back

©日建設計                 
(ここをお読みください)
著作権について    

第227回都市経営フォーラム

『フィンランド・その高齢者介護政策と産業育成の連関』

講師:  木村 正裕氏 フィンランド大使館商務部上席商務官

日付:2006年11月27日(月)
場所:ベルサール九段



1.自然と文化が支えるアイデンティティー

.フィンランド経済競争力の現状

3.経済競争力の源泉は?

4.産業振興政策と医療福祉産業

5.介護関連産業育成と高齢者対策

6.経済競争力トップを維持するには?

7.フィンランド、遠くて近い友人は日本の参考になるか?

フリーディスカッション



 

 

 

 

 



フィンランド・その高齢者介護政策と産業育成の連関

與謝野 時間でございますので、ただいまから第227回目の都市経営フォーラムを開催させていただきたいと存じます。
   さて、本日は、福祉分野、とりわけ高齢者介護政策の分野から、都市の経営について皆さんとともに考えていきたいと思います。
  その道筋として、その分野の先進国であるフィンランドで培われてきましたノウハウをご紹介しまして、これを通して、介護ノウハウと施設づくり、まちづくりへのヒントになる貴重なお話をお聞きすることといたしました。
  このような趣旨から、今回は、お忙しい中をフィンランド大使館にお勤めで、商務部上席商務官であられます木村正裕様をお招きいたしております。
  木村上席商務官のプロフィールにつきましては、お手元のプロフィールのとおりでございまして、1999年から大使館にお勤めで、医療福祉・バイオテクノロジー担当官として、日本とフィンランドの間の健康福祉教育プログラムの相互交流を始め、健康福祉産業の誘致、育成にも尽力してこられた方でいらっしゃいます。
  昨年、仙台市に完成しましたフィンランド健康福祉センタープロジェクト、これに参画され、また平成の合併で新たに生まれた新潟県の阿賀野市におけるまちづくりプロジェクトの実務にも参画されておられる方で、東アジア全体の貿易統括官も併任しておられます。
  本日の演題は、「フィンランド・その高齢者介護政策と産業育成の連関」と題されまして、フィンランドのお国柄のご紹介を初め、高齢化社会を迎えての高齢者介護のノウハウ等について、都市の経営も視野に入れての示唆深いお話がお聞きできるものと楽しみにしております。
  それでは、木村さん、よろしくお願いいたします。

木村 ただいまご紹介にあずかりましたフィンランド大使館商務部の上席商務官、木村と申します。
  本日は、お忙しい中、おいでいただいてありがとうございました。
  本日、掲題いたしました通り、介護政策と産業育成、一見すると日本の社会では余り結びつきのない分野かと思いますが、フィンランドが最近IT立国ということで、経済振興策も当たっている中で、どのような形でフィンランド共和国が産業育成をしてきたか。その中で、高齢者介護とその産業育成政策を結びつけて、どのように展開してきたかということが、日本の方々あるいは都市経営をされる方々の間で、多少なりともご参考になればと思い、お話しさせていただくことにいたしました。
  多少長いので、座らせていただいてお話をさせていただきたいと思っております。
  まず、フィンランドの諸政策あるいは産業育成がどのように行われてきたか、ということを考える上において、まず、フィンランド共和国はどういう国であるか、ということを皆さんに知っていただかなければいけないのではないかと思い、最初に、フィンランドの概要について、少しお話をさせていただきたいと思います。

1.自然と文化が支えるアイデンティティー

(図1)
  フィンランドのみならず、いろいろな国、国家がどのような国であるかということをお話しする時に、幾つかの重要なファクターがあるのではないかと思っております。
  地勢、その国がどういう場所にあるのか、あるいはどういう歴史を経て、どういう文化を培って、それがどういう自然の中で営まれているのか、その中でどういう政治、社会、人間性というものが育成されてきているのか、こういうものが国家を規定するものではないかと思うわけであります。これに沿って、フィンランドがどういう国かということで、ご紹介したいと思います。
(図2)
  人口が大体520万人ぐらいということでありまして、わかりやすく言えば、東京都の約半分ぐらいの非常に小さい国になります。ただ、国土自体は、こちらにお見せしておりますけれども、日本列島からちょうど四国を除いたぐらいの大きさと言いますから、人口の割にはかなり大きい国土であろうと思います。
  このフィンランドは、後程お話しいたしますけれども、非常に北の方にある国で、当然北欧の1つということになります。そのうち国土の4分の1が北極圏で、70%が森林、10%が湖沼の、森と湖の国ということで、日本でも知られている非常に自然豊かな国であります。
(図3)
  あえて古い地図をここに持ち出してきているわけですが、フィンランド共和国は、どういう場所にあるか。今はロシアになりましたが、旧ソ連圏ですね。旧ソ連圏とスウェーデン、この両大国に挟まれた国、これがフィンランドです。後程お話ししますが、スウェーデンも、かつては北ヨーロッパをほとんど領有するような、非常に強い国でありました。ロシアとスウェーデンの間に挟まれて、非常に苦難な歴史を歩んできた国、これがフィンランドであります。
  国土の最南端に、首都になりますヘルシンキがありますが、どのくらいの緯度かというと、日本近辺に直しますと大体カムチャッカ半島ぐらいということになりますので、大変北の地にあるのではないかと思います。
  北の地にあるわけですが、幸い大西洋のメキシコ湾流の流れがありますので、比較的温暖というか、人が暮らす最低限の温度は確保されている。それでも、そういう意味においては、自然も大変厳しいものがあるといえると思います。
(図4)
  非常に北の国ですが、日本とは少し違った形ですが、四季があります。春、夏、秋、そして非常に長い冬です。
  フィンランドは、そのほとんどがプロテスタントということで、キリスト教の国ということが言えるわけですが、キリスト教国の中では非常に珍しいことなんですが、自然とともに生きていく、自然と共生する、こういう人生観、メンタリティーが培われている非常に希有な国の1つであります。
  そういう面においては、昔から自然と親しみ、四季を楽しんできた日本人と相通ずるところがある、わかり合えるところがあるのではないかと思います。
(図5)
  先程も少し触れましたけれども、フィンランドはスウェーデンとロシアの2つの大国に挟まれて生きてきましたので、国家としての歴史は非常に苦難の道があったわけであります。
  そのため、国家としてのアイデンティティー、国民としてのアイデンティティーの確立、そしてそれに執着する気持ちはかなり強いものがありました。ここのところは、太古の昔から比較的独立性を保って、国土も保全してきた日本人と1つ違うところがあるのではないかと思います。つまり、常に自らのアイデンティティーについて考えてきたというところであります。
  その歴史を一々お話しする時間もなかなかないのですが、簡単に言いますと、12世紀から19世紀にかけては、スウェーデン王国領のフィンランドということで、スウェーデンの支配下にありました。
  スウェーデン王国とロシア帝国の間の話し合いによりまして、1809年からはロシア帝国の自治領になっております。これはスウェーデン王国がロシア帝国の皇帝に、「じゃ、いいよ、フィンランドはあげるよ」ということで、所有権が移ったものであります。
  ロシア帝国自治領と言いますのは、ロシア帝国の一部ではなくて、実はロシア皇帝の私物、つまりロシア皇帝が自分で持っている土地としてフィンランドが位置づけられていて、比較的高い自治権が保障されておりました。
  このようなわけで、自前の議会を持ち、自前の政策、ポリシーを形成する機会が与えられたのは事実ですけれども、もちろん、ロシア帝国自治領の時代も含めて、フィンランド人というのは被征服民族でありまして、その言語であるフィンランド語もまともな言葉として扱われていなかったというのが現実であります。
  第2次世界大戦の時には、ロシアの敵は、敵の敵は味方だということで、日本と同じ、ドイツ側につきますが、その後ドイツが撤退して、ロシアが進駐してくる段階で、国土は第2次世界大戦で非常に荒廃しました。日本以上に国土が荒廃したと言っても過言ではないと思います。
(図6)
  その中でフィンランド人は、自らの文化的なアイデンティティーを形成しました。
  ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、その苦難の歴史の中で、国民叙事詩「カレワラ」というものが出版されました。これはフィンランドに伝わるいろいろな地方の神話、民話を1つにまとめたものなんですが、フィンランド語で出版されました。ところが、その内容が非常に素晴しいものだったので、出版されてから間もなく各国語に翻訳され、次々と各国の言葉で出版されました。それにより、今までロシアの属国だと思っていたフィンランドに、こんなに素晴しい文化があるということが世界的に認識され、また、この「カレワラ」、フィンランド語で出版されましたので、フィンランド語が国際用語として、きちんとした文化的な言語であるということで認められたのであります。
(図7)
  同時に、この独立運動の中で、フィンランドの作曲家シベリウスがいたわけですが、この時に彼が作曲した「フィンランディア」というのは、フィンランド共和国の独立活動の一助になったということで、これもフィンランドの国民の統合性の1つとして、非常に象徴的なものでありました。
(図8)
  これは、皆さんもご存じのムーミンというキャラクターです。このムーミンのキャラクターは、フィンランドのトーベ・ヤンソンという作家が書いた物語です。日本では、どちらかというと児童向きの文学として扱われておりますが、実はそうではなくて、内容を見ると、フィンランド人のメンタリティーであるとか、自然の中で生きるフィンランド人の生活等が丁寧に描かれていて、フィンランドの文化を理解するときの好材料であると言われております。
  このムーミン、最初に登場しましたのは、当時第2次世界大戦下において発行し続けられた「ガルム」という風刺雑誌です。今、皆さんにお見せいたしておりますのは、ナチスドイツのラップランド撤退、つまり、ナチスドイツがフィンランドから撤退していく時に、何でもかんでもロシアに残してはいけないというので、略奪して、国土を破壊し尽くしていったわけですが、そういう中発行された「ガルム」という風刺雑誌の下の方に小さく出ている、これがムーミンというキャラクターが世に出る初めてのものになります。
  すなわち、大国に蹂躙されていながらも、その行動をじっと冷徹に見ているフィンランド人、これを象徴するキャラクターとして出てきたのがムーミンであります。
(図9)
  フィンランドで有名なキャラクターとしては、サンタクロースがあります。今では、サンタクロースの国として知られておりますし、北部のロバニエミという町があるんですが、そちらの方にはサンタクロース村もあります。
  このように、サンタクロースを文化振興の、あるいは観光振興の1つの材料として、フィンランドは今、サンタクロースキャンペーンというのを行っているわけであります。これも独立性を保った平和な国家フィンランド、こういうイメージがないと、このサンタクロースキャンペーンが打てないわけでありまして、必ずしもただ単にクリスマスが来ておめでたいねという、それだけではない背景があるわけであります。
(図10)
  その他に、フィンランドの建築であるとかフィンランドのデザインというものも、非常に世界的には有名であります。
(図11)
  今なぜ、いろいろとフィンランドの文化についてお話しさせていただいたかということですが、今、お見せしている非常に不思議な形をした、ヘルシンキ市内にある教会であります。非常に有名な教会なので、日本人の観光客の方もフィンランドに行くと必ず訪れる教会です。
  実は、観光客の方々が皆さん知らないことの1つに、この教会の地下には巨大な核シェルターがあります。これは日本とは違った意味で、平和外交を展開してきた結果なんですが、そのかわり、世界的な情勢に対して非常に冷静というか冷徹というか、大国に蹂躙された歴史を持つフィンランド人ならではの現実主義、それによって支えられた、中立政策と平和外交があります。すなわち、サンタクロースの国というキャンペーンを打てるその背景には、それにふさわしいイメージと実績づくりを行ってきたフィンランドの中立政策、平和外交があった、と言えるのではないかと思います。
(図12)
  政治の世界で言いますと、2つ重要なポリティカルワードがあるわけです。1つは、かつてフィンランドの大統領だったケッコネンが言い出した「フィンランドの逆説」というものがあります。
  当時、東西冷戦が非常にピークを迎えていた頃、世界の各国とも、東側につくか、西側につくか、そのどちらだろうということがよく言われて、日本の場合はストラテジーとして西側社会について、アメリカの核の傘の下で平和を享受したわけでありますが、それは日本が非常に重要な国であり、地政学的にも大切な国であったからこそ、アメリカに守ってもらったわけであります。
  フィンランドの場合は、どちらかというと、どの国も余り関心は示さなかったわけです。「フィンランドは共産圏の支配下に置かれても別に我々は構わないよ」という非常に冷たい発言も当時あったわけでありますが、日本国内で誤解を生じているところも非常にあるので、私の方でお話ししますと、フィンランドは過去共産化されたことはありません。常に自由主義国家の1つとして過去存続していたわけでありますが、そのような誤解が生じたことの1つに、「フィンランドの逆説」というものがあります。フィンランドがソ連から信頼をかち得ると、それに比例して、西側世界の国々との協調の可能性が高まる。一見すると矛盾するようですが、フィンランドと当時のソ連が関係が悪くなると、ソ連から侵攻されるおそれがあったわけでありまして、そうなると、西側世界も、フィンランドという国とつき合う意味がなくなるということであります。すなわち、「フィンランドの逆説」と。つまりソ連から信頼をかち得ることが自分たちが西側世界、自由主義諸国の間で生きていく道であったということであります。
  それから、もう1つ、「フィンランド化」という言葉があります。これは誤った言葉なんですが、当時ソ連の言いなりにフィンランドがなっているということで、外からはそういうふうに見られていたので、そういう意味合いの「フィンランド化」という言葉を持たされたわけですが、フィンランド人にとっては非常に誤った認識であった。正しい認識はこの「フィンランドの逆説」であったということであります。
(図13)
  フィンランドは、その他にどういうところかというと、世界で最も不正行為の少ない国、クリーンな国として、ここしばらくずっと認められているわけであります。
(図14)
  それから、男女同権。これを世界で初めて確立したのがフィンランドであります。男女同権では世界の最先端を行っているということであります。少子高齢化の中でも、男女同権というのは労働力確保という意味合いでも、非常に機能しているということが言えるのではないかと思います。
(図15)
  にわかに最近、日本で1つのブームになっているようですが、フィンランドの教育制度の充実というものも目覚ましいものがあります。これも最近のフィンランドの非常に好調な経済状況を支えるもとになっているものであります。
  すなわち、人材育成というものが、国のポリシーとして戦略的に行われているということであります。
(図16)
  今までお話ししてきましたけれども、ここで「SISU」という言葉を持ち出そうと思います。日本語に訳すのが非常に難しいんですが、あえて訳すならば、「フィンランド魂」というものであります。これは大和魂とちょっと違うんですが、ロシア帝国の支配下においては、支配を受けながらも自らの独立性を保つという忍耐心の意味で「SISU」というものが主に使われておりましたが、その後のいろいろな独立活動の中で、「国家を持つ民族としてのプライド」という意味合いに変わり、そして、その後の東西冷戦の中での、今までお話ししたような積極的な中立主義、戦略上としての中立主義という中で、忍耐心がもう一度強調される、これがフィンランド魂「SISU」という言葉であります。
  その過程において、偏狭なナショナリズムとしての国家というよりも、ナショナリズムを超え、ただし、自立、尊厳というものを重視する、そういうものを超えた国家意識というものがフィンランド人の間で形成されるようになり、それを象徴する言葉が「SISU」というものであります。
  こういう歴史の中で、自立、尊厳を重視する精神というものが、フィンランドの中で培われてきたのではないかと思います。

