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第234回都市経営フォーラム

『 公民連携を広げる知恵 』

講師:  根本 祐二 氏  東洋大学大学院 経済学研究科公民連携専攻 教授

 
                                                                           

日付:2007年6月19日(火)
場所:日中友好会館

                                                                            
1. 公民連携の歴史的背景

公民連携の理論的位置づけ

3. 公民連携の定義と特徴

4. 公民連携の失敗と是正策

5. 都市経営に望まれること

フリーディスカッション



 

 

 

 

與謝野 皆さん、こんにちは。それでは、時間でございますので、本日の第234回目の都市経営フォーラムを開催させていただきます。
  皆様におかれましては、お忙しい中、また大変お暑い中を本フォーラムにお運びいただきまして、まことにありがとうございます。厚く御礼申し上げます。
  本日は、最近、多くの事業スキームの組み立て段階の中でよく話題になっております、従来からあるPFIの包括概念としてのPPP、「公民連携」と訳しますが、この公民連携について、この道の第一人者をお招きしまして皆様と学びとりたい、とこのように思います。
  本日、講師としてお招きいたしましたのは、東洋大学大学院経済学研究科教授の根本祐二様でいらっしゃいます。根本様におかれましては、大変お忙しい中にもかかわりませず、本フォーラムのご講演をお受けいただきまして、まことにありがとうございます。根本先生のプロフィールにつきましては、先ほどの受付でお渡ししました資料のとおりでございますが、東京大学経済学部をご卒業の後、日本開発銀行に入行され、その後、日本政策投資銀行地域企画部長を経られまして、2006年に東洋大学教授の現職につかれておられます。内閣府の都市再生戦略チームの委員のほか、多くの公民連携事業推進委員会の委員を歴任しておられまして、まさにこうしたPPPの我が国における公民連携分野の第一人者でいらっしゃいます。
  本日の演題は、ご案内のとおり「公民連携に広げる知恵」と題されまして、理論的位置づけ、定義と特徴、公民連携策の失敗と是正策等、極めてプラグマティックな知見を多くお聞きできるものと楽しみにしております。
  先生の著書の中に、受付にもございましたが、「公民連携白書」という本も出版しておられます。
  それでは、ご紹介はこのくらいにしまして、根本先生、よろしくお願いいたします。
  (拍手)
 
 
根本 ご紹介いただきました根本でございます。本日は、お暑い中、ようこそいらっしゃいました。ちょっとお時間をいただいて、お話をさせていただきます。時間は90分ですが、通常、大学の講義は90分でも、90分目いっぱいしゃべることはなく、60分ぐらいで、後は質問などでごまかしたりしますが、今日は90分目いっぱいしゃべれということなので、話がもつかどうか、皆さんの気力、体力がもつかどうか心配です。気を楽にして聞いていただければ幸いでございます。
(図1)
  今日の表題は、「公民連携を広げる知恵」です。「官民連携を広げる知恵」とレジュメに書いてありますが、事務局に「公民連携」と言わなかったかなと思ったんですけれども、ひょっとすると「官民連携」と出したのかもしれません。
  官民なのか、公民なのかというのは、結構重要な含蓄深い問題でありまして、私どもの大学院は「公民連携」と呼んでおります。お手元にESPの最近の記事が出ておりますので、ごらん下さい。私どもの総長は塩川正十郎でございます。塩川の提唱によって、この新しい大学院が昨年設立をしました。官から民への領域を科学して進める、どんどん民間に市場を開放して仕事をしていただきたいという目的で作っております。そういう意味では明らかに官民なんですけれども、「官民」と言うと、余りにも、矮小化されてしまいまして、奥ゆかしさがない。その辺はちょっと曖昧にして、「公民」という言葉を使っています。
  実は、サブタイトルで「地域を変える世界標準PPP」とあります。PPPというのは、public private partnership。government privateではない。英語でも、最初のPはpublicでございまして、そういう意味では「官」という限定的な表現を使っておりません。プライベートセクターにパブリックの意識を持ってもらって行動してもらうには、どうしたら良いかということを、パートナーシップの考え方を用いて展開するというのがPPPで、それを具体的に制度や手法に置きかえているのが、PFIや指定管理者であると思います。
  今日は、そういう話もしたいんですが、時間がありませんので、必要があれば、後程その箇所箇所でお話をしたいと思います。
  そういう意味では段取りを踏みながら、最新のPPPの情報まで深めていただくということで、まず歴史的な背景からお話をさせていただきたいと思います。
 

1.公民連携の歴史的背景

(図2)
  歴史的なアプローチのキーワードは3つ。「大きな政府」、「小さな政府」、「PPP」ということでございます。PPPの考え方は、もともとは、イギリスで、展開、普及をいたしました。イギリスの場合には、英国病克服への取り組みということが非常に大きな課題でございました。戦後、1970年代にかけて、労働党政権で大きな政府が展開をされました。ひとえに、これは雇用の維持ということであります。
  そのために企業の国有化が進んだわけです。ここに書いてございますが、こんなものも国有化したのかというぐらい、いろいろな企業が国有化されたというのがイギリスの歴史であります。
  日本でも、戦後の復興期から高度成長期にかけまして、大きな政府の志向があったことは間違いないと思います。これは国もそうですし、地方自治体もそうです。この頃は、日本株式会社という言い方で、日本全体が国策として、日本の産業を国有化はしないまでも、国によって支えていく、公共的に支えていくということが一般的な基準として採用されていた時期だと思います。
(図3)
  大きな政府は、明らかに失敗いたしました。巨額の財政赤字や、非効率な経済運営をもたらしました。日本だけに限りません。イギリスもアメリカも同様の失敗を辿り、1979年に労働党政権から替わった保守党のサッチャー政権で、民営化が開始されました。
  この民営化というのは、国有化に対するアンチテーゼということでありまして、もっと分かりやすく言うと、その前に国有化されていたものを元に戻すということです。ロールスロイスの民営化というのは、そもそもロールスロイスのような自動車産業が国営であったということ自体、今、我々から見るとちょっと奇異な感じがします。ですから、そういうものを民に戻した。サッチャー政権は民営化に大成功したと言うよりも、国有化し過ぎてしまって、その反動だったということが言えるのではないかと思います。
  これらは、もともと民でもできる受益者負担型の産業です。これがキーワードなんですけれども、石油にしても、自動車にしても、半導体にしても、銀行にしても、航空にしても、ホテルにしても、基本的には受益者が目の前にいて、その人達から料金を取ることができるので、そういう意味ではビジネスでできる。足りないかもしれないけれども、本来は民間でできるものだということで、それを民間に渡したということになります。
  同じ時期、日本では中曽根政権期の民営化が行われていました。国鉄、電電等々ありました。第三セクターというのがありました。私も、いろんな形で銀行員の時代に関与しておりましたけれども、大体サッチャー政権の民営化と軌を一にして、中曽根民活というのが展開をされたということであります。
  市場リスクを三セクがすべて負う。この辺りが、これまでの話と少しニュアンスが違うところです。三セクとは、公共的な仕事を民間にやってもらうということで、今のPFIや指定管理者と同じ、と思う方が非常に多いです。でも、決定的な違いは、第三セクターの場合は、市場リスクを三セクがすべて負っているということです。
  先程、受益者負担と申しましたが、目の前にいる人がお金を払ってくれるものを民営化することは可能です。けれども、目の前にいる人がお金を払ってくれないようなものも含めて、リスクを全て負ってしまったのが第三セクターということなのです。
  例えば、国際会議場とか大規模な展示場というのは、確かに受益者はいますが、その人達からだけの料金収入ではとても賄えません。インフラの巨額の設備投資を少額の料金で回収をするという仕組みです。
  今であれば、そういったものはPFIという形にして、政府が収入を保障してあげながら、民間が効率的に経営をして、政府から得る委託料、サービス購入料というのをできるだけ小さくするというのが考えられます。これは、バリュー・フォー・マネーの考え方。皆さんご存じの通り、三セクの場合は、そういう後ろ側のファイナンスを全部断ち切って、自分でやれと言われてしまっていた。それであれば、もう破綻するのが当たり前で、三セクの人が悪いのではなくて、三セクという構造を作った世の中全体、その構造の関係者、銀行としての私自身も含めて、その周辺に大きな問題があったのではないか、と思っています。
  ここのポイントは、小さな政府にしても、やはり問題が残るということです。受益者がいない、或いは、いたとしても非常に少額の負担しかしてくれないようなものは、世の中に山ほどあるわけです。そういう場合は、小さな政府では追いつかないということになります。
(図4)
  おさらいになりますけれども、受益者負担できるものは民営化できる。でも、受益者負担できないものは無理ということになります。それならば、受益者負担できないものは、全部政府の役割として公共事業のままやって下さい、と戻してしまっていいのかということです。
  例えば刑務所。刑務所の受益者は国民1人1人です。受刑者ではありません。誰か1人刑務所に入れるたびに、皆さんから、10円ずつもらうということはできないわけです。民間にはできないと言い切ってしまうと、刑務所は公共事業でやるしかなくなるということです。
  片や民間の警備保障サービスというのは物凄く日進月歩しています。教育、研修、職業訓練その他もろもろ、民間の知恵が必要となるような、あるいは役立てられるような領域がどんどん広がっている。にも関わらず、そういうものは全部公共事業だと言ってしまいますと、官か民か、どっちかの単純な二分論になってしまいます。
  それならば、そのうちの一部でも民間にやってもらう。刑務所であれば、公権力の執行、拘束したり、逃げている人を捕まえたりということは刑務官、公務員がやらないといけないけれども、情報システム、給食、職業訓練など、そういったことは民間ができるのではないでしょうか。公務員がやるよりも効率的にできるのではないだろうかということで、一部でも民間にリスクを移転して財政支出を削減すべきではないかという考え方が出てきたわけです。これがイギリスで成立したPFIです。
  バリュー・フォー・マネー。皆さんご存じの通りですけれども、0から100の間に真実ありということで、実際に全て民間に移転をして、財政支出が0になれば、これは官にとってはベストなはずなんですけれども、世の中そんなに甘くはないわけです。民間としてもできること、できないことがあります。大体はできるんですが、民間だけではできない。0なら公共事業に戻せばいいか、100でいいかというと、そんなデジタルな発想じゃなくて、その間にいろいろな解があります。例えば、50だけ民間に移転して、50の部分を30でやってもらえば、差し引き20だけのバリュー・フォー・マネーが生じるということになります。
  PFIは、こういう中間的な概念として登場してきていますので、大きな政府とか小さな政府という、政治的なスローガンとして分かりやすいものと違って、政治的には極めて分かりにくい概念なんですね。ともすれば、小さな政府側からすると、抵抗勢力視されるというところがあります。大きな政府側からすると、日和見主義的な感じで捉えられるところがあります。これは、経済の現場から出てきたような、非常に現実的な発想だと理解をしていただければいいと思います。これが歴史的なアプローチになります。
(図5)
  補論として先進国の流れということです。左がイギリス。80年代にサッチャー政権下で民営化とか、市場化テストというのができました。90年代、世界的にバブルが崩壊した直後、ほぼ同じ時期にPFIがスタートをしています。従って、本格的なPPPの時代が、もう既に、この段階で到来をしているわけです。
  日本はどうか。日本は三セクが80年代を通じて一世を風靡して、地域再生のビジネスモデルは基本的に三セクだ、と言われました。何であれ、とにかく三セクで物を考えるというふうに我々も教わり、仲間にもそういう言いながら、一緒にプロジェクトを作っていったわけです。ですが、バブル崩壊で、三セクというビジネスモデルも崩壊をしました。その後、三セクにかわるようなビジネスモデルを探せないまま、90年代末を迎えてしまうということになります。
  96年ぐらいから、イギリスのPFIを勉強した。三セクに替わるようなビジネスモデルになりそうだ、ということで期待をして勉強したんですが、最終的にPFIが使えるようになったのは、法律としては99年です。従って、91〜92年の崩壊から約7〜8年、空白の時代がありました。この間、地域再生のプロジェクトは殆ど止まっている。惰性で進んできているものもありますけれども、実際には、新たなプロジェクトの企画は、PFIの到来を待たなければならなかったということになります。
  イギリスの場合には、そういった影響がなくシームレスに接続をされていますので、そこが大きな違いになっているのではないかと思います。
  2000年代に入りまして小泉政権が発足しました。さすが小泉さんでございます。実は、PFIの成立は、小泉さんの前の政権の時代です。
  小泉さんの時代に、郵政の民営化は決まりましたが、それ以外に地方自治法の改正による指定管理者ですとか、公共サービス改革法、構造改革特区とか土地再生特別措置法、地域再生法、一連のPPPを推進するような制度体系が網羅されてきております。これは中曽根政権期の民営化及び三セクに匹敵するような構造改革、制度上の準備が行われた時代だと思います。
  そういう意味では、非常に高く評価できるのではないかと思いますが、いかんせん、この空白の時間が長過ぎたために、今立ち上がったばかりということで、まだまだ潜在的なポテンシャルの割には市場が顕在化していないということだろうと思います。

