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第215回都市経営フォーラム

『清流の街がよみがえった』

講師:渡辺 豊博  氏 特定非営利活動法人 グラウンドワーク三島 事務局長

日付:2005年11月17日(木)
場所:日中友好会館


1.変わり果てた「水の都・三島」の水辺自然環境

2.源兵衛川再生物語

3.地域力を結集・グラウンドワーク活動を導入

4.NPO活動・組織基盤の強化と発展に向けて

フリーディスカッション



 

 

 

 

 

與謝野
 それでは、本日の第215回の都市経営フォーラムを開催致します。
 本日のフォーラムは、これまで開催して参りました「水辺空間」「水」というテーマでの連続企画講演の第3回となります。
 本日の講師には、静岡県の三島市のNPO法人グラウンドワーク三島で事務局長を務めておられ、また静岡県のシンクタンクで、財団法人静岡総合研究機構研究室長を務めておられます渡辺豊博様にお願い致しました。
 さて皆さん、「グラウンドワーク」という活動をご存知でしょうか。サッチャー政権の頃に英国で発足しました環境改善活動の呼称です。渡辺さんは、日本におけるその活動の第一人者であられ、日本でのミスターグラウンドワークとして自他共に認めておられる方でもありまして、愛称「ジャンボさん」とも呼ばれ、実践的かつ具体的な市民運動の意義と楽しさとを「右手にスコップ、左手に缶ビール」というユニークな合言葉のもとに、これまで誠に多くの市民運動を指導して来られた方でいらっしゃいます。また、全国各地のグラウンドワーク実践地域との広域的なネットワークの形成等、さらに市民運動の実践者のトレーニング、養成等にも長年尽力して来られた方でもあられます。
 本日の演題は「清流の街がよみがえった」と題されまして、ご自身が取り組まれました「水の都・三島における源兵衛川の再生」事業の経緯等のご紹介をはじめ、市民運動・住民運動の実践における基本的な心得と行動ナレッジ等について、非常に具体的で一瞬ドキリとするような本音の例え話と苦労話なども交えながら、貴重な教訓を披瀝していただけるものと楽しみにしております。今回は、連続企画してきました水辺空間再生テーマの講演の「実践ナレッジ編」シリーズとなります。
 前置きのご紹介はこれぐらいにいたしまして、ご講演に入っていただきたいと思います。それでは渡辺さん、よろしくお願いいたします。(拍手)
   
渡辺
 渡辺 ご紹介いただきました渡辺でございます。よろしくお願いいたします。
 静岡県の三島というところから参りました。今日は非常に清々しい天気でございまして、私の家からも富士山が非常によく見えます。特に箱根の高台に家がございまして、私の便所からおしっこをしながら目の前に富士山がバーッと見えて、朝からクラクラしている状況でございます。



 

1.変わり果てた「水の都・三島」の水辺自然環境

 私は小さい頃から三島に住んでいますが、実は、この「水の都・三島」は、今、水辺の環境が以前と比べて大変綺麗になりました。あるいは、一部は、なりつつあります。しかし、15年位前は、ご案内するのが、恥ずかしいほどの汚い街でした。
 しかも悲しいことに、三島の人自身が、恥ずかしい街、あるいは醜い街、昔を思った時にとても考えられない街を、当然視していると言いますか、「もう、しようがないよ。こんな街は終わりだ。川もコンクリート水路で埋めちまえ」と言うような、あきらめの境地が蔓延し、川などどうでもいい、というような話までもが言われるような始末でした。
 後ほどビデオにより、その実態を報告させてもらいますが、昔と今の状況変化の落差が余りにも大き過ぎて、その落差に押しつぶされて何もできない閉塞感が充満していました。パチンコ屋に行ってスナックに行って、美味しいものを食べ、外国に行って、コレステロールがたまって、早く死んでしまうみたいな「金縛り状態」でした。
 すなわち、自分のことばかりを優先し、自分の利害に関わることばかりに自分の役割と価値観を見出す人が増えてしまったのです。自分を取り巻く環境あるいは街や次世代の子どもたちに、「水の都・三島」のどのような環境的や歴史的価値・資源を伝えていくのかを、三島の人々は、忘れたふりをしていたと言いますか、死んだふりをしていたと言いますか、そういう「他人依存の状況」だったわけです。
 この状況が、日本の高度成長の始まりと言われております、東京オリンピックが開催された昭和39年頃から、約二十数年間続きました。ふるさとの原風景を忘れてしまった二十数年間、ところが皮肉なことに、日本社会は激しく高度成長し、豊かに
なっていったと言われている時代です。



 

2.源兵衛川再生物語

  さて、今から15年ほど前に、源兵衛川についての住民意向調査を実施したことがあります。川のそばにある小学校約300人の子どもたちに、川についての意識調査を行いました。
 「源兵衛川の役割は何ですか」と聞くと、93%の子どもが「ごみを捨てる場所だ」と答えました。また、「源兵衛川はなぜ汚れているのですか」と聞くと、83%の子どもが、「川沿いの人や親、おじいちゃん、おばあちゃんが、源兵衛川にごみを捨てているからだ」と答えました。
 そして、「君たちはなぜ源兵衛川に行って遊ばないのですか」と聞くと、ほとんどの子どもが、「行きたいし、遊びたいが、学校の先生や親・川周辺の人たちが、あそこは汚くて危ないから行っちゃだめだというので行けず、残念だ」と答えました。
 私たちは、この約300人の子どもたちの意識調査結果を見た時に、自分たちは何のために生きてきたのだろうか、何のために生きていくのだろうか、大げさな言葉になりますが、豊かさとは何だろう、そして大人の役割って何だろうということをつくづくと感じ、大人として恥ずかしい気持ちになりました。皆さん方は、現場の当事者としてこの結果を見た時に、どのような感想をお持ちになりますか。
 皆さんは、それぞれのふるさとをお持ちだと思います。そのふるさとの中でも特にこだわっている川や里山、あるいは思い出深い原風景、懐かしい原体験、仲間もいるでしょう、動物たちもいるでしょう。夕闇に暮れた田舎の雰囲気、あるいは煙の匂い、音、寒さ、暖かさ、水のせせらぎ、風のそよぎ、いろんな思い出があると思いますけれども、ある意味でそういう素敵なものを、親や大人たちが、自分の心の中に自分だけの宝物としまってしまい、次世代の子どもたちに素晴らしい宝物として伝えられない悲しい状態になっていたのです。
 さらに皮肉なことに、大人たちは「川に行っちゃいけない、川で遊んじゃ危ない」と子どもたちに注意するばかりです。ところが、子どもたちは、その親の行動をよく見ているわけですけれども、その行動、つまり、言っていることとやっていることが、非常に不整合であることの矛盾を感じているわけです。「環境が大事だよね」と言いながら、たばこの吸殻を源兵衛川に投げ捨てます。その後ろ姿を、子どもは鋭い視線で観察しています。
 こんな大人たちの言動と行動には、自己矛盾が充満しており何の説得力もありません。どんな立派な大学の先生や坊主、哲学者であろうと、その人が、現実的・日常的に、どんな行動をしているかが判断基準だと思います。それ以外の判断基準は子どもにとっては不必要だと思います。ということで、瞬間的に注意した大人の言葉に重みがなくなり、信頼や説得力が失墜します。
 そういう点では、はっきり言って三島の人たちは、一番大事にしていた川、あるいはそのメインである源兵衛川を蔑ろにし、傷付けました。「水の都・三島」の誇りの川を恥の川に変えていったのです。ひどいことに、それらの環境悪化に対して、市民運動の胎動など具体的な行動が、市民側から発意されなかった約30年間だとも言えます。何をしていたのかというと、行政の悪口や政治への不満、そして昔話と世間話です。先ほど述べたように、自分の生活を優先し、地域社会や環境改善への関心はほとんどなかったのです。
 公益性とか公共性とか、人のためにとか、地域のためにという、広義の社会性を個人が持てなくなってしまったのです。誰かがやるだろう、行政がやるべきことだ、政治の責任だ、お金をかけて何か造ればそれでいいんだとの価値観を優先したと言いますか、他人依存の説得材料や屁理屈を当然視していった、そういう期間ではなかったかと思うのです。
 他の地域のことはよくわかりませんが、私が生まれ育った三島は、そうやって昭和36年頃から激しく地域の水辺環境が傷付き始め、地域の環境財や宝物が失われ、「へでもないただの水の都」に成り下がってしまったのです。
 しかし、この厳しい現状の中で、私たち市民や市民団体は考えました。我々に一体何ができるのだろうかと深く悩み、思考しました。
 だが結果的には、追い詰められ、諦めてしまったのではなく、追い詰められた延長線上で、みんなで協力して対応すれば何かができるんじゃないか。いろんな利害を越えて、立場を越えて、それぞれの利点を出し合って、総合的に、あるいはお互い同士の協力関係を構築することによって、困難な諸問題も解決できるのではないかという、ある意味で言えば、単純で前向きの思考と発想を持ったのです。



