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第190回都市経営フォーラム

ヨーロッパ都市再生の思想

講師:岡部 明子 氏

建築家・ジャーナリスト

日付:2003年10月23日(木)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

 

1.再生(ルネッサンス):再び生きる

2.ヨーロッパ都市再生の共通項

3.都市再生のバルセロナモデル

4.ヨーロッパ都市再生の成果と新たな課題


フリーディスカッション




 

 ただいまご紹介にあずかりました岡部明子と申します。きょうは、「ヨーロッパ都市再生の思想」と題しまして、お話しさせていただこうと思います。
(図1、2)
お手元に簡単なレジュメをご用意いたしております。きょうは、ヨーロッパ都市再生の思想につきまして、4つのことに焦点を当ててお話ししていこうと思います。
 1つ目は、「再生という言葉の意味」をまず考えてみます。2つ目が、「ヨーロッパ都市再生の共通項」。ここではEUレベルの都市政策を辿りながら考えてみたいと思います。3番目は、「都市再生のバルセロナモデル」。なぜバルセロナかというのは、後ほどもう少し話しますけれども、私がバルセロナに10年住んでいたというのが、ヨーロッパの都市再生に興味を持った最初のきっかけでした。ですから、バルセロナの例を挙げさせていただきたい。ただそれだけではなくて、バルセロナという都市は、ヨーロッパの都市再生の中でパイオニアのモデルとして頻繁に参照されております。最後に、「欧州都市再生の成果と新たな課題」。欧州都市再生はある程度成功はしたんだけれども、まだ課題が残っている。どのような課題があるのか。それを日本引きつけて考えてみたいと思います。



1.再生(ルネッサンス):再び生きる

(図3)
 それでは、まず最初の「再生」。これはフランス語のルネッサンス、イタリア語がもともとの言葉ですが、この再生という言葉の意味を改めて考えてみたいと思います。今私たちが都市再生ということを目をつぶって考えてみますと、まず脳裏に浮かぶのは六本木ヒルズであるとか、丸の内の再開発、汐留、品川といったものがめぐってくるという感じだと思います。何となく都心の超高層イコール都市再生というのが、経験的に日本の皆さんの中に定着したような気がいたします。でも、果たしてそうなんだろうかということをきょうは考えてみたいと思います。
 まず、お断りしておきたいんですが、私は決して超高層ビルを悪と決めつけてそれを排除したいと考えているのではありません。別によくもなければ悪くもない、ニュートラルな姿勢で超高層ビルというのをとらえています。
私は、六本木ヒルズのこけら落としの展覧会の企画を実際にお手伝いしました。森タワーの最上階で開催された「ザ・グローバル・シティ−世界都市展」です。ということで、超高層というものに関心を持っています。どちらかといえば懐疑的な関心かもしれませんが、興味は持っています。
 日本の都市再生は、そもそもどうして起こってきたのでしょうか。日本人というのは、ヨーロッパやアメリカの都市に比べて東京は見劣りすると思ってきたのではないかと思います。戦後、急場しのぎでバラックのような建物が次から次へとつくられてきまして、それが今、ちょうど更新時期を迎えているわけです。もうかなり前からそう言われていますけれども。この更新時期をうまく利用して、良質な都市ストックをつくっていかなければならない。そうすれば都市に自信が付く。都市に自信がつけば、きっと元気な日本がよみがえってくる――都市再生を支持しされている理由だろうと思います。
 これの裏を返しますと、器量のいい、美しいヨーロッパ都市に対するコンプレックスにほかなりません。コンプレックスを原点とするのは、大きな力にはなりますけれども、またその限界もあろうかと思います。私たちが日本の都市再生で参考にしてきた例は、非常に華々しいヨーロッパの都市再生であります。例を挙げますと、ロンドンであれば、ドックランズの再開発。あるいはベルリンのポツダム広場の再開発。東ドイツがドイツに統合されまして、ベルリンはヨーロッパの東の首都を標榜し、壮大な旧東ベルリン再開発に着手しますが、そのときの目玉のひとつがポツダム広場でした。これはソニーであるとか、ダイムラー・クライスラー、こうした多国籍企業の巨大な民間投資によりまして、再開発が実現し、大きな経済効果を上げた例としてもてはやされています。また、パリの、故ミッテラン政権下のグランプロジェです。日本の都市再生は、こうした事例を参考にしてきました。
 日本は、経済の低迷した時期にありまして、公共投資はもうこれ以上できないという状況に追い込まれていて、何とか民間投資をうまく活用して、経済を浮揚させ、しかも立派な都市につくり変えることはできないだろうかと、思案していました。ちょうどそのとき、こうしたヨーロッパの事例が大きな経済効果を上げたのを目の当たりにし、これはいいということで、日本の国策として取り上げられるようになったのではないかと思います。
 そういうお宝が欲しいがために、日本は都市再生に着手したといえます。つまり、経済効果を期待して都市再生に取り組んでいるわけです。それで本当にいいのでしょうか。都市再生は経済活性化の道具なのでしょうか。日本はどん欲に、お宝の方が欲しいがために、都市再生を1つの道具に使おうとしている。経済を活性化するための道具に使おうとしている。経済浮揚という課題が余りにも差し迫っているので、なりふり構わずに都市再生に走ったという経緯があると思います。
 でも、今こうして超高層を気前よくどんどんと建て行き、日本は元気だと空威張りしたところで、果たしてこれらの建物は、100年後東京の優良な都市ストックとなり、財産になっているでしょうか。ほとんどの方が、それはないであろうと薄々感じておられるのではないか思います。
 日本は、美しいヨーロッパ都市に対するコンプレックスに悩まされながら、ヨーロッパ都市再生のいいとこどりしようとして、道を急ぐ余りに、とんでもない泥沼にはまりかけているんではないかなという危惧を持たざるを得ません。 
 そこで、きょうは、日本が敢えて見ようとしてこなかったヨーロッパの都市再生の原点は何なのか。ヨーロッパの都市再生は、必ずしも経済効果をねらったものではなかったのです。では、何だったんだろうかということを考えてみたいと思います。
 都市再生、再生ということは再び生きると、再び命を得るということです。つまり、都市が死にかけているという認識がまずあったはずです。それを生き返らせなければいけない。都市が再び生きる、命を得る、元気に生きるためには、血の通った都市でなければいけないということになると思います。人間にとっての血は、都市にとっては何なんでしょう。お金でしょうか。今の日本の都市再生は、確かにお金が回るようにはしていると思います。それがねらいになっています。ただ、お金が回るようになったからといって、都市が生き返るかというと、それはきっと違う。では、交通渋滞を緩和することなのか。これも半分詰まった血管を広げてあげて流れをよくする。いいことではありましょうけれども、これで都市が生き返るということではないでしょう。都市に回っているべき血というのは、決して車でもなければお金でもない。では、何なのか。
 ヨーロッパが都市再生に取り組み出したのは、80年代に入ったころです。70年代後半ぐらいから意識が芽生えてきたわけです。このころ、何でヨーロッパの人たちは都市が死にそうだという危機感を持っていたのかといいますと、まちから人の姿がどんどん消えていくという認識でした。町の魅力というのは、広場や通りににぎわう人たちの姿に体現されますが、これがどういうわけか、どんどん減っていく。別に人口が減っているわけでもないのに、通りから人の姿が減っていくということ。これにヨーロッパの人たちは一様に危機感を募らせていったわけです。
(図4) 
 この写真はパリ郊外のサンクロードという町の同じ視点で撮った2枚の写真です。1つは、1910年のもの、もう1つは1970年のものです。この間に人通りが4分の1に減ったというふうに分析されています。60年の間に人通りが4分の1に減った、こういう状況がありました。
 これに対して、何とかしてもう一度、血の通う都市、都市に人が流れている状況を取り戻そうという試みが芽生えました。これが都市再生の原点だったのです。 
 人口は減ってないと申しましたけれども、では、何が都市から人を消していってしまったのか。いろいろ要因はありましょうが、ここでは主要なものとして2つ挙げました。1つはモータリゼーションです。車がふえたこと。もう1つはゾーニング。専門家の皆様相手に、私があえて説明することもないと思いますけれども、都市が機能別にゾーニングされたことによって、人が広場や通りにあまり繰り出さなくなってしまったということです。
(図5)
 これはスペインの日刊紙に、エルロットという名前で書かれている風刺画です。それぞれモータリゼーションとゾーニングを批判している2点を見つけてきました。まず、モータリゼーションの方からいきますと、歴史都市に車が爆弾のように落ちてくる様が描かれています。モータリゼーションとは、都市にとって空爆に匹敵する暴力的な出来事でした。もう1つは、ゾーニングです。ゾーニングによる都市計画手法が用いられ、郊外に労働者だけが集まり住み、他にこれといった機能のない、住むだけのための町が多くできました。特定の工場労働者が多く住まう郊外のこうした住宅地は、その後工場が閉鎖されたりしますと、失業者があふれ、犯罪の巣窟に豹変します。ミノル・ヤマサキの設計しましたセントルイスのプルート・イゴー集合住宅は、まさにこういう状況になって、再生する術を見出せずに、ダイナマイトで爆破されて壊されました。ミノル・ヤマサキは9・11テロで倒壊したWTCの設計者でもあります。今郊外には、地区としての崩壊に瀕している住宅地が多数あります。
(図6)
 モータリゼーションから脱する試みとはどんなものでしょうか。先ほどの風刺画にありましたように、モータリゼーションは旧市街に車という爆弾を雨のように降らせました。これはスペイン北部のオビエドという町の例です。市役所前の広場です。もともと車を予期していなかった町に、山のように車があふれるような状況になってしまいました。モータリゼーション以前、市役所前の広場といえば、人が集う場所だったんですけれども、それが車の駐車場と化してしまった。まず車を排除するだけで、町はこのように大きく変わります。脱モータリゼーションの一番の原点ともいえる一例です。
(図7)
 次にスケールアップした例を示していきます。これはデュッセルドルフのライン川沿いのエリアです。2キロメートルにわたりまして、川沿いの通過交通を排除しまして、歩行者、人が川岸にアクセスできるような空間に再生した例です。
 こうした小さな試みをスタートとしまして、それらが功を奏したのを見て、もう少し大きいプロジェクトも実現されるようになってきました。
 これはリヨンの例です。リヨンではメインの共和国通りを、南側の3分の2は歩行者専用にしまして、北側の3分の1の部分は歩行者と公共交通の併用とし、自家用車を大胆に排除しました。
 モータリゼーションから都市を人の手に取り戻すために、路面電車を導入したケースも多々あります。ストラスブールの路面電車は、なかでも有名な例です。全長12.5キロメートルの路面電車を導入しています。他に路面電車を要とした都市再生の例としまして、フランスのナントなどが挙げられます。路面電車以外にも脱モータリゼーションの試みはあります。大都市でいきますと、ロンドンでは、議事堂周辺の観光客の多く集まるところを歩行者専用の空間に再生しました。パリのシャンゼリゼ通りでは、歩道を拡幅しました。以前は歩道の幅が7メートルでしたが、これを21.5メートルに拡幅しまして、今まで車道にとめてあった車を地下駐車場に入れるという形で、モータリゼーションから都市を守ろうとしています。今一度モータリゼーションから都市を人の手に取り戻す試みが各地でおきています。
 以上、モータリゼーションの方は比較的話がシンプルでした。ゾーニングがどうして人をまちから追い出してしまったのか、脇へ追いやってしまったのかということの方は、もう少し話が込み入っております。ゾーニングは、実に巧妙な手口で人をまちから排除していきました。
(図8)
 これはイギリスの建築家のレオン・クリエという人の絵からとったものです。ゾーニング批判です。このように単機能のエリアが都市に出現することによって、人は、住んでいる場所からお買い物に行くのに別のエリアに車で行く。仕事に行くのにまた車で移動するというふうに、機能ごとに移動するようになります。下の絵はまちを人に例えて、ゾーニングされた都市がいかに人間的でないかを示しています。ゾーニングとは、目は目だけ集め、口は口だけ集め、耳は耳だけ集めるというような計画です。人間性をばらばらにするような都市をつくってしまった。人は移動に追われる生活になってしまいました。人は単機能のエリア間を移動するのに時間をとられ、生活機能は一揃いある小ぢんまりとしたエリアで生活できるような状況を奪われ、以前のように、その人にとって住もあり職もあり買い物もできる界隈、いつもいる界隈の広場で、ちょっとの時間にたむろするという行為、そんな余裕が減ってしまったのです。こうして、ゾーニングは、まちから人の姿を消すことに加担してきました。
 ゾーニングの悪影響が次第に明らかになるにしたがって、職住近接、用途混在のコンパクトな都市が見直されてきています。
(図9)
 第1部「都市再生の原点」についてまとめておきます。ヨーロッパ都市再生の例として、歩道を拡幅したり、路面電車を導入したり、あるいは幹線道路を地下化したりした例が、日本でもよく知られています。東京でも首都高速道路を地下化する話が動いています。あるいは用途混在のコンパクトな都市をつくるという手法も、ヨーロッパ都市再生の成功例として、よく参照されるようになりました。日本でもまじめに見習おうと取組みが始まっています。特に、路面電車の導入を検討している地方都市は非常に多くあります。
でも、これらの手法を実現すれば、魅力的な都市に再生できるかというと、これは必ずしもそうではない。今お話ししましたように、公共空間というものを人の手に取り戻す、そうしなければ、危機に瀕している都市を救うことができない。そうしたヨーロッパ都市再生の原点となる思想に目をつぶってしまい、再生の手法だけを忠実に実現しても、実はとんでもない正反対の方に向かうおそれがあるということを認識すべきではないかと思います。