2.公民連携の理論的位置づけ

(図6)
  次に、経済学のアプローチを少しだけご紹介をいたしたいと思います。
  経済学は、基本的には、市場メカニズムで最適な資源配分を実現するということであります。教条主義的な市場原理主義者という人も中にはおりまして、とにかく国防、外交以外は全部市場に任せろ、あとは政府は要らないという人もいますが、実際にはそれほど極端ではなくて、公共事業とか政府サービスなど、受益者が直接負担してくれないようなものについては、政府がやるしかない。民間がやってくれないわけですから、政府がやるしかないでしょうというパターンがあります。
  それから、外部性ということで、地域経済への波及効果が非常に大きい。これは例えば企業誘致とかベンチャー振興のように、そのもの自体の対象は民間ですが、その民間企業がある行動をとってくれる、工場を造ってくれる、技術を開発してくれることによって雇用が拡大したり、税収が増加したり、地域のイメージ・ブランドが高まって有形無形の経済波及効果が発生するなど、もろもろの外部性があるんじゃないでしょうか。これも、その企業にとっては自分自身の利益になっていませんので、もしそういうような波及効果の大きい企業があるなら、自分の地域にお金を使ってでも呼んでこようということが合理化されるわけです。例えば、シャープの亀山工場を三重県が誘致したような、そういうことが当てはまります。
  それから、「幼稚産業」という言葉があります。もともとは政府がやらないと誰もやってくれないもの、例えば、電気、ガス、水道事業、或いは地方のバス事業、路面電車などです。政府と言いますか、自治体の、市公営企業局のようなところが、ガス事業をやりますよとか、交通局が電車を走らせますよということになります。これも産業が発達をしてきて、民間のガス事業者が成長し、民間のバス事業者が成長してきたら、そちらに譲ってもいいんじゃないか。ただ、幼稚である段階は、政府の方で支援をしてもいいということであります。これが政府の役割という意味でございます。
(図7)
  それでは、政府に任せてしまえばいいのかというと、市場メカニズムが有効に機能しない時は政府の役割が認められるんですけれども、政府も失敗します。ソフトバジェットというのが一番大きな要素だと思います。
  やわらかいお財布ということです。事業に失敗するということは、お金が足りなくなるということです。そのお金を、後ろからどんどん補填してくれる人がいるということになると、お金を効率的に使おうという気がしなくなる。これは日本だけではなく、世界的にいろいろな所で研究されていまして、旧東欧、東ヨーロッパの経済の崩壊のメカニズムが、ソフトバジェットによる民間の動機づけの弱さ、ということに結論が出ているようであります。
  当然、運営自体も非常に非効率になりますし、縦割りの予算だとか硬直的な人事など、いろいろな失敗が政府で行われているのではないか。例としては、社会保険庁が挙げられます。これなんかは典型だろうと思います。今の年金の漏れの問題点もありますけれども、もともと年金財源を使っていろんな投資をしたわけです。グリーンピアだとか何とかを造ったというのは、まさにここだと思うんです。実際にそれが必要かどうかというのではなく、お金があるから使う。たとえ赤字になってもお金は補填されるというメカニズムがあって、それ自体悪いことだとされていなければ、必然的にそういうことは起きてしまうだろうというのが、政府の失敗の議論になります。
(図8)
  市場が失敗するので政府に任せたら、政府も失敗した。そこで、もう一回市場に戻そうとしても、公共財や、もともと受益者がお金を払ってくれないものとか、外部性が非常に大きいので、その人自身は余り行動したいと思わないという場合は、市場メカニズムが機能しません。それを、市場と政府の失敗の無限の迷路と言っております。
  郵政民営化と過疎地域の郵便事業はその例です。郵政を民営化するということ自体は、そんなに悪い話ではないと思います。郵政公社でもいいような気がしますけれども、ソフトバジェットをなくして、効率的な経営をさせるという意味では、会社組織にするというのは非常に結構かと思います。一方で、過疎地域の郵便事業、或いは簡易保険事業がなくなっていいとは、誰もさすがに思っていない。それなら、民営化された会社に過疎地域もやらせるのか。やらせるのにはやらせるという規制をかければいいんですけれども、そうすれば政府が持っている株式の価値はその分下がってしまい、その下がった分だけ補助金を出しているのと同じことになります。補助金を出すんだったら、その会社に直接補助金を出して、過疎地域のサービスもやって下さいと言えばいいわけですけれども、それは完全に民営化したことにはなっていない。市場か政府か、官か民か、どっちか1つだけ選べという非常に狭い選択を迫ると答えが出てこない、ということだろうと思います。私は、民営化してもいいけれども、過疎地域の郵便事業のように、どうしても民間ではできないものについては、新しい郵政会社ができるような形で、補助金か基金か何かで、ちゃんと財源的な裏づけを与えてあげないとできないのではと思います。儲けの範囲内でやってくれと言っても、儲けがその分減るわけですから、株主から訴えられてしまうわけです。そこに公民連携の役割への期待というのが生じます。先程バリュー・フォー・マネー、0と100の間と言いましたけれども、現実の解、現実の問題に対する答えはそんな単純ではなくて、間のどこかにあるわけです。その間のどこかを解いていくのが公民連携の役割になると思います。
(図9) 
  今までの議論のまとめなんですけれども、もともと大きな政府というのは、市場が失敗して、政府の役割が大きいですよ、ということで出てきた物の考え方です。第2次世界大戦で、日本は言うに及ばず、アメリカもイギリスもいろんな形で経済が疲弊した。それを救って雇用を維持するために出てきたのが大きな政府です。ところが、大きな政府が政府の失敗を呼んで、財政赤字を拡大して、成長が衰退していってしまった。そこで、再び市場に戻そうというのが小さな政府の物の考え方ということになります。ところが、小さな政府でも限界があるということで、公民連携の役割が登場したということになります。
  この表だけ記憶しておいていただければ、今までの話はこのことだということで、歴史的な流れと理論的な流れがほぼ符合している。どこも、同じようなことをやっていて、日本は10年ぐらい遅れていますけれども、実は公民連携、PPPというのは、1990年代、に始まった物の考え方だということになります。

