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第229回都市経営フォーラム

『日本橋プロジェクト』

講師:  伊藤 滋氏 早稲田大学特命教授

 
                                                                           

日付:2007年1月25日(木)
場所:日中友好会館

                                                                            
1.プロジェクトの背景

.日本橋地域と東京の都心

3.高速道路の撤去と地下化

4.日本橋川周辺再開発

5.今後の動向

6.海外の事例



 

 

 

 

 



與謝野 それでは、本日の第229回目の都市経営フォーラムを開催いたします。
  改めまして、2007年が明けまして、本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
  本日は、お忙しい中を、また大変お寒い中を本フォーラムへお運びいただきまして、誠にありがとうございます。大変高い席からではございますが、改めまして厚く御礼申し上げます。
  さて、毎年年明けの1月には伊藤滋先生にお話をいただくことになってございまして、今回は大変に多くの分野の方々から関心を向けられております「日本橋プロジェクト」について、その背景と周辺のあり方、あるいは今後の動向等について、最新の情報と貴重な示唆深いお話を先生から伺うこととなっております。
  伊藤先生のプロフィールにつきましては、皆様ご高尚のとおりでございます。お手元の資料のとおりとさせていただきまして、早速にこのフォーラムを開催させていただきたいと思います。
  それでは、伊藤先生よろしくお願いいたします。(拍手)

伊藤 伊藤でございます。
  この話は実は去年の暮れに、日本都市計画学会で発表しました。ですから、それにご参加の方は「またか」という感じですが、ちょっとバージョンアップしまして、日本橋だけじゃなくて、外国の例も入れてありますから、そこだけ目を開けて聞き耳を立てて下さい。この作業、時間をかけて編集をやりました。三菱地所の三武さんに頼んで、3カ月ぐらいかけてCD−ROMを作ってきました。随分手伝ってもらいました。それだけご報告します。
  それから、具体的な話の前に、そもそも「日本橋プロジェクト」がどうして起きたか、この辺が皆さんの興味のあるところでしょうから、そんな話をします。

1.プロジェクトの背景

 日本橋プロジェクトは、一昨年の12月26日か27日に事が始まりました。何故かと言いますと、当時、まだ総理だった小泉さんのところへ報告をしたり、仕事を引き受けたりしていたんです。11月の初めに用事があって小泉さんと話して、その仕事が終わった後に、「僕も都市計画屋。5年近くつき合ったんだから、たまには都市計画で基本的に重要な問題をそもそも一から聞いて下さい」ということを小泉さんに言ったんですね。そしたら、「わかった」と言っていました。それが一昨年の12月の初めです。
  「わかった」と言うんですが、総理のことですから、正月明けの2月か3月ぐらいにそういうチャンスがあるかなと思っていましたら、それからすぐ4日ぐらい後に電話が来まして、日が空いたから26日に会おう。何で日が空いたかと言いますと、その日12月26日は、汚職騒動で辞めましたイタリアのベルルスコーニという首相が、まだそういう騒動になる前に、日本に来て小泉総理と握手をする、そういう日取りだったんです。そういうことで急遽来れなくなった。ポカッとその日空いたので、そこで話す時間を作ってセットするから、ちゃんと報告しろということでした。
  26日に、緊急でしたので、本当に内輪で、帝国ホテルの地下の寿司屋の部屋で6〜7人で話をしたんです。
  その時に、急遽メモを作りました。A4の箇条書きで2枚ぐらい1行置きに書く。それで講釈するんです。そこに「都市計画で一番重要なことは、仕事が遅くなるから、市民の無駄な意見は聞かないでスピードアップするということをやるべきだ」と書いたんです。これは世の中の新聞社が一番嫌いな言葉でしょう。ですが、土地収用法というのは日本では殆ど死に体ですね。どんなに土地収用法を役人が使い易くしても、役人が使わないというのは、それぐらい役人は戦後土地収用法で民衆にいじめ抜かれた。
  その結果何が起きたか。都市計画の連中がやることは公共事業で「刺身のつまだ」、と道路局や河川局の連中に言われるような事実ができ上がっちゃったわけです。都市計画公園の決定、都市計画道路の決定までする。だけど、計画決定したまま40年、50年、都市公園だって、そのままほっぽり出してありますね。都市計画道路だって、そのままほっぽり出して、あんまり長いこと塩漬けにすると、とんでもないと商店街の人が言うので、とりあえず都市計画道路の予定敷地で民間のご商売している所では、木造2階のおんぼろの店屋を3階建ての鉄骨ぐらいで造るようにしていいという緩和をして、その場その場をしのいできていた訳です。
  とにかく土地収用法をちゃんと執行してくれ。中国だけじゃなくて、世界中でこれだけ土地収用法を臆病がっているのは日本だけですよ、なんて話をしたんです。
  それから、土地に対して横暴極まりない権利の自由行使をしているから、皆さんご存じのように、敷地が20坪で細長い3階建ての建物を安売りで売っていますね。ああいうのは、我々建築家から言うと、どこでも教えてくれないし、造ってはいけないものなんですが、世の中に建っています。2番目は、敷地の規模制限を絶対やってくれということです。
  3番目。総理は、「地方、地方」と言いますが、地方で一番効果の良いのは鉄道高架事業です。地元の土建屋さんと県会議員、市会議員にとっては、この鉄道高架事業もまた利権の塊なんです。だから、なるべく仕事は長くして、小出しに、例えば500億円の高架事業だったら、毎年25億円ずつ20年間やるというのが地元の人たちにとって一番良いわけです。これは土建屋だけでなくて、議員さんにも市民にも良い。高架化事業というのは、すぐやれそうだと思う。街路課の人にとっては、白馬の騎士的なんですが、実際やると時間がかかると頭を痛めているんですね。
  都市計画というのはカッコいいけど、現実社会では、都市局のやることは、「そうかそうか」と適当にやっておけばいい、と国交省の道路屋や河川屋が言っているんです。これはおかしい。そうでなくて、都市計画を本筋に戻さなければ駄目ですよ、ということを一生懸命話したんです。
  総理は長丁場の講義は嫌いですから、飯食いながら酒飲みながらなるべく短くしてくれと言う。30分ももたないですね。大体20分ぐらい。そこで、そういうことを言うんです。彼は8項目ぐらいに行くと、もういいかげん飽きてくる。歩どまり大体2割です。8つ書いて1つか2つ採択ですよ。でも、一応採択してくれて、幾つかやったんです。
  8番目に、日本橋の上空に空を取り戻そうと書いた。政治家とつき合う時の僕は、気をつけて役人用語は使わないようにしています。ですから、日本橋川を直すについても、「日本橋に関連する首都高速道路撤廃の問題について」なんてやったら全然受け付けないんです。役人は大体そう書きますね。それを「日本橋川に空を取り戻そう」と書いたら、結構この語感が良かったんです。
  それで、飯食った後に、「伊藤さん、今日良かったよ。勉強した」と言うけど、僕が話したことは何も頭に入ってないはずです。(笑)要するに政治家ってそんなもんですよ。都市計画とか具体的な仕事に関しては。
  それで、酒飲んでいい調子になって、飲んだ後に話した彼の話は、「何でおれが信長に惚れたか」ということだった。その時は、女性が1人と外国人1人と、日本人が僕と昔いた牧野という人と、せいぜい6人ぐらいでした。「何で惚れたか」というのは、何回も言っていますけれども、「まだペーペーの陣笠の時に、僕は勉強しなかったけど、文春の歴史読本というのを読むのが大好きだった」と言うんです。だから、彼の知識は教科書じゃなくて全部歴史読本なんですね。信長についても、武田信玄についても。
  歴史読本の中で、たまたま井上靖の書いた小説があったようなんです。井上靖が、例の武田勝頼の話を書いたでしょう。諏訪の一族の話。諏訪姫というのが出てくる。NHKテレビでも出てきていますね。
  そこに、武田勝頼のところの嫁さんだったのか、最後は信長の人質に行く濃姫というお嬢さんがいたらしいです。諏訪の跡継ぎの長女です。武田に負けて、武田勝頼の嫁さんだった濃姫が信長か家康のところに売り飛ばされるんですね。非常に魅力のあった女性らしい。それを井上靖が書いた。ご年配の方はストーリーをよくご存じだと思います。
  それを読んで小泉さんは、夢中になったんだけど、それがいつの間にか由布姫となった。何で由布姫かというのは、彼は結構凝り性なんですね。いろんなことを調べたんでしょう。「伊藤さん、わかった。俺、近々、観光立国ビジット・ジャパンにのっかって大分に行くんだ。由布院に行く。何で由布院に行くかわかりますか、伊藤さん」と言うんです。そこから話の落ちはもうおわかりでしょう。多分溝口さんのやっている「玉の井」あたりに行ったはずです。
  彼は既にわかっていて、そこに行ったんです。「井上靖は由布院のある宿屋の離れで風林火山的な小説を書いていた。その離れがある。俺はその離れに泊まりたい」と言うんです。何で離れに泊まるかと言うと、「濃姫が由布姫になったと言うのは、きっと由布院にいたから、濃姫を由布姫にしたに違いない。その現場の雰囲気を味わいたいので、俺は大分に行くんだ」。余りにあからさまに言うと、ちょっとまずいかな。でも相当の皆さんに話していましたから、どうぞ話して下さい。本当のことですから。ビジット・ジャパンは二の次だ、とは絶対言わなかったですよ。ビジット・ジャパンも重要だ。実際そこに来ていた外人の1人はビジット・ジャパンの代表で、たまたま小泉さんと飯を食いに来ていた男なんです。
  そんな話で、酒飲んでいい調子になって、「じゃ、伊藤さん、今日はご苦労さん」と言って、コートを着て、出口に行った時にクルッと振り向いて、そこからなんです。「伊藤さん、来年の9月までに日本橋をやってくれよ」と僕に言ったんです。僕は当て馬で、いろいろあるけど、公共事業執行の土地収用法の見直しやれよ、というぐらい言ってくれるかなと期待していたんですけれども、全然当てが外れた。

