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第171回都市経営フォーラム

少子化と地域環境

講師:白石 真澄 氏
潟jッセイ基礎研究所 社会研究部門 主任研究員


日付:2002年3月20日(水)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

 

1.わが国の少子化について

2.理想の子供を持たない理由

3.ファミリー層を対象にしたこれまでの住宅政策

4.子育て世代の住宅実態

5.子育て世代が望む住宅・地域環境とは?

フリーディスカッション

 

 皆様、ただいまご紹介をいただきましたニッセイ基礎研究所の白石真澄でございます。高いところから失礼をいたします。きょうご参加になっていらっしゃる方々の名簿を拝見しましたら、今までお仕事でかかわったことがあるような方々や、何度も会議等でご一緒させていただいた方がいらっしゃって、知り合いの前で話をするのは少し恥ずかしいような気がします。
 きょうは、建築や都市計画関係の皆様、主にハードにかかわっていらっしゃる方が多いということで、「少子化と地域環境」についてお話をさせていただきたいと思います。
 ご存じのように、シンクタンク受難時代、シンクタンクというのは「辛苦」と書く集団です。ニッセイ基礎研究所に、私が入社しました14年前は基礎的な研究をやりましょうという時代だったんですけれども、最近は1人当たりの売り上げ目標もありまして、私は主に建築計画でバリアフリーなどを勉強してまいったのでございますけれども、子育てや介護、道路・空港、高齢者雇用といった、ジャンルの異なる仕事を日々しているような状況で、ダボハゼ研究員のようになっております。
 この4月からは、ご縁がございまして、東洋大学の経済学部の方に新しくできました社会経済システム学科で年金と福祉の経済学を教えることになっております。
 本当は3月に少し有休をとって、授業の準備でもしようかなと考えておりましたが、実は3月中にアメリカ出張とスウェーデン出張2回も入ってしまって、ほとんど会社に行くことができておりません。このままでは、学生さんに申しわけない状況でございます。



1.わが国の少子化について

 最初に、今の日本の少子化をめぐる現状を少しお話をさせていただきたいと思います。
 お手元に簡単なレジュメが行っていると思いますけれども、私の頭と一緒でいろんなところに発散して飛ぶと思います。
 「少子化」、これをパソコンで打っていただくと、「焼死」とか「笑子」という字が出てくることもありますけれども、少子化というのは、ここ10年ぐらいでいわれているのかというと、実はそうではないんです。ここの中にも、昭和22年、23年、24年生まれの方、ベビーブーム世代に生まれた方がいらっしゃると思いますが、その直後から日本の少子化というのが始まりました。
 戦後、戦前もそうですけれども、子供を産むことが一家の支え手をふやす。家の後継ぎをつくっていくということ。子供を持つことに経済合理性が見出せた時代でございますが、戦後国が豊かになるにつれて子供は生産財ではなく、消費財に変わってしまったわけです。戦後すぐの、ベビーブーム直後の少子化というのが1つ目の谷で、ここ10年間の少子化というのが2つ目の谷でございます。
 しかし、1つ目と2つ目の谷というのは全く異質です。どう違うかというと、1つ目は、専業主婦が産まなくなった時代です。国が豊かになるにつれて、子供を豊かに育てたい。その当時は、急激に第3次産業化して、サラリーマンの妻がふえた時代でございます。企業社会に効率よく組み込んでいくには、子供を高学歴にして、生産の現場に送り込む、これが非常に合理的だったわけです。そうしますと、1人の子供を育てるのにお金がかかる時代で、昔は3人、4人産んで、高校出ると就職だったんですが、大学教育を受けるには費用もかかります。また、主婦の方も子育てを楽しむ時代になりました。これが1つ目の谷でございます。
 2つ目の谷というのは、厚生労働省、昔の厚生省が、1.57ショック、これを発表した直後ぐらいから少子化傾向が進んでいます。これは非婚、晩婚による少子化ということがいわれております。つまり、遅く結婚する人がふえて、高齢で子供を産むのが嫌だ、自分の体とのバランス、体力的な不安もあって、高齢で子供を育てて、夫が定年を迎えるまでに大学を出てしまわないといけない。こうしたことから、遅く結婚することが晩産化、つまり晩産化が晩婚化につながりました。
 お子さんがいらっしゃる方はご経験あると思いますが、私も31歳で第1子、33歳で第2子を産んで、一般的にはちょっと遅いかなという感じでございました。私が入院していた病室は6人部屋で、ほぼ高齢出産組、皆さん、平均年齢40歳ぐらいだった。そうすると、若いお母さんが夜中に、「授乳ですよ」と起こされると、嬉々として授乳室に行くわけですが、私を初めとして、40代前半のお母さんたちは、看護婦さんが「授乳ですよ」と呼びに来ても、「パス」「ミルクあげておいてください」と、夜の授乳が耐えられないぐらい体力がないわけです。退院するまでに、みんなで何回パスするだろうかというふうに、やはり子育てというものは、子供が3歳ぐらいになるまでは非常に体力、精神力も要る作業です。
 若い女性はそうしたことを周りからどんどん聞いていて、やはり若いうちに産みたい。でも、遅く結婚したんだったら、1人でやめておこうという気持ちになるわけです。1つ目の谷と2つ目の谷は全く異質です。
 先ごろも、新しい将来推計人口が発表されました。今までの推計よりもさらに悲観的になっている。2007年以降人口が減り始めるということだったんですが、それが1年前倒しになる。前回、5年前の推計は、2050年時点で高齢化率33%でしたが、それがもう35%を超えている。ますます支えられる側がふえ、支える側は逆ピラミッドのような構造になってしまっているわけです。
 しかし、最初に私の個人的な認識としてお話ししておきたいと思いますのは、何も少子高齢化というのは暗い時代ではないのではないか。子供が少なければ、人口1人当たりの生産性を高める上での工夫というものがありますし、60歳で定年といわず、元気な間は働いていただく。そして、今まで企業戦士といわれた男性もやや家庭回帰をすることによって、女性も就労できるようにする。こうしてみんなが豊かな生活時間を享受できるようなシナリオが描けるのではないか。少子化とか高齢化を所与の条件として、少ない人口でどうやっていくか、高齢者も加えてどう頑張っていくかという将来設計を描いていけば、何も暗い社会にはならないのではないかなと思います。
 スウェーデンのように、生まれてくる子供の10人に3人ぐらいが未婚の母、シングルマザーが産む子供と違いまして、日本はまず結婚せねばならない。先日、人口動態の発表があって、できちゃった婚がふえている。20年前に比べて2倍にふえているということが発表されました。何と驚くべきことに、15歳から19歳までの中で産んだ人の中の81%ができちゃった婚なんですね。20代後半でも56%ぐらいができちゃった婚。つまり、性の低年齢化が進んで、子供ができてしまうという状況が生じているわけです。
 しかし、日本の中では、一般的には結婚しなければ子供が生まれないわけですから、結婚をしてもらわないと子供が生まれない。じゃ、なぜ結婚しないのかということに少し立ち返ってみたいと思います。
 なぜ結婚しないのか。10年ぐらい前、まだバブルのころは3高ということがいわれました。高学歴、高身長、高収入、この3つの条件を満たした人がいいわといわれていた時代でございます。厳しい現実を女性の方も、男性の方も直視するようになったんでしょう。最近では、自分のことを理解してくれる、自分と考え方が一致しているという精神的なものに価値を見出すようになっております。
 しかし、若い男性、20代後半の男性とか20代前半の女性を見ると、まだまだ現実の厳しさがわかってないような感じです。
 私もこうしてお話をさせていただくことが多いんですが、先ごろある女子大で「結婚する人の理想の年収は?」と、大学4年生の方に聞いてみたら、皆さん、「2000万ぐらい」というふうなことをいうんです。(笑)「2000万って、どういう人たちの収入かわかっている?」といったら、「さあ、わからない」というんです。
 どこまで夢なのか、どこまで現実的なことを踏まえているのかわからないんですが、結婚の条件の差を比べますと、男性と女性では明らかに平行線でございます。男性が1番に女性に重要視するポイントとしては家事能力です。2番目は、人づき合いのうまさ。自分の親や親戚とうまくやってくれる。3番目に、容姿、セクシーさというものが来ます。これは料理がうまくて、そつなく人間関係をこなして、夜になると、ネグリジェを着るとかTバックをはくとかセクシーな女になれというふうに、非常に多面性があるわけです。私は、これを「かっぽう着の似合う浜崎あゆみ」といっているんですけれども、そういう人は金のわらじをはいて探してもいないわけです。
 一方、女性の方はどういう人を望んでいるかというと、1番には経済力、安定した職業です。このリストラの時代に、リストラがあるかもしれないけれども、自分の夫だけはそういう人を選ばないという確固たる信念があって、まず経済的安定性を選んでいます。その次に来るのは家事能力です。ここら辺から見ると、両方とも楽をしたいがゆえの結婚条件だということがいえると思います。
 最近では、結婚の主導権は女性が握っているということをいわれます。女性が男を選ぶ時代。しかし、実際はそうではないんですね。結婚の前後であなたの生活がどういうふうに変化しましたかということを、結婚した人たちに調査をしますと、今の制度、今の仕組みの中では男の生活はほとんど変わっていないわけです。今まで彼女が働いていて、彼女の稼いでくるお給料というものが、家にも入れず、デート費用に消える時代は、それなりにデートをしても楽しかったわけですけれども、結婚したことによって、女性が職業を変える、働き方を変える、つまり、派遣になったり、パート化をする。こうしたこともあるでしょうし、仕事を妻がやめるという場合がある。そうすることによって経済的には非常に苦しくなるわけです。今までデート費用を負担してくれていたのに、生活費を2人分賄わなきゃいけない。結婚したことで経済的には苦しくなっていますが、生活時間のゆとり、人間関係の広がりとか、精神的なゆとりというものは男性はほとんど変わっていないんです。
 つまり、結婚することによって、特に1人暮らしだった男性は、家事をしてくれるお母さんをもらい、それなりに自分のメンターになってもらう友人も家の中に内在化するということがあって、男性はほとんど生活が変わらない。女性の方はすべての面において、結婚前後の変化が大きいわけです。今まですべて、ご飯も掃除もお母さんがやっていたものを自分がやらなければいけない。これにまず愕然として、離れて住んでいればそれほどでないかもしれないですけれども、嫁姑とか、そういう関係をしょい込んで、週に1回は姑と一緒に食事をしなきゃいけない、そういう人間関係の煩わしさも出てきて、一方で、時間的なゆとりだけは、仕事を持っていたころに比べて女性は若干ふえているわけです。
 こうした結婚前後の変化は女性の方に非常に逆風が吹いていて、男性は割と追い風です。こうしたことを今の若い人たちは、結婚を経験した人からどんどん聞いているわけです。見えない敵に対する恐怖心みたいなものが募っていて、それでなかなか結婚に踏み切れない。こういうことも非婚の理由として1つ挙げられます。
 2つ目の理由が、機会費用の逸失です。会社に入社して、7年〜8年たつと、そろそろ仕事の面でも安定して結婚適齢期、今ではそれも死語になりました。昔はクリスマスケーキといわれ、24までは売れるけれども、25を過ぎるとたたき売りとか、最近ではおせち料理といわれ、30とか31までは注文があるけれども、それを過ぎるとだれも買わないみたいなことがいわれていましたけれども、適齢期というものも死語になりました。
 しかし、ある程度キャリアを積んだ人にとって、結婚はリスクがあるわけです。自分が仕事をやめて、自分が仕事を変わって、自分が人生をかけた人が自分の思いどおりにいかなかった場合、非常にリスキーだ。働いていた部分の年収を失うじゃないか。一たん中途でやめてしまえば、次の就職もすることができない。こうした自分の機会費用を失うことに対するリスクがある。
 3つ目の理由は、アウトソーシングできているわけです。昔は、地方であれば20過ぎて嫁にも行かないのはどこかおかしいんじゃないかとか、いろいろいわれましたけれども、最近ではそうした世間体というものもありません。特に都市部に住んでいる限りは、コンビニもありますし、風俗もあるし、今まで家庭の中に内在化していたものが、すべでアウトソーシングできていて、何の不便も感じないわけです。ふだん汚くしておいても、3カ月に1回ぐらいハウスクリーニングを雇えば、文句もいわれずに部屋がきれいになるわけですから。こうしたことから今の人たちが結婚をしなくなっているということがいわれています。
 次に、この非婚、晩婚というのも都市部で非常に顕著です。これは都市部での職業機会が豊富、女性が自立しやすい、女性が職業を得られやすいということがあろうかと思います。それと合わせて、少子化というのも都市部で進んでいるわけです。
 今日本の中で、子供の数、出生数がふえているのは、山形と沖縄です。これはどういうことかというと、学問的に検証できているわけではないですけれども、山形は3世代同居率が一番高く、かつ住宅的にもゆとりがあり、女性の就業率が日本一です。地方ですので、職住近接。つまり、家におじいちゃん、おばあちゃんがいて、子育てをサポートしてくれて、女性がそこそこ自己実現をできていて、旦那が早く仕事から帰ってきて、子育てを手伝ってくれると、ふえるというような話もありますし、沖縄では地域共同体がしっかりしていて、暖かい地域ですから、子供をある程度放任しておいても、地域のだれかが見てくれる。地域コミュニティーがしっかりしている。これはフィリピン等でも同じだと思いますけれども、自分が関与しなくても、外に子育てを助けてくれるような共同体がある。こうしたことが起因しているのではないか。
 この少子化というのは、世界的に見れば、敗戦国、戦争に負けた地域ほど進んでいます。今世界的に見て、イタリアが一番少子化が進んでおりまして、1.22です。先ごろ、2000年の合計特殊出生率、15歳から49歳の人が産む子供の平均数、1.36という確定値が出ました。イタリアはそれよりはるかに低い1.22です。ドイツもイタリアも日本もノルウェーも。ノルウェーは関係ないですけれども、敗戦国で急激に戦後復興を遂げるがために、男女の役割分担が急激に進んだ国です。
 一方では、国連の女性の社会参加率をあらわすような指標、つまり、政治の場にどれだけ女性が参加しているか。地方議会では2割を超えていますけれども、国政の場についてはまだまだ、参議院では若干多いんですが、衆議院は非常に少ない。こうした政治の場への女性の参加率とか、1部上場企業の女性の役員がいないとか、こうした女性の社会的地位と少子化の傾向というのは相関関係がある。これはデータ的に明らかでございます。



