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第208回都市経営フォーラム

自治体は変われるか、変えられるか

講師:後藤 國利  氏

大分県 臼杵市長

日付:2005年4月21日(木)
場所:日中友好会館

1.臼杵市は変わった、まだ変わる

2.改革が求められている理由

3.改革すべき課題

4.改革の方法

フリーディスカッション



 

 

 

 

 

與謝野 それでは、第208回目の都市経営フォーラムを開催致します。
  本日は、ことしの1月の伊藤滋先生のフォーラムでご紹介がございました、国が行った全国都市再生モデル調査において、全国650件の都市の中から優れたれた都市再生モデルとして選ばれました、九州大分県の臼杵市の現職の市長の後藤國利市長にお越しいただいております。
 本日の講演の梗概等、後藤市長のプロフィールについては、皆様のお手元の資料のとおりでございまして、長年大分県議会議員5期20年をお務めになられた後、平成9年に臼杵市長に就任され、爾来8年にわたりまして現職に就かれておられます。市長に就任されてから直ちに、市の財政再建と街を元気づける改革に意欲的に取り組まれ、その間に示されました「町づくりは市役所づくりから」という独特の哲学には、私たちも大変学ぶところの多い教訓が多々息づいていると感じまして、超ご多忙の中をお願い致しまして、お越しいただいた次第でございます。
 地方自治体の現職の市長としての、実体験を交えた示唆深い都市経営哲学の真髄に迫る、貴重なお話をお聞かせいただけるものと楽しみにしております。
 それでは、後藤市長様、よろしくお願いいたします。


後藤 皆さん、こんにちは。ただいまご紹介をいただきました大分県臼杵市長の後藤と申します。208回目の伝統あるフォーラム、この輝かしいフォーラムに私をお呼びいただきましたこと、私としては大変名誉であります。と同時に、私ごとき者の話のために、このようにたくさんの方々がお集まりいただきましたことに対しまして、厚くお礼を申し上げたいと思います。 
 私が、今日ここでこういうお話を申し上げることになりましたきっかけは、先ほどご紹介いただきましたように、伊藤滋先生と、都市再生ということで首相官邸で何度かお目にかかり、そしてまた、いろいろお話をいたす機会もございまして、実際に現地を視察するということで、臼杵市において都市再生の会議等もやっていただきました。そういった中で、臼杵というところは、小さいけれども、面白いんじゃないかということを、伊藤先生にお認めいただきまして、伊藤先生のご紹介で、今日この場に立たされている、という次第でございます。
 今日、私が皆様方にお話を申し上げたいことは、ここに書いてありますように、「自治体は変われるか、自治体は変えることができるか」ということでございます。都市を再生できるか、ということなのでしょうけれども、都市のカタチだけではなくて、都市を作っている肝心要の自治体が再生できるのか。そして、どうやったらそういうことをやっていけるのか、ということをお話し申し上げたいと思います。



1.臼杵市は変わった、まだ変わる


(図1)
 もちろん、自治体を変えることはできます。どうやって変えたかということをお話し申し上げたいと思っておりますが、皆さんのお手元にもレジュメが届いていることと思います。この始めの数ページにつきましては、全体を後で皆さんにお読みいただくために書いたものでありまして、説明するには字ばかりになって余りいいものではありませんけれども、まず始めに、私の自己紹介から申し上げます。
(図2)
 平成9年1月から臼杵市長を務めました。その当時、全国でも屈指の財政不良団体でした。財政が不良になりますと、ひと頃のニューヨークがそうであったと報じられておりますけれども、町は汚れ、そして道路も傷んで、これを直すこともできない、ということになっておりました。今は、平均的な自治体並みには復活をしてまいりました。
 今年、1月1日に隣接する野津町と合併をいたしました。対等合併ですけれども、市名が変わりませんでした。同じ臼杵市長でありますけれども、私は現在、初代の市長ということになっております。
 一般的に言いまして、自治体の改革は大変困難であると思っております。中でも、公務員の意識改革は大変難しいです。この意識改革につきましては、後ほど詳しくお話を申し上げたいと思います。意識の変革がなくては町は変わっていかない。これをどのように実現するか、ということが最も大きな鍵を握ることになろうかと思っております。
 そのような中で、市役所とは、市と役と所、これは「市民のお役に立つ所」の、市と役と所ということを言っているんだ、と事あるごとに職員に話しまして、「市民のお役に立つ市役所作り」ということに懸命に取り組んでまいりました。
 また、バランスシート、コスト計算書、こういった自治体のバランスシートというのは、その当時存在しませんでした。市長になりまして最初に、「借金どのくらいあるの?」と聞きましたら、「今、借金は百数億あります」という返事が返ってきました。その翌日にもう一度、ちょっとこちらが忘れてしまったものですから、「借金幾らだったのかな」と聞きましたところ、担当から違った数字が出てきました。どうして違った数字になるかというと、借金の台帳というものがないわけです。その都度借金を計算して、あの借金とこの借金を足し合わせて、私に答えてくれるものですから、その度ごとに違うわけです。借金の管理をしてない、こういう状況でありました。
 こんなことで経営ができるわけがない、バランスシートを作ろう、ということでバランスシート作りに取り組んだわけです。最初は誰からも相手にされませんでした。当時の自治省も、そんなものは要らないということでした。そういった中で、バランスシート作りをやっていたわけです。石原さんが都知事に立候補されて、その時にバランスシートが必要だ、とおっしゃった途端に世の中ガラッと変わりまして、いつの間にか自治省も、かねてから作っている途中だったんだ、というふうに話が変わってきました。そして、今では、バランスシートを検証するところのさまざまな手法が取り入れられるようになりました。
 特に、最近評価が大切だということで、国においても、いろんな所においても、評価が重要視されるようになりました。ところが、政府あるいは自治体の中で、本当に評価ということが分かって評価が大切にされているのかと言いますと、残念ながらそうは言えない状況であります。実は、官庁の再編成に伴いまして、行政監察局というのがなくなったはずです。これがなくなった時に、別の仕事をしなきゃいけないということで、急遽行政評価局に変わったという経緯があります。中身はともかくとして、とにかく仕事だけはあるという状況で、本当の意味での民間と同じような評価がなされているかということになりますと、これについては、ちょっと別問題であるということも、お話し申し上げておきたいと思います。
(図3)
 どういう変化があったか、ということを先に若干申し上げておきます。
 自治体の成績というのは、「経常収支比率」という、経常経費が全体のどれだけを占めているかということと、借金がどの程度になっているかによって、これ以上借金をすることについては国が許可しないとか、あるいは監視の目を光らせるとかいうための数字としての「起債制限比率」というものがあります。これがどのくらいになっているかということで、成績が分かるようになっております。経常収支比率が大分県でも最悪で、九州でワースト2、全国でも7番目に悪いという、非常に悪い状況の中で始まったわけです。その当時の起債制限比率は、15.6という数字になっておりました。この15.6という数字は、15を超えますと要監視団体ということで、自主再建計画を出してやっと借金ができるという状況で、その当時、こういう不名誉な所は九州で2つしかありませんでした。今は幸いにも、それは脱しております。
 そうした中で、自治体として最も大切で、最もお金のかかるところである、ごみの関係の清掃センター、そして、一般廃棄物の最終処分場あるいは浄化センター、学校給食の給食センターなどの施設を、この間、整えてまいりました。その他、新しく始まった介護の問題、こういったこともハードとしては整えることができて、それで財政支出は悪くならなかった、ということがあります。
 ソフト面で見ますと、全国で初めて作った手作りのバランスシート。なぜ全国で初めてかと言いますと、バランスシートを作ったのは全国では2番目で、一番最初は藤沢市が作りました。ですが、これは生産性本部が藤沢市の資料を使ってバランスシートを作った、ということであります。臼杵市でバランスシートを作ろうということになりました時に、どこか作ったところはないかな、ということで探しましたところ、藤沢市だということで、藤沢市に早速電話をいたしました。ところが、藤沢市からは「あれはうちで作ったのではなくて、生産性本部が作ったもので、うちに聞かれてもよく分かりません」。こういうことだったので、そんなことではいけないということで、手作りでバランスシートを作る係を置きまして、たった1人ですけれども、エースをそこに登用して、バランスシートを自らの手で作ったということであります。
 それとあわせて、電算化も進めてまいりました。そして、市町村合併に当たりましては、あちこちでさまざまな混乱を生じておりますけれども、恐らく混乱なしに本当の意味での合併のメリットを追求できる、自覚した自治体を作る、という意味合いでは、どこにも負けない合併が進みつつあると思っております。
(図4)
 このように、急速に変わりました。変わった中で、町も整い、そして財政も再建ができまして、いろいろとソフト面でも整ってきました。職員は非常に元気になって、さまざまなことに積極的に取り組んでおります。
 どうしてそのようなことになったのか、そんなことができたのか、ということを今日はお話を申し上げたいと思うわけであります。
 インフラの整備ができましたことは、これは後ほどお話し申し上げますけれども、行財政バブルの最終バスをつかまえることができた、ということであります。多くの方々は景気が良くなってくる時、上り調子の時にいろいろなものができる、お金がふんだんにある、財政的にも豊かな時にいろんなものを作ることできる、こういうふうにお考えになっていると思います。そしてまた、財政の状況が悪くなっていった時代には、いろいろなものを作ること、いろいろ投資をすることは困難である、こう考えられていると思います。けれども、本当は若干違いまして、民間の景気が悪くなったら、行政はそれを何とかしなきゃいけない、景気を刺激しなきゃいけない、というさまざまな役割を持っておりますから、そんな時こそ、うまく工夫をいたしますと、行政の必要なさまざまなものが整う。私がこれまでやってきました8年間は、そういう意味では行政バブルの最終バスが走っていた時で、これをうまくつかまえることができたから、いろんなものができたのだと思っております。
 そのような事業、特に補正債、平成10年、11年、この時期が補正事業が一番盛んだった頃です。それが、だんだん少なくなりましたけれども、12年、13年、14年まで、少しずつ続きました。この補正債事業を多く取り入れたわけです。この補正債事業というのは、急に募集して急に決める、そういう事業でありますから、素早い対応と情報収集が必要になります。
 このようなことをやれる体制がそれまでに整っていた、職員全体の意識がかなり高まっていたことが、幸いをしたと思っております。



