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第237回都市経営フォーラム

『 中東の構造変化と新たな開発ニーズ

講師:  脇 祐三 氏 日本経済新聞社 論説副委員長 兼 編集委員

 
                                                                           

日付:2007年9月20日(木)
場所:ベルサール九段

                                                                            
1.膨張続ける中東社会

「多子若齢化」の衝撃

3. 若年層の雇用問題と構造改革

4.新たなオイルブーム

5.脱石油モデル示したドバイ

6.広がる「ミニ・ドバイ」型の開発ラッシュ

7.インフラ再整備・水と電力が焦点に

8. 循環型社会への意識転換

9.公共交通機関・物流基盤も重要に

10.川下への展開目指す工業化の流れ

11.「人間開発」が大きなテーマに

12.日本と中東・「重層的な協力関係」が課題に

12.フリーディスカッション



 

 

 

 

與謝野 皆さん、こんにちは。
  それでは、本日の第237回目の都市経営フォーラムを始めさせていただきたいと思います。皆さんにおかれましては、9月になってもお暑い中、またお忙しい中を本フォーラムにお運びいただきまして、本当にありがとうごさいます。また、長年にわたりまして本フォーラムをご支援いただきまして、ありがとうございます。
  既にお知らせしておりますように、このフォーラムは、来年1月から都市経営フォーラム改め「NSRI都市・環境フォーラム」という呼称で引き続き開催することとしております。都市にかかわる問題だけではなく、広く環境分野の諸テーマそしてデザイン分野、さらには社会テーマについても取り上げさせていただきたいと考えております。皆さんにおかれましては、引き続きのご支援、ご鞭撻のほどをよろしくお願い申し上げます。
  さて、本日は、目を海外に向けまして、今、世界の中で熱いまなざしを向けられております中東地域の社会の動向について、その最新の動向を講師からご紹介いただき、中東と日本との多層的な協力関係のありようと今後の課題などについて学びたいと思います。とりわけ、「脱石油モデルを示したドバイ」をはじめとする各地域の開発モデルには多くの学ぶべき示唆があるものと拝察しております。
  本日の講師にお招きいたしましたのは、日本経済新聞社論説副委員長で編集委員であられます脇祐三様でいらっしゃいます。脇様におかれましては、ご多忙の中を本講演をご快諾いただきまして、まことにありがとうございました。
  脇さんのプロフィールにつきましては、お手元のペーパーのとおりでございますが、1976年に日本経済新聞社に入社されて以降、主に中東・アラブ地域やヨーロッパをご担当されまして、編集局アジア部長、国際部長を歴任されまして、現職に就かれておられます。著書もご案内のペーパーのとおり多数執筆され、まさに現代における中東を中心とする国際外交・経済報道の第一人者でいらっしゃいます。
  本日の演題は、ご案内のとおり、「中東の構造変化と新たな開発ニーズ」とされておられます。それでは、脇先生、よろしくお願いいたします(拍手)

脇 ご紹介いただきました脇でございます。日本で中東を専らやっているジャーナリストのほとんどは、パレスチナ問題であるとかイラク情勢とか、政治マターが中心です。私の場合は所属しているところが経済新聞ですから、長年、経済の視点から中東を語ることに力点を置いてきました。日本で中東への関心と言うと、まず石油、或いはオイルマネーの投資への関心が経済界では強いので、過去30年近く、もっぱら中東産油国ウォッチャーという仕事をやってきたわけです。
  中東と言うと、パレスチナ問題やイスラムの話になりがちです。私もそういうテーマで話すこともありますが、イスラムのうんちくを傾けても、聞けば聞くほど中東がわからなくなったりするかもしれません。ということで今日はまず、社会経済的に中東とはどういう構造の地域か、その構造がどう変わりつつあるのか、そこでどういう経済的なニーズが生まれているか、を主題にするつもりです。お集まりの方々のリストを拝見すると、建築関係とかエンジニアリング関係の方が多いので、今どういう開発プロジェクトが焦点になっているかということも含めて、お話ししたいと思います。

 
1.膨張続ける中東社会

 いつも中東の話をする時には、まず中東が2つの意味で拡大しているということを認識していただきたいと強調しております。
  1つは、ジオグラフィー(地理)の変化です。もちろん中東という地域が自然に広がるわけではありません。我々が狭い意味で考えている中東地域といえば、イラン、サウジアラビア、イラク、レバノン、シリア、それからエジプトあたりも含めた地域を指すわけですが、冷戦後の動きを見ていると、中東と政治的に連動する地域が外側に広がっていることがわかります。例えばロシアにおけるチェチェンの内戦、バルカンの旧ユーゴスラビアのボスニアの内戦、コソボの戦いなどで、共通していることは一方の当事者がすべてイスラム勢力という事実です。イスラム勢力側に中東から色々な援助資金が流れ、チェチェンとかボスニアの内戦では中東からイスラム勢力側に肩入れする義勇兵も現地に行ったりしています。
  そして、中央アジア諸国や南アジア諸国などでは、中東と同じように反政府勢力が既存の政治秩序に対抗する旗印として「イスラム」を掲げています。狭い意味の中東を超えて、「中東」的な地域がユーラシアに広がっているとも言えるでしょう。
  もう1つの大きな変化は、ジオグラフィーという地球の上の現実じゃなくて、仮想空間の中で中東が広がっていることです。アルカイダとかイスラム過激派の活動は、インターネットの存在を抜きにしては語れません。アメリカが9・11の後、アルカイダのベースがあったアフガニスタンにミサイルを撃ち込み、兵隊を送り込み、物理的な基盤を壊したわけですが、その後、イスラム過激派の国際的な活動が下火になったわけではなく、逆にどんどん広がっています。マドリードでテロが起きたり、ロンドンで何回もテロが起きたり、広がっているわけです。
  イスラム過激派が今、どういう活動をしているかと言うと、我々の世代なら立て看板とかガリ版刷りでやっていた檄文の発表を全部インターネットで発表しているし、コマンドの募集も、犯行声明の発表も全部インターネットを使っています。爆弾製造法やテロのやり方のノウハウの伝授、これもインターネット経由です。
  インターネット空間があるから、彼らは極めて自由に活動できるし、インターネット空間は巡航ミサイルでも爆弾でも破壊できないわけです。これが今日、イスラム過激派の活動が何故世界に広がり、なおかつ抑え込めないかの重要な背景です。サイバースペースという、政治権力や軍事力で統御できない空間が存在するからです。
  先程のジオグラフィーの問題でいきますと、9・11の後、ブッシュ政権がいわゆるテロとの戦いをやっていますけれども、ブッシュ大統領の演説で出てくるキーワードの1つ、それからG8サミットのたびにテロ絡みの声明に記されているのは、「中東」という表現ではないのです。中東は英語で「ザ・ミドル・イースト」ですけれども、一連の政治文書或いはブッシュ演説では、多くの場合、「ザ・ブローダー・ミドル・イースト」(より広い中東)という表現になっています。
  旧ソ連、中央アジア、南アジア諸国なども併せ、中東と似たような政治構造或いは中東で起きている政治動向に連動しやすい地域を含んだ中東的な世界、地理的概念を超えた中東的な世界が存在している、という認識を示しているのです。
  その「より広い中東」に、アメリカは9・11の後、軍事力をテコに乗り込んで行って、アメリカ的に変えようとしたわけですが、イラクでつまずいて挫折しました。
  その一方で、仮想空間の方でイスラム過激派の活動がどんどん広がり、過激派に共鳴するネットワークも拡大しているのが現状です。
  アメリカがイラクに乗り込んで行ってしばらくしてから、イラクの過激派が米軍をターゲットにした爆弾テロを頻繁にやるようになりました。その犯行現場の映像、つまり、爆弾が炸裂して、アメリカの装甲車とか戦車に被害が及ぶ映像が、数時間後、或いは半日、1日後に極めてうまく処理されたビデオ映像になって、宣伝ビデオとしてインターネットで世界に発信されるようになりました。
  このビデオの制作者のハンドルネームが、「イルハーブ007」でした。「イルハーブ」というのはアラビア語でテロリストという意味です。アメリカの情報当局、ヨーロッパの情報当局が、このイルハーブ007とは何者かと必死になって追いかけ、2〜3年後に意外なことから捕まるのです。その人物はイラクのアルカイダの宣伝部長的なことをやっていたわけですが、正体はイラクに行ったこともない、イラクのアルカイダの連中と全く面識もない、イギリスのロンドン郊外に住んでいたモロッコ系のITを専攻している学生だったのです。
  要するに、イラクの過激派と全く面識のない人間がイラクの過激派にシンパシーを抱き、彼らの広報活動の最大のクリエーター、実行者を務めていたわけです。今は、こういう結びつきが世界中に存在している時代です。
  「イラクのアルカイダ」もそうですが、マドリードとかロンドンとかでテロがあると、「ヨーロッパのアルカイダ」という名前で犯行声明が出てきます。そうすると、アルカイダという一つの国際組織があちこちに支部を持ち、中央の司令に従ってテロを次々にやっているように思いがちです。しかし、実際には、それぞれの地域に反米的な過激なことをやりたがっている人たちがいて、それがインターネットという、お互いに顔が見えなくてもちゃんとコミュニケーションできる緩やかなネットワークの中でつながって、行動していると考えた方が、実態に近いでしょう。
  日本のメディアでは、9・11以後、アルカイダという名前の前に「国際テロ組織」という枕言葉を新聞スタイル上つけるという約束事になっています。単にアルカイダと書けばいいところを、一々「国際テロ組織アルカイダ」という表現にしますから、ますますもってアルカイダという多国籍大組織が存在しているかのごとき認識になるのです。実はそうではなくて、アルカイダという呼称が一種の世界ブランド化した結果、いろんな地域でアルカイダにシンパシーを持ち、同じようなことをやりたがっている連中が、自分たちはどこそこのアルカイダと名乗っていると考える方がはるかに実態に近いのです。
  この問題については、ブッシュ政権が「テロとの戦い」をアメリカ国民にイメージさせる時に、アルカイダという悪の権化みたいな組織があり、世界中で悪いことをしているという構図の方が、世界のことをほとんど知らないアメリカ国民に浸透しやすいため、何でもかんでもアルカイダと結びつけるという別の政治的要素もあります。
  ブッシュ政権は今、イラクの話、アフガニスタンの話をする時も、アルカイダの「中央司令部」が残っていて、そこからあちこちに命令を出して、いろんな悪さをしているという説明をしたがるわけです。その方がアメリカ国民に理解されやすいからですが、実際には、どこそこのアルカイダと名乗っている他地域の過激派同士はほとんど直接の面識もない関係だということです。

