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第211回都市経営フォーラム

景観法について

講師:伊藤 滋  氏  早稲田大学特命教授

日付:2005年7月21日(木)
場所:日中友好会館

1.家づくりは街づくりではない・・・市民は家と敷地だけに関心がある。

2.土地所有の絶対性・・・限りなく小さくなる敷地。

3.建築の教育とジャーナリズムは芸術建築家を育てることに主眼がある。

4.景観法が一番目的とするところは・・・規律と自律を市民に求める。

5.美しい景観づくりについての私見

6.汚い街づくりを点検し、それから教訓を引き出そう。 ワースト25選を紹介。

フリーディスカッション



 

 

 

 

 

與謝野
 それでは第211回目の都市経営フォーラムを始めたいと思います。
 さて、本日は、事前のご案内にもございましたように、この都市経営フォーラムを長年にわたりご指導いただいております早稲田大学特命教授の伊藤滋先生にご講演を
お願いしております。伊藤先生は、今さらご紹介するまでもなく、我が国の都市計画分野の大御所であられ、内閣府の都市再生本部座長を務めておられ、大学で都市経営
分野の教鞭をとられる一方、都市計画家協会、再開発コーディネート協会等を主宰され、また美しい景観をつくる会をはじめ多くの自発的な啓蒙団体を通じて、我が国の
景観づくりについての大所高所からの啓蒙活動を精力的に展開されて来ておられます。
 本日の演題は、昨年より施行されました「景観法について」という、まさに時宜を得たテーマでございまして、私達の日頃の関心事や業務上のナレッジとしても大変に示唆深い貴重なお話をお聞かせいただけるものと楽しみにしております。
  それでは伊藤滋先生、よろしくお願いいたします。


伊藤
 相変わらずの伊藤でございます。
 今日は、「景観法について」ということが、皆様のレジュメの頭についております。話す内容は、今年の6月1日、今から2カ月前に、日比谷の公会堂で40〜50分、景観法施行のスタートでしゃべった内容をベースにして、皆様にお話をするということでございます。パワーポイントも用意してございますので、それをお見せしながらお話をしようと思っております。
 パワーポイントに入る前に申し上げたいことがございます。実は、都市計画の学校の先生は、余り絵もうまくないし、算術も強くない。学校にいて建築や土木でなくて都市計画を選ぶのは、口だけ達者だというやつです。自分が造っているはずなのに、むしろ、造った物や造っている事実を批判する。批判することで都市計画の実績を上げる、という奇妙な学問領域なんです。
 建築や土木ですと、批判をしながら、職人芸ですから、「おれはこういうものを造った。どうだ。」という現物を、橋梁でもダムでも建築でも、設計をして見せることが出来るわけです。しかし、都市計画というのは、批判をして、「じゃ、おまえは、どういうものができるか」と言うと、なかなか「こういうものがいい」という答えが出せないんです。
 これは、都市計画を専門として選んだ人間の能力そのものにも起因しますけど、片一方で、都市計画というものがつくり上げてきた1つの常識が、そういうものを造らせないということがあります。
 何だと言いますと、例えば、都市計画法という法律がございます。この都市計画法という法律を、なるべく図面化しようとします。そうすると、用途地域とか区画整理とかは、全部平面の地図で描けます。しかし、立体にはできないんです。都市計画法を立体の模型で説明しろと言うと、現実的にはなかなかできないんです。
 それから、都市計画法を立体化した工作物とか建築物の集合体として、こういう街になるという姿を都市計画法から描けるかというと、描けないんです。そこには基本的な欠点があります。
 何で私がそういうことを感じたかと言いますと、今からはるばる40年前、これもここでお話ししたかもしれませんが、私がアメリカで2年留学して帰る時、猛烈な勢いでドイツの資料を取ろうと思って、ドイツの街へ行きました。
 いろんな街に行ったんですが、エッセンという街があります。これはルール地帯、ノルドラインウエストファーレン州という、今から40年前は、西ドイツで一番豊かな地域だったんです。日本で言うと北九州の炭鉱地域。それにクルップという日立のような会社がありまして、北九州に日立製作所のある茨城県の北部をくっつけたような、豊かなところの炭鉱の街でエッセンというのがあったんです。今でもあります。物すごく汚い街だろうと思って行きましたら、すばらしくきれいな街なんです。
 それから、ドルトムントという街が、エッセンの近くに今でもあります。ドルトムントというのは、炭鉱のど真ん中だからすさまじいと思いましたら、このドルトムントの街を流れている川と、川の両側の森、川に木がずっと垂れ下がっている。この川と森が彩なす、美しくすばらしい田園景観がある。ドルトムントというのは、後で聞いたら、ドルトムントビアというビールの名産地なんですね。
 だから、昭和40年の頃は、日本で北九州と言うと、炭鉱の汚い街、直方とか飯塚とかは、全く都市というものは存在しない、ただ、人口の集積地があって、そこに炭鉱のボタ山があるというイメージでしたが、そういうイメージを描いてドイツのルール地域に行って、具体的な街を見ると、全く違う。そういう状況を見て、僕はすごいカルチャーショックを受けたんです。同じ敗戦国で20年経った。昭和20年に日本が負け、ドイツも負けたわけです。40年です。これだけ国の造り方に差がある。すごい屈辱感と劣等感。
 その時に、その原因は何かと考えたんです。いろいろありますけど、エッセンの市役所へ参りまして、市役所の都市計画課長さんと話をしました。そしたら、エッセンの街を再開発するのに、こういうようなイメージで街を造っているんだ、という平面図を出して見せてくれました。平面図を見ている間、私は安心でした。なぜかという
と、平面図は日本でも用途地域図とか、平面の図面があります。都市計画法に従う、同じようなものだなと。ただ、用途地域の内容が違うとか緑地地域の内容が違う。 ところが、平面で説明した後に、「ちょっと、待て。もう1つ、あなたにお見せしたいものがある。これは多分日本でも同じだろうがね」と言って、課長さんが僕を助役の部屋に連れていって扉を開けましたら、そこに会議室があるんです。その会議室は、市長室と助役室の真ん中にある。その奥の扉を開けたら、工作室がありました。木工室。そこに、指物大工が2〜3人ちゃんといるんです。指物大工が一生懸命仕事をしているんです。
 昭和40年ですから、今から40年前。彼が大工に指示して出してきた模型が、実はエッセン市の中心部。ドイツでもフランスも必ず中心部に広場がございますね。教会があって、ギルドホールがあって、場合によっては銀行があってとかありますね。そういう中心の広場の半径が大体500メートルぐらい。約100ヘクタールぐらいの都心部。これについて、きちっと模型ができ上がっているんです。朴の木の模型です。スケールが1000分の1と500分の1がありました。
 実はエッセン市役所の助役と都市計画家という専門家は、この模型で市民の皆さんの意見を聞きながら手直しをして、街の姿を頭の中に描いています。まさに、立体的に街をつかまえているわけです。
 昭和40年に、ドイツのエッセンでカルチャーショックを受けましたが、その時既に立体的に模型を使っていました。模型は木の場合もありますし、紙の場合もあります。しかもスケール500分の1がベースです。1000分の1は参考模型です。こういう「模型で街づくりをやる」というのは、ドイツだけではなくて、既にヨーロッパでは、オランダでもスウェーデンでもデンマークでもフランスでも当たり前だったんですね。
 そういうことを全く知らないで、日本の都市計画家というのは、昭和40年以降4半世紀、相変わらず平面の地図に色を塗っていた。それで都市計画を考えていた。マスタープランもそうです。そういうことをやっていたんですね。
 それが私はずっと頭にありまして、日本の都市計画家というのは、この程度の能力しかなかったのか、おれはその典型的な1人だなと、極めて内心じくじたる思いを、ずっとしょっていました。
 しかし、街づくりも平面図だけでは済まない、という状況になってきました。多分それは、都市計画の中から出てきたんではなくて、私は意外なところから出てきたと思うんです。変な話ですが、今から20年前、日本がバブルになりました。バブルは7〜8年続いて崩壊しました。崩壊して13〜14年。その間に日本社会で基本的に変わってきたのは、トップエリートの国際化が進んだということです。トップエリートというのは何か。一番象徴的なのはバンカーですね。商社マン、バンカー、こういうところの国際化が進みました。そして、アメリカやイギリス、フランス、シンガポール、そういうところから、トップエリートが日本でのビジネスチャンスをつかまえに入ってきました。
 その次に来たのが、テクニシャンです。SE、システムエンジニアあるいは研究者。そういう、世界の中のトップエリートが日本の中に入ってきた。日本には、以前から国際化、国際化という言葉はあったんですが、実態的に国際化が動き出したのはバブルの崩壊から後ですね。
 彼らがここで生活をした時に出てきた会話は、すべて今まで日本の我々がいいかげんに扱っていた、都市に対する徹底的な批判です。世界のトップエリートというのは、大体キリスト教系ですから、一神教型論理構成で全ての言葉を組み立てられますね。イエスかノーか。美しいか美しくないか。誤っているか誤ってないか。そういう形で街を見てまいりますと、日本の街づくりというのは、まさに一神教型でなくて、八百万(ヤオヨロズ)の神が造ったんだから、こんなものゴチャゴチャしているのが当たり前だ、というあいまいな日本人の常識観が、根底から全部否定されていくわけです。
 こんな話が、バブルの崩壊とともに、東京、大阪を襲ってきたわけです。
 それにもう1つ追い打ちをかけてきたのが、国際化の流れの1つとしてあります。特に小泉政権になってから激しくなった。小泉政権は足かけ5年かかっています。小泉政権ができ上がったのが平成の13年です。平成12〜13年から明らかになってきたのは、日本のビジネスは単に物を作って売るということだけじゃなくて、知的財産もビジネスだ、知的財産をきちっと守っていく、パテントを守っていく、ということも重要だ。これが、日本の非常に重要な政治課題になりました。これは一種のソフトです。
 トヨタの自動車を売るのも大事だけど、漫画というのも大事だというのも、アナロジーとしては似ているわけです。ソフトを、ずっとパテントから外延化してまいりますと、観光産業に行くわけです。日本の観光産業について痛烈な批判を加えたのは、石原慎太郎です。こんなことをやっていたら、客が来ないのは当たり前だ。日本は、そのままでいいか。この観光産業の流れは、当然結果として、それまでいろいろ批判を加えた外国のトップエリートの批判と相通ずるものがあるわけです。
 ですから、今言ったように、すべて、日本の街を、または、いろんなシステムを変えるということは、明治以来外圧でしか変わらない。その外圧でしか変わらないという20世紀最後の結果、というのがこの「景観法」じゃないかと思うんです。
 景観法を作る背景というのは、そういう流れがあったと思うんです。ですから、景観法を作るというのは、都市計画家や建築家や土木家が、前から日本の都市はけしからぬ、汚い、まずいと口々に言っていたことで景観法ができ上がったのではないということです。むしろ非常に違う社会的要素によって、景観法が作られる、そういう流れになってきたのではないかと思います。