2.改革が求められている理由


(図5)
 次は、変革の対象とスタートとゴールということです。物事をなそうと思う時に、一体何を変えたいと思っているのか。ただ、何でも変えればいいというわけではありませんから、何を変革しなければいけないのか、という対象をはっきりさせるということと、スタートの地点とゴールの地点をはっきりと自覚しておく、ということは何よりも大切なことだと思います。
 変革の対象はもちろん地方自治体です。そして、スタートの地点は、その当時、財政的にも、あるいは環境的にも、よどんで沈み切った臼杵市の状況でありました。では、ゴールは何であるかといいますと、サービスの改善が滞りなく進んで、そして市民が理解し合って協力し合うような自治体、響き合って働く、「響働」と書いてありますけれども、こういった自治体を作りたいというのが目指すゴールでありました。
 このような中で、これを一体どういうふうに作り上げていくかが大事なことであります。ここにつきましては、この次申し上げますけれども、一応言葉でここに書いておきました。
(図6)
 変革をするということですが、変革をするというのはどういうことかというと、スタートの地点は一番上の欄の左側についているところの、三角形のところでありまして、これじゃ、動かない。面にピタッとくっついてしまってへばりついたような形で動かない。この動かないものをいかに動く、転がっていく丸い玉にするか。そして、この丸い玉を転がして線にするか。この線が行きっ放しではなくて、その線がまた戻ってくるようにするか。そして、戻ってきたその線をまたもとにつなげて輪をつくるか。この輪がうまく回っていくような回転運動にどうやってするか。その回転運動が回転をするごとに、一段ずつ上がっていくような、らせん運動にどういうふうにしていくか。こういうことが、変革をする一番大事なことであると思います。
 ともすると、とにかく変えればいいということが、行政の中では行われるのですが、目的、ゴールをしっかり定めて、そのゴールに至るためにはどういうふうにしていかなければいけないか、ということをしっかり考えていくことが必要であると思います。
 その場合、「仕組みと仕掛け」と書いてありますけれども、一体、そのシステムはどうなっているのかということをしっかりと見極めて、読み取って、そのシステムを動かすにはどこをどう突けば動くのか、という突き方を1つ1つ仕掛けていく。それが仕掛けであると思います。この「仕組みを見極めて仕掛けを作っていくこと」が大切なことだと思います。
(図7)
 大分県臼杵市は、人口4万3583人というところであります。この写真に見られるように、豊後水道に面して、造船が盛ん、そして漁業も盛んですし、味噌と醤油が非常に多い。西日本で一番大きな味噌の会社と、もちろん醤油も九州でそこが一番大きいのですが、九州で2番目に大きな味噌・醤油の会社という2つの大きな会社があります。
(図8)
 西日本で随一の味噌・醤油の産地ということになっており、フンドーキン味噌とフジジン味噌という2つの有名な銘柄があります。この写真の真ん中にあるのは臼杵市長の「手前味噌」という味噌でありまして(笑)、私が今日お話し申し上げるのは、この手前味噌の話をします。いろんなお話を申し上げますが、少しずつ眉に唾をつけながら、割り引いてお聞きいただいたらいいと思います。
(図9)
 平成8年当時の臼杵市政の姿は、まことにみじめな状態でありました。財政も悪く、そして、開発か自然保護かで港湾事業が混乱をしておりました。市の大事な事業である、ごみの焼却については、ダイオキシンの問題等いろいろありまして、地元と混乱を生じておりまして、灰を捨てることもできなくて、清掃センターの周りには、うず高く固化灰を積み上げていたという状況でした。ほかにもいろいろと問題があって、そういった中で、市役所の職員は、みんなから尊敬されるどころか、「市役所のやつは何やっているんだ」という形で、不信とあきらめの対象であったというみじめな状況でありました。
(図10)
 町の姿は、いろんな計画を作ったものの、どれも計画倒れで実行はしないまま。商店街は寂れていきまして、以前造ったアーケードを持て余しており、市内は閑散としておりました。
 そういう中で、建物が古いということで、「古くていいところだね」と言っていただく方も一部にございまして、評価はされていたんですけれども、滅びいく美しさがいいなと言われても困るな、と考えていたところでありました。
(図11)
 これが、ごみの焼却場の周りの風景です。駐車場ですけれども、駐車場に、このように固化灰を積み上げなければならないような混乱した状況でありました。
(図12)
 臼杵の町並みは、伊藤先生にも「いい町になった」とお褒めいただきましたけれども、当時は古いだけという形で、この味噌工場の倉庫は、雨が降ったときに突然屋根が壊れてしまう、という状況でありまして、まさに滅びいく町でありました。
(図13)
 これがアーケードの状況です。アーケードの商店街は、ほとんどお客さんが通らなくて、まさにシャッター通りの典型で、寂れた商店街になっておりました。
(図14)
 財政状況につきましては、とにかくめちゃくちゃに悪かったのが、今では大分県の11市の中での、ちょうど真ん中ぐらいのところまで戻っているということであります。
(図15)
 これがどういうように戻ったかと言いますと、左の下が先ほどご覧いただいた味噌の「かぎや」さんという慶長年間にできた味噌・醤油屋さんで、この建物自体は、明治の終わりぐらいに造った建物でしたが、それが壊れてしまいました。ここを市で買い取りました。周りから見たら、以前と何も変わりがないようですが、その中は情報センターということに姿を変えております。
(図16)
 これが通りの側から見た姿です。以前二王座というところが、潤いのあり、趣があっていいなと言われていました。でも、趣があっても滅ぶ寸前でありました。これをこのまま放っておいてここがなくなって、住宅なんかができたら困るという状況でした。これを市で買い取りまして、情報センターを造りまして、写真のように、外から見たら、多くの人たちは以前と何も変わってないと思うでしょうが、実は市営の情報センターに変わっているところであります。
(図17) (図18)
 これが、先ほどのシルバーロードというアーケード。このアーケードを取り払いまして、太陽の見えるところにいたしました。いろいろな修景事業、補助事業等を活用しながら、この町を変えていきまして、このような賑わいのある商店街に変わってまいりました。中心商店街の活性化ということで、たくさんの方々からご視察をいただいているところであります。
(図18)
 町の真ん中の、先ほどの情報センターの反対側の通りに面したところに家具店がありまして、左側の写真の上のような家具店の倉庫がありました。これも市が買い取りまして、ここはポルトガルとの交流があった地でありますから、大友宗麟のキリシタン大名としての事績等を紹介しながら、国際交流を紹介する場所に造り変えました。
(図19)
 そのほかの社会資本の整備としては、HACCP仕様の学校給食センターやケーブルテレビネットワークがあり、市内全戸にケーブルテレビが入っております。申し込んだ人には、山の中の一軒家まで全部ケーブルテレビネットワーク、インターネット対応のものを配置しております。
 合併をいたしまして、野津町と一緒になりましたが、17年度事業でケーブルテレビの補助事業費全体で、今年は18億円ほどしかなかったんですけれども、そのうちの1億2000万円ほどを臼杵につけていただきました。あと残りはさまざまな有利な起債というものができるので、そういったものを利用して、今年度中に新しく合併した野津町まで含めて、ケーブルテレビあるいはインターネット対応が隅々まで行き届くようにしていきます。