2.理想の子供を持たない理由

 じゃ、どうして理想の子供数を生まないの。これについてはいろんなところで調査されています。一番大きな理由は、男女合わせてみれば、経済的な面です。一般的に経済的にお金がかかる。それは当然のことではないかなと思います。
 最近のデフレ化の中では、子供を産むときに来年の給料が見えない。これは非常に大きな問題なんですね。1人を産もうか、もう1人頑張ろうかといったときに、2人大学を出すぐらいまで稼げるかどうか。給料の問題だけだったらいいですけれども、首がつながるかどうかという時代に、子供を産むことに対して明るい展望が描けないわけです。
 まず1つ目は経済的な問題。少子化の根本的な解決は経済再生だと思います。国民全体が明るい将来展望を描けない、これがゆえに、子供を産まなくなっている。
 各国比較をして、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの国の未来感というものを見た場合、アジアは比較的どの国も、親の世代よりも自分の世代が幸せで、自分の子供の世代はさらによい社会になるという希望を持っている。また、アメリカやスウェーデンという成熟した社会価値観を持つ国では、比較的安定です。あまり上下変動がない。親の世代もよかったけれども、自分たちの世代もそこそこ幸せで、子供たちの時代も安定性がキープされるだろうということ。
 日本が唯一ずっと右下がりです。親の方がまだよかった。今の現状を見れば、65歳以上の方は安定した年金をもらって、それなりに蓄財をして、老後を迎えることができるわけですけれども、今後私たちは、払った分だけはもらえないし、非常に不安定な時代。さらに自分たちの子供の時代はもっともっと社会保障の負担が大きくなりますから、暗くなるだろうという認識を持っているわけです。
 2番目には、子供の教育費にお金がかかるということです。野村総研等が調査をしておりますけれども、一般的に私立に行った場合に幼稚園から大学まで3000万ぐらいお金がかかるだろう。医学部に行くと6000万といわれています。公立の場合でも1千数百万かかるわけです。こうしたときに、子供に教育をつけていくのは親にとっては非常に重荷なわけです。2つ目が経済的な理由です。
 その次に年齢的な理由が来ていて、女性にとっては仕事と子育ての両立、こういうものが重荷になっているようです。
 男女別に見ると、男性はどちらかというと、経済的な不安が多く、女性はどちらかといえば、自分の健康の問題、年齢的な問題、仕事との両立、こうしたものが色濃いわけです。



