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第223回都市経営フォーラム

『元気で美しい都市再生』

講師:  伊藤 滋氏 早稲田大学特命教授

日付:2006年7月21日(金)
場所:北海道大学学術会館



1.景観法の概要

.景観法でどのようなことが可能か

3.汚い景観25景

フリーディスカッション



 

 

 

 

 


 
 

元気で美しい都市再生

 

與謝野 皆さん、こんにちは。
  都市経営フォーラムが、北海道は札幌へやってまいりました。札幌は本日7月21日から夏祭りが始まるということですが、この爽やかな札幌の気候風土にはまことにうらやましいものがあります。しばしこの爽やかな空気の中での文化交流をお楽しみ頂ければと思います。 私は、長年、このフォーラムを主催しております責任者の與謝野でございます。よろしくお願いいたします。
  開会に先立ちまして、会場の皆さんにおかれましては、週末の大変お忙しい中、道内各地より本フォーラムにお運びいただき、さらには東京・大阪そして遥かニューヨークからも本フォーラムに駆けつけていただきましてありがとうございました。大変高い席からではございますが、厚く御礼申し上げます。
  また、このたびの札幌での開催に当たりましては、地元の北海道大学の皆様をはじめ、数多くの学・協会、団体の皆様から温かいご協力を賜りましたことに対しまして改めて厚く御礼申し上げます。とりわけ、北海道大学大学院教授の小林英嗣先生におかれましては、何かと大変にお世話になりましたことに対しまして厚く御礼を申し上げます。
  また、本日の講師としてお招きいたしました早稲田大学特命教授の伊藤滋先生におかれましては、大変にご多忙な中、また、数日前までイギリス視察に行かれておられまして、お疲れの取れない中にもかかわりませず、この講演をご快諾いただきました。改めまして、厚く御礼申し上げます。
  さて、このフォーラムは、今回で数えて223回目を迎えますが、20年近く、毎月1回、欠かさず東京都内で開催している自発的な都市文化・建築文化の研究交流会でございます。昨年、この都市経営フォーラムを「一度ぜひ北海道でやってもらえないか」というお話をありがたくお受けいたしまして、毎年1月と7月にご講演をお願いしております伊藤滋先生が北海道にご縁の深い方でもあられることから、このたびは「都市経営フォーラムin北海道」と称してのフォーラムとさせていただいた次第であります。 あわせて、明日のイサム・ノグチ設計のモエレ沼公園の見学会も企画させていただきました。 さわやかな北海道の地での都市建築文化の交流を二つの企画で有意義に深めていただければ幸いでございます。
  それでは前置きはこれぐらいにいたしまして、早速、ご講演に移りたいと思います。
  伊藤先生のご紹介はもはや必要ないと思いますが、早稲田大学特命教授であられるとともに内閣官房都市再生戦略チーム座長でもあられまして数多くの公職を務めておられ、まさに、我が国を代表する都市計画分野の重鎮でいらっしゃいます。
  本日の演題は、お手元の資料のとおり、「元気で美しい都市再生」とされておられます。それでは、伊藤先生、よろしくお願いいたします。

伊藤 皆様、お出でいただいてどうもありがとうございます。
  それでは、「元気で美しい都市再生」というタイトルで1時間半ぐらいお話をさせてもらいますが、何でこのタイトルになったかということをお話します。
  これからスライドがありますが、実は、このスライドを作りましたのは丁度2年ぐらい前でございます。その頃、景観法というのができました。そして、国交省では、景観法に基づいて、いろいろな都市で「景観計画区域」とか「景観地区」を広めていってもらいたいと大々的に宣伝をしたわけです。その出だしの時にも、私がフォーラムでちょっとしゃべらせていただきました。それに少しつけ足しをしておりますが、そういうスライドですので少し古い。話題はなるべく新しいことを話しますので、そのつもりで聞いていただきたいと思います。
  スライドに入る前に、何で美しいかということです。これは、突然出てきたわけではございません。もう古くなってなくなってしまったのですが、国土総合開発法というのがありました。私は、10年ぐらい前に国土総合開発法に絡んで5番目の国土計画を作りました。その国土計画を作る時に、ただ公共事業を増やすための言いわけを文章に書いて、でき上がった開発計画を大蔵省に持って行き、その文章に書いてある道路や港について何がしかの公共事業費をよこせと、日本は戦争に負けてから今まで40年以上にわたってそういうことをやってきましたが、それを止めようじゃないか、そんなことはもう見え見えでみんなが知っているんだと、いうことになりました。それから、国土計画そのものも、公共事業を貰うお先棒を担ぐようなことだけなら要らないのではないか、5番目の国土計画でお終いにしよう、ということになったのです。
  その時に、日本が戦後どう歩んできたかということを考えてみました。今言ったら当たり前ですけれども、公共事業を入れて国土が美しくなったかというと、美しくならない。建築事務所が増えて、建築の仕事がいっぱいできて、それで街がきれいになったかというと、きれいにならない。公園や街路樹も大体が公共事業ですけれども、日本の公園技術者が一生懸命に造って街がきれいになったかというと、みんなきれいにならない。どうもおかしいじゃないか。土木とか建築とか造園などの縦割りの中で幾らお金を入れてもよくならないから、技術者に任せる前に、美しいとは何だとか、日本の歴史の中で日本は美しいという時代があったのかどうか、こういうことをいろんな人に知ってもらって議論をして、我々も議論をして、そこから日本をどうするかという話をまず組み立てる。その組み立てた文章や提案を技術者が読んで仕事をしていただければ、少しは周りのことを気にしながら美しいと言ってもらえる街ができるんじゃないかということになりました。ですから、5番目の計画は、大蔵省の役人などから、戦後に五つ書いた国土計画の中で一番文学的な表現だと言われていますが、美しくて、少し格好よく、品がよくて、できるなら世界の人たちにも胸を張ってどうだと言えるような国づくりをしようという提案をしております。
  それを受けまして、国交省も、五、六年前から、美しい国を「美(うま)し国」などと言い始めました。非常に大きく変わったのは河川行政です。河川行政の中に環境という言葉が入りましたね。ビオトープあるいは護岸の造り方も、余り工学的ではなく、これまでの地域のやり方になじんでくるような河川整備の仕方をするようになりましたし、何やかにや、公共事業も少しずつ変わってまいりました。
  そういう風に国交省は「美(うま)し国」とやってきたのですが、問題は、公共事業だけがちゃんと動けば日本の国がきれいになるかというと、絶対にそうじゃないということです。今日、建築設計事務所の方も多数お集まりだと思いますが、日々の業務を通じてよくご存じのことなのですね。私も建築家で、設計も幾つかしますけれども、私の設計した住宅や飲み屋が街を美しくする一助を担っているかというと、絶対そんな風に思わないで設計します。むしろ、施主さんのご要望にどううまく応えられるかということで設計をしてしまいます。ですから、それは街を美しくすることに何も寄与しません。
  そうしますと、実は、街を美しくしていないのは、公共事業ではないのかもしれない。住宅だけでも全国で毎年120万軒くらい新築の届けがあります。多分、無届けの改築も入れれば200万軒を超えるような建築の手直しが進められている。こういう民間の仕事の中に、街を汚くする一番の原因があるのではないか。そこで、民間に対してもう一度問いかけていこうという話が出てくるわけです。
  この話は、学校の先生が、以前から授業を通して皆様方にずっと話されてきたわけです。今でも言っていると思いますが、学校の先生は、明治維新の前の江戸はとても美しかったという話を幾らでもされます。その美しさというのは、街並みが揃って、屋根瓦が揃って、しっくいの壁が並んでいるだけではなく、庭の後ろに作られている花畑もとてもきれいだったいうことで、外国人が言っていたなんていう話もいたしますね。
  僕も時々言いますが、明治の終わり頃、日本を訪れた何人かの外国人の中に絹の買い付けに来た人がいました。横浜は貿易の港ですが、当時は群馬県から絹を八王子に持ってきて、八王子で銘仙を作ったり、あるいは絹糸の白地のものをまとめていましたので、それを買い付けに横浜から馬車を駆って八王子に行くわけです。その途中のある農家で、彼が一番気持ちを奪われたのは、農家の後のお庭に素晴らしい花がきれいに清潔に植えられている、こういう光景というのはヨーロッパにはないということでした。それは、明治維新の少し前ぐらいですから、1860年頃ではなかったでしょうか。ところが、北海道はよくわかりませんけれども、今の時代、本州の農村集落の後にそういう光景はないですね。大体、自動車置き場になって、プロパンガスのタンクが置いてあって、物干し場になっています。
  逆に、私たちがヨーロッパに行きますと、ヨーロッパの街は花がきれいに植わっていて本当に美しいです。この間もイギリスに行ってきましたけれども、イギリスの気候というのは、少し冷たくて、余りじとじとしていなくて花を長持ちさせますから、そのせいかもしれませんが、小さい集落のバルコニーは本当にきれいに花で飾りつけられています。普通の人の家のバルコニーが花で飾りつけられています。素晴らしいですね。それを見ますと、日本の江戸の頃に外人さんが来て、江戸や鎌倉街道の途中で見た農家や、あるいは、山形などで見ていた風景が、日本では全くなくなって、逆にヨーロッパが美しくなった。どうしてこういうことになってしまったのだろうかと感じますね。この10年ぐらいの間に、そういう問題意識が学校の先生方にも出てきております。
  これは、今でも課題として残っているのですが、こうした街づくりをやる一部の専門家の中で言われている話を、実際のデイ・ツー・デイのお仕事をしておられる建築設計事務所や工務店、あるいは、もう一つその後に入ると、普通の市民の家庭の中にもしみ込ませていかないと、街はよくなりません。市民の皆さんの中にもう一歩踏み込んで、ある意味では脅かしてでも、少しそういうことを考えて下さいと言う必要が出てくるわけです。今までのように、条例のようなものでまちを良くしましょうと言っても、条例というのは「お縄ちょうだい」というようなものではございませんね。注意をするとか勧告をするとか届け出をするとか、それでは普通の日本人はびくともしません。ですから、条例を支える後にある法律を作って、その法律で脅かす。こういうことをしたら刑務所に行ってもらいますよというような法律で後ろに作る。それを普通の市民が読めば、これは困ったと思うし、設計事務所の人も、こうなれば姉歯ではございませんが、変なことをすると事務所がつぶれるかもしれないから、今までのようにお施主様のご意向に沿ってというのではなく、もう少し周り近所を見渡して余りとんでもない設計はしないようにしなければならない。そうしないと事務所がつぶされるかもしれないという気持ちになるのではないかと思います。「景観法」ができたというのは、実はそういうことなのです。
  そういう点では「景観法」というのはかなり画期的な法律だったと思います。
  このあたりでスライドをスタートしましょう。

