back

©日建設計                 
(ここをお読みください)
著作権について    

第194回都市経営フォーラム

都市とサインコミュニケーション

講師:太田 幸夫 氏

多摩美術大学造形表現学部デザイン学科教授

日付:2004年2月19日(木)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

サインによるコミュニケーションについて

都営地下鉄ターミナル環境のサインコミュニケーション

慶応義塾幼稚舎100周年記念棟

イタリア・ウルビーノ市の道路標識

サインレスサインとは何か

都市環境の安全サイン:国家規格から国際規格へ

フリーディスカッション



 

 

 ただいまご紹介にあずかりました太田幸夫です。どうぞよろしくお願いいたします。(拍手)
 まず初めに、皆様のお手元に受付で渡されました資料についてコメントさせていただきます。
 ホチキスでとめてありますこういうものが1つづりございます。これはきょうの話の骨子をなす私の著作(共編者)の国際出版でございます。本そのものは、一番上の『サインコミュニケーション1』が1万6000円。バイリンガルの国際出版です。続いてパート2、これも1万6000円で、ともに現在も入手可能です。その中の口絵の見開きをこういうコピーでお渡ししてあります。
 それから、続いて『ピクトグラムデザイン』という2枚。ホチキスでとめてあります。私の単著で既に17年前の、バイリンガルの国際出版。1冊2万円で、それは入手不可能です。ところが、その後半、12章の資料編を削除して、ソフトカバーで5500円にしたのがこれです。普及版です。これは入手可能です。同じタイトルで、『ピクトグラムデザイン』です。



サインによるコミュニケーションについて

 さて、3つ目のペーパーに、こういうものがあると申しました。ここに何か書いてありますが、本日の話題を絞りに絞って、極論します。そして、一言で結論を聞いていただきますと、街を視覚言語化しよう。つまり、「見とれる街」にしよう。
 読み取れるか見とれるかというのは、明らかに違いがある。つまり、レジブルシティーなのか、ビジブルシティーなのか。私が申し上げたいことは、その両方が、相まって相乗効果を持つということが必要でしょうが、レジブルであるだけではなくて、ビジブルの特質、これを最大限生かして、見とれる街をいかに整えるか。さらに、「感じとれる街」、「見とれる都市から感じとれる都市」、こういうふうに持っていきたい。
 なぜ、そんなことを考えるんだということも、要約して2、3申しておきますと、主な理由は街のブラックボックス化ということです。暗い中を手探りでさまよわなければいけない状況はますます加速しております。街とか都市という場合、当然施設や都市環境になりますが、それは環境に限らず、あらゆる機器類にも同じことがいえます。
 つまり、機能としてのファンクションは高まるわけですけれども、ますます暗闇に追い込まれるというのが、現状だと思います。例えば、パソコンひとつとってみてもそうです。ブラックボックス化している。オーディオビジュアル機器類もそうです。機能は、昔であれば単一的機能で済んでいたんです。例えば、駅。これは列車が着いて、人や荷物を乗せたりおろしたりして出発する、以上終わり。今はどうですか。小規模な街のあらゆる機能。商店街から、コミュニティーセンターから、銀行から、学校から、もちろん交通機関の機能まで、ターミナルというのは街を凝縮したように、あらゆるものがそこに張りついて、機能が重層複合化している。だから、その複合施設の管理人でもない限り、自由に使えといっても、無理ですね。ブラックボックス化している。
 次に専門性。例えば、車は、運転手しかハンドルを握らなかった。コンピューターも、キーパンチャーとかプログラマーという人以外はさわらなかった。今はだれでもということで、専門性の壁、ボーダーが取り払われている。そういうところにもブラックボックス化という時代の大きな潮流が見とれる。ほっておいたら、ますます闇の中での手探り状況が加速していく。これが、街をビジブルにしよう、見とれる街、あるいは感じとれる環境にしようという理由です。
 では、一体、そういう理由によって、どういう方向に指針を当てるのか。いうまでもなく、皆さんがご専門のアメニティーの高い街、アメニティーの高い環境をつくる、こういう方向が羅針盤の目指す方向です。
 では、アメニティーとは何か。後でもスライドを見ていただきますが、厚木森の里、本厚木からバスで15分くらい。私はそのまちづくりに1980年頃、6年間かかわりました。どこに道をつくるか、バス停をどうするか、学校はどういう種類のものをつくるか。3割は誘致施設、3割が住宅、あと3割は自然の景観を残して、調整池や何か。そうしたら、そのまちづくりで公団が日本都市計画学会賞を受賞しました。皆さん喜んで祝賀パーティー、私も呼ばれて一緒にお祝いしました。しかし、ここには関係者もいらっしゃるので、大変失礼な言い方に聞こえたらご勘弁ください。私は、「何だ」と思いました。公団の関係者が全国で少なからぬまちづくりに長年かかわってこられて、「今初めて受賞したの」なんて言いたくなった。後で、厚木森の里の実際のデザイン、ほんの一端をご覧いただきます。
 ここで申し上げたいのは、当時の副総裁室に呼ばれまして、「アメニティーって、何でしょうかね」。皆さんが専門家ですから、釈迦に説法でしょうけれども、安全性、機能性、利便性、快適性、こういった価値を高めていく。私はそこに文化性というのもぜひ入れたい、こういうふうに長年主張しております。そういうアメニティーの高い環境を目指すということでございます。私が今日申し上げたいことの全部です。「以上、失礼します」って、バイバイ。それじゃ、話になりませんので、ちょっと面倒くさい中身に入ります。それは、以上を前提として、サインによるコミュニケーション環境についてここで考えてみようということです。


