back

©日建設計                 
(ここをお読みください)
著作権について    

第218回都市経営フォーラム

『都市環境再生のための統合価値理論』

講師:  甲斐徹郎氏 株式会社チームネット代表取締役

日付:2006年2月23日(木)
場所:日中友好会館



1.身体感覚にもとづいて「環境共生」を考える

2.身体感覚的な涼しさづくり

3.外環境を手段として活かし「快適さ」をつくる

4.「豊かさづくりのジレンマ」を招くパラダイム

5.パラダイム論から見えてくる未来のシナリオ

6.次なるパラダイムとしての「自立型共生」

7.「関係性」の価値化

8.「関係性」を価値化することで生まれた「欅ハウス」

9.「複雑系」と都市環境再生

10.「関係」を価値化し、「複雑な系」を創発させる

11.「住環境統合理論」にもとづくまちづくり

12.「足し算型」ビジネスから「掛け算型」ビジネスへ

フリーディスカッション



 

 

 

 

 

與謝野 それでは、第218回目の都市経営フォーラムを始めさせていただきます。
   さて、本日は、環境共生住宅事業を軸として、まちづくり、住まいづくりの実務でご活躍されておられます甲斐徹郎代表にお越しいただいております。今回は、マーケティングという独特の知見をもとにして、自然環境とコミュニティーとの一体的な関係づけを目指す環境共生についての統合理論とその実際について、お話をお聞きすることといたしました。
  甲斐代表は、建築、都市関係分野のご出身ではなくて、社会学を専攻される分野のご出身で、大学卒業後マーケティング専門会社に勤められた後に、1995年にマーケティングコンサルタント会社として株式会社チームネットを設立されまして、現在、その代表を務めておられる若手気鋭の事業家であられます。
  環境共生住宅の普及、とりわけコーポラティブハウスの事業に多く取り組まれておられまして、住宅環境における緑の家並みづくりの実務について、身近な環境から取り組まれて来られた方ですから、本日のお話は、ふだん身近な環境の景観づくりにかかわっておられる方にとっては、生きた知見と新鮮な視座等を学び取ることが出来る示唆深い内容になるのではないかと楽しみにしております。
  それでは、甲斐代表、よろしくお願いいたします。(拍手)
 

甲斐 今ご紹介いただきました甲斐です。よろしくお願いいたします。
  今ご紹介いただきました通り、私の専門はマーケティングコンサルです。実業をベースにして、具体的な環境共生手法を使ったプロジェクトを幾つも立ち上げてきたという経緯があります。今日は、そういった実体験や具体的な実践の中で築き上げてきた環境共生の価値とは何か、その価値をベースにした時に事業とはどういうふうに組み立てられるのか、というところを中心にお話をします。それから、最近、それがさらに発展してきまして、自治体における緑のまちづくりなどのいろんな施策にかかわるようなところまでやってきています。全てが全部繋がってくるんだ、という位置づけでお話をしたいと思います。
(図1)
  今日は「環境共生」をテーマにしていきますけれども、「環境共生」をどのように位置づけるのか、私の個人の取り組みにおいて「環境共生」は、このように捉えていますということを最初にお話しします。
  「環境共生」というのは、環境共生推進協議会という組織があって、厳密な定義づけがあるんですけれども、私どもは事業化をしていく上において「環境共生」を次のように捉えています。
(図2)
  住まい手にとっての暮らしの価値を、環境を手段としてどれぐらい活かせるのか。環境の手段化というのが、基本的には「環境共生」の我々の捉え方になります。
  そういった視点において、環境の手段化とはどういうことなのか、ということからお話をしていきます。

 

1. 身体感覚にもとづいて「環境共生」を考える

(図3)
  あるシーンをお見せします。そもそも環境を手段化させるというのはどういうことなのか、ということを分かりやすくするために、ある画面を通して皆さんと共有体験をします。ここは山形県山形市の蔵王の麓の斜面地です。ある事業家から「ここで住宅を開発したいんだ、この土地活用をしたいんだ」ということで我々呼ばれました。それも「環境共生」をテーマにして、何かしら事業化できないだろうかということで、1回、検分に行った時の写真です。この写真を見てわかる通り、12月ですが、めちゃくちゃ寒いんです。さすがに北国は寒いなということを感じながら、ここでどうしようかと考えながら歩いていました。