3.地域力を結集・グラウンドワーク活動を導入

 そこで、国外で先進的に実践されている様々な市民運動を調査・研究して経過の中で興味を持ったのが、イギリスで始まった「グラウンドワーク運動」です。分かりやすい言葉で説明しますと、「みんなでやれば怖くない」という運動です。みんなとは何か。みんなとは地域を構成する人たちでして、一般的には、市民、NPO、行政、企業、この4者をさします。
 すなわち、さまざまな利害者の真ん中に、仲介役の団体が入り込み、それぞれの利害を調整し、有機的な関係を創り上げていく市民運動だといえます。この新たな社会システムが地域の中で構築されれば、複雑に絡みあった環境問題も解決の糸口が見つるのではないか、約30年間苦しんできた水辺の再生も何となるのではないかと考え、イギリスで始まったグラウンドワークの手法を、日本で始めて三島に導入したのです。
 しかし、始めてみますと、正直言って非常に難しかったわけです。何が難しかったかと言いますと、最初は8つの市民団体からスタートしたのですが、例えば、三島青年会議所、三島商工会議所、国際交流の団体、まちづくりや環境の団体など、それぞれが、それぞれに独自の活動を展開しているわけです。
 私は、「三島ゆうすい会」という市内最大の市民団体の事務局長として、その取りまとめに奔走しましたが、8団体が一緒になるのに、実に1年半もの時間を要しました。四十数回以上の話し合いを持ち、一緒になることのメリットとデメリットを徹底的に議論しました。
 今で言うと、ネットワーク型の市民団体の形成プロセスといえます。ネットワークのメリットが明確化しなければ、例えば、三島青年会議所は一緒になる必用性はないわけです。一般的に青年会議所は、地域において影響力のある市民団体です。そんな組織の自信からか、当時の理事長が私に対してこんな発言がありました。「ジャンボさん、あなたは県庁職員ですね。私は、社団法人三島青年会議所の理事長ですよ。私は三島市長の隣に座れるのです。ジャンボさんは、座れますか。」、こういうふうに私にのたもうたわけでございます。
 座ろうと思えば座れますけど、かなり丈夫な椅子でないと壊れちゃう感じはありますし、私が座ると当時の市長は、口うるさいので逃げて行っちゃったんじゃないかと思います。確かに座れないわけです。このように大いなるプライドを持った、いろいろな市民団体がそれぞれの考え方を主張するわけですから、組織の一体化や活動の統一的な方向性を見出せずに苦しんだのです。
 また、行政は行政の都合や理屈を押し付けるばかりで、迅速で創造的な対応は皆無でした。政治家は、国会で日本を変えようと壮大な夢を語り、地域での具体的な行動はありません。小泉首相も郵政改革により、日本の構造改革を断行すると騒ぎますが、現実の社会の実態は、自殺者と失業者の増加が続いています。
 そんな現実社会の中で、当時の三島では、課題を抱えた現場で具体的に一緒になることによって、どんな相乗効果が出るかという議論を真摯に続けたわけです。
 日本の場合、行政がその典型ですが、器のことばかりに意識をとらわれ、総論的なカッコいいことに議論の力点がおかれ、各論や中身の話がなかなか詰められない場合が多々あります。そんな無駄な議論から脱却するために、皆で協力しあうことの意味や意義、具体的な行動目標や事業内容について、1年半もかけて真剣な議論を継続したのです。
 この試行錯誤の経過を踏まえて、三島の場合、結果的に何故一緒になることができたかというと、ネットワーク型の団体に参加することが、それぞれの団体に大きなメリットを及ぼすことが、相互に理解されたことによります。また、一緒に活動することの最大のメリットが、大きな団体を作ることによって社会的な信用度も高まり、「他人のふんどしで相撲がとれる」というのも理解されたことです。
 2つ目は、組織が一緒になれば、当然沢山の人たちが集まってきます。今では参加団体が、21の市民団体に増え、総会員数が5000人にもなります。参加企業が、約200社あり、スタッフは、120人おります。これだけの人間が参集すると、団体と個人、それぞれがそれなりの信用度と情報のネットワークを持っているわけです。このネズミ講的な人間信頼ネットワークは、相乗的に重なりあうと大きな潜在力を発揮します。
 これは地域だからこそ、田舎だからこそ作れるネットワークです。先輩、後輩、親戚、飲み屋が同じ、同じスナックに集まるメンバー、そういう多様な形態の人たちの専門性、情報網などの関わり合いを、みんなでパクリ合うわけです。そして、大いなる可能性や爆発力などが醸成され、有機的な力を生み出していくのです。
 3番目は、小さな団体ではできないことが大きな団体ではできるということです。例えば参加団体に「21世紀塾」という組織があります。21人の仲間が毎月21日に集まりいろいろな勉強をしています。主な活動の中身は、研修会の開催と提言書の提出です。スコップを持って、汗をかかないという団体です。活動自体は、これはこれで非常に重要だと思うんですが、現実的に21人で何ができるかということです。21人で1,200人の三島市民文化会館をいっぱいにしたこともございます。
 主催が21世紀塾であり、後援がグラウンドワーク三島です。我々グラウンドワーク三島は、さまざまな人々を集める力があります。それと、21世紀の政策提言の力がマッチしますと、将来のまちづくりに対しての的確な提言が、広く市民に浸透していくことになり、お互いの目的がマッチングして、思いもよらない累積的な効果が生まれることになります。
 次の事例ですが、三島青年会議所が、「てくてく水辺探検隊」というものを5年前に始めました。青年会議所は1年しか事業を実施しませんでした。理事長が替わると事業計画が急激に変わる特性を、組織体質上もっています。そこで、水辺の街・三島を知ってもらう企画としては非常に優れているので、グラウンドワーク三島が事業を譲り受け、「せせらぎウォーク」ということで2年間やりました。
 そして、4年目からは三島商工会議所が「せせらぎブラーリ」という、街歩きをJRさんと連携してやりました。最初は500人ぐらいでしたが、今年は、1,500人以上来ました。これがまちづくりの1つの発展形のスタイルであり、継続性を担保していくのが、側面的な支援の役割を担うグラウンドワーク三島だと思います。
 これらの事業に必要なスタッフは、150人ぐらいになりますが、三島商工会議所や三島青年会議所だけでは、到底対応できません。多額の資金も必要となることから、三島青年会議所がやっていた当時は、青年会議所が20万円、私どもが30万円という形でお金を負担しました。後援する方が、お金や支援のスタッフが多く、主催者が逆にお金やスタッフが少ない。矛盾した事実関係だと思われるでしょうが、発意をしたのは青年会議所ですから、その発意を大切にし、事業を参加団体全体で側面的に支援し、相乗効果を狙っていくのです。
 この相乗効果のメリットの存在が、ネットワーク化する理由です。パートナーシップの有益性と有効性というものを、みんなが実感することができると、絆が強くなっていくことになります。
 さらに、我々は、先ほどお話ししたように、200社の企業に、様々な形態でご支援をいただいております。地域企業であり、魚屋、結婚式場、お葬式、酒屋さん、ケーキ屋さんもいますし、スパゲッティ屋、うなぎ屋もいます。それから、造園屋もいますし、土建屋もいます。
 そういう人たちが1口1万円をベースに2万円、5万円と払ってくれているわけです。大体で200万円から300万円のお金や資材・機材を金額換算した資金が集まります。地域企業や地域の中小商工業者が、具体的な形で市民団体を支援するという、新たな企業の社会参加の形態を創り出し、彼らの専門性や人材などを、地域社会の中に引っ張り込む役割をグラウンドワーク三島が演出しているわけです。
 例えば、三島の市長さんが、Aという建設会社に「社長さん、悪いけども、公園を造るので、100万円寄附してください」という電話をすれば問題になります。
 しかし、私どもは地域企業の社長に頻繁にお願いの依頼をしています。「お金じゃなくてもいいけど、ぜひ物品を、技術を、職員を、専門性を、資材を」という形でお願いをさせていただいております。本当に気楽に、本当に真摯にいろいろな形で、お願いをさせていただいています。特定の企業だけではありません。三島建設業協会や三建会、測量関係、設計コンサルタント関係等々の企業の職員さん、社長さんも含めた幹部の方等々に、現場での測量や設計をしていただいたり、私たちの描いた汚い絵をきれいな公園やビオトープの絵に作り直してもらったりしているわけです。これは、企業の専門性や高度な技術を社会の中に引き出す新しい手法だと思います。
 こんなことは、行政には絶対に対応できません。しかし、私どもは三島市からこの14年間にわたり、今まで3代市長が変わっておりますが、200万円の補助金を継続的に受けています。三島市との良好な信頼関係があるからこそ、実は企業は私どもにお金を出していると言っても過言ではありません。何故でしょうか。いつも企業にお願いに行きますと、「いや、ジャンボさん、このこと、三島の市長さんは承知していますか? 三島市から何かお金が出ているのですか? 三島市のどこの課が関係しているのですか? 関係部長さんは承知していますよね」って、必ず生々しい話を聞いていくわけです。
 ということで、行政との信頼性、新しい関わり方、あるいは真摯なるつき合い方が、地域企業に対しての担保になっているわけです。そんな前提条件の環境整備がなければ、私どもに対して、そう簡単に地域企業が支援するというわけにはいかないということを、私どもは承知しています。
 まず、自分たちで地域に入いり、地域の課題を調整し、地域の合意形成を成し遂げた上で、行政サイドに依頼・要望を持っていきます。行政は基本的に縦割りだということは、私どもは300年前から知っておりますので、縦割りが悪いなんてことは、400年前から言わないわけです。行政の縦割りの特性と不合理な仕組みを承知しながら、これらの要素をうまく横割りに変換し、効率的で合理的な付き合い方を進めていくのです。
 その上で、さらに企業のパワーも入れ込みながら、地元の合意を形成を進めていくのです。すなわち、地元のご協力を得ながら小さな課題を少しずつ少しずつ、時間をかけて形にしていくのが、グラウンドワーク三島の特徴です。ですから、私たちはその真ん中に入って調整し、多くの神経を使うことから、私の全体の体重とか雰囲気を見てわかりますように、痩せ衰えまして、サンドバック状態になっているわけです。物すごくいじめられているわけです。
 うちのスタッフは、ほとんどが肝臓はだめになり、体重は私のように痩せ細って、0.1トン以上あるわけですけれども、それでも痩せてしまっています。冗談です。今日はちょっと二日酔いなんですけど、実は昨日も私、サンドバックを3時間半もやられてまいりました。
 現在、ある湧水池を浚渫して、自然再生を行う事業に取組んでいます。静岡県の長泉町と清水町との境に「窪の湧水」という、江戸時代からの湧水池があります。ところが、この湧水池の周辺の森が素晴らしい森なんですけれども、その森を保護しながら湧水池を復元しようということで、初めて地域に入っていきまして、昨日50人ぐらいの地元住民との話し合いを持ちました。
 「グラウンドワーク三島が、池の安全管理や維持管理に責任を持てるのか、それでは一体誰が最終的な責任を取るのか、その所在を明確にしなさい」、という厳しい質問を浴せかけられました。発言した人は、元県庁職員です。定年後に地元の町内会長や自治連合会長を歴任なさり、現在、町内の顧問もやっているらしいんです。自分が行政にいた時にさんざんいじめられた経験をもとに、私たちの考え方や説明に厳しい苦言をいただきました。その後、仲間とともに、気分転換のために、100円の餃子とビールを飲んで帰ってまいりました。
 これが現場ですね。皆さんだったら、どんな戦略で地域合意を図っていきますか。「湧水池を深く浚渫したことにより、子どもたちが川遊びに来て溺れたらどうするんだと批判がくるわけです。法面の樹木を保護するのも結構だけど、そこに溶岩を乗せると加重がかかることにより、地下水脈を閉塞する心配があるのではないか。しっかりした調査機関による地下水調査を実施しているのか、水質調査や流量調査は対応済みか」、など専門的な知識を持っている元県庁職員は身内を攻めてくるわけです。
 「鳥の種類は、ホタルが生息しているようだが復元のための具体的な手順、工事内容を説明せよ、どんな植栽が不足しているのか、何の樹木を植えるのか」などの項目についても聞いてきます。
