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第206回都市経営フォーラム

高齢化社会に向かう都市環境の再生
 ICTが拓く社会サポート・システム

講師:モンテ カセム  氏

立命館副総長・立命館アジア太平洋大学学長

日付:2005年2月17日(木)
場所:日中友好会館

ICT(情報通信技術)のメガトレンド

高齢化社会に向かうとすれば

都市環境の整備と高齢化社会

立命館Discovery Research Laboratory(DRT)の取り組み

フリーディスカッション



 

 

 

 

 

與謝野 
 
それでは、時間となりましたので、本日の都市経営フォーラムを開催致します。本日のご講演をお願いいたしましたのは、ご案内のとおり、立命館副総長で、立命館アジア太平洋大学学長であれらますモンテ・カセムさんでございます。
 モンテ・カセム学長は1947年スリランカのコロンボでお生まれになられた方で、ご専門は、ご案内のとおりの産業政策、環境科学、国土計画、都市工学、建築学などの実に幅広い分野においてアジアスケールでの国際交流を通じて精力的にご活躍しておられます現職の大学学長でいらっしゃいます。
 母国のスリランカ大学自然科学部建築学科をご卒業の後、母国の国立工学技術公団にお勤めになられまして、33年前の1972年に来日され、東京大学大学院で都市工学を学ばれ、1985年に名古屋の国連地域開発センターにお勤めの後、1994年から立命館大学の国際関係学部教授として教鞭をとられ、昨年、大分の立命館アジア太平洋大学の学長に就任されて、今日に至っておられる方でいらっしゃいます。
 大学と産業界や地域社会との広報イベントにも積極的に参加しておられまして、まさに第一線でご活躍されておられる国際派で実務派、親日派の都市経営分野の専門家でいらっしゃいます。
 本日は、我が国の都市環境再生のあり方について、ご案内のパンフのとおり、「高齢化社会に向かう都市環境の再生 ICTが拓く社会サポート・システム」と題しまして、ご自身の幅広いご意見と識見をもとにした、示唆深いお話がお聞きできるものと楽しみにしております。
それでは、モンテ・カセム学長、よろしくお願いいたします。(拍手)

モンテ・カセム
 皆さん、こんにちは。もうお気づきになられたのではと思うんですけれども、私は雑学と好奇心で生きている人間です。自分でもそれを実感しておりますが、経歴を読んだ時に皆さんも実感されたのでは、と思います。
 好奇心があるだけで、周りの人々の協力を得られるということは、多分私の人生の一番ありがたい部分であって、この会場の中にも数多く私を支えてくれた方々がお見えです。皆さん、しばらくご清聴お願いします。
 高齢化社会に向かう都市はどうあるべきか。どう我々が再生して、新しいルネッサンスを開くかということが今日の課題です。



ICT(情報通信技術)のメガトレンド

 

(図1)
 ICTというのは、情報技術の中でも情報通信技術と言われている部分です。インフォメーション・コミュニケーション・テクノロジーです。そこのメガトレンドを、ちょっと認識しておいたらいいんじゃないかと思うんです。
 私が日本に来た、わずか30数年前は、黒い電話が通信技術の最頂点でした。丸いダイヤル式のものです。30年の間に、今の多様な、例えば皆さんのお手元にあるような携帯電話などが広がったということは、すごい革命だと思うんです。
 当時は、電算機と言えば大型電算機。象牙の塔の中の電算機です。僕らがみんな頭を下げて、重いパンチカードを持っていくと、30分ぐらい電算機様とおつき合いできるというような時代だったんです。カードを入れて、自分のプログラムを読み取ろうとすると、15分ぐらいかかったところで、おまえは間違っているよ、という合図だけが来て、「困ったな」と思いながら、必死で修正したりする時代に比べると、今は気楽にコンピューターというものとつき合えるようになりました。
 だけど、この30年の中で僕が一番画期的だと思ったのは、次のようなことです。30年前当時は、黒い電話も電話回線も、通信会社のある意味で独占だったんです。それが、1970年代に、モビルフォーン社というキャラバン用の移動型電話を売っていたアメリカのベンチャー企業があって、そのベンチャー企業にAT&Tという大きな独占的な通信業者が裁判をかけたんです。我々の回線は、我々の黒い電話が主であるべきなのに、あなた達は違法な装置を設置した。モビルフォーン社が何故、我々の回線を使うんだ、ということで怒られたんです。でも、アメリカは偉大な国だと思うんですが、知的好奇心を大事にするお国柄なので、裁判でモビルフォーン社が勝ったんです。そして、その30年後を見てみると、電話回線の先っぽにあるものは多様化して、それだけでも大きな産業になっています。電話機だけが対象じゃないんですね。ファックス機、コピー機、携帯電話など、複数のものがついています。
 でも一方で、社会変革を支えてくれたは、この電話回線の番人であった通信会社で、日本で言うとNTTさんとかKDDさんが、非常に堅く回線の質を保証してくれていたわけです。特に、情報が漏れないように信念を持ってやってくれていた。そういう意味では、幾ら民活、民活と言っても、やっぱり公的な基盤があったからこそ、民間の活力ができたんではないかという気がします。その保証があったからこそ、民間企業が自分の大事な情報でも、専用回線で流すことになったわけです。それを忘れちゃいけないと思います。
 竹中平蔵さんにも、このことを覚えていてもらいたい。若い方ですから、こういう時代を覚えていないかもしれません。だけど、これは大事だと思います。
 こういう黒い電話の時代から展開してきて、今、曲がり角にあるんじゃないかという気がするんです。将来どっちへ向かうか、それがレジメの2番目の「コンピューティングの時代からコミュニケーションの時代へのシフト」となるわけです。
 このことが、ハードウエアとソフトウエア上、我々にとってどんな意味があるかということを考えてみます。コンピューティングの時代は、電子計算をいかに速く正確にできるかということ、人間がつまらない、しんどいと思うものを見事にやってくれるということが大切でした。ですから、いかに多くの量を速いスピードで処理できるか、ということがハードウエア開発の中心でした。ハードウエア開発の中心になるコンピューター、電算機という機器がだんだん省力化していくのですが、とにかく「コンピューティング」というものが主になっていたんです。
 そういう時代のソフトウエア、つまりコンピューターがハードウエアであった時代のソフトウエアは何かというと、プログラミング新言語開発や、コンピューターを制御するOSソフトとか、さまざまな応用ソフトですね。コンピューティングのためのソフトウエアが主流でした。
 では、今の通信技術が中心になっていった時代はどうでしょう。ハードウエアは我々の周りにある家電そのものになっています。冷蔵庫であろうが、洗濯機であろうが、通信技術によって、例えばタイマーで不在の時でも洗濯してくれたりするような時代です。コミュニケーション時代のハードウエアは、我々の周りにあるさまざまなもの、すべてのものと言ってもおかしくないぐらいです。
 それでは、ソフトウエアはどんなものになるかというと、人間と機械が接触するインターフェース開発と言っても良いと思います。ハードウエアにもマン・マシーン・インターフェースデバイスが要るし、ソフトウエア上でも人間が気づかないほど楽に接触できる。これが、今のコミュニケーション時代の大事なソフトウエアの1つです。
 もう1つは、文化そのものです。コンテンツと言った時には、我々の生活、我々の文化、我々のなりわい、それすべてがコミュニケーション時代のソフトウエアになるんです。と言うのは、昔みたいにコンピューターサイエンスの専門家だけが対応できるような時代ではないということです。この大きな原動力が、我々の物のつくり方、我々の都市のあり方すべてを変えます。
 その可能性と小さな歩みについて、今日は皆さんと一緒に考えていこうと思います。



高齢化社会に向かうとすれば

 

