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第179回都市経営フォーラム

参加協働型社会へのパラダイムシフト
−『市民参加のデザイン』&『協働のデザイン』−

講師:世古 一穂 氏
特定非営利活動法人 NPO研修・情報センター代表理事


日付:2002年11月21日(木)
場所:後楽園会館

 

1.はじめに

2.NPOとは

3.「新しい公共」の概念

4.「新しい公共」を創りだす市民・行政・企業・NPOのパートナーシップ

5.参加協働型社会を拓く「参加のデザイン」の理論と実践手法

6.協働のデザイン

7.行政のNPOの協働の3つの潮流

8.行政とNPOの協働に関する5つの前提

9.評価システムの必要

10.「協働コーディネーター」の必要

11.日本のNPO、NGOの力量形成の必要

12.コミュニティ・ビジネスとしてのNPO、NGOの起業の必要

13.まとめ

フリーディスカッション




1.はじめに

 皆さん、こんにちは。今ご紹介いただきました世古です。よろしくお願いします。
 私は、きょう金沢から帰ってきたところです。昨夜中日新聞の記者の方々に、合併の議論とか分権の議論ということのレクチャー、それと、NGO、NPOのことについてレクチャーをして、今帰ってきたところです。ちなみに私は現在第2次地方制度調査会の委員をしていまして、地方制度改革の議論の真っただ中にいる民間の政府委員という立場からレクチャーを頼まれたということです。
 またあすの朝から、お正月の紙面に掲載する企画で中国、韓国のNGO、NPOのリーダーの方々と対談をするために、北京、ソウルに出かけます。きょうはそのちょうど真ん中の日に当たっているというところです。
 きょうは地方自治体の方も結構いらっしゃるので、ご関心も高いと思いますが、私は先に申し上げましたように、今地方制度調査会という総務省の委員会の委員をしています。この委員会の関連の記事が、この間朝日新聞にも出てご存じの方も多いと思います。この委員会は政府が地方制度をこれからどのように改変するか、そういう大きな議論をしているところです。地方調査制度会では副会長の西尾私案という形で、町村をなくして市に再編という形が出てきていますし、合併をかなり強制力を持ってやろうという議論が出てきています。地方制度そのものをどう変えていくか。分権一括法をつくって以降、分権と合併というのはセットになって議論してきました。私は政府委員の1人として、第27次地方制度調査会の委員をさせていただいているわけですので、きょうのNPO、NGOのこととも非常にかかわるので、その辺の話をしたいと思っています。
 特に、真の分権社会をこれからどうつくるかといったときに、NGO、NPOというのは皆さんにとって遠くの話ではなく、かなり密接な話にならないといけないんじゃないかと思っているからです。
 きょう話をさせていただくタイトルは、「参加協働型社会へのパラダイムシフト」としましたが、パラダイムシフトというのは根本からの問い直しという意味です。今構造改革が叫ばれていますが、その本旨は参加協働型社会にこれからどういうふうに日本の国を変えていくのかという議論を、政府も民間も挙げてやらなきゃいけないことじゃないかと思います。
 地方制度調査会は首相の諮問機関で節目、節目に首相の小泉さんもいらしています。調査会の委員長は諸井虔さんで、副会長が西尾勝先生です。小委員会の委員長は松本さんという前の自治省の事務次官の方です。それと、国会議員では野中広務さんなども入っておられて、けんけんがくがくの議論をしている委員会です。
 私はその中で、分権以降、地方制度をどう変えていけばいいか、NPO、NGO、市民の立場で委員会の中で発言しています。市民の声を制度改革の中にどういうふうに反映させていくかという役割を担っていると思っています。
 さて、私自身は、1990年ぐらいから、NPO法、特定非営利活動促進法をつくるということを市民立法の形でやってきた者の1人です。この都市経営フォーラムにも、何年か前に山岡さんという方が来られてお話をされたのを覚えていらっしゃる方もいるかと思います。一緒にNPO法をつくってきた仲間です。日本でアジア型の市民社会をどういうふうに構築していくかというのが私自身の課題でもあり、テーマでもあると思っています。
 自己紹介を兼ねてということにでお話しさせていただくと、私はNPOを支援するNPOの代表理事です。NPOは、民間非営利組織です。私はその民間非営利組織を支援する民間の非営利組織。それをインターメディアリー、中間支援組織といいます。NPO研修・情報センターは人材養成をミッションとしたインターメディアリーNPOです。
 私自身がなぜこういうことをやるようになったかというと、皆さんもいろんな職業についておられると思いますが、小さいときから、大きくなったら何になろうかなと考えていたときに、大きくなったらやりたい仕事、職業というのがなかなかありませんでした。自分が一番何をやりたいのかなと考えたときに、ちょうど私自身が中学、高校に行く段階は、日本で公害の問題が非常に大きく出ていたときでした。そういう公害の問題、高度経済成長のひずみが社会の一番弱い人のところにいくというのをつぶさに若いころに見るということがありました。
 そういったところで、例えば水俣の問題にしても、企業の公害の問題にしても、いろんな補償問題を幾らやっても、もともとの問題の発生のときから市民が参加をし、そういった問題が起きないようにする、そういう社会的な仕組みをつくる必要があると思っていたというのがあります。
 もっと、平らな言葉、文学的な言葉でいえば、「人々のつぶやきを形にして、思いを仕組みにするような仕事」をしたいと思っていました。「人々のつぶやきを形にして、思いを仕組みにするような仕事」、それは政治家や企業、そういう職業の人たちでできているのかと考えたときに、私はそうではないんじゃないかと思ったんです。
 要するに、一般の普通の人のつぶやきはなかなか形にならないまま、もう取り返しのつかない事態になったとき、いろんな補償問題や、社会的な手当てが行われるという実情を見て、そうではなくて、普通の人たちの気づき、つぶやきがもっと早くにきちんと届いて、社会の仕組みを変えられるような、そういった仕事が社会に必要だし、私自身がやってみる必要があると思っていました。
 それで、そういった仕事をやるにはどうしたらいいかと考えて、新しい職業をつくろうと思ったんです。要するに、市民、一般の人々と、社会の制度や仕組みをつくることをつなぐ仕事です。そういうことをしようと思って出発したというわけです。
 ただし新しい職業が具体的にどんな形になるのかということについては、若いころはイメージがあまりありませんでした。しかし、それは民主主義を形にすることだと考え、先例となる国々のシステムや現状を自分の目で見ること、それからこの日本の国の中で、そういうつぶやきが形にならないまま、どういうふうに埋もれているために何が起きているのかを見ようと思って、大学生になったころに、日本の島々や各国を全部回りました。特に、日本の島々を回ったのは、私の育ったころは、今でいえばおかしな言葉だと思いますが、「裏日本」という言葉がありましたが、まず、一番日の当たりにくいところから回ろうと思ったということです。
 私自身は京都の町中、室町という祇園祭を出す本当の町中に生まれ、育ちました。私の家も1000年ぐらい続いていますし、近所もみんな1000年ぐらい。それこそ冗談じゃありませんが、前の戦争というと、応仁の乱だというような人たちがいるところで育ちました。京都という都市の中で育ちましたし、それも根っからの、昔からの都市で育ちましたので、日本の国全体というよりも、周縁部、特に過疎の村々や、そういうところについて何も知らないということを常々感じていました。
 それで、全国の島を回ろうと思いまして、まず、回るのであれば、北から南までずっと回ってみようと思いまして、北は礼文、利尻島から始まって、日本海側をずっと回って、与那国島まで、2年くらいかけて各島々を回るということをやりました。
 そういった島を回ると同時に、そこの県庁所在地にも行ってみるということをして、日本という国がちょうど高度経済成長の盛りのときに、この国でどういう問題が起きているかというのを自分の五感で見てみるという経験をしました。
 そこで感じたことは、人々はみんないろんな思いを持っているけれども、それは政治や権力の中枢にはなかなか届いていないし、社会のいろんなひずみは一番弱いところにつけが回ってくる。特に、過疎はどんどん進行している、地域間の格差は広がっているということが、そのときによくわかりました。要するに、道路をつけても、いろんな整備をしても、過疎をとめるんじゃなくて、過疎を進行するということも見えてきたように思いました。 
 そのときには明確にまちづくりというものを意識していたわけではありませんけれども、じゃ、私はどういった仕事をしたらはいいのかということをまた考える1つのヒントになりました。
 その次に、私は、民主主義というものを本当に形にしている国があるのか、本当にしているかどうかも含めて見ようと思いまして、アメリカやイギリスに行ってみました。そのアメリカで出会ったのがNPOだったんです。特に行政でもない、企業でもない。行政にもできない、企業にもできない、そういったことを市民が、いろんな専門性を持った、いろんな職業を持った人たちが自発的に組織をつくって活動している。そこでは、さまざまな公共というものが、行政だけではなく、NPOとともに担われているということも目の当たりにしました。私がやりたいと思っていた「人々のつぶやきを形にして、思いを仕組みにする仕事」、これはひょっとしたらNPOということだし、NPOという仕組みを日本に入れることじゃないかなと考えたんです。
 イギリスでは、NPOという言葉は使いませんが、同様の社会的な仕組みがありました。チャリティーやボランタリーという形でいろんな市民活動が盛んでした。特にナショナルトラストといって、いろんな自然保護をしなきゃいけないところ、建物の保全、それにイギリスの市民がお金を出して、その土地をみんなで買い取って、それを保全している。イギリスに行かれた方はよくご存じかと思いますが、イギリスの海岸線のおよそ3分の2ぐらいが、ナショナルトラストのものになっていると聞いています。国家のものじゃなく市民のものなのです。市民が自分たちでお金を出し合って、自然の保護をしていく。そういった姿もいろいろ見ることができました。
 そういった体験を経て、日本にはなぜそういう公共を民間の非営利組織、市民活動団体が担うという仕組みが発達しないのか、なぜないのかなというところから、日本にNPOという仕組みをぜひつくっていきたいと思いました。
 そこで、市民の参加をデザインする仕事が必要だと思ってつくろうと思ったのが、「参加のデザイン研究所」です。ただ、突然つくっても、思いを形にするためには技術も要りますし、いろんな方法論も必要です。特にそれは政策をつくるということにも非常に関係すると思いましたので、まずシンクタンクに入りまして、シンクタンクでさまざまな政策立案や、いろんな地域の計画、マスタープランをつくる、そんな仕事を参加型でやるというのを、10年ぐらいやりました。
 シンクタンクでの経験を踏まえて自分で参加のデザイン研究所をつくるということをやったわけです。ただし、参加のデザイン研究所をつくるときに、日本ではそういう参加をデザインする仕事は、私は非営利でやる仕事だと思っていましたが、民間の組織が法人格をとろうとすると、財団法人か社団法人、それから社会福祉法人、そういった行政の許認可によるようなものしかなかなかないわけです。それ以外はプロフィット、営利の株式会社をつくるという方法しかない。それじゃ、自分のやりたい仕事を形にするには合わない。