 そもそもサインとは何だ。私は日本記号学会をつくるのに、早稲田大学に3年間通いました。しかし、セニフィエとか、セニフィアン、意味するものと意味されるもの、こういう話題になるわけで、どうも言語学とか論理学とか、そちらのにおいが強い。人が空間の中で外界とのコミュニケーションする。そこでの諸問題が少ない。いまひとつ私はしっくりこなかった。それゆえに、十数年前に日本サイン学会、日本の建築評論家の初代といっていいでしょう、浜口隆一先生。最晩年十数年は父親以上のかかわりを持たせていただきました。浜口隆一先生が日本サイン学会の初代会長。私がそのあとを引き継いで8年目、毎年2年ごとに選挙がありますが、その器でないのに困ったなと思いながらこれで4回選ばれています。
 それで、日本記号学会がありながら、日本サイン学会を立ち上げました。六本木の国際文化会館で初日にオープニングのシンポジウムを持ちました。テーマは「トークオン、記号とサイン」。当時の記号学会会長、青山学院大学の坂本百大先生、浜口隆一先生、国立国語研究所の江川清室長、お三方にパネラーになっていただいて、私が司会進行。「サイン」という外国語が日本に輸入され、和訳されて「記号」になった。その辺のことから、今改めて見直しが必要だろう。そういう主張で日本サイン学会を立ち上げて今日に至っております。
 先を急ぎましょう。サインは、意味を持つ事物や状況のしるし全般だ、こう解釈をしたいと思います。そうすると、すべてのものが対象になります。人間がかかわる外界とのコミュニケーションに限ったものではありません。生物全般に話題が及びます。つまり、生物を取り巻く外界のすべてにサイン性がある。これを何と訳すかというので、浜口先生と私は随分長い期間話し合ったことがあります。結論は、サイン・ネイチャー。状況や必要性によって、環境、外界の持つサイン性が顕在化したり、あるいは潜在化したり、例えば、レストランのウィンドーなんか典型ですよ。今食事したばかりだったら、意味ない。ところが、2日も3日も食べていない人だったら、その料理を見ただけで歓喜の涙が落ちるでしょう。ですから、サイン性というのは、同じ人にとっても状況によっていろいろ変わる。そして、当然意味を持つ事物や状況のしるしというんだから、その意味性も、顕在化すれば明らかになり、潜在化すればかすんでいくわけです。
 そうしたサイン作用の蓄積、実はこれが生物が生存を図っていく上に必要不可欠な情報となる。サインはそれゆえ、情報の素子である。じゃ、例を単細胞、アメーバにとってみましょうか。合計4つのサインが情報となって、アメーバが種の保存を図っている。アメーバにとってのサイン。それが集積して、環境を読み取る情報になる。その4つとは、熱、光、酸、アルカリです。
 この辺のことは、情報社会研究所の今は亡き増田米二先生、あるいは浜口隆一先生、お二人の先生から私は学ぶところが少なくなかった。だから皆さんの前でこのようなお話をさせていただくことができているわけです。つまり、生物学的サイン論、あるいは生物学的情報論が可能になると思います。
 つまり、単細胞のアメーバにとっては、温度、光、酸、アルカリの4つのサインが情報となって、生命の維持に役立つんだ、こういうふうにいえるわけで、こう考えますと、情報は生物の誕生とともに始まっている。マスコミの情報だけが情報ではない、ということです。
 そして、生物としての生活主体が識別し、評価した状況関係が情報なのです。生物の生存にとって必要不可欠な3本柱、これはエネルギー、もの、それからもう1つ欠くべからざるのが情報なんです。
 学生にこういう話をしますと、何かよそ事みたいな顔をして聞いているんですよ。「あなたが今ここにいるのは、今話している事実があなたをして存在させているんだよ。つまり、あなた自身の生存と100%直結している話だよ」というと、まだキョトンとしているわけです。しようがないから、もう一歩踏み込んで説明するわけですよ。「じゃ、あなたがこの世に生を授かった、生殖というのを考えてご覧ない。精子と卵子、単細胞がどのようにして生殖を可能にしたか」。それは先ほどいった熱、温度ですね、光、酸、アルカリ、これをきちっと認識して対応したからです。それでなければ、生命の誕生というのはないわけです。
 さて、人間も外界から光、色、形、動き、におい、味などをサインとして受けとめている。人間を取り巻く外部環境を情報として認知し、評価、判断して、外界に適用すべく行動をしているわけです。例外は1人として、一瞬としてないと思います。
 そう考えますと、サインというものの役割、あるいはその意味合いは非常に大きいわけで、例えば、体内サインといえるものに例をとれば、DNAと呼ばれる遺伝子情報とか、あるいは脳内の神経細胞の働きとか、こういうものもサインといえるわけです。
 浜口隆一先生は、サイン文化論の中で、「サインは生きることの根源にかかわる告知の機能である」と、このように述べておられます。
 皆さんのお手元、このペーパーをご覧いただくと、左のページの上に「サイン・コミュニケーション・デザイン」というのが、バッテンみたいな上に書いてあります。その下に三角形の矢印で下の方を向くと思ってください。【図1】この表のことを今コメントしようとしているわけです。上の方の三角、下に向いていますね。サイン・コミュニケーション・デザインとは何を意味するかというと、下の方、コミュニケーション環境の設計を意味するんだ。そして、両側にサイン環境というものと、それから環境の持つ意味性、つまり環境情報、これが読み取れますね。以上を右側にずらすと、その内訳はシグナルとシンボルというものから構成され、さらにブレークダウンすると、形、色、光、動き、文字、風でも、水でもいいです、もちろん音も入ります。そういう多種多様なサインの構成要素が認知できるわけです。
 それゆえ、シンボルに関していえば、この話しことばもサインであり、シンボルです。書かれた文字だってそうです。シンボルマークももちろんそうです。それらは間接的、思惟的なシンボルサイン。お互いの顔だってそうだと思っていいでしょう。それに対して直接的、行動的なものがシグナルサイン。シンボルサインの場合、言語でもそうですが、外部環境とのコミュニケーション、これを間接的に対応可能にしてくれるわけです。
 例えば、道路を歩いていて、「危ない!」、こういう声を発したとします。そうすると、自分の前を歩いている人が、パッと体をよけて交通事故を防ぐことができた。
 シンボルサインは、外部環境との直接的対応を避けて、経験を蓄積したり、共有化するのに有効な働きをする。
 スライドを少し見てもらいましょう。
(スライド)
 受付のテーブルに置いてある【図2】本の表紙でございます。皆さんのお手元には、コピーをお渡ししてある。読みにくいんですが、この中でとても重要なポイントが2つあります。
 1つは、主体ということです。環境を考え、コミュニケーション環境のデザインを試みるときに主体をどこに置くのかという話題です。建築にかかわる皆さんが、多くの場合、経験されているのが、設計者主体です。自分の作品を街の中に何十年も存在させる。自分のメモリアルイシュー、これは設計者主体といっていいと思います。それから、建築基準法そのほかで行政に主体が大きくシフトするという場合もありますし、管理運営者主体というのもあると思います。
 一番くせが強いのが、主体が施主に置かれる場合です。おれが金を出すんだから、何でおれがいうとおりにやらないんだ。これです。
 私が主体を話題にする上での結論は、利用者主体ということでございます。利用者主体を軸に据えれば、ほかの主体は全部内包される。施主、オーナーであろうとも、家に帰れば好々爺、お父さんかもしれない。道を歩けば一通行人、電車や車に乗れば乗客。これ全部利用者。そういうふうに利用者主体というところに座標軸を置いて考えることができる。
 これはサイン・コミュニケーション・デザインの作業フローです。よく見えなくて恐縮ですが、今後のCIは、2つの意味が両輪相まっていかないといけない。1つは、従来どおり、コーポレート・アイデンティフィケーションで結構です。もう1つはコミュニティー・アイデンティフィケーションです。
 地域にとってのプラスが企業にとってのプラス。企業にとってのプラスが地域にとってのプラス。お互いがお互いを補完し合う。こういう両輪相まっていく関係。CIにはそういう二重の意味が折り重なって今後は展開しなければいけない。
 ここでもう1つプラスしますと、それがセッティングという用語です。
 従来いわれるところのディスプレー、こういうものは全部セッティングだ。ですから、屋内環境、屋外環境等のセッティング。日本語に訳しますと、多分、「場づくり」。それが殊のほか重要であるということ。これは作業フローの全体です。説明は省きます。
そして、ここに登場したのが、日本では一番最初、サインだけを全ページ専門に扱った『日本のサイン』という1冊です。『プロセス・アーキテクチャー』、建築の専門誌で雑誌でありながら、1冊、1テーマの単行本です。160ページの「日本のサイン」とうたって、私が全ページ、サインデザインのルポライター、坂野長美さんと2人でまとめました。
 これが受付にある【図3】『ピクトグラムデザイン』です。日本語では絵文字、絵ことば。これがその普及版です。
 ここに登場しました6名がピクトグラムの先鞭者です。左上はアメリカの文化人類学を代表するマーガレット・ミード。それから、アメリカのインダストリアル・デザイン界を代表するヘンリー・ドレーフュス。
 世界で初めてピクトグラムを使って最大の国際イベント、オリンピックで言語の壁を克服する実践をしたデザイン評論家勝見勝。私は勝見先生とは、亡くなるまで、そして亡くなって20年になりますが、現在でも勝見勝賞という顕彰事業を軸にして、おつき合いをさせていただいております。
 それから、ピクトグラムの公共的な役割をマーガレット・ミードと一緒にグリフィス・コーポレーションというアメリカの研究機関でプロモートしてきたルドルフ・モドレイ。
 下の左がアイソタイプを考案したオットー・ノイラート。アイソタイプはインターナショナル・システム・オブ・タイポグラフィック・ピクチャー・エデュケーション。日本語に訳しますと、「国際絵ことば」。哲学者なんですが、1920年代、オーストリアの首都ウィーンにアイソタイプ研究所を置いて、最盛期は70人ぐらい、アメリカの政府あるいは当時のソ連からも呼ばれて、ピクトグラムによる国際的な、そして歴史的な偉業を遂げております。
 その右下は、ハーバート・バイヤー。グラフィックデザイナー。バウハウスの学長もされた、世界のグラフィックデザイン界の最高峰『世界地理地図』をまとめた方です。大きいですよ、この本は。日本には数冊しかありません。私も1冊オリジナルを手に入れるまでに35年間かかりました。
 左は、靴ができる例です。見ればわかるでしょう。手づくりとか機械づくり。右は石炭。これが関係と数量を視覚化するダイヤグラム。その最たるものは地図です。街を見とりやすくすると申したのも、地図のデザインのあり方に大きくよりかかっている面があるんです。
 ご覧ください。1年間の年収をご覧のような曲線グラフにした。1933年、南カリフォルニアの住民の内、いかに多くの黒人が低所得者層、そして、極端な高所得者は一部の限られた白人であることが一目瞭然に見とれる。
 ピクトグラムを公共施設に使った非常にすぐれた例が、ランス・ワイマンというアメリカのデザイナーです。彼を紹介する一文を、私が30年前に専門誌に掲載して、彼の評価を受けました。その後彼の作品の著作権は全部私が自由に使っていいと言われ、日本の小中高のデザイン関係の教科書に一番たくさん彼のデザインを紹介しています。これはメキシコシティの地下鉄19駅が初めてできたときに、彼がその駅の名前をピクトグラム、【図4】絵ことばで表示した入り口のサインです。例えば、日比谷線ならば、ローマ字とか日本語で「日比谷公園」と書くのではなく、それを公園の絵にしてあらわす。そうすると、国際観光都市であるメキシコに来るフランス人は、自分の国の言葉でそれを発音すればいい、こういうことでその街に来る人たちに好感を与えました。
 これは【図5】ワシントン州立動物公園の彼のサインのデザインです。めぐり合いたい動物の足跡を園内のペーブメントに施して、その動物に出会う。そういう心のときめきというのをコミュニケーション環境として彼がデザインしたものです。
 こういう姿は街中に非常に多く見られます。
 次々登場します。
 これは皆さん、お詳しいと思いますが、桜木町から3本のプロムナード計画がほかの街よりも先に整えられたのが横浜でした。これもその一部です。
 歩行者の歩行空間の快適性を高めるんだということで、横浜や港にちなむ、赤い靴の絵柄などがあしらわれた。多くの自治体関係者や専門の方々が横浜に視察に行かれた時期があります。今はそれが全国的に普及しました。
 こういう信号。皆さんのお孫さんかもしれませんが、小学校3年生の文部省検定教科書で私の記名原稿、6ページか8ページ、国語の教科書。タイトルは「暮らしと絵文字」ということで、小学校の教育にもこういうテーマが採用されております。
 これはその教科書の最後に載せた。変電所の危険な環境をいろいろなピクトグラムで注意しているノーテーションのサインでございます。
 方向を示す指印。優しいレリーフとなった、【図6】長崎街道の道しるべ。ご覧のように現在も存在しております。今は矢印によって方向を示すのが一般的ですが、日本の場合は矢印が使われていない。弓矢で動物の血を流して食料を得ていた狩猟民に対して、農耕民族である日本は、ご覧のように、石をレリーフにした指印で、長崎街道を誘導した。
次は江戸の看板でございます。
 このように、石器時代の洞窟画、あるいは文明発祥の古代文字にルーツを持つピクトグラムは、現代に蘇生したシンボルサインといえるわけです。
 そして、外部環境を間接的に読み取る手がかりにもなる。簡潔な視覚イメージをみずからの形とし、環境の一部として待機する。そして、行動直結型のシグナルサインの特性もあわせ持って、意味伝達する視覚コミュニケーション・メディア。身近な例として、言語のように、推論による選択肢は伴わないけれども、その意味を必要としない人にとっては、風景に同化するのでわずらわしくない。その意味を必要とする人にとっては、環境自体がその意志に応えることになるので満足を生む。
 これは先ほどの一覧表に、形、素材、色、文字、いろいろなシグナルとシンボルの例を示してあります中の、これは素材の例です。早稲田通りです。ある専門学校の入り口の表札です。そこに、トラバーチンと呼ぶ大理石に別の大理石をぴったりと象嵌しているんです。ですから、これは大理石が風化するまで永もちします。私がデザインしたものです。
 あんまり小さいとだめですが、2〜3センチの文字なら大丈夫ですよ。これもそうです。
 ピクトグラムがいろいろ出てまいります。
 次にまちづくりのための、B4判のポスターを制作したときの例です。
 ご覧のように、学習や論理によって拘束されることがないというピクトグラムの特質。それによって1人1人の意思や意識が大切にされる。
 これ、何だかおわかりですね。渋谷駅のプラットホームです。
 このように見ていきますと、【図7】江戸の看板。それが何を意味するのかはおわかりだと思います。当時寺子屋に通える子供の数は非常に限られていた。7割以上は文盲であったということで、江戸の街にはケヤキの木をくり抜いたピクトグラムの業種サインが軒下につり下げられた。
