取って、ごく少数の人にしか使わせないなんて、本当にばかばかしい話です。これは典型的な公共財なんですから、混雑してない限り、道路はオープンにして、だれにでも金を払わないで使ってもらうというのが、一般道路の基本的な考え方ですね。それが高速道路だったら別になるということはあり得ない。すべての道路は基本的に、つくった以上できるだけ多くの人に使ってもらった方がいいので、ただにするというのが原則。道路無料公開の原則の根拠はそういう事です。
 それは国防を含めたすべての公共財について当てはまることだと思います。それがまず第1原則です。
 したがって、地方につくったものが十分な料金収入を稼げないから、地方につくるべきではないというのは間違いです。地方が幾ら憎くたって、そういう議論は通じないと思います。
 それでは、何が間違っていたのかというと、地方につくろうが、都市につくろうが、そういう公共財をつくるときには、料金収入ではなくて、便益を評価すべきなんですね。便益は、簡単にいえば、需要曲線で下の面積です。もし金を払わせられるとしたら、みんながどのくらい払ってもいいと考えるだろうかというのを考えます。これを計測する手法はあるわけですから、その便益を計算する。そしてコストと比較する。そしてコストを上回る便益があるなら、皆さんにただで使っていただく。それが公共投資の投資基準の原則であります。
 問題は、その費用便益分析をやらないで、道路をつくってきたということです。もちろん当局は「やってきた」といいますよ。しかし、そんなものは全然公開もしてません。最近プレッシャーで公開するようになってきましたが、最後の計算の1〜2ページだけを発表するので、途中の計算過程あるいは需要予測はどうなっていて、どこの数字がどう間違えてなったのか判定できるような情報公開はしていません。
 しかも、シンクタンクが委託されて、そういう費用便益でやるときは、当然、シンクタンクとしては、役所の意向に沿うようにしますよね。役所はつくりたいといっているんだから、便益がないよという分析結果を出すばかはいないですね。それをチェックできる唯一の方法は、情報公開して、第三者が批判できる体制をつくるべきなんですが、それがない。
 しかも、役所側の費用便益を担当している人も、分析を受注している人も、大学の同じ研究室の人で、とにかく全部閉じた世界でやっている。ここでめちゃくちゃを行いうる体制になっているわけです。それこそが問題の根源であって、料金でお金を稼げないことは問題の根源では全然ありません。今は本質的な問題がすり変えられていると思います。地方にもまだまだある程度道路は必要である可能性はあります。その採否を決めるためにきちんとした費用便益を公開した形でやって、これからの公共投資の仕組みを一貫してやる。それが必要だと思います。
 もちろんそれをやったら、地方の公共投資は大幅に減るだろうと思います。あくまで料金を稼げるかどうかではなくて、きちんとした費用便益をすれば、多くの投資が行われなくて済んだと思います。
 これは私自身が学生のときに絡んだ経験から分かるのですが、私が35年前に院生だった時に、本四架橋をどこにかけるかという建設省のプロジェクトの、広い意味の費用便益分析、交通需要などを全部予測する分析の下働きをしたことがあります。かなり大きなモデルをつくって、建設省の技官の方が何人か大学に毎日いらして一緒にやりました。そのモデルはその後もかなり動かしたということです。しかしある途中の段階で政治家の干渉があって、3本とも全部つくるということになりました。分析は全く無視して、政治家の判断で全部つくるということになるような意思決定プロセスに問題があるのであって、金を稼げないことには断じて問題があるわけではありません。
 本四架橋のようなものは、費用便益がきちんとあるならば、国が金を投じるべきことだと思います。つくった以上はただにして、できるだけ多くの人に使ってもらうべきで、橋があるにもかかわらず料金が高いからみんながフェリーを使う、というばかな話はないと思います。
 したがって、公共投資に関して考えることは費用便益分析です。都市の方はもっと費用便益の効果が高いものが多いですし、地方では少ないですから、これをやることによって自動的に都市にお金が回ってくると思います。逆説的ですが、費用便益分析を正しくやることが投資資金を都市に配分させることになると思います。