2.「多子若齢化」の衝撃

 次は、デモグラフィー(人口動態)の話です。人口急増で中東社会自体が拡大しているのです。これは中東を理解する上で一番重要なポイントの一つです。日本では人口問題というと、すぐに「少子高齢化」を思い浮かべますが、世界全体では人口が空前の勢いで増えています。とりわけ人口増加率が高いのがイスラム地域です。
  お配りしました資料の人口の推移という表で一目瞭然でしょう。いわゆる中東諸国と、エジプト、リビア、アルジェリアなど北アフリカのアラブ連盟加盟国を合わせた地域を、MENA(ミドル・イースト・アンド・ノース・アフリカ)と呼びますが、MENAの総人口は1970年の時点で大体1億9000万でした。これが25年後の1995年には約3億8000万人になり、今では4億8000万人強、5億人近いところまで増えています。70年から95年の25年間でちょうど倍になり、その後さらに1億人以上増えているわけで、そのぐらい人口増加率が高いのです。
  ご案内のように、イスラム教徒はカトリックと同様で、避妊をよしとしません。子どもは神様からの授かりものであるということで、そもそも避妊をしない家庭が多いのです。ただし、中東とかアフリカのような厳しい自然環境のところでは、生まれた子どもの何割かは大人になるまでに死ぬのがかつては当たり前でした。それが、1970年代の石油ブーム以降、医療がこの地域に浸透し、死亡率が劇的に低下したのです。
  例えば、サウジアラビアでは1970年代に、1000人赤ん坊が生まれると1年以内に150人くらいは亡くなり、それから子どものうちにさらに何百人か亡くなっていました。これが今では、生まれた子供のほとんどが成人に達するわけです。
  その結果、爆発的な人口増加が起きています。日本では、現在、いわゆる合計特殊出生率、女性が一生涯に産む子どもの数は平均1.3まで低下しています。中東では、日本の大正時代、昭和の初めと同じように、6人、7人と産むのは珍しくありませんし、今ではその大半が成人に達するので、著しい人口増加が続きます。少子高齢化とは対照的な現象で、私は「多子若齢化」という造語で呼んでいます。
  人口ピラミッド、世代別人口構成の図を見ると、少子高齢化の日本では中高年のところが出っ張り、子どもが少ないので下の方が小さくなります。ところが、中東の典型的な人口ピラミッドは富士山型で、年齢が下にいけばいくほど出っ張っています。もともと中東や途上国ではこういう形が多いのですが、死亡率低下に伴って人口ピラミッド全体が膨張している、そういうふうにイメージしていただくといいと思います。
  イラクやパレスチナなどが中東の典型で、裾野が広い形をしています。エジプトも似ています。サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)などは、ちょっと違うのです。サウジの場合、20代から40代にかけて出っ張りがあり、特に男性の方の出っ張りが目立ちます。何故でしょうか。サウジの人口は二千数百万ぐらいになっていますけれども、そこには500〜600万人ぐらいの外国人出稼ぎ労働者がいますから、20代から40代の人口がいびつに出っ張るわけです。これは外国人労働者が沢山いるということです。
  UAEの人口ピラミッドは、随分奇妙な形をしています。自国民よりも外国人出稼ぎ労働者の方が絶対数が多いからです。この典型がUAEとカタールです。UAEで言うと、ドバイは昔、人口40万人くらいの都市でしたが、今は140万ぐらいになっています。その中でドバイ人を探すのは大変です。公称140万のうちの25万人ぐらいはドバイ人と言われているけども、圧倒的に外国人が多い。そうすると、外国人を含めた全体の人口構成で、20代から40代のところが異常に突出するのです。自国民の三角形の人口構成が外国人も含めたところに吸収されている格好です。
  サウジやUAE、カタールなどの、湾岸の独特の社会構造が表れています。出稼ぎ労働力がここに大量に存在していることが、人口ピラミッドからわかります。
  先程、MENA全体の人口が25年で倍になったと言いましたけれども、70年代から80年代の初めぐらいは、湾岸産油国の人口の絶対数が少なく、73年の第1次オイルショックのころのサウジの人口は650万から700万人ぐらいしかいなかったので、当時は積極的にインド、パキスタン、フィリピン或いはエジプト、パレスチナなどの外部から労働力を輸入していたのです。こうした社会的な人口増加の一方で、どんどん自国民も増えてきました。80年代後半から90年代は一転して資源デフレの時代になり、不景気で自国民の失業問題が顕在化したため、サウジやバーレーンなどは外国人労働者の受け入れを制限しましたが、自国民の爆発的な増加はどんどん続いていましたから、オイルショックの頃に700万弱だったサウジの人口が今や2500〜2600万から2700万人ぐらいにもなっています。
  中東の人口増加と言うと、それは出稼ぎが多いからだろうとおっしゃる方もいるのですが、実は自国民の爆発的な増加が、構造問題としては非常にシリアスなのです。
  カタールやドバイなど自国民の絶対数が極めて少なく、なおかつカタールは90年代以降の天然ガス開発で成長が加速し、ドバイの場合は石油以外の産業を誘致して成長を続けており、自国民の雇用問題はほとんど存在しないに等しい国では、相変わらずアジア系の労働力を大量に受け入れ続けています。同じ湾岸産油国でも、デモグラフィーと自国民の雇用問題のあり方は違います。
  それでも総論として、中東の場合、人口爆発と雇用について独特の構造問題が存在しているということを、まずご理解いただきたいと思います。
  少し話が飛びますけれども、資料(T)の宗教別世界の人口、もちろんこういう宗教別の正確な統計は存在しないのですが、大体丸めて言うと、この2005年の時点では世界の総人口が65億人で、イスラム教徒の人口は13億人ぐらい。ということは5人に1人がイスラム教徒ということです。
  先程来言っているように、イスラム教徒は、アジアも含めて人口増加率が突出して高いのです。例えばインドネシアは1980年代の常識で言えば1億5000万人ぐらいの国だったのが、今は2億3000万〜4000万人ぐらいになっています。アジアでもイスラム教徒の増加は顕著です。
  一方、キリスト教社会の方は、どちらかと言うと、ヨーロッパのような少子高齢化で、あまり人口が増えなくなっている地域が中心です。というわけで、今5人に1人とすれば、21世紀の半ばまでには世界の3人に1人はイスラム教徒に多分なるだろうと言われています。世界に占めるイスラム人口の比率拡大が21世紀、これからの国際政治状況に密接な関わりを持つと言えるでしょう。