1. 景観法の概要

(図1)
  景観法のさわりは何かというと、「景観地区」が一番厳しいさわりです。この景観地区は、どこかわからないような都市をモデルにしていますが、国交省から借りてきたもので、景観の解説のところに必ず出てきている図面ですから、皆さんもご存じだと思います。景観地区と定められた所では、建築基準法の審査を受ける前に、景観地区で定めることを守っていますよということを証明する書類を市役所に出して、市役所がそれにオーケーしないと、建築基準法のチェックをする機関へ書類を回せないようになっております。市役所の方では何を定めているかというと、例えば、この景観地区では20メートルの高さにしなければいけませんというようなことです。また、20メートルのビルでも、ここに広告とか空調機とか物置とかウオータータンクなどがずらっと並ぶと醜くなりますから、表通りに面している所には必ず屋根を付けて下さいということも定めることができます。屋根勾配は何寸勾配にしなさい、と定めることもできます。場合によっては、色は少し黒みがかった茶色の二丁掛けのタイルでやって下さい、ということも景観地区で定められます。
  そういうことを守っていないと、例えば、ある地方の銀行が、そんなことはやめろ、俺のところはもっと高くしろ、30メートルでもいいじゃないか、容積率は400だからというふうに言って、その書類を持っていっても、景観地区で定めたことに合致していませんから、市役所は通しません。
  ということは、景観地区というのは「許可」という言葉ではありませんけれども、「認定」だったでしょうか。初めて建築許可という概念を入れて、一つ一つの建物について市役所がコントロールできる場所を作ったのです。ここにいる人は、それに従わなければいけないので、全く今までの基準法と違います。
  これに似たような話は、昔から任意の協定がありました。一番大事な協定は、建築協定でした。住宅地区では地区計画がありますけれども、景観地区では、地区計画よりむしろ景観に重点を置いた、色とか屋根の形とか、場合によっては1階の階高を決めるとか、景観に重点を置いたところをきちんと決めます。そういう点では、地区計画よりも景観地区で定めたことに違反すると大変です、というペナルティーが強いのです。これが一番の差ですね。
  「景観計画区域」というのは、今までの条例でおやりになっているように、届け出とか、こういうことを守って下さいということです。景観計画区域を作りますと、一番重要なのは、土木屋さんが景観計画区域の中で橋を造ろうと言った時に、今までですと、札幌なら北海道開発局札幌工事事務所の技術屋さんが勝手に橋を設計して、それをそのまま通してしまう。俺たち国の組織が国の金でやって何が悪いということですが、景観計画区域でそういうことしようとしたら、必ず市役所に届けなければなりません。そして、景観計画区域で定められているデザインの筋道に則っていなければ、もう一回検討して下さい、とこの橋は突き返されてしまうのです。ですから、橋とか河川の堤防などの土木公共施設は、こういう景観計画区域の中で考える時には、結構大変なことになってしまいました。
(図2)
  「景観地区」です。より積極的に良好な景観を図る地区に指定した中にある建築物や工作物はデザイン、色彩、高さについて総合的に規制するということですね。
(図3)
  「景観計画区域」です。そして、ここに「景観計画区域」とあります。景観計画区域は景観地区より規制が緩やかな規制誘導ですけれども、ここで面白いのは、景観上、重要な公共施設の整備、先ほど言ったように、景観上、重要な橋等の整備については市役所は関与しますよということです。
  それからもう一つ、「電線共同溝法の特例」です。景観計画区域にある非常に美しい集落に電柱が立っている時には、電線共同溝法を適用して、例えば市役所は北海道電力に、「どうですか、きれいな集落にある電柱は景観計画区域の中なので、北海道開発局と話をつけますから北海道電力も一肌脱いでこれを地下に埋めてくれませんか」と言うと、電線共同溝法の特例を景観区域で定めているのですから北海道電力はノーと言えません。つまり、電線地中化に強制力が伴ってきたのです。これは、結構面白いです。
  景観計画区域というのは、景観地区の外側です。どういう所かというと、農村集落には昔からのいい街なみがございますね。区画整理されている所にちょっと取り残されたような、北海道にはないかな。近畿地方とか中国地方に行くと非常にきれいな昔からの農村集落があります。でも、そういう所に電柱が立っているのです。この電柱があるために、写真を撮っても電柱が邪魔をしていい写真が撮れない所がいっぱいあります。そういう所は、まち中の繁華街ではないけれども、いい街なみを造るために、市役所は、電線共同溝法の特例を使って、電力会社に電線地中化をしろと注文つけることができる。これは強制力があります。こういう面白い試みが出てまいりました。
  法律の話はこれぐらいにいたしまして、そういう景観法などが動き出してきますと、もう少し前向きに動かすためには、地方の自治体の皆様に対して、ただ、街を美しくするだけではなく、もう少し実利的なことがありますよ、それを頭に入れて考えてみて下さいと言わないと、地方は乗ってくれない。
  そこで考えてきたのが「ビジット・ジャパン」です。
(図4)
  街の中をよくするということは、単に市民に満足を与えるだけではなく、いい場所をよくする。例えば、旭川で言えば買い物公園のリニューアルをやる。そういうことをやると、お客さんがたくさん来ます。そして、シャッター商店街のシャッターも開くようになる、という実例がたくさんあります。これを皆さんに知ってもらおうということが、景観法にくっ付いて出てまいりました。
  先ほどの僕のテーマは「都市再生」と書いてありましたが、ここから、都市再生の一つの流れが景観法に対してもう一回入ってくるのです。都市再生というのは幾つかの柱があります。これは、来年1月に東京でまとめて話をしようと思っていますが、都市再生のいろいろな流れの一つが、「ビジット・ジャパン」なのです。
  ビジット・ジャパンというのは、皆さんご存じのように、日本から外に出ていく観光客が年に1,400万人です。つい4、5年前までは、外国から日本に来るお客さんは405、6万人でした。今ようやく600万人ぐらいになりましたけれども、それでも7、8万人の日本人の方が、ずっと多く外国に行きますから、日本人が旅行で外国で払っているお金と外国人が日本に来て払っているお金の差は、5兆円か6兆円あるのです。これは、今で言うと、国交省の公共事業費に見合うぐらいの赤字です。赤字が多い少ないということを気にするわけではございませんが、基本的に、これだけ日本が外国に対して一人前の国になったと言うのであれば、もう少し日本を見てくれてもいいのではないか、日本の印象をもっとよくしてもらいたいということで、「ビジット・ジャパン」というキャンペーンを小泉政権が非常に重要な柱としてやり出しました。いろいろな人が小泉政権に乗ってやっていて、石原慎太郎東京都知事もビジット・ジャパンに乗ったりしています。
  その実例を示せというと、実はこんなことがあるのだという例が、これから幾つか出てきます。都市再生の一環としてビジット・ジャパンをやって、ビジット・ジャパンに乗って街を手入れしていくと美しくなって、美しくなることは儲けにつながるということもちゃんと考えて下さいということです。
  これは、お伊勢さんの手直しです。お伊勢さんの内宮のすぐ横の「おかげ横町」の再開発です。「赤福」のだんなが、一生懸命に10年ぐらいやったでしょうか。赤福のだんなは結構儲けていますから、自分の会社のお金で寂れていた商店街の裏側の土地を買って、そこに若い人が集まるような広場を造って、そこに店を出したり、いろいろなことをしている。そのだんなが、リーダーとなってやったことがこういうことです。
  直す前はどうだったかというと、雑多な屋外広告物があります。「赤福」も自らそうですね。この辺に「伊勢うどん」などと書いてあります。「何とか大食堂」とありますね。こういう雑多な屋外広告物があって、自動車が通っていて、電柱がある。建物は看板建築でどうしようもなかった。統一感のない街なみだった。1992年、今から13、4年前のお客さんは35万人でした。
  ここはお伊勢さんの内宮ですから、ここを使わなかった人もたくさんいた。しかし、ここを直したら、使わなかった人たちがここに来るようになった。このように街なみから屋外広告物をとってしまいました。「白鷹」の看板だけ残っているのですが、「赤福」もないし「伊勢うどん」もないし「えびや大食堂」もない。看板建築をなくして、多分、三州瓦の妻入りで揃えています。これは、下屋を造っていますね。ヨーロッパ風に言うとポルチコです。これを揃えてやっています。建築物の形態、意匠の誘導をやった。まずは、みんなで相談してやろうと協議会を設立します。公共施設の配慮で電柱をなくした。無電柱化ですね。それからペーブメントですね。石張りにした。車を入れなくした。そうやって10年経ったら300万人ぐらい、9倍に増えてしまった。これは、良好な景観を作ると儲かるという一番有名な事例です。
(図5)
  今のは西の代表で、東の代表は、これも有名な川越です。川越は、蔵造りの建物がまだかなり残っていますけれども、今までは蔵を見せないで、壁のような幕で中を隠していて、電柱が立っていてひどく乱雑だった。まず、電線を取るだけで随分違う。電線を地中化した。そして、ペーブメントを少しよくした。これもきっと看板をとって、平入りで軒を揃えた。そうしたら、1990年から約10年で、2倍ぐらいお客さんが増えました。
  このように、街をきれいにするということはお客さんを呼び込みますよと、こういうことも、地方都市の市役所の皆様に言わないと、なかなか動機づけができないわけですね。
(図6)
  幾つかそういう事例があります。これは、俄然、変わりまして、街路事業です。今までは街を直す、川越だと商店街近代化のようなことでした。おかげ横町はちょっとした再開発ですね。これは、街路事業で、6メートルぐらいの汚い街路だったものを16メートルにして、道路を通した。
  普通、こういう都市計画街路を入れようとすると、大学の先生などは、「こういうことをやってはだめだ、絶対にひどくなる、こういう所はごちゃごちゃしている方がよっぽどいい、何故こういうのをこんな風にするのだ」と、いつも反対しますね。
  それには、かなり理屈があるのです。こういう風に広げれば、普通はこんなにきれいな建物は建ちません。街路を広げるために、公共事業でここにある敷地を買って、建物の除却費も払って、べらぼうなお金を、ここの死んだような商店街沿線のおじいさん、おばあさんに払うわけです。1軒1軒の死んだような商店街のおじいさん、おばあさんは、思わぬお金が入りますと、「ここにはいたくない」とそれを持って逃げてしまう。息子のいる大都市のマンションでも買って、あとはファンドにでも投資してもうけようと、そういうおじいちゃん、おばあちゃんはこういうところにはいっぱいいる。
  彦根では、そうはさせない。広げる以上、あなたは非常に大きいお金が入ったんだから、そのお金でこういう風にきれいにしてもらおうじゃないか、あなたたち、ちゃんとまちを直して下さい、逃げることは許しませんよと、なりました。彦根の市長は相当立派です。普通の建築系の先生が、「反対、狭い道でいいじゃないか」というところです。有名なアメリカの社会学のおばあちゃんが、狭い道の方が界隈性が発揮できるのだと言っていますね。僕も、時々、そういうのが大好きだと言うのです。
