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第195回都市経営フォーラム

生活者の目線から見る地方分権社会像

講師:傍士 銑太 氏

日本政策投資銀行 地域企画部 企画審議役

日付:2004年3月25日(木)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

1.時代の転換期

2.欧州の価値観の変革(1970年代&1990年代)

3.地方分権と国のかたち・地域政策・人の意識

4.生活者の目線から見る地方分権社会像
  @小さい単位の自立
  A日常的な存在感
    B都市をつなげる、人がつながる

5.持続可能な都市の条件

フリーディスカッション



 

 

 皆様、こんにちは。ご紹介いただきました傍士でございます。本日は、年度末にもかかわらず、話を聞きに来ていただきありがとうございます。
 プロフィールにありますように、私が、なぜここでこういう話をするかということと、サッカーの存在が非常に関係しております。傍士という名前は、土佐の高知にしかない名前です。ちょうど選抜高校野球のシーズンですね。今から38年前の春、我が母校土佐高校が上岡投手を擁して準優勝するのを見ながら、私も野球少年でした。中学校に入ったとき、釜本さんの活躍によるメキシコオリンピック銅メダルをきっかけに、三菱ダイヤモンドサッカーという海外サッカー番組が始まりました。ドイツの地域同士が激突するサッカーが毎週展開されている世界を見るたびに、うらやましく思いながらサッカーボールを蹴るようになり、以降35年間サッカーとともに歩んできました。
 日本開発銀行に入ってから、ドイツで生活してその雰囲気を味わいたいという夢が、今から6年前にようやく叶いました。フランクフルトで生活をしながら、なにが日本の社会と違うのだろうかということで、まず目をつけたのは、地方分権社会と中央集権社会のあり方です。
 どう見ても、向こうの人が生き生きと輝いて楽しく見える。それはどうしてなのだろうという思いの3年間でした。小さいプードルを日本から連れて行きました。ドイツの都市で約100都市、仕事では10カ国担当していましたので、ヨーロッパ全体だと約200都市を、ある意味では犬の目線で歩き回り、何が違うのだろうかと考えながら。
 日本で地方分権、地方分権と言われ始めたけれども、今まで誰もその社会のあり方について、具体的に伝えたことがない。では、それをどうやって表現したらいいのだろうかと考え、自分なりに3年間いろいろとまとめました。3年前に帰国してから日本各地でお話をさせていただく中で、本日、皆様方の前でお話する機会をいただきました。
 本日のテーマは、「生活者の目線から見る地方分権社会像」です。今からパワーポイントの画面をお見せしながら、かつサッカーの話題も随所に織りまぜ、お話をさせていただきたいと思います。

(図)
 本日のあらすじです。今時代が大きく変わらなければいけないということ、発想の転換をしていかなければいけないという話から始めたいと思います。つぎに、ヨーロッパでは既に発想が転換されてきているけれども、それがいつ、どのように変わってきたのか、その結果、皆様方が今日目にするヨーロッパの都市というものに変貌したわけで、その話をしたいと思います。つぎに、本日のキーワードである地方分権とは一体何なのか。中でも、地方分権と中央集権では、国のかたち、将来像が違うんだという話。それから、地域政策も変わってくるという話。そして、そこに住んでいる人の意識も、変わらなければいけないという話をさせていただき、具体的に3つのキーワードを挙げて、ドイツを中心に地方分権社会についてご説明したいと思います。
 最後に、最終的な目標であるサステイナブルな、持続可能な都市の条件とは一体何であるかを、ヨーロッパの、あるいはドイツの例を示しお話をしたいと思います。



1.時代の転換期

 (図1−2002ワールドカップが残したもの)
 まず、時代の転換期ということです。2年前になりますが、「日本の地域社会に対する黒船」と思えるワールドカップが日本にやってきました。そこで、我々の地域社会に残したものとは一体何なのかを考えたわけです。
 1番目は、本物のプレーを全国各地で見ることができた、体験することができたこと。つまり、これまで殆どが東京や大阪で開催され、世界クラスの試合を地域レベルで体験できなかったということです。全国25カ所に各国のキャンプ地ができ、そこで本物に触れ合って、国際水準の体験をすることができた。
 2番目は、日本代表を通じて、あるいはカメルーンの中津江村に代表されるようにキャンプにきた国を通じて、ホームチームという意識で町中が応援をする体験をしたことです。
 3番目は、こうした体験が日常化して、1カ月もの間続いたことです。日常化した楽しみ、これを文化と呼びます。この楽しみによって、いろんな人々の口々からワールドカップの話題が自然と出てくる。これがまさに文化だと思います。今、Jリーグが地域密着をコンセプトとしてやろうとしていることです。このワールドカップをきっかけに、全国25カ所のキャンプ地では、その後それぞれの国と交流を深めていくようになりました。あるいは、先日のアテネオリンピック予選の際にも、全国でみんながホームの意識で応援をしたということ。あるいは、Jリーグ誕生前には、ほとんどサッカーの観客はいなかったわけですが、今や12年目で1年に680万人もの観客が集まってくれるようになり、去年の1試合平均1万9000人に対して、今年は2万2000人も集まっています
 ということで、ワールドカップを機に地域社会が大きく変わりつつあるということから話を始めたいと思います。
(図2−時代の転換期のキーワード)
 日本全体として、これから何を転換していくのか。それは、これまでの発想や価値観です。「生活の量から質へ」とか「成長社会から成熟社会へ」とありますが、これまでは、物が足りない、不足しているものへの対応が主であったわけですが、これからは安心とか安定、何かを満たそうとするものではなくて、より精神的なものに変わりつつある。イベント重視の考え方から、日常をいかに楽しく豊かに暮らすかという日常生活の視点が必要になってくるわけです。
 そうすると、今までのような中央集権体制では、なかなか問題が解決しない。なぜかというと、今までのように答えが1つではない、いろんな考えによって多様性というものが重要になってくる。均一のものでは満足できない多様性とは、今までニーズありきの議論から、それぞれに在るシーズからスタートする考え方です。どこかでニーズをつくって、それでパッと景気をつけるということではなく、元々あるシーズからスタートする考え方です。それには大きな産業という枠づくりよりも、知識、知恵、技術といった小さいものからスタートする必要がある。その主体となるのは、地域です。戦後すぐの頃には約30%がサラリーマンといわれる人たちでしたが、今では7割以上がサラリーマンという範疇に入ってくる。あるいはOLとか公務員という言葉でくくられてしまい、具体的に何をしているのかという専門家としての物言いが薄れてきているのではないか。
 村上龍著の『13歳のハローワーク』という本は、まさにその点を突いた発想で、「公務員・サラリーマン・OL」といった捉え方とは違う職業のあり方を説明しているのだろうと思います。 
 突き詰めれば、これからは個々人が自立をしていくことになると思います。戦後の経済復興をするためには中央集権でやってくる必要があったこれまでの社会を、私も当然否定はしません。しかし、どこかで地方分権にギアチェンジしなければならなかった。日本とヨーロッパではそのタイミングが違っていたのです。これは、放っておいて自然に移行していくものではなくて、切り替えをしないといけないのです。こうした地方分権社会を支えていくのは、行政圏ではなく生活圏という枠組みの発想であると思います。 
(図3−日本の将来の前提)
 今までの中央集権による高成長を支えてきた主因は一体何だったのか。これは、人口の増加です。これからの人口がどうなるかは所与の事実として、なかなかすぐには変わるものではありません。1950年に8,400万人いた人口は、10年単位で1,000万人ずつ増えてきました。我々の発展はこれに大きく支えられてきたわけです。しかし、人口問題研究所の発表(2003年)によると、2006年の1億2800万人をピークにそれ以降減っていき、2050年には1億人を切るだろう、これは年率でいくと鳥取県と同人口の約60万人が平均して減っていく、これをまず前提として考えなければいけない。もう1つは高齢化です。1950年に高齢化率が4.9%だったものが、現在約12%で、これが2050年には32%になる。これも所与のものであり、年間20万人ずつ高齢者がふえていきます。これからはそういう時代です。こうした時代に適したギアが、地方分権的な発想ではないかというお話をしたいと思います。
(図4−人口の増加期と停滞期)
 『都市の未来』という本が、昨年日本経済新聞社から出版され、私はその研究会の事務局をやっておりました。その委員の一人で、残念ながら途中でお亡くなりになった渡邉貴介先生が大変興味深い研究をされていたのでご紹介します。
 人口が増加するとか、停滞するというのは過去にも何回かあったことであり、実際に過去に3回、人口は停滞していました。平安中後期、室町、そして最近では江戸の中後期に人口は停滞している。室町あたりから見ると、150年周期で増えたり停滞したりしているわけです。この停滞している時期がどういう時代であったかということを、先生は地方分権的な社会がマッチングした時代だった、物財的な追求から精神的な追求、つまり文化を大事にする時代だったと述べています。既に心の原風景としての和への回帰のような現象が今の日本でも起きつつあります。今までのように人が増えて町をつくっていく時代から、これからはつくった町をどう使うかという時代に変わっていけば、仮に人口が停滞しても決して暗くなる必要はないんじゃないかということです。