2.ヨーロッパ都市再生の共通項

(図10)
 2番目に、「ヨーロッパ都市再生の共通項」とは何かを考えてみます。EUレベルの都市政策をヒントに、共通項を抽出してみたいと思います。まず、EUレベルの都市政策について簡単にご説明します。きょうは都市再生がテーマなので、EUレベルの都市政策というのはなかなか難しいというか、非常に複雑な仕組みになっていますので、十分にご説明することはできません。先ほどご案内いただきました本の方にEUレベルの都市政策については詳しく書いてありますので、もしご興味のおありの方はそちらを参照なさっていただきたいと思います。きょうは仕組みのところは飛ばしまして、エッセンスのところだけをお話しさせていただきたいと思います。
 ヨーロッパ都市再生の共通項としてここで3つ挙げました。1つは、ターゲットを疲弊地区に絞るということです。2つ目が、官官連携、市民との協働。3つ目が統合的アプローチ、一言でいえば人の生活まるごと再生するという視点です。
 では、EUレベルの都市政策というのを参照しながら、以上の3つの項目が一体どういうことを意味しているのか、具体的に考えていきたいと思います。
 EUレベルの都市政策といいましたが、制度上ひとつの部局として存在しているのではありません。「ありますか」と、欧州委員会の役人の方に聞くと、「都市政策は持ち合わせていません」というお答えが返ってきます。さまざまな縦割り政策の分野の中で都市に取り組んでいるということであって、決して都市政策というものを持っているわけではないのです。
 都市と関係ある多様な政策分野のうち、都市を意識した政策が際立っているのが、環境政策と地域政策です。都市に対してEUが関心を持ち出したのは1990年代に入ってからのことです。これには、2つの背景がありました。第1は、90年代に入り、1993年のマーストリヒト条約以降、通貨統合に向けて地域間の格差を低減していこうということで、EUレベルの政策が強化されていったことです。その時期に予算も充実したものですから、都市政策についても、大きな躍進が見られる時期でした。
(図11)
 第2の背景は、1992年のリオの地球環境サミット以降、環境問題に対する関心が高まったことです。これがEUレベルの都市政策を考える大きなきっかけになりました。地球規模でサステイナブルな発展を実現するために、EUは都市の役割に注目したのです。環境政策の面から都市に関して最終的にまとまった重要な成果が、左側にありますヨーロピアン・サステイナブル・シティーズと題したレポートです。これは1996年にできた報告書です。
 この報告書で特徴的なこととして、今日は2つの点を指摘したいと思います。1つは、統合的サステイナビリティの考え方が入っているということ。これは先ほど提示しました3つの共通項の中の最後に示しました「人の生活まるごと再生する」というの裏返しの言い方になるわけです。つまり、サステイナブルな発展を可能にするには、環境面だけのサステイナビリティを追求するのではなくて、環境に加えて経済と社会・文化、この3つの面を統合的にとらえアプローチすることが大切であるということです。この報告書では、統合的アプローチの重要性が明快に示されています。
 もう1つは、マーケットに対する考え方です。サステイナブルな発展を実現する手法として、アメリカとヨーロッパで大きく見解の分かれる点です。前クリントン大統領の時代に、当時のゴア副大統領が中心となり「サステイナブル・アメリカ」という提言をまとめています。ここではマーケットの力を最大限に利用して、サステイナビリティを高めていこうという考え方で貫かれています。市場に全幅の信頼を寄せるアメリカらしい発想です。これとは好対照をなして、EUレベルのサステイナブルシティの政策というのは、マーケットの限界を前提としています。マーケットの限界を補うためにサステイナブルシティ政策というのが必要である。マーケットに任せておくと、サステイナビリティが危ういという考え方がベースにあります。
 実はこうした路線に、微妙な変化が認められるようになりました。2000年を過ぎたあたりから、ヨーロッパもどちらかというと、より市場に期待してサステイナビリティを追求していく方向へと傾いています。都市からの関心も薄れていきます。この点は今日の文脈では枝葉ですので、これ以上深入りいたしません。
 他方、地域政策の面からは、1997年に「都市アジェンダに向けて」というドキュメントが出され、反響をよびました。地域政策総局は、地域開発向けの欧州基金を域内に再配分する役割を担っているところです。したがって、地域政策として都市を重視する姿勢を示したことは、単なる提言のレベルにとどまらず、金銭面を伴って地域開発助成のあり方に影響を与えることを意味します。この「都市アジェンダへ向けて」で、先ほどのゾーニングとの絡みでちょっと興味深いことは、近代的な都市計画のあり方、機能による用途地域指定というゾーニングのあり方を批判していて、職住近接、用途混在型の都市を志向すべきであるということがはっきりと明文化されております。
 もう1つ、「都市アジェンダへ向けて」の特徴としましては、より実践的な政策ドキュメントでありましたために、環境政策面からのバランスのとれた統合的なサステイナビリティとは少し異なり、ヨーロッパ共通の危急の課題である雇用のサステイナビリティの比重が高まっている点を指摘できます。
 ところで、なぜEUレベルで都市に取り組むことになったのでしょうか。都市問題は原則としてまず各自治体で対処すべきことです。また、国のレベルでも都市政策というものがあります。あるいは中間の地域のレベルでもあります。ヨーロッパの都市で、80年代、各都市のレベルでいろんな試行錯誤が重ねられてきましたが、結局中心の疲弊地区を救うことができなかったわけです。これはどうも各都市で取り組むだけではなくて、EUレベルで取り組むべき問題であろうという認識が高まって、EUが都市にフォーカスするという方針が支持されてきました。
(図12)
 これは、EU地域政策総局が中心になって実施した都市実態調査の中にある図です。EUの地域政策としては、地域間格差を是正するのが大きな仕事なわけです。ところが、この図を見ますと、都市間の格差よりも都市内の格差のほうが大きいことがわかります。この図は、ヨーロッパの主要都市における失業率を並べたものです。各都市の平均値が黒い四角で記されております。黒い四角のばらつきに、都市間の格差が反映されることになります。また青い縦線が、各都市の失業率の幅を示しています。どこの都市も、失業率の都市内格差が顕著で、ヨーロッパ都市が共通して抱える問題であることがわかります。各都市における取組みだけでは不十分で、ヨーロッパレベルで考えて取り組むべき問題であろうということになります。そこで、EUレベルで限られた予算ながら、疲弊地区に集中的に厚く投入し、疲弊地区問題の解決の糸口をさぐろうとしました。「疲弊地区に重点を置くこと」がEUレベルで取り組まれている都市再生の大きな考え方の1つです。
(図13)
 第2のヨーロッパ都市再生の共通項は、連携・協働の重視です。EUは補完性の原理を徹底させていますので、トップダウンで政策を決定する権限がありません。下位自治体である国・地域・地方との縦の連携軸が不可欠となります。補助行政においても下からの発案を上位が承認するプロセスをとっています。また、NPOなどの市民組織と地方行政体が横方向の協働関係をつくり、二人三脚で疲弊地区を再生させていくしくみが期待されています。主体的に動く市民団体の胎動が感じられるところに、EUは都市再生向けの補助金を優先的に投入しています。
 先ほど都市政策というものがEUには名目上ないと申しましたが、実態としてみれば、地域開発向け欧州基金のうち都市部に投入されている割合はかなり多いのです。地域開発向け欧州基金のうち大体半分ぐらいが都市部の開発助成に回っています。
 しかし、その大半が各国に再配分されており、EUレベルで都市再生の政策手段として位置づけられているものは、パイロット的な試みにとどまっています。
(図14)
 それが、URBANとUPPの2つの事業です。UPPというのは都市パイロット事業のことです。両事業とも試験的に行われたものです。1990年前後からUPPが2期実施され1999年に終了しています。そして、1期UPPを後追いするかたちで、予算規模が1ランク上の共同体主導URBANが2期行われ、現在2006年までの事業期間中にあります(欧州委員会の予算年度1期は6−7年間)。全部で210事業に対して、疲弊地区の再生のための助成を行ってきました。EU域内の都市の数をご参考までに申し上げておきますと、5万人以上の都市が500都市あります。そこから考えますと、210という数字は、かなりの都市がEUレベルの都市再生助成事業の対象になってきたことを表しています。
 こちらの地図の方に示されておりますように、2期にわたってもらっているところなどいろいろなケースがありますので、単純に満遍なく210都市というわけではありませんけれども、都市疲弊地区の再生に集中的投入されている例は、かなりあるとい考えてよいと思います。ただ、1都市当たりの補助金額は非常に低くて、UPPで200万ユーロ程度、URBANになると少し額が上がりますが、それでも1000万ユーロ程度のものです。
(図15)
 3番目の、EUレベルの都市政策の特徴といいますのが、人の生活まるごと再生するという考え方です。UPPやURBANの模範的な事業とされている例を幾つかご紹介します。例えば、この写真に出ているのは、ウィーンのURBANのプロジェクトです。失業者の雇用促進を兼ねて、壊れた洗濯機を直すしくみをつくるという事業です。これにより、疲弊地区に集まって居住する失業者の人たちの生活を再生させていく。家電製品を修理して再利用する割合を高め環境問題に寄与する。社会的なサステイナビリティと環境的なサステイナビリティの一石二鳥を狙い、ささやかながらその地区や都市の経済活動につなげていこうというプロジェクトです。つまり、失業者の多い疲弊地区に対して、サステイナビリティを指向して統合的にアプローチし、生活まるごと再生させていく試みです。
北部ポルトガルのオポルトでは、「雇用バス」といい動く職安ともいえるようなプロジェクトがあります。失業者が30%を超えるような疲弊地区にバスを走らせまして、一番問題のひどいスポットでバスを止め、そこで就職の相談にのるというプロジェクトです。
 あるいはドルトムンドの郊外の住宅地、先ほど問題にしましたような工場労働者が集まって住んでいた60年代にできた郊外住宅地です。ここも疲弊が非常にひどい地区だったんですが、地元の失業者を活用できるように、ゴミ収集とリサイクルの新システムを開発していきました。
 統合的なアプローチというのは、経済、社会、文化的な問題と、移民問題、それと環境問題、3つセットで回していくような、そうした形である1つの地区を再生していくという考え方です。
 (図16)
 2番目の「ヨーロッパ都市再生の共通項」についてまとめます。EUレベルでは、都市再生を必ず疲弊地区に絞り、社会的に問題のある人たちをターゲットとして、そしてその地区をまるごと再生していくというような取組みであることがおわかりいただけたと思います。
 もちろん、そんなことはないだろうとお考えの方はいらっしゃると思います。確かに、ヨーロッパで都市再生というと、こうした例ばかりではなくて、もっと華々しい事業が幾つもあります。民間主導の都市再生はともかく、公共政策としてテコ入れすべき都市再生に限るなら、ここまでお話したことはそう間違ってはいないと思います。
 特にEUレベルで、予算が限られ、目に見える成果を上げたいときに、必ずその都市の疲弊地区に絞り、マーケットに見捨てられるところの再生をしていく、そういう考え方がEUレベルの都市政策では貫かれています。
 ただ、ヨーロッパで都市再生がこれだけ大きなうねりになっているということは、単にそうした社会的正義でもって都市再生が行われているからではないということでもあります。都市のショーウインドーとなる広場や通りがにぎわってくれれば、都市の魅力が高まり、都市の経済競争力が増していきます。それは経済界にとっても大きな魅力です。ヨーロッパの中で都市間競争が激しくなる中で、都市で経済活動をする人たち共通の願いです。
 また、もう1つ、古きよきヨーロッパ都市に対するノスタルジーをくすぐるものでもあります。先ほどゾーニング批判の話をしましたが、ゾーニング批判というのは、それ以前の都市、つまり、19世紀型の都市、様式建築が建ち並ぶような都市を再評価することでもあります。
 このように経済界の望むこと、市民の古きよきヨーロッパへの郷愁などを戦略的にうまく公共が取り込んで、都市再生の大きなうねりへと育てているのです。その戦略的なうまさというものも評価すべきではないかと思います。