 そういう意味では、NPO、市民活動が法人格を持てるような制度をつくろうと思いまして、そういったことを考えてきた国際的な活動をしている人や福祉のことをやっている人たちと一緒に、市民活動の制度をつくる連絡会というのをつくって、特定非営利活動促進法、NPO法をつくる活動を始めたのが、ちょうど1990年ころです。
 1990年にその活動を始めて、NPO法、市民活動促進法を立法しようということで、市民レベルでの法案づくりや調査、研究を行い、政府にも提案していました。しかし、政府や世論そのものを動かすというのは、なかなか難しい状況でした。そんなときに1995年に阪神・淡路の大震災が起きました。そのときに日本じゅうでボランティアの人たちがたくさん動いて、日本にも非営利の、民間のそういう力が非常にあるということ、それからその力を活用しないと、さまざまな問題解決は行政だけではできないということがはっきりしました。
 それに対して政府の方は、ボランティア法という形で法案を出してきました。ボランティアというのは個人のことです。個人が組織化されて、行政と対等のパートナーシップを持ってやれるような組織をつくるには、NPO、民間非営利組織をきちっと日本の制度の中に位置づけることが必要だということを提案し、民間非営利活動を組織化する法律、NPO法というものを超党派の国会議員の全党派の賛成で国会で通すことができました。それが1998年の12月に施行されたNPO法ということです。
 私自身、先ほど冒頭に申し上げた「つぶやきを形にする、思いを仕組みにする」そのための社会基盤をつくるということをこの10年間やってきたかなと思いますが、98年の12月にNPO法が大体通るというめどが立ったときに、じゃ、そういう法律ができても、それに魂を入れていくのは人間ですから、その法律を使いこなして、市民活動を組織化して、社会的な公共の仕事を担っていけるような、そういうNPOをつくっていける人材をつくらなきゃいけないと思いましたし、それに必要な情報をきちんと共有できるシステムが必要だと思いまして、じゃ、NPOを支援するNPOをつくろうということで立ち上げたのが、NPO研修・情報センターです。1998年の12月に施行された法律、すぐに申請を出して、99年に認証という形を得て今に至っているという形になります。
 私自身はこの二十数年そういう民間の非営利が公共の担い手として位置づけられ社会的責任を負う参加協働社会の実現ということをずっと考えてやってきました。ただし、その過程で行政の組織でも、企業でも、さまざまなセクターで働き、いろんな政策立案やそういう計画づくりに携わってきたというのがあって、そういった経験を踏まえて、今NPOとして日本の社会の中で、この行き詰まりを開く、新しいセクターの力量形成に役立つ仕事をしたいと思ってやっているのが今の現状というところになります。
 そういったときに考えてみますと、日本のいろんな問題を解決するのに日本の中だけでは構造改革や行政改革を幾ら進めても解決しない問題はたくさんあります。特に環境の問題。環境の問題を突き詰めて考えると、国家を超えて対応しなければいけない問題が山積していると思います。20世紀というのはどちらかというと、国家を民主化する時代だとしたら、21世紀は国家を超えた民主主義をつくる時代だというふうにも思います。
 国家を超えた民主主義ということになれば、もはや旧来の行政や政府に頼っているのではなく、民間のNPO、ノンプロフィットでノンガバメント、非政府組織が連携していく時代が来ているというのを非常に実感するわけです。
 そうした視点で私は東アジアの市民社会をどう形成していくかということで、日中韓、日本と中国と韓国の自治体、NPO、NGOとの連携をつくるという仕事にも、ここ数年かかわっているというのが実態です。 
 ヨハネスブルグサミットが8月下旬から9月の初めにかけてありました。そこで、私は国連の会議の場、ヨハネスブルグサミットの場で、日本と中国と韓国のNGO、NPOと自治体によって環日本海の環境問題の解決に向けて取り組みをするためのネットワークづくりをするという仕事をやってきました。
 ですから、きょうのタイトルにしました参加協働型社会のパラダイムシフトというのは、もはや国家を超えた民主主義をこれからどういうふうにつくっていくかという視点で物を考えていくということだともいえます。グローバルに考えてローカルに動く。ローカルに考えてグローバルに動く。そういったことが同時に必要な時代が来たと思っています。
 ただし、日本の中では旧来の考え方、旧来の組織、システムがまだまだ残っています。それをどういうふうに改革していくかということが、今政治の場でも、行政の場でも、企業の場でも行われていますが、そこには根本的な価値観の転換、物の考え方の問い直しが必要だろうと思っています。
 ところで、首相の小泉さんは官から民へとおっしゃっていますが、民ということの中身に、まだ日本では民間企業しかイメージされないNPO/NGOが入っていないというのは、日本の社会の盲点だと思っています。民というのは本来は市民社会のことです。市民社会というのは本来は第3セクターのことです。第3セクターというのはNPO、NGOセクターのことをグローバルなところではいいます。そういう意味では日本の今のいろんな行き詰まりやさまざまな閉塞感は、日本が第1セクターである行政と第2セクターである企業、その2つのセクターで国を運営してきたところに、原因の1つがあるのではないかと私は考えています。  それで、参加協働型社会をつくっていくときには、新しいノンプロフィット、非営利組織というものをどのようにこの日本の社会の中に位置づけていくかということが緊急の課題だと思っています。
 あしたから私は北京に出かけますが、皆さん、中国にNGOがあるのかと思っている方はどれぐらいいらっしゃいますか。中国は今NGOが非常に盛んです。私は3月に清華大学で開かれた国際NGOフォーラムに招待されました。毎年開かれています。清華大学といえば、今回、胡錦涛さんが代表になられましたが、胡錦涛さんも含めて今回の中国の代表の多くは清華大学の出身です。
 私もあした清華大学に行って、NGOセンターの所長と対談をするのですが、中国では毎年毎年NGOというのは非常に大きな勢力になってきています。10年前中国のNGOは政府がつくったNGOでした。5年前クアラルンプールで世界NGO会議が開かれたときも、政府のお役人がNGOを名乗って来ていました。3年前、下からのNGOが力を持ち始めました。それから、ここ2〜3年は、下からのNGOが、逆に上からの政府のNGOをリードして、ヨハネスブルグサミットなどの中国NGOから参加するオーガナイズなどを下からのNGO、草の根のNGOがやり出しています。
 なぜ、そうなっているかというと、12億の大きな人口の中のトップレベルの人たち、特に海外の留学組の人たちが西欧世界で見てきた市民社会のつくり方として、自分たちの国の中に足らないものがNGOだと気づくわけです。そういう気づいた人たちがNGOを始めている。かなり有能な人たちがグローバルなネットワークをもってやっています。ハーバードやオックスフォード、いろんな大学に行っていた人たちでジャーナリストに各国でなった人たちなどが中国に戻って、そういうNGOを立ち上げているのが実情です。非常に強力なガバナンスを持っているNGOが立ち上がってきています。ただし、中国は共産主義の国なので、NGOの活動に制限があることは事実です。そこを非常に戦略的にやって大きくなるNGOが出てきているのが、今の中国の特徴です。
 例えば、ダムの反対運動というのをやっている中国のNGOもあります。ただし、そのやり方は中国政府に対してノーというのではなくて、日本のODAの出し方を批判するという形でダムの乱開発をとめるということをやっています。そういう意味では非常に戦略的です。
 また、中国は北京オリンピックに向けて緑のオリンピックといっていますが、かなり環境NGOに対しては大らか。WTO以後、環境をきちっとやっている国は先進国としての1つのメルクマールになるということで、環境のNGOに対しては、大目に見ているというより、一緒にやっていこうという姿勢も示しているというのがあって、環境NGOが力をつけてきているのです。
 中国に、NGOセンターがある。これは清華大学にあります。ここの王名さんという人とあした対談をすることになっています。日本の中日新聞の新年号の対談です。この方は日本の名古屋大学に留学してきた人です。彼は日本から帰って、中国社会に必要なもの、新しい分野として清華大学の中にNGOセンターというのをつくりました。そこに20〜30人の学生が雇用されている。中国はみんな大学の先生が大学院生を雇用していろんなプロジェクトをやるんです。大きな国際フォーラムを年に何回も繰り返しやっています。私もこの清華大学のNGOセンターと交流しています。このように中国では今NGOというのが非常に盛んになってきているということです。
 お隣の韓国。韓国でもNGO、NPOが非常に盛んです。日本のNGOというのはまだ草の根。まだボランティアに毛が生えた程度、NPOといってもまだまだ経営の規模、予算規模も非常に弱小なものが多いんですが、韓国のNGOは非常に大きなものが多いです。
 例えば、環境連合というようなところは、会員が5万人ぐらい。予算も5億円以上持っている。韓国円で5億ぐらいですから、日本円でいえば15億円ぐらいの予算規模です。女性連合や参与連帯、落選運動をやったので有名なNPOですが、そういった会員を1万人以上擁しているところが幾つかあります。
 韓国では軍事政権から民主化する過程で、学生運動のリーダーだった人たちがNPO/NGOのリーダーになっています。市民運動のリーダーのほとんどが元の学生運動のリーダーです。彼らは軍事政権のとき、みんな政治的な罪状で牢屋に入った人たちです。それが彼らの強力なネットワークのもととなっています。だから、環境の問題も、アドボカシー、政治的なイシューも、女性の問題も、いろんな人たちが市民連帯を組むというのを非常に迅速に的確にやれる国です。そういう意味ではNGO、NPOの力が韓国では非常に大きい。
 それから、ソウル大学の学生たちのあこがれの職業はNGO、NPOのリーダーなんです。それは社会のいろんな問題解決を担う、非常にあこがれの職業という形になっているのが現状です。日本と隣国の韓国、中国の現状は随分違うわけです。
 そういったことが日本のマスコミを通してはなかなか見えてきません。北京やソウルに支社を置いていても、第3セクター、本来の市民セクターに対するアンテナが張られていないということから、中国や勧告の今、旬の市民社会の情報は入ってきません。
 きのう若い新聞記者の人たちにレクチャーに行きましたが、私はそういったことが抜けていると、世界のいろんな状況を的確に把握できないまま日本というのはアジアの孤児になるという危機感を持っています。
 韓国は、総論的な市民運動、特にソウルを中心に大きな市民連帯をやるような総論的な市民運動。草の根はなかなか育たない。韓国のNGO/NPOの課題は、日本の草の根的なすごい身近な市民活動をどのようにつくるかということです。
 私は、そういった韓国と日本の、それぞれの長所、短所を学び合う時期に来ていると思いまして、来年の1月の18日にはオリンピックの青少年センターというところで、日中韓の若手の次世代のリーダーのシンポジウムをやります。関心のある方はぜひ来ていただければと思いますし、私のところのホームページでも情報を提供していますので、見ていただければと思います。