2.欧州の価値観の変革(1970年代&1990年代)

(図5−ドイツの価値観が変わった)
 ドイツやイタリアでは一足先に人口が横ばい状態になっていて、ヨーロッパではすでに2度にわたり価値観の転換がなされてきました。
 1回目は、1970年代で、キーワードは“環境”です。この時期には、いろんな公害問題が起きました。特にドイツでは、現在の「緑の党」の前身で、Die Grunenという、政党名ではなく“緑の人々"という意味のグループが生まれました。彼らが愛読したバイブルは、フランクフルト在住の哲学者エーリッヒ・フロム著の「 To have or To be 」です。彼は、「何も持つことなく、何かを持とうともせず、生活の喜びにあふれ、自分の能力を生産的に使用することが必要である」ということを説き、これがのちのエコロジー運動に展開していきました。ここからドイツを中心に価値観が変わったわけです。単なる量的な豊かさではなく、もっとたくさんの選択肢がある質的な幸せを考えていこうとしたのです。
 この中心が、学生運動世代の若者たちです。彼らが、学生運動のパワーを次第にエコロジー運動へと切り換えていったわけです。しかも、中央組織が先にあったわけではなくて、いろんな地域にまず同様の活動が出現し、1980年代にようやく「緑の党」という中央組織をつくるという中央集権とは全く逆の発想でした。
 このときに今までの自動車中心の社会のあり方について考え直そうという動きが起き始め、現在見られるまちづくりへと発展したわけです。
 特に、環境問題を考え町のあり方を変えていった地域が、フランクフルトより南のライン河上流の地域、後からご紹介しますダルムシュタット、ハイデルベルク、カールスルーエ、ストラスブール、フライブルク、そしてバーゼルなどです。
 日本は、同時期に全国で公害問題が起きましたが、企業に対しての規制にとどまり、我々の日常生活のあり方を見直そうという動きには至りませんでした。これが日本とヨーロッパの1970年代の違いであります。ヨーロッパでは、その後もチェルノブイリ原発事故などの出来事があって、ますます環境問題に対する関心は加速されていきました。
(図6−欧州統合)
 2回目の変革が、EUの発足であります。現在のEU15カ国に、今年5月新たに10カ国が加盟して25カ国になりますが、これは1989年の冷戦終結がスタートでした。続いて、東西ドイツが統一したのが1990年。1993年にはEU(欧州連合)が発足して、ヒト、モノが統合され、最後に2002年カネがユーロ通貨になったということです。
 ヒトとは、EUの国を行き来するときにパスポートコントロールを受けなくていい。モノとは、国境をトラックが通過するときに、いちいち検閲を受けなくていいということを意味する。ですから、EUの国々は1つの国のように自由に動き回れることから、EUが日本の国でありEU加盟の1つ1つの国が日本の都道府県と考えれば、両方の地域社会を比較することも可能だろうと思います。
 EUでは、地方自治憲章の中で、国単位ではなく地域の競争力重視をはっきりと打ち出しました。これが、地方分権ということです。ワールドカップはいつもおもしろいのですが、1990年代になると、余り選手に力が入ってないのではないかと私は感じました。これはやはりEUの影響だと思います。欧州では、90年代に入り、地域クラブの方が日常的に大きくメディアに採り上げられるにつれて、選手自身もそこでの評価の方を重視していくようになりました。