3.都市再生のバルセロナモデル

(図17)
 では、3番目の「都市再生のバルセロナモデル」の話に入ります。
 私は、日本で建築の勉強をしまして、学部を出てすぐバルセロナに行きました。バルセロナで当時、1992年のオリンピックのスポーツホールの仕事を磯崎新さんがなさっていて、そのチームに合流してバルセロナに行ったわけです。当時の私は、ともかく設計が好きな人間で、「設計ばか」なところがありました。
 そういう人間がどうして、こんな「EUレベルの都市政策」であるとか、都市再生の本質なんていうのを考えるようになったか、不思議に思われると思います。それは、たまたま行った先がバルセロナだったことが非常に大きく影響していると思います。
 当時バルセロナは都市再生の最もパイオニアのおもしろい都市だったわけです。パスクアル・マラガルというすぐれた市長さんが出まして、オリンピックに向けて町全体が都市再生の事業に取り組んでいましした。私は、にわか市民でしかなかったんですけれども、市民の1人として都市再生事業を協働してやっているという気分になっていったわけです。週末になりますと、家族とともに、都市再生の工事現場に遊びに行きます。そうすると、多くの市民が来ているんです。その工事現場を見ながらみんないろんな話をしている。家族で議論しているのです。都市がどうなる、ああなるということがお茶飲み話に出てきます。いや応なしに都市再生に興味を持つようになっていたわけです。
 日本に帰ってきて、目下都市再生の只中にます。都市規模が全然違うとはいえ、バルセロナの何百倍というスケールのお金が動いて都市再生が行われているのに、どうも身近な感じがない。あのバルセロナで、よそ者でもワクワクするような都市再生があったのに、ここ東京にいて都市再生をエキサイティングに楽しめないのはあまりにももったいないなという感じを正直持っております。そんなわけで、私はこうした問題に興味を持つようになりました。私にとっての原点ともいえます都市再生のバルセロナモデルについて、ちょっと具体的にお話をさせていただきたいと思います。
 モデルにすることを当初からいとしたわけではなく、バルセロナ・モデルという呼称は後付け。バルセロナモデルといわれていることを知ったのは日本に帰ってきてからです。私は85年から95年までバルセロナにいましたが、95年に帰ってきてからのことでした。
 イギリスの建築家のリチャード・ロジャースさんがロンドン再生を考えるのにバルセロナを手本としたとも言われていますが、「バルセロナ・モデル」とはどうやら外国でついた名前のようです。
 実は私、この9月にバルセロナを訪れ、疲弊地区再生の調査をしてきました。「バルセロナモデルについて聞きたいんだけど」というと、「あなたはバルセロナモデルをどういうふうに定義するんですか」と、逆に質問される始末でした。バルセロナモデルというのは非常に幅広い意味で使われ、都市再生に関連することなら何でもバルセロナモデルにあやかってしまおうというちゃっかりしたところがあります。
 バルセロナモデルについて、きょうは4点に整理してお話をします。1つは、先ほど疲弊地区にターゲットを絞るというEUレベルの都市政策の話をいたしましたけれども、バルセロナの場合にも都心のブラックホールをターゲットに絞っています。 それから、バルセロナモデルでよくいわれることが、戦略的に公共空間を再生するというやり方です。都市計画というのは一般的に、大枠を決めてそれをブレイクダウンしていくというのが今まで信じられてきた手法でした。バルセロナモデルでよくいわれるのは、「全体から部分へ」ではなく「部分から全体へ」という逆のアプローチです。
 もう1つは、市民参加、ここでは「螺旋形市民参加のダイナミズム」と書きましたけれども、市民参加が螺旋のように発展してきているような印象を私は受けています。
(図18)
 4つ目が、用途混在と職住近接ということです。これは1859年にセルダというエンジニアが都市計画をしたときの図面です。私はバルセロナの紹介をするときに必ずこの地図を使うんです。といいますのは、非常にわかりやすい。セルダの計画したこの碁盤の目の市街地が山手線の内側にすっぽり入るぐらいのスケールです。現在碁盤の目の外に広がる新興市街地の外を環状道路が回っています。環状道路が一周32キロぐらいです。スケールをつかむ助けにしていただければさいわいです。都心のブラックホールといいますのは、旧市街のことで、この部分です。きょうお話ししますのは、1つは、旧市街の中でも疲弊のひどいラバル地区再生についてです。バルセロナに行かれた方はランブラス通りを必ず通っていると思います。カタルーニャ広場から海に下る通りですね。海から見てランブラス通りの左側半分がラバル地区です。この地区の話を都心の疲弊地区の例として1つお話しします。ここでどうやって公共空間をつくり出していったかを追ってみます。
(図19)
 もう1つは、ここら辺の話で、これは碁盤の目の市街地の中のように見えますが、実は町工場と住宅が混在していたところです。ここで、町工場が郊外に移転するなど斜陽に陥った地区をクリアランスせずに、職住近接と用途混在の都市へ、どう段階的にシフトさせようとしているかというお話をします。
 まずは、都心のブラックホールのお話の方からです。ヨーロッパの都市はどこでも、産業革命以前にできた都市部というのは、狭い道が張り巡らされこういう状況です。馬車が一般の交通システムの中に入ってくる前、徒歩が基本的な都市内の交通手段だったところに形成された市街地で、このような狭い道で、非常に人口密度が高く、居住環境の悪いエリアです。
 都市観光で訪れると、こういう細い道というのは、古くてなかなかいい環境だなと思われるでしょうが、実際に住むとなると楽ではありません。観光で訪れるのは、特筆すべき歴史的価値のあるほんの一角に過ぎません。そのすぐ隣に、所得水準の低い人たち、失業者、移民が集住する疲弊地区を、大方のヨーロッパ都市が抱えています。ただ、この古い地区を、近代以降、壊してしまった都市も結構あります。オースマンのパリ大改造は、古い市街地に切り込んでブールヴァールを通した例です。
 特に大都市では、ロンドンなど、市壁に囲まれていたころの市街地が部分的にしか残っていないケースが多く見られます。そんななかで、バルセロナはちょっと変わっていて、200万規模の都市なんですけれども、こうした旧市街がほとんど手つかずのまま残されていたケースです。都市の形成史を辿るのに、すごくわかりやすい都市になっています。
 こうした居住環境の悪いところが、社会的にも多重の問題を抱え、ヨーロッパ都市で都市再生のターゲットとなっている疲弊地区です。バルセロナは、疲弊地区に戦略的に公共空間を創出することによって再生を図りました。
 では、どうやって公共空間をつくっていくのか。これは公共空間を創出した最も原点といえるような例ですね。つまり、建て込んでいる稠密な市街地の中で、クオリティの低い建物を壊しまして、そこに小さな辻広場をつくる。その近所のカフェにテラス席を出してもらう。そうすると、ここに人の集まりができる。建物を新しくつくるのではなく、逆に既存建物を引き算して公共空間を穿ち、都市を再生しようという戦略です。
 こうした逆転の発想がバルセロナで生まれた背景には、財政的な制約がありました。バルセロナの特殊事情です。1978年までフランコ独裁体制がスペインでは続いていました。その間、公共事業といえるものが、マドリード以外の地方の都市ではほとんど行われませんでした。一部の郊外住宅で、フランコ政権と癒着した業者だけが開発を行うというような乱開発の時代で、いわゆる公共事業といわれるようなものはほとんど行われていなかったわけです。民主化に移行して、地方の自治体は、都市政策の権限を急に持たされるんですけれども、民主化すぐの混乱期には財源が全くない。ただし、フランコの独裁体制が途絶えますので、それまでの監視の目というのは手薄くなって、治安がものすごく悪化するわけです。都市は何とかしなきゃいけない。お金はないけれども、何かしなきゃいけない。すぐ手を打たなきゃいけないということで、苦肉の策として、こうした手法で公共空間を創出していったわけです。
(図20)
 ここでバルセロナを一度離れ、「公共空間をつくる」ということについて少し考えてみたいと思います。都市という複合体を社会資本ととらえる考え方があります。私たちは、道路などのインフラを通常社会資本と呼んでいます。その延長で、都市という社会資本をとらえようとすると、街路から個々の建物まで、多様な建造物の蓄積が都市という社会資本を構成していると考えられます。つまり、直感的に言えば、立派な建物があれば、社会資本としての価値が充実した都市であると、私たちは考えているような気がします。ここでは、その認識を反転させてみます。
 これは街路の断面です。常識的には、道路という社会資本、建物という社会資本、これの加算でもって都市という社会資本価値をとらえるようとします。これを反転させると、こうした構築物によって生み出されるCという空間の方を社会資本ととらえることができます。ここで、空間の方を社会資本ととらえて、先ほど紹介したバルセロナの公共空間整備に解釈を加えてみようと思います。 
(図21)
 まずは抽象的な言い方をしましたが、1つおもしろい例を紹介します。空間を整備したといえる例、というよりは空間をつくるとはどういうことなのか考えさせられるプロジェクトだなと思ったのが、このドミニク・ペローのパリのフランス大図書館です。これはコンペで実施案に決まったもので、グランプロジェの最後を飾る大プロジェクトだったわけです。若いドミニク・ペローという建築家に対して、建築界の風当たりは比較的強かったんです。図書館だからといって、本を半開きにした建物を4つ建てるというかなり稚拙なアイデアだという批判も出ました。
 私が彼に会って話を聞いたときに、おもしろいなと思ったのは、アメリカ型の現代都市開発に対抗する、対峙するという意識が彼の中にはっきりあったことです。アメリカの都市というのは大きいビルをいっぱい建てることによって、都市の威信を振りかざす。それに対してヨーロッパの都市は空間の方に価値があるんだという考え方です。広場とか通りが連鎖していくところに都市の魅力がある。だから、それを現代的な形でつくるとどうなるのか。例えば、パリでもデファンスの開発を見ますと、あれはアメリカ型の開発だ。高いビルをいっぱい建てた。そうではなくて、大図書館では空間の方をつくろうとした。今の現代都市に合ったスケールの空間をつくるということはできないか。そういう試みだったと説明してくれました。苦し紛れな説明でないとは言い切れませんが、結構シンプルでわかりやすいなと私は思いました。彼は都市に四角い普通の森をつくりたかったんだというんですね。そのためにかぎ括弧の形で4つ建物を建てた。建物をつくるより四角い森を都市につくりたかった。まさに空間の方をつくりたかったということをいっていました。
(図22)
 都市の社会資本をどう認識しているのか、如実に語っているのが地図です。吉祥寺駅周辺の国土地理院の1万分の1の地形図の例です。ちょうどいい規模だったので、たまたま吉祥寺の地図です。この地図を見ると、都市がすべて物の重ね合わせで認識されているのがひと目でわかります。建物は全部赤で描かれていますが、より高い建物はより濃く輪郭もはっきりと、住宅など小さいものは薄く、積み重ねのようにして地図がつくられています。これが私たちの都市認識です。