 そして、屋根つきの終末処理場。終末処理場はいろいろと問題を起こすところでありますが、臼杵市でも、大変問題になっておりました。ここを造り変えるに当たりまして、終末処理場から出てくる汚水処理が大変なお金のかかること分かりました。いろいろ調べました結果、汚水処理をするよりも、屋根をつけて雨を降らせないようにする。そういう終末処理場の方が、結局は安く済むということもわかりまして、屋根つきの終末処理場を造りました。大規模なこのような終末処理場というのは、現在臼杵市だけでありまして、今あちこちで同じようなことをやろうという動きが出てきております。
 そのほか、津波の防災無線ネットワークとか、いろいろなものをやっておりまして、もう1つ、公共下水道併設の浄化センターをやっております。浄化センターというのは、し尿処理場であります。この、し尿処理場は厚生労働省の管轄でありまして、同じようなことをやっているのが都市下水、公共下水道です。これは一緒に処理してしまえば合理的で簡単なんですが、縦割り行政の弊害でなかなか認めてもらえなかった。これを、3年がかりで何とか実現いたしまして、公共下水道併設の浄化センター、一緒に処理をするということを、平成16年度で施設をやっと造ることができました。
(図20)
 これが、HACCP仕様の学校給食センターの中身であります。そして、右側が最終処分場。2つ写真がありまして、右下のこれが、外側からの景色であります。これが最終処分場の中身でありますけれども、テニスコートが16面とれるような大きさであります。このような、大きな屋根つきの最終処分場を造りました。これによりまして、地元とのトラブルもなくて、一般廃棄物ですけれども、ごみをしっかり処分することが、可能になったと思っております。
 地元の杉を使いました体育館であるとか、あるいは「サーラ・デ・うすき」という建物は、実は前の市長の当時、平松知事の応援と言いますか、指示もありまして、ポルトガルと我が国の関係の資料館を造ったらどうだということで、約50億円ほどかけて臼杵市に、南蛮資料館というのを造る計画になっておりました。
 私が市長になりまして、そのようなことを、もし実行しますと、それこそ、市は破産してしまいます。そんなことになっては大変なので、やめさせてくれと言ったんですが、知事はやめさせてくれなかった。それで、結局、そういう大きなものは造らないことにしまして、町の中に、小さな紹介をするところの入り口のエントランスになるような部門だけ造ります、と言って造ったのがこれなんです。「街中にぎわい施設」ということで、こういうものを造らせていただきました。
(図21)
 このほかに、いろいろな必要不可欠な施設を整備しました。
 次に、実際のサービスについて紹介申し上げたいと思います。
 特異なサービスといたしましては、津波防災訓練。津波につきましては、臼杵市は戦災に遭わなかったものですから、昔の資料がずっと残っております。150年前の安政の大地震の時の被害状況の資料、あるいは、その前の宝永の大地震の時の資料等がみんな残っております。そういうものを参考にしながら、津波に対する対策を、ここ4、5年間ずっとやってきました。ちょうどリアス式の入り江がたくさんあるところですけれども、入り江、入り江に放送設備を造りまして、無線放送で、いざという時には逃げるように、という放送施設等も完備しております。
 津波は防ぐことができませんので、とにかく命さえ守っていれば、後は何とかなりますから、だから、まずは命を守る、みんなで力を合わせて逃げようということを、いろいろ訓練をしているところであります。
(図22)
 その右側の写真は、黄色いごみ袋を使っています。黄色いごみ袋を使っているのは、今のところ全国で臼杵市だけであります。この黄色ごみ袋は、どういうごみ袋かと言いますと、ごみの収集で一番大変なことは、カラスに突かれるということであります。鳥というのは色盲で、カラスは黄色が見えないんだそうです。ごみ袋を黄色にすると突かないことが実験で分かってきた。臼杵市はこれでいこうと、3月1日から燃やせるごみ袋については黄色にする。この有料のごみ袋に変えました。
 変えましたら、どう変化したかと言いますと、カラスがいなくなりました。カラスからの被害がほとんどなくなりました。ほとんどというのは、最初の頃少しあったんですけれども、それはごみ袋を出す時によく結ばないで、上が開いたまま出すと、やはり見つけられるんです。きっちり結んで出せばまず来ない。臼杵のカラスは、湾の真ん中に島がありまして、その島に住んでいます。そこから遠征して来るんです。このごろは多分、隣の市に行っているんだろうと。(笑)津久見市という市があるんですけれども、そちらの方に出かけていて、臼杵市に寄りつかなくなってきたというぐらいよく効きます。
 来週の今日、4月28日、NHKの「ご近所の底力」という番組で取り上げられることになっております。こういう黄色いごみ袋というものも取り入れております。
(図23)
 健康のまちづくり、ということをいろいろやっていますが、ヘルスアップ事業をやっていまして、これも全国のモデル事業ということで今取り組んでおります。
 生涯現役のまちづくり、ということでやっていますが、介護予防施設という形で国が100%出してくれまして、上のような施設を造りました。この中で、さまざまなことをやっておりますけれども、これはオムロンに作っていただいた、いわゆる万歩計。万歩計というのは商品名で使えないんだそうで、歩数計です。この歩数計には、6週間データがたまる。そしてそのデータを見て、毎日どのくらい歩いているか、何歩歩いたかということ、1分間に100歩以上、それを10分間続けて歩いかなどをチェックします。そういう運動をすると、効果のあるウォーキングができるということで、それがどのくらいできたか、ということを作っていただく。そういう歩数計と管理ソフトというのを改造してもらいました。これを参加者みんなに持たせまして、ウォーキングを主体にした健康づくりをやっています。筋力トレーニングの中で一番やり易くて長続きするのがウォーキングだと思っておりますが、このウォーキングをどうするかということと、これに合わせて教室を開いて、ストレッチ等をやりながら健康作りをやっているということであります。
 参加する方は、女性がほとんどです。今日ここには男性の方がほとんどですけれども、男性の方は余り命を惜しいと思っていない。女性は命と健康を大切にいたします。女性の参加が圧倒的で、比率からいきますと、女性が8割以上、せいぜい15%ぐらいが男性ということです。
 このようなことを実験的にやっておりまして、こういうモデル事業を通じまして、今年度から介護がだんだん変わってきておりますけれども、介護に至る前の人たちに、どうやって筋力トレーニングをするか、そのためにはマシンを使うのがいいのか、マシンを使わずにやっていくのがいいのか、ということの実験等を、ヘルスアップモデル事業という形でやらせていただいているところであります。
(図24) (図25)