3.ファミリー層を対象にしたこれまでの住宅政策

 そろそろ本題に入っていかなければいけません。住宅関連の理由も第5位に来ています。住宅が狭くて子供を産めないという理由が第5位に上がっているわけでございます。少子化が都市で顕著ということを考えれば、生活コストも非常に高いし、住宅の家賃、ローンの支払いも非常に高い。こうした生活費の高さや住宅面積もすべて都市に起因する問題でございますので、少子化というのは、都市に非常に色濃い課題だということでございます。
 少子化というのは、一般的に本当に悪いのかどうか。これはよくいわれていることでございますけれども、過密や通勤混雑が緩和されていいんじゃないか。お盆やお正月のときに、2割ぐらい東京の人口が減って、8割ぐらいになって、通勤電車に乗っていても快適な、新聞を座って広げられるような、あれくらいでいいんじゃないかというご意見も聞かれます。
 今私どもの子供が通っている学校は、千葉の新興住宅街なんですけれども、そこで子供がふえている地域でも30人学級ぐらいです。私たちの小学校のころは45人学級で、狭い教室にひしめき合うように子供がいたわけです。中学校なんて14クラスぐらいあった時代。今私どもの子供は30人1クラスの少人数学級の中で、担任の複数制みたいのもやっているわけです。30人1クラス、1学年3クラスだとしたら、90人を3人の先生で見ましょう。1人の目で見て評価をしていくのではなくて、3人の先生が多様な目でその子を判断しましょう。こういう教育はあまり人数が多くなるとできないわけです。そうした中で、子供が減るというのは、私も、親の顔と教師の顔が一致して非常にいいと思いますし、こうしたメリットがあるだろう。
 しかし、一方では、労働力の減少ということにつながってきます。今後団塊の世代がリタイアすることによって、400万人ぐらいの労働力人口が減っていきますけれども、それは60歳を過ぎた人で何とかカバーできる。幸いなことに、日本の高齢者は、きょうはあまり高齢者雇用のお話はできませんけれども、生きがいや健康志向のために働きたいという人が非常にいわけです。生涯現役意識が強い。
 4年前から、労働省から調査をいただいて、高齢者雇用の調査をしております。建設業や運輸業、そういうところは業種別に見て非常に高齢化が進んでいる業種なんですね。高齢者雇用ということを一般的に論じてもなかなかうまく進まないわけで、もう少し業種別に細かく見ていくことによって、必ず高齢者にフィットできるような職域があるわけです。
 例えば、ビジネスホテルについては、3年間、調査をして報告書を書いたんですけれども、現在出張費が削減されて、スーパーホテルというような新規参入組ができて、ビジネスホテルをめぐる逆風が吹いているわけです。経営環境が非常に厳しい。そうした中で環境に優しいというようなことをうたい文句にして、今までアメニティグッズについては、1室にそれぞれ1つのボトルを置いていたところを、壁に据えつけにしてコスト削減をしたり、水道の蛇口に金具を取りつけて、水圧は変わらないけれども、水道の量が削減できる。こうした涙ぐましい努力をして、あと手をつけるところは人件費しかなくなってきたわけです。
 そうしたときに、サービス業というのは割と高齢者の体力でもできる部分がある。特に24時間稼働している職場ですから、若い人が仮眠をしているときに、高齢者にフロントに立ってもらうことによって、補助金を使えば、今まで1人若い人を雇ってきた人件費で2人の高齢者が雇える。こうしたことが可能になるわけです。
 ずっと事業所を歩いて、どういうところで高齢者を活用しているかというのを調べて、活用の方法論などを2年ぐらい調べてきました。そうすると、事業主の方は、こことこことここだったら、高齢者を使いたいということが明らかになってきています。どこかというと、フロントと警備と機械の保守点検と、営業です。どの人でもいいというわけではなく、やはり能力とのマッチングがあると思いますけれども、地場のJRや教職員を退職した人で地元につながりのある人を雇ってきて、攻めの営業をしたいというお話もありますし、警察官を退職した人を雇って警備をやっていただきたい。こうしたような業種別で細かく見ていくと、高齢者が働けるようなところは必ずあるわけです。
 そうしたところもありますけれども、社会保障制度、私たちは年金を払ったとしても、年金というものは相互扶助の保険の概念ですから、損得勘定で論じてはいけないわけですけれども、今65歳以上の人は、払った分以上にもらえているわけです。私たちは10払ったとしても、8ぐらいしかもらえない。私の子供の世代になると、10払って4ぐらいしかもらえなくなってくるわけです。こうした社会保障制度への影響というものも出てきますし、少子化がメリットかデメリットか、これはいろいろ議論があるところですけれども、これについてこれを所与の条件としていかなければならない時代が既に来ているということです。
 少子化対策ということがよくいわれますが、私はこの対策という言い方はあまり使わない方がいいのではないかなと思います。今10人に1人ぐらい軽い不妊だといわれておりまして、テクノストレスとか、職場でのストレスで妊娠する比率が非常に低くなっている。そうした中で産めよふやせよ的な国民的な議論になってはいけませんし、産まない選択をした人、産まないということを決めた人、産めない人について、プレッシャーをかけないようにしなければいけない。むしろもう1人産みたい人にどう安心して産んでいただけるか。ここを考えなければいけないわけです。
 住宅に入る前に、1つ結論からいうと、少子化というのを今政府は余りにもまぜこぜに考えていると思います。子供の人数別で、「なぜ次を産まないの?」ということを聞いてみますと、理想は皆さん、どの人に聞いても、現状の子供プラス1とお答えです。2人いる人に「理想の子供は何人ですか」と聞くと、大体、3が平均数で、1の人に聞くと「2人ぐらい欲しかったわ」というふうに、必ず現実の子供数と理想の子供数、約1ぐらい乖離しているわけです。
 しかし、0の人、全く産まない、私はずっとキャリアを追求するのよという人について、効き目がないわけです。0から1の人については、昨今、自治体の中に不妊治療のための医療費を出すようになったところもあります。しかし、不妊の問題と少子化の問題は別個に考えていくべきだろうと私は考えています。
 子供が1から2にいかないときに、どういう問題があるかというと、女性の中で、最初に申し上げたように、機会逸失、自分が働き続けられなくなることによって、もし2人生まれると、働き方を変えなければいけない。仕事をやめざるを得ないかもしれない。こうしたことによって、機会逸失費用が非常に大きくなる。これへの懸念が大きいわけです。1から2になるときには経済的な面です。
 2から3になるときに、どういうことがいわれるかというと、ここでは、ようやく住宅みたいなものの因子が効いてきます。政府の中で児童手当を拡充するということも既に行われてきました。あれは小学校に子供が上がるまでに年齢を拡大して、数千円程度月々に出していくわけですけれども、金をばらまけば、子供がふえるというわけではないわけです。一過性のもので、非常に効果が薄いのではないでしょうか。きちんと少子化の要因分析、なぜ進まないのかということを調べた場合、私は、多面的な対策が必要ではないかなという結論に至っております。
 その1つが、先ほど申し上げたような経済対策、明るい将来展望をつくっていく必要がある。また、短期的な対策と、中長期的な対策に分かれると思います。短期的な対策は、小泉さんもおっしゃるように、保育所の待機率をゼロにする。これはすごく結構なことだというふうに思います。
 保育所に入るためには、後で保育所と家の話もしたいと思いますけれども、まず在職証明というものが必要になります。
 そうした中で、待機児の概念というのは、申請を出していて、空きを待っている人という定義です。保育所をつくればつくるほど、女性の中の潜在的な要求が浮き上がってきます。例えば、隣の奥さんがパートに行き始めて、子供を預けてすごく生き生きとしている。じゃ、私は大学に行きたいから、もう一回大学院に行って勉強したいから、保育所に子供を預けたい。それでだれもが認められるかというと、かなり優先順位があります。まずフルタイムで働いていること、さらに年収、近所に親がいなくて、親が健康でないこと。病弱である場合は比較的優先度が高くなります。こうした諸条件があって、いつでも、だれでも、どこでも、どんなときにでもというような状況にはなっていないわけです。
 東京都の中に病院の中で病児保育をやっているところもありますが、子供が37.5度以上になると、有熱ということでお迎えに来てくださいといわれて、病気のときに見てくれるようなところがない。確かに、待機児をゼロにしていくことはすごく重要ですが、これは到底不可能なことです。どんどん欲求が出てきますし、数よりもむしろ質の点に着目していくべきではないか。
 子供を産む上でのテクニックがあって、これは別にオーバーなことではないんです。私はお腹が大きい人を見たら、みんなにこれをいってあげたいんですが、5月ぐらいに産んで、1年間育休をとると、苦労の中に飛び込むようなものなんですね。5月に産んで、2月に申請をして、4月1日から保育園に入れないと、あとは1年、無認可保育園の流浪の民になってしまいます。認可保育園は、東京都で最高額4万円ですけれども、無認可になると、私が下の子供を入れたときに、入園金10万円取られ、月々に6万円取られ、さらに退園金も要る。経済的にプレッシャーが大きいわけです。
 今の公的な認可保育園だけで、女性の多様なニーズが満たされていないわけです。女性の深夜労働が解禁されて、夜働いているサービス業の人も非常にふえました。ファミレスでも深夜12時ぐらいになっても女性は働いている。しかし、その一方で、深夜預かってくれるような安心できる保育園が家の周りにあるかというと、そうではないわけです。皆さん、夜働いている人はタクシーで駅前のチビッ子園なんかに連れていって、朝の3時か4時ぐらいに仕事が終わるときに、そこにまた迎えに行って、寝た子供をおぶって、もう1人の子供の手を引いて、起こして、寒い中、家に連れて帰る。こうした努力をしているわけです。
 ベビーホテルでいろいろな問題があって、ようやく無認可保育園を開設するときには届出をせねばならなくなりましたけれども、去年までは行政の方は全くノータッチだったわけです。
 こういった保育園の対策は、短期的な対策です。住宅については、やや中期的な対策ではないかなと思います。長期的な対策としては、私はやはり男女の賃金格差をどう是正していくか。企業の中で、制度はあるけれども、運用面で問題があるところをどう運用しやすくしていくか。これについて考えていくべきだろう。
 昨年、育児休業をとられた方を調べてみますと、出産した方、女性の4割が育児休業をとっています。6割がとっていない。産休だけで復帰しているわけです。とらなかった理由としては、一たん休むと自分のポストがなくなるかもしれないということです。戻ったときに、だれか自分のかわりに新しい人が来て、自分の仕事がなくなる。こうした不安もあった。また、育児休業の間は無給ですから、男性と女性とを比べて、給料が安い女性が休めば合理的なわけです。その間夫の片働きの給料だけで家計を支えることができるわけですから、男性が休むよりは女性が休んだ方が合理的なわけです。
 男性はどれぐらいとれているかというと、1000人以上の企業でとった人はわずか0.3%です。中央官庁なんかでもおとりになった方がいらっしゃいますし、自治体職員の方でもおとりになっていらっしゃいますが、民間企業の中では非常に少ないわけです。それも特殊な職種に限られている。SEさんとか、家でもできるような仕事があって、在宅勤務的なことができる人たちに限られている。なぜ、男性がとれないのか。これは1点には、先ほど申し上げたような給与格差です。2点目には、やはり企業内風土と申しますか、企業のカルチャーです。
 私はもう会社に今週でおさらばするので、こういうことをいっちゃっていいと思いますけれども、私は1人目の子供を産んだときに、会社から1通の通知が送られてきまして、降格にするというようなことがありました。何で降格なのか。私もそのころはまだ純粋だったので、産む1週間まで働いていて、2カ月後に復帰したときに、半年間降格だからということをいわれたんです。そのときにどういうふうにリアクションしていいか、まずわかりませんでしたし、保育園を探すことと子育てのことで、そんな会社に対してどう文句をいうかなんて、思いもよらないわけです。
 友達の弁護士に相談した結果、「出るところ出たら、これ、お金取れるよ」とかって、その人がそそのかすので、私も意を決して「じゃ、出るところに出ましょうか」というと、次の日から戻った。制度がつくられていても運用面で労働基準法にひっかかるようなことはしているわけです。
 生命保険会社という親会社は数万人の女性職員の中で支えられている企業体であるにもかかわらず、子会社には依然としてそういうカルチャーが残っている。何を申し上げたいかというと、私の怨念、恨みを申し上げているのではなく、(笑)制度があっても、それをきちんと運用できているかどうか。ここなんです。社内結婚をする際にも、総合職同士が結婚すると、「今度結婚するんだって?おめでとう。で、君、ところで、仕事を続けるんだって?そうか、じゃ、ご主人、転勤かもね」というふうに、依然として圧力がかかっている企業もあるわけです。
 私は、年代で差別をしてはいけないと思いますけれども、今いる管理職の方は、男女の役割分担をきちっと分けて、妻は育児、家事、夫は企業戦士として働く、こういうことを当然としてきたから、新しいカルチャーがなじめないということはあると思いますけれども、今の女性がどういうことを考えているかというと、やはり結婚しても働きたいわけです。
 次に、出産して働くかというと、そこはやはりフルタイムみたいなものは望まないわけです。女性の方もすごくお利口さんになってきて、男性のように、私たちのはるか先輩の第1世代のように、自分の生活を犠牲にして働いても、ガラスの天井があって、限界があるとわかっていますから、それなりに自分のテリトリーを確保して、そこの中で能力発揮をしたい。つまり、子供が生まれると、フルタイムからパートタイムに変わって、自分の役割感をある程度達成して、そこそこお給料をもらえて、子供が大きくなると、また急行の路線に復帰できるような働き方を望んでいる人がほとんどです。
 日本の女性の就業率のカーブ、M字といわれます。結婚して働き続けて、子供が生まれてやめて、子供が中学や小学校高学年になるとまた働き始める。これはヨーロッパやアメリカに比べて、Mの落ち込みが大きいわけです。ここが労働力確保のために非常に問題だということで、子育て支援ということがいわれている。しかし、それを正規の職員で見るか、パートで見るかによって違うと思いますが、私は今の日本の若い女性のカルチャーでは、どんなにやってもこのMのボトムが完璧に上がっていくことは難しいだろう。ほとんどの人がフルタイムでの働き方を望んでいないわけです。
 ということからいうと、やはり男性が休めるように、経済合理性で格差がないように、男女の賃金格差をどうしていくか。次に、制度があっても、そこをきちんと運用できているかどうか、チェックをしていくべき。男性の育児休業取得率について公表を義務づける。きちんとそのデータを公表して、女性に働きやすい企業とはどこかという、サクセスモデルという言い方は変ですけれども、そういうところをアピールしていかなければいけないのではないかなと思います。