2.フィンランド経済競争力の現状

(図17)
  このような人たちが、どういうふうに経済競争力を培ってきたのか、キープしているのかということについて、お話ししたいと思います。
(図18)
  実はフィンランドの国際競争力は、世界トップレベルと言われておりまして、ここ数年来フィンランドは1位、2位、3位と、評価機関が異なっても、年次が異なっても、経済競争力が世界でトップレベルにあるということは、まぎれもない事実であり、世界的な認識であります。
(図19)
  東京都のたかだか半分ぐらいの人口を持つ国が、このような状況をどういうふうにして作ったかということですが、これは1つ、社会の構造改革というものがあります。それが、この競争力を培ったと言えるのではないかと思うんですが、そのファクターとしては、国際的な経済構造の変化に先んじて、フィンランドの経済構造の変化をなし遂げてきた。これが成功への道になった、と言えると思います。
(図20)
  1990年代に、フィンランドは非常に大きい経済、あるいは社会的な構造改革を行いました。その背景を説明しますと、フィンランドは、かつては先程お話ししたような「フィンランドの逆説」というポリシーもあり、ソ連、東側にとって西側社会への唯一の窓口として、フィンランドは機能していたわけであります。
  そういう意味で、フィンランドを通じて西側の物資が東側に運ばれるということもあり、経済が成り立っていた部分もありますが、ソ連邦の崩壊、ロシアの成立により、その優位性が崩れてしまったわけであります。
  それをきっかけに、1990年の初頭に大変深刻な経済危機に陥りました。大手の銀行が次々とつぶれるという状況に陥り、雇用率も非常に下がる。ちょうど、日本でバブルがはじけた時と同じような状況になったわけであります。
  それを、どういうふうに産業構造を転換して、経済を立て直したかということですが、こちらに書いてあります。一言で言いますと、従来型産業からハイテクへの大きな方針転換があったということであります。
(図21)
  日本だと、日本政府が1999年頃から、IT立国ということを叫び始めたわけでありますけれども、フィンランドの場合は1990年代に既にIT立国という産業振興政策、その方針を確立したわけであります。西暦2000年頃から、フィンランドが世界的に見て経済競争力トップに躍り出たのは何でだ、ということで、私もよく聞かれるんですが、それは急に成功したわけではなくて、約10年間ぐらいの地道な努力があった。日本がIT立国と言い出す10年ぐらい前に、既にそれを国家のストラテジーとして採用した。こういう先見性が、現在の競争力の1つの要因になっているのかなと思います。
  こちらに今お見せしているのが、随分長いロングタームのグラフなんですが、
1700年代の中盤から今日に至るまで、世界の主要地域の経済的な地位がどのように動いてきたかということであります。産業革命以前は、東アジア地域というのは世界で最も生産性の高かったところなんですね。それがイギリスにおいて蒸気機関が発明されて、産業革命が起こるということでヨーロッパが上昇して、その間いろいろと植民地主義等もあり、東アジア地域が非常に落ち込んでしまった。これが一般的な状況であります。
  ここに来まして、東アジア諸国が非常に経済的に上に上がってきたということで、世界的に見ると、非常に大きなパラダイムシフトが世界経済の中で起きている、と言われているわけであります。
  そういう意味においては、欧州の一員であるフィンランドが非常に持ち直したというのは、例外的な事例であろうと思われます。
(図22)
  これを見ますと、最近、1980年代以降においては、やはりヨーロッパ地域は発展から取り残されてきているのではないか。中国を初めとするアジア地域が、非常な発展を遂げているのではないかと言えるのではと思います。
(図23)
  そのような中、OECD加盟の欧州諸国とフィンランドのGDPというものを比べてみますと、それを常に上回る形でフィンランドが成長していると言えると思います。これを見ても、フィンランドがヨーロッパにおいて例外的であることがわかります。
(図24)
  主な経済的な成功要因として挙げられるのは、国際市場での成功ということで、輸出が非常に成功しています。
(図25)
  GDPの内訳で、この中に占める製造業の割合を見ますと、先進各国とも成長の中で製造業はどんどん低くなってきております。
  ところが、フィンランドに限って見ると、製造業の割合がむしろ増えている。高レベルにあると言えるわけでありまして、そういう意味では、フィンランドは世界的な経済の潮流から見ても、非常に例外的な状況であろうということが言えると思います。
(図26)
  このようなフィンランドの特殊な立場、例外的な立場を形成しているのが、「IT立国」という戦略でありました。
  これで見るとわかりますように、他の産業分野に比べると、電子産業における生産高が非常に伸びている、ということが言えるのではないかと思います。
(図27)
  これも同様ですけれども、やはり電子産業が非常に伸びることにより、フィンランド国内での生産活動、産業育成が成功してきた。
(図28)
  フィンランドにとってIT、ICT分野がいかに大切かということですけれども、こちらのグラフを見ていただきたいと思います。ICT分野で雇用されている割合と全産業の中でこれだけ高い比率を持っているのがフィンランドでありますし、あるいはR&Dに対して投資するというところでも、フィンランドは非常に高いレベルを保っているわけであります。