 今ご覧いただいているのは昼間で、これが夜です。ここで、細かいことにこだわって済みませんけれども、何を見ていただいているかというと、私が教えている多摩美術大学。上野毛キャンパスと八王子キャンパスがありますが、全体のサインに私はかかわってきています。上野毛キャンパスの例ですね。これ、結構こだわってやったんです。そんなことまでこだわるのかといって、驚かれる方もいると思いますが、昼間と夜の見えがかりの関係を逆転させないようにデザインしたんです。そんなことにまで配慮しているサインなんて世界中にひとつもないと思いますよ。
 先にいきます。銀座の松屋で1週間、ドアの押す、引くのサイン展。これをあらゆる素材でつくりました。そのギャラリーを見る人が1日千数百人、合計1万数千人、アンケートもとりました。
 ところで、今は亡き谷口吉郎先生。後で天現寺の慶応義塾幼稚舎の100周年記念塔の話を聞いていただきます。
 天現寺の角。交差点です。緑の森の中に谷口先生の設計された建物。竹中工務店さんが施工されたものです。
 これは【図8】通産省の正面玄関です。今でもこれはついています。私が30年前にデザインした、通産省のシンボルマーク。 省庁でシンボルマークを持ったのは初めてじゃないでしょうか。
 いろんなサインの事例をご覧いただいております。ほとんど私のデザイン。
 ここからはご存じのように、筑波センタービルです。磯崎新さん。真ん中はフォーラム、ミケランジェロの広場のデザインが応用されています。
 この建物は当時なかったんです。ところが、カスケードの前を通って、フォーラムに行くのに、例えば高齢者とかバギーの赤ちゃん、階段形式の野外劇場になっていますから、フォーラムまでおりて行くのがなかなか大変。基本設計の図面を見ながら、私が、人の移動を初めとするコミュニケーションの問題を話題にして、設計変更して、整えられました。ですから、その壁面は全部サインのメディアとして利用させていただきました。ご覧のように、ダイアグラムで筑波センタービルが中央部分、中央市街地は直径2.5キロでしょうか、その周辺も案内している。実際はエレベーター棟として。今はどうなっていますか、25年前の話です。
これは少し遠望視したものです。
 また、中に来ました。この突き当たりは多目的ホールで、NHKも協力された。そのネーミングも1年かけて各施設、あるいは道路の名前も、サインを担当した立場で報告書をまとめさせていただきました。中で何が行われているかを、このスタンドのようなもので見とってもらえるようにしました。
 これは壁面の誘導サイン。壁ですね。向こうの方にも見えますね。5つぐらいの主要施設があるものですから、このように色分けした次第です。
 これが一方の正面入り口となるでしょうか。ノバホールとかインフォメーションセンターです。
これは岐阜へ公団の方と一緒に大理石を選びに行ったんですけれど、ちょっと下の方をご覧いただくと、目地が出ちゃっています。結構大きいものですから、一番大きい原石を選ばせていただいたんですが、寸法が足りませんでした。ご覧のように、中で何が行われているかというのを外に表情として引き出す。そういうしつらえをさせていただきました。
 さて、二子玉川園に現在も建っていると思いますが、アメリカの政府が日本に発注しまして、木造3階建ての大きい建物、サミットハウスというのが、今から18年前に建てられたと思います。そこの入り口のデザインです。サミットハウス、どういうものかというと、このサインの文字を読めばわかるんですが、アメリカの政府が木材の輸出に関して、日本の木造3階建てが認められなかった状況に、圧力をかけたという例です。
 これもそうです。
 これは北海道の占冠というところで、大がかりなスキーリゾートを整えたときの話です。
 やはりご覧のようなピクトグラムでその使い勝手を整えている。あるいはこういうロゴマーク、日本で当時唯一のドイツから直輸入したシャトルバス、こういうものを使って、一連の、CI計画等にもかかわらせていただきました。零下36度ぐらいになるものですから、カフェテリアのこうした色味のネオンの形、これが本当にホッとする環境です。
 これが新聞2ページ大の広告です。
 ここから先ほどの早稲田通りの専門学校。もう1つの別の【図9】専門学校の50メートルのファサードをトータルにサインとして整えました。ご覧のように、壁面についております学校の名前は全部、8階建ての窓だったんです。私がその基本設計を見ながら、建築家の方とコミュニケーションを持ちまして、サインとしての機能に切りかえていただきました。そして、東京都屋外広告物コンクールで、銀座4丁目のコカ・コーラと競いまして、グランプリ賞を与えられました。
 5メートル30のジャンボジェット機の垂直尾翼、これもアルミ一体物でキャスティング、鋳造いたしました。
 その下にあるトランクは、ここの理事長さんが35年間世界旅行に使っておられた皮のトランクを1.5倍に拡大してアルミでつくったものです。現物と寸分変わりません。皮の角の縫い目の糸のぐあいまで、さわっても現物と間違えてしまいます。皆さんが持って帰ろうとするんですが、重くて動きません。こういう状態です。ストリートファニチャーといってよろしいかと思います。
 この部分、中央に縦に延びているところが、8階建ての窓を連続してサインに使ったということになります。
 これも、国旗にしてくれといわれまして、やったんですが、どこの国が上か下かで、各国大使館から苦情が出る。だから、もう一回壊して、でも、国旗らしくしてくれという変な注文でデザインした結果です。
 これは今でも建っていますが、六本木の中心部分、麻布警察署の裏のピラミデです。建築家は山下和正さんです。ファッションビルのテナントサイン。当初イタリアの注目されたお店がたくさん同居した商業施設です。ファサード部分に20店舗ぐらいのテナントサインをあしらったというものです。
 これが先ほどの厚木森の里です。説明の時間が少なくなっているかと思います。マンホール。どこの街にもあるわけですが、山の中に忽然とできた小さなニュータウン。そこに生まれ育つ子供にとっては、自分のふるさと。しかも、そのニュータウンといえども、決して近隣のほかのコミュニティーと無関係ではあり得ない。ですから、【図10】マンホールを使って、まず方位をデザインしました。方位を見とらせるコミュニケーションのメディアというふうにデザインしました。そして、南の方ならば、相模湾がある。そこにはヨットが浮かんでいる。あるいは横浜の街が東の方にあるという周辺情報を見とってもらえるようにしました。
当然、厚木市も、街独自のマンホールは量産して使っているんですけれども、このニュータウンのために特別に予算を割いてつくってくれました。
 これは橋脚です。先ほど申した調整池です。いざというときは山の渓谷なので水かさがふえますが、ご覧のように、下の方は鳥が安心してたたずんでいる。水かさが増すと、危険を察知した鳥が羽ばたいて逃げるのを水位の高さで、橋脚を物差しといいますか、水位の警告のサインとして準用したわけです。
 これは東京都が文化のための3%ということで、初めて南大沢団地にサインの予算をつけてくれました。建物は槇文彦さんの設計でしたが、その入り口に元スタッフの元倉真琴さんと私が一緒にゲートサインを、ご覧のように整えました。
あるいはこれは用賀いらかみち。1.5キロぐらいで世田谷美術館まで行く、そのプロムナード計画で、象設計集団の皆さんが中心になったプロジェクトです。ご覧のようなサインのたたずまいを整えまして、一連のガイド案内マップサイン。これは、鏡餅が置いてございますが、スチールで絶対に動きません。警察当局が、歩道は休むところじゃない、通行するところだと、文句を言ってきたのに対する反論がこういう造形になった。
 これは名古屋のシンシアというファションビルの入り口を飾ったサインです。
 そして、これは15ミリ厚の透明のガラスを2枚重ねまして、ご覧のような建物の名前をあしらった、【図11】透明サインを、私の大学の八王子キャンパスで整えたものです。表裏、異なる情報を取りつけることができます。そして、このガラス面は半分シースルーです。背景が見とれます。その技術的なノウハウに興味と関心がおありの方は、終わってから声をかけていただければと思います。そして、2枚重ねのガラスの小口、当然物が当たれば欠けるおそれもあります。そのため3ミリのステンレスのフラットバーを取りつけたわけですが、ご覧のように細いラインで周辺が囲まれる仕上がりになりました。その取りつけ方も1つのノウハウと申してよろしいかと思います。 
 さて、ここから代官山ヒルサイドテラスのサイン・コミュニケーション・デザインというプロジェクトに話題を移させていただきます。
 槙文彦さんが、数多くの建築設計をされてこられた中でも、代表作に位置づけておられるのが、このヒルサイドテラスです。先般このフォーラムで講演をされた北川フラムさんも、ヒルサイドテラスに身を置いて、もろもろのことに当たっておられます。私もサインを中心に30年余りになる。
 これはちょっと見にくいんですが、A、B、C、D、E棟までが旧山手通りに沿って建てられたときのアクソメ図を縦にあしらいまして、7年ほど続けたイベントのポスターを私がデザインしたものです。アクソメの絵柄がちょっと見とりにくいですね。そして、周辺の案内地図を、縦横2メートル余りのグラスファイバーが入ったコンクリートボックスの、ご覧のような内照式サインにあしらった。
 これはその盤面の一部です。地下に小規模の多目的ホールがつくられたものですから、先ほどのマリンブルーのサインを取り外して、竹中工務店さんが対応してくれた。サイン部分は私のネットワークで、工場に私も詰め込んで製作したときのショットです。
 ホワイトブロンズで鋳造いたしまして、5つの建物(レリーフによるアクソメ)を取り付けました。その後、ご存じのように、F棟、G棟が向かい側に建っています。あるいはヒルサイドウエストというのも少し離れた同じ旧山手通りに。その中に槙さんはご自身の事務所を置いている。
 5ミリのステンレスの板材を、ご覧のように、6枚ぐらい重ねています。そして、その上にアクソメのレリーフを取りつけてございます。ワイドは約10メートル。B棟とC棟の間、先ほど申しましたように、この下は多目的ホールなものですから、3弦楽のコンサートなどが開かれています。
 ですから、この【図12】サイン構造体の後ろは排気塔になっております。ディテールはご覧のようなものです。
 これがA棟です。頭の部分はAと読めるんですが、このステンレスのムクは30ミリ。そして、胸のところに10ミリのやはりムクのSUS304。そしてその上にまた10ミリのテナントのサイン・プレートを取りつけましたので、合わせて50ミリです。大変な重量です。ですから、ベンダーでは、とても曲げられません。油圧で曲げたという次第です。
 これがC棟。
 これがD棟。
 ここからが谷口吉郎先生が設計された100周年記念棟。皆さんのポケットに入っている1万円札の福沢諭吉先生がつくられた小学校です。1973年から3年間かかわりました。インフォーマル・エデュケーション。そして、オープン・プラン・スクールズと当時呼ばれていた、イギリスに始まった新しい教育理念に基づく教育環境づくり。それを日本で本当に実践して成功したのが、この天現寺の幼稚舎が最初でした。
 そのちょっと前に、やはり槙さんが、沼津市の加藤学園で建物を設計し、インテリアは、遠藤精一氏がデザインされた。理念も同じとか。けれども有名中学校に進学できるかできないかで、父兄が小学校を評価する。
 ところが、慶応義塾の小学校は、私は詳しくは知りませんが、大学に至るまで恵まれた環境にあるためでしょうか、そのインフォーマル・エデュケーション、あるいはオープン・プラン・スクールズと呼ばれる教育理念が実現しました。私もそのコンセプトを勉強させていただく日々の中で、岩橋謹次氏と一緒に「サインコミュニケーション」という理念を打ち立てることができたわけです。家具類は遠藤精一氏の設計です。
 3方を壁に囲まれて、先生も生徒も同じ教科書を持って、画一一斉授業。これが一般的な教育かと思います。幼稚舎ではそうでない新しい開かれた教育学習の場を整えたわけです。しかも、それをサインを中心とする新しいコミュニケーション環境として整えた、こういうふうに申し上げることができるわけです。
 では、何をしたかというと、1人1人の児童に照準を当てがった。新しい教育と学習の展開を志向した。そして、将来の多面的変化や発展に備えて、情報の利用や提供並びに管理運営形態を固定化したり、限定化しないように配慮した。それが家具類とサイン類の設計によって大きく実ったということになります。
 ピクトグラムもご覧のように登場します。サインを軸としたコミュニケーション機能を、メディアとメッセージの相関性、あるいは施設の利用主体と管理運営主体の両面から分析した結果として、ピクトグラムが多用されております。それは、しゃべるな、食べるな、走るな云々の、ベからず図書館が当時多かったんですが、それからの開放であって、児童を中心とした人と人、人と物の楽しい交流を可能にしたものと言えるかと思います。つまり、教室でない教室、開かれた学校図書館をつくる道を開いたものです。
 大変大きな反響を呼びました。20年過ぎてもまだ全国からの視察が絶えませんでした。文部省も影響を受けまして、全国に少なからぬ同様のモデル校を開設いたしました。
 サインの種類によって図書、標本、学習ツール、あるいは展示物など多様な媒体と情報を自由に選択、利用できるようにして、谷口先生が弱冠28歳で大正モダニズム、白亜の本館を設計された、それと中廊下でジョイントしてその部分を博物館にしたというわけですが、各種教材あるいは情報を自由に選択、利用できる環境として、大正時代の本館と一体となって、総合的に機能する新しい学習環境を目指したわけです。
 それ故に、サインによるコミュニケーション機能は多岐に及んで、各種の要件を満たしながら全体として調和を損なわないように配慮しました。その例が、今ご覧いただいている、あるいは先ほどご覧いただいたミニサインです。
 これは利用者が児童であることから生じる案内や指示事項のサインコミュニケーションをご覧のような【図13】10センチ立方体、チーク材のむくに立体化した。手を洗おう、自分で調べよう、もとに戻そうなど、8種類の表示には添付した文字のイメージも大切にしました。静かにしましょうのかわりに、「シーッ」などはその代表例といえるわけです。同時に視野に入る3面を見た人が、隠れた表示を知りたく思って、手にとって回して見たくなる場面を想定しながらそのように見せる表現、その結果がまた楽しみになる、そういう各面の関連づけをデザインしたといえるわけです。ザッと見ていただきます。
 動物園まで、博物館までつくったんです。あるいは静かな読書三昧もまた可能。この読書机も古い。明治時代の福沢先生が、教科書を印刷した版木を組み込んだ読書テーブル。
 社会科のグループ制作も自由にできる。あるいはじゅうたんに寝ころがって、絵本を見て楽しむ何人かの仲のよい子供たち。さまざまなパターンで授業が展開するわけです。
 ですから、1週間ごとに行ってたんですが、それぞれほかの先生も、普通の教室では授業をしたくない。この新しい施設が大変な人気でした。生徒の自発性とか創造性も際立っておりました。
 そういう中から副産物として、ご覧のようなキュービックを使ったミニ図書サインというものも、私がデザインして大量に量産されるようになり、全国の学校、図書館等で使われていました。

