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第198回都市経営フォーラム

市民が創る都市文化

講師:佐藤 友美子 氏

サントリー不易流行研究所 部長

日付:2004年6月17日(木)
場所:後楽国際ビルディング大ホール

1.ライフスタイルの変化

2.世代で違う心地よい場所

3.都市で始まっている新しいムーブメント(関西発)

4.ハード(自然・道路・建物・・・)を活かすソフト

5.人を活かす都市――成熟社会の豊かなライフスタイルの実践

フリーディスカッション



 

 

 

 

 

與謝野 本日は、サントリー不易流行研究所の佐藤友美子さんにお話をお願いしております。
 本日の演題は、「市民が創る都市文化」と題して、成熟社会の今を生きる楽しさ、あるいは難しさという感覚を多くの方々とともに考え共有し合って、都市文化をつくる「とば口(入り口)」にともに立ちたいという思いで貴重なお話をしていただけるものと楽しみにしております。
それでは、佐藤さんよろしくお願いいたします。(拍手)

 サントリー不易流行研究所の佐藤でございます。皆さん、こんにちは。
 大阪ではお話しする機会が多いのですが、東京でこんなたくさんの方の前でお話しすることはあまりないので、今日はちょっとどきどきしております。よろしくお願いします。
 今日は、都市経営に関するご専門の方ばかりだと思います。私は、皆様の側ではなく、皆様が計画し、提供していらっしゃる施設なりを使う市民の立場で物を考えている者ですので、そちらの立場からのお話をさせていただきたいと思います。
 せっかくの機会ですので、今思っていること、これからこうなってほしいという思いをお話しさせていただきたいと思います。データがきちっとあって、積み上げてきた知識を話すということではなくて、町を歩いたり、人に会ったりした中で、考えていること、問題だと思っていることの中で、まだ表に出てきていないような問題を含めてお話をさせていただきます。あと30分間議論の時間があるそうなので、その中で皆様のご意見をお聞かせいただければと思っております。
 最初に、サントリー不易流行研究所というのを少しご紹介させていただきたいと思います。なぜ、私がここに立っているかということです。今日、皆様に年報をお届けいたしました。これは毎年、社外の方にお配りするように作っております。
 1989年、平成元年にサントリーの90周年事業の一環としてつくった研究所ですが、人員は所長を入れて6名しかおりません。全員サントリーの社員で、例えば大学院を出たとか、専門の勉強をしてきた者は1人もおりません。専門の立場ではなく、市民の立場を重視していることから、そういうことになっているわけです。そういう小さな組織でやっていることだと思って、お聞きいただきたいと思います。もう1つ、うちの研究所の特徴ですが、社外も社内からも一切委託研究を受けておりません。全く自主研究だけをやっております。これは最初からずっと変わらないスタンスです。そしてわかったことは、情報をなるべく外に発信するように考えております。企業のマーケティングとは一線を画した立場で考えております。
 では、何でサントリーがそういうことをやるかということになりますが、サントリーはご存じのようにお酒の会社から始まりまして、今は清涼飲料の方がボリュームは大きくなっております。そういう意味では今はお酒の会社とは言えないぐらいになっているのですが、それでも、扱っている商品は嗜好品で、必需品というものではなく、皆様の生活の楽しみにかかわることをやっています。それは商品だけではなく、全然儲かりはしませんけれどもサントリーホール、なども含めて、扱っているものは楽しみを増幅させるためのものだと思っておりますので、その基礎研究をしようということで、15年ばかりやっております。
 嗜好品ですので、無くても困らないわけです。皆様の中に先にニーズがあって、これが欲しいと思ってくださるから提供するというわけではありません。佐治敬三がサントリーホールを作った時には、こんなにクラシックファンがいらっしゃるとは思っていなかったかもしれない。ところが作ってみたら、裾野がずいぶん広がったわけです。逆にいえば、皆様を文化的に刺激することで、サントリーの商品なりサービスなりが意味を持つ、そういう企業でございます。そういう中で必要ということで、研究所を作っております。
 先ほど申し上げたように、人数も非常に少ないですので、国や規模の大きなシンクタンクがやられるようなことはとてもできない。ですので、皮膚感覚を大事にしようということで、仮説検証型ではなくて、数字にならない町を歩いて感じる情報を私たちがとってきて、新しい波頭を見つけ、それを発信していこうということになっています。事実は必ずしも顕在化していないので、当たるか当たらないかもわからない。そういう意味ではかなりチャレンジをして、勇気を持ってそれを発信していこうということで、活動をしております。
 詳しくは、年報を見ていただいたら、どういう本を書いているかとか、どういうところを領域としてカバーしているかということは、わかっていただけるのではないかと思っております。
 15年たったので、今いろいろ考えて、これから少し方向の見直しなどもしていきたいと思っている矢先でございます。



1.ライフスタイルの変化

 