 

1.家づくりは街づくりではない・・・市民は家と敷地だけに関心がある。

 お手元のレジュメです。レジュメを作る時に考えたな、と思っております。相当皮肉もありますけれども、家づくりは街づくりではない。しかし、市民は家と敷地だけにしか関心がない。思い切ったことが書いてありますけど、実態はそうですね。例えば、ようやっと坪50万円で50坪の敷地を手に入れた。2500万円だ。手元には4000万円しかない。あと1500万円で家を造って庭を造って、できるか。日本の44〜45歳の男の金勘定の仕方は、大体こういう話ですよ。4000万円。退職金、手当を当てにして、何とか1000万円の手元貯金がある、それに3000万円を銀行から借りて4000万円。坪単価60万円なら40坪しか買えない。2400万円。1600万円の残金で30坪の家が造れるか。非常にけなげな金勘定を44〜45歳の男がするわけです。
 ですから、そこででき上がる45歳の一家の主の関心は、敷地は手に入れた、家はこういうふうに造れた、それしか関心ないというのは当たり前なんですね。
 あるいは、自分の家を造らなくても、どこか電車会社が造った分譲住宅を見に行く時も絶対そうです。家並みがどうかじゃなくて、どの家のデザインがいい、周りに比べてこの家のデザインがいい、あるいは隣の家よりもこの家の隅柱がしっかりしている、隣の家より玄関の間口がちょっと広いとか、自動車の入れ方がいいとか、専らそのことなんですね。
 こういうことをずっと積み重ねて、実は日本は半世紀送ってきたわけです。これはしようがないと言えばしようがないんですけど、ただ、市民は家と敷地だけに関心があるというのがこのまま続くか続かないか。私は、実は非常に悲観的で、続くと思っています。どんなことを言っても、市民は自分の家と敷地にしか関心がない。なぜならば、社会的なつながりがない。自分の敷地と家だけに関心を持って、それだけを自分の価値観でよくしたということに対して、外側から、それはおかしいじゃないかというチェック機能は、日本社会には全然入ってないんですよ。
 もし、そのチェック機能があるとすれば、家ができた後に、「どうもあの家の周りに変なお兄ちゃんがウロウロしているよ」という犯罪とか、そういうもののチェック機能は働きます。しかし、結果として、「非常にきてれつな家が建ったわね」。
 ですから、このままでいけば、その家を建てるについて、周りからおかしいということを事前にチェックする社会的なモチベーションが、我々の地域社会にはないだろう、特に大都会ではないだろう、これが1つです。



 

2.土地所有の絶対性・・・限りなく小さくなる敷地。

 2点目。これは大変重要なんですが、「土地所有の絶対性…限りなく小さくなる敷地」。これは非常に不思議なんですけど、これも何十年と日本の都市計画家はしたり顔で、「小さい敷地をいつまで続けるんだ、皆さん」ということを言っています。しかし、敷地は、非常におもしろいことに二極化していますね。小さい敷地を3つか4つ集めてマンション用地にする、という動きが最近非常に目立ってきています。小ぶりのマンション用地ですね。ローカルなパワービルダーでも、小さい敷地を3〜4軒集めて150坪ぐらいにする、というところまではできますよ。そういうまとめ方はかなりの建て売り業者でもやる、あるいは、ローカルなマンション屋でもやる。
 しかし、片一方で、100坪の敷地が、相続だと称して30坪、25坪に割られるというのもいっぱい出てきている。両方が今非常に顕著に動いています。
 問題は、この小さくなる敷地、これについて、どこかに「終わりだよ」という歯どめがあるかということです。これがないんです、不思議なことに。
 都市計画の連中はよく、「小さい敷地の建て売り住宅を買って、30年でも経ってみると、建物の価値はゼロになる。20年でも建物価値はゼロになる。残るのは細長い20坪の敷地だけだ。誰も買いに来るやつはいないよ。だから、あんなの買うのはだめだよ」と言いますけど、それでも買っている人がちゃんといるんです。じゃ、こういうことについてどうするか、ということだったんです。



3.建築の教育とジャーナリズムは芸術建築家を育てることに主眼がある。

 もう1つ、言います。これは僕が非常に言いたいことです。私も建築学科の教育を受けました。建築的な授業もやりました。都市計画ですから、デザイナーではないですけど。周りの同僚が建築を教えるのも知っています。『新建築』も買いました。『建築文化』も買いました。『アーキテクチャルレコード』も買いました。『ドムス』も買いました。建築家協会のセミナーにも行きました。
 そこで言っていることは、「みんな、丹下健三になれ、みんな、安藤忠雄になれ、みんな、槇文彦になれる」という暗示を若い学生にかけることばっかりなんです。「やってみろ」と。そこで起きる議論は、抽象的で延々とつまらない。槇文彦がどう言った。磯崎某が何を言った。黒川紀章が何を言った。酒を飲みながら、ゴシップ風に延々と意味のない話を繰り返すというのが、これまた不思議な日本の建築社会なんですね。考えてみたら、こういう建築教育環境を、日本の建築は明治以来ずっと続けていたんじゃないか。
 そこで、何十万という一級建築士が生み出されてきたわけです。これはちょっとおかしいだろう。建築学会は何を考えているか。この歳になると、結構気楽なもので、学会の悪口を言っても済んじゃうんです。都市計画学会の悪口を言うんですけれども、建築学会、何やっているんだろうと。
 よくわかりませんけど、アメリカやドイツの連中とつき合っていますと、専門家というのは、「おれは並みの男だ。槇文彦みたいなやつはよっぽどのことがない限り出てこない」、みんな、そう思っているんですよ。並みは並みの建築家として、並みは並みの都市計画屋として、基本的に明快、単純に、非常にわかりやすい家づくり、都市づくりをやるわけですよ。それを、普通の凡人の市民が見れば安心するんです。並みの建築家、並みの都市計画家が、凡人の市民社会のために造る街は単純、シンプル。屋根はきれい、壁もそんなにいろんな材料を使わない、色もそんなに使わない、デコボコもしない。そこの中に時々、槇文彦とか磯崎某のような並みでない建築家が来て、そこで仕事を点々とするんです。だから、両方きれいに見えるんです。
 ところが、日本の建築家というのはみんな、「おれは今度の作品で安藤忠雄のようになれるはずである」という努力を毎回するんです。みんな毎回いいかげんに失敗するんです。どうしてこういう教育をしたんでしょうか。これは大問題なんです。
 今日は、日経アーキテクチャーの編集長もいると思うんですけれども、メディアというのは、こういうことで飯を食っているという社会的責任を一体どうとるべきか(笑)。本当にそう思うんです。すべてをかどわかしてきた。昔の明治の頃の棟梁というのは立派でしたね。だから、もう一回21世紀の棟梁をうんと作る。これが建築教育の真髄だ、あるいは都市デザインの真髄だ、というふうに是非してもらいたいものだと、これは嘆き節ですけれども、思っています。
 今まで私は、できないできない、ということを言っていました。実際できないんですが、片方で、土地は小さいところを手に入れた。大きいところは手に入れられないんだから、建て売りを買っちゃったとかいうお父さんでも、やっぱり街はよくしたいんですよ。だけど、自分の力じゃできない。自分の力で、子どもにいろんなことを言われ、おかみさんにいろんなことを言われて、結果として建て売りの細長い3階建てを買っちゃった。だけど、本心のどこかには、もうちょっといい、街の中の単純だけど明快な長屋のちゃんとした3階建てに住みたいな、という気持ちもないわけじゃないですね。