3.公民連携の定義と特徴

(図10)
  公民連携の定義と特徴です。実は、アメリカに米国PPP協会(National Council For Public-Private Partnerships)というのがありまして、そこがPPPの定義というのを出しています。我々が調べたところによると、この3つの定義「官と民のかかわり」、「リスクとリターンの設計」、「契約によるガバナンス」が、PPPの最も普遍的な定義ではないかと思っています。
  イギリス政府、国連の機関、いろいろなところでPPPの定義をしていますが、ほぼこういうものと同じような発想をとっております。
(図11)
  第一の特徴が、官と民のかかわりです。ここでいうパブリックというのは、殆どイコールガバメントです。パブリック・エージェンシー。3番目のところがPPP、公民連携なんですけれども、通常の公共事業は官が税金をもらって公共サービスを提供する。純粋な民間事業というのは、民間が市民から料金をもらって民間サービスを提供する。この2つは、構造としては同じです。サービスの提供主体が、被提供者と直接結びついていますね。ですから、市民の持っている不平や不満、クレームをダイレクトに聞くことができる。これは構造が非常にシンプルなんです。
  公民連携の違いは、ここに民が入ります。いろんなケースがあるので、一通りではないですけれども、比較的多いパターンとしては、市民は税金を払って、官は民間に委託をします。民間は、同時に市民から一部料金をもらいますというものです。
  例えば、市民プール。1回行くと300円ぐらいで利用させてくれるという場合、市民は300円払いますけれども、民間は300円ではやれないので、税金から少し下さいということで成り立っているという構造があります。
  上の2つと3番目の決定的な違いは、当事者の数が1人増えるということです。上2つは官か民かですが、3番目は、ここに官と民と2人いるわけです。これが非常に重要でございまして、何が起きたかというと、官が市民から離れている。今まで自分たちが、公務員がサービスを提供して、市民の声を聞く、市民のニーズを聞けたのに、間に民が入ったが故に、それができなくなる。
  民は、確かに効率的かもしれないけれども、官はその民の背中越しにしか市民を見ることができないので、この間の関係がどんどん希薄になってきます。
  民間は、どんどん市民の情報を得ていきますので、その得た情報を利用して、官との取引を有利に進めようとするということになります。これを「情報の非対称性」と言うんですけれども、これは非常に重要ですね。
  従来全くなかった論点が、公民連携によって初めて登場したということなんです。「民に丸投げしてよく知りませんでした」。去年、埼玉県のふじみ野市のプールで女子児童の水死事故がありました。あれは業務委託なんですが、ふじみ野市が、民間の太陽管財という会社に丸投げをして、市民プールの運営をやらせていたんです。市は全く何も知らない。情報がなくなっているわけです。そうすると、サービスが十分に供給できなくなるようなことが起きてしまう。この、官と民が両方かかわっているというのが、PPPの定義、非常に本質的な定義の第1点目です。
(図12)
  2番目は、これは比較的いろんなところで出てくる図なので、ご理解いただきやすいと思います。リスクを最も上手に管理できる人が負担するという話です。もともとは官が丸ごと、こんな大きいリスクを背負っていたんですけれども、みんなで役割を分担しましょうということです。事業会社、建設会社、NPO、金融機関で役割を分担すると、それぞれ得意な役割を担っていますので、足すと小さくなる。これはリスクなので、リスクは小さくしたいということで小さくなっていますけれども、得意な人が仕事をやると収入が増えるかもしれません。収入は、従来よりも大きくなるという図が描ける。これは比較的一般的によく言われていることです。
  問題は下のほうですね。リターンとリスクは同じ。比例させるということです。役割に伴うリスクに見合うリターンを与える必要がある、と書いてあります。高いリスクをとってくれる人、そのプロジェクトの中で一番難しそうな仕事をしてくれる人には、リターンの機会も高くあげないといけないということです。逆に、リスクはちょっと勘弁して欲しい、よくわからないので、お金は出す、名前は貸すけれども、リスクはとれませんというところは、リターンも低くしてあげるということでバランスをとる必要があります。
  これは当たり前のことなんですけれども、余り当たり前に行われていないですね。
プロジェクトを企画していますと、儲かり過ぎじゃないかという話が出てきます。それは儲かり過ぎじゃなくて、一番リスクをとっている人にリターンの機会を与えるということが必要でありまして、リスクはとらせるけれど、リターンをとらせないんだったら、誰もやらない。それは、そのプロジェクトが、そこで止まるということです。
  ということで、こういうふうに厳密に計算をして分けていくという物の考え方が必要になってきます。
(図13)
  それぞれの主体が、「自分はこのくらいのリスクをとるので、このぐらいのリターンを下さい」ということをお互いにカードゲームのように、数字を出し合って、「それでは、やりましょうか」というふうにしてスタートするということです。カードゲームのように出し合った段階でお互いの合意が成立しているんですけれども、必要なのは契約によるガバナンスです。口約束では駄目。口約束では、後で、守らなかったらどうするんだということが分からないということですので、守らない人がいたらどういうペナルティーを与えるのか、頑張っても駄目だった場合にはどうするのかということを、初期の段階で契約をしておく必要があります。
  これは公民連携の一般的な体系です。契約をしますということが書いてあります。ここだけちょっと覚えておいていただくといいと思います。民は、契約を守るだけで公益を意識する必要はない。公民連携というのは、官が絡む以上は何らかの公共性が必要なわけです。
  刑務所というのは、悪いことをした人たちを一定期間収容し、その期間内は外に出られないようにして、治安を維持するとともに、社会復帰させて、労働力として戻してくれる。そういうことは公益なんですが、そういう趣旨を話して、だから、おまえ、儲からなくてもいいだろう、というわけにはいかないわけです。民間としては、利益が最低限でも出るということを考えて契約をする、ということですので、言い替えますと、契約の中に、脱獄率は10年間で0.001%以下。それ以上になったら委託料を減額しますよとか、社会復帰率は何%、それ以下だったら何とかしますよということが決まっているとすれば、契約を守りさえすればいいんですね。だから安定する。
  もっと言えば、民は、悪人でもいいんです。公民連携というと、官と民が手を携えて仲よくしましょうというイメージで捉えて、本当に公益意識を持った人たちが参加して、CSR、企業の社会的貢献のようにして集うというふうに誤解する人がたまにいるんですけれども、非常に逆説的に言うと、それは全く正反対で、契約で全て定めてその通りやってくれればいい。その能力さえあれば良くて、意識は一切問わない。そういうことが、今のPPPの特徴になっています。だから、安定する。最初から悪人が入ってくると、それはさすがに排除しますけれども、最初は非常に志が高くて、一生懸命やろうと思っていても、会社の担当者が代わってしまったり、NPOの代表者が亡くなってしまったりすると、志が折れちゃう。この折れた志というのは戻らないですから、戻らなかったら、頓挫してしまうのかというと、そんな無責任なことはできない。志がなくてもやれるようにする、というのが契約によるガバナンスということです。
  実は、「リスクとリターン」、「契約によるガバナンス」というのは、どの機関の定義にも大体出てきています。かつての第三セクターを思い出していただければいいと思うんですけれども、リスクとリターンの概念は非常に曖昧でした。みんなリターンがあるからと思って参加したんですけれども、リスクの方は余りちゃんと分析していなかった。
  ですから、こういうリスクが発生した時には、誰がその役割を担うのか、誰がどういう手段でそのリスクを回避していくのか、ということが設計されていなかった。そもそも設計されていませんでしたので、契約書はありましたけれども、契約書自体が余り意味を持たなかった。契約書以外のことが余りにも多かったんですね。契約書の中には、予期せざる事態が発生したら、誠実に協議しようとしか書いてない。誠実に協議したくても、損が目の前に見えている状態だと、誠実も何もないわけです。
  三セクの反省を思い起こしてみると、こういう物の考え方の合理性は、ある程度理解していただけるのではと思います。
(図14)
  これから、各論に入っていきます。公民連携の例ということで、3つのタイプに分けてご説明をしています。
  1つは、「公共サービス型」と言われるもので、PFIとか指定管理者、市場化テスト、民営化などなど、いろんなプロジェクトがあります。この松明(たいまつ)を集めている写真は、東京都のPFIの案件の多摩ユース・プラザ高尾の森わくわくビレッジ。これは京王帝都電鉄さんが事業者として落札をして、東京都民のための青年の家をやっています。廃校間もない学校の校舎を活用して、それをリノベーションしました。提供するサービスは、青年の家のサービスという公共サービスですので、直接の受益者負担もありますが、それだけでは追いつかない。非常に高い料金を取らなければいけないということで、安い料金で抑えて、東京都が契約をして委託という形になっています。
  右側の写真は、同じく東京都で、警視庁の原宿警察署です。刑務所のPFIの案件は、最近テレビにしょっちゅう出ますので、多くの方がご存じではないかと思います。建物が、今はまだ建ち上がってないと思いますが、原宿駅の北東の側、駅から歩いて5〜6分のところに広大な敷地があいていました。そこに原宿警察署が建ちます。これはPFIでやりまして、民間事業者さんが落札をしました。
  これの特徴は、広大な面積のごく一部しか警察署としては使いません。残りが余剰になりますので、ここの部分を同じく民間のSPCに土地を貸して、その上で自由提案の事業をやってもらうということです。ということで、商業、住宅の複合施設がこれから建ち上がっていくということになります。こういうものも、非常に身近な公民連携のプロジェクトの事例になります。
  2番目が、「公有資産の活用型」というカテゴリーで、公共が持っている土地を売ったり貸したり、建物を売ったり貸したりすることで成り立つものであります。買った人或いは借りた人が、その中で行うのは民間の事業です。一番目は公共事業、公共サービスを行うんですけれども、この場合は民間のサービスを行います。左側のイメージ図は、日産の本社ビルです。みなとみらいの横浜市の市有地を日産自動車が買って、本社ビルを建てる。2009年に完成の予定で今着工して、大分建ち上がってきています。市の土地をそういう意味では有利な値段、安い値段で売ります。
  それから、本社の誘致には補助金を出すということで、横浜市は50億円の補助金を出しています。そういったインセンティブを与えた上で、民間に活動してもらうということは、それを上回るメリットが市にはあるということです。そういうものがある場合は、政府として、そういうことをしてもいいんだというのが、先程ちょっと出てきました政府の役割の外部性というところに理由があると思います。
  ちょうど橋が横浜駅のほうから架かろうとしています。横浜駅から歩ける場所になりますし、ここを基点に、このお隣に三井不動産のビル、奥にセガの巨大なエンターテインメントコンプレックス等々が、これからどんどん建ち上がってきて、一大拠点になる。その中核としての業務機能が期待をされている、というものであります。
  こちら側の写真は、最近いろんなところに出てきますビルの空き室とか廃校舎を利用するタイプで、これは廃校舎を利用したケースです。公立の小中学校が、これは都会、地方を問わず相次いで廃校になっていて、箱は残っています。非常にもったいない。そういうものを別の用途に使おうということで、幾つも事例が出てきていますけれども、通常は、福祉とか子ども向けの児童館みたいなもの、教育の範囲内で、教育プラスアルファでできるような公共サービスに使うということが一般的です。最近は民間にも貸していて、この世田谷ものづくり学校というのは、民間のデザイン会社に貸して、そのデザイン会社がデザイナーを集めて、デザイナーのSOHOビレッジみたいなものを作りました。そういうようなことも起こっています。
  結果として、その施設が稼働して、若干なりとも賃料が入る。なおかつ、いろんな人が出入りして、空き家が人がいるという状態になりますので、治安も良くなる。さらには、そこから巣立った人が新しい雇用機会を提供してくれたり、税金を払ってくれたりするということが期待をされるわけです。
  最後が、「規制誘導型」というカテゴリーでありまして、これは土地も建物も全部民間、行われている事業も民間ですが、行政のほうが規制をかけたり、規制を緩和したり、あるいは補助金を出したり、税制上の優遇措置をとったりすることによって、民間に行動してもらうというパターンであります。
  右側の写真は大分県の豊後高田の昭和の町です。商店街の再生ですので、公有地も何もありません。商店街で物を売るというのは民間のサービスそのものですから、別にこれ自身には公共性はないんですけれども、商店街が疲弊することによって税収も減る、雇用も減る、若い人もどんどんいなくなる。残るのはおじいちゃん、おばあちゃんばかりで、介護や医療の費用がどんどんかさむ、ということを回避するために、一生懸命、この商店街を再生しようとしているということでございます。こういったものも、公民連携の大きな枠組みの中に入るということで考えています。
  このように、皆さんの身の回りにあるものすべて、公民連携になると考えてもいいんじゃないかと思います。純粋で民間だけでやっているとか、純粋に公共だけでやっているものの方がむしろ少なくなっているわけでありまして、もしそういうものがあったら、どんどん公民連携を入れていって、少しでもいいですから、バリュー・フォー・マネーを上げていくということが必要じゃないかと思います。