4.子育て世代の住宅実態

 そろそろ住宅に入っていきたいと思います。住宅については、やはりバブル以降どんどん都心の中から子供を持つ世代が郊外に流出していきました。中央区や千代田区とか、中心区の方も一時は非常に人口減に悩んで、都心区の中では、何とか都心区に家族世帯、ファミリー世帯を呼び戻したいということを考え始めました。
 その中で、附置義務政策みたいなものをやってきたわけですけれども、そこの実態を調べると、実際住宅の箱物だけがあればいいというものではないわけです。芝浦あたりの企業のビルに併設された住宅を見ても、土日に客に来てもらったら、すし屋から出前もとれないようなところに住宅があったり、そうした周辺環境が子育てにふさわしくない地域に、住宅供給がされているところもあるわけです。
 これから後半でお話をさせていただくことは、私どもが3年ぐらい前に横浜市で子育て中の人たちにどういう住宅に住みたいか、どんなことを望んでいるかという住宅に関するアンケート調査をして、さらに子供の年齢別、保育園に子供を預けているお母さんとか、幼稚園に子供を通わせている人、0歳、1歳児など在宅で小さい子を抱えた人たちとか、育児連という父親も育児に参加しようという男性のグループとか、10グループ、インタビューもさせていただいて、「どんな住宅がいいの」とか、「何を悩んでいるの」ということを聞いてまいった結果です。
 横浜のアンケートの結果をつらつら書いているんですけれども、結論を一言で申し上げると、収入と住宅に子供の数は比例しています。つまり、金持ちで広い住宅を手当てするほど子供の数が多い。かつ、あまり豊かでない、そして年齢別で切ってという前提を置かなきゃいけないんですが、年収が低い、イコール若い人だから、子供が少ないのではないかなという見方をされると思いますが、同じ年代で切っても、マル金で家が広い人は子供数が多い。マルビで、住宅がちょっと脆弱なほど、子供の数が少ないわけです。
 私の知り合いの企業の社長さんで、子供が6人いらっしゃる人がいるんです。そういう人たちは、子育てというのは経済力なんだなと思うぐらい、子供の半分を医学部に行かせている。お金持ちだけが、豊かな方だけが子供をたくさん産めるというのは、私は成熟した社会ではないと思います。子供を持ちたい人が理想の子供の数だけ持つためには、住宅の理由が5位に来ているわけですから、子育ての安心、安全基盤として住宅を位置づけていかなければいけない。当然のことながら、日本は昭和46年以降でしたか、1世帯当たりの住宅戸数も上回って、今1世帯当たり1.13戸ぐらいです。量より質の時代を迎えたといわれております。持ち家については、欧米並みの水準に近づいてきておりますが、やはり非常に劣悪な条件、人間関係が悪化しているのは賃貸住宅です。
 とりわけ、住宅すごろくの点からいくと、まず結婚していきなり親から頭金出してもらって、分譲住宅に住める人はすごく恵まれた人で、一般的には社宅に入ったり、賃貸住宅を買って、住宅すごろくのこまを進めていくんですが、やはり第1子を持った直後、子供の年齢が0歳から3歳〜4歳ぐらい。今初婚年齢が女性が27歳、男性が29歳で、第1子を持つ年齢が女性が31歳、男性が33歳ぐらいです。この30代前半の方の住宅の条件が非常に厳しいわけです。
 特に横浜の点は、相鉄線とか郊外の方に沿線が延びてしまって、郊外に行けば、広くて安い住宅が手当てできるわけです。仕事をしている女性のグループインタビューの中で、住宅の何を我慢するかというと、狭さと高さを我慢する。少々狭くても高くても、やはり職住近接を選ぶ。これが一番の条件なわけです。
 横浜市では集合住宅比率が非常に高い。全国平均で見ると、戸建てが6、共同住宅が4ということですが、横浜はこれが逆転してしまっているわけです。そうした中で、集合住宅に住んでいる人の中でどういう問題が起こっているかというのを、いろいろグループインタビューしたり、不動産屋さんに調査に行って聞いてみました。一言でいうと、まず全体に人間関係が希薄なわけです。
 住宅の種類によって人間関係がどう違うか。まずあいさつをする人がいるかどうか。おかずのおすそ分けとか、ふるさとに帰ったときに、お土産物を上げたり、もらったりするかというつき合い。上がって話をするか。玄関先のつき合いと、一歩家の中に入るつき合い。それと、物事の相談に乗ってもらったり、何か依頼をしたことがある。もう少し深いコミットの仕方。5番目に、子供を預けたり、預かったりするかどうか。
 つき合いの深さ別に見てみますと、同じ年代別で見ても、持ち家の戸建て住宅に住んでいる人ほど、人間関係が深いわけです。賃貸住宅に住んでいる人は人間関係がすごく希薄。定住意識がまずないということなんでしょうけれども、皆さん、そこでコミュニティを形成しなくても、いずれはどこかに移り住んでいくという決意をお持ちですから、適当につき合っておけばいいわみたいなお考えが多いのでしょう。人間関係が希薄というのであればいいんですけれども、かなりトラブルが生じているということも明らかになってきました。
 近隣から子供のことで文句をいわれたことがあるかどうかとか、ご近所の子供に悩んだことがあるかというトラブルについても、賃貸住宅でのそういった経験比率が高いわけです。
 ある集合住宅の方に聞いてみると、横に公園があって、土日の朝の9時から12時、午前中は子供を外で遊ばせないという暗黙の取り決めがあったりする。なぜかというと、土日の朝はお父さんが寝ている時間だから、子供に外で遊ばれるとうるさいというので、そうした取り決めがあるわけです。
 また、賃貸借契約においても、最近では住宅余りですから、昔のように「ぺットだめよ、子供だめよ」という大家さんは少なくなりつつあります。やはり子供がいることによって入居差別みたいなケースも多々聞かれました。男の子1人、6歳以上の子供ならいい、女の子2人でもいい、しかし6歳未満の男2人というのは絶対だめというふうに、何でこの2人がだめなのかわかりませんけれども、子供の数によってかなりの入居差別が行われていることと、退去をするにしても、自然的な破損であるにもかかわらず、子供を理由に法外な敷金を引かれたというケースも聞かれているわけです。賃貸借契約の中でも子供をめぐってのトラブルが多いですし、人間関係でのトラブルも非常に多いわけです。
 これはちょっと変な話になってしまいますが、住宅が狭いということは家族のプライバシーの問題にも非常にかかわってくるわけです。子供の年齢が6歳から10歳、小学校入りたてから3年〜4年生ぐらいでしょうか、その年齢の半分ぐらいが母親と一緒に寝ているんです。これは小学校低学年ぐらいならいいかなということですけれども、11歳から15歳の男の子の2割も母親と一緒に寝ているわけです。
 これは横浜市で行った調査の平均床面積とか、間取りが3Kから3LDKということなので、子供の個室も確保できない。特に2DKにお住まいの方は、子供が2人いれば個室が確保できないわけで、中学生になってもお母さんと一緒に寝ているわけです。そのパターンとして一番多いのが、夫婦の寝室を確保して子供が別に寝ているという場合も多いんですが、お母さんと子供が一緒に寝て、お父さんだけ別よというパターンもそれに次いで多いわけです。つまり、子供に個室を与えればいいというわけではないですけれども、子供のきちんとした個室が確保できないという以前に、夫婦のプライバシーが確保できていないという問題も非常に多い。子供が少ない以前の問題があるわけです。
 家賃を全国平均の家計調査で見ると5万3761円ぐらいなんですが、横浜では10万円ぐらいで、これが世帯収入の2割強を占めているわけです。若い人ほど賃貸住宅に住んでいる人は、年間のお給料、ボーナスも入れた給料のどれぐらいを家賃が占めているかというと、26%ぐらい占めている。30代、40代でローンを返している人の方が比率的には高いわけですけれども、若い人の賃貸住宅のプレッシャーが非常に高いわけです。
 ここに保育費とかゴチャゴチャ書いたので、そのせいかどうかわかりませんが、子育て中の世帯の15%ぐらいが親からの家計支援を受けています。親の方は高い学費を払って大学を出し、結婚式の費用も取られ、なおかつ何らかの経済的負担を月々している。こうした状況が生じています。
 子供の年齢別にどういう住宅を望みますかというのを、マッシュの年齢別に切って見た場合です。これは子供が3歳未満、0、1、2、3。この3歳未満の場合は、大きな道路に面していないこと、日当たりがいい、こうしたことが最重要課題になってきます。3歳から6歳ぐらいになると、子供が1人で家の外に出れること、つまりエレベーターなどを使うことなく、1階におりていって、1人で遊んで帰ってこれることとか、そういったことを希望する割合が高くなってきます。ベーシックな点では、日当たりがいいとか、通風がいいとか、そういうことがあるんですけれども、細かな条件を聞いていけばそういうことが明らかになっています。
 子供が小学校高学年になると、やはり個室の確保が出てきて、附帯的な条件としては1人1台駐輪場が確保されていることとか、そういうことも挙げられています。
 子供が何歳のときに住みかえを考えていますかということを聞いてみると、賃貸からの住みかえというのは子供が小学校に上がる時点です。それ以外の時点で住みかえたいという比率はすごく低くなっています。進学について、子供をどこの学校に行かせるかというのは、親にとって重要課題なのかどうかわかりませんけれども、小学校1年生に上がるまでに、何らか自分の持ち家を手当てしたい。この比率がすごく高くなっているわけです。