 本題に入りたいと思います。不易流行研究所では、生活の中の楽しみということで、いろいろテーマをやってきましたが、ある時、現代の日本人の暮らしは世代によって非常に価値観が違うし、興味を持つものも違うのではないかということを考えまして、世代で切って分析するということをしました。ただ、最初から団塊の世代とか、何とか世代ということではなくて、もう少しフラットに、昭和生まれの人たちが今何を考えているのか、この人たちはどういう流れの中で今の価値観を形成してきたのかというところを見ようということで、調査をやってまいりました。
 それが、今日参考資料としてつけさせていただいた「世代の気分」という紙です。実は、これはうちの研究所で書いた2つの本をつなげて作っています。昭和生まれの人たちを10歳刻みに見ていった時にどういうものが見えてきたかというものですが、これを斜めに見ていただくと、ご自身が大体どういうところに位置しているか、他の世代はどういうふうに考えているかということが、わかっていただけるようになっています。
 なぜ、これが必要かというと、日本の戦後というのは、非常に大きな変化の時代だったからです。一番上の世代だと、何にもない、お金があっても物がない、自分の手で何かを作る以外には何もないような暮らしを体験した人で、一番下の昭和50年代生まれぐらいになりますと、コンビニしか知らない、スーパーの話をしても、「何ですか、それは」といわれるぐらいに豊かになっていて、24時間営業で物はいつでも手に入るような時代を生きているわけです。最初の人たちはもちろん電話もなかったし、車もなかったわけですけれども、今はすべてそういうものがあるわけです。
 この60年ぐらいの間にこれだけ変わったわけですから、一番外からの影響を受けやすい時期がいつであったか、どういう体験をしてきたかということによって、価値観のかなりの部分が形成されています。上の世代の方は、今でも「もったいない」という気持ちが心の中にありますし、若い世代の人たちは、すべてものがあるところからしか出発してないわけですから、そういう物質的な飢餓感はしりません。その違いは歴然とあるんじゃないかと思います。
(図1)
 パワーポイントは余りないので、スライド的な感覚で見ていただきたいと思います。
 これは生活意識というものを10歳刻みにしてネーミングをしてみました。見ていただくと大体わかるようになっていますが、社会とかイデオロギーが大事だった上の世代に比べたら、若い人たちは自分らしさを大事にします。世間体ということも上の人は大事にしましたけれども、今はそんなことはほとんど気にしませんが、仲間内の関係性を気にするようなことはあるようです。
 家族も随分変わってきております。「勤勉実直世代」とか「団塊世代」と、私たちが名前をつけた昭和20年代生まれより上の方たちは、夫婦で役割分担して、夫婦別行動傾向が強い。定年退職してから旅行に行こうというと、ご主人は一緒に行きたがるけれども、奥さんは一緒に行きたがらないという世代だと思っていただいたらいいと思います。そのぐらい、いつも別々のことを考えて行動をしております。
 ところが、若い人たちは、価値も共同ですし、夫婦、カップル文化というものもだんだんと出てきております。家族は1つの共同体として動いていると言えるのではないかと思います。
(図2)
 例えば消費というところを見ても、上の世代は、最初は物がすごく大事だったんですね。でも、今は物をたくさん持っているよりどちらかいえば、コト消費というんでしょうか、例えば孫と3世代で旅行に行くとか、そういうことに興味を持っています。
 ハナコ世代といわれている昭和30年代生まれの人たちは結構変わっていまして、この世代が消費の境目になっているんじゃないかと思います。かなり全方位的な動きをします。子育てで大変な時期にもかかわらず、消費意識が高い世代です。若い世代になると、もう、他の人は関係なくて、自分が本当に大事なもの、例えば、私たちから見たら価値があるようにとても思えないようなジーパンだとかジージャンの古いものなどに非常にお金をかける、というようなことを平気でします。
 ブランドの意味というのも少しずつ変わってきていて、若い世代だったら、自分の気持ちがいいから持つわけですが、上の世代にとってブランドの商品を持つということは、憧れだとか、安心感だとか、人からの評価とつながっている。情報源も、マスメディアというのは上の世代です。例えば総合雑誌、『文芸春秋』とか『中央公論』を、今の若い人で読んでいる人はほとんどいないんじゃないかと思います。新聞もそうなりつつあります。そういうものよりは、どちらかというと、クチコミの方を選択しますし、雑誌といっても、総合誌ではなくて、クラスマガジン化しています。同じ世代向けでも、非常に細かく分かれていて、そういう情報を見ながら、自分の好きなことをやるようになっています。
(図3)
 これをもうちょっと大きくとらえてみると、どういうことが言えるかというと、当然なんですけれども、物がなかったから、物が欲しかったわけです。物があったら、物はあるところからスタートするわけです。豊かさが前提になると、オウムの頃によく言われましたけれども、物のところには全然戻らないで、自分探しのようなことをしている人たちが非常にたくさん見受けられます。
 努力すれば幸せになれたから、努力できたわけですけれども、今の若い人たちは、努力して幸せになるとは思っていませんので、今を楽しむ傾向が非常に強まっております。
 目標達成のためには、手続きが必要だったわけです。何もないところから始めているから、当然ですけれども、今はそれは何でも大体お金で手に入る。よく、私たちで笑っているんですけど、ウィスキーなんかのブランドは「いつかオールド」。車もそうですね。「いつかクラウン」。そういうように物と目標が非常にリンクしたのが、高度成長期であり、その時の商品だと思うんです。ところが、今の若い人たちは、入社した時に、かわいい外車を買っちゃったりするわけです。会社でいろいろ話を聞くと、いい車を持っているのは若い人です。上の人たちは必ずしもそうではないし、多分若いときに買うというふうにはなかなか思わなかったと思う。お金だけの問題ではなくて、やっぱりステップアップして1つ1つ順番に階段を上っていくような消費スタイルを身につけてきたわけです。
 今、子供たちが問題になっております。子供というのは放っておいたら自立するんでしょうが、保護すると自立しないものではないかと私たちは考えております。
 これは海外の事例もそうですけれども、自立の時期が全体に大分遅くなる傾向があります。今シングルの人たちの調査をいたしましても、家庭で大事にされていて、充足していると、そこから結婚しようとか、自立しようとかいう意志はなかなか生まれない。必ずしも、自立というのが子供から大人になる中でセットされているわけではないということがわかってまいります。逆に、子供は主役なので、そのまま家にいたいという人たちがたくさん出ております。
 世間の評価を大事にするか、自分を大事にするかというのはすごく大きな違いでありまして、ここがなかなか理解できないところだと思うんですが、そのくらいやっぱり、意識というものが違ってきている。そうすると、この意識の違いは、いろいろな問題をも生み出しているのではないかと考えております。
 上の世代の人たちは、女の人だったら、嫁になって妻、母になってというように役割の中を生きてきたわけですけれども、それは選択肢のない1つのレールの上の役割のようなものだったと思うんです。例えば、世間体というのもありますし、女性一人では自立が難しいという現実もあります。その中で、案外楽なといっては怒られるかもしれませんけど、安心できる、納得できる自分なりの選択をしたと皆さん思っていらっしゃいますが、実はこれは選択肢がなかったのと裏表だというように私たちは感じております。
 それに比べると、団塊の世代の人たちの下ぐらいから生き方の選択肢が一つではなくなります。若い世代は特にそうです。結婚してもしなくても、子供を産んでも産まなくてもいい、そういうことは世間と何も関係のない、自分の選択によるものなってきていますので、その中で選択することが非常に難しくなってきています。「モラトリアム」という言葉で言われますけれども、それは選択肢のある大変さというものではないかと考えております。
 今、非常に面白がってやってテーマに、若い人たちの働き方というのがあります。皆さんも読まれたことがあるかもしれませんが、『13歳のハローワーク』という本がはやっております。ああいうように職業の選択肢は多様にある、自分の好きなことを選んだらいいと言われているわけです。ただ、その一方で、好きなことがある人がどれだけいるかというのが、フリーターの数とかなり関係あるのではないかと思います。
 好きなことが本当にある人にとっては、非常に幸福な時代かもしれませんが、それがない人にとっては非常に難しい社会になってきているのではないでしょうか。
 ところが、個性尊重とか、いろいろな生き方があるよと言われている中で、生き方を選択する能力が、これまでの教育の中で本当になされているかというと、親の世代は選択肢のない時代しか経験していないのですから、必ずしもそうではない。教育も受けずに、その中に放り出された若い人たちが今非常に迷っているのではないかと考えております。
 情報化の功罪。12歳の女の子が殺人事件を起こしてしまったわけです。いやも応もなく、みんな情報化の中を生きています。その中で、いろんな問題点が、大人の側から見ていても出てきているのではないかと思っております。
 例えば、コミュニケーションのとり方ですが、グループインタビューのようなものを現場でよくいたします。その時に、今までですと、初対面の人が集まってもその場でコミュニケーションができて、1つの共同体意識のようなものが生まれていたわけですが、最近の若い人たちは、モデレーターと呼ばれる司会者と1対1になってしまうんです。自分の興味のない話題のときは全く興味を示さない。バラバラになってしまって、被験者たちの間にはコミュニケーションが産れない。
 先ほど情報の話をしましたけれども、マスの情報、総合的な情報というものは今もう必要なくなってきて、読まなくても生きられるようになっています。例えば、検索して、自分の好きな情報だけをとるということが今は可能です。雑誌もインターネットの世界もそうですし、友達の関係もそうなりつつあります。好きな子とだけ遊ぶ。それも面白いんですけれども、好きなことって、実は1人の中にいろいろあります。例えば、映画を見たい時は、映画好きな友達と行く。買い物をしたいというと、買い物好きな子と行く。旅行は旅行の友達がいる。それは、今検索機能の発達した社会における効率のよい遊び方なわけです。ノイズが全くない。以前だと、友達関係を非常に悪くするわけです。ところが、今の友達関係というのは、そもそもデジタルな関係になっていますから、関係のないところは関係ない方が逆にすっきりしているという不思議な現象が起こってきています。
 それと、なかなか本音が言えないという問題もあります。その中で、想像力、クリエイティブでなくて、イマジネーションの方。クリエイティブはあると思うんです。情報もたくさん持っていますし、新しいものにチャレンジする機会はあると思うのですが、感受性だとか、イマジネーション、他の人が何を思っているかとか、社会の中で自分はどういう存在であるかとか、どこに向かっているんだとか、そういうことがなかなか見えなくなってきているんじゃないかと思います。
 応用力もそういう意味で難しくなっています。学校もそうですし、答えを出したらいい子だったわけで、会社でも、やはりそのくせが抜けませんから、どうしてもデジタル的に対応する、応用的なことはなかなかできなくなってきているのではないかと思います。
 それから、パブリックの意識も随分変わってきていると思います。世間体を気にしていた人たちは、「社会の中の自分」と思ってきたわけですが、今は「自分の中の社会」の方が大事です。どちらかと言うと、自分の中の社会という感覚で電車に乗ったり、会社に行ったりしていると考えた方がいいのではないでしょうか。電車の中でお化粧しているのは、自分の個室がそのまま電車の中にあるわけですね。それが移動している。社会と自分との関係が、大きく変わってきているのではないかと感じております。
 変化が始まったのは、昭和30年代生まれの人たちです。先程の参考資料を見ていただいたらよいのですが、実はその世代が大きく変えています。いろんなことは自己決定になっていますし、豊かさというものをその世代が一番謳歌してきました。
 なので、今まで調査の手法としては、ライフステージ論と言って、上の世代は結婚する前はこんな暮らしをしているけれども、結婚したらこうなるだろう、子供が生まれたらこうなるだろうと見ていたんですが、それはことごとく覆されていて、今の若い人たちにとっては、子どものために犠牲になるのはいやで、自分らしく生きるというのが、どちらかといえば大事になってきています。ですから、これから非婚、結婚しない人ももちろん増えますけれども、離婚というのも増えると思います。それは自分らしく生きるために何かを犠牲にすることがだんだんできなくなってきているからです。
 消費の場面でも、ご褒美消費とよく言われるように、例えば1月頑張ったから、1回ぐらいは、ちょっと高くてもエステに行きたいとか、半年働いたら海外に行きたいとか、自分の少ししんどい部分をご褒美を買うことによって、プラマイを精算するということをみんな自然な形でやっているのではないかと思います。



2.世代で違う心地よい場所

 

(図4)
 次は、それが、どういうように“場”に影響しているかというお話をしていきたいと思います。これは心地よい場所を撮ってきてくださいということで、カメラを渡していろんな人に撮ってきてもらったデータの1つです。これは上の世代の人たちです。ミドル世代の人たち。世間の評価と非常にかかわっている。コミュニケーションがあったりとか、世間的なステータスをあらわす品物があるとか、見ていただいたらわかると思います。こういう本格的なバーに行って飲むことができるようになったとか、小料理屋に行って接待してもらう。値段は高くてもいい、ハイパーホスピタリティーです。お金を出しても、自分がそれに見合った価値があるということを確認できる場というのが心地よいとおっしゃっている。
 上のリビングの写真は、女性の方が撮ってこられた写真です。お客様をかなり意識しています。自分が心地よいというだけではなくて、人に見られる、人が来た時にどう思われるかというのが実はこの世代の大事なポイントになっていると思うんです。
(図5)
 次はハナコ世代と呼ばれる昭和30年代生まれぐらいですが、大分カジュアルな感じになってきます。左上はホームパーティーの風景ですけれども、外国人がまじったり、お招きするのではなく、みんなが集うという感じだと思います。この右側は友達の家族とバーベキュー。大事なのは近所の公園でバーベキューなんですよ。別に山に登ってとかいうことではなくて、近所の公園でバーベキューをしたりする。それから、おばあちゃん、おじいちゃんたちと孫が一緒に月1回ぐらいご飯を食べに行く場所がありますとか、この人たちはお金がなくても、別荘を持っている人は結構いますから、友達の別荘に行きましたとか、たまり場的なものがあったりするわけです。仕事の関係の風景では全然ないわけです。さっきの小料理屋とかバーというのは仕事の延長線上で使っていた場所だと思いますが。この人たちにとって大事なのは、オンとオフを切りかえる生活ですので、オフタイムの方が逆にオンになっている。友達とか家族だとか、そういう方が大事になっているのがここでわかると思います。それと、かなりカジュアルにもなってきています。世間の評価というよりは、仲間うちの心地よさみたいなものが大事になってきています。
(図6)
 全然違う風景ですね。これはもっと若い人たちの写真です。昭和50年代生まれの人たちが撮ってきた空間です。何気ない、そこら辺にある公園とか、川です。右の上は、親友とのたまり場。これはシャッターの閉まったお米屋さんのベンダーの前なんです。自分たちが好きにできる空間で、他人とは全然かかわらない空間なんです。別にどこを撮ってくださいと言ったわけではなく、「あなたにとって心地よい場所」というと、このくらい違う絵が返ってくる。他にも、屋上だとか、ベランダ、友達の家というのもありました。本当に汚い友達の家。自分の部屋もとてもきれいとはいえないけれど、好きですね。なぜ、それがいいのかというと、人とかかわらなくていい、友達の家に行っても、上の世代のように、お接待はしませんから、ほっといてくれるわけです。ほっといてくれて、自分がかかわりたい時だけしゃべることができる。それが気持ちいいというわけです。私たちはそれを「ゼロのもてなし」と言いました。
 ゼロのもてなしというのは、もてなしがないとことではなくて、不必要な干渉がないということなんです。今、居酒屋さんなんかもみんな個室になっていますね。それは若者の気持ちを非常に反映しています。こういう人たちに、「あなたにとってお店は、楽しいところですか」とお聞きしますと、お店の人に見られている感じ、自分が役割を演じなきゃいけない、客を演じなきゃいけないようで、結構しんどいというわけです。だから、汚い友達の家の方がいい。
 空間と人に対する感覚が実は大きく変わってきているのではないかということを私たちは感じています。
 こういうものをなぜお見せするかというと、それぞれの世代は、それぞれ自分世代の価値観で判断して、いろいろなデシジョンメーキングをしていると思うんですが、やっぱり誰かのために場所を作るのだったら、それぞれの世代がどういう価値観を持っていて、何を心地よいと感じているかということを、やっぱり知っていただきたいのです。
 それは、場所を作る人たちだけではなくて、商品を作る人もそうだと思うんです。そういうことがきっちり行われないと、それぞれターゲットに当たる層にとって、いいものはできないのではないか。そういう問題意識を持って本にしたりして、お話しするようなことをしております。
 


3.都市で始まっている新しいムーブメント(関西発)