4.公民連携の失敗と是正策
 
(図15)
  ここからちょっと話が飛びまして、「公民連携の失敗」という話をしたいと思います。
  市場の失敗、政府の失敗ときて、5番目に公民連携の役割というのが出てきたんですけれども、公民が連携すれば、もう全て世の中うまく解決かというとそうでもない。もし解決してくれるのであれば、私の役割もなくて、銀行員をやっていた方がいいんですけれども、そういかないのは、なかなか失敗が多いということです。
  これから7つの失敗の類型を説明しますけれども、これ以外にもあるかもしれません。こういう失敗を起こさないようにするというのが我々に課せられた使命だろうと思います。
  まずは、「目的設定の失敗」です。先程の図を省略してしまってわかりにくいんですけれども、官、民、市民という3つの図を思い起こしていただきますと、官が決めて、民に頼む。官が依頼して民が代理する。市民向けのサービスを行うというのが公民連携の基本的なパターンです。決定者はあくまでも官です。決定の過程に民や市民の意思は反映されていません。
(図16)
  例えば、道路を敷く時には、公聴会というのがあって、必ず民間あるいは市民の意思が反映されるプロセスがあるんですけれども、PFIにしても、指定管理者にしても、民営化にしても、ここは全く聞かれないですね。一応聞いたことにはなっているんですけど、まず本音では聞いてないですね。あくまでも官が必要だと思ったことをやるということです。
  実は、世の中には「官」というものはなくて、首長とか官僚、議員など、それぞれの属性を持った主体はいるんですけれども、官そのものはいないんですね。ですから、今の仕組みは首長がやりたいと思ったらやれる。ここに決定的な問題があります。もっと良いプロジェクトがあるのに、何でそれをやらないのか。不必要なプロジェクトなのに、PPPだから、PFIというふうに入れてしまう。PFIというのはバリュー・フォー・マネーがあればいいということなので、不必要なプロジェクトだけど、バリュー・フォー・マネーがあるからやるんです、ということがまかり通っている。民間からすれば、事業してくれればいい。市民も、あって邪魔になるものでなければ別に構わない。全くブレーキがかからない。こういうことが数多起きています。
  右下の建物の写真は、その典型例として説明でよく使います。ここで固有名詞を出すのははばかられるので、今日は出しませんが、非常にいい、便利な場所で、空いている土地に、非常に低密度の利用しかしないようなプロジェクトをやった例です。そういう土地を使うんだったら、もっともっと高密度で利用して、その分余ったら、それを民間に売って収入にすればいいのにと思うようなことでも、たまたま官がそこに土地を持っていたから、自分の好きなように使うということがまかり通っている。これは至るところで起きているということです。
  銀行員の時は、余りこういうことは言わなかったんですけれども、今フリーになると、本当に納税者にとっては、凄く無駄なことを平気でやっている。それは、決定プロセスにチェックがかかっていないからなんですね。これは、全ての公民連携の制度の致命的な欠陥だと思っています。後程それを緩和するための方策の幾つか事例が出てきていますので、ご説明をしたいと思います。
  これが、目的設定の失敗です。最初に何をやるかという目的が間違っていたら、あとどんなにやっても絶対に解消はしません。民が工夫できるような限界を超えているんですね。意味のないことをやれと言われたら、それを幾ら効率的にやっても意味のないこと自体は変わりません。これが実は非常に多い、というのを痛切に感じているところであります。
(図17)
  2番目のパターンが「民へのアンバランスの失敗」ということです。これはバロメーターでありまして、官が民に実施させるわけですね。役割分担して、できるだけ民さんとって下さいよ、と言って、バーンと放り投げちゃったケースです。民の役割が大き過ぎてリスクを負担し切れずに、経営が破綻します。
  これは、タラソ福岡というPFIで破綻した唯一の事例です。福岡市のPFI事業で、サービス購入料、委託のお金も入っているんですけれども、それ以上に市民から自分でお金がとれると思った民間事業者さんが手を挙げて、市からの金額が非常に少ない応札をしまして、勝つわけです。市はちょっと心配だったんですけれども、もうそういう条件を提示した以上、この人に勝たせるしかなかった。残念ながら市民からの収入は驚くほど少なくて、資金がショートして破綻してしまったというケースです。
  どこに問題があったかというと、リスクとリターンの設計がまずかったんですね。非常にリスクが高いにもかかわらず、リターンの方はそれほどでもないんですね。ということで、この人は事業ができなくなりました。これはこの人の勝手でしょうとは言えないんですね。というのは、もともと自分でサービスすべきものを、この人にサービスさせると決めたので、この人ができなくなると、一時的ではありますけれども、このサービスが途絶えてしまうわけです。タラソという公共サービスが、もし必要だというのであれば、一瞬たりともそれは途絶えちゃいけない。タラソだから途絶えてもいいというんだったら、最初からPFIにするという話は成立しない。公共サービスである以上、途絶えちゃいけないんです。実際には数カ月間途絶えて、新しい事業者が入って、今再開をしていますけれども、民間の方に放り投げてアンバランスになったケースです。
  多くの方が気づくように、今、こういう事例が他にありますかと言うと、殆どないんですね。これは本当にレアケースです。事業者が読み間違えたということですので、この一件があったが故に、事業者側の人たちがリスクに非常に敏感になりまして、もう容易なことじゃリスクをとりません。そうすると、反対側の現象が起きるわけです。
(図18)
  官が圧倒的に役割が大きいということです。民が参加していると見えながら、実は殆どが官。これもPFIの事例で申しますと、よくあるのは設計図を渡して設計も終わっています、運営も基本的な部分は全部、官でやります、維持管理だけやって下さいというようなPFIがあります。これは美術館です。あと、大学のPFIなんかもそうなんですけれども、殆ど民の知恵は発揮されないですね。
  バリュー・フォー・マネー、見かけは出ています。0より大きいです。しかし、もっともっと出せるのにということです。例えば、美術館でも民間の美術館だったら、こんな大きな箱なんか造る必要はない。倉庫でもいいぐらいですね。倉庫で中身を充実させる。その代わり人に沢山来てもらって、24時間営業する。例えば、結婚式場にも貸すとか、企業の設立パーティーにも貸す。そういうことで、どんどん収入を得るように工夫すればいい。そうすると、潜在的なバリュー・フォー・マネーがもっともっと出てくると思うんですが、最初の設計でこうなっていますから、そんなことをやらなくてもいいよ、維持管理だけやってちょうだいとなると、公民連携なのか、という気がしてくるわけです。
  「以上が、公民連携以前の問題」と書きましたが、この3つのパターンは、公民連携と呼ぶには辛い。あまり呼びたくない。自分自身が関与した案件もあるので、非常によくないんですけれども、もうちょっと何とかなったんじゃないかと、今、反省をしているところであります。
(図19)
  4番目のパターン。公民連携はしました。役割分担もきっちりある程度できています。官だけでもない、民だけでもない。お互いに得意わざを交換していますという場合にも、「非競争、癒着」というのがあるんですね。PFIの場合には競争原理が義務づけられていますので、一般競争入札か、もしくは公募型のプロボーザルで、必ず競争が入るということになっていますけれども、委託系の世界ですね。業務委託とか指定管理というのは、必ずしも競争が入る必要がありません。
  そうすると、何が起きるかというと、「仲良しクラブ」です。談合と書いてありますが、談合は論外なので、これは外して考えて下さい。仲良しクラブというのは、例えば、地方の案件で、商店街なんかもそうですけれども、地元のことは地元の人にしか分からないということで、地元の人たちだけで会社を作って、地元の人たちだけで運営をしようとする。そうすると仲良しクラブになるんです。実際、何が行われているのかよくわからない。非常に不透明。もとより競争原理がありませんので、もっといいアイデアがあるにも関わらず、それが反映されていない。
  これは、ある地域の市営のスキー場です。スキー場ですよということを表すために図面を置いてあります。市民スキー場を、NPOが指定管理者で委託を受けて運営をしています。大成功している事例と紹介されていますし、当事者の方たちは非常に志の高い方々です。民間企業がスキー場を撤退して、市営に戻しました。市営では意味がないし、お金がかかるので、民間に出したいということで、NPOが手を挙げたというケースで、素晴しいということになっていまして、私もそう思いますが、やっぱりこれは仲良しクラブだろうと思うんです。だから、当事者、第一世代の人達がやっているうちはいいんですけれども、中心のメンバーが代替わりをしていく、本業が忙しくなる、病気になるということになると、その持続性がどうなのかなと思います。
(図20)
  次が「メッセージの失敗」。これは競争はするんだけれども、官の出したメッセージにおいて、最終的にでき上がる事業なりサービスのことを、余りよく考えていない場合には、民が幾らそれに対していい提案を出しても、メッセージそのものが間違っていたり、不十分だったりすると失敗が起きるというカテゴリーです。
  これは、関係している方が多くいらっしゃるので、お怒りになられたらすみません。先にお詫びをしておきます。「汐留」です。汐留が今、町としていい町です、というのはなかなか言えないと思います。それぞれの街区はいいんです。町全体としていいかと言うと、そうじゃないですね。遠くから見て、或いは近くに入っても、あの建て方は何なんだろう、と私自身思ってしまいます。私自身も関与していて、将来そうなる可能性に気づきませんでした。非常に深く反省をしています。
  この場合は、土地を高く売るということが第一目標で、一応、地区計画やいろいろなまちづくり協定はありますが、最終的に建物の向き、形状、高さ、材質を揃えるといったことをしませんでした。ですから、メッセージがなかったが故に、民間はそのないメッセージを前提にして、自分の利益を最大化できる行動をとったということです。この場合は民間が悪いのではなくて、メッセージの出し手が悪い。こういう町を、ああしまったなと思うのであれば、最初から条件を出してないといけないです。
  これは景観の観点で、しょっちゅう起きる問題です。国立市のマンションの訴訟なんかもそうだと思います。最終的にいい町を作りたいのであれば、最初から景観規制を厳しく開示すべきで、後出しじゃんけんになってしまうと、民間はもう倒れてしまいます。官の方には、いろいろな手段が選択肢としてありますから、何でも自由ではなくて、これとこれは守って欲しいのであれば、最初から守って欲しいことを厳格に書いておく。それを守らなければペナルティーですよ、ということを書いておかないと駄目なんですね。