2.NPOとは

 さて、NPOとは何かというと、もともとの訳は、皆さんご存じのノン・プロフィット・オーガニゼーションです。非営利組織です。でも、私はそれを超訳して、ニュー・パブリック・オーガニゼーション、新しい公共の組織だと言っています。
 日本の社会構造は、先ほどいったように、第1セクターと第2セクターで明治以来ずっとやってきた。第3セクターが発達していること、今それが大きな課題だと思っています。本来の第3セクター。日本で3セクといっているのは大きな言葉の間違いです。使い方の間違いです。行政が出資して、人も出して、自己決定できない組織を3セクといっているのは、日本でしか通用しない言葉です。本来の第3セクターというのは第1セクター、第2セクターから独立して自己決定できる組織のことをいいます。
 この世の中を2つの座標軸で分けるとします。官と民。非営利と営利。官で非営利を、ご存じのように行政セクターといいます。民で営利を企業セクターです。
 これが第1セクター、これが第2セクター。セクターというのはいろんな組織が集まってつくる領域のことをいいます。民で非営利、これが市民セクターです。これをアメリカ流でいえばNPOセクター。イギリス流にいえばボランタリーセクター。イギリスではNPOという言葉を使わずにチャリティーとかボランタリーといいます。ボランタリーというのは自発的という意味です。
 NPOとNGO。ほぼ同じです。NGOと名乗るときは、ノンガバメントですから、非政府組織。非政府ということを強くいいたいわけです。NPOと名乗るときは非営利、非営利性を強く名乗りたいときにNPO。私はNPO研修・情報センターの世古ですけれども、ヨハネスブルグサミットに行ったときにはNGOの代表として行きました。非政府組織の代表として行ったということです。
 本来ここが第3セクターです。日本で3セク、3セクといっているのは、どっちかというと、このあたりのところです。1.5セクターのことをいっているわけです。それを3セクというのは大きな間違いですし、グローバルなところでは通じない言葉です。どこかの講演会でいったら、それは日本で通用している言葉だから、それでいいじゃないかという人がいましたが、もはや、いろんな用語はグローバルなところで通用する、特に第3セクターというのは市民社会のことをいうというのは国連を含めてどこでも使っていることですから、日本で1.5セクターのことを3セクなんていうことをいっているのは、私はいかがなものかと思う。
 なぜ、日本ではいわゆる“3セク”が発達してきたかというと、それは本来の第3セクターが発達してなかったからに過ぎません。行政というのは非常に特殊な非営利なんです。どう特殊かというと、非営利というのは利益を出さないことではないです。利益を出しても配分しないことです。株式会社、企業セクターではそこに最初に出資した人、株主、そういう人に配分します。そこに働いている人に給与、ボーナス以外のさらなるボーナスとして配分することですが、非営利セクターはそのような配分をしません。それは企業セクターです。非営利というのは利益を出さないことじゃないです。利益を出しても配分せずに、次の社会目的に投資すること。非配分の原理を持っているセクターのことをいいます。
 行政セクターというのは、当初から利益を出せない構造に設定された特殊な非営利です。日本ではこれまで特殊な非営利しか発達してこなかったので、非営利組織というと行政、イコール利益を出しちゃいけないと思いがちですので、NPOは利益を出せないと思っている人もいます。もしくは、働いている人に給料も出せないものだと思っている人がいますが、とんでもない間違いです。行政職員は市民の事務局として、市民社会に任意されて、要するに委託されて給料をもらって働いている。市民セクターであるNPO、NGOのスタッフも、税金ではない形で社会から公共の仕事を託されてやっているんですから、給料というのは払っていくのは当たり前なんです。給料は利益の配分とは違います。そういう意味では、非営利という概念が日本に発達してこなかったことの省査でしょう。
 ボランティアは無償です。ボランティアというのは自発的に働く人のことですから、労働に対する対価というのをほとんど要求しないということが前提です。ですから、日本では、有償ボランティアというのがありますが、有償というのは労働に対する対価を払うことです。有償ボランティアというのは語義矛盾しています。ボランティアは無償です。ボランティアに、交通費や弁当代を払っているとしたら、それは経費です。それは有償の範囲に入らない。有償ボランティアで時給300円なんていいますが、それは最低賃金法違反ですよ。有償の範囲には入らない。
 そういう意味では日本では非営利という言葉がなかなか理解されないのは、まさに行政セクターと企業セクター、この2つで国づくりをやってきたということがあります。
 それと同時に、行政セクターでは税をもって公平平等のサービスをやる。収益事業をできないという構造のところでは、市民の要求や要望で「やってよ」といわれたり、またやらなきゃいけないことをいわれたら、外郭団体をつくって、そこでやらせるという構造をとってきました。
 先ほどいいましたアメリカ、アメリカといっても広い国です。皆さんもアメリカに住まれた方もたくさんいらっしゃると思いますが、カリフォルニア州とニューヨーク州は別の国ですね。州ごとに違うんですが、アメリカのさまざまな州で起きているNPOの動きは、こういうところの仕事を市民セクター、第3セクターであるNPOがやるということでは一緒です。
 この会でも話されたかもしれませんが、CDC、コミュニティー・ディベロップメント・センターというのはアメリカのNPOの中で建築やまちづくりの仕事をしているNPOです。CDC、コミュニティー・ディベロップメント・センターは、例えば住宅供給、アフォーダブル・ハウジングといいますが、低価格、低所得者用の住宅、そういうものの供給を年間2000戸ぐらいやっているNPOというのはたくさんあります。日本では、住宅供給公社が、そういう仕事をやるものだと思われていますが、そういったものは本来NPOがやるという考え方です。
 そういう意味では、日本では公益法人のところにメスを入れないで、NPO/NGOの議論をしていると、ボランティアに毛が生えた程度の非常に矮小化した議論になっているというのが事実です。
 特殊な非営利である行政、そこに日本は明治以来、公共を独占させる形でやってきました。これが今の行き詰まりを生んでいると私は思っています。公共という言葉は「パブリック」。これを訳したのは明治の官僚組織だと思いますが、ある意味「公共」と訳したのは巧みだなと思います。パブリックという言葉を福沢諭吉さんは「みんな」と訳しています。平たい言葉で「みんな」。もしくは「公衆」と訳しています。まさにパブリックというのは公衆のことです。みんなのことです。公衆便所というのは市役所のトイレではなく、だれでもが入れるトイレのことです。バブリックはみんなのこと。みんなのことをみんなのためにやるのがまちづくりです。そのみんなのことをみんなのためにやることを全部行政に、税金でやってよといってきたのが今までの日本の姿です。税金をもってやってよといったので、どんどんやってもらっているうちに80兆円の予算しかないのに、640兆円ぐらいの負債を抱えることになってしまったのではないでしょうか。
 そういう意味では、みんなのことをみんなでやる。公共の仕事の一部は行政、多くはNPOというのが本来です。例えば、日本ではアメリカの民主主義を真似したといいますが、アメリカの民主主義というのはまさに小さな政府です。とりあえず民間がやって、少しできないところ、公平平等の税をもってやったらいいところだけを政府にやらせるということです。
 日本は公共を行政に独占させる形でやったために、行政を“お上”にしてきた国です。要するに、行政が“お上”になっていること自体が、今の日本の官僚制度を含めたさまざまな問題を生んでいるわけです。それは私たちの精神の中、文化の中に深くしみ込んでいる価値観です。これを変えないと抜本的な構造改革はできない。
 私自身は京都に育ったので、行政を“お上”とあまり思わない風土で育ちました。京都では時の権力者はどんどん変わっても、町衆が町をつくるというふうに自律してやってきました。例えば祇園祭は、各町内ごとに山鉾を保存し、祭をするために財団を持っています。そういった形で民衆が管理するということを当たり前にやってきたところに育ちましたし、大阪では、八百八橋といいます。たくさん橋があるという意味ですが、そのほとんどは商人が自分のところの商売のためにつくったものをみんなのために使っていいよという形でやっている橋なのです。そういう意味では公共投資、土木工事みたいなものは民がやるというのが当たり前のところに育ちましたので、行政が“お上”というふうには思っていないのです。
 私が委員をしている総務省の地方制度調査会でも時々冗談で、「中央と地方という言葉をやめた方がいいんじゃないの」といっています。中央という言葉をつくるために霞が関がお上になってしまうので、そうではなくて、それぞれの地域と考える。そういう意味では、私は関西に育って、お上意識におかされていないから、NPOをつくったり、考えるのによかったかなと思っているところです。
 まさに市民社会というのは、本来市民がまず自分たちで何をやり、行政に何をやってもらうかを考えて、これから仕事の役割分担を考えるのが分権の考え方です。
 行政セクターに独占させ過ぎた、もしくは頼み過ぎた、そういったものを民間に。民間というと企業のことだけではないです。民間がどう担うか。皆さんを含めてみんながどう担うかというのが本来の公共の考え方です。NPOの話は、行政の方や企業の人にとって、ボランティアをやっているおばさんやおじさんの話ではなくて、皆さん自身が社会に参加するための話です。普通の一般の大人の市民としてやらなきゃいけないことは、企業に勤めて毎日会社に行っていますというだけで済まないということです。それだけでは大人の市民としての責務を果たせないんじゃないかというのが私が考えています。
 こういう考え方を話すときに、仕事観というものをパラダイムシフト、まさに根本から問い直さないと、こういうボランティアやNPOの話は、だれか好きな人、暇な人がやっている話でしかない。そこに人材もなかなか来ない。なぜかというと、仕事観が全然変わってないので、パラダイムシフトが起きない。この中にも定年になったら、ボランティア、NPOでもしようかなという人がいるかもしれませんが、そういう考え方はまさに仕事と余暇を分ける考え方です。
 一般に仕事というのは給料をもらうことをやることだというふうに思い込んでいる。仕事というのは本当に給料をもらうことだけなのかというと、日本はもともと水田耕作をしてきた、田んぼをつくってきた国です。山を守ってきた国です。そういう意味では農業を中心にしてきた国での村での仕事は、賃金をその場で払われる仕事じゃなかった。例えば、何世代後の子孫のために木を植えたり、水の管理、山の管理、カヤぶきの集落だと、かや場の管理というのは結いやもやいという共同作業の共同分配ということをやってきた。NPOなんてことを外国から教えてもらわなくても、もともとは日本は共同性が非常に強かったところなんです。ただし、結いやもやいといった共同性というのは、村社会の地縁型に縛られていましたので、どうも義務的でみんなが嫌気がさしていた。そういうものは全部行政に任せた方がみんな気軽に都会に出られるようになった。
 考えてみたら、そういうことが仕事観を非常に矮小化して、給料をもらうところに行っていれば、仕事をしているような錯覚に陥っているわけです。給料をもらう仕事をしっかりやってもらうために余暇という概念が出てきました。経済産業省、前の通産省が余暇開発センターというのをやっていました。まさに余暇は余った暇なんです。会社に行っていたり、役所に行っているのの余った暇、余った暇のない人は地域の仕事や家庭の仕事や地球の仕事を何もしないでも済ませられると思い込んでいる。余った暇のある人は、給料をもらえる仕事をしてない主婦、定年退職した人、そういう人が余った暇にやるのがボランティア、NPOだと考えていると大間違いです。そういう構造の中では、さっきいったパラダイムシフトは起きないわけです。
 これでは、日本は脆弱な多様性のない価値観を持った国にならざるを得ないです。この考え方をそろそろやめる。仕事と余暇を分けるという考え方は近代工業化社会の異物にするしかないと私は思っていますし、もっと本来的な仕事観というのを持ったらどうか。
 私は若いころ文化人類学で知ったアメリカのインディアンの人たちの話に強く共感しました。彼らの話ですごく印象に残っているのは、7世代後の子孫にいいと思えば、その開発はイエス。7世代後の子孫に少しでも問題があると思えば、その開発はノーという言葉があります。7世代というと、大体300年ぐらいです。それくらいの時間のモノサシで物事を考えるということが、町や地域や山、そういうものに携わる者の心得だというのを教えてもらいました。
 私は、大学時代、哲学、社会学をやりましたが、大学院は土木、環境システムをやりました。土木工学の理論システムです。何でかというと、まちづくりや地域づくりをするのに、社会学の観点から物をいうだけでは、なかなか大きな変革は行えないと思ったので、土木工学の世界の中で物をいって社会をハードの面からも変えていきたいと思ってやりました。
 土木のことを勉強しているときに、ことさら7世代後の子孫にいいと思えばイエス、7世代後にやっぱり問題があるからノーといおうというのは、非常に含蓄のある言葉だと思いました。
 日本は短い時間の枠の中で効率というのを考えてきました。結局は、効率の悪いことをしてきたのではないでしょうか。要するに、環境に負荷のかかるいろんなものをつくって、取り返しのつかないものをつくってしまうというのは非常に効率が悪い。
  7世代分ぐらいを考えたときの環境経済学を考えれば、今の効率主義は吹っ飛んでしまうんじゃないかなと私は思います。そういう意味では、価値観を大きく転換するする時期にきている。
 私が申し上げているのは、理想的だけれども、現実的ではないという方がたくさんいらっしゃると思います。でも、私がNPOをやっているのは理想的なことを現実にするためにやっているわけです。理想的なことを現実にするために組織としてやる。それがNPOだし、民間非営利組織のミッションだと思っているからです。
 仕事観をどう変えるかというと、人生は全部自分の自由時間。仕事と余暇というふうに分けるんじゃなくて、自由時間をどうデザインするかというふうに考える。その自由時間の中のある時間を給料をもらう仕事をやるかもしれない、ある時間は地域の仕事、ある時間は地球の仕事、ある時間は家族の仕事、ある時間は自分のための仕事、いろんな仕事をバランスよくやって初めて大人の市民というんじゃないかと思うんです。
 給料をもらう仕事だけを一生懸命やっているから、それで済むということではないのです。地球市民という考え方の前提に必要です。仕事、余暇、余った暇にボランティアをやるんじゃなくて、余った暇はないです。自由時間をどうデザインするか。その中で自分がボランティアに何かかかわりたいところがあれば、NPOをやる。NPOのスタッフとして実際にやってみるなら、そこのスタッフとしての仕事というような選択肢がある。ただし、地域や地球や家族、自分の仕事、地域の仕事、家族の仕事、社会の仕事、それぞれの人生の自分の自由時間にデザインでき切れないと、やっぱりおもしろくないんじゃないかなと思っています。ねばならないというよりも、そういった多様な自分の人生の自由時間の選択肢を持つこと。その1つの選択肢としてNPOというのがあるということです。
 これは企業の人にとっても、行政の人にとっても、自分の人生の選択肢を豊かにする1つの手段だと考えたらどうかなと思っています。そういう意味ではNPOの略を私は関西弁で「何か(N)、パッと(P)、おもろいことをやること(O)」といっています。何かパッとおもしろいこと。それがいいんじゃないかなと思っています。