 

 ここからあとは、もう少し町に近づけたお話をしたいと思います。
(図7)
 こういう価値観の違いから、いろいろなものが新しく生まれようとしているような気がいたしております。
 今日はせっかく東京でお話しするので、なるべく大阪を中心に関西で起こっていることについてお話をしたいと思います。
 レジュメを中心にお話しして、後で写真はパッパッといきたいと思います。リノベーションというのは、東京でも随分行われていると思いますけれども、関西では京都は町家、大阪は長屋、神戸は倉庫で非常におもしろい動きが今あります。実は残っている量が全然違うんです。東京より大阪は長屋の数で言えば、多分3倍ぐらいは残っていますし、京都は町家が今どんどんつぶれかけてはいますけれども、それでも2万軒ぐらいある。つぶれようとしていたのが、今リノベーションされて生き返って、京の町家百選みたいなものがどんどん出るようになっているわけです。
 神戸は随分おくれてやってきたリノベーションの嵐が今きておりまして、倉庫が今おもしろい空間に変わっております。
(図8)
 これは倉庫の例です。神戸の磯上地区と言って、三宮から5分か10分ぐらい歩いたところです。今までは、タクシーの運転者さんとか、営業に出た人が車をとめてよく寝ているような場所だったのです。今やこういうところに倉庫を改造したお店がたくさんできております。これはグリーンハウスというリフォーム屋さんです。外から見たら、全く普通の倉庫ですけど、お店になっていて、中の椅子とかには全部値札がついています。それで喫茶店にもなっている。だから、非常に気軽に入って、リフォームの相談をここでする。そういう店があったり、普通のカフェがあったりと、いろんな形で倉庫が今使われるようになっています。
 この磯上町は、ある不動産屋さんが、立地を生かしておもしろいものができないかと考えて、面白い店とか、特徴のある店を誘致しています。ここは、先ほど申し上げたように、車がとまって昼寝するような場所ですから、大手チェーンとかが全然来ないわけですが、賃料はすごく安い。
 さっき若い人の話をしましたが、若い人たちは情報に“点”でアクセスするようになっているわけです。そうすると、いいものさえあれば、どんなに遠くても人は来るわけです。多分上の世代の、銀座を何となく線で歩いたり、デパートのような面になっている所に行って買い物するような、そういう思考パターンの人たちだけを相手にしていたら、こういうものは成り立たないと思うんです。
 でも、若い人たちの情報センスの良さ、点で動くというところにヒットしているわけです。そういうものが幾つかできると、それがだんだん線や面になってくるといういい事例なのではないかなと思っています。
 こういうものだけではなくて、例えば、ダンスホールになった所もありますし、教会になった所もあります。まだ本は出ていないですけれど、京都の町家に対して、神戸の倉庫の本が出るかもしれない。それぞれあるものを生かして、うまく人を集める動きをしているのではないかなと思います。
 大阪は長屋だけではなくて、ストックリノベーションが盛んです。若手で頑張っている人がいるので、オフィスビルの一角を居住空間に変えるようなことが盛んに行われています。モデルルームを作って分譲するなど一般の人にもとっつきやすい形で行われています。新築のマンションを購入するより、ずいぶん割安で素敵な空間に住めると人気が高いです。
 先日も関西電力の系列のメンテナンス会社の方とお話ししていたら、今までだったら、古いビルの内装を変えるのにはお金がかかる。例えば平米幾らということで借りられると、お金に見合わないので、なかなかできなかった。でも今の若い人たちは、空間に対してお金を払うので、今までの平米単価と全然違う価格で借りてくれるというんです。そうすると、空き室で置いておくよりよいことになる。
 その辺、若い世代は従来の発想を軽々と越えていくのかもしれないと感じています。
 写真のないもののお話を少ししたいと思います。
 町のブランド化というのが今起こっています。神戸では、大丸百貨店が元町の入り口にあります。一時は、そごうのある三宮側の方が非常に優勢な時期がありましたが、今はもう完全に大丸の方にお客様が寄っていると思います。それはなぜかというと、大丸がいい百貨店であるということだけではなくて、あのあたり一帯が旧居留地だったということがあります。神戸は横浜と同様、かつて外国人が住むところだったわけです。区割りがすごくきれいになっていますし、建物の1つ1つがみんな大きい。ただ、それがどんどん空いていたわけですが、1階をどんどん店にリニューアルしていまして、旧居留地あたりはブランドショップが並んでいます。東京でも丸の内とかがなっていますけれども、旧居留地の方が多分ちょっと早いんじゃないかと思うんです。
 なぜこういうことが始まったかというと、デパートさんはそういう外国のブランドを誘致することに熱心ですから、あるイタリアのブランドを大丸にお店を出してほしいと誘致をしたそうです。そしたら、「この店の中で出したくないけど、ここだったらいい」と言ったのが、旧居留地の古い建物だったんです。実は外装とか合わせて3000万ぐらいかかったらしいんですけれども、そこから火がついてどんどんブランド店が来るようになりました。
 大丸さんは非常に賢くやっていらして、大丸の中にあるのと同じようなリースの仕方をしているのですけれども、大丸色を出さないようにしています。レジのところに行くと初めて大丸のポイントカードが使えたりしますが、外から見ると純粋なブランドが並んでいるような店の作り方をしています。神戸ファッションというのは、母娘消費型なんです。芦屋のような阪神間に住んでいるお母さんと娘さんが買い物をする。東京の雑誌でも随分取り上げられています。阪神間ブランド、神戸ブランドとして結構人気を博しています。これは旧居留地のイメージもプラス働いて、ブランド化に成功した例です。
 この地域では、震災の年からいつも冬にルミナリエという光のきれいなショーをやっている。ルミナリエ自体がすごくすてきです。でも、旧居留地の人たち、組合の人たち、デパートの人たちは全然ありがたがってないんです。これまた面白いなと思ったんですが、大丸とか旧居留地は観光客相手の仕事をしてないので、ルミナリエで観光のお客さんが来ることがマイナスになっているのだそうです。
 ルートを変えたりとかして、そういう所に余り影響が出ないような形でルミナリエは存続されようとしています。そういう意味では、人が来るということと、店との関係も微妙なものがあると思いました。
 淀屋橋ウエストというのは最近始まった、まだほやほやの事例です。淀屋橋というのは江戸時代に淀屋さんというのが橋をつくったというぐらいで、豪商が店を構えていた所です。今も銀行とか老舗がある、昔の大阪のど真ん中、今も中心の所です。今は、銀行など大手ばかりなので、空き室率も高いですし、1階スペースも使ってないところがたくさんありました。御堂筋という通り自体がそうなんですが、夜になったら全部シャッターがおりてしまって、遊ぶところは全くない所だったんです。
 そこでブランド化に頑張っている沢田さんという方がいます。住友商事さんからの何とか考えてほしいという声掛けがあったそうです。せっかくの淀屋橋のブランドイメージをもっと高くするために、淀屋橋ウエストというプロジェクトを作ろうということになって、今1階部分にお店が少しずつ出店し出しています。そのお店はサラリーマンの人が結構気楽に寄れて、でもちょっとおしゃれな店です。スペイン料理の店もありますが、入り口の付近でバールのように立ち飲みができて、奥の方にはレストランのスペースがある。帰りにちょっと寄ることもできるし、接待もすることができる。そういう店が何軒か今開店しています。
 沢田さんに聞いたところ、今までは働く所と住む所、遊ぶ所は非常に機能分担していた。だけど、それではやっぱりおもしろくない。帰りにちょっと遊べたり、そこに人が住んだら、もっと町もきれいになるだろうし、違う楽しみ方ができるんじゃないかということで、働く空間と楽しむ空間、住む空間を、どうやったら融合できるだろうかを考えているとのことです。
 面白がってくれるお店、例えば「うどんすき」で有名な美々卯さんの本店が近くにあるのでパイロット店を出店されましたが、本当の番地とは関係なく、勝手に淀屋橋ウエスト何番地とつけているんです。そういうものの地図を作ったりして、1つの面的開発ができないかという実験を今なさっています。
 これもまた経済原理の発想を変えることで実現している例でもあります。普通だったら、1階は非常に賃料が高くて、なかなか実験的な新しい店はできない。けれども、1階に店が入ることによってそのビル全体の価値が上がる。それから、地域に対する貢献のようなことに訴えかけながら、一つ一つで元を取るというのではなく、全体の開発をしていくということで今やっています。こういう新しい動きに乗る人たちが関西ではふえてきているのではないかと思っています。
 それから、もう1つ、アートの集積というものもいろいろな形で今行われています。新世界アーツパーク事業というがあります。実はこの場所は6〜7年前、バスの操車場跡地を、フェスティバルゲートという都市型の遊園地にしました。1997年ぐらいにオープンして、新世界のすごい所に遊園地と銭湯の大きなのができたということで非常に話題になって、スタートはよかったんですけれども、2〜3年目に人がどんどんと減っていきました。この開発では、ソフトが大事だから、1年目だけじゃなくて、ずっとソフト事業をやっていきますというのがうたい文句にはなっていたんですが、それでもなかなかうまくいかずに、実際は多くのお店が撤退して、ひどい状態になっていました。
 それを何とかするために、市の方が場所を提供し、NPOに入ってもらおうということで、今5つのNPOが入っています。行政が場所を提供し、公設地民営という形ですが、その中でも、私は、コンテンポラリーダンスをやっているダンスボックスさんというところによく出入りしていますが、100人ぐらい入る小さな小さなコンテンポラリーのダンスの劇場です。カフェもあって、ダンスをしない人でも何となく寄れるような形になっています。また詩を詠むということをテーマにしたスペースを運営しているNPOもあったり、新しいものが幾つかできてきています。今そのNPO間でコラボレーションのようなことが起こっていますし、そういう人たちが新世界というなかなかややこしい町にみんなで出て行って、新世界を舞台に外でパフォーマンスするというようなことが起こっています。
 こういうのは結構お金がかかるし、大変だと思うんですけど、公共は場所を既にお持ちなので、空いている場所が提供されれば、結構頑張ろうという人はいるのかなと思っています。
 神戸CAPハウスというのもそういう所で、これは神戸の山の方にあるブラジル移民センターの跡でした。ずっと市が持っていた、結構おしゃれなビルなんですが使われておらず荒れていました。もうすぐ壊すのかなというビルを、たまたま期間限定で借り受けたグループがこの数年運営しています。つい最近もオープンハウスをするというので遊びに行ってきました。1階はオープンスペースで、上は1つ1つ個室に部屋が分かれていて、それが1つ1つ工房になっている。
 ここもすごく面白い仕掛けがありまして、最初は汚いブラジル移民センターでしたが、きれいにするために、お掃除隊という、アートのイベントみたいなものをやって、お金を取って掃除させたんです。逆転の発想だと思うんです。ボランティアに行くんじゃなくて、参加させてもらいに行く。だから、お金を取ってやれた。
 私たちは、本当は物を作っていくとかいろいろなことをしてみたいと思っている。だけど、ボランティアといわれると、そういう柄じゃないと思ってしまう。お金を取ってイベントとしてやってしまうのは、面白いと感心しました。神戸なので外国人もたくさん来ていますし、やっている人たちも楽しそうでした。