  しかし、これを見てどう思いますか。大体、都市計画街路はこういう所に入れると悪者になりますけれども、こうなると、建築の先生も余り悪く言いません。というのは、建築の先生の仕事は、道路を広げるのではなく、街なみをそろえることですから、これは結構ビジネスになりますよね。
  結局、こういうことを見ていますと、建築というのは本当に協調性がありません。建築自由だと言うのですけれども、自由は美しさを作り出すかというと、作り出さない。そういう仕事が、戦後の建築基準法成立以来、約半世紀、ずっと日本中でやられていたのではないかと思います。やはり、自由ではなく、向こう三軒両隣が気兼ねをしながら建てる、ということでやると、区画整理で街路事業を入れても、建築の方がそれにつき合って頑張れば結構いい街になる、というのが彦根の例です。これは、大して増えていませんが、7年間で3割ぐらいのお客さんが増えています。
  こういうようなまちが、最近はあちらこちらに出てきています。北海道はどうでしょうか。関東地方ですと、栃木市がこれと似たような街づくりをして有名です。
(図7)
  これは、一転してレトロです。これも有名です。これは、北九州市の末吉という、もともと国交省の役人だった市長が、徹底的に北九州にこだわりまして、JR門司を中心に、明治から大正時代の大資本が造った遺産を残しました。そうすると、そこの周りにできる建物は、余りこれとちぐはぐなものは建たなくなります。大体は三井系の建物とか三菱の建物とか、そういう倶楽部建築が残っています。それから、JR門司駅も非常にレトロチックでうまく整備されました。広場も手直しをしています。それから、黒川紀章がここで高層のマンションを造っていますが、これも結構いいデザインです。周りの建物にそぐわない、無関係なものではなく、少し控えめの黒っぽい基調で、高いけれども、余り俺が俺がと黒川紀章チックに出っ張らないデザインにしています。これも有名です。ここでも、平成6年と平成16年を比べると観光客は8倍ちょっとに増えていて、観光消費も増えました。
  今、僕が挙げた街はブランドがちゃんとしている街ですが、この後ろにまだブランドを確立していない街もたくさんございます。
(図8)
  これが、僕たちの商売で一番大事な話です。今までは、華やかな、言ってみると女性のファッションショーのような事例を集めました。北九州とか「おかげ横町」とか川越とか彦根でしたが、これは、名もなき街でやっているささやかな仕事です。こういうことが一般化してくれば、目立たないけれども、着実に街は今までより良くなる、そういうことをやっている街があります。
  埼玉県の戸田市です。3軒協定と言って、3軒以上隣接する住民が考えて景観形成をする。その景観形成は、市が作った景観条例に基づいてやると、市がその費用を助成するというものです。ここに3軒の敷地がありますと、敷地から50センチ下げて家を建てましょう、あるいは、屋根は平入りで統一しましょうとか、色は茶色で統一しましょうとか、50センチ下げた所には花を植えましょうとか、こういうことを3軒で協定してやるのです。それに対して、市は1軒当たり20万円か、3軒で50万ぐらいの助成金を補助していると思います。これは、非常に例が少なくて、たまたま戸田市の例を取り上げていますが、こういう3軒協定がずっと続いていきますと、自然に街なみができるのです。
  建築設計事務所の皆さんも、これぐらいの所をやるのは2級建築士の工務店でもできますから、2級建築士の工務店のお兄さんがたまたまここで1軒の設計する時に、周りにお伺いを立てる。隣近所は余り仲が良くない。一番喧嘩するのは隣だと言いますね。隣の隣とは仲が良くても、隣とは喧嘩する。しかし、工務店ですから、近所関係に無関係で、けろっとして仕事をします。何とかおつき合いをしてもらえませんかと話をして、将来、設計をする時には結果として私のところに来るかもしれないと思いながら協定を作る。そして、5、6年経って3軒できた時には、市役所からよくやったということで、景観形成の費用が少しここに入るのですね。
  これは、草の根型の街づくりです。こういうことは、学校の先生は一番しゃべりたい。これは市民参加ですね。何も市役所のおじさんがこうしろとは言っていない。市が作った景観条例の中に3軒協定というのがあって、それを守ってやろうという市民の行為ですから、問題は市民なのです。ただ、市民は余りこういうことを気にしていない。ですから、市民参加でこれが広がるかというと、広がりません。たまたま風変りな市民がいたから、こういうことができました。これが日本の市街地の問題です。
  私は皮肉っぽく言っています。だから、街が良くならない。街が良くならない責任は誰かと言うと、僕は今まで工務店と設計事務所の話をしていましたが、実はそうではなく、その後ろの普通の市民の奥様方とか、おばあさんとか、あるいは商店街のおやじとか、そういう人たちが悪いのです。街をけしからんと言っている人が悪い。それを何とかしなければならないのですが、これはなかなか難しいです。
(図9)
  これも教科書的です。これは市役所が決めました。松本城が立派なので、これを途中で阻害しないように、周りの建物の高さを低く抑えようということです。15メートルとか16メートル。これもきっと条例ですね。地域の個性を生かした取り組みの例です。
(図10)
  北海道は小樽があります。
  この資料は古いのですが、これは、ビジット・ジャパンです。小樽は、小樽運河ができたので、昭和50年から5年置きに、55年、60年、平成2年、7年、12年と、ずっとお客さんが増えた。昭和50年は234万人、平成10年800万人。これは結構すごいです。
  他は、川越、北九州、近江八幡です。近江八幡は、国交省が大好きで、景観法を作る時のサンプルとしてこれを引き合いに出しています。
  もともと近江八幡というのは、伝統的建造物の保存地区、「伝建地区」と言います。文科省がやっていたのですが、建物を直す時に30万とか50万のお金をあげますということです。その時は、いいかげんに直すのではなく、文化庁の建造物保存課が定めているやり方でやって下さい、そうするとちょっとしたお金をあげますということをやっていました。
  これは、平成2年に伝統的建造物の保存地区に指定されました。それから、14年には中心市街地活性化基本計画、これは国交省の都市局ですが、それをもとにして、景観法の模範になるような街づくりの姿をその基本計画に入れたのです。
(図11)
  湯布院がうまくいきました。それから、農村地域でも穂高などがあります。
(図12)
  実は、景観法はいろいろな省庁が乗り入れてやっておりまして、農林省が一生懸命つき合っています。それから、環境省がつき合っています。なぜつき合っているかというと、農林省は棚田を何とか残したい。それから、京都府の美山町というのは農村整備の優等生中の優等生です。京都市から北西の方向にずっと行った本当の田舎ですが、そこにはまだ、こういうような茅葺きの農家が残っていて、これを農林省の農村計画の連中は、一生懸命残しています。それから、木も、ただ単にばさばさ切るのではなく、茅葺きの建物の後ろの木は切らないとか、農村建築を造る時はつまらないコンクリートの平家は、役場であろうと絶対に造らない、とかして、いろいろな農村の景観を美しく守るように次々と手を打っています。
  これは、きっと圃場整備事業もそうでしょう。単なる真四角の圃場整備をやるのではなく、棚田のような昔の形の田んぼが残る圃場整備事業をやったりする。アメニティーコンクールというのは、きっと堰を通して水を流したり、あるいは、石畳の道を造ったり、そういうことをやっています。それから、平成5年に伝統的建造物保存地区をかけて茅葺きの建物を残したり、こうした一連のことをずっとやっています。
  これは入り込み観光客ですが、ここは、不思議なことに夜間人口も増えています。こういう美山町のような所に来て、例えば絵描きさんがアトリエを作りたい、彫刻家が仕事場を作りたい、学校の先生が書斎にしたい。こういう一種の知的な自由人が美山町に来て仕事をすれば、計がいく、頭がさえる、いい本が出るなどというので、普通の商店街とか街のサラリーマンの人にはよくわからないけれども、ちょっとええ格好しいの知的な人たちは、美山町に仕事場を持つのがファッションで、そういう人たちが増えています。よく覚えておいて下さい。京都府の美山町というのは、農林水産省の農村整備の模範生です。街の人から、説明力が全然違います。
  それから、棚田です。これを何とかやりたい。棚田オーナー制度というのがあるでしょう。こういうのを残したい。ですから、こういうことで景観法に協力しようと、農林省は一生懸命これにつき合うのです。ですから、先程の絵姿の中でも、農村整備の所の景観計画地域とか、農村整備の所の景観地区というものを作りました。
(図13)
  先程の美しい景観の事例の近江八幡です。2年前に国交省がこういう景観計画区域を作ったらどうですかと、お勧め版をスライドにして皆さんにお示ししました。これは、農村的であり、田舎の都市的であり、水と緑があって城下町的であり、歴史がぷんぷんしている、こういう街を整備するのにはどうしたらいいか、それが全部書いてありますね。貴重な自然とか、のどかな集落、自然に囲まれた住宅風景、シンボル的な風景などと書いてあります。
(図14)
  どうしたらいいか。都市計画の連中は、必ずつまらない平べったい図面をマーカーで括ってもっともらしい説明をしますが、そのもっともらしい説明がこれです。「琵琶湖との関わりが深かった里山の麓の集落風景を形成する」。これは後で出てきます。それから、「水と緑豊かな自然と人々の営みの融合により・・・・」と、すごい文言ですね。小説家だったら絶対にこんなことは書かない。役人だからこういうことを書くのです。
  それから堀です。「八幡堀」、水ですね。こういうようなこと、これで景観計画区域だと言っています。
(図15)
  先ほど言った集落は、こんな街にしたいという絵姿です。国交省の都市計画課に景観計画担当のセクションがありまして、そこが誰かに書かせました。
  そのディテールを見ると、どういうことになるか、次に行きましょう。
(図16)
  これは最も象徴的な伝建地区です。かつて文科省の文化庁の建造物の連中がアドバイスしたものを、国交省の都市計画の連中や住宅局の連中もこうしたいということですね。これは4寸から5寸勾配、2分の1勾配、タンジェント2分の1勾配です。平入りです。屋根はいぶし瓦です。多分、三州瓦でしょう。石州でない三州のネズミ色瓦です。入母屋型です。そして、真壁ですが、これで耐震性を保つのは結構難しい。でも、真壁にして、高さは基準法で言う10メートルを超えない。普通、基準法では一種住専は幾らですか。11か、12ですね。ですから、これはちょっと低い。1、2メートル下げているのかもしれません。それから、庭、生け垣です。敷地内の前庭、塀越しなどに適度な緑を確保しようと。それから、玄関はガラリにしろ、素材は全部自然石、木材、土、ヨシの自然素材でこういう建物を造れ。言ってみると、これは、大正から昭和の初めにかけての戸建ての住宅地の建築です。割合とお金のある、課長さんなどが住みたい、30坪ぐらいの、こういう家でずっと集落を造れということです。