4.景観法が一番目的とするところは・・・規律と自律を市民に求める。

 そういうちょっとした良心の塊をぐっとつかまえて、前に引きずり出してきたのが実は「景観法」なんです。ですから、「景観法が一番目的とするところは、…規律と自律を市民に求める」ということなんです。
 景観法ぐらい、こういう規律と自律が大事ということを皆さんに問いかけているものはありません。一種の修身の教科書。景観法は修身ですよ。国から市民に問いかける厳しい修身。修身って、知らないかな。戦争中、修身というのがあったんです。身を修める。極めて厳しい、民主主義国家日本には珍しいぐらい、国がこうしろよということを国民に話題を投げかけた。それが景観法だと思うんです。
 国の役人も、これをやるということは相当思い切っていて、民主主義社会、草の根、市民参加ということに対しては、余りおもねらないで、こういうふうにしなきゃ日本の街はよくならない、ということをはっきりと表に出した。そういう点では、この景観法というのは異質な法律です。
 これも雑談でございますけれども、役人はこういうことを言います。一番立派な法律は1字なんだそうです。我々にとって一番重要な法律。憲法、商法、民法、1字ですね。次に大事なのは2字なんだそうです。道路法、河川法、衛生法、労働法。我々の生活に直接結びつきますよね。余り役に立たない法律は4字だそうです。都市計画法、建築基準法、(笑)あんまり役に立たない。4文字の法律はなくてもいいかなと、とりあえず外国にもあるから作っておけという程度のものかもしれません。
 そうしますと、この景観法は2文字なんです。だから、道路法、河川法、労働法、衛生法、こういうものに準じる法律なんですね。それだけに国の役人というのは、国民の皆様にきちっと申し上げたい内容を組み込んである。これが景観法だということです。

(図1)
 景観法って、どういうものかいきましょう。
(図2)
 これは6月1日に僕がしゃべった時の資料です。平成15年までの間に、全国約470の市町村で524の景観条例がつくられたということです。急速に増えていますね。平成になってから増えています。
(図3)
 景観法というのはどういうものか。ここからしばらく景観法の解釈をします。あまり積極的じゃないんですが、基本理念として、良好な景観は、国民共通の資産だ。景観形成には自然、歴史、文化が重要だ。およそ役人に関係なかったこれらの言葉を役人は極めて重要だと取り上げて、それと人々の生活、経済活動が組み合わさって景観というのは作られるんだ。だけど、重要なのは、生活、経済活動よりも文化、歴史で、それを重く見ないと、いい景観は出来ないよ、ということが、暗にここに入れられているわけですね。
 もう1つ、景観は、稚内から石垣じゃございませんけど、それぞれの地域で多様な姿を現してくる。それから、先ほどの石原慎太郎じゃございませんが、景観を形成する、というのは単に抽象的で美しいということじゃなくて、ビジネスにも結びつくんだから、一生懸命やろう。こんな話ですね。
 景観をよくする責任というのは、地方公共団体、住民、事業者、国、この四者が一緒になってやらなきゃいけないんだよ。これは一種の修身です。特に住民は何をするか。「自ら良好な景観の形成に積極的な役割を果たす」。積極的な役割を果たせるように、住民が積極的に何かしたいと言った時に、景観法というのはちゃんとそれにおつき合いします、役に立ちますよ、積極的な役割を果たさなければ景観法は役に立ちませんよ、ということです。後でわかります。
(図4)
 もう1つ景観法の特徴の2番目、「景観法は都市部だけでなく、農村部と自然公園も対象としている」ということ。都市公園は都市部です。農村部は田んぼ、特に棚田を大事にしよう。自然公園というのは、どういうところかというと国立公園と思って下さい。国立公園も対象としている。役所で言いますと、国交省と農水省と環境省ですね。
 それから、先ほど言ったように、地域の個性が景観に反映できるように、市町村の条例で規制内容は思い切って柔軟に変えていいですよ、どんどん思い切って変えて下さい。ただ、条例が決まれば、後ろで景観法が全部条例を守っていきます。市町村は思い切っていろんな条例を作って下さい。でき上がった条例は、国が景観法できちっと守ってあげますよということです。
 4番目、これが重要なんです。さっき言った修身ですね。景観法は強制力があります。だから、住民の皆さんがこういうふうにやりたい、いい街を造りたいということで、ある提案をした時にその提案を景観法が裏打ちをしますと、強制力があるんです。この強制力は、建築基準法よりもずっと強い強制力を持ちます。刑務所までは連れて行きませんけれども、もしかすると、罰金刑よりも、執行猶予つきの懲役がかかるかもしれないくらいの強制力です。
(図5)
 それから、NPOや住民がどんどん参加して下さい。
 6番目が重要なんです。何かと言いますと、役人的に言いますと、景観法は大きく景観計画区域を定めます。そこの中に、景観地区という非常に重要な、ここだけは何とかして守ろうとか、ここの街を変えていくためには厳しい制限の中で変えさせるという場所を指定します。そこで造られる建築物や工作物の形態と意匠にかかわる点について、市役所がこれを認定する。認定というのは一種の許可です。許可にほぼ準ずる。市役所が、これはいいと認定しないと、景観地区の中では橋も公会堂も造れません。それだけ厳しいんです。一種の許可制、建築許可に通じます。確認じゃございません。これは、ものすごく重要なことです。
 7番目は、こういう景観地区を決めるとか条例を決めるのは、景観協議会とか景観協定とか、ソフトな手法を使ってやっていきましょうということです。
 8番目は、付録みたいなものですが、お寺さんとか長く使っていた旅館、こういうところが、もっとしゃれたデザインにしたいとか防火設備を作りたいとか、いろいろありますね。外壁はなるべくしゃれた、左官を使って砂しっくいか何かで仕上げたい、だけど、防火地域だからだめだ。建築基準法上いろんな規制があります。そのために重要景観物が、おかしくなっちゃうということがいっぱいあります。そういうことについては、特に防火的な規制緩和、こういうことをちゃんとやろう。それから、税制などの措置もやろう、こういうことです。
(図6)
 景観法で、先ほど言いましたように、まず緩やかな規制誘導をしよう。そういう場所を景観計画区域といたします。ここのところは、さっき言った認定制度はないんです。その中で重要なところは、より積極的に景観形成を誘導していきたい。これを景観地区と指定します。そこには、形態や色彩についてなど、裁量性が求められる事柄について、景観認定制度を導入する。裁量性があるけれども、これをきちっと役所が認定するんだ。ノーと言ったら、もう一回やり直せ。それから、景観地区ではちゃんと敷地面積の最低限度、建築物の高さ、壁面の位置を決める。これは建築確認ですから、地区計画の方で担保します。これは景観法で担保する、これは地区計画で担保する、それからこれは開発許可で、というように3つのやり方で景観地区を厳しく運用していこうということです。
(図7)
 こんなことで、やってくるわけです。都市計画の手法を活用して、積極的に良好な景観の形成を図る地区について、景観地区を決めるんだ。この景観地区が決まると、橋とか池、公会堂、学校とかのデザイン、色彩、高さ、敷地について、初めて総合的に規制する。産業廃棄物のような堆積、埋立地の形質変更についても、条例でチェックすることができる。これが一番厳しい景観地区です。
 それから、重要建造物や樹木についてもきちっと守っていきましょう。
 もう1つ重要なことがありまして、景観計画区域、これは景観地区を含んでいる、より大きい地域です。ここでものすごく大事なことが書いてあるんです。「『景観上重要な公共施設』の整備や『電線共同溝法』の特例」と書いてあります。景観計画区域の中で、例えば高速道路を造ろう、橋をそこへ架けようといった時には、道路公団や国道事務所の設計も勝手なことは許さないということです。公共施設の色とか形について、国道事務所や道路公団勝手なことするな。全部、街の中の景観法に基づく条
例に基づいてやっているかどうかチェックするぞ、と。
 それから、電線共同溝法というのは、特に景観計画区域の中で美しい街並みを造ろう、緑いっぱいの街路を造ろうということです。そういう道路については、電線共同溝をやる道路を指定することができるというんです。景観計画区域では、これは非常に強力な道具だと私は思っています。なぜならば、景観計画区域は大きいですから、単に駅前広場とか市役所の前の市街地だけじゃなくて、郊外の一種住居専用地域とか郊外の集落地域、こういうところの電柱についても、これを何とか共同溝にして埋めてしまえ、ということを市役所が決めれば、景観区域の中ならば、これについては電力会社も県の道路課も共同溝を造ることを考えざるを得ない、そういう規制力を持っているんです。
(図8)
 景観重要道路に関する電線共同溝法の特例。景観上必要な場合、電線共同溝整備道路に指定が可能。これが景観計画区域の中で非常に重要なものです。
(図9)
 もう1つ。農村は何をやるんだ。農村は、ここにご覧のように、山古志村も棚田がきれいでした。棚田は日本独特の農村景観ですね。だから、棚田、ちゃんと書いてあります。景観作物地域。景観作物地域というのは、例えばどういうことかというと、北海道の美瑛に行きますとラベンダー、菜の花ありますね。景観を作り上げている作物がずっとでき上がっているところですよ。ああいうところは、ラベンダーとか菜の花をずっと畑いっぱいに営農させていく。これが重要なんです。そういう条件を農林省はサポートしていく。上富良野とか美瑛には、もう変な小麦なんかまかせない。
 こういうところを「景観農業振興地域整備」。農林省って、いつもこういう長い名前です。わかんないでしょう。景観農振地区。景観と調和のとれた農業的土地利用を誘導するように、勧告を景観法に従ってする。例えば、棚田の畦畔(あぜぐろ)の石積みをきちっとする。それをやる時の「結(ユイ)」。集落全体で仕事をするのを「結(ユイ)」と言いますけれども、この結、つまり共同作業、これを支援するようなことを農林省も考える。そういうことです。
(図10)
 景観法を使うと、どういうふうになるかということです。これも、国交省のお墨つきのホームページに出てきていたものですが、一番典型的なのは、例の、内宮のところのおかげ横丁。これが従前、従後です。赤福のおやじが何十億か投入して、一生懸命直したところです。従前は乱雑な電線、雑多な屋外広告、電柱、ありました。その時の観光客は、平成4年で35万人でした。従後、赤福のおやじが頑張ったら、こういう四角い、つまんない建物から屋根も増えました。広告を制限した。無電柱化が進んだ。建築物の形態、意匠の誘導をやった。かなりよくなりましたね。そうすると、35万人が、平成14年、10年たったら300万人になった。増えたぞ。確かに増えています。おかげ横丁は非常によくなり、大成功ですね。
(図11)
 これは川越です。川越も従前、従後。同じところですが、電柱がよくないですね。乱雑な電柱、統一感のない街並み。従後、電柱がなくなっただけで、随分よくなっているんです。もう1つは、広告物を制限しました。これも平成元年で90万人が、平成14年で160万人。2倍に増えた。川越の有名な話です。
(図12)
 熱海は、実は現場に行くと、お見せするほど、こんなにきれいではないんです。ただ、こっちの状況をごらんの方、覚えていますか、熱海のテトラポットの山、ひどかったんです。お宮の松がこの辺です。この辺のホテルは今でも全滅です。でも、これに比べればまあまあ。港湾局は威張っているんでしょうけれども、これは、まあこんなものかなと。あんまり感激はしません。
(図13)
 今まで僕が何を言ったか、ということを整理しますと、景観法対象地域のイメージで、細かい図面で、後ろの席の方からは、わからないと思いますけれども、ここへ、カバ色の線がずっと書いてあるんです。このカバ色の線が景観計画区域。景観計画区域は、市役所の中で平場の水田のところと街の市街地のところ全体を入れて、そこの中で、なるべく電柱を少なくしたり、看板を少なくしたり、あるいは建て売り住宅を少なくしたりという誘導ですね。日本の役人が大好きな、直接厳しくとがめるより、届け出てきた時に勧告をするとか、誘導するという甘いコントロールですが、そこの中に赤い線が入っている。ここに2つ入っています。これは何かというと、「景観地区」。ここだけは景観地区に指定していますから、ここで建物を建てたり、あるいは道路を拡幅してもいいし、歩道橋を造ってもいいけれど、それは全部景観法に基づく市役所の景観審議会に提出をして、その審議会のオーケーをもらわなきゃいけない。ヨーロッパ的なところだ。ここは何かというと、お寺さんのところです。お寺さんの
前の門前町の建物を直すといった時、あるいは公園を直すといった時は、全部認定を受けなきゃいけない。建物はこういうふうに変えます、公園はこうしますと、全部認定を受けないと造れない。こういう場所です。
 もう1つ、ここの中で「重要」という言葉があります。例えば、景観重要建造物とありますね。これは何かというと、きっと昔の、小樽なんかで言えば日本銀行、三井銀行の小樽支店だったような古い建物。景観重要建造物。これは残しましょう。ここにも景観重要建造物。小樽で言えば、税関でしょうね。それから、景観重要公共施設とあります。公共施設、何だと言うと、波止場、埠頭、都市公園、これはきっと目抜き通りでしょう。道路。こういうふうにすると、景観重要公共施設の道路は、必ず街路樹は2列植栽にしなきゃだめです、歩道は8メートルにするとか、そういうデザインにしないとだめなんですね。都市公園も、都市公園法に基づいて建物を入れるなんてことはさせないぞ、そういうことです。
 景観重要建造物、景観重要公共施設。これは、とても大事なこと。それから、景観重要樹木とあります。独立です。景観重要樹木、景観重要公共施設、景観重要建築物。
全部、農林版、公共版、民間版であります。
 それから、もう1つ。準景観地区。これは山の中の温泉のような所です。温泉のような所でも、きちっと温泉の建て替えについては景観地区ですから、一々認定を市役所がして、1つ1つの建物の手入れをしていこう。
 それから、農村地域についても、ここの所の圃場整備をして、そこの中の、例えば稲わらをかけるような木が、秋田なんかにありますね、そういうのはきちっと残しておくとか、そういう手当てをする。こういうのが1つのイメージです。
(図14)
 これはディテールですね。さっき言いましたので、くどくど言いません。
(図15)
 農村景観のイメージです。