 人間関係のところに少し戻ってみたいと思います。じゃ、あなたは、子育てをしてて人間関係が広がりましたかということを聞いてみました。広がったということが多いんです。どういうふうに広がったか。どんな年代の人とつき合っているかというと、集合住宅では、おばあちゃんがひとり暮らしの人もいれば、おじいちゃんがひとり暮らし、単身赴任のお父さんもいるでしょう。しかし、やはり同じ年齢の子供を持つ人としかつき合っていないわけです。言い方をかえれば、このデータだけでいえるかどうかわかりませんけれども、非常に同質化したつき合いの中で子供を育てているわけです。
 これをこの事件に結びつけていいかどうかわかりませんけれども、文京区の音羽で女の子が殺された事件がありました。子供の発達とか成長段階によってそれぞれ小さい子供に個性があって、3歳で英語が話せるようになる、教育を受ければ、そういう子供もいれば、小学校3年生になってようやく漢字の読み書きがすらすらできるように、発達段階によって子供の能力発揮の度合いは異なっていくわけですけれども、同質化したつき合いの中で母親たちは息苦しさを感じているんです。
 これはインタビューの中でも明らかになったことですけれども、子育てが終わった世代は子育てをしている世代とはあまりつき合わない。何でかというと、子供がうるさいとか、そういうトラブルがあって、自然と敬遠してしまっている。しかし、同じような人たちと同じような価値観の中で、それをもうちょっとひどい言い方をすると、夫の職業とか夫の年収とかで選別的な人間関係を形成しているといいます。そうした中で価値観というものが、共通軸として彼女たちの間にあって、そうした息苦しい中で子育てをしている。
 日本の母親は、各国比較をして、比較の仕方も違うと思いますけれども、子育てが楽しくないという割合がすごく多いんです。これは経年的な調査結果を見ても、子育ては楽しいものとは思えない、こうしたことをいっている割合が多い。つまり、3歳児神話というものが日本に入ってきたときにもそうでしたけれども、あれはアメリカで研究をして、ベトナム戦争で親を失った子供に、社会的なかかわりをなくすと、子供の社会性が育たないという学説が当初あったわけです。それが日本に移入されたときに、3歳までは実の母親の手で育てるべきだと解釈をされてしまった。そうする中で、母親が育てることが万能であるといわれ、同質化したつき合いの中で子育ての負担感が非常にあるわけです。
 しかし、住宅の中で、今後のこうしたことの解決策としては、ソーシャルミックス、社会の中の同じ構成員のような世帯構成といいますか、そういうものを実現していかねばならないのではないかなと思います。
 いろいろ地域の中で合築をしている事例を調べてみますと、最近では中央区とか千代田区とか、小学校がたくさん余ってしまって、廃校寸前になっているようなところもあります。廃校されたところもあって、統廃合が進んでいるわけです。そこの中でそうした空き教室の一部を老人のデイサービスセンターに転用したり、障害者の授産場に転用したり、機能を新しく入れかえているようなところがあります。そうしたところで、高齢者と子供がどういうふうにつき合っているかというと、やはりいい効果ができてきている。
 中央区にある晴海の老人ホームは中学校と特別養護老人ホームが併設されていて、中学生が入学することによって、必ず老人ホームを訪れて、老人ホームの施設長さんのお話を聞く。そうしたことがきっかけとなって、老人ホームでボランティアをするようになった。また、月々の交流行事で高齢者の方は中学生が来てくれることをすごく楽しみにしている。また保育園と老人のデイサービスセンターの交流の中では、小さい子供たちの活発な声を聞くのは、高齢者のメンタリティーにもすごくいい。高齢者にとっても、若い小さな世代とつき合っていくことが非常に重要だと思いますし、私は住宅の中でも、同質化したつき合いが悪いとはいいませんけれども、ある程度他世代が必要。他世代で住んでいく。世の中の構成員が同じようにそこの住宅の中に住んでいくことが必要ではないかなと思っております。
 各区で区立住宅をつくっていると思いますけれども、私は財源が限られている中で、こうした住宅をどんどん公的な資金でふやしていくことは限界があるだろうと思います。じゃ、どうするかというと、定借なんかを使って、今女性の6割が雇用者として組み込まれていて、全体の7割がパートタイマーなんです。今後ますます女性が働いていく中では、都心に住みたい。就業地の近くに住みたいというニーズが高まってくると思います。
 かつては、子供を育てる人たちは、夫が通勤をしてきて、残された人たちは郊外の広い分譲マンションとか戸建てに住んでいることが典型的なモデルでございましたけれども、調査を通じて明らかになったことは、働く人についてやはり都心志向でございます。現在この人たちがどういうような保育園への通い方をしているかというと、いろいろ子育て支援策を外国で調べると、スウェーデンでは、自分の住宅から10分以内に保育園がないと行政にクレームをいえる。自分が子供を産むと、保育ママとしてコミューンに登録をして、家で子育てをしながら、何がしかのお給料をコミューンからもらっていくことができると、自宅が保育園化するようになっています。
 そうしたことを日本ですぐにというのは無理でしょうけれども、やはり10分以内にこうした保育所は必要だと思います。
 それでは、今ある中で、横浜でどれくらいの人たちが、平均通勤距離といいますか、保育園まで通っているかというと、15分以上かかっているのが6割なんです。車で通えればいいですけれども、朝2人の子供の手を引いて、東京都なんかはシーツは保育園で洗ってくれるんですけれども、埼玉とかに住んでいる人は週末にふとんを持って帰って干さなければいけないそうなんです。子供が2人、3人いると、自転車の荷台にふとんを3つくくりつけて、子供は手をつないで走らせるという状況があります。そうした中で15分も歩いて通う。1人の子供はママチャリの前に積んで、あと2人は走らせて15分以上通っている人がかなりの比率でいる。やはり10分以内に保育園というものを整備していくべきだろう。しかし、今の公的なところだけでこれは手当てできないわけで、遊休化したものをどんどん活用していくべきではないかなと思います。
 高齢化の話をすると、高齢者がふえていく中で、中心部の中にすべての機能がコンパクトにまとまっている、こうした町の姿が理想的なわけです。
 先ごろ熊本に行ってきました。熊本で、ある工場が、かつては数十億売り上げがあったんですが、熊本の中心部から車で30分ぐらい。武蔵ケ丘という、豊肥線の駅から歩いて5〜6分。新興住宅街が周りにあって、若い人たちがどんどん住んでいる地域です。そこに工場が2つあったんですが、1つが閉鎖されました。電子部品をつくっているところですが、海外移転することによって国内で生産をすることができなくなった。
 そこで何が行われているかというと、工場を2500万かけて改装しました。建物はもともとあるわけですから、そこを内装して、床を張って、保育園をつくりました。保育園をつくって、ダンスホール、ボールルームをつくって、カルチャーセンターを11教室つくりました。非常に格安で、地域の人にお貸し出しをしている。カルチャーセンターは4時間使って1人500円だそうです。
 当初、そこの社長さんは、自社の従業員の働きぶりを見ていて、せっかく5年働いても子供を産むことによってやめていく。単なる単純労働のワーカーだけではなくて、スペシャリストに育てたいのに、就労を中途で断念せざるを得ない。男女共同参画というのは言葉だけではないかなという思いを持っていらっしゃったわけです。2年前にジョンソン・エンド・ジョンソンとアメリカのIBMを視察に行って、企業内保育所というのはこういうものだということを見てこられたそうです。
 そうして自社の工場内にそういうものをつくって、最初は自社の従業員に将来的な先行投資をして、人材が不足したときに地域の女性を大量に若い人を雇用したいという思いがあったにもかかわらず、実際にふたをあけてみると、地域の人からクチコミで申し込みがあって、今220人を抱えるようになったわけです。
 0歳から6歳までを3万円程度で預かって、看護婦3人を入れて、送り迎えはないんですけれども、連れてくればその日だけ預かることもできるし、月決めもできるし、1週間に何日というふうに、無認可でやっていまして、行政からの補助金は一切受けてないわけです。行政の認可を得るためには時間もかかりますし、認可保育園は補助金もあるかわりに、ひもつきとして縛りも多いんです。
 空いた小学校とか、企業の遊休地みたいなものをどんどんこうしたことに転用していくような、助成制度を設けていく必要があるのではないか。ここに霞が関の方もいらっしゃると申しわけないんですけれども、霞が関の中に保育園ができました。定員が十数名だと聞いております。霞が関の保育所に連れてこれる人は恵まれた人だと思います。時差出勤があって、満員電車に乗せなくてもいいし、ゆとりある出勤ができる人で、あそこにああいうものをつくれば、利用する人は官庁の人とか、中心3区に住んでいる人とか、国会に勤めている人とか、そういう人は便宜をこうむれるわけですけれども、普遍的な政策ではないわけです。
 縛りを緩くして、工場であっても企業の遊休地であっても、自社で改造して保育園をつくってもらったら、そこについてランニングの何%を出しますよとか、税制を優遇しましょうとか、思い切った優遇策を出して、質の面で厳しくしていけばいいわけです。抜き打ちで検査をして、きちんと保育士の数がいるかどうか、食品について安全確保されているかどうか、こういうことをしていくべきですのに、横浜なんて、幼稚園を保育園に転用する上で、数年ぐらい前は入り口を別にしろとか、調理場は別にしろと、非常にうるさいことをいっていた。これだけ少子化が進んで、今日本全国の中で、待機児3万人といわれている中で、まず数をふやしていく。そのためには都心の中に幾らでも空いたところが出てきているはずなんです。こうしたことが非常に重要ではないかなと思います。