2. 景観法でどのようなことが可能か

(図17)
  ここまでは国交省のテキストを使って説明しましたが、次は、景観法ができた時にどんなことが可能になるかということです。
  これは、今、東京で一番話題になっている国会議事堂です。景観保全のため建物の高さを抑える、モニュメンタルな建築物の背後の高さを抑えると言いますが、ここにある例は、山王グランドビルです。これは何故できたか。札幌でも北海道神宮がありますが、近くに由緒ある神社がここの後ろにあります。その神社の上に300か400容積が乗っかっていたのです。神社は神社ですから使えないでしょう。今から50年ぐらい前、自動車会社がここの土地を持っていた。その自動車会社の敷地を、自動車会社はタクシーを置けませんから、アメリカ軍に貸して、山王ホテルというのをやっていました。その、おんぼろホテルを取り壊して広尾の方に持っていって、ここにビルを建てて経営しようといった時に、神社の容積を全部かき集めてここに積み上げたのです。僕は、この建物が東京で一番けしからん建物だと思っています。神社の神主というのは良くないですよ。お寺さんも良くないですよ。ひどい建物を造りますよ。お寺さんの境内は駐車場と幼稚園になっていますね。幼稚園のデザインはひどい。ああいうことをやっては、子どもに示しがつかないと僕は思うのです。これが建ってしまいました。
  こちらはプルーデンシャルの建物です。火事になった有名なホテルニュージャパン、東洋郵船の何とかというおじいさんが死んでしまいましたが、これが建っていた所です。そこを、森ビルとプルーデンシャルが買って建ってしまいました。これがなければ、これはまさに「モニュメンタルな建物の背後の高さを抑えるようにする」となっていたんですが、これを撮った時に、既にこれが建っているのです。ここに、また何か一つ、TBSか何かが建ちそうです。
  問題は何かというと、ここは千代田区で、こちらは港区です。景観計画区域を所轄する指定管理者、要するに、お役所で責任を持ってそこで仕事を取り扱うのは、多分、都ではなく区だと思うのです。すると、千代田区が幾ら言っても、こちらは港区だから、港区のことをコントロールできない。こういう馬鹿なことが幾らでも起きるのです。ですから、景観法を使って抑えることはできる所もあるけれども、こういうものが建ってしまったら、悲しいことにもはや壊すことはできない。
(図18)
  ただ、少しは良くなる。良くなるのは大阪の御堂筋です。これは歴史的に素晴しい。大阪の御堂筋は、真ん中にイチョウ並木があって、ここが通過車線で、イチョウ並木の外側に停車帯があって、非常に道路が美しく整理されています。そこへ30メートルのラインにずらっと建物が並んでいます。少なくとも、こういうふうに写真を撮れば、日本を代表する業務地域の中で、多分、丸の内よりも御堂筋が一番美しい姿だと言います。
  しかし、実は今、ここに面しているビルの1階の銀行がどんどんシャッター街になっています。何故シャッター街になっているかというと、全部、東京に行ってしまっているのですね。最たるものが三井住友銀行です。三井住友銀行は、こんな所で商売をしないで、東京で商売をして儲けています。日本生命もそうです。全部ここで頑張っていたのがいなくなってしまった。そうすると、このビルは効率が悪い。どうするのか。考えてみると、30メートルで守っているけれども、客がいない古いビルを守るより、一度壊して超高層でやった方がお客さんが来るのではないかと誰もが考えます。それを抑えることができるのか、それとも、大阪市の経済活性化のためには、御堂筋と言えども高さを上げた方がいいか、こういう話が潜在的に燻っています。
  それから、これは幕張のベイタウンです。北海道の方はご存じないと思いますが、ご覧になった方がいいと思います。幕張の新都心です。これをやった蓑原敬という面白いおじさんがいますが、彼がいみじくも言っていました。これはマンションです。普通、マンションというと、超高層のマンションで、周りに公開空地を取って総合設計でやるというやり方がもう決まっていますよね。容積は3割アップです。役人も設計業者も大体そうです。そういうのが後に建っているのですが、これは、そうではなく、道路に沿って面で強引に住宅を造った。
  こういう造り方というのは、最近、死んだJ・ジェイコブスという有名なおばあちゃんの本などに出ていますが、こういう風に建物を並べれば、ここに賑わいができる。それに比べて、超高層が墓石のようにぽつんぽつんと建つと人が集まらない。これも大学の先生は大好きで、よく言います。多分、東京の先生がそういうことを言う。
  ところが、ディベロッパーにとっては、こういうことをやると、有効な面積が減る。例えばレンタブル比と言うのですか、1,000uの床を造ってマンションとして売り出せるのは大体750uぐらいでしょう。でも、こういうことをやっていくと700uになる。要するにレンタブル比が下がるということです。それから、こうやるとどうしてもロの字型になって中庭ができる。すると、後側の住宅の売り値ががくんと下がるということで商売にならない。ですから、ここでは都市計画屋が、かくあるべきだ、ヨーロッパはできているから日本でもやるべきではないか、ということで、始めは強引にこういうことをやったけれども、結局は、ビジネスにならないというので、後に、つまらないよくある高層の四角い総合設計のマンションが建っています。
  ですから、景観法ができて、高さ低めの統一、建築制限の適用除外なんかはできるけれども、本当にこれが一般的に普及するかというと、必ずしも普及しない。ここが大事なのです。
  ただ、必ずしも普及しないけれども、普及することもできる。その違いは何かと言うと、結局、専門家の腕前です。能力のある一級建築士でもいいし、ほどほどの能力のある都市計画家と称するおじさんでもいいのです。その人をうまく使えば、もしかすると儲からないというディベロッパーでも治めることができるかもしれない。しかし、それが、つまらない一級建築士事務所と、杓子定規にしか物を考えない都市計画のおじさんの組み合わせだと、絶対にこうなりません。これが難しいです。
  ただ1つ、こういうことの議論で僕はこの頃つくづく思うのですけれども、景観法などの議論は若い人は無理ですね。酸いも甘いもかみ分けて、定年退職したおじさんが一番向いています。マーケットはありますから、団塊の世代の方は、こういうマーケットがあるということで、是非進出して欲しいと思います。
  ただ、こういうことは、主導するのがNPOですから安いです。NPOは金がない。金がないNPOにつき合う皆さんは全く金がない。ですから、一生懸命に1日つき合っても謝金が1万円とか、そういうことはありますよ。でも、これはしょうがない。そこからサービスしながら広げていかなければなりません。でも、マーケットはあります。これを議論するのは、30代のおじさんにはできません。やはり、経験を積んで、退職してしまっている60歳ぐらいのおじさんと、割と能力のある40歳ぐらいの一級建築士のおじさんが組むと、もしかするとこういうふうにできるかもしれない。そうでないと、30代の者に任せれば総合設計型になる。これは伊藤滋の印象ですけれども、一応、景観法でやれる可能性があるということですね。
(図19)
  これは、個別ですからできます。ランドマークとなる建築物の整備は、市役所の市長さんの懐に、こういうことに投入するお金がどれぐらいあるかによって決まるだけの話です。
(図20)
  これも有名な話です。京都市の先斗町沿いの鴨川に沿っている有名な料亭です。これは建ぺい率違反です。斜線制限違反、全部違反です。鴨川の水面から軒先が少し出ているところがあります。ここからが鴨川ですから、公共的空間でしょう。そこに私的空間が出ている。しかし、これは目をつぶろう、目をつぶらない限りは有名な料亭は残せない。ですから、ここに建築基準法の制限の緩和項目というのがあります。
  それから、屋根の裏側は木材の露出でもいいではないか。接道義務も、伝統的な建造物保存地区内では緩和規定を設けて、変な建物が造られないようにしよう。
  この一番いい例は大阪の法善寺横町です。法善寺横町は火事で焼けましたね。建て直すといって、もう一度焼けたのです。建て直すとなると、基準法上は、4メートルの道路を造らなければいけませんが、あの法善寺横町は建築内敷地にしましたから、連檐建築型の基準法上の扱いで路地を造ることができて、路地の両側に木造の建物が建てられました。
  大阪市役所というのは、悪いこともするけど、いいこともする。関西というのはそういうのが多いですね。関東は、役人中の役人で、もうしょうがないですね。関西というのは面白い。
(図21)
  これが法善寺横町です。これは通路で、道路ではございません。木造で建てて、連檐建築です。こちらは昔からでき上がった神楽坂です。これも伝統的建造物群指定地区に指定すれば、この道路の両側で料亭を造ることもできますよということですね。
(図22)
  これは、高崎でうまくやっています。日本の街を一番汚くしているのは看板と電柱と翻る旗ですね。自動車の売り場に行くと翻っている旗の広告がありますね。幟と看板と電柱、これを取るとどうなるかということです。
  これは神戸の例です。高崎と神戸では、都市のアクティビティー活動力が、神戸は高崎の10倍以上の魅力度があって、人の量も多い。ですから、やっぱり神戸の方がしゃれている。今までずっとアーケード街にしていたのを全部取り払った。これは全部、連檐型で四、五軒ありますけれども、これをまとめて集合化して、壁の色も統一して、1階の軒もして、日除けの色が非常にセンスがいいですね。アーケード街をあけて、日除けにした。
  日除けにするというのは、極めてヨーロッパ的です。日除けを有効に使って、とてもしゃれたまちになったのが神戸です。高崎も日除けをやっていますが、いろいろなものを入れ過ぎています。ビーチパラソルみたいなものを入れたり、変なテントを入れたり、これは関東型ですね。関東のおでんみたいで、関西はしゃれていますね。これはしょうがない。都市計画屋の実力か、センスの問題です。
  しかし、高崎も看板をなくしました。看板を非常にしゃれて小さくしました。電柱をなくしました。すると、少し道路も良くなる。これは土木屋さんの街路課の人などが一生懸命やってもらうとできるのですが、問題は、樹の維持管理が物すごくひどい。これなどは葉っぱが出ていますけれども、歩道上の街路樹として市役所が伝統的に付き合っている植木屋さんに切らせると、全部切って裸にします。これは後で出てきます。そういうことはもう止めてくれ、というようなことが街路樹でいっぱいあります。
(図23)
  これのサイン、広告は、どういうことはないのですが、僕的解釈をしますと、建築屋にデザインさせたと思うのです。一見しゃれているでしょう。でも、全然わからない。近くへ行っても、これは日本料理屋かとしかわからない。これもそうです。建築屋とかインダストリアルデザイナーにデザインさせると、こういう危険性があります。
  これは、結局、要望のある広告を全部ここに納めることが、きっとよくないのでしょう。それから、民間のこういう広告はもう入れません、ここに入れるのは公共広告的なものだ、という風にした方がいいのかもしれませんね。
(図24)
  これは、よくある話ですが、だんだん出てきています。新日鉄が作った鉄のガードレールを間伐材を使ったガードレールにしました。これは西会津ですね。
(図25)
  これは、川面の自然景観です。恵庭です。こういう風に景観を守った川づくりをやりましたよということです。これも大事なことだと思います。
(図26)
  これは解釈ですけれども、この半蔵門から皇居のお堀を通って、三宅坂を通って、桜田門を通って日比谷に行く道路がありますが、この景色は、ロンドン、パリ、ニューヨークでそれぞれ一番美しい景色を撮ってみようといった時に、多分、東京はこれを出すと思います。これは、パリには負けるかもしれないけれども、ロンドンやニューヨークから持ってくる景色よりも優れていますね。自然的な要素と街路樹の美しさと市街地の雰囲気が非常にマッチングしている。ただ、けしからんのは、ここに、この10年間にでき上がった霞ヶ関の公共建築物がある。これまで、ここはずっと空だったのに、壁のように全部ふさいでしまった。これがなければ100点満点ですが、これができたので半蔵門からのこの景色は30点減点の70点になってしまった。しかし、これは本当に世界的に素晴しい景色です。もう一つ言えば、英国大使館の方から桜のあるお庭が外堀のところにあります。それからずっと半蔵門を通って桜田門まで、これも素晴しい景色です。
  これは、最近、僕が気に入ってしまったものですが、公共施設ではございません。民間の敷地の中に緑を植えたものです。品川の東側にソニーと大林のビルがあって、こちらに三菱自動車とか小さい会社のビルがぐちゃぐちゃと建っている。鉄道側から見ると非常に醜いのですけれども、鉄道側から見た醜い建物の5、6棟の中庭には、これだけ素晴しい樹を植えてくれています。これは、ランドスケープアーキテクトが非常に優秀な若いおじさんだったのです。無駄なことをしていません。よく、庭屋さんは、低木を植えて中木をを植えて高木を植えてということをやるのですが、そういうことをやっていません。全部さっと目通し、透き透きで下の線が真っすぐ通る。素晴しい。これは、ちょうど盛りの樹が繁茂している時ですから、東京にお出でになったら、これをご覧になったらいいと思います。非常にいい庭です。
(図27)
  これは、僕にとって大変重要なスライドです。
  仙台の泉パークタウンですが、三菱地所さんが、20年以上、一生懸命売り出している戸建て住宅地です。多分、ここは地区計画が作られていて、敷地から3メートルぐらい下がって家を建てている。建ぺい率から言うと30%ぐらいでしょうか。全部、妻入りで、勾配が同じです。三菱地所が造った住宅団地ですが、レディメイドの建て売り住宅だと思うのですけれども、隣の写真と比べると何となく似ているでしょう。屋根の勾配といい、白っぽいところといい。パークタウンは真壁造です。隣の写真は外国の有名なしきたりのある建物の造り方です。前庭からの下がりといい、前庭にちょぼちょぼと中木があって、後ろに庭がある。似ているでしょう。ここは歩道で、こちらに自動車道も似ています。これは、都市計画の連中が聖典のように大事にしている、英国のレッチワースという1900年ぐらいに造ったニュータウンです。こちらは三菱地所が商売のために造ったパークタウンですが、結構似ています。ですから、ビジネスでやっても、ちゃんとやると、日本でも結構いい街がまだ造れるのだということです。このごろは、余り郊外の住宅団地は売れないと言っていますが、場合によっては、景観法に基づく景観計画を使って郊外の住宅団地をまとめていけば、地元の工務店が30戸か40戸の家を建て売りで造る時だって、やりようによっては非常に質のいいものができるぞ、景観法をうまく使って地元の工務店さんも是非頑張ってください、ということが言えそうなスライドですね。
(図28)
  先程言った、農林省はなぜ頑張っているかということです。これは棚田です。ついでに言うと、この間、長岡で地震がありました。あの時に農林省が一番ショックを受けたのは、山古志村で棚田が全部壊れてしまったことです。棚田を元に戻すことに役人が入りますと、現況の面積が幾らで、それに合うようにきちんと直すというので、すべての実態を調査します。その上で現況に戻すと、どうしても棚田にならないで四角くなってしまいます。圃場整備と同じです。圃場整備のように四角くすると、棚田の美しさができない。
  棚田というのは、どういうふうにして作られているかというと、棚田は自然に変形しながらゆっくり動いているのだそうです。これを持っている10人ぐらいの地主が、毎年1回ぐらい、「ここは前に出たからおまえの所にやるよ、だけど、こっちはおれによこせ」と、微調整をしながら棚田を守っているのだそうです。ですから、役人が入ると駄目だ。微調整しながら、まさに良き文化を守る談合で、この棚田を守っているのです。
  それが、山古志で壊れてしまった。山古志村の棚田は、千葉県の鴨川の棚田より美しかったけれども、山古志の棚田は復元できません。
  これも、景観作物地帯と農林省は言っています。鹿児島の菜の花と開聞岳です。これは、北海道でも美瑛町などに行くと同じですね。美瑛町はラベンダーと菜の花とジャガイモの花、それから、知床の足元に行くとこういう風景はありますね。これは北海道でもある話ですが、鹿児島の開聞岳を撮りました。
(図29)
  茶畑です。これもいいでしょう。農林省が頑張っています。こういうのは絶対に残す。それから、これは新潟の妙高市ですが、妙高山のふもとの冬の景色です。こういう雪の景観は世界に誇れる景観である、まさにそう思いますね。これは残したいです。
(図30)
  それから、環境省も頑張って、例えば日光のカラマツ林の美しさを残したい。それから、八ヶ岳と前の低地の雑木林です。これと田んぼは絵になるでしょう。それにはこの樹が重要なのです。これは景観樹木になります。指定しなければいけません。環境省がこれを残すために景観法を利用しようということで、こんな街が出てきました。
  ここまでは美しいと言っていましたが、突然、変わります。

