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第181回都市経営フォーラム

北欧の都市・その最近の状況

講師:伊藤 滋 氏
早稲田大学教授


日付:2003年1月20日(月)
場所:後楽園国際ビルディング・大ホール

 

はじめに

ベルリン

ハンブルグ

アムステルダム

ロッテルダム

ストックホルム

フリーディスカッション




はじめに

 これまで日本のことばかり、力みながらしゃべっていましたが、たまに外国の話もいいだろうと思って、たまたま去年の9月の半ばぐらいからヨーロッパに行って、そのとき、急に写真を撮ろうと思って撮ってきたのに割合いい写真がありそうなので、それをきょうはご紹介するということにしたいと思います。特別にもっともらしいことはいわないようにします。
 と言いながらも、スライドの前に少ししゃべります。今2つのことを申し上げたい。僕はあちこちでしゃべっているので、お聞きになった方はまたかということですが、世界の都市の中で東京は何番目かという伊藤のしゃべった話を聞いた方、手を挙げてくれませんか。お2人おられる。じゃ、その話をします。
 ヨーロッパに行ってこのスライドを撮るときに、アムステルダムのホテルに泊まっているわけですけれども、そこに経済の専門誌がありました。アムステルダムというのは商人の町で、世界貿易を昔から一生懸命広めて、貿易で飯を食っている町です。そこの経済誌ですから、世の中でいう景観の学者とか市民運動のリーダー、あるいはもっともらしい役人の議論とかということとは違う観点で、都市のランクづけをしているわけです。
 調査対象は、約5000〜6000人の世界じゅうのビジネスリーダーで、これに質問票を送って、回収したのが約1700票。クエスチョンには約60項目ぐらいありまして、あらゆる領域について質問しております。飯がうまいかとか、そういうことから、治安の問題、レッドダウンタウンクォータがどうあるかとか、飛行場から近いかとか、生活費はどうか。60に近い項目。回答の来た人のレビューを1600票か1700票見て、デルファイ型で、もう一回質問を送ってアンケートをとって、それを並べてある。
 100点満点から、50ぐらいの都市が記入されていると思うんですが、その記事には21までしかなかった。21番目がどこかというと、ベルリンです。点数は66点です。1等は100点です。そこで、幾つかおもしろいことがありました。1等の100点は、3つの都市です。これは皆さんご存じのように、ロンドン、パリ、ニューヨークです。これが100点。
 ゴルフと同じで1、1、1、ですから、次は4番目です。そこに何と東京が98点で入っている。それから、1、1、1、4、5、5。5番目と6番目は同点で、ロサンゼルスと香港。これが93点です。その下に上海とか北京、フランクフルト、アムステルダム、こういう町が入ってくる。
 この点数の解釈なんですが、100点と98点は2点差ですね。98点と93点というのは5点差なんです。ということは、東京とロス、香港についてのヨーロッパ、アメリカのビジネスリーダーの評価は、東京が抜群に高いということです。こういう東京の評価は、日本のもっともらしいビジネス雑誌とかアメリカのジャーナリズムで東京のスコアというと、多分下から3番目とか4番目、20番目とかとなるでしょう。日本のジャーナリズムは極めて自虐的ですから、東京は悪い、悪い。住民運動の皆さんも、こんなところに暮らしているのはとんでもないという。しかし、世界を動かしているビジネスリーダーの東京に対する評価は、限りなくニューヨーク、ロンドン、パリに近くて、ロサンゼルスと香港を離しているということです。
 こういう事実は何を物語っているのでしょうか。いろんな解釈ができます。1つは、東京の都市圏人口というのは、世界じゅうの先進諸国の都市圏の中で極めて大きいんです。南関東の人口、千葉と埼玉と東京と神奈川を足すと、多分3500万ぐらいでしょう。3500万の中から端っこだけちょん切ります。例えば、木更津から南とか、厚木から西、熊谷から北、ちょん切りますと、東京の都市圏人口は多分、2600〜2700万になると思います。この2600〜2700万という数は極めて大きくて、例えば、世界中の都市圏人口でどこが大きいかというと、ニューヨークが1800万ぐらいです。ボストンからワシントンまでのかなり大きい地域、これは日本列島が全部入る、かつてメガロポリスといった。ドキシアアデスは「メガロポリス」という本を、今から30年ぐらい前に出した。こんな厚い本。そこの人口が4000万なんです。
 関東地方の人口が4200万ぐらい。そこの中で東京の都市圏人口2500万。メガロポリス4000万の中でニューヨークの都市圏人口が1600万。ロンドンがどれくらいかというと、大都市圏人口大体1400〜1500万です。あと、パリとかベルリンとか、全然オーダーが違うんです。ですから、ロンドン、ニューヨークの都市圏人口より1000万東京の都市圏人口が大きい。
これだけの都市圏の中で、さっきも、「おやっ」と思ったおもしろいホットニュースがあります。タクシーに乗ると電光表示でニュースが出るのがありますが、あそこでおもしろいと思ったのは、世界じゅうの大都市の1人当たりの消費投資額は東京が1番で、大阪が2番だという。ですから、これだけ経済がくたびれた、くたびれたといっているわけですけど、東京2500万の人たちの持っている経済活動というものは物すごく大きいということが1番目ですね。経済活動はニューヨークよりきっと大きいんですよ。
 だって、東京の皆様方はルイ・ヴィトンをあっという間に買っちゃいますけれども、ニューヨークであんなに買う女性は絶対いないですよ。ニューヨークのルイ・ヴィトンの店は1軒ぐらいしかないはずです。東京は、ルイ・ヴィトンの店が、よく知りませんけれども、あっちこっちにあります。よくまあ、買うもんだ。ルイ・ヴィトンの日本の売上高が、びっくりましたが、千何百億ですよ。ルイ・ヴィトンの東京での単価はパリの1.4倍。すさまじい。こういうばかなことをやってケロッとしている2500万が東京にはいるということです。(笑)
 何でこういう高い評価を得ているかということです。人口が大きいということは市街地がべらぼうに大きいわけです。ビジネスリーダーがつかまえる東京というのは、その市街地のほんのわずかにしかすぎないんです。あるいはもっと一歩踏み込んで、日本のジャーナリズムが、NHKも含めて取り上げる東京というのは、この2500万の市街地のほんのわずかにしかすぎないんです。それ以外の市街地がいっぱいあるわけです。
 じゃ、東京をイメージして高いスコアをつけたビジネスリーダーは、東京といったらどこかというと、これははっきり決まっています。港区なんです。港区以外眼中にないわけです。多分千代田区もあまり興味ないでしょう。しかし、東京というのは、足立区もあるし、江戸川区もあるし、郊外に行けば、吉祥寺市もあれば、武蔵野市もあります、市川市もあるんです。そういうことがわからない。だけど、彼らも何となく東京はでかいということを薄々感じているのは、都市というのは何でおもしろいかというと、多様性があるからおもしろい。いろんなおもしろいところがいっぱいあるぞ。

 東京ほど多様性のある大都会はございません。ニューヨークに行ってもパリに行ってもロンドンに行っても、秘密クラブのメンバーにならない限り、明け方の5時までは絶対遊べないんです。秘密クラブのメンバーでなければ大体1時か2時ぐらいで終わっちゃうんです。ところが、東京は秘密クラブのメンバーじゃないけれども、明け方の5時まで遊ぼうと思えば幾らでも遊べる場所があります。フォーマリティーに外国人を接待して、その外国人が何となく下品な顔しているけれども、接待しなきゃいけないといったら、まず新宿に連れていって、もう一回赤坂へ戻って、最後は向島で打ち上げて、タクシーで送って帰る。ホテルは朝の5時だなんていうのは今でもあるわけです。
 多様性ということは、港区だけに関心を持っている外国のビジネスリーダーでも、東京へ来ると、得体の知れない、幾ら探してもまだ底をつかない、いろいろな多様性がある。こういう都市が東京だというところで非常に大きい魅力を持っているのではないかと思うんです。
 そういう点を東京のまちづくりで評価するということが、実はきょうスライドを皆さんにお見せしながらいいたいことの1つです。これが1点。東京が第4番目になぜビジネスリーダーの評価を得ているか。
 2番目です。2番目は、都市計画の専門家が考える一番いい都市はどこか。私、ヨーロッパにある世界の都市計画専門家の組織がありまして、そこのメンバーでしょっちゅう行っているんですが、そこでよくそういう話になる。世界で一番魅力のある都市、アジアも南米も含めてどこだというと、奇しくも、意外と反対がないのがバルセロナなんです。ベルリンでもパリでもない、バルセロナ。
 これもいろんな解釈ができます。なぜバルセロナが取り上げられたか。ヨーロッパの町は、ロンドン、パリというのは極めて例外で、大体が王様のお城のあった町です。王様の城郭都市。これを中心に育ってきていますから、人口が多くて100万。都市圏人口150万ぐらいの都市がほとんどなんです。パリでも、パリのシティーという人口は200万ちょっとです。220万ぐらいですかね。ロンドンだけべらぼうに大きいんです。
 なぜバルセロナかといいますと、一言でいって、あそこには、日本風にいうと、路地もあるし、区画整理もあるし、大規模開発もあるというんです。路地、横町もあるし、区画整理もあるし、大規模再開発もあるし、おまけに世界的に、ほとんど悪い評判がないガウディという大事な建築家をバルセロナは抱え込んでいるわけです。「おらが建築家はガウディ」ですね。ガウディなんです。ほとんど評判悪くないというと、安藤忠雄も意外と評判いい。悪口をいう人があまりいないですね。その安藤忠雄をもっとおもしろくしたような建築家です。