(図2)
 高齢化社会に向かうとすれば、私なりにどういうことを考えるのかという3つのことを中心にお話しします。
 1つは、「日本の行政の視点」。少し変わりつつあるんですけれども、その視点を問い直したい。2番目が、「ケーパビリティ論の視点」。アマルティヤ・センという立派なノーベル賞をもらった先生の論説を、私が勝手に、モノづくりの世界に展開しているものです。3番目が、「インクルージブデザインの視点」。
 この3つの視点を入れれば、都市社会の中で、高齢者と障害者が、我々健常者とともに楽しく、ICT時代、コミュニケーションズが中心となった時代の恩恵を、得られるんじゃないかという感じがいたします。
 それでは、詳細の方に入ります。
(図3)
 日本の行政の視点での高齢者、それからマーケティングの専門家の中で、高齢者と言った時には、高齢者は「問題」としか考えてないと思うんです。最近、人権問題や、NPOなどが騒ぎ出すことによって、少しは親切にしなければいけないということになっているかもしれないし、また自分自体もこれから年寄りになっていくから、何とかしなきゃいけないと考えている方もいるかもしれない。でも、基本的には、「高齢化社会」と言った時には、「大変だ」「問題だ」という発想しかないと思うんです。だけど、この発想の反面、高齢者というのは経験豊かであるし、さまざまな知恵を持っている。特に、これから高齢化する方々は広い視野と好奇心をたくさん持っている方が多い。そういう方々は、全然この発想には当てはまらないんです。
 しかし、高齢者を問題視する限りは、定年退職の年月を少しずつ長くして働きに行こうじゃないかということで、年寄りが「行ってきます」と言って、家で休まずに働き続けることになるのではないかと思うんです。だけど、もっともっと、これをポジティブに展開できないかということが今日の課題です。働き盛りの長老を、こういう扱いだけにしていいのかということです。
(図4)
 視点を変えて、もっと積極的にやろうとしたら、ケーパビリティ(潜在能力)論というものがあるんです。ケーパビリティ論とは、アマルティヤ・セン教授というノーベル賞を受賞した方のものですが、彼は、市場経済だけが経済の原点・主流として考えられているけれども、共同体の経済、コモンズの経済、パトナムがソーシャルカピテルと言っている「人と人の間のきずなの価値」、そういうようなものを、もっと大事にするべきじゃないかと言っています。
 それは、必ずしも金銭的な価値があらわれないものですから、そういうもので結構なところまでやっておけば、コストも削減でき、価格競争力も増してきます。
 何故こういうものを取り入れないのかということを、小泉内閣は問われてもいいのかなと思う時があります。特に日本の場合は、潜在的な社会資本が多くあると思うんです。人間自体が持っている潜在能力を、どういうふうに開発の現場に引き上げていくか、ということがセン先生の大事な課題です。先生の考えの中では、前提条件として自由、人権などが非常に大事だと言っていて、そういうことは目に見えない分野のことですが、大事なので制度的な環境づくりに対しての研究は結構進んでいます。
 そこで、私は皆さんと同様に、少しハードな世界から来た者なので、潜在的能力をモノづくりにつなげたらどうなるんや、人間の潜在的な能力を可能にする鍵は、モノづくりの世界では何であるか、ということを考えてみました。その結論が「インクルージブデザイン」という概念ではないかと思うんです。
 健常者、高齢者、障害者、みんな同じ土俵に立って、自分が持っているすばらしいものを、表に出すための「かけ橋」になる手段ではないかと思います。
 このインクルージブデザインという言葉は、アメリカや日本では「ユニバーサルデザイン」と呼ばれているものと考えてください。私がインクルージブデザインという言葉が好きな理由があります。やっぱりユニバーサルなデザインはまず不可能です。目標としては良くても、まず無理なんですね。
 それから、デザインというものは、ある意味では個性を出すために特化していくものだと考えると、本当にユニバーサルなデザインがあったら毛沢東の灰色の背広みたいなもので、魅力は増さないんじゃないかと思うんです。そういう意味で、ユニバーサルデザインというキャッチフレーズは、平松知事の1村1品運動のように、広まりやすいんですけれども、厳密に見てみると、もっと奥深いものと思うんです。
 ドイツをはじめとするヨーロッパでは、この概念は「デザイン・フォー・オール」とよく言わるれんですね。これもどちらかというと、目標中心です。英国では「インクルージブデザイン」。インクルージブデザインとは、可能な限り、数多くの方々を同じプロセスの中に取り入れましょうという努力。それは8割までいく場合もあるだろうし、3割でとどまる場合もあるかもしれません。だけど、みんなを取り入れる努力をする、ということは大事だと思うんです。
 このユニバーサルとインクルージブという言葉を、もう少し私なりに解説すると、ユニバーサルアクセスを保証することは社会が持つべき責任。インクルージブデザインは、デザインを通じてどんなソリューションが出せるか、ということだと考えます。その結果は最終的なものではなく、技術の変革、人間の対応の仕方、などによって変わります。
(図5)
 インクルージブデザインの良い例の一つが、「RAUM」というトヨタの車です。おばあちゃんもお兄ちゃんも若い夫婦も子どもたちもみんな一緒に乗っていけるようなこの車は、大変面白い。ユニバーサルデザインには、7つの原理があるらしいのですが、開発する時には、そういう原理原則を大事にしたと思いますが、売っているところでは、ユニバーサルデザインだとか、高齢者に優しい車だとか言ってないんですね。これは、もう1つの大事な要素だと思うんです。
 デザインが、気づかないまま社会に浸透するということこそ、インクルージブな性格を持っているんじゃないかという気がするんです。誰にも無言でアピール性があるということが大事かなと。そういう意味では、この車は良くできていると思います。
 インクルージブ社会の中で何が大事か。さっき言ったユニバーサルという概念は、どっちかというと、統一化するという印象を与えてしまう。だけど、人間は人それぞれ、個性豊かなものなんですね。個性豊かなものを同じ土俵に引っ張るために、何が大事かということが僕らの課題です。
(図6)
 この写真は、いわゆる高齢者とか障害者と言われている方々です。この写真に出ている日曜大工をやっているおじいちゃんも、派手な服を着ている障害者の方も、家内工業の仕事をやっている部長も、みんなそれぞれ個性を持っています。だから、彼らを一緒くたにして、障害者とか高齢者と言えないんじゃないかということが、このインクルージブデザインの出発点です。
(図7)
 高齢者と障害者の関係はどんなものであるかということを考えてみます。私は、ずっと自分を健常者と思っていました。私の女房はこの分野の専門家で、私に「眼鏡外して私の顔がどのくらい美しく見えるかやってみろ」と言うので、外したら美しく見えた。それは、彼女がいないから言えることですけど。(笑)僕は、マイナー障害を複数持っている人が高齢者の多くなのではないか、と思うんです。重症の方がデザインのパラメーターとしては大事ですが、高齢者のほとんどは、小さな不都合がたくさんある方なのではないかと思うんです。
 「マイナー障害を複数もつ高齢者」ということと「重症の方をデザイン仕様のパラメーターとして」ということが、何故大事かというと、高齢者のマーケットに障害者用の商品を利用できるように開発すると、市場が大きくなって単価が安くなるからです。一番わかりやすい例が、上げ下げの蛇口です。あれは見た目も非常にカッコいいし、誰にも使いやすい。高齢者にも使いやすい、障害者にも使いやすい。我々健常者と思っている連中にも使いやすい。
 僕はいつも感じるんですけど、我々は、先入観とか固定した概念を持っているけれども、それを超えて考えなければならない。高齢者や障害者を何が共通化するのかを考えると、僕は、何かを使いやすくするアシスティブテクノロジーが共通点なのではないかと思います。
(図8)
 固定した考え方を破るために、幾つかの例を取り上げたいと思います。これは、先日、世界選手権大会に出ていたサッカーのベッカム選手です。左の写真では、ベッカム選手は手を骨折していて、赤い丸がついているところにスプリントが入っています。これが彼の骨折を固定しているわけです。右側の方は、彼の足が骨折しています。
 ここで僕は何を言いたいかと言うと、まずベッカムを誰も障害者と思わない。だけれども、ベッカムでさえ障害者になる時があるんです。障害者になった時には、こんなにファッショナブルな服を着ているベッカムでさえ、厚生省が提供したスプリントとか、病院が提供した松葉杖に頼らなければいけない。
 それもまた、考え直してもいいんじゃないかと思うんです。ベッカムを対象にしてファッショナブルな松葉杖ができたら、それはみんな誇りを持って使います。そういうふうに、障害者とは何者かということを、まず問い直せたらいいのではないか。
(図9)
 これは有名な女優さんです。彼女がテレビを見ながら、番組表をこういう器具を使って取り出している。腰が痛いので、あちこち動いたりするのは嫌ですから、こういうふうにやっています。だけど、これは、我々みんなにも優しいわけです。
(図10)
 この人は、自分は健常者と思っている。我々みたいに胸を張って自慢している健常者です。



都市環境の整備と高齢化社会

 