3. 汚い景観25景

 これは、前にも「都市経営フォーラム」でやったと思うのですが、北海道には余りないと思います。
  美しい景観と褒めても、日本人というのは余りドキッとしません。日本人をドキッとさせるためには、「おまえの所は汚い」とはっきり言おうではないか。今まで、日本の街は臭いものには蓋ですから、余りはっきり言わない。しかし、少し無責任な立場の学校の先生なんかを主体にして、これは汚いのだとはっきり言う。会社が何だろうと構わない、市役所が何であろうと構わない。そういうことを言わないと、日本人というのは、「オッ」と思ってくれないから、一度やってみよう。若い人だと商売上で差し支えがありますから、平均年齢65歳、大学の定年が終わったぐらいの先生連中が集まって、もう何を言っても自分の飯には関係ない方々が「美しい景観を創る会」というものを作りました。そこで汚い景観を徹底的に引っ張り出そうとしました。
  私はたまたま早稲田の教員をやっておりますから、早稲田の建築の大学院生に、夏休みに帰る前に1人1万円ぐらいのガソリン代を渡して、夏休みが終わって帰ってくるまでに、どこでもいいから自分が汚いと思った景色を、1人20枚なら20枚撮ってこいと言いました。24人いますと400枚になります。夏休みが終わったら、早稲田の大学院生24名を集めてスライドショーをやり、24人が全部に点数をつける。一番点数の多いところが一番汚い。早稲田の学生ですから、今のところ、何も社会的に縛られていません。それを3回ぐらいやっています。
  点数をつけて、その結果を「美しい景観を創る会」で公表しました。これは、去年が一番激しかったのですが、これに、AERA、週刊新潮、読売新聞などジャーナリズムが結構食らいつきまして、私たちの仕事を紹介してくれました。ところが、そういう所を写してけしからんと言った企業も市役所も、我々に何の反応もしてくれない。本当に反応してくれたら、僕は裁判をやろうと思って裁判費用をとってある。裁判になればこっちのものですよ、新聞が書いてくれますからね。ところが、市長さんも企業もなかなか頭が良くて誘いに乗りません。次はどうしようかと考えています。
  この「美しい景観を創る会」は、今年の暮れに2年の活動で閉じますけれども、その時、新聞記者を集めて大々的に発表しようかと考えています。それぐらいしかできないかなと思っているところです。
  これからお見せするのは、2回目に採点したものです。実は、1回目の方が迫力がありました。2回目は、別な写真も新しく入ってきて少し迫力がありませんが、点数がはっきりわかっていて、点数ごとに並んでいますからちょっと見て下さい。
(図31)
  これは採点会です、学生に写真を見せて、景観の汚さを4段階評価し、ゼロから3点で合計を決定した。採点者は早稲田大学建築学科の大学院生24人。
(図32 ごみの溜まる水辺)
  これが68点です。24人で68点というのは1人当たり2.5です。これは、港区の浜離宮の外掘です。築地の魚市場のような所で、魚を処理したプラスチックの容器がぷかぷか浮いていました。臭いものには蓋で、築地の魚市場のきれいな写真になるような所の裏方の後始末が、全部、隅田川に流れて、隅田川の流れが浜離宮のここに来て溜まってしまったのです。浜離宮にとっては思わぬことで、とんでもないものが他所から侵入してきました。
  これが1番ですが、その後の話がありまして、この1週間後に行ったら全くないと言う。と言うのは、水の流れというのは無常で、非常というのか、ぷかぷか浮いているものですから、自然に別な所に行って、どこか別な所を汚しているはずなのです。消えたわけではない。どこかに行ってどこかを汚している。しかし、少なくともここにはなくなりました。ですから、ちょっと浮気者というか、固定的ではないけれども、1位で68点です。
(図33 歩道上の放置自転車)
  2位は放置自転車です。川口駅の東口です。自転車置き場があるのですが、こういう風に放置する。この一番の問題は、誰が悪いか。みんなが悪いのです。普通の人で、国がけしからん、市役所がけしからんと言っている人が悪いのです。だからこういう風になる。結局、これだけ一生懸命に緑を植えても、駄目です。川口市は、それなりに歩道も石畳みにして一生懸命にやっています。
(図34 廃業した温泉旅館)
  これも悲劇です。夕張市を連想させますが、鬼怒川温泉というのは昔は物すごく流行っていましたけれども、昔のようにバス旅行で温泉に行く人がいなくなりました。あるいは、電車でまとまって商店街のおじさん、おばさんが行く温泉旅行がなくなりました。ここにある旅館は、全部、そういう団体客目当てに造った温泉旅館ですが、客が来なくなってて、全部ゴーストタウンになってしまいました、
  問題は、このゴーストタウンがここにそのまま残っているのですね。これを壊して、むしろ、ここに樹を植えた方がまだいい。これは、まだずっと残ります。こういう景色は、多分、これから地方都市ではいっぱい出てきます。地方都市でよくある話は、古くからの老舗デパートが閉店したけれども、壊せないで残っている。これもゴーストビルディングと言って、いっぱいあります。一番象徴的なのは鬼怒川温泉です。こっちの温泉は経営しています。これは、割合に小規模な家族旅行とか、おじいさん、おばあさん2人連れの旅行のお客さん相手に小規模でやっているので、経営が成り立っています。こっちは、完璧に団体観光客相手で、つぶれました。熱海もそうです。
(図35 地方都市のアーケード街)
  これも悲劇ですね。産炭地域の大牟田というのは、どうしようもなくなった街です。夕張と同じです。シャッター通りになって、アーケードぐらい壊してもいいのではないかと思っても、ここの人たちには壊す金がない。この街路樹はプラタナスですが、金がないと切りまくってしまって、ひどいですね。これだけ切っておけば1年分ぐらい切らなくてもいいだろうと、維持管理を思い切って詰めると、こういうことになります。地方都市のアーケード街は、これほどではないけれども、こういう所があちこちあります。
(図36 川にかかる首都高)
  これは、かの有名な日本橋の首都高速ですね。こう見ると、首都高速もぴかぴか光ってきれいですね。こういう風にきれいだからいいではないかと論文にして書いている建築史の先生がいます。これはこれで、機能美で美しいではないかと言っている。
  そこに僕の名前が出ていて、「俺は自民党の御用学者だ」と称した伊藤滋は何とかかんとかと書いてあった。警察庁の御用学者と言った記憶はあるのですけれども、自民党の御用学者と言った記憶はない。だから、学校の教師もかなりいいかげんですね。リファレンスがしっかりしていないと思いました。
  しかし、これは汚いです。
(図37 住宅地近くの産業廃棄物)
  これは、やくざ絡みです。ここは市街化調整区域です。市街化調整区域の中の休耕田に産廃を積み上げている。そこで、何とか興産というような名前の会社が来て、市役所に無届けでこういう所に積み上げて、市役所が文句を言うと、「お前、俺が誰だかわかっているんだろうな」という話なのです。ここは典型ですが、その他に、東京の周りでは神奈川県の寒川とか、相模川沿いにこういう街がいっぱいあります。
  写っている建物も違反建築です。これは、市街化調整区域の農業振興地域にできた家です。20年ぐらい前に、農家の後継者、次・三男用対策の住宅は市街化調整区域でも造ることができるというのがありました。今もあるでしょうか。農民は、次・三男用対策として造ったと称して、ここをアパートにしています。非常に質の悪いアパートです。これは、ここだけではない。あちこちにあります。浜松市でもあるし、富山市でもあります。学生下宿が必要な所は、次三男用対策の家と称して学生下宿として安く貸している人が多いです。日本人というのは普通の人でも悪いですね。こっちはやくざ、こっちは悪知恵の長けた農民、ここは市街化調整区域の休耕田です。
  これは、何で立入禁止なのかわかりません。
(図38 派手な商業建築)
  これは、あの有名なドンキホーテです。ジェットコースターみたいなものを造って、みんなから止めろと言われたのでやめてしまったドンキホーテです。山梨県笛吹という田舎の小さい街のショッピングセンターで、これだけの色を使って、こんな派手なものはやっぱりけしからんでしょうね。パチンコ屋も、この頃はこれほどにはしなくなりました。あちこちにドンキホーテがありますが、学生は悪いやつだと考えました。
(図39 街中の廃屋)
  さっきの悲しい物語は、鬼怒川温泉、大牟田のシャッター街シリーズでしたが、これは、赤坂。相続絡みで、多分、息子がいないおばあさんが死んでしまって、親戚がここの土地をどう引き取るかということで、もめている住宅があちこちで出てきました。相続絡みで誰も入れない。けれども、5年、10年経ってしまった。こういうお化け屋敷があちこちで街中に出てきている。これも、意図的ではなくて、結果としてこういう景色が増えてくる。学生は潔癖症ですから、こういうものは嫌いです。
(図40 駅前の消費者金融看板)
  これも有名です。1回目は悪い20景をやりましたが、その時は、宇都宮市は9位ではなくて3位ぐらいでした。そのスライドを残しておいたら、また9位にとどまりました。これは何かというと、宇都宮駅の西口の駅前駅広場の南半分です。この前は20メートル以上のしゃれた駅前通りです。真っすぐ行くと右側に県庁があります。こっち側はデパートで割合に格好がついていますが、南半分は消費者金融の看板だらけでしょう。これは、宇都宮市という栃木県の県庁所在地としては全く品格にもとる。県庁は何をしているのだ、市役所は何をしているのだというので出したら、宇都宮市で有名になりまして、あの会はひどいことをやったと言うけれども、よく見ると、やっぱりこれはひどい。市役所の連中もひどいと思っている。けれども、抗議をしないで、彼らは今じっと耐え忍んでいます。アコム、アイフル、フジクレジット、アイク、こっちには武富士とかプライムがあります。ここに全部の消費者金融があります。
  こういうことを許している。これはどこが悪いのでしょうか。これを1つ1つ分解しますと、看板広告は、市役所では公園緑地行政。みんな監督の仕方が違う。それから、窓ガラスに紙を張るのは法律違反になるかというと、なかなか難しいです。これは、窓ガラスに紙を張っていますが、窓ガラスは、道路と建物の室内を分ける公共物的性格を持つとなれば、簡単に紙を張らしてはいけません。紙を張らせるよりも、窓ガラスの後ろにボードを置いて、ボートに張れば、まだこれほどの露出性はないはずです。たまたま運悪く宇都宮市が選ばれてしまいましたが、こういう所はいっぱいあります。これに無神経でいられる限り、日本人はだめですね。
(図41 密集した電線)
  これは電線です。電線は、直し方について随分と地域差があることは少しずつわかってきました。東京電力は、我々がわんわん言うものですから、さすがに気をつけていまして、直せるところは直しますと言って低姿勢でやっています。
  この間、福岡の九州電力の話を聞いたら、金がないの一辺倒で、ほとんど電線地中化について協力してくれないということです。北海道電力はどうか、知りません。
  電線地中化は、歩道が6メートルで、車道が駐車帯と2車線で分離帯があって、全部を足すと27メートルか30メートルになるような表の駅前通りのことでもあるけれども、ここで言いたいのは、それよりも、6メートルぐらいの生活道路で、毎日、皆さんが通勤に通う所の電柱をきれいにしてくれたらなということです。そうなったら、皆さんも本当にうっとうしくないと思いませんか。朝、夫婦げんかして家を出ても、こういう電柱があれば、ますます頭に来るけれども、なければ少しすかっとしておさまるかもしれないとか、そういうことがあるかもしれませんね。
(図42 ビル屋上の設備機器)
  これは、どうしようもありません。建築設計を普通の事務所が敷地で30uとか40uの建物で設計を引き受けるとこういうことになります。屋上に扉が出て、空調機があって、多分、ウオータータンクがあって、それから、物置がどこかにあるはずです。これは多分20u程度の4階建てくらいのペンシルビルです。ここに物置があって、空調機があって、ダクトが入っていて、ひどいでしょう。汚いものは全部上にして、それで済ませるというのが建築設計なのですね。これで街なみを考えた1級建築士と言えるかというと、誰も言えません。こういうものを皆さんは着々とお造りになっています。
  これは池袋です。渋谷でも同じものがあります。新宿でもあります。こういうところを話題にしないで、何か格好いい建築雑誌で、象徴的な、読んでも何が何だかわからないような文章を、もっともらしく眺めていても余り役に立ちません。僕は、逆に、臭い物に蓋で、ここにスクリーンか何か屋根っぽいものを架けろ、それだけで随分よくなる。そういうことを言っているのですが、誰も相手にしてくれません。
(図43 住宅街のラブホテル)
  ラブホテルというのは、どういうわけか、自由の女神とかモンスターとかキングコングを上に乗せる。ラブホテルというのは不思議ですね。学生から見ても、これは要らないと。学生は、ホテルの機能さえあれば、上は要らないということです。僕もそうだなと思います。これは埼玉の岩槻市です。
(図44 並列した広告旗)
  広告旗です。本当は違反ですね。歩車分離のために公共的に造ったフェンスの所に旗をずっと立てています。本来は、全部取り払われても文句は言えませんが、池袋あたりでは、こういうことは当たり前になりました。
(図45 川と道路に挟まれた建物)
  これもひどいです。渋谷川という所です。河川局はこれでいいと思っているのでしょうか。これは川なのですよ。建築設計者は、こういう建物を造っていいと思っているのでしょうか。これを見ると、本当に日本の専門家というのは何をやっているのか、何も良心がないと思います。汚いものは全部後へ置いてある。建て主もひどい。設計屋もひどい。おまけに河川局もひどい。河川を広げて、建物の建っている所は全部河川にして、ここの容積をどこかに別の所に持っていって、超高層建築でも建てた方がよほどいい。
(図46 葬儀上の広告塔)
  これは葬式屋の看板です。セレモニー、葬式屋の立体駐車場に看板がありまして、葬式屋は誰がやっているかというと、クリーンニング屋が後で葬式屋をやっている。ついでに、石屋もやっているのではないか。クリーニング屋があって、葬式屋があって、石屋があれば、大体、年寄りは安心してここで一通りの結果を得ることができる。こういうのがビジネスになって、今はでき上がっているのですね。
  立体駐車場に、これだけの広告をやっていいのですか。これは、柏市ですが、柏の市長は僕の教え子ですけれども、余りピンとこない。鈍感ですね。
(図47 インターチェンジ前の看板)
  これは、古いので、新しいものにしようと思いますが、どこにでもあります。高速道路のインターチェンジを出ると、奥利根館とか、ゴルフ場の名前とか、宝川温泉とか、でかい看板がダダッと並んでいるでしょう。この看板の汚さにつれ、土産物屋のひどい建物は何ですか。ここには、これから美しいレクリエーション地域に行きますよというイメージを刺激するものは何にもない。ただ並んでいる。看板というものは愚劣です。ない方がいいです。
(図48 商店のはみだし陳列)
  さっきのペアです。さっき、旗竿はここに立っていた。この後の出っ張っているのは、余り言うと恥ずかしいのですが、全部、女性の下着です。女性の下着を道路にはみ出して並べています。こういうことをやっているのは、地元の商店ではなくて、大体はチェーン店です。薬屋では、僕の家の近くではセイジョーとか、よそから来てチェーン店をやっているところは必ずこういうことをやっています。これなんか、恥ずかしいんだから中に引っ込めなくてはいけませんね。女性がそういうことを店に言わないと、男性から見ると、結構楽しいななんて思ってしまうかもしれない。池袋ですから、いいかなという気もするのですが、渋谷では困りますね。
(図49 田の中の広告看板)
  これも、はっきりわかります。茜丸、シャディ、もみじまんじゅう、オートウェーブ、これはローカルな看板ですが、僕が一番思っているのは、高松の穴吹工務店のサーバスの看板です。それから、コスメティック727というのも頑張っています。コスメティック727とサーバス、もう一つあったな、三悪人です。
(図50 刈り込みの強い街路樹)
  19位は街路樹です。これはたまたま広島県福山市ですが、広島県ではなくて富山県富山市でもいいかもしれません。あるいは、山形県米沢市でもいいかもしれません。みんなこうです。これで、街路樹ですか。役人は、まじめにこれを街路樹にして、道路台帳で、公共物として全部番号が振ってあって、1本ずつの樹がちゃんと残っています。この街路樹は、きっと都市計画街路2−2−3―300何10何番とかと入っています。そして、丸い街路樹の記号がありますから、図面の絵で丸いところを見ると、そこには葉っぱがある街路樹かなと思うような絵になっていますが、現場に来ると裸にされています。これは、植木屋の罪ですよ。僕は、よくオーバーに言います。これはきっと、道路管理者と植木屋の間で全国的なネットワークの談合が行われているに違いない、そうじゃない限り、こんなことが起こるとはあり得ない。だから、あり得るのです。
  これをなくすだけでも、街は随分変わります。ところが、これはなくなりません。不思議ですね。
(図51 伝統的家屋に隣接する戸建住宅)
  それから、これもひどいです。砺波というのは素晴しい農村集落ですね。散居村と言いますが、こういうのは、伝統ある農家のお金持ちの住宅です。そこには屋敷林がある。たまたま、この家のおじいさんが死んだのでしょう。相続か何かで、その横を建売り屋に売ると、こういう建物を建ててしまうのです。ひどいでしょう。建物1軒ではひどくない。だけど、家と田んぼと屋敷林という安定した景色の中に突然こういうものがある。売る方も売る方だし、買う方も買う方、住む方も住む方です。税金対策なのですね。善良な市民が住んでいるのですけどね。善良な市民で、善良な設計事務所の設計士、善良な工務店がやっているのです。みんな善良なのです。善良の固まりが善良な街なみをつくるかというと、絶対そうではない。こっちの伝統ある農家の方は、きっと意地悪なじいさん、ばあさんがじっといるのです。
(図52 不揃いな形のビル群)
  21位は、不揃いな形のビル群で、先程と同じです。日本の景色はこうなってしまう。何とかなりませんか。これは安藤忠雄も僕も同じです。何ともならない。
(図53 紳士服店舗の看板)
  これはもう象徴的です。卸売の靴屋さんから、洋服の青山、青木、もありますね。東京卸売何とか組合ですか。こういうものを見ると、時々、こういうところにつぶしてしまいたいという気になります。
(図54 管理してない駐車場)
  これも、皆さんの責任です。駐車場を安く維持管理したいから、放り出すのです。駐車場を維持管理することもない。ただの空き地です。空き地の外側にフェンスを張っただけで、こうやって儲けているのです。管理していないのに、管理料だけ取っている駐車場です。