(図4)
  そこから歩いて5分先の所に小さな村があるんです。これは、村に入った時の写真です。ここに入った瞬間に誰もが驚くんですね。どうして驚くかというと、先ほどの斜面地があれほど寒かったのに、この集落の庭先に入った瞬間に、ホカホカで暖かい。「何故だろう」という話から始めます。
  そもそも、「環境共生」というのは暮らしの価値を高める、もっと言うと、快適性を高めていくために環境を手段化できるかということですが、快適性って何だろうか。さらには、我々が感じる暑いだとか寒い、涼しい、暖かいという身体感覚は何によって決まるんだろうか。そういうことを、まず最初に確認したいんです。
(図3)
  さっきのこの斜面地では、身体感覚的にとても寒いんです。
(図4)
  一方で、ここは身体感覚的にホカホカで暖かいんです。場所的には目と鼻の先ですから、特別大きな気候が変わっているわけじゃないわけです。恐らく気温的にも、それほど変わっていない。では、何がこの違いを生んでいるのか。
  ここで、皆さんと一緒に体感温度実験をやろうと思います。我々の体のメカニズムというのは、どういうメカニズムで暖かいとか寒いとかを感じるんだろうかということを、実験的に確認しようと思います。このテーブルはパイプでできていますね。金属です。このパイプをちょっと触っていただく。触りましたら、紙を触って下さい。2つのものの温度差を体感的に感じてもらって、温度差は何度あるだろうかということをみんなで当ててもらうことから始めたいと思います。
  どれくらいの温度差があるか、ということを感じて欲しいです。生物的な勘で、是非とも当てていただきたい。
  温度差を感じた方は、手を挙げて下さい。どちらの方が冷たいですか。多分、これは共通していると思いますけれども、鉄パイプの方が冷たい。それでは、その2つの温度差は何度なのか、ということを自分なりに評価してみて下さい。これから皆さんに聞いていきますので、該当するところで手を挙げていただきたいんです。最初に、私が温度差1〜2度と聞きます。次は3〜4度、次5〜6度、それ以上に刻んでいきますので、この辺だなと思うところで手を挙げてください。じゃ、温度差1〜2度という方、手を挙げてください。――何人かいらっしゃいますね。3〜4度ぐらい。――5〜6度ぐらい。――それ以上という方いらっしゃいますか。
  今、実際に皆さん温度差を感じたわけですけれども、実際にこれが何度かというと、これは基本的には全く同じです。多分、この部屋の中の温度は22度ぐらいだと思います。それぐらいで安定していて、同じような気候の条件の中に曝されているわけですから、基本的には温度は変わる要素はない。だから、同じ温度なんです。実際に測ってみれば、間違いなく同じです。
  今の実験のすごく重要なことは、体感温度と実際の温度はイコールではない、ということなんです。
  そもそも「環境共生」で追求するのは身体感覚的な快適性ですから、人工的な温度管理によって作り出すものとは全く異質だということが重要で、我々は、そもそも温度だけによって身体感覚は左右されているわけじゃないというところを押さえないと、これからの話は理解できないんです。そのために、今の実験をやったんです。
  さらには、同じ温度なのに冷たく感じたり、暖かく感じたりすることが我々の身の回りには実際にある。一番象徴的に分かりやすいのは、こういうことです。
  皆さん、22度の空気室温の中で、私の話を1時間以上聞くんですけれども、恐らく、今は寒くも暑くもないという状況だと思うんです。ところが、イメージして下さい。22度の水風呂に、皆さん一緒に浸かりましょう。1時間、私の話を水風呂の中で聞きましょうというと、これはちょっと冗談じゃないという状況でしょう。間違いなく体は冷え切りますよね。そして、1時間どころか5分も経てば、皆さんバタバタと倒れるでしょう。体を間違いなく壊します。よくよく考えてみると、空気の温度
22度、水の温度22度。全く同じです。でも、体感的には全く違うし、実際、体が冷えていく度合いも違うわけ。そう考えると、そもそも身体感覚というのは何によって左右されるんだろうか。温度じゃないのかということが、すごく不思議になってきますね。何によって左右されるのか、ちょっと実験してみましょう。
  皆さん、手で扇いで下さい。扇ぐだけで涼しいでしょう。でも今、体に当たっている空気の温度は低くはないんです。22度の空気が当たってきているわけだから、全く温度を左右させていません。でも、涼しく感じます。何故こうなるのかというと、基本的には体感温度というのは、自分たちの体温が外に放出されるときのスピードによるんですね。放出量がバッと上がると、涼しくなる。扇ぐと体から熱の放出が増える。要するにスピードが上がる。速く放出されるわけです。
  その現象を、我々は日常的に使っているわけです。例えば熱いものを冷やす時に扇ぎませんか。すし飯を早く冷やす時に扇ぎますよね。あれは、特別冷たい空気を当てているわけじゃない。多量に気流を当ててあげると、先程言った熱の放出量が上がる。熱いお茶を飲む時に、フーッと息を吹きかけますよね。別に息が冷たいわけじゃない。生ぬるい空気を当てても冷えていくわけです。というように、物から熱の放出スピードを上げてあげると、我々は涼しく感じる、冷たく感じるという現象があります。
  先程の体感温度実験で言うと、このパイプは鉄ですから、熱の伝導率は高いわけです。ですから、触った瞬間に思い切り熱が移動し始めます。その速さが我々の感覚としては冷たいというふうに感じるんです。一方で、紙や、割とフカフカした物、空気をたくさん持っている物は熱を伝えづらいですね。だから、暖かく感じるんです。
  そもそも、我々の暑いとか寒いとかいうのは、我々の生命を維持するための重要な信号だ、と考えるのが正しいかと思います。どういうことかと言うと、体の中心部分、コアになっている部分の温度を常に一定に保とうとする。それで、我々の健康状態を維持する。大体35度から36度ぐらいに保つわけです。その時に、熱がたまり過ぎてきて、どんどん熱が上がっていってしまうと危険なので、早く熱を放出しなさいという信号が出た時に、我々は暑く感じている。そして、できるだけ体から熱の放出量を上げるために服を脱いで、できるだけ空気にさらして、風を送って、または冷たいものを当ててという形で、体からの熱の放出量を上げるということをする。
  逆に、寒くなってきて体が冷え込んでくると、体を壊してしまう状況なので、熱を逃がさないように、放出量を抑えるということをします。その時に、我々は物を着込むとか、そういうことをするわけです。
  先程の水の話と空気の話ですると、空気というのは割と熱を伝えづらい。我々は熱を伝えないために、服を何重にも着込みます。空気の層をまとうわけです。それで、体からの熱の放出を防ぐ。空気というのは断熱性能が高いということです。空気中での熱の移動量は少ないんだけれども、水は、それに比べて思い切り熱を奪う力が大きいんです。だから、体を入れた瞬間に、ドバッと熱が移動するから冷たく感じる。
  それから、もう1つ、湿度が高いとどうして暑いんだろう、低いとどうして涼しいんだろう、ということを説明します。例えば、同じ室温で湿度80%の部屋は暑い。だけど、湿度が40%の部屋はかなり涼しい。その理由を考えると、そこで汗のメカニズムが機能します。我々は暑い時には汗をかきます。汗をかくというのはどういうことかと言うと、一番分かりやすいのは、例えば、手を水の中にジャポンとつけて拭かずに、そのまま扇風機の前に手を曝すとすごく冷えますね。または風呂上がりに風に当たり、体を拭かないままでいるとどんどん体が冷えていきます。あれは、水が表面にあることで、水の蒸散作用が加わって、体からの熱の放出量がさらに上がる。要するに、気化熱としてそれが蒸散する時に表面から温度を奪うわけです。そういったメカニズムを利用して、我々は汗をかくことで体から熱の放出量を調整するんですね。
  そう考えると、湿度が80%と40%とではどっちが汗は乾きやすいか。40%の方が乾きやすいですね。ですから、体温を外に放出しやすいんですね。だから、その方が涼しく感じる、ということになります。
  もう1つ重要なのは、輻射熱です。輻射熱の体感温度実験をします。手を擦り合わせて下さい。擦って、そのままで手を上げて下さい。上げましたら、ほっぺた辺りにかざすんです。ただし、触らないように、かざしておいて下さい。そうすると、モアモアって、熱く感じませんか。感じた方ちょっと手を上げて下さい。皆さん感じていただけましたか。不感症の方はいらっしゃいませんか。(笑)
  今の熱の伝わり方を言うと、手とほっぺたの小さなすき間の空気が暖まって、暖かいような感じがするんです。ところが、今の現象は厳密に言うと、空気を暖めながらジワジワ伝わってきた熱ではなくて、空気に関係なく、直接手のひらから熱が放射されました。その熱線が体にポンとぶつかった時に熱さを感じた。これが輻射熱の原理です。空気を一時媒介にして熱がポンと飛び込んでくる、そういう現象です。
  ここで余談をします。僕は、日本女子大学で2年間非常勤で教えています。輻射熱というのは非常に重要な話になるんですね。そこで輻射熱を女子大生に説明する時と同じ話をします。これは女子大生には非常に受けるネタなんですけれども、残念ながらおじさんたちには受けないんです。今日は、どう考えてもおじさん比率が99%を超えていますので、受けない。これから聞くネタは自分が女子大生だという気持ちになって聞いていただくと、かなりリアリティーが出てきます。
  夏の暑い日に、クーラーのよく効いている電車に乗っています。その車両はガラガラで、自分1人しか乗っていません。次の駅に停まりました。扉が開きました。すると、ホームから、太ったおじさんが汗だくで飛び込んで乗ってきます。こんなに空いているのに、どこに座るんだろうな。まさかまさかと思ったら、自分の隣に座るわけです。座った瞬間に女子大生でしたら、どういうふうに感じますか。(笑)
出席者 困ります。
甲斐 もっとシビアです。「臭い」とか女子大生は言います。多分その方が隣にいるだけで、いきなりモアッと暑く感じると思いませんか。そういう経験おありですよね。
  僕は大阪に行った時に、大阪のおばさんって暑いな、と思ったことあります。(笑)その暑さはどうして伝わったのかを、これから解説します。その男性が電車の中に入った瞬間に、車内の空気の温度がサーッと上がっていくわけはない。そうではなくて、その方の体から熱が放射されるわけです。その熱が、女子大生を目がけてバーンとぶつかっていくわけですね。それが輻射熱。それが暑さの原因なんです。
  シラーッとした空気で皆さん話を聞いていますけど、この話をすると、女子大生はめちゃくちゃ悲鳴が上がってきます。「ヤダー、ウッソー」と騒然とするんですね。いつも、それを楽しみにして、僕は授業の初日に必ずやることにしています。それが女子大生向けの、一番有効な輻射熱の説明の仕方になるわけです(笑)。
(図3.4)
  今、何故こういう体感温度実験をして、体感温度の仕掛けを説明したかというと、この2つの違いを、身体感覚をベースにして説明するためだったんですね。今説明した内容を組み合わせると、何故ここが暖かくて、こちらが寒いのかというのは、すべて説明できるようになります。どうでしょう。今の僕の話をうまく組み立てて、ここがどうして寒くて、ここがどうして暖かいのか、ということの説明にどなたかチャレンジされる方いませんか。自分だったらどうするか、まず考えてみて下さい。
  答えを言うと、一番大きな差は何か。よく地形を見てもらうと何が違うかと言うと、ここは全く風を遮るものがない状況だということが分かります。全く吹きさらしなんですね。写真では、風が吹いているかは見えませんが、ここは常に風がビュービュー吹いています。大きな違いは風です。ここは風がずっと止まっていないんですね。
  ところが、この集落を見てもらうと分かりますけども、地形全体が風を止めるように覆っていますね。そういう地形になっていますね。だから、この庭先は完全に風が止まっています。風がないんです。
  そのことが何に影響するか。よくよく見てみると、ここの地面は雪が完全に溶けていますが、斜面地は全然溶けていませんね。何故この差が出るのか。こっちの方が日射量が少ないと思うかもしれませんけれども、実際は日射量は同じです。十分に日射が当たっているわけです。それでも雪は解けない。それは風なんですよ。日射が当たって、ここの表面に熱が溜まろうとするんですが、その熱は、常に風が当たっているので、風によって放出されてしまう。だから、熱が一向に地面に留まらずに、雪が解けないわけです。ところが、風がピタッと止まると、太陽の熱はどんどん地面を照らしていって、地面に熱が溜まっていきます。地面の表面温度は、どんどん上がっていく。雪は完全に解けます。この地面の温度を計ってみると、恐らく10度を超えています。でも、こちらの方は0度か、それ以下だ、という状況だと思います。
  そうすると、何が違うか。輻射環境が違う。それと風環境が違うわけですね。そのことによって体感が違うんです。要するに、ここでは地面が思い切り冷えていて、周りに温度が低いものがあると、マイナスの輻射熱というのがあるんですね。「冷輻射」と言います。冷輻射現象によって熱が奪われます。一番分かりやすいのは、夏場トンネルの中を歩くとヒヤッとしますね。あれが冷輻射です。トンネルの中の、空気の温度が思い切り冷えているからではなくて、トンネルの壁が冷えているんですね。壁が冷えた中に自分が入ると、その壁から自分の体温が奪われるわけです。それが冷輻射です。ここは地面の温度が上がっていませんから、体温がガッと奪われるわけです。さらに、体にずっと風が当たっていきますから、体温がさらに奪われていくわけです。それが、「体感的に寒い」という状況になるんです。
  一方で、集落の庭では、風がピタッと止まっていますから、風によって体から熱が奪われない。さらに、周りの表面温度が10度以上になっていますので、先程の状況よりも、輻射環境的には非常に暖かいという状況にあります。実際にここで比べてみると、ここは、本当にホカホカと暖かいということです。
(図5)
  次の写真が、すごく面白いんです。石ころがあるでしょう。石ころの周りを見てみますと、石ころの周りだけ雪が溶けていて、溶けている所と溶けていない所がある。これは何を表しているか分かりますか。実は、雪が溶けているところは、石ころがあるお陰で風が当たらない、要するに、風が止まっている所なんです。石がポコッとあると、風は石をよけて通過していくわけです。石の手前、風上と風下、両側に風が止まった領域ができるわけです。ちょうど雪の溶けている場所が、石ころが風を止める影響を及ぼす領域になるわけです。そうやって見ると、すごく面白い写真だと思います。
  先程の集落というのは正にこういう場所を選んで家を建てている。ところが、さっきの斜面地は、石ころの周りの雪の残っている方だったわけです。だから、寒かったわけです。そう考えると、この場所が、なぜ今まで使われなかったのか。ここを事業化させようとしていた人たちは、「甲斐さん、ここは本当にいい所ですよ。日当たりもいいし、南斜面だし、景色もいいし」と言って、ここを開発しようと考えていたわけですけれども、そもそも、この場所は寒くて家を建てられる場所ではなかった、ということです。そういう場所が残っていた、そういうことになるわけです。
  もう1回、最初の話に戻りますけれども、「環境共生」というのは、環境を「手段」にして、自分たちの身体感覚的な快適性を上げることだと言ったわけです。こういった昔の住まいは、ごく当たり前に、環境を手段として使いこなしていたということが、たったこれだけのことでも、分かるということです。

 