(図11)
 都市環境の整備と高齢化社会に向かう我々が、こういう概念を超えて、どういうふうに考えるべきかと言った時に、1つは、「福祉行政とYoYo世代」を考えてみるのが良いと思います。「YoYo」というのはヤング・オールド・ヤング・オールドの略字ですが、伸びたり縮んだりするという意味もあるかもしれません。
 2番目に大切なのは、バリアフリーの概念に対して、僕らが、どういうふうにバリアフリーというもの自体を見るべきかということです。数多くの場合は、物理的なバリアフリーを考えていますが、知的バリアをなくすと考えるとどうでしょう。例えば、重症の障害を持っている方々が我々と同じように、博物館に行って楽に楽しめるかと言ったら、必ずしもそうじゃない。知的アクセスというものもバリアフリーの概念の中に入れなければならないと思うし、もう一方では、何でもバリアフリーにすることによって、人間の適応能力が下がるんじゃないかという説もあります。どこが妥協点になるべきか、僕はわからないんですけれども、それは数多くの方々と話し合いながら結果をモニターしながらやるしかないんじゃないかと思うんです。大事なことは、甘やかし過ぎてもだめだし、全然手助けしないことはもっといけない。線をどこに引くかということは、その時の社会の価値観で決めればいいんじゃないかと思うんです。
 そのためには、数多くのステークホルダー(関係者)の方々を取り入れて基準を決めていくことが大事なのではないかと思います。昔みたいに、行政主導でできるという時代は終わったということです。また、運動家だけを中心にしてもできない。専門家のインプットも要るということです。さまざまな方々が同じ土俵に立って、共通認識を持って問題を解決するために知恵を出し合っていく時代だという気がしています。
 そういうところで、我々みたいに、今まで油を売っていた大学人も、多少役に立つんじゃないでしょうか。
(図12)
 スマートハウスとかインテリジェントシティという言葉をよく聞きます。丹下健三先生が大学で教えていた頃に、「インテリジェントシティ」という言葉を聞きましたが、どこがインテリジェントかさっぱりわからなかった。今考えてみると、先生の頭の中にきちんと描いていただろうけれども、そこに至る能力がなくて、インテリジェントシティとはどんなものかと思っていた。朝起きなくても飯を作ってくれるとか、そういうようなことじゃないでしょうね。
 それから、スマートハウスというものも、1つの小さなユニットとしてあって、松下電器のショールームなんかを見ても、このスマートハウスは十分可能になっていますね。コストの高いスマートハウスとコストの安いスマートハウスがあると思うから、後でコストの安いスマートハウスのことを説明したいと思います。インクルージブデザインを使って、いろんなすばらしいものがたくさん提供できるんですけれども、今回の本題である情報通信を通じたシステムテクノロジーの可能性を、今日の話の最後に説明したいと思います。そこが、私の大学が実験的に始めたDiscovery Research Laboratory(DRL)の1つの取り組みでもあります。
(図13)
 YoYo世代の詳細に入ります。これはYoYoを描くためにジョー・テイラーさんが描いた絵ですが、僕は未だに絵の意味はわからないんです。誰かわかってくれたら教えてもらえないかと思って入れただけです。だけど、これはわかると思うんです。この女優さんはヘレン・ミレンさんです。イギリスで刑事役として有名な女優さんです。この方は50歳です。非常に魅力的な女性です。実はティーンエージャーと、考え方にしても物の見方にしても、あまり距離がないと思うんです。これが、YoYo世代だと僕は思うんです。今後の高齢者市場が、こういう方々で形成されるんですね。
 日本で言うと、高蔵寺ニュータウンとか、そういう時代に造ったニュータウンの同世代の方々はみんな高齢化に向かっている。ヘレン・ミレンさんほどグラマラスじゃなくても、多分似ている。自分の後世代との距離は、そんなに大きい距離じゃない世代だと思うんです。
 ヘレン・ミレンさんを取り上げた理由は何かと言うと、開発している商品を見ると、数多くのマーケティング業者が50歳を越えた者を対象にしないんじゃないかということを感じているからです。大体、50歳までのところじゃないかと思います。
 イギリスに、エイジ・コンサーンといって、高齢化の方々の社会的な課題を取り上げるNPOがあるんですけれども、そこが、50歳を超えた人々は職を得づらいと言っているんですね。だけど、50歳以上の方々の職場能力をはかると、一番実績が高い。能力の高い者を何で雇わないのか、ということを今問いかけて、裁判まで持っていったりしています。
 やっぱり、我々と同じ50というマジックナンバーを越えている数多くの方々も、多分ヘレン・ミレンさんのような人生を送りたいだろうけれども、企業の商品開発のマーケティング屋が、全体の5%ぐらいしか対象にしていないらしいです。だけど、実際の人口を見ると、もっともっと人口の割合が高い。日本だけでも4割か3割ぐらいかもしれません。彼らは、日本でいう団塊の世代に当たるようなものかもしれませんが、お金も持っているんです。
(図14)
 この記事には、「Fifty is the new thirty」と書いてある。50歳というのは新しい時代の30歳だと。ジマーフレイムというのは、手に持って歩く時に支えてくれる装具ですけれども、そういうものを使っている連中じゃないよ、ということをこの記事で言っています。これから企業もオールドマネー、高齢者の購買力に目を向けるべきじゃないか。
(図14)
 この顔が一番なじみやすい顔だと思います。ミック・ジャガーですね。ミック・ジャガーは60歳以上ですけど、このYoYo世代を代表しています。これはジムに行ってトレーニングをしている時の写真です。
 こうしたYoYo世代に共通しているところは何であるかと言ったら、ここに「product literate」と書いてあるけれど、大体物知りなんですね。市場にあるものに対して非常によく知っている。
 2番目が、「technology literate」。新しい技術を導入した時には、お手上げになって、「済みません、知りません」ということは言わないんですね。
 3番目には、購買力がある。
自分の息子や娘や孫との距離が、そんなに大きくないということです。ここでサラリーマン社会にはめられてしまった私も含む我々世代が、ほんとにジャガーさんほどフレキシブルな頭を持っているか、というのは多少疑問もあります。だけど、基本的にはこういうものは、我々がそんなに嫌がるようなものではないということです。
(図15)
 マドンナもYoYo世代の代表者の1人です。マドンナもベッカムさんと同じように、手を痛めて、バンドを貼っている。マドンナのドレスみたいな形のバンドができたらいいなと思いながら、この写真を入れておきました。
(図16)
 いずれにしても、インクルージブデザインの背景には、ヨーロッパやアメリカや日本のこういう状況があります。
 バリアフリーの話に移ります。バリアフリーというのはどんなものか。このリフトは多分地下鉄に障害者が入りやすくするためにやった小さな親切だと思うんです。これは私の娘です。165センチぐらいです。ところが、彼女が車椅子に座ったままですと、階段の天井に頭をぶつけてしまいます。だから、車椅子のまま地下鉄に行こうとしても、まず行くまでには数多くの方々に迷惑をかけます。まず、鍵を誰ががどこかにしまっているので、その人を探すのに2〜3分かかる。その後、その人が走ってくるまでに5分かかる。その人は作動することが不慣れなので、どうすれば動くかということを1回チェックする。そこでまた5分かかる。早くても、大体15分はかかるんです。15分かかった上で気をつけないと、頭をぶつける。
 こういうものは考えさせられますね。装置を入れた投資効果が、結局、このくらいの時間とか、このぐらいの成果しか得られなかったら、本当に我々の大事な税金をこういうふうに使うべきか。そのかわり、乗務員を2人置いて、車椅子をそのまま運んだ方がコストも安くて、人間らしい接触もできるんじゃないかという気がします。
 だから、そういう意味では、何でも機械に頼るということはインクルージブ・デザイン・ソリューションではないということを言いたいんです。
 でも、数多くのところで義務づけられて、車椅子からでも、例えば、今の駅のようにアクセスできるようになったりしている。
(図17)