 日本の地図の場合は、地が白で、図として建物であるとか道がそ白い地の上に重層するかたちで認識されています。これを地と図を反転させて認識するとどうなるでしょう。建物の方が地になって、空間の方が浮かび上がってくる。空間を染め抜くような地図が描けます。ノッリのローマ地図がまさにそうした認識で、パブリックにアクセス可能なところがすべて白く抜けているわけです。
 構築物を図ととらえる都市認識に立てば、都市という社会資本を整備するためにはより多くつくり込んでいくことになります。他方、ノッリの地図のように空間を図ととらえる都市認識に立てば、高密度な既成市街地の場合、建物を壊し空間を増やしていくことが、都市という社会資本を整備することにつながるという考え方ができます。
(図23)
 これはバルセロナで最も疲弊した地区ラバル地区再生計画の例です。左の図が1980年に書かれた計画図です。赤い四角がある方の図です。これは明らかにノリのローマ地図の描き方を参照にして描いていることがわかります。パブリックアクセス不能な部分が黒く塗りつぶされていて、だれでも行けるところが白抜きになっているという地図です。
 こうした稠密な市街地に、より空間をふやすことによって都市の価値を高められるのではないか。それがバルセロナの都市再生の手法です。ラバル地区は、全体的に歴史地区のなかでは良質な都市ストックとはいえないような建物が多いエリアです。このエリアの再生事業核となる施設として、現代美術館とその裏に現代文化センターが整備されました。
(図24)
 これがリチャード・マイヤー設計の新築の現代美術館の方です。こっちがもとの慈善施設を改修しました現代文化センターです。リチャード・マイヤーというのはなぜかヨーロッパの市長さんにはすごく人気のある建築家です。市長さんはやっぱり自分の任期中に1つはリチャード・マイヤーの建物をつくりたいというぐらい、なぜか人気があるんです。リチャード・マイヤーにこの現代美術館をつくらせたのはどうなのか。もちろん、これら施設整備がよかったか悪かったかというのは個人の好みの問題ですので、バルセロナの中でも賛否両論あります。
 目玉施設の整備以上に重要なのは、建物の一部分を壊して、ここの旧市街にはないような大きなスケールの広場をつくったということです。この白い建物がいいか悪いかはよくわからないけれども、この前にいろんな人が集う広場ができたということを市民は一様に歓迎しています。また、専門家の間でも非常に評判がいいです。これがラバル地区の公共空間をどうつくっていったかというのを空から見た写真です。裏が現代美術館になります。
(図25)
 バルセロナは、このように公共空間と文化施設を戦略的に挿入することによって、わずかな公共投資でその波及効果で地区全体を再生していこうという戦略を立て、着実に実践してきました。実際この9月に訪れたのですが、このエリアはかなり変わっていました。このラバル地区というのは、私が最初に行った80年代のころは、人に注意されまして、車で通り抜けるときにも必ず窓を閉めて通るようにといわれたような危ないエリアでした。バルセロナ市民さえほとんど行かない。ここに住んでいる人しかいないという状況でした。失業者と経済力のない高齢者、あとは移民、当時はモロッコ系の移民が非常に多かったエリアですが、近年パキスタン系移民が急増しているそうです。売春、犯罪、麻薬など複合的な社会問題を抱えていた典型的な疲弊地区の例でした。
 それが今では、現代美術館が吸引力を発揮して、ランブラス通りからかなり観光客が入ってくるようになりました。文化で都市を再生するという試みに確実に成功しつつあるなという感触を得ました。特に現代美術館から伸びるこの道沿いには、創作料理というか、ニューデザインの料理を出すようなレストランが5〜6軒できていて、びっくりしました。この近くにバルセロナ一の老舗生鮮市場ボケリアがありますが、この市場の裏と現代美術館をつなぐエリアが、ニューデザインと新しい食文化が融合したようなおもしろい文化が芽生えそうな胎動を感じました。疲弊地区が躍動感のある都市に再生されていく実感がありました。
 疲弊地区を対象としたバルセロナ公共空間政策は、建築家オリオル・ボイーガスが中心になって提唱したものです。都市計画の関係の方は恐らくご存じだと思いますが、彼は、バルセロナの都市再生をリードした活動家であり建築家です。彼は、この発想を「部分から全体へ」というコンセプトで説明しています。全体をまず計画してブレークダウンしていくんじゃなくて、部分をきちんと設計することによって全体に大きく波及する、全体を変えていく力にしていく、そういう戦略的都市介入です。
 これに対して、バルセロナの都市計画に携わっている人たちのなかには、ボイーガスのプロパガンダ的説明だと批判的な見方をする人もいます。というのは全体計画なくして、部分はうまく戦略的には機能しないというのです。双方の言い分を聞いてみますと、結局、全体と部分が両輪になって進んでこそ部分の戦略性というのは生きてくるといえるのではないかと思います。
 部分から全体へといいますと、日本の都市はいい意味でも悪い意味でも、全体計画というのがありながらそれほど機能しないわけですから、実際は部分から全体へつながっていく可能性があるのに、部分の集積で終わっているというのが今の日本の都市の状況じゃないかと思うんです。やっぱりバルセロナでうまくいったというのは、いつも全体の理念、都市を全体としてどういう方向に持っていくかという理念がありなから、部分の方に全体を実現していくための戦略性を持たせていったためだと思われます。全体と部分の対話とでもいいましょうか、そういうのが求められているのではないか、それが日本の都市再生には欠けているのではないかと考えさせられます。
(図26)
 次は、市民参加の話です。先ほどバルセロナでは、フランコ独裁が70年代後半まで続いたという特殊事情があるといいましたけれども、それは市民参加の面でも非常に特殊な事情となっています。フランコ体制末期の市民運動が、フランスの学生運動などと連動しながら進んでいったわけです。フランコ体制が終焉し、亡命先で活動していた人たちが集結し、民主化後の体制側のリーダーとなっていきます。市の主な都市計画の役人というのは、フランコ末期に市民運動のリーダーたちだった人たちです。この人たちが今度は行政の側に回ったことで、市民運動は停滞したように見える時期が続きました。
 その後新たな展開があったのかどうか、どう変わってきたのか、興味があり、今回バルセロナで少し調べてみました。そうしましたら、このラバル地区で1つおもしろい組織を見つけました。それがトット・ラバル財団です。これは多様な市民活動をコーディネートするプラットホームをつくろうという動きです。このラバル地区に円を持ちいろんな活動をしている人たち、慈善事業など社会活動をしている人たちであるとか、移民ネットワーク、あるいは商店街、市場組合など、いろんな組織があるわけです。この狭いエリアに、2〜3人のグループまで含めてですけれども、100近い組織がかかわっているそうです。だけども、お隣同士どういう活動をしているかわからないというのが現状でした。
 日本でもNPO活動が盛んになってきて、それをコーディネートしたり、行政とどうリンケージさせていくかというのが今大きな課題になっていますけれども、トット・ラバルというプラットフォームは大いに示唆に富むものです。そのプラットホーム自体は、市民活動の多様なグループと競合しないように、決して活動はしません。このエリアに関係するNPOの人たちをお互い知り合えるようなプラットホームをつくることに徹しています。
 プラットフォームをつくっただけで、いろいろとおもしろい事業が展開されていました。1例を挙げますと、若者の失業者が多いわけですけれども、そういう人たちと市場の組合の人たちが知り合う機会が生まれ、市場で働く場所を得た人がいました。また、このプラットホームは、市民活動主体と行政や企業とを上手に仲介しています。例えば、女性の雇用促進のための活動をしている組織とアパレルメーカーのザラをお見合いさせています。ザラは、グローバル市場で急成長中のスペインのアパレルメーカーです。日本にも複数店舗を出していますね。この勢いのある企業を女性の雇用促進活動とうまくつなぎまして、女性の職業訓練をザラの服の直しの担い手として活用するしくみです。もしこれが軌道に乗れば、別のアパレルメーカーにも広めようとしています。急成長する企業が、社会的責任をコストととらえて金銭的な寄付で果たす考え方を超えて、企業の本業に社会的責任を果たすシステムを組み入れる発想です。
 ラバル地区には、低所得者層が多く住んでおりますが、彼らと背中合わせで同地区にオペラ劇場があります。この地区に住んでいる人のほとんどはオペラ劇場に行ったことがないわけです。行ったことのない人たちに一生に一度ぐらいはオペラを鑑賞できるようにしてあげたいしてということで、トッツ・ラバルが動きました。1興行につき100席を地区住民のために確保することに成功しました。
 これもお慈悲で劇場から100席いただくというやり方ではなくて、オペラ劇場というのは古い階級制度のもとにありますので、それぞれ元貴族だった人たちの世襲会員の共同所有になっています。こうした人たちは自分たちの持ち席を持っています。ところが、毎回興行には行かないわけです。その余った、行かないときの分を貸していただく、そういうやり方をして、実際、お金を動かさずに、うまくアイディアを実現させていく。ネットワークをつくることによって、何も経済活動自体は変わってないのだけれども、より豊かさを高めていくことにトット・ラバルがうまく誘導しています。
 その巧妙さにすっかり感心しました。何でこんなことができるのかと思って、ディレクターの人の話を聞いていました。ディレクターの人は、ラバル地区にあるロメアという小さい劇場のディレクターを兼務している人で、人をひきこむ力のある方でした。彼は実は20年間行政の人でした。バルセロナ市の社会福祉局長と文化局長を歴任し、前の市長さんがやめたときに役所をやめて、ロメア財団を立ち上げ、2年前にこのトット・ラバルを始めたそうです。さすがに行政の手法やクセを知り尽くしているだけあって、行政とのリンケージもうまい。決して敵対するわけではなく、パートナーシップでうまく進めるコアの役を見事に果たしています。こういう人がいると、群雄割拠の市民活動も大きなうねりに育っていきます。
  ラバル地区再生については、以上です。
(図27)
 バルセロナのもう1つの地区再生の話に移ります。用途混在と職住近接のまちにグラデュアルに移行させる試みについてです。左の図は、先ほどセルダ都市計画図でご説明しました碁盤の目の市街地にズームした写真です。コルビジェに代表されるモダニズムが国際的な潮流となる以前に計画された19世紀型の市街地です。様式建築が形態的なルールに則って建ち並んでいます。モダニズム以降のいわゆるフリースタンディングの敷地建物が開いた街区を形成しているのとは異なり、閉じた街区を形成していています。通りに面して建物がきちんと並んでいて、中庭がある、こういう街区構成で、大体7〜8階建ての建物が街区の四周を囲むというふうになっています。