 町の姿はと言いますと、これが臼杵の町の姿でありまして、臼杵の特筆すべき姿は、この国宝の臼杵石仏であります。中心市街地については、町の中にアーケードのあった時には特徴もなくて、寂れてばっかりということでしたけれども、アーケードを除くことによりまして、アーケードを造る前にあった昭和の始め頃の景色というものが姿を現しまして、右上のようなまちづくりができてきました。右下の写真が、その中の二王座というところの風景です。本当に古い街並みです。車1台やっと通れるような狭い道です。この狭い道を、決して広い道にしようとは思っておりません。狭い道のよさというものを大事にしながら、古いものを残しながら、いい町を作っていこうということをやっております。
(図26)
 その中で、古い町だからといって、古いものを古いままにして、壊れてしまうまで放っておくということではなくて、皆さんの協力で、商店とか民家とかが古い町を再現してくれています。決してほったらかしで、お金をかけてないというわけじゃありません。結構お金もかかっているんですけれども、昔のままのような、古いたたずまいの残ったことを大事にしたまちづくりを進めております。
(図27)
 左の絵は、先ほどちょっとお話ししました情報センターであります。そして、右の上は、中庭が共通しているんですけれども、家具店の倉庫を壊して造った、ポルトガルの資料館「サーラ・デ・うすき」です。これは、臼杵のサロンという意味でありまして、臼杵の居間という形の場所。古い蔵をそのまま残して、そこにアズレージョタイルを張りつけたような、こういうものをだんだん整備していきました。
(図28)
 こういう町のよさを評価いただきまして、大林宣彦監督には、ここで「なごり雪」という映画を撮っていただきました。
(図29)
 今までの話は、実際にこういう形で、こういう変化をしましたということなのですけれども、では、これが一体どうしてこんなことになったのか。こういうふうにできたのかをお話します。
臼杵は、磯釣りや船釣りの名所としても有名であります。魚を釣る漁師さんのいう言葉に「上げの三分、引きの三分」があります。上げ潮三分の時と引きの三分の時が、一番よく魚が釣れるということです。この上げ潮の時は、陸釣りも比較的容易にできるんですけれども、引き潮の時の陸釣りは余りうまくいきません。しかしながら、船を出して、あるいは、しかるべき磯に出て釣りますと、大物がたくさん釣れます。この、引きの三分の時が一番魚の釣れる時なんです。この時に釣るためには、腕と工夫と粘りが必要ということであります。
 時代は、まさに引き潮の時代だと思います。戦後とうとうと潮が満ちてきた40年間、そして潮が止まった10年間というのが過ぎて、もう潮が引き始めて10年近くになろうかというところであります。まさに、引きの三分にかかろうという時代だと思います。引きの三分の時は、誰でも釣れるというわけではありませんけれども、志を持った人がしっかりとその場所を見定めて、その場所でしっかり釣ろうと思ったら、一番大漁ができる時であるということで、決して悲観的になる必要はない時であります。このような引き潮の時期を、臼杵市としては、これまでも結構釣らせていただきましたけれども、今後も、しっかりと引き潮の時をチャンスだ、と思っていきたいと思っているところでございます。
(図30)
 改革と整備ということをしなきゃいけないんですけれども、潮が来ている時、時代が上昇している時には、改革とか整備ということはできません。時代が引き潮になっているからこそ、改革、変革もできるし、そしていろんなものの整備もできるということであります。
 そういう中で、さまざまな変革をしていきたいということで、市役所の変革を志したわけであります。その変革を考えるに至りました私の思い、というものについて、少しだけお話をさせていただきたいと思います。
 最初の文章だけのファイルの中に入っていたんですけれども、実は県会議員をしていて、平成2年に県会議長をしておりました。その時に、大分県の有名な平松知事がロシア共和国に行きました。ちょうどモスクワに行っている時に、エリツィンさんがデビューした、そういうまさに混乱期でした。ソ連があって、その中にロシア共和国がある。そのロシア共和国に招かれて「一村一品」の講演に行った、そのお供をした時でした。
 その時に、ロシアの方にあちこち連れていっていただきました。国営の陶器工場に行きました。チャイナの工場に行きまして、いろいろ見せていただきました。見せていただいて最大の収穫というか、一番驚いたことはどういうことだったかと言いますと、仕事をしている工場のすぐ脇に資料館がありました。歴代の資料をずっと見せていただきました。その資料を見せていただいて驚いたことに、昔はすぐれた商品ができていたのに、最近の商品は年を追うごとに陳腐化していって、味もそっけもないものに、だんだんなって行っていたという恐ろしい姿を、はっきりと見ることができました。計画経済が、いかに商品を腐敗させるか、ということが分かったような気がいたしました。
 その後、議員をやめまして、それから2年間、平成7年、8年と中国に行って、中国で合弁会社を作りまして、さまざまな経験をしました。そういった中で、中国もちょうど変わり行く時だったんですけれども、計画経済がいかに機能しないか、サービスがうまくいかないか、ということを目の当たりにいたしました。
 結局、合弁会社はうまくいきませんで、スタコラサッサと逃げ出したというところですけれども、逃げてよかったなと最近つくづく思っております。
(図31)
 この図は、左側が生産者で、右側が消費者サイドと思っていただきたいと思います。そして、下は量、上が質ということです。計画経済というのはどういうことかと言いますと、計画をして生産をして、これを供給する、これだけしか考えていません。だから、必要なものを計画的にそれだけ生産して、無駄がないから、これがいいというのが計画経済の考え方の基本だったと思います。 
 これに対しまして、右上は市場主義の経済です。生産をしたら、それが販売にかけられる。売れるもの、売れないものがありますから、また在庫の山になったりして、無駄も確かに多いんですけれども、ここで売れるか売れないか、顧客の評価、ここに市民評価と書いていますけど、顧客の評価の方がいいと思います。こういう顧客の評価を得まして、この顧客の評価に基づいて改良して、そしてさらに生産される。こういう回転をいたします。もちろん、この内側に、工場の中だけで、あるいは生産者サイドの中だけで、例えばTQC(Total Quolity Controll)とか、さまざまなものがあって、中で「プラン・ドゥ・シー(Plan Do See)」という検証がなされています。それ以上に、検証よりもさらに大きな「市場」という評価組織があるということが、市場主義経済の特徴だと思います。こういうことによって、質がどんどんよくなっていく。
 これに対しまして、計画経済では、生産者サイドのことだけ考えて、供給したものはみんな使ってくれると思い込んでいるものですから、数量だけの供給ということになってしまってうまくいかない。こういうものじゃないかな、ということを得心をいたしました。
 そこで何をやるにしても、市場主義経済のメカニズム、質がどうやったらよくなっていくか。そのためには評価が必要だ、ということが分かりました。言ってみれば、スタート時の市役所の状況は、まさに左下の計画経済の状況です。ゴールとしては、右上の市場主義経済にかけるような市役所を作りたいという思いであります。
(図32)
 これが、今言ったことです。いわゆる、お役所仕事といわれる計画、予算を立てて事業をする。これでお終いというものから、実際にこれを使っていただいた皆さんの評価をいただいて、それを計画にまた生かしていく。これをどういうふうに作っていくか、ということが大切であるし、これを作りたい、というそのための変革を続けてきたわけであります。