 皆さんにとっては、こんな質問はたいしたことではないかもしれませんが、現場でそのような専門的で詳細な質問をぐいぐいと突いてこられた場合、ある程度は的確に答えられないと、地域住民からの信頼を得られません。
 私たちは現場で発生した具体的な課題を、地域住民に対して問題提起しております。そして、その問題を解決するための手段も提起させていただいております。最終的な目標としては、地域の皆さんが、自発的・自立的・主体的に、課題に取組み、整備後の施設の維持管理に対応してもらえるシステムを構築することを期待しています。それが、「地域は自分達で創る」という民主主義の原点だからと考えているからです。
 グラウンドワーク三島の運動は、民主主義の基本的な「学習プログラム」であり、単純な環境改善活動ではありません。「自分たちの地域は自分たちで考え、自分たちで変えていく。そして、自分たちで守っていく」という強い意思と、地域の自発的な仕組み、システムを自らで作っていただきたいのです。そのためのトレーニングの場、訓練の場として、窪の湧水池の復活に取り組むのです。
 三島市の人口は11万人ちょっとあります。町内会は132あります。私たちが今までやってきたプロジェクトが34で、実際は40町内会が関わっております。しかし、この40町内会は132のうちの40町内会ですが、人口の多い町内でございますので、多分人口比でいくと、半分ぐらいまで来ているんじゃないかと思います。この14年間で延べ4万人の市民が、私たちのボランティア活動に参加していただいております。直接的な人は、多分2万人ぐらいではないかと考えております。
 実は、新潟県上越市の小学校の子どもたちが、グラウンドワーク三島に修学旅行に参りました。そして、そのテーマは「グラウンドワーク三島のうそを暴く」というテーマでした。まあ冗談ですが。その小学校は、全員コンピュータ持っているんです。文部省のコンピュータの何とかモデル校みたいになっています。
 63人が、6人ずつ10グループを作りまして、街の中に調査に出ていきます。例えば、三島駅前で朝から夕方まで、駅から人が出てくると人々に、「あなたはグラウンドワーク活動を知っていますか。グラウンドワーク活動に参加したことがありますか。ここが源兵衛川の環境整備の活動を進めていますが知っていますか」など、駅前でティッシュペーパーを配るみたいに、聞き取り調査を行いました。
 三島市役所の関係職員にも、インタビューしました。最初に三島市長にインタビューということで、市長が私に「どのように対応したらいいか」というから、「市長だから、主張してください」と言ったんですが(笑)、子どもと会って、最初の質問は何だと思いますか。「市長、グラウンドワークに関わっているのは、政治家としての動機が不純じゃないですか」というふうに聞いたんです。だって、その通りですものね。(笑)皆さんは、そう思いませんか?現在、行政による住民参加の手法として、ワークショップを進めていたり、パートナーシップとか協働と言っていますが、みんな動機が不純の本音でやっているんでしょう。
 私は、以前静岡県のNPO推進室長を担当していましたから、発言に説得力があるでしょう。行政が、NPOの皆様と上手に付き合っていくと、人心を把握し、天下をとったみたいな雰囲気になっています。NPOへの委託の値段も安くしておきながら、アウトソーシングや指定管理者制度を活用し、行政費の節約を図ったと言っています。
 しかし、委託を受けたNPOは、3年も経過すると運営に疲れ果てて、ミッションもパッションも劣化してしまうのです。何のためにNPOとして委託を受け、新たなサービスを提供してきたのだろうかとの自己矛盾と葛藤を感じ始めています。逆に行政側は、自分たちの手柄話として、アイデアや相違工夫、成果などをスポイルしてしまうのです。そして、「次のNPOさんいらっしゃい」、桂三枝みたいな話になるわけです。NPOと行政との関係は、そんな軽薄で陳腐な関係ではないわけです。
 さて話を元に戻すと、先程の小学校については、最終日には報告会を伊豆長岡温泉でやってくれたんです。私どものスタッフが、十数名参加しました。パワーポイントで調査結果を多くの表を多用し、分析・評価してくれました。この中で、私たちが一番驚いたのは、グラウンドワーク三島の活動を知っている人が、調査対象者の23%、聞いたことがあるが20%。二つ足して43%です。この数字には、私たちの活動もよく知れ渡ったなあ、との感想をもち、おれたちは「やった」と思ったのです。「すげえ。やっぱり十何年もやっていると、市民の43%もが知ってくれているんだ」と言ったら、分析している子どもが、「この数字の少なさは、事務局長の責任である。23%、努力している割には低い。広報力が弱いのが原因ではないか。努力が足りないのでは。君は、広報やマーケティングについて、どのように考えているのか、その考え方を具体的に述べなさい」と、小学校6年生に詰問されまして、ズキッと来て「すみませんでした」と謝りました。後で先生に余り気にしないで下さいと言われましたけれども、それから、私5年間にわたり傷ついています。冗談です。
 ということで、三島市民の43%位の人々は、グラウンドワーク三島を知っているようです。この数字は、グラウンドワーク三島が、14年間頑張ってきた成果でもあると思います。合言葉は「右手にスコップ、左手に缶ビール」です。現場に行って何が解決できるのか。現場に行って誰が解決するのか。そして現場に行って何が残せるのか。その残したものが、その後どういう形で社会や地域に対して社会的な波及効果を及ぼしていくのか。それは社会的、経済的、文化的、観光的あるいは人的な意味合いでの社会的効果なのか。環境教育的な波及効果もあるのか。そういう意味での一種のモニタリングをやってきているのではないかと考えています。また、事業終了後も、フォローアップ研修と言って、毎年毎年現場で造ったものが、地域であるいはもう少し広い範囲、あるいは学区で、どのような形で評価されているのかも、検証・補完しております。
 グラウンドワーク活動を何故続けているのかということですが、私たちは市民により組織化されたNPOであり、それが行政との差別化の原点です。また、地域を構成する市民や企業との違いを明確化して、独自の社会的な役割を果たしていかなくては、仲介役NPOとしての存在意義や意味もないと自覚しています。
 行政は物を造って終わりです。膨大なお金をかけて、そこから一体何の社会的波及効果が出たとお威張りになるわけでしょうか。私たちは、もう1つの合言葉がございます。それは「潤いのある街から潤いのある街へ」というキャッチフレーズです。これは街を汚い街から美しい街に変えて、川を再生し、潤いのある水辺をつくれば、人々の心も潤い、多くの人々が他から来てくれるのではないか。そして、その結果として、ポッケが潤うんじゃないということです。
 例えば、源兵衛川は、全体工事費が約15億円かかっています。農林水産省が半分を負担し、静岡県と三島市がその半分ずつです。この15億円を、私どもは150億、200億という形に大きく膨らましていきたいと、長期的な戦略を考えています。
 源兵衛川の整備が完成して、10年ほどになりますが、完成後5年の歳月をかけて「街中がせせらぎ事業」に、約15億円の工事費で投入されました。この事業も今年で終わりですが、二つの基盤的な事業で約30億円入っているわけです。
 実は、事業の効果として、こんな具体的な指標があります。三島駅南口を降りると、駅前が非常に綺麗になっております。噴水や森もありますが、これらは、グラウンドワーク三島が、その骨格を提案させていただいて造られたものです。富士山を背中に右手に観光協会がございまして、ここにチラシが置いてあります。このチラシはグラウンドワーク三島が動き出す、7年ほど前は年間2万枚程度の発行でしたが、現在は、年間17万枚ぐらいになっています。ということは、三島を訪れる観光客人が、少なくとも8倍以上になったと解釈されます。
 私どもが考えていた、短期、中期、長期的なスパンで街を変えていという、市民主体の戦略的マネジメントが、少しずつ効果を表していると確信しているところです。
 最初は点でした。今も点を増やしています。小さな40坪のごみ捨て場をミニ公園にしたり、あるいは湧水池を掘り起こして、美しいもとの湧水池に再生したり、絶滅した水中花三島梅花藻も復活し増殖させることにより、川に移植して増やしていく地道な活動を市内のあっちらこっちらでやっています。
 それらの点を、源兵衛川という川の再生事業で結びました。川で結んだことによって、それらを歩ける1つの回遊・周遊・コリドーが、小さいながらも街の中心にでき上がっていったわけです。いろんなコリドー、いろんなルートが用意されております。大湧水池・柿田川にも行けるルートもありますし、歴史的なルートもあります。水辺だけのルートや、うなぎ屋を転々とする食のコースも設定されています。また、歴史的なものやグラウンドワーク三島の現場を見学して水辺を歩くコースもあります。
 そのように「水の都・三島」に、多様性が生まれたと言いますか、小さな魅力、観光スポットが生まれたと言えます。それが線で結ばれ、街という広い範囲に拡大していったのです。
 そして、そこに「街中がせせらぎ事業」というハードが、上からフワーッと、薄いベールのように覆い被さってきたことによって、街全体の景観整備、観光スポットの開発、地中化された旧東海道の線、そちら側向きの建物などの垂直的な面、私どもの平面的な点と線。こういった垂直面と平面との有機的結合によって、失われた水の街の複合的な魅力が、少しずつ復活してきたのです。
 グラウンドワーク三島には、昨年全国から125団体、2600人が視察に来ました。今年は多分3000人を超えると思っています。沢山の人を私たちは、ご案内をしております。視察されるほとんどの人たちが、私たちの現場を見てもらす言葉があります。「いや、実にきれいに管理されていますね。たばこ1つ落ちてないですね」。そして、「施設はコンクリート造りなのに、温かく優しい雰囲気に感ずるのは何故なんですかね」と聞いてくるんです。公園や川を造っているものは、コンクリートなんですが、よそから来た人たちが、瞬間的に見た時に、温かさや優しさを感じるというコンクリートがあるのでしょうか。
 私は、これは生意気な言い方で申しわけございませんが、当たり前だと思っています。何故かと言ったら、沢山の人々が、水路を造る、公共事業を具体化するプロセスに参加をしているからです。源兵衛川だけをとっても、3年間で180回近くの勉強会を繰り返し開催しました。流域には、13町内会ありますが、その範囲に2万人の市民が住んでいます。多分2万人すべての人たちと話をしたのではないか、と私たちは理解・自負しています。
 そして、もっと小さな事例もあります。市内の小学校に、約800平米のビオトープを造りました。5年前に始めまして、2年前に完成いたしました。3年ちょっとかかりました。行政が造ると4000万円ぐらいかかるものを、私どもは360万円で造りました。参加した人が1780人、4町内会、70の企業が参加をしていただきまして、三島市が120万円、私どもが50万円、残ったお金はPTAがバザーで集めて負担しました。
 何を言いたいかと言いますと、ゴーサインが出るまでに、私たちグラウンドワーク三島のスタッフが、何回、夜調整に出かけたかということです。合意形成に、約2年半の歳月を要したのです。この2年半の間に、馬鹿なP、すごく素敵でアホなT、両方集まったA、このPTAというとんでもない軍団の合意形成に努力したわけですが、このPTA、ピーチクパーチクの合意を得るのに、178回通ったわけです。
 皆さん、私たちは一体罪悪人なんでしょうか。夏になると50度にもなるようなコンクリートの中庭を、コンクリートを壊して、そこに水辺を造って、田んぼを造って、森を造ること、これは罪なんでしょうか。罪人だと言われました、Pに。犯人扱いです。「池を造って子どもが遊んで、溺れて死んだら誰が責任をとるのか? 何故、草を植えるのか? 蚊が出て刺されてマラリアになったらどうするのか? 蛇にかまれて死んだらどうするのか? 作業中、傷から泥が入って破傷風になったら誰が責任とるのか」と、喚き立てるわけです。
 私もPTAの役員を経験し、PTAの光と影を知っているつもりです。PTA会長の役割は先生を飲ますことだけだ、ということも承知しております。故にカラオケはどのくらい上手だと思いますか。この5年間で素晴らしく上手になりました。バリバリの二十数歳の先生から全部飲ませなきゃ、歌わせなきゃいけない。気分よくしなきゃいけない。親の代表として、先生方のモチベーションを上げてやらなきゃいけないと思って、肝臓を犠牲にして、仕事を犠牲にして、昼間は県庁に行っても、死んだふりして、ボランティア活動に没頭してきたわけです。