 これはATMです。これも私の娘ですが、彼女より背が低い人だったらどうか、ということは気になりますが、基本的には問題なく使えます。どこが問題かと言うと、足元の辺です。車椅子がもう少し近づけた方が、もっと便利なんです。足元は、もう少し中にへっ込んでいたらやりやすい。小さいことですけれども、これは、ATMのところに行って立って使う我々が中心になっているデザインじゃないかと思うんです。
(図18)
 それから、特に高齢者とか障害者になると、我々は特別扱いをしたくなるんですね。特別なトイレや特別なレインウエアもそうなんです。だけど、自分が年とったら、こういう扱いは、してもらいたくないですね。もう少しミック・ジャガーとマドンナ的に生きていきたいですね。そこをもっと考えて欲しいということが、デザインコミュニティのある意味での使命じゃないか、という気がするんです。
 よく言われるのは、こういう特別扱いしかできない理由は、市場が小さ過ぎるから。だけど、さっきも申し上げたように、高齢者と障害者を合わせると市場も大きくなるし、一時的に障害を持つ人と通常に障害を持つ人を入れると、また市場が大きくなる。そういう意味では、特別なスーツが市場が小さいからできないということじゃなくて、市場をどう拡大できるか、という技を考えた方がいいんじゃないかという気がします。
 これから都市再生をする時に、こういう考え方が物を作ったりする中では、非常に大切だと思うんです。
 そして、高齢者や障害者を取り込むことが非常に大事だと思うんです。どういうふうに彼らとデザインプロセスでつき合うか。まず、この方々は、私がつき合った限りでは、非常に創造性が高いですね。どっちかと言うと、我々みたいに堅くてロジック型で、コンピューティングの時代のブレーンじゃなくて、通信の時代の水平型のブレーンですね。だから、アイデアがすばらしい。デザイナーたちが自分は全部解決できると思うんじゃなくて、こういう方々を仲間に入れて、ソリューションを考える方が、よりいいと思うんです。
(図19)
 それから、彼らは自分が日常的に多くの問題と直面しなきゃいけないから、提案が問題開発型です。空想じゃないんです。
(図20)
 そして、製品やサービスの質を分析する時にも、彼らがどういうふうに使っているか、ということをモニターすることは非常に大切です。だけど、ここで注意しなきゃいけないのは、彼らを実験台としてハツカネズミみたいな使い方をするんじゃなくて、唯一のデザインパートナーとしてつき合うことです。そうすると、いろんな面白いものが出てきます。
 特に、私が高齢者と言った時には、YoYo世代の高齢者と若い障害者、若い重症を持っている方々のコンビが非常に有意義だと思います。
 この前、私の女房の弟子の1人で全盲の方が、我が家に来て泊まっていて、私の若い学生諸君も一緒に家に泊まっていた。翌朝、朝飯を食べている時に、社交辞令として聞いた質問だと思いますが、私の学生が、「趣味は何ですか」と全盲の方に聞いたんです。全盲の方は20代の女性ですが、「スキューバ・ダイビング」と答えた。私の学生は口を自然にあけて、「アッ」とびっくりした顔をした。幸いに全盲の方だったから見えなかったと思うんですけれども、その後スキューバの話をし続けた。というのは、若い障害者というのは情けを得るというイメージではなく、自立精神が強い方が多いんです。適応能力もいいし、非常に前向きで暗くない。だから、そういう方々を、もっとデザインをする中で大事にするべきじゃないかと思うんです。
 そうじゃないと、少し暗い、利権を守るような福祉行政になってしまう。そうすると、町が楽しくなくなります。
 だから、こういう元気のいい方々を取り入れると、すごくいい結果が出ます。
(図21)
 やっと最後のパーツに入ります。ITの時代に入ると、さっきも申し上げたように、我々の家の周りにあるほとんどのものが通信技術を使ったITの対象になります。情報機器と言っても、今は、ほとんどの家電の機器が対象ですけれども、高齢者、障害者の方々も、システムにアクセスできるように向上したい。高齢者、障害者、健常者も含めて市場拡大ができたらいいと思うんです。
 世界の動きを見てみると、法的な規制もいろいろ出てきています。例えば、アメリカのリハビリテーション法の改正に当たって、障害者が使えるパソコンを開発しない限り、その業者を公的購入から外しますということをやっています。例えば、全盲の方がこのパソコンを使えなかったら、このパソコンのメーカーをアメリカの政府が公的購入の入札から外すということです。そのぐらい強い。
 イギリスも似ていて、障害者差別法という法律があります。その障害者差別法を2004年に改正しました。大体アメリカと似ているような方向に動いています。日本はどっちかと言うと、国際障害年の時に、物的なバリアをなくしましたけれども、まだ知的なバリアが残っていることと、包括的な動きがまだ出てないんです。だけど、産業界では、特に大手企業、パナソニック、東洋陶器、トヨタ、日産など、数多くの会社が、産業界の中にユニバーサルデザインを普及しようということで、ユニバーサルデザイン室を持ったりして、昔と違って、彼らが非常に脚光を浴びるポジションに置かれていることを感じます。
 東京の東の方、お台場あたりに、ナショナルもトヨタもみんな展示場を持っていますから、皆さん、機会があったら、そこを見に行ってください。非常に良心的なものであって、なおかつそこのトップにいる人間は、昔みたいにラインから外れて、「ちょっと福祉行政やれ」というような方ではありません。本当にデザインチームの優秀な方々を、ユニバーサルデザインの分野の中核に置き始めています。
 ISO(国際標準化機構)やIEC(国際電気標準会議)が「ガイドライン71」と言って、機器開発についての行動指針を出しています。機会があったら、参照してください。
(図22)
 ICT機器に入る前に、ちょっと横道にそれるんですけれども、フワフワした財テクをやっている人間が世界を誘導することは、僕は肌に受け付けてないんですよ。皆さんモノづくりの世界から来ている方が多いから、同情してくれて、石を投げることは少ないと思うけれども、日本のモノづくりの伝統を世界に広めるべきだ、と感じます。さっき言ったケーパビリティ論と勝手にくっつけた理由も、そこにあるんです。
 やっぱり、職人の伝統というのはすばらしいものですね。こだわりの美というのは何とも言えないですね。品質の管理についても、納期についても、見た目の良さについても、左官屋さんであろうが、大工さんであろうが、誰であろうが、これは日本が素晴らしいです。
 私は未だ覚えていますけれども、私の指導教官の同期だった韓国の先生が20年ぐらい前ですけれども、私に質問をしたんです。「カセム、日本はハイテク時代にいつ入ったかわかるか」「うーん、大阪万博の時ですか」と聞いたら、「まあ、それもそうだけれども、それよりもっと前です」「新幹線ができた時ですか」と言ったら、「それは当たっているけど、もっと詳細に言いなさい」「日立の超伝導モーターが出たことですか」と言ったら、「それもあるけれども、もっと大事なことがある」。幾ら考えても答えが出なかったんです。そこで聞いた彼の答えは、僕は半分冗談で、半分は当たっていると思います。日本で初めて、スクリューのねじをマイナスからプラスに変えて大型導入をしたのは、新幹線だったらしいんです。そのプラスねじは、シートを固定するために使っていた。そして、そのプラスねじはすべて同じ方向に揃っていた。これが日本でハイテクが誕生した瞬間だ、と彼が言うんです。
 これは当時、意味があまりわからなかったけど、ずっと僕の頭に残っているんです。なぜかと言うと、やっぱり華々しく超伝導モーターを開発したりすることも、もちろん大事なんだけれども、全部揃えるように、ねじの受け入れの穴をあけた人にもこだわりがあったということです。
 そこに参加する数多くの方々が、同じ使命感を持って参加することによってこういう正解が出てくるということが、日本のモノづくりの伝統だったんですね。
 アジアが世界の生産現場になります。そうした時には、このモノづくりへのこだわりをなるべくアジア地域に伝えて欲しいんです。最終的に、僕らは札を食べて生きていられないんです。水を飲まなきゃいけないし、物を食べなきゃいけない。最終的にモノづくりの現場に戻らなきゃいけないと思うんです。
 アジアのモノづくりの現場でも、日本のこういうデザインの伝統、つまり、必ずしもイメージしたデザイナーだけでなく、社会の広い層までデザイン感覚があふれるていれば、付加価値を高めることができるのだと思います。
(図23)
 ちょっと写真だけを見せておきます。日本のモノづくりの美しさは、皆さん、これを見たらわかると思うんです。
(図24)
 だけど、グッドデザインというものは、見た目がいいものではないんです。これは何だか誰か知っていますか。