 ラッピングバス。街の顔をつくるラッピングバス。これも重要なサインの1ファクターです。諸外国がご覧のように見とれる中で、【図14】都営バスのラッピングバスと呼ばれる車体利用広告の規制緩和、これを私は審議会のメンバーとして10年ほどかかわりまして、都知事の希望を取り入れて規制緩和する中で、環境に資するラッピングバスのあり方、これは公共サインに対する商業サイン。800台近く審査をいたしました。いろんな表情がそういう中で見とれます。
 戦後54年間、国の法律、屋外広告物法にのっとって、各都道府県が条例を施行しているわけですが、それは歩道に対して商業サインの下端が4メートル以下ではぶつかるからだめだとか、外壁から1メートル以上出てはいけないとか、外壁の面積に対して30%以上はだめだとか、そういう数字で示す内容しか条例の中には定められていない。どんな色をどんな書体でどんな図版と一緒に、どんなデザインにレイアウトして、どのようなイメージをつくるのがいいのか、悪いのか。こういうデザインにかかわる規定は一切ありません。
 ですから、都市の顔をつくる商業的なサイン類が、看板といわれたり、ネオンといわれたりする中で、いかに多くの問題を抱えてきているかということをひしひしと感じているわけです。
 動く大型の広告塔といわれるラッピングバスも同様で、そのデザインのあり方によっては街が台なしになる。こう考えまして私は、初めて東京都屋外広告物条例に規定なんかない車体利用広告のデザイン審査基準というのを関係者と一緒につくりました。
 東京都庁を会場に、関係者に集まってもらってその審査基準の研修会等も開催してきた次第です。