 そんな学校やPTAの実態を知っている私ですら驚くべき話が出てくるわけです。誰もが、合意形成の大切さやパートナーシップの重要性をおっしゃいます。役所は3回、5回と地元説明会を開催して、住民の意向を把握したとおっしゃいます。コンサルタントも、外部からサッーと、白馬の騎士のように三島に降り立って、三島を全部知っているかのように素晴らしい絵を描いて、サーッとウルトラマンのように消えていく。これでは、全力で動ける時間は、僅か3分しかいないのです。
 彼らは地域情報をどうやって得ているのですかと、いうことを言いたいんですけれども、それは置いておいても、画一的な方法では、公共物に魂が入ってこないという意味を言っています。私たちは、あえて178回、2年半という膨大な時間をかけて合意形成を図ってきたのです。
 これは大人を自立させるためのハードルでした。しかし、自立してもらうためには時間というハードルも必要になります。それと、好きなように言ってもらう、何でも吐き出してもらい、言うだけ言ってもらう、提案があるなら全部吐き出してもらい、多いに議論を進めることを信条としています。知恵と提案力、アイデア、そしてこだわりの思い、文句、何でも来いといくのです。これこそ1人1人の議論、1人1人の意見、1人1人の人格を無視しない、民主主義の合意形成の基本的なプロセスじゃないでしょうか。これらのアプローチが地域力を醸成していく、地域力を結集していくボトムアップアプローチではないかと考えています。
 合意形成の中で、この閉塞感にあふれたドロドロ状態は、非常に苦しく、馬鹿らしいんものです。昨日もうちのスタッフと飲みに行ったんですが、1時半まで飲んだんですが、何でこんな遅くまで飲まなきゃならないと思いますか。私も早く帰りたいんですが、飲まずにいられないんです。馬鹿らしいと思いませんか?仕事でいじめられ、地域に行っていじめられているんです。こんな状態でも、金銭的には無償です。精神的にも、ボロボロにされるんです。ことによっては、元県庁職員の厳しい指摘を受けて、「いや、土木事務所の元所長のご提案、お言葉は重みがありますね」って、ぐっと我慢しながら、「また、ぜひご指摘をよろしくお願いします」と言わなきゃいけないわけです。「飲み屋に行ってみんなで飲んでしまって、パッと吐き出して、また今日も頑張ろう」と元気を付けて、本日ここへ来たわけです。
 しかし、何でこんなに長く続けていられるのですかね。うちの120人のスタッフは辞めた人がまだいません。「何で辞めないの」と聞くと、楽しいらしいですよ。でも、離婚したのが3人、倒産したのが2人、夜逃げ状態が5人。私もボランティア離婚の代表的な例、してないですけど危険なゾーンに入り始めています。冗談です。
 しかし、そういう家庭的なリスクも含めて、経済的・精神的・時間的な様々なリスクを背負いながら、皆は何でやっているのかなと思うこともあります。これはやっぱり、それぞれが感じる達成感しかないですね。それと、すき間産業だという自負ですね。馬鹿らしくてアホらしくて儲からない仕事を堂々とやってやろうじゃないかと、馬鹿らしくてアホらしいことに誇りを持つ精神力と言いますか、価値観、これに酔っているのかなという気がしています。これ、甘えでしょうかね。大人のちょっとした趣味ですかね。しかし、趣味だけでは、14年間も続かないですね。はっきり言って自己負担もかかりますから。精神的にも結構疲れますよ。
 しかし、ここで学んだ忍耐力というんでしょうか、世の中の不条理な道理というんでしょうか、それらを会社の社長や専務クラスが、地域をはいずり回って勉強させていただいているわけです。
 というわけで、グラウンドワークはボランティアの永平寺ということになるわけです。冬の間は裸足で歩いている感じです。紀伊山地の参詣道を歩いているようなもんです。でも、楽しくてしようがないですね。やっぱり社会のすき間の中で、社会のひずみの中で出てきた問題。行政ができない、企業ができない限界のゾーンの中で、自分たちの発意によって、アイデアによって、創造力によって、行動力によって、そして迅速性によって、的確に地域のニーズに合ったものを具体的な形にできる、そして喜ばれるという実感なんです。
 具体的な実感を、お話ししましょう。先程の小学校で、5年前に4年生の子どもたちに対して自然観察会を開催しました。グラウンドワーク三島では、小学校で初めて学校ビオトープを建設しました。現在までに、4地区やってきましたが、その第1号の実践地です。
 三島には、21の小中学校がありますが、なぜこの小学校かということを聞かれるわけです。PTAに頼まれたから、当時の先生に頼まれたから造ったということではありません、というか、ありますというか、ありません。何を言っているかというと、NPOにとって重要なのは専門性と先程言いましたように、具体的な論理的な理由付けです。
 私どもは頼まれた時に、早速トンボを研究、調査している専門家に委託を出しました。半分以上の小中学校で1年間に飛んでいるトンボの種類を調べました。そうしたら、驚くべき結果が出たんです。
 三島の街中の小学校周辺には、23種類のトンボが飛んでおりました。実はすぐ横を源兵衛川が流れているところです。多分、周辺の水辺環境整備によって、トンボが非常に増えたのです。
 実は、この小学校は狩野川に隣接しており、周辺は田んぼです。子どもたちは農道を通って学校に通ってきます。故に、私はそこが一番トンボが飛んでいると思っておりました。ところが、驚くことに調査結果によると、1年間に4種類しか飛んでおりません。私が「うそだろう」と調査した人に言ったら、「信用してくれないんですか」と言われました。
 農業用水路はコンクリート化され、農道は舗装され、水路はパイプライン化され灌漑期しか水がありませんし、雑木もない。ということで、トンボは、飛んでいるわけですが、子どもたちには何の関心もないということです。PTAに調査報告書を見せて説明しました。こんな田んぼの真ん中なのに、トンボは4種類しか飛んでないぞという話をしたところ、PTAの関係者も驚きました。
 さてある時、子どもたちと一緒に自然観察会をしている時に、プワーッと農道にトンボが落ちていきました。子どもたちがバーッと走っていきました。そして、どういう現象が起きたのか。これは5年前の話になります。子どもたちが、急いで飛んでいき、トンボの上で飛び跳ねて、そして私のところにトンボを持ってきて、こう言いました。「先生、トンボをこんなに見事に殺したよ」と持ってきました。ペッチャンコになったトンボ。そして、また違うトンボがフワーっと農道に落ちてきました。違うグループがまたパーッと飛んでいって、そしてまた同じ行為をしました。そして、私のところに「先生、トンボをこんなに見事に殺してやったよ」と持ってきました。皆さんは、この事実をどういうふうに感じられますか。
 それから、私たちは常にやるんですが、学校の先生にお願いして、この子どもたちにアンケート調査を実施しました。「皆さんが関心のあることを3つ書いて欲しい」と。そして、全部の子どもから回収して驚くべき結果が出ました。
 ほとんどが何を書いてあるかわからないんです。全部テレビゲームの名前でした。関心がテレビゲームなんです。学校が終わったらすぐに学校から追い出されるでしょう。3時半には出されるんです。校門をガチャンと閉められて、出ていけです。もう行くところはないですから、家に帰って、塾に行くまでの間は全部テレビゲームです。塾から帰ってきてからもテレビゲームです。こればっかりですので、テレビゲームの「ガンダム何とか」って書いてあるわけです。私たちにはさっぱりわかりません。
 私はそれを見た時に、全部数表化して、PTAの親御さんにお返ししました。「皆さん、これは一体何なんですか。働いている暇はないですよ。皆さんは学校に戻り、自分の子どもと遊ぶことを優先して下さい。源兵衛川に連れていって下さい」と言いました。もう学校の先生は、いろいろオーバーヒートです。地域の学校にしなければ、あるいは先生以外の誰かが学校に入っていかなければ、子どもたちは救えません。
 そして、ビオトープを造ろうとすると、「池を造ったら子どもがそこで溺れて死んだらどうする」と文句を言う。死んだらどうするって、葬式するしかないだろう。蚊に刺されたらキンチョールだ。蛇にかまれたらマムシ酒だ。そんなものは当たり前じゃないか。何を言っているんだと、攻撃的にいきましたよ。そしたら、30倍ぐらい返ってくるわけです。とんでもないことを言っていると。当たり前じゃないですか。じゃ、すべって転ばないようにすればいいわけだし、蚊が出るのは、よく考えて下さいよ。何もないところに草をやればまず出てくるのは蚊です。そして、それを追ってトンボが来る。トンボを追って鳥が来る。そういう自然の循環が起こり始めようとしている、第一歩だということを子どもに教えればいいでしょうと。しばらく経ったら蚊が出ましたけど、パッと消えました。その事実を親御さんに全部お伝えしました。
 そしたら、言うことがいいじゃないですか。「そんなことは最初からわかっていた」と。「ちょっと待ってよ、おばさん」ということなんです。
 自然の循環を子どもたちに理解してもらいたいから、あえて蚊に刺されて蚊が減っていく、1日に何人蚊に刺されるか調査しなさいと言ったわけです。子どもは正直だから手を出して蚊に刺されるわけです。その数がだんだん減っているから、やっぱり減っていったんだな。こういうことでございまして、ものすごい実践的な環境教育の場になって、今だれ1人落ちる子どもなんかいません。すべって落ちているのは親と学校の先生だけです。(笑)
 作業だって11回やって、さんざんだったんです。子どもたちを作業に参加させるといって、どのぐらい議論したと思いますか。石をちょっと並べたところがあるんですが、こんな石を子どもにやらせたら指を挟んで危ない。挟んで危なかったですよ、怪我した人はいましたよ、7人。全部親です。子どもなんか、誰1人も怪我してません。みんな利口で6年生が2年生を教え、石を置くんです。最初の石を置いたら、そこに板を入れるんです。板の上に石を置く、板を抜く、そしたらスッと石が入る。みんなで協力して、造り方を自分たちで考えて対応していけるのです。親は馬鹿だから、重いものをいきなり持ってきて、石を持ったまんま置くんです。指を抜きなさいよと言うんですけれども、嫌々来ているから怪我するんですね。子どもはやりたくてしようがないから、元気で知恵を使って一生懸命やるわけです。
 そして、四十数回、2年半に渡ってビオトープの勉強会しました。皆さんもご存じだと思いますが、最初に絵を描かせたら島を描いた。そこに何を植えるんだと言ったら、バナナの木を植える。なぜだと言ったら、モンキーを、チンパンジーをそこに住まわせるんだと言うんです。チンパンジーなんか住まわせなくたって、県庁に来てみなさい。そんな人ばっかりですよと言ったんです。
 そういうことで言ったら、PTAが父兄参観でワークショップを見に来たんですが、「何々ちゃん、だめよ、そんなこと言っちゃ」と親が言うんです。「親御さん、家に帰って子どもさんを怒っちゃだめですよ。あと3カ月待ってください。3カ月後にもう一回やりますから、この話を聞いて下さい」と言いましたが、3カ月後は「地域の植生を植えて、地域にいるトンボが出るようにして、形もこういうふうにして」と子どもがちゃんと言っているわけです。これが学習のプログラムです。子どもはどんどん成長していく、大人はどんどん閉鎖する、邪魔をする、というこの闘いを、皆さん方が具体的な合意形成としてどうするかということです。
 そして、ビオトープが完成しました。「ゆめトープ」というんです。お金が300万円ちょっと貯まりまして、現在、子どもと先生が維持管理をしています。そして、地域の人たちと協力してやっております。これは、戦後初めてと言われるぐらい大変だったんです。数百人の人が来て、炊き出しまでやっちゃたんです。戦争中みたいに、年とったおばあさんが、「これは初めてだ。私はこれでもう死んでもいい」と言って、まだ長生きしていますが、そういう人が一番長生きするんです。炊き出しまでやって、大騒ぎして「地域の学校化」していったんです。