 最近は、東京でもアートのフリーマーケットが話題になっていますが、これまでは普通の人が入れるような状況はアートの世界はなかったと思います。今はずいぶん身近なものになってきていると思います。アートとの出会いの場が広がっているのはとても興味深いと思います。
 今までアートの世界は意外に閉じられていて、専門領域があって、この分野のことは知っているけど、ほかの分野のことは全く知らないということがあったようです。でも、この新世界のアーツパーク事業で見ると、入ってくるNPOだとか、出ていくNPOがあると思うんですけど、今まで全く出会ったことがないような人たちが出会う場になって、そこから新しいものが生まれる、そういうことが起こっているように思いました。
 それから、先程の若い人は面白いものがあれば、点でも行くということがありましたけど、これからアートシーンで大事なのは、点から線へ、面へということで、やっぱり町として考えた時には、空気感みたいなものを町全体でどう作っていくかということが問題になるのではないかと思います。
(図9)
 これは大坂城シアターパーク構想といって、勝手に今打ち上げたところなんです。実は関西経済連合会という経済団体で、劇場文化を研究するというのをやっていました。そこの報告書で出したものです。今まで、劇場文化にしろ何にしろ、経済界でやる場合は、大学の先生と企業人だけが集まって議論して提案書を出すという形だったのですけど、私たちはそうではなくて、プロデューサーだとか、現場にいる人、全く違うジャンルのアーティストの人に入ってもらって、いろいろ議論してきました。
 その中の1つの提案で、大坂城シアターパーク構想というのを勝手に作ったというものです。大坂城の周りにはたくさん劇場や劇場として使える空間があるんです。でも、それらはお城に向かっているわけじゃないので、それぞればらばらの方向性を向いていた。それを、大阪城を中心に据えて何かやったら、もしかしたら、大阪城の公園部分は、セントラルパークみたいにならないかしらと考えました。今でも、素人の人がいっぱいパフォーマンスをやっている所があるし、夏には薪能もあります。平成中村座のような仮説の歌舞伎小屋を作ることも可能かもしれない。今まではそれぞれバラバラに使っていただけでした。でもそれを、一度、面として見て、その魅力を増幅させるようなことを考えてもいいんじゃないかということで、今ちょっとずつ動き出しています。それぞれに協議会などもあるので、それを巻き込んでNPO的なものを作ってはどうかということを考えています。そうなると、いろんな世代の人が参加できる面白い劇場シーンというものができるんじゃないか、と期待しているわけです。
 最近韓国に行った人に聞いたら、韓国ではソウル大学の跡地、大学路(テハンノ)に50個くらいの小劇場が固まっている所があって、すごく若者が来ているという話を聞きました。日本では本多劇場のある下北沢のくらいで、他ではなかなか集積した所がない、そのところを考えていきたいと思っています。本多劇場のオーナーの本多さんにも大阪に来ていただいたりして、いろいろ勉強させていただきました。新しく作るということではなくて、こういうことも少しずつ考えたいと思っています。
(図10)
 これは京都の三条通りの辺ですが、今少し面白いものが出始めています。京都は、表通りである四条通りとか河原町通りが本当にだめになっているんです。これは多分どこでもそうだと思うんですが、パチンコ屋さんだとか、ゲーセンだとか、大型チェーンばっかりになって、全然面白くなくなっている。ところが、今三条通りの辺が動き出しているなということが見えてきて、幾つかこういうものが出始めています。
 これはアートコンプレックス1928という、実は毎日新聞社さんの古い社屋です。その社屋、一番上は劇場になっています。アートコンプレックス1928には、劇場だとか、ショップだとか、ギャラリーなんかが入っていて、非常に実験的な劇などをやっています。ここは小原さんという若いプロデュサーがやっているんですけれど、例えばここでロングランの演劇ができないかということで、エンジェル証券さんと組んで演劇に投資するエンジェルシステムというのを行っています。今まで映画に投資するようなことがあったように、小劇場の劇だとか、催し物に投資をする。大したフィーは返ってこないんですが、それによって、見に行く人を増やすというような、そういう試みをやっています。非常に面白い人です。アートレジデンスなんかも自前でつくっています。これも企業の使われなくなった社員寮をそのまま借りて、外国人も泊めちゃおうということでやっています。
 この小原さん人はヌーボーシルク、新しいタイプのサーカスにも非常に造詣の深い人で、そういう人を日本に呼んだりしているんです。そうすると、向こうではすごく有名な人だけど、日本ではあまり知られていないので、高いお金は出せないし、宿泊も高いところには泊められない。汚いといったら怒られるかもしれませんけど、民宿のような京都の旅館に泊めたことがあるそうです。そうしたら、かえってそれに感激された。それで、考えて、知り合いの会社の寮を借りて、そのまま、暖房もないので、こたつを入れた。そうすると、それがまた喜ばれたと言っていました。
 こういうのもこれからいろいろ考えた方がよい点だと思います。高いホテルに泊めて、お接待するというのではなくて、日本の文化にじかに触れていただく方がアーティストたちにとっても非常に刺激的な出来事であったのではないかと思います。
(図11)
 三条通りでいえば西の方に、烏丸通りというのがあります。新風館はそこにある商業施設です。左側に見えるのがNTTさんの古い建物で、歴史的に良い建物ということで評価されています。その中が実はこんなふうになっているんです。中と外が全然違う感じです。中は非常にオープンになって、周りにお店が張りついていて、お店からは中の広場が見えるようになっています。椅子をちゃんと入れたら200席ぐらいの座席なんですけれども、スタンディングだったら、1000人ぐらいは優に入る空間もあり、いろんなイベントに使われています。
 これはNTT都市開発というところがやっています。ここにも個人の名前で仕事ができている渡辺さんというなかなか面白い人がいます。商業施設にもっとたくさんお店を作ることはできるんだけど、社会的貢献ということも考えて、このあたりで核になる施設として何かできないかということで、こういうものをやっています。
 ベロタクシーというドイツの自転車タクシーの乗り場にもなっていますし、この近くに府立京都文化博物館があるんですが、「新撰組展」をやると前日にここで前夜祭をやっていました。博物館は三条通りにあるんですけれども、連動した形で町が今動き出していると感じられました。
 さっきのアートコンプレックスも、全然人がいないような写真しか手元になかったので先ほどの写真なのですが、実は芝居のある夕方に行くと、前に机が出ていて、チケット売り場を外でやっているんです。そこに何となく若い人がたむろしていたりとか、当日券を待って並んでいたりして、賑わって、楽しくなる。今まではそういうのは外に出てきちゃだめ、中でやりなさいということでした。人間がいるかいないかということはすごく大事で、そういうものが自然に醸し出される空間が大事です。町というのはどれだけ人がいるか、その人たちがどれだけ楽しんでいるかということなんだなということがよくわかります。
 新風館も行くと、外からみんな見えて、結構楽しそうにしている。店の品揃えから見ると年齢的には比較的高い層、25から35くらいとか、その辺をねらっていると思います。
 店の人たちに対してもいろいろ考えがあります。店の人たちでよく交流会とかボーリング大会とかやっているんです。なぜかというと、店の人が楽しく仕事をしていて、楽しく売っているからこそ外から来る人も楽しいと。だから、みんな仲よくしようよということで、いろんなことを仕掛けています。
 この広場でいろんなイベントをやるんですけど、全部外からの持ち込みで、お金を取ってやっているそうです。それと、何でもやると、レベルが下がってしまうので、そういうものもちゃんとキープできるようにということで、クオリティー委員会のようなものをつくって、審査をしていらっしゃるということです。
 これは京都に行ったら、ぜひ見ていただきたい空間です。
(図12)
 次は水都再生。大阪では水都復活ということで行政は行政でいろんなプロジェクトがありますが、今日は、市民がやっている方をご紹介したいと思います。これは大阪水辺マップです。行政と違うのは、「川をきれいにしましょう」というのではないんですね。楽しんだらきれいになる。水辺を好きになったら、水辺がきれいになるという発想です。この辺は発想の転換をしなきゃいけないところです。行政がやると、よく整備して、きれいで安全にするにはどうすればよいかを考えるわけです。だけど、人は楽しくない。やっぱり人が川を見て暮したり、川で遊ぶと川の汚さに気がつくわけです。なので、できるだけ川の方を向こうよということで、水辺不動産という、水に面したお店とかマンションだけを仲介する不動産屋をNPOでやって人がいます。
 私は水辺を注意して見ていますが、最近建つビルは結構水辺を向き始めています。今までは本当になかった。水上バスに乗ってみたって、みんな汚いクーラーの室外機ばっかりだったんですが、ちょっとずつそれが変わってきていると実感しているところです。
 もうちょっとやわらかい話だと、毎月1回川のところに行ってお昼ご飯食べましょうという企画を実施したりしています。これは市民レベルではできるけれども、商売になるとなかなか難しいと思ったことがあります。大阪の郊外の方なんですが、スーパー堤防ですごい立派なマンションがバーンと何百戸とできたんです。素晴らしい淀川の景色が見えるところなんですけど、マンションの部屋は全部に川に背を向けているんです。それはなぜかというと、南側じゃないから。川は北側にあるからなんです。
 北側を向いているマンションだって実は一部あっていいと思うんですけど、何せ規格なので、全部川の反対側を向いている。何のためにスーパー堤防を作ったんだろう。全然川にも降りられない。それでは川はきれいにならない。やっぱり川の風景や河川敷きを日常的に楽しめるとか、川を暮らしの中に取りいれると豊かだと思うんです。
 今大阪でだれが豊かに暮らしているかというと、ホームレスのおじさん。公園に、ボンボンベッドといったら知らない方もおられるかもしれませんが、携帯用のベッドを持って、寝ころんで新聞読んで、「いいな、この人は」と思うような感じになっています。だから、普通の市民が、もうちょっと、川を見る暮らしの楽しさだとか、季節をそこで感じるとか、しないといけない。水上バーというのが数年前にできています。これも市民の人が、泥を運搬する船を使って、上にバーをつくっています。結構オープンで、キャッシュオンデリバリーのような、だれでも入れるようなバーです。
  行政も、今年、桜の時期に水上カフェの社会実験を始めました。民間が動き、最初は水上のバーを許可してもらうのに1年以上かかって大変だったそうですが、それが楽しいことだとなってくる、と行政も動き出してきて、水上カフェの実験をしたら、何千人も入ったそうです。川と道はこれまで別々に管理されてきたので、使いにくさもあるようですが、様々な実験が行われて、いろいろな工夫がそこから始まるのではないかと思います。 
 この水辺マップは250円ですが、お店も出ていますし、見どころも出ています。これまでの駅周辺とかではない、川の流域で遊ぶというのが始まっています。大阪で市民から様々な運動が始まっています。