  このメッセージの失敗というのは、非常によく起きます。私はいろんな事業の審査員をやっていますけれども、そんなこと、どこに書いてあるんだということを、後から言い出したりとかということは結構あります。私は必死にそれを抑えています。それはルール違反だと言って抑える側なんですけれども、どうも日本人というのは事前主義というのになれていなくて、最後に取り決めの時に細かいことを後出しするという傾向が未だあります。民間の方もある程度やむを得ないと思っている節もあって、ちょっと困ったものだなと思っています。
  これは、官民のコミュニケーション。相手のことを思って、相手が知りたい情報を与えてあげる。完全にフリーならフリーと書く。少しでも条件があるんだったら、それはちゃんと書いておく。やるべきこと、やってはいけないこと、望ましいこと、望ましくないことを識別して書いておくということが、非常に重要になってきます。
(図21)
  それから、6番目が「ガバナンスの失敗」。メッセージが出されました。競争もしています。正しいメッセージが出されれば、民間はその中で最大の提案をしてきます。契約というのは、募集要項と入札提案書の組み合わせによって成り立ちますので、その段階で契約の事項は決まっているわけです。ですから、ここまでが成功していれば、まず契約は問題ありません。
  契約が問題ないにも関わらず失敗するケースがあるのが、ガバナンスの失敗です。契約書にはちゃんと書いてある。法律、条例にもちゃんと書いてある。だけど、守られない。そんなことは山程あります。典型的な例は、耐震偽装事件です。建築基準法上耐震基準はちゃんと明確化されていて、検査の仕組みがあって、罰則規定もちゃんとある。だけど、偽装というのは起きてしまったわけです。
  何で起きたかと言うと、官と民の間がそんなに単純じゃないんですね。2人しかいなければ、官は民に「おまえ、やれ」と言えば済むことなんですけれども、耐震偽装の場合は、建築主が建設会社を起用し、建設会社が設計事務所を起用し、設計事務所が構造計算の部分だけを某建築士に依頼をする。ここだけで四重構造になっています。
  それから、官の側も、行政自身が検査するんじゃなくて、民間の検査機関というものがありまして、この下にくっついている。ここは二重構造になっていますね。
  官と施主が直接結びついているんじゃなくて、建築主と民間検査機関が結びついている。民間検査機関は誰からお金をもらうかというと、行政からもらうんじゃなくて、建築主からもらうんですね。建築主は建てたい人です。建てたい人がお金を出す、建てたい人からお金をもらうということですので、検査機関は建築主のいうことを聞かないと仕事がないという状況になっている。
  実際に、偽装の故意性というのが誰にあったかわかりません。少なくも本人にはあったけれども、残りはどこまで知っていたか、よくわからない。ただ、こういう人が現れてもおかしくないような複雑な構造になっていたということです。
  仕組みというのは、必ず悪いことする人が出てくる。ゼロというのは無理です。千人に1人、1万人に1人はそういう人が出てくる。出てきても未然に防げるようにする、というのが理想的な仕組みだと思います。建築基準法の耐震の構造計算に関してだけ言えば、それは機能しなかった。余りにも複雑過ぎて、下請けの人までが全てちゃんと仕事をするということをガバナンスする仕組みがありませんでした。
  これは、さすがにいろんな意味で反省をいたしまして、建築士法等を改正して、民の側に十分なペナルティー、資質の向上ということを求めるような方策が進んでいると聞いておりますので、これからは、そういうことは起きないと思いますが、同じようなことは随所で起きるんですね。
  先程、ふじみ野市のプールの事故の話をしましたけれども、あれも、市が委託者に、下請に出し、受けたところがさらに下請に丸投げをしていました。その下請が雇ったアルバイトの監視員がここにいるわけです。その人と市の職員は殆ど接点がない。だから、どういうふうに守ればいいのか、あるいは万一何か事故が起きそうな時に自分はどう行動すればいいのか、ということが徹底されていない。関係が希薄になればなるほど、経済学の用語でいうと、情報の非対称性が著しくなればなるほど、このガバナンスの仕組みは効かなくなる。公民連携というのは本当にそうでございまして、一生懸命徹底したガバナンスをするということが求められるということであります。
  コムスンの事例は、これも公民連携です。国や自治体が本来行うべき介護サービスを、自分達はできないから、民間に委ねているという仕組みです。民間は、市民に有料サービスとして介護サービスを提供すれば、それで構わないわけですけれども、そうすると、お金持ちしかできないので、市民からは1割だけもらって、残りは介護保険という形で、9割が国に入る、あるいは自治体に入って、お金が回るような仕組みになっています。
  従って、介護保険の適用の対象になるようなサービスを行う上では、不正請求をしてはいけないとか、いろんな問題があります。違反した場合には罰則が科せられる。コムスンの場合は不正請求をして、罰則をかけられそうになって、それを逃れるための偽装廃業、偽装譲渡をしようとして、市場から退出命令が下ったということです。そういう意味では、ガバナンスが功を奏した事例といえるかもしれないですね。
  かもしれないといったのは、事はそんなに単純じゃなくて、コムスンの場合は、実はかなり確信犯的なところがありました。官から言われた以上のことを市民に対して提供しているということです。実際には、介護に詳しい方はご存じと思いますけれども、ケアマネジャーがプランを作成して、この人は1日2時間サービスを受ける権利がありますということで要介護1とかというふうにします。すると、介護サービス事業者はそれに沿って粛々とやって、2時間たったら帰ればいいということなんですけれども、コムスンの、ある意味非常に偉いところは、やっぱり行ったらそう簡単に終わらない。ここまでやったら、もうちょっとやってあげたいという時に、従業員を帰さないで残業をさせるということです。残業をさせた以上は、それは労働をさせたのでちゃんと請求をさせるということになる。市民は喜びます。もうちょっとして欲しいのにと思ったところも、ちゃんとやってくれたということで、コムスンさん素晴しいということになるわけです。ところが、介護保険の法体系の中からすれば、それはやってはいけないサービスなので、それを請求することは不当請求になる。
  これは、市民のニーズと官の依頼の内容が違うケースということになります。そういう場合に民はどうすべきか。今までの公民連携の一般的考え方からすれば、市民のいうことを聞く必要はなくて、依頼人である官のいうことさえ聞けばいい。それが望ましい代理人なんですよという解き方をしていますが、このケースが発生すると、どうもそうでもない。本来必要なのに、官が出し渋っているだけかもしれない。贅沢なことを望んでいるので、贅沢なものは自由診療でやってくれということであれば、出す必要ないと思うんですけれども、自由診療のお金を払えないような人が、とにかくお金がないので、昼間家族みんな働いて夜クタクタで、そういう中で要介護の重介護者がいて、夜中でも発作を起こしたりする。そういう時に見捨てて、ほっておいて帰れるか。帰れない。この場合は、むしろ依頼人の依頼内容が間違っているんじゃないかということが、今、問題提起をされています。
  そういう時に民はどうすべきか。公民連携のルールの中でどういうふうに解決すべきかが、今、私自身大きなテーマになっています。別にコムスンを擁護しているわけではありませんが、その点に関していうと、折口会長の発言には非常に理があるかなと思います。
  これから、いろいろなところが名乗りを挙げていますけれども、訪問介護にはそういう実態がありますので、譲渡を受けたところがそういうことをやるのかやらないのか、どうするんだということを決めないといけない。やらなくてもいいのだったら、サービスを受ける側が困っちゃいますね。やりなさいということになると、今度は受けた側が困っちゃいます。官はどういう判断をするのか。そう単純じゃないと思っています。恐らく来週ぐらいから、その議論になります。今はニチイ学館とかイオン系、ワタミ、いろいろなところが手を挙げていますけれども、どういう条件なのか、コムスンとやっていたことと同じことをするのか、保険の範囲内で限定するのか、あるいはその中間なのか、そこを具体的に役割分担のバランスを提示してもらわないと、どれがいいかなかなか決められないのではないかと思います。余談ですけれども、これは結構重要な話だと思います。身の回りにいろいろ転がっている話だと思います。
(図22)
  最後。ガバナンスしました。仕組みをちゃんと作って徹底的にチェックしました、それでも失敗するケースがある。「不確実性の失敗」。ちょっと用語がよくなくて、混乱を招くので、言葉を変えようかと思っております。この場合も、要介護のサービス、受けるべき人のサービスというのは大体決まっています。2時間やるか2時間半やるか、という差はありますけれども、全然違うことをやれと言われているわけではない。
  例えば、まちづくりです。商店街に来訪する観光客を20万人に増やしなさい、30万人に増やしなさいと言われる。この写真は豊後高田ですけれども、今、「昭和の町」が大ヒットしまして、年間20万人の観光客が集まるようになってきています。まだまだ増やしたい。30万人に増ふやせと言って、民間に頼むとしますね。そして、30万人増やしますという契約をする。それって、契約して守れるようなことだろうか。
  あるいはベンチャー振興。ある都道府県でインキュベート施設を造りました。非常に安い家賃で入れてあげます。その代わり、あなたは5年以内に株式をどこかに上場して下さいということを契約したとします。5年以内に上場するとか数年以内に観光客を倍増するというのを、目標として掲げるのはいいんですけれども、物凄く不確実なことですので、契約しても意味がないんですね。5年以内に上場できなかったら出ていきなさいというのは、ペナルティーにも何にもならない。できるかできないかわからないことは、ガバナンスができないだろうと思うんです。
  実は、身の回りにあることって、結構こういうことが多い。そもそもガバナンスになじまないようなことが非常に多いということだろうと思います。こういう場合にはどうするのか。答えに余りならないんですけれども、豊後高田の場合にはTMOというのを作りました。官だけでは駄目、民だけでもどうも駄目だ。そこで、これは第三セクターなんですけれども、不確実性を管理する中間媒体というものを置くんです。
  この人がやるよりはより不確実性を管理しやすいような人、例えば、ベンチャー振興をやりたいのであれば、もうその仕事をベンチャーキャピタリストに委ねてしまう。ベンチャーキャピタリストに委託するということです。