10.大都市内の公共投資基準

 もう1つ、大都市内では別の基準があります。先ほどまでの話は混雑がないときは料金をただにしろという話ですが、道路に混雑がある場合には料金を取らなければいけません。ETCの発達でこれから可能になっていくと思います。昔は夢物語でしたが、普通の道路でも取れる状況になると思います。それ以前でもいろんな工夫のやり方はある。例えば、駐車場に時間ごとの税率が異なる税金をかけるのは、今の電子的な技術では可能になったと思います。
それからETCが日本では高くてなかなかつけないといいますが、この間ニューヨークに行ったら、マンハッタンからニュージャージーに出る橋は、今ピーク・ロード・プライシングで、ピーク時は高く取られるのですが、ICカードを乗っけて、普通のタクシーでもそれで払っています。そのICカード1枚がたった25ドルだというんです。日本の何万円もかかるというのと全然違うので、非常に気軽に使って、今やニューヨークでも実用化されている。
 すると、これはいつかの段階で多くの高速道路でこのETCが使われるようになって、ETCが普及するようになったら、普通の道でも使われます。それまでの間は、例えば駐車場でピーク・ロードの料金を取るというようなことが必要になってくるのかもしれません。混雑の料金が取れるならば、例えば首都高みたいなところは混雑に合わせて高い料金を取って、それで賄うことができます。鉄道もそうです。
 混雑している道路では非常にいい投資基準があります。「混雑料金を取れるところでは、現在の道路規模を前提としての最適混雑料金からの収入が、償却とか利子のコストを上回る限り、もっと投資すべきだ。そして、ちょうど混雑料金からの収入が利子や償却とトントンになったときが、最適な投資水準である」というものです。これは「モーリングの定理」と呼ばれています。大都会ではこういう投資基準を採用することができます。
 したがって、混雑のないところは費用便益分析が投資基準を与えます。混雑のある大都会では、人に対する迷惑にふさわしい混雑料金を取って、料金収入と固定費と比べて最適な投資の規模を見つけるということができるわけです。