 そして、もう1つ言いますと、バルセロナは地形の変化が大きいんです。真っ平らじゃございません。神戸みたいな町と思ってください。地形は神戸的です。そして、あそこでオリンピックをやりました。海岸に近い丘陵地にオリンピックの施設をつくったわけです。海がこっちにあって、丘陵があって、市街地がこういって、こっちに神戸の六甲アイランドみたいなのがある。こういう窪地の高いバルセロナ。ここにオリンピックの施設をつくった。物すごく見晴らしがいいところです。そこに相当おもしろい建物も建てさせましたけれども、基本的には19世紀から20世紀初頭のバルセロナが非常に繁栄していた商業のときにつくった都市の基本形の連続体としてバルセロナのオリンピック施設をつくっているわけです。
 ですから、そこに行くと20世紀モダンがあるし、戦後のインターナショナリズムもあるし、大正から昭和にかけての大正ロマン型のモダニズムもあるし、19世紀の終わりの王様がきちっとつくったパリの凱旋門のシャンゼリゼ通りの短いようなやつがピシッとあるという、タイムシリーズの変化が非常にうまく組み立てられています。時間的多様性があります。
 そして、最後、「そうだな。バルセロナが一番いいよな。中でもどこがいい?」というと、都市計画の専門家は、あそこにランブラースという通りがあります。英語でいうラングラーでしょうね。だから、ブラブラ散歩する大きい通りでしょう。ランブラース。どうってことない、札幌の大通り公園ぐらいの幅、もうちょっと狭いか、長さもそんなにないんですが、これがまた非常にすばらしいんです。何ですばらしいかというと、後でスライドで申し上げます。きょうスライドでいいたいことは、1つしかないんです。
 ですから、多様性という点でバルセロナは、今いったように、路地もあって、区画整理もあって、戦後のインターナショナリズムに侵された大規模開発もあって、そして、時間的変化で、19世紀から現代までのいいものを全部抱えていて、味つけとしてガウディがあるという多様性です。こういう多様性をアムステルダムに持ってきて当てはまるかというと、必ずしも当てはまらない。アムステルダムは路地がないですね。
 ストックホルムに持っていくと、オールドシティーというのがあるんですけれども、路地じゃない。オールドタウンは昔のエリートの商人がつくった町です。ところが、地中海文化の路地というのは庶民がつくった町なんです。だから、泥棒も多いんです。庶民のつくった路地と、エリート商人がオールドタウンというところをつくったのは全然違うんです。エリート商人のつくったオールドタウンというのは観光地化しています。しかし、バルセロナのように庶民のつくった横町というのは、ひやりとする危険性を感じながら、新しい食い物屋を発見するという心理的喜び。危ないと思いながら、何もおどかされないで安い飯を食って帰ってきたというホテルに帰ったときの幸福感。(笑)こういうものを十分に満足させる。要するに地中海文明の路地なんです。ナポリとかジェノバとかマルセイユのように。
 ですから、今の都市計画の中でいろいろしたり顔している人たちが、路地、横町は何だというんですけれども、専門家の連中も路地、横町を評価しているわけなんです。
 そういう話をちょっとして、スライドにいきます。
 それで、何で多様性をいったかというと、ベルリン、ハンブルク、ストックホルム、アムステルダム、ロッテルダムというのは多様性が全くありません。つまらない町です。ただ、写真を撮ると、物すごく景色がいい町です。日本の都市計画家は、写真を撮ると物すごく景色がいい町になるようなことばっかりいっています。特に役人がこのごろそうです。そういう点で、この私の書いたメモで、「日本の都市の課題を統一性・調和性の視点から考えてみる」、これは少しはヨーロッパの町を見習えということなんですけれども、全部見習うととんでもなくつまらない町になるということだけ覚えておいてください。



ベルリン

(スライド−1)
 ベルリンからいきます。これは川です。ベルリンで皆さんは例のポツダム広場に行かれて、磯崎新とか、あるいはレンゾ・ピアノの建物、ヘルムート・ヤーンのソニーセンターを見てくるわけです。片方で東ドイツのウンター・デン・リンデンあたりに行って、そしてクーダムという西ベルリンの繁華街とは違うなというところを見て帰ってくる。
 しかし、ベルリンでの最大の関心事は、土地が余っているんです。東京と同じです。余っている土地を、何でうまく埋めていったらいいかなということを一生懸命考えている。これは一言でいうと、19世紀から20世紀の工場跡地です。工場跡地に住宅をつくる。日本でいうと住宅公団がつくるような住宅をつくって、そこに新しくベルリンに、例えばポーランドから来たとかフランスから来た、そういう人たちに住んでもらう。しかし、住宅は単に住宅公団だけじゃなくて、所得レンジからいうと、かなり高級の建物も入れてある。高級な建物というと1戸建てです。所得レンジの高い人たちが入っている。住宅公団型の人たちは田舎っぺ、ベルリンっ子ではない。ドイツよりポーランドとかチェコとかフランスから来たような人たちに住んでもらう。そういうマーケットがある。民間の開発です。そういうことをやっている場所です。
 余っている土地というのは、これは北欧全体ですと、大体海沿いのところに土地が余っている。海沿いの余った土地をどういうふうにしたらいいかと苦労していますが、例外があります。アムステルダムは土地が余っていません。なぜならば、アムステルダムは抜群に、ベルリンよりも、ヨーロッパの、あるいは世界の経済の中枢地なんです。世界の経済の中枢地ですから、オフィスの集積が極めて元気なんです。ですから、オフィスの集積で内陸部はどんどん埋まってしまっている。余ったところはどこかというと、アムステルダムは、しようがないから、海沿いの土地を埋めようか。
 ドイツとオランダとスウェーデンとを見てきましたけれども、日本人が右肩上がりになりたいというときに、参考になる町はどこかというと、私はアムステルダムが日本人向きのビジネス慣行のいい都市かなと思っています。そこで何が起きているかは後ほど説明します。
(スライド−2)
 これが住宅公団型の、今いった川のへりにあったかつての工場地帯を再開発してつくった住宅です。これは多分、モデレートインカムと僕たちいっていますが、その辺のところをねらっているんでしょうけれども、何が気に入ったかといいますと、2つありまして、何だか窓のデザインがうまいですね。日本のマンションの窓のデザインよりずっとうまいですね。壁面が多い。ベルリンは緯度が高いから、光量をいっぱいとらなきゃいけないんでしょうけれども、日本のマンションより壁面の窓面積が小さいです。サッシ割りが非常にうまいということが1点。2点はゴテゴテしていない。色調が茶色と白だけ。この2点です。日本でこういうデザインのマンションがどうしてできないんでしょうか。絶対できると僕は思うんですけれども。
(スライド−3)
 それの集積がこんな感じです。こうなると、「日本でもこんなのあるよ」ということになるんですが、いろんなタイプのマンション集積がありますけれども、これは大量に供給する場合です。
(スライド−4)
 今のはウォーターシティーという特別な名前がついた川べりの工場団地の跡地の開発ですけれども、これはドイチェスバーンのデア・レールター・バーンホフ・イン・ベルリン(Die Lerter Bahnhof in Berlin)というので、これが日本人向きだと思います。東ドイツと西ドイツが合併して、そこの壁があったところを取り払って、いろんなプロジェクトをやる。ポツダム広場も、壁があったところの空き地をポツダム広場として今やっているわけです。これはもう完成間際なんですが、その壁のあったところに東西ベルリンの融合した中央駅をつくろうという計画。要するに、ベルリンの東京駅をつくろう。その計画なんですが、日本の鉄道駅計画から見るとどうということはないんです。