 私自身は、行政に公共を独占させ過ぎたために、いろんな問題が起きているといいましたけれども、いろんな文化がないままの開発というのはむなしいですね。さて日本の旦那衆について考えてみましょう。私の母は紀の国、和歌山の人で、祖父のところに行くと、大きな家だったので、大工さんが屋敷内に住んでいて、いつも木を引いていたり、木の手入れをしていたんです。そういう意味では旦那衆というのがいて、職人さんを育てる仕事をやったんだと思います。そういう旦那衆がいなくなって職人も育たなくなった。
 また、小学校の土地や公園はそこの地域の地主さんが寄附して建てたというのが多いですね。日本に寄附の文化がないといいますけれども、それは戦後のせちがらい世の中で、そんなのは結構あった。行政よりも先にそういうのをやっていたのはたくさんあるんです。用水の工事を見ると、私財を投げ打ってやった旦那衆たちがたくさんいるわけです。ただし、封建制を私は肯定しているわけではありません。地域の旦那衆の仕事を見直してみると、公共を民がやっていたこともわかるし、地域の文化を育てていたということもよくわかるということです。行政は地域の旦那にはなり切れないわけです。
 NPOというのは地域の“旦那”になれる可能性があります。みんなが自発的に集まってお金を出し合ってやってみようという組織ですから。そういう意味では新しいコミュニティをつくっていくのは、地縁型、会社の縁でつながるんじゃなくて、知縁ですね。自分が何をやりたいか、どういうふうに生きたいかということで、自分がやりたいことを仕事にする。それでお金をもらうもらわないは自分たちで選択して、それを経営する手段を持てばいいというのが私の考えです。
 日本以外のアメリカでもイギリスでも、特にイギリスなんかサッチャー政権以後、大きな政府から小さな政府へ、ブレアがやっていることはまさにNPOに分権していく話なんです。
 そういう意味では、日本は行政セクターと市民セクターが一緒にパートナーシップを持って、どういうふうに公共の仕事を分担していくかという考え方に大きく転換しなければいけないと思っています。
 非営利である行政セクターと市民セクター、この関係をちょっと図で書いてみます。私は、皆さんのお手元のプロフィールにあると思いますが、『参加のデザイン』と『協働のデザイン』という本を書きました。『参加のデザイン』はぎょうせい、『協働のデザイン』というのは学芸出版です。
 協働領域というのはどう考えるかというと、行政とNPO、企業も含めてですが、協働の領域。今企業の方もおられますが、今は少し非営利セクターが弱いんですね。日本の第3セクターが弱いという話をしましたので、第3セクターと第1セクターとの協働というところに限定して話を進めさせていただきます。
 公共公益領域、公共の担い手は行政だけではなく、行政はその一部だという話をしましたけれども、これをどういうふうに分担しているのかということが分権の考え方にシフトしていきます。これが行政セクター。国家レベルで考えてもいいですけれども、自治体レベルで考えた方がわかりやすい。公共公益領域。これが協働の領域です。これを十把一からげに考えても仕方がないので、5つぐらいに分けます。これは日本NPOセンターの山岡さんという方が非常にわかりやすいモデルをつくってくださっているので、それをお借りします。
 A、B、C、D、Eと書きましたが、Aは行政が行政固有の特性に応じて行政自身がやるべき領域です。Bが行政がやって市民セクターが手伝う方です。Cは五分五分でやるんです。Dは市民がやって行政が手伝う。どう手伝うかというと、先に配分権を持った行政がその配分された場所とかお金、情報、そういうものを再配分する。Eは行政とは関係なく市民セクターが独自でやる領域です。このA、B、C、D、Eという5つの領域、この領域設定と役割分担ということを考える。これがまさに行政改革であり、市民分権の考え方です。
 行政改革といいますが、行政の内部で改革するのは本来無理があります。行政改革という考え方の中に市民への分権ということを考えるべきです。これはまさに市民に分権していく。Bの部分を市民参加というわけです。パブリックインボルブメントといっているのもBの部分です。これだけでは不十分です。行政セクターに頼み過ぎたり、頼まれ過ぎたものを市民セクターに分権していって、責任を渡していく。分権、分責。もしくは行政セクターが本来やらなければいけないのに、市民セクターがやっている、そういうものは行政セクターにやってよというふうに戻していく、こういうことも両方ある。これが協働の考え方です。
 行政改革は、こういった市民への分権なしに行政の改革は進まない。今行政に見直されている仕事は行政の方の仕事かということをもう一度問い直すという視点ですね。それなしには今の行政改革は進まない。コップの中のやりとりにしか過ぎない。そういう意味では、地方分権という言葉は足らない言葉ですね。不足している。どう不足しているかというと、私からいわせれば、中央政府、要するに霞が関の権限を地方自治体だけに分権しても無理です。地域の公共の仕事は自治体とNPOで担う。地方分権というものと市民分権、この2つを合わせて地域分権と呼んでいったらどうかと思っています。
 霞が関の権限を地域へ分権する。地域の分権の中で地方自治体は何をやるのか。地方自治体と市民活動が一緒にやるのは何なのか。五分五分でやるところは何なのか。市民がやって地方自治体が手伝うところは何なのか。市民活動の領域は何なのか。地方分権だけでは不十分です。地方分権と市民分権を合わせて地域分権という必要があるというのはこうした理由です。
 今の日本の分権の話は、霞が関の権限を都道府県、町村にどういうふうに分けるのか、もしくはお金をつけてもらうのかというのが地方自治体の関心事だとしたら、それは矮小化した考え方で、市民がどう担うかという視点が必要だということです。
 例えば、私もNPOでシェルターにかかわっています。シェルターというのは、DV、ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力の中で行き場のない逃げてくる女の人たちが、シェルターですから、一時避難する場所です。そういう一時避難する人の生活を支える、生存の基盤をつくるのは本来は行政のやる仕事です。まだそういうのが足らないんです。だから、やむなくNPOの人々がやっているんです。特に不法就労しているアジアの女の人たちを、政府機関では受けないんです。民間でそういう人たちを支援する仕事が必要なんです。ただし、民間では支援し切れないんです。それがもっとこっちにやってもらわなきゃいけない仕事です。そういう意味ではシビルミニマムという部分、本来やることが行政にはもっとあるだろうというのが私の考えです。行政がやり過ぎているもの、頼まれ過ぎたものは市民セクターへ、逆は行政セクターへという考え方です。
 官民の役割分担、切り分け方をやるために必要なのは評価システムです。協働評価という形で協働評価システムをつくっていく。これは三重県の北川知事のところのNPOチームと一緒にこの3年ぐらいやって、協働評価システムというのをつくってきました。この切り分け方は自治体ごとに随分違うんです。なぜかというと、地域で市民セクター、NPOが発達していなければ、市民セクターへ分権できないわけです。そういう意味では各地域でたくさん自立したNPOがないと、分権が進まない。外郭団体のように、行政におんぶに抱っこのものをつくっても、本来の分権にならない。自立したNPOをどうするか。だから、そういったNPOの起業というものが必要だということをいっているわけです。
 NPOの起業ということでいえば、今はどうも協働というのが耳当たりのいい言葉で、環境省も経済産業省も、NPOとの協働ということをいっておられるんですが、行政が先にありきで、NPOを下請け的にしか考えてないようで、こういった役割分担論をきちっとやろうというのはなかなか主流にはなってない感があります。
 私がいいたいのは、そういった今までの行政の考え方、枠組みの中でNPOを位置づけてしまうと、今まで外郭団体をつくってきたのと同じで社会を変える力にならない、分権の担い手としてのNPOがしっかり育つ基盤をつくる。本来の私たちが暮らしやすい豊かな社会は何かと問われれば、これまでは多様な選択肢のある社会です。多様な選択肢を、今までは行政や企業につくってもらう。もしくは市場でそれを買っていく。
 それだけではできないサービスをどうしたらいいかというと、今度は自分たちがNPOやNGOをつくって市場に参入していく。それも非営利という形で参入する。それによっていろんな多様なサービスを生み出す。サービスの受け手がサービスの創出者にもなる。これが新しい参加協働型社会の大きな変革、構造改革です。
 そういった発想の転換というのがないまま行政の下請け的にNPOをつくってしまうと、日本はますます閉塞状況から抜け出られなくなります。したたかに自立できるようなNPOが育つ基盤をつくる。そのためにはいろんな規制を緩和して、企業や社会福祉法人が参入しているところにNPOが参入できるようにする等の多様な政策というのが必要です。ただし、NPOだけを特殊に保護する政策ではなく、税制を改革して、NPOが動きやすいような環境をつくるなり、大きな制度の改革によって基盤整備をすることが必要だと私は考えています。
 レジュメに戻らせていただきますと、NPOというのはそういった意味ではニュー・パブリック・オーガニゼーション、新しい公共の組織です。もっとやわらかくいうと、先ほどいいましたように、何かパッとおもしろいことをやる組織という感じです。おもしろいことというのが、自分や自分の身内の人が儲かることではなくて、少し社会や地域に役立つことがおもしろい。そういったミッションを持った人がやれることと思っています。
 私は多摩大学というところでNPO経営論、マネジメントというのをここ何年間教えているんですけれども、東京経済大学でもことしからやり始めました。おもしろいのは、5年前はこの講座を聞いて、NPOで働いてみたい人と聞いたら、100人のうち2人ぐらいだった。3年ぐらい前は10人ぐらい。去年ぐらいになると、半分ぐらいがやってみたいというわけです。要するに、企業や行政に行っても閉塞感があるし、自分のお父さんやらを見ていると、超一流企業に行っていても、リストラやいろんなことで、今いいといっていたものが価値観がどんどん変わる。それであれば、自分が本当に食べることができれば、社会に役立つ仕事をしたいという人が結構ふえてきました。そういう意味ではNPO、NGOというものが若い人たちの新しい仕事の場になっていくといいなと思いますし、そういった市場をつくることが必要だろうと思います。NPOの市場をつくれば、NPOが大きく成長するのかというと、成長します。
 また、日本でNPOというと、NPO法人だけを指すのは大きな間違いです。NPOというのは民間の非営利で、自発的にテーマを持って人々が集まって発想する。その中で法人格をとりたいところはNPO法人をとるだけです。NPO法人の数は今大体8600くらいある。じゃ、NPO全体はというと、市民活動全体は14〜15万あるだろうと思っています。その中の8000ぐらいはNPO法人です。
 じゃ、法人格はどういうときに必要かというと、所有と契約と雇用の概念が必要になったときです。まず所有。活動をしっかりしていこうと思うと場所が要ります、場所を所有し、それから人を雇用する。ボランティアとNPOは違う。ボランティアは個人、NPOは組織のことです。会社と会社員ぐらいの違いがあります。そういう意味では人を雇用する。専従の職員がいるからボランティアの人が自由に動けるんです。ボランティアの人ばっかりが集まっていても、そこをコーディネートする事務局の人がいないと、ボランティアの力はなかなか生かされません。そういう意味ではボランティアをふやそうと思えば、NPOが必要になります。NPOはボランティアをマネジメントする組織です。
 要するに、所有と雇用と契約。いろんな場所を借りたり、保険をかけたり、必要な企業や行政からの委託事業をやれば契約行為が必要です。任意の団体では社会的な信用も得にくいし、個人の代表の責任だってかぶってしまうので、所有と雇用と契約、この3つの概念が必要になったときNPO法人というのをとれるということが、NPO法の趣旨です。
 NPO法をつくるときに想定したのは、年間せめて3000万円以上、人も2人ぐらい雇用して、それくらいの規模のところを最低限と思っていましたが、今8000ぐらいNPO法人がありますが、その中の6割くらいがその規模に達していない。今まだそういうNPOの市場がないんです。唯一ある市場はというと、介護保険の市場。介護保険はNPO法人になって参入することができる。そうすると、社会福祉法人や企業、コムスンなんていうところもありますけれども、そんなところと同じように、参入する。そういうことができると、今まで市民活動をやっていた人がやったんじゃなくて、新しくNPO法人を立ち上げてやり始めるということがどんどん起きていくわけです。そういう意味では新しい市場もつくって、そこを規制緩和する。そのことによってNPOも育つ基盤ができると私は考えています。
 NPO法人の新認証数というのは今8600ぐらいだといいましたけれども、まだ日本ではそれほど大きな形にはなっていない。ただ、これからいろんなところにNPOが大きく参入してくるだろうと思います。
 ただし、日本では市民の自立によってというより行政の都合でつくるNPOも出てくるかもしれません。いろんなものが出てくるんだと思います。
 また、2001年の10月から認定NPO法人制度というのができて、NPO法人の優遇税制も始まりました。ただ、8600ぐらいあるNPO法人のうち認定NPO法人、この優遇税制は2年間NPOの活動をしていて、公益性が高いと国税庁が認めたものです。それは優遇制度を受けるんですが、寄附者の寄附金に対する優遇制度です。それはたった10法人しか受けていません。なぜかというと、法律そのものが非常に使いにくい。既存のNPOにとっては実態に合っていない。それを変えていこう、特に認定NPO法人の要件の緩和ということで、NPOが連携して国会にも働きかけてやっているところの話です。
 ちなみに、ご存じだと思いますが、NPO法人は認証制度です。認可とか許可とは全く違います。登録制に近いものなんです。登録制でどこが認証するかというと、都道府県知事と内閣府。内閣府に出した方が偉いわけじゃなくて、主たる事務所が県をまたがって2つ以上あれば、内閣府に出すということです。私のところも全国規模でやっていますが、東京都知事の認証です。ただ、それは行政に認めてもらったということじゃないんです。要するに、登録したということです。認証制度にお役所がかんでいるのは日本だけです。どこも認証制度というのは民間の認証基準なんです。これもさっきいった日本にお上意識、要するに市民同士がお互いに信頼し合うよりもお上に任せるといった、行政をお上にしてしまっている。そういうところがあるんじゃないかと思っています。
 そういう意味ではNPO法の改正ということについても、認証を別に行政にやってもらわなくても、お互いに認め合う。株式会社は登録制ですね。非営利でノンプロフィットのものをなぜ登録制にできないのかというのも、日本の文化の根っこのところに行政をお上にしているという問題があるんじゃないかと思っています。
 それから、NPO法をつくるときに市民活動ということを国会で議論したときも、初め市民活動促進法だったんです。というのは何か過激な、行政に反対する人がやっている運動じゃないかという国会議員の人たちがいて、特定非営利活動促進法になったんです。特定非営利活動と、わかりにくい名前ですが、何で特定というふうについているかというと、民法33条、34条、そういう公益概念とは違うものを日本で認めるときは特別法をつくらざるを得ないという、また日本的な事情があったわけです。
 私は民法を根本的に改正すべきだと考えています。要するに、明治以来つくった民法の基本は、そのときには第3セクターや市民活動なんて想定してませんから、行政が全部公益をやるんだとなっているわけです。その本来の趣旨を変えないまま市民活動も公益的にやっているから、入れようというと、特別法をその都度つくるという変な法律の体系になっているので、民法を抜本的に改正して、市民がやる公益と行政がやる公益が、それぞれそれは対等であるという考え方にすべきだと思っています。