3.改革すべき課題


(図33)
 これは、市役所が変われば市が変わる、というサイクルであります。現状と言いますか、一番最初のスタート時点は、まさに無自覚であきらめている。こういう状況、職員の意識を回復して、そして行動に移して、これを市民に伝え、市民から褒めてもらえるようになってくる。そしてさらに頑張れば、市民が参加してくれるようになる。どうやってこれを作っていこうか、ということを考え、こういう仕組みをしっかりさせるための仕掛けを作っていったところであります。
(図34)
 まず大事なことは、底にへばりついたような、地面にへばりついたような不動の点。さっき三角の点という絵を示しましたけれども、この三角の図をいかにしたら丸にするか、というここが一番最初の大事なポイントであります。
 私も意識改革という言葉をよく使いますが、一番大事なのは意識変革だと思います。意識改革と言うと、何か人の意識を改めさせるという感じがしますが、人の意識を変えるなんて、そんな大それたことはとてもじゃないけど、できません。どうしたら意識が変わっていくか、ということが大事なことだと思います。
 臼杵市で考えましたことは、なかなか動こうとしない原因は一体何であるのか、ということです。一番最初に描いた絵で、現状は三角形の動こうとしないものである、これをいかにして動きやすい丸にするかということです。どんなに叩いて作り上げようとしても玉になるようなものじゃない。よく考えてみますと、今、三角の立体というものになっていますけれども、この三角の立体になっているのは、初めから三角の立体だったんだろうか、どうだろうかということを考えてみると、決して初めから三角の立体だったんじゃなくて、生まれた時、育ってきた時、市役所に入って来るまで、実は球形だったんじゃないか。ところが、市役所の中に入って来て、さまざまな先輩を見、いろんなことで叩かれているうちに、いつの間にか動かないような、動きがとれないような立体に変わってしまったんじゃないか。
 だから、意識を改革するとかいうのではなくて、もともと持っているこういう意欲的な人間でありたい。そんな人になるきっかけとして、今までの束縛から解き放してあげる。そのきっかけをうまく作りさえすれば、簡単に玉になれるのではないか。そして、実際にそういうふうにやってきました。
 そのためにどんなことをやったかと言うと、まず市長になった時に、最初に組合に出かけました。私は自民党の幹事長をやったりしていましたから、決して労働組合と仲間だったわけじゃないんですけれども、一番最初に組合に行きました。そして、「私の就任式は今日の5時10分、窓口が閉まってからやりたいから、その時にみんな集まってもらいたいけど、それでいいか」と言いました。そしたら、組合の方は、「それこそ我々の願っていたところだ。市役所の内輪の仕事のために市民に迷惑をかけるのは、我々としても耐えられないことなのですが、これをだれも言ってくれないし、こういうことを我々から言っても、聞いてもらえなかった」というのが若い職員からの反応でした。「じゃ、それで行くよ」ということで、そういう形でやりました。
 市役所から500メートルほどのところに、大きな交差点がありまして、その交差点は市役所が始まる朝8時半にはまだラッシュが真っ盛りで、市役所が終わる5時にはもうラッシュが始まっている。市役所の職員は何をしているんだ、というのがその当時の市民の憤慨の種でありました。5時10分からの就任式をやって、それで翌日からすべてそれは解消いたしました。その日はもちろん、5時10分ですから、5時のラッシュは解消したんですけれども、その副作用で、翌日の朝8時半のラッシュはなくなりまして、何も言わなくても、8時半にはみんな席について、しっかり仕事を始めているということになりました。
そういうことで、初心に返るきっかけをしっかり与えることさえできれば、もともとは球形なのだから、玉に戻るということに確信を得ることができました。
 そして、現状を正しく認識するために、現状の反省もしないし、認識もしないで何となくやっているというのが一番悪いわけですから、バランスシートを作るということから、そういう把握を始めました。
 そして、情報の共有というのが一番大切なことです。8年間にA4の紙に、市長から職員にという、フロム市長・トゥ市職員というペーパーを出し続けたんですが、8年間で667枚を数えました。声を出すということ、これは百薬の長じゃないんですけれども、「100マジックの長」と書いてあります。とにかくあいさつをする、声を出すということはどんなマジックにもまさる魔法のようなやり方です。
 みんなで、最初は「おはようございます」という声を出すことから始めました。日本のあいさつというのは、声をかける言葉はあるんですけれども、それに答える言葉はみんな知らない。例えば、劇場の暗い中で歩いていて、黙って前をすっと歩いたりするのはいいことじゃありません。じゃ、あいさつをして「ごめんなさい」と言って、前を通る。大変いいことなんですけれども、「ごめんなさい」と言われて、その時に答える言葉をほとんどの人は知らないですね。「ごめんなさい」と言われると、黙って、通ってくださいとしかできない。それじゃ、会話が成り立たないので、「ごめんなさい」「どうぞ」とか「いや、構いません、どうぞ」というやりとりができるように、練習を一生懸命いたしました。
 声を出すようになりますと、市民の皆さんが大変感心してくれるようになりました。こういうところから始まりまして、1つ1つの行動をやっていく。掃除をする、ライン引きから、いろんなものをみんな職員が自らやる、という形に変わっていきました。
(図35)
 「茹でカエルと跳ねカエル」という有名な話でありますけれども、器の中にカエルがいたとしまして、下から火が燃えてだんだん燃え盛ってくる。最初のぬるま湯である間は非常に気持ちがいいんですけれども、熱くなってしまっても、そのまま飛び出すことができないで、気持ちよく命を落としてしまうのが茹でカエルということであります。
(図36)
 問題は心の問題でありまして、そういうことではいけないということをしっかり知らなければいけないし、こういう仕組みは決して不動のものではなくて、仕組みを変えさえすればいいんだということです。
(図37)
 あるいは、ジワジワ温まって感覚が麻痺してしまいますけれども、これが急に温められたら、飛び出してしまう。そういうところを変えていくものでありたいということで、心を変え、仕組みを変えることが大事なのだということを、職員と情報を共有をし合ったところであります。
(図38)
(図39)
(図40)
 トイレの清掃とか、こんなこともいろいろいたしました。
(図41)
 次に、単線で返ってくる、行きっ放しの線をどうやって往復する線にして、これを円に育てていくかということです。単線で行きっ放しの線がこっちに戻ってくる、それが大切だということは、褒められて嬉しがる。褒められるということが、こちらに返ってくるきっかけであります。だから、やはり物事をやるのに、簡単に褒められるようなことから始めて、みんなでこれをやってみようよと言ってやっていますと、やったことを市民の皆さんが褒めてくださる。そうすると、調子に乗って、またそれをやろうという形でやっていく。
 それを続けていくということが、また、やったことが行きっ放しにならなくて、これが褒められて返ってくるように、ということを気にするようになるということが一番大事であります。そのようなことを続けていくためにも、成功体験を大事にしながらやっていく。そして、市民に知ってもらって評価してもらうことが、どういうふうに大事であるかを、しっかりと1つ1つ仕掛けを作って組み立てていくことが大事であろうと思います。
 評価をしてもらったら、その評価をどう生かすかということは、経営者の手腕が問われるところであると思います。
(図42)
 よく「ホウ・レン・ソウ」ということが言われまして、報告、連絡、相談が大切だよと言われますけれども、これは現場で言われることでありまして、第一線の現場では、報告しなきゃいけない、連絡はよくしろよ、困ったことがあったら相談しろよ。「ホウ・レン・ソウ」が大切だ。何で報告しないんだ、連絡しないんだ、相談してくれればよかったのに、ということがよく言われますが、実際に経営をしていく、これを動かしていくことになりますと、その時に大事な「ホウ・レン・ソウ」というのは、ここに書いてありますように、方針を明確にするということと、連携行動をとる、そして行動をとった後、総括整備する。この方針、連携、総括の「ホウ・レン・ソウ」というのが、経営者にとって最も大事な「ホウ・レン・ソウ」であります。「ホウ・レン・ソウ」が大事だよ、とよく言いますけれども、それは第一線で仕事をしている人たちに言うことではないかな、と思っております。



4.改革の方法

 