  ベンチャーキャピタリストは、確実にコントロールできるかというと、そんなことはできません。そんなことはできませんけれども、公務員がやるよりは、はるかにノウハウがあります。彼らは自分たちの記録、トラックレコードというのを持っていて、こういうパターンだったらこういうふうになるとある程度読めるわけです。そうすると、確実ではないけれども、公務員がやるよりははるかに不確実でなく、それを管理することができる。そういう人にうまく来てもらって中間媒体に入ってもらうというのが非常に大きなポイントになります。
  そういう意味でいくと、ベンチャー振興というのは、ベンチャーキャピタリストとかインキュベートマネジャー、そういう人が結構いますね。事業再生でも、最近、事業再生のマネジャーが、ようやく出てきましたから、ある程度そういう人たちが出てきていると思います。
  まちづくりとなると、そこまでは行ってないかなと思います。歴史が長い割には、この領域は不確実性を総体的に管理できる人が少ないという気がします。皆さんご関係の方がおられれば、必要なのは気合いじゃなくて、不確実性の管理能力だと思います。できるだけリスクを小さくして管理することができれば、恐らくご商売も大繁盛すると思います。
  ということで、7つの失敗の類型をご説明しました。この中のかなり多くの部分、特に最初の方の系列は、官が全部自分で決めてしまう、人の意見を聞かないで自分で決めてしまうことによって失敗が起きる、ということが非常に多いということでありまして、私自身は民間提案とか市民参加というのをどんどん進めましょうと言ってきております。
(図23)
  一般論で言っても仕方ないので、いろいろなところで一緒にやっていまして、そういう中で先駆的な事例が出てきていますので、最後にご紹介をしたいと思います。
  最初は、市川市の1%市民団体支援制度で、テレビにも登場して非常に有名な事例です。ご存じの方も多いと思います。市川市長が、NHKのテレビを見ていたら、ハンガリーで1%制度というのをやっていまして、それを見て、これを日本でもやりたい。翌朝職員に指示したら、「ウーン」と唸って、「それは日本の税制では無理ですよ」と言おうとした。ところが、市長に怒鳴られそうだったので、総務省に聞いたら、「問題ないんじゃないか」という話で、実現した画期的な制度です。
(図24)
  少しご説明しますと、もともと市川市は市民向けのサービスを市民団体、NPO、例えば三番瀬環境保護ネットワークというNPO団体があるわけですけれども、そういうところに助成金を出して委託して実施してもらっています。そういう予算が年間何千万円とある。これは市民団体の支援というよりは、市民団体が行うサービス支援ということであります。ですから、三番瀬の環境保護、或いは教育というのは本来は市が行うべきサービスですけれども、市がそういうところまでやっていたら、公務員が肥大化してしまうので、NPOにやらせましょう、市はお金を出して監視はするけれども、実施は市民団体にやらせるということです。
  この問題は、官、市が市民団体を決めるということです。どの市民団体が必要な仕事をしているのかを決めているのは市で、市が間違えた決め方をすれば、間違えた市民団体が選ばれて間違ったサービスが行われる。では、1%支援制度というのは何をするかというと、まず市民団体が翌年度の事業計画、つまり、私たちはこういうことをしますよということを開示します。市に提出するわけです。市はそれをホームページに載せたり、市の広報に載せたりします。市民はそれを見る。見て、自分は三番瀬環境保護ネットワークサービスが、非常にいいと思うので、そこを選びます、というわけです。
  選んだら何が起きるかというと、市民は住民税を市に納税しているわけですけれども、そのうちの1%相当が助成金になる。1%相当は官ではなくて、市民が自分で決めているわけです。右と左の市民は、色は同じですけど、一致する必要はないんですね。自分が受けたいサービスをしてくれるところを選んでもいいですけれども、全然関係のない、それはいい活動だ、そういうのは自分も賛同するというものがあれば、それを指定すればいいわけです。左は納税者としての市民、右は受益者としての市民。分離しています。
  1%だけですけれども、官の予算を決めるという決定権限を奪っています。ですから、その限りにおいては、官はもう自分で決められない。決められないから、これは財政や税制の基本原則を壊すものだと言う人もいますが、財政は原則のためにあるんじゃなくて、我々のためにあるわけであります。この1%を決めた途端に何が起きたか。市はたとえ1%であっても、自分達が今まで決めていたことと、その1%の結果が余りにも乖離していたら、自分達の判断が間違っていたということになるわけです。物凄く緊張感が出てきたと言われています。
  ということで、ほんの数千万、1000万とか2000万円の単位で、画期的な制度が始まっています。
(図25)
  2番目。これは、同じく千葉県の我孫子市の提案型公共サービス民営化制度というものです。これは、市が行う公共サービスを民間やNPOにやってもらうわけですけれども、自分ができますよという人は発案して下さいということになっています。先程の例は、事業が予め決まっていて、その中での選択ですので、選択肢が狭いんですけれども、こちらの特徴は、我孫子市の何部何課の事業、全事務事業が全部出ています。例えば、職員の人事考課も出ています。それも自分がやったほうがいい、つまり、上司が密室で人事考課するよりも、客観的な事実に基づいて評価する方がはるかにモチベーションが上がると思えば、そういうことを発案することができます。これは初めての試みでございまして、この後、続々とまねをされていますけれども、画期的だったろうと思います。
  それから、もう1つ画期的なのは、これはまねをされていないんですが、この人達は、自分がその仕事をとりたいから提案をするわけです。ところが、提案をし、事業をやる、委託しますと決めた途端に、それは委託の通常のルールに基づいて競争が始まり、公募をすることになります。提案した人は自分がとれなくなるかもしれない。人に仕事を与えるために自分が提案するというのは、ビジネスからすると非常におかしなことが起きてしまうという矛盾が生じるんです。
  我孫子市の場合に何をしたかというと、この人たちの提案に知的所有権が十分認められる場合、何でもいいわけではなくて、このアイデアは素晴しい、このアイデアだから市は民営化しようと思ったという場合には、随意契約を認めるということになりました。
  実際に、3件ほど認められています。これは基礎自治体のケースなので、都道府県とか政令市では難しい要素があると思いますけれども、競争性をなくして、その代わり知的所有権のあるもの、付加価値の高いものを出せば、競争しなくてもいいというのは、民間にとってみると非常に動機づけとして強いと思います。こういうことも、片や行われている。何となく競争原理に反するよということですが、競争原理というのはみんな同じ競争をしていれば競争原理ですけれども、知恵を出した人が一歩先に行けないのであれば、悪平等の競争ということになりますので、それを調整する仕組みの事例になります。
(図26)
  それから、悪平等の競争で言うと、PFIの提案制度というのがあります。これはPFIをやっておられる方、皆さんご存じです。PFI法に民間からの提案に基づきとちゃんと書いてあるんですが、民間が提案するなんてことはあり得ません。何故ないかというと、提案したからといって、自分が仕事をできるとは限らないから。そんな無駄なことには誰も知恵を使おうとはしません。その結果何が起きるかというと、官が決めてしまうわけですね。民間が提案しない以上自分で決めるしかないじゃないのということで、やらなくもいいようなことをやったり、やらなきゃいけないようなことをやらなかったりということになります。
  PFI協会は、民間だとちょっと発案しにくいだろうからということで、PFI協会が1回それを受けて、PFI協会として、中身を少し修正をしたり、確かに価値があるということを証明した時点で官に持ち込んで、実施をしてもらうということになっています。残念ながらこの場合も、この民間が優位になるということにはなっておりません。今、PFI協会も、有利にならないと動機が弱いということで、提案者に加点してくれ、100点満点中2点とか3点足して下さいということを要望しています。合理的だろう私は思います。そういったことが、今、行われています。
(図27)
  これはもう既に締め切りましたけれども、東京都の市場化テストです。先程の我孫子市と同じで、今回は市場化テストなので、委託先が民だけじゃなくて、都の場合もあります。都の事業部局と民間が市場化テストを行う。その対象事業を提案募集しておりまして、全事務事業が対象になります。我孫子市と東京都というのは2桁予算が違いますから、100倍のマーケットが開いたということになります。
  残念ながら知的所有権は保護されませんけれども、片や、委託だけじゃなくて、指定管理者とかPFIも対象になるということで、これが初めての試みで、かなり大胆な提案も可能になってきています。間もなく、第一陣のどんな提案だったかということが発表されると思います。これは継続的に門戸を開いて、是非どんどん提案をしていただきたい。こういうのをやっても民間の手が挙がらないと、何だ、民間は結局市場を要らないのかというふうに抵抗勢力側から言いわけに使われてしまうので、多少汗代はかかるんですけれども、是非どんどん出していただければと思います。
(図28)
  これは事例の最後になりますけれども、横浜市の新市庁舎の候補地、整備手法提案募集です。今月末、来週半ばぐらいまでに、市民であると否とを問わず、企業でもいいということなんですけれども、募集しています。今、関内の駅前にある市庁舎が老朽化していて、あちこち分散して、非効率極まりない。これを、その場で建て替えでもいいし、別の土地に動かしてもいいということで、いろんなところから候補地とか、整備手法の提案を受け付けています。これも残念ながら知的所有権は保護されません。けれども、例えば、製造業の企業だったら、自分の工場を閉めるから、そこに市役所来てくれということであれば、それは自分の利益にも明らかになる提案になると思うんです。そういうことが今、行われています。
  これは幅広く市民やNPOにも聞いていまして、実現能力は問うていません。実は、大学としても提案を考えていまして、ちょっと奇抜な提案をしようと思っています。そういう形で、今、進んでいるものです。
  比較的いろいろなところで紹介されている事例ですが、これが一番最先端だと思います。こういうものを上回るものが、これからどんどん出てきて、単純にPFIだとか何とかだとかを決めるはるか以前の段階から、民間の知恵や市民の声を聞くというプロセスがどんどん深まっていくんじゃないか。行政の方は、是非そういうふうに進めていただきたいと思います。全部自分で決めようというのではなくて、できるだけ早い段階で知恵を入れる、ということが結果的に自分の利益にもなる。民間はどんどん提案をする。民間が提案すると、行政は、特定の企業と結びつくようで何か嫌だなと思う気もしますけれども、それはこの時世ではなしにしていただいて、前向きの良い提案はどんどん受けるという形で考えていただければいいのではないかと思います。