  5.子育て世代が望む住宅・地域環境とは

 住宅だけではだめということを申し上げましたが、住まい周りの環境整備ということを書かせていただきました。横浜は区によってかなり特性が違います。相鉄線沿線とか、田園都市線沿線に行くと、非常に緑豊かなところも多いわけです。子供を自分の住宅の周りで遊ばせるような公園が徒歩圏にあるかどうかとか、こういうことについてあまり満足度が高くないわけです。単に住宅だけがあればいいというのではなく、子供だけを目の前で遊ばせることができるようなポケットパークとか、住まい周りの環境整備。また、いいかえれば、単に住宅の中だけではなく、マンションの中に共用スペースをつくって、メンテナンスフリーにしていく。少々子供が遊んでも音が気にならないとか、汚損した場合もきちんとメンテナンス費用を安く済ませられるとか、そういう配慮があれば非常にうれしいということをグループインタビューの中で出していただいております。
 次に、親も子も社会的接点が保てる住宅の周辺整備をということです。これは先ほどお話をしたように、同質化したつき合いの中で、住宅を一歩出れば、みんなで集まれるところがファミレスぐらいしかないという実体が出てきているわけです。ファミレスで情報交換をしたり、子供を幼稚園に送っていったバス停でお話をすることができるんだけれども、今ある児童館が、子供に物を食べさせちゃいけないとか、時間的な規制があって、公的なものだけでは充足できていない。単に住宅を箱だけ整備すればいいということではなく、子育て世代が集まって社会的接点が保てるような、こうしたスペースもぜひ地域に欲しいというご意見を聞かせていただきました。
 私は、住宅を基盤に保育サービスの充実と性別役割分業の克服と書いたんですけれども、なぜ子供を産まないかということの第5位に住宅が挙がっている。これは先ほど申し上げたように、どのケースにも当てはまることではなく、子供が2人から3人にふえるときに、この住宅という理由が非常に大きく効いてきているわけです。
 1人から2人のときにいい忘れましたが、1人から2人にいった人は、夫の家事参加率、育児参加率が多い人が、1人から2人に進んでいるわけです。夫の職業別に1人から2人いった人を見ると、自営業と大学の先生が多い。つまり、夫が家にいる在宅比率が高くて、協力の手があるほど、1人から2人に移行できているわけです。つまり、夫が非協力的だと1人から2人に移行しないといいかえてもいいと思います。
 あと、20分程度になりました。まず、住宅の面で必要なことについては、民間賃貸住宅の質をいかに上げていくか。持ち家については、そこそこ面積の点も充足してきましたけれども、調査の結果、余りにも民間賃貸住宅がひどくて、日当たりも悪いとか、通風が悪いとか、そういった問題も出てきておりますし、世帯収入に占める比率も、民間賃貸住宅に住んでいる若い世代が非常に逆風を受けている。定借を使って都心の中に、10万とか8万ぐらいで住めるような住宅を整備をして、集合居住にしていって、そこに保育園とかデイサービスとか、今後1人の人が子育てをして、介護をしてというふうに1人何役も担っていかなければいけない時代ですから、保育園だけではなく、そうしたデイサービスもコンパクトにくっつけていただきたいと思います。
 2つ目、なぜ職住近接かというと、これは先ほども申し上げているように、男性も女性も、職住近接によってメリットがあるわけです。横浜の方で、夫が週何回子供と一緒にご飯を食べれているかどうか、これを調べてみました。日本の平均の中では、小学生の子供で、10人に3人ぐらいが朝1人でご飯を食べているんです。生活時間が家族ばらばらになって、子供の個食が進んでいる。家族みんなでご飯が食べれていないわけです。朝ご飯、おみそ汁の湯気が立っているのを家族で食卓を囲んでみたいな姿がもう幻になっているのではないかなと思うぐらい、子供の個食化が進んでいます。
 横浜に住んでいる人でお父さんの平均通勤時間が長い人ほど、子供との接する時間が非常に少ない、これは当然のことだと思います。会社で残業して、残業手当も出ないのに、残業して、家に帰るのがついつい遅くなる。そうした結果、子供とどれだけしゃべっているかというのは、中心区に住んでいる人よりも少なくなっている。母親の方は週6回は子供と夕食を食べています。父親の方は週どれぐらい食べているかというと、大体2回弱です。土日のうちの1回も食べれてないわけです。それは多分子供が塾に行って、いないということもあるんでしょうけれども、お父さんの方も土日のうち、1日はゴルフに出かけたり、カルチャーセンターに行ってダンスをしているのかわかりませんけれども、父親が子供と食事を食べている比率が非常に低いわけです。
 こうしたことを考えれば、やはり男性が早く家に帰ってこれるということが、育児の手、家事の手があるわけですから、女性の育児負担や家事負担を軽減することができますし、精神的な負担軽減、これが私は一番大きいと思います。家事というのはお金で買えます。外部化することもできますけれども、やはり子育てをする上で一番悩むのは、この方法でいいんだろうかという精神的な負担ではないかなと思います。
 これはちょっと横道にそれてしまうんですけれども、人生の2大苦難期のときに、いかに夫婦で協力したかというのが、老後というか中高年期以降の夫婦の幸せを決定づけるということを家族社会学の先生が調査をして、2年前の厚生労働白書にも紹介されていますので、ぜひお読みいただきたいと思います。
 2大苦労の時期というのは親の介護の時期と子育ての時期です。子育てのときに夫がおむつをかえてくれたとか、お風呂に入れてくれたとか、きちんと育児にコミットをしている人ほど、つまり子育て時期に夫婦のきずな、信頼関係ができた人ほど、中高年期以降の夫婦のきずなが強まっています。その後の追跡調査をしないとどうかわかりませんが、人生90年時代に、1人のパートナーだけでずっといくのは無理だと私は思っております。しかし、育児期をどう乗り切るかというのが、中高年期以降の夫婦の信頼感を決定しているのは重要です。
 これは住宅の話とはちょっと違うんですけれども、最近ワークシェアリングということがいわれております。このワークシェアリングというのはまだまだ日本では誤解されて伝わっている点があるわけです。ヨーロッパの中では不況を乗り切る1つの方策として、このワークシェアリングが出てきたわけです。それよりまず大きな目標だったのは、個人生活の豊かさの追求ということがあったわけです。背に腹はかえられないみたいに、不況だから、首をつなげるためにみんなで仕事を分かち合おう、これは確かに実質的なことかもしれませんけれども、目標が全く違ったということです。
 日本の中でこのままワークシェアリングが進んだとしても、収入を落とさないためにお父さんは夜コンビニで働いたりするでしょう。しかし、オランダとかで実践されているワークシェアリングというのは、あくまでも個人生活を豊かにするということがあったわけです。きちんと休む人については、代替要員が用意をされていて、男性であっても、女性であっても、パートタイムになることによって、企業から不利益をこうむらないわけです。どういうところでどんな働き方をしても、きちんと能力評価がされる。実績が評価をされて、不利益をこうむらない。こうした前提があれば、今パートタイムに変わっている人の大体6割〜7割ぐらいが自発的にパートに変わっているんです。
 こうしたことを考えれば、私は企業の評価制度みたいなものについても、中長期的な課題になっていくのではないか。幾らパートタイム法を施行したとしても、住宅が勤務地から遠いところにあれば、通勤時間に費やしてしまうわけですから、こうした住宅を都心に持ってくるということと、企業の働き方を変えるということ、さらに男性が家事や育児負担を、女性の負担を軽減するために家庭に回帰していくこと、こうしたことも大事だと思いますし、私は、中長期的な対策としては、今いる子供たちの幸せ感をどうつくっていくか、ここに目を向けていかなければいけないのではないかなと思います。
 去年、児童虐待防止法が施行されましたけれども、近隣の人であっても、子供が虐待されている可能性がある場合には通報しなきゃいけないということが盛り込まれました。その影響もあって、去年児童相談所に相談があった件数は1万件でございます。しかし、それは氷山の一角で大体6万件ぐらいあるだろう。多く見積もって6万件、少なくて4万件といわれています。まだまだ児童虐待というものが潜在化していて、外に出てこない可能性がある。子供が不幸な目に遭うたびに、「そういえばあそこは夜な夜な子供の悲鳴みたいなのが聞こえていたわよね」というふうに近所の人が、テレビで目を隠されていっているケースが多いわけです。
 こうしたことについても、今いる子供たちの幸せがないということならば、次の世代が子供を産むことを決意できないわけです。児童虐待をどう防いでいくかとか、今いじめというのは減りつつあると学校関係者はいいますけれども、これは深く陰湿化して潜行しているのが実体ではないか。ほとんど表面には出てきませんけれども、依然としていじめがあるわけです。こうした今の子供たちが不登校やいじめや児童虐待の問題を抱えている限りは、次の子供を産む世代が子供を持つことに対して、幸せ感というのを持たないわけです。こうした、住宅だけではない、ほかの分野を合わせて検討していく必要があると思います。
 私は経済的対策に尽きると申し上げましたけれども、日本ではパラサイト現象があるというふうに、親世代が子供を囲い込み過ぎていると思います。同居は育児と介護の含み資産といわれるように、親の方としても、特に娘が自分の近くにいてくれることは何かあったときに心強いと思われる。今日本の家族形態の中で近居というものが一番多い。スープの冷めない距離が多いわけです。必ずしも同居が幸せではない。高齢者の自殺率の中で一番高い家族形態は同居ですから、同居というものが幸せ家族ではないわけです。一般的に一番多いのが近居なんです。しかし、親が子供を外に出さない。
 一方で子供が外に出れない状況がある。住宅費が高い、教育費が高いわけですから、子供にお金がかかるのであれば、いかに子育てに金がかからないよう、ここを手当てしていかなければいけない。教育費が高いから子供が産めないんだよねというふうに手をこまねいているよりは、私は、高齢者もよりよく生きる、子供も安心して産むことができるということを考えれば、年金の財源の中から若者奨学金みたいなものをつくっていくべきだと思います。
 今後、大学も特殊法人化されて、人減らしが行われていくわけですけれども、今の日本の不況の中から脱却していくには、小さいころから、人生90年時代までどう学びの社会をつくっていって、自分自身も成長していくか、新しい職業に向けて知識を吸収していくか、こうした循環的な社会をつくっていくしかないわけです。しかし、働きながら家族を養って、大学に戻るわけにもいかない、自分の子供の教育費だけでも大変なのに、親が学ぶなんてことはとんでもないわけです。
 18歳になれば、自分で奨学金を受けて大学に行けるようにする、こういうふうにすれば、子育ての費用はかなり軽減されるわけですし、その奨学金の中で自分のアパートを手当てし、大学の寮に入って自立をしていただく。こうしたことができるのではないかなと思います。
 地域的な対応を少しお話ししたいと思います。私も子供が小さいときには自分で育てたいなと思った時期もあります。ある方に、母親は万能ではないということをいわれました。1人の人が24時間かかわるよりも、多様な人が子供にかかわることによって子供は成長していくといわれて、何となく自分が救われたような気分になった思いがあります。子育ての負担を軽減していくのは夫だけではだめなわけです。地域としてどうコミットしていくか。週休2日制になって4月1日から学校が5日だけになります。しかし、今土日も働いているお母さんもふえて、週休2日制になっても、子供は1日だけ塾通い、こうしたことも出てくるでしょうし、塾に預けることによって、それをベビーシッターがわりにしている人もいますし、子供が家の中だけで過ごすという状況が起こってくる。こうしたときに、地域で子供の安全性をどう確保していって、子供をともに育てていくかということを考えていかなければいけない。
 子供が通う学校は、オープンスクールなんですけれども、地域の人材を200名ぐらい登録していて、特別授業というものを1カ月に1回土曜日にやっている。そこの中で、例えば体育の先生をやって、古式泳法が得意な人に、子供の体育を教えてもらったり、昔遊びが好きな人に、戦争のことを話してもらって、昔遊びを教えるというふうに、地域の人が子育てにかかわっている状況ができています。
 今2万人ぐらいようやくふえたんですけれども、学校便りというものが全戸配布をされて、お子さんがいらっしゃらない家庭にも学校のスケジュールがわかるわけです。町開きをして7年目なんですけれども、単身で家を買われて入ってこられた高齢者の人もいるわけです。学校の行事に参加することによって、若い世代とつながりができるようになりました。バス停で会って、お手玉を教えてくれたおばあちゃんだみたいなことをいわれて、すごく楽しかったというお話も聞いたことがあります。
 今後地域の核になってくるのは、学校が1つの可能性があるような気がいたします。学校をもう少し開いていって、そこでみんなに子育てでかかわる。そうしたことで、おせっかいばあさんやおせっかいじいさんではないですけれども、余りにもクローズをされた育児の機能を、もう少し昔のように地域に開いていく必要があるのではないかなと感じております。
 以上、お時間になりましたので、私のお話はこれで終わらせていただきたいと思いますが、残りの30分は私の話で不十分な点も多々あろうかと思いますので、質疑応答、ご質問に充てさせていただきたいと思います。ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

谷口
 どうもありがとうございました。
 30分少々時間がありますので、いろいろご質問とか、ご意見をいただきたいと思います。どなたか、挙手をお願いします。

矢野(矢野経済研究所)
 貴重な、お話ありがとうございました。
 お話の中で、子育てが楽しくない、それが日本が一番低いというんですが、じゃ、子育てが楽しいと思っている国はどこなんでしょうか。それが1点。
 もう1つは、子育てを楽しくすることは、女性にとっても男性にとってもできるんでしょうか。

白石
 5カ国比較で、アメリカ、スウェーデン、韓国、ドイツ、日本だったと思いますが、この5カ国の中で、日本の子育てが楽しくない比率が高いんです。アメリカや韓国は子育てが楽しいといわれているのが8割、9割ぐらいあります。日本の中で子育てが楽しくないというのは、大体4割ぐらいあります。なぜ楽しくないかについてですが、やはり子育てはこうあるべきだというように、非常に固定観念が強い、これが1つ挙げられるのではないかと思います。
 先ほどお話ししたように、3歳児神話というのがありまして、必ず母親が育てるべきだという思いもありますし、女性が自分でこのようにしなければいけない、ある程度マニュアル化されたものを頭の中に持っていて、いろいろ育児書を読みふけるわけです。例えば、5歳になって、小学校のお受験、5歳だと遅いといわれておりますけれども、3歳ぐらいからお受験塾に通わせたりと、この道しかないと母親が思い過ぎているわけです。そうしたことから自分に重い条件を課して、そのハードルをクリアするために自分がストレスを感じ過ぎているような状況があると思います。