3.地方分権と国のかたち・地域政策・人の意識

(図7−社会システムの転換)
 地方分権とは何か、中央集権とは何かということですが、これは1つの社会システムです。放っておいてそのうち変わっていくものではない社会システムだと思います。ですから、中央集権から地方分権に国のかたち、地域政策、人の意識というものを変えていく必要があるわけで、いわゆる社会システムの転換と考えなければいけない。今の一極集中のかたちに対し、地方分権をドイツでは“分散主義”という言葉で表現しています。集中に対して、分散主義です。また、地域政策では、国という意志決定に対して、現場主義・現場自治という言葉を使っています。
 それでは、何が違うのかを具体的に見ていきます。
(図8−明治・現在都市人口ランキング比較)
 日本も江戸時代後期には、地方分権の国のかたちではなかったのかと調べてみました。一番古くとれたデータが、明治19年です。これは明治の大合併を行うに際し調べたのだろうと思います。都市の人口をランキングにしたものです。左側が、明治19年のランキングで、東京以下50位まで書いています。右側は、1999年の都市人口のランキングです。これを比較して、大きくランクが後退したものに色をつけてあります。ランクが後退したこれらの都市は、今まさに地方といわれているところであり、少しイメージしにくいので、これを日本地図に表してみました。
(図9−明治初期までの国のかたち)
 青色がランキングに余り動きがなかったところ、赤色が大きくランクを落としたところです。つまり、2つを合体させれば、日本は分散主義となり、非常にバランスのとれた国のかたちになっていたことがわかります。ところが、現在の国のかたちは、青色の都市が中心になってしまったということです。もし、このような青色と赤色をあわせた国のかたちを目指そうということであれば、それぞれの都市を結ぶ道にも意味が出てくる。逆に、現在の国のかたちをベースに議論をする限りは、青色の都市に対する道だけがあればそれで十分ではないかとなってしまうわけです。
(図10−二つの国のかたち)
 中央集権の国のかたちは、中央という概念があるから、地方というものがある。地方分権の国のかたちは、どれもが全部地域というくくりで、その中に東京という地域もある。中央集権では、中央と地方とを結ぶ線は非常に太いのですが、地方と地方を結ぶ線に余り意味は持たない。地方分権では、地域と地域を結ぶ線にそれぞれ非常に意味があって、その地域自体が自立をしている。コンピュータシステムを例にとれば、中央集権の場合には、ホストコンピュータの概念を考えていただければいいと思います。ホストが中央で、端末モニターが地方でした。意志決定がすべて中央で行われる。地方分権の方は、クライアントサーバー型で、それぞれの地域がサーバー機能を持っているので、いろんな意志決定ができて代表性や中心機能を持っている。
 地方分権の分権を中央集権的に考えると、権限を分け与えてあげようとなります。権限の分け与えで分権ということが1つのあり方として考えられる。もう1つはEUのような権限分野を一度分別し直す。つまり、何が国の権限分野なのか、何が地域の権限分野なのか。そして、地域にいろんな中心機能を分散させていくことが分権の将来像ではないかと思うわけです。
(図11−分権は多様性を生む)
 分権社会にはどういうメリットがあるのかを経済的な側面からみると、多様性を生むとともに、それぞれの地域の発展段階が違うことが挙げられます。先行するところもあれば、遅いところもある。地域ごとに自動車に強い地域や化学に強い地域があるなど、いろんな分野の代表性があります。国全体としての発展を考えた場合に、エンジンはたくさんあった方がいいのではないでしょうか。
 ドイツを例にとると、かつてのルール工業地帯、ドルトムントやデュッセルドルフを中心に戦後の経済発展を牽引してきた。今の中心は、自動車のシュトゥットガルト、ハイテクのミュンヘン、金融のフランクフルトで、これらが属する南部3州は今の日本より失業率が低いと言われる地域です。ここが今のドイツ経済を引っ張っている。今後は、ザクセン地方、ドレスデン、イエナ、ライプチヒが引っ張っていくのではないかと言われています。このように、1個のエンジンに頼るのではなくて、いろんなエンジンがあった方が良いのではないか。もう1つは、先行するところがいろんなチャレンジをして、その結果が良ければみんながそれを参考にすることができる。失敗をすれば、それを反面教師とすることもできる。一緒にとも倒れになることはない。こうしたメリットがあると思われます。
(図12−地域政策の転換)
 次に、分権社会の地域政策とは一体どういうものなのか。今までの日本の地域政策は、地域のためにする政策、つまり地域のためにしてあげる政策で、均一均質というものを重視しました。その意志決定の中心が国だったわけです。
 だが、これからは目的が違います。目的は、地域個々の自立です。そのために、それぞれが地域レベルで政策を考える。つまり、地域の利害に関係する公共的な課題は現場の自主性や優先度に任せた政策をとっていく必要がある。これが地方分権であって、その意志決定の中心が現場にあるということです。
 この地域政策に切り換えられなかったことが、最近の地域に関わる諸問題を解決できない原因ではないかと思います。
(図13−パブリック)
 さて、その地域政策の中身は何でしょうか。地域の問題とは一体何なのかについては2つのことが考えられます。
 1つは、最近「官」と「民」という言葉が使われますが、官と民というのはあくまで事業主体、手段の主体のことであり、問題とすべきことは、それが誰の利害に関る問題なのか、今議論されていることは一体だれの問題なのかであって、もし“みんなの問題”とすれば、官だけでも、民だけでもなくて、みんなが一緒に考えなきゃいけない。みんながお互いを助けるということを通じてパブリックな精神で考えなければいけない。ドイツで住民参加という名で行われ、あるいは産学官が連携した、一つの地域という主体をつくって取り組んでいる姿勢は、みんなの問題か否かという発想からスタートしているのだと思います。 
(図14−地域性)
 もう1つは、国策か、地域政策かということです。ポイントは、地域性があるかどうかということです。つまり、防衛、外交、科学技術研究、あるいは貨幣通貨、航空、こういったものは地域性のある政策課題ではないので、国策に位置づけられますが、現在我が国で問題になっている教育、文化・スポーツ、あるいは地域交通、つまり地方のバス路線とか路面電車のあり方、あるいは中心市街地問題、観光、個別な生活環境、こういったものは、全部に地域性があり、地域個々によって違う問題で、1つのモデルに当てはめて解決される問題ではありません。ドイツでは、これらが地域の問題として、各州や市町村の手にゆだねられているのです。
(図15−地域に分散された社会)
 地方分権の国のかたちは分散主義に基づいています。では、何が分散されているのでしょうか。
 1つ目が、先ほど申し上げた人口です。
 2つ目が都市の機能です。ベルリンは、単なる政府機能だけがある首都です。今は人口がどんどん減って、周りに観光的な  スポットもなく、赤字自治体として問題になっている都市です。官庁機能が分散されていることは後でご紹介します。
 3つ目が、企業の本社所在地つまり地域に密着した企業がたくさんあることです。
 4つ目が、その地域企業に人材を送る大学が分散されている。ですから、教育は地域の役割になるわけです。 
 5つ目が、ちょっと変わっているのですが、楽しみも分散されている。小さい町であっても、遊園地の方がやって来てくれる。広場さえあれば、昔のサーカスと同じように移動遊園地、移動屋台が年に2回ぐらいどんな小さな町にもやってきて、楽しみを運んでくる。遊園地のある都会に行かなきゃいけないということではない。フランクフルトにだって遊園地はありません。フランクフルトにもマイン川べりやレーマー広場に大きい遊園地が来て、そこにジェットコースターができたり、観覧車ができたりする。これらは全部移動することから、分散した楽しみということがいえるわけです。
(図16−ドイツ連邦機関の分散)
 それではこれらを具体的に見ていきましょう。
 まず、ドイツの中央官庁です。連邦省はベルリン8つ、ボンに6つあります、今は多少変わったかもしれませんが、これだけ分かれているのです。連邦機関では、刑事庁つまり警察と統計局はヴィースバーデンというフランクフルト空港から車で20分の人口20万人の町にあります。労働はニュールンベルク、金融監督庁はベルリンですが連邦銀行はフランクフルト、そして保険はボンにある。連邦裁判所はカールスルーエにある。特許庁はミュンヘンにあるなど、我々から見ると不便そうに思えますが特に問題はないようです。
(図17−本社所在地日独比較)
 当然企業の方も1カ所に集中する必要はなくて、日独を比較しましたが、売上ランキング上位400社(金融・保険を除く)で、50社、100社、200社、300社、400社、どれをとっても、東京に約6割から65%、一方ドイツにはハンブルクが最高で11%です。11%とは、400社のうち本社所在地がある都市が127都市にも分かれているということであります。
 東京の64%までドイツで積み上げると、22都市を積み上げれば64%になる。この400社のうち、例えば、ITで有名なSAP社の本社は、人口2万人のヴァルドルフという村に昔からあり動きません。意志決定はすべてここにあるということです。フォルクスワーゲンは、人口12万のヴォルフスブルクに、アウディは人口11万のインゴルシュタットに、薬品のバイエル社は16万人のレバークーゼンに。人口10万人以下の98都市に130社が本社を構えている。2万人未満でも34都市に44社。つまり、これは“地域企業”という概念が存在していて、都市は企業にとっては養分を与える土壌と考えられます。根こそぎ抜いていこうということでない限り、そこを離れることにはなり得ない。こうした関係がつくられ、企業が分散している。
(図18−ドイツ金融機関の分散)
 金融機関を見ても、企業がバラバラにあるわけですから、そこに資金供給をする金融機関もフランクフルトに全部あるわけではなくて、保険もケルンだけにあるわけでない、いろいろなところに分散されています。
(図19−大学の町)
 企業に人材を供給する大学も、また分散しています。左側は総数で見た学生数の順位です。右側に学生の人口に対する比率順に見たものがあります。ギーセンという人口7万人の都市は37%が学生で占められている。あるいはチュービンゲンが30%、ハイデルベルクが24%。このように全国に“大学の町”がたくさん存在し、ここから優秀な人材が供給され、どの大学がドイツで一番良い大学かという議論にはあまりならない。人材が有るから企業が在るということであります。
(図20−ネットワークインフラ)
 こうしたバラバラになったものをネットワークで結び合います。まず、アウトバーンと呼ばれる無料の高速道路です。2つ目が新幹線。これは3方向に結節点が分かれるような形でつくられている。そして、航空網は後でご紹介します。つぎに、水運、こういったネットワークに加え、今の情報通信技術によって、バラバラになっていても、それをうまくつなぐことができる。
(図21−航空網)
 航空便の発着本数の割合を比較すると、羽田が日本の7割を占めているのに対して、ドイツでは、フランクフルト16%、ミュンヘン15%、シュトゥットガルト10%、ハンブルク13%、ベルリン13%、こういった形で分散しているわけです。
(図22−欧州水運ネットワーク)
 水運については非常に驚かされます。フランクフルトからマイン川を伝わり、バンベルクの運河を使うと、ドナウ川に入り黒海、さらには地中海に出られる。ベルリンからも同様で、至る所ところで運河によってヨーロッパはつながっており、廃棄物のようにあまり表に出したくないものが水運で運ばれている。大きいトラックが町の中を走っているという光景をあまり見ないのは、まさに水運網が発達しているおかげと言えます。
(図23−地域の自立の3要素)
 次に、3つ目の要素です。地域自立の3要素のうち、財源がないから、あるいは権限がないからということで議論がなされるのですが、では、権限もお金もあったときに、その意識が自立しているか。こんな地域に我々はしたいとか、こういうものを誇りに思い大事にしているという意識を持つことが重要な要素になってきます。
(図24−中央集権の意識)
 140年間にわたる中央集権のもとで、2つの意識ができ上がってしまいました。「都市の未来」でご一緒した東大の篠原修教授が本の中で書いています。まず、3つの自己否定です。日本よりもやはり欧米の方が優れているから欧米を見習うべきだということ、あるいは地方よりも東京、中央の方が優れているからまねるべきであるという発想、そして経済的な豊かさこそが大事なのだという発想です。仮に、経済的な豊かさは違っても、幸せは人それぞれにたくさんあるとは考えられなかった。こうした日本らしさ、地域らしさ、あるいは幸せの多様性というものを否定する意識が知らずに存在したのではないか。
 もう1つは、何でもかんでもノウハウやパッケージで導入しようという発想です。つまり、どうやって(How)という考えが常に先にあって、なぜ(Why)そういうことをするのか、何のために我々はこういうことを考えなきゃいけないのかということ、あるいはこの補助金をもらうために、我々なりにカスタマイズする必要があるのではないかという発想が持てなかったのではないでしょうか。
 ドイツ在任中に日本からの視察のお手伝いをさせていただいたときの話です。ドイツの人が、自分の町をこういうふうに変えていったのは、こういう背景があって、こういう理由でやってきたのだと詳しく丁寧に話します。日本から来た方々は「背景はわかったからどうすればいいかを教えてほしい」、これに対して「それはこの後であなた方が考えることでしょう。私はあなたの町のことを知らないのですから」、こういう問答に何度も出くわした記憶があります。