(図55 田の中の公共建築)
  これもそうです。地方都市の景観を悪くしているのは、全部、公共建築物です。例えば、街なみのいい、三角の瓦がずっと揃っている所に、ニョキッと四角い無愛想な建物を見たら、これは必ず公共建築物です。小学校もそうです。ろくな小学校がないですね。これは、全部、国交省の営繕部系列と、文科省の文教施設部と、その他各省にある営繕部を全部ぶっ潰せばきれいになるけれども、そうはいかない。農林省もそうですよ。何とか田んぼ景観を守っているのに、これは全く無神経ですね。
  今、一つ何とかコントロールできるのは公共建築物です。これは、絶対にそんなことはするな、そうしなければ予算をやらないぞと言えば少しはよくなると思うので、予算で絞り上げていこうかと思っています。これは、もしかしすると、よくなるかもしれません。
(図56 建設中のマンション広告)
  25位は例のマンションです。これでおしまいですが、これもひどい。柏です。
  こんなものを集めました。これは、今年の9月に、もう一回、早稲田の学生を集めて4回目の汚い景色25景を作るつもりです。
(図57)
  景観を巡る幾つかの課題はちょっと後にして、前の「元気な街は美しい」というところをちょっと出して下さい。
  何でこれを出したかというと、たまたま、今、環境省に環境影響評価をする課がありまして、そこの課長が変な課長なのです。これまで、環境影響評価というと、CO?がこれぐらい増えているとか、水のBODがこれぐらいになっているかとか、数値でおまえのところは悪いぞと、いじめる処方せんを作るのが環境省の役割だったと言うのです。確かにそうなのです。森林だって、手入れをしていない山がどれぐらい増えたとか、全部悪いインジケートを次々と出して、市役所なんかにおまえの所は悪いと言っていた。「美しい景観を創る会」の僕たちと同じことをやっていたのですが、片方は役人がやっていました。
  そうではなくて、少し褒めることもやろうかと。それで、褒めるためにはどういう褒め方をしたらいいのか、ということを今勉強している最中です。たまたま、僕はその取りまとめをやらされつつありますが、その時、環境省の役人3人が目をつけて、ここに書いてある言葉は役人は絶対書かない言葉だと言われた。僕は意識していなかった。しかし、こういう文章で書いてくれると、なるほど、元気な街づくりについて、こういう文章で議論をすれば普通の人でも、もう少しアクションを起こせるかもしれないということでした。そういうことで、環境省の課長、審議官といった役人全員が褒めてくれたのです。僕がいたから褒めてくれたのかもしれません。それを13ぐらい挙げているので、ちょっと読ませてもらいます。
  「元気な街や美しい街、人が集まる街をつくろう」。その1は、まず「人が集まる街」。街の中に人がよく来る、街の外の人もその噂を聞いて遊びに来る。2、「家の中に人々が閉じこもらない街」。しゃれたオープンカフェや画廊、ショウルームもある。3、「老人が散歩できる街」。4、「NPOや協議会が活動している街」、5、「退職者と若者が店を開ける気分になれる街」。これまでの商店街にない商売ができる。福祉サービス、弁護士事務所。6、「祭りやイベントが頻繁に行われる街」。7、「自転車で遊びに来る人を優遇する街」。自転車で来る人が来やすいようにする。8、「商店主がそこに住んでいる街」。変な住宅地に行くな。自分のまちは自分で責任をとれ。それから、「特色がはっきりしている街」。余りお品がよく文化的でなくてもいい。猥雑性があってもいいのだ。例えば、新大久保の韓国人街は猥雑だけど、元気だよ。それから、「商いと住むことが共存している街」。僕は、三ない長屋というのが大好きです。三ない長屋を何とか作りたいということで議論してもらいたい。それから、「横丁があって、そこにしかない店が並んでいる街」。軽井沢に行くと、横丁にしゃれた肉屋か何かがありまして、そこの肉は割と質がいい肉なので、軽井沢の奥様族は、わざわざそこへ買いにくるという話があります。横丁には特定のお客さんを相手にするような店が並んでいる。それから、「社寺をうまく商売につなげ利用している街」。それから「駅前商店街は本来元気な街である」。大体、本来、元気な街なのだけれども、どうしてこういう風にしてしまったのかと。
  こんなことをずっと書きました。こんなことを入れながら、これからは、少し快適性について考えたい。都市計画の目的は「安全と保健と効率と快適」と言いますが、安全と健康と効率はわかるけれども、快適とは何か。昔は、都市計画では都市美化ということを快適性だと言っていました。しかし、それだけではないだろうと。快適性というのは、いろいろな要素が入っているので、快適性の中を手術するように、えぐってみよう、そのためのアプローチとしてこういう「13のキーワード」を使いたいと言っていたので、これは役に立つかなと思ってお話をした次第です。
  これで話を終わらせてもらいますが、せっかくですから、質問をしていただきたいと思います。