3.経済競争力の源泉は?

(図29)
  国際競争の中において、フィンランドがどのような形で生き抜いてきて成功してきたかということですが、国際的な経済構造の変化を見て、あるいはその先取りをして、長期的な経済構造改革を90年代から始めてきたということと、ICTに特化した経済構造を作ってきたということで、例外的なフィンランドの成功というものが達成されてきたということであります。
(図30)
  このような形で、一言で言うと、「ITを振興すればいいんだろう」ということになるんですが、どういう形で経済競争力が培われたか。
(図31)
  まず1つには、フィンランド独特な社会構造があったのではないかと思います。これは、前半部で非常にしつこくお話ししましたけれども、長い苦難の歴史の中で培った自主、自立のメンタリティー、それから、いかにして国際社会の中で生存していくのかという生存環境の中で、国家をどういうふうに対応させていくのかという対応性、これが1つ経済競争力の背後にあるのではないかと思われます。
  フィンランド発のIT技術は、非常に独自性があると言われています。これは文化的なアイデンティティーというものをしっかりと持っているからこそ、なし得ている独創性ではないかということが言えるのではないかと思います。
  それから、国家安全保障、これを常に考え、常に平和な国づくりをしてきたということで、むしろ軍備よりも経済競争の方に力をかけられるようになった、そういう意味での国家安全保障を念頭に置いた産業化というものがあった。
  それから、統計で見てもわかるように、最も汚職の少ないクリーンで効率的な社会制度があった。
  例えばの話、日本で何か政治の世界で政策決定があったとしても、総論賛成、各論反対ということがよくあります。これは何故かというと、非常に不幸な話なんですが、国民が日本の政府を信頼し切れないところがあって、これが非常な悲劇なのではないかなと思うんですね。
  例えば、日本で税金を上げますという増税という話になった時に、国民のかなりの部分が、これは感情的な部分もあると思いますが、そのお金が政治家の接待であるとか料亭費、飲み食いに使われるんじゃないか、という疑念を抱く場合が多いのではないかと思うんです。
  ところが、クリーンな社会制度というものを確立すると、増税してもその税金の分を使って、必ずそれは国民の利益になるところに使われるんだ、我々自身にバックされるんだ、そういうことを国民が信じることができるならば、非常に効率のいい、政策決定がそのまま結果につながる、こういう社会構造が生まれるわけであります。そういう意味でも、クリーンで効率的な社会制度というのは大切ではないかと思います。
  それから、男女同権と効率的教育制度による人材の育成。こういうものがすべて相まって、フィンランドの経済競争力を維持しているのではないかと思われます。
(図32)
  もう少し、瑣末的というか、具体的にそのような社会構造のもとで、フィンランドがどのような産業振興政策をとっているか、ということでお話ししたいと思うわけであります。
  キーワードは、やはり産業の国際化というところではないでしょうか。これは、実は日本の経済と比べると、ここが一番大きく違うのかもしれません。フィンランド人に言わせると、「日本の産業界の方たちは非常に幸せですね」というんですね。
  何故かと言うと、例えば、何か起業する、つまり何か業態を起こすという時に、まず最初に、それは日本のマーケットの中、日本の市場の中で、少しビジネスを育成して体力をつけましょう、その後十分体力がついたら国際社会に打って出ましょう、こういう話になるんですが、フィンランドの場合は、自国のマーケットが人口たかだか
520万人。東京都の半分ぐらいしかマーケットがないんですね。そうすると、ビジネスを起こした時には、第一歩から国際市場を目指す。国際市場を念頭に置いて商売をしないと、起業ができない、ビジネスを起こせないということであります。フィンランド人がよく「日本の産業界の人たちは幸せですね」というのは、ある意味正しいですが、ある種皮肉を含んでいる言葉ではないかと思います。
(図33)
  いずれにしても、フィンランドが選び取ったというよりは、どうしてもやらなければいけないものが産業の国際化であります。
  産業の国際化というものを考えた場合、もともとフィンランドは豊かな森林資源がありましたので、森林産業であるとか鉱工業などが盛んだったわけですが、こういう重厚長大型あるいは森林産業に依存した国づくりから、第3の産業分野を開拓しなければいけないのではないか。これが、1990年代に経済的な破綻に至った時にフィンランド政府が考えたことであります。
  第3の産業分野とは何かというと、高付加価値の製品分野産業の振興というものであります。その当時、ターゲットとして幾つか出てきたものの産業分野の中に、ICT、健康福祉産業、バイオテクノロジー、こういうものが挙げられ、重点的に投資が行われました。
(図34)
  これが、フィンランドの産業振興のシステムであります。非常にシステマチックなものでありますので、皆さんにご紹介したいと思います。
  今日お話しさせていただく内容は、すべてフィンランド共和国という1つの国の状況ですけれども、人口520万人という規模を考えると、これは日本に置きかえるならば、日本の自治体さん、地方政府が十分実行可能な内容であろうと思います。
(図35)
  フィンランドの産業振興のシステムについて少しご説明しますと、まず何か大学の研究者あるいはその他研究機関の研究者がすぐれたシーズを見つけたとなると、その研究者自身が会社を設立するというのがフィンランドではごく普通のことであります。
  その時に機能するのが大学でありますが、もう1つ、後程ご説明しますが、サイエンスパークと呼ばれている仕組みが、スピンオフを非常にスムーズにする手助けをする。非常に厚いサポート体制がしかれております。
  会社を作ります。会社を作った時にまず最初に必要になってくるのが、プリミティブなアイデアであるとか基礎研究をどのような形で、実用上商品化するための技術に結びつけていくのかということです。ここでVTTと呼ばれている国の研究機関あるいは大学、サイエンスパークというものがテクニカル的にはサポートする体制があります。
  一方、そのためには、お金が当然必要になってくるわけであります。基礎的な研究活動についてはアカデミー・オブ・フィンランド、あるいはTEKES、フィンランド技術庁というところがパブリックファンドとしてはお金を注入する仕組みになります。
  さらに、これがビジネスとして発展してきて、もう少しきちんとしたビジネスにしたいという時に出てくるものとしては、ベンチャーキャピタルがあるわけでありますが、プライベートなものであると同時に、「シトラ」と呼ばれている国のファンドがここで投資をする。具体的に言うと、この会社の株をシトラが買うということで、国の投資機関が株主となって、このビジネスのディベロップメントをサポートするということであります。
  これは、最初から国際化を狙っているわけですから、ビジネスを本当にやらなければいけない。そうなった時に出てくるものが、フィンランド貿易局と呼ばれているものであります。この「フィンプロ」あるいは「TEKES」というのは、フィンランドの商工省の管轄下に置かれている機関であります。
  皆さん既にお気づきかと思いますが、私のプレゼンの資料の左上隅に必ずフィンプロ、フィンランド貿易局のロゴマークが出ているのはそういうわけでありまして、このフィンランド貿易局は世界各国に駐在しているフィンランド大使館の商務部、フィンランドトレードセンターというものはすべてこのフィンプロ、フィンランド貿易局のそれぞれの国の駐在部署を兼ねているものであります。
  このような形で、世界的な戦略を持ってフィンランドの産業育成が行われているということになります。
(図36)
  今もお話ししましたように、フィンランドの産業インキュベーションの中には、技術庁であるとか研究開発基金というものがあります。あるいはイノベーションセンターとして、「リエゾン・TLO機関」というものが存在しておりまして、これはフィンランド国内の6つの大学に、今も存在しているものであります。
(図37)
  あるいは、「VTT」と呼ばれている国立技術研究センターもあります。これは、企業からのニーズのない研究グループは削減の対象となると書いてありますが、フィンランドの場合は。大体の研究活動がプロジェクト単位で行われております。プロジェクト単位で行われているということは、期限を持っているということであります。きちんとした成果が表われないと、研究者自身の首が切られてしまうという非常にシビアな世界であります。
  あるいは、国からの補助金を受ける時には、企業とどういうふうにコラボレートしているのか、ということが審査対象になりますので、研究開発費を国からもらう時には、企業と協調しているということが条件になる。すなわち、産業界との交流が推奨ではなくて義務という状況になっている。これがフィンランドの研究の世界であります。
  さらには、「サイエンスパーク」と呼ばれているもの、これはフィンランド全体で約
18あるわけですが、ここがそういう活動の中で、日本的に言うならば、産学官の結びつきを助けているところであります。
  日本で、自治体さんが産業インキュベーションの施設を造ることになると、例えば最初の数年間は入居経費を無料にします、とかいうことでインセンティブを作ってベンチャー企業を呼び込むわけですが、フィンランドの場合はそうではありません。ごく一般のそういう所に入居するのと同じ経費を払ってもらうわけです。
  では、どういう所で産業インキュベーションセンターへ、フィンランドの企業の入居を助ける、インセンティブを作っているかということですが、実はマーケティングする時の専門家、コンサルティングであるとか、政府の補助金を得るために申請をする時に当然コツというのも要るわけですから、補助金取得のための助言であるとか、こういうサービスを提供するということで、ベンチャー企業の入居へのインセンティブを高めているというものであります。
(図38)
  ここに書いてあるような、フィンランドの企業の競争力を高めるフレームというものが、システマティックに結びついて、フィンランドの産業育成が行われている、ということが言えるのではないでしょうか。