11.東京の潜在力

最後に、東京の潜在能力ということでコンクルードしたいと思います。
きょうお話してまいりましたのは、結局は、地方と東京の資源の配分にしても、東京内での資源の配分にしても、より生産性の高い方向に資源が配分できるような仕組みをつくろうじゃないか。それを実現するために、今までさまざまな人為的な制約があったので、それを取り除こうじゃないかという考えです。
そして、総合規制改革会議の政策も、基本的にはそういう発想の転換に基づいています。では、そういうことを実現したときに、日本の都市は、特に東京は、これから競争相手になるシンガポールとか香港、上海あるいはニューヨークと比べて、どういう競争力を持つのだろうかということを考えてみたいと思います。
今は、何事も外国人の方にとって、東京に住むのは高くて、成田からも離れていて非常に不便で、東京に赴任するのはみんな嫌がるということがいわれています。しかし、今までのような政策をやめて、きちんとした集積を促進し、かつ混雑に直接的な対策を立てることができるようになったら、長期的に東京にはすさまじいメリットが生じると思います。
まず、東京とニューヨークを比較しますと、1都3県の広さでニューヨーク都市圏(ニュージャージー、コネチカットを含む)をとると、人口は1都3県の大体半分です。東京の首都圏の人口はニューヨーク都市圏の倍ある。1都3県の面積で、人口の多い順にニューヨーク都市圏でカウンティーを集めてとってみますと、ニューヨーク都市圏の端っこの方はほとんど人がいない状況で、人口はニューヨークの真ん中に集中している。東京はダーッと広がっています。それにしても、1都3県に人口はニューヨーク都市圏の倍なのです。
何でそんなに人口がいるのかというと、東京には大量の通勤輸送手段があるからです。大量の人々を運ぶ鉄道網があるからです。これは大変なアセットで、ニューヨークにはそれがありません。
ニューヘブンラインという主要な幹線があって、朝乗ると、マンハッタンで働くエリートのホワイトカラーがいっぱいいて、中でウォールストリートジャーナルを読んでいる。これが20分に1本、ピーク時にやってきます。皆さんの中にも、住んでいた方がいらっしゃるかもしれませんが、そのニューヘブンラインのグリニッジとか、オールドグリニッジ、スタンフォードという典型的な郊外の町がありますが、バスが1本も朝駅に来ない。全部が自分で車を運転して駐車するか、奥さんに乗せていってもらうしかない。なぜかというと、人がまばらに住んでいるから、バスがペイしないからです。しかも列車自体も20分に1本だから、ペイするわけがない。
それに対して東京は次から次にバスがやってきます。中央線などは1分半か2分おきに電車はやってきます。それだけの集積がもう既にあるから、そういう鉄道の輸送が可能なのです。鉄道が都市でペイしている町は、外国ではほとんどありません。
これは幸か不幸か、日本ではモータリゼーションが起きる前に鉄道が発展して、十分な鉄道網が引けるようになりました。しかも、東京では地下鉄との相互乗り入れが非常にうまくいきました。これは物すごく有利な点だと思います。
これを活用すると、潜在的には東京圏の人口はニューヨーク都市圏の倍いるのにもかかわらず、都心において私の推定では、皇居を除いた千代田区あたりで、夜間の人口密度がニューヨークの中心地の7分の1というくらいに低い。こんな非効率なことはありません。それから、都心のオフィススペースもまだまだ少ない。こういうことを十分に活用して、郊外と都心が鉄道で結ばれる東京では、非常に生産性の高い都市に改善できるのではないかと思います。
上海なども随分鉄道をつくるようになったようではありますが、少なくとも10年ぐらい前までは地下鉄がまるっきりなかったわけですから、そういうところと比べて通勤鉄道網の存在は東京を大変優位にする要因だろうと思います。こういうインフラを持っているがゆえに、それをむざむざとむだに使ってきたこれまでの1970年以降の政策は、大変もったいないことをしたと思います。それを方向転換して、これからはそれを有効に活用し、都心に居住し、都心でさまざまなオフィス活動が活発に行われる、そういう町に再生すべきだろうと思っております。
どうもご清聴ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

司会(谷口)
 どうもありがとうございました。
 残り30分ありますので、ご質問、ご意見を承りたいと思います。先生は次の会議が控えているので、簡略に、なるべくたくさんの方からご質問をいただきたいと思います。

角家(コンピュータ パソコン IT講師)
 元建設業OBの角家正雄といいます。
 本日はいろいろ貴重なお話をありがとうございました。先生が、東京の活性化、都市再生と経済対策を話されて、遷都についてはちょっとさわられたんですが、遷都についての絡みはどのように考えておられるか、ちょっとご説明いただければと思います。