フリーディスカッション

與謝野 ありがとうございました。
  ずっと汚い景観を拝見しているうちに、だんだん苦しい思いに囚われますが、最後のこのような前向きのキーワードとしてまとめていただきまして、本当にありがとうございました。全体として大変に啓発的な素晴らしいお話がお聞きできたものと思います。ありがとうございました。
  やはり、「事実を知る」ということは、何事においても先ずは重要であるなぁ、とつくづく思います。それから、「街が美しくあるには、人が集まる街であること」というご指摘は、よく「来客の絶えない家は何時も美しい」という例えと共通するところがあり、そのような原理が街の姿にも当てはまるものなのだなぁと大いに学ばせて頂きました。済みません、チョット余計な解説でございました。
  それでは、ちょっと時間が押していますが、せっかくの札幌でのフォーラムの機会ですので30分ほど延ばさせていただきたいと思います。この機会に、ご質問なり、伊藤先生と直接対話をしたいとおっしゃる方はぜひ手を挙げていただき申し出て頂きたいと思います。
近藤(ゴーセイ) 昨年8月号の文芸春秋に、伊藤先生の日本の悪い景観100が出ておりました。それに対して反応がないというお話をしておられましたけれども、早稲田の学生ですと、北海道まで対象にして、このようなことはされていないのではないでしょうか。私は、札幌生まれ札幌育ちですから、小林先生もいらっしゃいますし、北大の学生あるいはNPOなどを含めて、そういうことをやっていただければ、自治体に対する影響もあるでしょうし、民間に対してもあると思いますので、ぜひお願いしたいと思います。
伊藤 早稲田ですと、不思議なことに、どうしても関東地方から西に行ってしまって、北のサンプルがなかなかとれません。では、一生懸命に大学対抗でもやります。
  私も、いろいろ建築屋の悪口を言いますが、れっきとした建築学科の卒業です。1級建築士も持っていて、若い時は飲み屋に行く金を儲けるために設計もやりました。しかし、僕は、片方で農学部の林学科を出ています。ですから、樹のことをそれなりに知っている。でも、建築の設計屋さんの描く街路樹とか植木というのは、本当に樹を知らない。
  例えば、7階建ての事務所ビルを造る時に、総合設計で公開空地を造り、そこへ樹を植えると、樹の高さが大体5メートルぐらいになる。何となく描いているのですね。ところが、樹というのは20メートルは伸びる。樹は6階ぐらいまで伸びるのです。アレボノスギだとか、もっと伸びる樹もありますよ。だから、樹というのはそんなに金はかかりませんから、樹を植える時に、2階の先の6メートルぐらいの樹を5、6本植えれば、10年たてば10何メートル、4階ぐらいまでいくのですよ。そして、下を刈って上だけ伸ばしますと、大きく冠のようにかぶさるのです。そうすると、夏には日陰ができます。
  でも、建築屋はそういう図面を描いてくれません。樹というのは、佃煮みたいに、飯をちょっと盛ったように描きます。これでは、やはりまちは醜くなりますね。美人でも、美人になればなるほど全ストはしませんよ。皆さん、やり過ぎなのです。恥じらいを持ってもらいたい。隠すということをぜひ考えていただきたい。隠すと美しくなりますからね。與謝野さんは、1つは心していただきたい。
與謝野 はい、こころします。「隠す」というか、まちを緑で覆うということですよね。
伊藤 そうです。樹や建物よりも緑の方が絶対に美しいのです。
與謝野 緑でしか解決できない面が結構ありますね。
伊藤 緑は神様が作っていますから、人間の作っているものより絶対に美しいのです。
與謝野 本当にそのように思います。
  それでは、会場からもご質問なりご意見なりいただきたいと思います。こういう場での質問は勇気が要るかと思いますが、ぜひ折角の機会ですので遠慮なくどうぞお願い致します。
柴田(志賀県立大学) 今日も彦根がスライドで登場していたので、ちょっとうれしく感じていましたが、彦根もさることながら、近江八幡市の景観の例の中で、長命寺が出ていました。ちょうど琵琶湖に接するところですけれども、琵琶湖に対して内湖の再生を今ずっと仕掛けております。これは、昔あった景観を取り戻したという時に、内湖の再生というのは、いわばラグーンを再生するわけですが、その場合に景観法なるものはいろいろな省庁が連携して下さると言うのですけれども、どこまでそれが本当なのですかと。抽象的で変な聞き方ですが、例えば、今は悪名高きリゾート法の時も、いろいろな省庁がと言いながら、結局、手続的には各省庁を巡らないと物事が動きませんでした。そういうように、今回の景観法も、自然再生とか昔の景観を戻すというテーマでやって、一つの省庁がいいねと受け入れた時に、他の省庁を説得するのだろうかということです。
伊藤 それはありますね。しかし、今回の景観法は、担当が県庁ではなく、市役所になるのではないですか。市役所になると、天国と地獄みたいに違います。市役所で市長が頑張ると随分変わりますね。だから、今、一番街を変えているのは、僕は市長だと思います。市長によって、街は本当に変わります。一番いい例は臼杵です。臼杵は、今の後藤市長がいたから、あれだけよくなりました。ですから、全国でいい街と言った時は、街だけではなく、市長の名前も付けて市を言わなければならない。市長が動き出すと、各省の補助金を市長が勝手に出向いて行って、全部つなげてくれると思います。
柴田 今、近江八幡市の市長は頑張っていますので、期待ができますね。
  それから、小林先生も頑張って下さると言っていましたが、滋賀県も県立大学なので、頑張ります。ありがとうございました。
與謝野 東京から大阪へ向かう新幹線の車窓からの景観で、私が最近感じてたことですが、ここ1年で、静岡県あたりを通ると、例の見苦しい看板がかなり無くなってきていますね。
伊藤 静岡県はなくしました。神奈川県は残っています。
與謝野 つまり、伊藤先生の勇気あるこの運動は、徐々に確かな成果を生み出しているように感じています。大変意義深いことを運動されておられると。
伊藤 不思議なのは、柴田先生におべんちゃらを言うのではないのですが、滋賀県関ヶ原から西へ行くと農村集落が本当にきれいなのです。ところが、関ヶ原から東の愛知県、岐阜県の農村集落はひどいものですよ。東と西というのは本当に面白いですね。そういう点では関東も余りよくないですね。
成田(ナック・プランニング) 都市経営フォーラムはいつも冊子を送っていただいて、東京の方はうらやましいなと思っておりましたが、今回は北海道においでいただき、本当にありがとうございました。 伊藤先生は、いつも軽妙な、その中に非常に本質を突いたお話で、本当に楽しく読ませていただいております。
  私は、景観のことはそれほど勉強しておりませんが、最近、NHKでフランス縦断の番組があって、フランスのマズロー法ですか、規制の話が出ていました。その時、担当者の方がおっしゃっていたのは、フランスでも、景観をシークエンスでこの建物を建ててはいけない、というのはなかなかできないということなのです。先程半蔵門のお話が出ていましたけれども、どうもこの景観法のパンフレットの概要を見ても、個々の建物とか、そこの街なみのシークエンスで規制しているようには思えない。札幌でもせっかく大倉山が見えるのに、マンションでどんどん阻害されて、スカイラインが崩れていく。これは、大きく言えばランドスケーブデザインの問題かもしれませんが、眺望観と言いましょうか、そういったものを守っていくような考え方での規制とか誘導について、その辺は市民のコンセンサスがないとできないと思いますけれども、その辺の視点は、この景観法では弱いかなという感じがしたので、いかがでしょうか。
伊藤 今のご指摘は、最近、東京で起きているのは、1つは皆さんの努力で市役所の中で景観地区を作っていただければ、例えば富士山の見える通りに景観地区をかけますと、そこの中では壁面線とか屋根の形が揃いますから富士山の形は見えるとか、そういう風になるのです。
  ただ、一番の問題は、全国で景観地区が増えないのです。一体これは何なのだというと、みんなやりたくないのです、ひどいのですよ。
  大都市になると、景観地区を作らないけれども、将来、建てるであろうディベロッパーに対して、区役所が新聞なんかを通じて事前に脅しをかけるということをやり出しています。例えば、東京ですと、明治神宮外苑のきれいなイチョウ並木があるでしょう。その奥に絵画館があるでしょう。あの絵画館の後には変なものを建てさせたくないのです。そこへ、どうも不埒なマンション業者が高い建物を建てそうだというので、東京都と新宿区が新聞を使って、「こんなことをやったらいじめにかかるぞ」と前もって徹底的にやっています。
  もう一つは、四谷の迎賓館があるでしょう。あの後ろも建てさせたくないのです。ところが、迎賓館は千代田区か新宿区で、後ろにビルを建てるとなると、そこは港区なのです。大体、千代田区とか新宿区が苦労している後ろに港区に変なものができてしまいます。
  ですから、そういう時は、区役所なんかはメディアを使って逆に脅しにかかっていますね。
嶋田(札幌市都市局市街地整備部再開発課) 私は、個人的に、職場の研修で北欧のフィンランドとスウェーデンを見てきましたが、向こうでは、壁面が揃っていることと、スカイラインが揃っていることと、高い建物はランドマーク的なものしかないということを見てすごく感動しました。札幌市の場合、今まで都心部の高さは揃っていましたが、今回、あるビルが道庁の横にニョキッと建ちました。関係者の方いっぱいいて申しわけないですけれども、先生はあれを見てどう考えますか。
伊藤 そのビルはいつ建ったのですか。僕は、今日、グランドホテルに泊まりますが。
嶋田 道庁の前です。グランドホテルから2丁ほど北側になります。
伊藤 何階建てぐらいですか。
嶋田 20階建てぐらいだと思います。今は、そこだけニョキッと出ています。今日、大通の方から道庁を通ってきましたが、緑の中から出っ張っている部分がありますので、ご覧になって下さい。
伊藤 北欧をご覧になってわかると思いますけれども、北欧はそういうことを許しませんね。軒高も、象徴的なストックホルムの昔の市役所とか協会とか、そういうのは別ですけれども、大体30メートルはいっていなくて、25、6メートルでずっと揃っています。