2.身体感覚的な涼しさづくり

 これまでの話は冬のことでしたが、身体感覚的価値を創造するために環境をいかに手段化するか、という話をこれからいろいろ具体的にしていきます。
(図6)
  夏の話をします。これは、千葉県の流山市の個人住宅です。熱環境的には、非常に性能をいいものを目指した、高断熱、高気密住宅です。建物の断熱性能は、レベルが非常に高い。さらに、窓ガラスを見ても、輸入品の木製サッシがきっちりはめられていまして、熱の逃げは非常に少ない。ガラスもペアガラスを使っているわけです。この家は、日当たりの一番いい2階にリビングを用意している生活になっています。
(図7)
  これは、南側のバルコニー側を撮った写真です。北と西側は非常に小さな窓しかなくて、南は大胆に全部窓です。非常に大きな窓を有しています。その理由は、冬のダイレクトゲインによる効果を狙っているわけですね。太陽の熱を思い切り家の中に真南から導入してあげて、家の中を温室のように暖めてしまうということです。太陽高度は冬至の時には南中高度30度という角度で家の中に入ってきますので、グーンと家の奥まで入ります。そのことによって太陽の熱が家の中を暖める。一度暖まってしまうと、住宅の断熱性能が非常に高いので熱が逃げない。それだけで家を暖めてしまおうということです。補助暖房的なものは当然使ってはいますけれども・・。
  一方で、夏はどうするか。ここのお客さんは徹底的に自然の力で生活したい、夏はクーラーなしで生活したい、というのが注文だったわけです。ここを設計した設計士の方は、そのことを考えて、冬は太陽の熱を利用する、一方で夏は太陽の熱は一切入れないというデザインのために、一番簡単なデザイン手法として庇を出すということをしました。十分な庇の出を造れば、夏至の南中高度は78度という角度で差し込みますので、ちょうど真上から来た日射は、この庇が日陰を作って、家の中には直射日光は入れないわけです。あとは、窓をガバッとあけられるような仕掛けになっていますので、直射日光を入れないで風通しさえ良くすれば、基本的には、それだけで自然の力をフルに利用したことになるだろうと普通の設計士だったら考えるわけです。
(図8)
  実際に、そういうふうに造った家で、夏、どんな生活が実現できたのか、というのを測定してみました。それがこれです。実際に測定してみると、こんな結果になりました。2002年の夏ですが、非常に暑い年で、夜になっても外気温は27度ぐらい。日中は32度まで上がっていました。家の中は、クーラーはないんです。風通しを徹底的によくして生活しています。ところが、夜になっても家の中は30度、日中は
34度です。これはめちゃくちゃ暑いわけです。
(図7)
  何故暑いんでしょうか。皆さんに考えてもらう番です。最初、僕が身体感覚の仕掛けを説明しましたけれども、その仕掛けをうまく組み合わせると、この家がなぜ暑いかを説明できるんです。
  分かりますか。ヒントはこの写真。この写真の中に暑いおっさんが写っています。どこに暑いおっさんがいるのか、ということを指摘していただければ、答えが解けます。中には一生懸命おっさんを探している人がいるかと思いますけれども、(笑)おっさんは写っていません。おっさんではなくて、実際に表面温度が高い所、温度が一番高い所が輻射熱を放射している熱の発生源になるわけです。この写真の中で、一番温度が高い所はどこだと思いますか。いかがでしょう。
出席者 ベランダの床。
甲斐 その通りですね。何度ぐらいだと思いますか。
出席者 40度ぐらい。
甲斐 40度ぐらい。実際に測るともっと高いです。55度ありました。床は杉板です。55度の熱があるとどうなるか。先程、手をかざしてモアーッと熱を感じていただきましたが、その原理で、ここから熱は思い切り放射されます。55度ですから、かなり高温な輻射熱になるんですね。この熱が、家の中にどうやって入ってくるかと言うと、窓ガラスに熱が放射されるんですね。窓ガラス自体に熱がぶつかっていって、窓ガラスの表面温度が上がっていきます。やがて、窓ガラス全体が大体36度ぐらいまで上がります。すごく大きい窓の全体が36度になっているわけです。
  イメージして下さい。家の中から見た時に、窓際におじさんがズラーッと並んでいる、そういう家です。その熱が、また再放射されて、家の中に入ってくる。再放射された熱は、やがて天井だとか床、家具、そういったものにぶつかってきて、そこにまた熱を持つんですね。家の中の物を測ってみると、大体34度ぐらいで安定します。
  もう1つ重要な話は、そうした物に吸収された熱と、空気の温度というのは全く性質が違うということです。空気というのは、温度をコントロールしやすいんです。
サーッと温度を下げたりとか簡単にできるわけです。例えば、暑くなった空気をサッと入れかえれば簡単に空気の温度というのは下げられます。ところが、物に熱が吸収されてしまうと、その熱はなかなか抜けないという現象があります。
  例えば、先程のおっさんネタを繰り返すと、電車の中におじさんが座って、しばらくしてから立って降りていくわけです。次の女子大生が、この席に座るわけです。座った瞬間に「暑い」。暑いからできるだけ腰を浮かして、扇いだりしながら5分間ぐらい我慢して、それでもう1回座り直すわけです。それでも熱がジワジワと残っている。それぐらいシートにしみ込んでしまった熱は抜けない、そういう原理です。
  ですから、この家の話で言うと、何故この家はこんなに暑いんだろうかという話です。夜、外の温度が27度になっているのに、家の中は30度より下がらない。それは、要するに家の中に熱が入り込んでしまって、壁や天井に熱を吸収してしまうと、幾ら空気を入れかえてもその熱が抜けない。それで、家の中に熱がずっと残っていくという状況だったんです。
  この家の暑さの原因がわかりましたから、改善策を考えることができるわけです。この家を改善するためにはどうすればいいですか。ベランダの床の表面温度が高くなっていますから、この熱を外へ追い出してしまえばいいわけです。どうされますか。
出席者 ヘチマか何か
甲斐 植物でね。それは、すごくいいですね。ただ、植物で全体を覆ってしまうのは少し時間がかかりますので、一番簡単で即効性のある方法は、皆さん、ホームセン
ターにすぐ立ち寄っていただいて、こうされるのが一番簡単な方法だと思います。
(図9)
  庇と手すりの位置にすだれを徹底して架けるわけです。徹底して、この日射を完全に日陰領域にしてしまうと、ここには、もはや熱はたまらない。日陰になってしまえば、外部の気温と大体同じになるわけです。そうすると、輻射熱の発生源がなくなるわけでしょう。そうすると、家の中は快適になります。
(図10)
  どれぐらい快適になったのかということを、このグラフの比較で見て下さい。これがすだれをかける前です。かけた後はどうなるか。ストンと温度が下がりましたね。これで、外気温よりも常に家の中の温度が下がったわけですね。これは、すごく面白いですね。家の中の温度は外の環境で決まるということです。
  要するに、「環境共生」というのは、そういうことなんです。家の中で身体感覚的な快適性を高めようという時に、何を作用させて自分たちの身体感覚を高めるのか、ということを考えるというのが、環境共生の基本的な考え方だと僕は思っています。
  我々が、身体感覚的な涼しさ、暑さを考える時に、まず1番身近なものは服ですね。服をまとったり脱いだりしながら、自分たちの体感温度をコントールします。次に考えるのが建物です。建物の断熱性能とか、いろんな建物の性能を考えるわけです。一般的な建築というのは、そこで終わってしまう。だけども、実はそうではなくて、身体感覚というのは、その外の環境、またさらに外の環境というふうにずっと外の環境との連続した関係性の中で決まっている。家だけで考えないで、外、さらに一歩外ということを、どこまでをデザインするのかというのが環境共生的な環境デザインということになるわけです。徹底的に「環境」をデザインしてくると、実は、建物の中で考えるだけじゃない、いろんな可能性が見えてきますよ、となってくる。
  この家も、ようやく外よりも涼しくなり、夜になってかなり温度が下がり出すようになりました。だから、風を入れると、かなり快適性が高まります。だけど、これをもっと涼しくしようと思ったらどうすればいいかというと、まだ方法があります。このすだれの温度を日中測ってみますと、実は直射日光に当たっているので、結構高いんです。何度ぐらいだと思いますか。
出席者 40〜50度ぐらい
甲斐 そこまではいかないんですけれども、大体38度ぐらいあります。
  38度ぐらいになると、ここから熱が放射されて、やっぱり、その熱が悪さをするんですね。このすだれの表面温度をガクンと下げる方法があります。一番簡単な方法は霧吹きで、すだれにパーッと水を掛けていっちゃうんです。そうすると、38度だったすだれの表面温度が、見る見るうちに28度ぐらいに下がります。
  すだれ全体が濡れた状態になっていると、このバルコニーに立っているだけで、何となくヒンヤリします。水というのは、すごい効果があります。だけど、一々水を掛けていて、端から霧吹きをしていて、お終いまで霧吹きし終わったら、こちらが反対側の端が乾き始めますので、また戻ってやり直さなくちゃいけなくなり、ずっと家に入れないことになってしまいます。

 