(スライド−5)
 これは何かというと、日本では前からやれやれといってなかなかやらないんですが、一番下の電車が走っているのがありますが、あれが地下2階か3階なんです。一番上に十字に電車が走っています。全部国鉄が走っているわけですが、一番上のプラットホームから、もちろんガラスで全部囲まれて落っこちないようになっていまして、地下2階のプラットホームまで全部見えるように、素彫りで全部穴あけしちゃった。そこの部分だけはプラットホームがない。なかなか思い切ったことをやります。レールターというのはベルリンにとっては画期的な都市の中心部をつくるプロジェクトである。今まではピアガルテンを仮のベルリンの中央駅にしていたけれども、あれはひどいものだ。ピアガルテンは、皆さん行ったと思いますが、有楽町です。有楽町か新橋です。それじゃ、ベルリンの中央駅としての権威にかかわるというので、レールターの中央駅をつくった。
(スライド−6)
 これが建設現場です。今、穴を全部掘るわけです。
(スライド−7)
 これはどこかといいますと、東ベルリンです。2つのことを申し上げます。東ベルリンは、ベルリンの壁が解放して今11年目か12年目ですけれども、11〜12年目に行ったときは、縦型頑丈なアパートは同じなんです。何を変えたかというと、物すごく金をかけてファサードを変えました。そして、このように一応見られるような超高層マンション街をつくり上げた。しかし、超高層マンション街の原型は社会主義建築の東ドイツのときのマンション。ですから、並行配置。これが1点。しかし、ファサードを変えれば一応見れるようになる。結構金をかけたなということです。
 もう1つは、左側に3つ並んでいるところがあります。次のスライドに出ます。
(スライド−8)
 これは西ヨーロッパの連中がファサードを変えるというと、こういう遊びをやるんですね。腰壁のところにドイツ語で、ドュルヒ・デー・ミンスト何とかと、いろんなことが書いてあるんです。全部1つの物語になっているんです。こういうばかなことをやるんです。
 しかし、今東ベルリンの土地に対して非常に大きいオフィスビルの性能の高いものをつくれという圧力がかかってきた。これがビジネスのマーケットとしてそういう圧力がかかっているから、商売になる。そういう意味で、この建物は全部近々取り壊しになる。マンションを取り壊して超高層のオフィスビルをつくる。
 ですから、ベルリンに対しては、ドイツの中でもほかの都市と全く違いまして、徹底してある限られた場所には超高層オフィスビルをこれから積極的につくっていく。そのねらいが何かというと、アムステルダムに負けるな。それで、これは取り壊して超高層になるんです。
(スライド−9)
 これはポツダムスクエアのソニー広場です。これはどうってことないんです。ただ観光写真で撮ってきました。冬は寒いそうです。すき間風が入ってくるので、物すごく寒くてこんなところにいられたものじゃないという話をしていました。
(スライド−10)
 これは何で撮ったかというと、ポツダム広場のすぐ外側なんです。撮ったのは9月の末です。葉っぱがまだついている。これはすばらしい街路樹だと思いませんか。街路樹のてっぺんは4階か5階まで行っているはずです。街路樹が大きくなっても割合密に植わっている。これはヨーロッパの都市でのかなりの常識です。街路樹は大きく育てて密にして、車道より歩道に木陰をつくる。これが常識なんです。ドイツでは何げなくやっていても、こういうふうに街路樹が育つわけです。これをどうして日本でできないんでしょうかということが、きょう僕が一番いおうと思っていることです。(スライド−11)
 これはレンゾ・ピアノのポツダム広場の建物です。どうってことない観光写真です。
(スライド−12)
 これはもう1つのウォーターシティーというのがありまして、ベルリンの西側です。さっき撮ったところの反対側です。そこの工場跡地をこういう公団型の住宅地にしていますが、これは全部老人のケアセンター。老人ホームです。老人ホームを入れることによって団地経営をちゃんとする。要するに、ウォーターシティーという民間の投資をするときに老人ホームも極めて重要なテナント、あるいは床を買ってくれるお客さんとして全部位置づけているということです。
 老人ホームだから、あまり、面白くないんですが、ただ、庭のあしらいがかなりうまい。老人ホームのおじいちゃん、おばあちゃんも、下へ来て庭でゆっくり日向ぼっこしたり、本を読んだりするというわけで、庭のあしらいが極めてうまいんです。
(スライド−13)
 その横っちょのウォーターシティー、これはモデレートインカムよりちょっと所得の低い外国人の、ドイツに来ているゲストアルバイターで割合お金をうんともらっている、比較的お金をもらっている連中が住んでいるところです。何げないんですけれども、統一と調和。日本でこういう統一と調和ができた団地開発ってあるでしょうか。これは5階建てです。日本で、これだけ単純で、レンガを使いながら、あまりデコボコ複雑にしないで、しかし写真を撮ると、一応格好がついているという団地があるでしょうか。まあ、ない。何に起因しているかというと、敷地の大きさです。日本の場合にこれだけの大きい敷地をとるというのは、東京でいうと、日産プリンス荻窪工場で、公団がこれから防災公園団地を一緒につくるあれぐらいしかないと思います。そこでこういうデザインができるかどうかということです。
(スライド−14)
 ベルリンというのは東よりも西へ行く方が高級住宅地になります。西側に行くとポツダムがあります。ポツダムというのは大金持ちが住んでいる住宅地です。どのくらいの住宅地かよくわかりませんが、ロサンゼルスでいうと、ビバリーヒルズのベルウエア団地、あれを小ぶりにしたような高級住宅地があります。これは民間分譲ですけれども、そこへ行く途中に、高級住宅地のイメージを売りながら庶民的住宅、こういうのをつくってビジネスしているという団地を見ました。これは3階建てです。何を撮ったかというと、出窓と街路樹とフェンスの植え込み。日本でもこういうふうにしてくれたら随分いいんだろうなと思うんですけれども、あまりないんです。そんなに金はかかってないんです。かなり安い建物ですけれども、結構おもしろくて、長屋を撮りました。これくらいの規模の長屋がずっとつながれば、そんなに恐ろしいほど統一性が我々を圧迫するということもないかなと。
(スライド−15)
 これはもう1つ別な、同じ郊外住宅団地。鉄骨を物すごく使った長屋だったんですが、これも植え込みがすごいんです。日本人だとこれを刈っちゃうんです。庭師が刈って盆栽風にしてしまって、何の役にも、目隠しにもならない。思い切って伸ばしてみたらどうか。すごいなと思って撮りました。
(スライド−16)
 その郊外地には2戸1の住宅地もあります。これは屋根がきれいです。マンサード主体。ドイツは伝統的にマンサードの2戸1の住宅をつくるのが大好き。これは1〜2年前ぐらいにでき上がった。2戸1の住宅を長屋風に並べている。屋根の向きも統一している。だから、少なくとも屋根ぐらいは街路に面して統一するぐらいのことをやってくれれば日本の町も随分よくなるのになと思って撮った写真です。
(スライド−17)
 これはディテールです。木柵でとてもいいんですね。