都営地下鉄ターミナル環境のサインコミュニケーション

(動画映像)
 さて、私の申し上げていることを、都営地下鉄の地下ターミナル環境、大江戸線、地下7層で、ご覧のように整えました。現実の地下ターミナル環境の煩雑な“オーバーサイン”と見比べて、環境のサインコミュニケーションデザイン、これを見とっていただければありがたいと思います。
 注目していただきたいのは、【図15】開口部の壁面の角です。これを45度のエッジに変更いたしました。そして、この映像の場所、入り口であり、出口であるところをトータルにサイン化いたしました。建築物、この場合はインテリアですけれども、これをトータルにサイン環境としたわけです。私は見とれる街、感じとれる街と最初に申し上げました。いかにしてサイン環境化するかということをこの例は意味しているわけです。この場所の上(地上)にはホンダの本社がございます。それ故、ご覧のようなロボットをあしらいまして、商業サインと公共サインの融合一体化という新しいターミナル環境のあり方をプロトタイプとして、示しました。これは分厚い報告書のほんの一部なんです。全体は先般、東京都庁でもって2回にわたり、大会議室を使わせていただいて報告、発表しております。都営地下鉄ターミナル環境のサイン・コミュニケーション・デザイン、こういう表題の報告書です。



慶応義塾幼稚舎100周年記念棟

 さて、ここで重要なことを申し上げます。私は、慶応義塾の幼稚舎、30年前に、サインを媒介とするコミュニケーション環境が持ち得る役割と可能性をコンセプチュアルに勉強させていただいた。その一端を見ていただきましたが、幸いそれは成功したと申し上げました。しかし、私が皆さんに聞いていただきたいより重要なポイントは、弱冠28歳にして大正モダニズムで注目をされた幼稚舎の本館を設計され、自尊館と呼ばれている講堂を40歳代で設計され、先般お亡くなりになる前に、私どもがその内部のコミュニケーション環境のデザインにかかわらせていただいた100周年記念棟を設計され、1人の建築家がその小学校の歴史を建物の設計で一生涯かけてかかわった。この谷口吉郎先生のその足跡の中に、私が申し上げたい環境のサイン化、これが明らかな形で見とれるということです。
 幸い私どもの成果には、先ほども触れたデザイン評論家の勝見勝先生が審査委員長になっておられたSDA賞でグランプリを与えていただきました。しかし、谷口先生はそれよりもはるか以前に、幼稚舎本館のお手洗いに、我々の考えたサインコミュニケーションの理念、これを実践され、具体化されておられたんだということです。
 ここには写真はございませんけれども、言葉で言いますから、皆さんすぐご理解いただけると思います。それは、本館お手洗いの出入り口2枚のドアでございます。どちらにも取っ手はついておらず、押しあける形式のものです。けれども、押すというサイン表示はついていない。引くというサイン表示もついていない。取っ手もついていない。にもかかわらず、毎日数え切れない児童が元気よくそのドアに体ごとぶっつけて出入りしている。決して事故にはならず、使いやすさは抜群なんです。押す、引くという機能上の意味が、壁と柱とドアの関係によっておのずとだれにも明らかなんです。環境のサイン化。つまり、サイン環境の原点ともいえる例をそこに見る思いがしているわけです。利用者を開放するサイン環境。
 その全く対極にあるのが、私は臆することなく、道路標識だと申し上げたい。完全にこれは主体の置きどころ、比重が管理運営者にかかり過ぎております。杉並区、世田谷区、どこを取り上げるまでもなく、バギーに乗せた赤ちゃんは、車道に出なければ移動できないような劣悪な道路環境が放置され、すべての交通事故がドライバーの責任にかかっている。その次は歩行者。当局が交通事故を発生させたのは、劣悪な道路環境を放置した我々に責任があると謝った例は一度もありません。