3.若年層の雇用問題と構造改革

 次に、中東の人口急増、「多子若齢化」の進行というデモグラフィーの変化が、実際にどのような政治問題や社会問題につながるかです。
  中東では人口の絶対数の増加だけでなく、年齢が下の方ほど人口が多いということが特徴です。日本やヨーロッパでは、25歳未満の人口は全人口の3割弱ぐらいです。これが中東の場合、全人口の6割以上、国によっては7割ぐらいが25歳未満です。そのぐらい社会全体が若い。ピラミッド型の人口構造だから、毎年毎年、学校を出て職を求める人口が増え続ける。こういう現象が現実に中東では起きています。
  それに対して、毎年毎年、雇用機会の提供が増えていかなければならない。これはなかなか難しい。サウジなんかは、今は年間の人口増加率が大体2%台、3%弱ぐらいになっていますけれども、一番人口増加が激しかった90年代初頭だと人口増加率は年間3.8%ぐらいに達していました。そうすると、仮に3%経済成長しても、一人当たりではマイナス成長になるというとんでもないことが、この地域では資源デフレ時代に実際に起きたのです。
  我々はサウジアラビアを世界に冠たる金満国家だと思っていますが、サウジで1人当たりGDP、1人当たり国民所得が歴史的に一番高かったのは、実は1981年頃です。第2次オイルショックの後です。79年のイラン革命の後、石油の値段が暴騰し、高値を付けたのが80年とか81年ぐらいです。その頃のサウジの1人当たりGDPが1万6000ドルから7000ドルぐらいだった。その後、人口はどんどん増え続け、一方で、石油の値段は1バレル=30何ドルから10ドルぐらいまで落っこちて、いわゆる逆オイルショック、資源デフレ時代に入りました。
  そうすると、どういうことが起きたか。98年あたりのサウジの1人当たり国民所得は七千数百ドルまで落ちました。ピーク時の1万7000ドルから8000ドル以下への大幅な下落です。この3〜4年の新たなオイルブームで、経済規模がまたガッと膨らんでいますから、今は1万四千数百ドルぐらいまで戻りましたけれども、それでも、まだピーク時には及ばない、そういう状況があります。
  もう1つの問題は雇用の問題です。毎年毎年、学校を出て職を求める者に対して雇用機会を十分に提供できない。学校を出ても職がない、こういう状況が中東・北アフリカ地域の全ての国にほぼ共通して起きているのです。
  ILOが去年の11月に発表した若年失業の地域別比較がありますが、そのレポートによると、中東・北アフリカ地域の若年失業率は25.7%で、世界最高です。
  人口の絶対数が少なかった時には、新卒者を役所と国営企業に吸収して何とかなったのです。ところが、既にパブリックセクターは満杯に近い。一方で、この地域ではプライベートセクターが十分に育っていませんので、結果的に雇用機会が十分に提供できません。これがこの地域に共通した特徴であります。
  笑い話になりますけれども、エジプトなどの役所に行くと、腹が立つぐらい物事が進まない。一例を申しますと、自宅に小包を配達しに来たけれども、不在だったので局留めになった。郵便局に預かっているからとりに来て下さいという紙を持って郵便局に行く。パッと見て、カウンターの棚にある自分宛の小包は大体わかるのですが、実際に私が受け取るまでに小1時間から、下手すると2時間ぐらいかかる。その間にいろんな係のサインをもらわなければいけないのだけれども、サインをすべき人間が机についてないとか、机にはついているのだけど、書類が回ってきてもサインするまでにお茶を2〜3杯飲んだり、新聞読んだりしてなかなかサインしない、こういうことを日常的に経験します。
  エジプトで半ばジョークとして語られている話ですけれども、エジプトでは給与所得者、サラリーマンの半分以上が、今や公務員であって、彼らの1日平均実働時間は7分と言われている。そのぐらいパブリックセクターも抱え込めるだけ人間を抱え込んでしまった。若年失業の増加ということと社会の安定というのは密接不可分だから、できるだけ失業者を出さないように、パブリックセクターに抱え込んできたのですが、それでも毎年毎年、学校を出て職を求める者がどんどん増え続けるわけですから、吸収し切れなくなりました。
  そういう矛盾を抱えた中東にも、90年代以降、経済グローバリゼーションの波が押し寄せ、非効率な制度を効率的にしていく構造改革が必要だという流れが強まりました。構造改革の1つは財政改革、財政赤字をどうやって減らしていくかです。当たり前の話、この凄まじい人口増加をはかるにしのぐ経済成長はなかなか達成できないわけです。公共サービスの対象人口はどんどん増えるけど、財政収入はそんなに増えないので、90年代に中東の多くの国で財政が行き詰まったのです。
  財政赤字をいかに減らすかで、補助金カットが一斉に始まりました。中東の平べったい丸いパン、これをエジプトあたりでは補助金を付けて1枚1円ぐらいで売っていたとしましょう。どんなに貧乏な人でもパンが食べられるような補助金制度になっていた分、財政の負担は大きかったわけです。1円のパンを5円なり10円にしても、ミドルクラス以上の人はほとんど何の痛痒も感じません。だけれども、1円だからパンが食べられるという低所得層が当然いるわけですから、補助金カットは特に低所得層に不評な政策になりました。
  それから、学校を出ても職がないので、若い人は卒業せずに留年してキャンパスに吹きだまるようになった。カイロ大学はエジプトの国立大学で一番難しいと言われている大学です。カイロ大学を卒業してもまともな職につけるまで平均8年と言われていますから、多くの学生がアルバイトをしながら吹きだまっている結果、今やカイロ大学の在学生数は23万とか25万人と言われている状況です。
  学校を出ても職がないから、フラストレーションの塊になってキャンパスに吹きだまっている若者は、まさに反政府組織のオルグの絶好の対象なわけです。
  かつての中東であれば、ナセルの革命以来のアラブ・ナショナリズムとか、80年代まではマルクス主義とか社会主義もそれなりの影響力があったけれども、今はアラブ・ナショナリズムに昔ほどの輝きがなくなりました。何回ナショナリズムに燃えて戦争をやってもイスラエルに負け続けたし、1990年にサダム・フセインのイラクが同じアラブの国であるクウェートに侵攻して我が物にしようとしたものだから、アラブは1つとかアラブの大義なんて、全部お題目になってしまったわけです。今どき、アラブ・ナショナリズムも社会主義も、イデオロギーとしての影響力がないのです。
  残った唯一のイデオロギーが実は7世紀以来のイスラムという格好です。だから、不満を抱えている若者たちや貧困層に反政府組織がオルグをかける時に、ほとんど全てイデオロギーがイスラムの能書きになってしまうのです。
  先にイスラムありきなのか、先に社会構造的な問題があるのか。両方相まっているわけですが、20世紀末から21世紀にかけて、ほとんどの中東における反政府運動は、結果としてイスラム運動の色彩を強く帯びるようになったと言えるでしょう。
  テレビや新聞のニュースで、パレスチナのハマスとかレバノンのヒズボラといったグループがよく登場します。イスラエルから見れば、彼らはイスラエルに対して武力闘争を仕掛けてくる連中だから、テロリストだとなります。イスラエルとかアメリカがそういう規定をするわけです。でも地元では、レバノンのヒズボラなんか非常に早い段階から立派な病院を建てて、貧しい人に無料で医療を施したり、ハマスも貧困者用の学校とか孤児院、福祉施設などを運営したりしているわけです。
  イスラエル・アメリカ的な観点からいけば、彼らはテロ組織かもしれないけれども、地元の住民から見ると、縮小する一方の行政サービスのかわりにセーフティーネットを提供してくれる存在です。福祉NGO、NPOの活動をしているのがハマスやヒズボラなどのイスラム原理主義組織です。だから彼らは住民から高い政治的支持を得ることができます。実際に彼らは選挙に打って出ると、非常に高い率で当選するのです。
  アメリカはとにかく自由選挙をどんどんやれ、民主化を広めろと言ったのだけど、実際に選挙をやってみると、一番アメリカが好まない人たちに大衆的支持がある。これはパレスチナの選挙でもはっきり見られました。
  大衆的支持のもう1つの理由は、もともと在野の勢力だから、経済的利権や汚職と関係がなかったことです。これも重要なポイントです。例えば日本では、PLOというのは多分に「民族解放闘争の英雄」視されてきたのですけれども、我々が何十年もアラブとつき合っていると、PLOのネガティブな面もたくさん見聞きするわけです。
  例えば、日本からパレスチナの恵まれない人たちに援助しましょうというので、車椅子を買ってパレスチナに送る。ところが、送られた車椅子がPLO幹部の家で孫の玩具になっているといった例がいろいろあります。
  今パレスチナ自治政府の議長をやっているマハムード・アッバスもPLOの幹部です。彼はハマスみたいな武闘派と違って和平推進派だということで、アメリカとかイスラエルは評価します。けれども、彼が一昨年日本に来た時に、政治路線ではなく、投資とか産業の振興策はどうするのかとアッバス議長に尋ねたら、「投資とかビジネスのことは全部俺の息子に聞いてくれ」というわけです。そこで、パレスチナ自治政府においては何の役職、肩書もないアッバス議長の息子が出てきて、「私は貿易会社もやっている。通信会社もやっている。観光会社もやっている。パレスチナに対する投資とかビジネスの話は何でも私を窓口にしてくれ」といった趣旨の話をするわけです。
  要するに、権力者がいると、その家族、取り巻きが、経済利権の窓口になる。発展途上国のネポティズム型経済利権の縮図みたいなのが、PLOだったりもする。エジプトなど長い間独裁政権をやっているところは大体似たような構図になっている。
  それを一般国民はみんな知っていますから、そういう体制にうんざりしているのです。だから、これまで在野の勢力だったハマスみたいな勢力が政党として選挙に出てくると、票がどっとそっちに流れてしまうのです。
  アメリカが期待するような、モデレートで、宗教色が薄くて、親米的な勢力が選挙で躍進するという幻想は全く通用しないのです。