4.ハード(自然・道路・建物・・・)を活かすソフト

 ここまでは事実で、私たちが現場で拾ってきた話ですが、ここからはそれから少し飛躍して最近考えていることをお話ししていきたいと思っています。
 実は私はソフト屋なわけで、生活というものを見ているわけです。いつもソフト、ソフトと考えていて、ソフトのことをイメージしないでハードをつくってくれても困るなというのが私の感覚だったのです。確かに人の活動を無視して作ってもらっては困るのですが、今、ハードを作る方の方に非常に迷いが出てきているんじゃないかと感じています。ソフトの方にすごく寄ってきてくださっているんだけど、そうなると、本当にハードとソフトの関係がよくなるんだろうか、ハードの目指すべきものは何なのか、という疑問が実は出てきています。
 その辺のお話を少しさせていただきたいと思います。
 これは、私が専門家じゃないからできる話だというように聞いていただいたらいいと思います。こういう疑問を持っていて、実は下河辺篤先生のところに1月ぐらい前にお話を聞きに行きました。これは一つのプロジェクトの一環で、20世紀に非常に活躍した方々が、20世紀を振り返って、21世紀にどういう夢を抱いていらっしゃるかというのを聞こうというものです。昭和の人はまだ聞いていなくて、大正生まれより前の方ばっかり聞いているんです。四手井先生という森林生態学の先生とかにもお聞きしている「古老に聞くシリーズ」ということで、知恵の部分をお聞きするのを楽しみにやっています。その関係で下河辺先生のところにお話を伺いに行って、下河辺先生が「ソフトって、そんなに長くもたないでしょう」と言われるわけです。「ソフトって、今これ、必要かもしれないけど、10年先要らなくなるかもしれないでしょう。そういうもので作っていいの?」という話をされて、「確かに」って、思ったんです。
 だから、ハードとソフトの関係で、ハードがすごくしっかりして長期的なビジョンに立って作られたものであったら、私たちは幾らでもソフトの力で生かすことはできるんじゃないかと考えた。今、例えば東京もビルがいっぱいできています。大阪はビルはなかなかできないんですけど、高層マンションがいっぱい都心にできているんです。でも、中高年の人は都心回帰で来ているかもしれないけど、どんどん人口は減っていく中で、若い人たち、次の世代はこの高層マンションに住むんだろうかということがありますね。実は国とか行政とかは、今企業のやり方を真似なきゃいけないということで、経済効率を考えているわけですが、目先の経済効率、高く売った方がいいみたいな話や、今人が多くて採算性が見込めるところを中心に作っていこうという話で決まっているようだけれど、それで本当にいいのかと感じていたところに下河辺先生に指摘されて、目から鱗という感じでした。
 道路を作る時でもそうですし、上物の鉄道をどういうふうに通すかという話でも全部採算性なんです。この5年間のうちの採算性で全部決まっていくわけです。そうなると、東京は一極集中がもっと強まるような、地方はその中心地がどんどん強まるような、人がたくさんいるところにどんどんサービスが過剰になるような社会を作ることに加担しているだけなのではないか。本当の幸せって、何だろうか。経済効率の中に幸せがあるんだろうか。全然形になってない疑問を今たくさん持っているんです。
 違う角度からハードとかソフトというものを考えてみたいと思って、もう1つ新しいプロジェクトをやっています。「価値のフロンティアを拓く」と書いていますけど、20世紀には経済成長には無関係ということで価値がないと思って切り捨てたものを、私たちは21世紀の価値として再評価するようになると思うんです。それはまだ見えてないかもしれない、20世紀型の人間には評価できないものかもしれないという前提で、20世紀には必ずしも光が当たらなかった人たちを訪ねて歩くというプロジェクトなんです。これはなかなか刺激的で面白い。発見が沢山あります。
 まだ途中なのですが、今会っている人たちは、東京の羽根木プレーパークといって、公園の中に子供たちが自由に遊べる空間を、少しだけですけど、作って、二十何年間、細々と、幾つかの地域でずっと続けていらっしゃる方。それから、最近はやりになっているエコツアーというんでしょうか、自然学校のようなものを二十何年間地道にやっていらっしゃる方。先程のNPO法人ダンスボックスでコンテンポラリーダンスを応援するために劇場を作ったりしている人。もっと自然のところで木を守ることをやっていらっしゃる方。そういうは、20世紀にみんな経済性が悪いからとか、忙しい時代だからそんなもの楽しめないからということで捨ててきたと思うんです。そういうのをじっくり守ってきた人たちに会って話を聞いています。
 そうすると、いろんなことがその中からわかってきました。例えば、行政と市民と企業の関係も、その人たちを見ると、前の20世紀型とは違うように見えてきます。例えば、20世紀に私たちが行政に対して何か意見を言うときは、行政のやることに反対するわけです。こうあるべきだとか、こんなことはやってほしくないとか、対立する関係の中でいろいろなことを言ってきた。でもこういう活動を長いことやってきた人は、非常に関係性がいい。できることを持ち寄るという書き方をしています。それぞれができることは何なのかということで手を挙げつつ、協働するという協力の仕方なので、対立しない。先ほど行政の方が自信をなくして、ソフトの方に目が向いているのではないかと話しましたが、ここではいい関係が結べています。例えば、地面は提供してくださった、ソフト事業は民間なりNPOがやればいい。下請け的に任せるのではなく、主体的な活動を応援する形です。
 都市公団の新郊外型住宅のパンフレットを見せていただいたら、100人いたら、その一人一人、1%の人のニーズにもおこたえしますよみたいなことが書いてあったんです。「えっ、そうなの」。それは確かにすごくいいかもしれないけど、コストだって掛かるわけで、それより、しっかりした建物を作って、いい環境や景観を作ってもらった方がいいかもしれない。その上で私たち市民が、1人1人の事情に合わせていろんな行動を起こせば、それの方が役割分担としてはいいのかもしれない。多分市民がいろいろ言い過ぎた結果、本当に必要なサービスを考えてくださっているんだと思うのですが、規制緩和や柔軟な対応があれば、自らやらなくても、大阪でいろんなことが生まれてきているように、生まれる土壌があるんじゃないかと思うんです。
 例えば、これも東京の例ですけれども、渋谷ファンインといって、子供のたまり場の活動していらっしゃる、非常におもしろい活動があるんですが、そういうのをまねた活動がいろいろな地域に始まっています。兵庫県でも地域の行政の1つのプログラムとしてやっているんです。でも、それはなかなかうまくいかない。行政が場所を提供して人を雇ってくるけど、そこに市民の沸き上がるようなニーズがないので、子供は来ないんです。下手をすれば税金の無駄遣いになって、立ち消えになって可能性もある。いいものが出ると、行政はそれをやらなきゃということになるのかもしれないですけど、大事なのは形ではなくて、そういう気運があって始めて成立することで、その時互いが持っているできることを持ち寄ることによって初めて成立するんじゃないか。その辺の役割分担を、やっぱり無理しないでちょっとずつ考えていった方がいいんじゃないか。制度ばっかり作っていくようなことになってしまうのではないかという危惧。それは別にブレーキをかけるつもりでいっているわけではなくて、そういうものだということを少し意識していただいた方がいいのではないかと思います。
 個人名は余り出していませんけれども、さっきから紹介する人たちは、これまたちょっと違う。例えば、少し前だと、スターがここから出てくるんです。環境問題でこの人が有名人みたいに。ところが、今やっている人たちは、必ずしも自分がスターにはなっていなくて、1つの仕組みづくりのキーマンになっている。どんどん下の人に任せていく仕組みがあります。育てる仕組みを内包している。その人がタレントになっていって、1人の人で終わって後がついてこないというのが今までの運動の仕方。環境問題もそうだし、消費者運動も然りです。他にもいっぱいそういうのがあったと思う。そうではなくて、これからの成熟型で持続させていこうするなら、環境として、仕組みとして作っていかないといけないということが、はっきりでてきました。すごく優秀な人が出てきて成立しているのだけれど、その人たちは自分がリーダーであることに固執しない。
 例えば、先程自然学校の話をしましたが、これはホールアースという自然学校で、今いろんなところで展開していらっしゃいます。若いスタッフも多いのですが何年かいたら全部追い出される。主催者の広瀬さんは、育てた大事なスタッフなんだけれども、何年かしたらみんな卒業させます。独立して、違う場所で自然学校を主催するような人たちも出てきます。でも、自分の学校の支所を作っていくのではなく、それぞれが独立してやります。これまでだったら、フランチャイズ方式で組織化しそうな感じですが。以前だったらマニュアルができたんだから、これでいっぱい作らなきゃというようになっていたと思いますが、自然が相手だし、人間全部違うわけだから、1人1人のやり方があっていい。だから、自立させるために、逆に卒業方式なんです。好きにやったらいい。それを連携していきましょうという動きになっている。
 それは人を育てることでもあるし、実は裾野を広げるためにはこういうやり方をしないと広がっていかないという考えがある。いろんな所で、いろんな形で広がっていくことによって、全体の裾野が広がる。富士山のように1つ山はあるけど、そこだけということではない。散っていった人が新たな活動を広げるのを応援していくという仕組みになっているのではないかなと思いました。 
 今までの経済原理優先の考え方に、社会はどんどん近づいている。今まで国の機関だったのが独立行政法人になって、私も1つ、そういう組織の評価委員をしていますけれど、いかに効果効率よくやるかを考える。それはもちろん必要だと思いますが、その中でどんどんシュリンクしてしまって、本来だったら、行政やそういう機関がやるべきチャレンジャブルなこと、普通の民間ベースではできないさまざまな実験みたいなものの芽が摘まれなければいいなと思います。数字であらわれない部分ですから、そういうものを評価するという目を市民が持たないといけないと思うんです。数字に出るものだけじゃなくて、もっと先の長期的なビジョンを持って、私たちが町を見たり、施設を見ていくことができるようになっていかないといけないし、応援していかないといけないということを、次に話したいと思います。



5.人を活かす都市――成熟社会の豊かなライフスタイルの実践

 