4.生活者の目線から見る地方分権社会像

 (図25−目線を変える)
 このように「Why」、何のために?を考える意識を持つことは大変重要です。 
 ドイツにおもしろいことわざがあります。
Warum in die Ferne schweifen , wenn das Gute liegt so nah ?
 「なぜ遠くへ行ってウロウロするのだ。良いものがすぐその足元にあるというのに」
 これは、地域の資源をもう一度見直して、地域らしさを考えてみる必要がある。そのためには、今までとは違った目線で考えてみることを示唆しています。
 目線を変えることは、発想を変えることです。目線というのは、何々の立場に立つとか、何々の気持ちで考えてみるとか、あるいは何々の目線で見る、という言葉で表現されるわけです。これからは、目線を、一番低いものに合わせたり、弱いものに合わせたり、小さいものに合わせたり、あるいは一番近いところに合わせることで、新しい可能性が見えてくるのではないでしょうか。
(図26−目線の種類@)
 その目線に関係する事柄がどのぐらいあるのか、思いつくままに並べました。
例えば視野という言葉、これは世界的な視野でものを見るとか、逆にローカルに行動するとか。日本人と外国人、これは観光などで使われる目線です。男と女という性別や子供とか高齢者という年齢による目線。地域なら、東京の目線とか地方の目線。ルールをつくる場合の管理者と利用者、あるいは専門家と素人の目線。責任なら、メーカーの責任とかユーザーの責任などいろいろなとらえ方があります。
(図27−目線の種類A)
 さらに、道路でいえば、自動車の目線とか歩行者の目線。健康なら、健常者と病人や障害者の目線。生態系というのは大事です。我々はすぐ人間だけの目線で考えがちですが、それだけでは、昆虫が移動できなくなったり、動物が移動できなくなったりということが起きてくる。どこが決定するか。あるいはどこに所属しているか。あるいは規模の目線などもあります。
 こうした中で、“生活者”という目線がすべてのくくりとして考えられるのではないかと思います。
 生活者の目線から見る地方分権社会像を、哲学や事象に関して3つのキーワードでご説明したいと思います。



@. 小さい単位の自立

 (図28−市町村合併の歴史)
 まず1つが、すべては小さい単位から考えていくということ。日本は今、市町村合併問題の最中です。そもそも、明治21年の明治の大合併で、約7万あった町村を1万5000の市町村にしました。このとき初めて市町村という名前に分類されましたが、それまでは“むら”とか“まち”という概念でした。次に昭和28年に昭和の大合併。このときに約1万の自治体が3年間で約4,000に再編になりました。そして、平成 17年までに約1,000を目指して自治体が大きくなろうとしています。
 昔、野坂昭如さんのCMソングで「ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか。みんな悩んで大きくなった」というのがありました。果たして今の自治体は合併して大きくなるのは良いのですけれども、みんな悩んでいるのだろうか。何のために合併するかということをしっかりと議論しているのかと思ったわけです。
(図29−日独自治体比較)
 ドイツの自治体の数を、人口規模別に見てみますと、まず特徴的なのは、市町村というクラス分けがないことです。すべて1万3854のゲマインデ(Gemeinde)という単位で扱われる。200人の村も100万人のケルンもゲマインデという言葉でしかない。政令指定都市とか市町村というクラス分けはありません。次に、人口は、日本の3分の2ですが、自治体の数は、逆に日本の4倍強の1万4,000もある。日本は3,200。ドイツでは人口2万人未満の自治体が全体の95%で、1万3000強あります。日本の人口2万人未満の自治体数は2,241で、これがなくなれば約1,000になるわけです。
 フランスはもっと多くて、人口が日本の半分ですが、自治体数は3万7000ある。よくこれでやっていけるなと思うわけです。
(図30−ドイツ州別自治体比較)
 ドイツ全体の数字は、東西ドイツが合体しているので、やや膨らんだ数字になっています。それで、旧西ドイツと旧東ドイツに分けて1994年から99年の自治体数の動きを見てみますと、西ドイツの8,512という自治体数はもう動きがありません。1自治体当たりの人口が平均7,600人。一方、日本は平均3万9000人です。
 つい10年前まで、西ドイツは地方分権国家、東ドイツは中央集権国家でした。その旧東ドイツでは自治体の数が大変多かったので、この5年間に約1,000減らして、5,341になっています。それでも、まだ1自治体当たり2,600人で引き続き規模を大きくしている。西と東では違うので、ドイツではといっても、ここまで見ないと一概にはいえないのですが、問題は人口の多寡ではないのじゃないか。
 そこで、なぜ、小さくても自立できているのかということについて、お話ししたいと思います。
(図31−ドイツ地域再編の軌跡)
 市町村合併については、ドイツでも1970年代に地域の再編(Gebietsreform)という言葉で全国的に行われて、旧西ドイツでは自治体数が8,500になっているわけです。例えば、ヘルマン・ヘッセが生まれたカルフという2万人の町です。この町はアルトブルグ、ヒルソー、ホルツブロン、シュタンハイムという4つの町を当時併合し新しいカルフという町をつくっています。
この画面は、カルフの市議会場の壁です。町の名前というのは非常に重要で、都市の紋章を名前として大変大事にします。併合された町の紋章がすべて壁に掲げられ、カルフという新しい町の紋章だけ中央で大きいものの、我々はあくまでこの5つから構成された町なのだということをいつまでも残している。
 サッカーでいえば、浦和市と大宮市は合併して今はさいたま市です。でも、さいたまレッズとかさいたまアルディージャに変わるわけではなくて、あくまで浦和レッズや大宮アルディージャのままです。清水市と静岡市が合併したとき、静岡市側は静岡エスパルスになってほしいと望んだらしいですが、あくまで清水エスパルスであることが非常に重要な点です。
 逆に、ラーン市は大きくなり過ぎて、地域の再編時にヴェッツラー市とギーセン市に分かれてしまいました。“再編”という言葉が使われたのは、合併だけではなくて、分かれる自治体もこのときに随分出てきたということを意味します。
(図32−ブーヘン市)
 もっとすごいのはブーヘンという人口2万人の町です。再編時に14の町が一緒になり、市役所ロビーの天井を見上げると14の紋章が飾られている。同じくロビーにも、やはり紋章のカードが14枚展示され、我々は14の町が一緒になった町なのだという歴史を残している。つまり、元の小さい単位をいつまでも大事にします。
 これが分権社会の地方自治の考え方です。つまり、小さい単位の極限は個人です。個人がまずできることをやりましょう。個人ができないことを家庭で一緒に考えよう。家庭でもできないことを学校、コミュニティーでサポートしようと。順番に個人から上がっていく。できないことを上の組織がやっていこうという仕組みが分権社会の地方自治の考え方です。
(図33−分権社会の地方自治)
 ですから、意志決定はすべて、個人ができることだったら個人にゆだねられる。これまでの日本の中央集権というのは、意志決定が国で行われる部分が多いため、国に全ての窓口があって、それを見上げる形で県や市町村の体制ができてくるという寸胴型になっているのではないか。これを図のような三角形の分権型のスリムな形にすれば、ダブってこないので、コストもおのずと削減されるのではないかと思います。
 さらに、市町村も同じです。市役所の機能も分散され、あくまで現場主義です。例えば、フライブルクの交通局がどこにあるか。それは電車の車庫の隣にオフィスを構えています。環境問題で日本からも視察に行く清掃局は、ごみ処理場の隣にあるオフィスです。現場現場でオフィスを構えるということ、それによって本当に町の中に必要なオフィス機能は何なのかを考えると、日本のように大きい役所ビルをつくる必要はなくなります。
(図34−補完性の原理)
 この考え方が、EUの考え方です。EUのヨーロッパ地方自治憲章4条第3項には、「公的な責務は一般に市民に最も身近な地方自治体が優先的に履行する。他の地方自治体への権限配分は、仕事の範囲と性質および能率と経済の要求を考慮して行われる。」と記されています。そして、同条第4項には「地方自治体に付与される権限は、通常、十分にしてかつ独占的でなければならない。この権限は、法律の規定する場合を除き、他の中央または広域政府が侵害または制限してはならない」つまり、行政指導や許認可ではなくて、あくまで独占的でなければならないと。この考え方を遵守する国がEUに加盟できるわけで、EUに入るときにはこれらを法律の中にうたわなければいけないということが、社会システムの転換といった理由であります。
 この思想がどこから来ている考え方かというと、1931年のローマ法王ピオ11世の言葉「個々の人間がみずからの努力と創意によって成し遂げられることを彼から奪い取って共同体に委託することが許されないと同様に、より小さく、より下位の諸共同体が実施、遂行できることを、より大きい、より高次の社会に委譲するのは不正である」で、個人がやれることは個人にさせるべきであると述べています。
  「人」という漢字は、何を表しているでしょうか。よく「人と人とが支え合う」ことと聞きますが、サルではなく人間が二本の足で立てること、つまり自立を示している姿とも考えられます。自立した人を前提に、人を人として扱うのが分権社会ではないかなと考えるわけです。
  一番大事な個人の自立に関係する話をさせていただきたいと思います。
(図35−ゲンゲンバッハ市役所)
 突然画面が変わりましたが、これはゲンゲンバッハという黒い森にある人口1万人の町の市役所正面です。クリスマスのシーズンにはアドベントカレンダーに変身し、毎日数字の窓を開けていくカレンダーになります。この町に住むドイツの友人宅のクリスマスに招かれたときのことです。
(図36−お年玉とクリスマスプレゼント社会比較)
 なぜ欧州の人々が、個人が自立する要素を持っているのかということを考えついたのが、このお年玉文化とクリスマスプレゼント文化の社会比較です。お年玉というのは、年が明けると当然のように両親から子供に今では多額の現金が渡される。
 キリスト教信者の友人には子供が3人いました。ヨーロッパのクリスマスプレゼント文化というのはお母さんもお父さんももらえる。家族みんなが贈りあうわけです。この5人家族の場合は、ツリーの下に一人4個で合計20個のプレゼントが置いてある。決してお金をかけず、相手が欲しいものを1年間かけいろんなコミュニケーションの中から探ってアイデアを凝らす。あるいは自分の持っている予算の中で、身の丈でできることを考えていく。これを毎年くりかえします。
 具体的にこの家族がどんなプレゼントを交換したのか。お兄さんは、妹が以前から欲しがっていた携帯電話を、自分のお古をちゃんと箱に入れ説明書もつけて新品のようにしてプレゼントしたら、妹は大喜びでした。妹はお母さんに、いつもサラダをつくるときに冷たい水で水切りをしているのを見ていたので、サラダの水切り器を買ってきてあげました。お母さんは、長女がいよいよチュービンゲン大学に入学し一人住まいをするので母の手料理をノートに書いて、そのレシピノートをプレゼントしました。その長女は、これから家を離れるので、1年いろいろ考えながら撮った家族の写真を手づくりアルバムにして全員にあげました。
(図37−日独地域社会比較)
 このようなことを毎年繰り返している人たちに、地域社会における自立した意識が育つのではないか。これは日独の地域社会を比較すると、今までの補助金慣れのものの考え方から、もっと地域の構成要員がそれぞれに自分たちができること、あるいはその地域に必要なことは何なのかという将来像のようなものを議論する場をつくることから始める必要があるのではないでしょうか。
(図38−分権社会の地域づくり3Step)
 そうすると、どうも地域づくりの順番が、日本とドイツでは逆なんじゃないかなと考えたのがこの画面です。今までの日本の場合、まずお金、予算があって、それをいろんな局に渡して、それでどう使うかということが行われてきたわけです。今は大分変わっていますけれども。
 一方、フライブルク市では助役の立場でも、ある地域のNPOの活動家リーダーとしてその活動を中心にまずものを考えている。みんなが生活者としてものを考えていく。自分の町のアイデンティティーとして何を守らなければいけないか。そういうことから将来像をつくり、場合によっては町の模型までつくってしまう。やれることを具体的にまず描き出していく。次に、だれがどうやってやっていくかという権限の話になって、役割分担を考える。その地域だけでできない場合は、広域的な協力要請を仰ぐ。その次に、一体お金が幾らかかるのかというお金の議論をして、プロジェクトに優先順位をつけて、これから先にやろうとか、急いで無理に最終形を小さくしようとはしない。今できることだけをやろうとすれば、結局小さい球で終わってしまうのですが、常に未完成であり続ける。できなかったら、次世代に頼めばいいじゃないかという。常に“未完成のまま”で引き継いでいく。それによって球の大きさをできるだけ理想に近づけて、必ず後でくっつけて発展段階的に球をつくれるようにしておく。
 例えば、サッカースタジアムでも、最初からいっぺんに大きいのをつくるのじゃなくて、フライブルクは100年かけて今の25000人収容のスタジアムをつくっている。最初は身の丈にあった1,000人のスタジアムからスタートして順番に最終形を描きながら建設をしていったという話を聞きました。