 これまでが景観法の説明です。景観をよくするためには、どうしたらいいか。
 法律では、建物を建て替えるとか橋を造り替える。公園を新しく造るとか、こういう時に造り方をこうしろ、ということを言っているんですけれども、それだけよくしたからといって、それで街の景観がよくなるかと言ったら、必ずしもそうではないと
思います。



5.美しい景観づくりについての私見

 レジュメに「美しい景観づくりについての私見」というのがあります。
 1番目、「遠景よりも中景、中景よりも近景…目線の範囲を大事にする」。これは何を言っているかと言いますと、相当危険なことを言いますけど、大阪の、例えば梅田北、これから再開発が進みます。梅田北のところに容積1200%とか1300%やって、超高層ビルが5〜6本建つでしょうね。その時の議論というのは、学校の先生方は、そこに超高層で200メートル、300メートルの建物が10本建った時の都市景観はいいか悪いか、という話をするんです。しかし、梅田北の空き地に超高層300メートルの建物が10本建った場合と、200メートルの高さのビルが15本建った場合と、どっちがいいかというと、どっちもいいとも悪いとも言えないですね。
 例えば、600メートルのビル3本と300メートルのビル10本と200メートルのビル15本で、梅田北の敷地のデザインをするとどうなるか。600メートル3本ですと、周り、森森(もりもり)になりますよ。これは、1つの街としては、ビルの周りが緑で森森ですから、使いやすいというふうになるかもしれません。あるいはならないかもしれない。200メートルの20本になりますと、緑は余りないですね。だけど、何となく200メートルというと、言葉のあやかもしれませんが、安心感がありますね。200メートルぐらいならどこでもあるからいいだろう。
 言いたいのは、遠景について、どれが絶対いいということは必ずしも言えないんじゃないかと思う。遠景はどうでもいいと言うと、言い過ぎかな。遠景は、なるようにしかならない。しかし、近景は気をつけろ。近景というのは目線です。道路歩いた時の一番近い時の目線は3階ぐらいですね。100メートルぐらい下げた目線は7〜8階まで見えますね。自分のテリトリーと感じるのは、大体50メートルぐらいです。あの建物嫌いだなとか、あの看板くそくらえと思うのは50メートルです。
 だから、建物の高さはせいぜい4階ぐらいまでで、目線の距離が50メートルぐらい、これぐらいの周りの色とかデザインについては、ものすごく気になるはずなんです。これは私見ですが、近景がいいか悪いかということについては、ものすごく慎重に議論して、それの感受性を養うということです。
 2番目は、周りのよい建物と庭を見習おうと言ったって、日本では余り成り立たない。周りにあるわけないんです。本当にそうなんです。周りによい建物と庭があるのは、昔の農村集落だけですよ。昔の農村集落の中の農家の庭先に、仮に新しく結婚した世帯のために30坪の家を造りたいという設計を、ある建築事務所が依頼されたといった時に、建築事務所のおじさんはどういうデザインをするか。勝手なことしちゃいけませんよ、ということです。必ず周りの集落の庭のつくり方、建物の作り方と一緒になるようにデザインしてくれ。
 だけど、今まで見ていると、町方の設計事務所のおじさんは、絶対そうはしてないですね。勝手なデザインしています。勝手なデザインをする一番の例は、新しい建物は屋根の勾配がめちゃめちゃですよ。昔の農村集落は全部屋根勾配も揃っているし、棟線もある方向に揃っていました。そこのところに一級建築士事務所、何野何郎デザイン、コンクリートの30坪ぐらいの新婚の若夫婦向けの住宅というと、屋根もつけない、裸のコンクリートむき出しで、自己満足の塊みたいなやつを造るんですよ。
 これが前出の「建築の教育とジャーナリズムは、芸術建築を育てることに主眼がある」につながってくると思います。
 「特に外構を美しくしよう」と書いてある。これはできそうです。外構はどうかというと、ぶっちゃけて言いますと、ブロック塀はやめてくれ、なるべく大谷石の塀もやめてくれ、金かけるならば、石を積んで上にしっくいの塀を造ってくれ、そういうことです。外構を大事にしよう。もっと安上がりならば、クリンプ金網にカラタチを絡ませてほしい。なぜか。カラタチは、次の防犯に役に立ちます。カラタチの木がクリンプの金網にビシビシに絡まったら、簡単に中に入れませんよ。カラタチは物すごく痛いですよ。バラもそうです。だから、一番いじわるするなら、ツルバラとカラタチをまぜて金網のところに全部やるときれいですよ。バラも真っ赤、真っ黄色。カラタチもきれい。こういう塀の後ろに建物を建てれば建物はいいかげんでも、まさに外構が美しい。
 「清潔で安全・安心な街づくりをする…防災と防犯は美しい街づくりになる」。これなんですね。さっき言ったブロック塀は、防災、防犯、両方なんです。ブロック塀は絶対外側に露出しないで下さい。建物の中の間仕切りに、ブロックの薄いのを使うのはいいですけれども。
 これも何回も僕は言っているんですが、ブロック塀は過去に3回か4回人殺しをしています。有名な話で、今から20年前でしたか、宮城沖地震で東北大学の化学の研究室から火事が出た時に、広瀬川のちょっと上ぐらいのブロック塀が倒れて、おばあさんが死にました。この間の玄界灘の時にも、ブロック塀が倒れて、そこの下におばあさんがいて、死にはしなかったけど、大けがをしましたね。
 昭和40年前のブロック塀の施工は、べらぼうに悪いんです。僕は現場を知っています。僕は、昭和30年代、個人住宅を設計して造ったので、知っているんですが、現場に行ったら、ブロックを積むでしょう。真ん中に穴があいていますね。そこへ鉄筋が入っているんです。もう一段積みますね。すると、職人が鉄筋を一段分ヒュッと上げるんですよ。わかります?(笑)要するに、鉄筋が下からずっとじゃなくて、一段分しかない。こういうことをやっていたんですね。今でも、そういう職人いるかもしれませんけれども。だから、そんなブロック塀は危なくてしようがない。
 それから、もう1つは、これはうまくいくかどうかわかりませんが、地方都市の中心商店街などで、建物と道路の間に昔は必ず水路があったんです。水路があってきれいな水が流れていましたね。ところどころに枡(ます)があって、枡から自分の屋敷に水を引き込んでいたでしょう。引き込んだ所に池を造って、コイを飼っていた。僕は、もう一回そういうことを考えていいと思っているんです。農業用水路なんかも、余り使ってませんから。
 だから、美しい街を造るという時に、建物はもう諦めました。どうでもいい、ろくなことないんだから。それなら外構で勝負。ブロック塀をやめて、金網とカラタチとバラ。それから水路で道路と建物の敷地を分離する。ブロック塀をとっちゃう。水路を造っておけば、いよいよとなった時に、火災の時に役に立ちますね。
 この頃、地方都市でも、昔つぶした、農業用水路に蓋をしたところをひっぱがしてもう一回出そうという動きがあちこちで出てきています。これは、とってもいいことだと思うんです。
 それから、言いたいことなんです。3番目で、「清潔で」と書いてあります。これは大事ですね。どんなに金かけた建物をいっぱい造っても、日本の都市に清潔感があるかというと、清潔感ないですよね。何でなんでしょう。みんなが、1人1人が、自由勝手におれの作品が一番偉いんだ、というつもりで造った集積は、清潔じゃないんですよ。どんなに金かけてても。清潔というのは、多分きっと、周りの両側に気をつけながら無駄なことはなるべく表に出さない。約束を守るように、単純である。こういうことが清潔なんでしょうね。
 街は単純、シンプルなものをベースにして、そこに、さっき言ったように、おれは並みの建築家、並みの都市計画家だから、そんなひっくり返ったようなことは絶対できないんだから、凡人の市民に対して安心感を与えるような街を造るんだ。それが、清潔の街です。そこに、「磯崎、おまえやってくれ。凡人が造ったところだから、おまえの建物は引き立つだろう」と。こういう任務分担があっていい。そういう任務分担を我々は持ってないんです。
 それから、4番目「緑と水は存在するだけで街を美しくする」。これはさっき言ったとおりです。東京農大の学長をやっていた進士さんという非常におもしろい造園屋。
この間、日経の経済教室に書いていましたけど、要するに、街を美しくするにはどうしたらいいか。四の五のと言っているけど、一番簡単なのは、木を植えろ。木を植えて建物を隠せば、街は美しくなると言うんですよ。(笑)かなりの真実ですよ。木を植えて建物を隠せば、街はきれいになるんです。絶対になるんです。
 それから、最後、これは僕の主張なんですが、屋根をかけて下さい。これは安藤忠雄も時々出しますけれども、銀座の飲み屋の屋根、変なチェーンストアのある、銀座の飲み屋の鉛筆ビルの屋根がありますね、あるいは渋谷の宇田川町の屋根。あの屋根の写真を撮ったら目も当てられません。みんな、それぞれ小さい設計事務所が、さも自分が一生懸命やりくりして造った、という鉛筆ビルの集積体ですよ。みんながいいと思ってやっている。いいと思ったら、とんでもないグロテスクな状況を造っているんですね。
 何で屋根がなくなったんですかね。かわら屋根じゃなくても、何でもいいんですよ。スクリーンのような屋根でもいいんです。屋根を造るというのは、1つの建築の行儀作法だったんじゃないかと思うんです。それをある日突然、屋根がないのがモダンな生活だと、みんなはき違えちゃったんですかね。
 皆さんも、ヨーロッパへ行って、街の広場の真ん中の教会の屋上に行って写真撮りますね。みんなきれいな屋根ですよ。その写真持ってきて、東京で家族を集めて「きれいだろう」とやっているんですが、それで翌日銀座かどこかへ行ってみると、とんでもない街ですね。
 これからパワーポイントをお見せします。早稲田大学の建築教室の尾島研究室で、僕は面倒を見てもらっています。今日手伝ってくれている彼女は梶川君といって、大学院生です。ある日、僕は早稲田の尾島研の大学院生の前に行って、「金渡すから、おまえら、家へ帰る時のついでに、一番汚いと思うものを何でもいいから撮ってこい」と言ったんです。その前にある程度ガイダンスしておいたんです。「何でもいいからと言ったって、ただがむしゃらじゃないよ。汚いと言ったって、汚さというのは区分があるよ」と言っておきました。その汚さの区分のアウトラインは、今月の文藝春秋の8月号に出ています。
 大学院生が25〜26人、僕の意を体して全国に行って写真を撮ってきまして、集まったから、「点数をつけろ」と言ったんです。「おれは嫌だよ。若者の感覚で点数つけろ」。点数つけました。ベスト25じゃない、ワースト25。「最悪25例」というのを選びました。これは6月1日の日比谷公会堂で、2000人の聴衆の前でご披露しました。特定の町の名前と特定のメーカーの名前を、はっきりと言いました。覚悟して、訴えてくれるかと思ったんですが、まだどこも訴えてないんですね。(笑)訴えてくれれば、おもしろいと思っているんです。