 人を活かす都市って何だろうか。成熟型の社会になって、私は『大人にならずに成熟する法』なんて、ちょっと大人の皆様をばかにしたような本を出したりしているんですけれど、20世紀型の私たち大人のなりようというのは、必ずしもそんなに成熟していないんじゃないか。仕事は熱心にやったかもしれないですけど、どうも遊び方が中途半端だったかもしれない。今ごろになって遣り残し感があって遊ぼうかと思っているぐらいだし、例えば夫婦の関係でも、カップルでどこか行くとか、そんなおしゃれなことできる人も少ない。みんな仕事ばかりいまだにやっていたりするようなところが多いと感じられます。
 新しい、豊かな時代で、若い人たちはとっても楽しんでいる。心地よい空間はちょっと楽しんでいるという感じじゃなかったですけど、いろんな所に遊びに行ったりもしているわけです。夫婦でも楽しんでいます。ある時期、「仕事だけでなく、家庭を大事にしろ」みたいなことがよく言われました。でも、実は仕事も家庭も役割があって、それ以外の“私”の時間なり“私”の空間なり、役割で規定されたのではない、個人としてのアイデンティティーをどう持つかということが、これからすごく大事になると思います。
 つい最近のデータでも、定年退職前後の年齢層の離婚が増えているそうですけど、仕事中心でやっていた人が定年退職して急に家庭に帰っても居場所はないです。その時に、便宜的な意味だけではなくて、社会の中に自分として、個人として生きる、趣味なり、仲間なり、場所なり、そういうものを確保できるかどうかというところはすごく大きいんじゃないか。これはボランティアでもいいと思います。何であらねばならないということではなく、仕事とか家庭とか、母親であり、父親でありとか、職場の部長であるとか課長であるとかではなくて、一個人として、どういう存在意味があるかということをちゃんと1人1人が考える時代にならないと、うまくいかないのではないかと思っています。そして、それがいろいろなところに文化の花が開く可能性にも関係していると私は思って期待しているところです。
 市民1人1人が地域や文化を応援する仕組みと書いていますが、これは先ほどからずっと申し上げていて、例えば遊ぶ空間がいろいろできているといいました。あれは民が作っている小さなものばかりを紹介しているんです。なぜかというと、東京はそうでもないかもしれませんが、大阪はこの1〜2年で、企業がやっていた劇場が3つ閉鎖しました。今野球の球団も危なくなっているわけですけど、企業が文化やスポーツをサポートするのは必ずしも容易なことではない。
 それは株式会社で株主がいるということも関係している。株主は利益を追求しているわけですから、20年先、30年先の文化のために貢献するのを必ずしもよしとしないという部分もありますし、現状経済状態が非常に苦しいということもあります。そんな状況の中で企業はなかなかサポートできない。
 先日たまたま朝早く起きてテレビを点けたら、イギリスの文化に関する番組をやっていました。貴族が持っていた絵を預託してイギリスのナショナルギャラリーに飾ってあるのですが、それに高いお金でアメリカから買いが入るんです。それを売ろうという話になった時に、市民が応援して、お金を出して、ナショナルギャラリーのために買い取るという仕事をやっている、そういうファンドがあるんです。日本は企業がメセナとしてやっていました。ヨーロッパでは劇場だとか絵は貴族が持っていたわけです。それを、今は市民が応援しているんですが、最初から市民がやっていたわけじゃなくて、多分貴族や、企業や、行政が持てなくなった時点で、市民が立ち上がっているんじゃないかなということを感じたんです。
 日本では財団だとか、メセナだと、今でも言われているわけですけど、本来そういうものだけでなく、市民1人1人が応援することが必要なのだと。なぜそう思うかというと、大阪でコンサートや演劇などがあっても客席の一番よい席に人がいない場合がたくさんあるんです。企業からメセナということでお金は出ていて、そのお礼という意味でチケットがいっているんですが、好きでお金を出しているというのとは違うので行かないわけです。それでは、やる人達は意欲が出ない。そうではなくて、1人1人が自分でその劇団やオーケストラと何かかかわったら、行くようになります。
 それは、どういうかかわり方を作っていくかということで、企業とアート、企業と芸術なのではなくて、個人とアート、個人と芸術、個人と町というものにまで落とし込んでいかないと、町の活性化だとか、芸術の振興ということとはまだまだ遠いんじゃないかと考えています。
 どうしたらいいかということは今考えている最中で、答えがあるわけじゃないんですが、とりあえずはそういう方向に動くことがすごく大事なのではないか。今、私は、アートベンチャープロモーションフォーラムという活動を経済団体のスタッフとしてやっているんです。先程、劇場文化でお話したいろいろなアイデアを何とか企業の人たちとマッチングさせることによって、新しい循環ができないかと思っています。
 例えば、コンテンポラリーダンス。最近はちょっと心が病気がちになった時にダンスのワークショップに行くと元気になったりするので、いろいろな療法にもダンスが使われているそうです。ですから、単に見に行って応援するというだけじゃなくて、企業が人事のプログラムの中で、ダンスを使うという形のかかわり方もあると思う。
 先程のダンスボックスでは、ダンスキャバレーなんていう、ちょっと年上の人も参加することが出来るようなプログラム、飲みながらコンテンポラリーダンスを楽しめるようなプログラムを提供しています。いろんなところで、今まで来なかった人たちがどうやってアートと接するかという試みをやっていると思うんです。アウトリーチと言われていますが、それに乗っていく市民でありたいと思います。
 そういうのをなぜ応援しなければいけないのか。文化そのもののためだけではなく、今の若い人たちはそういうことを仕事としてやりたがっているのです。先程お話をしたように好きなことを仕事にという人たちは、例えばダンスやりたくても、ほとんど食べられないそうです。日本のコンテンポラリーダンスの結構有名な人から聞いたのですが、賞をもらったんだそうですが、賞のお金は次の作品を作るためのお金。「でも、正直いって僕生活費欲しかったです」と言っていた。本当に食べていけない現状があるわけです。
 そういう人たちが食べられるようになって、裾野が広がって、初めて日本が文化的な豊かな国になると思うんです。その人たちが食べることができるような仕組みを今私たちが作っていってあげないと若い人たちは元気になりようがない。過保護するという意味じゃなくて、自分が見たり、応援することで、社会の文化的裾野を広げていかないといけないんじゃないかということを考えています。
 これはアートだけじゃなくて、自然系の仕事もそうです。林業家なんかと会っても、今、林業は結構国の補助金が出る仕組みになっています。労働力として、年間200万ぐらいです。でも、結局林業で山に入ったって、日本の木が使われなかったら、ほとんど意味ないわけです。日本は7割が森林ですが、安い輸入材に負けて、2割しか自給率がない。安い方がいいからということで、どんどん外国の木を入れてしまったわけです。そうこうしているうちに日本の森林は手入れをされないのでどんどんだめになろうとしている。その時何をすればいいかというと、やっぱりどうせ使うなら日本の木を高くても使おうとか、そういう発想の転換をしていかないと事態は変わらない。
 京都には伝統工芸を守るためのいい学校があります。でも、卒業しても就職先がない。それは暮らしの中でそういうものを皆が使わなくなってきているからですね。生活自体が変わってくる中で、私たちが捨ててきた日本的な生活文化に若い人たちは興味を持っています。それでは、それをどうやって応援したらよいのかを考える時期に来ているんじゃないかと思います。
 文化や自然が仕事として成立するとはどういうことか。これは実はお金をたくさん持っている上の世代の人たちが少し優雅な暮らしをするということなんです。若い人たちの絵を買うということかもしれないし、ちょっと高いけど、伝統工芸で作られた作品を買ってみるとか、そういう1つ1つの消費行動が実はそういうことにつながるんだ、という発想を持って行動してみたらどうでしょうか。個人でできる失ったものの再構築です。
 不易流行研究所は都市のことは専門ではなくて、どちらかといえば世代論や子供の自立の問題、家族の問題をやっています。12歳の子の事件があったように、今、情報化の中でいろんな問題が起きてきています。情報化の進展は多分とめることはできない動きだと思うんですけど、だったら、それなりに21世紀の知恵というものを少し考えたらどうでしょうか。
 私たちはなぜプロセスができたかというと、意識しなくても生活の中で、例えば子供が多いとか貧乏であるとか、いろんな人がいるということが自然にあったわけです。今の人たちにはそういう状態がなくなっていて、どんどん合理的に自分たちにとって楽なようになっているわけですから、ここで、新たな空間としてそういうものを作っていけばいいのではないでしょうか。
 プロセスをどうやってつくるかということですが、これは東京で聞いた話で、エティックの宮城さんという、渋谷ビットバレーを主催していた若い男の人に話です。彼は、ベンチャー企業にインターンシップで若い子を送るという仕事をしています。例えば企業は今インターンシップをいっぱい受け付けていますが、全部プログラミングされて、マニュアル化されたところに若い子を乗せているわけです。だけど、何でエティックの宮城君がそういうことを考えるかというと、べンチャー企業はマニュアルなんかないんです。人もいないです。だから、そこに放り込むということは自分でやるしかない。そういう状況に若い人が放り込まれた時にすごく伸びるそうです。
 若い人は若い人でやっているんですね。ベンチャーの若い人と協働して。これもそういう試みの1つだと思う。発想の転換をして、本当に意味のあることは何かということを大人の世代が意識すれば、できることは沢山あるのではないかと思っています。
 多世代交流なんかも、さきほど渋谷ファンインの話をしましたけど、アートの世界でも多分あり得るでしょうし、いろんな人の出会う場というのは意識すれば作れると思っています。 
 これは自然なんかの場面でも、多分地域に出ていったところでもいろいろあると思う。高知で村のお祭りに参加したことがあるのですが、お祭りというのはすごいシステムだなと思うんです。例えば踊りだとか、笛だとか、年配の人が子どもたちに教えているわけです。そこの中で若い人は自分たちができないことがあるということを悟って、習っていく。自分の未熟さを感じたり、できるようになると、涙を流していたりする。そういう場面は幾らでもあるわけです。
 社会の中ではそういう違う世代の人たちが一緒のことをやって、お互いを評価し合い、ちゃんと尊敬し合うという場面はすごくあったのではないか。それは私自身は今どういう形でやったらいいかわからないですけど、実は取材させていただいている価値のフロンティアの人たちが結構そういうことをやっているのかもしれないと思います。プレーパークの公園にもいろいろな世代の人が来ているようです。大人の役割は過保護にすることではなくて、多分チャレンジをさせることだと思うんです。
 上の世代にとっては、若い世代の人の新しい発想だとか、時代感覚というものを多分手に入れることだと思うんです。そういうことがいろいろな場面で今行われつつありますけど、そういうものにもっと光を当てていっていい。それは高いお金を出すということじゃないと思うんです。今まで企業はお金を出して終わっていたけど、そうじゃなくて、そこに人が出ていって、出ていった人が変わっていくというところが非常に面白いところだと思うんです。
 それがお金以上の意味を生み出すということだと思う。面白いことをやっているところに話を聞きに行くと、お金じゃなくて、人がみんな出て、人が変わってきたという話をよく聞かせていただきます。
 そういうところに今結構来ているのかな。1人1人の人間がブラッシュアップする、元気になるということと、町の元気というのが非常に関係しているんじゃないか。それぞれの持ち場の中でできることとか、考えることがたくさんあるんじゃないか。1人ができることは限られているかもしれないけど、それを1つずつやると、他の人が共感してムーブメントになって、意外に大きな流れになっていくんじゃないかと感じています。私たちも、数年前までは割と論理、理論というか、調査という感じだったんですけど、今はどんどん現場に行って、そういう人たちの話を聞いて、何か一緒にできることはないだろうかと変わってきています。
 今日は「市民が創る都市文化」という大きなタイトルをつけたのに、最後は個人ベースの話になってしまいましたけれども、この辺でお話を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