3. 外環境を手段として活かし「快適さ」をつくる

(図11)
  そんなことをしなくてもいい方法が、先ほどおっしゃったこれなんです。植物をうまく使う。これは2階のバルコニーです。1階にヘチマやヒョウタン、ニガウリを植えて、2階のバルコニーを全部緑で覆ってしまったんですね。これは、我が家とその上の2階のお宅と共同で行った様子です。その仕掛けをちょっとご紹介します。
(図12)
  2000年に、環境共生型コーポラティブ住宅「経堂の杜」というのができました。12家族の住む集合住宅です。
  コーポラティブ住宅というのは、簡単に言うと、建物を建てる前に建設組合を参加者同士で作る。その建設組合が発注主になって建物を造るという仕掛けです。それを作り上げていくために、私の会社が呼びかけ人になって人を集めました。集める時に「世田谷に森を作って住みましょう」と言って集めたわけです。徹底的に自然の力を活用した生活を追求する、ということを目指したわけです。
(図13)
  こういう植物というのは、徹底的に水を含んだものです。例えば、道路の表面温度は夏場60度です。ここに、もし植物が何もなかったら、この熱は思い切り窓に直撃してきます。窓の表面温度はグッと上がっていって、その熱が家の中に再放射される形で入ってくるわけです。ところが、ちょっと植物があって、壁のような状態、要するに水の膜のような状態を作ってあげると、この水が熱を全部吸収して、完全に熱の侵入を食い止めるわけです。
(図14)
  屋上には、土が40センチ入っていまして、菜園になっています。これは、ヘチマとかを植えている風景です。30株植えました。2000年の5月の様子です。作戦としては緑で覆うということですが、当初は、果たして夏まで間に合うかなと思ったんですけれども、これが8月になるとどうなるか、見て下さい。
(図15)
  すごいですよ。こうなります。これ、我が家です。最近は全体の緑と溶け合って、まさに森の中という状況になっています。
(図16)
  3階まで行くんじゃないかと思って、次の年、2001年に、みんなでこれをやったんですね。そしたらこうなっちゃったんですね。でも、これもすごい効果がある。これがなかったら、建物全体が熱を吸収してしまうわけですけれども、こういう水の膜を覆うことで、建物が常に汗をかいているという状況になるわけです。
(図17)
  これは共用部空間です。見れば分かる通り、共用部空間自体を快適にするわけです。外環境が快適になれば、家の中は快適になるよという非常に分かりやすい話ですね。これはヒョウタンです。これはスイカです。2000年の夏に向けて、5月の連休にホームセンターに行って、ありとあらゆる瓜系のものを全部買い込みました。その中にスイカもあって大変期待をしていて、見事に実がなりました。でも、すごく期待していたんですけれども、このスイカには裏切られました。何故かと言うと、スイカというのは一向に上に這っていこうとせずに、地べたばっかり這うんですね。だから、緑のカーテンに参加しないんです。
(図18)
  ですけど、悔しいからこの写真だけは撮っておきました。(笑)これを食べると体が冷えるということを体感したわけです。
(図19)
  これが2階の風景です。外から見るとうっそうとした感じで、デザイン的に美しいかという議論はまだあると思いますが、この時経験したのは、室内から見た風景は非常にきれい。キラキラと葉っぱが輝くような、そういった世界になります。美しいですね。これが微妙に揺れるんですね。それがまた何とも言えない雰囲気になるんです。
(図20)
  この家は、このお陰ですごく涼しいです。クーラーなしで完璧に生活しています。外気温が35度を超えるような日でも、27〜28度ぐらいで生活できている。そのためには、この緑の力だけでなく、もっと大きな樹木の力も利用しています。
  この「経堂の杜」の建物の北側には、樹齢100年を超すようなケヤキの木が5本残っています。いろんなところの温度を見てみると、場所ごとに全部温度が違って、最大で5度ぐらいの温度差がつくんです。そして常に温度が低いところは、このケヤキの下なんです。
(図21)
  これはどういう理屈なのかということで、いろんな文献を調べてみて分かったことがあります。すごく大きな木の下、ちょうどこの場所に、夏場暑い時にいると、誰もが非常に快適です。心地いいヒヤーッとした空気を感ずることができるはずなんです。
  この理屈は、まず木の全体がパラソルみたいに大きな日陰を作っているわけです。これがすごく重要なんです。もう1つは、この樹木が吸い上げる水に理由がある。グーッと水を汲み上げて葉っぱから水をはき出すんです。なぜ葉っぱから水を吐き出すかというと、太陽の光を使って光合成をするために葉っぱはある。ところが、光をまともに受けて葉っぱの温度がガーッと急上昇してしまって、細胞が壊れてしまうと、死んじゃうわけです。葉っぱの表面温度を下げるために、水を汲み上げてそれを吐き出すということらしいです。だから、日の当たっている側の方が湿った空気になります。これは面白い現象が起きる。この湿った空気はどこに行きますか。重たくなって下に下がっていくように思いませんか。ところが、この現象は逆なんです。軽くなって、グーンと上がっていくんです。
  湿った空気がグーッと上がっていく原理は、複雑な原理らしいんですけれども、一番わかりやすいのは、南の海の上で太陽熱を吸収した海水が思い切り水蒸気を出して、その水蒸気が上昇気流をグーッと作り上げていっているわけです。その上昇気流が結局巨大な低気圧を作ります。それが台風の始まりですね。水がかかわることで思い切り大きな気圧差を作りますね。低気圧というのは基本的には上昇気流らしいです。
  ここで上昇気流が作られるというのは、そういう地球単位の気候を作り上げている台風の原理とも似ているんだと指摘をされた方もいました。そういう仕掛けがあるそうです。上昇気流が起きると、ここの空気がグーンと薄まって、気圧が下がるわけです。上昇気流ばかり起きると、やがて木の下は真空状態になって、ここにいた人は死にます。ところが、木の下でバタッと人が死ぬことはないです。何故かと言うと、気圧差が下降気流を誘発するんですね。北側の日陰部分の方から空気の温度が下がっていますので、この空気は重たくなって下がってくる。さらに大きな木の場合は、上空付近の方から空気が下がっていく。地表付近に吹く空気があるそうで、それに対して上空の冷たい空気を押し下げるんだということが相まって、この空気の温度はどうも低いらしいんです。
  「経堂の杜」での実体験では、3度から5度くらいは温度差がありそうなんです。ということは、建物の北側に樹木があるのは案外有効なんだということが分かる。
  それはどういうことか。北側にある樹木は冷気を作り出して木の下に溜めるんですね。ここに溜まっている冷気を、家の中に引き込むような形で建物をデザインするわけです。北側に窓か何かつけて、さらに家の中にこの空気を引っ張り込もうと思ったら、トップライトを開けると暑い時は上に上昇します。煙突効果ですね。そこから、暑い時はパーッと出ていく。その力によって、冷えた空気がスーッと吸い込まれる。そういうデザインにしてあげて、建物と外の環境を一体にすることで、この樹木を空調装置として生かすことができるということになります。私の住んでいる「経堂の杜」の場合は、正にこの北側の樹木が冷熱源になっています。ここに冷気を作り、その空気を各家に配ってあげるというデザインを考えたわけです。
  一方で、もう1つ重要なのが、北側の樹木と南側の樹木は役割が違うということです。これを認識すると、非常に役に立ちます。北側の樹木は冷気を作りますけれども、南側の樹木は、南から押し寄せてくる輻射熱を遮ります。例えば、道路の表面温度は60度を超えますけれども、もしこの緑がなければ、この熱は直接、横なぐりに家の中に放射されて直撃してきます。ところが、ここの樹木は水の壁なんです。植物が持っている水が外から押し寄せてくる輻射熱を全部吸収して、家の中には入れない、そういう仕掛けになるわけです。
  ですから、南側の樹木は外から押し寄せて来る熱に対しての防波堤になるんですね。北側の樹木は冷気を作る。そういうバランスを考えるといい、ということになります。
(図22)
  実際にそういうことをうまく組み合わせて、こんな生活空間が生まれました。外気温が36度の時に、先程の2階の家はクーラーなしで28度です。その下に僕の家があるんですが、僕の家もクーラーなしで27度。あとは扇風機だけで涼しいんです。
  この生活がすごく快適なんです。一番最初の話に戻りますが、28度って、涼しいですか。一般的に言うと、空調装置を使っている部屋で28度設定というのはすごく暑いと思います。オフィスで28度なんかに設定していたら、暑くて全然仕事にならないでしょう。だけど、こちらは同じ28度でも、うんと涼しいですよ。
  その違いは何か。それは輻射熱ですね。ほとんどのオフィス、ほとんどの家は窓の表面温度を測ってみると思い切り暑いです。例え空気の温度が下がっても、その輻射熱が自分の体に熱を与えてしまうんです。だから、28度だと足りないんです。
  簡単な理屈で言うと、窓際に座っている人は暑いです。窓の表面温度が36度だとします。室温が28度だとします。そうした場合に体感温度は大ざっぱに言うと、平均値です。足して2で割るんですね。28度と36度の平均値は32度です。ですから、暑いんです。逆に窓の表面温度は36度のままで体感温度を28度にしたければ、室温をもっと下げなくちゃいけない。何度まで下げればいいんですか。平均値を28度にするには、28度と36度の間は8度の温度差がありますから、28度よりも8度引いて、空気は20度じゃないと、体感温度は28度にすることはできない。
  それぐらい外の環境による、窓面の表面温度が体感に影響しているんです。そんなことをしなくても、僕たちの家は、窓の表面温度が十分に低くて、室温と同じぐらいですから、28度の室温であれば体感温度は28度なんです。体感温度28度で扇風機が回っていれば非常に涼しい。逆にクーラーが作る人工的な涼しさが嫌らしくなるぐらい、こういう生活空間に慣れてくると、そういう感覚になって、非常に居心地がよくなってきます。
  ですから、「環境共生」が作り出す快適性というのは、生物的に考えると、健康になりやすい。自分たちの体を活性化させながら、健康を保ちながら非常に心地よさを作っているように感じます。
  それに比べて人工的なものは、逆に体を不快にする。健康的じゃなくなるような、もっと言うと、自分たちの体の新陳代謝能力をすごく低めてしまう、そういうことになっているように感じます。


 
 