6.汚い街づくりを点検し、それから教訓を引き出そう。 ワースト25選を紹介。

(図20)
 それを、これからお見せします。
(図21)
 25あるんですけど、学生が「先生、25やると飽きちゃうからワースト10をまず選ぼう」。その後に残りの15があります。これは、19点で21位。僕が絶対外へ出せ、と言ったんです。21位じゃなくて、僕は3位か4位にしたいんです。わかりますか、「切り込みの強い街路樹」。これはプラタナスです。福山市です。こういうのって、地方都市でどこでもあるんです。そしたら、この間、日経に出ました。日経の夕刊か何かに。それはもっと下の方でちょん切っちゃっている。(笑)そんなところでちょん切っちゃって、街路樹だって言う。なぜかと言うと、市役所で金をけちるのに一番いいのは、街路樹の植木屋の剪定作業の金をけちることだそうです。とんでもないですね。役人の給料削った方がよっぽどいいのに。これを切っちゃっても街路樹って強いから、また若芽が吹き出してくるんです。死なないんです。ですから、丸太ん棒を植えているような。(笑)笑い事じゃございません。地方都市全部これですよ。東京の町中もそうです。これは、ひどい。福山市です。
(図22)
 これは新幹線から見える野立て看板。どこにでもあるんです。これを僕は御三家と言っているんです。新幹線とか鉄道、高速道路沿いを行くと、「タンスにゴン」「コスメティック727」「穴吹工務店サーバス」、これが御三家です。
 これを、この間説明していましたら、おもしろいことを言っていましたね。静岡県は、新幹線の沿線のこういう野立て看板を禁止したんだそうです。だから、静岡県に入ると、これは目立たないと言うんです。県ごとに違うようです。東北新幹線で栃木や福島に行くと、幾らでも出てくるんです。ところが、東海道新幹線の静岡のところはない、と言っていました。そうすると、愛知県とか神奈川県はまだある。どうしてこういう差があるんだろう。これは何とかつぶさなきゃいけない。
(図23)
 次、13位。24点。これ、どこだかわかりますか。この建物知っていますか。これは、さる有名な工務店の新社屋の近くです。新社屋へ入る道路の手前に貸し駐車場がありまして、そこにこれだけいろいろな看板を張っていて、これで何とも思わない。有名な建築デザイナーも何とも思わないでここを通っている、という無神経さがひどいですね。建築家って、およそそんなもんですかね。(笑)ひどいでしょう、これ。「パーキング」「月極募集中」「乗務員募集」、おまけにマンションですよ、「モデルルームここ左折」「試験場近道」。こういうことが、当たり前にやられているんで
す。
 景観法で家を建て替える、橋をよくする前に、こういうものを直すだけで、清潔感というのはずっと出てくるんです。これを直す方が早い。これを直すためには、みんなが目をつり上げて、街の中を棒でも持って歩き回ればかなりよくなるはずですね。
(図24)
 これは、わいせつ物何とかに該当するんです。商店のはみ出し陳列ですね。これ、何だかわかりますか。ブラジャーです。ショーツ、パンティ、これを人前はばかることなく、豊島区の池袋では外へ出しまして、こうやって「どうぞ、どうぞお買い下さい」って、恥も外聞もないですね。もうちょっと品よくしてくれないか。
 もう1つ、「激安携帯」、こういうのは全部道路にはみ出しています。チェーンストアの薬屋。これも全部道路に品物を出しています。地元の薬屋は出していません。
(図25)
 これが大問題です。電線地中化というのは、偉い人が来た時にお見せする駅前通りとか、市役所の前の通りの電線は地中化しました。しかし、そうじゃなくて、市長さんが酔っぱらって家に帰る、やれやれといった時に、商店街を通るような道を朝見ると、こんなになっています。要するに、生活道路の上の電線というのは、こんなのがあっちこっちにあります。これ、このままでほっぽっといて、周りの建物がよくなったって、街は全然よくならないんです。街をよくするのは、建築家の責任じゃなくて電気屋だと。電力会社や、電事連が徹底的にお金を出して直していかないと、街はよくならないということです。あからさまに言っています。
 電線地中化の共同溝というのは、道路局が母親的なので、道路局がいっぱいお金を出して、電気屋は、ほんのちょっとお金を出して、造っていますが、ある都市計画のコンサルタントの人は、こういうことを言っています。「道路局の母親心もいいけど、実は電気料金の何%というのをきちっと、こういうところの電線地中化の金に使え。我々が払う電気料金の1%でもいいんだ」と。今1軒でどれぐらいですか。毎月1万円ぐらい払っていますか。1万円払っていて1%というと100円。それを何万軒でも何十万軒でも集めて、毎月やれば相当のものです。だから、皆さんの痛みを感じる電気料金自体を、電気屋も徴収したらきちっと使わざるを得ないということで、生活道路の上の電線をなくすのに使ってくれ、ということです。道路局だけに、おんぶにだっこじゃなくたっていいだろう、という論文を出している都市計画屋がいました。
 これ、10位です。27点。
(図26)
 7位。これはかわいそうなんです。大牟田。大牟田という街は、どうしようもない惨憺たる街で、全部シャッター通りです。しかし、惨憺なんだけど、このアーケードぐらいとってくれてもいいんじゃないか。大して金かからないです。とってくれたらまだ少しは明るくなって、ネクラでここを通らなくてもいいだろう。ちょっとした気の使い方ですね。明るくなるんですよ。こういうアーケード街があって何とも思わないという感覚を、大牟田市の市役所の景観とか道路担当の人たちが持っていると、こういうことになるんでしょうかね。
 まさに感受性の問題なんです。我々は今まで、30年、40年こういう都市づくりをしてくると、これはおかしいじゃないかという感受性がなくなっちゃっていた。こんなもんかと、さっきの街路樹もこんなもんかと、憤らなかったんですね。これも壊して欲しい。
(図27)
 次、5位。これ(のぼり旗)はどこにでもあります。歩道の間のセパレーターのところにある旗です。これ、あのチェーン店でしょう。半額何とか、フレーム、レンズ、眼鏡屋、ランチタイム、普通の光景ですよ。普通の光景ですけど、これを残しておいて、他のデザインよくしたって、全然街はきれいになりませんね。
(図28)
 これ、さすが堂々4位です。日本橋川の上の高速道路、40点。やっぱり早稲田の建築の学生は立派ですね。これは悪い、社会正義に反する。国家がどうであろうと、これは悪いということをはっきりと主張して4位です。
 この間、この写真を小泉総理に見せました。小泉総理が「いつ、これ直すんだね」と言うから、「すぐできます」と言ったんです。「どこでやれるか」と言うから、「ちゃんと、ここのところの民地と道路との下で、高速道路は下へもぐらせますよ」と言ったら、「考えろ」と言って宿題もらいました。小泉総理も、この写真見ています。皆さんが見ていると同じ写真です。
(図29)
 学生の感受性って、すごいと思いました。これは住宅地です。多分、準工業地域でしょうか。埼玉県八潮というのは、例の、つくば鉄道の秋葉原発北千住経由、柏の葉公園経由、つくば行きの八潮駅というのがあって、その八潮駅の近くの、ここは本来田んぼです。地目はまだ田んぼのはずです。田んぼの所に、産廃をこれだけ盛り上げています。八潮の駅を降りると、こういうのがあっちこっちに目につきます。八潮というのは暴力団の巣なんですね。暴力団と役に立たない田んぼが結びつくと、こういう産廃を盛り上げる場所になります。ですが、これは地目が農地ですから、農林省の方は何も文句は言えない。環境省が何かしなきゃいけない。これはひどい。これは2位です。立派なものです。住宅地近くの産業廃棄物。絶対けしからぬ。
(図30)
 これが1位です。駅前の消費者金融。場所は、栃木県宇都宮市の駅前です。宇都宮市の西側の古い駅前です。ここで何がいけないか、もうおわかりですね。まず、駅ビル4階建てです。4階建てビルの上に2階建て分ぐらいの「黄桜」の広告がのっています。「コカコーラ」と「アイク」を足すと、このビルと同じぐらいの高さになります。「アコム」すごいですね。ここは「クレジットアイク」「アイフル」「クレジットアコム」。消費者金融そのものです。ここも「プライム」。全部消費者金融。あとは「ミスタードーナッツ」。これはまあまあ許せるでしょう。これが全部、建物の表のガラス窓と腰壁に、べた張りしているんです。これで、こういうことになっちゃう。僕は、こうじゃなくて、窓の後ろにパネルを置きまして、パネルに「アコム」とでも書いて、その前に窓があれば、まだ許せると言うんです。それをイケシャーシャーとこうやる。何を言いたいかというと、景観地区で定めた所では、建物の外壁もガラス窓も公共財だ。建物のガラス部分、これは公共財だ。そこに変なことしたら、すぐそれをやったテナントと地主はしょっぴく。そういうことをやるべきだ。これは52点です。
 あと、番外を幾つかお見せいたします。
(図31)