イタリア・ウルビーノ市の道路標識

 実は、中部イタリアのウルビーノ市。丘の中腹に位置する中世のすばらしい街。
 1965年に私は2度そこを訪ねました。親切な助役さんに案内された庁舎内の大きな会議室には古地図が正面に掲げられておりました。「なぜこんな古い地図をここにかけておくんですか」と私は聞きました。いわく、「この街をつくった当時の人たちが何を考えていたのか、それをいつも考えながら私たちは会議をしているんです」、こう言われて、「なるほど」と感心しました。窓の近くに行かれる助役さんは、「太田さん、ちょっとこっちにいらっしゃい」。私が窓に近寄ると、助役さんは窓から街を指さして、「どうですか、この景色は、この街は」といわれました。「きれいですね」「よく見てください」。私は見直しました。でも、「本当に絵はがきにしてもいいすてきな街ですね」と、そう思ったから、思ったとおり言いました。そしたら、助役さんが、「だめですよ」「何がだめなんですか」「ほら、このテレビのアンテナ」といいました。テレビのアンテナというのは小指よりも細いんですよ。それが屋根の上に立っているんですよ。見落としちゃいますよ。見落とさないまでも立っていて当たり前ぐらいにこっちは思ってしまう。ところが、助役さんの審美眼は、そのテレビのアンテナが中世の街の景観にそぐわないということを見抜いているわけです。私は助役さんの審美眼には舌を巻きました。
 別れ際に、とてもおいしいホウレンソウのパスタ、緑色のタリアターレをごちそうになりながら、「あと3〜4年したらまた来てみてください」、こう言うものですから、「何があるんですか」と聞くと、「この街から道路標識をなくしてみせます」と言うんですね。これにはまた驚いたんですよ。確かに中世の石畳の坂道を、ホンダのオートバイに乗った若者が爆音を立てて疾走しているさまは、実に似合わないわけです。けれども、人と物を運ぶ車が使えなくなれば不便きわまりないはず。道路標識が街の趣を損ねていることはわかるけれども、はたしてなくすことができるだろうかと私はずっと疑問に思っていました。
 先年、40年ぶりにウルビーノ市を訪れました。道路標識がなくなっていました。けれども、街の中には車の姿がそこここに見られるんですね。どうやっているのか、これは本日お集まりの皆さんの方がお詳しい。中世の街、城壁に囲まれておりますので、一般の車は全部城壁の外でストップ。だけど、その街に住んでいる人、あるいは所用で物を運んだりする人は全部許可を得て従来どおり使える。いやそれ以上に自由。自分がとめたいところ、曲がりたいところで自由にとめたり、曲がったり、走ったりすればよい。そういう街をつくっているんです。
 その成果は、ウルビーノ市に始まって、今ではボローニャ市など、ほかの街にも普及しているというわけです。



サインレスサインとは何か

 さて、太田の申し上げたい主要なポイントを要約しましょう。サインの実体は日常の外部環境とのかかわりの中にあるんだということです。それは生物としての状況解釈や状況の意味づけ、あるいは状況判断や対処する能力、つまり、広い意味での情報処理能力が生かされる世界なんだということです。
 自覚的な情報処理をする能力は1人1人にもともと備わっている。「望ましいサイン環境」とは、伝えたい意思と知りたい意思、この2つの出会いを演出するものなんだということです。
 ここでどんでん返しがあるんですけれども、そうしたサインは、サインレス・サインだということです。サインのないサインということです。サインレス・サインとは情報と情報のメディアが望まれる環境の固有なイメージに調和して、それに同化した状態をあらわす造語です。わかりやすく、無視することも可能で、すべてが理解のうちにあって、安堵感ある楽しいコミュニケーション環境に近づくわけです。
 それはまるで自分の家にいる状態、自分の部屋にいる状態。行動は意のままで、しかも無意識的で透明になる。そうすると、環境というのは、単なる客体ではなくなる。環境は客体ではなく、いとおしいものになる。ふるさと意識というのはそういうものだと思うんです。
 そして、重要なことは、状況認識と自主的な行動の間にギャップがなくなるということなんです。その結果、創造性豊かな自己実現を期待できるわけです。それは環境をコミュニケーションのトータルなメディアとしてとらえることにほかなりません。その逆が、目立てばよいといった看板や標識に頼るような劣悪な自己主張。そうした従来型では到底見とれない世界といえるわけです。