ハンブルグ

(スライド−18)
 俄然今度は場所が変わりました。これはどこかといいますと、ハンブルクです。ハンブルクもロッテルダムも、ヘルシンキもすべて、今市役所が困っているのは、かつて倉庫地帯であったところ、日本でいうと横浜の新港埠頭のレンガ建ての建物がありますね。あれを何とか残そうといって残したけれども、なかなかお客さんがいなくて、何かにとりあえず使う。
(スライド−19)
 それの10倍ぐらいの倉庫が余っています。それが緑に囲った地帯です。その下に性懲りもなく、今から20年ぐらい前に埋立地を膨大につくりました。その埋立地も余っておりますが、まず初めに頭が痛いのは、この倉庫地帯をどういうふうに再開発していったらいいか。ハンブルク市はここを住宅地にしたいといっているんですが、どれだけ住宅地にすることが困難で、なおかつ、見方によっては歴史的建築物だから、これを簡単に壊すなといいたくなる。矛盾している。歴史的建築物の倉庫はうまく住宅地にできるかというとほとんどできない。そういう写真です。
(スライド−20)
 ハンブルクの港湾局が、ここの港湾地域の倉庫地帯をこういうふうに直したいという模型をつくって、市民に見せています。展示場ですが、カフェがありますし、模型の向こうには写真がありますし、ハンブルクの市役所が出している港湾に関する図書も安く売っています。ですから、一種のインフォメーションセンターなんですが、そこに、土曜だったのですが、これだけハンブルク市の市民が見に来て、「ああ、すごい模型ね」といっています。
 ここで1つ重要なことは、この模型は500分の1のスケールだということです。1000分の1ではございません。森ビルさんも三菱地所さんも三井不動産さんも、それぞれ港区と千代田区と中央区について、非常に大きい模型をつくりました。しかし、全部1000分の1です。1000分の1の模型は、市街地と自分とを客観的に分けて、人ごとのように市街地を見ます。しかし、500分の1になりますと、その市街地を見たときに、人ごとじゃない。「もしかすると、おれもここの中に入ってみるかな」と、人を模型が引きつけているようなスケールなんです。
 ヨーロッパの戦後の都市計画が、日本みたいにめちゃめちゃにならないで、戦災復興等しながら成功してきたのは、この500分の1の模型を昔からつくり続けたということです。これは極めて重要なんです。1/1000と1/500の間には物すごく深い、ボルガの舟歌じゃないですけれども、深い溝がありまして、1/1000は観光客も人ごとのように見ます。あるいは学校の先生や会社の若いおにいちゃんに見せると「あ、こうだ、こうだ」という。1/500になりますと、「オーッと、おれの設計に入らせてくれないか」と思うようになる。そういう誘惑を生み出す。
 ひとつ、私の体験を申し上げますと、アメリカから私が帰ってきたのは、東京オリンピックの翌年ですから、昭和40年。1965年です。1965年の7月にヨーロッパの町をずっと歩いてエッセンという町に行った。エッセンというのはノルトラインウェストファーレン州の中で一番大きい炭鉱町です。そこにドイツで有名な製鉄所とか、日立に相当するようなクルップという大工場があったところです。そのころはドイツも第1次産業は物すごく盛んでした。
 エッセンの市役所に行ったときに、そこの都市計画課長が、ちょっとおもしろいものを見せてやるよというんで、連れていかれた都市計画課長の隣の部屋に1/500の模型が置いてありました。模型は都心部を1/500でつくってあります。都心部というのはどこかというと、ヨーロッパの町では必ず教会と市役所と、それからもう1つ何か、商店街で囲まれた広場です。真ん中が広場になって石畳になっている。それが中心部です。中心部が半径約200メーターぐらいのところが本当のシュタットミッテン、都市の中心部。そこの模型が1/500です。
 そこには今から約40年前に既に歩行者専用道と路面電車とを分離して歩行者専用道をつくって、膨大な平面駐車場を中心市街地の周りに設けることになっていた。その後日本の都市計画の先生が昭和の50年ごろにエッセンはすごいぞというので、紹介いただきました。それがちゃんと模型で表現されている。これはすごいです。その模型は市民にも見せますし、市役所の市長とか助役、あるいは局長の重要会議に必ず模型が出るんです。そこで模型を直せ。高過ぎる、この建物は民間会社がつくることをやめた、元に戻せというと、会議室の隣に木工室がありまして、カーペンターが市の職員としてすぐにその模型を木工室に入れて、5〜6分で直して出してくる。
 これはたまたまエッセンでやっていましたが、ストックホルムでも、イギリスでも同じことをやっていた。フランスはちょっと知りませんが、オランダなんかも同じことをやっていた。それだけ都市づくりに対する心構えとか、市民の都市をどういうふうにつくるかというときの姿勢の違いを昭和40年に見せられた。ですから、500分の1というのは、市民にとっては極めて当たり前のスケールなのです。
(スライド−21)
 これが右側の方が新しくつくった埋立地で、左側の方が20世紀の初頭に、ハンブルクが世界で最も繁栄を極めた、商工都市として繁栄して、そこで世界じゅうの品物、絹とか大豆、新香料とかを全部入れた倉庫です。その倉庫はどういう状況になっているか。
(スライド−22)
 これです。これは外側に船が着いて、この倉庫に荷物を入れます。はしけがここに来て、はしけで後ろ側から全部おろして、この運河を通ってはしけを使いながら、いろんなドイツの川がありますが、その川を使って内陸に持っていったというシステムが両側にズラッとあるんです。これが全部今空いているんです。20世紀の民間投資の背景です。しかし、景色としてはすごい。文化財。これはどういうふうに住宅地化できるのか。日本の建築家もこれを扱いかねるでしょう。しかし、これをどうするかというと、さっきのハンブルクの模型なんですね。これをどうするかという提案を入れて、ここの倉庫を考えます。
(スライド−23)
 全部の倉庫は直せないけれども、部分的にはオフィスビルにしますよというところがここなんです。
 前のスライドをちょっと見せてください。
(スライド−24)
 これは、僕が橋の上から東に向かって撮った写真なんです。
(スライド−20)
 これは、橋の上から180 度視野を向けて、西に向かって撮った写真。こちら側はさっきの倉庫地帯を一部分改修して、オフィスビルにした。ハンブルクの人口約180万、オフィスビルをつくるのは、もうこれが目いっぱい。これ以上つくれない。ですから、オフィスビルの繰り返しがどんどんあの模型の上に乗っかってくるのはどうしようもない。
(スライド−25)
 これはいろんなことを語っています。私のメモにいろいろ書いてあります。敷地、建物の高さ、長屋か戸建てか、囲み型か並列型か、2階と3階の間に見切り線があるか。出窓、屋根、街路樹、ヨーロッパのまちづくりの作法。全部出ています。これは教会の上から撮っています。どこの町の教会から撮ってもこういう写真になるんです。ドイツとアメリカが爆撃でめちゃめちゃにぶっ壊した都市を除いては。スイスでもフランス、ポーランド、イギリスでもこうです。
 まず木を見てください。この建物は7階建てですが、7階建てより上まで木が伸びていますね。あの木は30年ぐらいです。日本だと、木が育つところは何もなくて子供の遊び場でツルンツルンになっている。だから、これだけ緑に囲まれている町の姿に絶対ならない。ところが、日本の木の育ち方はドイツのハンブルクの木の育ち方よりも、繁殖力が多分倍ぐらいあります。だから、材木の成長は倍違うんです。湿度が高くて温かくて。だから、うまくすればこれぐらいのことはすぐできちゃう。その一番の象徴は表参道です。20年ぐらいたった広尾のガーデンヒルズも、あれはケヤキですが、35年ぐらいたっています。建物ができて20年で、15年ぐらいたったケヤキを入れていますから、35年。あのケヤキの高さは4階か、そのくらい。
 それから、屋根は直角方向しか屋根がないです。囲み型か並列型かというと、一番手前は並列型ですけれども、囲み型が後ろの方にあります。これは並列型が必ずしも悪いというわけじゃない。要するに建物のつくり方にある1つの礼儀作法があれば、並列型でもこういうふうに美しい町と認識できる。
 町を見る見方は、2つの見方があります。1つは、建築家やデザイナーがしょっちゅういっていることですけれども、地表を歩く目線で町を見ろ。もう1つは、上から見るということ。日本でもようやく一般化しました。上から見たらどんなひどいに町かというのは、安藤忠雄がよく使う写真で、ヨーロッパの上から見た町並みと中央区、台東区あたりの比較です。上から見た東京の下町のオフィスビルの屋根は、見るに耐えないのが東京です。あ、すごいなと思うのは、ヨーロッパだと。安藤忠雄がよく使っています。
 それから、色が少ないんです。どうしてこういうふうに品のいい町ができるんでしょうか。特別にハンブルクがいい場所とはいえないのですが。
(スライド−26)
 これも1つ上から撮った写真です。1つ1つの建物はそんなに金がかかっているわけではないけれども、やっぱり屋根のつくり方に、文化の差がある。出窓に緑を植える緑の量が尋常じゃない。たっぷりと植えます。こういう町が北欧に多いですね。しかし、さっきいったように、こういう町だけがいい町かというと、そうじゃなくて、バルセロナはこういう町のほかに横町がある。だから、いい町だというんです。
(スライド−27)
 これもハンブルクの町です。
(スライド−28)
 ヨーロッパの町で100万都市で、今の時代に対応してどういうところに新しいオフィスビルをつくるかという1つの共通的な行動形式があります。それはさっきまでお見せしたような中心市街地はいじりません。中心市街地は大体7階建てで、マンサード型の屋根をつけて囲み型にして、木を大きく育てて、バルコニーをつくってというふうにします。
 これはイタリアのトリノのようなフィアットの工業都市でも、きちっと歴史地区という町をつくって、そこをいじらない。しかし、ITとかバイオとか、そういうことに対応した新しいビジネスを展開する場所をつくらなきゃいけないときには、これは、まことにつまらない写真ですが、今の中心市街地に隣接して、これまでライトインダストリーとか病院とか、そういう場所があったところ、そこをある程度埋め立てをして新市街地をつくる。ですから、前の皆さんにお見せした3枚は非常に美しい既成市街地。そこから5分ぐらいたつと、ここへ来る。ここへ来ると、片側3車線で、真ん中に分離帯があって、両側に12〜13階建てのつまらないオフィスビルがズラーッと並ぶ。そこで、みんな新しいビジネスを吸収しようという仕掛けです。
 これは100万都市の市街地、はっきりしています。ヘルシンキもそうでした。それからアムステルダムもそうです。
(スライド−29)
 これなんか今の反対側を撮ったんです。完璧にここ2〜3年で情報産業とか流通系産業のヨーロッパじゅうのいろんな会社が支店を設けるというときに、それに対応するオフィス街ができている。全く無味乾燥な、昔でいうと工場地帯と思えばいいんです