客席からの答え レモン絞りです。

カセム
 当たりです。これはレモン絞りです。カッコいいですね。だけど、グッドデザインと言えないんです。種が全部コップに落ちるんです。グッドデザインとは何かと言ったら、見た時に完成度が高いということだけではないんです。絞った後に、また種をスプーンで引っ張り出したりするのは面倒くさくてしようがない。
(図26)
 こういうふうに、最近パソコンも非常に楽しくなっています。PDAも楽しくなっている。灰色のパソコンはいろいろな色に変わっている。
 だから、ITの世界に入る時には、楽しい精神を持って、さっきも申し上げたように、コンテンツそのものが、これからのICT時代の対象になります。文化・感性などを活用をする時代に入ります。



立命館Discovery Research Laboratory(DRT)の取り組み

 

(図26)
 それでは、DRTとは何ものかということから、始めたいと思います。最初は、「応用技術開発ラボ」と呼んでいたところです。自然に優しい技術開発と、ある意味で環境とか生命技術とか、人に優しい技術開発、すなわち福祉、教育などに関する技術開発の領域を対象にしようと思っていたラボだったんですけれども、ニュージーランドの友達が、「あなたのやっていることを見ると、比叡山の見えるこんないいラボで、楽しく伸び伸びしていて、やっているものは応用技術開発じゃないよ。あなたは発見をする方法を、このラボの研究で伝えていると感じる。だから、Discovery Research Laboratoryに変えなさい」。すごく偉い人だったから断ることもできなくて、こういう名前にしてみたら、すごく相性がよくて、小さなルービックキューブみたいなものから、苗が出てきているようなロゴマークもできて定着しました。
 このラボはインキュベーションラボになって、分離融合型で、国際的なパートナーシップを持って、先端的に社会が直面する問題を解決することに努め、規格品や試作品を作り出す場です。
 その中で、「DAITS」プログラムが、大まかに言って人に優しい技術分野の中心プログラムと考えてください。Design for Disability, Aging and Access to Inclusive Information Tools, Technologies and Systemsという長たらしい名前ですけれども、基本的には障害者、健常者、高齢者が一体化して、社会参画できるような技術開発と考えればいいんです。
 そこの中に、さっき申し上げたユニバーサルアクセスを保証するようなデザインの取り組みをする。
 何を最初にやったか。このプロセスは、これからやりたい方々にも参考になるかもしれませんが、まず主要になる技術シーズの開発を獲得しようと思い、テクノロジー・シーズを集めたんです。自分のところで開発するものもあるし、数多くの国際的な友人がやるものもあるし、それを2年間ぐらいやりました。集めただけじゃなくて、普通やるように、技術シーズを狭い範囲の専門家だけに伝えるのではなくて、数多くの方々に伝えたんです。
(図27)
 例えば、大阪に産業創造館という場所があって、そこと共同でいろんな方々に技術シーズを伝えたんです。そうすると、すばらしいアイデアが向こうから、技術シーズを使うために出てくる。
 テクノロジー・シーズ・セミナーをそういうふうに開いて、皆さんのアイデアのもとに、模範的な例や試作品を作れると思ったら、それに限定して、あとは各ステークホルダーといろいろなフォーラムを開いて、技術開発を本格的に続けることになったんです。
 それが、高齢者に向かう都市環境形成に、どういうふうに貢献できるかということを、この流れの中で説明させていただきます。
(図28)
 まず、さっき申し上げたように、環境、福祉、文化を配慮した公正な社会づくりに貢献するものに限定します。これは自分がやりたくない仕事を排除するためのルールだけだ、と考えてください。そんなに根拠があるわけじゃない。
 まず、国際的なパートナーの協力。これは非常に有意義でした。なぜかというと、開発コスト、試作品を開発するコストが従来の10分の1になるんです。それは、参加した者が、お互いに何か大きい目標に向かっているからです。その大きい理念や目標が大事だったと思うんです。これは1つ目のポイントです。
 そうすると、参加している人々の間に完全に信頼関係ができる。相手に対して信頼があるから、相手の得意分野については無駄な競争をしない。その代わりにそれを支えるようなもの、それをさらに伸ばすようなものを開発してくれるから、結果としてすごく開発コストが下がる。それも国際的にやっている中で、友情関係があるからだと思うんですけれど、多分査定してないような時間とか労力とかアイデアとか入っていると思うんです。全部は銭勘定していないんです。それは、さっき僕が申し上げたセンさんのケーパビリティ論の中にある共同体の経済論だと思うんです。90%は共同体の経済で、市場価格に反映するものは10%。こういうものをもっともっと僕らは的確に分析して、市場経済は神様だという方々に、市場経済は大事だけれども、それだけでは、人間が高いコストを払ってしまう恐れがあるようなことは抑えた方がいいことを、伝えた方がいいかもしれません。
 2番目に、このラボの中からいろいろな知的資産が出てくるから、それを創造したり、活用したりするためのいろんな技を身につけました。
 それをやっている間に、複数の国の方々が入っているから、グローバルスタンダードを追いかけて行くんじゃなくて、自分が設定するところが世界の中心になっていく可能性が出てきました。
 大学は、今まで人づくりを中心にやってきた。これからは、技術開発コストを安くし、開発途上国にも導入する事によって、人づくりから国づくりへ展開するべきじゃないかと思って、若い方々をこのラボに入れているんです。
 例えば、私の同僚の中でも、研究重視型の先生方がたくさんいて、大講義を嫌うんです。だけど、私立大学は、大講義がなかったら経済的に成り立たないんです。私は大講義がしんどいと思ったことがないんです。なぜかと言うと、私の環境科学の基礎を教える講義は300人ぐらですが、その中に30人ぐらい、環境を一生懸命やりたい者が出てくる。その30人が、4年を経ているから、120人います。そこの中の10%が優等な大学院生になって、手足の部隊と上の管理する部隊が出てくる。そういう300人の講義をやることによって、私にとっては魅力的な研究開発チームが自然にできてくるわけです。
 だから、僕は、そういう若い方々を国際的に活用できるような環境を作るために、こういうプロジェクトをやっているという側面もあります。
 もちろん、DRLの場所を獲得する時には、大学に、「暗い、ださい、どこかの倉庫の奥とか、トイレの隣ぐらいのところは嫌です」と言ったんです。なぜかと言うと、企業から人が来る時、気持ちよく入って気持ちよく出ないといけないからです。多分DRLの一番大きなディスカバリーが、おいしいコーヒーときれいな景色がある場所で、伸び伸び仕事していると発見がしやすいということかもしれません。
 そういうことをやってきて、テクノロジーシーズを集めた後は、模範的な例を作らないと誰も信用してくれないので、模範的な例を作ることに努めるんです。
(図29)
 パイロットプロジェクトとしては、領域を大きく設計したんです。「ITと福祉」、「ITと環境」、「ITと文化」、「ITと言語」、「ITと平和」。ITから始めて、ライフサイエンスの分野にだんだん展開してくるんです。ITというのは、今の講演でのICTと同じです。情報通信技術をどう活用すべきか。まず、理性だけに訴えるものじゃなくて、さっきのデザインの話にように感性と理性、両方に訴えるものをやろう。人に優しい、地球に優しい技術開発をやりましょうということです。
(図30)
 またセン教授の話に戻るんですけど、人に優しい技術開発は、潜在能力を最大に活用すること。ユニバーサルアクセスを保証するもの。インクルージブデザインを活用すること。そこで、DAITSプログラムが出てくるわけです。
(図31)
 DAITSプログラムを作った時に、どんなコア技術があるかということを集め始めた。これを集める時、日本で技術NPOを作りたかったけど、NPO法も間もない時だったし、その話を聞いた企業さんも、「カセムさん、これをやるんだったら、何で会社作らないの」と聞くんですね。「NPOだったら、責任がどこにあるかという責任の所在が我々に見えないから、会社作った方がいいよ」と言う。そういうこともあって、NPO法ができていたから安くNPOは作れたんですけれど、アメリカで作ろうじゃないかと思った。2000年、シリコンバレーの中にアルキメデス財団というのが出来ました。向こうでは、それを支える環境もあります。なぜアルキメデスかという理由は後で説明します。
 1つは、スタンフォード大の中でアルキメデスプロジェクトという障害者、高齢者を対象とするプロジェクトがあったんですけど、そこにいた方が僕らの技術開発の中核になるものを発見しました。それが理由だったんです。このリーダーの技師長、ニール・スコット氏が普遍的なインターフェースやデバイスを開発してくれたんです。それがトータル・アクセス・ポート、TAPです。それは、コア技術の1つとして後で説明します。コア技術だけじゃないんです、この考え方。思想そのものが、都市再生にICTを使う時にすごく大事だと思います。
(図32)
 このアクセス技術のコアになっているTAPを説明しようと思った時には、スティーブン・ホーキング博士を思い出せば一番わかりやすい。スティーブン・ホーキング博士は重症の方です。だけど、すばらしい脳を持っています。宇宙のことは何でも解析できる。何で僕らは、彼のすばらしい脳の恩恵を受け入れることができるかというと、彼の非常にすぐれた車椅子が社会とのインターフェースになっているからです。このアクセス技術そのものが、この車椅子です。
 だけど、我々が同じように重症になって、この車椅子が手に入るかといったら、そうでもないですね。やはり高いし、博士の脳があるからこそ誰かがやってくれるものであって、我々が町角の福祉行政の担当者のところに行って、ホーキング博士のようなものを欲しいと言っても、誰もくれないと思うんです。
 技術開発はできますが、普通一般の方は手が届かないということです。では、何をすれば手が届くかと言うと、トータル・アクセス・ポートの考え方が解決策を見出してくれます。
(図33)
 この写真の、JBという若い青年を見てください。JB君は頸椎損傷で、2番目の背骨のところから下は全部麻痺しているんです。頭をうなずくこと以外は何もできない。車椅子にストラップで固定しないと倒れます。JBは何を持っているかというと、レーザーポインター頭に着けている。このレーザーポインターによって、JBはパソコンを作動させる。
 彼はうなずくことだけで、ほとんど何でもできるんです。このレーザーポインターは、JBの障害にカスタマイズしているから、非常に高いものなんです。ホーキング博士の車椅子ほど高くないけど、JBの購買力から見れば高いものです。
 だけど、例えば、ホーキング博士の対象になっているいろんなコンピューターをカスタマイズしようとした時には、多分部分的には変えることはできずに、すべてをまた買い換えて作る場合が多いと思うんです。
 でも、ターゲットシステムというコンピューターにアクセスするための、「アクセッサー」というものだけがカスタマイズされているだけでもいいわけです。アクセッサーは、高いものであるし、自分に合わせたものですから、長く使いたい。ターゲットシステムのコンピュータは量産型で2〜3年で古くなっちゃう。そうした時に、コンピュータが早く展開しても、自分にカスタマイズされたアクセッサーを長く使うためのかけ橋になるものがあったら助かる、ということが、このトータル・アクセス・ポートの概念です。