2.日本橋地域と東京の都心

 日本橋川を言われた。僕が何で8番目に書いていたかと言うと、日本橋川プロジェクトというのは、本来僕がギャーギャー言うんじゃなくて、もうちょっと別な人が言っていたわけだし、その当時も言っていた。
  それは扇千景さんが建設大臣の時、小渕政権の時です。これも面白いんですよ。深層心理的な解釈です。扇千景が「日本橋川の上、あの高速道路ひどいわね」と、何で今から6年ぐらい前に言ったかを後で解釈すると、「なるほどな」と思い当たるんです。「ひどいわね、取れないかしら」と建設大臣の時に言った時の、建設省の御用学者の最たるものは中村英夫ですね。僕なんか、建設省から言わせれば御用学者の端っこの端っこなんです。何故かと言うと、僕は都市局と住宅局につき合っていて、中村英夫は道路局とつき合っていた。はっきりした事実です。
  中村英夫が呼びつけられた。扇千景と中村英夫は同じ京都の生まれなんです。だから、話が合う。東京で京都人が謀略を秘かに謀議していた。中村英夫がずっとやっていて、それに三井不動産が乗っかって、ごまをすりながらいろんな絵を描いたりした。そのうちに、それに気がついた日本橋の例のあめ屋さんの細田さん。細田さんはそういうこと全然関係なく、商人一徹で、「じゃ、これやらなきゃいけない」って、乗っかってきた。
  僕が小泉さんに言う前に、それでずっと動いていたんです。ただ、扇さんは建設大臣を辞めちゃいましたから、あのプロジェクトというのは、少なくとも建設大臣クラスが強引にやれと言わなきゃ動かないんです。
  中村英夫も随分苦労しながら、でも辛抱強く日本橋の町衆ともつき合いながら、糸を切らないようにメンテナンスしていたんです。
  僕は、そのプロジェクトをやりながらわかった。何で扇さんが日本橋川かと言うのか。その後僕はちょっと歌舞伎のことに関係したので、「あっ」と思った。この間、坂田藤十郎の襲名披露がありました。去年の寒い頃。坂田藤十郎は前の中村鴈治郎。扇さんの旦那ですよ。坂田藤十郎襲名披露というのは、江戸の頃からちゃんとした1つの型があるんですよ。
  どういうことかと言うと、昔で言えば八丁堀とかあの辺から、隅田川を船でずっと上がりまして、そこへ襲名した坂田藤十郎が乗っているわけです。そこにお付きの歌舞伎役者がいる。和船で、江戸の頃は隅田川を見てみんな拍手していたんでしょうね。隅田川をずっと上がって、日本橋川に左折して入って、日本橋川のたもとでその船を降りるんです。その「しきたり」を、この間坂田藤十郎の襲名披露の時にきちっとやりました。中村鴈治郎改め坂田藤十郎は寒そうに・・。彼、太っているからそんなに寒くないんですけれども、ちゃんとそこで上がって襲名のご挨拶を日本銀行の前でして、そこから練り歩きです。だけど今の時代は車です、オープンカーで歌舞伎座まで行く。これが江戸からの「しきたり」なんですね。襲名披露を江戸でちゃんとお見せする。
  それが6年前、扇千景さんの頭の中に、「どうせうちの亭主はいずれ、坂田藤十郎になるに違いない。その襲名披露の時に、何で日本橋の首都高速があるのかしら。せめて亭主のためにあの橋は取りたいわ」と言うのが女心というもんですよ。(笑)
  これを僕は後で気がついた。やっぱり扇千景は才女であり、本当に素晴しい女房だなと思いました。だから言ったに違いない。
  話を元に戻しますけれども、早速どうしようかということになった。牧野という特別補佐官が僕の横にいて、彼がそういうことを事務的に仕切る男なんですが、「お前どうするんだ」と言うんです。9月は総理辞める時だから、辞める最後の花火みたいに小泉総理は打ち上げるだろう。辞める前に幾つか花火を打ち上げたい。郵政民営化も花火の1つです。郵政の花火打ち上げが長岡の花火大会の4尺玉ぐらいだとすると、こっちは2尺玉ぐらいです。それでも花火。どうするか。一応カッコよくバーンとやらなければいけないだろう。
  牧野補佐官と2人で相談しました。結局、「じゃ、四の五の言わないで、例の通り委員会を作って、有識者会議を作って、それでやろう。だけど、有識者会議は最小限の人間にしよう。変な学者が入ると、またグダグダ言うから。学者も最小限にしよう」。それで、4人委員会を作ろうということにしたんです。何だかわからないけど4人委員会にしました。
  当然、中村英夫に連絡がいきまして、「あと2人どうする」と牧野補佐官に相談したんです。補佐官は「お前、これは橋の上に自動車が通るから、自動車屋を呼ばないと駄目だぞ。税金のこともあるし。たまたま経団連の会長は奥田だから、奥田に頼もうか」となりました。経団連というのは民僚と言われるぐらい、話を通すのは難しいんだそうですね。きちっと下の連中から上げていかないと、上から突然言うと駄目になる危険性がある。牧野補佐官は「後で知って、とんでもない連中が経団連にいる。役人より役人のやつがいた」と言っていました。僕は前からそれ知ってたんですけど。
  もう1人はどうするかと言うので、彼は僕の方を向く。要するに、1人牧野が選んで、1人は僕が選ぶ。僕はどうしようかなと思っていまして、あいつは企業でトヨタのおやじを見つけた。それならこっちは無手勝流でいこうというので、その前から歌舞伎座のことで三浦朱門とつき合っていた。この三浦朱門というのは曽野綾子の亭主ですけれども、背も高くてなかなかのハンサムボーイです。それが、ちょっとした縁で子供の時からつき合いがあった。「経団連会長に対して、彼は今でも芸術院の院長ですから、じゃ、頼むか」と、三浦朱門に頼みました。これは芸術院というのは1つの役所ですけれども、小説書きですから、やくざ商売ですよね。僕とちょっと似たところがあるんです。それで、三浦朱門を選んで頼みました。
  そしたら、四の五の言っていましたけれども、それで、4人決まったんです。
  それから、今日お話しするプロジェクトは動いた。正確に言って、この4人が全部やりましたけれども、犬の遠吠えはあちこちからありました。特に三井不動産は随分吠えました。僕たちが要求しないサービスまで一生懸命やりました。だけど、感じたのは良いサービスは役に立ちますね。最後に小泉総理に持っていった資料の中には、何も要求しないけれども向こうが勝手に作ったサービスの絵姿がありましたが、小泉総理に見せたら、「これは面白いな。こういう街にしたい」と言ったんです。ありがとうございました。むだ金と時間を使ったんですけれども。
  具体的に動き出したのが2月ぐらいでしたね。牧野補佐官は、「これは実務は道路局に任せるしかないから、道路局にやってもらおう」。経済調査室というのがあります。これは道路局の中で、いろんな諸事万端わからないことを全部持っていく、そういう感じの所です。
  まず、2つの問題がありました。
  1つは、清渓川(チョンゲチョン)の話が既にありましたから、とにかく道路を橋の上からなくすために技術的にどういうトンネルを造ったらいいかという話。これは極めて技術的です。
  2番目は、清渓川の例あるいはシアトルの例でも、ただ道路を地下に入れるだけで済むの、という話が必ず出てくる。特に日本橋の細田一派、三越さんから言えば、道路下だけじゃなくて、もう少し日本橋の地域ブランドが上がることも考えてくれよという話が来る。
  この2つの話題を解かなきゃいけない、というのがありました。
  前の技術的な話は道路局です。僕はつくづく、道路局は優秀な技術屋集団だと思いました。しかし、幾ら優秀な技術屋集団でも、日本橋の地域ブランドを上げるにはどうしたらいいかというのは、餅は餅屋で、腰の落ちつかない建築屋のやつらに任せるしかしようがないという話が出てくる。
  道路局に話を上げました。今度参議院選に出ようという佐藤というのが事務次官で、これはかなり頭がグルグル回る男で、これは全省挙げてやることになりました。何故ならば、日本橋川は都の河川です。都の河川ですけれども、河川法の中ですから、河川局としては折角の機会に日本橋川を良くしたいというのがあります。それから道路でしょう。道路、河川と、国交省の一番の技術の牙城ですね。2つとも昔からあんまり仲良くない。最近は「あんまり」になりました。昔は決定的でした。
  それに、まちづくりだから都市局を入れよう。都市局だけじゃないぞ、最後は建物だから住宅局も入れようというので、結局4局が、我々がやる会議の時につき合うようになったんです。
  ですから、スタートから、中村英夫と相談して2つ委員会を作ろうというふうにしました。1つは道路委員会、それから2番目は市街地をよくする委員会を、2つ作ろう。道路委員会の方は中村英夫に頼んで、街を良くする方は横浜国立大学にいる小林重敬に頼んで、両方でやってもらったんです。