4.産業振興政策と医療福祉産業

(図39)
  産業振興政策とフィンランドの医療福祉産業が、どのような形で結びついているのかということを、これからお話しさせていただきます。
(図40)
  まず、医療福祉産業の振興に関しましては、その背景に高齢化社会の到来というものがあります。日本でも現在、その社会において最も急務、そして大きな問題になっている部分であります。
  ここにお見せいたしておりますのは、北欧各国と日本の高齢化率を比べたものでありますが、最も傾きが急なものが日本の高齢化率のグラフです。恐らく人類史上未曾有な過去例がないくらいの速さで、日本は高齢化社会を迎えつつあるわけであります。
  日本は高齢化率のスピードが最も高いわけですが、西暦2000年より前を見ていただくとわかるんですが、北欧各国とも日本に比べて、西暦2000年より前の段階では高齢化率が高かったと言えます。
  すなわち、北欧各国は非常に長い期間を持って、この高齢化社会にどういうふうに対応していったらいいのかというノウハウを蓄積する時間的余裕があり、ノウハウの蓄積が行われているという面においては、高齢化社会のいろいろなノウハウ、これが日本に紹介されることにより、日本の社会も多少助けることができるのではないかなと思います。
(図41)
  どういうふうな道筋をとってフィンランドが高齢化社会に対して対応してきたか、をお話しさせていただこうかなと思います。
  先程もお話ししましたように、フィンランドの場合、第2次世界大戦で国土が荒廃したわけでありますが、その後の立ち直りも非常に早くて、大変な経済成長率を示しました。当時、フィンランドは「北欧の日本」などとも呼ばれたんです。日本ぐらい非常に急速なスピードで、経済復興をなし遂げたということであります。
  ただ、それにより急速な社会構造の変化が起きます。これは日本も体験したことなんですが、工業化に伴って、地方から都市部に人口流出が始まりまして、それに伴い、3世代同居というものが核家族化するというライフスタイルの変化がありました。
(図42)
  そのようなことで、福祉国家の建設、あるいは児童保育サービスの充実と高齢者向けサービスの充実、というものがフィンランドにとって当時急務になったわけであります。
  ところが、フィンランドは最初から成功したわけではないんです。
(図43)
  実は、1970年代に一度失敗しております。高齢化社会を既に迎えていたフィンランドでは、何とかしなければいけない、つまり日本でいうところの老人ホームであるとか特別養護老人ホーム、そういう所に入所を待つために非常に多くの人が待機者リストに載せられ、満足な介護サービスが施設において受けられない。当然、フィンランド政府としては、どんどん老人ホームなり高齢者福祉施設の建設を図ったわけでありますが、高齢者の伸び率に対して施設の建設、整備が追いついていかなかったんですね。問題解決にならなかった。
  ちょうど今、まさに日本がその現状でありまして、各地で、日本の厚生労働省、補助金も含めて抑制ということになっていますが、入所施設が足りない中で、待機者リストが長くなって、必要な介護サービスを受けられない方がやむを得ず在宅で介護される。やむを得ず在宅で介護されるということは、在宅介護のサービスのコンテンツが十分でないということで、ご家族の方の介護に対する負担も増加する。社会的な意味での介護費用が増加する。もちろん、個々の家庭が払う介護費用も増加するということで、フィンランド、70年代大変な失敗に陥ったわけであります。
  フィンランドがどういうふうにその失敗から学んだかということですが、「予防介護へのシフト」であります。これは日本政府もようやっと気がついて、ここ2〜3年来、予防介護のシフトということで方向の転換を図ろうとしているわけであります。予防介護をすることにより健康な高齢者を増加させて、施設介護から在宅へという自然の流れを作っていったわけであります。
  すなわち、同じ在宅介護でも、やむを得ず在宅なのと、施設介護が必要ないから在宅で介護されるというものとは、全く違うものであります。
  予防介護へのシフトと同時に、在宅ケアのノウハウの蓄積、お1人で住まわれるお年寄りの方のための自立支援、こういうシステムがフィンランドでは非常に発達していきました。それにより、家族の負担の軽減、介護費用の軽減というものをなし得たわけであります。
(図44)
  フィンランドの高齢者の方々の生活ということで見ますと、高齢者が家族と別居することも珍しくない。そうすると、日本では、「独居老人」という非常にネガティブな言葉がでてきます。そういうことではなくて、ここでフィンランド人のメンタリティーが出てきますが、自立した生活が尊重される、こういう意味で自立した生活、インディペンデントライフというものが成立している国であります。
  その「インディペンデントライフ」、これを日本の方たちに紹介する時に、理解するのが難しい部分なので、いつも苦労するんですが、一言で言うと生きがいある高齢者の生活、自由意思による高齢者の生活、そして尊厳ある高齢者の生活、こういうものを指してフィンランドではインディペンデントライフと呼んでいるわけであります。
  自立した生活を支えるためには、健康的な生活を送らなければいけない。それがフィンランド型の介護。つまり、高齢者が健康的な生活をいかにしてなし得るか。これが、フィンランド型の介護のポイントになるものであります。
  そのためにフィンランドが開発したものが、予防介護であり、リハビリテーションであり、健康マネジメントであり、シームレスケアと呼ばれる概念です。
  それぞれの予防介護、リハビリ、健康マネジメント、シームレスケアのコンテンツについては、本日ちょっとお話しする時間がないので、将来何か別の機会に皆さんにお話しできればと思っております。
  ここで、介護のノウハウを支えるための技術、商品も必要になってきます。つまり先端技術の利用、あるいは新しいコンセプトによる技術モデルの開発、というものが必要になってきます。
(図45)
  このノウハウ、予防介護であるとかシームレスケアのノウハウと技術、これを支えるために社会構造も変革していかなければいけない、というところまでフィンランドは踏み込んでいるわけであります。本日お話しさせていただく時のお題として掲げさせていただいた諸政策、施策の連関というのが非常に大切、ここに効いてきます。
  高齢者のこういう時の実現手段として、ノウハウであるとか技術、そしてマネジメントというものが必要になってくるわけであります。
(図46)
  そして、やはりこの分野での産業育成ということを考えると、最も焦点になるのが遠隔医療技術であり、住環境の整備であるということです。
  これは1例であります。すなわち新しい技術コンセプトにより、介護ノウハウ、マネジメントを支えることにより、高齢者の方々に充実した生活を送らせるということがあるわけですが、どうも日本人はマニアックというか、おたくというか、日本でこういう話になると、じゃ、介護用ロボットを作ろうとかいうことになります。それ自体別に悪いことじゃないんですが、非常にテクニカル的に、今度こういう技術が開発された、こういう遠隔医療システムが開発されたというテクノロジーオリエンテッドな話になってくるんですね。
  私も日本人なので、それはよくわかるんですが、それがどんどん増えてくると、将来の高齢者はどういう生活になるかというと、ここの漫画で示したような体じゅうにモニターをくっつけられて、何かわけがわからない中で生活する、こういう生活をしなければいけないということになります。
  ただ、実際私自身が高齢者になった時に、果たしてこういう生活を望むだろうか。誰も望まないと思うんです。
  つまり、ここに突きつけられている大きな命題とは、技術、製品だけでよりよい介護が実現できるかという大きい問いかけであります。
  そのために、フィンランドではいろいろな政策、施策をお互いに連関させることにより、高齢者の充実した生活を成立させていくわけであります。
(図47)
  そのために、先程社会システム自体作り直さなければいけないということをお話ししましたが、それは、社会システムという広いことを言わなくても、例えばの話、高齢者介護の中で、どういうふうに社会システムを用意していかなければいけないかということです。
  高齢者でない、健康な我々自身の生活を考えた場合に、当然個人の生活、我々自身のプライバシー、個人の尊厳というものが、我々のごく普通の社会生活の中で、なくてはならないものであるということは、皆さんもおわかりだと思います。その外側には、当然家族との生活であるとか友人、知人とのつながり、こういうものがないと、我々は普通の社会生活とは言えないわけであります。
  さらに、その外側へいきますと、我々自分が住んでいる地域社会の一員あるいは自分の会社に対する一体感、あるいは自分の郷土に対する郷土愛、国に対する愛情というものが自然な形で出てこなければいけない。こういう相乗構造をなしているものが、我々の普通の社会生活にとって必要なものであります。
(図48)
  フィンランド人が大きく世界に対して問いかけているのは、高齢者になったからといって、なぜこのような普通の社会生活を放棄しなければいけないのだろうかということであります。
(図49)
  日本でもようやく、厚生労働省の指針が変わって、最近では高齢者福祉施設は原則個室ということになりました。やはり個人の尊厳は、例えば介護施設においては必ず確保しなければいけないものですし、その外側にはユニットケアとして準公共の場での同じところに入所されている方、あるいは同じ地域で在宅介護を受けている方同士のつながり、知り合い、こういうものを確立するために、介護する側が気を使わなければいけない。当然、いろいろなシステム自体がこれに合わせて使われなければいけないわけでありますが、さらにその外側にある地域社会との、ごく普通な意味での交流というものが実現されなければいけないわけであります。
(図49)
  日本でこういうお話をすると、よく「いや、うちの施設は大丈夫です」とおっしゃる方がいます。「実は先週もマジックを見せる人が来ました」とか、「いついつはハーモニカの演奏をする人が来ました」と。それは果たして、我々日常生活における普通の地域社会との交流でしょうか。そうじゃないと思うんです。
  フィンランドの高齢者介護の施設は、構造だけではなくて、介護のシステムあるいはそれを支える技術の設計思想、基本的なコンセプト自体が、ごく一般的なオープンタイプなものになっているので、地域社会との交流を促進するような形になっている。こういうことになります。
  ですから、私が今お話ししているのは、概念的なもの、社会構造だけではなくて、これがフィンランドが開発する介護のシステム、ノウハウ、そして介護の技術、介護製品というものにすべて反映されているということであります。
(図50)
  こういうお話をすると、「なかなか日本では難しいですね。フィンランドは日本の参考になるんでしょうか」というお話をいただきます。
  これは社会構造としてお話しするならば、また後程詳しくご説明しますけれども、実は日本も以前3世代同居というところもあって、農村社会が持つ伝統的な「共助タイプ」と言われている生活だったわけであります。
  同居している家族であるとか地域、共同体がお年寄りの生活を支えてきたわけでありますけれども、戦後の急速な工業化に伴って、我々この共助タイプを続けていこうにも続けていけないようなライフスタイルになってしまった。
  そうなりますと、日本社会が選び取る道というのは2つありまして、1つは、アメリカ型の自立した個人とすべて自己責任のもとによる「自助タイプ」という社会か、あるいは自立した個人を基盤としながらも、足りない部分を公共の部分で助けていくという「公助タイプ」か。日本の社会、今そういう大きな選択を迫られている。大きな戦略上の転換を迫られている時期ではないかと思うわけです。
  小泉前首相のポリシー、政策とかもあるわけですけれども、ただ、現実問題を見ると、日本国内では、税による社会保障システムがアメリカに比べるとかなり発達しているわけでありますし、公的な年金システムもあるということで、公共の助けを随分借りて我々は生活しているんですね。ですから、そういう意味では、自然に戦後の日本社会は公助タイプの方に行くような形で動いてきているのかなと思いますし、日本人のメンタリティーから言っても、完全な自己責任というものは、なかなか難しいのではないのかなという話も出ております。
(図51)
  そういう意味では、公助タイプの代表例として北欧諸国がありまして、フィンランドは社会構造の上でも日本の参考になるのではないか。社会構造が参考になるというのは、敷衍していくならば、フィンランドがどういう形で高齢者介護、公助システムを作っているかということですけれども、行政が積極的に関与することにより、公助システムを形作っているという意味では、フィンランドの公助タイプの社会が、介護のネットワークの構築にも効いてきているということでありまして、先程から何回も言っているように、そういう社会政策というものは、ほかのいろいろな各政策、施策と連関して動いているということがおわかりいただけるのではないかと思います。
  すなわち、日本で産業育成というと産業育成の議論だけ、高齢者介護というと高齢者介護の議論だけ、その他社会保障制度の議論というとそれだけということになりがちなわけです。しかし、高齢化社会を迎えてフィンランドの考え方は、今お話しした公助タイプという基本的な社会政策のもと、それに培われた社会保障制度を確立させることにより行われている介護のコンテンツをどうしたらいいだろうかということで、そのためのノウハウ、コンセプトを確立し、そのために必要な福祉技術、産業製品を開発するという意味において産業振興政策をそれに合わせていく、こういうお互いに各政策を連関させることによる社会基盤整備というものがフィンランドで行われているわけであります。