4.「豊かさづくりのジレンマ」を招くパラダイム
 
  話をさらに進めていきます。「環境を価値化する」というのが今日のテーマなんです。「環境の価値化」をすることの原点のお話をします。
(図23)
  この写真は沖縄の集落の写真です。この集落は、写真で見るとおり、森のような環境の中に家が点在しているといった場所です。巨大な森があるような、そういった場所に住んでいるわけです。その集落の中の道は小道が碁盤の目のように通っています。この中を歩いていると、めちゃくちゃ涼しい。あれだけの樹木があれば、巨大な空調装置になっているわけです。全体が穏やかな環境を作り上げて、そこで生活していれば、当たり前に涼しいよという状況になっています。
  沖縄の特徴は、さらに建物の重心を下げるんですね。そのことによって、台風から建物を守っているわけです。
(図24)
  この写真は非常に特徴的です。道路があって、道路の両側に街路樹がズラーッと植わっているように見えるわけです。ところが、これは街路樹ではないんです。これは両側とも、実は生け垣です。左側の樹木はこの左側の家の、民地の境界線上の生け垣なんです。ただ普通の生け垣と違うのは、ちょっと大きいだけ。右側の木は右側の家の生け垣で、これが300軒ズラーッと碁盤の目のようにずっと並んでいくんです。
  この樹木はなぜ植えられたのか、というのは次の写真を見るとよく分かります。
(図25)
  分かりますか。これは私どもの会社のスタッフですけれども、ここは風が強い日が非常に多いんです。要するに、海のど真ん中にあるわけだから、風の害が非常に多い。左側が集落の緑です。集落の外に出てみると、こんな風の強い日がざらにあるわけです。彼の険しい顔つきをよく覚えておいて下さい。
(図26)
  この険しい顔つきが集落の中に入った瞬間にこんな顔つきになります。ニヤニヤしているわけ。要するに風がない。外に出るとこんなに吹いているのに、集落の中に入ると全然ないわけです。それぐらいこの樹木が、風に対しての抵抗になっているわけです。これで過ごしやすい環境を作り上げている。彼らは、風との闘いの中で快適性を手に入れるために、この樹木を丁寧に植えてきたわけです。こういう樹木を丁寧に植えることによって、どんな集落が生まれたのかという全体像を航空写真で見せます。
(図27)
  この航空写真を見ると、結構感動しますよ。こんな状況です。すごいですよ。僕は感動しましたね。その場所に行っていても分からなかったのが、後で見てみたら、こんな生き物のような形をしているわけです。
  さらにこれを見ていてもっと気がつくのは、この樹木は決して先にあったわけじゃないんですね。森が先にあったわけでなくて、コツコツと彼らが作り出したんです。
(図28)
  その原型はこれです。家があって、家の周りに木が植えられています。家を建てる時に必ず木を植えるわけです。それを誰が言うともなく、みんなが繰り返しているわけです。ですから、家が建てば建つほど木が育っていって、それが300年かかって、これだけの環境を作ったということになります。
  こういう環境は、基本的には東北地域でも同じで、彼らは寒さ対策として木を植える。そういう家が並んでくると、集落全体の環境が整っていくわけです。非常に似ています。というように、風に対しての調整機能として環境を使いこなすために徹底的に緑の環境を生かした。それが町の骨格を造り上げてきた。何が言いたいかというと、昔に遡ると、環境を使いこなすことは当たり前だった。
(図29)
  ところが、現代の町になると、こうなります。現代の沖縄の都市は、こういう街並みになっています。環境を使いこなすことが一切なくなるんですね。
  こういう環境に一気に変わったのはいつ頃か、というのを検討してみると、そんなに昔じゃない。せいぜい40年ぐらい前です。40年前に遡ると、緑の街並みがどこもかしこもあったわけです。しかし、40年前から現在に、ある点を境にして一気に変わります。沖縄では、すごく重要な年があります。1962年です。1962年を境にして、前へ遡ると緑の街並みが当たり前だった。ところが、62年を境にして、現在に入ってくると、街並みは全部写真の関係に変わっていきます。
  62年に何が起こったと思いますか。東北地域でもどんどん街並みが変わっていきます。それが大体60年代から70年代にかけて変わるという意味では、同じ時期なんです。62年とは、1964年が東京オリンピック、1970年が大阪万博というところで、まさに高度成長時代の始まりみたいな年になってきたわけです。
  その高度成長期時代が境になって、一気に町の様子が変わるんですけれども、沖縄の場合は何が起きたか。この写真をよく見ていただくと、理由が写真に写っています。住宅の特徴がすごく重要なんです。どの住宅もコンクリートなんですね。すべてRCなんです。沖縄の住宅を建てる時には、ほぼ100%RCで造る。
  1962年に何が起きたか。昔は木造住宅しか造れなかった。ところが、アメリカ軍がコンクリートの技術を導入しまして、沖縄はいち早く住宅をコンクリート化させることになってきたんです。62年というのは、コンクリートの新築着工数が木造を抜いた年です。その年以降コンクリート住宅が主流に変わります。
  昔の木造住宅は構造的に非常に弱かったですから、5年に一度ぐらい、すごい台風が来ると、住宅が単体では華奢だから壊れてしまう。それを防ぐためには、外の樹木が必需品だった。昔の住宅は住宅単体では足りないんです。外の環境が必要だった。それだけです。その必然性が外の環境を作り上げてきたと考えると分かりやすい。
  ところが、住宅がコンクリート住宅になって非常に強固になって、どんな台風が来ても家は壊れない。さらに気密性のいいサッシができて、ピタッと閉め切って家の中に閉じこもってしまえばもう安全。さらに、ここに空調装置が入ってきて、スイッチを点ければ家の中は快適になるとなってくると、もはや外の環境が要らなくなるわけです。こんな便利なことはないわけです。丁寧に町ぐるみで巨大な環境を育てなくても、個人単位で家を建てて、みんなで協調しなくても、個人主義的に自分の環境を作れるわけです。そうすると、外の環境に丁寧に手を加えていこうという気持ちは完全になくなります。それが現在です。非常に楽だからです。だから外の環境はなくなるというのが僕の見方です。
  そう考えてみると、現代の環境問題とか都市環境の話をする時に、パラダイムが変わったんだという見方をするのが時代を把握するのに重要だと僕は考えました。
  パラダイムとはどういうことか。時代時代を見ていくと、どうも徐々に変化してくるんじゃなくて、どこかしらに不連続にガラッと価値構造が変わる瞬間がある。その価値構造が変わる瞬間、何が価値を変えたのかということを見極めてくると、今の都市構造が見えてくる。それは、パラダイムをもって見ていくわけです。
(図30)
  僕が整理したパラダイムというのは、こういう整理の仕方です。どう考えても、
  1960年代から70年代より前の時代と現代とは、都市の価値構造が違う。その価値構造の枠組みのことをパラダイムと呼ぶわけです。過去の集落を成り立たせていたパラダイムのことを、私は「依存型共生」と名づけました。どういう意味かと言いますと、「依存型」というのは住宅を造る技術が依存型という意味です。要するに、住宅が単体では成立し得ないような依存型の技術しかなかった時代には、それを補うために必然として共生環境が生まれます。ですから、「依存型共生」と名づけました。
  現代は、パラダイムが技術の進化によって一気に変わる。どういうふうに変わったかと言うと、依存型の技術が自立型の技術にガラッと変わる瞬間があったんですね。高度成長期時代を境に、一気に自立型技術に変わっていって、その自立型の技術をどんどん進化させてきたのが、現在の我々の暮らしだということだと思います。
  自立型の技術を手に入れてしまうと、もはや我々は共生する必要はなくなります。自分だけでよくなります。その結果として孤立していく。現代の時代は「自立型孤立」だというふうに名づけたんです。


 
5.パラダイム論から見えてくる未来のシナリオ
 
  こうやって見ると、結構いろんなことが分かるんですね。例えば、現代の都市の環境問題、特にヒートアイランドに代表されるような都市の熱環境の問題は、まさに「自立型孤立」、要するに他の住宅と全く関係性を結ばずに、自分のための住宅を自分勝手に造ることができる技術を得た個人は、他人と共通することなしに孤立して建てていけるわけです。ランダムな調和のない住まいづくりが町全体の調和のない状況を作り、それが今の町中の、レベルの高いとは言えない景観を生み出し、さらにヒートアイランドという問題を起こしている。今の都市問題はこの枠組みにあるということが言えると思うんです。
  これは単に環境問題だけじゃありません。コミュニティー問題も同じことで解けると思います。子どもの問題とか老人問題も、我々の生活のスタイル、生活の枠組みが孤立していることが前提になっている。他人との関係性を結ぶことなしに個人は贅沢で便利な生活もできるわけです。そうすると、町中のコミュニティーを必要としない。
  昔は、自分の住んでいる世界は必ず外の世界とつながってなければ生きていけなかった。個人単位では生きていけないから、町全体での関係性で維持してきたわけですね。人間関係が非常に濃厚なわけです。そういう濃厚な関係の中でしか個人が生きられない。ところが、それが一気に解き放されて、自由な個人主義を謳歌していく生活スタイルができ上がってきた。それは便利で個人主義的なすごく価値のあるものだと我々思い込んでいたんだけれども、実は人間関係が全然とれない、地域のコミュニティーというのはどんどん希薄になってくる、皆孤立していくということに気が付く。その結果として、子どもとか老人問題が浮き彫りになってくるだろうと思います。
  子どもが犯罪に巻き込まれやすい。それは地域のコミュニティー防犯能力が下がっているということです。それから、独居老人が全くケアされることなく、早く異変に気が付いていたら、もっと延命できた人が死んでも気が付かれない。気が付いた時には、もう3カ月前に死んでいたという事件は、ざらにあるわけでしょう。
  要するに、弱い立場の人たちが、今の時代の枠組みからマイナス点を受けるんですね。非常に働き盛りで自由を謳歌している我々にとっては、そのことのマイナス点は余り気が付かない。今はそういう時代だと思います。
  別の言葉を使うと、昔の住宅は不便だったんですね。その「不便さ」を補うためには、外との関係性が重要だった。外に対して働きかけることが重要だった。その「不便さ」を補うための外への働きかけが豊かな外の環境を作り上げていた、つまり、「不便さ」が「豊かさ」を作っていたんですね。
  ところが、現在の住宅は便利になった。「便利」になると、「不便さ」を補う必要がなくなるので、外との関係性を断つわけです。外に対して働きかけがゼロになると、外に「豊かさ」は生まれない。だから、不便な時代には「豊かさ」を手に入れることはできるんだけれども、「便利さ」を手に入れてしまうと、もはや我々は「豊かさ」を手に入れられないという状況になっているのが、このパラダイムの整理です。
  そう考えると、「便利さ」と「豊かさ」のどっちかを取らなくちゃいけないという議論になっちゃう。今の時代に重要なのは、都市としての「豊かさ」をどうしたら手に入れられるかという議論になる。その時に、今の進み過ぎた技術によって「豊かさ」を失っているのであれば、依存型の技術をベースにした、もっと伝統的なローテクを使った世界に戻る必要があるんじゃないか、という伝統回帰的な議論もある。
  基本的にはパラダイムの特質を考えると、それは不可能です。パラダイムというのは1回先に進むと過去には戻れないという特質があります。だから、「便利さ」を知ってしまった人たちに不便な世界に一緒に戻りましょうと言っても誰もついて来ない。
  そう考えると、非常に悲観論に聞こえるわけです。「便利さ」を手に入れられても、永遠に「豊かさ」は手に入らないという悲観論。でも、実はそうではなくて、パラダイム論の特質に従うと、もっと楽観論になります。それが今日のテーマなんです。

 