A. 日常的な地域の存在感

 2番目が、小さくてもそれぞれに存在感を示す、地域文化という問題です。それぞれが存在感を示して、生活の深みとか、多彩な楽しみというものを地域が持っている。地域の存在感という意味では、日本の都市の名前をヨーロッパの人に聞いて、みんなが知っている都市は、3つ,いや4つですか。東京、京都、広島、あと大阪。やはり、知らせる、存在感をどうやって出していくかということがそれぞれの都市にとって重要です。そのためには、まず住んでいる人自身が町のことを知らないといけない。説明できなければいけない。説明できるということは好きにならなければいけない。
 好きであれば、「あなた、お国はどちらですか。出身はどちらですか」って、聞かれたときに、すぐに、どんな小さな町であろうが、答えられる。近くのみんなが知っていそうな町の名前にすりかえたりはしない意識を持てるかどうか。このためには、地域の存在感をどのように表現するかということが重要です。
(図39−地域の存在感を表現する)
 ドイツの生活の中で、どんなところに地域の存在感が表現されているのかを観察しました。AからGまで7項目あります。AからEは後ほど詳しくご紹介します。
 Fは、地域の情報発信力で、たくさんの地域新聞があります。日本には、今県に1つの地方新聞がありますが、ドイツではもっとたくさんの地域に分かれていて、全国で約400紙の日刊新聞があります。ご存知の『フランクフルター・アルゲマイネ』という全国紙でも、たかだか40万部の世界です。
 地域の存在感を表現するための情報発信機能としての新聞。例えば、市町村の広報課を外づけで新聞社みたいなものにして、広報の予算を使う。あるいは広域4町で新聞社をつくり、タイムリーに各町の情報を発信することも可能なのかもしれません。
 それから、マスコミというものが分散しているので、いろんな地域の考え方が平等に発信されていくことです。つまり、代表的なテレビ局やラジオ局も分散している。
 Gは、メッセの存在です。地域の技術を生かした国際見本市というものができて、これが地域の存在感をあらわしています。大きいメッセが世界には150ありますが、そのうちドイツには100あります。このほか、ドイツのメッセの中には小さいものが年間に180件ぐらいあります。
(図40−ナンバープレート日独比較)
 では、AからEについて順にご紹介します。
 Aは、自動車のナンバープレートの地名細分化です。今一生懸命活動しているのですが、日本のナンバープレートに出てくる地名は全部で87しかありません。1県に1つの地名というのは27もあります。でも、全国には市・区が800強ありますが、その約1割しか表現されていない。ドイツに行ってすごく驚いたのは、435、東ドイツを入れると730もナンバープレートの地名があります。この中で、小さい町、人口5万人未満で227、2万人未満で57もある。これは人口の多寡ではなく、歴史性だったり、地域性だったり、うちはもう譲れないぞということで、自分の町の名前を出していく。こうしたことが日本でもどんどんできないか。これは、陸運事務所のあるところの地名を使うことをやめればできるわけです。
 この議論は、今国土交通省で制度創設を検討され、まもなく結論がでます。現在、手を挙げているのが、まず、伊豆の19市町村で伊豆ナンバーを希望する沼津ナンバーの人々です。それから会津。今は福島ナンバーですが、28市町村が我々は会津と名乗りたいと。あるいは仙台ナンバーというのもありません。また、天草とか奄美、奄美は鹿児島ナンバーです。あるいは三陸。ナンバープレートの地名が自分たちの地域を意識させるものとしてもっと活用されなければいけないのではないでしょうか。
(図41−アイデンティティーを紋章として地域意識の共有化)
(図42−まちの生活感ある風景を絵葉書に)
 Bが、紋章です。都市の紋章を使うことによって、町のアイデンティティーを高める。ヨーロッパに行くと紋章が随所に出てきます。それが旗に使われ、ホテルには必ず掲げられたりする。そして、絵はがき。名所旧跡のものだけでなく、町の風景そのものを絵はがきにして情報発信できないか。日本では、なぜバラ売りをしていないのか。なぜセット売りしかできないのか。バラ売りで町の風景の人気投票にもなります。
(図43−定期的にまちを残す公式写真集)
 さらには、町の姿を定期的に残していくこと。これは先ほどのカルフという町の写真集です。立派な写真集ですが、1,000円ぐらいで売られています。これは公式的につくったもので、1ページ目には市長さんの挨拶、続いて町の歴史、地図、そして四季、風景、また市町村合併をしているので、かつての町の集落の風景が合併をした後もきちんと残されていく。人の営み、お祭り、文化などが1セットになって、写真集の形で町を残していくことが行われています。
 海外視察をする際に何をおみやげに持っていけばよいかと相談を受けます。答えは、町の写真集、絵葉書、紋章ペナントです。これらは、欧米人も共通の価値観が持てる大事なもので、大変好評です。
(図44−ホームチームを応援する)
 Cが、スポーツです。ブンデスリーガと呼ばれるのは、全国リーグという意味で、サッカー以外の多くの種目でブンデスリーガがあり、都市と都市の対抗戦が日常的に行われている。北ドイツでは寒いので、サッカーよりもハンドボールが盛んに行われている。日本では地域のクラブは、JリーグのJ1、J2で未だ28チームしかありませんが、ドイツでは地域のサッカークラブは2万6700もあります。これが、すべておらが町のチームと呼ばれるものです。
 日本のプロ野球は12球団だけですが、Jリーグの場合は、おらが町のチームが強ければJ1まで上がる可能性をもったホームチームになります。自分の町を応援する意識をもつ。ベガルタ仙台は残念ながら2部に落ちましたが、「1試合にサポーターは“仙台”という言葉を何回連呼しているのか調べてほしい」と協力してもらったところ、1,000回も「仙台」と叫んでいるのです。これは大変なことで、彼らの頭の中では「仙台、仙台」とグルグル回っているくらい、自分の町が意識されるようになっている。
(図45−食文化)
 Dが、食文化です。自分の町の資源、特に飲み物や食べ物です。地ビールというと日本ではすぐに東京で売ろうとしますが、地ビールとはあくまで地元の大半が支持して飲まれていてこそ地ビールです。フランクフルトのヘニンガー、ビンディングはミュンヘンに行くと原則飲めません。このようにして、地ビールが維持されている。
 ミシュランの星付きレストランはドイツに180カ所あるのですが、そのうち人口5万人以下は100カ所、つまり大半が田舎にある。田舎の方が、食文化、つまり、食べ物、地の飲み物、風景、あるいは建物、それらを総合的に見て評価している。旧東ドイツにはまだ4カ所しかありません。
 1つだけ断っておきますと、ミシュランというのはタイヤメーカーですので、できるだけ車に乗って田舎に走らせたいから遠くを選んでいるのだという説もあります。
(図46−音楽学校)
 Eは、地元のオーケストラ、博物館、美術館です。この芸術分野が各地に分散されている。中でも音楽は、人口5万人以上の町107のうちで、102の町に音楽学校(Musikschule)がある。音楽は学校で習うのではなくて、地域の音楽専門学校で習うため、勉強の後に行くわけです。本物の芸術は、8歳までに教え込まないと上達しないといわれています。8歳までに本物に触れさせ感性に訴えないといけないと。サッカーも同じで、今Jリーグアカデミーは5歳からやっています。
 博物館や美術館も全国にたくさんあり、ドイツでは毎週水曜日は無料です。旅行に行って、もし、美術館、博物館に行かれたい場合は、水曜日を選んでください。これは、子供たちの教育に配慮した面もあるといっておりました。