4.新たなオイルブーム

 今言ったように、いろいろな問題を孕んでいる中東に、2003年〜2004年から今日に至る異常な石油価格の高騰という新しいブームが来たわけです。どのくらいのブームか、実質成長率でいうと年6%とか5%、7%で、中国の10%以上の成長などと比べるとたいしたことはないと思うんですが、名目成長率でいうとすごさがわかります。サウジ、クエート、UAE、カタール、バーレーン、オマーン、このGCC6カ国の名目成長率は2004年から06年にかけて年平均19%とか20%ぐらい。物凄い成長率で、ブームを実感できますね。
  日本の場合、イザナギ超えの長期好況と言ったって、これは実質成長率で若干のプラスが続いているだけで、その間かなりの程度、名目ではマイナス成長かゼロ成長だったのだから、あまり景気がいいという実感がない。でも、名目成長率20%が毎年続いている地域は、物凄い景気です。
  嘘か本当か、これもわからないけれども、ドバイでは、今世界にある建設機械、なかんずく建設用クレーンの4分の1はドバイ1カ所に集中していると言われています。GCC6カ国に世界の建機の3分の1が集中しているという人もいます。確かにそのぐらい凄いですよ。ドバイあたりに行くと、見渡す限り高層ビルを建てていますから。
  ちなみに、中東ビジネス専門の「MEED」という週刊誌が今年の5月か6月にまとめたリポートによると、GCC6カ国で進行中・計画中の官民合わせた建設プロジェクトは1兆2500億ドル規模。そのくらいのプロジェクト・ラッシュです。
  もちろん問題はあります。短期間に集中的に工事をやっているものだから、まず建設資材が物凄い勢いで値上がりしています。中国需要とかいろんな要因があって、世界的に鋼材価格などが上がっているわけですが、中東の資材価格上昇はすさまじい。
  それから、建設労働者を確保するのも大変になりました。伝統的にこの地域の建設労働者はインド人、パキスタン人を使っていますが、かつて本国に雇用機会が乏しい時には、安い賃金で幾らでも湾岸に連れてこられたのです。今はご承知のように、インドは物凄い勢いで成長していて、人件費も急上昇しています。だから、昔ほど簡単にインド人ワーカーを調達できない。
  パキスタンも、この数年は7%ぐらいの成長を続けています。湾岸産油国からの投資や、湾岸に出稼ぎに行っているパキスタン人の本国送金が膨らんでいるものだから、パキスタンも経済の調子がいいのです。
  チープ・レーバーの供給国だったインド、パキスタン本国で人件費がどんどん上がり始めているということと、建設資材が軒並み上がっているということで、最初の計画時に想定したコストではビルがなかなか建たない。この問題は、今非常にシリアスな問題になっています。
  建設労働者も強気になってきました。昔はとにかく、いかに長く首を切られずに湾岸での出稼ぎ仕事で稼ぐかが重要で、インド、パキスタンの労働者はじっと我慢するのが普通だったのですが、今は少しでも給料遅配になったりすると、労働争議が頻発します。ドバイとかカタールで、現実に一昨年あたりから争議が沢山起きています。そのぐらい彼らが待遇改善を要求しているということです。
  いろいろな問題があるけれども、トータルで1兆ドルを超える規模のプロジェクトが今ここで進みつつあるのです。そのぐらいの建設ブームが続いているのです。
  先程言いましたように、石油価格が低迷した資源デフレの時代には、人口の爆発的な増加はマクロ経済において専らネガティブな現象につながったわけです。所得は増えずに扶養家族がどんどん増えた格好だから、経済的に非常に苦しかったのですが、この数年は高率の経済成長が続いているので、デフレ時代に傷んだ経済状況が一気に改善しています。
  例えば、サウジの場合、先程も言ったように1人当たり国民所得が90年代末には七千数百ドルまで落ちましたが、今では1万4000ドル以上まで戻っています。サウジは90年代に財政が破綻し、90年代末には政府の累積負債がGDPの120%に達し、日本とほぼどっこいくらいの財政問題を抱えていたのですが、この数年は国債を出す必要が全くなくなりました。財政は巨額の黒字で、借り替えの必要もなくなり、国債を繰上償還している状態です。なおかつ比較の対象にするGDPの方がこの3年間で7割も膨らんだから、サウジ政府の累積借金のGDPに対する比率は30%以下まで下がったのです。120%に達していたのが昨年末には28%に下がっています。マクロの経済事情はそれくらい劇的に改善しているのです。
  サウジの例をとれば、1985年から年金支給額と公務員給与を20年間凍結し続けていましたが、財政が一気に好転したものだから、2005年に一気に引き上げました。同じように周辺の国も、一斉に国内に石油の富の分配を始めています。目下、経済は絶好調です。
  ただし、資産価格の方はバブルの曲がり角が早くきました。2003年、4年、5年と物凄い勢いで株価が上昇した後、ドバイが2005年の11月、サウジが去年の1月をピークに下落に転じ、大体半値ぐらいまで下げました。今回の石油ブームで起きた株のバブルは既に崩壊していると言ってもいいでしょう。
  不動産はどうでしょう。ドバイあたりでは、見渡す限り億ションのような高級マンションの分譲をやっています。私の感じで言うと、去年の春ぐらいまでは青写真時点で完売みたいな状況でしたけれども、去年の秋ぐらいから、ほぼでき上がっているマンションのそばに、「頭金ゼロ・100%ローンでも応じます」みたいな看板が出始めていますから、不動産バブルの方もやや陰りが感じられるところです。
  アラブの人の開発の発想は日本人とかなり違います。何事も大きなプロジェクトは第1期、第2期、第3期と分けてやるのが日本人的発想ですが、アラブの人は、儲かりそうだと思うと、我も我もと一斉に、日本だと3期ぐらいに分けるやつを1期でやってしまいます。
  そうすると、足元の需要をはるかにしのぐぐらいの供給が出てくる局面があります。ドバイの人たちは「まだまだ大丈夫」と言いますけど、「アラブ型集中豪雨的開発ラッシュ」の結果、実際の需給に不均衡感が出始めているという印象もあります。
  しかしながら、原油価格は再び9月になって高値を付けているし、産油国は90年代のような財政緊縮一本やりではなくなり、必要なところにどんどん投資を増やしている状況です。エジプトなどの観光収入も増え、湾岸でもドバイとかオマーンは観光に非常に力を入れていますので、観光収入も非常に好調です。中東地域では、しばらく極めて高い経済成長が続くのは確実でしょう。
  問題は物価です。建設資材だけではなく、さまざまな面でインフレが広がっているのです。技術的な話になりますけれども、日本では名目成長率と実質成長率の差をデフレーターと呼び、これが国内物価上昇、インフレの趨勢を表していると単純に言えるのですが、産油国の経済統計では名目と実質の成長率の差は、すなわちインフレ分とは必ずしも言えないのです。実は余りにも石油の値段、原油価格の変動が経済に及ぼす影響が大きいので、原油価格の変動が直接影響した分をデフレーターとして差し引くというややこしい計算になっています。名目と実質の成長率の差、十何%が丸々物価上昇率ではありません。GCCは、比較的物価上昇の勢いが弱く、ほとんど2%以下で済んでいた地域なのですが、去年から今年にかけて顕著に物価も上がり、インフレがこの地域の新しい悩みになりつつあります。
  この背景には、通貨供給量、マネーサプライの急増があります。これだけ棚からぼたもちのように石油収入が増え、さらに9・11の後、アメリカ国内のアラブ系の資産が監視の対象になったのを嫌って、産油国の金持ちの資金が伝統的な投資先だったアメリカから地元に大量に戻ってきました。それから、財政支出がどんどん増えていますから、お金が地元にジャブジャブの状態です。通貨供給量の伸び率は大体前年同月比二十何%、前年同月よりも二十何%も国内にマネーが多いという状況です。
  本当は金利をうんと引き上げて、インフレを抑え込まないといけません。そうしないと、次々にバブルが起きては崩壊してしまうのです。ところが、湾岸産油国の通貨は基本的に米ドルにリンクしているので、自国が幾ら過剰流動性でインフレの恐れが強いと言っても、ドル金利から乖離したような高い金利は設定できないという問題があります。金融技術上、利上げが難しいから、一たんインフレに火がつくと、物価鎮静はなかなか難しく、今まさにそういう状況になりつつあります。

5.脱石油モデル示したドバイ

 次に、最近日本でもよく話題になるドバイです。ドバイ原油はアジアの石油市場の指標原油になっていますから、ドバイは有力産油国という錯覚を持ちがちなんですが、実際にはドバイの産油量は少なく、地面を掘ったら油とカネがわいてくるような国ではありません。だから、早い時期から油に頼らない経済運営を考えざるを得なかった国なのです。もともとイランの対岸にありますから、イランとの貿易の窓口となる結構大きな港町でした。それを国際ビジネスセンターに育てようとして、大胆な構想を次々に打ち出したのがシェイク・ムハンマド、今のドバイの王様です。彼がプリンスの時から、新しいコンセプトを次々に示してきたのです。
  イスラム教徒の1つの特徴は、未来について確たることを言わないことです。アラビア語で「インシャー・アッラー」という、イスラム教徒が常日ごろ口にする言葉があります。これは「もし神がおぼしめせば」という意味です。例えばカイロの町で流しのタクシーに乗って、「次の交差点で止まって」と言うと、運転手の答えは「イエス・サー」とか「サートゥンリー」ではなくて、「インシャー・アッラー」なのです。「もし神がお望みになれば、止まりましょう」と答えるわけです。イスラム教徒は未来について「確かに」と言えないのです。全て「神がおぼしめしたら」なんです。
  ところが、ドバイのムハンマド首長は「未来は待つものではなくて、自分で創るものだ」ということを大胆に言い続けてきたのです。中東のイスラム世界では珍しく、非常に主体的な未来志向で、自分で何かをなしとげようとする意志が明確なのです。
  ドバイが進めてきたビジネスモデルは何でしょうか。国際的な物流のハブになったし、国際金融センターにもなりつつありますが、一口で言うと、ドバイという国がすなわち不動産デベロッパーのようなビジネスモデルです。地元にあれだけの数の高層ビルを建設し、世界で一番高いビルも今、造っていますけれども、「砂漠の国のマンハッタン」はドバイの資金で造っているわけではありません。次から次に大プロジェクトを打ち出して世界の耳目を集め、巧みなプレゼンテーションによってサウジとかクウェート、お隣のアブダビといった大産油国の資金を集め、その資金を基にドバイに立派なものを建設し、そこに外国企業を誘致してくるのです。これがドバイのビジネスモデルです。他人のカネ頼みの“自転車操業”の側面もあります。
  皮肉な話になりますが、今ドバイがあれほどの数のビルを建てていて、これが埋まるのかとみんな心配しています。ところが、ドバイでは今までとは別の地域で新たな開発プランがメジロ押しになっています。ドバイという国には開発の完成図というものがありません。次から次に新しいプロジェクトをぶち上げて、またどこかから資金を引っ張ってくる必要があるのでしょう。自国に石油に基づくストックがなかったから、周りの国の金持ちの資金を引っ張ってきて、自国にビルとかビジネスセンターを造って外国企業を集める繰り返しです。
  どの時点までこれが続くのか。私は相当懸念していますが、ドバイという国は度外れた開発プランを永久にやり続けるしかない国でもあります。
  ただし、ドバイという国は非常にセンスがいい。世界の変化に対して常にいち早く動くのです。もともとイランに対する窓口で、なおかつアラビア半島で一番大きなエアカーゴと海上コンテナのターミナルを持っていましたが、90年代の初めに、巨大なインドが閉鎖的な経済システムから開放経済システムに変わった時に、これに真っ先に着目したのはドバイです。インドの玄関口ムンバイ(ボンベイ)のインフラは貧弱です。年じゅう停電するようなインドの港町に物資は置けませんが、ドバイだったらインフラは整っているので、インド市場にはドバイから海上コンテナでモノを運ぶ方がはるかに効率的だと、アピールしたわけです。
  それから、南アフリカのアパルトヘイト政策が終わって、南アが国際貿易体制に復帰した時に、南アに対する直行便を真っ先に飛ばし、続いてアフリカ諸国との航空網整備を進めたのはドバイです。
  ロシアをはじめとする旧ソ連との結びつきも強い。今もドバイにはロシア人が多いですけれども、90年代前半はロシア人ラッシュという状態で、ドバイ空港でアエロフロートの出発前の時間帯に重なったら、まず空港に入れないぐらいの混雑でした。アエロフロートに乗る客のチェックイン・バゲージの量が凄かったです。冷蔵庫、カラーテレビ、電子レンジ、クリスチャン・ディオールのスーツ10着とか、1人のロシア人客が台車2台分ぐらいの荷物をチェックインするので、空港内が大混雑し、他のエアラインの搭乗客は大変な思いをしました。
  ロシアは冷戦が終わって体制がガラッと変わりましたが、その時にロシア人に対して消費財を提供する窓口は世界のどこにもなかったのです。そこでドバイは「これは商売になる」と判断し、ロシアからドバイに買い物の客を呼び込んだり、ドバイからロシア市場向けに日本製やヨーロッパ製の消費財の輸出を増やしたり、しっかりパイプをつくりました。この国はこういう着眼点が凄くいいのです。
  ドバイが次にやろうとしている目玉プロジェクトは、世界最大のエアカーゴのハブ造りです。今の国際空港から大分離れた場所に建設する新空港は、滑走路6本を24時間稼動させる計画です。ご承知のように、今の国際物流はハブ・アンド・スポーク式で、自転車の車輪と同じように、どこかがハブになり、そこからスポーク状に各地に運んでいく形になります。
  ドバイがつくる滑走路6本・24時間オペレーションの空港は、「東洋と西洋の間の最大のハブ」を目指す航空物流拠点です。南アジアのインド、パキスタンあたりから旧ソ連、アフリカ、中東、この辺に物を運びたいなら、とりあえず全部ドバイに持ってきなさい、という発想でしょう。ドバイはすでに、南アジアから旧ソ連、アフリカ、中東にかけての広い地域で最も便利な旅客便のトランジット地点ですが、貨物の方でも「東洋と西洋の間の積み替えやストックは、みなドバイで」とPRを始めています。
  この新空港と周辺の物流基地プロジェクトを、ドバイは「ワールド・セントラル」と名づけました。これがまたドバイらしい、アイキャッチなネーミングです。