諸隈(司会)
 どうもありがとうございました。
 それでは、質疑に移らせていただきます。どなたか質問のある方、いらっしゃいますでしょうか。
西山(邦)
 面白く世代論を伺いました。聞いていて、先生が、なぜ関西弁じゃないのかと、ちょっと思いました。(笑)大阪、京都、神戸という3都というのがありますね。その都市の間で、競争というのか、けなし合いというのか、あそこでやっていることはやらないぞとか、そういう特徴が薄れてきているのかどうか。それとも、それなりにそれぞれの特徴を出そうとしているのか。都市の文化という意味で、その辺の3都間の関係というのを聞きたいと思ったんです。
佐藤
 なぜ、私が関西弁でないのかというと、生まれたのは三重県で、静岡に行って、千葉に行って、京都で育って、大阪に勤めて、神戸に住んでいるんです。今3都物語をやっている感じなんです。1回目だと大体標準語でやるのですが、2回、3回になると、どんどん関西弁が出てくるかもしれません。今日は始めてだったので一応少し余所行きでお話をさせていただきました。
 京都、大阪、神戸って、本当に違うんです。それをよしとしてきた文化があって、「それぞれだからね」といって、終わらせてきたんです。でも、それで地域全体としてのパワーが非常に薄れているんじゃないか。東京がこれだけ大きくなったときに、関西のポテンシャルが相対的に低くなってしまっています。本当は三都がもう少し連帯感を持ってやれば、もっと面白いことができるはずなのに、本当に互いを評価しないんです。私は実は、さっき申し上げたように、京都で育って大学に行って、大阪の会社に勤めていて、神戸に住んでいるので、その3つの府県の行政にいろんな形で関係しているんです。これは非常に珍しいです。
 行政の委員会でも色があるんです。京都に来ている先生はこういう人、大阪はこういう人、神戸はこういう人というように、かなりはっきり分かれていますし、文化も違います。京都に行って大阪の話をしたら嫌われます。なので、個性という意味では全く変わっていないと思うんです。逆に、余りにも自分が自分がというところが、今の国際競争みたいなところではマイナスになっているんじゃないか。一緒にした方がいいとは思いませんが、道州制がいいというふうにも余り思わないんです。せっかくのいいところが、ネットワークとして繋がってないのは残念です。
 観光1つとっても、大阪に入っても、じゃ、京都に行かそうかとか、神戸に行かそうかというようにはならない。最近やっと一緒に観光PRをしようというように変わってきていますけど、現場にいる人はまだまだ、というのが私が見ている感じです。
 でも危機感が本当になったら、少し違う動きが出てくるのかなと思っています。私たちは地域に関係なく、いろんなところを見て、面白いことは応援するし、関係している委員会にも、普通は大阪の人だけでやるところを、京都の人、先程のアートコンプレックスの小原さんにも入ってもらってやりました。
 そうすると、面白いんですね。アートコンプレックスで、ロングランに出資した人はほとんど大阪の人でした。彼は京都の古い人じゃないので、やっぱり京都の人は、「あれ、何やっているの」という感じで結構冷たい目で見ていたりするのだと感じました。その辺なかなか難しいものがあります。正直言って。
高木(A+A建築規格設計事務所)
 いろいろ面白いお話をありがとうございました。今のお話は京都と大阪と神戸と大きくくくられてのお話なんですが、僕も今どうしようかなと思っていることがあるんです。仕事は東京でやっているんですけど、住んでいるのは東京のすぐ隣にある極めて特徴のない市なんです。そういう所で、たまたま小さい地域の美術館ができたものだから、それを中心にしてまちづくりに踏み込みたいなと思うんだけれども、京都とか大阪、神戸という面白さがないんです。どうやって、その美術館を自分たちの財産・お宝として活動をしていくように人の気持ちを巻き込むか、そのきっかけになるものがなかなか見つからないんでですけど、どうでしょう。小さい特徴のない町です。
佐藤
 小さい特徴のないのが特徴でしょうか。これは全然違う話ですが、高知の何にもない町、だけど、海だけはありますといって、砂浜を美術館にされた方がいらっしゃいます。砂浜美術館といいます。大阪の下町の平野という所では、まちぐるみ博物館といって、夏の何日か町の人がみんなお宝を見てもらうことを町ぐるみでやっています。そういうことをやると外国人まで見に来ているんです。普段は別に何ということない下町なんですね。何か特徴がないのが特徴かもしれないし、近所の人たに愛される「げたばき美術館」みたいなのがあってもいいかもしれない。先程ハードの時にちょっと言い忘れたのですけれど、先程の川の話もそうですが、川を生かすことはハードを生かすことだとし、広場があったら、広場を生かすためにソフトを考えたらよいわけです。
 そう考えると、生かしてないものもいっぱいあるんじゃないか。最近ネオ屋台というのが新聞に出ていて、「ああ、やっと出たか」という感じがしました。何もない広場的空間があると、人はすぐ自転車をとめたりするわけですが、そこに屋台がちょっと出たら、それだけで人が集まりますし、自転車も放置しなくなる。
 人って、案外簡単に集まるもので、関西では屋台の展覧会、みんなで屋台を出しちゃおうとか、茶碗を焼く屋台を持っているジンジンさんという人がいて、1つのアートとして屋台を使っています。変わった格好をして、どんなところでも屋台を引いてきて、茶碗を焼かしてくれる。そうなると、また人がワーッと集まって来るという感じで、さっきの屋台みたいなものだとか、フリーマーケット的なものを入れることによって、違う空間に生まれ変わるということは幾らでもあるんじゃないかと思うんです。
 もし、ちょっとした空間があればそういうのもあるでしょうし、げたばき美術館みたいなのは、それはそれで近所の人に愛されていい。1年に何回かみんなでちょっと変わった文化祭をやっちゃうとか、そういうのもありなんじゃないか。外にあるものをいいなと思うよりは、内にあるいいものをみんなで発見する。意外に子供たちなんかそういうのを発見しやすいかもしれない。町の冒険みたいなことも結構いわれています。何にもない所に何を発見するかの方がよっぽど面白いかもしれない。
 京都でお寺がいいのは当たり前。先ほどあまり言いませんでしたけれど、京都の町家も、最初はイタリア料理とかおしゃれな日本料理とか、そんなのばっかりだったんですが、最近は違うんです。アーティストが住んで、入り口をギャラリーにしていたりとか、若い人たちが商売をしていたり、そういうタイプにどんどんなってきている。町の暮らしに近づいているんです。
 それまでは建物としてのよさを使っていた。神戸もそうなんです。旧居留地の話ではいい建物を使っていたんです。ですが、倉庫という話は何でもない倉庫なんです。価値の置き方はすごく変わってきていて、倉庫なんかは、逆に規定されない空間で、無駄がいっぱい出るわけです。それが面白いんじゃないでしょうか。今までは機能でつくっているから無駄だがないようにつくるわけですよ。でも、無駄がないから、変にごみがたまっていくような、荷物置き場になったような所があったわけだけど、逆にあいまいで、最初から無駄があるからこそ発見があったり、心地よかったりするのではないか。だから、若い人たちは、ただ安いからだけじゃなくて、例えばデザイナーズマンションに住むのと同じように古いアパートに住みたいわけです。
 そこをどういうように見ていくかだと思うんです。今までのような価値だと、そんなものはよくないとなるのですが、実は大阪の長屋は、私は本当にびっくりしました。文化住宅そのもののような長屋が、カフェになっているわけです。それがまた結構面白かったりする。さすがに年齢の高い私が行くと何か居心地悪いというのがあるんですけど、若い子にとっては居心地がいいわけです。でも、何もなくても、多分若い人には違う発見があるかもしれないし、工夫しがいがあるんじゃないか、やりがいは十分あるんじゃないかという気がいたします。
石渡(元気堂)
 ご質問というよりは、ずっとお話しいただいた話にさらに私の今の現場の経験を。葉山町の隣に住んでいまして、人口3万5000人です。商店街どうしようかとみんな悩みに悩んでいる。街灯をつけ変えても余り変わらないし、「天ぷら屋のおばあさん、動かなきゃしようがないよね」というレベルの話で、にっちもさっちもいかないところに現場ではいるんです。でも、よく考えてみると、葉山町がすごいのは、私も葉山町の芸術祭というのに参加しているんです。芸術祭がインターネットでネットワークを組んで3年目です。去年出ていたすごくカッコよさげのジミーズバーというのが個人参加であったんです。スポット的に自分はこれをやるよといって、参加するんですが、そのジミーズバーはどうしているかというと、横須賀も近いし、外人さんがやっているのかなと思ったら、地味なおばあさんが2人で、(笑)「私たちの歌を聞かないと帰さない」という。その話を見て、私も「これは面白い」と、今年から参加しているんです。本当に山の上なんですけど、そこを探し当てて来るんです。 
 さっきの話に関係するんだけれども、葉山町でやっているというと、「葉山だから来るんでしょう」というんだけど、今年、ビーチコーミングって落っこっているものをみんな拾って作品をつくって岸壁のちょっと棚のところを会場にして並べた人がいたんです。その人は、もともとは下田に住んでいるんだけど、奥さんが葉山なもんですから、そこでやっていたんです。ああいうのって、場所というより自分がどういう形で参加するかだと思うんですね。小さくなればなるほど、3万5000人の町ですから、その辺が重要な気がします。
 質問にならないですが。
沼尻((有)メイビアーツ)
 私は、隅田川の方のNPOをやっているんですけど、先ほど水辺不動産という話がありまして、水辺が楽しくなるために、そこら辺もっと詳しく、場所等、教えていただきたいんです。隅田川というのは、最近、川の水がよくなりました。先ほどの水辺不動産が、商売としてやっているという話で、それは非常に面白いと思うんです。具体的にどういう仕方をしているか教えてください。
 また、先ほど屋台を船に乗せてカフェをやるというんですが、なかなか行政の許可が簡単に出ないと思うんですが、そこら辺どういう形でやっているか、わかったら、教えていただきたいと思います。
佐藤
 水辺不動産はボランティアなんですよ。なので、お金を儲けるということでなくて、活性化するためにやっているということです。彼は本業はリノベーション。マンションのリノベーション、町家のリノベーションをやっていて、関西では結構有名な人なんです。今の若い人って、社会起業家みたいな意識があって、お金を儲けるよりは社会の役に立ちたい部分をみんな持っているんです。リノベーションでお金はある程度儲けるから、水辺不動産の部分はボランティア的にやっているということだと思います。