B. 都市をつなげる、人がつながる

 『小さい単位の自立』『日常的な地域の存在感』に続くキーワードが、バラバラに自立したものをつなげていく発想を持つこと。例えば、子供、学生、大人といった世代をつなげるとか、歴史をつなげるとか、『つなげる』という考えが表現されている社会です。都市をつなげるといっても頭の中だけで考えたらなかなか難しい。
(図47−まちの模型)
 そこで、フランクフルト市役所から少し離れた大聖堂とレーマー広場の間にあるビルに市の都市計画局があります。この1階ロビーに画面のまちの模型があります。新しいものをつくろうとするときに、この模型を見ながら都市のかたちをつなげていくという考え方です。
(図48−景観を維持した建築)
 私が赴任したときにフランクフルトの町中で2つの工事が行われていました。1つの外壁を残して建物を建てかえていくもの。3面の外壁を残して建物を建てかえているもの。3面の方は完成までに3年かかりました。これが残された外壁で、上に新しいものが加わって、歴史がつながっていく。3面の外壁を残して何をつくっていたかというと、実はシネマコンプレックスをつくるためでした。こうして古い物に新しい物をつないで、歴史をつなげていくことをやっていたわけです。
(図49−交通と都市のかたち)
 さて、交通手段の変化、つまり自動車が出現したことによって都市のつながり、都市のかたちがなくなり、人がつながらなくなって、にぎわいが見えなくなってきました。これが中心市街地問題にもあらわれています。これを、どういうふうに考えていけばいいのか。自動車を否定するのではなく、徒歩や公共交通とどのようにつなげていくのかという自動車社会を見直す動きが、欧州各地で1970年代から始まりました。
(図50−ルイーゼン広場)
 人口13万人のダルムシュタットは、ドイツで人口当たり自動車保有台数が一番多い町です。それまで自動車がブーブーと走っていたルイーゼン広場ですが、自動車交通を地下化して、路面電車、バスと人の広場につくり変えたのが1970年代。今では1分間に1台の計算でバス、電車が走っていますが、決して人に「どいて」というクラクションを鳴らすことはない、非常に静かな広場となりました。
(図51−中心広場の変貌)
 最近の動きでは、ベルギーのブルージュです。これは、2枚とも州庁舎広場の絵はがきです。新旧2枚の絵はがきが同時に売られていたのでびっくりしました。1997年までは画面に見るように駐車場になっていましたが、その後は人間の広場に戻りました。これには5年かかりました。
(図52−公共交通と呼ぶために)
 公共交通でいう公共、パブリックとは「人を助ける」という意識がないとなかなか存在しにくいものであり、そもそも自動車に匹敵するサービスが提供できない限り、なかなか乗りかえることができない。では、自動車に匹敵するサービスを提供しようではないかと、ヨーロッパ各地で交通の事業主体が一つの交通連合を組んで、我々乗る側に、小田急だ、京王だ、東武だという事業主体の意識を与えずに全部がつながっているかのように利用できるシステムをつくり上げました。利用したくなる、あるいは多くの人が利用するためには、わかりやすいことが重要です。事業主体、ルート、ダイヤ、切符、運賃、そして情報というものがすべて切れ目なく、連続してつながっていなければいけない。どこをどんな交通機関がいつ、幾らで利用できるのかということがすぐわからなければいけない。こうした交通のつながりの中に、意図的に人のにぎわいをつくっていく。これは決して交通会社のシェア争いではなく、みんなでパイを大きくすればおのずと同じシェアでも売り上げは増えるはずだという発想によるものです。
(図53−1枚の全系統全路線図)
 この思想をあらわしたものが、この地図です。これは、フランクフルトにあるドイツ鉄道、地下鉄、路面電車、バスなど交通事業主体20社の全系統の全路線図を1枚の道路地図にすべて表わしたもので、駅に掲示されたり一般に配布されたりしています。どの家からも500メートル以内に停留所があるという考え方で、そうでないと利用してもらえない。
 この地図を日本各地でつくろうと思えばつくれるのですが、どうしても自分の会社が記載された地図しかつくらない。しかし、それでは我々としても利用しにくいわけです。
(図54−時刻表と乗換案内)
 次に、これらを時刻表にしています。ドイツ鉄道、地下鉄、路面電車、バスなどが1冊の時刻表になっている。この1冊を持っていれば全部がつながっている。これがフランクフルトの場合、5月下旬に2ユーロ(250円)で売り出される。これは市内、都市圏ですが、もっと視野を広げると、遠距離電車や新幹線に乗車した際に、各座席に冊子が置いてあり、例えば13時8分にシュトゥットガルト中央駅でおりると、これだけの電車が接続しています、その電車の乗車ホームはここで、途中駅はこうですよという情報が、席に座ってその冊子を見たら、言葉がわからなくても全部つながってしまう。
(図55−市民の交通手段別利用状況)
 具体的にフライブルクの例をみましょう。フライブルクは1976年に調べた自動車の年間利用率60%が、96年には43%に減っている。ただし、この間自動車の利用回数自体は横ばいである。つまり、利用増加分が全部電車、バス、自転車に振りかわっているということであります。これはみんなが協力してパイをふやそうとした結果です。
(図56−路面電車の利用者数)
 交通部門の赤字は、市民が払っている電気、水道代のエネルギー部門の黒字から補填されます。つまり、電気、水道代を下げるためにはみんなで電車、バスにもっと乗らなければいけないという循環になっています。利用者が増えるのになぜ赤字になるかというと、自動車と競争しているからです。サービスを競争するために車両を更新する。あの快適な車両のLRTが走っているのは、自動車と対抗しているからです。また、路線を延長してより便利にする。このようにパイを増やす努力を重ねた結果、1989年から約10年間で3,400万人の路面電車の利用客が6,400万人に増えました。
(図57−緑のネットワーク)
 カールスルーエも路面電車で有名です。つなげるという意味では、ここでは、緑のネットワークという緑地をつなげていこうという政策をやっています。緑色の部分が緑地、赤色の部分が計画です。生態系を維持することがエコロジーの原点で、虫が移動できる、動物が移動できる、川では魚が生存できる、そのために緑をつなげていく。