アムステルダム

(スライド−30)
 これ、いいでしょう。僕はこれ大好きです。構造体はコンクリートですが、仕上げはサイディングで木造風に仕上げています。出窓がデザインが非常にきれいにつくってあります。出窓のところのバルコニーにも緑がたっぷり植わっています。そして何にも増して、その前に歩道は狭いんだけれども、これだけ伸びやかに育った街路樹があるんです。この街路樹の高さを見ると、4階ぐらいまで十分いっているはずです。下枝を刈ってますから、下の見通しは物すごくいい。交通標識なんか、下枝刈っていますから、すぐ見えます。
 これはオランダの何げない下町の一角なんですが、こういうような写真を撮れる場所はオランダのアムステルダムの市街に幾らでもある。これも既存市街地。既存市街地の建物のリハビリテーション。手直しはこういうふうにしてやる。
 こういうふうにして見てきますと、僕は本当に日本の建築家のデザイン能力って、一体何なんだろうと。全く絶望的なんです。日建設計さん、何やってきたんですか。(笑)日本の建築雑誌に出てくる、いわゆるアトリエアーキテクトっていうのは、一体何をやってきたんだ。こういうことです。
 ヨーロッパの日本のことをよく知っている都市計画の連中と、話しますと、彼らはこういいます。日本に行くと世界のアトリエ建築家のいい作品は全部見れる。日本ぐらいそういう作品の集まっているところはない。しかし、そのアトリエ建築家の頑張っている作品がある周りの町は、何と愚劣なんだろう。強調するのは後者の方なんですね。その出張所は福岡の天神町近くのイル・プラッツオ、アルド・ロッシの作品です。これはアメリカのAIAの建築アウオードをとった。確かにイル・プラッツオ、ファッション的にはおもしろいんです。しかし、そこの周りに建っている建物はみんな残っている。
 こういうことに建築家とか、都市イベント屋さんの無責任性が出てきているのかなという気がしながら写真を撮ったのがこれです。
(スライド−31)
 次は、つまらないんですが、これはオランダは徹底していまして、ここは両側のビルの間、約4メートルぐらい自転車道路として整備しますが、ここでも植え込みをこれだけ大事にしています。日陰でほとんど育たないところですけれども、これだけ大事にしている。今自転車が向こうから来ていますね。自転車道なんです。
(スライド−32)
 次が、きょうお見せするスライドのハイライトになると思います。これはアムステルダム。アムステルダムは、先ほど申し上げましたように、世界じゅうのオフィス、アメリカからもアフリカからも中近東からもビジネス会社が来ていますから、基本的に内陸部ではあまり空いた土地がない。土地はどこを使ったらいいかというと、ハンブルクなんかと全く対照的。ハンブルクやロッテルダムはうらやましくてしようがない。ロッテルダムやハンブルクやストックホルムは港湾に面した土地が空いてどうしていいかわからないのに、アムステルダムだけが内陸部の土地が使われて、埋立地もほどほどにオフィスビル化していいなというところで、アムステルダムは次に何をやったかというと、埋立地を新しくつくっている。
 これは、新しくつくった埋立地ではございません。ハンブルクが嘆いたようなかつての倉庫地帯を全部壊しました。20世紀初頭のアムステルダムの貨物船が泊まっていたピアです。そこの倉庫を全部壊しました。壊してここに集合住宅をつくった。ここはお客さんがいっぱい入っています。なぜいっぱい入ってくるかといいますと、アムステルダムのセントラルステーションのちょうど裏側ですから、東京駅からいえば竹芝です。そこでホテルとかをテナントにするのをやめて、全部民間に分譲して、民間がマンションをつくる。このときにアムステルダムのアーバンデザイナーは一種のマンションの多様性と統一性と調和性をコントールする。なるべく多様に見えるように、1つ1つ同じようなものをつくる。しかし、全部違うのはだめ。だから、高さは大体これくらいにしておく。そして、かつての岸壁から何メートル下げたところから建築線にしているのです。
 また、非常にトリッキーな仕掛けがあります。ここにオレンジ色の2つの建物がありますね。ここも同じ、ここも同じ。ですから、全部建物は変わってない。同じではない。だけど、幾つかの建物のパターンを、ここのアムステルダム市の港湾局に関係するアーバンデザイナーが何種類かつくって、その組み合わせを自由にすることに一見多様性があるという、そういうまちづくりをここでしているわけです。
 この段階の開発は、間口もある程度幅が同じです。大きい町で再開発しましたけれども、何で6階か7階でこれだけ大きい町になるかというと、ここの面している海の面積が大きいからです。大きいからこれぐらいの建物にしないと、海に対して、新しくできる建物が低く沈んでしまって商品価値がない。そういう見方です。
(スライド−33)
 ところが、今いった建物の裏側にこういう船だまりがありました。これはさっきいったハンブルクと同じはしけでしょう。表から貨物船で品物を入れて、後ろからはしけで出していく。このはしけだまりが残っている。はしけだまりに面して倉庫地帯は全部壊しました。壊したところに面する敷地の幅はランダムに、適当に全部違うんです。ここからここの幅は全部違う。敷地にもバリエーションをつける。それを民間の買いたいという人に売ります。そのときに建築条件をつけて、ここには3階建てで高さ何メートルで1階の高さ幾らぐらいの建物をつくってください。設計は自由です、という。ですから、全部建築家が違うんです。しかし、建物の高さは全部そろえた。それから条件として、はしけだまりに接しているところの建物の建築線は全部そろえてある。
 ここはこの窓をあけてすぐ出てボートに乗って遊べる。小さいプレジャーボートがありますね。これは物すごく売れました。ここを小さい設計事務所が買ったんです。今から4年ぐらい前に。買った値段は幾らかわからないけれども、今どれぐらいで売れるかといったら、倍の値段で売れるというんです。
 ですから、東京駅の裏側の築地の明石町ぐらい、聖路加のあるところ、そこに水面があって、東京都の港湾局が土地を持っていて、これと同じ形式にしたら、多分土地の値段は倍ぐらいに上がっちゃうかもしれない。そういうマーケットを発掘したわけです。相当の量です。
 アムステルダムの持っている世界的な都市の魅力。先ほどの都市の順番でいいますと、アムステルダムは12番目です。ベルリンが21番目。ですから、商業的機能を都市に与えるというのはどれぐらい都市の魅力を増し、経済的ポテンシャルを高めるかということです。役所なんかふやしたって、何の価値もない。
(スライド−34)
 これが設計事務所の写真です。みんなここにボートを気楽に着ける。これなんかおもしろいでしょう。扉が開くんです。開いてこういう窓が出てくる。相当思い切ったデザインです。
(スライド−35)
 これがこの設計事務所の内部です。スキップフロアで非常にシンプルです。これは事務所です。住宅じゃないから割合きれいなんです。日本の設計事務所でこれだけきれいに使っているところは僕見たことがない。(笑)どうして日本の人たちは汚くするのか。床もフローリングを物すごくきれいに磨いて、いいんです。
(スライド−36)
 アムステルダムのここは世界的に有名な場所になりました。森ビルが六本木6丁目で4月の末に町開きをするというときに、あのビルの上の方で都市の展覧会をやる。そこの出し物を幾つか集めているようですけれども、今僕が説明したところも、この展覧会の1つに挙がってきています。これはアムステルダムの港湾局の役人が、あらゆる世界の学者会議とか経済人会議、国際的な専門家会議で、大宣伝やった。「これだけのものをつくった。おもしろいから来いよ」と、大宣伝。これもアムステルダムの役人の一種の商人魂です。
(スライド−37)
 次もアムステルダムです。アムステルダムも影というのがあります。今いった港は、これがセントラルステーションですから、この辺です。この辺が倉庫地帯。地下鉄のちょっと上ぐらい。アムステルダムで皆さん覚えていらっしゃいますか。15年ぐらい前ですか、スキポールエアポートから出た旅客機が離陸し切れないで、アムステルダムのアパートに激突して、何百人という、飛行機に乗ったお客さんと、そこにいる住民を殺してしまったという事故がありました。
 これがこのスキポール。これが滑走路。この滑走路をずっと上がっていってぶつかったのがこの辺です。今いった住宅地はどういうところかというと、オランダは世界で一番移民に対して寛容な国だったんです。ですから、どんな移民でも入ってこれた。入ってこれるということは、都市の中で、さっきいった港のようなああいうしゃれたところでは成功した中産階級の白人が来ますけれども、アメリカと同じように、失敗した、絶対に世の中にはい上がっていけない有色人種のゲットーができている。そのゲットーになったところが、オランダ市や、オランダ政府が供給した公営住宅です。東京でいえば、東京都の住宅供給公社の建物。東京都の住宅供給公社は物すごい勢いでつくりました。オランダも同じです。そこに住んだ。アルジェリア人とかモロッコ人、トルコ人。そこへ飛行機が激突したんです。
 それで、アムステルダムではそれに凝りて、その建物を徹底的に壊し始めました。そこのところはもともと、住んでいる人の立場でいうと、条件のよくない場所です。よくない場所ですから、そこにはみすぼらしい工場地帯とか、病院、ちょっとしたごみ焼却場とか、そういうものがある。東京の住宅供給公社に相当するような貧乏外人を入れている住宅があって、そこを壊し始めました。
 そして、そこに新しいベンチャーのオフィスビルをつくりました。オランダ人というのはすごいものです。だめなところにだめなものをつくるんじゃなくて、だめなところにこそいいものをつくろう。これは東京でいうと、品川の屠殺場の横にソニーと魚河岸が入った。あれはだめなところにいいものをつくった。屠殺場が移ればいいんですけれども。オランダでは屠殺場を移したというのは、住宅供給公社の建物を壊したことに相当します。壊してつくり直した。そして、ここに新しいオフィスビルができました。
 内陸部がどれくらい埋まっているかというと、ここにオフィスビルがあって、人口はたかだか80万の都市。80万といいますと、福岡市の人口の3分の2ですね。福岡市の人口は約130万ですから。アムステルダムの人口は80万。都市圏人口は120〜130万でしょう。
 そんな都市なのに、ここに国際的なビジネス集積の非常に大きいのをつくりました。テレポートと騒がれたときに、大阪と競争して、ニューヨークと競争して、ここに情報センター、IT関連の集積する場所をつくりました。それからこの辺にもオフィスビルができました。ですから、そういう点では、アムステルダムは、世界の他の都市の中では例外的に、内陸部の土地が足りなくなってきた。だから、埋立地を活用しようと言うことです。
(スライド−38)
 で、飛行機が激突したのはこの建物です。こういう建物がズラーッと並んでいる。そこへ飛行機が上がり切れなくてぶつかった。壊していますが、まだ壊し残しがこれだけあるんです。その前に、こういうんじゃもうどうしようもないというので、低層で比較的小さくまとまっている、こういう外国人労働者用の住宅をつくった。これのエクステンションのこの辺に膨大なITあるいは物流関係のオフィスビルがバーッとできたのです。
(スライド−39)
 これは先ほどいったアムステルダムのウエスト、テレポートセンター。これがアムステルダムの古い町です。これから西側に行って、ここにテレポートセンターといわれたところにオフィス街をつくっている。
(スライド−40)
 その駅です。こういうビルがどんどん建っている。クレーンがすごい勢いで立っている。
(スライド−41)
 駅の中ですね。
(スライド−42)
 これもアムステルダムウエストの新しい、東京でいえば新宿西口副都心と思ってください。それのセンターです。まだ建設中です。