 こうしたまちが近代以降今日まで主流となっているゾーニングベースのまちに対して再評価されているわけです。1階にはお店があり、その上の階にオフィスがあって、もっと上の階には住まいがあります。形態的には自由度の少ない19世紀型都市が、用途混在を百年を越えて持続してきたことの価値が、機能別ゾーニングの問題が露呈する今日、見直されるようになったのです。19世紀型都市の持つの用途混在、職住近接の魅力を、単なるノスタルジーの対象に終わらせず、これからの都市にどう生かしていくかが課題です。現在進行中の興味深い例を1つ紹介させていただきます。
 対象となっているは、この辺のエリアです。先ほどの碁盤の目の計画図では、しっかりときれいな碁盤の目になっておりましたけれども、この空中写真を見ていただきますと、碁盤の目のパターンが少し磨耗したように見えます。ここにはもともとセルダ拡張以前のバルセロナ市の外に位置していた町がありました。その町をよりどころにして、産業革命以降、工場が建てれました。バルセロナのマンチェスターといわれた繊維中心の工場地帯になりました。碁盤の目の市街地は、住宅の比重の高いまちとなることを想定していましたが、このエリアでは既存の集落に工場が重なったために、しっかりとした碁盤の目の市街地にはなり切らなかったのです。その後、工場自体は外に移転してしまったり、国際競争に負けて閉鎖するものも多く出て、工場地帯としては衰退してゆきました。ここをどう再生していくか、ということです。そこで、職住近接、用途混在の碁盤の目の都市が持っている長所を生かして再生することが試みられたのです。
(図28)
 19世紀型市街地が今なぜ評価されているのか、もう少し考えてみたいと思います。これは1853年のパリの典型的な建物の断面を描いたものです。いろんな階層の人たちが縦方向に住んでいるようすがよく描かれています。この時代の建物は1階がお店になっていて、2階が建物の所有者、つまり金持ちの人が住んでいる。3階以上を住まいとして人に貸すという構成になっていました。階級社会だった当時、このようなまちでは、ひとつの建物に多様な人たち、多様な階級の人たちが住んでいます。その人たちが通りに出たり、広場に出たりすると、そこには多様な人たちの交わりが生じていました。まちの広場や通りが、豊かな多様性のある公共空間になっていたことが、最近見直されるようになってきております。第1の例として挙げましたラバル地区の美術館前広場に通じる公共空間の考え方です。
 こうした19世紀型都市の持っていた長所を、今新しく整備する都市計画にも取り入れようする動きが目立っています。住宅機能だけを提供してきた郊外住宅地に対する反省です。また、都市再生でも、19世紀型都市の長所を取り入れた例があります。一番有名な例でと、旧東ベルリンの再開発です。ポール・クライフスが中心になってやりました再開発で、19世紀型市街地ほとんど消滅していたところに、かつてあった昔のこうした閉じた街区を再現する再開発を行いました。1階に店舗が入り、2階以上をオフィスとと住宅が混在するまちです。そして、このまちに住む人、働く人、訪れる人、など、多様な人たちの交わるにぎわいを、東側時代にさびれたまちの通りや広場に復活させようとしました。
(図29)
 バルセロナの旧工場地帯の再生の話に戻ります。ここでは、もともと古い集落があったところに工場が入ってきて、しかも碁盤の目の都市計画が一応はなされていたという、非常に重層したごちゃごちゃした市街地になっていました。都心に近い立地ですから再開発は容易です。ここを再生するのに、普通であったら、クリアランス型の再開発を選択しても全然おかしくないエリアです。しかし、この地区再生のユニークなところは、逆にごちゃごちゃいろいろあったという状況を逆手にとりまして、今再評価されている用途混在、職住近接の町へとグラデュアルに、決してクリアランスせずに、少しずつ再生させようと試みられていることです。
 実はこのエリアは1978年の都市計画基準が定められたときに、工業専用地域に指定されたわけです。この再生プロジェクトは22@という名がつけられています。工業専用地域のゾーニング上の指定のコードは、22aです。工業専用地域に指定されてはいましたが、既存集落に住んできた人たちはそのまま住み続けました。都市計画基準が導入されて以後も、まだ住宅は残っていたわけです。22@プロジェクトに着手する時点で4600戸の住宅が既存不適格という形で、工業専用地域に残っていました。他方、工場撤退が相次ぎ、工業専用地域の指定は現状に合わなくなっていました。
 そこで、都市計画によるゾーニング指定のコード番号を変えまして、22@というゾーニングコードを新設しました。これは90年代の後半ですから、@というのから十分想像できますように、ITブームのときにITの先端企業を誘致しようという腹が読めるわけです。IT産業を誘致しつつ、彼らにとって職住近接の魅力的な都市をつくることによって、ヨーロッパの中でIT産業誘致で競争が激化している状況の中で、都市的な魅力でもって多くの産業を誘致しようという政策だったわけです。
 この22@は、今あるものを壊さずに少しずつ、立ち退きをさせずに変えていこう、もともと工場だったところは違う工場に再生し、住宅のところはそのまま残していくという、穏やかな再生です。ただし、住宅もふやし、雇用もふやせるようにするということで、住宅は4600戸もともとあったところに加えて、5600戸新規建設を誘導しています。そのうち賃貸率を15%と定めて、IT技術者などグローバルに動く人たちが短期に賃貸で住みやすくし、ここで職住近接で仕事ができる環境をつくろうということを考えました。
 雇用面では、プロジェクトの前に3万人ありましたが10万人に増えることが謳われています。より集積を高めるために、ここで手法として導入されたのが、容積率緩和です。もともと容積率200%だったところ、22@に指定を変えたのに合わせて、一律220%に容積率を上げました。IT関連の産業と文化関連の施設が入る場合には、さらに容積率の緩和がありまして、270%まで認められます。知的集積をここに強化するという戦略でした。
(図30,31)
 では、具体的にどうやって今ある建物や人々の営みを活かしながら再生していこうとしているのか、フィジカルな面を少しご紹介します。もともとはロの字型の閉じた街区が中途半端につくられていたエリアです。ロの字型を形成する通りに面した既存建物は、高さの揃った街並みを維持し、オフィスなどに活用してゆきます。また、ロの字型街区の中庭のより静かな環境に緑を充実させ、そこに高層の住宅を建てるなど、19世紀型よりいろんな可能性を許容しています。これが概念図です。今あるものをなるべく生かして多様だけれど秩序のあるまちをつくっていく。これは本当に概念的なモデルですけれども、茶色いのが古い建物で、銀色に光っているのが新しい建物です。古い建物をそのまま残して基本的には絶対高さ制限のかかっている碁盤の目の市街地を秩序のベースとしながら、通りに面していない中庭に高層を許すなどして高密度な都市をつくり込んでいくという計画で現在進んでいます。
(図32)
 以上、バルセロナで今一番評判のいい事業を2つご紹介いたしました。1つは、「ラバル地区」旧市街の再生。もう1つは、一時工場地帯となった碁盤の目の地区をグラデュアルに職住近接、用途混在の現代に合うような形の都市へと再生する「22@」プロジェクトでした。
(図33)
 今日は、このバルセロナの都市再生、あるいはヨーロッパ一般の都市再生から学ぶべき点を2つ指摘したいと思います。1つは、経済がよくなれば、人の生活はよくなるという考え方は、どうも逆かもしれないということです。人の生活がよくなれば、経済がついてくる。経済が先なのか、人が先なのか。都市再生を考えるときに人の生活の方を先に考えて、その後に経済がついてくるものだという方向性が、ヨーロッパの都市再生では、試行錯誤の中から出てきたような気がします。
 多くの場合、経済先行で再生していって、うまくいかなかった、そうした失敗の経験の積み重ねから、逆に考える。人の再生をすることによって経済がついてくるという発想に転換してきたといえます。これがヨーロッパの都市再生から日本が学ぶべき第1の点です。
 もう1点は、クリアランス型のフィジカルな再開発を先行しても都市再生は失敗するという教訓です。バルセロナの都市再生のときに非常に重要な思想的なバックになってきたのが、社会学者のマニュエル・カステルだと私は思います。このことはなぜかバルセロナではあまりいわれないんですけれども、ご存じのように、彼は有名な社会学者です。彼はフランスにおける都市再生、都市再開発に対抗する市民運動に自ら関わることで、多くの本質的な考察を導き出しています。パリでは、クリアランス型の再開発が60年代、70年代に強引に行われました。その1例としまして、パリのシテー・ド・プープルという地区の再開発があります。ここをターゲットに市がかなり強権的にクリアランス型の再開発を行っているわけです。カステルは、何でそういうことが起きたかを分析しています。彼によると、そこの地区がパリの中で物理的に特に荒廃がひどかったわけではなかったわけではなかったといいます。疲弊地区を再生することが主眼ではなくて、隣に立派なビジネス・ディストリクトをつくりたい、そこの隣に高級住宅地があってほしい、そうした要請からなされたことでしかなかったと分析しています。
 結果的に、再開発地区から排除された人たちは、また別の疲弊地区をつくります。そういうことを経験から学びまして、再生しようとするときは、「同じ場所、あるいはその近くの別の建物への再居住が適正家賃でかなうこと」という原則を導き出しています。もう1つは、「改修して生かせる既存建物は活用する」。これがヨーロッパ都市再生、特に疲弊地区再生を支えている考え方です。バルセロナの場合でも、ラバル地区でまず広場をつくるために建物を幾つか壊しました。この壊したところに住んでいた人を同じ地区に再居住させるために細心の注意を払っています。修復した最寄の建物に再居住できるようにしたり、同地区に建替えでソーシャルハウジングをつくり、同じ家賃で再び住めるようにするなど、丁寧に手当てしてきました。
 にもかかわらず、現代美術館周辺では、疲弊地区問題が和らぐにつれてジェントリフィケーションの兆候が指摘されています。バルセロナは魅力的な町です。特にアーチストにとっては、旧市街はピカソ美術館が近くにあったりして、あこがれの町です。ヨーロッパだけでなく、全世界、日本人を含めてですけれども、お金持ちのアーチストが移住してたり、セカンドハウス用に家を求めたりするようになりました。そして、その地区の物価が上がり、家賃も上がってきています。今アメリカ大都市で大変問題にされているようなジェントリフィケーションに近いことが全く起きていないとはいえません。
 このように課題はありますが、都市再生とそこの地区に住んでいる人たちを移民を含めてまるごと再生させていくことだとという基本的な考え方は揺らいでいません。