5.持続可能な都市の条件

(図58−意識改革)
 生活者の目線で町の将来像を描くときに、どんな町にしたいかとか、どういう町に住むことが自分たちにとって快適かということを、一旦集団や経済ということを抜きに、個人的・人間的な意識で考えていく。そのときにあの人が儲かることは嫌だとか、そういうことではない、嫉妬心を排除することが必要です。
(図59−生活者の目線で描くオッフェンブルクの将来像)
 その事例が、人口6万人のオッフェンブルクという、ストラスブール対岸のドイツの町です。ここには大手出版会社ブルダというドイツ2番目の出版会社の本社がある。
 ここで、1999年から2年間かけて住民が参加をしながらつくった、普遍的な10項目から成る地域の将来像があります。子供は地域の未来である、子供のためになる投資をしよう、いろんな子供が育つ教育をしよう、そして、いろんな職業がある町にしよう。つまり、当たり前のことですが、この町に生まれ、育ち、働くという循環をつくっていこうという3項目がはじめにあります。
 次の4項目は、自然環境、地域交通、中心市街地、観光です。地域資源を生かして、環境に配慮した生活環境をつくる。
 残りの3項目は、国際化、社会的連帯、民主主義です。外とつながった都市を目指し、いろんな世代、文化、宗教の人たちとも仲よくやっていこう。そして、住民を含めた新しい協力関係でみんなが生活者の目線で考えていこうという内容です。
(図60−持続可能な自治体コンテスト)
 ヨーロッパでは、「環境都市」から「持続可能都市」というキーワードに2000年から変わっています。ドイツでは、今まで環境首都コンテストというものがあったのですが、持続可能都市コンテストに変わりました。その指標37項目をこれからご紹介したいと思います。
 全部が数値化できるものです。@快適性、A社会福祉、B環境と資源保護、C経済的効率の4つの柱があります。
(図61−快適性)
 1.自然・保養地の面積 2.文化・スポーツクラブの数 3.人口の増加 4.自転車道の整備
 5.自動車密度 6.子供の交通事故 7.犯罪率 8.肥満児童数 9.公共交通サービス網 10.騒音負荷 
 まず快適性です。レジャーや自然保護の対象になる土地がどれだけあるか、文化やスポーツクラブがどれだけあるか、人口が増えているか、自転車道、自動車の密度、子供の交通事故、犯罪率、健康面では肥満児童がどのくらいいるか、騒音、これらを快適性の指標に挙げています。
(図62−フェラーラ市)
 2003年のヨーロッパ持続可能都市賞に3つの都市が選ばれています。その1つに、人口13万人の町イタリアのフェラーラがあります。ここは自転車が多く、子供からおじいさんまで自転車を利用しています。
 なぜ選ばれたのか。それは、緑の割合が多い、自動車の流入割合が少ない、自転車の数が多いことです。自転車保有は、赤ちゃんも含め1人当たり2.7台、市内に自転車修理屋さんが38軒できており、自転車専用道でイタリア中をつなげています。このフェラーラ市にイタリアで初めて自転車室長というポストができました。現在では、自転車室はイタリア全土で18都市にできている。当市は観光としても有名で、100の芸術文化都市メッセの本部が置かれているところでもあります。
(図63−社会福祉)
 11.子供・青少年への世話 12.男女平等 13.子供・青少年への投資 14.障害者への投資 15.無料の居住空間
 16.生活介護人 17.移民への対応 18.世界的プロジェクトへの参加
 2つ目は、社会福祉です。日本には余り関係のない項目も多いかもしれませんが、重要なことはどんな都市であっても、世界的なプロジェクトに参加をする。こうした発想を持つことが大事です。
(図64−環境と資源保護)
19.自然保護 20.街の使用面積 21.節約面積 22.河川の水質 23.飲料水の使用量
24.ゴミ 25.省エネ 26.再生エネルギー 27.交通手段の多様化 28.集落面積と樹木 29.ツバメの飛来数
 3つ目は、環境と資源保護です。いろんな環境の問題がありますが、第29項目に「ツバメの飛来数が多い」とあります。これを尺度にしているということは非常におもしろいことだろうと思います。
(図65−The Green Goal Project)
 環境といえば、2006年にドイツでワールドカップがあります。このワールドカップのスローガンは、ザ・グリーン・ゴール・プロジェクト。まさに環境問題です。これはたくさんの人が移動するだろう、たくさんの人が飲食をするだろう、たくさんの人が消費をするだろう、たくさんの人がごみを出すだろう、これに対して何ができるか。これらを20%削減できないかと考え、今プロジェクトが組まれています。
 その代表的なものが、公共交通とコンビになったチケットです。この画面はサッカーのチケットですが、サッカーチケットに公共交通1日券がついていて、これを持っていれば試合会場に公共交通で行くことができる。オペラとかコンサートのように短時間にたくさんの人間が集まってまた離れていくような場合、有効です。
 もう1つが、再利用コップです。日本のスタジアムのほとんどは使い捨てコップを使っていますが、フライブルクのスタジアムでは再利用コップのおかげで年間100万個のコップごみが今やゼロになっています。再利用コップはデポジット制や買取制を導入しており、現在Jリーグでも仙台、甲府、FC東京、大分で利用が始まっています。
(図66−経済性)
 30.職業教育の機会 31.失業 32.生活基盤 33.バランスのとれた経済構造  34.自治体の債務
 35.エコロジカルな企業数 36.企業の土地利用効率 37.エコロジカルな農業
 4つ目が、経済的効率性です。エコロジカルな企業やエコロジカルな農業が存在し、バランスのとれた経済構造をめざし、できるだけ偏った産業の町にしないということであります。
(図67−ハイデルベルク市)
 このエコロジカルな企業づくりで有名なのは、同じく2003年ヨーロッパ持続可能都市を受賞したハイデルベルク市です。ハイデルベルクでは何が特徴かといえば、やり手のヴェーバー市長さんの存在です。ここは、学問の町であり、人口14万人の中で学生が25%、就業者人口は9万3000人を誇る雇用の場をつくり出すのが非常にうまいところです。
(図68−環境政策を産業につなげる)
 ここでは、市民サイドからの意識の高まりに手助けし、即した政策を考えます。行政は、プロジェクトに関係ある人すべてが一同に会するプラットホーム、対話の場をつくります。
 環境政策を産業につなげた実例を紹介しましょう。当市では、大気汚染対策のために、中小企業に対して「環境マネジメント」を紹介しています。8種類のワークショップを設置して、企業の担当者が、廃棄物処理、エネルギー、自然保護などの環境問題を学べる仕組みです。さらに、市が費用を負担して、委託された民間の専門家に中小企業を訪問・調査させて各企業の実態にあうマスタープランを作成します。当該企業は、そのプランによって省エネや資源の節約を実践していきます。これによって何が実現されたかといえば、@省エネ、資源の削減 A企業のコストの節約 B大気汚染問題の改善 の3つのWinです。企業がこのプランを継続していけば、一過性ではなく、各プランによって各企業が継続的に実践していく構造が地域にできることになったわけです。
(図69−日常生活を楽しむ会話)
 ハイデルベルクという町の魅力は、人口13万ですが、個人的な面識の濃密な土地柄で、あの人を知っている、この人を知っているという世界です。その中にいると、すぐにみんなと知り合いになれる。こうした環境、個人的な面識が非常に重要だということです。これは日常生活の中から生まれてくるものであります。日常生活といえば会話が重要になってきますが、ドイツでは、別れ際に「これからも良い1日を」とか、金曜日や土曜日には「良い週末を」といった言葉が、ポンポンと町の中で交わされる。そういう日常生活の中の何げない会話があって、レーベンス・ルスティガー(Lebenslustiger)という言葉が存在しています。これを訳すと「生活を楽しむ人」。日常生活を楽しむという価値観、発想というものが非常に重要になってくると思います。
 最後に、ドイツ在住の友人に吉永俊之さんという方がいます。私は彼からヨーロッパの自然や音楽、芸術、飲食、日常生活の楽しみ方をたくさん習ったわけですが、彼から長田弘の詩集を紹介してもらいました。この詩集が出版されたのは今から20年前、1984年で、私がちょうど経済企画庁に出向して、経済白書に携わっていたときです。折しも1人当たりGDPが実質世界一になって、日本が欧米にキャッチアップを果たしたころです。この後日本はバブル経済、失われた10年へと進んでいくわけですが、皮肉にもこの詩集のタイトルは『深呼吸の必要』(晶文社)であります。
 その中に「散歩」という詩があり、今まで申し上げた考え方をあらわすにはぴったりの詩です。読ませていただきます。