6.広がる「ミニ・ドバイ」型の開発ラッシュ

 最近、サウジ、アブダビ、カタールなど近隣諸国は、ドバイが成功したものだから、「ドバイ」と似たようなものを自分の国にもつくりたいと考え始めています。
  「新物流ハブ」「産業クラスター」「経済都市」「新金融センター」と、それぞれのネーミングで、いろいろな開発プロジェクトが周辺国に目白押しです。
  これでは、湾岸諸国に「ミニ・ドバイ」が乱立し、共存可能かなと私なんかは思うのですけど、現地の各国政府当局者はみな強気です。彼らが異口同音に言っているのは、資源高価格時代に入った世界の中での資源集中の強みです。GCC6カ国とイラン、イラクなど周辺諸国を合わせると、世界の原油の確認埋蔵量の60%以上がこの地域に集中しています。天然ガスでは、一国ベースで一番大きいのはロシア、確認埋蔵量の3割近くがロシアですけれども、地域としては中東が確認埋蔵量の40%ぐらいを占めています。石油や天然ガスの中東への偏在は、これからも続く事実でしょう。
  資源価格が簡単に下がるような時代ではなくなりました。昨今の80ドル原油が続くかどうかは別にして、原油で言えば1バレル=20ドル台が定位置なんていう時代にはまず戻りません。そうすると、資源の集中は極めて大きな経済的ポテンシャルを意味しているということで、湾岸諸国ではみんな将来に対して楽観的になり、大プロジェクトを一気に進めようという乗りになっております。

7.インフラ再整備・水と電力が焦点に

 次に、インフラ再整備の問題に移ります。中東の人口増加は一時期ほど激しくはないですが、それでも世界的に見ればこの地域の人口増加率は極めて高く、人口はこれからも2〜3%程度の勢いで年々、増えていくでしょう。
  人口増加に対応する際にまず必要なのは、水と電力です。新しい産業をどんどん興して産業構造を多角化する場合にも、真っ先に必要なのは水と電力です。家庭用としても産業用としても、水と電力の供給体制が中東地域の将来を左右します。
  サウジ、クウェート、UAEなど湾岸産油国は、発展途上地域の中ではインフラが整っている国々です。水も電力も70年代、80年代初めぐらいに大体整備されました。ところが、その頃と比べて人口は倍以上になっているし、これからさらに増えます。石油以外の産業をこれからどんどん誘致する計画ですし、国内でもさまざまな産業を育成しなければいけません。ということで、この地域の産業プロジェクトの入札情報を見ると、水と電力関係が山積みになっています。
  水ですけれども、もともと天然の水資源が極めて乏しいこの地域で、水の需要がこれから爆発的に増え続けるのは確実です。海水淡水化のニーズは、90年代に出たいろんなレポートなんか全く役に立たなくて、当時の想定の何倍かの淡水化の案件が出てくるでしょう。この地域の既存の淡水化プラントには沸騰式でエネルギー効率のよくないものもあるので、これをどうやって浸透膜方式とかできるだけエネルギー消費が少ないものに置き換えていくかも、課題になっています。
  それから、淡水化プラントというのは、多い少ないは別にして電力が必要なのです。この地域では多くの場合、発電所と淡水化プラントは、隣り合わせか同じ敷地の中に併設されています。淡水化や発電の事業も、一昔前なら電力省とか水省とかいう役所、或いは役所の下の電力公社とか水公社がやっていたのですけれども、90年代以降の民営化の流れで、水とか電力のインフラ関係のプロジェクトは民間の投資にできるだけ変えましょうという動きになっています。
  日本でも、一時期おなじみになったIPP、インディペンデント・パワー・プロデューサーという、民間の投資で独立の電力会社を作りましょうという動きがありましたけれども、同じように、この地域では水とパワー(電力)の両方をこれからはインディペンデント・プロデューサーで運営しましょうということで、IWPPというビジネスモデルが近年のトレンドになっています。
  かつての湾岸諸国であれば、オイルブームになると、日本の商社とプラントメーカーが、プラントを財として各国のパブリックセクター相手に売っていました。今は水や電力のプロジェクトは様変わりで、要するに、「受注したいのなら、その事業に投資しなさい」になっています。だから、アブダビとかカタール、サウジでもすでに実例がありますけれども、日本の商社、プラントメーカー、一部の案件では東京電力あたりも加わってコンソーシアムを組み、淡水化と発電を一緒にやる事業に投資をし、造水・発電会社を運営するわけです。そういうふうな投資案件に変わっています。
  中東地域では、夏場にエアコンを目いっぱい使うころのピーク時の電力消費量が突出し、冬場の比較的涼しい時の電力消費量と大きな差があります。ピークに合わせて電力供給能力を確保しないと、夏場の停電という社会問題が起きますが、平時のキャパシティーの無駄も一方で生じます。ですから、最近、一国単位の電力供給確保ではなく、国境を超えて電力を融通し合えるようにして、できるだけロスを減らす狙いから、エジプトのような北アフリカ諸国からペルシャ湾岸の方まで、送電網の連結を進める動きも始まっています。
  それぞれの国で発電所を民間投資によって増やしましょうという流れと、国を超えた送電網を造りましょうという動き、この両方がこれから並行的に進みます。

8. 循環型社会への意識転換

 水に関係する事業は、海水淡水化から上水の供給という部分だけではありません。実際の入札案件では、下水道関係も増えてきました。かつては人口が少なく、砂漠と荒地だらけだったから、この地域では下水道が存在しないに等しかったのですが、人口の増加と都市への集中が進むにつれて、下水道の必要性が高まってきたのです。
  意外に思われるかもしれませんが、アラブだって冬場には結構雨が降ります。雨が降ると大変です。リヤドだろうが、バーレーンだろうが、一雨降ると、町じゅうが水浸しになります。そもそも道路に側溝がないし、下水がないからです。11月から2月まで結構雨が降りますけれども、少し雨が降ると町じゅう水浸しです。
  雨の水だけでなく、家庭の排水の行方も大きな問題になってきました。人口が少なかった時には排水を垂れ流していても、周りの砂漠や荒れ地がいつの間にか吸ってくれて、何とかなったのです。ところが、物凄い勢いで人口が増えて、なおかつ都市に集中しているから、今までのように垂れ流しの排水だと、都市にいろんな弊害が出てくるのです。
  上水と下水の両方で顕著に問題が生じているのは、サウジの紅海岸側の大都市ジェッダでしょう。ここは、まず上水の問題がひどいのです。昔造った上水道のインフラで、あちこちから漏水があります。メンテナンスが悪いから水が漏れ、水漏れをうまく直せないから、プレッシャー(水圧)を下げて漏水を減らす対応をしてきました。ところが、水圧を下げた結果、蛇口をひねっても水が出ない家庭が増え、ジェッダの住民の何割かは給水車による配水に依存することになってしまったのです。
  下水の問題も深刻です。一応大きな家とかビルの下には排水を貯めるタンクはありますが、そこから先の下水道がありません。だから、地下のタンクに汚水、排水が溜まっていっぱいになると、上の方からジワジワと土壌にあふれ出してきます。そうすると、土壌の汚染、地下水の汚染につながります。地下水も貴重な水資源です。あちこちのタンクから汚い水が漏れ出して、地下水がほとんど使えなくなったのは、大きな問題です。
  バキュームカーが来て、タンクに溜まった排水を汲み取るようにしたのですが、し尿処理施設とか排水処理施設が整っていないので、汲み取った排水の処理に困っています。町から何十キロか離れたところに大きな穴を掘り、“汚水湖”を3つぐらい造って、そこに捨てている。これが今度は悪臭の発生源になって大問題になっています。
  似たような問題は中東にいっぱいあります。そもそも「静脈系」というか、使った後のものを処理するシステムが、この地域のインフラにほとんどビルトインされていないのが大きな問題でしょう。これが非常に重要な課題になってきました。
  私の長年の知人であるサウジの有力経済人は、「この地域でこれから最も重要なのは排水の浄化・再利用、水の循環システムだと思う」と力説しています。
  排出物でいうと、家庭から出るごみの処理も大きな問題です。世界で一番浪費的な国、エネルギー消費や、家庭のごみの排出量は、常識的にはアメリカ合衆国なのですけれども、1人当たりエネルギー消費量或いは1家庭当たりごみ出し量を見ると、アメリカをしのぐ特異な国があります。それはGCC諸国です。
  使い捨て消費文化で、ごみもほとんど砂漠のどこかに持って行って捨てていた。人口の絶対数が少ない昔はよかったが、今これが限界に達しつつあります。ごみの処理も、この地域にシステムとして導入すべきテーマでしょう。

 