 これは、10年ぐらい前に開発したトータル・アクセス・ポートですけれども、JBがどこに行っても、このチョコレート箱ぐらいの大きさのものを持っていくだけで、仕事ができる。頸椎損傷の方々は、2年から4年の間には亡くなると言われていますが、結果としては、JBは寝たっきりでもなく、シリコンバレーの中で非常に優秀なプログラマーになっています。
 ホーキング博士の歩み方と違った歩み方ですけど、JBの人生を意味のあるものに変えたのは、このトータル・アクセス・ポートです。
 この考え方を、町のあらゆるところにどういうふうに導入できるかということが、今日の話の結論です。
(図34)
 ユーザーの各層がいます。これがユーザーのアクセッサー。これがカスタマイズする部分です。これがターゲットシステム。これは、それを可能にするトータル・アクセス・ポート。今、年が経って、このトータル・アクセス・ポートがインテリジェンスになったり、カセットになったり、この指先ぐらいの大きさのチップ1個ぐらいになったりして、ユーザー、環境等の区別できるようなった。そのぐらい、省力化と高度化が進んで来ています。
 考え方を変えれば、JBとターゲットシステムの接触だけじゃなくて、この右側が、例えば危険な作業をするロボットかもしれない。左側が、それを作動する人間かもしれない。その人間の中には障害者も、健常者もいるだろう。そうすると、アクセッサーが多様になります。健常者のアクセッサーは健常者の出来事にカスタマイズして、キーボードみたいなものかもしれない。だけど、障害者も同じラインで働こうとしたら、JBみたいに、すごくカスタマイズしたアクセッサーかもしれないです。
 だけど、どんなアクセッサーであっても、このTAPを通じて同じターゲットシステムを作動することができる、ということが核です。
 この考え方をデザインの根底に入れたら、非常に面白いものがたくさんできるのではないか、ということを感じます。
(図35)
 次は、解析技術のシーズです。こういうものが広がっていくと、解析をする時に数多くの情報が出てきます。例えば、天気の情報とか、自分の病状関連の情報とか、さまざまな情報が来た時には、多様な情報を、不確定な情報であっても、整理して方向性を示すような、データ・マイニング・ソフトやその開発も大事です。解析に必要な技術開発のシーズは、ニュージーランドの友人が開発して、4月になったら、彼の弟子が我が大学に来てラボに入ります。
(図36)
 もう1つは、システムデザインのシーズです。幾ら技術シーズを集めていても、何か物に展開しないと誰も信用してくれません。TAP、TASの場合は、物への展開ために、それぞれのグループがお互いに自分の領域を住み分けして開発を行っています。今ハワイにいて、もとはスタンフォードにいたニール・スコット氏のグループは、教育の現場でこのTAP、TAS(TOTAL ACCESS SYSTEM)の考え方を導入して、何かのモノづくりをしますということに徹しています。
 彼のところでは、自閉症の子供たちの世界を広げるためのいろんな刺激を与えるようなことをやっています。それは、今アメリカ自閉症協会の方々がすごく高く評価しています。まだ開発途中のものですけれども、評価は高いです。
 ニュージーランドの友達は、さまざまなところからデータを的確にマイニングして、包括的にできるような技術開発に徹します。
 我々のところでは、福祉部、医療情報とか介護関係の分野でやりましょうということになって、介護医療の世界で、トータル・アクセス・ケア・アンド・メディカル・インフォメーション・システム(TACMIS)というシステムを、このTAP、TASの考え方を導入して開発することに努めたわけです。
 私は、本当は学長になる身分ではないと思うんですけれども、楽しく10年ぐらい立命館で仕事をして、何回も延期して、やっとこさっとこ留学の1年間をもらって、イギリスのロンドン大学のキングス・カレッジ病院に入って、この研究開発をやりました。やっている途中で戻されたものですから、開発途中の向こうのラボを保留にしながら、自分のドクターの学生を向こうに送って、薄い綱渡りをしている感じです。
 だけど、これをやってすごく感じたのは、人の役に立つということです。私は医者でも何でもなくて、さっき紹介にあった雑学の専門ですが、そんな私に何ができたかと言うと、自分が長年やってきた建築学がバックグラウンドにあったかもしれません。工程を分析して全体のコンセプト作りをするシステムデザイン的なものしかできなかったのですが、それは病院の中で応用しても役に立つということがわかりました。
 病院の中では脳卒中、脳梗塞の患者を対象にシステム開発をしました。なぜかというと、亡くなる場合もあるんですけれども、緊急医療からリハビリ、社会に戻って、障害を持った上で生活しなきゃいけない場合もある、というように幅があるんです。ですからそれが、これから高齢化社会に向かう我々には非常に使いやすい、また応用しやすいものじゃないかと思ったからです。亡くなっている方も多いし、かかっている方の数ももっと多い。
(図37)
 開発したシステムは、僕らはトータル・アクセス・ケア・アンド・メディカル・インフォメーション・システム(TACMIS)と呼んでいます。
 私は、キングス・カレッジの病院に行くまでは、医療情報システムとか電子カルテは、1つのシステムだと思っていました。向こうに行って、本当に現場は大事だと思いました。現場で、患者の経路はどうなっているか、患者を治療する人の経路はどうなっているか、患者の附帯的な環境を支えてくれている人々の行動はどうなっているか、そういうものを分析してみると、やっぱり3種類のものが要るんじゃないかということがわかってきた。
 一つは、病院の中の医療介護情報システムとして開発するものです。2番目は、患者が社会に戻った時に、町角の医療現場と接触しながらやれるコミュニィケアと、それを集合化したものを大きな医療政策に伝えるシステムです。
 3番目は、自分の自宅かケアホームに戻って自立した生活をできるために、支援するシステムです。
(図38)
 これは、TACMISのシステム概念図ですが、一番上のPEECSSというものが、セルフケア、自立的な生活ができるようなシステムです。来のTAP、TASそのものなんです。例えば、ターゲットシステムが自分の周りにある家電、自分の病気の病状をはかっている医療機器などになります。
 アクセッサーを、自分の障害に応じて開発する。これは、モノづくりとして一番わかりやすいものです。これがなぜ物すごく面白いかと言うと、ターゲットシステムは量産型のもので、開発するのは大体大企業なんです。
 だけど、アクセッサーの繊細な開発は、大体中小零細企業です。大阪の下町とか東京でいうと東糀谷とか、そういうところにある中小零細企業が技術を持っています。大阪の生野区とか、そういうところです。
 だから、これをやることによって、都市産業が再生できるということがあります。都市開発といった中で、「なりわい」を忘れたりする可能性があるんですけれども、これをやることによって、生活を支えるだけじゃなくて、産業再生にもつながるということがここにあります。
 このセルフケアシステムの中心になる、個人好みの記録みたいなカルテは、自分がどんな治療を受けて、自分の病状をはかる状況がどうなっているかということとか、自分のライフスタイルの特徴はどこにあるかとか、自分の周辺にある家電等をコントロールできるか、という3つぐらいのもので形成しているんじゃないかと思うんです。各情報システムが、大体3つぐらいのファクターで形成しているようなモデルです。これが、1つのカルテの情報を発信するシステムです。Patient Prescription, Preferences and Environmental Control Record(P3ECR)とよばれ、個人の好みをあらわすカルテ、個人の個性豊かな状況を表すカルテです。
 2番目のシステムは、病院内での対話のための、従来言っている医療の電子カルテに近いです。治療関係の部分と病院の維持管理にかかわるような部分と、病院にいるプロフェッショナルたちの教育や再訓練の部分で構成されています。再訓練は、とても大事です。日本の中でも、医療ミスが多いので、この前の厚生省の白書では、医者の再訓練が義務づけられました。義務づけられることになると、この分野でリカレント教育とか、専門家の再教育とか再訓練、また研究現場でやるものをなるべく早く医療現場にトランスファーするための努力とか、そういう部分も大事だということがわかってきました。2番目のシステムを理解するのには、例えば入院して専門治療を行うセコンダリーケアの病院だと考えればいい。
 一番下の3番目のシステムでは、コミュニティケアというのは通院するようなところだと考えればいいんです。コミュニティケアでは、2番目の丸にあるセコンダリーケアの分野をもう少し包括的に社会全体と対話しながら改善していくということを考え、Aという部分が政府関係、特に医療行政。Bは医療専門家のさまざまな学会、医師会とか看護師会とか。Cは産業界、薬品から医療機器まで開発している産業界です。デザイン部門の専門家も、ここに入っています。Dは、市民社会を代表する部分です。
 このA、B、C、Dが輪につながって、ある意味で集積した情報を分析したり、医療のトレンドを分析したり、対応策を考えたりする。ここは、本当に社会との対話の場であって、医療機関から来る情報と、さまざまな方々が持っている考え方が対話する場所をたくさん設けなきゃいけない、というのがここのモデルの結論なんです。
 これが、TACMISのシステム概念図ですが、今、病院中心から始めていますけれども、川上と川下にこれをつなげきゃいけないというのがわかって、これから医療情報システムを開発する方々に、このコンセプトを使ってみたらどうか、というのが私の提案です。
 これにより高齢化社会の中に医療情報をよりよくするのであれば、多分脳卒中を起こす患者から出た結論を、数多くの場合は適用できるんじゃないかという気がします。
 だから、高齢化する都市社会全体の大きなコントリビューションに、この医療をよくするための試みを使ったらどうかと思います。
(図39)
 DRLの成果のまとめですが、基本的にさっき申し上げたように、国際的なチームがあったことのよさ、それから、技術を社会化したり商業化しない限りは、あんまり役に立たなくて、趣味のものになるということがあります。
 開発をやろうとした時には、コアになるものを選別しないといけないこと。そうじゃないと、こっちに行ったり、あっちに行ったり、自分も訳わからなくなります。
 我々の場合は、幸いにTAP、TASという概念があったから、それを中心に置いています。
この開発を、共同体で、国際的なチームでやったことで、10分の1のコストで試作品を作れるので、高度な技術を発展途上国に持っていけるという可能性が出てきたこと。最貧国は無理ですけれども、ちょっと元気のいい発展途上国だったら、人口1人当り700ドルから1000ドルぐらいのGNPの国々では可能性があります。
 それから、大企業も中小企業も先進諸国も発展途上国も、協働ができたこと。これは医療のことだけでしたが、その他にも、数多くの分野でTAP、TASの応用を考えてみれば、産業基盤がしっかりとしてくるという気がいたします。
(図40)
 だから、市場も拡大するし、国際的にも貢献できるし、地域社会も元気になる。これが、4年間やってきた我々の結論です。