5.介護関連産業育成と高齢者対策

 最初のお題として、高齢者介護と産業育成と、何でそんな話をするのかという、皆さんの疑問も徐々に解けてきたのではないかと思うわけであります。
(図52)
  では、具体的にどういう形で介護関連産業の育成と高齢者対策が行われているのかということですけれども、これは日本的に言うところの戦略的コアクラスターとして、医療福祉産業というものが開拓されているものであります。
  そのうちの1つの断面として、フィンランドがとっている道としては、フィンランドの得意分野である社会保障制度と高度なICT技術を結びつけて、新しい介護技術を開発していく、これが自然の流れであろうと思います。
  そういう意味では、先程言ったように、ITが実現する高齢化社会への対応だけではなくて、その背後にあるいろいろな諸政策も連関させた上での福祉制度と産業振興のWIN−WIN、こういう関係が言えるのではないかと思うわけです。
  日本の場合どうしても、今でもそういうところはあるんですが、介護あるいは福祉に携わっている方に、商売の話を持ち出すと、「何とあなたは汚い。高齢者をネタに金儲けを考えているのか。我々を搾取する気か」というような反応がある。確かに使命感に燃えて高齢者介護に携わっている方は、それは非常に大切なことですし、その使命感なしにはいい介護というのは行われないと思いますけれども、フィンランドの考え方は若干違うわけであります。
  今までお話ししてきた、いろいろなファクターが複雑に絡み合うという社会を見た場合は、当然そういう認識だけでは、今後立ち行かなくなるというのは明らかなわけであります。産業振興であるとか、ビジネスディベロップメントというものを考える時、成功したセクターであるとか、会社、産業界の利益を得るのと同時に、よりよい製品をより安くマーケットに供給するということは、高齢者あるいは介護の現場にとっても大変ためになることであります。
  要は、産業を起こす時、産業界の利益と社会的な利益というものがうまくバランスをとって、お互いに助け合う、こういう社会を築くということが、これからやはり求められているものではないかと思います。フィンランドは、そういうことを前提に諸政策、施策を連関させてきた。あるいは今後日本の地域行政が目指す道というものも、こういう考え方がかなり大切なのではないかと思うわけであります。
(図53)
  その結果、フィンランドで達成した福祉政策は、どういうものを勝ち得てきたかと言うと、労働人口の確保、社会保障費の国としての圧縮、国民の健康的生活、高齢者福祉コストの削減、産業の育成というものが福祉政策のWINとして挙げられておりますし、産業技術政策のWINとしては、予防的ケア、シームレスケア、こういうコンセプトが挙げられます。日本人の目から見ると、どう見ても高齢者介護、保健福祉分野のWINだろうという話なんですが、フィンランド人から言わせると、これもビジネス、産業技術のWINなわけでありまして、さらには、具体的な遠隔医療技術であるとか住環境整備、介護ノウハウ、マネジメント、こういうものを開発することができるということであります。
  このような状況は、フィンランドの内閣府が作っている最近の技術産業化プロセスの一環でありますけれども、ちゃんと福祉と健康というプログラムも産業化プロセスの中に含まれているわけであります。
(図54)
  その一環として、フィンランドナショナルプロジェクトとして、我々が数年間取り回してきたのが「フィンランド健康福祉センタープロジェクト」というものでありまして、世界市場におけるフィンランドの介護ノウハウ、技術、福祉用具の実践的な導入、というプロジェクトを我々は行ってきました。
  我々は、これをその頭文字をとって「FWBCプロジェクト」と呼んでおります。我々は、どういうようなコンテンツをこのプロジェクトの中で用意し、実行してきたかということですが、フィンランド式介護パッケージの海外への紹介、フィンランドと諸外国間の福祉医療研究交流、フィンランド式の高齢者介護施設の実現など、ここに挙げているような、さまざまなコンテンツを実現するためにこのプロジェクトを行ってきたわけであります。
(図55)
  先程も言いましたように、技術とか製品だけを諸外国にご紹介するということでは、フィンランド式の介護というものは実現できないわけでありまして、その背後になる介護サービス、そのコンテンツあるいは社会のあり方というものも、諸外国にご紹介しないと所定の目標が達成できないということで、我々としては常に包括紹介導入というものを考えております。
  それが、フィンランド健康福祉センターと呼ばれている1つのコンセプトになるわけであります。
(図56)
  具体的には、先程来お話ししているこういうものを、フィンランド式のパッケージとして、統合運用を目指して、それを海外に導入しようというものであります。プロジェクトの達成目標としては、ここに挙げてあるような達成目標を持って、我々としては活動してきたわけであります。
  日本国内においては、宮城県の仙台市さん。我々が国のプロジェクトを海外で取り回す時には、海外の方々にパートナーになっていただくということが必要になってくるので、西暦2001年から、宮城県の仙台市さんにパートナーになっていただいております。
  2番目のプロジェクト、これを新潟県阿賀野市さんと一緒になって行っておりまして、3番目のプロジェクト、これをつい先週記者会見を行いましたが、愛媛県の西条市でもって、ちょうど始めたところであります。
  我々フィンランド貿易局が最初に、このプロジェクトのイニシエーター、コーディネーターになります。
  具体的にフィンランドのノウハウをご紹介する。地元のパートナーの方と一緒になって、いろいろと活動していくために、我々、フィンランド健康福祉センターという組織を作りました。
  このフィンランド健康福祉センターを使って、フィンランドの介護のパッケージというものをご提供しているわけでありますが、そのフィンランド健康福祉センターの役割としては、フィンランド型介護コンセプトのご紹介あるいは当然日本国内でそのまま使えるとは我々は思っていませんから、地元の方々の要望によったコンセプトの手直し、ローカライゼーション、それから、全体的な意味でのパッケージの導入であるとか、教育プログラムの提供あるいは一般市民向けの啓蒙活動であるとか、シニアツアーの実施というものを行ってきております。
(図57)
  我々は、そのまま導入しても機能しないのはわかっていますから、日本の高齢社会用に最適化されたフィンランド型コンセプトというものを作っておりまして、それがフィンランド健康福祉センターが持つ大きな機能の1つであります。
  仙台フィンランド健康福祉センタープロジェクト2001年、この場合は宮城県仙台市さんの市内の介護システムの整備と福祉産業の産業育成、こういう都市づくり、まちづくりと我々のプロジェクトを合体化させたものであり、阿賀野市さんにおいては、市内の介護システムの整備と雇用システム、住環境の整備、阿賀野市の行政としての都市づくり、まちづくり、都市経営の中で、我々のフィンランド健康福祉センタープロジェクトを合体させたものであります。
  3番目の愛媛のプロジェクトにおいては、介護施設あるいは複数の施設間のネットワークの整備というもので、ちょうど計画を開始したところであります。
(図58)
  このように、我々、各自治体さんとは、まちづくりの一環の中でこういうプロジェクトを立ち上げたわけでありまして、これは仙台の施設ですが、R&Dセンターと特別養護老人ホームを設立しまして、それぞれの日本の受け皿の方たちと一緒になって運営しているということであります。
  新潟県阿賀野市においても、こういう地域開発を通じて、面的な健康福祉都市というものの実現のために、我々フィンランドのノウハウを生かそうと思い、活動しているわけであります。