「ただ歩く。
 手に何も持たない。
 急がない。
 気に入った曲がり角が来たら、すっと曲がる。
 曲がり角を曲がると、道の先の風景がくるりと変わる。
 くねくねと続いていく細い道もあれば、思いがけない下り坂で、膝が笑い出すこ  ともある。
 広い道にでると、空が遠くからゆっくりとこちらにひろがってくる。
 どの道も、一つ一つの道がそれぞれに違う。
 街にかくされた、みえないあみだ籤の折り目をするするとひろげていくように、  曲がり角をいくつも曲がって、どこへゆくためではなく、歩くことをたのしむた  めに街を歩く。
 とても簡単なことだ。
 とても簡単なようなのだが、そうだろうか。
 どこかへ何かをしにいくことはできても、歩くことをたのしむために歩くこと。  それがなかなかできない。
 この世でいちばん難しいのは、いちばん簡単なこと。」

 いつも、エンディングにはこの詩をご紹介することにしています。歩くことの楽しさは、いろんな偶然の出会いだと思います。その偶然の出会いとは、ウィンドーショッピングだったり、人と会ったり、話をしたり、何か花を見つけたり。こういう簡単なことができない都市に我々はしてきてしまったのか、それをもう一度考えていかなきゃいけないのかなと思います。
 質問の時間もあろうかと思いますので、ここでお話を終わりにしたいと思います。なお、これからもいろいろとご指導をよろしくお願いしたいと思います。
 長時間ご清聴ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

里見(司会)
 それでは、質問のお時間とさせていただきたいと思います。
三橋(商業・流通システム研究所)
 お話大変ありがとうございました。こういう話を聞きまして、日本の現状を考えると、非常に失望というか、世界が違うようなことすら感じるわけです。先生が日本の持続可能都市づくりの取り組みについて評価される面がありましたら、日本でもこういう 動きがあるのだよということで参考にしたいと思いますので、それを教えていただきたい。
 それから、そういう日本の取り組みに対する評価、評価というのは非常に難しいと思うのですが、こういう価値観の転換、意識の改革は日本人はできないんじゃないかと思っているぐらいに考えているんですが、その辺いかがでしょうか。
傍士
 まず、私は、ドイツがよくて、ヨーロッパがよくて、日本がだめだというつもりはなくて、こういう社会も海の向こうにはあるのです。最初にも申し上げたように、どういう町に住みたいか、どういうところで生きていくのかという価値観の表現でしかないと思いますので、まず、どっちがいい、悪いということは、私自身は余り考えてない。ただ、もっとこういう町にしたいとか、環境にしたいということを具体的にもう考えておられる地域は、全国に実はたくさんあるわけです。
 湯布院というと、昭和46年でしたか、中谷健太郎さんや溝口薫平さんらがドイツに行って見聞してきたことを、どこをまねるわけでもなく、ああなったらいいなという考えを1つ1つ実現してきている。
 それから、今までお話し申し上げた中で、市町村と国や県というものが、官と民という言葉で分けたときに、同じ「官」なのかという疑問です。私は官の役割は、公平性とか公正性とか、きちんとバランスをとっていく役割だと思うのです。その意味では現場を持っているか持ってないか、そこに違いがあって、国と県というのは官ですが、市町村というのは土、地べたなので、民だと思うのです。だから、市町村の上に企業や住民がいる。市町村というのはあくまで現場であって民です。
 金沢市は、今、「市民まちづくり研究機構」を去年からつくって、市民から論文と面接で考えをもつ人を募集して、9つのテーマに分けて、その座長として石川県の各大学の人たちを上手に使って、それに市役所の人も関係して、大体15人ぐらいのメンバーで取り組み始めています。それはまさにオッフェンブルクの将来像をつくる、そういったやり方に近い部分だと思うのです。彼らは決して何か完成品をつくろうとしているのではなくて、未完成品の取っ掛りから始めようということで、さっきお話した交通も、今まさに取り組み始めています。
 私は決して日本を悲観してはいなくて、全国各地に行けば、こうした取り組みが見えてきます。もっとできることがあるのじゃないかというのが意識改革の部分で、さっき、いろんな絵はがきだとか、Jリーグのホームチームもそうですけれども、自分の地域を意識できる取り組み、あるいは自分の地域を好きになるような取り組みをしていけば、変わってくるのではないでしょうか。
 東京にいると、こうした地域の動きが実はわからなくなってしまう。Jリーグの動きは、全国紙だけを読んでいるとほとんどわからない。東京で全国放送を見ていてもほとんどわからない。でも、一旦地方へ行ってみると、どうか。仙台の河北新報、試合のたびに一面カラー刷り。毎日のように選手の記事が出て、テレビは地方の放送局で10%を超える視聴率です。新潟や札幌などJリーグチームのあるところには、地域意識の高まりが起きてきていることが重要だと思っています。意識改革もできてないとは決して思ってなくて、東京にいるとそれがわからなくなってしまう。本当は東京で宮城放送とか地方局がケーブルで全部見られるシステムになっていればすぐわかると思います。ドイツの放送は、ケーブルでミュンヘンの番組をフランクフルトでも見ることができます。
大川(石川島播磨重工業株式会社)
 貴重なお話をありがとうございました。
 地方分権に関してドイツの場合と日本の場合と大きな違いといいますか、日本で地方分権を進める場合に、問題になっている1つは、財源あるいは税金の地方への移管がなかなかうまくいっていない、地方と中央でなかなか調整がとれてないようなことだと思います。
 今のお話ですと、ドイツの場合は、企業の本社が地方にも非常に多くあって、あるいは大学もあって、それから官庁自体も地方に分かれて存在している。そういう中では、税金といいますか、財源も地方にそれなりに多く持つことができるのだろうと思います。
 日本の場合は、そういったものが地方は非常に弱い面があるので、集めて配分しないとうまくいかないので、今の制度ができている面もあるだろうと思います。そういう意味でドイツと比較して、日本の分権を進めるに当たって、財源問題についてどういうふうに今後、より分権が進む形にするにはどうすればいいのかというお考えがございましたら、教えていただきたいと思います。
傍士
 意識と財源と権限の中で、3すくみになっていくわけです。私が考えるには財源からスタートすると、多分出口がなくなってしまう。時間がかかるかもしれませんが、財源論とは別に、お金を集めることはできなくても、人を集めることはできるのじゃないか。つまり、いろんな地域で優秀な人材が地域のために働くようになれば、おのずとそこに企業も集まってくる。ドイツの場合、企業が先にあったわけじゃなくて、大学が先にあったのですね。大学があって、人が集まっているところに企業も行った。
例えば、北海道で教育をする場合に、北海道からみんな出ていって東京の良い学校へ進学してくださいという目的で教育をするのと、北海道から出ないで北海道のために活躍してくださいということを考えて教育するのとは全く違うと思います。いずれ、各市町村の役場に就職したい、優秀な人材が地域のためにそこで働きたいという風に、少しではありますが、変わってきています。
 だから、まず人を集めるということが非常に重要になってきて、いい人材がいるところには企業が出てくると思います。財源だけからスタートするとなかなか難しいのではないかなと思います。
里見
 ちょうどお時間も参りましたので、これにて本日の都市経営フォーラムを終わらせていただきます。どうもありがとうございました。(拍手)


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