矢野(矢野経済研究所) 
 白石さんご自身は、いかがですか。(笑)

白石
 私は、こういうと、私の子育てを知っている人は「本当かよ」というふうに思うんですけれども、もともとがアバウトな性格でしたので、子供がああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないというふうに余り考えないんです。子供を持ってすごくいろいろなことが見えてきたと思います。
 一方では、子供を持つことによって物事にすごく鈍くなってきたということもあるでしょう。子供を持たずに一生懸命に働いている女性からは、手抜きをしているんじゃないかとか、早く帰ったり、6時までには帰ったりするわけでございまして、仕事のハードルも100あったものを60に下げ、ある種仕事の面では妥協してきた点もありますけれども、子供を持ったことによってつき合いが広がりました。学校の先生とか保育園のお母さん方とか、人間関係の幅が広がったことは確かですし、いろんな方に助けていただいて、子育ての楽しさを味わってきました。
 残念なのは、こういう思いを、子供を持ったことがない人には実感してもらえない。実際やってみて、何て子育てって、こんなに費用対効果が少なく、これだけ一生懸命やっているのに、子供は自分の思いにこたえてくれないんだろうという点もあると思いますけれども、そういう点を相殺して考えても、まだおつりが出るくらい私は子育てを楽しんできたと思います。

阪本(潟pデコ)
 いろんな統計を入れていただいて、私も2児の父親ですけれども、身につまされるようなこともありまして、楽しく聞かせていただきました。
 仕事が国際開発のコンサルタントということで、実は4カ月ぶりにけさラオスから帰ってきまして、カミさんに、もう長いのはやめてよねとかいわれています。私が調査に行くような国、ラオスの場合は、1人の女性が死ぬまでに産む人間の数が、都市と農村でかなり違いますが、5.1とか5.2になるんです。大抵の途上国では子供を減らせ減らせということでやっていまして、それに一生懸命お金も人材もかけている。一方、日本の場合は、新聞なんかでも特殊出生率が低いから上げなきゃいけないということになっているわけです。
 最初のあたりでちょっと触れられていましたが、子供が減ることによって困ること、例えば、国際競争率がどうだとか、年金の制度がどうだとかというのがあって、一方で満員電車がなくなって、メリットもあるじゃないかというあたりもあるんです。そのあたりをもう一度若干整理していただいて、いいこと、悪いこと、悪いことはよく論じられるんですけれども、本当にほかにいいことはないのか。これがどうしようもない傾向であるとしたら、子供がこのままずっと減るということをしようがないと考えて、それを前提としてのモデルをつくれないのかどうか、そのあたりをお答えいただきたいと思います。

  白石
 環境のご専門家に伺ってみますと、日本の国土面積とか資源の実情からして、適正というのは6000万人ぐらい。大体半分ぐらいだろうといわれています。それが今1億2800万、倍ぐらいいるわけです。先ほど悪いことは労働力の減少、経済成長の低迷、これは1人当たりの生産性が変わらないと仮定した場合は経済成長が低迷します。3点目は、社会保障制度、医療費が今後サラリーマン世帯3割になりますけれども、これ以上人口減少が加速すると、まだまだ上げていかなければいけなくなりますし、年金の負担が重くなる。こうしたことがマイナス面であると思います。
 人口が減ることで過疎地域もふえて、住民への基礎的サービスを満たせないような自治体が出てくることも確かです。これは今後市町村合併をして、広い地域をカバーするような大きな自治体を1つつくる。また、定住策、人がいない地域からより中心部の方に住みかえをさせることによって、効率的かつ住民のニーズに合うような自治体のサービスを提供していくことも可能になるかもしれません。こうしたことがデメリットと、それに対する対応です。
 メリットというのが、通勤混雑、過密の解消です。地球上の2割の先進国の人口の中でほぼ8割から9割の資源を食いつぶしている。こうした地球環境への懸念があるわけで、日本だけが、産めふやせよというのは、私は非常にセルフィッシュな議論ではないかなと思います。人口減少によって、環境への負荷が低減される。これはメリットの1つだと思います。
 いいことか悪いことかわかりませんけれども、家族の形態が変容します。これは親と子と孫の3世代同居が減り、夫婦と子供だけの世帯やシングル世帯がふえてくるわけです。これは中国でリトルエンペラーといわれているように、わがままな子供を生んでしまう懸念にもなると、教育関係者の中ではいう人もいますけれども、これについては現時点で判断できかねると思います。
 家族形態が変容してくることによって、高齢者のひとり暮らし・夫婦世帯もふえ、社会的疎立が進むと思います。
 私は、人口6000万人になっても、スウェーデン並みに消費税を上げ、国民負担率を上げても、きちんと高齢期のサービスが享受できるのであれば、喜んで国民は負担するのではないかなと思います。
 今行われていることは、チョコチョコと3年に1回ぐらい年金や医療改革を行うなど、各分野バラバラで政策が進んでいることをすごく懸念しています。
 年金財政が逼迫しているのであれば、いち早く第3号被保険者、1200万いるような人たちについても、年金料を支払うようにすべきですし、今いるパートタイマーの人の労働条件を上げて、もう少し給与を上げる。パートといっても、単純で低賃金ではなく、今のサービス産業の中では重要な役割を担っているわけですから、パートの地位を向上して、賃金を上げることによってきちんと年金を負担していただく。こうしたことによる制度的な手当ては可能だと思うんです。
 危機だ、危機だといわれながら、一方で、各分野の政策がバラバラに進み、大胆な改革が先送りされている。
 国民が負担をしていくんだ、しかし、将来的にはこのレベルのサービスが供給できるようになるというシナリオを国民に提示することが必要なのではないか。その将来設計を描くことが構造改革ではないかなと私は思いますけれども、今行われているのは、特殊法人の民営化の問題とか、ほんの瑣末な部分です。
 私は、人口が少子高齢化、減る時代にも明るい国の未来を描くことはできますし、安全保障や国際政治をやっている人にはすごく危険な議論だといわれるかもしれないですが、安全に対するコストは若干かかるかもしれませんが、労働力だけをふやすというのであれば、海外から移民を受け入れてもいいのではないかと思っております。
 タイやフィリピンの人たちは介護の面やサービス提供の面でも非常にいい労働力だと聞いておりますし、ある程度スキルがあって、日本の成長に寄与していただけるような人材だけを採っていく、そうした人については選挙権も与え、参政権も与え、老後の生活保障をするような社会保障制度も付与していく、こうしたことを考えていく時代に来ているのではないかなと感じております。 

安藤(住友不動産梶j
 公的資金を使って少子化時代に対応した社会政策的な住宅供給、これは別個の問題。独身者に対するマンションの供給はどこでもやっている。しかし、1人しか子供を産まない30歳ぐらいの人に公的資金を使わない、全くの民間の、しかも損をしないベースで仕事ありますか。簡単にいってください。
 白石
 それはやはり安い都心の近くに住宅を…… 

安藤(住友不動産梶j
 採算のとれる……。 

白石
 それは定借を使えば可能だと思います。高層化して、容積率を上げていって、都心の近くに面積が広く高い建物のマンションを供給していく。これだと、採算がとりやすいのではないかと思います。
 かつ、今右下がりの時代に、これから人は住宅を買わなくなるかもしれない。住宅すごろくの変化を見ると、今の60代と、40代を比べると、今の40代の方が、ある年齢時点で切った場合の持ち家比率の割合が…… 

安藤(住友不動産梶j
 先生、そういうことでなくて、30代の1人しか産まないような夫婦に対して、民間ベースで、公的資金の援助なんかなしに、損をしない住宅供給というのは、東京を近郊にして、ありますか。 

白石
 あると思います。

  安藤(住友不動産梶j
 例えば?

  白石
 例えば、賃貸住宅です。良質かつ安い賃貸住宅です。それは都心3区というのは無理かもしれませんけれども、23区……

  安藤(住友不動産梶j
 安くしなくちゃ、入らぬでしょう。

  白石
 入りませんよ。

  安藤(住友不動産梶j
 収益を上げなくちゃいかぬのだから。

  白石
 多分、その安いというレベルが違うと思いますけれども、収入の大体15%程度、それであれば、入る人たちは幾らでもいるというふうに思います。

  安藤(住友不動産梶j
 そういうのはやっぱり公的資金。公的資金では、政府が社会政策としてマンションなどを安い賃貸でこれから貸すんですよ。そういうものに対抗したらできないでしょう、それは。 

白石
 しかし、公的な住宅の質というものを考えれば、今ここに自治体の方がいらっしゃると、すごく悪いですけれども、やはり民間とは全然比較にならないような質のものがあると思います。インテリアの面やサービス面で差別化していくことは、私は可能だと思います。民間は公的なところでできないようなサービス供給をするとか、家事支援をしたり、子育て支援を内在化する付加的なサービスのついたマンション供給をしていくことができるのではないかなと感じております。
 最近は、マンションに学習塾チェーンと組んで、インターネット学習ができるようにしたりとか、急遽託児ができるような保育園と提携したようなところもありますから、民間の役割発揮がそういったニッチにあるのではないかなと思っております。

吉村(三井不動産梶j
 今白石先生がいいかけて話が変わってしまいましたが、住宅すごろくの変容ということ。ここのところは1次取得層がずっとマンションブームを形成しているわけですけれども、その辺は住宅すごろくの復活のような気もします。白石先生のおっしゃった住宅すごろくの変容というのをちょっとお伺いしたいんですが。

白石
 45歳以上の方の調査を私どもで自主研究でして、今の45歳から50歳と、50歳から55歳、55歳以上で、かつ65歳以上という区分を見たときに、20代時点でどの住宅形態に住んでいたか。昔に返って、それぞれ20歳時点、30歳時点、40歳時点、45歳時点までと見ると、持ち家の割合が、年代が若くなるほど低くなっています。ですから、昔は、賃貸から始まって、最後に持ち家1戸建てにいくということだったんですけれども、ずっと賃貸のままでいる人もいますし、ずっと分譲住宅のままでいる。ある年齢時点の区分が、持ち家にシフトしなくなっているということです。
 一定割合、詳しい数字は覚えておりませんけれども、今の65歳以上の人が25歳時点で、3割賃貸だとすると、今の45歳から50歳の人の賃貸比率が5割〜6割ぐらいある。ですから、今後10年、15年すると、高齢者は一般的に持ち家率が高いといわれますが、今の45歳以上の人が20年すると、高齢者の持ち家率は今よりも低くなる。親から相続した住宅をカウントすれば別ですけれども、現在の住宅に住み続けるとなると、賃貸住宅に住んでいる人は、今の65歳では13%ですが、20%ぐらいが賃貸に住んでいる高齢者も出てくるのではないか、こういうことです。 