(図43)
 いろいろやりましたことをここに書いてあります。これを単発でやるのではなくて、ゴールを思い描きながらやりましたから、市民のお役に立つ市役所作りが大事だという形で、平成9年からいろんなことをやり始めました。バランスシート作りを、10年からやりました。そして、コスト計算書に相応するところのサービス形成勘定というのを11年度から作りました。そして、評価システムの前身であるところの、サービス検証システムを12年度から作りました。
(図44)
 これに、市民に参加してもらえるような、市民サービスの評価システム、役所だけの評価から市民の評価をいただくという形でやりました。
 そして、これを実際にやっていく上で、情報先端都市を作ることは不可欠のことでありまして、情報をみんなにうまく出して、説明をして、サービスを磨くことを考えるというので、そのようなハード整備等をやりまして、平成15年、16年で、もう一段上の行政サービスが改善されるような、スパイラルになるような、そんなシステムを作ろうとしてやってきたんですが、今年1月に合併しました。
 そして、この上に、今、新しく何をしなければいけないかというと、私は今「四位一体の自治体改革」を唱えています。議会に、いかにうまく参加していただいて、行政サービスを改善していくか、ということに取り組まなければならないと思っております。

 これまでは議会は、と言いますと、行政に対するチェック機関であると思われてきて、行政のやることについて噛み付くことだけが仕事である、こういうふうに思っていらっしゃるんですけれども、実はそうではなくて、評価をして、さらに改善の提案をする。こういうことが、本当は大事なことではないかということから、市民と議会と市長と市の職員、行政機関、ここがいかにうまく機能して行政のサービスを磨いていくか、ということをやらなければいけない。
 その議会の忘れられている役割が一番大事なことで、それこそ、民主主義の再生のために一番必要なことではないかと思っております。
(図45)
 この図は、評価というものを、いかに使うかという図であります。
(図46)
(図47)
 バランスシートというのは、バランスシートをあちこちで作っておりますけれども、使っているところは非常に少ないんです。バランスシートは使えるようになると、本当に便利のいいしっかりしたものですけれども、なかなか分かってないんです。このことについては今日お話しする内容とは少し違いますので、割愛をいたします。
(図48)
 市民評価をどのように考えているか、ということにつきましても、必要度が大で満足度が小のものについては、これを強化していこう。そして、必要度が大だけれども、満足、みんながよくしていただいているものについては維持していこう。満足度が大で必要度がないというものについては、そんなに力を入れることはないんじゃないか。そして、満足度も必要度も少ないものについては、もうちょっと見直しをしないと、本当に放っておいていいのか、やり方がどこか悪いんじゃないかという検討をしなければいけない。そういうことを見極めるための評価を、市民の皆さんにお願いをしているわけです。
 必要度と満足度という2つの軸で、いろんなことを皆さんから聞いて、行政の参考にしたい、ということでやっているということであります。
(図49)
 議会を巻き込むための説明材料です。よく「プラン・ドゥ・シー」ということが言われます。「プラン」というのは企画をすること。「ドゥ」というのは実行すること。「シー」というのはチェックすること、評価すること。ただ、これだけで終わってしまうんですけれども、実際には「プラン」、企画を立てたら、企画止まりにしないで、これを設計する。設計をするということは、プランを実行するために、何をどうしたらいいかという仕掛け作りをする。これが大事なところで、民間では、こういうことは常識だろうと思いますけれども、行政では設計をしようという考え方がないところであります。
 「ドゥ」。実際に行いましたら、行ったことを説明しなければ何もならない。よく説明責任とかコンプライアンス、こういうことが言われますけれども、とにかくやったら、やったことの説明をしっかりすることが、ドゥということであります。
 「シー」というのは、評価をする。評価をして、評価しっ放しではいけないんで、商品を評価した時に、評価をしたら、その次にまた同じものを買うか、買わないか。あるいは返品するか。そして、賠償を求める。そういうことまで含めて評価したら、その結果としての選択。いろんな選択肢がありますが、ここまでやらないと、実際には、シーということをやったことにはならないと思います。
(図50)
 これを、どういうように行政の中で生かそうとしているか。市長と議会があります。一般的に言われますと、市長は議会に対して提案をする。そして、議会はこれを議決する。提案をして議決することが役目です。この間でチェックすればいい。この作用だけが言われているわけであります。実は、市長は企画をして、政策を立案するわけです。市役所の行政機関として、政策というものを施策、政策じゃなく、実際の仕事としてどういうふうにしていくか、ということにこれを置きかえて、業務を執行して、ここに情報開示としていますけれども、説明であります。こういう説明もしっかりする、ということまでも市役所としては、しっかりしなければいけない。
 もちろん、市長は市役所の長でありますから、そういう意味では、ここは一緒になっている部分もあるんですけれども、市長と市役所というのは、あくまでも違います。
 そして、議会なんですけれども、この議会は、検証する、評価をする、そして一般市場のように、買ったり、買わなかったりということでの評価結果を出すことはできませんので、議会としては、改善を提議をする。こういうところまで議会にやっていただきたい、と思っているわけであります。ここまでやらなかったらおかしいじゃないか、ということを言いながらやっています。
(図51)
 そして、これはどういうことかということなんですけれども、今出てくるのは市長、市役所、議会、市民ということです。市民と議会の関係、市長と市民の関係、市役所と市民の関係、こういうことがよく言われます。
市長というのは、市民から市政執行を委任されている。そのために選ばれているのが市長であります。じゃ、議会は何かと言いますと、これは、案件を議決する代理人として選ばれているのが議員である、というように私は考えます。
 そして、市民は市役所に対してはサービスを委託している。これに、市役所はいかに答えるかということでありまして、それぞれに市民というのがあるんですけれども、市民が市長に期待するもの、市民が市役所に期待するもの、市民が議会に期待するもの、これは違うわけで、こういった違いをわきまえながら、市長、市役所、議会、この背後にあるところの市民が、いかに真剣に物事を考え、そして検討し、進めていくかということが、今後の行政を変えていくことにかかっていると思います。
(図52)
 そのために、さまざまな工夫をしておりますけれども、議会に、こういうことができるような政策調査課を置かなきゃいけないということで、政策調査課を今年から置きました。そして、市長の片腕としては助役を選ぶわけですけれども、特命理事あるいは政策参事というものを市長室に置きまして、政策についてしっかりやっていく。
 役所の行政機関としては、その財政的な裏づけをしっかり見つけながら、それを実際の仕事につないでいく。そのための企画財政をしっかりやっていく。そういう役割分担を考えているところであります。
(図53)
 あと、「待って残す」というまちづくりをやっている、ということを5分だけお話しいたします。
(図54)
 行政というのは、町を作るための、お酒で言えば、麹作りのような役割をしなければいけない。麹作りをするということは、もとになるような整備、これは行政がやらないで、民間でやってくれ、民間活力を利用するということでやっても、実際にはうまくいかないし、民間に責任をおっかぶせるわけにはいきません。
 まちづくりの核になるようなさまざまな施設を買ったり、造ったり、建てたり、こういうことをするのは、行政がやっていかなければいけない。これを利用して、イベントをやったり、活性化したりということは民間がやっていかなければいけない。
 臼杵では、「うすき竹宵」というお祭りを新しく作り、あるいは伝統的な「祇園祭り」というものをやっておりますけれども、さまざまな活性化については、民間活力を利用しながら、うまくやっていきたいと考えているところであります。

(図55)  (図56)
 これは、どういうふうに考えたかと言いますと、お酒は水と米でできるんです。
 お米を水で洗って白米にします。これを蒸します。蒸したお米に酵母を入れて、酒母を作り、麹菌を入れて麹を作る。そして、もろみというものを作ります。このもろみを絞ってお酒を作り、酒の粕というものに分けるわけであります。
こういうものと全く同じように考えると、町には素材になるところの歴史や自然や文化というものがあります。そして、市民の心があります。これをいかに融合させるかということです。
 行政努力と市民行動、これをしっかりと役割を分担しておかないと、文化財、街並み整備、こういったものを民間に頼り過ぎてもうまくいかない。そして商業活動や文化活動、イベント、こういったものに行政が口を出し過ぎてもうまくいかない。
だから、市民のやることと行政のやることをうまく整理をしながら、これを「並行複合発酵」と書いていますけれども、一緒にして、これをうまいぐあいに発酵させることができれば、いい町ができるんではないだろうか、ということを考えてやっていることであります。
 いろんな歴史、自然、文化をしっかりと残しながら、いい町を作りたいということで、「町おこし」というのは、町を興すと書きますけれども、臼杵の町おこしというのはそうじゃなくて、待ってそして残すということで、臼杵の町おこしは「待ち残し」であると考えて、価値が出てくるまで、しっかりと残しながらいい町を作っていきたい。こういう思いでやっているところであります。
 時間がちょうど4時半になりました。今日はちょっと欲張り過ぎて内容があれこれ走り過ぎまして、お聞き苦しいところもあったかと思います。皆さんの何かお役に立てたらと一生懸命考えていたところ、あれもこれもと欲張り過ぎまして、失礼いたしました。これで私の説明を終わらせていただきまして、何かご質問等ございましたら、お答え申し上げたいと思います。ありがとうございました。(拍手)