 これが都市環境形成に貢献するとすれば、私は今、福祉現場を中心に説明しましたが、さっき申し上げた住まいにも延長できるし、職場にも向くだろうし、ショッピングモールの開発にも使えるし、余暇やレジャー施設にも使えます。
 ここの鍵は、「安全で、快適で、楽しい環境形成」というのを僕らは目的にしていることです。人が移動したがる時代ですから、モビリティーを向上して、だんだん我々の感覚が衰えたりする時には、その衰えた感覚を補助して、空間の認知をもっと的確にできるようにするということとか、不平等のアクセスを是正することに貢献できるという気がします。
 既存の社会インフラを再設計したり、リフォームしなきゃいけない時代に来ていると思います。午前中に、私は団地再生研究会というのに出ていました。団地再生研究会というところが、日本の30年、40年前につくった団地をリフォームする時には、高齢化している社会に対応するためにどうすればいいかということを、私の友人で、今明治大学の教授ですが、前清水建設の部長の沢田教授が中心になってやっています。これは、僕らのアクセス技術を活用できる場じゃないかと思うんです。
 既存の社会インフラの再設計だけでも、このインクルージブデザインの概念を入れたら、市場が拡大するし、生活が楽しくなるということは感じます。
(図41)
 僕は、インクルージブデザインの概念を入れた技術開発は、3つの分野で取り組むべきだと思うんです。1つは住まいですね。人間が買う一番高い買い物が家なんです。家の質を保証する時に、1つは居住面積だと思う。これは、沢田先生の団地再生研究会中心でやってくれると期待しています。では、我々がどこで貢献できるか。住まいの質を向上するために、室内の設備や機器や器具や家具などの設計には貢献できると思うんです。
 また、団地再生と言っている領域で、老朽化した団地の周辺にある環境は、だんだん高齢化して方向感覚などを失うと危険です。そういうものを補助する技術として、僕らの技術が使えると思うので、とりあえずパイロットプロジェクトを日本国内で始められたらいいなと思って、沢田先生の団地再生研究会を睨んでいます。
 同じように、ケアの世界で、今言ったようなTACMISのような技術開発を使うのであれば、YoYoの世代の持っている考え方や価値観と、若い障害者が持っている考え方や価値観を中心にして、福祉を超えた未来型の社会創造をしたいということが、このケアの分野でやりたい。
 僕がここで「ケア」という言葉を使って、「福祉」という言葉を使わなかったのは、「福祉」と言うと、いろいろと利害関係が浮かんできて、ちょっと暗くなって、動けなくなります。ケアと言えば、精神的なケアや、楽しさを導入できそうです。いろいろなことを含めてこの分野で、TACMISの技術を中心にしてやりたい。
 もう1つは、職場の関係です。だんだん我々の職場は兼業化してきます。高齢化するほど兼業化してくると思います。それから、働く場所が必ずしも外のオフィスじゃなくて、自分の住まいで働く時間が長くなります。例えば、イギリスだったら、週に2日ぐらい家の中で仕事して、3日ぐらいしかオフィスに行かないというのが普通になってくるんです。そういう時代が日本にも来ると思います。
 もう一方では、職場自体が携帯電話と車さえあればどこでもできるものですから、モバイルな職場も誕生してくるだろう。そういう模範的な家を、どういうところに作ればいいか。
 まずは、TACMISを、ケア分野の試作品を社会化したり商業化するためのパイロットプロジェクトの現場と考えればいいんですね。それから団地再生によって住まいを対象にして、TAP、TASの考え方を導入したい。
 職場中心のものは、まだ見えてないんですけれども、これもどこかでスポンサーが出てくれば、可能になるんじゃないかという気がします。
(図42)
 そこで、周辺環境のことだけで、例として取り上げたいんですけれども、このコンピューターの画面で線のところを触るとワンちゃんが鳴くんです。このふちから落ちると、警告音が出る。これは何ともない技術と思うでしょう。だけど、これはすごく奥深いです。
 例を2つ言います。この前、私が京都に戻る時に、大阪の図書館で働いていた全盲の方がパソコンを打っていました。音で文字は展開するから、ある意味でユニバーサルアクセスができていた。僕は好奇心があって、彼に「このスクリーンの中に何がどこにあるか、あなたはわかりますか」と聞いたら、「それはわからない」。これは空間を把握できないんです。打った文字が耳に入るから、何を自分がしたか、何がそこにあるかというのはわかるけれども、どこにあるかというのがわからない。
 この延長線で、いろんなことができるんですけど、例えば、欲しいものがここにあれば、そこに行くとワンちゃんが鳴く、コーディネーツもわかるし、縦のファイブとか横のフォーとか出てきて、居場所が分かるし、ふちから出た時も音でわかる。これは、例えばどこで使えるか。全盲の方で、地下鉄のホームのエッジから落ちて亡くなる人や、けがをする人もたくさんいます。彼らのどこかに、彼らの持つ白いスティックでもいいし、イヤリングでも、ネックレスでも何でもいいんです。何かにセンサーだけ着けておけば、例えば、アクセッサーさえあれば、近づくと危ないぞと言ってくれる。こういうものがあれば正しい道を示せるから、例えば、全盲の人がショッピングモールの中に入ったりした時には、自分が今サッカーグッズの店の前にいるとか、ケンタッキーフライドチキンがずっと先にあるとか知らせるというように、GPSが絡めば十分活用できます。
 全盲の方や、聴覚障害を持っている方とか、いろいろな方のアクセスを向上するのに、こういう技術を使えると思って、僕らの技術シーズセミナーで発表したら、医者の方が、「カセムさん、私の病院でベッドから落ちて、看護婦が巡回に来るまで気づかなくて、年間70人ぐらいの人が重傷になる」と言うんです。何人か死んでもいる。センサーをベッドのシーツの中に埋め込めないか。それで、病院はとても助かります。
 そういうことが、この単純な技術でできるということです。つまり、研究開発というのは高度な技術が要るんじゃなくて、何かの目標に向かって、僕らは、あるシーズをどう使うかということなのです。
 これは私の頭だけでも、この「ふち認識」の専門家だけでも解決策は出ないんです。何で出たかというと、皆さんのような方々に、こういうものがありますよと伝えたからです。その結果、これに使えないかとか、あれに使えないかというアイデアが出てくるわけです。だから、数多くの方に、この考え方を伝えることが何より大事。
 例えば、僕らが海外の空港に行った時、または海外の方が日本の空港に来た時には、アナウンスメントは日本語でやるからわからないですね。そのアナウンスメントが日本語で来た時には、自分が小さなアクセッサーを借りるだけで、例えばイヤリングみたいなものですが、自分の耳のところで、その情報をどこかの国際言語か自分の母国の言語にトランスレートしてくれれば、誰にでも役に立ちます。
 だから、TAP、TASには、普遍性がすごくあるということでワクワクしてくるんです。幾らでも手が足りないぐらい楽しい産業開発が、この先に待っているよということが、僕の直観なんです。
 急速に高齢化している都市社会でこそ、このチャンスは多いのです。
(図43)
 これは、TAP、TASを作ってやった幾つかの事例です。これでできたら、他のものもほとんどできますよということで、音声とノートパソコン、携帯電話などを中心にして、電気をONしたりOFFしたりするような実験をやった結果です。
 TAP、TASは、個人的な処方箋で、シンプルで使い勝手がよくて、常に安心して機能する。利用者とともに、どこでも行くユビキタス性があって、デザインや情報、業者にこだわらず独立性があるということと、いつも良質のものとしてあるということを開発目的にしています。
(図44)
 今後の展開ですが、これは医療の上だけですけれども、フェーズ1が、先程のキングスカレッジでやっているような、電子カルテやナラティブを中心にしてやって、次は、健康診断の管理システム、今度それを具体的に導入して、このエビデンス・ベースド・メディシン、テレ・メディシンなど、いろいろな具体的な実行策をやろうと思っています。フェーズ2に来るまで、4年かかっています。
 だから、すぐできるものではないのですが、数多くのところで応用ができるので、僕らは、どっちかというとラボの中にできたものを数多くの方に伝える、いろいろな方々がそれを応用して開発ができる、というような仕組み作りをしています。
 ナレッジアーカイブを作って、技術開発を通して社会と対話しながら、ラボのようなシステムを中心にして人も育て、社会化していこう。
 何より、ここで僕が感じたのは、理性と感性、両方に訴えないといけない。大学ではこういうことは、どうすればできるかというのが、最後の悩みなんです。
 大学の先生方は、自分は試作品も作れると勝手に思っているけれども、本当はそんなに上手にできないんですよ。できても、みっともないものしか出ないし、きれいなものがMITのシステムラボみたいなところにできても、すごく時間がかかってしまう。そうしたら、そういうものは本当に専門の試作品業者に任せた方がいいと思う。
 じゃ、大学は何をやるべきかということを考えると、アイデアやコンセプトを出したり、利用度が高いか低いかという調査をやったり、スペックを導入するために、中立の立場ですから、テスティングをやったり、仕様書を作ったりする。また研修をやったり、啓発活動をやったりする。それが大学のできることだと思う。
 大学はこういうものをテクノロジー・シーズ・セミナーで公開して、スポンサーが出てきた時に、スポンサーとジョイントベンチャーを作ったらどうか。ジョイントベンチャー(JV)の手前のテストベッドは大学でやる。あらゆる方々が参加するから、知的財産の分配をJVに任せる。市場に関する市場調査はJVで行う。必要だったら大学で手伝う。 
 JVが、こういう分野の仕事をまた大学に契約してお願いする。親部隊がベータ試作品(販売の手前のもの)を作り、製造して流通していく責任は親会社で行う。この方々が成功すれば、知的料が出てきて、その一部を大学がもらう。
 そういう循環型の輪を作れたら、大学も社会に役に立つものになるんじゃないかという気がします。学校法人立命館でこの提案を受けてもらうために、私は努力していこうと思っています。また、そっちの方が、企業を説得するより難しいことかもしれません。
(図45)
 アルキメデスの精神が、僕は好きです。「立つ場所と棒さえあれば世界を動かす」と言っていました。これは紀元前230年前です。僕らのラボ、Discovery Research Laboratory(DRL)は立つ場所だと思うんです。アクセス技術というのが棒なんです。棒とラボさえあれば世界を動かせますという、ちょっと過剰な自信です。
(図46)
 僕は、アリンコさんも大好きです。人間は、やっぱり胸を張って自信を持ちたがるんですけれども、僕はアリンコちゃんを見ると、謙遜になるんです。アリが木の皮を持って歩いているけれども、この皮は、自分の体重の40倍です。人間に例えると、車2台を歯で持って坂を上っていると同じぐらいです。人間は、絶対こんな力は出せないんですけど、アリンコちゃんは出せるんですね。
 だから、そういう過剰自信を持ちながら、いつでも謙虚になれるような考え方の基本がないといけないんじゃないか。ちょっと雑談かもしれませんけれども、終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション

與謝野
 ありがとうございました。
 非常に幅の広いお話、示唆深いお話をいただきました。
 時間が15分ほど残っております。せっかくの機会でございますので、ご質問ないしは、聞き逃したあの点をもう一度お聞きしたいということがございますでしょうか。いかがでしょうか。
小栗(千葉商科大学)
 千葉商科大学におりまして、カセムさんとは20年ぶりにお会いするので、ワクワクして会いに来ました。会っただけで幸せなんですけど、話を聞いて、もっと興奮しています。
 ちょっとわからないところがありまして、全体の流れは非常によくわかったんですが、1つ、スライドで円錐で3層になったのがありましたね。これをもう一回説明していただけますか。一番下がコミュニティケアで、その上がホスピタルで、その上がインディビジュアルかなということなんでしょうが。
カセム
 これはどっちかと言うと、脳卒中の患者の行動を分析して出た結果です。大体脳卒中と脳梗塞が起きた時に、まず緊急医療の現場に持ってくるんですね。持ってきて、この専門病院の中で緊急治療とリハビリ治療を行う場合があります。その時に何をすればいいかということが、上から2番目に示しているシステム、HIMSの分野だと考えていただければいいですね。
 まず、患者の治療をやらなきゃいけないということですね。その治療にかかわる情報が、まず1つあるわけです。2番目が、病院そのものの管理。例えば、ベッド管理というのはすごく大事になるんです。緊急医療のために、どのくらいのベッド数を置いておけばいいか。それは本当に担当者の技なんですね。だけど、この技は、ベッド管理者個人に内臓しているだけですから、共通認識がない。その人が倒れたら、すごく混乱するわけです。また、患者が病院から退院して、定期的に検査に通院しなきゃいけない時の各検査は、個人個人が勝手にやると高くなるんです。だから、まとめて検査予約をやった方がコスト計算が合うんです。予約をマネージするということが、すごく病院の経営コストにはね返ってくるんです。
 リサーチ・アンド・トレーニングというものが3番目に大事なものです。さっきも申し上げたように、いろいろな新しい検査が増えている。僕らが子供の時は、医者というのは聴診器と体温計みたいなものを持っていれば、ほとんどのものは診断できたんですけど、今は、すごく複雑な検査になってきているんです。検査に対して、医者に対する説明会や研修会がたくさん必要になってきます。
 アメリカでは、アメリカ医師会がこれをオンライン化していて、私も試してみて、やって触ってみると修学証明書がもらえるんです。だから、専門家のリカレント教育をここでやっています。これをきちっとやることによって、医療ミスが結構減るんです。
 日本でよく裁判になっているものの多くは、医者が技術に付いて行ってない。社会的地位が高いからプライドがあって、説明を聞きに来ないんです。でも、リハビリをやっている方々などは、職人芸だから、技術的なことを知る必要はないと言っているけど、丁寧に説明すると、説明を聞きに来てくれる。
 例えば、脳卒中、脳梗塞の場合は、脳が一時的に死ぬんです。その後、パカパカとあっちこっちから開いてくるわけです。その開いてくるパターンが、自分のどこで脳卒中が起きたかとか、自分の生活様式とか、いろいろなものと因果関係があります。そういうものを、リハビリの技師が知ることによって、どの段階でリハビリを始めれば都合がいいかということの判断につながるらしいんです。そういうものを見ると、リハビリの技師も、「あっ、おれも医者に負けないようになる」と感じ、自分の社会的地位が向上するわけです。
 今、イギリスでは、リハビリの技師をクリニシャンと呼ぶんです。医者と同様に扱う言葉です。もちろんチームの最終責任、生命の判断に関わるところは医者が中心なんだけど、リハビリの技師も、何か至難の技をやってくれる腕前のおじさんやおばさんという発想ではないんです。
 それから、これを体系化してやることの大きい理由がもう一つあります。それはとても大きな問題です。日本にもあるかもしれませんが、私の同僚の研究対象の先生は、若い時100時間毎週病院で過ごしていたから、すごく判断力が高い。早い。でも今は、EUのガイドラインに基づいて、54時間しか働かないし、来年からは48時間になります。そうすると、やっぱり緊急医療の判断のところで、経験がないから、無難な方に判断する。そうすると、緊急医療で昔6人が入っていたところが今20人が入ります。
 それが、私がいた病院だけでも8億円ぐらいの年間コストの差になるんです。8億円あったら、もっと経験のある医者を海外からでも導入するぐらいの価値があるんです。こういう情報システムを開発したから、それに気付くんです。
 これは病院中心ですけれども、それをもう少し集合化して、例えば、心臓病に政策措置をどういうように作るべきか、ということを僕らが考えた時には、コミュニティケアの情報管理が必要になるんです。
1病院じゃなくて、複数の病院の情報を地域医療的にまとめて分析します。これはいずれ国の医療政策情報システムにつながる。それを見ながら、各パートナーが自分なりの努力を自然にし始めるように、彼らにこの情報をシェアする場所を保証するべきなのです。
 こういうものとともに、個人の努力や個人の生活システムを無視しちゃいけないから、ケア施設や自分の家に戻った時には、自分がどういうふうにやっているかということを、PEECSSでモニターするということがあります。
 僕が、なぜこれが治療としても大事かと思ったのかは、緊急医療から通院し始める時には、この患者さんの情報が切られちゃうわけです。だけど、医者がその人が病院に来る間、再発する間に血圧はどうなっていたかとか、脈はどれくらいか、ということを知っていたら、もっともっと早期治療ができたと思うんです。
 そういう意味で、この3つのシステムをペーシェント・アクシスでつなげるということはすごく大事です。もちろん、誰がどんな情報にアクセスできるかとか、守秘義務の責任とか、どこまで公開できるかとか、ルールは社会で決めなきゃいけないんだけど、閉じている情報をもう少しつなげていかなきゃいけないということは大事です。
小栗(千葉商科大学)
 これをよりよく理解するための質問です。団地再生の場合にも、この考え方、スキームが当てはまるのでしょうか。
 さきの議論の中で、技術開発が、コア技術を決めて、それを外に伝えないといけないとおっしゃったことが非常に重要なだという気がしてます。
 私は、ミレニアムプロジェクトという国の革新的技術の開発を、かなり大きな金をもらってやりましたが、それを通じて、垂直技術と水平技術という言葉を考えるようになったんです。技術者は垂直にどんどん上に行く。だけど、カセムさんがおっしゃったのは、横につなげていく。多くの人が共鳴するこのアイデアを聞いてもらうことによって議論が展開していく。そういうところが、僕は非常に共感を持てる。
カセム
 この団地再生のコア技術がどこにあるかというと、TAPですね。例えば、環境を自分の肌に合うように形成したいと思ったら、自分のアクセッサーに自分の情報をインプットしておく。ターゲットシステムは、それを理解する。自分の部屋に入っていくのにICカードやRFIDタグはアクセッサーみたいになるから、ターゲットシステムは、その情報をキャッチし、環境を明るくとか、自分の肌に合うようにアレンジしておく。例えば団地の部屋の中にインテリジェントハウスとか、スマートハウスのようなことがこれを使ってできるようになる。
 それから、周辺環境は、ふち認識の技術もコア技術になります。障害を持っている人や高齢者が、ふち認識の技術を使えば、楽しく周辺環境と対話できます。だから、団地再生のコア技術を、TAP、TASのトータル・アクセス・ポートやシステムの考え方と、ふち認識の考え方にすれば、高齢者も障害者も健常者も結構楽しく生活できるようになる。その鍵は、アクセッサーを、それぞれのニーズにカスタマイズするということですね。ターゲットシステムは、量産型の安いものに転化していく。その技を使って、ショッピングセンターで迷わないで、行って戻ってこれるようにすればいい。指示さえあればいい。車のGPSを、人間に当てはめるだけです。聴覚障害者だったら、「曲がりなさい」と言っても意味がないから、別な仕組みを考える。バイブレーターで感知させるとか、いろんな方法が考えられます。
 TAP、TASの美しさは、多様なアクセッサーを同じ信号として、ターゲットシステムはコマンドとして展開する魅力。その結果としては、左側(ユーザー側)で不平等があっても、右側(ターゲットシステム)に行くところで公平になる。そこが美しさです。
與謝野
 ありがとうございました。今日、私が印象深くお聞きしたことの一つに「高齢化していく社会構造になるからこそ、その周辺に新たな産業再生のシーズが増えて行くものである」という識見がありました。それが、本日のお話のキーコンセプトのようにも感じまして、常日頃、収縮均衡世論に触れている中で、大変示唆深い元気の出るお話をいただいた訳でありまして、感謝の気持ちで一杯であります。
 ありがとうございました。
 それでは、皆さん、最後にモンテ・カセム学長にお礼の気持ちを込めての拍手を今一度いただきたいと思います。(拍手)




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