 その議論はなかなかかみ合わないと思っていたら、次の国会ぐらいに公益法人とNPO法人と全部ひっくるめて、公益法人の一本化という議論が出てきましたので、これはかなり基本的な議論ができるといいなと思っています。



3.「新しい公共」の概念

 それから、新しい公共の概念と書きましたが、そこでいうNPOと行政の守備範囲の設定とその特性を生かした役割分担というのが必要だということです。営利と非営利の概念も、先ほどいったように、行政が非常に特殊な非営利だということをはっきりと皆さんがわかる必要があるだろう。特殊な非営利しかなかったために非営利といえば利益を出しちゃいけない組織だと誤解している人が多いこと自体が、日本の第3セクターを発達させないもとになっているんじゃないかと思うんです。
 非配分の原理と非収益の原理というのはまた別のものなんです。分権の担い手というのは地域分権という考え方で考えれば、地方自治体とNPOがその地域の公共分野を役割分担する。ただし、その役割分担するに必要なNPOが育つ基盤をつくらないと、多様な選択肢は出てこない。
 という意味では、私は東京や関西のような都会でNPOが必要というよりも、過疎地域、特に中山間地域にこそNPOは必要だと思っています。なぜかというと、中山間地域ほど行政のサービスか外郭団体のサービスしかなく、選択肢が多様じゃないからです。多様な選択肢のないところからは人は出ていきます。多様な選択肢をみずからつくれるチャンスがあるわけですから、中山間地域ほどNPOが必要だ。そんなことをいうと、「世古さん、それをだれがつくるの」とよくいわれるんですけれども、それは行政の職員も、24時間行政の職員じゃないんですから、市町村、特に町村の職員の人たちはみんな地域の住民ですから、本当に必要なことをみずから立ち上げてNPOをつくるというのも全然おかしくない。東京の港区の職員がNPOを助けたいと思って、NPOを職員でNPOおたすけ隊といったNPOをつくられましたけれども、多様なNPOを町や村、役場の職員も仕事の時間以外でNPOをつくってやったらいいんじゃないかと思っています。
 だれかつくってくれるのを待ってというよりも、そういうのをつくらせようと行政の担当としてやるんじゃなくて、みずから市民、住民としてやるということがNPOの趣旨だと思っています。
 新しい公共をつくり出す市民、行政、企業のNPOのパートナーシップというのをつくり出す。市民参加。パブリックインボルブメントというのでは不十分です。市民の意見を聞いてやるというのはもともと当たり前のことで、市民の意見を聞かずに、ハード、ソフトのいろんなものをつくったり、工事をしたりするのはあり得てはいけないことです。
 また、アカウンタビリティーという言葉がはやっています。アカウンタビリティーを説明責任と訳していますが、この間国連の会議に行って、アメリカの学者の人に、「アカウンタビリティーって何ですか」と聞くと、これは委託された側が委託者に対してやる説明責任のことだと教えてくれました。行政にとって委託者とはだれか。市民です。市民に委託された行政が市民に説明する責任がある。それがアカウンタビリティー。お上の発想を捨てないとアカウンタビリティーという言葉自身も理解できないです。受託者が勝手にやるということは本来あり得ないです。委託者に対する説明責任、委任された側が委託者に対してやる説明のことをアカウンタビリティーということです。



4.「新しい公共」を創りだす市民・行政・企業・NPOのパートナーシップ

 市民参加というのは行政への市民参加。協働というのはもっと広い概念です。そういう意味では、市民参加というのは行政セクターに個人が参加していくことです。協働というのは組織と組織の概念です。そういう意味では協働というのは行政という組織とNPO、市民活動という組織、組織をつくって対応しないと、個人として参加するだけだと行政の下請けでその中に取り込まれていく構図となるので、市民参加から協働へというパラダイムの転換が必要だと思っています。



5.参加協働型社会を拓く「参加のデザイン」の理論と実践手法

 参加協働型社会を拓く参加のデザインと書きましたが、参加をデザインするには参加の3つのデザインが必要だと思っています。詳しくは『市民参加のデザイン』というぎょうせいから出した本があるので、読んでいただければと思います。参加構成のデザインというのはだれが参加者として必要か、適切かを考え参加者を選定するデザインのことです。ワークショップというのがはやっていまして、とりあえず市民に声をかけて集まってもらえば、ワークショップ、市民参加だというのは大きな間違いです。その問題解決に必要な人が参加できるようにする。それが参加構成のデザインです。
 やりたい人だけが集まるんじゃなくて、本当に必要な人、どういう人が必要かというと、例えば公園をつくろうといったら、公園でこれから遊ぶ人、使う人、そこを設計する人、遊びの専門家、その公園をつくるのに反対している人、その公園をつくるのに全く関心を持たない人、いろんな専門家。そういうコーディネーター。いろんな人の参加が必要です。その参加の構成のデザインができないまま、やりたい人だけが集まってやるワークショップでつくられたものが民意を反映しているとはとてもいえません。参加の構成のデザインをきちんとやること。
 それから参加のプロセス。どういう時点でどういう参加をつくっていくかというプロセスのデザインです。これはスケジュールとは違います。特に専門家の参加をどこで考えるかというのは大きな課題です。一般の市民と専門家は同じ場についてもなかなか対等には物はいえないわけです。そういう意味では、私は協働コーディネーターといっていますが、そこに介在する協働コーディネーターというのが必要で、その協働コーディネーターとともに、どういうふうに参加のプロセスをつくっていくか。偉い先生が来て参加をされると、なかなか対等には話せない。その対等性を確保するためのコーディネーターというのが必要だと考えていますし、また協働の方針を定めていくにも、新しい職能が必要だと思っています。
 参加のプログラムのデザインというのはいわゆるワークショップといっている楽しい参加の方法です。参加のプログラムであるワークショップを幾らやっても、市民参加ができているというふうには考えられないです。その構成のデザイン、プロセス。もっと必要なのはそこに参加した人たちの意見が生かされる仕組みがあることです。そこに参加した人の意見が生かされる仕組みが担保されていないワークショップは、アリバイ工作、ガス抜きにしか過ぎない場合はたくさんあります。



6.協働のデザイン

 私は、そういう協働コーディネーターというものがとても必要だということで、 土木学会の論文集に協働コーディネーターの公共政策における役割について書きました。参加のデザインと理論と実践手法というのが必要。
 その上で必要なのが組織と組織の協働のデザインです。パートナーシップとよく今いいますが、パートナーシップという言葉も耳当たりがよい言葉ですが、実態は、癒着とあまり変わらなくなることが結構あります。癒着とパートナーシップはどこが違うか。皆さんどこが違うと思われますか。お互いに理解して、お互いに認識して、お互いに共通の理解を持つ。その上で共通の目標を持つ。それから対等性を持って、一緒にやる。それだけでは癒着とパートナーシップはあまり変わらない。その関係が必ず第3者に開かれていること。それから、透明性があること。パートナーシップというのは2者間で成り立つ関係ではなく、3者間、対社会に対して開かれているということがあって初めて、パートナーシップというんだと私は思っています。ただ仲良くすることではありません。
 もう1つ、パートナーシップと癒着の大きな違いは、時限性があることです。時限性というのは、1回パートナーになったからといって、ずっとやり続けるというんじゃなくて、共通の目標が達成されるか、達成されない見込みをしっかりつけて、パートナーを解消するということです。そういう意味では、パートナーシップのいろんな条件がありますので、それをやらないと、一緒に仲良くやりましょうというのがパートナーシップではない。
 特に社会に開いていく、情報公開する。NPOの一番の社会的な責任は情報公開なんです。NPO法自身が、どっちかというと、性善説によって成り立っているんです。性善説によって成り立っているシビル法、市民立法なので、そこは罰則によってがんじがらめにしていこういうのじゃなくて、NPOはNPOとしてその存在を社会に問うていくために、情報をきちんと公開する。それによって存在証明をしようということですから、いろんな警察の権力とか行政の権力によって監視しようという法律とは違うんです。市民が市民としてしっかり自立する。そういう意味では新しい法律なんです。
 ですから、今までのように法律やいろんなルールは私たちの活動を縛るもの、規制するものと考えている社会では、なかなかわかりにくいです。私は、法律やルールも、自分たちが自由な活動をするために必要だと思っていますし、そういう法律やルールも私たちが自分たちのわかりやすい言葉でつくるんだと思っています。そういう意味では、いろんな市民参加条例とか協働の条例、そういうものをつくるコーディネーターを今幾つかの市でやっています。