4.ヨーロッパ都市再生の成果と新たな課題

(図34)
 このようにヨーロッパの都市の再生は、かなりな成果を上げたといえます。まとめとして挙げるのにふさわしい事例かどうかわかりませんけれども、最後にストラスブールの路面電車についてお話します。
 日本でもこの例はよく紹介されておりまして、車道を歩道に切りかえて、車を制限し、路面電車を車道の部分に走らせて歩道を広くしたというケースです。これによって歩行者がふえて、商店がかえってにぎわった。つまり、環境にも優しいふうに都市を再生させたことによって、商店街もにぎわった。環境と経済の両立ができたケースとしてよく紹介されています。
 ここで、私たち日本人として1つ見落としているところが実際はあります。それは社会的なサステーナビリティの面です。この路面電車のルートというのは、町の中心から郊外の疲弊した地区をわざと結ぶルートに設定されています。これによって路面電車という公共交通機関、これも1つの公共空間と解釈しますと、この公共空間を介して、社会的な格差を極小化し、社会的な都市の断絶を回避することが意図されていました。つまり、第1部のEUの都市政策のところでお話ししました環境と経済と社会、この三角形のサステーナビリティを実現させるプロジェクトだったということです。
 こうした統合的なサステーナビリティへのアプローチであるとか、都市の疲弊地区にしっかりターゲットを絞り込んだために、少ない公的な支出でもって確実に都市全体を再生させる力になったという点では、ヨーロッパの都市再生は注目すべき成果を幾つか上げたといえます。
 ところが、今80年代末から90年代のヨーロッパ都市再生を振り返ってみますと、その限界が見えます。再生事業自体は確かにうまくいきました。ターゲットとした疲弊地区ではそれなりにうまくいきました。だけれども、よそでの破壊のスピードの方がはるかに速いという現実があります。疲弊地区の再生は遅々として進むものではありません。それに対して破壊はどんどんと進んでいくわけです。例えば、中心地区を再生させます。そこは立地もよいですから、もし仮にマーケットにゆだねたとして、クリアランス再開発も許容したとするなら、あっという間に再生するわけです。でも、そこにいた移民の人たちとか、失業者の人たちは、今どこに移り住んでいるかというと、多くの場合が周辺の、近郊の中小都市の中心地区に移り住んでいる。そこでまた同じような問題を引き起こしているわけです。
 また、モータリゼーションも、都心では確かに路面電車が復活したり、歩行者専用の道ができたりということで、都市の中心は確かによくなりました。だけれども、そのために中心には余計住みづらくなって、新たに家を求める人が郊外に住むようになって、車で通勤する人がふえ、モータリゼーションも一向に歯止めがかかっていません。
(図35)
 その1例として、一番最初に示しましたパリ郊外のサンクロードという町の例に再び戻ります。先ほど60年間の間に人通りが4分の1に減ったという話をしました。70年から90年、つまり都市再生が実際に行われていた、ヨーロッパで都市再生が成功したという時期にまた人通りは半分に減ったそうです。つまり、人が減るスピードはより加速している。都市の再生は確かに成功しているんだけれども、もう少し視野を広げてみると、ちっとも成功していない、そういう現実があり、今そこでヨーロッパは次のステップを考えているところなんです。
(図36)
 そうした新たな課題に直面して、今盛んにいわれるようになってきたのが、周辺の都市まで含めて1つの地域として再生していくという考え方です。ある1つの都市を再生したがために、問題をその都市から外部化し、近郊の都市に転移させてしまったわけですから、もう少し視野を広げようというわけです。
 今までは、この左の方の図でいきますと、都市があって、1つの都市がスプロールしていく。その周りに農村がある。こういうイメージで都市再生に取り組んできたわけです。フィジカルに連続した市街地を対象に疲弊地区を手当てしてきた。これにかわって、大きな1つのリージョンに複数の都市が点在している状態として、ひとつのまとまりとしてとらえた上で、対策を考えようというのです。こうした地域をどう再生していくかという次の課題、より広域の課題へとステップアップしようとしている段階になります。
 ただ、これはヨーロッパの今日まで行われてきた公共空間の再生の延長で、うまくいくとはなかなか思えません。都心の広場とか通りの再生に成功した公共空間の考え方を、複数の都市核を絡めとる広がりの地域にどう適用したらいいのか、実は非常に難しいところがあります。
 というのは、ヨーロッパの都市は、アメリカに比べてスプロールを抑制し、コンパクトな都市にしてきました。でも、周りの農地、緑地であったりする場所というのは、実は階級社会の名残のところがありまして、そうした農地には都市の富裕階層の別荘が昔からあったわけです。ですから、何のためにコンパクトに住んでいるのかを問うみると、実はヨーロッパの中ではかなりデリケートな問題になります。富裕階層が豊かに田園生活ができるために、貧民はコンパクトに住まわされてきたという批判も実はあるわけです。都市の外部にある緑地を公共空間として認識しようというところには大きなハードルがあるような気がいたします。
(図37)
 そう考えてみますと、日本の都市は捨てたもんじゃないのではないか、という気がします。日本は都市と農村(あるいは都市でない部分)をあまり対立的にとらえてこなかった。日本は、最初に申し上げましたように、立派な広場がないとか、ヨーロッパのような大通りがないというコンプレックスを持っていたところがあります。しかし、見方を変えて、ヨーロッパの公共空間が社会的な結束を促し社会的格差、断絶を緩和する方向に働いていた点に着目して、公共空間を認識し直してみたとします。日本の都市では、ヨーロッパに比べて、社会的な断絶や格差が深刻なかたちであらわれずに、歴史敵に持続してきたという実績があります。もっとも、島国だったからということもいわれますし、それも無関係ではないと思います。
 とはいえ、日本の都市には、そうした社会的な格差を自動的に緩和するような、より抽象的な意味での公共空間がどこかにあったのではないか、と考えることもそれほど的外れでなないと私は考えます。産業革命直後のころを考えますと、日本の都市はヨーロッパの都市よりはるかに大きな集積を持っていました。そのわりには社会問題は表面化していませんでした。その後も社会的格差は小さく大きな問題にはなりませんでした。島国であったことに加えて、比類ない経済成長のおかげだったなど、いろんな要因がいわれています。しかし、それら加えて社会的結束を担保する公共空間がどこかに実は働いていたと理解することもできるのではないかと思うんです。
 考えてみますと、日本の公共空間というのは、陳腐な例ではありますが、広重の描いた日本橋の浮世絵が想起されます。アイストップに富士山があります。江戸ばかりでなく地方都市でも山がアイストップにあるメインストリートは少なくありません。いわゆる山あてと呼ばれる都市計画の手法です。階級社会であった当時、この通りに立てば身分の別を問わず山への眺望がかなったわけです。山がアイストップにあることで公共性が高まっていると考えられます。都市とは空間的には絶縁し、外にあるはずの自然の遠心力を巧みに都市に引き込み、日本らしい公共空間のかたちを実現していたといえます。
 そう考えますと、今ヨーロッパが地域再生で、地域の公共空間って何だろうと考えなければならない、それが大きなハードルになっているときに、日本はすごくいい位置にいるような気がするんです。日本の都市再生も、公共空間を人の手に取り戻すという都市再生の思想の原点に立ち返り、ヨーロッパとその思想を共有してみると、全く違ったシナリオが描けるのではないか。せっかくこれだけ都市再生で多くのお金が投入されているのに、ヨーロッパに先んじるような、ヨーロッパの手本となるような都市再生を実現できるところにいるのに、都市再生の本質から関心が逸れてしまい、十分に生かされてないという気がしてなりません。私には非常にもったいないなという感じがいたします。
 これは、ヨーロッパの中でリージョンスケールに対する関心が高まっているの1例です。オランダのランドスタットというところです。リージョンでくくってみると、アムステルダムで、デン・ハーグ、ロッテルダム、ユトレヒトという4つのコアの都市が真ん中にグリーンハートという緑のエリア囲むように並んでいます。1極集中のロンドンとかパリのような弊害がより少ない形で発展できるポテンシャルを持っている地域リージョンとしてヨーロッパの中では注目されてきているわけです。実際、ヨーロッパ空間の中でよい位置に立地していて経済的にも成長しています。
 これは、同じスケールで、東京をランドスタットと比較したものです。大体東京圏ぐらいのエリアで物を考え出すように、ヨーロッパの都市がやっとなってきたのです。リージョンスケールで都市再生の知恵比べをする時代に、日本の都市再生とヨーロッパの都市再生がどこかで道の交わるときがあってもおかしくないなというふうに私は考えています。
(図38)
 こんな話をしていますと、皆さんに、私みたいな気楽な立場だから、こんな夢みたいな都市再生の話ができるんだとおこられそうに思います。皆さんの多くは、恐らく建物の設計をしたり、あるいは都市開発を日々行うことによって、収入を得、それで飯を食っている方々だと思います。そういう一面もありますが、ちょっと視点をずらしてみると、日本の都市再生に大きな可能性があるということを少しでも感じていただけたら、私としてはうれしいなと思います。
(図39)
 最後に、なかなかそうはいっても、日々のお仕事の中で、そんなことは考えていられないと思いますので、お願いをかねて、もう2つ風刺画もお見せして終わりにしたいと思います。前半でお見せした風刺画と同じ作者のもので、私はこの風刺画がとても気に入っています。
 1つは、これですね。別に高層ビルが悪いわけではないんだけれども、たまにはふと立ちどまって、高層ビルが実はこういうハンマーになっているかもしれないと考えてほしい。これが1つ目のお願いです。
 もう1つは、これは「土建屋の朝食」というタイトルの風刺画です。大規模開発を動かしているときに、ひょっとして、そこに住む人たちを土建屋の朝食の飯粒1つにしてはいないかということを、たまにはちょっと考えてみるというのも悪くないんじゃないかと思います。特に今、人件費の安い中国で大規模開発を日本人が多く手がけている時代です。そして、自分自身もその飯粒になっているんじゃないか。たまには立ちどまってそういうことを考えては、という提案です。実際はそれで仕事の舵を切ることもできず進めていくわけですけれども、そうしたちょっとした迷いを持つ、悩みながら進むということで、大分世の中は変わるかもしれないというふうに思います。
どうもありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