フリーディスカッション


與謝野
 
大変にありがとうございました。今日のお話しの中には「目からうろこ」というお話もあり、現実の混沌とした状況から、秩序ある環境へと立て直していくプロセスを大変わかりやすくご説明、ご披瀝いただきました。
 ここで、せっかくでございますから、会場の方々からご質問をお受けしたいと思います。ご質問ないし、あの部分をもう少し詳しくお聞かせ頂いたい、ということもでも結構です。どうぞ、ご遠慮なくお申し出下さい。
角家(コンピュータ パソコン IT講師)
 間組OBの角家正雄といいますが、今日は貴重な話をいろいろ聞かせていただきまして、ありがとうございました。
 特に、パワーポイントでこれだけ準備されて大変だったと思います。九州でも由緒ある都市、臼杵をよりいいものにするために、今までの過去の歴史とか、いろいろお聞きしましたが、今、市長在任3期で、65歳前後だと思いますが、今後どのような町にしていくのか。具体的に教えていただければと思います。
 せっかくパワーポイントを用意していただいて、10ページあたりの「P.D.S.」とか、「四位一体」──三位一体を四位一体にしたんだと思いますが、これを見ますと、9ページの真ん中あたり、四位一体で、市長、議会、市役所と3つあります。四位とは、これにプラス市民を入れるわけでしょうか。後ろで聞きづらかったものですから、そこもちょっと説明願います。
 もう1つ、7ページ、市役所の職員研修のために「トイレの清掃は最高の研修」なりとありまして、非常にいいことだと思っております。今後とも続けていただきたいんです。
 臼杵市の将来の展望、「P.D.S.」「四位一体」についてご説明いただければと思います。よろしくお願いいたします。
後藤
 まず、「四位一体」の自治体改革ということからお話ししたいと思います。
 自治体は、市長と議会、これが車の両輪である。2本であるとよく言われます。実際には、この2つではなくて、市長の下にという格好で考えられていますけれども、実際の仕事をするのは役所であります。この役所、行政機関がどういうふうにあるかということが鍵を握りますから、市長と市役所、議会、この3つに分けなければいけないと思います。
 そして、市長と市役所の関係は、私は今、市長でありますが、市役所の職員の長であります。自治体の長として職員の安全を守らなければいけないし、職員を守らなければいけない、そういう立場もあるわけです。行政の長であるということだけではなくて、市民から行政機関をうまく使いこなして、市民のためのサービスをしてくれ、ということを仰せつかって、市役所に派遣された特派員だと思っております。だから、行政機関の長であることと、市民から特派された特派員である、この二面性を持っているということだと思っています。
 それで、この二面性を持っているものですから、私は職員にはよく言うんですけれども、「私は、皆さんの長であるから、皆さんの労働条件等いろんなものについて一生懸命守ります。しかし、もう一方の役割は、市民からあなた方にいろんなことを頼んで、よく監視をしろということを言われたスパイでもあるから、みんなが変なことをしていたら、簡単にチクるんだから、気をつけておけよ」と言うんです。そういう市長と行政機関の関係があると思っています。
 議会というのは、市長のやることについて、これを監視しろという役目であると一般的に言われているわけです。それぞれに市民というものがありまして、市民が私に、市役所をよく牛耳ってくれよという役割を与えていただいていると同じように、市民が私に対しては、そういうことを言っていますけれども、市役所の職員に対しては、もうちょっと直接的に、いい仕事をしてくれ、しっかりサービスをしてくれ、税金払ってこれだけのことを頼んでいるんだから、それだけのことは守ってくれよということを言っていると思います。
 そして、議会と市民の関係も、市民は議員に対して、自分たちの代わりにいろんなことを決めるんだから、変なことを決めないでくれよ、そして市長や市役所が実際にやっている行政について、市民サイドの行政にいつも担保しておくように、そのようなことをしっかりしておいてくれよ、ということを言っているんだと思います。
 従いまして、市民と、市民がいろんな面で依頼しているところの議会と、市長と、市役所、この4つのそれぞれの役割や思いをいかにうまく機能させるかということが重要であると考えまして、「四位一体」ということを言っているわけであります。
 私が、今、市長としては旧臼杵市長を2期やりまして、新しい臼杵市の1期目の市政が始まったところであります。新しい市のまちづくりをどうするのか、ということですが、今までやってきたことに加えて、新しく入ってきた仲間の場所をいかにしてよくしていくか、1日も早く一体感のある町にどうやって作っていくか、ということが、ただいまの課題であります。
 その後どうするかということになりますと、今申しましたような、四位一体の仕組みがしっかりと定着をするならば、だれが市長をしようが、どうであろうが、市民の意向が十分に、十分にとは言いませんけれども、今まで以上によく伝わるような、行政がよくなる仕組みができるんじゃないか。だから、行政がよくなる仕組みを作って、その仕組みでもってやっていく、その中身については皆さんにお任せしたい。私もいつまでも生きているわけではありませんから、そういうふうに思っています。
 トイレの清掃につきましては、ずっとやっています。一番最初にトイレの清掃に取りかかったのは、市長になって役所のトイレに入りましたら、トイレが臭かったという、単純にそういうことであります。こんなことじゃいけないということで掃除にかかりました。掃除の仕方をいろいろ学んでいるうちにいろんな方と知り合うことができまして、イエローハットの鍵山さんとも知り合うことができまして、トイレ清掃「道」という、単にトイレ清掃じゃなくて、まさに「道」であるということもわかってきました。学校は学校で、子どもたちと先生が一緒になってトイレの清掃をやる。市役所は市役所で、いろんな所を磨いていく。徹底的にトイレを磨き上げることをやっております。
 一番最初は、市長室だけでやっていました。それがだんだん広がりまして、市役所の課長全員でやるということになりました。次に、新人研修として新人みんなでやることになりまして、最近は、市役所職員全員が、順次トイレ清掃に取り組むというところまで来ております。大変気持ちがよくて、喜びを感じるトイレ清掃であります。
角家(コンピュータ パソコン IT講師)
 トイレ清掃を「道」まで昇華されたということは非常に結構なことだと思います。
池田(足立区)
 今日は参考になるお話をありがとうございました。東京都の足立区役所の方で建築行政にかかわっております池田と申します。
 2点ほど質問させていただきたいんです。
 どこの自治体でも、自治体変わらなきゃいけないという話があると思うんです。その際に、役所の人を減らせという人員削減の問題とか組織改正の話がどうしても出てくると思うんです。そこら辺、市長がこれまで臼杵市役所の方で、人員削減ですとか組織改正の問題について、どう取り組んできたかという話について、もう少しお聞かせください。
 もう1点、私、たまたま建築関係をやっていることもありまして、興味があるんですけれども、今日パワーポイントで写真等をいろいろ見せていただいて、臼杵市の方で、街並み整備とか拠点施設の整備等をいろいろ取り組まれてきたという話がありました。そういう街並み整備とか施設整備によって、住民の意識、観光客数等にどういう影響があったか、ということをお聞かせいただきたいので、お願いします。
後藤
 人事と組織を、どういうふうに作るかということは大事なことであります。組織をどう作るかということについては、仕事の棚卸しを一番最初にじっくりやりました。今どんな仕事をしているのか、この仕事の目的は一体何であるのか。その目的とするものの目的は一体どんなことなのか、といったことを職員みんなで手分けして分析をいたしました。