 そして、1年ほど前ですけれども、また4年生を対象として自然観察会をやりました。こういうことが起こりました。歩いていまして、またトンボが農道に落ちてきたのです。子どもたちは、違う4年生ですが、バーッと走ってきました。トンボの先生と2人でしたが、「この4年半頑張ってきたけど、もう終わりだ」とあきらめの境地でした。また同じことが起こると思って、「帰ろう」と言ったんです。「帰ろうか」と言っているか言ってないうちに、子どもがサッーと、スローモーションのように頭の中にあるんですけど、農道にしゃがんだんです。数十人の子どもが、落ちてきたトンボを手でスーッとすくって、私のところにバタバタと来て、「先生、弱ったトンボをみんなで造ったビオトープの池に置いてきていいですか」と聞いたんです。
 皆さんは、このことに感動しませんか、もう1匹フーッと飛んできたんです。また違うグループが走っていって、「やばいな」と思った瞬間に、またバンと座ったから、「やった」と思ったんです。やっぱり同じように手に入れて、私のところに持ってきて、同じことを言ったんです。2人で抱き合って、女房とは15年ぐらいしてませんけど(笑)、抱き合って喜びを分かち合いました。
 これがグラウンドワーク三島のモチベーションになって、ずっと続けていける原点なのです。これっきゃ、ないんです。お金もない、何もない、鼻血も出ない。でも、これを体験しちゃうと、はまっちゃうんです。たまらなくなっちゃいます。自分の社会的な存在意義というのを、ドーンと実感します。
 大人がグチャグチャ言って、ごみを拾うようになったなんて、へでもない話です。大人がゴミを拾うことなど、当たり前じゃないですか。そういうことで、子どもの心と行動が変わることは、グラウンドワーク三島にとっての最大のミッションなんです。「人の心を変える」ということです。これが最終目的であり、一番難しいことなんです。これからの社会を支えていく予備軍である子どもたちの心を自然に向けさせる、優しさを持った動物への目線、関心、具体的な態度、そういうものを醸成することができる。そういう方向になら、幾ら大いなる時間を使っても何の悔いもないということなんです。
 これらの事業は絶対に1人ではできません。沢山の人々のネットワークの力、応援がなければできない、というのは実感です。当然、行政の応援もなきゃできないわけです。しかし、ここまで手厚く行政がやり得るなんてことはあり得ません。親も忙しいんです。地域企業も金儲けに忙しいです。何の否定もしません。しかし、一緒になった時に、これだけの結果が出るということを、お互い同士がしっかり理解し合うということは、パートナーシップの力が、これからの日本を、地域を変えていくということに、つながるんじゃないでしょうか。
 実証的な行動と結果、成果こそが人を一番説得させる、わからせる、わかりやすい道具じゃないでしょうか。
 そして、もう1つあります。先ほど子ども全部にアンケートを取ったと言いましたけど、また同じように取りました。嬉しかったですね。見事ですね、この変化は。生意気ですけど。ある子どもは、紙に36種類のトンボの名前をダーッと書いてあります。最後に書いてあった言葉には、「ざまを見ろ。悔しかったら書いてみろ」。素晴らしいですね。ある子どもは3種類のトンボの絵です。アカトンボとかオニヤンマ、これを精密にきれいに描いてあったんです。「すごいだろう。悔しかったら描いてみろ」と書いてあるんです。
 私は先生にお願いして、子どもの書いた2つのものをもらってきました。そして、額に入れてあります。100円ショップじゃないですよ、2300円の額ですよ。額に入れて、私の自宅の壁に張ってあります。これが我々の勲章だと思うのです。
 先程のトンボへの具体的な優しさと、そして知識です。専門的な知識を、これは高齢者にしたって、若い子どもたちにしても、きちっと教えていかなきゃいけない。それも体系的に教えていかなきゃいけないと思います。
 NPO活動を思いつきや一瞬の情緒的な問題意識とか、必要性で運動するようであれば、やめた方がいいんじゃないでしょうか。個人の責任の範囲でやるなら別に構いません。しかし、NPOというのは組織です。非営利組織ですから、組織としてやるということは、持続性と発展性というものが、そこに担保されていなきゃいけないということです。担保とは何かと言ったら、先ほどから言っているマネジメントの力です。マネジメントとは何かと言ったら、人材をどういうふうに養成していくのか、あるいは持続可能な資金の確保を、例えば行政とどう関わって、企業とどう関わって、会員さん自身がどう関わって資金確保をしているのかということの裏づけです。
 グラウンドワーク三島は、21の市民団体が拠出金という形で毎年200万円集めています。三島市からの補助金が200万円、企業から会費や資機材の金銭換算による資金が200万円から300万円になるわけです。これらが、人件費や固定費、事業費などに充当されるのです。これで事務局員を2人雇用し、事務所を2つ持っています。だから、それ以外の活動費は自分たちで稼いできます。これは助成金をもらったり、補助金をいただいたり、委託をいただいたりしながら。ですから、3000万円にもなったこともありますし、1500万円まで下がったこともあります。今年は2000万円ぐらいでしょうか。
 これはある意味では企業的な要素です。事務所に専門のスタッフがいて、それを120人のボランティアがバームクーヘンのように囲んで、それらを支援して、いろんな人間の専門性を結集し、クオリティーの高い商品をご提供させていただく。安全で健全で安心した、合意形成に満ちた商品となります。
 そして、これは差別化ですから、行政ではできないような優しさに満ちた、コンクリートに魂が入った商品を、ご提供させていただいているということになります。
 ですから、これをもっともっと増やしたい。そうすればもっと面白いことができる。ただ、グラウンドワーク三島の特徴は、単体でやるものではありませんので、今日ご参集されているような、企業や行政、シンクタンク的な、いろいろな要素を持った人たちが重層的、横断的に集まってこそ、潜在的な爆発力が出てくるという仕組みです。
 ということで、単体でやると機能の限界が出てくるのです。それらをうまく結びつけて、絆を作っていくのが、私たち調整する人間の役割だということになります。
 それから、もう1つは、お金、物、情報。一番重要なのは情報ですけれども、先程言ったようにいろんな人間がいますから、いろんなところから情報はボンボン入ってきます。それを整理して素早い動きをすることになります。
 一番の売りは事業計画です。面白い事業計画を作っていかなければ、先程の話じゃないんですが、仲間はどんどん辞めていってしまいます。飽きちゃうんです。3年持てばいいんじゃないですか。特にネットワーク型の組織ですと、余計、集中力が希薄化して、劣化していって、バラバラになっていきます。一緒にいる理由がなくなっていくんです。一緒にいる理由をきちっと創造的に、革新的に作っていくというのが非常に難しいんです。
 しかし、議論というのは一種のテクニックが要ります。最近、私どもの視察に来る方が、スタッフ会議を見たいということでいらっしゃいます。うちのスタッフ会議に来られるとよくわかると思うんですが、議事が20以上あるわけです。月に1回しか開催しておりません。大体30人から40人集まってきますが、この議事のテンポの速いこと。何々をやったら困るとか、やらない方がいいとか、こういう問題があるという発言は、誰1人発言する人間はいません。すべて前向きな議論しかいたしません。その場で担当がどんどん決まっていきます。目標年次もどんどん決まります。それに向けて、おのおのがプロジェクトリーダーという形で分派して動き始めます。そしてまたスタッフ会議で集まってきて、調整・修正して、また独自に動き出します。
 この中に必ず三島の市役所の職員が来ます。今は都市住宅部関係の「街中がせせらぎ推進課」というところが担当です。今までは企画や財政の方になったり、いろいろ動いておりますけれども、必ず担当課がおりまして、そこが行政内部の調整をしてくれているわけです。
 私どもがパートナーシップと呼んでいる言葉の意味ですが、対等性と独自性と呼んでいます。対等性とは一定の距離を保つという意味です。ですから、仲よくやるということはございません。常に緊張感に満ちた関係を、14年間続けています。
 それと独自性ですが、私どもは私どもの組織として変化し、進化・深化しています。ということで、行政にも進化して、変化していただきたいということになります。
 三島にとっての具体的な形としては、例えば、今言いましたグラウンドワーク三島の担当組織を作っていただき、水と緑のプロジェクトチームとして、13の課が、横断的に連携し、縦割りを排除して、グラウンドワーク活動により起こる諸問題を横で調整して、一気に窓口であるせせらぎ推進課が総括して、議事として、結論としてスタッフ会議に持ってまいります。この形になるのに、5年以上の歳月を要していますが、今まで私どもが建設課に行って、農政課に行って、管財課に行って、企画調整課に行って、あっちこっち廊下トンビで飛び歩いて、気がついたら市役所の外に出ていたみたいな、たらい回し状態をよく経験していたわけです。しかし現在は、横断的で縦断的な組織ができましたので、行政の内部的にも非常に情報収集が早いんです。
 例えば、三島市は現在、総合計画を作り始めているんですが、グラウンドワーク三島にも、その進め方について相談してきます。今後、さらにこれを受けて、グラウンドワーク三島としても、参加団体との調整を踏まえて、基本的な方向性を提案させてもらい、それに合わせて議論を進めていくことになると思います。
 ですから、うちもただ思いつきを言うんじゃなくて、うちとしての自己責任で、きちっと提言書を作って、三島市が考えている基本的な指標とか、方向性を聞いた上で、それにプラスアルファする、あるいは変えていく部分もございますが、きちっと書類として出させていただいて調整していくとことになると思います。
 昔は、ただグラウンドワーク三島に相談したからとか、市民と議論したからという理由を作って、さあ市民参加の総合計画とやるわけです。誰がそんなもの議論したんですか、という話になるわけですけれども、下からの議論を、そういう形でできるような仕組みができ上がったと理解をしています。
 これがお互いの変革の上に成り立った、それぞれの個性を尊重したパートナーシップという関わり方だと理解をしています。ですから、私どもも常に戦略的な動きを自由闊達にさせていただけるということです。
 企業については、行政はなかなか関わりにくいんですけれども、私たちが関わっている人間というのは、青年会議所の人間が非常に多いのです。ほとんどが、地域企業の代表者です。あるいは商工会議所の青年部です。三島商工会議所は2600の企業が参画しておりますので、そことの密着性が高いわけです。ですから、企業との情報交換は、行政より緊密化しています。それらの意見を酌み取って行政と連携し、情報交換するということになります。
 もう1つは、補助事業、もっと正確に言いますと、今までの「公狂事業から、公協事業・公響事業へ」というのが、我々のキャッチフレーズです。公協事業と、交響曲の交響事業です。そういう方向に持っていきたいと思っています。
 その具体的な事例として、昨年から始めていますが、「宮さんの川ホタルの里づくり」があります。三島市から530万円の補助金をいただきましたが、実は、1800万円のものが530万円でできたというふうに評価されています。
 では、どうしてそんな評価がでるんでしょうか。工事に必要となった機材、資材等々は、ほとんどが企業の支援を受けています。そして、具体的な作業には地域住民が参加をしております。それでも、お金が届かないじゃないかということになります。当然届きません。それでは、何だということですが、そこに参加した市民を1時間当たり800円で換算しており、労働ボランティアを金銭換算して、工事費に上乗せしています。
 しかし、枠内に納まっているということでオーケーでございます。これはお金を払うという意味じゃないんです。評価してもらっているということでございます。ということで、ボランティアに来た方々も、そういう形で社会的な価値評価をいただいているという自負が、正直あるわけです。
 今年も、せせらぎ事業で430万円補助金をいただいておりますが、その設計書は、1000万円になっています。ワイチャレンジという形で市民に入ってもらって、いろいろな場所で、一種の土工事ですけれども、小さなミニ工事を自分たちでやっていただいています。
 以上、ビデオで具体的な活動を見ていただければと思います。