5.都市経営に望まれること

(図29)
  最後に、都市経営に望まれることということで、都市というのは面です。個別の事業の採算とかそんなことではなくて、地域の面的な費用対効果、これがやっぱり非常に重要です。こういうことをきっちり数量的に把握しないで物事が進む、政治的なプロセスで物事が進むということは、非常に問題だろうと思います。
  それから、責任ある市民参加。今日は、市民の参加の話は余りできなかったですけれども、都市の最終的な経営者というのは市民です。市民が本気でなければ誰も相手にしない。私もいろいろなところでいろいろな話をして、困っている、困っていると行政は言うんですけれども、本当に困っているかと聞くと、実は余り困ってなかったりするということは結構多い。「困っている」ということが口癖になってるような感じです。本当に困っているんだったら、もっと困り方があるだろうと思うんですが、実は余り困ってない。本当に困ってなければ困ってなくてもいいんですけれども、困っているんだったら困ると言わないといけないですね。そうすれば、責任ある参加ができるのではないかと思います。
  それから、行政と市民、企業、ばらばらだったら第三者は入ってこない。地域のブラックボックスは非常に嫌です。みんながまとまって取り組むという姿勢、権利義務というのは、もうちょっと厳密な意味ですけれども、見せてもらわないと、なかなかその地域の中には入っていかないと思います。
  経営という意味では、情報公開や会計基準の民間化です。破綻する可能性が出てきたということで、今度、自治体健全化法というのが成立をしますが、まず会計基準を民間化して、公開すれば、法律なくても未然に防げます。法律によらないとブレーキがかからないことほど情けないことはないわけで、納税者としてはちゃんと地域経営のバランスシートを把握して意見を言っていく必要があると思います。
  それから、ガバナンス、ペナルティーの明確化、民間へのインセンティブ、こういったことが都市経営全体の中では必要になってくるのではないかと思います。
(図30)
  こういうことの1つの究極の事例で、いいか悪いかまだわからない、中途なものですけれども、アメリカで、1つの自治体を丸ごと民営化した自治体が登場しています。ジョージア州のサンデースプリングスという町なんですけれども、警察、消防、救急、911でかけられるところ以外はすべて建設会社に売りました。建設会社が全責任を負って運営をしているという事例です。建設会社ですから、当然建設投資が目的の一部なんですけれども、明らかに運営です。今日は、ゼネコンさんが沢山見えていますけれども、日本の公共支出は114兆円あり、建設投資は2割か25%。どこでもそうです。建設会社がハードだけ見ているようでは駄目で、一括した公共サービス全体をターゲットにしないと駄目ですね。金融機関も不動産会社さんも皆同じですね。ハードを仕事にしているようでは、もう駄目です。これはもう、先駆的な事例になると思います。
  実は、これは余り情報がありません。本当にちゃんとうまくいっているのかどうかということについて、情報を集めて研究をする集まりを開こうということで、9月27日に日米PPPフォーラムを開催します。これは、昨年第1回目を開きまして、今年、第2回目なんですけれども、冒頭出てきましたアメリカのNCPPPというところがメインになりまして、私どもは場所を提供して開催します。その時に、サンデースプリングスというのが、昨年度のアメリカのPPP大賞というのを受賞しています。PPP協会の人達に来ていただき、いろんな案件を見て評価して、何故これが良かったのか、あるいは良くなかったのか、うまくいっているのかいっていないのか、という話を、この日にしてもらおうと思っています。まだ、ご案内は出せない状況なんですけれども、開会をしたら、ご出席いただければと思います。
  その他、PPPの私どもの大学院に関する情報は、pppschool.jpというところに網羅してあります。メールマガジンにご登録ができます。今日の配布資料の2ページ目に申込書がありますので、そちらの方にお名前とアドレスを書いておいていただければ登録先に登録させていただきます。
  時間を超過してしまいましたけれども、以上で私の話を終わらせていただきます。
(拍手)