  それから、僕は、片方でこういうことも言っています。僕は、今、お説教する道徳の先生みたいなことを言っていましたが、札幌と東京は街の造り方や商売の仕方が似ているとすると、東京はもう絶対に北欧型やヨーロッパ型になりません。あれは、完璧に、ニューヨークとか香港とかシンガーポールを後から追いかけています。それに対して、ヨーロッパの軒高が整った街というのは、大学の先生は大体が大好きで、そっちを褒めて、ニューヨークをけちょんけちょんに貶します。僕もかつては、そういうことを言っていました。
  しかし、ニューヨークのハイライズとか、香港のハイライズとか、ああいう形もそれなりに力を持って、元気にむくむく伸びているわけです。そうすると、それは、否定しても次々と出てきます。ですから、それはそれなりの解釈をして、場合によってはそれを認めながら、それの行儀作法をちゃんと守らせることも必要かもしれません。
  札幌も、もしかすると、札幌駅から500メートル四方、1キロ角です。札幌の駅から東西南北500メートル、100ヘクタールは、もういい。100メートルでも200メートルでも建てられるのであれば建ててみろ。そのかわり、その外側については徹底的に抑えるぞと、そういうやり方があってもいいかもしれない。問題は、札幌がこれから一体どっちの方向をたどるのか。北欧型をたどるのか、それともアメリカの中心都市型、アジア型をたどるのか、それは市役所の都市計画行政がどこかで決断しなければならない。
  ヨーロッパに行きますと、歴史地区というので、ちょうど景観地区と同じように厳しい規制をかけています。ウィーンなんかでは、ステファン寺院の前でちょっと面白い建物を建てると大議論をやって、その結果あそこに面白い建物が建ってしまいました。それは、大議論をやったあげくですから、相当風変わりな建物ができても、ステファン寺院の周りの昔風の建物が、それで物すごく影響を受けて悪くなったかといったら、悪くならない。非常に面白い建物だけれども、周りの建物を悪くしないようなデザインで建っているのですね。
  だけど、ヨーロッパで歴史地区と言っているところは、この間、ウィーンの市役所の連中と話をしましたけれども、「おまえらの建物は歴史地区という誇り高き所にあるのだから、それだけでありがたく思え」と言うのです。そこで四の五の文句を言うな、歴史地区だって、賃料はちゃんと取るものは取る、税金は取り立てるぞと、それぐらいはっきり言うのですね。おまえらは歴史地区という選良なのだから、それなりの行儀作法をしろと。
  これは、やはりヨーロッパの文化に根差していまして、ヨーロッパは、昔からエリートと非エリートに分ける。歴史地区も一種のエリートの集合体ですね。そのエリートの集合体をジェントルマンシップにしよう、ちゃんとやれということなのです。
  ところが、日本はそういう選別を嫌います。だから、日本では、歴史地区でウィーン市役所の言うようなことは、例え札幌市役所でも一言も言えないはずです。おまえの所が景観地区に指定されたのは、おまえの所に目をつけて、いい所だと思ったからそうしたので、そこで四の五の文句を言うなと、札幌市役所の課長さんはきっと言えないですね。それは、日本ではエリートを否定しているからです。
  街をきれいにする、きれいにしないというのは、結果として必ずその問題に突き当たります。エリートというものを我々の社会がどう利用するか、しないか。日本はしていないのですよ。そう思うのですが、先生、どうですか。
  柴田先生は、そういうことを一番知っていますか。
柴田 とんでもないです。そんなことは知らないです。
  先ほど、フランスのことなんかがありましたけれども、フランスだとアルシュテクト・モニュマン・インストリックという歴史建造物建築家がその地区に対して責任を持っていて、例えばノートルダムの後ろ何百メートル以内に建物を建てる時には、その人の目でもってチェックされないと建たないとか、そういう制度がきちんとしています。そういう意味では、安心して建てられると言えば建てられます。ただ、パリ内で建てるというチャンスは、普通の建築家にはほとんどありませんが、エリート論になるとなかなか難しいです。やはり、あるライセンスと、先生が先程道徳論をと言っていましたが、貴族の責務みたいに、自分の責務としてノーブレス・オブリージュを持っているという感覚というのはヨーロッパの方がきちんとあります。日本でも、多分、姉歯の問題も含めてですが、そういう「ノーブレス・オブリージュ」という感覚は必要ではないかと思っております。
伊藤 ノーブレス・オブリージュが全くないですね。
  それからもう一つ、北欧は市役所の中で都市計画に力があります。今、柴田先生が言ったけれども、都市計画課は6畳ぐらいの部屋をチーフプランナーがそれぞれ持っていて、そこに担当する地区の模型を置いてあります。チーフプランナーは同時に優秀なアーキテクトでして、チーフプランナーがそこの将来の計画を1年、2年かけて模型で作ってしまうのです。道路から、樹の植え方から、建物まで、全部、担当区があるので、そこに知っている建築家とか、知っているランドスケープアーキテクトを利用して、こういうデザインはどうかと議論します。最終的には、鉛筆で図面を描いて模型を作り、それを地区に持っていってどうですかと言って、不動産業者がやりたいと言った時にはその形でやれということなのです。
  フィンランドもスウェーデンもノルウェーもそれをやっているから、すごいのです。ということは、逆に、チーフプランナーというのは、市役所の中でローテーションでぐるぐる回って、総務課から都市計画課へ行って、次は福祉課へ行くというようなことは絶対にありません。ヨーロッパでは、専門の職業の独立性というのが保障されています。日本では全くない。日本の市役所というのは、ぐるぐる回れば回るほど偉くなるでしょう。1カ所にいると、おまえは駄目だでしょう。そうではないのですね。それもまた困ってしまいます。
與謝野 はい、ありがとうございました。只今の柴田先生の言葉のなかのノーブレス・オブリージュの意味については、後で先生に聞いておいてください。少し難解ですが気品ある言葉です。
荒(和光技研) 汚い景観をずっと見せていただいて、北海道にも多くの重複するような所があって、私も景観形成基本計画をあちこち作っていましたので、それが遂行されないことに非常に心が痛んでおります。
  私の場合は、建築ではなく、土木屋でございます。技術士として先生にお伺いしたいのは、今は見える景観というものが出されたと思うのですが、もう一つ、音とか臭いとか見えない景観というものがあると私は思うのです。札幌であれば、時計台の鐘の音とか、誰も歩いていない商店街の宣伝広告だけが流れている街頭放送みたいなものもあると思います。そういう音や臭いなど、見えない景観に対しての先生のお考えを少しお伺いしたいと思います。
伊藤 これは、一度、騒音計を持って、ソウルと上海とシンガポールと、それからヨーロッパの街と、10都市ぐらい比較してみたらどうかと思のです。僕は、多分、騒音計のデシベルが一番高いのは日本のやくざのラッパだと思うのです。きっと一番高いはずです。それが許されている限り、見えない景観というのは、恐らく日本は物すごくひどいでしょう。
  しかし、日本の歴史上で流れている文学、特に和歌だとか俳句というのは物すごくデリケートな音をつかまえているでしょう。そういう日本人が、どうしてこういうやくざのラッパとか軍艦行進曲に汚染されてしまったのでしょうか。きっと、あれのデシベルは、ソウルの街中、上海の街中、シンガポールの街中、ましてや、ベルリンの街中やパリの街中よりべらぼうに高いのではないのか。今度、一度、旅行しましょうか。
  それから、臭いですけれども、僕はまず音ですが、臭いは何かありますか。
 札幌の例で言えば、ライラックの時期にはライラックと。
伊藤 ロマンの臭いですね。
 大通ではビールの臭いがするとか、そういう季節の料理の臭いとか、あるいは自然の香りとかですね。
伊藤 なるほど、それは北海道の持っている特色だと思います。
  僕は、この間、ウィーンで見ましたが、ライラックというのは素晴しい樹ですね。本当に素晴らしかった。だから、日本の街路樹でも、もう少しいろいろな街路樹をきちっと勉強してみたらいいなと思っています。植木屋さんにも一度聞きたいのですが、街路樹でとんでもない樹を植えたりしているのです。ハナミズキを街路樹で植えようという人がいますが、あれはとんでもない。だから、植木屋さんも洋風の木の勉強をされていくと、物すごくいいなと思います。そうすると、きっといろいろな香りが出てくると思います。
  言いたいことは、日本の植木屋さんを見ると、500メートルぐらい行くとまた別の植木になっているとか、300メートルぐらいある街路樹も、その次はまた別な樹になる。だから、1キロぐらい散歩をすると、街路樹は3、4種類ぐらい違う。それもいいけれども、1キロぐらいは辛抱して同じ樹をずっと植えまくることができた方がいいかなと思うことはあります。
  僕は、カンヌに行ったのですが、カンヌのウォータフロントの街路樹というのは、2キロぐらい、マロニエが全く同じピッチでずっとあって、それから、街路灯のデザインも同じなのです。これは美しいのですよ。
  ところが、日本では、街路灯のデザインもしばらく行くと違うし、植木も違うし、舗装も違うし、何でああいうふうに違ってしまうのかと思います。1キロ、2キロはマロニエでもライラックでも植えれば、きっと香りが出てくると思いました。
與謝野 ありがとうございました。
  ご質問と交流のための時間を30分ほど延ばしましたが、会場の都合もございますので、この辺で本フォーラムを締めたいと思います。この後、別の会場にて懇親パーティーの席を設けておりますので、よろしければ、伊藤先生、小林先生を囲みながら、ぜひそちらで引き続きご交流を深めていただければと思います。
  会場の皆さんにおかれましては、活発なご質問なりご意見を出して頂き、このフォーラムを意義深い会として盛り立てていただきまして誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。
  それでは、お忙しい中、本日、示唆深い貴重なお話の数々をご披瀝いただきました伊藤滋先生に、改めまして、お礼の気持ちを込めて大きな拍手をお贈り頂ければ幸いであります。(拍手)
  ありがとうございました。
                                  

 


 

 

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 


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