 25位。ワースト25の一番点が低かった17点ですけれども、これはご存じだと思います。麻布十番の古川沿いの細長いビルです。どうしてこういうビルを建てちゃうんでしょうか。結局、これ、全部空き家。お客さんついてないですよ。注文があるから建てる。地主の注文というのは、せいぜい4〜5年先の注文ですね。建築設計事務所、一生懸命それに合うように建てる。周りのことなんか気にしない。15年、20年経つと、建主はそれを売っ払って世代交代する。しかし、設計事務所のおやじが建てた、この建物だけ残るんです。だれが責任をとってくれるか、という話。
(図32)
 これは(線路高架下の車道)同情に値するんですが、とにかく、「桁下制限」のマークが余り気に入らないというのが学生の感覚です。24位。これは、大したことないです。
(図33)
 これは、何を言っているかと言いますと、これ、割合きれいな農村集落と私は認識したんです。しかし、写真に撮ると必ず電線が入ってきているんです。農村集落の電線というのは、さっきの街の中の生活道路の電線よりは多分そんなに回線数が入っていませんから、地下に埋めるのも、安く、単純に埋められるはずです。ですから、非常に皮肉なことを言うと、日本全体の風土の景観をよくするということで、一番やれそうなのは農村集落に立つ電柱を地下に埋めるということ。農林省がその気になればできそうなんです。なぜかと言うと、農林省は、あらゆることに全部使える小金を持っています。農林省が決断すると、電力会社がどうであれ、道路局がどうであれ、電柱を全部、農村共同溝とか農村公園とか、全部「農村」という名前をつけて造っちゃいます。(笑)何でも「農村」がつくんです。そうすると、農林省はやれるんです。
 ですから、これは農林省の農業土木系のお金で電線地中化をする。電柱がないと、非常にいい景色になるんです。
 これは、たまたまこうなんですが、例えば富山の散居村。散居村の電柱なんて絶対よくないです。散居村の美しい景色の中に必ず電柱が入りますね。
(図34)
 これは神田川です。情緒があると言えばあるんです。昔の神田川のフォークソング。しかし、3面張りの非常によくない護岸になっています。今や、絶対直さなきゃいけない神田川ですね。
(図35)
 これは、僕よく言うんです。郊外に行くと必ず目に付きます。この建物は2階ですが、2階の上に3階か4階建ての看板が出ています。どうして、こういうものを許すんですかね。こういう建物でひんしゅくを買うのはやめるということを、アジテーションのビラをまかないで、テレビもお呼びもないですが、あちこちでわめきたくなるぐらいです。19位。
(図36)
 これは、言いたいことがあるんです。宝くじがよくない。何ですか、このデザイン。池袋。(笑)もし、フランスのパリの宝くじ売り場だったら、絶対こんなデザインしないですよ。しゃれたエスカルゴのような形とか繭玉、シルクウォームの形。物すごくしゃれたデザインしますよ。それを総務省、自治省系のやつらって、全くそういうことを考えないで、ただ、宝くじ、宝くじ。あっちこっちにあるんですよ。これ、役人の犯した最も悪い罪。自治省の役人はデザインセンスがない、と思いませんか。ひどいと思わないでしょうか。こんなもんでしょうか。よくないですよね。これに、人が並んでいるんです。
(図37)
 これは、早稲田の女子学生に徹底的に点が悪かった。ラブホテルの上に、何でニューヨークの自由の女神があるんだと。(笑)早稲田の女子学生は最悪の点をつけました。「ラブホテルというのは目立たなく行く、恥じらいを持って行くところなの。こういう自由の女神で、ここだ、ここだというのは、若い男の学生の気持ちだけを考えている。私たち何でこんなところに行くのよ」(笑)と言う。拒否権発動で、早稲田の女子学生は1位。何で、こんなものを許すんですかね。これ、17位。
 日本の建築規制というのは、デザイン的に何も規制してないんです。だから、外国の建築家が東京へ来てデザインすると、何でもできるというんで、うれしくてうれしくて、しようがなくなっちゃうんですね。
(図38)
 これは考えはいいんですけど、余りにデザインがひどいんじゃないでしょうか。お寺さんの中の保育所です。黄色は目立つということなんですが、黄色じゃなくてもいい。全部を鉄骨のパイプのフレームで造って、アーチだって鉄筋を適当にやって、おまけに刑務所にある鉄格子みたいなやつをやって、後ろも鉄格子で、おまけにフジ棚の真っ黒いのを載せて、隣にとんでもないデザイン。こういうデザインをやる建築家に頼む、ということ自体よくないんです。こういうデザイン。わかりますか、こういうデザイン。これで建築確認申請通っちゃうんです。許しちゃいけないんです。せっかくのお寺さんの横の保育所が、こういうひどいデザインをしている。許せないというので、16位。21点。
(図39)
 これは商店の立て看板。これ、よくやりますね。どこでもやります。携帯です。
(図40)
 これは渋谷です。渋谷川です。渋谷川に挟まれた細いビルです。東横線がこっちを通っていますから、渋谷のこの辺は、いずれ再開発になると思います。余りに、この渋谷川ひどいですね。渋谷川を何とかしようということで、私、この間、尾田榮章という人と座談会をやりまして、中央公論に出ますので、よかったら読んでください。今月は、文藝春秋と中央公論と両方に僕、ふんまんの塊を吐き出しています。
 ひどいでしょう、この渋谷川。これで何とも思わないんですかね。本当にひどいです。14位。
(図41)
 電柱の無許可看板。これは、ここよりも、伊豆なんかに行きますと、伊東から伊豆高原に行くドライブウェーの電柱に差し看板が出ます。「別荘売ります」とか「普茶料理」「アジが安い」。せっかくの美しい公園道路のような所に、鉄筋の先をとんがらせた旗を張って、ダーッと並べているんです。これも、現場をつかまえて縛り首にしたいぐらいです。(笑)
(図42)
 これは、さっきの悲しい大牟田。悲しいんですけど、これ(廃れたショッピングセンター)、壊すのだって、きっと1億円かからないですよ。ここまで来ると、こういうのをほっぽっておくこと自体が罪ですね。多分、5000万円ぐらいで壊せますよ。 ところが、これ、家主の了解を得なければ壊せないでしょう。家主の了解を得なきゃ、お化け屋敷でも日本では壊せません。壊したいですね。
(図43)
 これは皆様方おなじみ。ゴルフに行った時に、インターチェンジを降りると、すぐにこういう温泉とか宿屋の名前、ゴルフ場の名前が、ダーッといっぱいあります。この汚さのレベルに揃えて、お土産という店屋が並んでいるんです。この頃の自動車はGPSがあるでしょう。GPSで、ゴルフ場とかお土産屋はどこにあるか、全部車の中でわかるんですよ。これは全部要らなくなるはずです。これなんかは田園景観を壊す最たるものです。この頃、僕たちゴルフ場に行くなんていうと、馴染んじゃっていまして、そうおかしいものだと思わないんですけど、学生から見ると、8位ですから相当高い。おじさんの不潔感の塊だと言うんです。
(図44)
 これは、ビルの屋上の設備機器。池袋ですが、渋谷でも新宿でも銀座でも全部そうです。これ、建築設計事務所の所業の塊です。ひどいのは、建築事務所じゃございませんが、こういう所にビルの倉庫を造ります。倉庫の横っちょに、時々、土曜の夕方は生ごみを集積します。夏になると、臭いがプンプンです。月曜になると、生ごみを下に下ろします。物置、生ごみ、ウォータータンク、空調機、ダクト、こういうのが鉛筆ビルの屋上の1つ1つにあるんです。こういう集積を造って街が美しいか。絶対美しいわけないですね。このダクトだってひどいですよ。どこかの事務所がやったんです。だから、いい街を造るという問題の根は物すごく深いんです。
 僕は、ここまでやると大変ですから、やりたいんですけど、ここまでやらなくてもできることはある。「汚い景観をなくすのは」というので、次行きましょう。
(図45)
 例えば、こういう旗をなくす、放置自転車をもう少しきれいに歩道の上に置くやり方が、この頃あります。タイム24というのは、自動車をコンピューターでコントロールします。あれと同じように、自転車もコンピューターコントロールでカチッときれいに揃えて置くような、そういう有料駐輪場ができているんです。そういうものを、例えば道路を管理している道路管理者が歩道上に、6メートルの幅員だったら置いておいていいんですよ。
 あるいはここで言いますと、自転車を突っ込んでいるここの所に、街路樹の低木の植え込みがあるんです。街路樹、プラタナスが立っているでしょう。造園屋というのはその下にツツジ、サツキ系の低木を植えるんです。低木を植えて、そこにユリの木とかプラタナスという大きい高木を植えるんです。大体低木は手入れが悪いと、ひどく汚い場所になります。ごみを投げたり、あるいは低木は皆さんに押しつぶされて減ってなくなってしまう。それならば、低木を植えるのをやめろと言っているんです。
 ヨーロッパで、低木と高木を植えている道路なんてないですよ。低木と高木を植えるんじゃなくて、低木はやめろと。やめると、道路幅で1メートルぐらいは得します。
低木がなくなりますから、その低木のなくなった所まで自転車は突っ込めます。自転車は大体1.7メートルぐらいで納まるんです。そこに、今言ったコンピューターコントロールの、きれいな駐輪施設を置けば物すごくよくなる。そういう知恵が幾らでも使えるんです。そういうことで、街はかなりよくなる。