フリーディスカッション

與謝野 根本先生、ありがとうございました。
  公民連携の視点からの貴重なお話の数々をありがとうございました。
  それでは、時間が20分ほどございますので、ここで、せっかくの機会でございますから、ご質問を3〜4点お受けしたいと思います。どうぞご遠慮なく挙手をお願いいたします。
斉藤(セガミホールディングス) 一昨年でしょうか、景観緑3法というのができたと思うんですが、あれの運用と、このPPPのコラボですはかなり進んでいるんでしょうか。その辺をちょっとお尋ねしたいんですが。
根本 もうちょっと具体的におっしゃっていただけますか。
斉藤(セガミホールディングス) 景観緑3法という法律が一昨年ですか、施行されたと思いますが、あれを実際にこのPPPとの関係でいろいろ運用されていくのかなと想像していたんですが、現実はどうなのかなというところお尋ねします。まちづくりとかそういうところも関係してくると思うんですが、その辺の実態が見えないもんですから、その辺をお教え願いたいと思います。
根本 どうお答えすればいいでしょうか。PPPのプロジェクトそのものの前提としてその地域が景観法に基づく何らかの計画を持って規制をかけているということであれば、それは当然PPPプロジェクトにも及ぶ話ですので、それをもってコラボというのであれば、コラボレーションは進んでいると言えると思いますけれども、どうでしょうか。PPPであるが故に、特に過剰的な規制がかかるとか、そういうことではないので、PPPが始まる前提としてそういうものが使われているということはあると思います。
  ちょっと、ご質問に直接答えられなくて申しわけないんですが、ただ、意識としてあるのは、公共事業でやればそういうコントロールが、自分でやる話なので十分できるけれども、PPPでやれば、民間に渡すため不安なので、予めルールを明確化しておくというのはあります。そういう意味では、PPPが普及すればするほど、景観系、景観系だけではないですが、ルールというのは事前明示主義なので、そういう意味では、ちゃんと可能なものはルール化しておく傾向がますます強まるんじゃないかと思います。
  ご参考までに、メールマガジンで、景観規制を経済の立場から推進すべきだという話を書いてあります。実際、景観というのは、経済主体からすれば、外部のことです。外部のことがいいのか悪いのか、というのは決定的に重要なわけで、外部がいいまま保全されるのであれば、それはよりリスクを負った投資ができる。メールマガジンでは、目の前にラブホテルを建てられた工場の社長さんの話が出ていますけれども、外部的に不経済なことが起きれば、自分がやることも、それを前提にして行動してしまうので、みんなが足を引っ張り合うということになります。公民連携をしようと思えば、民のリスクを小さくしてあげる上で、外部側の規制をある意味で鮮明にしておく必要がある。自由なら徹底的に自由だし、規制するんだったら、ちゃんとするということです。中途半端は駄目です。あるようでないようで分からないところに、実際投資してみたら、ありましたというのが最悪なので、そういう意味で景観に関して言えば、規制する方向で動いていくと思います。
高山(ポラス梶j 住宅関係をやっております。先生のお話は、マスコミを含めて新聞紙上とか、ある程度は知っていたつもりなんですけれども、非常に整然と整理されたお話で大変ありがとうございました。
  まちづくり関係でご質問したいんですけれども、住生活基本法とか景観を含めて、ストック型の時代に向かって、あるプランナーの世界では、これからは、地域マネジメントが凄く重要である、と言われています。大きく見れば先生の今日のお話もその辺に絡んだ1つかなと思ったんですけれども、1つの団地コミュニティという観点から考えますと、アメリカでのお話が、今、ありましたが、それに非常に近いものでホームオーナーズアソシエーションという、自治権をある程度持ち合わせたような活動がされています。
  日本の1つの大きな団地でしたら、今日のお話のような観点で、団地の法人、自治会というところが、その団地の管理に関わることを、今日のお話のような形で市のほうから業務委託ではないですけれども、役所が本来やるべきようなものを受けて、自主管理的にやっていくことが可能なのかどうか。或いは、これから、その辺のことも国策的に動くのか。または、他の市町村でも、そんなような動きがあるのかどうかを教えて下さい。
  1つ大事なのは、住んでいる方が、身の回りの関心、自分のたちの町は自分たちでやっていくということかと思います。お話を聞いていまして、その辺のところが突破口になって、自分の、我が町を見直していく、或いは最後は美しき国につながっていく、そんなふうに思ったんですが、いかがでしょうか。
根本 この図でいくと、ホームオーナーズアソシエーションというのは真ん中の民に入ってきます。税金を払って官からごみ処理、警備などのサービスを受ける一般的な住宅地のサービスとは別に、付加的な部分を自分達で管理運営する。この民が、アソシエーションになると思うんです。市民でもありながら、自分たち向けのサービスも代行するというパターンです。そういう意味ではシビルミニマムと言いますか、官からは最低限のサービスしか受けられないので、より高度なサービスを自分達だけで提供しようと思えば、こういう形態に必然的になってくると思います。
  アメリカの場合には、低所得者と一緒に住みたくないような人が、所得のバリアとして、実際にゲートを造ったりすることもありますが、非常に厳しい協約を結んで、その協約に賛同する市民だけが入ってきて、その人達から高い料金を取って、参入障壁を設けるというパターンがあります。自分達の財産と安全を守るということだと思うんです。
  動機はともあれ、それは当然行って差し支えない行動ですし、でき上がった町の美しさたるや、日本のニュータウンの比じゃないぐらいきれいだということもおっしゃる通りだと思います。
  そうすると、何のために税金を払っているんだという話になって、税金の減税要求が出て来る。アメリカの場合は、実際にそういうアソシエーションが減税要求して減税を勝ち取るというケースが沢山出てくるらしいです。こういう構造がアメリカではどんどん発展をしてきていると私は聞いております。
  日本でどうかということですが、日本でも趨勢としてはそうです。単純に官に税金でやらせてあげているサービスでは、町の本当の価値は維持できないということで、自分達も入って、自分達の町は自分たちで守ります。税金払っているんだから、自分たちで町を守る費用は税金の中から出して下さい、ということが起きてきていると思います。
  例えば、私道を清掃するような事業を行うNPO法人が指定管理者になって、公道の部分も、あわせて清掃、美化を行うという場合、これは例えば汐留とか北鎌ヶ谷で実際に協議会が入ってやっています。空間の整備ビジネスを、自分達の土地の周りの道路とか公園も含めて営むようになれば、そこでお金が回るようになるわけです。
  官の方は委託してしまえば、後は、お金で解決するということになりますので、行政改革にもなります。市民は自分達が提案してやっているわけですから、一番すっきりするということで、この形態が比較的、今、普及しつつあるのかなと思います。
  将来的にはアメリカみたいに、もっともっと、景観だけでなくて、住む人の所得、職業、家族構成、年齢まで条件として規定するような、ある意味で独占的な街づくりが出てくる可能性があるかなと思っていて、それがいいかどうか別にして、向きとしてはそういうことがあり得るかなというふうに思います。
大村(ボヴィスレンドリース) 最後の民間提案の促進のところについて、教えていただきたいんですけれども、民間の自由な発案をなるべく盛り込みたいと考えた時に、募集する側が民間の自由な発案をより多く取り入れたいと考えながら、募集要望書を書くとしますね。その時に、なるべく行間を呼んで欲しいという募集要望書を書けば書くほど、後出しジャンケン的な、あれも加えてくれ、これも加えてくれというような事前主義との矛盾が出てくるのではないかと思います。そういう自由な発案が出てきた時に、誰がジャッジできるのか。それをジャッジするのが、幾ら立派な提案が出てきたとしても官であるという前提が崩れない限り、なかなかいい提案は出てこないのではないか思われるのですが、いかがでしょうか。
根本 そこは、もう宿命だと思います。それはトレードオフなので、今の状況は、ジャッジが難しいから、或いはルールを全部言わないと民が不安だから、民の側も全部言ってくれないと不安だからと、事細かく決める方向になっていまして、結果的に全部決まってしまうということになるんです。フリーにしろと言うのは、後出しを認めるということじゃなくて、フリーのところはあくまでもフリーなんですね。後出し禁止、自由と言ったら徹底して自由なんですね。
  だから、2つご質問があったと思いますが、自由とは言いながら自由でないというのは、ルールとして禁止するというのが1点ですね。ジャッジについては、これは宿命なのでしようがないんですけれども、順番をつけておくことはできるかなと思っています。いろいろな複合的なプロジェクトであればあるほど、価格と質、質もいろいろな異なる質がありますが、賑わいだったり、安らぎだったり、殆ど定量化できないのもあるんですが、それは事前にある程度十分議論をしておくことによって、審査における恣意性というのはかなり排除できるということだろうと思います。
  今までやった中で、その辺が一番大変だったなと思うのが、東京都の原宿警察署です。隣が自由提案ですね。原宿警察署は警察署ですが、自由提案の部分は自由提案で、安らぎとか賑わいがある。そういう7つも8つも全然質の異なるものを最終的には1つの指標にしなきゃいけないということですので、それは結構大変でした。
  やってみればできないことはないな、という感じであります。それが難しいから全部決めてしまおうという方向にいくのではなくて、難しくてもチャレンジする方向にいくということを、私としては期待したいという感じです。
松井(大日本コンサルタント株式会社) 今日は、わかりやすい話をどうもありがとうございます。
  レジュメにも書いてありますが、PPPの最大の目的が、費用対効果の最大化問題としてとらえるというのは非常にわかりやすく思います。それでは、この命題である費用対効果の最大化問題は、事前の評価は難しいのですが、実際にPPPを、今は試行段階でやられている中で、今、一体誰がそれに一番アクセスして、評価しようとしていて、それは実務にどのように反映されているか、というのに興味を持ちました。教えていただければと思います。
根本 そういう意味では、社会的な意味での費用対効果は、今は計算してないですね。あくまでもプロジェクトベースです。それが、バリュー・フォー・マネーだったりするんですけれども、例えば、あるところに空き地があったとして、それを、美術館を容積200で建てるのがいいか、容積1000%で住宅を建てるのがいいのかということの比較はしてない。そこをやらないと、どっちが本当にいいのかというのは分からないと思うんです。
  それでは、その2つが完全に順番をつけられるかどうかというのは、また別の次元で、それはできないですね。できないですけれども、何通りかのパターンがある時に、それぞれこういうものですよというのは出てくる。例えば、容積1000で住宅を建てて、600部分は民間のディベロッパーに売ったら、これだけキャッシュが入ってくるだろうから、それは公債の返済に回したら、財政力は、これだけ改善されるという架空の数字は出てきますね。それを並べての議論はできるんです。
  今はそれ以外のことは一切排除して、たまたま官が決めた中で、美術館だったら、A美術館タイプとB美術館タイプのどっちがいいかぐらいのことしかありません。それ以外の選択肢は全くない状態でやっていますので、それがいいかということなのですが、完全に社会的な費用対効果がすべて計算し尽くせるとは全然思ってないし、それを言ったらかえって嘘になって、話が止まっちゃうと思います。材料は提供できると思います。
與謝野 ありがとうございました。
  本日は、公民連携という視点から見た都市経営のあり方等について、大変にわかりやすい体系立てられたご説明をいただき、その上、PPPについての幅広いプラグマチックな知見の紹介にもとづく深い理解を、皆さんにおかれましても得られたことと存じます。皆さんの日ごろの業務にこの点を生かしていただければ幸いでございます。
  それでは、最後に、貴重なお話をいただきました根本先生に大きな拍手をお送りいただきたいと思います。(拍手)ありがとうございました。


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