八田
 遷都に私は反対です。遷都の前提は2つあると思います。第1に、東京に一極集中している理由は、首都が東京にあるからだという前提があると思います。第2に、東京の一極集中は望ましくないという前提があると思います。
 まず、東京に一極集中することが望ましくないということに関して。いろんな地方中枢都市も伸びているわけですので、私は全部が東京に一極集中する必要はないと思います。しかし、東京に集中してメリットがある産業は集中すればいいと思います。だから、無理やり集中の度合いを下げる必要は全くないと思います。
 それから、東京に首都があるから栄えているというのが間違っているのは、先ほど申し上げたとおりです。さまざまなアンケート結果で、遷都しても、本店、本社を東京に残すという会社が大部分です。
 それでは、遷都するとどういうことが起きるかということですが、まず、地方から新しい首都に来るのが大変になる。今は東京に来て、自分の会社の本社とちょっと話したり、お得意さんとも話して、ついでに政府にも行くということができるんですが、それと全く別で、今度羽田に一遍来てから行くわけですから、別々な仕事になってしまう。これは大変なコストになる。
 それだけでなくて、日本の政府のやり方を見ていれば、政府は、大学も同じですけれども、それこそ象牙の塔みたいに現実世界から離れては全然運営はできないので、いつも民間で何が起きているかということを聞いて回っているわけです。委員会とか何とかいうけれども、それはいつも現場の人たちの話を聞く仕組みです。この情報交換がなければ何もできないわけですから、各官庁は当然霞が関に出張所をつくると思います。そして、その出張所が肥大化して、結局は二重投資になる。
 ブラジリアをつくったために、サンパウロやリオデジャネイロに政府が二重投資して大変むだだったという話を聞きますが、そういうことが起きると思います。
 最後に、遷都の資金をどう調達するかということですが、資金を今の霞が関の場所を売って調達するということは、そこに民間企業がビルをつくるということです。そうすると、それは混雑がまた起きるわけですから、混雑対策にはなりません。時差料金制で混雑の対策をきちっと立てれば反対に投資財源になる収入が得られます。
 逆にいいますと、集中することにメリットがあるところは十分集中させる。そのときに、先ほど申し上げましたように、ビジネスサポートの事業、例えば、国際会計事務所とか、国際弁護士事務所があると便利だと申しましたが、政府も似たようなものだと思います。一種のサービス業です。それはなるべくお客さんの近くにある方が、サービス業にとってもいいし、お客さんにとってもいい。それをわざわざ離したところに置いて、行き来に時間をかけるのは全くむだだと思います。
 遷都には、今の議論とは全く別に、地震の対策になるという議論もありますが、それでは神戸に遷都していたらどうだったかということを考えればいいと思います。どこに遷都したところで、そこが地震でやられたらおしまいですから、地震に対する対策は、結局はバックアップ対策をきちんとしておくということだと思います。データも人材もバックアップをきちっとつくるし、東京がやられたときのためにすぐ政府に真夜中でも参集できるように、重要な人は霞が関周辺の官舎にちゃんと住んでもらう。だれが住むかということを地震対策のことを考えて選ぶ。そういうようなことが必要じゃないかと思います。

角家
 今の続きですが、日本の歴史を眺めてみますと、飛鳥、平城京、平安京、大阪、大津の都、琵琶湖の辺にいろいろ都をつくったことがあります。国土の均衡ある発展は、千数百年前にある程度関西地区の大きな意味の発展があったわけです。東京遷都も、明治維新で、百三十数年たっているわけです。それ以前の徳川幕府の二百七十何年がありますが、合わせて400年ぐらいの東京あるいは江戸の歴史があるわけです。これを均衡ある発展にするために、今那須とか岐阜の奥とか伊勢のあたりとか、いろいろ候補地が挙がっていますね。さっき均衡ある発展については、八田先生はあまり歓迎の方じゃなくて……。

八田
 あまりというか、「国土の均衡ある発展」を目指す政策が原因で日本は衰退したわけです。

角家
 否定的な話をされたんですが、今の時点をとれば、確かに国際競争力で、東京をグレードアップしないと、ニューヨークやらロンドンやらパリ、シンガポール、香港、上海に対抗できない。数百年の長い目で見れば、東京、江戸が400年になるわけで、天皇が江戸時代は京都におりましたが、ある程度の政治力のある都市だったわけです。そろそろ遷都も考えてもいいんじゃないかと思うんですが、改めていかがでございましょうか。(笑)