(ビデオ上映)
 ごみが散乱し、魚やホタルの姿が消え、悪臭を放ち、街のやっかい者になっていた川が、数年で水遊びを楽しむ子どもたちの歓声が響き、街の憩いの場に再生しました。
 また、住宅街に放置されていた空き地がわずか17万円で、ごみ1つ落ちていない素敵なミニ公園に姿を変えました。
 これらは住民、行政、企業、3者のパートナーシップによるグラウンドワークにより実現したものです。
 「この3者というのは余り仲よくなくて、今までバラバラに勝手なことをやってきたんですね。だから、お互いの持っているいい面の力を結合できなかったんですね。お互いの悪いところを批判し合うんじゃなくて、いい点を引き出して、長所を認め合いながら、ある意味で言うと、短所を認め合いながら長所を伸ばす。長所を大きくしよう。そして、褒め合いながらお互いが強くなる。お互いが向上していく、そういうシステムなんですね」
 国内初の本格的なグラウンドワークの実践地区として注目を集めている静岡県三島市。この街でグラウンドワークに精力的に取り組み、数々の実績を上げているのがグラウンドワーク三島実行委員会です。
 「もう一回原点に戻る。原点は地域です。そういうところから地域をつくり直していく。人の心を変え直していく、そういうプロセスだと思いますね」
 このビデオでは、グラウンドワーク三島実行委員会の活動記録を通して、日本型グラウンドワークの実践手順を紹介していきます。
 グラウンドワーク三島実行委員会は、地元8つの市民団体が結集して始まり、今では15団体となりました。グラウンドワークは1980年代にイギリスで始まった環境改善運動で、住民、行政、企業、3者によるパートナーシップが特徴です。三島実行委員会はこれら3者の仲介役。イギリスでいうトラストの役割を担っています。
 組織の形態は、まず住民、行政、企業、3者が参画している全体会があり、その下に代表者が集まった理事会、各団体の実務的代表者の集まりであるスタッフ会議が設置されています。ここで、具体的な活動の方針が決められ、事業を実践するプロジェクト会議が各プロジェクトを取りまとめているのです。
 平成4年の発足以来、これまでに市内約20カ所にもわたる運動を展開しているほか、インターネットでも日本語と英語で情報を発信しています。
 この日は、スタッフ会議が行われました。市民団体の他に行政や企業の関係者も参加しています。もちろん、みんなボランティアです。
 「企業と協力ということで、いろんな事業を物的支援という形で」「私たち団体でバイリンガル環境カルタというのを作ったんですけれども、それがきっかけです」「グラウンドワークという手法を使って、みんなでやっていこうよ、ということで、三島青年会議所では理事会決議を持って参画しようということで現在に至っています」「グラウンドワークの活動が、目に見える環境改善、ポケットパークをかなり多く出歩いているんですけれども、そこの場所の提供、私有地の提供なり、原材料、土とか石、公園を造るのに木を植えたりする、それの一部ですけれども現物の提供をさせてもらっています」。
 三島市は、静岡県の東側にある人口11万人の町。古くは東海道沿いの宿場町として栄え、富士山の湧水地帯にあるなど、「水の都」と呼ばれてきました。湧き水は今も絶えることなく町の中に見ることができます。
 三島市は、川の多い町としても知られています。市街地周辺3キロ四方に、大小合わせて川が6本流れています。その中の1本、源兵衛川の再生事業が三島市のグラウンドワーク運動の始まりでした。
 源兵衛川は奈良時代に造られたといわれる人工の川で、主に農業用水路として利用されてきました。以前は人々の生活に密着した清流だったのですが、地下水のくみ上げ、生活排水の垂れ流し、ごみの不法投棄などが原因で、昭和40年代から死の川となっていました。
 三島市のグラウンドワークは、行政がきっかけを作ることから始まりました。まず周辺の住民にアンケート調査を行い、みんなが、かつて持っていた川への思いをよみがえらせたのです。また、将来どんな川を望むのか、どんな工事を望んでいるのかも積極的にアイデアを出してもらいました。
 こうした事前準備と連動して、グラウンドワーク三島実行委員会も、月2回、市民総出のごみ拾いや水の都めぐりに川掃除を足したごみ拾いツアーなどの企画を実施し、徐々に市民の結束を高めていきました。
 アンケート調査がまとまると、三島実行委員会が橋渡しとなって、工事の計画案をまとめました。そこには、自然の地形や趣を生かしたみんなが集える場所にしたい、という気持ちが込められていたのです。
 この計画案に従って、行政は工事を行いました。飛び石や石垣は、川の浄化やサワガニの生息によい溶岩を使い、景観との調和や自然配慮をした木材をベンチや川端に使うなどの工夫が施されました。
 地元企業の協力を得ることも成功には欠かせません。冬場は水が不足しがちな源兵衛川へ、水を提供してもらおうとの話し合いの結果、この工場で使っている空調用の冷却水を1年を通じて放流してもらえることになりました。
 こうして、みんなが協力した結果、源兵衛川は復活を遂げたのです。今では夏になると子どもたちが水遊びに興じる姿がごく当たり前に見られるようになりました。
 また、昔三島で見ることができた清流の証しであるホタルも、毎年数多く飛ぶようになりました。このホタルも実行委員会のメンバーにより大切に飼育されたもので、源兵衛川に毎年約300匹を放流しています。
 工事の完了後も川の掃除は続いています。昭和初期ごろに捨てられたと言われる茶碗などの陶器類が落ちているためで、川で遊ぶ人たちが怪我をしないようにと、1つ1つ地道に拾い上げているのです。
 「たばこの投げ捨ても、今まで平気で捨てたものが、本当に少なくなりましたね。最近は川と遊ぶんですね」
 また、市外の人々を招いてのごみ拾いツアーも今も引き続き行われています。事業の終了後も、みんなで楽しく管理を行っていくこともグラウンドワークの重要なポイントです。
 三島市内の新興住宅街に市の所有する遊休地があり、手つかずになっていました。この場所を町内の憩いの場にしたいという願いを受けて、三島実行委員会が実現に向けて協力をすることになりました。
 まずは、1年をかけて希望する公園のイメージを話し合いやアンケートで出してもらい、それらをもとに計画案を策定しました。交渉の結果、土地と水道は市が提供してくれることになり、また工事に必要な資材や機材などについても、地元の企業の応援を得ることができました。
 実際の作業には、町内の人々が総出で参加をしました。この日は、花壇づくりに挑戦です。まるで自分の家の庭のような感覚で、思い思いの花を植えていきます。新しい木のベンチや藤棚は、若手の大工さんたちによって造られていきます。普段の実力を存分に発揮する場となったようです。
 大人ばかりでなく、子どもたちも公園づくりの主役です。自分の考えた公園を自分の手で実現できるのはとても楽しいことだ、と参加した誰もが生き生きと作業していましたよ。
 このようにして、準備から約2年をかけて「みどり野ふれあいの園」は完成しました。通常の工事では4000万円かかるところが、たった17万円で済んだのです。完成後も町の人たちが自主的に日々の維持管理を行っています。
 また、年に一度、全体的な会合も行われます。三島実行委員会も参加して、新たな意見や希望の取りまとめを行っています。
 これまでは、工事も管理も行政に任せきりだった考え方が、グラウンドワークで公園づくりを行うことによって大きく変わり、みんなの思い入れのある街の宝物になるのです。
 白く可憐な花が特徴の三島梅花藻、静岡県指定の天然記念物であるこの花も、川の汚れとともに消滅の危機を迎えていました。
 グラウンドワーク三島実行委員会では、この水の都の宝物を守ろうと行動を起こしました。「柿田川みどりのトラスト」の協力を得て、柿田川に生息する三島梅花藻を譲り受けました。そして、受け入れ先となる増殖施設の建設計画に取りかかったのです。話し合いの結果、市内佐野美術館所有の湧水池を無償で借り受けることができました。
 また、これまでの実績から、三島市から補助金を受けることができ、これを事業の資金に活用しました。そして、企業には資材、機材の協力を得て工事を行ったのです。
 三島梅花藻の移植は、実行委員会のメンバーが中心となって行い、第1期工事を終えることができたのです。
 その後も整備は続けられました。コンクリート会社から新開発の環境溶岩パネルを提供、設置してもらい、自然に溶け込む景観を得ることができたほか、大工見習い中の若手による木製のデッキづくりが行われました。もちろん実行委員会のメンバーも参加しての作業です。
 こんなものを見つけました。カモの卵です。産卵にふさわしいと、この場所を選んでくれたのでしょうか。母ガモものんびりと水遊び。梅花藻の復活に頑張っているメンバーには嬉しいニュースでした。
 平成9年の第1期工事完成後も、梅花藻の保存整備は、今も少しずつ続けられています。この日は水の守り神、水神さんを梅花藻の里に迎える準備です。街の人たちがお参りできるようにと通路を造っています。
 考えるのも造るのも、みんなで一緒に楽しくやろうがモットーです。
 「こうだということを1人がやるのではなく、みんなで話をして、やっぱりこの方がいいんじゃないかということで詰めていくのが我々のトーンですね。だから、ワンマンじゃないですけども、1人でどんどんやっていくと、ほかの方はついてこれない。やっぱり何したって、分かち合わなきゃいかぬし、評価も分かち合う。みんなでやったんだという意識ですね。それが大事じゃないかなと思いますね」
 移動前のお払いの儀式。水の守り神、水神さんは、昔はどの川にもあったのですが、最近ではその姿は減りつつあります。危機感を持ったメンバーたちにより、梅花藻の里へ移動することになったのです。
 いざ、水神さんを梅花藻の里へ。実行委員会のメンバーが、三島に伝わる木やり歌を威勢よく歌いながら運びます。古くから伝わる信仰を大事にすると同時に、自分たちの活動を広く周囲にアピールし、環境を守る活動に関心を持ってもらう狙いがあるのです。
 無事、移動が終わりました。この地に、水神さんを迎えての儀式がとり行われます。メンバー1人1人の中に、清流が絶えることなく、またいつまでも可憐な三島梅花藻が咲き続ける場所になってほしい、との願いが満ちあふれていました。
 梅花藻の里の計画は、花の復活だけではありません。梅花藻の里で繁殖させた後は、源兵衛川へ移植をしているのです。昔の三島の川は、まるで緑のじゅうたんのように三島梅花藻が川底を覆っていたといいます。昔そのままの川の環境と原風景を復活させたい、そんな思いからグラウンドワークに取り組んでいるのです。
 グラウンドワーク三島実行委員会による環境改善運動は、現在も絶えることなく創造的な事業が行われ、管理運営も円滑に行われています。
 そこで、3つの事例から、成功を導くポイントを挙げてみましょう。
 まず、源兵衛川の再生では、古くから水に親しんできた三島っ子に川で遊んだ原体験、原風景を思い出させたことが挙げられます。そして、よみがえった川への愛着とこだわりを活動の原動力としたこと。さらに、住民が中心となった計画の実施が、実現への手ごたえを感じさせ成功したのです。
 次に、ミニ公園の建設では、住民参加が自立と自主性を引き出したことが挙げられます。また、行政、企業との連携効果が、目に見える形で実証されたことも大きなポイントです。
 そして、環境教育の実践の場ともなり、ごみが捨てられなくなりました。三島梅花藻の里の場合は、大がかりな工事を一度に行うのではなく、段階的に進めていったことが挙げられます。
 また、自分たちの活動を広くアピールし、周囲に新たな関心を呼んだことも成功のポイントとなったのです。
 グラウンドワーク三島実行委員会では、他にも数多くの事業を進めています。この日は、三島市内の湿地帯を親水公園にする計画の予備調査が行われました。どんな公園が三島らしく、人と自然が共生できる最もよい形となるのか、計画はまだ始まったばかりです。
 「水の中で遊んだり、遊びの中で自然と触れ合える場所を造っていきたいなと思いますね」「全体の中の3分の1ぐらいがホタルが出るような環境、あと3分の2ぐらいが、人が入りながら自然とたわむれることができるような場所に……」「子どもたちがこの水辺の中で遊べる、親しめる、裸になって遊べるようになってもらいたいな、そういう自然と人が触れ合う場所になってくれるのかなと」
 メンバーからは、さまざまなアイデアが出てきました。事業への強い思い入れや積極的な参加も、グラウンドワーク運動を成功させる大事なポイントなのです。
 「住民の愛着が深まるような物づくりを進める、これがグラウンドワークの最大のポイントですね。そのために市民が出てきて、行政も間接的に支援して、そして企業が資材、機材、技術的支援をして、それを支える。この3者の融合関係で、あるいは総合力でじっくり時間をかけて公園を造っていく、そういう中から愛着の気持ち。市民ばかりじゃなくて、当然、事業にかかわった人たち全体に広まっていく。そういうところが一番大切。それを作っていくための学習のプログラムの1つかなと」
 現在、グラウンドワーク三島実行委員会では、組織の強化を進めています。NPO法による法人格の取得と専門家の育成などを行い、全国のグループと手を結び、グラウンドワーク地域トラストの設立を目指しています。
 また、将来の展望としては、地域型から広域型へと全国との連携を始め、グラウンドワークパートナーシップ会議の結成を目指しています。
 住民、行政、企業の3者が協力して行うグラウンドワーク。住民も自分たちが主体の活動なので、地域への愛着が深まり主体性が生まれ、お互いの結束も強くなります。
 工事にかかる費用や管理の手間なども、住民の積極的な参加で大幅に軽減され、行政費の節約につながります。企業は地域貢献を目に見える形で直接行うことができ、相互の理解も深まります。この3者の協力、パートナーシップの生み出す効果は実に一石三鳥になるのです。
 自然を壊すのは人間です。しかし、その自然を取り戻す力も、私たちは持っているのです。グラウンドワーク三島実行委員会では、住民アクション、パートナーシップ、環境創造を3つのキーワードとして、地域総参加で魂の入った物づくりをこれからも進めていきます。
 でも、肩ひじ張らず、「右手にスコップ・左手に缶ビール」を合言葉に、日々和気あいあいと活動に取り組んでいるのです。
(ビデオ上映了)