都市環境の安全サイン:国家規格から国際規格へ

 ここまで一通りの話を聞いていただきました結果、残り時間は3分しかありません。先般、神戸と横浜で計4日間、震災対策技術展というのが開催され、関連メーカー、行政、あるいは自治体、学会、すべてが参加されました。そこで、安全に資する都市環境を整えるための避難誘導サインシステムの全国統一案というのを私どもで提案いたしました。そのスライドが200枚ぐらいありますけれども、それを3分で見ていただきます。
(スライド)
 まず、今から25年前までの3文字の「非常口」。1973年、熊本と大阪で、太陽デパートと大阪千日デパートが大火災で130人にも及ぶ死者を出しました。国会でもとりあげられ、ピクトグラムによって非常口サインを整えるんだということになり、私は鎌田経世・坂野長美両氏とともに最終的デザイン制作実務に当たりました。
 今回は、行政を初めとする関係機関で屋外の広域避難場所をあらわすピクトグラムを整えるということで、非常口の走る人型(ひとがた)を使ったピクトグラムを使ってご覧のようにデザインしました。
 これが都政新聞の2ページ大の片側の特集記事です。左下は、当時ソ連の案と拮抗して日本案が国際規格になった経緯です。ところが、それが決まる前に池袋の3本目の地下コンコースで近い将来文字を削除する前提で、東京消防庁の依頼によりで私が別にデザインして、24年ぐらい使われていたもの。そしてこれが先ほどの非常口サインのピクトグラムを数多くデザインしたときのバリエーションです。全国公募の結果をリファインしたということですが、バリエーションがこのようにたくさんございます。
 下の真ん中。委員会で決定し、それに足の影をつけてくれという注文で、足の角度だけを変えたのではバランスが壊れるので、頭から肩から腕から全部微調整して、【図16】右上のような絵柄に変えました。このように使われて全国で20年余り。
 これが外国の例です。これは東京都庁の地下です。外国の例もたくさんあります。
 これが日ソ対決のスクープ記事。ISO国際規格案としてソ連案が先行していましたので、日本が遅まきながらと提案したら、ソ連が怒っちゃったわけです。だけど、2年もして、もう結構です、ソ連案はとりさげますと。これが日欧戦争のスクープ記事。これが朝日新聞の報道。社会面のトップ6段抜き。さっきのが毎日新聞。
 そして、2年して、これが日経新聞。日本案に統一したと。
 これが現在の冷陰極管によるエッジライト式非常口サインの姿です。その間24年ぐらい経っております。
 これは外国の例です。ロンドンのヒースロー空港とか上海とか中国、ニュンヘンとか、いろいろございます。デザインが壊されている面も少なからずあるんですけれども、その辺の話は省きます。
 そして、広域避難場所に人々を誘導するための【図17】全国統一規格のデザインの案。このたびの震災対策技術展で発表したものです。
 これはニュンヘンの空港ですが、先ほどの池袋地下コンコースで私が文字をとって表現する予定のデザインと、寸分変わらないといってもいいと思います。地球の反対側で一度も打ち合わせていないんですよ。二十数年して、ニュンヘンの空港でこのようなものが使われております。
 これはその駅です。
 これが1年半前。広域避難場所の表示は、楕円形と走る人型で全国統一するんだということを決めた消防庁の報告です。それを踏まえて新聞がJISに決まったという絵柄を示し、そのデザインを制作した私のコメントが左下。
 ところが、全国バラバラなんです。今見ていただきますけど、これを統一しなければ各都道府県が勝手なことをやっていて大問題だということ。ISOの国際規格をにらみながら全国一律のデザインをご覧のようにピクトグラムと矢印、この矢印はベルジャンアローと呼んでいるもので、ISOで20年間、私も参加して4種類の矢印の国際規格化の中でも決めてきたものです。
 避難場所の固有名詞と距離を縦横1対1の正方形、あるいは1対2と1対3の各バリエーションで調えて、信州上田市内で住宅街の道路や、商店街の歩道に置きまして、市民の方に被験者になっていただき視認調査をしました。5メートル、7メートル、15メートル間隔で、いろんなレイアウトと寸法のバリエーションを朝まで光る蓄光材にあしらいまして、景観を損ねないかどうか。視認効果はどうかを調査したわけです。これが商店街の歩道でございます。それらを全部データ化しました。いろんなテレビとか新聞、これもその一部ですが、報道してくれました。
 左下は長野県、走る人型2人、手をつないで走っています。あるいは左上、これが東京都、緑十字で都内に2000本立っております。全国ばらばらなんですね。
 これが駒沢公園の脇に緑十字の絵柄で立っている事例です。文字だけで表現した例も地方によってはあります。
 私が理事長をやっておりますNPO法人サインセンターでデザインしたもの。これらの矢印は太さ、長さ、全部違うんです。まだたくさんございます。左上のは、SとC。サインセンターの頭文字。このNPO法人が中心になりまして、全国統一デザインを提案しているわけです。これは道路標識のポールにご覧の矢印とピクトグラムがアイキャッチャー風にさりげなく添えたものです。
 そして、今2000本の一部は緑十字を【図18】走る人型に変えて、もう既に杉並区は何十カ所も施工が終わっております。
 このように施工されております。杉並区に私がデザインを投げまして、区民のワークショップで検討され、歩道の側溝とか電 柱、消火器のボックスなどに取りつきました。またこれは、今立っているものにシンボルを直角面・正方形で取りつければ既存のプレート2000本は粗大ごみにしないで使える、という提案でございます。高さは3メートル。直角面を地上までおろしてくればご覧の案のようになるわけです。
 そしてこれも既存のサインを使ったもの。右側はその避難場所を地図で総合的に案内するデザインのバリエーションです。
 広域避難場所の入り口にはご覧のように三角柱のゲートサイン。この中には非常電話とか消火器、医薬品、いろんなものが入っている。シンボルはてっぺんに取りつけたオブジェで光っている。
 これはトーナビタというサインセンターの法人会員が共同出品した街路案内マップに避難場所の情報を載せた事例です。
 これはリンテックという会社の太陽エネルギーを使った電池、既存の標識に取りつけて朝まで光る。今、栗橋市でこの現物がいくつも使われようとしております。
 あるいこのようなデザインの四角の正方形部分に広告を入れれば、制作施工費、メンテナンスフィーが賄えるという東京屋外広告協会の提案でございます。そして馬型の既存の構造体を使ったバリエーション。広域避難場所にはご覧のようなキャスターのついた可動式の施設案内スタンドサイン。
 この一覧が以上の全体でございます。ガードレールとか、消火器の標識、ミラーカーブの柱、そういうものも合わせてメディアとして使っていく。ピクトグラムをちょっと添えて矢印と距離を示すというようなことで、街がより安全に資する環境になる。いざというときの防災の手だてにつながる。
 これは車道のペイントですが、この提案はひとつの理想でございます。各省庁の縄張りを取り外さなければどうしようもありません。多少譲り合うということでしょうか。自治体とあわせて電力会社やガス会社も協力をしなければ実現できません。
これは東京都の総合防災部長の金子さんに情報を投げていただいて、文京区の避難マップを絵地図にしたものです。またこれは避難マップにカレンダーを添えて、信州上田市の防災マップカレンダーを私の方でデザインしたものです。これだったら、家族がカレンダーとして使いながら、いざというときにお父さんと子供が集合する場所を食事しながら話題にできる。
そして、津波の地図でございます。
 先ほどISOと申しましたが、ご覧のようにベルリン、ワシントンあるいはロンドンそのほかで図記号の国際標準化会議を開催して、国際協力し合って、25年たちます。
 これが企画表の流れでございます。
 グリッドのバリエーションでございます。
 自分が写真を撮っていますから、私は映っておりませんが、特に避難誘導のサインシステムの審議メンバー、ここでは真ん中に映っております。
 これは一般案内用。非常口サインもその中の一部に入っております。これはISOで理解度調査を、日光と江ノ島で、泊まり込んでおこなった国内委員会のコアメンバー。
さて、ISOの提案はこうなんです。皆さん深刻ですよ。セーフティー・ウェイ・ガイダンス・システム。ISOの安全標識の専門委員  会の中で、屋内はすべて、レストラン、劇場、映画館、学校、病院、商店街、ターミナル、すべてこうなるんですよ。壁、床、一定の幅の蓄光材が張りめぐらされます。階段のステップもそうです。手すりもそうです。非常口のドア周りも、ノブの周りも全部こうなる。私1人が十数年、「とんでもない。こんなことしたら、インテリアがぶち壊しじゃないか。日本はこんなことしないで、二十数年やってきているんだ。1億3000万人の安全のために私もデザインで協力しながらやってきているんだ」といって、猛反対しております。
 そして、ようやくコンティニュアスライン。ご覧のような連続した物理的なラインではなくて、ビジュアルに、ビジブルに視覚的な連続性でもよいとなった。これは飛行機の中でございます。「こういうところは物理的連続でもいい」と私もいうわけです。「工場もいい、倉庫もいい」。
 代替案もこういうふうに幅木のところに5センチ角で蓄光の方向を示すものをポンポンとあしらう。突き当たりにはご覧のように、日本の非常口サインでいいじゃないか。そしてこの写真の右側が連続、左側がオプチカル、視知覚的な連続を調査する調査の実態でございます。左でも十分、朝まで光って連続して見えるじゃないかというのを、去年の6月ベルリン会議で資料を持ち込んで提案しました。
 それで、ようやく各国の原則的な合意を得ました。十数年そのためにだけかかっております。
 ご覧の写真は先年、消防研究所が工業界と一緒になりまして、床にはめ込んだ緑の光源の点滅効果を実験した。その照度、あるいは緑の点の大きさや点滅の時間をいろいろ研究しまして、100人ぐらいがヘルメットをかぶって、床を見ないでどれぐらい視認性があるか。これを15年前に日本が実験しております。私も毎回呼ばれて、実験データづくりにかかわっております。
 これは大手メーカーの1社が提案しているもので、ホテルなどでコンピューターと連動した緑の点滅するライトを生かした誘導システム。残念ながらコストがかさんで、まだ普及を見ていないと聞いております。
 韓国のソウルでございます。
 私どもは先般、六本木の都営地下鉄の地下7層で構内を真っ暗にし、連続視認効果の実験をいたしました。そして、名古屋の市営地下鉄も真っ暗にし、朝5時まで視認効果を実験いたしました。データは全部ISOに持ち込んでいる。日本は3馬身リードし、安全サインを軸とするコミュニケーション環境のプロトタイプをつくりつつあります。
 ちょっと汚いですけれども、これが六本木の地下7層の構内。電気をつけたときのもの。私と名城大学の藤田先生が中心になって実施してきましたので、そのスナップ写真です。
 まだまだ続くんですけれども、皆さんの質問の時間が残り少なくなりましたので、皆さんからお話を投げかけていただく形にさせてください。