八田
 今遷都すべきじゃないというのは賛成だと思います。また遷都が必要な状況が出たら、そのときにやればいいと思います。今は全くすべきでない時期だと思います。

木村(潟tジタ)
 八王子に住んでいる者といたしまして、2点ほどお伺いしたいんですが、まず第1点が、今、片道74分ぐらい平均の通勤時間がかかるような状況で、住環境についても、職住一致が必要だという議論も片方にある。でも、都心地域の居住の面が上がってくれば、大分変わってくるといった中で、今後どの地域に住宅が集積していくべきか。例えば、環7、環6があるとか、いろんな議論があると思いますが、そういった部分をお聞きしたいのが第1点です。
 第2点で、八王子で、今21の大学がございまして、ハイテク企業も小さな企業を中心としてある程度集積が始まっている。1都3県が大事だというのを前提とした中で、1都3県の郊外に残る機能は考えられるか。それがもう1点知りたい部分でございます。

八田
 住居に関して、都心がいいのか、郊外がいいのかというのは、一概にはいえないと思います。ニューヨークは夜間の人口密度で見ると、都心が一番人口密度が高くてずっと下がってくる。東京はご承知のように都心は非常に低くて、山手線の内側ぐらいのところでピークですか、大体そのくらいがピークで、それから地域を広げるとまたゆっくりと下がっていくという形です。ただしニューヨークの場合も基本的には都心に住んでいる人は老人か若い人たちで、子供が全然ないか、子供が非常に小さい。ある程度幼稚園ぐらいから上になると郊外に移る人が多いということがあります。
 したがって、これはどこを居住の促進地域にするかということではなくて、今まで不必要に制限していた制限を外して、あとは人々が自由に選ぶということだと思います。そうすると、都心の居住地域がふえれば、郊外の1軒当たりの敷地は統合化が行われて広がってくるでしょうから、子育てをする時期にそういうところに住むことを選択する人は当然あらわれると思います。
 ニューヨークである5大会計会社の1つのパートナーの人たちと話したことがありますが、車で70分くらいかけて通勤している人が結構多いんです。それはほとんど森の中に住んでいるような状況で、安くてしかも自然環境がいいから住むんで、もちろん都心に住めるけれども、高い金を出してそんな狭いところに住みたくないという人がいる。これは本当に人好き好きだと思います。今まで、少なくとも都心に住むほどのオプションが人為的には与えられてなかったということが問題だと思います。
 それからもう1つ、郊外に残る機能も、例えば、ニューヨークのようなところで見ると、前、倒産したロング・ターム何とかというデリバティブの会社があったけれども、あれもグリニッジという都心から40分から50分ぐらい離れたところですから、お客さん相手というよりは、むしろパソコンでいろいろとやっていくある程度フットルースな会社は当然移ってくるでしょうし、IT化ということは、特にEメールや何かでできる仕事はどんどん郊外に移してしまって、都心では本当にフェース・トゥ・フェース、コンタクトが必要な産業が残るし、残るだけじゃなくて、今よりもっと多くなる。そういうすみ分けが起きるんじゃないかと思います。

五本(潟Iーユーアール都市開発機構)
 公共投資についてのお考えを聞かせていただいたんですが、最近はやりのPFIについて、先生はどういうふうにお考えになっていらっしゃるか。これは単なる一時的な便法なのか、長期的に継続し得るものなのか、その辺についてちょっと。 

八田
 プライベート・ファイナンシャル・イニシアチブで、近ごろでは、PPP、プライベート・パブリック・パートナーシップということまで広げられているようですが、特に道路について民間に委託して、有料道路を経営させるという余地があるんじゃないかという話があります。
 私は、例えば水道の経営を民間にやらせるというようなことは非常に意味があると思っております。保育所の経営も意味があると思います。道路については、高速道路のいろんな管理、どういうところにどういうファーストフード店を入れるか、ガソリンスタンドをどこにつくるか、そういうことを民間の会社に委託してやるのは意味があると思いますが、私は、道路自体を全部民営化する意義は、今のところそんなによくわかってないんです。だから、PFIの余地はいっぱいあると思いますけれども、事道路に関してどれだけの余地があるのかなという気がしています。
 でも、これは都市再生というよりは、基本的にはこういうことなんじゃないかと思います。政府が何かやると能率が悪いというのは、いつもよくいわれるわけですが、必ずしもそれが正しいわけじゃなくて、すべての産業は独占企業が経営すると能率が悪くなる。政府でなくも、民間企業でも、独占的な企業、特にここで名前を挙げませんが、日本でもそういう例はいっぱいある。そういうところは非常に能率が悪くなる。競争があると、非常に能率がよくなる。
 政府が経営する道路とか、特に公団がやるようなものは、基本的に独占なんですね。競争がなかった。だから、非能率的な経営が行われるようになるということはあると思います。したがって、なるべく切り離して、ここのところは、例えば先ほどのファーストフードをどういうところに入れさせるかとか、そういうものを決定する仕組みを競争的にして、なるべく稼げる会社にやらせようという部分的な競争の導入は、至るところで考えるべきではないかなと思っています。