 ということで、ちょっとビデオが古いんですけれども、ささやかにワイワイとやっております。今はもう、NPO法人にもなっておりますし、全国の組織120団体とのパートナーシップ連絡会議というのも設立しておりますし、あそこに書いてあるのは大体実現をしております。



4.NPO活動・組織基盤の強化と発展に向けて

 これからのことになりますけれども、実は先般事務所を街のど真ん中に移しました。コミュニティセンターという中に入りまして、中心商店街の活性化に乗り出そうということで、現在動き出しております。コミュニティセンターを私どもが運営させていただいています。
 私どものネットワークとノウハウを、これからは環境改善ということだけではなくて、中心商店街を舞台とした観光、地域振興、地域再生というところに拡大していこうということです。
 数カ月しか経っておりませんが、既に僅かな黒字を見込めるというところまで持ってきております。カルチャーセンター化して、利用頻度を上げて、商工会議所にお願いして、既存のコミュニィセンターの値段を上げろということにして、私どもの値段との差別化をつける形の動きもしております。
 3年ぐらいかかると思いますが、最終的には完全に黒字化して、街の核の施設として運営できるようにしていきたいと考えています。
 今まで街の商店街の皆さんからは、「スコップ持って街変えられますか。環境を良くすることと経済活動とは両立しますか」と厳しい指摘を受けたこともあります。しかし、「今に見ておれ」と思っておりましたが、最近は「ジャンボちゃん、スコップうまそうだね。スコップいいよ。すごく素敵、スコップが」ということで、商店街の関係者から、ちらほら聞かれるようになりました。
 また、もう1つは、「環境コミュニティビジネス」に昨年から挑戦しています。「せせらぎシニア元気工房」ということで、60歳以上の高齢者に百六十数人集まっていただき、現在、耕作放棄地となっていた5000uでソバを植えております。今素晴らしい景色です。真っ白な海です。昨年植えまして、その種で植えましたので、12月3日にソバの収穫をしてブランド化します。「三島そば」ということで、ブランドにして売り出し、これを収益にしていきたいと考えています。
 それから、湧水竹豆腐、干ばつした里山の竹を使って、お豆腐を1日50個イトーヨーカ堂さんで売っております。280円ということですから、1個130円しか儲からないのですが、1年ちょっとやっております。数は力ということです。
 それから、里山で切ったヒノキを使って、「むろ箱」というんですが、おそばを入れる箱、これも数千個売っております。子どもたちの積み木を作ったり、「合わせ」みたいなものを作ったりして、約2年間で少し貯金ができております。将来的には、参加者には、1日1000円から3000円ぐらいの賃金をお返ししようということで、少しビジネス化して、資金確保していきたいと考えています。
 もう1つ、お手元に、グラウンドワーク全国研修センターというものがございまして、今度オープンいたします。年2回イギリスグラウンドワーク事業団の方に、三島に来ていただき、相互の情報交換と交流を図っていきたいと考えています。
 今回は、視察以外はすべて無料にいたしました。2万円と書いてありますが、全くかかりません。視察費用の2000円だけです。よかったら遊びに来ていただければと思います。また、話の詳細は、「清流の街がよみがえった−地域力を結集・グラウンドワーク三島の挑戦」(中央法規出版発行)を参考として下さい。
 以上、一応、お話を終えて、ご質問をいただければと思います。