ロッテルダム

(スライド−43)
 これは突然変わりまして、場所はリーンバン。リーンバンというのは都市計画で極めて有名な場所です。ロッテルダムの都心部。アムステルダムは1つも爆撃を受けてないんですが、ロッテルダムはドイツ軍の爆撃で、完膚なきに壊されました。廃墟と化してしまった。港、港湾都市だった。ロッテルダム市役所の都市計画課は、廃墟の中で、「必ずドイツが負ける、アメリカとイギリスは勝つ」と考えた。第2次大戦が終わったときにすぐ、ロッテルダムの町をこういう町にしようという図面を、地下の隠れ家でロッテルダム市役所の都市計画課の連中は書いていたという話です。
 ですから、ドイツが負けた途端に、ロッテルダムはすぐ戦災復興のプロジェクトを打ち出しました。それの中心になったのは、バケムという男です。これは後でハーバードの先生になりました。ポーランド人です。
 その戦災復興の目玉になったのがリーンバンです。リーンバンの地域は、第2次大戦の前、昭和の15〜16年ごろに既に世界じゅうに、理想的な都市はこうなるべきだと提案されていた歩行者専用地区をつくって、そこの中に住宅を高層棟として入れて、商店街は1階に展開する。住宅高層棟のところに空き地ができるから、そこに駐車場をつくれ。街路は全部歩行者専用地区にする、そういう案を、第2次大戦が終わったころ、1947年ごろにそういう提案をしました。
 昭和22年に日本は何をやっていたかというと、どうしようもない。イモを食え。天皇、米よこせ運動というのを日本共産党が指導していた。そのときにロッテルダムではリーンバンの計画を市民に公表したわけです。これは一種の戦災復興区画整理事業として整備させました。
 ですから、今ここは自動車が通っていますが、基本的にここは歩行者専用道路のモールにして、1階を商店街にしていたのです。これは戦後2回ファサード、表をつくり変えました。ちょっとしゃれた間取りになっています。もっと素朴だったんです。これが住宅棟、高層棟です。この中に中庭があります。そこへごみ置き場とか駐車場がある。こういうモデルをつくった。
 これがさすがに戦後四十何年たちますと、だめになりました。だから、かつての栄光ある都市計画のモデルの末裔、残像。斜陽化したリーンバン。なぜかというと、こういうスーパーブロック型の中心商店街というのは、はやらなくなっちゃった。ロッテルダムでも、今はやっているのは路線型商店街です。路線型商店街の周りにちょっとしゃれたお店や専門店がズラーッと並んでいる。日本でいうと、高松のアーケード街とかああいうのです。あれがはやり出した。そして、ここリーンバンに来ている連中は、みんな、トルコ人とかアルジェリア人とか、要するにオランダ人じゃない。あまり豊かじゃないオランダの子供たちがこの辺をプラプラ歩いているのです。道もきれいじゃない、汚れている。そういう場所になっている。
(スライド−44)
 これもロッテルダム。ロッテルダムというのはアムステルダムと違いまして、新しいことを何でもやっています。リーンバンもそうです。それから、これは昭和の45年からオイルショックのころ、コンペティションで港湾局がやった港に面した新しい住宅形式。全部住宅です。これはサイコロ、これは鉛筆なんです。鉛筆の住宅とサイコロの住宅。昔の運河沿いの倉庫地帯だったところを全部壊してこういうのをつくりました。これ、意外な人気がございまして、これ自体が新しいアーバンスペクタクルですね。結構遠くから見るとおもしろいので、観光客も来ました。これができてもう30年ぐらいたっているんですけれども、空き家はほとんどありません。モデルルームはありますけれども、空き家はほとんどない。
 こういうのは路線商店街の端っこにあるんです。これから路線商店街に行って、こっちがリーンバン。リーンバンがだめになって、路線商店街が栄えて、それから出てくると、こういう見せ物みたいなところがあって、広場がある。そこに野菜市場が出る。これが結構人気がある。
(スライド−45)
 今のサイコロのところを過ぎると、こういう運河です。これ、なかなか古い雰囲気でいいでしょう。こっちが物すごくいいカフェです。パラソルが全部あくと、なかなかのものです。こっちにサイコロ住宅があります。サイコロ住宅から運河に向かって撮った写真です。
 専門の路線商店街をブラブラ散歩していった最後のはて、エンドはここになる。おしゃべりして、夜楽しんでお茶でも飲んで夜景を楽しんで帰ろうよと。ここから海になる。ロッテルダムはアムステルダムに対抗しています。しかし、アムステルダムの目に見えない経済的な力にはかなわないので、ロッテルダムは何をしたかというと、あることを考えました。
(スライド−46)
 これで正確にはできていませんけれども、ここが戦災復興でつくったロッテルダムで有名で公園です。東京でいうと代々木公園みたいなところです。これ、高層棟が目立つでしょう。東京と同じ感じです。内陸市街地でも高層棟をつくろう。ロッテルダムは戦災でめちゃめちゃやられたから残すものは何もない。そうすれば、駅に近い、飛行場に近い、あるいは商店街に近い、そういうところにオフィスビルをどんどんつくろうということになります。
 だから、高層棟を拒否しない町がロッテルダムなんです。アムステルダム、ハンブルクは高層棟を拒否しています。ストックホルムも拒否しています。コペンハーゲンも拒否しています。ヨーロッパの主要都市は高層棟を拒否していますけれども、拒否してない町がロッテルダムとフランクフルトです。
 フランクフルトもこてんぱんに爆撃でやられた。見る影もなくやられて戦災復興でつくった。そしてアメリカが占領した。アメリカが占領した町はどうしてもロサンゼルスとかニューヨーク型になっていく。ロッテルダムはアメリカに占領されなかったけれども、ここでアムステルダムと対抗するために町の中に超高層をつくろうと。物すごい計画が2〜3本、今町の中にあります。
(スライド−47)
 これがさっきいった代々木公園みたいな公園。これも戦災復興でつくりました。こっちはウォーターフロントです。ウォーターフロントでも超高層は建っています。これ、ちょっとMM21に似ていませんか。
 ですから、ロッテルダムの都市再開発というのは比較的東京や横浜のウォーターフロント都市再開発と似ている。似ているけれども、何が違うというと、街路樹が違います。植木。植木の量が全然違う。ボリュームが違う。繰り返しますけれども、オランダもドイツも日本よりは緑の成長がずっと低いところです。低いところだけど、写真を撮ったときに、緑の量というのは、実際これを全部なくしてしまったときの寒々しい市街地をこれだけ豊かに見せる。
(スライド−48)
 これはロータリーです。ロータリーでも自動車交通は処理できるというのを、ロッテルダムでは非常にプラクティカルにやっています。安上がりです。立体交差にしていません。ロータリーでも処理できる。昔日本にもロータリーがあったのを全部つぶしちゃったんです。ロッテルダムでは都心部のちょっと外れですけれども、ロータリーで処理しています。
(スライド−49)
 これは観光写真でした。運河を物すごく大事にしています。これは下から、観光船かな、これがずっと入っていって、ここでふたをして、水位を上げてこっちへ持っていこう。これ自体も公園風でとても写真になるので、撮ってみました。
(スライド−50)
 これはロッテルダムの500分の1の模型です。こちら側は、下の方は港を埋め立てて余ったところを住宅地にしたいというので、つまらない住宅地いっぱいつくっています。本当につまらない住宅地。日本人だったらもっとおもしろくつくるという住宅地。僕だってこの住宅地よりももっとうまいデザインできる。
(スライド−51)
 だから、さっきのアムステルダムの町の中のリハビリテーションのデザインの巧みさと、この埋立地の集合住宅のデザインの愚劣さと、どうして同じオランダの建築家はこんなに違うのかなという感じもしました。
 ここで申し上げたいのは、これが港です。ここに高層棟が集積しています。高層棟の集積しているのは、さっきいったロッテルダムのリーンバンの近くで、中央駅の近く。ですから、役所に近くて中心商店街に近くて、すべてのアメニティーがある。ここに高層棟を集積している。これは日本のやり方と極めて似ている。アメリカ型の町のつくり方をロッテルダムでやっている。アムステルダムとは全然違う。
(スライド−52)
 これは観光写真です。これはホーランド・アメリカ・ラインと書いてある。これは文化財になっているといっていました。これはどういうことかというと、第2次大戦が終わったときにオランダもやっぱり物すごく貧しかった。アメリカへ行っていい仕事につきたいというオランダ人がいっぱいいたので、オランダからアメリカへ客船がいっぱいオランダ人を運んでいった。そのときに、その客船に乗る、お金持ちの人たちがここで何泊かして、ボーイを従えて出ていったホテルです。横浜でいうと昔のグランドホテル。それに当たる。今これは寂れちゃっていますが、たまたまこういう新しいオフィスビルができましたので、こういうところの情報関係の会社の人達がここに来て、非常にしゃれたランチを食べている。少し中が変わってきました。これは歴史的建築物です。ロッテルダムでも1つだけ残したい建物だということです。
(スライド−53)
 これはこれまで言った対岸の町並みです。ハンブルクほどではないんですけれども、一応これもそれなりの雰囲気を持っています。日本人の敷地を守る、10坪でも建物が建つという建築基準法の世界では絶対つくれない、どんなことをしてもつくれない。こういう景色です。