6.次なるパラダイムとしての「自立型共生」
 
  パラダイムというのはずっと同じパラダイムが固定することは絶対ないんです。今のパラダイムはどこかしらの段階で、また次なる新しいパラダイムに移行してきます。移行する先がどう変わるのか、というところを議論することが重要なはずなんです。
  今の都市環境のいろんな問題、コミュニティー問題、それから都市の環境問題、そういった問題を起こしている根源は、この孤立しているという状況だと思います。恐らく、新しいパラダイムは、自立型の技術は誰も捨てないでしょうね。自立型の技術はもっともっと追求されていくんだけれども、その孤立し合っている状況をいかに「共生」ということに持っていけるか。要するに「自立型」の技術と「共生型」の技術とをハイブリッド化させるというのが、多分新しいパラダイムだろうと思います。
  これは別の言葉でいうと、「便利さ」も「豊かさ」もどっちも同時に追求するということができたとしたら、それは現代でもその前の過去でも、どちらの時代でも実現でき得なかった新しい価値なんだろう。その時代をいかにしたら作れるのかというのが、実は今日の僕の話の中心的なテーマになるわけです。
  それを、僕は「住環境統合理論」と言っています。「関係を価値化する」ということです。今まで我々は自立型の技術をベースに作り上げていって、「関係性」というものをどんどん断っていくわけです。個人単位で全く関係性を断っても自立できるよというところに、自立型の価値の意味があったわけだけれども、その自立型の価値は捨てないで、もう一度関係の価値とハイブリッドさせるということで新しい価値が生まれる。それを、私は3つの「関係性」に集約させようと考えています。この3つの関係性を丁寧に作ると、今申し上げたような「豊かさ」と「便利さ」の調和のとれたハイブリッドな世界が生まれるんだろうと思っています。
(図31)
  基本的には、先ほど申し上げましたとおり、「環境共生」というのは、徹底的に身体感覚的な価値を追求していくというのが始まりだと僕は思っています。
  住宅を自分の個人の空間から見た時に、まず気候的な関係性を作るんですね。「気候の連続」と書きました。家の外にある樹木が、どういうふうに連続してくるのかということによって、実は、その連続性がここにある局所的な気候を作り出すわけです。それを、自分の家に繋ぐという考え方をすると、環境のデザインの手法というのが見えてくるわけです。これが1つ。気候の連続性を作り出して、それが熱的な快適性を作り出すというのがまず1つ目の関係性です。
  2つ目が、「景観の連続性」です。我々が窓から外の風景を見た時に、どういう風景が贅沢な豊かな風景に感じるかというと、それは奥行きのある形でどんどん連続している、奥行き感のある風景です。
  奥の方に大きな公園があったとします。この奥の方の緑は自分の手前の領域とうまく繋げると、自分の庭と繋がったように見える。だけど、この緑がなかったら、この緑は分断されて見える。いわゆる借景の原理ですね。
  一方で、もう1つの関係性は、「利用の連続性」と呼んでいます。身体感覚的に「豊かさ」を味わって、さらに視覚的に「豊かさ」を味わって、どうせそこまで作ったんだったら、その空間を日常的に生活空間として使えるようにしてあげよう。大体その3つぐらいの関係性を価値化すると、それは非常にレベルの高い「関係性の価値」が生まれるだろうと思います。
(図32)
  気候を繋げるというのは先程の話です。これは世田谷の私の家のすぐそばの風景です。よくこんな大きな屋敷があり、屋敷林があります。その隣に家が建ちました。この家の境目を見てみると、こんな風景です。この家の北側に屋敷林がありますけれども、これを図解してみると、こんな図解になります。
  この屋敷は気候的にいうと、この樹木が巨大な空調装置になっていて、非常に涼しい風を町中に放出しているわけです。ところが隣の家は、この空気を手に入れることができるかと言うと、北側の窓をあけると、太陽高度は非常に高い位置にありますから、日中は道に熱が溜まっているわけです。ここの道路の表面温度はめちゃくちゃ高温になっています。そうすると、この熱がこの空気をあおってしまいます。この窓をあけると、この涼しい空気は入ってこなくて、暑い空気がモアッと入ってくる。窓を閉めても、先程も言った輻射熱の原理で、この熱が窓辺を照らすわけです。案外、北側の窓辺が熱源になっています。窓を閉じていても、家の中にそれがまた熱として入ってくるわけです。
  それでは、これを先程の僕の言わんとしている関係性をデザインすることによって、気候的な快適性を高めるようなデザインをしてみましょう。
(図32)
  例えば、こうやればいいわけです。この北側に、屋敷の樹木と同じような樹木を植えるわけですね。それを一帯に植えていく。こうすると、隣の緑が自分の敷地まで繋がります。この隣の家の気候が自分の敷地まで繋がるわけです。そうするとどうなるか。北側の窓を開けた時に、この樹木が作り出す冷気ではなくて、隣の冷気をずっと引っ張り込んできて、その冷気を味わうことができることになる。関係性をデザインするというのはそういうことなんです。これは別にコーポラティブ住宅じゃなくていいわけです。日常的な空間の中の関係を価値化すればいいわけです。
  まちづくりという話で、プロがコーポラティブとか言うと、どうも隣近所の人とまず仲よくなろう、お互いにお互いを理解しようということから始めないと町全体を造れないと思っている人が多いような気がするんです。それはすごく意味があることだけれども、それはそれとして、一方の関係のデザイン論は人間関係が全然なくてもできちゃうという話が主流です。別に隣同士仲が悪くてもいいんです。勝手に隣と繋がっているようなデザインをすれば、得をするわけです。単純に自分が得か損かということだけで、関係を価値化すると非常に分かりやすい。これはマーケティング的なわけです。これが先程言った「気候の連続性の価値化」ということになります。
(図32)
  次に景観を繋げる。これは面白いですよ。京都の南禅寺って、あるでしょう。その周辺に豪邸がたくさんあります。これは山県有朋が明治時代に造り上げた別荘です。隣がない庵と書いて、「無隣庵」。無隣庵は、京都の東の方にあります。これが東山です。この写真だと、この別荘はすごく贅沢な所で、東山の懐の大きな森の中にあるように見えるじゃないですか。本当にそう見えるわけです。非常に心地いい場所です。
(図33)
  ところが、この無隣庵の外を歩いてみるとこんな風景です。外に森なんかない。東山なんて、うんと遠くで全然近くにないんです。隣にはこんなアパートがあるんです。
  どうしてこういうふうに見えるかというと、これは昔ながらの日本のすぐれた伝統的なデザイン手法である借景のためです。ノイズになるものを庭の中の樹木で全部囲い込んでしまっています。多分、こういうことかなと思って僕は感心しましたけれども、奥の樹木の高さと別荘の近くの樹木の高さは、奥が低くて手前が高いんですね。遠近法を使って非常に奥行き感があるように見せている。そのことによって、この東山がすごく近くにあるように見えるようにしています。
  さらに、こんなに車通りが多くてうるさいような所なのに、非常に静かなんですね。なぜ静かなのかなと考えてみたら、水が流れているからなんですね。水がチャラチャラ音がしているのが妙に心地良い。我々の耳というのはどうもいい音に対して敏感で、悪い音といい音と混ざっている時には、いい音の方に意識を向けて、悪い音が気にならなくなるという性格がどうもあるらしいんです。そういうことがうまく相まって、非常に快適なものができ上がっている。こういうものを全部含めて「景観の連続性」というものを価値にしているわけです。

 

7.「関係性」の価値化

(図34)
  そういうことを実現させた具体的な1つの事例をちょっとご紹介します。
  今、申し上げた通り、「利用」と「景観」と「気候」、3つの関係性をいろんなプロジェクトの中に位置づけていくと、いろんなデザインが見えてくるわけです。これはどういうものかというと、6軒による住宅地開発を、今、プロデュースしていまして、埼玉県の幸手市の事例です。田んぼを開発しているんですけれども、東側に道路がついています。この道路を中に引き込みながら区画をしていくんです。
(図35)
  この区画をどういうふうにするかというと、こういうことです。普通、区画をしようと思ったら、真ん中に開発道路を入れて。周りを短冊状に切っていって分譲する。
(図36)
  ところが、今回やったのは、こういうふうな道路を入れて、そこと全部繋げていく。そういった仕掛けを作ったわけです。この違いは何かというと、関係性を価値にしているかどうかの違いです。
  従来は「関係性」を徹底的に断つわけです。自分の領域を明確にしていって、他人とのまざり合う部分を明確になくしていって、それで個人領域を明確にして、個人領域の中であとは好き勝手なことをやっていいよ、ということを明確に権利として与えておいて、それを売るというやり方です。これは普通のやり方です。
  このやり方は、徹底的に関係性の価値を高めるわけです。まず「利用の連続性」でいくと、各家にはここをずっと伝わってこういうふうに入っていくわけです。動線というのは非常に重要な利用空間で、この利用空間を、誰もがみんなの持っている庭のポテンシャルを味わいながら各家に行くようにしてあげると、連続した緑の関係性が非常に贅沢な利用空間を造るわけです。さらに、ここに、みんなが使えるバーベ
キューコーナーを造ったりとかしているんですね。
  各家は縦列駐車で家のそばに2台とめられるようにしています。2台目は道路近くの駐車場に停められるんです。そうすると、どの家も2台持ちながら、そのことによって車しかないような環境ではなくて、非常に贅沢な環境ができるわけです。
  景観という話でいくと、どの家も自分の庭だけじゃなくて、その延長線上にずっと奥行き感を持って緑が見えるように全部配置しました。ど真ん中にケヤキの木が3本あるんですけれども、こういうものはすべて連続的な景観を作り上げるわけです。一番奥まった家の、自分の庭の先に隣の人の庭があり、さらに隣の人の庭があり、共用部の庭がありというところで、全部が繋がってきて、この奥行きが贅沢ということになっていくわけです。
  それから、「気候の連続性」で言うと、そういったことで作られた空気が家の中に入ってくると、当たり前に快適なんです。さらにもっと言うと、どの家も2方向に同等に開けるような関係を造っているんです。例えば、この家は南側に自分の庭があります。リビングを持っています。一方で、このリビングはこちら側にも繋がっているわけです。この庭が、一方でこの人の庭なわけです。
  でも、プライバシーはきちっと確保するために、視線をカットするような、緑の植え方をするんですけれども、関係性をベースにして、「気候」「景観」「利用」というのを余すところなく関係性で解いてくると、非常に有機的な贅沢な環境のデザインがあり得るんだということになります。

 

8.「関係性」を価値化することで生まれた「欅ハウス」

 ここで、ビデオを用意しています。2003年に「欅ハウス」というプロジェクトが完成しました。これは2004年に都市計画家協会の大賞をいただいた事例です。
  話をもう1回整理してみると、「環境共生」というのをできるだけ分かりやすく考えると、理屈とか概念、そういうことよりも、身体感覚とどこまで環境は繋がるのかということで捉えようよということが非常に重要な視点だということです。
  そして、身体感覚と環境というのは、間違いなく繋がっているんだけれども、一方で、現代の技術を手段として使って環境との分断を図ることで、その身体感覚として便利な快適さを我々は手に入れたわけです。
  そういったパラダイム自体が既に「環境共生」という枠組みと考えると、全く拮抗する、全く正反対の技術であるわけです。そういう技術がなかった時代に戻ると、「環境共生」というのは逆に当たり前で必然だったわけです。
  ところが、現代になって、どうして環境共生、環境共生と叫ばれるようになったかと言うと、環境とかコミュニティーを必要としないテクニックを我々は身に付けていて、それをベースに住まいづくりとまちづくりをやっているからです。環境をもう必要としない、という時代のパラダイムの中において、便利だけれども、その結果として非常に豊かなものは手に入れづらくなっているということに、恐らく我々は気が付き始めていて、次なるパラダイムを模索している。その次なるパラダイムを模索したところで出てきたキーワードが、おそらく「環境共生」だと思います。
  (ビデオ上映)
 