 そろそろ結論にいきますが、最後に私が申し上げたのは、美しい街を造るということもいいけれども、美しい街はなかなか時間がかかって造れないんですよ。本当に時間がかかります。金もかかる。しかし、汚い街をなくそうというのは、そんなに時間がかからないはずです。金もかからないはずです。あるいは汚い街をなくせと言った時に、それに対応する、場合によっては、業者は複数でなくたって済むかもしれない。例えば、電柱なんかそうですね。電気屋が覚悟すればいいんです。電気屋という巨大資本のために、みんなが汚いと思っていることを電気屋は汚いと思ってないんです。こういう常識は直さなきゃいけない。だけど、それは金はかからないんです。
 それから、さっき言った広告ですね。駅前広告。あれだって条例を厳しくして、「駅前景観地区の建物の外壁のガラス窓は公共財である」と一言書いてしまえば、知ったこっちゃないですね。あとは、しょっぴけばいいんですから。
 僕は、しょっぴけばいい、しょっぴけばいいと言っていますけど、何でずっと言っているかというと、景観法は、初めて街づくりに対して厳しい強制力を持つことができた、ということです。基準法よりも。都市計画法なんて何の強制力もないです。ブタ箱へなんて入れられないですよ。基準法もそうでしょう。それに比べれば、景観法は極めて厳しい強制力を持つことができる。これを、市民で積極的に街をよくする人たちには有効に使っていただきたいということです。
 あと、つけ足しですが、前に申し上げたかな。去年の1月に、小泉総理のメールマガジンで、6〜7回エッセイを書きました。今でも語りぐさになっているんですが、メールマガジンを3人で、1人平均6回書きましたから、20回のエッセイが出たんです。3人。慶応の島田某というおじさん、すぐ怒るおじさんがいます。それから東大の総長になった小宮山さんという人と僕と、3人で。その時の僕が書いた初めのエッセイが、電線を取っ払おうというもの。生活道路の上のクモの巣のような電線は、何とかみんなの声を大きくして取っ払おうということを書きましたら、それに対する国民のヒットというのは、べらぼうに多かった。総理のメルマガ発足以来、エッセイに対するヒットで一番多かったというんです。
 その時、つくづく思いましたのは、専門家の世界では電線を地下に埋めるということは、もう十何年も前からくどいほど言われているんです。それについて、シンポジウムをやったり、学会論争をやったりしているんです。だから、今さら何だということですが、普通の人が知らないところで、専門家は自分の傷を自分でなめているようにしてやってきた。学校の先生とか役人とか、専門家といわれる中だけでしか、問題の答えを出そうとしていない。そうじゃなくて、電線の地中化とかそういうのは、非常に単純、素朴に、専門家の枠から外にワーッと出さなきゃいけない。単純なんです。専門家が四の五の屁理屈をつけるよりも、もっと単純なんです。
 そういうことを感じました。これこそやらなきゃいけない。去年は、たまたま電線地中化の5カ年計画の改定だったというので、それをきっかけにして、平成16年の4月からの5カ年計画の電線地中化の予算は2倍近く増えた、というんだそうですけれども、でも、生活道路にまでは言及されていません。ところが、幸いなことに、この景観法で景観計画地域の中では、景観形成上重要だと思う道路については、きちっと指定すると、その道路の電線は地中化できるということになりました。これをうまく使って、農村集落の電線とか生活道路の電線をなるべく地中化するということを、まさに公民挙げて努力する。電気屋ときちっと対決する。そういうことをやらなきゃいけないんじゃないか、と思っているんです。
 特定の企業を責めるわけじゃございませんが、とかく日本というのは公、官は、いじめられていますけれども、民という中での大組織、電気屋とか鉄屋、自動車、こういう大組織に対して、きちっと批判をやるということを、街づくりについて一歩我々は引いているんじゃないかと思うんです。そういうところを改めて考え直すということで、この景観法というのは、極めて重要じゃないかと思います。
 例えば、さっきありましたけれども、ボーダフォンの携帯の看板を、何であんなに見苦しく街の外へ出して売ろうとしているんでしょうか。あれなんかも、非常におかしいですよ。
 2番目に申し上げたかったことは、さっきの街路樹です。これは全くひどいです。街路樹も、小泉さんのメールマガジンで書きました。すごいヒットがありました。特に奥様方が、本当に街路樹はひどいと。何のために、役人はあれを切っているんだという話がありました。
 これも去年の1月ですが、副大臣会議の話題になりまして、結論はどうしたかというと、国道の街路樹については、国道が所属する市町村、例えば下関市とか横須賀市とか、その市長さんが、国道の街路樹が余りに見すぼらしいから、これを変えてくれと言った時には、あるいは剪定について考えると言った時には、それを管理している国道事務所とか関東地方整備局とか中四国地方整備局は、国道に関しては街路樹の維持管理をきちっとやる。なるべく無剪定にして、夏には涼しい木陰を作るようにするということを決めたんだそうです。
 ところが、これは国道なんです。県道と市道には関係ないんです。そのことを国道に関して決めたのは平成16年の4月ですが、その後、去年の9月でしたか、それについてちょっとした笑い話がありました。それをわめいていましたら、小泉総理は横須賀選出なんですが、横須賀には357という国道があります。軍艦三笠のところから浦賀の方へかけて、東京湾の所の海岸縁の15〜16キロ国道のバイパスがあるんです。それを、横須賀市は1万メートルプロムナードと言っています。その1万メートルプロムナードは、357のバイパスなんです。そこに、ヤシの木か何かのひどい街路樹があった。それを総理はやっぱり気にかけてたんですね。「あの伊藤のエッセイが出たけど、横須賀もひでえもんだな」と一言言った。「直せ」とは言わない。「横須賀の1万メートルプロムナード、あれもひでえもんだな」と言った途端に、関東地方整備局が駆けつけてきて、357のヤシの木を全部引っこ抜いて立派なヤシの木に植えかえて、無剪定の努力を去年から始めていると言うんです。
 馬堀通り、横須賀行って軍艦三笠の所から1万メートルプロムナードを散歩して下さい。非常にいい街路樹が植わっているそうです。ただ、総理はそれについて指示は絶対してなかったということですが、役人というのはすごいもんですね。以心伝心で。それはちょっとした話です。
 私の事務所は、渋谷の公園通りというところにあります。去年の9月に、物すごい残暑の時に、公園通りのパルコの辺から、バサバサ木を切り始めたんです。ひどかったです。頭に来まして、慌てて渋谷区役所に電話しました。土木管理課課長が出てきたんです。「申しわけないんですけど、僕は公園通りのマンションに住んでいる者なんだけれども、何でこの9月の暑い時に日影をなくすように木を切るんですか」って、聞いたんです。そうしましたら、「いや、それは東京都が出した樹木の剪定についての手引き書に書いてありまして」、2回切るんだそうです。「なるべく9月の初めと春先か何か、そのとおりやっております」と言う。「ばかなこと言うんじゃない。だって、9月は暑いんですよ。暑い時に何で切るんだ」。そのとき思ったんです。そうか、街路樹というのは、街路樹を日影にして通りを歩く皆さん方のためにあるんじゃなくて、きれいに見せようという役人のくだらない美的センスで、チョボチョボと刈り込む、そういう技術者の満足感を満たす道具であるのと同時に、2番目には、そこに店を構えている連中の都合によって切るんだ。要するに、最後に、金を払ってファッションの着物を買ったり、本を買ったりする消費者のためじゃない、ということを私は身にしみて感じた。街路樹を維持するのは何のためか。役人が手引き書で、役人のつまらないデザイン感覚で、そのデザイン感覚というのは、環境が悪くなる前の50年も60年も前の感覚です。それと、あとは、そこへ店を張っているおやじのための都合ですよ。
 こんなサービスやっていいのかというので、頭に来て怒りました。しゃべっているうちにだんだんカッカッと来て、どなりつけたら、「先生、あそこは国道じゃございません。区道だ」って言うんです。「区道にはまだ通達が来てません」「わかった。じゃ、通達来てないけど、とにかく聞くか聞かないかわからないけど、あちこちしゃべりまくる」と言いましたら、翌日、僕の家のマンションの街路樹の刈り込み方はチョッチョッチョッと、本当にチョッチョッチョッです。(笑)その結果がどうか、ぜひ公園通り、今日の夕方でも散歩してみて下さい。チョッチョッチョッの方がずっとこんもりしています。無剪定型の方が、ずっと日影を作っています。
 ですから、技術屋って、一体何だということなんです。建築屋も都市計画屋も土木屋も造園屋も一体何だ。単なる今までしょってきた技術だけを持って、自分の狭いギルドの中で議論をして、自己満足でいっているようなことじゃ、もうだめですね。やっぱり、アンテナがきかなくなってきた。我々のアンテナが。もう一回、世の中が何を求めているかというアンテナを若々しくしないと、技術屋は信用されないという時代に来たということでございます。
 雑談を最後にして申しわけありません。これで終わります。(拍手)