吉村(三井不動産梶j
 最近ここ10年続けてマンションブームだといわれていますが、逆に現状30歳代ぐらい。ですから、45歳代の方は下がると思いますが、いわゆる第1次取得層が賃貸から、特にマンションですけれども、それも永住型の、平均の面積が65ぐらいから80ぐらい、100ぐらいのものも出てきたようです。永住型のマンションにどんどん移っている。今白石さんがおっしゃったのは、45歳から50歳ぐらいのところで、賃貸居住の比率が高まって、それが継続していく可能性がある。逆に、今30歳代の、35前後のところは、賃貸から持ち家率が急速に高まっているように思うんですが、その点いかがでしょう。

白石
 多分、今私がお話しした45歳ぐらいの人は、バブル崩壊のあおりと、年収低下のあおりというのをぐっと受けている。そのときに子供の教育費等の高騰を経験した人たちは、プレッシャーが何重にも来ている人たちだと思います。今吉村さんがおっしゃった30歳前後で持ち家比率が高まっているというのは、多分親からの援助もあるし、マンションの値段、都心部の地価が下がったことによって買いやすくなっていると思います。
 30代の調査はしておりませんけれども、都心の地価下落、今後親からの相続に対して優遇制度をつくると政府が決めましたけれども、両方から今まで300万ずつだと頭金ができるわけですから、そうしたまだ子供の年齢も小さいし、産んでない人も多いですから、買うような環境が30代については整ってきているのではないか。しかし、私が申し上げた45歳以上の人は幾つかのプレッシャーを同時に受けた人ですから、本来持ち家を取得するべき時期に、将来が、先行き不透明になり、かつ可処分所得も減り、子供の教育年齢のプレッシャーもあって、持つ機会を逸している人が何割かはいるという気がしております。

小川((財)首都圏ケーブルメディア
 簡単な質問をさせていただきますが、少子化の中で、結婚した人が産む子供の数が減っていく。それから、結婚しない人がふえていくというのと両方あると思います。戦後の経済成長に伴って、大都市集中が進行しましたし、地域社会の人間関係がだんだん希薄になってきて、私たちの年代の若いころは、近所に世話やきばあさんがいるとか、職場でも上司がいろいろ見合いの世話をしてくれるとか、そういうのがだんだん少なくなってきて、若い人が異性と出会うチャンスというか、だんだん少なくなってきて、そのために結婚する人が少なくなっている。結婚する意思はあっても、したいという願望があっても、チャンスがないという人がだんだんふえてくるんじゃないかという、私の古い目で見てますと、そんな感じがする。私なんか世話してやりたいなと思っても、自分自身はそういう濃い人間関係のつき合いは近所でもやってないというふうなのがあるわけです。その辺の実態はどうなっているのか。日本の場合とアメリカやヨーロッパの先進国の場合、その辺どうなっているのか。アメリカやヨーロッパにそういう世話やきばあさんがいるという話はあまり聞きませんが。その辺はどんなものなんでしょうか。
 もし結婚しない人がどんどんふえているということであるとするならば、それに対する何か工夫が要るのかなという気もするわけです。いかがでしょうか。 

白石
 ずっと一生結婚しないという生涯未婚率はそんなに変わってないんですね。男性では100人いると6人ぐらい。女性では4人ぐらいだったと記憶しております。今まで産む人はとっくに産み、産まない人がふえただけの少子化だということがいわれてきました。これは有配偶出生率という、結婚している妻が産む子供の数は戦後ほとんど変わらない。産まない人がふえたことによる少子化といわれてきましたけれども、今回の人口推計から初めて妻も産まなくなったと変わりました。つまり、有配偶出生率も減ってきているわけです。結婚しても産まなくなりました。
 世話やきばあさんがいればどうかということはわかりませんけれども、なぜ結婚をしないかというのは、先ほど幾つか説を申し上げましたけれども、やはりリスキーだという一言に尽きるのではないか。特に、これは女性側の意見で、女性のインタビュー調査を通じて感じることですけれども、一回結婚して次の人生をやり直すことが、今の女性のライフスタイルの多様化ということがいわれながらも、なかなか難しいわけです。一たん結婚して仕事をやめてしまえば、次の就職は前と同じような状況にはいかないわけです。幾ら偏見がとれたとはいえ、まだ「バツイチ」という言葉がある。私は、女性も経済的に自立をしていくこと、きちんと結婚して、1つ失敗したとしても、また自分で自立した生活が継続できること、これが女性への結婚のハードルを低くしていくことではないかなと感じております。
 昔に比べて、今の時代の方が男女の出会いはふえていると思います。出会い系サイトみたいなものとか、インターネットとか、いろいろ社会問題を引き起こしているものもございますけれども、合コンがあったり、昔と比べて出会い自体はふえているわけです。しかし、若い人たちのつき合いの調査をしてみると、出会いはふえても、表面的なつき合いが多い。深く狭くではなく、広く浅くつき合っていて、最近の若い人の言葉遣いにもあるように、相手を傷つけない「ハリネズミの愛情」といいますが、ある程度距離が近くなると、相手を傷つけてしまいますので、表面的なところに終始しているわけです。
 こうしたことによって、相手の潜在的な魅力とか、内部にある価値観みたいなものを理解する段階に至っていないのではないかなという気がしております。多分その世話やきばあさんとか、お見合い機関とか、そういうものがあったとしても、若い人の心の持ちようといいますか、もう少しきちんとコミュニケーション上手になるとか、自分の意見も表明するけれども、相手の考え方も受容するとか、少々つまずくことがあっても、そこはもう違いを認めて、そこをどう乗り越えるかとか、こういう考え方に至らない限りは結婚は進まないと思います。 

若山
 きょうは、少子化の現象を公的にとらえて、将来の社会の構造とか仕組み、こういうものをしっかりつくっていく必要がある。全く賛成で、これは少子社会ですから、人口が減っていくのは必然なんです。必然で、これだけはっきり、社会の流れというのはなかなか読めないものですけれども、人口動態だけは明らかに読めるんです。人間が生まれて育って、子供を産んで、そういうサイクルが大変長いですから。だから、それにしては日本の今の構造改革、しっかりした座標を持って議論されてないという感じがします。
 きょうは、具体的な社会の現象を的確にとらえてお話しいただいたんですが、私、大変雑駁なことを申しますけれども、江戸時代3000万人で、鎖国して閉鎖社会です。エネルギーも何もすべて自給の社会だったわけです。先ほど6000万人が適当だというお話がありました。どうなのかなと。3000万にいつになったらなるのかということを考えてみますと、21世紀のちょうど中ごろは1億になるという話でした。21世紀の末は恐らく6000万から7000万の間だろう。そうしますと、3000万に戻るのは21世紀の後半、最後の方じゃないか。そうしますと、人口が4倍になったのは、120年〜130年でなったんです。4倍になるのがそれだけのスピードにしては、人口が減るのはなかなか遅いなという感じがするんです。
 今21世紀というのは地球環境で地球資源の時代ですね。これは人口問題と裏腹の問題ですので、日本の今の立場、これは人口も含めてですが、極めて特殊な状況の中に置かれているわけです。本当に地球市民の一員として、日本人が、21世紀は日本人という概念も相当変わってくると思いますが、ちゃんと市民権を得て生きていくためには、こういう特別な、外部からエネルギーも何も収奪して生きていくという構造は不健全な構造ですので、私は、どんどん人口が減るということを前提に、仕組みを考えていくことが正しい方向だと思うんです。
 残念ながら、今そういうことをきちんと踏まえて議論するというのができない状況があります。不況だ不況だということで。GNPとかGDPという呪縛ばかりです。人口がこれから減っていくんですから、2005年から減るという話です。昔の生産人口という言い方は適当じゃないんだけれども、仮にあの指標でいいますと、去年、おととしあたりから減り始めているわけです。生産年齢人口が減れば、当然GDPが減って当たり前なんです。ところが、GDPが減ると、不況だ不況だという、経済の仕組みそのものが問われていると思うんです。
 今は本当に食べていけないという方はたくさんいるわけですから、そういうことを横に置いて、あまり高踏なことで見られても困るんだけれども、人口も当然減る、GDPも減る、そういう中で豊かさとは一体何だということをしっかり見つけていくことは大切じゃないかと思います。GDPという問題についてどんなふうにお考えになっていますか。 

白石
 私は経済学部に行くんですけれども、経済のことはほとんどわからなくて、今まで日本はGDPとか、1人当たりの施設数というふうに数の呪縛にとらわれてきたと思うんです。確かにGDP、経済成長率が高まれば、国が豊かになる。物質的には豊かになりますけれども、ここ数十年日本の経済成長と私たちの豊かさ感を比較しても、経済成長の割には生活面での豊かさはほとんど感じらないわけです。住宅はやや広くなりましたけれども、時間的なゆとりが減っていき、今若山さんがおっしゃったように、確かにGDP、これにこだわるということは、私は経済学者は大嫌いなんですけれども、経済学者の中ではすごく重要なポジションを占めていることかもしれません。しかし、もう人口当たりの施設数とか数値とか、経済成長ゼロでもいいじゃないか。しかし、そのかわり、人間の豊かさというものをどう描いていくんだ、子供の健康をどう守るんだとか、人間1人当たりの健康寿命をどう延ばしていくんだというふうに、価値の転換を図る時代に来ているのではないかなと思います。
 しかし、こういうことが国を挙げてほとんど議論されていないわけです。経済企画庁が豊かさ指標というものを、やめたのは10年ぐらい前ですか、まだやっていますか。都市データバンクの中で、豊かさ指標みたいなものが論じられたり、いつまでたっても、順位をつけたり、人と比較をしたことによって、自分の地位を再検証する、こういうことが行われているような気がします。
 ですから、私はGDPの成長率を目指していくことをもうあきらめる。あきらめた上で生活シナリオをどう描いていくかとか、日本ならではの豊かさをどう構築していくのかとか、そういうことを論じていく時代になってきているのではないかなと思います。
 さっきの生産年齢人口の定義は絶対変えていくべきだと思います。15歳から64歳を生産年齢人口とするのはおかしいですし、これだけ大学進学率が高まっている中で、下限というものも上げていくべきで、22歳ぐらいから実質カウントしていくべきだと思いますし、上限は70歳にしていってもいいのではないかなと思います。 

谷口
 それでは、一応時間が参りましたので、これで終わらせていただきます。
 きょうは白石さんにおいでいただきました。大変ありがとうございました。(拍手)


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