  今、お見せしたのが、関係性を価値化する、そういったプロジェクトの一例です。今のプロジェクトを見ていただいて、非常に仲のいいコミュニティができ上がっていますよね。でも、あの人たちは、1年半前に遡ると、見ず知らずの他人です。
  僕たちがこうしたコーポラティブを造って、関係を価値化させていくために、すごく注意することがあります。住民の皆さんに、最初の総会の時に注意深く言うのは、2つのルールが重要だということです。2つのルールに従って皆さんは参加して下さいと。1つ目のルールは、決して一生懸命仲よくなろうとは思わないで下さい。2つ目は、自分のためには協力関係を結んで下さい、ということです。
  何を言いたいかというと、15世帯も集まれば、仲が良くない人もいるのは当たり前。みんなが同じように仲よくなれるというのは幻想ですね。逆に仲よくならなくちゃ一緒に生活できないとみんなが思い込むと、それはすごく辛い集団になります。仲よくなることが目的じゃない。仲よくなることはいいです。自然に仲よくなればいいんだけれども、無理に努力して仲よくなろうということはしないで下さいということです。もっと言うと、人間関係が仲よくなくても、距離感がある程度あっても、他人を尊重しながら、ただ、自分のためになるんだったら協力はして下さいよ、と言うだけだと言うことをしていきます。
  そういうことをやりながら、こういうプロジェクトができ上がってくるわけですけれども、要するに、こういう豊かな緑環境をみんなが享受しながら、結果としてこういう涼しい環境を自分たちの共有の庭として持つわけですね。結局、そういった共有で造り上げた非常に贅沢な環境を、誰もが価値化するという空間さえ造れば、あとは日常生活の中でその環境を1つの媒介にして人間関係が育まれるんです。心地よさを作っている共有物があると、必然的に非常にいい人間関係が生まれてくる、その結果として先程のビデオのような、たいへん豊かなコミュニティが生まれるんですね。
  環境を装置化する、価値化する、関係を価値化する、そういう場を作っていくということだと思います。


 
9.「複雑系」と都市環境再生

(図37)
  まとめに入っていきますけれども、「住環境統合理論」に基づいたまちづくりということを最後に、さらにビジョンを広げて話したいと思います。
  僕が今までずっと話してきたことは、すごく身近な関係性の話ばかりなので、そんな身近な関係性を丁寧に作り込んだところで、まちづくり全体にはなかなか話が及ばないなと誰もが思うと思うんです。
  ところが、次の話に基づくと、すごく小さなことをやっているようで、実は大きな街の全体の関係性を変えていく可能性があるんだということがわかるんですね。小さな関係が大きな全体の価値を作り出す、そういうことを「複雑系」と言います。
(図38)
  複雑系という考え方に基づくと、初動が非常に小さなことであっても、それはまちづくりに繋がってくるんだということが見えてきます。複雑系の原理とは、個と個の関係から全体が創発するということを言います。鳥は1羽だけで飛んでいれば勝手に飛びます。ところが、20羽揃うと編隊飛行が始まります。全体性が生まれる。その全体性はどうやって生まれてくるのかを徹底的に研究した人がいるんです。
  最初のその研究の1つの課題は、この20羽の鳥はかなり複雑なコミュニケーションをしているに違いない。ところが、それは違うということが分かりました。鳥は全体とはコミュニケーションなんか取ろうとしていない。1羽1羽の鳥はすごく単純な、周辺の鳥とのすごく単純な関係性だけを成り立たせているだけなのだと。しかし、個々の鳥同士の関係の連鎖が、たいへん複雑な全体性を創り出しているということに気づくんです。
  その関係性というのは3つです。1つ目は、必ず群れをなしている方向を目指す。2つ目は、近くの鳥とスピードを合わせるようにする。3つ目は、ぶつかりそうになったら離れる。この3つの単純な関係を個々の鳥に与えるだけで、全体のことは考えない。あとは勝手に飛べばいいという条件を揃えて、コンピューターのプログラムを作り、コンピューター上でシミュレーションしてみると、みごとに編隊飛行のような形ができ上がっていくわけです。このように、すごく小さな単位の単純な関係の繰り返しが非常に複雑な全体性を作り上げていくんだというのを「複雑系」と言います。
  そう考えると、先程言ったこういう街並みは、実は非常に単純なことの繰り返しにしか過ぎないわけです。家があって周りにいろいろ木を植えるだけですね。それを誰もが繰り返していくと、全体性が生まれてくる。これは、単純な関係性が複雑な全体を作り上げてきているという「複雑系」の考え方になるんだろうと思います。
  一方で、全体の価値が生み出せてこない現代の都市というのは、全体の複雑な系が生まれないということなんですね。複雑な系が生まれない理由は何か。それは簡単なんです。個々の住宅が完全に孤立していて、外との関係性を見出さない。そういった生活の単位が成立してしまったんですね。個々の要素が外との関係に作用しないという状況になった瞬間に、全体は生まれないということです。

 

10.「関係」を価値化し、「複雑な系」を創発させる

(図39)
  もう一度ここの中に、今言いました通り、個々の価値は関係によって見出せるんだということを徹底して、個々の得か損かをそういうレベルできっちりと作り上げていき、それを事業化していくということを繰り返すと、街全体を考えなくても、その繰り返しが非常に贅沢な環境となる可能性があるだろうと考えたんですね。
(図40)
  その考え方に従って、流山市において実験的な取り組みを提案してスタートさせています。
  流山市は、このように環境豊かな街並みがあるところです。去年の8月に「つくばエクスプレス」が開通しました。そのことによって、流山市は初めて東京と直結するんです。今までは東京まで1時間以上かかっていたのが、秋葉原まで24分で着くようになりました。これは「つくばエクスプレス」ですけれども、そこに2つの新しい駅が生まれました。1つは「流山セントラルパーク」、もう1つが「おおたかの森」という駅です。「おおたかの森」という名前が象徴するように、駅のすぐそばにオオタカが住んでいる。
  この間、駅ができてオオタカが駅舎の中に迷い込んできたというのがニュースになりました。そんなところです。ですけれども、こういう豊かさのある街並みも、残念ながら駅の開発によって周辺が一気に宅地開発されていきます。
(図41)
  その時単純に、関係性を確保しないような住宅、便利さだけを追求した住宅が、今までと同じような状況で並び始めると、結果として、その緑は分断されてくるだろうということが懸念されてきたので、「グリーンチェーン戦略」という考え方を流山市は標榜しまして、緑の価値指標を各住宅に満たしなさいとしました。その価値指標というのは、私たちが作った指標なんですけれども、緑を勝手に植えず、緑の7つの指標に従って植えていただくと、そのことによってあなたは外の環境をうまく活用して、自宅に快適性を手に入れることができますよ。それを満たした住宅には、「グリーンチェーン認定」というのを差し上げますよという方法を作ったんです。
  それは助成金をどうこうではありません。この戦略に従って、企業は認定制度を使ってマーケティングに活用して下さい。そういう住宅を造ったら、市はマークを差し上げますし、その住宅がどれだけレベルが高いかということを市民たちに啓蒙活動します。地権者に対しても啓蒙していくんです。ですから、そういった住宅を造れるんだということを徹底的に追求していただければ、あなた方は絶対にマーケティング的に利益を生み出せる状況が作れますというふうに仕向けるわけです。
  全体がつながることで、得をするということはビジネスになるんだということを明確に示しながら、小さな関係性が非常に贅沢な全体の街並みを作っていくということを実験的に始めています。4月1日から正式に始まる予定です。

 

11.「住環境統合理論」にもとづくまちづくり

(図42)
  もう少し分かりやすく、「足し算型」のまちづくりから「掛け算型」まちづくりという言葉で整理しています。今までのまちづくりは「足し算型」、流山でやろうとしたのは「掛け算型」です。
  どういうことかというと、何もしなければ、外の環境のポテンシャルによって中の環境が悪くなるわけですね。涼しくしようと思ったらクーラーをつけ、遮熱ガラスをつけ、断熱性能を高め、太陽光パネルを付ける。そうすると、ゼロエネルギーで人工的に快適な空間を造れるわけですね。これを「足し算型」と呼んでいます。何故かというといろんな装置とかパーツを足し込んで快適性を作っているわけです。
  我々は、こういう便利なものを足し込むということができるようになったので、そういう家がどんどん並び始めます。ところが、流山のオオタカが住むような里山の空間は、「足し算型」の住宅が繰り返されると、結果として街中自体は分断されていって、豊かな里山からの冷気は自分の家の中にはつながらないわけですね。
  これを「掛け算型」に変えましょう。「掛け算型」というのは、出だしは同じです。何もしなければ暑い。それを外との関係性で変えていくわけですね。先ほど申し上げた通り、南側の樹木と北側の樹木は意味が違う。さらに、北側の樹木を隣の家の樹木とつなげてしまう。さらに街路樹ともつなげてしまう。それがどんどんつながってくるわけです。これを「掛け算型」と呼んでいます。  
  要するに、いろんなパーツを足し込むんじゃなくて、外との関係性をどんどん導き出してくると、外のポテンシャルを家の中に導くことができる。さらに、自分の範囲だけでなく、他人の関係性も全部導いてくると、結果としてその関係性がどんどん掛け算のように価値を高め合ってくる。
  「グリーンチェーン戦略」という、流山でやろうとしたのはこれなんですね。ただし、その関係性を導き出すためのコツがあるので、そのコツを非常に単純化させながら、「グリーンチェーン認証」というのを与えるというやり方をしたわけです。
  この「掛け算型」は、先程、僕は3つの関係が3つの価値を作ると言いましたけれども、全部に当てはまるんですね。1つは「気候の連続性」。「気候の連続性」によって熱的な快適性を手に入れました。要するに、クーラーなしでも生活できるような快適性を作ったわけです。ところが、「足し算」はクーラーにより、単に熱的な快適性しか手に入らなかった。「掛け算型」の場合は、同時に「利用的な価値」と「景観価値」を手に入れています。熱的な快適性だけじゃなくて、外の風景を作り出したわけです。さらに街全体が散策する場所だとしたら、街全体が非常に快適な利用空間に変わっているわけです。
  このように、「足し算」というのは単一的な価値しか生まれませんが、「掛け算」というのは複層したいろんな価値が得られてくる、というところに大きな魅力があるわけです。それこそが、「便利さ」だけじゃなく、「豊かさ」もということを言っているわけです。
  「便利さ」というのは「モノ」が作る。これまでのまちづくりは、便利さ至上主義に基づいて、「モノ」を寄せ集めた建物を造り、その「モノ」の集合体である建物が街中に並んでくるから「便利さ」はどんどん追求されるけれども、決して豊かにはならない。「豊かさ」というのは、「モノ」ではなくて「関係」が作る。その「関係」を導き出してくれば、初めて「豊かさ」は手に入る。「モノが作る便利さ」と「関係が作る豊かさ」をハイブリッド化させることに、時代の大きなパラダイムを変える可能性があるんだというのが、僕の今日のテーマの一番中心になるものです。
(図43)
  我々の周りは非常に便利なモノが満ち溢れ、これを組み合わせることで便利な生活ができるようになった。もっと言うと、こういう便利な環境共生グッズまで手に入れられるわけです。例えば、屋根は、昔だったら瓦だったものを草に変えるわけです。そうすると、非常に優秀な熱の遮蔽ができます。さらに、太陽光パネルという自然エネルギーを活用したものを足し込むことができる。さらに、ビオトープというふうに、いろんな環境共生グッズを足し込んでくると、あたかも環境共生ができるかのように見えるけれども、それはあくまでも自然の力を活用した「便利さ」追求ですね。
  これからの新しいパラダイムで重要なのは、「便利さ」追求だけでなくて、さらに「関係」を作り上げていくことによる「豊かさ」を追求すること、ハイブリッド化させることです。こういう環境共生的なパーツだけを組み合わせていくことが環境共生住宅だという方向に進んでいくのは、僕は間違いだと思います。もっと突っ込んで、さらに先にある関係が新しい価値なんだというふうに、どこまで肉薄できるかということだと思います。