里見(司会)
 先生ありがとうございました。
 それでは、お時間ございますので、ご質問、ご意見等をお受けしたいと思います。
石黒(中央大学研究開発機構)
 きょうは非常に興味深い話をありがとうございました。特にこのフォーラムで、景観とかじゃなくて、雇用の問題に触れられたのはあまり拝聴してないような気がして、必要性から見ても非常に興味深いという気がしました。
 地域再生も、日本の場合、つくっているときの雇用にいきがちで、つくった後の雇用を継続的に考えていくという意味において、先ほどの逆の事例などは非常に参考になるような気がしました。ただ、疲弊している地域に住んでいる人たちと、そこが新しい都市として再開発された後の、新しい都市型の産業、そういったものへの雇用ということを考えるとかなりギャップがあると思うんです。ITとか文化関連といわれましたけれども、そこは外から新しく若い人が入ってくるかもしれませんが、従来いた人たちがそれに対応できるような、あるいはそこに参加できるような能力を有しているかというと、かなり大きなギャップがあるんじゃないか。その辺に今いた人がいなくなっちゃう大きな問題があるんじゃないかと思うんです。
 ヨーロッパにちなんでいえば、6年ぐらい前ですか、トニー・ブレアが新しく首相になったときに、一にも二にも三にも教育だというのは、結局新しい産業を起こしても、従来型の人がついていけない。教養とかそういう問題じゃなくて、能力開発するための教育が必要だ。イギリスあたりでは非常に安く、能力の再開発というものに各自治体も取り組んでやっています。その辺をセットにされた、いわゆる地域の人の教育をセットにした地域の再開発の事例が、ヨーロッパでいろいろ研究された中であったのかどうか。あるいはやりかけているところの事例があるのかどうか、もしあればご紹介いただければと思います。
岡部
 つまり、新しく、いわゆる雇用市場のエリートといわれる人たちと、そうではない長期失業者と、そういうのをセットで考える例ということですか。
石黒(中央大学研究開発機構) そうですね。
岡部 これは非常に悩ましい問題で、ヨーロッパもEUで広域化したことによって、雇用市場も広域化ていします。その恩恵をいち早くこうむる人たちは、いわゆる雇用市場のエリートの人たちですね。今ヨーロッパで競争力のある人材、労働力となりますと、言語ひとつとっても4カ国語は平気で操れなければいけないようです。そういう人たちだけが広域化のメリットを受けるという状況があります。今日みましたように、都市政策は、公共性を重視して、市場からこぼれる人たちに目を向け、一生懸命手当てをしていますが、広域化によってメリットを得る人たちの方がはるかに条件を改善していますので、両者の社会的な格差はどんどん広がる方向にあるというのが現実です。
 つまり、うまくいっている例はほとんどないといっていい。全然スピードが違うわけです。スピードが違うから、では、公共政策の方ははなからあきらめるのかというと、そうではありません。必ず限られた財源の中で、下層の人たち、低所得者の人たちの方を手当てしていく、そういう姿勢は一貫して貫かれています。
 ところが、具体的に1つのエリアではいつもあつれきが生じます。バルセロナのラバル地区の場合でも、北半分には文化施設が最初に整備され、これが吸引力となって新しい住民、知的なエリートの人たちが移り住んできています。その反動で、南半分にかえって疲弊地区問題が凝縮されているという指摘があります。ラバル地区全体に住んでいた人がどんどんと狭い範囲へ追い詰められていっている一面があります。
 ヨーロッパの雇用政策としての職業訓練の仕方で、ユニークな例があります。日本では失業対策で、教育や職業訓練となると、どうしても新技術を身につけさせようとします。ところが、実際長期失業者の人とか移民というのは、たとえパソコンを習ったからといって、就職があるわけではないわけです。
 教育や職業訓練で重視されているのは、むしろローテク技術です。先ほど洗濯機を直すことを核とした事業が出てきましたが、アンティークのものを直したり、廃品を利用してアートをつくるとか、修理や修繕を通した職業訓練や教育が目立ちます。
 日本では高度成長のときに、製造業に携わる人材を育てようと、この仕事だけはだれにも負けないというような職業訓練を盛んに行いました。そうではなくて、電気も扱える、塗装もできる、あるいは木工もできる、ローテクではあるけれども、いろんなものができることが大切になってきています。これを直してくださいといわれて、あるものを見たときに、自分で技術を選択する力のある人が労働市場では求められているといわれます。
  特にこのように成熟した社会の中においては、メンテナンスというのが非常に大きな仕事になってきますから、そこでは雇用は足しているわけです。そうした雇用市場の穴にはまる人材を職業訓練をうまく育成しようとしています。もっとも、知的なエリートの方とはうまくリンケージはしていないんですけれども。
野崎(NOVA建築計画研究所)
 先生が最後に東京の地図とヨーロッパの郊外の地図の比較で、日本の方が可能性があるんじゃないかというお話がありました。私、ちょっと理解しにくい、ちょっと意味がよくわからないというところがあるんです。ヨーロッパにグリーンベルトといいますか、農業地域が非常に広大にあって、その間に都市が点々と分散しているということで、濃縮した都市なので、その都市がかなり小さい都市が多いといわれています。ということは、農業の統計は、正確な知識じゃないんですけれども、スペインにしてもフランスにしてもドイツにしても、自給率が100%以上だという話です。ということは、そこで働いている人が相当いるということで、かつ貿易で稼いでいくことができるということで、雇用が非常に安定している面があるんじゃないか。
 そういう面から見て、今の東京の地図は、ベタベタに都市化してしまって、農業地がないところでは、可能性がないんじゃないかと思うんです。エリートの集団にとっては東京は可能性があるかもしれませんけれども、そこに集まれる人は限界があるので、かえって不良化していくんじゃないか。日本はかえって郊外の方に可能性があるんじゃないか。
 この間、何テレビか忘れましたが、月10万円以下で生活できるという郊外のレポートがあって、やっぱりあっちに行くべきだなと、年とったらなおさらだなと。年とって行った人も若いときに行った人も、あのレポートに出てきましたけれども、あっちの方が可能性があるんじゃないか。日本はもっと農業に力を入れて、先ほどの何でもできる人間を農業地域は受け入れますから、そういう方が可能性があるんじゃないか。東京みたいなところはあまり可能性がないと見えるんですが、どうでしょうか。岡部 あそこの説明はちょっと雑な説明で申しわけありませんでした。日本は今まで、東京という大都市を、ヨーロッパの都市ならロンドンとかパリという一番大きい都市と比較してきたのですが、東京と比較するにはロンドンもパリも小さ過ぎるんです。おっしゃっるとおりです。ニューヨークも小さ過ぎる。東京はばかに大きいわけです。本当は比較の対象はありまして、中南米の都市とか、アジアの都市だったら、比較可能な都市は幾らでもあるんです。先進国の都市と比較するにはともかく東京は大き過ぎました。
 ところが、もう少し広域化してきて、ロンドンでもパリでもそうですけれども、リージョンとしてとらえると、東京はヨーロッパと比較可能になります。国という枠が薄らいできて、リージョンの単位でグローバルに競争するところがでてきています。そういう背景があって、グローバル化と併走して、東京ぐらいのユニットで世界が見えるようになってきた。そのリージョンというまとまりがどれくらいかといえば、ちょうど東京圏ぐらいなんです。オランダのランドスタットが注目されていますが、圏域の広がりでみると、ちょうど東京圏ぐらいなのです。スケールを知るだけの参考として東京をお見せしたのであって、東京に地方都市より可能性があるということを申し上げたかったわけではありません。
 むしろ私がいいたかったのは、日本の都市のつくり方が、ヨーロッパの今直面している都市再生のジレンマを越える知恵を持っているのではないかという可能性です。ターゲットとしたところでは再生に成功したんだけれども、破壊のスピードの方が速いというジレンマがあります。ヨーロッパの都市再生のハードルを越えるような知恵が、日本の都市の歴史にはひょっとしてひそんでいるかもしれないんじゃないかという考え方です。
 日本の都市は市壁に囲まれていたわけではなく、都市と農村を対立関係で必ずしも見てこなかったのです。関係性でもってお互い魅力を出していくという建設的な関係がありました。つまり、ヨーロッパが広場に求めていた公共性が、実は里山文化に通じるものかもしれません。おっしゃるとおり、地方都市の方が安いお金で豊かに暮らせると私も思いますが、そのベースには都市と農村の豊かな関係があるのではないかと思い増す。だから、私も、個人的にはそうした日本の地方都市には随分可能性があると思っています。
加藤正樹(都市住宅とまちづくり研究会)
 都市の活性化を進める上で、駅前からモータリゼーションを排除するという考え方がありますね。今先生もおっしゃられていましたし、またある先生も、自動車を町から追い出せば、非常に活性化された町並みが戻ってくるよということをほかの講演でも聞いてはいます。ただ、地方の都市に行きますと、もう都心部が形骸化してしまって、シャッター通りになっちゃって、郊外にパワーステーションというか、シネマコンプレックスとか、そういった施設をドーンとつくっちゃって、そういうところへみんな、自動車の保有率が一家に2.5台、多いところは5台ぐらい持っているという家もあって、何かにつけて郊外にある、環状線沿いにある大きなパワーステーションに一家そろって出かけていって、そこで日がな1日過ごしてしまう。