3.高速道路の撤去と地下化

 エピソードは、まだありまして、物事すべてスタートから始まりますね。小泉総理は日本橋川を良くしてくれという非常に政治的、抽象的なことです。具体的内容、成果はお前たちが作れでしょう。そうすると、必ず新聞は待ち構えているわけですよ。特に朝日は。今でも小泉は東京大振興ということで地方を無視しているのに、国民の重要な血税を1カ所の大都市の、またもや日本橋に何千億という金を投入するのかという予定原稿ぐらい書いているに違いない。もう見え見えです。それからテレ朝。大体この筋です。
  それなら、そういう作戦に乗っかる路線はやめようと思いまして、考え直しました。日本橋川の橋をどこかに持っていくのも、根本的に考え直していいんじゃないかという内に清渓川を思い出したんです。清渓川は、皆様ご存じのように、盲腸線ですね。輪っかの中に盲腸線でヒュッと出ている。輪っかができたから、盲腸線を取っ払ったんです。高速道路を入れてないんです。
  思い出しましてね。それなら、スタートでは、無理筋だけど、この案も考えてみようというので、竹橋で高速道路を切り落とす。そして箱崎で上げる。間は平面道路に落としてしまう。高速道路の真ん中がないんです。日本橋川の北と南に細い道路がありますが、道路の北側は竹橋から箱崎行きの一方通行の道路と首都高速。日本橋川の南側は、埋める、という案、あるいは平面そのものを使ってしまえという案。永代通りは、戦後造った幅が広い立派な重要な通りですが、永代通りの下に首都高速を持っていってしまえという案とか、初めはいろいろな案を考えたんです。
  その途中で、僕は総理と何回か会っているんです。タイミングの良い時に、たまたまこのメモを出したらいいなというので、切り落とし案を総理に見せた。総理はけちですから、安い方がいいに決まっているじゃないか。少しぐらい無理したって、どうせ車に乗っているやつは金を持って威張った顔して通っているんだから、5〜6分交通渋滞に巻き込まれたっていいじゃないかという感じなんです。「いいな。これも検討しろ」という話になっちゃいまして、早速、道路局に行きましたら、道路局が大騒ぎです。役人から見れば、首都高速の真ん中で平面街路に落として、料金体系どういうふうにするんだ、となる。そんなの、10年ぐらい先の話ですから、コンピューターコントロールで途中無料でも箱崎で乗れば首都高の有料道路700円で行けるなんて幾らでもできますよね。
  問題は、その後出て、やっぱり建築屋というのは土木屋の本当のプロにはかなわないと思いましたが、一番の問題は何かというと、明確なんです。東京での車の流れは南北なんです。鉄道もそうですよ。上野から東京までの線がJRで一番重要な線で、中央線とか総武線は二の次、三の次なんです。南北に人、物が動く。ですから、道路も南北に銀座通り、中央通りです。南北に動くことが優先なんです。昭和通り、中央通り、外堀通りのある日本橋の交差点の信号サイクルだって、中央通りの信号が4分の3で、東西が4分の1ぐらいじゃないですか。そこへ、東西に首都高速が来るでしょう。おまけに、交差点間隔が短い所で100メートルぐらいしかない。チャンチャカチャンチャカ落としていくと、何が起きるか。「伊藤さん、わかりますか」。「あっ」と思いました。
  一番僕が忘れていたのは、まさに東京の交通は南北が交通体系、信号優先だということだった。それさえ頭にちょっと入っていれば、僕はそんな提案を総理にしなかった。そこがやっぱり土木屋と建築屋の違いなんですね。土木屋は予めそれがわかっている。建築屋はいいかげんですから、適当な図面を描いて、さもできそうなことやるでしょう。僕は、その術中に、自らはまっちゃったんです。土木屋はジワジワと僕に説明した。この交差点で渋滞をしたら、この交差点渋滞はずっと竹橋から赤坂見附の地下道の三叉路まで来て、その結果、中央環状全体が大渋滞になる。はっきりしていますよと言うんです。
  具体的にどこか、と僕が問い詰めた。これも仕事している人は違うと思ったのは、横羽線の川崎から蒲田、羽田では、トラックは、普通羽田に行かないで、羽田に行く手前で降りる。何故かと言うと、羽田から700円とられるんです。川崎の方まで600円ぐらいでしょう。トラックは全部あそこで降りちゃう。横羽線はそこで大渋滞をやっているんです。日常茶飯事なんです。知る人ぞ知る。それの2倍、3倍長い渋滞が起きますよと言われたら、これはしようがない。
  ですが、初めですから、一応朝日の連中に「お前、何考えている」と言われた時、彼らが想像もつかないようなことを、ちゃんと自分の頭の中に入れてから仕事をしなきゃいけないので、そこの準備はやったんです。
  次に出てくる問題は、先程言った小林部会と中村部会。中村部会の方はいろんな線形を作って、非常に実務的。小林部会の方は街をどうするか大変難しい話です。
  結局、僕はその2つの部会があって良かったと思います。何故なら、最終報告書ではこういうふうになりました。日本橋川を良くよくするためには、首都高速道路を撤去するということは皆さんご存じのように当然ですが、その前にやることがある。それは、日本橋川に沿って建っている細長いビルがございますね。あのビルを取っ払う。だけど、宅地のままでは、道路がそこの宅地を買わない。そこで、そこに区分地上権的なものを設定して、容積100%ぐらいは残す。残りの500〜600%は周りの建物の上に移すという容積移転をする。実際は、物すごく難しいんです。法律的にも、実務的にも。しかし、概念としての話です。
  何で100%残すかというと、そこはどうせ川に近い所だから、カフェとか日本橋だんごを売りたい。帯締めみたいなものを売る、レトロチックな品物を売る、そういうのがないと、単なる公園では、お客さんは楽しくない。そういうお店屋さんを並べる。できるなら軽い建物、鉄骨でいいですよ。コンクリートにしないで下さい。ガラスの日本風なデザインで、そういう店を並べる。基本的には、そこは緑地であって、そこにしゃれたお店屋さんが点々と並ぶ。そういうふうにして、本番の事務所の床面積はどこか後ろに移してしまえ、ということです。
  その空いた宅地の下に道路を入れれば、道路のために宅地を買わないで良いわけです。普通は宅地を道路屋は買って、そこを道路敷きにして、公有地にして、道路を入れるわけですね。それをやらない。だから、用地取得費は極めて安くなる。そういう筋道を立てました。
  ですから、この報告書は、非常に面白いことに、初めは道路屋がやると言ったんですけれども、第2の課題の日本橋ブランドを上げるためにどうしたらいいかということとも繋がってくる。日本橋の両側に緑道的なものを造って、そこをみんなが楽しめるようにして、その下に道路を入れるというふうにすれば用地取得費は少なくなる。そのために何をすればいいかというのは、まず民間の、いい意味での容積移転を含む再開発が進まない限りは公共事業は入りませんよ、というのが、後で紹介する「はじめに」の言葉になったんです。なるほど、俺たちのやったことはそういうことなんだな、と再確認する作業がこの文章の「はじめに」になるんです。
  ですから、業種で言えば、土木屋は建築屋のお手並みを冷ややかに見ていればいいんです。何でやらないんだと言ったら、建築屋がやれないから待っているんですよ。ちゃんと建築屋がやってくれれば、いつでも私たち土木屋は入っていきますよ。その矢面は多分住宅局なんです。住宅局は実は大変なんです。
  それによって、一等初め、新聞論調は、2キロメートルですから、どこかで必ず土木屋さんたちが普通の用地取得をして道路を入れる。2キロメートルでもあんなに高い所だから、現行相場の2倍半から3倍ぐらいかかりますよというもので、5000億円という数字が出る。
  そういうのは新聞に必ず載りますね。だから、世の中で、あの仕事が始まった当初に5000億もの巨額の金を、たかだか日本橋に入れていいのかという論調が出ました。新聞屋はみんなそういうふうに書きたい。特に社会部の連中は。そこの中に部分的に少数派の日経とか読売は、折角だから、日本橋いいじゃないか、少しぐらい金がかかってもと、書いたかもしれません。だけど、朝日とかは、そんな金使っていいかねと言う方で、そういう意味で5000億円という数字が出たんです。
  話は飛びますけれども、最終報告しても、実は私たちのからくりである、容積移転を伴って民間宅地をそのままにして、そこに区分地上権を道路に使わせて買収費をほとんどゼロに近くするということは、今もって新聞記者はわからないです。正確に理解できていない。
  何回か、読売の若いお嬢さんの編集委員が僕の所に取材に来て説明しましたけれども、十分にわかってないですね。有能な女性の偉い編集委員です。何が何だかよくわからない。だから、あの報告書の出た後の新聞というのは、小泉さんが辞めるというトピックスの方が面白かったこともあり、相対的にこの日本橋プロジェクトというのは影が薄くなったせいもありますけれども、こんな金を使って一部のおごれる金持ちの三井不動産、三越、その他日本橋の旦那衆に特定の利益を与えるとは何事かという記事が出てないんです。
  そういうことを前提にしながら、どれぐらいの金がかかったか。道路の形なんかどうでもいい、皆さんの関心のあるのは金でしょう。
  この話を申しますと、前提があります。これは、我々ちょっと調べた。ホームページに出ているのを発見したんですが、中央環状、もう直、完成に近づいていますね。新宿にランプができている。中央環状の道路工事費がどれぐらいか。あれは、10キロメートルで、用地取得費を入れて1兆円です。キロメートル1000億円。大深度の深い工事もやっていますし、工場街の所は大深度からぐっと上に上がって、物凄く奇妙きてれつな三叉路の交差点。もっと凄いのは大橋ですよ。大橋のロータリーつきの東名につながる首都高3号線、ああいう複雑な工事を入れて10キロメートルで1兆円です。
  その内、用地取得費が3000億円です。これは、環八沿いの用地を首都高速のために買うとか換気口の土地が結構ある。そういう意味で3000億円。直接工事費は10キロメートルで7000億円です。キロメートル700億円ですね。これを調べました。