 
12.「足し算型」ビジネスから「掛け算型」ビジネスへ

(図44)
  「足し算型ビジネスから掛け算型ビジネスへ」というのが最後の言葉です。足し算型ビジネスというのは付加価値競争です。付加価値競争というのは商売する時には必ず重要で、みんなやっているわけです。隣の事業者が、あるものを足し込んだら、次の事業者はさらに新しいものを足し込まなくちゃ競争にならない、差別化できないというように、徹底的にその付加価値を追求し合って、今までのマーケットというのは成長してきたわけです。
  ところが、ユーザーから見てみると、いろんなものが足し込まれていって、付加価値がズラーッと並んでくると、Aという商品もBという商品も同じように見えるわけです。ドングリの背くらべに見えます。その結果、そういった成熟した商品は、価格競争に入り込むんですね。結果として利幅を落とすということになります。
  足し算型の競争というのは、かなり成熟してくると限界にぶち当たってくる。次にやるべきマーケティングは、そのパラダイムを変えることです。それは「足し算」じゃなくて「掛け算」だろうと思います。
  「モノ」の足し算じゃなくて、「関係」が作り出す価値というのはまだ未知数です。どの企業もどの業者も、その領域で関係を価値化した商品は、まだ世の中には生まれてないわけです。そういうシステムをいち早く登場させたところは、もはやドングリの背くらべではない圧倒的な魅力を手に入れて、それを圧倒的な差別化として、市場、マーケットを作って、そこに市場が反応してきた時にその事業は大きく伸びてくる。
  さらに、その事業に競争が生まれた時にマーケットが大きなメディア機能を果たして時代のパラダイムをきっと変えるんだろう。流山においても「関係価値」が当たり前になって、みんながそれに気がつき始めて、それが巨大なビジネスをもし生んだとしたら、時代のパラダイムは変わると思います。
  時間を使い果たしてしまいましたけれども、貴重なお時間をいただきまして、ありがとうございました。何らかの形で、またおつき合いをさせていただけたらと思います。今日はご清聴ありがとうございます。(拍手)

 

フリーディスカッション

與謝野 甲斐代表、大変ありがとうございました。環境としての居住地の捉え方としての「依存型共生」「自立型孤立」そして「自立型共生」という、何とも明快なパラダイム転換的発想をもたらす知見の披瀝、さらには「緑の価値指標」という手立てで官民連携で実質的に緑の恩恵を広げていく、誠に実務上実効ある分かり易い考えのご紹介等々、愁眉の開く思いの大変興味深いお話の数々でありました。
  質問の時間があとわずかでございますが、折角の機会でもございますので、ぜひこの場でお聞きしたい、あるいはお聞きしたい話があるがそれをどのようにお伝えすればお聞きできるか、そういったご質問でも結構ですから遠慮なくお申し出下さい。
三橋((有)シーエルシー) 今、まちづくりを掛け算型にするために、まちづくり協定とか地区計画を一生懸命作ろうとしている1つの傾向があります。ところが、完成された姿を最初に決めて、それをやっていくには合意形成がなかなか大変なんですね。それと、今お話になった個の関係で、個の利益を追求していけばそうなるんだよということの対比をちょっと考えさせられました。そこで、より掛け算型のものができやすいような形にするためにもう少しのヒントをいただけたらと思います。
  それから、もう1つ、今、私もちょっと関係しているんですが、水や川は、冷たいとか危険、寒い、そういうイメージが非常に強いのですが、それを人に優しくあるいは暖かくという形にするためにはどんな考え方があるかをお聞かせ下さい。
甲斐 今ご質問いただいた1番目ですが、個の小さな関係性を導き出しながらその中で全体性を創発させていく話の重要性を言うと、どうしてもマスタープランだとか地区計画というトータルのことを考えながら、正に合意形成を行いながら全体を揃えていこうということが今までは多いわけですね。
  ところが、そういうやり方の限界というのは、すごくたくさんあるんだろうなと思える。何故かというと、全体をどう変えればいいのかということを誰が示すのか、その示した内容は絶対正しいのかどうかを誰が決めるのかということに対して、常に疑問がつきまとうわけですよ。極端な話を言うと、それは全体主義的な話であって、全知全能の神みたいな存在が、絶対これがいいんだということを示せるということが事実であるならば、みんながそれに従うのは多分正しいということになるんだろうけれども、どうもそういうふうに考えることは、多分あってない。直観的にちょっと違うよなと考える人が多いと思うんです。だから、全体でやっていくんだということは、どうも理想論に聞こえるんだけれども、違うんじゃないのということがかなりいろんなところで言われ始めてきているんだと思うんです。
  一方で、個々の関係性の中からやっていくというのは、実は非常に分かりやすくて、当事者である人たちが関係性を使いこなす時にどうすれば一番得なのかということは、非常に判断しやすいわけです。
  さっきの質問は、そういう関係性の価値を一番導き出しやすい方法論は何ですかという質問だと思いますけれども、その時の一番のポイントは、僕は一番最初に身体感覚をベースにしてやりましたけれども、僕のやってきたコーポラティブは基本的には身体感覚をベースにしてやっています。
  主義主張として、その関係を価値化しましょうよというと、何かすごくいろんな議論が出そうなんだけれども、そうじゃなくて、もっと原初的な、一生物として何が快適なんだろうかというところまで戻して、その根源的なものは関係性に当たっていくということから始めると、その議論はかなり共通項が大きいです。
  先程触った時に冷たいとか暖かいと感じるのは、生物的な反応で、思想が入ってないので、非常に共通化しやすい。価値観を合わせやすいですね。
  それをベースにしてやるんですけれども、ただ、我々はバーチャルな記号化された世界を与えられ、そこに住まうということが慣れっこになっていて、あとは数字をコントロールして、温度管理して、それで快適性を手に入れて住むということに慣れてしまっていますが、逆に、窓を開けた時に外の環境はどうで、それが快適性とどうつながっているか、ということを導き出すことに慣れてないんです。
  身体的感覚的な価値をもっと高めようという時には、そういった一般ユーザーに対してのすごく根源的な分かりやすい体感セミナーのようなものはすごく有効です。そういうものを組み合わせないと、理屈だけで言うと、付いてこないですね。
  パラダイムの方の話をしましたけれども、今の時代のパラダイムは固定されていますから、スイッチ1つで快適になるということが、最高に価値が高いとなっています。我々みんなが作り込んだ世界ですから、その世界が主流になっている。その価値観におk基づいてみんな判断するから、そのパラダイムと違う新しいパラダイムの価値を提案する提案者は、産みの苦しみというか、最初はすごく苦労するんです。要するに、誰も知らない、味わったことのないことは、判断できない。
  何が言いたいかと言うと、初期段階においては、かなり公的な機関も参加しながら、パラダイム的な価値変換が起こるような身体感覚に訴えかけるような学習の場、新しい価値を発見する場みたいなものが多分必要じゃないかなと思います。
  もっと言うと、住まいづくりって、すごく社会的な環境を決定する瞬間です。その瞬間を個人個人の選択肢に委ねているわけです。その集積が街を造っているわけです。それぐらい重要な住まいづくりの場面であれば、僕は住まいを造るためには免許を与えるべきだと思います。
  極端な言い方をします。少し冗談も入っています。例えば、必ず半年間夜間学校に通ってそれで卒業証書を取らないと家を建ててはいけないとか、でも、それは自分たちが得をするためにはすごく価値があるんだという学校になって、それが当たり前のことになってくれば、間違いなく住宅づくりは変わり、その小さな単位の繰り返しが街を変えるということになるんじゃないか。それは1つの僕のアイデアですけれども。
  2つ目の水辺、川ですか。風景的には昔の庭づくりの中では必ず水辺を活用するのが王道ですよね。それといかに繋げていくかというところがあるから、それが逆に寒いとか感じるのは、身体感覚的に、もっと風のデザインとかそういうことが足りないんじゃないでしょうかね。
  多分こういうことかもしれません。今の街って、徹底的に樹木がなくなっていって、ツルツルなんですね。ツルツルの中に川を復元させると、それは街の寒さを増やすでしょうね。風道を作りますから。そもそも、街全体がツルツルになっているという条件が問題なわけで、もっとトータルに庭先の樹木とか、そういったものにもう1回価値を置きながら、街全体のラフな(粗い)状態と川が、気候的、風景的に繋がっていくということを導き出すことじゃないでしょうか。
與謝野 甲斐代表、ありがとうございました。誠に残念ながら、お一人のご質問のみで時間がまいりました。申し訳ございません。
  本日、大変貴重な知見の数々を熱っぽく、かつ分かり易くご丁寧にお話しいただきました甲斐代表に対しまして、最後に大きな拍手をお贈りいただきまして、本日のフォーラムを締めたいと思います。(拍手)ありがとうございました。

 

 

 


back