ストックホルム

(スライド−54)
 これはストックホルム。ストックホルムのシスタです。
ストックホルム市は人口が約80万ですが、ストックホルム市の売りは、人口80万、都市圏人口約130万ぐらいですが、それが何と昭和の30年代から鉄道をつくって、それでニュータウンを直結しました。日本のニュータウンづくりは、ニュータウンをつくって、お客さんがある程度になって地下鉄が伸びていく。それまでニュータウンに入った人たちは人権無視も甚だしい。筑波のニュータウンなんて今でもそうです。地下鉄がようやく入る。
 ところが、ストックホルムは、地下鉄をつくって、その駅の周りにニュータウンをつくった。それで有名なんです。もっともストックホルム市の場合はストックホルム市の持っている土地は、市街地の全部の土地の約7割ですから、ニュータウンのところもほとんど公有地で、土地はただ同然だったから、地下鉄を先につくった。
 ですから、地下鉄をつくってニュータウンをつくった。それの有名な先駆けがベリングビーというのです。これは都市計画でお習いになりましたね。他に、ファルシュタ、シェルホルメンなどが有名です。シスタは最後に出来たニュータウンです。そしてスウェーデンのニュータウンのコンセプトは時代とともに変わってきている。
 最後に出来たシスタは、積極的ニュータウンにオフィスビル街を入れるようにしました。ここに出ている図面は、シスタのセントラルステーションの北側の住宅地街。住宅地街の建物のレイアウトは、ごらんのように、囲み型もありますけれども、並行配置が多いんです。このデザインは日本の住宅公団や大阪府の企業局とあまり変わらない。ただ、階数が6〜7階で、屋根がついていますから、見てくれは小ぎれいなんですが、シスタの場合の違いは、こちら側に非常に大きいオフィスビル街をつくりました。企業誘致。住と仕事場とをここで一緒にして、職住を完全に一緒にして、このニュータウン経営をやろう。
 ここの就業地の中には大学をつくりました。エリクソンというのはスウェーデンの有名な電気会社です。エリクソンの研究所もつくりました。それから、大学とエリクソンの共同研究所もつくりました。ですから、スウェーデンのシスタの南側は、21世紀にスウェーデンが、フィンランドのノキアなどと対抗できる情報産業の新しい戦略基地にする。ここに日本の企業も来ていました。そういう重要な戦略拠点をニュータウンと一緒につくるというのが、スウェーデンのやり方でした。
 ですから、ストックホルムの町にはどこを見ても高層棟やつまらないオフィスビルは見えない。どこにつくっているかというと、ストックホルムの場合には、一部分既成市街地にもつくってありますけれども、ニュータウン沿いに新しい戦略基地をつくる。東京でいえば、国家が多摩ニュータウンにITとかゲノムとか、そういうものを集中的に立地させるということです。あるいは幕張に立地させる。
 スウェーデンの都市計画というのは、民間の力を尊重しますが、都市計画が世の中を変えるぐらいの専門性を持って引っ張っています。
 ヨーロッパの都市計画のおもしろみは2つありまして、1つは、イギリスが担当していた。これは今までイギリスは余りにも都市計画の専門性が強くて、そのために、ビューロークラシーのテンポが早過ぎたので、徹底的にサッチャーが変えました。イギリスはいま都市計画がどうなっているということがわからなくなってきた。本当にふにゃふにゃになっていましたが、大陸系の都市計画は依然として、この都市計画の専門性を主張しております。その専門性の主張も、日本のように、単に都市計画局がどこかのコンサルタントを雇って適当に図面つくらせて、審議会にかけて、いいの悪いのいって、その審議会の結果をまとめて報告して、仕事を完成させるというばかなことはしてません。
 全部市役所がインハウスで都市計画の専門家のデザイナーを雇っているのです。ちょうど横浜市に都市デザイン室がありますが、あれと同じようなことをヨーロッパの人口100万ぐらいの都市がやっているんです。そういう現場をストックホルムの市役所で僕は見ました。それぐらい大陸系の都市計画は思い切って専門家が市民を引っ張っていく形でいろいろなことをしている。
 ですから、スウェーデンのストックホルム市は、新しいオフィスビル立地は既存の都市の中には入れない。そばにもくっつけない。むしろニュータウンを活性化するということで、ニュータウンをならしてそういうことをやっていこうというやり方です。
(スライド−55)
 これはシスタのショッピングセンター。どうってことないです。
(スライド−56)
 これがシスタの反対側、IT系のオフィスビル群がいっぱいつくられています。この後ろには国際大学、エリクソンの研究所、日本の研究所も立地しています。さっきいったショッピングセンターはこっち側なんですが、反対側へ出ると、こういう状況です。
(スライド−57)
 これはまたちょっと違う。
(スライド−58)
 これは、ストックホルム市も海に面したところがかなり空いているといいました。面しているところは、大体が、程度の差こそあれ、ブラウンフィールズという何らかの形で昔工場だった。工場だったところの土壌汚染を何とか処理しながら、そこをどういうふうに使っていくか。ストックホルム市はそこを大部分住宅地にする。住宅地にするのも、基本的には集合住宅地ですが、例外的に非常におもしろい戸建て住宅地を、ストックホルムでは極めて珍しいんですけれども、オランダの民間会社がストックホルムに来てつくった。それは後でお見せします。
 これはストックホルム市役所が主導権を持って民間のハウスメーカーにこういう住宅をつくれということをはっきりと指示をしたデザインです。集合住宅が建っているのはこことこことここ。ですから、ここからここまでの集合住宅のデザインは、ストックホルム市の市の職員がおおよその建物の高さ、幅、広場の形、全部決めて、それでつくらせたものです。
 これのねらいは何かというと、非常に明快なんです。夏、風がこっちから通るんです。これは坂です。夏の風はずっとこのすき間を通って丘の上に上がる。風の道をいっぱいつくった。風の道に沿って穴ぼこがあいている。冬は向こうから風が吹く。冬の風は、ここに丘がありますから、これでさえぎって、なかなか下にはおりてこない。来ても上を通っていくということで、夏の風と冬の風、これを住宅の中にどうやってうまく、それぞれ、片っ方は守り、片っ方は有効に使うということを考えてデザインした町なんです。
 このデザインは約15年ぐらい前に決めていました。そして、ここを開発するといったときには、このタイプでやるというのですぐに取りかかった。15年ぐらい前にこれをやったのは僕の友達で、年はちょっと上ですが、ストックホルム市の都市計画局長がみずから筆をとってデザインをした。
 日本で都市計画局長がみずから筆をふるってデザインをするようなことは考えられない。それぐらい専門性ということに対して、北欧の人たちは、医者とか建築家だけじゃなくて、都市計画家に対しても専門性をもってそれなりの評価をしている。
(スライド−59)
 それのディテールがこれです。ストックホルムというのは、ドイツやオランダに比べると無味乾燥というか、非常に単純になるんです。それでも、この窓割りは非常にデザインセンスがいいです。全部縦割りの窓割り。ヨーロッパで建物をつくるときに一番重要なのはこの窓割りです。窓をどういうプロポーションでどれぐらいの大きさで配置するかということによって建物の品格が全部違ってくる。
 日本の建築で窓割り、窓の大きさ、開口部の大きさ、こういうことを全部わきまえている普通の建築事務所って、あるでしょうか。ほとんどないと思う。
 そういうことでやっぱりヨーロッパの建築教育と日本の建築教育の基本的違いが、僕はだんだんわかってきたんですが、ヨーロッパではまず型、形式、ルール、作法、こういうものを徹底して教える。そして教えた後にそれを壊すということを考える。それがヨーロッパの建築の行き方じゃないか。日本は初めから壊せということで学校の先生が教えている。
 昔の棟梁がちゃんと考えていた木割りなんていうのは、どこかいっちゃっているわけです。しかし、一種のスウェーデン風の木割りを徹底的に教えているから、こういう縦割りのスタイルができ上がってくるわけです。
(スライド−60)
 これはさっきいったオランダの民間の人たちが集めてきた。これも工場地帯だったところを今いったような集合住宅じゃなくて、2階建て、3階建ての小さい集合住宅と戸建て住宅でつくっている。これもできて半年ぐらいしかたっていない。こういうところがストックホルムにもありました。
(スライド−61)
 これはその近くのストックホルムでは極めて珍しい戸建て住宅。戸建て住宅といっても質素ですね。何もぜいたくなことはしておりません。これは極めて珍しい戸建て住宅地の1つです。フェンスもちゃんと木で守って、ブロック塀がなくて、緑がいっぱいで美しいですね。自然と建物が本当に一緒になっているという優しさがあると思いました。
(スライド−62)
 これもその住宅地です。
(スライド−63)
 あとはストックホルムの礼儀正しい写真です。縦割りのきちっとしたストックホルム市の湖に面して古い建物、200年ぐらいたっている、これを手直し手直し使っています。屋根も非常に手入れをして本当に清潔で美しい。ペンキを塗っていて美しいですね。
(スライド−64)
 これがザッツ・ストックホルムです。有名なストックホルムの市庁舎。どこにも高層棟はございません。
(スライド−65)
 これはよく出てくる有名な1920年ごろにできたエレベーター。ストックホルムというと必ずエレベーターが出てきます。ここのところが外国、フィンランドやノルウェーやコペンハーゲンに行く観光豪華客船がとまるところです。
(スライド−66)
 これもザッツ・ストックホルムの観光写真です。
(スライド−67)
 これはオールドタウン。さっきいった大金持ちの商社の連中がつくった横町はこういうふうにブティック街です。横町は横町でもバルセロナのような横町にはならない。
(スライド−68)
 これもその横町ですね。これはストックホルムのオールドタウンです。
(スライド−69)
 これはきれいですけれども、ギルドの大金持ちが持っていたオールドタウンの建物を、その後借りた連中が手をかけてこれだけきれいにピカピカにしている。ここの店の品物は物すごく高い。高いのを買いに来る大金持ちのおじさんを散歩させる、こういう図式です。こっちが王宮です。
 終わりですね。どうもありがとうございます。
 以上、私の説明で、その視点は、敷地、建物の高さ、長屋か戸建てか、囲み型か、並列型か、2階と3階の間に蛇腹線があるか。出窓、屋根、街路樹であるか、そしてオールドタウンや歴史地区についても説明を加える。また、港湾や河川沿いの住宅地も紹介する。超高層建築物とビジネス街・研究所街の立地についても説明を行う、と言うことで、これについて一通り説明をしたと思います。

 何かご質問ございますでしょうか。



フリーディスカッション

藤山
 保井先生、ありがとうございました。
 それでは、これから約25分ぐらいですが、質問の時間を設けたいと思います
 角家

 建設会社のOBですが、青山の市街地再開発を20年ぐらいやってきました。
 聞きたいことは、日本の国の勢い、あるいは土地がどのぐらいまで大きくなるのか。特に東京は大きく膨張しておりますが、どのくらいまで膨張して、恐竜は大きくなって自分でそのために滅びたということがありますが、先生がヨーロッパやらアメリカやらいろいろ見てこられて、どのくらいまで成長して、いつごろから衰退していくのか、その質もどのようになるか、ひとつ先生の理論をお聞かせいただければありがたいと思います。
伊藤