  この例でいきますと、どういうことかと言うと、土地と工事費は7:3です。これは中央環状でしょう。土地の値段は日本橋に比べて相対的に安いですよね。中央環状の所の坪当たり単価は大盤振る舞いしたって、多分400万円とか500万円でしょう。ところが、日本橋の方は坪2000万円とか3000万円ですから、そこで用地を買ったら大変なことになる。ですから、総事業費の中で占める用地費は、中央環状は3割ですけれども、日本橋でやる場合、総事業費の中の用地費は4割とか5割になります。
  ですから、非常に面白い勘定ができまして、総事業費が仮に5000億円とします。2キロメートルで5000億円。竹橋からJRの線路までが1キロメートルです。日本銀行の常磐橋公園の所。常磐橋公園から江戸橋のちょっと過ぎた所まで1キロメートル。1キロ1キロで2キロメートルです。2キロで5000億円とします。新聞が言っているように、6000億円としましょうか。もしここを道路で買うとしたら、6000億円のうち土地代が多分3000億円以上かかります。6000億円から3000億円引きますと、3000億円。2キロメートルで3000億円だとキロ1500億円。中央環状はキロ700億円です。まだ中央環状の倍以上高いんです。それなりの複雑な工事がありますから、高い。
  しかし、もう1つ面白い工夫があったんです。それは何かと言いますと、これも後で図面で出てきますけれども、実はオリンピックの時に、あの道路はできました。昭和40年にしましょう。今が昭和80年と思って下さい。82年なんですが、40年間にあの首都高速道路はトラックが走り、乗用車が走り、消防車が走り、あらゆる種類の車が入って来る。砂利トラも入って来る。首都高速道路公団は、10トン換算のトラックで、どの路線が一番交通量が多いかというのを調査した。そうすると、10トン換算のトラックで、首都高速道路で一番激しい交通量が出ているのが竹橋から箱崎間なんです。特に江戸橋周辺。40年間で10トントラック換算で8000万回繰り返し荷重がずっと通っている。
  もう1つ重要なことは、現場を調べましたら、やっぱりちょっと鉄骨が傷んでいる。これは中村英夫が一生懸命自分で桁の中まで入って、これはやられているなと。腐食なんです。鉄も40年前の鉄ですから、今より溶接技術も良くない。
  問題は、思わぬことがありまして、これから25年経つと地震が起きる確率は東京で7割です。マグニチュード7.3。震度は、東京都心で6強の地震が起きる確率が70%を超えます。正確に言うと関東地方のどこかなんですけど。地震学者は、関東地方の一番あり得る場所は新木場のすぐ南に震源地があると言うんです。地下30キロメートルぐらいの所で地殻構造の表面で、上の岩盤と下の岩盤がスリップする。それで起きる地震が、2030年に70%の確率。2020年に50%を超えます。
  そうすると、首都高速をいつやって、いつ完成するかというのは問題ですよね。いろんなことが絡んでいまして、2020年というのは、今から15年先でしょう。これから15年経つと関東地方で起きる地震の確率が2分の1を超えるという時に、たまたま石原慎太郎は2016年にオリンピックをやりたいと言っています。恐らく、1回目は失敗するだろう。応募を必ず2回ぐらいやるに違いない。4年後ですから、2020年がオリンピックですよ。その時に、たまたま地震の確率が2分の1を超えますから、一体、このさばきを都知事はどうするのか。お祭が最大の政治的眼目か。朝日新聞社会部的に言うと、都民の命を犠牲にしてまでお祭をやるか、という話になるんですね。僕もリアリティーはないんですけど、地震学者はそういうふうに言っているんです。
  問題は、このプロジェクトがいつ本当に動くかということなんです。政治家も、この日本橋を変える工事は、具体的にどういう動きになるかわかってないんですね。石原慎太郎が日本橋の高架橋を付け替えて地下に埋めるというのを聞いた時には、ちょうど僕が小泉さんに言ったと同じように、竹橋で高速道路をぶった切って箱崎で上げる。これは、交通渋滞でオリンピックどころの騒ぎじゃないです。「そんな道路計画を誰がするんだ。伊藤か。また伊藤はとんでもないことをやる」。その程度にしか政治家は考えてない。
  慎太郎の所には、直接の担当者は行ってない。小泉プロジェクトですから、国交省とか我々は、ちゃんとわかっている。それから外野の関心の高い三越とか、ああいうのはわかっているわけですけれども、東京都は別なんです。そこへ恐れながらと具申するのは、間接的な役人とか副知事かわからないが、取り巻きが行くわけでしょう。そうすると、今言ったような複雑な話はわからないんですよ。都知事の頭の中にも、依然として小泉がやろうとした日本橋川の上空をぶった切るのは、単純に高速道路を壊しちゃって、竹橋で降ろして箱崎で上げる、それしかないはずです。そしたら、オリンピックどころの話じゃないですね。誤解の上に、絶対にオリンピックまでには、そういうことをやらせるなという話になるんです。
  慎太郎は、中央環状と外郭環状道路ができるまでは日本橋はやるなと言う。それが今の姿勢です。これは、ある意味で正論かもしれません。清渓川も真ん中の輪ができるまでは、清渓川の盲腸線をいじらなかった。中央環状の3号線の大橋までは2〜3年、来年ぐらいに新宿ができる。役人が2〜3年と言うと5〜6年ですから、後5年ぐらいかかるでしょう。
  ですが、大橋から中央環状が一応北の上まで上がって行って、外環に繋がるまでできれば、今の竹橋―箱崎間の交通量がかなり少なくなるはずです。少なくとも中央環状ができるまでは、私たちもこれは手を着けない方がいいでしょう。
  工事してどれぐらいかかるかというと、先程言ったように工事に土木屋はすぐ着工できないんですよ。基本線は、民有地の下に区分地上権を設定してやるということですから、あの2キロメートルの日本橋川の両側の再開発どうするかといったら、これは大変なことです。うかうかすると15年や20年はかかる。今から15年というと西暦2020年です。20年かかるというと、今が2005年としましょう、2025年、東京オリンピックの第2の話が出る頃ですね。
  それから、先程言った首都高速の10トントラック換算の8000万回が、相変わらず走っていますから、1億回を超えるはずです。そうしますと、毎回毎回チェックしていけば必ず亀裂とか錆びが進行する。ガス管と同じ話ですよ。震度6強でなくても、震度6弱ぐらいの地震、マグニチュード6.5ぐらいの地震は、2年に1回東京周辺で起きているんです。たまたま東京直下ではなく、伊豆で起きたとか、千葉で起きただけです。今日は大変揺れたなというので、震度4ぐらい行っている。マグニチュード5ぐらいだって、何回かやればクラックが入りますよ。1億回も通れば、6弱になれば絶対クラックが入るというぐらいになっちゃうんですね。
  もう1つ、ある状況になりますと、橋梁維持の構造の生命力がもたない。だから、橋が上であろうと下であろうと、緊急に取り替えなければならないという説明が、土木屋さんから出てくると思うんです。
  これは、何も土木屋だけが特殊事情じゃないんです。実は建築屋は、もうしょっちゅうやっている。十分に使えるビルを壊して建て替えているでしょう。ところが、十分に使える建物というのは、我々が昔の昭和30年代、40年代の普通の事務をとるという点では十分に使えるんですけど、やっぱりコンピューター時代になると、コンピューターの電力って大変ですよ。設備系ですね。設備が縦シャフトに入らないでしょう。昭和40年代の縦シャフトは、物凄く細いんです。あそこへ電力線と一緒に光ファイバーを入れるのは危ない。絶対これは別にします。縦シャフトを直さなければいけない。設備系を直さなければいけないとなったら、ドンガラを壊してしまうのは、ビルでいえば総工事費のせいぜい3割ぐらいでしょう。建築屋はしょっちゅう古いビルを建て直しているんですよ。
  建築屋だけがやって、土木屋がやらないという手はない。土木屋も同じことがあるんです。それが実は21世紀の大都市のリノベーションということです。リノベーションというのはそういうことなんですね。
  それに、どれぐらいの金がかかるのか。2キロメートルで1000億円かかるんです。さっきの2キロメートル3000億円から1000億円を引く。だって、このままで四の五のして、周りの地権者が動かなくて20年経ったら、道路屋はしびれを切らしますよ。「わかった。もう現状維持で、そのまま架構構造物を造り替える」と絶対言いますよ。ますます大変なことになります。片側をブロックして、片側だけを行き違いの1車線ずつの高速道路にして直すとか。1000億円かかる。すると2000億円でしょう。2キロメートルですから、キロ1000億円です。
  そうすると、先程言った中央環状のキロ700億円の大体1.5倍から2倍ぐらいになります。
  こうなると、皆さんどう考えるでしょうか。初め5000億円あるいは6000億円と言っていたけれども、それをきちっと整理をして行くと、最終的に2キロメートルで3000億円ぐらいまでいけそうだ。それに土建屋だって、ばかじゃないですから、工程管理、材料の革新などの技術改良をどんどんやっています。ですから、現在3000億円と言っていたって、10年後には2500億円になるかもしれないし、20年後には2000億円に近くなるかもしれない。そういうことを入れていきますと、もっともらしい数字になるんですね。それから先程の鉄骨構造架け替えの数字なんて、ちょっとしたレトリック、もしかすると、まゆつばで「本当かな」と思うかもしれませんけれども、一応そういうものを入れた話はもっともらしく聞こえるでしょう。そういうストーリーでまとめました。
  ですが、このストーリーには非常に危険な存在があります。これはどういうことか。報告書は、日本橋の高速道路架け替えは公がやるのではなくて、民間がやるんだとなっているんです。民間が、果たしてやれるかということです。民間は勝手なこと、もっともらしいことを言うけれども、本当にやれるかと土壇場に追い込むと多分できないんですよ。民間は最後になると、必ず公に頼むよということになる。これが日本人社会です。そういうストーリーがこの報告書の中に入っています。