7.行政のNPOの協働の3つの潮流

 最後になってきましたが、行政のNPOの協働について考えてみますと、今3つの潮流があります。一番大きいのは支援・育成型です。これは日本の国が行政が“お上”となっていろんな企業や外郭団体を支援・育成してきたのと同じ方法でNPOをやろうとしている。これが結構多いんです。それも悪意ではなくてかなり善意で。これが大きな問題なんです。行政にはできない、企業にはできない分野をやるためにNPOがあるので、行政がそれを育成するということは無理なんです。例えば、NPOというのは先駆性、先見性というものがあります。もともとNPOというものがやっていることは行政の利害に反対するものが多くあるわけです。
 もっといえば、市民活動というのには行政に物申す役割もあります。その物申すと同時に対案を提示する、アドボカシーといいますが、アドボカシー機能をなくしたNPOは、私はNPOとはいわないんじゃないかと思うんです。健全な批判精神を持つもの、その健全な批判精神の中に、反対というのもあるわけです。
 ただし、それが長い目で見て、7世代までもいわなくても、今は自分たちにとって都合の悪いものも、すぐに自分たちのパートナーになる例がたくさんあるんです。例えば、ダムを進めようと思っていた自治体にとってダム反対運動をやっている緑を守る人たちは、そのときには自分たちと敵対する団体です。でも、ダムをやめようと思った途端に、そのNPOは非常に自分たちのパートナーになります。要するに、緑を守り、子供たちの親水性のある護岸をつくっていくようなところに非常に役に立つNPOになるわけです。
 例えば、不登校の問題をやってきた東京シューレというNPOがあります。不登校問題は今では、各クラスに1人とか2人になっていますが、十数年前から不登校問題で不登校の子供たちを集めてもう1つの学校、シューレをやっていた奥地圭子さんという人がいます。彼女はもともと中学校の先生でしたけれども、自分の子供が不登校になって、悩みに悩んだ末に、もう1つの学校をつくったんです。それをつくったときは文部省から「学校に行かないとはとんでもない、学校に行きなさい」。学校からも「学校に来なさい」といわれていましたが、今や各クラスに1人、2人、不登校の子供がいっぱいいるわけです。
 子供にとっては学校に行くことは義務じゃないです。おしんの時代のように、親が学校に行かさないのがいけないので、子供に教育を受けさせる義務はある。でも、学校に行かなければいけない義務は子供にはない。子供には教育を受ける権利はある。どこで受けるかということについても、もっと選択肢が必要なんです。
 そういう意味では今の学校のシステムそのものを問い直さないで、不登校の子供たちに学校へ行けといっていても、どんどんふえるばっかりです。現実はそうなってしまっていて、今や不登校問題に取り組んできたNPOというのが文部省にとってとても大切な知恵を貸してくれるパートナーになっているのです。そういう意味では10年前は敵視していたNPOが、今は文部省の審議会の委員になって、いろんな国際大会を開くときの基調講演までする、そういうことになるわけです。
 短い物差しで考えることではなく、パートナーシップというのはもっと先見性、先駆性、それぞれの特性を生かしたものをやっているということが必要なんです。ですから、自分たちの行政なり1企業なりに都合の悪いものを育成というのは無理です。それを育成しようというのはもともと矛盾しているわけです。育つ社会基盤をつくることはできます。それを支援というならいってもいいかもしれませんが、直接的な支援や育成は本来的ではない。
 今全国の首長さんで、協働ということをいわない人はいないです。協働ということがこういうことだということがわかっていなくても、協働ということをいうと、みんなに受けるというのもあって、どこも市民活動やそういったものと協働する。特に行政がつくった施設を市民に委託をして管理してもらうというのが大はやりなんです。NPOに委託をすればいい運営ができるかというと、そうとはいえないことも多い。NPOが施設管理に向いているわけじゃない。いろんな事業を発意して企画するのはできるかもしれませんが、建物の管理は向いてないです。
 そういう意味では安直な行政とNPOとの下請け的な関係にならないような政策が必要なんです。そういう意味では委託事業推進型というのも本来的じゃないです。委託事業というのは行政の管轄をふやすだけです。自立型のNPOをふやすことに、それは足かせになる場合も時としてあります。なぜかというと、委託事業に頼るNPOは行政のお金からなかなか自立できない。
 何が必要かというと、分権・行政改革型です。今書きましたA、B、C、D、E、この分権・行政改革型の中で市民に分権していくから、行政や企業には向かないこと、ただしNPOに向いていること、それをNPOにやってもらおう。企業に向いていることは企業。NPOと企業との協働というのもたくさんあるんです。さまざまなアイデア、最初のとっかかりのところというのはNPOがやる。ただし、それを事業化して、たくさんの人たちにその恩恵が広まるようにするには企業化した方がいいものもある。それは企業と協働するということです。
 NPOと企業というのは実は近いものです。行政とNPOより近い。例えば、イギリスやアメリカでは企業の人たちの中でNPOをつくるというのがたくさんあるんです。最初にNPOで芽を出して、それを事業化した方がよければ、企業に持っていくというのもたくさんあります。そういう意味ではNPOと行政の協働だけではなく、民民の関係でNPOと企業との協働というのをどんどん開発されるべきだと私は思っています。



8.行政とNPOの協働に関する5つの前提

 行政とNPOの協働に関する5つの前提と書きましたが、行政とNPOだけじゃなくて、企業とNPOとの協働についても同じことがいえると思います。@なぜ協働が必要なのか。協働でなければ解決しない課題は何なのか。協働のための協働になっていないかということを問い直すということです。
 きょうは行政の方が何人かおられると思いますが、協働ということが首長さんの市民受けをねらった指示によって、協働するための協働のプロジェクトをつくるということではあってはいけない。協働でなければ解決できない課題があるから、NPOと協働するんだということが必要です。
 ANPOの先駆性、多様性、多元性、その正しい理解に基づく協働の方針です。先ほどいったように、近視眼的に見れば、自分たちの利害に反するような市民活動も、大きく考えれば非常に将来的にはパートナーになる可能性があるというふうに大きく腹をくくってつき合う必要がある。
 B守備範囲と領域設定、役割分担に基づく「協働」関係を整理する必要があります。
 そのためには、C協働のルールづくり、自治体レベルでは条例ですね。国レベルではNPO法もこの協働のルールづくりの1つだと思っています。
 もう1つ、D公正に競争できる社会条件整備の必要です。規制緩和や税制改革。特に中小企業の方、おられるかどうかわかりませんが、中小企業の制度融資なんていうのはNPO法ができる前にできた制度なんです。あれをNPOが使いたいと思っても、古い法律の中では非営利組織は省くと書いてあるために、制度融資を受けられないということがあります。そういったものは規制を緩和して、都道府県レベルでもNPOに支援する。大きな意味での支援ということはできます。
 税制改革は、今申し上げましたように、認定NPO法人、優遇税制を緩和するような、もっと使いやすいNPOへの優遇税制が必要です。例えば、日本と同様アメリカでもNPOの法人格というものとNPOの税制優遇は別なんです。アメリカではNPO法人をとったところはパブリックサポートテストというのを受ければ、大体のところが認定NPO法人と同じように優遇制度を受けられるんです。それが日本では8600件のうち10件。ほとんど使えない。
 そういう法律では変えていかなきゃいけないと思っていますし、抜本的には税制の改革からいえば、寄附文化をもっと大きくするような、行政に何をやってもらうのか、そのために自分が払っている税金のどれだけを行政の方に、それから市民活動にどれだけということがあります。
 先日NHKのテレビを見られた方はご存じだと思います。ハンガリーでは国の予算の1%をNPOセクターが使えるようにしている。そのNPOセクターが1%をどう使うかは、公募をして各NPOが企画を出して、税金の1%枠をNPOに、市場の失敗と政治の失敗をNPOがどういうふうにやっていくかということの実験が、東欧の国々で始まっているということです。



9.評価システムの必要

 そういう新しい参加協働型社会をつくっていくためには評価システム。NPOのランクづけじゃないです。そうじゃなくて、行政とNPOの協働の質を評価するような評価システムが必要だと私は思っています。



10.「協働コーディネーター」の必要

 真の協働を推進するための人材として、協働コーディネーターといっています。21世紀に必要な新しい職能です。特に人材養成が必要だと思っていまして、私どものNPO研修・情報センターのパンフレットのコピーを配っていただきましたが、協働コーディネーターの養成をしています。公共事業分野とかさまざまなところで、市民参加や協働がうまくいかなくて、結局頓挫してしまうのであれば、初めから行政は行政の役割を主張できるような、市民は市民の役割や主張をできるような、そのための中立的なコーディネーターが必要です。それはだれかれなしにできるというんではなくて、必要なトレーニングと理論構築、哲学が必要です。そういった新しい人材、特に職能と思っていますが、それを生み出し社会化することがNPO研修・情報センターのミッションです。
 それは私が冒頭に申し上げました新しい職業をつくろうと思ったことの1つの考えです。協働コーディネーターを生み出していくような研修を全国でやっています。
 これにぜひという方は、今行政の方や企業の方、コンサルの方がたくさん来ていただいていますし、ホームページやメールがありますので、お問い合わせいただければと思います。(рO42−359−8605 Email ticn @ mui.biglobe.ne.jp)



11.日本のNPO、NGOの力量形成の必要

 日本のNPO、NGOも力量形成が必要です。行政や企業セクターが強大な権限と大きなリソースを持っていて、そこに優秀な人材もいます。行政セクターや企業セクターからNPOセクターに人材を回すことも必要です。日本は何でこういう大きな政府で来たかというと、結構行政がきちんとやってきたというのがあるんです。その限界が来たからNPOにということじゃないんです。もともと限界があるんです。限界があるのに、それと一緒にやっていくパートナーとなるNPO、市民セクターが発達していなかったために今の閉塞状況が起きたというふうに思った方がいいです。
 行政や企業で限界が出てきたから、NPOと協力しようという発想では、NPOやNGOを下請けしてしまおうというのから免れないです。もともと行政には限界がある。要するに公平平等の税をもってやるサービス。企業サービスといえば、市場の中でやるサービスには限界がある。その限界を超えられるようなセクターとしてNPOがあるんだったら、そこに期待をして、そこに人材を投資していこうと考えた方がいいんじゃないかと思います。
 ボランティアに毛が生えた程度のNPOが多いというのは人材が不足しているからです。そういう意味ではNGO、NPOのセクターに人が回ってくるような社会をつくる必要があると思っていますし、私の考えている協働コーディネーターという新しい職能からそれを切り開いていけたらと思っています。
 社会的課題としては、特に先ほど挙げたこと以外に世界のNPO/NGOセクターに関する情報不足ということがあります。情報不足ということについては、先ほどアジアの隣の国々の情報をいいましたけれども、きちっと調べればだれでも入手できるような情報も、日本の中で流通してないんです。そういう意味ではいっぱい情報があるといいながら、本当に必要な情報、それはなかなか私たちの社会の中にないです。そういう意味では非営利のNPOの情報というのがもっと流通することが必要だろうと思っています。私はNPO研修・情報センターというのをつくっていますが、来年度以降は情報の方に力を入れて、特にアジアの国々のさまざまなNPO、NGOの実際に会って知っている人たちの確かな情報を日本の中に広げていこうと思っています。
 中国にNGOがあるのかという認識を、ここにおられるようないろんな企業や行政で働いている方がお持ちであると、日本の行く末を誤ります。世界の市民セクターの現状認識ができてないと誤ってしまいます。韓国や、特に北朝鮮の問題も含めて、アジアの状況を、私たちは近くて遠い国になってしまいます。その情報をアンテナを持っていないマスコミやそういうところでは望んでいても難しいです。
 何枚かのコピーを皆さんのところに入れました。時々、いろんなメディアの人が私のところも含めてNPOを取材に来て書いてはくれますが、それでは不十分です。もっとNPO自身が発信する必要があると思っています。それを来年度以降やっていこうと思っています。