フリーディスカッション

與謝野
 大変ありがとうございました。期待以上の目の覚めるような愁眉の開くお話をはじめ印象深いお話の数々をご披瀝頂きました。ありがとうございました。
 今日は最初にご紹介致しましたように、水辺空間をテーマにした3回目のフォーラムですが、とりわけ本日のご講演は水辺空間再生運動の実践、プラグマティック編という位置づけで、グラウンドワーク活動の意義と目的のご紹介に始まり、実際の環境改善活動の軌跡のご紹介と、その運動に取り組むに当たっての心得等について、熱っぽくかつエキサイティングにお話しいただきました。会場の皆様の中にも、日ごろから身近なところで環境改善運動に取り組まれておられる方もおられるかと存じますが、その方々にも貴重なお話もあったのではないでしょうか。
 せっかくの機会でございますので、そのような方々も含め、皆さんからぜひ積極的にご質問なりをしていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
西山(山梨大学大学院)
 大変興味深く聞かせていただきました。
 2点ほどお伺いしたいことがあるんです。
 1点目は、グラウンドワーク三島で働かれているスタッフの方々についてなんですけれども、ボランティアで120人の方が働かれているということで、活動する時の戦力に、かなりなっていると思います。こういった方々は、どういう経緯でグラウンドワーク三島の活動に参加されているのか。職業を持って参加されていると思うんですけれども、どういう職業の方が多いのかということが1点。
 もう1つは、パートナーシップという非常に魅力的な言葉で、全国でもNPOと行政とのパートナーシップとか協働ということが言われていると思います。行政の方、三島市の方がかなり協力的な態度をとっていると思うんですね。例えば13課を乗り越えて推進課を作ったりということが行われている。こういう非常に協力的な態度は、最初からそうだったのか、いつ頃から変わったのか、ということに関してお聞きしたいんです。
 事業内容を見ていますと、例えばホタルの里のお話がございました。そういうグラウンドワーク側から提案した提案が、そのまま行政の補助金の対象になるというのは非常に面白いと思ったんです。その辺のネゴシエーションというか、どの程度こちらから提案したものが行政の対象として実行できるのか、というあたりをもう少し教えていただけたらと思います。
渡辺
 スタッフは今120人ほどおります。コアスタッフ12人でございます。基本的に三島の特性は青年会議所の関係者がその主軸になっていることです。スタッフのうち約40人は、三島青年会議所のOBです。コアスタッフ12人のうち6人は、三島青年会議所の理事経験者です。ですから、青年会議所を40歳で卒業するわけですが、その後を受ける形で私どもの組織で活動している図式です。彼らはもちろん地域の若手のリーダーでございますし、経営者としてのリーダーでもありますが、行政との関わり、その他のNPOとの関わり等々いろいろなネットワークを持っておりまして、そのノウハウを持ってグラウンドワークに参加しています。
 仕事はもう本当に雑多です。はっきり言いますと、中小商工業者と言っていいと思います。1人で会社をやっているという人もいれば、一番大きいのが500人程度の会社の社長もおりますし、先ほどのビデオで、三島ゆうすい会というところに出てきました人は、ゼネコンの元常務取締役です。
 スタッフ120人のうちの40人は女性です。なかなか怖い女性方です。かわいがっていただいております。平均年齢は大体40歳以上です。うちの理事長が85歳です。
 行政との関係ですけれども、ここまで、ある意味でうまく来たのは、5年ぐらい正直かかっています。今、始めて14年目です。今よかったなと思うのは、最初に、当時の市長さんの時に、パートナーシップの「3分の1の負担の原則」というか仕組みを作ったことです。何でも3分の1ずつ出し合いましょう、ということです。先ほども、長伏小学校のビオトープが360万円と言いましたが、3分の1の120万円を三島市は出しています。どの事業も、大体3分の1を目処に出してきます。しかし、企業も入り、地域住民も入り、さまざまな利害者の合意形成ができているという確証がなければお金は出しません。市民と行政の線的な関係だけではだめです。そういう形になっています。
 あと、ホタルの里、せせらぎ事業などの補助事業ですが、これは3年前から私どもが政策提言をさせていただいています。ですから、地域に入って絵も描きます。設計書も作ります。町内の合意形成もやります。施設を造った後に愛護団体や、その施設の発足も私どもでやります。ただ、そのプロセスの中に、市役所の関係者は必ず入ってきます。ですから、公共的なものと関わってきますので、私どもはそういう責任ある説明ができません。ホタルの里を造ったら、洪水時になったら水はどういうふうに処理するんだとか、そういう説明は僕らではできませんので、河川課サイドの職員に来てもらって一緒に説明してもらうということでやっております。
 それから、実は先週、市長に既に会っているんですが、皆さんご存じのように、今は予算要求の時期です。担当レベルは、そろそろ終わりです。その時に事前に市長に会います。一応三島の市長さんには、3つに絞りまして、お願いをさせていただいております。
 非常に具体的なお願いをしていきます。来年は15周年ですので、「世界国際梅花藻サミット」を開催したい。ついては500万かかるので、3分の1の150万円から200万円支援して欲しいというお願いを、うちの理事長と一緒に会いましてお願いしました。というわけで、担当レベルの来年度の予算要求レベルに入っていると思います。
 そういう形で、行政の仕組みとうまくマッチングしながら、手のうちを教わりながら、非常に密着性が高くやっているのです。それは、行政との扱い方を学習してきた成果かなと思っています。
鈴木(国交省)
 ちょっと個人的な質問になってしまうんですが、組織の中の一員として働いているのと、事務局長としての立場で、何か葛藤があったりとか、そういうことがありましたら、聞かせていただきたいんですが。
渡辺
 こういうボランティアを始めて20年、県庁に入って34年目ですが、ずっと葛藤だらけです。よく首にならないでここまで来たなと思っています。私が書きました「清流の街がよみがえった」という本の中に、宣伝するわけじゃございませんが、ジレンマと負の圧力の実態をいっぱい書きました。役人をやりながらこういう事務局長、今、8つのNPO法人の事務局長をやっておりますが、富士山の世界遺産の関係、文化遺産の事務局長もやっておりますし、富士山測候所を守る運動の事務局長もやっておりますが、役所の中では、やっぱりいろいろとありますね。
 それから、三島にこだわってやっていますが、県庁の立場は中立で公平な立場なので、何で自分のふるさとばかり力を入れるんだ、偏っているじゃないかということで怒られたこともあります。
 ですから、この経過、経験の中では、精神的にもかなり強くないと、役所の中でやっていくのは大変です。私としては、生意気ですけれども、1人ぐらいこういう職員がいてもいいのかなと思って、ぎりぎりの非常にリスキーな、あと戸板1枚みたいな状態でリスクマネジメントと闘っているのが正直なところです。後ろを見たら誰もいない、という怖さもございますが、何となく最近は少し時代も変わってきまして、こういう変わった人間というか、僕は専門性のキャリアだと自負しているんですが、こういう専門性の高いキャリア職員を、行政はやっぱり持つべきじゃないのかなと思うわけです。
 私は、現場にしょっちゅう行っています。こんなに現場に行っている県庁職員は多分いないんじゃないかと思いますし、納税者とこれだけ目線を一緒にして闘っている県庁職員もいないと思います。何を考えているかを十分理解していますので、それを行政の中で具体的な施策にできれば、非常に生きた施策が展開できるんじゃないかなというふうにも自負しています。
 ですから、部下にも言っているんですが、「現場に行け。大体目が腐り始めているぞ。まだ若いんだから、生き生きとした目になれ」。生意気ですけれども、言っているわけです。言っている本人がしょっちゅう会社にいませんので、随分不安になって、私の部下は毛が抜けていくという伝統があるわけです。私はほとんど毛も抜けずにここまでやってきております。ぜひ自信を持って頑張っていただきたいと思います。
峯尾(大忠建設)
 途中から来ましたものですから、説明されたかもしれませんが、もう一度お願いします。
 会議などを開く時に、かなり活発にモチベーションを持って目的に当たっていく、というお話をされていましたが、結論の中でも実証的行動力によって証明しているようなことをおっしゃっていました。そのモチベーションとか目的を達成するに当たって、計画するのに当たって、どのような観点を代表しているのか、どういうふうに相手に伝えようとしているのか、ということを教えていただきたいと思います。よろしくお願いします。
渡辺
 やっぱり地域に課題があって、何かをしようということになりますので、その地域の課題について、地域の人たちに情報をきちっと流して、課題をみんなで解決しようという共有意識を、どういうふうに醸成していこうかな、ということです。うちは醸成する側になります。いわゆるコーディネーターと言いますか、演出家的なプロジュース的な役割になりますので、どうすればそういう意識になっていくのかという仕掛け方、それを議論します。
 それは、正直言って非常に具体的です。ですから、私たちはまず地元に入る前に、課題のある地域に入って情報収集します。誰がこの地域の親分なのか、どういう経過であそこが放置されていたのか、今まで何が一体行われて、何が課題でこういうふうにほうり出されているのか、政治的なバランスというものも見ます。とにかく、徹底的に情報を収集して、それを整理して、そして、やろうとすることに対して分析して、評価して、私ども自らの一種のマネジメントというか、どういうふうに戦略的にそれを具現化していくかという1つのロードマップ、アクションプランを作るわけです。
 これは手の内ですから、絶対にそれを地域の人や、町内会長さんや、そういうところに教えません。大体のイメージ、こうしたらいいかというイメージを、私どものスタッフの中で共有しておきます。スタッフの中に強い共有性がないと、うまくいきません。私ども、常に私が行くわけでもないし、うちのプロジェクトリーダーが行くわけじゃありません。いろんな人間がそこに入っていきますので、人によって言い方が違っていると、地域の人たちは混乱してしまいます。そういう点では、少なくとも5人ぐらいのメンバーは、誰が行っても同じことが言えるように、私ども自身のモチベーションをまず統一する、考え方を統一して、そしてある意味で入っていくということになります。
 そういう点では、私ども自身がそのスタッフ会議の中で何をしようとするのか、どうすることが一番自然なのか、そこの雰囲気に合っているのか、情報を探ってきます。赤ちょうちんが、その舞台となります。赤ちょうちんでアンケート調査するみたいな感じです。そこで探ってきた情報を形にして、マッチングしているかどうかをチェックしてきますので、これならいけるなというところで攻めていきます。
 ただ、いろんな出来事が起こり、インパクトも入りますので、うまくいかない場合も多いんです。ですから、こっちがだめだったらこっち、こっちがだめだったらこっちという、大体3つぐらいの腹案を持ちながら、相手の自立の「熟度」と言いますけれども、自立の熟度を見ながら時間も調整して、攻め具合も調整して、絵の出し具合も、タイミングも調整しながら少しずつ時間かけてやっていくのです。
 合意形成で大体1年、1年半ぐらいはかけています。工事の段階まで来たらアッという間に造ってしまいます。あとは管理の問題になる、こういう感じです。1つずつが事業をやっているようなものです。ある意味で非常に統一されているというか、体系化されています。
 そうしないと、うちの仲間はみんな大人で、レベルが高いですから、会社チックにきちっと書面でなってないと、気持ちが1つになれないと思います。ただ、やろうよ、やった方がいいよということではありません。そういう議論を会議の中で個別にしながら、飲み屋で話しながら、という感じの繰り返しです。
 ですから、攻める時までの潜在期間というんでしょうかね、それが意外と重要だということです。
與謝野
 ありがとうございました。
 それでは、時間もまいりましたので本日のフォーラムはこれで閉じたいと思います。きょうは、水辺再生シリーズの3回目での実践ナレッジ編として、貴重なノウハウ、教訓、知見、体験等を含む非常に示唆深いお話をいただきました。また、先ほどお示し頂いた「住民と企業と行政」のトライアングル図式の中で、行政マンとして専門知識の発揮も果たすべきというその立場の役割のご説明をお聞きして、渡辺さんが公務員でありその行政サイドの立場でもあられることも併せて考えますと、今日のお話は、新しい時代における公務員の新しい役割発揮の姿も示しているのではないかとの印象も覚えた次第であります。ありがとうございました。
 それでは、このように誠に貴重なお話をいただきました渡辺様に対しまして、盛大なお礼の拍手をお送り頂きまして、本日のフォーラムを終わらせていただきたいと思います。(拍手)ありがとうございました。
 


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