 そういう分析をしますと、差し当たって、すぐ上位の目的を挙げることはできるんですけれども、じゃ、その上位の目的のさらに上位のもう一段上の目的は、一体何なのかと検討していきますと、それで出てきた答えと、2段下のもともとのやっていることを比較してみますと、大きな目的のためにはなってないことがだんだん出てきます。そういう目的分析をしまして、そういう仕事はもうやめようよ、ということで仕事をやめていくとか、これとこれはくっつけられるとかということで組織を変えていきました。
 実際に、臼杵市の組織は、ほかの市の組織とかなり違ったものになっております。このごろは大分多くなってきましたけれども、仕事はグループ制でやっております。行政の一番いけないことは、縦割りの行政になっていて、そのことだけしか、みんなしない。そのことだけやっていればいい、と思っていますから、人数がすごくたくさん要るんです。そんなことではやっていけないので、係を廃止しまして、その課でやらなければいけない仕事を幾つかのグループに分けてみんなでやっていく、そういうやり方、グループ制の仕事に変えました。そういうことで、仕事の仕方を変えていくということもあります。
 そして、人事面では一体どうなのかということですけれども、人事面というと、だれにどんな仕事をしてもらうか、ということになります。具体的にいうと、課長に任命する時にどうするか、昇進基準をどうするか、ということになろうかと思います。仕事本位ですべて割り切ってパッとやることができれば、それにこしたことはないんですけれども、そういうことだけではうまくいきません。そんなにドライに割り切れるものじゃありません。課長昇進者のうちの3分の1ないし半分は、年功序列で決める。あとの半分は抜擢でいく。抜擢でいく時に一番大事なことは、抜擢をすると、最初の頃のことですが、バッシングを受けるんですね。だから、最初に抜擢をする人は、そういうバッシングに強い人が一番です。(笑)そうでないと、仕事ができる人のいい人を昇進させますと、恐らく失敗すると思います。そうじゃなくて、最初に抜擢するときはバッシングに強い人を抜擢して、それにだんだん慣れてくるということです。
 そういう形で、半分は抜擢でいく。抜擢でいく場合に、例えば、今臼杵市で言いますと、課長になる人が47、48ぐらいで課長になります。まともにいったら55、56にしかならない。その時にそれを53か、52におろすかということをやっていますと、みんなあきらめがつかないので、まず50ぐらいにおろすという形で、抜擢する年代を少し下げていく。そうすると、あきらめもいい。抜擢をしてやっていくということが1つ。
 それと、職員の活性化というのは、若い人が鍵を握っています。若い人ほど鍵を握ります。臼杵市の場合、どういうことをやっているかと言いますと、新規採用する人に一番期待しています。新規採用する人の採用試験に当たっては、まずコネを一切採らない。頼まれた人、特に議員さんから頼まれた人は必ず落とす。(笑)本当なんですよ。だから、最初の頃はいろいろ言っていましたけれども、だんだんあきらめて、市長に言ったって何もできぬからということで、このごろは採用人事について、議員さんはあきらめてくれるようになりました。
 まず、そういう情実は絶対に採らない。それと、男女を差別しない。市内在住、市外の人を差別しない。ただし、採用したら市内に住むことという条件をつけます。市内の人しか採らないという、けちなことはいたしません。その結果、この8年間で採用した人の6割から7割は市外の人です。残りの3、4割というのは消防関係の人が多いので、実際に一般職員ということから言うと、相当部分市外の人ということになります。
 そして、どんな人を採るかということですけれども、活発な人、気配りのきく人ということになります。学業といいますか、ペーパーテストだけじゃ、見当外れの人が入ってくることになると思います。成績はそこそこの人までということで、全体のうちの半分ぐらいの足切りは成績でしますけれども、残りの半分の人は、何かに打ち込んだことのある人と作文の成績のいい人、ということで採ります。作文は毎年決まっていまして、「私は私の特技を生かして臼杵市民のためにこんなに役立ちます」という作文を書いてもらいます。書いてもらって、今度、試験の時は大変です。それがうそか本当か、という試験をします。うっかりしますと、「私は中国語を勉強してきました」と書いて、麻雀だったりしますから。(笑)それがうそか本当か、ということでありますから、例えば、お琴をやりますと言ったら、実際にお琴を弾いてもらいますし、バスケットをやっていましたと言ったら、みんなの前でバスケット、試合の成績等をもちろん調べますけれども、そういう形でさまざまな試験。それがうそであるか本当であるか、ということの試験をします。
 例えば保健婦を採用するという時ですと、試験室の所にわざと紙くずを置いておいたり、別の所に椅子を置いておいたりします。それに気がついてサッと片づけてくれた人は〇です。与えられたことが幾らできても、そういうところで基本的な注意の劣っている人は少しマイナスをする。そういうさまざまなことをやりまして、試験をします。
 そして、採用しますと、頭でっかちじゃなくて、率先して仕事をする人を採用できていると思っています。市役所に入って8年間の人はそういう人が集まる。その上の人たちも、その人たちの刺激を受けて、それにならってきます。やっぱりだめな人はだめというのはありますけれども、そういう形で人事の活性化をすると、それが全体に広がってくると言えると思います。さまざまな工夫だと思います。
與謝野
 もう1つのご質問だったのは、臼杵の街並み再生後の市民の反応等についてです。これまで、仁王座他いろいろな施設を整備されて来ておられます。そういう整備を経て、住民の意識はどのように変わったのかというご質問でございました。
後藤
 一番重要なことは市民参加だということだと思います。全員の市民参加はできないんですけれども、意識ある市民の皆さんに参加してもらう。それで、そういう整備をするに当たりまして、中心市街地の活性化計画を立てる時に、市役所の職員が16人、これも若手の職員が16人、そして市民の人が16人という形でみんなで案を練るということをやっています。
 そういう形で、先ほどちょっとお話ししましたように、補正事業とか何とかいうことでやりますと、実際に、今年も補正事業があるかもしれないということが分かってくるのが10月とか11月ぐらいで、もやもやして、ことしは2次補正があるな、3次補正があるな、いや、補正もあるんじゃなかろうということがわかってくると、その中で、そういう事業が出てくるわけですから、事業が決まるのは3月末になってくる。それまでの間は半年ぐらいしか時間がないわけです。半年ぐらいの時間の中に、いかに市民を集めて一緒になって検討して、計画を立てて、予算獲得に必要な計画に仕上げていくのは、まさに時間がありません。そういう、短時間の中に計画をしていく。参加してパッとやれる、これは訓練、トレーニングもありますけれども、工夫もあります。
 そういうことで、市民の皆さんに入っていただいてやっているから、何とかできているんですけれども、これを市長独断でやれと言ってやったり、企画課だけで考えてやったりという形でやっていますと、後でいろいろ問題が出てくるだろうと思います。
 正直申しまして、全然問題がなくて、100点満点だとは思っていませんけれども、恐らく80点から90点ぐらいは取れているぐらいのところはいっているんじゃないかと思うぐらい、失敗しないで済んでいると思っています。
與謝野
  後藤市長、大変にありがとうございました。
 時間が参りましたので、これをもちまして本日のフォーラムを終わらせていただきたいと思います。きょうの市長のお話は、「町おこし」あるいは都市の運営について、厳しくも心情豊かな経営感覚にもとづく、大変具体性を伴った示唆深いお話をわかりやすいプレゼンテーションとともにご講演いただきました。心から御礼申し上げます。
 結びにあたりまして、ご多忙の中をお運びをいただきました上、貴重なお話をいただきました後藤市長に対しまして、最後に、お礼と今後の市政にお励みいただく激励の気持ちとを込めて、大きな拍手と共に閉会したいと思います。(拍手)
ありがとうございました。

 


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