水谷(日本上下水道設計梶j
 地方都市はどういう役割を持つべきだということについてお考えをお伺いしたいんですが。 

八田
  地方都市もいろんな階層があると思います。よくいう例ですが、私の高校時代の友達が、家や何かのいろんな配線をやる会社をやっていまして、私は小倉出身なんですが、この間聞いたら、鹿児島の仕事を請け負っているというんです。鹿児島で一種の団地みたいなのがつくられて、そこの配線をうちがやっている。こういうことは私の子供のときにはあまり考えられなかった。北九州の業者が鹿児島に行って配線をやる。「どうやって、そんな話を見つけてくるんだ」といったら、「全部福岡でやるんだ。福岡に向こうの団地をつくる会社も店があるし、自分のところも出張所がある。そこでお客さんをとってきて、契約も全部やるんだ」。要するに、福岡が九州では東京の役割を果たしているわけです。
  これは交通費が安くなって、通信のコストが安くなったために、いってみれば、昔は北九州市内でしか営業できなかったものが、九州まで範囲が広まった。そういうものは福岡が中心なんだ。ところが、私の友達の配線会社は秋田に行って仕事をしようとは思わない。やっぱり会社の規模から見て、せいぜいその地域のことなんだ。
  実は、日本全体を管轄した方がいいような業種は業種であるでしょう。それは日本生命とか三井住友銀行とか、そういうところは日本全体を管轄した方がいい。ところが、私の友達のようなところは九州ぐらいで済む。九州は九州で福岡がそういう役割を果たす。恐らく札幌も北海道に対してそういう役割を果たしているんだと思います。
  したがって、業種ごとの最適なサイズに依存して、中枢都市がそういう機能を果たしているんですが、50万以下の人口の都市がどうなっているかというと、趨勢的にはどんどん人口が減っていると思うんです。農業が中心だった時代にあった都市が、現在の第3次産業化に伴って再編されつつある、そういうことだと思います。その中で特色を持った都市、観光都市とかいう形で生き残るということはあるでしょうが、全部の町が生き残るということは到底あり得ない。
  いろんな人が地方の町に講演して回って、こうやれば町が活性化しますよということをいっているけれども、それでうまくいくかもしれないけれども、全部の都市がうまくいくということはあり得ないので、それはやっぱり注意すべきだと思います。ごくごくラッキーな、選ばれた本当に能力のある町だけが、そういうまちづくりの熱意を持っている人たちのいる町だけが生き残るんだと思います。

吉村(大成建設梶j
 1970年当時、日本列島改造論で、地方の方が優遇されてずっとやってきた、まさにそうだと思います。日本の場合は、農業であるとか、いろんな形で地方に奉仕しているので、それが地方に人を置いてきた。これが規制緩和されてくると、都市の方に人がだんだん集中してくるんじゃないかという気がするんですけれども、片や、先ほどのお話のニューヨークのマンハッタンあたりは東京の2分の1ぐらいしか密度がない。アメリカというのはまさに規制のない国なわけです。にもかかわらず、うまく人が分散しているということは、今の中規模の都市が非常に有効に働いているんだということなのか。アメリカがバランスよく人が分散していることは、日本とどの辺が違うのかなと思うんですけれども、その辺いかがでしょうか。