9.公共交通機関・物流基盤も重要に

 さて、何故1人当たりエネルギー消費量がアメリカよりも多いのでしょうか。アメリカ以上に車社会だからです。産油国だから、ガソリンの値段は極めて安い。もともと人口が少なかったということもあって、公共交通機関というもののニーズがほとんどないに等しかった。だから、ラクダとか馬とかロバの替わりに自動車に乗っていればそれでよかったのです。ところが、都市の人口が物凄い勢いで増えてきました。ドバイあたりは、毎年10%ぐらい人口が増えているのです。
  ドバイでは、お金を持っている現地人とか日本人とかイギリス人はドバイの中に住めるのですが、家賃がどんどん上がってきたので、ドバイ経済の足腰の部分を支え、労働力の6割、7割を担っているインド、パキスタン、フィリピン人といったアジア系の出稼ぎ労働者は家賃の上がり過ぎたドバイの中に住むのが難しくなってきました。そこで通勤時間帯には片道1時間以上もかかるシャルジャという隣の首長国、或いはアジュマンというさらに北の方の首長国からドバイに通わざるを得なくなっています。
  ドバイに実際に行かれた方はご存知でしょうが、とにかく夕方のラッシュ時なんて車は全然進みません。このトラフィック・ジャム(交通渋滞)は深刻です。車社会の交通渋滞はドバイが典型ですが、リヤドもそうですし、カイロだってそうです。
  中東に今ある道路のインフラは、随分前に造られたわけですが、20年、30年前と今では、都市の規模が全然違います。40万人くらいの規模だったドバイが今では140万人ぐらいになり、リヤドだって100万人規模から350万人規模に拡大しました。ということで、かつて整えたはずの道路が、現在の都市の人口及び車の台数に全然マッチしないので、もう一回輸送インフラを造り直さなければいけません。
  当然、新しい道路も造っていますが、ようやくシリアスに中東のいろいろな国が公共交通機関ということを考え始めています。
  その典型が「ドバイ・メトロ」と呼ばれる自動運転の鉄道システムです。これは、三菱重工、三菱商事、大林組、鹿島などの企業連合が受注し、車両製造は近畿車輛が受け持っています。メトロと言っても、全部地下鉄になっているわけではありません。今、工事が進んでおり、ドバイのシェイク・ザーイド・ロードという幹線道路沿いに路盤とか橋脚が形を現しています。そこをドバイ・メトロという電車が走るのです。
  この鉄道にも問題があって、駅から最寄りのいろんなビルまでどうやって行くのか、誰に聞いても確たる答えがありません。夏場の気温は40度どころではないですよ。50度近い炎天下は5分も歩けません。確かに幹線道路沿いにメトロができて、駅ができるけれども、駅と職場の間をどうやって行き来するのか。これは鉄道を造りながら今、考えているようです。
  いずれにせよ、中東では鉄道に対するニーズがだんだん高まってきており、各国とも鉄道整備を真剣に考えるようになりました。「日本サウジ・ビジネスカウンシル」という民間の経済合同委員会がありますが、今年2月に東京でこの会合を開いた時には、三菱重工や日立の担当者が地下鉄やモノレール、路面電車など、公共交通機関ではこういうものが提供できますというプレゼンテーションを行い、会議の目玉の1つになっていました。そのぐらい中東側も公共交通機関への関心を強めているのです。
  それから、サウジではこれまで1日に2〜3本しか走ってないような鉄道が一部の地域で運行していたのですが、これをちゃんとした鉄道にして、ネットワークを広げるという話が具体化してきました。既に青写真ができていて、つい最近、三井物産がオーストラリアの建設会社と組んで鉄道工事を一部受注しています。そういうふうに鉄道網を整備する構想もあちこちで広がっています。
  ドバイが成功した大きな理由の一つは、まず中東地域で最大の海上コンテナのターミナルを整えたことでした。次いでエアカーゴのハブも造りました。物流のファシリティーがないと、新しい経済都市とかビジネスセンターを造ろうとしても、うまくいかないでしょう。今、サウジでは、住友化学がサウジの国営石油会社アラムコと組んで1兆円規模の大プラントを造ろうとしているラービグという紅海岸の町の近くに、「新経済都市」第1号を造ろうという計画があります。新経済都市の重要なポイントは物流機能です。ジェッダをしのぐ規模の紅海岸で一番大きな海上コンテナのターミナルを造り、そこからペルシャ湾岸までつながる鉄道を整備し、エアカーゴ用の空港も造るなど、青写真にはいろいろな物流機能を盛り込んでいます。
  とにかく物流機能が重要だということを、ドバイの成功を見てみんな考え始めているわけです。これから中東地域でいろんなところにロジスティクス(物流)のハブを造ろうとする動きが出ると思います。
  空港建設もラッシュです。ドバイは先程言った滑走路6本・24時間オペレーションの新空港をこれから造るわけです。最近天然ガスで調子がいいカタールも、空港整備を急いでいます。カタール航空という自前の航空会社を設立し、こちらのサービスは好評ですが、ドーハ空港は昔のままの小さな空港を使い、昨年末のアジア大会に合わせて拡張したものの、機能に限界があるからです。カタール航空は素晴しいけど、ドーハでのトランジットだけは勘弁して欲しいと私はいつも言っているのです。そのくらい貧弱なので、新空港を突貫工事で今、造りつつあります。
  アブダビやエジプトも含め、ほぼどこの国でも新空港建設や空港の拡張計画を抱えているぐらい、空港の整備が中東では共通のプロジェクトとして存在しています。

10.川下への展開目指す工業化の流れ

 それから次に、湾岸諸国を中心に理解していただきたいのは、この地域の工業化というのは日本や先進国とは全然違う歴史を辿っているということです。ヨーロッパや日本では、問屋制家内工業など、前近代以来の歴史があるわけです。ところが、中東産油国で前近代から存在したものづくりというのは、ダウ船という木造の船の船大工とか、鉄砲鍛冶、刀鍛冶、金細工のようなものだけです。それ以外のものづくりの歴史は、ほとんどないに等しかったのです。その地域で1980年前後から、いきなり巨大な工業が動き始めたのです。1つはペトロケミカル(石油化学)、もう1つはアルミニウムのスメルター(精錬所)です。
  どういう背景かと言うと、70年代のオイルショック、エネルギー資源の高騰によって、石油・ガス価格が極めて安い産油国への産業の移転が始まったからです。日本が典型ですが、アルミの精錬などはエネルギーコストが高くなりすぎて国内では成り立たなくなりました。日本からアルミの精錬所がなくなるのとほぼ同じ時期に、バーレーンとかドバイに巨大なアルミの精錬所ができましたし、今、サウジとかオマーンにもできつつあります。
  膨大なエネルギーでボーキサイトを溶かしてアルミの地金を作っていくわけだから、エネルギーコストが国際競争力の全てみたいな産業です。そういう分野で、産油国に大規模な素材産業、装置産業が忽然と生まれたわけです。
  アルミの場合、地金を圧延して板にする工場までは、80年代に一部で誕生しました。しかし、地金や板を作る大工場はありながら、それを加工して建材とか容器をつくる消費者に近い産業は育っていなくて、ほとんどが輸入です。これが、これまでの中東産油国の典型的な産業構造です。
  ペトロケミカルで言えば、世界に冠たるようなポリエチレンの製造工場など、産油国に立地して汎用素材を大量生産しているところは、拡張が続いています。日本企業が出資している大規模な石油化学事業も幾つかあります。
  ポリエチレンとか一番川上に近いところの汎用素材で、中東産油国は世界的なサプライヤーになっているのに、タッパウエアとかラップ用のフィルムなど川下の消費財は、相変わらずほとんど全部輸入しているのが現状です。
  こうした川上に偏った産業の構造を、どうやって転換していくのか。より消費者に近い分野、消費財に近い製品を作る産業を誘致し、育成するかが、これからの中東産油国の産業化の工業化の課題です。それで今、サウジなどは、いろいろ優遇措置を講ずるから、プラスチック容器を作る会社とかフィルムを作る会社とか、そういう川下の企業をこれから誘致したいと言い始めています。
  大きな流れを言うと、極めて特殊な川上の装置産業が存在する半面、川下の方の消費市場に近い産業はなかったが、石油高の追い風が吹いている今、新たな産業戦略として川下の産業も拡充していきたいということです。これが大きな工業化の流れです。
  ただし、外国企業を誘致したり、自国内で一から育成したりするのは、それなりに時間がかかります。そこで、ごく最近の動向として注目すべきなのが、産業政策と結びついた外国企業の買収です。湾岸産油国は今、キャッシュリッチですから、幾らでもお金を投じて外国企業を買収できます。
  今年起きた典型的な例は、サウジ基礎産業公社(SABIC)がアメリカのGEのプラスチック事業部門を116億ドルで買収した一件です。ペトロケミカルで一番川上のところは自国が持っており、川下に近いところはこれから誘致したい、ないしは作りたいと思ったけれども、お金を出せばすぐに自分が必要としている川下の部分を埋め合わせる外国企業を買えるじゃないか、という発想です。SABICは世界中に汎用素材を輸出しています。1兆何千億円でGEのプラスチック部門を買うことによって、より川下の部分の販売ネットワークと技術・ノウハウを自分の傘下に収めることができるわけです。これが中東産油国の産業多角化の新たな流れです。
  これまでいわゆるオイルマネーの投資といえば、「純投資」が中心でした。例えば、クウェート政府の投資機関は昔からドイツのダイムラー社の大株主で、巨額の配当を得てきました。それで、毎年ダイムラーの重役やドイツ銀行の幹部たちが営業報告をしにクウェートに来る。そういう投資の仕方が従来型のオイルマネーの対外投資だったと言えるでしょう。
  それが今、自分のところの工業化なり産業多角化の今後の方向を考えて外国企業を傘下に収める形の投資、戦略的な志向に基づく投資が始まりつつあるわけです。
  つい2〜3日前に、アブダビのIPICという投資会社が日本のコスモ石油の株の20%を取得するというニュースが報じられました。石油産業の一番アップストリーム(上流分野)で原油を生産している産油国も、オイル・メジャーズ(国際石油資本)ほどではないけれどもダウンストリーム(下流分野)に足がかりを作りたいわけです。自前で一から作るのか、既存の会社に資本参加するのか、或いは既存の会社を自分の傘下に収めるのか、今、いろんな形でそれを考えているところです。
  逆に、川下の企業が川上に接近する動きもあります。先程述べた住友化学がサウジの国営石油会社と組んで1兆円規模の事業投資をするのが、その典型です。たぶん住友化学の発想はこうでしょう。これから何だかんだ言っても、世界的に資源は限りがあるわけだから、石油なり天然ガスを投入することによって成り立っている石油化学産業での今後の優位確立は、一番たくさん資源を持っている国とパートナーシップを組むことだ、という判断だと思います。一番大きな資源の蛇口に進出して、その国とジョイントベンチャーをするのが重要だという発想で、投資をしているのです。
  先程のコスモ石油の件には、コスモ側の戦略も反映しています。日本の石油元売り会社、石油精製事業は、誰かが原油を供給し続けてくれるという前提がなければ成り立ちません。それなら、アブダビという有力な産油国と資本提携関係を結ぶのは有益でしょう。川上の方の原料調達を確実にするために、自分のところの株の2割をアブダビに渡すわけです。産油国側と川下の企業側の双方の戦略が相まって今、産油国との間で巨額の資金が戦略的かつ双方向に動き出しつつあるのです。