4.日本橋川周辺再開発

 ただ、それじゃ、ちょっと投げやりなんで、落とし前は、民民でどうやるかという話なんです。これからは全く僕の独断です。
  例えば、東レは今三井不動産が建て替えていますね。東レの容積を倍にしましょう。だから、あそこだけは250メートルの高さにする。1200〜1300%いく。そこに早手回しに日本橋川沿いに薄っぺらなビルがありますね。箱崎近くもそういうのがあるんです。江戸橋から箱崎の間の日本橋川沿いなんて、余り皆さんご存じないと思いますが、あそこにどうしようもない薄黒いオンボロビルがズラッと並んでいるんです。そこは道路を造るのにちょうどいい場所なんですね。江戸橋から箱崎です。
  そういうところの家賃は坪5000円か6000円ですよ。お客さんもあんまり来ない日陰です。それを東レの上に乗っけた途端に坪単価3万円から4万円に軽くなります。お客さんもいい客がつきます。
  だから、東レの建物をこの際2倍にして、そのお客さんたちに「こっちに来ませんか。区分地上権で、とりあえず道路のつけ替えの時には、そこへ道路を入れるという契約だけして、空けておいてください。そこの容積は全部東レの所に持っていきます」と誘います。結果として250メートルになるけど、ロンドンのことを考えればいいでしょう。ロンドンは、既成市街地の中に相当高いのが建っていますね。そういう話になります。これが1番目。
  三井は中央区側、常磐橋から江戸橋まで受け持つ。そこに三井不動産がどこかでそういう人達を受け入れる土地があるかというと、難しいんですが、1つだけ、中央区役所としては、今言った坪当たり単価家賃が7000〜8000円ぐらいの、零細事務所ビルを坪当たり単価が少なくとも3万円はする八重洲の再開発に持っていきたいと言うんです。
  三井と鹿島建設が、八重洲の東京駅の両側に大きいビルを建てているでしょう。あれよりもうちょっと大きいビルを八重洲に造ることができれば、そこに日本橋川の鉛筆ビルの塊を持っていってみんなハッピーだと言うんですが、実は八重洲の北口は零細地権者がいっぱいいます。こういうのを解くのにはどこが向いているかな。森ビルでももってくれば解きますね。しつこい体質ですから。非常に軽やかな仕事をする三井不動産や三菱地所には向かないですね。
  もう1つ運が悪いのは、あそこに東京建物の本社があるんです。
  八重洲の前に大きいビルを建てる。かつて丸の内で三菱地所がパカパカ調子よく建てているものですから、僕は頭に来た。また千代田区はお品のいい区なので、皇居に面する所は200メートル以上の高さにしちゃいけないなんて言っているでしょう。お堀端に面しては100メーター。その後ろで150、200と上げて200メートルを超えてはならない。大体千代田区というのは武家の屋敷だった。中央区は町人の町だった。ちょうど中央区と千代田区の境界線が例の八重洲の駅前なんです。僕は10年以上前に、後ろに360メートルの建物を建てろと言ったことがあるんです。三菱地所村の200メートルとか150の日本の大資本を見おろして、やる時はやるぞという魂を持てと言ったんですが、やっぱり町人は町人ですね。自分の金で損するようなビジネスをやらないですよ。
  ですが、中央区役所なんかは八重洲で1つ可能性があると考えていますね。まだ八重洲は北口より南口の方がいいです。南口で300メートルぐらいのビルを建てれば、そこに常磐橋公園から江戸橋の東側の北側1列ぐらいの民地の皆さんは、容積移転で移して、十分に儲けさせることができる。
  千代田区側はどうするか。ついでに言いますと、一等初めに、この話は日本橋から始まったんです。日本橋はどこかと言うと江戸橋から日本銀行の前までです。1キロメートル弱です。そこでずっと中村英夫も、三越も、三井不動産も、細田・榮太楼のあめ屋さんも仕事をしていたんです。まさに日本橋の両側400メートルぐらいで仕事をしていた。
  それを小泉さんに言った時に、僕は竹橋から倍にしろと言ったんです。これは僕の押しつけなんです。実は、三菱地所とか大手町の役所的な企業は、日本橋川の後ろの高速道路がどうなるかなんてほとんど関心がないですよ。千代田区役所も中央区より温度差が低いのが、実態です。それを強引にやっちゃったんですよ。だから、今でも熱心なのは、細田の榮太楼あめと三越の井上さんと三井不動産の一連の連中と首都高速の連中。
  だけど、仕事のしやすさは千代田区の方がうまくいくんですよ。何故ならば、この間大手町の官庁街を日経新聞と経団連と農協に売った。あの場所の容積は、多分800%ぐらいだったんです。区画整理と称しまして、今郵政の建物を潰した所まで、ずっと川っぷちに、11メートルの道路を造る。皆さんの地所を、区画整理で道路にすることを都市計画決定しました。あそこの経団連も日経新聞も大手町の東京国税局や気象庁の建っている所も土地は、2割ほど減るんです。それの見返りで11メートルの道路ができた。容積が、あそこは1000%ぐらいが1430%になったんです。だから、経団連も日経も土地を買う時の値段はベースの800%か900%じゃなくて1430%で買っているから大変高い金で買っている。それだけ国が儲けました。僕は今、その儲ける張本人の仕事をしているんです。
  そこには東京国税局と気象庁があって、そこの容積は足しても400%いかない。せいぜい300%ぐらいです。仮にあそこが民有地になれば、大変なことです。それの見返りで、都市計画道路を日本橋川の南岸に11メートルの幅員でとってある。その地下に首都高速をダブルで上下、地下鉄でもありますね、上り線と下り線ダブル。ダブルで入れれば、スポンと入っちゃうんです。これは道路下の仕事ですから、官官でやりますから、仕事は簡単です。おまけに土地買収もとらない。そういうことで、竹橋から常磐橋ぐらいまで行けるんです。問題は日本橋です。
  もう1つ、日本橋でも、オカモトゴムという丸っこい会社があるでしょう。昔の河岸の所に、キッコーマン、JAとかあるんです。それを取りますと、どちらかというと、大手町の方が川の雰囲気が暗い。日本橋の方が明るいんです。不思議ですね。日本橋の方は明るくすれば物凄く良くなります。僕は千代田区に良くしろ、と言ったんだけど、実際できた図面を見ますと、大手町の方は暗いんです。でも、暗くても、今言ったキッコーマンからJAとかオカモトゴムの辺をきれいにすると、物凄くよくなります。そこへ、場合によっては高速道路を入れてもいいんです。
  そこの連中をどこに移すか。これは容積移転です。その場所について、相当危険なことをこれから言います。三菱地所の人は耳を塞いでいて下さい。僕は日本ビルを必ず建て替えると思うんです。大手町ビルは、三菱地所のトラの子ですから、汚れた使い方をしない。しかし、日本ビルは中央区側でしょう。あそこは大手町なんです。おまけに下水道局を持っているんです。もう1つ東京電力も入っている。ですから、地所にとって日本ビルは純粋に地所の土地じゃなくて、混成所なんです。建て替える時に、あそこを300メートルぐらいのビルにしたって周りから文句言われないですよ。北側は日本銀行しかないんです。それから常磐公園でしょう。