 都心部はどうかというと、店が閉まっちゃって、車を追い出したがゆえにだれも来ない。こんな矛盾するような形になっていると思うエリアもあるんですね。何県とか何市とかいいませんけれども。そういった問題を抱えている地方都市もあって、車社会になっちゃって、その車を追い出すと今度は人が集まらないというジレンマを抱えた都市においては、まちづくりにおいて、この2つの脱モータリゼーションというのと、ゾーニングを解き放つという効果以外に何か策はないんでしょうかというのを、ちょっとお聞かせ願えればと思います。
岡部
 日本の場合はやっぱり郊外にそうした大きなショッピングコンプレックスができるということに対して、余りにも規制がないというのが最大の問題だと思うんです。ヨーロッパの場合には、郊外にショッピングコンプレックスをつくるのがなかなか大変で、その利益を公共に還元することを求められるんです。いろいろ規制が厳しい上に、立地する自治体との交渉で、公共整備の負担を求められるのが当たり前です。ショッピングコンプレックスができたことによって周辺の道がもっと必要になるという場合には、それを負担してほしいという自治体の要求が出るとか、立地するのに制約がすごく多くて、規制もあります。ヨーロッパの場合には基本的にはつくれなといっていい状況があります。郊外の厳しい規制が中心を空洞化から守っているのです。それが日本との決定的な違いだろうと思います。
 日本の場合、アメリカ型の生活様式に地方がどんどん移っているのは私もよくわかっていますけれども、車の自由さになれてしまった人たちを再び不自由な、みんなで持ちつ持たれつの生活をしろといっても、なかなか戻れないというのは実際あるかと思うんです。 
 そこで重要なのは、都市の公共政策としてきちんとした考え方があるかどうかだと思うんです。日本の場合には、人口がふえてほしい、企業がともかく進出してきてほしいというのが中心にあって、フィジカルな都市、こういうイメージの都市にしたいというのがそれほど市民に共有されていないというのが、1つ問題だろうと思うんです。中心を本気で活性化したいなら、まず郊外の規制の甘さを問題視すべきでしょう。
 ヨーロッパとの比較で考えれば、日本の場合はシャッター通りを嘆いていますが、それはヨーロッパから見るとうらやましいことといっていいほどです。というのは、ヨーロッパの場合は大陸でつながっていますから、都市の疲弊地区は一国の中だけではもはや考えられないのです。シャッター通りになる余地があったなら、そこにすかさず移民が入ってきます。都市政策が失敗したところですと、不法占拠者がすごくふえるんですね。ナポリなんかそうです。地震の後に、これはもう廃墟で人は住んではいけませんという建物ができるんですけれども、そこに貧民が住みついてきてしまったり、移民が住みついてきてしまって、既得権として居住権を持ってしまう状況になって、たちまち深刻な社会問題に発展してしまうわけです。
 ただのシャッター通りで、ゴーストタウンなら捨てることも可能です。しかし、ヨーロッパ都市のようにそこに人が張りついてしまうと、捨てるに捨てられないという状況に追い込まれます。日本のシャッター通りというのは、ある意味、ヨーロッパ基準で見ると、恵まれた条件ともいえるんです。(笑)だから、それでいいというわけじゃないんですけれども。
加藤源(日本都市総合研究所)
 都市再生がテーマなのに、シャッター通りがいいというおっしゃりようをされたんじゃかなわないと思います。
岡部
 人にフォーカスした都市再生の話をしてきた今日の文脈からすると、例えば高齢化問題から地方の中心市街地を考えてみることは重要だと思います。高齢化が進む都市において、自動車を主な交通手段として人が動いているということで成り立っていくのかどうかという問題提起をすることから始めることはできると思います。社会問題ととらえ直して。そうした観点からすると、今社会的にはヨーロッパほど深刻ではないとしても中心市街地を捨てることが、ある中長期的な視点で見た場合に、果たして得策かどうかということは、十分議論すべき問題だと思います。
 中心市街地に高齢者が取り残されて日々の生活に不自由している現状から問題提起するとしたら、ささやかでも経済活動を起こして回していく必要があろうという考え方が生まれてきます。シャッター通りになっているという現状を、もう少し社会的な問題としてとらえ直す必要があるんじゃないかということです。
加藤源(日本都市総合研究所)
 シャッター通りというのは、おっしゃるようにいろんな側面から議論されるべき問題で、一面的にそこにスクワッターが入ってこない現在の日本の状況がいいというのは、日本ではそういうことは起こり得ませんから、そういうお話は必ずしも、日本でシャッター通りを考えるときにはふさわしくないというふうに思います。そういうことをとりあえず置いておいて、我が国の都市再生をどうしようかということを考えようとしている人がたくさん来ているわけですから。
 あわせて、私も、先ほどの設計事務所をおやりになっていらっしゃる方と同じように、きょうの一番大事な2つの結論、都市再生から地域再生へということと、日欧の都市の再生の道が交わるときというところが、よく理解できなかったんですが、例えば、オランダのアムステルダムからロッテルダム、あるいはデン・ハーグとか、ああいう地域と日本の東京の大きさというのは確かに同じです。そういうときに、東京の中に里山というのは、日本で非常に魅力的な空間ですねとおっしゃられた。例えば、東京の中にああいう里山的なオランダの都市の間にある緑地、あるいは先ほどおっしゃられたように、イタリアにしろ、フランスにしろ、パリの周りでも小さな都市が点在しているわけですね。ローマだってすぐに緑地になる。そういう状況をつくり出すのが地域再生だというふうにおっしゃりたいんですか。よくわからないんです。私、理解できてないから伺っているんです。
 もう1つは、日欧の都市再生、それをどう交わらせようというご提案なのか、よく理解できないんです。以上です。
岡部
 まず、シャッター通りのことですけれども、日本の方が問題がまだ深刻ではないということを申し上げたかったわけです。例えば、解決しようとしたときに、日本ではそれはとてつもなく深刻な問題といわれているけれども、日本が二重苦だとすると、ヨーロッパは三重苦、四重苦ぐらいの状況を抱えていることを知っていただきたかったのです。日本以上に複合的な条件を抱えているから、追い詰められて、新しい知恵を絞り、統合的なアプローチでもって再生するというアイデアも生まれてきたのかもしれません。いずれにせよ、問題としては日本の方がまだシンプルだろうということなんです。仮に、ヨーロッパ並みに郊外を規制したとします。そうしたら、日本の中心市街地が現在のように捨てられることはなかったろうと私は思うんです。
 ヨーロッパは規制しているにもかかわらず、中心市街地になぜそういう問題を抱えているのか。それはなぜかといいますと、まず都市構造の問題があります。もともと市壁に囲まれていた市街地だったという歴史があり、その後より環境のいい拡張市街地ができました。都市構造的に弱い部分がどうしても中心にできやすい構造になっているのです。だから、そこに問題が集約されやすいのです。都市構造上の問題です。もう1つは、社会的な移民の流動性の問題です。両者が重なってきていて、郊外を規制しているにもかかわらず、中心が疲弊するという難しい問題を抱えています。それに比べると、日本ははるかに問題は簡単ですということを申し上げたかったまです。
 第2にご指摘の点ですが、きょうは私の主題としましては、ヨーロッパの都市再生というものの本質が何か、その思想は何だったのかということを中心にお話しして、そこから考えてヨーロッパに今どういう限界があるのかを提示したつもりです。ヨーロッパは、どちらかとえば、内向的な手法で、中に中に問題を絞り込んでいってそこを重点的に再生させ、その波及効果ですべてをよくしていこうという発想でした。実際それはそのとおり的中したんだけれども、もう少し広域的に見ると、問題は飛び火しただけではないか、というところに問題があるのです。
 他方、日本はヨーロッパとは違うアプローチをしてきたといえます。都市構造上、内向的な政策には馴染まないともいえます。先ほど申しましたように、日本の都市は、ヨーロッパ都市のように市壁に囲まれ、明確な都市構造を持っていません。それが日本の都市の弱さでもあるといわれたし、魅力のなさでもあるともいわれてきました。ヨーロッパほどインパクトのある都市ができていなかったといわれています。しかし、それを逆転の発想で見ることも可能ではないか。ヨーロッパのように立派な公共空間がない、空から見て美しい都市計画がされていなかったために、日本の都市は社会的に弱い部分ができてしまうのを回避できたとところがあるのかもしれません。もっとポジティブに受けとめつつ、日本の都市の再生というのを、欧米からの借り物ではなく、自分の都市から発想してみると、別のアイデアが生まれるのではないか。そういうかなりオープンな議論を仕掛けるという段階に、きょうの話はとどめていたわけです。
 私は私なりに地域スケールに広げて都市再生にどういう可能性があるかということは、まだ粗削りな段階ですけれども、いろいろ考えてはいます。きょうはどちらかというと、ヨーロッパの公共空間の再生の方に主眼を置いて話させていただいたわけです。
里見
 それでは、さまざま議論が尽きないようでございますが、お時間が参りましたので、本日はここで終わらせていただきたいと思います。
岡部先生、どうもありがとうございました。(拍手)


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