11.「人間開発」が大きなテーマに

 次のテーマは先程の雇用の話と結びつくテーマです。湾岸産油国をはじめ中東のほぼ全ての国が今、一斉に始めているのが教育と職業訓練の拡充です。インフラの再整備と並んで、「人間開発」が中東の大きな課題になっているのです。
  90年代以降、自国民が学校を出ても職がないという問題がどんどん広がり、どうやって雇用機会を創るかに各国政府とも頭を悩ましてきました。湾岸のGCC諸国ほぼ例外なく、職種別或いは事業所の規模別で数値目標を設定して、例えばこの職種には外国人は就業できないとか、この職種については必ず自国民を雇えとか、従業員何人以上の事業所は何%以上自国民にしろとか、行政指導によって企業に迫ったわけです。これを労働力のナショナライゼーション(自国民化)政策と呼んでいます。
  けれども、政府が力を入れて何年も続けた半面、実際には期待したほど自国民の雇用が拡大しませんでした。当たり前の話で、スキル(技術)もクォリフィケーション(資格)も乏しく、アジア系の出稼ぎ労働者に比べて相対的に人件費が高い自国民を雇うのは、企業にとってコストが上がり生産性が低下することと同義だからです。自国民雇用の押し付けは、形を変えた外形標準課税の事業税だと企業側は受けとめたわけです。だから、自発的に自国民の雇用が進むなんてあり得ないのです。
  それでも、「やれ雇え、やれ雇え」と役所は躍起になったけれども、一番の問題は自国民の若者の多くに技術や資格、能力がないことでした。各国政府首脳も、これが一番シリアスな問題なのだという認識にもう一回戻ってきました。定職がないことへの国民の不満は強いから、内政上、数値目標を掲げた労働力自国民化政策を引っ込めるわけにはいかないけれども、同時に企業に雇ってもらうには自国民のレベルを上げなければならないということで、一斉に教育と職業訓練の拡充に動き出しています。
  例えばサウジは、今年度予算で歳出総額の25%を教育および職業訓練に充てています。向こう10年間に日本の高等工業専門学校に当たるテクニカル・カレッジを八十何校作る、職業訓練所を140カ所作るとか、いろんな計画があります。
  ただし、今はお金があるから学校の箱物はできるのですが、誰が先生をやるのかという別の問題があります。それはさておき、とにかく一生懸命、学校を増やそうとしており、それも職につながる実学の技術系学校を作ろうとしているのです。
  ドバイとかカタールとか、自国民の雇用問題がシリアスでない国もあるのですが、そこでも「エデュケーション・シティ」とか「アカデミック・シティ」とかいろんな名前の教育特区を設けて、アメリカやヨーロッパから大学を学科単位、学部単位で誘致しています。というのは、自国の高等教育機関がニーズを十分に満たしていなかったからです。カタールの教育特区には、テキサスの工科大学の電気工学、石油工学、機械工学科などや、コーネル大学の医学科、ジョージタウン大学の国際関係学科、カーネギー・メロン大学のコンピューターサイエンスと経営学科などを誘致しました。比較的実用的な学科を中心に、アメリカの大学から学科単位で進出してもらって、自国に中東地域では比較的レベルの高い高等教育施設を揃えよう、という発想です。こういう政策をカタールとかアブダビ、ドバイが競ってやっています。
  自国民の雇用問題は深刻ではないけれども、いつまでもお雇い外国人に全て任せておくわけにはいかないから、やはり自前で技術者、テクノクラートを作らなければいけない。そういうことにだんだん考えが及ぶようになったのです。
  カタールの副首相兼エネルギー大臣のアティーヤさんという人が、去年の秋、私もメンバーに加わっていた日本の産業ミッションと会った時に、「私たちは金鉱を掘り尽くしたら後にゴーストタウンが残るような歴史にはしたくない。物理的なインフラへの投資とか対外証券投資も重要だろうが、一番重要なのは自国の人間に投資することだ」と力説していました。最近この地域の人はみんな教育について真剣に考え始めており、そこに予算を重点的に配分するようになっています。
  カタールやアブダビで部分的に始まっているのは、公文式の算数教育です。小学校のサブカリキュラムとして一部の学校で導入され、これが非常に好評です。掛け算の九九を覚えるといった、日本なら当たり前でやっているような算数教育は、この地域ではほとんど浸透していなかったのです。それを公文のメソッドで、英語を使って教えていますけれども、非常に評判がいい。暗算ができるようになるからです。
  カタールなどは金曜と土曜が休みで、日曜日が週の初めですけれども、日曜日の朝一番の時間に公文の算数のドリルをやっています。これで休日モードから平日勉強モードで切りかえる、コンセントレーション(集中)にも役立つと好評です。
  中東では今、できるだけ実学的なメソッドの教育の導入が盛んになっています。サウジでは、英語とかIT、算数を増やす分、宗教教育を削ろうとして、宗教界と政府が摩擦を起こして一進一退ですけれども、余り実用の役に立たない授業の時間を抑え、できるだけ読み書き計算といった、役に立つカリキュラムを増やしましょうというのが、大きな流れになりつつあります。初等教育レベルはそうです。それから高等教育レベルでも、できるだけ技術に直結するところを増やしていこう発想があります。
  日本は少子高齢化で、これから学生の数も減っていき、大学の生き残りが大変な問題になるわけですが、中東は子どもの数、学生の数が年々増えていくという日本と逆の構造です。既に立命館アジア太平洋大学(APU)や早稲田大学などが、かなり熱心に中東とのコラボレーションを検討しています。中東側では学校の箱は幾らでもできるけれども、「誰が教師を務めるのか」という問題があり、特に技術系の教育で教師の確保が課題になります。今はインターネットを使った双方向のe−ラーニングとかいろんなことができるので、早稲田大学やAPUなどはいろんな連携案を考えていますよ。これから日本の大学が生き残るためには、大学ビジネスでも国際展開を考えなければいけません。その際に重要なマーケットの一つになるのは中東というわけです。
  子供や若者の数がどんどん増えているという事実は、次のテーマである「広がる消費市場」につながります。人口がどんどん増えていても、不景気だと、ネガティブな影響ばかりが表れがちですが、今は好況で、所得もどんどん増えています。人口が増えて所得も向上すれば、ドメスティック・マーケットはどんどん拡大するということです。だから、日本でも、中東市場に目を向ける消費財メーカーが増えてきました。
  もともと家電とか自動車といった耐久消費財では、中東は日本製品の有力なマーケットでした。それに加えて、日用消費財の市場としても、中東に注目すべきでしょう。すでに成功している例でいうと、紙おむつのユニ・チャームという会社があります。ユニ・チャームはかつてサウジ企業に、ライセンスで技術供与をしていたのですが、これを数年前に資本参加に切り替え、今はジョイントベンチャーで紙おむつを生産しています。日本人の技術者やマネジメントも送り込み、凄い勢いで生産量を増やしているのです。何しろ中東では毎年毎年、赤ん坊の数が増えるのですから。
  湾岸産油国は所得水準が他の発展途上国より高いから、日本と同じようなハイエンドの紙おむつがよく売れるのです。高額商品がよく売れる市場なら日本企業が出ていっても商売になるということで、他の日本企業にとっても1つのヒントになります。
  日本では子どもの数、若い人の数は減っていくが、中東では若い人、子ども、赤ん坊がどんどん増えていく。これを手がかりに中東に関心を抱く企業が登場しています。去年あたりまでは、中東を訪問する日本の産業ミッションのメンバーは、石油会社、商社、プラントメーカー、化学会社といった顔ぶれに終始していました。ところが、最近は、子ども用品、ベビー用品、お菓子の製造など、今まで中東と無縁だった会社が参加するようになりました。日本の国内市場はこれから縮む一方だけど、中東にはお菓子を食べる人、紙おむつを使う人、文房具を使う人が増える一方のマーケットが存在するのだと、かなり広範な日本企業が認識し始めているわけです。これは、この1〜2年の顕著な変化でしょう。


12.日本と中東・「重層的な協力関係」が課題に
 
  今年のゴールデンウィークに、安倍晋三首相がサウジ、UAE、クウェート、カタール、エジプトと歴訪し、御手洗会長ら経団連ミッション180人が随行するというイベントがあったわけです。この歴訪では、「石油を超えた重層的な協力関係」がキーワードになりました。「重層」という言葉には、日本が石油・天然ガスを輸入し、耐久消費財やプラントを中東に輸出する貿易の関係にとどまらない、さまざまな面での関係強化を目指すという含意があります。
  中東の人は誰でもトヨタ、ソニー、パナソニックの名前を知っているし、日本が重要な国と認識しています。しかし、トヨタ、ソニー、パナソニックは日本製品のブランド名であり、こうしたブランドが浸透している割に、日本のブレゼンス、存在感は希薄でした。一方で、アメリカのプレゼンスは、うんざりするぐらい過剰でした。
  中東の国は今、この新たなオイルブームを契機として、もう一回、国づくりをやり直そうしています。インフラも造り直し、人間に対する投資も一からやり直そうとしています。こうした新たな国づくりに協力して欲しいパートナーは、どこでしょうか。プレゼンス過剰なうえ、自己中心的で政治色も強すぎるアメリカではなく、経済・産業・技術を中心とする分野では、日本のソフトパワーによる協力を得たいというのが、先方の期待です。
  中東諸国の共通のニーズは、@産業多角化のための直接投資と技術移転、A人口爆発と産業多角化に対応するための水、電力を初めとしたインフラの再整備、B自国民を雇用可能な人材にするための教育と職業訓練です。この三つが、中東諸国の日本に対する期待でもほぼ共通している分野です。こうした中東側のニーズと期待を踏まえた初めての中東ミッションと言ってもいいのが、今年のゴールデンウィークに安倍さんと御手洗さんが行ったミッションだと思います。
  これまで中東側には、日本の中東との関係が貿易関係にとどまっているとの不満がありました。それを双方向の投資振興とか、インフラ再整備での日本の役割とか、或いは人材育成での日本の貢献とかを含めて、グッズ(財)の貿易を超えた関係に高めていこうとする意思を、日本側が示したわけです。余程関心がなければ、各国との共同声明の中身なんて誰も見ないでしょうが、外務省のホームページですぐ見られますから、一度ご覧になっておくといいと思います。この5カ国との共同声明の中に、今述べたようなインフラの整備、或いは「教育は国づくりの礎である」という共通認識に立った職業訓練や教育での、日本の協力といった項目が盛り込まれています。
  中東産油国との関係強化というのは、別にUAEやサウジから日本に対して長期の原油供給のコミットメントを得るといった直接的な資源外交の問題では必ずしもありません。中国が凄い勢いで資源外交を世界中でやっていて、金をばらまいたり、武器をばらまいたりしていますが、そういう外交は日本がやるべきことではありません。新しい国づくりに動き始めた中東のニーズに、どう応えていくかを戦略として考えることが、日本にとって重要です。その戦略的な協力関係が日本のビジネスチャンスに結びつくと、さらにいいわけです。
  今日でも、UAEやサウジにとって、石油の最大の輸出先は日本です。日本はナンバーワンの顧客で、現時点では日本の石油輸入量は中国よりも多いわけです。しかし、日本の石油消費はジワジワと減っていきます。今後、人口が増えるわけではなく減るわけですから。供給国から見ると、日本はこれから需要が増えない市場なのです。サプライヤー側から見て大事な客は、これから購入量がどんどんふえる客でしょう。だから、一昨年即位したサウジのアブドラ国王が初めて外国を公式訪問する時に、「これからはルック・イーストだ、アジア重視の外交だ」と宣言したのですが、訪問した先は日本ではなく、まず中国であり、次いでインドでした。
  「ルック・イースト」「アジアとの関係強化」は、UAEなどにも共通する外交のトレンドですが、石油を中心とした貿易関係で見れば、中東側の最大の関心の対象は日本ではありません。彼らが今、関係を強めようとし商売として動いている相手は、中国でありインドです。日本は石油の貿易だけをベースにしていると、知らず知らずの間に自らのバーゲニングパワーが低下するということを考えなければいけません。
  それを補う意味で、中東の国づくりのニーズが何かを把握し、日本がそれに向き合って可能な限り対応していくことが、日本の戦略として重要になると思います。
  どうも長時間ありがとうございました。(拍手)