フリーディスカッション

里見(司会)
 ありがとうございました。
 それでは、質問等ございますでしょうか。
御舩((財)多摩都市交通施設公社)
 きょうは大変感動的なお話でした。
 特に、谷口吉郎先生のお手洗いの扉の件は、私もその学校で学んだ1人で、「あっ、そういうことなんだ」と、初めて意味を教えていただき、個人的にも大変感銘いたしました。
 そのお話を伺いながら、お話の前半のところで、太田先生が、主体ということとセッティングということ、この2つが大変重要であるというお話をなさいました。その中のお手洗いの扉のことは主体という点では、なるほどそういうことかということで一層よくわかりました。特に、セッティングという点で、今の小学校の事例とか、そのほかの事例でもう少し、主体とセッティングという2つの柱のセッティングの方を補足説明していただけたらありがたいなと思い、質問させていただきました。
太田
 ここに白板がないので、手で書きます。壁があります。こちらにも壁があります。あの幼稚舎の壁は本館の壁ですから、随分厚い壁ですよ。その真ん中に壁と同じ厚みの柱があります。ほぼ正方形。壁があり、柱があり、壁がある。その柱の左右に2カ所、当然扉がついている。セッティングというのは「場づくり」といったんです。場のしつらえです。それによって安全であったり、快適であったり、機能的であったり、その逆だったりするわけです。天現寺の幼稚舎本館の谷口先生のドアのつけ方は、1枚をこういうふうにつけたんです。もう1枚をこういうふうにつけたんです。これで終わりです。ここから入ろうとしても取っ手も何もないんですから、入れっこない。ここから行くしかしようがない。ここには30センチ角のメタルのプレートがドアの上にある。無数の利用者ですから、塗装もはがれちゃう。ですから、これぐらいのメタルプレートを、「どうぞ、さわってください」、とさりげない表情であしらっている。過不足がない。
 おわかりでしょうか。これはあくまでも機能性を過不足なく整えるためのセッティングなんですよ。アメニティーといったのは、それだけじゃありません。ただ機能だけが高まればいいということじゃない。例えばヒルサイドテラスの場合に、当初、信じられない……。余りこういうことを公言すべきじゃないかもしれませんが、私はその中に事務所の仲間と一緒に10年ほど身を置いていたんです。今でこそ、世界から建築家がバスで見学に来るんですよ。それこそイモを洗うような大盛況の界隈になっています。大きな資本も注目しています。
 ところが、当時、30年前はそのヒルサイドテラスに面した旧山手通りの歩道を歩く人は1日に数人しかいなかった。16店舗、モデルショップ、アンテナショップが入っていました。みんな優良企業です。それで2年たち、3年たつんですよ。持ち出し一方ですよ。だれだって黙っておれない。サインを軸とするコミュニケーション委員会というのを槙さんにも出てもらってやっていたんですが、テナントの皆さんいわく、屋上にネオンがないから人が来ない。こういう話になった。そうじゃないんだ。第2の六本木、第2の原宿にしたってしようがないんだといって、こっちは一生懸命説得に努めてきたわけです。
 もちろん、槙さんの設計の質、オーナーとのチームワーク、これが両輪相まって整ったものだと思います。けれども、歴史的に振り返ってみるならば、それほど大変な時期もあったわけです。それはかえって皆さんの方がお詳しいんじゃないでしょうか。
 そのヒルサイドテラスの中での、サインを軸とするコミュニケーション環境のデザインは、慶応幼稚舎をプロトタイプとすれば、その応用展開の第1号だったんです。裏には、前方後円墳かな、渋谷教育委員会が立て札を立てている古墳が敷地の中にあるんです。ですから、敷地内を散策すると、すばらしいんです。だけれども、あそこに何、ここに何があると全部知らしめるのをやめよう。迷うことをよしとする。そういう環境。逆にいうならば、発見の楽しみを内包する環境づくり。それもまたコミュニケーション環境だ。このように当時私は仲間とブレーンストーミングしてきた記憶があります。
 ですから、何でもはっきりわかりやすく教え知らしめればいい、こんなことは一言もいっておりません。機能だけが、車であれば走行性がよく、さらにハイスピードで走れればいい、とは一言もいっておりません。何のために、どこに向かってそんなスピードで移動するのか、移動してからどうするのか、この認識と行動のギャップが想像以上に大きいのが時代的な問題ではないのか。
 比喩的に言えば、片足に靴をはいて、片足に下駄をはいて歩いているのが私たちの現状ではないだろうか。それは住宅のあり方、お年寄りのために6畳1間の和室があればいいでしょうで済ませている。やむを得ない事情は多々あると思いますけれども。
 ですから、セッティングというのは、迷う環境もしかり、また谷口先生のように環境そのものがコミュニケーション機能を必要十二分に整えている場づくり。これをいいたいのです。
 日建設計さんの飯田橋の建物の入り口。私は夕べ車を目の前に置いて、本をお届けするのに、あっちこっち探し回りました。後で気づいたんだけど、あの高層ビルの一番上に「日建設計」と書いてある。首が直角になるくらい見上げて歩く人なんかいません。(笑)ましてや夜は。それで日建設計さんどうしているか、表札。いただいた名刺にもこういう正方形の中に英文でしゃれたロゴ体、じゃ、建物上部は何で日本語で、入り口の表札は小さな英文なんだ、これも首を傾げちゃうんですね。
 あそこにフットライトに相当する、こんな大砲みたいなライトが植栽のところに埋め込んであるでしょう。1つ電気が切れてましたよ。(笑)ああいうものをサインとして使えばいいんですよ。
 環境の構成要素はすべからくコミュニケーションのメディアである。これなんです。慶応幼稚舎のプロジェクトから、そしてヒルサイドのプロジェクトから。私が40年近く教えられたことは。そういう目で皆さんが日常の業務を見直し、とらえ直してみたら、たくさん手つかずの分野における、あるいはメディアの生かし方における可能性がある、こう申し上げたいんです。
永田(鹿島建設株式会社)
 私、杉並区に住んでおりまして、先ほど先生がご紹介くださったサイン、実はまだ確認していないんですけれども、そこで私の質問なんです。街の中にいろんなサインがございます。先ほど先生のお話の中で、海外の事例で道路の標識をなくすというお話がございました。街の中からサインを、余分なものをどんどん外していった場合、最後に残るサイン、つまり、人が生活する上において最後に残すべきサイン、限りなくサインをカットした場合、残すべきサインというのは何なんでしょうかという、ちょっとばかばかしい質問なんですけれども、お答えいただけますでしょうか。
太田
 私が申し上げているのは、環境をサイン化するという方向を申し上げているわけです。環境をトータルにサイン化するということを申し上げているわけですから、今のご質問にダイレクトに答えれば、環境そのものがサインになっちゃうわけです。残りのサインって、何だといわれても、「さあ、何でしょう」と逆に聞きたくなる。環境がすべからくサインに変身する、そういう方向を考えてきたし、実践もしてきた。今後もそうした方向を開発していく余地が非常に大きい、こういうことを本日の趣旨として申し上げているつもりです。
 ところが、ご質問は、太田が申し上げるそういうサインと別に、まだサインが残るんだ、こういう意味合いのことだと思います。例えば、店舗サインなんかもそうかもしれませんが、実はウィンドーを取り上げるまでもなく、並んでいる商品そのもの、これがサインだということは今さらいうまでもないと思います。そうすると、そのお店の個性というものになり、にぎわいというものになり、文化性もぜひ加えるべきだ、と主張しているわけですが、そうすれば、いかにもその街らしい特徴が、公共サインと、商業サインを含む環境の総体に変身して整っていくのではないのか。
 そのためには、縄張りを前提に固執していただかないと、それができないわけです。環境は分断しちゃいますから。ところが、利用者は、別に省庁の管轄というものに拘束されずに、またいで利用するわけです。ですから、その管轄、管理運営主体というものと利用者の持っている基本的ニーズが相入れない現状がありますので、そこのところは、内閣府でしょうか、総理府でしょうか、頑張っていただかないといけない。私は大いに期待しております。
 NPO法人サインセンターも、内閣府を通して総理大臣の認証を取りました。
櫻田(潟宴塔hスケープデザイン)
 最初の方にちょっとお話をいただいたサイン・コミュニケーション・デザインの概念像のところで、サイン環境の中でまずブレークダウンすると、シグナル、シンボル、そしてまた形、光、動き、文字とありまして、最後に、「アザー(そのほか)」ということで、ちょっと勝手な個人的な解釈では、その上のビジュアルとか、グラフィックでない風ですとか、水ですとか、音とかとおっしゃられましたが、そういったサインの中で普通、割と僕らが持っているビジュアルでないもののサインにはどういったものがあるかというか、その辺のイメージを何か教えていただければと思います。
太田
 ビジュアルとかグラフィックでない、それ以外ですか。それはいろいろありますよ。植栽なんかもそうですよ。木々のたたずまい。もう時間がないけど、1分ですごい話をします。
 ここに国土交通省の方いらっしゃいますか。実は、北首都道路というのが27年前ぐらい、片側、地域歩道、地域サイクリングロード、植栽、2車線の地域車道、それから築山、そして防音壁、築山が下がりさらに片側4車線の国道、それからセンターのグリーンゾーン。その中央分離帯の中に橋脚が立って高速道路。これで半分なんです。反対側に半分。これが北首都道路。川口市、草加を通り、今でも走っています。これをつくったときに、すごいというのは何か。私の先輩、牧谷孝則さんと一緒に徹夜をして本当にやったんです。
 その地域道と国道を走るすべての歩行者とドライバーにとっての必要な標識サイン、例えばこの先交差点がある、上り坂注意とか、カーブだから、スピードを落とせとか、そういうのが出てきて当たり前でしょう。ところがそういうのが一切ないんです。
25キロ、モデル区間は本当に設計し、本当につくったんです。
 びっくりぎょうてんだけど、本当の話です。植物だけでつくったんですよ。どういう樹種をどういうふうに植えれば、その環境がどのような意味として見とれるか。これをやったんです。アイカメラをつけて車に乗って、東海道の沼津の松並木を調査して、そのビデオの映像を分析して、その環境が読み取れるというのはどういうことなんだということを全部その設計に組み込んだんです。例えば、ずっと高速を走っていると、知らないうちに上り坂になる、下り坂になる、危ない。そうすると、植栽の仕方によって道が向こうに行くと上がっているように見えるんです。植栽の木の種類と植える間隔と高さを調整すると、道がずっと曲がっていくんです。本当なんですよ。
 そういう何種類ものボキャブラリーをつくったんです。ここのところはこのボキャブラリー、ここはこういうふうに植栽計画すればいいといって、本当にやったんですよ。うそじゃないったら。(笑)すごいでしょう。本当にそこまでできちゃう。そのとき明治大学で植物学を教えておられた大山先生という方がいらっしゃったんです。だからできた。
 もう時間ですね。
里見
 
最後に、すばらしい秘密のお話も教えていただきました。どうぞ拍手をお願いいたします。(拍手)ありがとうございました。


back