フリーディスカッション

與謝野
 
伊藤先生、ありがとうございました。それでは少し時間がありますので、ご質問なりがございますればお受けいたします。また、この後、伊藤先生を囲んでの懇親の場を用意しておりますが、今この場でお伺いしたいことがございますれば、遠慮なくお申し出いただきたいと思います。
伊藤
 どうぞ何でも聞いてください。
牛村(ベリーランドスケープデザイン)
 先生のご意見を伺いたいんです。最近、役所とか住民説明会でよく聞く意見なんですが、落ち葉が汚いので落葉樹はやめて常緑樹を植えて、なんて話を聞くのですが……。
伊藤
 ばかなこというなと言うんですよ。
牛村(ベリーランドスケープデザイン)
 役人の方だけじゃなくて、住民の方からそういう意見が出る。
伊藤
 そうなんです。住民が一番ひどいんですよ。本当にそうなんです。景観法は住民の傲慢不遜なところもおかしいぞ、と問いかけているんですよ。私が、それを一等初めに感じたのは、今から25年前です。岡山市で、岡山城公園の所にしゃれた外堀があるんです。川がずっと回っている。そこに、本当にすばらしい散歩道がありました。そこに木造の岡山の2階家。1階が高くて2階が狭いんです。長屋がずっと並んでいる。そこの前の街路樹は、もう坊主ですよ。丸太ん棒。何でこういうことをしたかと言いましたら、長屋の12〜13人の中に、1人とんでもないおばあちゃんがいたんです。そのおばあちゃんが、そこの仕切り屋なんです。70ぐらい。かなり頭に来ているんですが、口だけ達者になっちゃったおばあちゃん。僕みたいなもんですよ。(笑)それが、冬になると街路樹の枝で2階にお日様の入り方が悪くなる。だから、お日様を入れやすいように街路樹を切ってくれと、すごい勢いで市役所にねじ込んだんだそうです。それについて「おかしい」という役人はいなかった。それで、そこのところだけ、街路樹を下の方から全部切っちゃった。おばあちゃんのところに多分日が入ったんでしょう。しかし、おばあちゃんの部屋に日が入るということと、問題は街路樹は、一体誰のためにあるかということ。そこを通る人のためにあるわけです。
 農村でしたら、国道に対してどこからどこまでは誰が責任を持つ、という名前まで書いたやつが今でもありますよ。田舎では、その人は与えられた区域について、きちっと責任を持って、落ち葉の整理から側溝の手入れから全部やっているんです。それが都会に来た途端に、そういう傲慢不遜なおばあちゃんが出たり、落ち葉はだれが掃くんだってことになる。当たり前ですよ、住んでいる連中が掃けばいいんですよ。
 そこで、僕なんかが思うのは、落ち葉は掃かないで、自分で転んで頭打ってやろうと思うんです。誰の責任だと言ってやろうと思うんです。おれの責任なのか、落ち葉を掃かない前のおばさんの責任なのか。役所の責任なのか。裁判しようかと思うぐらいですよ、。本当に。
 これからは裁判の時代です。だから、さっきいったように、僕も、汚い景観として話題に取り上げた各社から訴えてほしいと思って待っているんですけど、訴えてくれないんですよね。行政がきちっとこういうことについて、ある裁決をする、そういう時代を、我々は要求しなきゃいけないと思うんです。
 落ち葉は、前の人間が掃かなきゃいけないんですよ。農村だったら常識ですよ。都市へ来た途端におかしくなるということです。
 今回は、怒る話ばっかりで申しわけございません。
石渡(元気堂)
 先生のお話の中で、遠景より中景、中景より近景というのがありましたが、京都に住んでいる社会心理学の先生が、京都は遠景が見えるからノイローゼが少ないとおっしゃっていました。
伊藤
 山が見えるからね。
石渡(元気堂)
 話の筋が違って、すりかえちゃっているんですけれども、美しい遠景、山が見えるというのは当然いいと思いますね。
伊藤
 言っておきますけど、遠景、中景、近景は、全部建築物、土木工作物で、自然物はないです。自然物はすべていいですよ。遠景も中景も近景も。だから、遠景、中景、近景は、土木工作物と建築物だとお考えいただいて下さい。
石渡(元気堂)
 それが聞きたかったんです。
與謝野 それでは、時間も過ぎましたのでこれで本日のフォーラムをお開きにしたいと思います。今日は、景観法における住民の自律性をはじめとする基本的な意義をはじめ、今後の景観運営に取り組む上での基本的な心構え、さらには罰則規定をも含むこの法律の成熟性等について、具体的に良い事例悪い事例を率直に取り上げられて改めて理解を深め再認識を促されるという、非常に示唆深いお話の数々をお聞かせいただきました。ありがとうございました。
 それでは、ご多忙のところをまたお疲れのところを、私達に貴重なお話をして頂きました伊藤滋先生に対して、最後にお礼の気持ちを込めての大きな拍手をお願いしたいと思います。(拍手)。ありがとうございました。





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