12.コミュニティ・ビジネスとしてのNPO、NGOの起業の必要

 最後に、じゃ、そういったことをやるために、べき論、机上の話をしていてもしようがないので、私はコミュニティ・ビジネスとしてのNPOを起業するというのを実践としてこの10年ぐらいやってということについてお話しします。
 特に、地域では出口の見える学習。学習の成果を地域で生かすということが必要です。どこの行政の生涯学習のところに行っても、定年退職後のおじさんたちでいっぱいなんです。みんな勉強しておられるんですけれども、出口が見えない。何かやりたいけれども、サラリーマン時代の長い方は、リスクを背負って何かやるというのができないんですね。そういう意味では出口をつくる学習が必要です。
 そのためには出口のつくり方を見せていかなきゃいけないと思いまして、コミュニティ・ビジネスのNPOの起業の1つの例としてコミュニティ・レストランというのを私は10年ぐらいやってきています。NPO法ができる前からやっています。何のためにやり始めたかというと、地域でシングルの女の人が子育てをしながら生きていこうと思うと、特にある年齢に達すると企業ではなかなか雇ってくれない。でも、地域の中でしっかり自分で子育てをしていきたい。そういう人たちが働ける職場をつくろうと思って、コミュニティ・レストランというのを開きました。女性たちがそこで安全な食べ物、そこでいろんな情報交換ができるようなコミュニティセンターにもなるような場。そこはエコ・レストランとして、地域の農業の人たちとつながりながら、廃棄物は循環型で処理していくようなシステムをコミュニティ・レストランという形でずっとやってきました。
 NPO法ができて、そのコミュニティ・レストランのコンセプトを障害者の雇用、不登校の子供たちの出口づくりの場としていろいろ実験をやってきました。コミュティ・レストランを運営できる人を育てるということをNPO研修・情報センターではやってきました。今やっているのはエコ・レストランです。エコロジカルな地域でのエコ循環を促進するような拠点にもなるし、エコ・クッキングなんかを勉強する場にもなる、そんなものをやっています。
 12月も日曜日にその講座を開いていますから、よろしかったら来ていただければと思います。コミュニティ・レストランという社会実験をやって、京都や北陸、北九州、沖縄、研修を受けに来てくれた人たちがコーディネーターとなって、コミュニティ・レストランを全国で今展開しつつあります。  障害を持った人たち、特に手足の障害より精神障害を持った人の支援というのをやってきました。何で精神障害の人たちの支援をやったかというと、NPOというのは社会とそういう福祉の施設との中間の機能も持っていると考えたからです。
 福祉の分野では作業所というのをつくって、障害者の人が集まっているんですけれども、そこでは障害者の人と健常者という分け方で、障害者の人を健常者がお世話をする。健常とは何かというのは非常に難しいです。そういうことをやるよりも、障害を持った人同士も助け合えば、0.5対0.5は1になることだってある。例えば、車いすに乗ったおじさんが会計ができる。その車いすを知的障害者が押す。この2人が一緒に働けばできるんです。それぞれ別個に同じ障害の人ばっかり集まっているとみんなお世話をしなきゃいけない。そういう組み合わせ。いろんな人たちが組み合わさって力を出し合う仕組み、それをコミュニティ・レストランでやる。
 一番大切なのはそうしたコーディネートする協働コーディネーターです。コミレスでは社会福祉の補助金も使いますし、そこのスタッフは、本当においしいといって食べに来てくれる普通のレストランのお客さんの払うお金で生きていけるようにしますし、営利の企業のマネジメント、NPOのマネジメント、福祉施設のマネジメント、その3つをそこでは学ぶということを通して、新しいコーディネートをやりながらコミュニティ・レストランをふやしていこうと思っています。
 私は別にレストランをたくさんふやしたいわけじゃなくて、NPOを起業できる人材をしっかりふやしていきたいと思っています。



13.まとめ

 最後に、皆さんに、先ほど申し上げましたように、自由時間のデザインという発想から、NPOというのは自分とは関係がないもの、教養として聞いておこうというのではなく、自分が社会に参加する新しいツールだと思っていただいて、まずNPOに参加していただきたいと思います。どんなものがあるのということを知りたい方はぜひお問い合わせいただいて、参加の手助けをする、それが私の役割だと思っています。
 長時間にわたって聞いていただいてありがとうございます。
 町村合併等については何か質問がありましたら、地方制度調査会の議論も含めてお話しできることはと思っています。あと20分ぐらいなので、とりあえずこの辺で一応の話を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

藤山
 世古先生、どうもありがとうございました。
 それでは、あと20分ほどお時間がございますので、質問を受けたいと思います。

 阪本(シニア・コンサルタント)
 レジュメの9番の評価システムですが、私仕事でODAの評価関係のこともやることがありまして、評価というのが非常に難しいなと。今行政評価などということもいろいろいわれていまして、実際評価をやっていったら、先ほどからいわれているように、こんな仕事を行政はしなくてもいいじゃないかというようなことになって、行政から権限とか職員の数を減らすような話になりかねませんね。すると、じゃ、そういう評価をやるお金をどこから出すのか。例えば、行政自身が出して、大体こういう落としどころを決めた上で、契約を受けて行政が気に入るような評価をしてあげるのか。あるいは告発型で協働のなってない、自治体ワーストテンみたいなことでやっていくのか。そのあたりのイメージが何かありましたら。実際市民のためにもなるし、長い目で見て行政側のためにもなるという協働の評価システムのイメージがありましたら、教えていただきたいんですが。 

安田
 公務員をやっています安田といいます。
 欧米のNPOの具体的な事例についてお聞きしたいと思います。事例といってもジャンルも規模もピンキリ、てんでんばらばらだと思うんですが、その中で特に何か大規模な組織で、日本人の感覚からいえば、普通これは営利企業もしくは文字どおり公共、国や自治体がやるだろうというジャンルで、欧米企業でNPOがカバーしている事例がありましたら。
 なおかつ、資金源、元手になるお金。普通私たちがNPOというと、寄附金とすぐ思うんですが、また聞きですけれども、欧米では実際にそういう寄附金をもらったらそれを、悪くいえば財テク、自分たちでちゃんと運用して、その金利で活動しているような組織もあると聞きました。その辺の活動のもとになる資金をどうやってマネージしているのか。その辺の何か具体的な事例がありましたら、どのジャンルでも結構ですから、お願いします。

世古
 それをお聞きになりたいと思われた背景、理由は何ですか。 

安田
 どの程度進んでいるのか。私、NPOというと文字どおり細々とした活動というイメージがあるものですから、実際はどんなものなのか。純粋に知識を広げるという意味でお願いします。

 佐藤(福島県)
 先ほど地方制度調査会の話もあったものですから、それに関連した合併に絡みまして、3点ほど質問させていただきたいんです。
 1つは、今の市町村合併の流れの中で、幾つかが一緒になって、広域的にやったことによる効率性の話というのは首長さんもいろんなところで強調されます。逆に住民の声が届くとか、住民との協働とか、いわゆる広域性に対する狭域性、狭い面の議論がどうしても抜けているというか、時間的に間に合わない。本来はそのシステムを行政としても大きくすることと、どうやって住民の方と一緒にやるか、並行して進めるべき改革だと思うんですが、どうしても大きくする方の視点ばかりが強調されて、合併するにしてもしないにしても、そこを強調されて、だからするんだとか、だからしないんだという議論があるようにちょっと見えるんです。この議論は、きょうお話しいただいたものと共通する側面があるかと思いますので、そこら辺の認識の話を1ついただければと思います。
 もう1点は、先ほどもちょっとありましたが、特に中山間地の小さいところ、これは今現在も人口が非常に減っていまして、将来どうなるんだ、地域を維持できるのかという話があると思います。その中でNPOというのが大きな役割を果たす可能性があるかと思います。特にその際に、先生のお話しになった知識の方の知縁ということを考えれば、その地域に住んでいる人だけじゃなくて、その地域に住んでなくても連携してのNPOの役割というのもあり得るのかなという感じがするんです。そこら辺についてのコメントをいただければと思います。
 最後3点目は、地方制度調査会の中でも一部そういう文言、協働の話とか出ているんですが、具体的になかなか表に出づらい面がある。新聞のタイトルなんかだと。実際に協働についての議論のやりとりで何かあったら、教えていただければ教えていただきたいと思っております。以上です。

 小坂(東京都建設局)
 私は土木職員として土地区画整理事業を担当しています。今まで区画整理というのは行政主導でやってきましたけれども、なかなか住民の方の賛同が得られなくて、非常に時間がかかって、うまく立ち行かなくなってきています。先生のお話にあったように、行政と市民の間をつなぐコーディネーターの必要性が今問われていまして、例えばこの地区で区画整理をやりたいという話があったとして、行政と市民をつなぐ協働コーディネーターの実現性といいますか、その可能性はどの程度なのか教えていただきたいと思います。 

伊藤
 以前はメーカーとして都市づくりの方にかかわっていました。今はNPOの方を多少やっている人間です。
 先生にお尋ねしたいのは、前の職をやっている中で常に感じていたことは、行政と民間と2つで、あるいは住民を巻き込んでまちづくりをやってきたわけです。特に税収が落ちたこの数年間は、バブルの時代はまだよかったと思うんですけれども、非常に閉塞感が強くて、どう打開したらいいかということを常に悩んでいました。自分自身もNPOをつくってこれからやっていこうと思っていたんですが、きょうの先生の話で非常にそういう点で目を開かされたというところがあります。
 先生に対する質問としては、これから行政の方もこういう時代だからNPOを活用しようということもあって、先生方のご努力もあって法が施行されて、この辺も行政の方にもっと加速していただいて急いでもらわないと、なかなか民間の方の力が発揮しにくくなってしまうんじゃないかと思います。その辺の政府部内のいろんな動きで、どういうことがあるか、法律的に行政が動いて、意識改革、民間ももちろん変えていかなきゃいけませんが、行政も考え方を変えていただく必要があろうかと思いますので、その辺のところを差し支えない範囲で教えていただきたい。以上です。