6.経済競争力トップを維持するには?
 
(図59)
  介護産業と産業育成というものを、今お話ししたように、連携させるというよりも1つのものとして扱っていく。日本においても中央政府あるいは地方自治政府、自治体においても、やはりそういう複合的な視点というものは大切ではないかと思います。
  そういうフィンランドも、安閑としているわけではなく、経済競争力トップを維持するためにどういうふうにしたらいいのかということで、常に検討しております。
(図60)
  1つには、我々フィンランド側としては、このままではいけないなと思っておりまして、ちょうど日本政府がIT立国と言い始めた西暦2000年前後を境に、フィンランドではICTの産業育成はもう政府レベルでの補助はいいんじゃないのか、次の産業構造転換を図らなければいけないという言われ方をされたわけであります。
  と言いますのは、実は先程お話ししたように、フィンランドの成功というのは非常に例外的で、実は独特な経済構造のもとに支えられたものであります。
  これはフィンランドのGDP成長率におけるエレクトリック産業、黄色いグラフです。ノキア社、これは世界最大の携帯電話メーカーで、フィンランドの会社なんですが、どのくらい寄与しているかというと、エレクトリック産業のかなりの部分がこのノキア社ただ1社で支えられているという、非常に特殊な関係であります。
(図61)
  寄与と言っても、ノキア社だけではなくて、結局ノキアという巨大企業を立ち上げることにより、その裾野の産業を一気に同時に持ち上がらせた、という非常に独特な産業育成を行ってきたんですね。ですので、経済構造自体が非常にゆがんだもの、特殊なものになっております。
  ですから、このままICTが続けばいいですけれども、IT産業というのはこれからまた別な形で変貌していくという意味で、フィンランドは果たしてこのままでいいんだろうかと思っているわけであります。
(図62)
  ITの他には、例えばバイオテクノロジーであるとか健康福祉産業の育成ということで既に立ち上げて、フィンランド健康福祉センタープロジェクトなどというものも取り回しているわけでありますけれども、実はITとバイオテクノロジーというのは産業構造が決定的に違っていまして、ITというのはどちらかというとリニア型なんですね。1つの技術革新が大きなビジネスチャンスを生むわけですが、バイオテクノロジーあるいは健康福祉産業は、ネットワーク産業とも呼ばれておりまして、1つの技術革新だけではなくて、いろいろな産業間でのつながり、ネットワーキングがないと成立しない産業として言われております。
(図63)
  そういう意味では、フィンランドが経験したITでの成功とはまた別の図式で産業振興を考えなければいけないのではないか、ということで、2004年においても、フィンランドの首相官邸で、国のストラテジーを決めるための調査研究が行われてきたわけであります。
(図64)
  その中間報告では、このようなことが提言されたわけでありますが、具体的に細かく見ると、フィンランドは90年代の構造改革で成功体験を得たわけですが、今もお話ししたように、いつまでもIT頼みではだめだろう。もっとも主要産業ではあり続けるだろう。将来にわたって成長するためには、再度の構造改革が必要なのではないか。ただ、先程言ったように、ITとバイオ、医療福祉産業というのは産業構造が違っているので、成功体験は生かせないと思っておりまして、そのためには産業内振興から産業間振興へどのようにシフトしていったらいいだろうか、ということをフィンランドでは既に考え始め、それに向けてストラテジックな議論がされているわけであります。

7.フィンランド、遠くて近い友人は日本の参考になるか?
 
(図65)
  最後になりますが、こういうフィンランドの状況、実はフィンランドと日本の間にはロシアというただ1つの国しか挟まれていないので、隣の隣の国なんですね。距離としては遠いですけれども、社会構造も似ている部分もある、この遠くて近い友人が日本の参考になり得るか、ということを少しお話ししたいと思います。
(図66)
  フィンランドの場合は、1つの国と言いながらも、520万人という小国ですので、日本でいうところの地方自治体で応用可能な部分というのは、かなり多いんじゃないかと思うんですね。
  そういう意味では、日本は1億何千万の人口を持っているので、方針転換に時間がかかりますという問題点があるわけですが、地方自治体が率先して何か行うならば、フィンランドと同等のことができるのではないかと思います。あるいは目指す社会構造自体も、日本とフィンランドは非常に似通っているわけであります。
  実は、フィンランドというのはハンザ商人、文化としてはハンザ同盟の拠点だったわけでありまして、さらにプロテスタントであるということで、労働というものをいいものである、働くことはいいものであるという価値観を持つ国であります。
  そういう意味では、日本と似ているのではないか。一般にキリスト教国の中では、労働というのは、パラダイスから追放された時に人間が負う原罪としてとらえている部分がありまして、労働は悪であるという考え方が、実はキリスト教の世界には根強くあるんですが、フィンランドではそうではないということで、日本の参考に1つなるのではないかなと思います。
(図67)
  フィンランドと日本の共通項として挙げるならば、先程来言っている高齢化社会というものがあると思いますが、こういう高齢化社会の中では、ここにお見せしている問題点が挙げられるわけであります。こういう問題点を解決するためには、やはりここに書いてあるような政策、施策を実行し、クリアしていかなければいけないのではないかと思うわけであります。
(図68)
  産業活動と生産性というものを見た場合に、産業活動というのは労働力と投資、資本によって成り立っていて、それが経済成長に結びつくわけでありますけれども、高齢化社会においては労働力が低下する、あるいは貯蓄率の低下に伴い投資が不活発になるということで、生産性が低下してきます。ということで、経済成長が低下するわけですが、これを解決するためには、1つ高齢の労働力の確保ということが挙げられます。
  このためには、国民の健康状態をよくしなければいけないという意味で、健康福祉政策というのが関わってくるでしょうし、雇用の流動化というものも進めなければいけない。若年労働力も確保しなければいけないという人口増の政策も必要だ。そして、技術革新。社会の効率化ということも同時に行わなければいけない。それから、経済成長率が低い社会になれるためには、フローからストックへの社会構造の見直しが必要になってくると思います。
  ということで、非常に明らかなこととしては、各種の政策、制度の相互連関というものが必要だと思います。
(図69)
  そういう意味では、フィンランドの実例というのは、日本の方々の1つの参考になるのではないかなと思います。
  日本の地域社会の再構築というものを考えた場合においては、フィンランドの目から見ると、ここに書いてあるような地域アイデンティティーの自覚、覚醒と同時に、フィンランドの場合、自前で何でもやろうということは小さい国なのでできない。IT分野ということで特化しましたが、こういう産業構成、ターゲットの明確化というのが地域社会の再構築の時には、日本では必要になってくるのかなと思いますし、そのためには、複眼的な地域振興、すなわち政策、施策の連関というものが必要になってくるのではないか。
  そういう意味においては、フィンランドの実例というのは参考になるのではないかな、と思うわけであります。
  以上、非常に長い間ご清聴ありがとうございました。

 