  八田
 分散しているのが、ニューヨークの最大の弱点だと思うんです。集中できない。集中する方が能率がいいのに、鉄道がないわけです。本当にむだなことに70分車で通っているわけです。それは決定的な弱点だと思います。しかし、今度別な観点からいって、アメリカはニューヨークとシカゴとロサンゼルスという大きな町があって、それぞれの地方の中心である。これはどうしてか。これは完全に時差の問題だと思います。先ほど九州では福岡、北海道では札幌と申し上げましたけれども、それがもうちょっと大規模になったようなもので、福岡を大きくしたような町がシカゴであり、ロサンゼルスなんだろうと思います。
  だから、先ほどの各町の成長で見てもわかるように、日本も結構多極集中化しているんです。それがまばらに広がるというのは、大都市が生み出す生産性に基づいて、これからいろいろ行われることになると、それはまずいと思うんです。特定の、アメリカでいえば、スタンフォードの近くとかボストンの近くに、さまざまなIT技術の集積地があるというのが、多少田舎にあるということで、日本でも、やれ札幌の近くでITの中心地をつくるとか、そういう話がありますが、あまり人工的につくるべきものじゃなくて、そういうものは渋谷にできてもいいし、地方にできてもいい。何も人為的に分散する必要はないんじゃないかと思います。
  基本的には町の姿としては、こういうことなんじゃないでしょうか。東京のように、こういう輸送機関を持っているところでは、もし望むなら、東京に都心でも郊外でも住めて、週末とかバケーションには地方に行くのが非常に行きやすい。それが今だと混雑して、自動車でもなかなか行きにくいのが、何らかの手段で、料金であるかもしれませんし、鉄道をもっとうまく利用できる仕組みであるかもしれませんし、飛行場を、羽田と都心をもっと密接に結びつける。あんな各駅停車じゃなくて、直行でやったら20分で東京駅まで来ちゃうわけですから、そうやって地方にもっと行きやすくする。あるいは羽田をうんと拡張して、便数も多くする。地方に幾らでも行ける。
 恐らく最終的に、地方にいても東京に行きやすい、東京にいても地方に行きやすいという状況をつくることが大切で、必ずしも全部軽井沢に住むとか、軽井沢あたりに分散するのを促進する必要は全然ないんじゃないかと思います。

田川(筑波大学)
 私も北九州出身なもので、2つほど聞かせていただきたいんですが、都市再生本部のホームページを見ましたら、北九州は空港と港を都市再生本部の決定として建設促進するということになっています。先生は、ここで公共投資について、便益を見て検討するべきだとおっしゃいましたけれども、地方都市で大規模な公共事業を2つほどやっているのに、それを果たして便益を見ながら実際に建設をやっているのかなという疑問があるものですから、先生はその点どうお考えになるか、お聞きしたいんですけれども。

八田
 今やっているかといわれたら、一応費用便益の計算はしていると思いますが、それをどこまで公表しているかという話だと思います。
  私は都市再生本部とは直接関係ないんですが、そういう問題がすごく難しいんです。本当に北九州の空港、きょうの新聞にも書いてありましたね。とにかく福岡の空港との関係をどうするかとか、北九州でいえば、僕なんか思うには、洞海湾のあそこらあたりにつくれば、みんなにとって便利だろうと思うけれども、いろんな政治的な理由がある。そういうのを、費用便益をきちっと比較して、公開して、ここがこうだということを俎上にのせた上で住民投票ができる。そんな仕組みが必要なんじゃないかと思います。
  どこがどれだけの便益で、どれだけの費用かというのは住民にわからなかったのです。

谷口
 先生はこの後のご予定がおありのようなので、きょうはちょっと早目に終わりたいと思います。  きょうは東京大学の八田先生においでいただきました。どうも大変ありがとうございました。(拍手)  


back