5.今後の動向

 言いたいことはいろいろあります。東京で、これから超高層が一体どういう形ででき上がってくるかということに、こういう非常に大きい国家的プロジェクトを絡ませて、世の中の人が高い高いと言うものを、そう高くない新しい技法を造った時には、結果として東京に造られる超高層ビルは杓子定規に200メートルで抑えろと言ったって、できっこない。民民の力でやるんですから。場所によっては250メートルとか300メートルのビルが建ってもしようがない。それが東京の必然なんですね。
  だから、東京の中心部はマンハッタン化しているんです。まだまだ、これからマンハッタン化が続くんです。そういうような場所だということです。
  こういう難問がありまして大変なんですよ。
(図1)
  ここで、「はじめに」に、「従来の都市再開発手法より一歩進んだPublic−Private Partnershipの事業である。こうした新しい事業手法を実現可能とするため、川沿いの市街地の容積を広域にわたり移転しなけばならない」と書いてある。そういう点で、「この事業は民間と公共の密接な協力なしには成立しえない」。これは僕が書いた文章なんですが、何で民間を先に書いたかと言うと、民間が先にやらないと公共は動かないということです。
(図2)
  これができ上がった姿です。ここは帝国製麻という非常にしゃれた赤レンガの4階建ての建物がありました。皆さんご存じないでしょう。今残っていれば絶対に文化財ですよ。すごくしゃれていた。それを無情にも、ここの地主は潰して、つまらない建物が建っています。ですが、失くなったから、それを取り払って、ここのビルを全部なくして、ブラブラ散歩する道にする。ここにガラス張りの建物があるでしょう。これがだんご屋とか帯締め屋、お茶屋さん。そういうのが並ぶんです。そこへ行ってどうぞ楽しんで下さい。両側の建物はなくして、これが容積移転なら、こういうものが建ちますよということです。ここに将来ワーッと言うような、でかい建物が建つかもしれない。これ見ると、政治家は喜ぶんです。日本橋はこういうふうにするのか、是非やってくれと言うんです。
  三井不動産の絵姿は、これは別な姿なんです。総理に出す図面の最終版でした。
(図3)
  これです。ここで軸重10トン以上の車が通ったとした時の、換算軸数マップです。要するに全部10トントラックが通ったとした時に、造って以来7000万回以上走っているのが竹橋から江戸橋まで。それに比べると浜崎橋は非常に少ないでしょう。ここに物凄い負荷がかかっているんです。物すごく大事なことです。
(図4)
  これが、主げた切り替え部に発生した亀裂、神田橋です。「海外でも築後40年前後で過去の高速道路の抜本的な対策を実施している例が多い」。首都高速も40年以上経っているのはここです。羽田からずっと回って最後は代々木まで行く、この道路を初めに造ったんです。これは物凄く大事な写真です。
(図5)
  案は一等初め5つ作りました。さっき言ったのは撤去。撤去して後は街路に任せる。コストは最も安い。しかし、取っただけではオープンスペースの確保はできない。問題は周辺街路が大渋滞して、その影響が首都高速道路、環状線にまで及ぶこと。こんな馬鹿なことを考えるのは何事だ、と僕に詰め寄った。でも、一応撤去も考えました。
  それから高架も考えた。これは逆に、土木屋が建築を知らないでやると珍奇なことをやる。建物の中を通す高架でどうなるかと簡単に言うと、ここはオフィスビルなんかできるわけないですね。真ん中の2階、3階全部を高速道路に明け渡すわけですから、エレベーターの縦シャフトも何もなくてできない。これは、土木屋が建築のことを考えない珍奇な案で、最初のは建築屋が土木のことを考えていない、珍奇な案です。
  こういうバリエーションが街路拡幅です。都市計画の実力から言って、こんなことできっこない。結局、地下化案がいいぞというところに落ちついたんです。
(図6)
  これはどこかというと、日本橋川の大手町側です。大手町側の11メートルの今、都市計画決定している道路ですね。政策投資銀行の後ろとか、国民金融公庫の後ろを通っている。そこは今の計画では占用歩道になっています。歩専(歩行者専用)になっているんです。歩専だから、歩専のところにはちょっとした軽いお茶でも飲むようなものを造ってもいいんじゃないかという感じです。そこの下に高速道路を通す。ビルが建っちゃうと暗いでしょう。やっぱり日本橋川の絵の方がずっといいですね。
(図7)
  今日は、これを20分ぐらいかけて細かく説明するはずだったんですけれども、説明する時間がありません。今の案は、竹橋の所から気象庁、東京国税局の所までは高架で来て、政策投資銀行の手前から地下へ潜って、日本橋川の南を通って、一石橋という日本銀行と東洋経済と昔の東京銀行の所で北側へ渡って、ここの細いビルを潰して、話をした例の帝国製麻を潰して、ずっと行って、江戸橋からこっちに行くという案が、いろいろ役人たちと甲論乙駁した、一応の基準案です。地下へ入る所は、6%勾配でずっと下がっていきます。
  ミソは、地下鉄銀座線の上を通ります、丸ノ内線の上を通ります。物凄く浅い高速道路です。3年ぐらい前、日本橋川の改築というので、競技設計を募りましたら、浅い案は1等でなくて2等になったんです。2等になった案をもう一度検討してこれでいこうというので、浅い案で通っております。技術的には非常に難しい。
  しかし、深くすると、6%勾配でずっと下がっていくでしょう、また上がるでしょう。大変暗い暗い道路になる。換気塔も大変です。浅い案だと、丸ノ内線と日本橋川の水面との差が6メートルぐらいです。
(図8)
  首都高速道路移設事業費が約4000億円から5000億円かかると書いてあります。そのうち、「街の高質化に伴い、地域が受ける受益の一定割合を還元」、役人が書くとこういうふうになる。容積移転で地元がこれだけ負担していいよ、というのがとりあえず2000億円ぐらいありそうだ。
  2番目、設計施工の段階でさまざまな工夫でコスト削減。これが大体500億円ぐらいだろうと思います。大成建設とか大林組の土木部隊が将来いろいろ工夫して、儲けを大きくするために事業費をうまく節約するという技術開発。
  3番目、いずれ必要とされる首都高速道路の大規模再構築費。先程言った7000万回も通っている所は必ず直さなきゃいけないんだから、それが1000億円はかかる。差し引きますと、3000億円から500億円です。ですから、追加で必要となる事業費は1000億円から2000億円。5000億円、6000億円かかると新聞は書いているけれども、道路をよくするために本当に皆さんにお願いしなきゃいけない国民の税金を使うのは1000億円から2000億円ですよ、ということです。これは新聞記者にわからないですよ。
  あと、まだ言っておりませんけど、実は河川局の問題がありまして、これが非常に複雑なんです。河川法に基づいて、日本橋川を直さなきゃいけないんですが、あそこは東京都の河川です。ですが、河川局はこの際、ここを将来の河川として素晴しいモデルの川にしたいと言うので、水質浄化を徹底的にやりたいと言うんです。
  日本橋川の水質を、日建設計の建物の横ぐらいに水質浄化装置を入れた地下の施設を造って、一生懸命きれいにして、それを大塚商会のところを通って、竹橋を通って、日本橋に流して、おまけに日本橋川の川も砂利敷きか何かにして、水が透けて底が見えて、アユが釣れる。それぐらいの場所にしたい、と河川局は意気込んでいる。その金は別途にかかります。
  ですが、技術屋にとっては素晴しい21世紀のモデル事業になれると言うので、道路局だけじゃなくて河川もやりたいんです。ですが、癌は東京都の河川であって、国の河川でないところ。石原知事の決定権が入っていますから、物凄く複雑です。
(図9)
  片一方で、再開発でこの地域どれくらい儲かるのかと言うと、約20年間で民間は売り上げが1兆円から1兆5000億円ぐらい伸びると言うんです。榮太楼の儲けは倍。三越の儲けも倍。三井不動産の儲けも3倍。観光客は年間1000万人ぐらいここに来る。ディズニーランドに匹敵するお客さんが集まる。ホテルも潤う。そういうことを勘定すると、20年間で1兆から1兆5000億です。だから、この効果というのは物凄いものだと勘定したんです。
  土木屋はこういうふうに考える。地域全体の高質化のために追加で必要となる事業費は1000億円から2000億円。1000億円から2000億円というのは大きいと思うけれども、実は10年プロジェクトと仮定すると、年間事業費は年間100億円から200億円だ。片一方で、今度の本四公団の赤字処理で年間4000か5000億円の金をつぎ込んだのが大体完済したので、これから4000〜5000億円余るわけでしょう。これが政治の目玉になっている。
  200億円と言ったら、4000〜5000億円のたかだか5%ぐらいだから、これを10年やればできるんだから、何も4000億円、5000億円で目くじらをたてることはないよという含みを土木屋というのはきちっと入れているんです。なかなか見上げたものですね。
(図10)
  その都市開発プロジェクトの便益というのがここに出ています。日本橋がよくなると来訪者が来て、満足感でどんどん金離れして、25年間で3000億円ぐらい入る。泊まって消費するので1兆円ぐらいある。不動産価値が向上してこれも1兆円ぐらい。だから、とにかくトータルすると3兆円や4兆円の経済的便益は幾らでもある。
  ただ、この勘定は、日本で勝手にやったんじゃなくて、シアトルでやった事業便益費にきちっとなぞらえてやっている。参考に、シアトルではどうしたかという金勘定が入っているんです。だから、勝手にやったんじゃなくて、「例えば、米国のシアトルでは、臨海部再生計画として、高架道路を地下化し、都市再生を行うプロジェクトが進行中。当該事業のフィージビリティスタディにおいて、同様の効果算定を行い、地域社会に与える便益についても試算を行っている」。それと同じことをやった。アメリカさんがやったことと同じことだから納得するでしょう、こういう日本人一流の説明の仕方ですけど、日本人て、そういうもんですね。外国でやっているから日本でいいじゃないか。
(図11)
  これはちょっと参考で、三浦朱門委員と地元代表者との意見交換会。三浦委員は非常に熱心で、地元の人たちと勝手に三浦委員会を作っています。どういう日本橋にしましょうかね、という相談会を2〜3回やったんです。
  そこで出てきた話で一番重要なのは、世界に発信できる日本橋地域の文化、伝統。江戸の頃に花と咲いた江戸文化。江戸文化を、この際日本橋の周りでお店屋にして、広げていこう。
  おまけに日本橋は5街道の起点なんだから、それもちゃんとみんなに知ってもらうプレゼンテーションの仕方を考えよう。
  日本橋川の水辺空間。これはどういうことかと言うと、魚河岸は昔日本橋にあったんだそうです。江戸の終わり頃には1番にぎやかだったんだそうです。それだけ民間が川を使っていたんだから、もう一回水辺を民間に取り戻して、つまらないビルを並べないで、21世紀型の水辺のにぎわいを取り戻すことが、かつての魚河岸があった江戸の頃の日本橋と同じような考え方で行けるんじゃないか。
  この3つを提案したんです。
(図12)
  これは先程言った中央環状新宿線の事業費で、ホームページに出ています。約11キロメートルをトンネルでやってきますが、とにかく1兆500億円かかるうち用地補償費が3000億円。残り7000億円がトンネル部の工事で4100億円。地下のトンネル工事です。換気塔が結構かかる。1400億円。ジャンクション800億円。ランプが400億円。こういうのを積み上げていくと7000億円ぐらいかかって、用地補償費3000億円と合わせて1兆円。11キロメートルですから、大体話が合うんです。10キロメートルで1兆円として1000億円という話なんです。
(図13)
  これは「地区内の不動産価値向上の試算方法」、ヘドニック・アプローチ。経済屋さん1番好きなやり方です。これで、地価がどれくらい上がるかを算定をすると、地下へ潜った場合に親水河川の周りで、2キロメートルの土地の価格はトータルで6000億円ぐらい上昇する。オープンスペースがあるということで、その地域の商売上の利便性で1700億円ぐらい上がる。おまけに商業・業務空間が大きくなりますから、6000億円ぐらいの価値が建築物として生まれる。こんなことをやったんですね。
(図14)
  「おわりに」です。「はじめに」を僕が書いて「おわりに」は中村英夫が書きました。「はじめに」で僕は、事業は大変だぞというのを書いたんですけれども、中村英夫は堂々と、美しい都市空間を造ることこそ21世紀の日本の国際的な誇りであり、世界に示す日本の姿だということを書いているんです。
  「日本の都心の象徴とも言える日本橋地区の美しさと魅力の創出は、この地区に留まらず、未来へ向けて日本各地の都市再生への強い気運を促すに違いない」。堂々とした格調の高い文章ですね。
  僕の方はそうではなくて、金勘定を大事にしろということを書きました。彼は、「日本の首都の中心としての品格ある街づくり」をするんだと、金のことを1つも言ってない。(笑)ですが、終わりにしては大変いい言葉ですね。