世古
 いろんな質問をいただきました。
 まず、協働評価システムということをお尋ねでした。今行政の事務事業評価というのがはやっています。行政の事務事業評価というのは、行政がやっていることを全部評価するということですから、本来行政がやることかどうかというのは問うてないわけです。さっきいった協働評価でやろうというのは、行政がやるべきことは何なのか。そこの自治体ごとにちゃんと決めましょう。事務事業評価は協働評価をやってからという話です。また協働評価システムを、イメージじゃなくて実行しようとしていて、協働評価に関して、『協働のデザイン』という本で書きましたので、詳細に読んでいただければと思いますが、実際に三重県やいろいろなところで協働評価システムを入れていこうとやっています。
 三重県では、協働とは何かがわかってなくてもとりあえず協働事業だと思うものを挙げてくださいということで、257を挙げていただきました。それを1つずつ協働性を評価する。協働の評価はコンサルがやるんじゃなくて、実際に協働のコーディネーターがいて、その人がアセッサー、評価者の役割をしながら、協働評価者が3人ぐらい、それと行政側と市民側、オープンな会場でそこに市民もいていただいて、公開の場で協働性を評価するという協働評価会議を開くという方式のやり方です。それについては『協働評価を学ぼう』という冊子をつくっていますので、読んでいただければと思います。
 それはイメージじゃなく、実際のシステムとして取り入れようとしていますし、今札幌市でもその研修をやって、それを入れていこう。東久留米市でも私が座長をしていた協働の指針をつくるところで次の段階にそれを入れようとなって、少しずつ実施していこうと思っています。
 それから、欧米のNPOの事例を教養のために聞きたいとおっしゃいました。教養のためというより、欧米のを聞かなくても日本でもと思ってもいいんですが、例えば、ピッツバーグのNPOの事例、CDCの事例でいえば、東京駅のような駅舎を保全して、その中にショッピングセンターをつくる。そのショッピングセンターでの収益をアフォーダブル・ハウジングという年間2000戸から3000戸の住宅供給に充てる。そんなことを当たり前にやっています。それがCDCというNPOの仕事です。
 日本は先ほどいったように、1.5セクターになっているいわゆる日本流の3セクにそういう事業を渡してしまっているので、NPOに市場がないだけです。本当はNPOはそれをやるところだということです。そのファンドについては、アメリカのある州では、NPOに銀行が貸し付ける枠をつくらないと、銀行として存立しない。例えば、私が知っている州、マサチューセッツ州では、銀行の貸し出し枠の3%をNPOに低利で融資しなさいということになっています。その分をクリアしないといけない。もっといえば、1965年ぐらいにできたコミュニティ包括的補助金というのがあります。大統領の包括補助金です。
 日本の補助金というのは全部1対1の対応をしています。道路何メートルつくったら検査してすぐ補助金。そうじゃなくて、コミュニティのディベロップメント、開発をしていくためにNPOが中心になってタウンマネジメントをする。そのことに包括的な補助金を出すという制度があります。アメリカで一番大きな補助金です。それがNPOが育つ基盤になっているし、NPOが仕事をしていくのに役に立っている。特にアメリカの経済が不況から立ち直るのにも役に立ったといわれています。
 日本ではTMOというのが違った形でというか、日本流になってしまっています。タウン・マネジメント・オーガニゼーション。日本では商工会議所が事務局をやっている例が多いのですが、コミュニティ・ディベロップメントをするための新たな組織をつくって、NPOが動かしていくというのが本来です。例えばアメリカの大きなCDCだったら、年間20億とか30億ぐらいの融資を受けてやっていたり、それぞれ規模も全然違います。市場がそれだけあるからです。
 地制調における合併の議論。私はその中の少数派です。どう少数派かというと、私は協働の議論をやっていますから、人口規模だけで切っていくのはいかがなものかというのがありまして、まず合併ありきではなく、本来の自治とは何かというのを考えるべきだと思っています。憲法92条に自治の項目がありますけれども、そこには自治法で定めると書いてあります。自治法を見ると、自治とは何かと書いてないんです。日本では、自治とは何かというのがきちんと定義されていない。そういう意味では地方自治の本旨である地方自治をしっかりやれるような自治体とは何かを根本的に議論してそれができる小さな自治体も、残れる選択肢をつくった方がいいと思っています。
 自分たちの町の議員歳費を自分たちのところの税金で賄えないところがたくさんあります。そういうところはどうするのかという議論をしっかりやる必要もあります。自分のところは1000人でも残るんだ、頑張るんだ、そのかわり議員歳費はやめて議員はみんなボランティアでやると、そういう選択があってもいいんじゃないかと思うんです。また、本来の自治事務は一体何なのかということです。そういうことでは、1000人の村と2000人の町が、事務処理をやるための広域的な事業組合や株式会社をつくってもいいんです。それ以外の自治事務って、一体何なのか。マスタープランをつくったり、自分たちの地域の本当に自治の業務をやっていくなら、それで残っていけるような選択肢をつくってはどうかと思っています。
 ただ、2005年までのところでいえば、ことしじゅうに何とかしないと、交付金が受けられないという話になれば、どっとなだれを打って、それこそ広域的なところで、ともかく人口規模で固まろうという合併はいかがなものかと思います。それは政府や地政調での自民党のところで出てきたものに一喜一憂せずに、地域の側から対案を出さないのかと思います。
 市町村長会とか地方議会の議長さんたちも、みんな日本的に各種団体としてまとまって来られるんです。ヒアリングというと、町村会長の会から1人とか出てこられる。そんなんじゃなくて、さみだれ式に、おかしいと思ったところはどんどん意見をいえばいいと思います。そういう意味では本当に自分たちはこういう形でこういうふうに自治をやっていくので、幾つかの町と広域的に連合しながらこういう経営をしていく、地域の経営の仕方の対案を出すべきだと思います。
 政府がどういう案で来るのかというのを一喜一憂してやっていくのは、本当に自治体といえないのではないかと私は思います。いろんな首長さんに会うたびに、「合併どうなるんですか、世古さん」といわれる。「じゃ、どうしたらいいのか。自分たちはどういう地域の経営をしたいのか。対案を出してください」というんです。要するに、人口規模だけで合併をいうのはいかがなものかというなら、自主合併を基本とすべきじゃないかというなら、人口以外の要件、どういう要件だったら自分たちは納得できるのか。そのために必要な経営、自分たちの自治体の職員の給与すら自分たちで支払えないというんだったらどうするのか。議員の歳費、それすらも地方交付税に頼っていて、地方自治体といっているのはおかしいんじゃないかと政府からいわれる。じゃ、自分たちはボランティアでもいいから、議員でやりますというなら、それもいいだろうというぐらいのことを提案してきたらどうかと思うんです。
 また、スイスのように、私は山の村のところでいろんな方々が住んでいてくださるからこそ、水源の涵養とか、森林とが残ると思っています。そういう意味では逆税というのもあってしかるべきだと思います。私たちは都会にいて、都市でいろんな利便性を享受していますが、それは山村や農村があってこそだというのであれば、そこへの逆税もあってしかるべきじゃないか。それも農村の子供は代々そこを継ぐんじゃなくて、そこを継ぎたい人がそこに行って暮らすということをもっとオープンにするようなシステム。そういう人たちに住民税や所得税で逆に私たちからそこに住んでもらうための費用を、交付税じゃなくてみんなで支援するということを下流の人たちはやっていいんじゃないかということを私は思うんです。
 そういういろんな議論を、政府がどういうふうに考えてくれるのかというのを見ているのではなく、自治体から起こしていく。それが自治というものの基本じゃないんじゃないか。批判はいっぱいありますけれども、対案はあまり出ません。対案を出さない限り、本当に人口要件以外の合併をしないでやるというなら、どういう経営をするのか。地方交付税に頼らないというなら、逆に都市からよこせというなら、論理は何なのかといった議論を私はしてみたいと思うし、そういった方々の意見を聞きたいというのが思っているところです。
 福島県でそういう議論をしようというなら、いつでも行きますから、呼んでください。
 中山間地域におけるNPOの可能性というのは、地縁性に縛られてというのが問題ですね。きょう議論しませんでしたが、町内会の議論です。町内会や自治会は行政の下請け機関になっています。町内会をコミュニティレベルで再編してみる。テーマ型のコミュニティに再編できないか。そのテーマが、何とか町を考えるということであれば、結果として町内会の人が集まっても、それは再編になるだろうと思っていて、テーマ型のコミュニティに再編して、地域がNPOに仕事をちゃんと渡していくシステムをつくってあげる。
 地政調で協働の議論はどうなっているのか、ぜひそういう話を地制調及びホームページがありますから、どんどんいってください。私は毎回いっているんですが、その他の課題になっていて、協働の課題がメインにはなかなかならないです。次回は、税財政のこと、基礎自治体のこと、そのたびにいっていますけれども、協働ということについては、大事だとはいうけれども、主要な議論にはなってない。国民的な関心の高まりになってないです。
 合併ということをいうんだったら、分権と合併は本来セットなんです。分権一括法でいっていたことは、分権をするから、それの受け皿になるような自治体をつくろうじゃないかということだったと思います。じゃ、何を分権したのかというと、みんな省庁ごとに分権がなかなかできてないんです。合併を促進しろしろといわれている側は、もっと権限、何を分権してくれたのかということをいろんな省庁とやればいいと思うんですけれども、そういう議論になってないのは、いかがなものかと思っています。
 それから、協働コーディネーターの可能性。可能性というのは当然あって、協働コーディネーターが社会的職能となっていないから、日本の協働がうまく進んでない面が多いと私は思っています。協働をコーディネートする中立的な専門性を持った人がいないために、当事者同士がぶつかっているからです。それも行政の方に情報とやるべき課題があって、市民参加といっても、それはそこの地域の人たちを納得させるだけ、そのための予定調和的な市民参加でしかないわけです。そういう意味では最初の企画の段階からコーディネーターが入ってやっていくのが必須事項だと思います。
 私は世田谷区で10年ぐらい市民参加の専門委員、地方自治法の定めの中にある専門委員という職務ですけれども、それをやってきました。行政の中に入ってやりましたが、やっぱり独立した地位を保たないとだめだと思っていて、協働コーディネーターというのは専門職としてしっかり公共事業の最初のところから絡む。それが行政に雇われるというんじゃなくて、独立した職能としてやることが必須。先ほどコンサルの方がおっしゃいました、日本のコンサルタントというのは本来のコンサルの役割を果たせていないと思うんです。行政の下請けをするのがコンサルじゃなくて、行政にはないいろんなノウハウを提供する。それをパートナーシップでやる役割だと思います。行政に委託されたらその仕様書どおりやるというのはコンサルではないんじゃないかと思います。それの誤った点とか、間違っている点、専門性を持ってアドバイスする役割。そういう意味では独立性を持った協働コーディネーターというのがないと、難しい。
 土木学会に出した論文があるので、ご質問の方は聞いていただければ、それにもう少し詳しく、土木事業における公共コーディネーターの役割と可能性。私が今までやってきたプロジェクトの評価も含めて入れました。協働コーディネーターとしてやった十何事例で、どういう機能をしたかということをやって、その可能性を、文学的な表現ではなく、数字で示そうと思ってやった論文なので、見ていただければと思います。
 また、行政の意識改革が必要とよくいわれます。行政の意識改革というのは、行政というのは何も私たちの利便によってつくればいいもので、やっていただきたいというよりも、私たちが雇用しているんです。まずお上意識を捨てることです。私たちの中にあるお上意識が働く限り、行政の意識改革は無理だと思う。大切なのは意識を変革できるシステムの構築だと思います。
 行政の職員の意識改革とよくいわれます。また何か市民参加でやろうとしたら、話のわかる行政職員が来てくれるとうまくいくという話は必ずあるんです。そういう例外的なことを個人の資質に頼っていてはだめだと思います。行政はシステムで動くわけですから、NPO法もそうですが、NPO法というのができたら、NPO法人ができて、小さくても何でも社会的に存在できるわけです。そうすると、それは無視はできないわけです。そういう意味ではシステムをつくることです。協働のシステムを動かす協働のルールをつくることです。
 気持ちのある人だけが協働したり、気持ちのある人だけが市民参加をやるというんじゃなくて、例外を原則に変えるための仕組みをつくることです。それが私が最初に申し上げた、つぶやきを口先にするだけじゃなくて、思いを仕組みにするような、そういうコーディネートという仕事が必要だと思っています。
 行政職員の意識改革といいますが、個人個人の意識なんてそんなに変わりませんよ。日本がみごとに意識改革したのが、太平洋戦争のときです。終わった途端に、意識が次の日から民主主義になったんです。そういう意味ではシステムが変わったら、コロリと意識は変わる国なんじゃないかと思います。どの職員が来てもやらざるを得ない仕事にするためのルールづくり、そういうところに市民がもう少しロジカルに対応できるようにする必要があるんじゃないかと思う。お願いではだめですね。対案をつくって、制度もつくって、必要であれば、国会や議会を通していく、そういった活動がNPOの活動だと私は思っています。私は、NPOの中でもそのシステムをつくる側に行く人が少ないので、とりあえずのところそこのところを担っていこうと思っているわけです。
 時間を過ぎましたけれども、お答えで不十分なところがあれば、本などありますので、読んでいただいたり、またお問い合わせをいただければと思います。一応これで終わりにさせていただきます。

 藤山
 先生どうもありがとうございました。(拍手)  本日は、世古一穂先生に「参加協働型社会へのパラダイムシフト」というテーマでご講演いただきました。
 これにて終了させていただきます。


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