 インターネット上にも公開していますし、だんだんそういうので知られるようになりましたから、いろんな物件の問い合わせとかも今来ているんじゃないかと思います。
 もう1つ、カフェ船。それは河川局が大変だったみたいです。1年半かかったと言っていました。ただ、大阪は水都大阪ということで、水で何とかしなきゃいけないという動きはあるんです。なので、この人だけじゃなくて、今おもしろいのは、JRさんが、これは興行的にちゃんとやっているんですけど、屋形船を出して、それに落語家の若手や吉本の人を乗せて、それが結構売りになっているようなツアーがあったりします。付加価値がそこについているところが関西的かもしれません。
 最初のところは行政の壁は厚かったですが、今はどちらかといえば、どんどんそういう新しい話題を増やしたいという感じになってきていてます。行政の方がいらっしゃったら、きっとそうだとおっしゃると思うんです。トップがその気になれば案外話は簡単なのではないでしょうか。私は、国の委員とかさせていただいているんですが、「観光立国」と小泉首相がいうと、観光に関するものがパッと進むようです。
 水都大阪というので、ちゃんと柱が立つと、結構そこで動き出すことがある。地道にそれをやっていくとやはり変わってくるわけです。これはマスコミの力もすごくある。マスコミがそういうのをどんどん書いていく。何回も何回も書いていく。マスコミの面白いのは、どこかに載ったら、それをまた取材するんですね。そして、相乗効果が生まれる。
 今までだったら、みんながするようになるのに随分時間がかかった。私たちが屋台の話をするとすごく嫌がられたんです。屋台って、警察が絶対だめだって言っているから、この話はしないでくれとか、新聞に書かないでくれとか、言われたのですが、ネオ屋台は民有地で営業しているから問題はないわけです。いろんなやり方があるのではないでしょうか。みんな行政の抜け道を本当に考えています。
 北海道の帯広で昔駐車場だったところに、屋台村を作っているんです。それも話を聞いていたら、本当にいろんな行政との関係があって、だけど、ゲリラとしてやるんじゃなくて、正攻法なんです。いろんな施策をうまく使う。そのためには多分行政の人を味方に入れるということがすごく大事かもしれませんね。今は行政の人が結構NPOに入ってたりしていますね。行政の顔の部分と自分の本当にやりたいことの顔を持っていると思うんです。そういう人たちの知恵を借りる。法律とか、いろいろな形の補助金があるはずですから。でも、それは素人には全然わからない。メンバーにそういう人を強引に入れていくというのも、1つのやり方なのかもしれません。
 私は、面白いことをしている人を応援したいと思うと、会社の偉い人にもどんどん会ってもらいます。そういう人たちって、いろんなところに行って話したり、講演しますから、そういうネタに使ってもらう。さっきのアートコンプレックスの劇場なんか、うちの副社長をしていた人を連れていって、お金も出資してもらいまいた。そしたら日経新聞の「あすへの話題」に1回書いてくれました。自分の持っているいろんな知恵とか人脈をフルに活用して、自分にはできなかったことをできる人につなげる。それをつないでいくことが1つのやり方としてあると思います。
與謝野
 きょうは大変幅広いお話をいただきましてありがとうございました。
 1つ教えていただきたいんですが、勤勉実直世代は、別の言葉でいうと、「滅私奉公」の世代であり、それに対して昭和30年、40年世代は、ジコチュウーとかミーイズムに象徴されるように、公はともかく「・・・奉私」の世代だと言われていますね。そこで、これからの成熟社会で生きるための規範をこのように一語であらわすとしたら、どういうことになりますでしょうか?これからの「公」と「私」のありようにも関連してご意見を頂ければありがたいのですが・・。
佐藤
 個の時代、個人の個の時代と思っているんです。私というのと公というのがあるのだけれども、その間に個というのがあるんじゃないか。今、若い人たちは、「私」のところにぐっと寄っているので、先程から言っているように、社会の中の自分じゃなくて、私の中の社会の方に生きているわけです。人間は、絶対に1人では生きられないので、だれかとかかわり合って生きないといけないわけです。ただ、それの練習ができているかというと、難しい状況があります。親とか社会とかに守られて1人では生きられないということにまだ気づいてないのかもしれない。
 それと関連して、もう1つお話ししたいんです。今若い人たちの働き方を調査していると申し上げました。なぜそれをやっているかというと、若い人たちが本当に夢や希望を持てるか。持ちなさいと上は言うんですが、何が夢なのか。若い人たちにとって夢や希望って、何なんだろうかということを知りたいと思って、働き方を100人近くの人にずっとヒアリングをしています。
 そうすると、若い人たちで、もちろん自分の好きなことをやっている人たちもいます。自然系の仕事やアーティストを目指している人もいますが、多くはサラリーマンになっているか、フリーターになっている。ボリュームゾーンなわけです。そのサラリーマンになった人たちの中でも、スーパーバイパスコースといって、エリートコース。例えば国家公務員ならキャリアのような、企業の中でもそういうコースは結構できていて、早い時期からプログラムがあるそうです。そういうところに入る人は別として、多くの普通の人たちは、不充足感、好きなことを仕事にしろと言われたけど、好きなことが見つからないで、何となくサラリーマンになっちゃった不充足感をみんな持っているわけです。
 その中で、結構元気な人たちが一部にいるなということが見えてきた。そういう人たちにも話を聞いた。そうすると、自分を持っている、だけど、単なる「私」に固執しているのではない。本人たちは別に「個」を持っているとは言いません。でも、「スタイル」を持っている。こんなことを言ったら、そんなはずがと思われるかもしれないが、「美学」を持っている。
 実は、そう考えた時に、上の世代って、美学がなくたって、レールもあったし、生き方って、社会が規定してくれていたから、案外無意識に生きられたけど、今の人たちは、さっき言ったみたいに、好きなことを仕事にとか、いろんな多様な中で生きているから、自分なりの生き方をちゃんと考えて、獲得しないと、実は上手に生きられないのではないかと思ったんです。
 若くてもしっかりしている人たちには美学がある。それを平たく言えばスタイルということだと思うんですけど、そういう人たちには3つの要素があるんです。1つは、全体が見えるんです。さっき、ないないといっていた全体を見る力を結構持っている。それは逆にいえば、持とうと思ったら、今の社会は、すごく情報がたくさんあるわけだから、できるんです。情報がたくさんあるから、自分というものを客観的に見るための情報を持てるということがわかったし、それから、そういう人たちは他の人に対しても、もちろんうらやましがったりしないで、学ぶ姿勢がある。自分を育てようという姿勢がすごくそこにあるなということがわかってきました。そして、もう一つ自立したいという気持ちが強い。
 新しいタイプの若い人たち、しっかりした人たちが実は出始めてきている。多くの人は残念ながらそうじゃないんです。多くの人たちは不充足で、何でこんなところに勤めているんだろう、さっさとやめて次に行きたいという感じなんですけど、そういう人たちは客観的に自分を見るし、自分を育てることができるし、とにかく新しい価値というものをだんだん身につけてきているような気がするんです。それは多分、個ということだと思うんです。
 社会と自分との関係を客観的に見れるようになってきて、すごく大きな成功をしようということじゃないけど、自分なりの満足感で、きちっと自分を評価できるようになっていく。それから、チャンスがあったら、その中で自分をちゃんと伸ばそうとしているというようなこと。これは何十人もそういう人に会っているわけじゃないですけど、この人はそうかなと思う人に会って、デプスインタビューで1人1時間も2時間も根堀り葉堀り聞いていくわけです。そうすると、そういう共通の要素が見えてくる。これはすごくうれしかった。だんだん新しい人のポジションのあり方が出てきているところだなと思いました。お答えになっているかどうかわかりませんけど、そういうところを感じます。
諸隈
 私の方からも1つお聞きします。きょうお話を伺っているときに、下北沢と羽根木という言葉で出てきて、ちょうどその真ん中の代田というところに住んでいますので、自分の町も見直そうという気になりました。先生は関西でいらっしゃいますが、私の住んでいる東京について何かおもしろいことがありましたら、教えて下さい。
佐藤
 やっぱり東京は人が多いですから、そういう意味ではいろんなことが可能性はすごくあるなと思います。 
 それから、羽根木のプレーパークの天野さんという二十何年もやっている人に聞いたら、「結局、こういうことをやっていると人は成熟するんだよね」と言われたんです。「こういうことをやろうと思ったら、すごい成熟した、立派とは言わないかもしれないですけど、すごく問題意識の高い人がいっぱいいないとできないですよね」と言ったら、「違う」って。「こういうことをやっていたら、人は成熟するんだよ。できるようになるんだよ」と言われて、「そうか」と思いました。
 やっぱりいろんな人がいるから、それは濃い関係だと思うんです。実は東京って、みんなサラサラしていて、そういう意味では若い子たちと同じような暮らしをしているのかもしれないんですけど、ある所に行ったら、そういう濃い関係というのが、実はどんどん生まれていて、さっきの渋谷のファンインというのもそうですし、東京から生まれてきているわけですから。すごく進んでいるからこそ、問題意識というのも出てきている。20世紀型の暮らしに対する問題意識を持っている人もたくさんいるんじゃないでしょうか。そこで、そういう人たちが何人か集まると、すごく力になってくる。ファンインは渋谷の中に何カ所もあるそうです。プレーパークは私が見に行った時も、ほかの地域でもやりたいということで、行政の人が来ていました。でも行政主導ではどうかなと思いました。やっぱりそれは市民が支えるものなんですね。
 だから、東京は大阪に比べて町の中にもいっぱい人が住んでいますし、逆にいえば、可能性はそこらじゅうにあるんじゃないでしょうか。
與謝野
 それでは、他にご質問がございませんようですので、これで佐藤先生の講演を終わらせていただきたいと思います。市民の目線レベルからの都市文化、生活文化についての貴重な幅広いお話をいただきましてありがとうございました。いま一度皆さんから大きな拍手でお礼をしたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

 


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