6.海外の事例

 ソウルのチョンゲチョン
(図15)
  次に、清渓川(チョンゲチョン)。交通計画協会と書いてあります。国交省の都市計画課の西岡さんという人がこの作業のために、去年の夏に現場に行って詳細な調査をしてきました。
  その時の報告をもとにしたスライドです。
(図16)
  韓国4600万人。ソウル市は1000万人。清渓川復元事業はソウル市長の選挙の第1公約であって、これをやらないことには市長の価値はないと強烈に宣言して、強引にやったんだそうです。この強引にやるところが日本との違いですね。韓国は本当に激しく物事をやりますから。この市長は次の大統領選に出ていこうというぐらい頑張っている。苦学生です。苦節40年でソウル市長に当選した。町のお掃除屋さんの仕事を紹介したりいろいろやって、ようやっと私は市長になったんだ。その市長の第1公約は、ソウルを21世紀型都市の競争力を確保すること。だから、清渓川だというわけです。
  ところが、清渓川にはいろんな風説があります。裏の話。あの頃の韓国の土木工事というのは、とてつもないトラブルを起こしています。昭和40年代に造ったデパートが潰れたでしょう。漢江(ハンガン)の橋が落ちたでしょう。ですから、清渓川の上の道路も構造的に危ないんじゃないかという話が裏に流れているんです。事の真偽はわかりませんけれども。だから、大トラブルが起きる前に早く潰してしまえ。そうしないと、土木屋のメンツ丸つぶれだという話もあるんです。しかし、政治ではそういうことは一言も言ってない。
(図17)
  ソウル市長は、清渓川は、2005年までには蘇らせます、と2002年に宣言した。3年なんです。3年で清渓川を復元する。
(図18)
  それは市長が言った20の大重点課題の1つなんです。地域格差の解消とかバスを整理して使いやすいバスにするとか、いろいろあり、その中の1つがこれです。
(図19)
  さっき言った盲腸線です。これがリングです。日本で言えば中央環状と思って下さい。中央環状の中に、ここが江戸橋だと思って、江戸橋から銀座通りに向けて、運輸省で造った有料道路がありますね。数寄屋橋の商店の上を通っている。あれがこの道路。江戸橋から新橋までの、これを取ったと思って下さい。
(図20)
  撤去した周りには、実はちゃんとした道路があるんです。これが東京と違うんです。南側に既に6車線道路がある。片道3車線。こっちはもっと立派で片道4車線の通りがある。これが昭和通りでこれが中央通りと思って下さい。これは築地通りの築地の所の川の道路を取っても、この道路があるから何とかやりくりできるんです。これが日本橋川と違うんです。
  日本橋川ですと、永代通りが1つあるんですが、永代通り以外のもう1つこっちの通りはないんです。
(図21)
  これが取っ払う前です。
(図22)
  取っ払いました。こうなりました。ここは、物凄くきれいな散歩道になりました。そこの交通量はどこへ行ったかというと、基本的には両側の8車線と6車線の道路に割り振りました。しかし、先程言ったように、輪っか道路ができていますから、輪っか道路にもここを通っている車の2割ぐらいは移っています。
  それから、もう1つは、バスを物凄く良くしたんです。皆さんは乗用車を使わずに、バスを使って町中に来るようになったので、その分だけ乗用車が減ったんです。いろんな効果があって、一応落とし前がついていると言うんですが、西岡さんが現場に行ってみますと、夕方のラッシュは物凄く込むそうです。朝はいいんだそうです。輪っか道路の高速道路に交通量が移りましたから、高速道路の渋滞が非常に大きくなった分だけ、清渓川の影響はあると言うんです。
  朝はそれほどでもない。夕方が込むと言っていました。だから、きれいさっぱりこれがなくなったからと言って、すべてが満足しているんじゃなくて、やっぱり微妙なしわ寄せが輪っかの高速道路へ来ているということですね。
(図23)
  もう1つ重要なことは、清渓川の水をきれいにするのは、河川局が言っているのと同じで、漢江の水を1日12万トン上げて清渓川に給水しているんです。
  東京では隅田川の水を日本橋川に持っていくというプロジェクトなんです。これは東京は、なかなか難しいですね。
  地下鉄の湧水2.2万トン。これは自然に起きている。これは東京でもあります。有名な話は、東京駅の地下で水が溢れて、上野駅はたまりかねて、JR東日本は上野駅の枕木の下に鉄の塊を何万トンと入れて、上野駅の新幹線のコンクリートの箱が上に上がるのを押さえています。
  今、地下鉄13号線も、早稲田の近くで水がジャバジャバ出ています。だから、地下鉄13号線の出ている湧水を早稲田の土木や建築の連中は、神田川に流せばいいじゃないか。水がきれいになるぞ、そういう絵姿を描いたりしています。
  これは目に見えないプロジェクト。
(図24)
  下水溝を両側に造りました。その上をブラブラ散歩できる。ただ、この斜面がきついんです。日本橋川のミソは、この斜面が殆どない。もっと緩やかです。
  日本橋川ができれば清渓川よりよくなるんですよ。是非協力して下さいと言いたいところです。これよりはよくなる。残念ながら15年ぐらいは清渓川に日本は頭を下げざるを得ないというところです。
  ソウル市にとっては、この下水が物凄く効いています。これだけ大きい下水のトンネルを造ったんだから、どんな洪水が出てもこれで処理できるんです。
(図25)
  これは都市の土地利用屋が大好きな絵。僕みたいなのが描くので、こっちは都市らしく、ここは半分都市と自然。こっちは自然、こういう雰囲気を作る。ここは、少し魚でもあってもいいように自然らしく川をやった。ここは半自然と半都市だから、ちょっと花壇でも植える。都市はもう花壇もなし、コンクリートだけど、一応親水できるようにしよう。こういうデザインにしよう。これは清渓川の昔の名残りだけ残しておこうと言うんですね。
(図26)
  大事なことは、清渓川の首都高速をぶった切ると同時に、バス会社を整理した。話に聞きますと、今までバス会社はソウルの中で120社あった。120社の路線がお互いにオーバーラッピングして、競争して、無駄なところにも車が行って、本来必要な所のネットワークが作れない。それを4社に絞ったんだそうです。
  これで皆さん、バス路線を使って町中に来やすくなった。乗用車の交通量も減ったんだそうです。
  それから、無料シャトルバスを作った。韓国の中央バス専用レーンは日本よりずっと厳しいんだそうです。ここへ入ってきたら、アッという間にしょっぴかれる。
  とにかく韓国は規律があって、厳しい国です。日本みたいに自堕落でどうしようもない国じゃないということは、こういうプロジェクトの話なんかを聞くとわかりますね。やる時は徹底してやる。
  それから、まだ役人のいい意味での権威が浸透している。日本は、あっちこっちおもねって首を回して、最終的に愚鈍な庶民の言いなりに行くことが、政治家のやることでもやっているでしょう。こういう見事なことはできるわけないです。
(図27)
  これがバス交通システムの全面改訂。既存の複雑な路線をシンプルにした。バスの色は4種類。これが物凄く重要なんだそうです。
(図28)
  専用レーンの話です。これも厳しい専用レーンですね。
(図29)
  コンピューターコントロール。これは韓国の方が進んでいますね。
(図30)
  これが重要なんだそうです。アジアの都市ではどこでも、戦争が終わった直後に公有地を不法占拠しますね。だから、清渓川の周りでも不法占拠している公有地がかなりあったんだそうです。そういう所に部分的に道路を造ろうとか、ちょっとした広場を造ろうとか、いずれにせよ、不法占拠している連中をこの際、清渓川の道路工事と一緒に再整理しようということをこの市長は考えて、商業者を2通りに分けた。まず税金を納めている連中、税金を納めていない連中。
  これは日本ではどこかと言うと、渋谷駅の昔を思い出して下さい。ハチ公前広場。渋谷の駅は、韓国人と今のような組織やくざではない昔のやくざに、占領されていたんです。テキヤなんかが、いっぱいハチ公前に露天を出していました。それをどういうふうに整理するかと言うと、結果として地下に落としたんです。地下に東急百貨店のフードショーという店があるでしょう。その前に小間物屋みたいなものがいっぱい並んでいる。あそこへ落として40年ぐらい経っている。オリンピックの時ですから、代替わりもしています。あれは不法占拠の連中を現場で地下に配置して、殆どただ同然に使用したんです。新橋でもやっています。
  税金を納めていない、けしからんけれどお役所に貢献した者は期日までに移転。そこで商売してべらぼうに儲けているんだそうです。出て行かないやつは、有無を言わせず強制撤去する。こういうところが日本と違うんですね。ここが渋谷だったら、期日までにハチ公前広場の地下に移転ということです。
  損失補償は行わない、工事着手は決して延期しませんと言いながら、片一方で支援策として、一番重要なのは団地です。東京ですと儲かる団地ってどこですかね。例えば、JRの汐留操車場を東京都が持っていて、そこが空いていたとします。首都高速地下化に伴って、関係する商業権利者を汐留の所に移す。そういうことをきちっと約束をして入れちゃったんです。これは相当のことです。
  正規の商業は、これが一番豊かですね。家屋も持って土地も持っている人はちゃんと補償します。これは土地収用法に基づいて正規の補償をして、きちっと西欧的コントラクトで再開発をする場所へ移ってもらって商売を継続する。
  非常に見事な整理の仕方です。公約の通り3年間でやったというのが凄い。日本だったら30年かかります。そのうちグズグズになって、何が何だかわからなくなる。これは日本の大欠点です。時間がかかれば、責任がどこにあるかわからなくなるんです。役人は、責任をいいかげんにするののプロ中のプロですから。商業者は次から次へと理屈を考えて、金をせびり取ることしか考えない。時間が長くなるということは本当にろくなことないんです。それを見事に3年で解決した。
(図31)
  露天商への処置です。言うことを聞いた奴は、ここで儲けさせるようにした。これは遊休地なんでしょう。オリンピックが終わったら使い物にならない。これを取り払えば、物凄く良い商業広場になりますね。 東大門運動場。場所はいいですよ。
(図32)
  儲かる流通団地を、ここに持って行ったんですね。