フリーディスカッション

與謝野 ありがとうございました。大変に啓発される内容が多々あったかと思います。フィンランドの国柄のご紹介から、フィンランドの国民性に根差した社会の基盤に培われてきたノウハウ、またフィンランドウエイといいますか、フィンランドの方法が日本の地方自治体にも大いに応用が効くのではないかということ等について、大変具体的にわかりやすくご説明いただきました。まことにありがとうございました。
  それでは、ぜひこの際、聞き漏らした点等について、ご質問なりお問い合わせしたいこと等がございますれば、お申し出ください。
角家(コンピューター IT講師) 木村先生には、本日貴重なお話をありがとうございました。感謝申し上げます。質問したいことは、フィンランドという人口が520万人しかおりません。関東近辺で言いますと、横浜市プラス川崎市にちょっと足したぐらいの520万ですが、それで世界一のノキア、いわゆる携帯電話の王者ですね、そういう電子王国が生まれた。また、いわゆるリナックス、フリーソフトのリーナス・B・トーバルスという方がヘルシンキ大学の出身で、世界に無料で公開しておりますね。そういう立派な国になったということは、いろいろご説明をいただきましたが、どこにその種、シーズがあったのか。そして、電子だけでは限界が見えるから、将来バイオ工学とかいろいろその方向にも今から手を打っているということですが、日本の参考に実際にどのようにしたらなるのか、もうちょっと具体的に教えていただけますか。よろしくお願いいたします。
木村先生 ご質問ありがとうございます。
  どこまで具体的にお話しできるかわかりませんが、そういう意味では、一番具体化したモデルといいますのは、講演の中で図示しましたが、システマティックな産業育成のシステムというものが挙げられているのかなと思うんですね。
(図)
  ここにお見せしているのは、先程ご説明したように、政府のいろいろな機関あるいはいろんなところが非常に協調して産業育成を行う、そういうところにあるわけです。こういう具体的なところもそうですが、やはり基本的なところからお話ししますと、フィンランドにおける産業振興システムというのは、これで見るとシーズをいかに上まで持ち上げていくかという意味では、世間的に一般に言われているリニア型の産業振興プロセスと呼ばれているものです。一般に、このリニア型プロセスというのは限界があると言われているわけであります。
  ところが、このリニア型のプロセスを何故フィンランドが成功させているかというと、フィンランドにおける産学官、産業と学術と官の関係というものがあるわけであります。
  実は、私の経歴を見ていただいてもわかるように、私、今フィンランド貿易局というところの職員なわけですけれども、その前は日本の一般企業に勤めておりました。すなわち民間企業に勤めている、つまりビジネスの経験があるということです。
  私のフィンランド貿易局の同僚も、フィンランド貿易局の総裁も含めて、実はすべてビジネスの経験がある人間であります。例えば私の上司、これは昔ノキアに勤めていた人間であります。このように、例えばの話、日本で産業育成に携わると一般的に言われている官、それに勤める時に、それ以前のビジネス経験が条件になっているということは日本ではないと思うんですね。
  我々フィンランド貿易局においては、過去ビジネス経験を持たない人間は雇われません。それは当たり前のことだと思うんですね。産業界と一緒になって産業育成をしていく中においては、自らがビジネスの体験を持つ人間でないと役に立たないということです。
  実は、これはフィンランドの社会の特質でありまして、民間と政府との間の境目がないんですね。ですから、産学官という日本の概念をフィンランド人に持ち出すと、逆に彼らは理解できないんです。何でその3つがあって、それが協調するんだと。つまり、彼らは1つのプールの中に人があって、それぞれによって同じ人間が産であり、官であり、学であり、それぞれの役割をその時々で演じるということです。
  あるいは、産業界とか学術界も同じような意味で交流しているということで、日本的に言うと、産学官の連携がうまくいっているということですが、実はフィンランド人の目から見ると産学官って、それは何だということでありまして、その境目がないということであります。
  話は元に戻ります。こういうリニア型のプロセスという形で見るわけでありますけれども、そのように産学官の連携がうまくいっている、境目がないということで、それぞれのセクターがネットワークを構築することが非常に得意であります。
  それぞれのネットワークが機能することによって、一見リニア型プロセスと呼ばれている産業振興のシステムが、同時に「チェーンリンクト型」と一般に言われている産業振興のプロセスに転化することが容易にできる。非常に概念的なんですが、実はこれがフィンランドで最も強みとする大きいところであります。
  リナックスの話を出していただいて、ありがとうございます。リナックスを見ると、まさにこのチェーンリンクト型プロセスなんですね。1つの技術をネットワークの中でお互いに相互関連性を持って作っていく、これぐらいフィンランドらしい技術開発、産業振興のモデルはないのではないかと思います。
  もう1つ、フィンランドの経済を振興させる上においてポイントになっているのは、生産性をいかに上昇させるかということであります。
(図)
  この図が、ちょっと複雑過ぎるかもしれないですが、こういう形で一般に産業活動が行われているわけですけれども、やはり雇用の流動化というか、労働力をいかに効率よくするか。労働資源の再配分というものが、生産性を向上させるために大切だと思うんです。日本でも労働力の流動化ということが行われて、逆にそれが上流とか下流とか嫌な言葉を生んだ。今、格差社会ということで問題になってきているわけですが、フィンランドでの大きいポリシーの1つとして、雇用の流動化ということが挙げられると思います。
  ただ、日本と違うのは、どちらかというと日本の場合は、一度落ちた人が自分で頑張らなければいけない。チャンスを与えますよということです。フィンランドの場合はチャンスを与えるのと同時に、チャンスに行き着くまでの再教育であるとか雇用の保障システムであるとかいうところが充実して、チャンスに行く道筋自体も政府が面倒見ているというところにポイントがあるんじゃないかと思うんですね。
  例えば、労働市場の流動化というものを余りラジカルに、過激に進めると、1990年代のニュージーランドの改革のようになります。国民が余りにも改革のために疲弊してしまって、結局は国民の間で格差が生じる。貯蓄率の低下につながって、お金のフローがうまく回らなくなるんですね。生産性が低下してしまう。ニュージーランドの場合は、現状日本が行っている政策を1990年代にやって失敗しているわけです。そういうラジカルな労働力の雇用の流動化ではなくて、政府がある程度面倒を見るところによる労働資源の再配分、というものが1つあったのかなと思います。
  それから、技術革新、これは当然IT革命ということで、フィンランドは行って、これが最も大きいわけですけれども、これについては先程言ったような、例えばR&Dにかける研究費の増大であるのと同時に、先程お見せしたシステムを構築するという社会システムの見直しと言いますか、産学官も含めたものが1990年代から行われてきた。
  このところ、アメリカの影響もあって、ナショナルイノベーションという言葉が日本国内でもよく言われていて、何で横文字を使うのかと責められた人もいるようですが、そのナショナルイノベーション自体を、フィンランドはそういう言葉はないながらも1990年代から実行してきた。こういう背景があって、フィンランドは少ない人口、少ない人口というのはすなわち少ない資本、少ない元手、少ないストックということですが、それでも成功したわけです。
  そういう実例を考えると、果たして日本の地方自治体さんが、実現不可能なレベルではないんじゃないのかなというのを私いつも感じているところでありまして、日本の地方自治体さん、もちろん補助金等縛りがあるという反論もあるかもしれませんが、ある程度フィンランドのことを参考にしていただけると、それこそ都市経営のヒントになるのかなと思うんですが、そんな形で、フィンランドはやってきました。
與謝野 ありがとうございました。それでは、ほかに。特に福祉関連とかでも結構なんですが、ご質問のある方はいらっしゃいませんでしょうか。
河合(樺|中工務店) 本日は意義のあるお話をありがとうございました。
  質問は、フィンランドにおいては1970年代、施設整備を主眼とした福祉で反省等されて、シームレスケア等に移ったというお話をいただいたんですが、日本でそういうノウハウを導入していただくためには、3つのプロジェクトを具体的に立ち上げられているとお聞きしました。その日本でもいろんな既存の制度の中で福祉を行っていると思います。日本に足りないもの、つまりフィンランドで一度反省されて、新しく作り上げたものを、日本のプロジェクトでは、どういうものを具体的に取り入れられているか。日本の既存のものじゃないものの付加価値として、どういうものを加えられたかをお教えいただけませんでしょうか。
木村先生 今日、実は時間がなくて、詳細にわたるコンテンツを紹介しなかったので、皆さんも非常に欲求不満なところもあるのではないのかなと思うんですが、今日、詳しい方のプレゼンの資料を持ってきてないので、大変申しわけないんですが、日本に足りないものは何かというと、やはり「パッケージング」だと思います。
  当然日本は、先進諸国の中においても最も技術が進歩している国だと思いますし、そういう意味ではフィンランドが今さら、というところもあるんですね。ところが、日本に足りないのは何かというと、技術、商品、サービス、制度、これを網羅したコンセプト、これが足りないということです。
  高齢者介護の内容だけをまとめた話をする機会も私はあるんですが、その時に一番理解していただけないのはコンセプトです。コンセプトを紹介しますので、コンセプトをフィンランドから日本に紹介すると、うまくいきますよという話をすると、日本人は非常にプラグマティックというか、実際的な国民性があるので、「それは絵空ごとでしょう。コンセプトでしょう。紙の上に書いたことでしょう。そんなのは意味ないよ。自分は今、目の前にお年寄りがいて、そのお年寄りをどういうふうにケアしていくのかということを日々悩んでいるのに、そんなコンセプトとか制度、サービスのあり方とか言わないで、もっと早く教えてくれ」と言うんですね。実は、それが一番日本人の弱点じゃないかなと思っています。