フリーディスカッション

與謝野 脇先生、ありがとうございました。
本日はこのフォーラムとしてはじめてお聞き出来たお話も多々あり、また目から鱗と言いますか、深く啓発されるお話を熱っぽく披瀝頂きましてありがとうございました。本日のお話をお聞きして「中東と日本」とがかなり近づいてきたという印象を正直言って覚えます。
  それではここで本日のお話についてのご質問なり追加のご説明の申し出なりを2〜3お受けしたいと思います。
吉村(三井不動産梶j 大変興味あるお話が、多岐に渡ったんですが、1つ、いわゆる文化とか社会、そういう社会構造と言うんでしょうか、そういった意味で今まで近代とイスラムはなじまないとイスラム学者自身が嘆いているような側面があろうかと思います。社会の変化、家族、政治、文化、そういう変わり方、人間という側面からお触れになっていたと思うんですが、その点についていかがでしょうか。
脇 イスラムと近代、この題で3日ぐらいシンポジウムができるテーマですけれども、イスラムの国にはいろんな社会潮流や政治のベクトルが存在すると思います。著名なイスラム学者である京大大学院の小杉泰教授の説明を借りれば、大きく3つのベクトルがあるわけです。
  まず、独立の支えになり、その後に先進国に対抗する基盤となったナショナリズムがあります。先程言ったように、90年代以降においてナショナリズムよりもイスラムの方が強くなっているという問題があるけれども、1つはナショナリズムです。
  経済開発というのは共通のテーマですから、ここはイスラムであろうがなかろうが、ある程度共通する経済開発のモチベーション、近代化のモチベーションが、第2のベクトルとして存在しています。
  もう1つは、イスラムの国は21世紀になったって、イスラムの規範からは逃れられないということがあります。
  この3つのベクトルがそれぞれの局面、或いは時代によって、弱まり、強まり、3つのそれぞれのベクトルの消長の相互関係によって、政治状況が大体決まってくると言えるでしょう。これが一般的な説明です。
  人間の側面で言うと、僕なんかはいつも「イスラム教徒だって別に特殊な人間では全然ないです」と強調しています。彼らだって、まず考えるのは、「ちゃんとした職につきたい」「ちゃんとした家に住みたい」「いい車に乗りたい」といったことです。こうした希望や欲求にイスラム教徒の特殊性はなく、世界共通でしょう。
  オマーンとかUAE、サウジだってそうだけれども、大学の在籍者数は女性の方が多いのです。湾岸の国の大学は、男女、キャンパスが別だったり、同じキャンパスを仕切ったりしているけれども、大学在籍者数は女性6・男性4か、女性7・男性3ぐらいです。オマーンの教育当局者は、試験の点数だけで決めると9割以上が女性になるから、男性の点数に下駄を履かせて何割かを維持していると説明しています。世界どこでも同じで日本も同様ですが、女子はモチベーションが高くてよく勉強し、男子の方は一緒につるんで遊んだり、コンピューター・ゲームにはまったりしているわけで、今日のイスラム世界もその点は同じですよ。
彼らも我々同様、基本的に同じ21世紀の現代人です。夫婦喧嘩を見ても、家庭の中でアグレッシブに責めるのは母ちゃん、逃げ回るのは父ちゃんという一般的な構図は、イランだろうが、サウジだろうが、日本だろうが、一緒だと思います。
そういう意味で、イスラムの特殊性とかを中心に置いて中東を説明しても、逆に理解の妨げになると私は思っています。私はいつも、同じ現代人で、同じビジネスマンのコモンセンスとしてわかる説明が重要だと考えて、社会経済的な構造変化を中心に置いています。
  もちろん彼我の違いはあります。「集中豪雨型開発」なんてことを言いましたけれども、ビジネスについて彼らはアナログ的発想になじまない面があります。特にアラブ人の発想では、初期投資がどのくらいで、単年度の赤字で消えるのがいつごろで、累損が一掃されるのはさらに何年後というような、10年、20年、25年なんていう単位の投資は彼らの発想になじまないのでしょう。彼らは誰と組んだらすぐに儲かるかとか、こういう判断は凄く鋭いです。デジタル的な判断は鋭いけれども、アナログ的な長い時間軸の発想は概して苦手と言えるでしょう。
  イスラムでは将来は不確定なのでしょう。全て神の意思、「インシャー・アッラー」の世界かもしれません。金回りがいい時には問題になりませんが、金詰まりの時には往々にして、保険料が高いというクレームが付きます。
  台風が起きて、船が沈んで、これも神の意思じゃないか。それを保険というものでカバーしたら神の意思に反するじゃないか。そういう理屈もあれば、仮に台風も火事も地震もなかったら、こんなの保険屋の丸儲けじゃないか、これは不労所得じゃないか、こういう理屈を言うやつもいるわけです。
会場 利息もそうですね
 利子もそうです。
  もともとイスラム教というのは遊牧民の宗教ではなくて、マーチャントの宗教、商人の宗教です。預言者ムハンマドは、メッカで貿易、商業に従事するファミリーの一員だった人でしょう。砂漠のキャラバンや荒海を渡る船で体を張り、いつ死ぬか、いつ荷が失われるかわからないリスクと表裏一体の稼業である貿易商人にとっては、オフィスに座って「おまえのビジネスはリスクが高いから、利子も高くする」という金貸しのロジックには、強い反発があっても不思議ではありません。
  ただし、イスラム世界にも長い間、利子が存在してきたのです。イスラミック・バンキングとかイスラミック・ファイナンスとか呼ばれる利子を明示しない金融手法が近年、目覚しい成長を続けていますが、このイスラム金融というのは実は1970年代に生まれた新しいビジネスモデルです。今日においても、日本と同じように利子のつく金融がイスラム諸国の銀行資産全体の8割ぐらいを占めています。イスラム金融は利子を明示しないことで、世界的なイスラム復興の流れにうまく乗って拡大している新しいビジネスなのです。
  何故、イスラム金融が今日拡大しているかにつながるのですが、トルコやエジプトのように酒を飲んでも強く咎められなかった世俗的な国でも、この20数年間を振り返ると、酒を飲む男性の比率の低下という顕著な変化を感じます。一方で、自発的にスカーフをかぶる女性の比率は顕著に上がってきました。
  イランとかサウジのように、女性は外出時に常に頭から黒いものをかぶれと強制される国ではなくて、別にかぶらなくても咎められなかったような世俗的な国で、スカーフをかぶる女性が増えたなあと、行くたびに実感しています。
  そういう意味で面白いのは、エジプトとかトルコで、1980年代ぐらいまでは、「あなたは、そも、何者ですか」という世論調査の問いに対して、「私はトルコ人です」「私はエジプト人です」「私はアラブです」とかいう答えが圧倒的に多かったのです。ところが今、トルコとかエジプトで同じ世論調査をしたら、圧倒的に多い答えは「私はイスラム教徒です」になります。そのくらいの変化があります。自分のアイデンティティーが個々のネーションじゃなくなり、イスラム教徒というのが第一のアイデンティティーの源になっている。この傾向はグローバリゼーションが広がったこの10年、20年で顕著になりました。
  グローバリゼーションが広がる中、ヨーロッパではイスラム系移民の排斥があり、9・11の後には米欧でイスラム教徒を嫌悪する現象も広がりました。こうした嫌悪の流れへの反作用もあって、イスラム教徒の方では自分たちのイスラム教徒というアイデンティティーが個々のネーションより強くなっているのでしょう。
  そういう意識の変化も背景にして、政治状況や社会潮流の変化が続きます。
與謝野 脇先生、誠にありがとうございました。
  残念ながらここで時間が参りましたので、これにて本日の講演を締めさせて頂きたいと存じます。
  本日は、中東地域の動向について、そして日本とイスラム世界との差異について、現地の貴重なご体験にもとづくさまざまな視点からの最新の動向と豊富なナマの情報をお示しいただきありがとうございました。また、日本と中東とがこれから共有すべき多くの課題について貴重な示唆深いお話をただきましたことに対しまして重ねて厚く御礼申し上げます。
それでは最後に、素晴しいお話をいただきました脇先生に、今一度大きな拍手をお贈りいただきたいと思います。(拍手)ありがとうございました。
                                   


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