理論じゃないんですけれども、ずっと見てきてまして、超高層ビルだけについていいますと、一番派手派手にやっているのがベルリンでしたね。ドイツはベルリンに首都移転をしました。東ドイツと西ドイツが合併しました。東ドイツの経済復興をしなきゃいけません。ですから、ベルリンは意図的に東ドイツのある地区に超高層地区を決めています。ドイツ政府の経済原則というより基本政策です。そこが超高層のプロジェクトが一番多かったところです。
 あとは、超高層とかオフィスビルをつくっているといっても極めて慎重です。一番多かったのはアムステルダムです。アムステルダムは、先ほどいったように、世界じゅうの商業資本がねらっているところですから、それなりのヨーロッパの会社、イギリスの会社のオフィス需要を受けてオフィスビルが建っていますから。しかし、総じて超高層オフィスビルをつくるのは極めて慎重です。
 むしろ現在ある建物をどういうふうにして埋めていくかということに皆さんの関心が多いと思います。それはさっきからいいましたように、ウォーターフロントに土地が余っていることが歴然としています。この余っている土地をどう埋めていくかというのがまず第1課題で、超高層オフィスビルをつくらなきゃいけないという認識はございません。埋まればいい。埋まるためには低層でも構わない。住宅でも構わない。大学でも構わない。
 そういうのに比べまして、日本の場合は、1ついえるのは、この間もNHKでおもしろいやつをやっていましたね。NHKスペシャル、あれ相当皮肉な番組なんです。2010年問題。僕は2010年まで東京の具体的超高層プロジェクトを考えると、率直にいうとかなり建つと思いますよ。
 例えば、三菱だってまず東京ビルを建てるでしょう。それから、名古屋の駅前でトヨタができ上がるでしょう。だれが見ても、丸ビルが建ったんだから、新丸ビルも建つんじゃないかと思いますよね。また、八重洲で三井不動産も建てるでしょう。今が2003年で、3年と2010年は7年しかない。7年でこういうプロジェクト、今うわさしているのは2010年ぐらいにできちゃうんです。それに品川でまだ建ちますよ。例えば、JR東日本が土地をあけるのがあるんです。必ず建つ。
 ですから、東京については経済の動向、ロングスパンの話に関係なく、超高層オフィスビルは建っちゃいます。問題は何かというと、小さいビルを持っている人の深刻な空き家率の上昇と、超高層ビルに代表される独占資本の床の埋め方の競争です。前者はNHKの番組で紹介された、例の日本橋のかまぼこ屋さんの話にあらわれています。猛烈に深刻になってくると思います。東京については、そのときに政府がどう介入するかという話。
 非常に単純にいうと、超高層オフィスビルが2010年までにまだ30本や40本東京で建っちゃうよということです。同時に高層マンションが建ちます。40〜50本。だから、一見表から見ると東京は上海と同じになって、ようやっと東京も上海並みになったなんてうれしがる人も出てくるんですけれども、その後ろにはすさまじい空き家率の上昇があり、その上昇をほおっておくのか、それとも何か政策的に抑えるのかという深刻な話になって、これは社会不安になるかもしれませんね。もう2〜3年後にすぐそうなると思います。2003年、2004年ですぐそうなる。
 日本のビジネス界、日本の企業のやり方はすべてこうです。やり出すととまらないんです。みんな同じことをやるんです。ある日突然壁にぶつかって痛いといって、その後始末どうするというのは政府に持ってくる。これの繰り返しを日本の企業はこの半世紀やってきました。必ず後始末を政府に何とかしろ。自分のやった失敗についてはだれも反省もしない。経営者は何の痛みも感じなく、次々と若い者に後をゆだねて左うちわで暮らしている。(笑)
 これは日本そのものの体質です。
東京だけは人口がふえますが、あとは減ります。ですから、非常に深刻なのは大阪はもちろん、名古屋も多分トヨタのビルが建った後は、建たないんじゃないでしょうか。大阪も梅田、キタで全部埋まるかどうかわからないですね。札幌は日本生命が道庁前にかなり大きいのを大蔵省から土地を買いましたけれども、あそこに本当に建てたら、札幌の都心部のオフィスの3分の1ぐらいは空いちゃいます。というのは、札幌のオフィスビルは小さくて古くてみんな逃げ出したがっていますから、逃げ出す指令を発するのは東京の本店ですから。気楽に逃げる。仙台もそうです。広島も。
 ただ、状況が違うのは福岡です。福岡はあまり大ぼらを吹かない。ダイエーホークスのあれは別ですが,あまり大ぼらを吹かないで、着実にそれなりの規模の床をふやしているという点では、福岡の人の戦略は割合いい線をいっているかなと。その感覚を持っているのは福岡地所じゃないかと思うんです。“札仙広福”で福岡地所のようなリーダーシップを持っている地元資本がいるかというとないですね。札幌も仙台も広島も。そうすると、必ず東京本社の動向をしょった支店がある行動をするだけです。
 ですから、そういう点では東京ではまだ建つけれども、私の読みは、大阪、名古屋ではあと2〜3本。札仙広福では1本も建たない。建ったら大変なことになる。建てた不動産屋は地域社会から完璧に糾弾されるというのが地方都市で起きるかなというのが私の読みです。
 ただ、そういう突き放した言い方だけでいっているのは経済評論家と同じで、じゃ、どうするんだ。ソリューションあるか。私はあると思います。それは住宅をもっとつくるということです。私が今最大の関心を持っているのは、神田の駅周りの司町とかあの辺の中小のオフィスビル、これを住宅地としていい場所にできないかなということです。
 たまたま、ある座談会で三菱地所の会長と千代田区長と3人で話していて、神田地区のことに相当触れました。これはある会社のPR誌上ですが、そこで僕は意図的に神田の話を全誌面の約3分の1か4分の1に集中しました。
 「丸の内、丸の内というな。千代田区というのは神田があるじゃないか。神田どうするんだ」。そういう話です。都市計画というのは実はそういうことなんですよ。都市計画が丸の内の超高層をどうする、六本木6丁目の超高層をどうするということのちょうちん持ちとか、批判するということは、都市計画からいうと本道じゃないんです。都市計画が相手にするのは神田であり、中野のことであり、荒川のことであり、そういうところなんです。都市計画というのは、できもしないことで、だけど、社会を深刻に憂いながら図面書いているということをやっている。神田なんてまさに都市計画があるコミットメントをして、ある方針を出さなきゃいけないところなんです。
 神田で、ある企業のおやじさんたちがやっていることを私は物すごくおもしろいと思っています。彼らは鉛筆ビルをつくっているんですが、一方で、マンションもつくっている。
先ほどのPR誌の座談会の落ちで、誰とはいいませんが、こういう話をした人がいました。「神田はエアポケットだ。なぜならば、大手町でオフィスビル街ができる。外人さんもいっぱい来る。大企業は若者をいっぱい雇う。若者は1人者だ。神田は大手町から物すごく近いけれども、一見離れているように思うのは、高速道路のおかげだ。高速道路があるから、神田は大手町から随分離れているように思うけれども、あの高速道路を目をつぶってないものと考えたら意外と近い」実際大手町の若者たちは、夜神田の方に行って悪いことをしているそうです。安いから。(笑)だったら、神田にしゃれたワンルームマンションをいっぱいつくれば、大手町の会社は24時間稼業だから、そこを借りるに違いないといった人がいるんです。他の2人も「そうだ、そうだ」といった。結論は千代田区長も、「丸の内なんてそう大したことじゃない。千代田区政は神田にある。おれもそう思う」というので、おさまったんです。(笑)
 神田はだめということは日本橋もだめなんです。東京は全部今南へ下がっているんです。私が思うに、三井不動産は必死になって、神田に橋頭堡をつくっている。今度の超高層にしても。それで守り切れるかどうかというのは物すごく深刻なんです。それに比べると、森ビルなんて黙っていたって、みんな見に行くんですから。この努力の差は大きい。三井不動産の方がずっとほめられるべきかも知れませんね。で、森ビルは必然的流れで動ける。そして、三菱地所は真ん中で適当にチョロチョロしている。(笑)そういう図式なんです。
 ねらい目は中央区の横山町と千代田区の神田、東五軒町、秋葉原の南、この辺を新しい住宅地として生まれ変わらせるために、今の質の悪いオフィスビルをどういうふうに生かしてつくるかということです。
 ただ、僕はあまり楽観しません。冷たいことをいう人は、「伊藤さん、そんな鉛筆ビルの中途半端なものをそのままマンション街にすると金がかかってしようがないから、一番簡単のは壊して新築する方がいいんだよ」というんです。
 それもいいと思います。壊して新築する。多分これは冷酷なビジネスのそろばん勘定で、壊してマンションにしてそれなりの家賃をとった方が、今までの借金をしょってでも、その方が空き家率20%のオフィスビルの古いのを抱えるよりいいといことになれば、そういう方向に、家主さんだって、地主さんだって向かいますね。
 そういう再開発がこれからいっぱい出てくればいいかなと思っているんです。
 そんなことでよろしいでしょうか。
 ちょっと年とったので、物事を単純化する嫌いがあるんですが。こんなところで失礼します。(拍手)
 藤山
 お時間になりましたので、これをもちまして、第181回都市経営フォーラムを終わらせていただきます。(拍手)
 
 

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