  何故かと言うと、先程もお話ししましたように、1人のお年寄りあるいは多数のお年寄りでもいいと思いますが、あるお年寄りがいた時に、その高齢者の方にどういう介護が必要かということを、まず考えると思うんですね。そうすると、そのお年寄りに対して、まずどういうふうに介護しなければいけないか、という基本方針をケアマネジャーの人は立てる必要があると思います。基本方針が立てられたならば、では、その基本方針を実行するために、どういう介護サービスを提供しなければいけないのかということも当然考えられるわけです。
  皆さん、こんな話もうわかっているよと思うかもしれませんが、介護サービスを考える、介護サービスを実行するためには、それに必要な製品が必要になる。その製品を供給するために、必要な技術が必要になる。その技術を実行した商品をうまく使うためには、どういう施設の構造が必要になってくるのか。例えば、施設の中におけるケアスタッフのマネジメントが必要になってくるのか、というところが当然必要になってくるわけですね。
  これは当たり前のことなんですが、日本の場合は、ケアマネジャーの人はケアサービスのコンテンツだけを主に考えるので、そうすると、どういう技術が必要なのかと考えない傾向が強いんですね。
  一番簡単な例は、「うちのお年寄り、こうなんだけれども」というので、介護用品のレンタル業者さんのところに行って、必要なのを借りちゃうというのが一番簡単な形です。そうではなくて、フィンランドの場合は、「フィーニッシュ・エルダリー・コンセプト」と我々呼んでいますが、フィンランド式のサービス、技術、製品を網羅したこういうコンセプト。じゃ、それは何かと言うと、それだけで何時間かの話になるので、それは我々フィンランド大使館あるいはフィンランド健康福祉センターの方に問い合わせていただければ、また話をする機会を作ろうと思いますが、そういうコンセプトをご紹介するということで、日本の高齢者介護に対して一助になればと思っていますし、それが日本人にとって最も足りないところかなと思うんです。
  そうなると、我々取り回してきたプロジェクトの中で、建物の構造自体が非常に大切になってくるわけです。何故かというと、お年寄りから敷衍して考えるなら、どういサービスが必要、どういう技術が必要、どういう商品が必要、そのためにはどういうケアマネジメントが必要、そのためにはどういう施設の構造が必要。もっと大きく言ったならば、そのためにはどういう地域社会の協力が得られて、どういう社会構築が行われるのか、まさに自治体レベルでのシステム構築がなされないと、本当はまずい話で、それを我々は導入しているという意味においては、そこが日本人の一番の弱点であり、我々フィンランドがご紹介できるところかなと思います。
  ちょっと概念的な話になって申しわけありませんが、具体的にどういうコンセプトを実行していただくかということについては、我々のパートナーである仙台市、阿賀野市あるいは愛媛県西条市の皆さん、そういう方たちと一緒になって、ローカライズする中で助言していく。一朝一夕じゃないですから、その中にはすべてお年寄りが、こういう状態の時にどういうリハビリをするかというところから始まって、全体の大きなところまで全部吸収していただかなければいけないので、つまり我々プロジェクトとして何年間もかかる状況になっている、ということなんです。
  ということで、そういうコンセプトの導入と紹介というものが大切で、日本にとって一番欠けているところじゃないかなと思います。
與謝野 我が国民の気質として、基本原理・プリンシプル・コンセプト等に弱く、しかし原理の応用と経済行為には意欲的に取り組むという、そのような国民性がこのような側面にも現れているのかもしれませんね。
角家(コンピューター IT講師) もう1つ質問させていただきます。
  福祉政策を進めるにはお金が要る、財源が要るということで、フィンランドの場合はノキアという携帯電話に代表される優良企業があるわけですね。隣のスウェーデンにはエリクソンという、これも携帯電話の会社がありまして、世界的に有名で、ここのエリクソンは通信機器、独立鉄塔、中央交換機なども非常に有力なメーカーなんですね。お互いにエリクソンとノキアが切磋琢磨して、いい関係で競争しておると見ておられますか、それともエリクソンとノキアの関係はどういう状況にあるとフィンランドからは見ておられますか。
木村先生 私、大使館の立場としてノキア社を云々するというのは、ノキアの代表ではないので差し出がましいようですけれども、競争関係にあり、協調関係にあるというのが、一言でいうと現状ではないかなと思います。
  これはノキア社のみならず、フィンランド人が持つメンタリティーであり、許されざる状況なんですが、先程も言ったように、フィンランドという一国だけのマーケットを見るならば、ノキアという会社が成立し得なかったことは明らかです。そういう意味では、国際マーケット、インターナショナルマーケットの中でどういうふうにビジネスを展開していくかという時に、当然大きいファクターになってくるのが自らのコンペティターなわけですね。コンペティターであり、同時に業界自体をネットワーキング、コーポレーターとして考えないといけないというのが、先程の話に返ってしまいますが、フィンランド人の基本的なメンタリティーなんですね。
  実は、日本もそういう状況に過去あったのでありまして、戦争直後から日本が非常に早い経済発展を遂げてきたのは、ほとんどが外国からの技術の導入なんですね。確かに第2次世界大戦、太平洋戦争が始まる前までは、日本の造船技術であるとか航空機産業の技術は世界トップレベルにあったんですが、太平洋戦争に負けた理由の1つは、諸外国との技術交流を怠ることによって、自らの技術レベルが低下したというのが1つ大きい要因だと言われています。
  つまり、諸外国との技術交流がないと技術発展がないという、いいというか悪いというか、実例として世界的には知られていまして、フィンランド人も当然、その日本の状況を知っています。
  そういうこともあり、国是として、コンペティターとも技術的な提携をするということが考えられており、ノキア社も、私はノキア社の経営に関わったことがないのでわからないんですが、今までの状況を見ていると、そういう考え方が貫かれていると思います。
  例えばの話、3G、第3世代のモバイルフォンは、当初ノキア社がヨーロッパ一帯における実施権を持っていたんですが、それを返納したということが数年前にありました。日本のメーカーからすると、何故次世代なのにそれをやめたのかという話なんですが、それはコンペティターのことを考えてです。NTTなりエリクソンなりが非常に強いだろうというところで、そこに投資するよりは、今引き下がって危険な投資はやめようと。ただ、それは撤退ではなくて、エリクソンなどと技術提携を進めることにより、エリクソンなりその他のメーカーが成功すると、自動的にノキアがそれにくっついて成功できるような図式を作ったんですね。
  それは、NTT独自で大変な投資をしたというビジネスストラテジーとは対極にあるやり方でありまして、そういう意味で、エリクソン等はコンペティターであり、コーポレーターである、そういう関係にあるということです。
與謝野 最後に、私から質問させてください。
  きょうのお話で「産官学の連携」について、日本での理解とフィンランドでの基本認識とに随分差異があると感じました。この点については、会場の皆さんも、もう1つ理解がしづらかったかなとも思うんです。例えば、フィンランドの大学教育等のキャリアパスと日本における大学教育・企業教育のキャリアパスにはやはりかなり違いがあるようです。日本の場合、今、「知の統合」とかいって、産官学の知の統合運動を展開していますが、日本の国民性の特徴は応用編ですから、応用の知恵を発揮して自分でかなりのところまでできる。それがゆえに高度経済成長したともいえるわけです。ただ、基本原理の探究には弱く、その分野への国家予算も実務者の関心もこれまで低かった。このあたりの実情とフィンランドの産官学の連携政策と、共通項なり汎用性・連携性があるのか等について、もしヒントになるお話がいただければと思います。
木村先生 今、お話しいただいたところがまさに共通性の1つだと思うんですね。ただ、日本の場合は、過去幸いにして成功していた部分があるわけですけれども、いかんせん無手勝流というところがあるのではないのか。つまり、フィンランドの場合はどういうことかというと、ある大学に勤めている研究者の人がいた。その人がいい技術を持っていて、これが商売になりそうだという時には、当然会社を立ち上げるわけです。その時に、ビジネスの経験がその研究者にないケースというのがほとんどなわけです。そうなった時に、先程駆け足で通り過ぎたんですが、サイエンスパークと呼ばれているところがあって、そのサイエンスパークの中に大学の研究室があるんです。建物の中です。その隣の部屋がAという民間企業の研究室があるんです。その隣には、Cという地方政府の産業育成の出先機関があるんです。
  そういう状況にあるので、例えばの話、ビジネスを起こしたいという時には、気軽にブラブラと行って、顔見知りなわけです。地方自治体のところに行って、「これ、物になると思うんだけどな」というと、そこの自治体が管理しているサイエンスパークのオフィスからコンサルタントが派遣されるんです。実際に、その技術が物になるかどうかをまず判定する。そうなれば、今度は、じゃ、どういうふうに会社を設立するのか、どういうふうにビジネス展開したらいいのか。また、今度は専門のコンサルタントがやってきて、それをサポートするという形で。そのうちに、その研究者の人も自分の能力を高めていく機会が当然得られます。そういう教育制度が実はあります。
  というようなことで、先程も言ったように、境目がない。その教授が成功したとするならば、その自分の会社は一応ビジネスのプロに預けて、自分は成功者としてリエゾンオフィスのコンサルタントとして雇われて、後進のビジネスの指導に当たるということもある。
  そういう意味では、何でもできる、何でもやりたがる日本人と共通性はありながらも、フィンランドの場合はそれをシステマティックにサポートしていくというところがちょっと違うかなと思います。
與謝野 木村上席商務官、ありがとうございました。また、会場の皆さんにおかれましてはご熱心なご質問を頂きましてありがとうございました。
  本日は、かなり新鮮な視点からの都市経営の知見について貴重なお話を頂きました。それでは、これにて本日の都市経営フォーラムは締めたいと思います。最後に、きょう貴重なお話をいただきました木村上席商務官に対しまして、大きな拍手を贈っていただき、御礼の気持ちを表して頂きたいと思います。(拍手)
ありがとうございました。

 


 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 



                                  

 


 

 

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 


back