 ボストン「 BIG DIG」
(図33)ボストンです。昔あった、昭和の20年代に造った高架道路です。30年代でなくて、20年代後半。鉄骨の醜い高架道路がボストンの真ん中にあったんですが、6車線で走っていたのを地下化して8から10車線に広げる。その代わりランプの数が多過ぎて、交通の専門家がいう折り込みが物凄く多かった。ウィーリングという折り込み区間が多くて交通が円滑に流れないので、ランプの数を12カ所に整理した。おまけに新品は、これだけでなく、ローガンエアポートという空港まで、チャールズ川の下をくぐってトンネルを造った。ウィリアムズトンネル。総工費が結果として1兆6000億円かかったんです。
(図34)
  スタートは、基本的に1980年ぐらいから始まっているんです。空港トンネルだけを造ろうというのがあったけど、反対して、駄目で、1983年にようやっとマサチューセッツ州の道路局が連邦政府に高速道路を地下化することについて金をちゃんと出すかという請願書を出した。これが1983年。今から23年前です。
(図35)
  それに対して、レーガン政権はそんな金は連邦政府にないから駄目だと言ったんですが、1985年に州政府が、「そんなこと言うな」と反論した。具体的にはここからなんです。ベクテルとあるでしょう。ロビイストの活動がアメリカで非常に活発になった。マサチューセッツ州をバックにするロビイストが連邦政府の中に食い込んで、おまけにベクテルも入って、政治的にマサチューセッツ州に連邦の少し余分だった金を入れる、ということを競争したんです。
  ここが重要です。競争は何もマサチューセッツ州だけじゃないんです。シアトルも競争した。あるいはメリーランドも競争した。あるいはカリフォルニアも競争した。いろんな州でそれぞれの大都市の抱えている高速道路について、俺はこうしたい、こうしたいというのを提案したんですが、付ける都市は1つ、というのだけ連邦政府は決めていた。1カ所。そこでロビー活動が入った。ロビー活動が入れば、これは絶対にアメリカの伝統から言って、マサチューセッツに決まっているんです。何故ならば、役人と政治家の底辺にはハーバード族がビシッといるんです。ベクテルにはMITがズラッといるんです。
  エンジニア側はMIT派閥。政治家はバーバード派閥で、全部構図ができ上がっている。どこかの国と同じです。だから、勝つに決まっているんです。
  レーガンのところで最終的にはブッシュになって、ここでやるということが決まる。盛りは1990年前後です。よくスキャンダルにならないぐらいの、すごいロビー活動がきっとあったんです。
  1991年に工事が始まりました。今から15年前。
(図36)
  工事の最盛期は1998年。でき上がったのは去年です。概成しました。完全に完成じゃないんです。
(図37)
  どういうことかというと、プロジェクトが4つあるんです。ボストンの地図です。ここに、物凄くしゃれた橋を造りました。デザイン的にしゃれている。レインボーブリッジの比じゃない。べらぼうに金がかかっているんです。建築家とベクテルに大儲けさせた。
  ここが昔からの過去60年ぐらいブーブー言っていた高架道路です。日本橋川と同じ。これを地下にしました。
  それから、ここはインターチェンジからマサチューセッツターンパイクという有料道路なんですが、それがぶつかった十字路のこっちに1つ地下道を造って、おまけに、地下のトンネルと4つのプロジェクトを合わせたのが、今回のボストンの「BIG DIG」というんです。
(図38)
これは昔です。昔、こういう道路を造った。
  僕なんか昭和40年ごろ行ったのと同じ状況。ついこの間まで。この辺を僕は小さいフォルクスワーゲンで、チョコチョコ走り回っていた道路です。
(図39)
  これは大深度です。30メートル下までやっているんです。だから、日本橋川と性格が違うんです。
(図40)
  運河下。ローガンエアポートまで行く川の下の工事です。
(図41)
  これが高速の分岐点です。これはどうってことない。赤坂の分岐点より単純です。
(図42)
  これが金をかけたという橋なんです。相当無駄金を使っています。だけど、行ってみると、きれいな橋ですよ。これ自体がボストンの観光名所になるぐらい。
(図43)
  問題は、ここに一応もっともらしく公園計画があるんです。上を植えて緑にする。赤がレクリエーションで緑が公園。大体公園系ですよ。公園緑地課の縄張りですね。ところが、これが、なかなかうまくいかない。どうしてかと言うと、この間行って聞いたんですが、日本と同じで、ここにはイタリアンマファアがいるんです。北ボストンと言って、イタリア人の移住地域なんです。ここは官庁街。ビーコンヒルからの比較的いい知的な階級が、この港湾の所には住んでいるんです。
  ここは商人なんです。
  ここは貧乏人なんです。
  地域社会が、貧乏人、商人、知的インテリ、イタリアンマファアの4つに分かれているので、4カ所提案をする。必ず内陸から川へ、内陸から海へ。地域社会が三角になっていますから、こういう計画になります。そこの中で縦型できれいな公園計画にしても、賛成にならないと言うんです。これは日本社会と似ていますね。農協と港湾労務者。農協の意見を聞かないと道路は通らない。港湾労務者の意見を聞かないと道路は通らない。共産党と同和の意見をやらないと道路が通らないというのが日本であるでしょう。大阪なんか幾らでもある。同じ話で、最終的にきれいな緑がまだできないんです。だから、これは概成なんです。もっと緑をフサフサにしてやるべきなんですけど。
(図44)
  ついこの間、2006年。トンネルで車がぶつかって死者が出て、天井がはがれたというので大騒ぎした。こういうコンクリの破片が取れた。お化粧の仕上げの所だから、構造体そのものには関係ないんですけれども、折角造ったのにすぐ壊れたというので、一応メディアとしては大騒動です。使用中止でしばらく使わせなかったんですが、最近動き始めました。
(図45)
  これはボストンの「BIG DIG」の事後評価です。トンネル事故の起きたちょっと後にボストングローブという有名な新聞社がやりました。北海道新聞みたいなもんですよ。北海道新聞が、札幌の創成川の地下道路についてアンケートを採ったというふうに思って下さい。そういうふうにして「BIG DIG」はどうだったかというアンケートをとったら、46%は肯定だったけど、44%は否定。否定にはそれぞれ理由があるんです。圧倒的肯定ではないんです。
(図46)
  それはこの表です。スタートは1985年。単位が25億ドル。とにかく安くやりますよと言っていた時に、25億ドルぐらいでできるから安いもんじゃないですかと、連邦政府が出した書類なんです。これはお見合い書類ですから、誰も信用しない。これは日本でもよくやります。あるプロジェクトを出す時に大林に頼むと、実際にできるやつの4分の1ぐらいでできますよといって、契約したらどんどん値上げしていくというのは、土木工事でよくある話です。
  問題は、ここです。1989年から91年、この辺でコントラクトができたんです。本気になった時に、値段が約51億ドルになった。これの倍になりました。その原因は何かというのは、後でベクテルとか土建屋が、調べたら相当設計変更しなきゃいけない所が多くなったから増えた、これはよくある話です。
  その他に、インフレーションです。インフレでドル下落をしたから、これだけ増えた。水膨れした。足すと倍になった。実際の元設計は大体同じです。ここで倍です。実際はここでオーケーですから、倍でスタートしました。倍でスタートして、連邦政府のお金の出し方が違ったのか、ここでシステムが変わるんです。1994〜1995年になりますと、51億ドルが100億ドルになる。また倍。5年間で倍、また5年間で倍。それのかなりの部分がインフレと称するんですが、インフレというのは対円ベースか対EUベースか知りませんけれども、この時期日本はデフレで、円の重みがどんどん重くなっていたんです。こんなインフレなんて、アメリカで常識的にあり得ないでしょう。これの説明をベクテルとかいろんなコンサルタント会社がやっているんです。これは、本来アメリカの猛烈に大きいスキャンダルになるはずなんです。そこで、2000年に、うまくここで拭いぬぐい去った。そこから仕事の金額は変わってないんです。ここで絶対に悪いことしているんです。(笑)
  向こうも日本の土建屋と同じだということです。
  だから、三菱総研とベクテルとは似たようなもの。日建設計とベクテルも似たようなものだと、思わざるを得ないんです。(笑)
  こんなことを日本橋では絶対しません。もし僕が生きていて仕事をやるなら、絶対こういうことはしない。これは日本橋の仕事をやる時の反面教師として、非常に重要な資料です。
  ということで、シアトルもあるけれども、ここで終えることとします。面白い話がアラスカンハイウエーであり、僕たちが現場に行って聞いてきたんですが、時間がありませんので、これで終えることとします。
  どうもありがとうございました。(拍手)
與謝野 伊藤先生、裏話を含めての大変に分かり易い貴重な、この場でしかお聞きできないお話を数々ご披瀝頂きましてありがとうございました。大きな高い視座からの日本橋プロジェクトの背景と現状とを、皆様もご理解いただけたのではないかと存じます。
  今日のお話の大きなキーワードは、「民民で実施するPPPの意義の深さ」と「これを実施するのは大東京の必然である」という点であったと拝聴致しました。一気呵成に長時間を熱っぽく分かり易くお話頂きまして誠にありがとうございました。また、会場の都合から時間の制約がありまして進行に至らぬことがあったことをお詫び申し上げます。
  それでは、最後に、本日貴重なお話を頂きました伊藤先生に、御礼の印しと今後のご活躍を祈念しての激励の大きな拍手をお贈り頂きたいと存じます。(拍手)
ありがとうございました。それではこれにて本日のフォーラムを締めさせて頂きます。

 

 

 


 


 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 



                                  

 


 

 

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 


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